1 :
日本@名無史さん:2005/05/17(火) 13:29:31
黒田清隆について語りましょ。
2 :
日本@名無史さん:2005/05/17(火) 17:01:30
妻殺しは嘘だと信じたい
3 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 07:47:10
顔は恐いが気は優しい。軍鶏を飼ってて誰かが病気になると
卵を持って見舞いに行った。
坊主で頭を手でおさえて歩いてる写真が残ってるね。
敵軍の将の助命嘆願が行われ、
その後新政府の大臣にまでなれるとは
いかにも日本という国らしいエピソードだな。
(でもその一方で斗南藩みたいな救えないお話もあるけど)
5 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 09:19:01
黒田清隆って総理大臣としてはどんなことしたの?
ヒント:憲法
8 :
日本@名無史さん:2005/06/04(土) 11:14:52
2代目総理の割に
大日本帝国憲法発布した割に
世間一般には馴染み薄いキガス
だって作ったのは伊藤だし。
やばいな、おれも酒乱のイメージしかない。
だれかおしえて君にもわかるように解説してくれ。
11 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:57:11
明治天皇も黒田には憲法を渡したくなかった。やはり一番信頼していた伊藤や山県あたりだろう。黒田は先にも後にも総理大臣以外国務大臣はやっていないと思う。
自分は今まで『旧幕府の人達に情けをかけてあげた良い人』としか認識していなかったが、あれは新政府に起用する有能な人材の確保の為だったとする見解があるんだな。
ちょっとショックだった…。
>>2 嘘のようだ。
『黒田清隆夫人の死』をドゾー
15 :
2:2005/07/03(日) 16:37:27
井黒さんの本は良心的で好き。
薩長同盟以前の経歴について詳しい人いませんか?
経歴と言えるほどのものがないんじゃないのか?
多分西郷の使い走りやボディガードみたいなことしてたんだろうが。
地元鹿児島で人気が無いんだよね。
生誕地碑すら立ってないのはこの人だけって聞いた。涙
20 :
2:2005/07/10(日) 09:44:40
立ってないだけじゃなくて、ただの駐車場だもんね。
その代わり札幌では銅像もあるし。北海道に本籍移しちゃったのがまずかったのかなぁ
21 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 03:12:07
汚職事件に、超然内閣。
薩摩人は汚い奴ばかりだ。
22 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 03:13:57
まさに陰謀と言う言葉がピッタリ!
23 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 03:32:39
>21
長州のほうが汚職のイメージ強いが。
24 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 03:35:34
あんなものは政争の為の言い掛かりに過ぎないよ。
五代友厚は私腹を肥やしたりしてないんだから、
実際に汚職まみれだった長州閥とは訳が違う。
「だから伊藤サンにさう言ふたノサ。黒田がよほど総理を
やりたがつてゐる様だから一度させてお上げよと。
薩摩人は一度心を掛けると、決して諦めないからネ。
ナニ、一度やれば懲りるだらふよと言ふて置いた」
いつも拳銃持っていて、気に入らないことがあるとすぐに喧嘩をふっかける
物騒な男だったとか。
しらふのときは大人しい人だったっていわれてるよね?
29 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 14:08:38
酔っ払って婦人を殺したが
なんとかうやむやにして
総理になったって本当?
