新撰組にいたが、長生きできた人  

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1日本@名無史さん
新撰組にいた人は幕末あるいは明治が始まってすぐに討ち死にしたり、斬首されたイメージが強い。
だが、運良く長生きできた人も結構いるんだ。
そう言う人物に関してあれこれ語り合いませんか?
2日本@名無史さん:2005/04/20(水) 16:12:49
例えば篠原泰之進。
3日本@名無史さん:2005/04/20(水) 16:13:02
やだ
4日本@名無史さん:2005/04/20(水) 16:24:28
オダジョーが演じた人は相当長生きしただろ。維新後も官吏か何か知らんが
自治体(政府か?)の仕事やってたみたいだし。
5日本@名無史さん:2005/04/20(水) 16:34:08
箱館新選組だが、昭和まで生きたのがいたな。
6日本@名無史さん:2005/04/20(水) 16:51:47
>>5
誰ですか?
7日本@名無史さん:2005/04/20(水) 16:53:24
土方歳三
8日本@名無史さん:2005/04/20(水) 16:59:29
田村銀之助
9日本@名無史さん:2005/04/20(水) 17:02:50
藤田五郎はお茶の水の学校で交通整理やってたっけな。
10日本@名無史さん:2005/04/20(水) 21:28:40
篠原泰之進しのはらたいのしん 1828〜1911篠原泰輔。篠塚友平。泰河内。泰林親。文政11年、筑後国生葉郡高見村の石工業・篠原元助の長男として生まれる。
幼い頃から武術に熱心で、久留米藩の宝蔵院流槍術師範であった森兵右衛門に入門し槍と剣を学び、18歳の時に良移心流柔術師範の下坂五郎兵衛に柔術を学んだ。
嘉永5(1852)年に久留米藩士に仕え、その後、家老・有馬右近に奉公する。
安政5(1858)年5月、有馬の江戸入りに従い藩邸に入る。
しかし、程なく起きた桜田門外の変に衝撃を受け、尊皇攘夷を志し、水戸、大坂、上総、下総、越後を歩き、尊攘志士と交流を持った。
文久3(1863)年には神奈川奉行所に雇われ、横浜の外国人居住地の警備を勤め、そこで服部武雄、加納鷲尾、佐野七五三之助らと交友を深めた。
その後、江戸に行き、加納に伊東大蔵(後の伊東甲子太郎)を紹介される。
元治元(1864)年10月、新選組入隊を決めた伊東、三木三郎らと共に上洛する。
しかし、篠原が正式に新選組に入隊したのは数ヶ月後のことである。
慶応元(1865)年初夏の再編成では諸士取扱兼監察、柔術師範に就任する。
新選組を尊攘派に替えようとするが、近藤の意を翻すことは出来ないのを悟り、離脱を画策する。
御陵衛士を拝命して離脱するというのは、篠原の尽力によるところが大きい。
果たして篠原は、慶応3(1867)年、同士と共に離脱し、伊東を盟主として高台寺党と呼ばれるようになる。
このとき泰河内と改名する。
11日本@名無史さん:2005/04/20(水) 21:30:21
しかし、11月18日、伊東が油小路で謀殺される。
通報を受け、伊東の遺体を引き取りに行った篠原らは、潜伏していた新選組と戦闘になる。
藤堂平助、服部らは惨殺されたが、篠原・三木、加納、富山弥兵衛の4人は脱出に成功し、その後薩摩藩の庇護を受けた。
新選組への復讐を画策していた篠原ら高台寺残党は、12月18日、伏見街道沿いの民家に潜伏し、馬に乗り二条城から屯所に戻る近藤勇を狙撃した。
銃弾は近藤の右肩に命中し、重傷を与えた。
慶応4(1868)年1月の鳥羽・伏見の戦いでは、薩摩軍に加わり戦った。
続く戊辰戦争では赤報隊に加わり、偽官軍事件の巻き沿いを食い投獄される。
しかし、まもなく嫌疑が晴れ、陸軍軍曹として戦功を挙げた。
維新後は秦林親と改名し、永世士族の許しを得た。
警察庁、大蔵省などに奉職し、明治6(1873)年4月に辞職した。
その後は、様々な事業に手を出したが、日の目を見ることはなかった。
晩年はクリスチャンとなり、若い妻と2人の男子と共に過ごし、 明治44年6月13日、天寿を全うする。
享年84。
12日本@名無史さん:2005/04/21(木) 00:45:53
>>4
明治政府の警察官になったらしい。
13日本@名無史さん:2005/04/21(木) 00:53:44
池田七三郎氏が昭和11年までだっけ??
14日本@名無史さん:2005/04/21(木) 01:36:57
永倉君も長生きさ
15日本@名無史さん:2005/04/21(木) 01:38:50
鈴木三木三郎
16日本@名無史さん:2005/04/21(木) 01:47:59
長州力
17日本@名無史さん:2005/04/21(木) 04:38:54
斎藤一(さいとうはじめ) 1844〜1915山口一。山口次郎。山口二郎。一戸伝八。一瀬傳八。藤田五郎。斉藤一。 弘化元年正月1日(2日とも)、明石藩足軽・山口祐助の次男として江戸に生れる。
母はますという。
19歳の時に、旗本を殺してしまい、京へ上り、父の知人の吉田某の道場で代稽古を勤めていたといわれている。
文久3(1863)3月、浪士組上洛直後に、京都で入隊し副長助勤となる。
9月25日には長州藩の間者であった御倉伊勢武を殺害した。
元治元(1864)年6月5日の池田屋事件では、土方の組におり、到着後、戦闘に参加、報奨金17両を賜っている。
元治元年(1864)8月頃には、近藤勇増長に不満を抱き、永倉新八、原田左之助らと共に会津藩に上書を提出している。
伊東甲子太郎入隊後の再編成では三番隊組長、剣撃師範に就任する。
武田観柳斎を殺害したのは斎藤であるというのは後世の作り話の可能性が高い。
伊東らが、新撰組を離脱すると、斎藤も同調し高台寺党に参加した。
これは、近藤の密命を受け、間者として潜り込んだものであるらしく、近藤暗殺計画があることを伝えた。その後帰隊する。
そして、油小路の変で伊東らの暗殺へと繋がっていく。
18日本@名無史さん:2005/04/21(木) 04:40:59
鳥羽・伏見の戦いでは、永倉と共に殿軍を務め、甲州、会津と転戦。白河では、負傷した土方に代わり新撰組隊長を務めた。
この間に山口二郎と改名する。
榎本艦隊に乗っての蝦夷行きに反対し、離脱する。
その後、山口に同調した20数名と共に会津藩の一員として戦い続けた。
敗戦後は塩川村にて謹慎、その後越後高田城下に送られる。
会津藩が斗南3万石として再興を許されると、山口は斗南藩士として下北半島に移住した。
また、同時に一戸伝八(一瀬傳八)を名乗る。
明治5(1872)年、警視局に入り、後に警部補に任ぜられる。
この間、本仲人・松平容保、下仲人・山川浩、佐川官兵衛により、高木時尾と結婚している。
その際に、容保から藤田五郎の名を与えられた。
二人は、勉、剛、龍雄の三人の男児に恵まれた。
元会津藩士として、西南戦争にも出陣した。
その後は、博物館、学校などに奉職した。
大正4年9月28日、床の間に座ったまま往生した。
享年72歳。