30 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:13:59
超然主義
黒田が妻を殺したという嘘を垂れ流したのは長州閥かも知れないな。
何しろ今このスレでも熱心に続けてやがる。
32 :
薩人:2005/09/02(金) 11:48:51
最近講談社から出版された講談社学術文庫大久保利通を呼んでみろ。
どうも殺ッチャッタらしいぞ。
33 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 00:32:46
中央公論の日本の歴史21巻付録に、「明治日本を形成した人々」というタイトルで、
石川達三と色川大吉の対談が載っているが、その冒頭に黒田のことが取り上げられている。
ちょっと長いが面白いので引用しとこう。
石川達三(以下石川) この本のはじめのほうで、黒田清隆が女房を殺しますね。それが
うやむやになるのですが、日本に刑法というのがちゃんとできたのはいつですか。
色川大吉(以下色川) 明治十三年、施行は十五年です。刑法と治罪法が発動されたのは、
あの事件から三、四年あとでしょう。
石川 そうすると、この時代の刑法みたいなものの刑罰は、どういうシステムになって
おりましたか。
色川 太政官布告で決められた律みたいなものです。いちおう新律綱領および改訂律令
として公布されたものですけれども。古いとはいえ殺人とか、そういうものは、非常に
厳しく規定してあります。
石川 いったい、あの事件の真相はどうなのですか。
色川 今でも白黒はわからないのじゃないですか。もちろん妻を黒田は斬っただろうと
思いますけれども、確実な証拠というものはないわけですね。斬られた妻の方の家族も
泣き寝入りで提訴しませんし、第一いちばんの責任者である川路大警視が黒田閣下は
斬っていないと言うのですから、うやむやになるわけです。大久保利通をやった島田
一郎の斬姦状の中に黒田のことがでてきます。川路大警視はその日、黒田の家にいた。
そこへ黒田が酔っぱらって帰ってきて女房を刀で斬ったので、川路は非常にいづらく
なってコソコソと逃げた。一国の警察の最高責任者が現場にいながら逃げるとは何事だ、
けしからんと島田は書いている。だから世間は、川路が一緒にいて、殺されるのを見て
いながら、自分の先輩だからと言って逃げたのだということを信じていたようですね。
この島田の斬姦状を明治天皇が読むわけです。それもあって、明治天皇は黒田が非常に
嫌いでした。
34 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 00:33:17
石川 黒田は辞職すると言ったでしょう。それを伊藤か誰かがとめておりますね。
色川 大久保利通です。
石川 辞職するというからには、やっぱり覚えがあったんだな、これは。
色川 あの前にも黒田は小樽の沖で軍艦から大砲を部落へぶちこんだことがある。例の
有名なクラーク博士を東京から札幌へ連れて行きますが、一緒に乗っていたわけです。
小樽の沖に近づいたとき、何か議論をしてくしゃくしゃしていたのか、大砲を陸へ向って
ぶっぱなしたのです。その一発が部落の娘を殺しているのですが、これも結局罪を受けて
いない。
石川 やっぱり、酔っぱらっていたのですか。
色川 いや、その時はしらふでした。
石川 これはたちの悪いやつだな。(笑)
色川 娘を撃たれて、土地の連中が非常に怒って、不穏の情勢になるんですが、それを
説得して、父親に埋葬金九十円をつかわすのですね。「厚仁憮ヲ以テ…御主意ノ段感ジ
奉リ候」という受取りまで書かせています。そんな感覚ですから、二年後にこの妻殺し
が起こるのです。黒田としては、殺人の責任というものに非常に鈍感なんじゃないですか。
それに今度の本には書かなかったのですが、黒田は少女趣味というか、奥さんがみんな
十四歳とか十五歳とか非常に若い。最初の妻が十四で、二度目は十七です。
石川 それで殺されたのは…。
色川 二十三、四ですが、これは結婚して十年ぐらいたっている。彼は、小間使いの
小娘とか、女中でもみんな若い女に子供を生ませているようです。行きずりの小娘に
惚れこむと、もうとことんまで追求する。それで最後には手に入れるんです。ちょっと
異常な神経ですね。
石川 なるほど、これは面白いが、もう歴史じゃなくて小説の領分ですな。
35 :
日本@名無史さん:2005/09/03(土) 00:38:15
司馬の小説にそんな事書いてあったなぁ(酒乱 妻殺し)
36 :
日本@名無史さん:
黒田の妻殺し疑惑が起きた際に、伊藤博文と大隈重信が、法治国家としての
黒田への処罰を大久保に迫っている。伊藤も大隈も政府の中枢にいたわけで、
ガセでは動かないだろうから、やはり、極めてクロに近い灰色だな。