 死因は胃潰瘍であったといわれている。
19日本@名無史さん:2005/04/21(木) 07:41:21
長生きとは違うが、アメリカ留学に行った奴もいたな。
20日本@名無史さん:2005/04/21(木) 13:53:08
>>18
当時の塩川なんて とんでもない僻地だったろうなぁ
21日本@名無史さん:2005/04/21(木) 17:49:44
発起人の山岡鉄太郎や山口徳之進は維新後も宮内省高官になって贈爵されている。
清川も生きていればこのぐらいにはなっただろう。
22日本@名無史さん:2005/04/21(木) 20:21:48
長生きしてパン屋になった奴もいるんだろ?
23日本@名無史さん:2005/04/21(木) 22:43:34
永倉新八(ながくらしんぱち) 1839〜1915永倉栄治。栄吉。英治。永倉新八載之。杉村義衛。長倉新八。
天保10年4月、松前藩江戸定府取次役・長倉勘次の次男として、江戸・下谷三味線掘の松前藩長屋に生れたという。
8歳のときに、本所亀沢町(現在の神田猿楽町)にあった岡田十松の撃剣館に入門し神道無念流を修行し、15歳で切紙、18歳で本目録を得た。
19歳のころに松前藩を脱藩し永倉と姓を改める。
百合元昇三に神道無念流をまなび、22歳で免許皆伝を許された。
また坪内主馬の元で心形刀流の剣も学んだ。その道場で島田魁と出会う。
23歳のころ、近藤勇と出会い試衛館の食客となり、文久3(1863)年2月、近藤らと共に浪士組上洛に参加する。
 副長助勤を勤め。文久4(1864)年6月の池田屋騒動では、近藤・沖田総司・藤堂平助と斬り込み、
沖田が病に倒れ、藤堂が額を割られて離脱した後も、刀を折り、指を削がれながら奮闘した。
事件後、20両の報奨金を賜っている。
同年8月には、同士を家臣扱いするようになった、近藤に不満を抱き、原田左之助・斎藤一らと共に松平容保に近藤批判上書を提出し、
その後謹慎処分となったようで、同時期の編成から外れている。
その後は、二番隊組長、撃剣師範を務め、三条制札事件などに活躍、油小路の変でも剣をふっるった。
24日本@名無史さん:2005/04/21(木) 22:46:21
伊東甲子太郎とともに新選組に入隊した阿部十郎の後日談に「沖田よりはちと稽古が進んでおりました」と残されており、
その剣技は、沖田をも凌ぐものであったことがわかる。
鳥羽・伏見の戦いを経て、甲州勝沼の敗戦を最後に近藤・土方との溝を埋められず新撰組を離脱する。
自ら靖共隊を組織し副長となり会津を目指し、小山、宇都宮など各地を転戦した。
  戦後は、単身江戸(当時は既に東京と改められていた)に潜伏後、松前藩に帰参する。
その後、鈴木三樹三郎と偶然再会する。
三樹三郎は永倉を兄・伊東甲子太郎の仇のように思っており、身の危険を感じた永倉は、
元松前藩医・杉村松柏の養子となり北海道福山に移る。
後家督を継ぎ、杉村義衛を名乗る。
明治9年、松本良順の協力で板橋・近藤勇の処刑場跡に近藤・土方の墓碑を作り、隊士百余名の名を刻む。
晩年は小樽に帰郷し、札幌で剣術指南をしながら、悠々自適に暮らす。
大正4(1915)年1月5日、虫歯の悪化による骨膜炎、敗血症のため病没。享年76歳。
彼の手記『浪士文久報国記事』は、幕末を幕府側から見た、貴重な資料となっている。
25日本@名無史さん:2005/04/22(金) 06:15:43
篠原。いい人生送りやがったなぁ!
26日本@名無史さん:2005/04/22(金) 06:18:10
>>25
晩年はキリシタンになったんだっけ?
27日本@名無史さん:2005/04/23(土) 04:07:53
そうです。
28日本@名無史さん:2005/04/23(土) 05:48:10
明治になって、篠原は久留米藩主の依頼でライフル・ロケットの試射を行い、藩士(100石)としても登用された。
その後、弾正台京都支庁少巡察に任命されるが、上司海江田信義(有村俊斎)の大村益次郎暗殺犯死刑執行停止事件に連座して謹慎。
復職するも、久留米の奇兵隊脱走兵隠匿事件に謀議の疑いで免職。結局、お構いなしとなったが、退職。
退職後は実業家となった。後年、クリスチャンに改宗。
秦林親日記を記し(日記といっても、回顧録。息子の書いたものである可能性もある)、史談会に出席して証言するなど、当時の記録を残した。
享年84歳。
29日本@名無史さん:2005/04/23(土) 08:18:54
近藤勇には養子がいたよね?
彼はどういう人生を送ったんだろう。
30日本@名無史さん:2005/04/23(土) 08:47:52
近藤周平(谷昌武);1848?〜1901
嘉永元年5月20日、備中国松山藩士・谷三治郎供行の三男として松山で生まれる。
谷三十郎、谷万太郎の実弟である。

入隊は文久3(1863)年末から、翌年春頃である。
元治元(1864)年6月の池田屋事変の前頃に近藤勇の養子に迎えられる。
板倉周防守の後落胤という噂を近藤が信じた為だといわれている。

池田屋にも参加し、近藤が養父周斎に宛てた手紙には最初の斬り込み参加したと書かれているが、疑わしい。兄万太郎とのすり替えの可能性もある。
事件後、15両の褒賞金を得ている。

慶応3(1867)年に新選組が幕府直参となった際には見廻組並の格付を得たが、谷性に戻っていることから、その前後に養子縁組を解消されていたようである。

慶応4(1868)年1月の鳥羽・伏見の戦いの後、江戸で脱走する。

維新後は大阪府警に入ったが、ほどなく辞職している。

神戸で没したとされる。享年54。
31日本@名無史さん:2005/04/23(土) 08:53:38
>>29
養女もいるよ。
沖田にフラれたけど。
32日本@名無史さん:2005/04/23(土) 10:05:08
永倉の死因が虫歯って悲しいよな
新選組1,2の腕前だったのに・・・虫歯はないだろ
33日本@名無史さん:2005/04/23(土) 11:56:35
島田魁は西本願寺に戻ったんだっけ?
34日本@名無史さん:2005/04/24(日) 23:11:42
たぶん。
35日本@名無史さん:2005/04/25(月) 01:52:39
島田はその後西本願寺の警護守衛
36日本@名無史さん:2005/04/25(月) 01:57:42
懐の中には常に土方さんの戒名(はぁと
37日本@名無史さん:2005/04/25(月) 02:46:35
斉藤一。
38日本@名無史さん:2005/04/27(水) 05:30:05
>>32
さぞかし、激痛だったろうな。
39日本@名無史さん:2005/04/28(木) 20:31:29
新撰組が落ち目になったら逃げるが勝ちだ!
40日本@名無史さん:2005/04/28(木) 20:49:30
よらば大樹の陰    by斉藤一
41日本@名無史さん:2005/04/29(金) 01:15:40
原田サノスケ(漢字わからん)が実は生きていて馬賊になったっていう話のネタ元は?
42日本@名無史さん:2005/05/01(日) 06:34:28
>>41
単なる噂
43日本@名無史さん:2005/05/01(日) 08:59:38
何でよりによって原田なんだろう。
他にいくらでも有名人いるのに。
新選組でもむしろ土方の方が、遺体が見つかってないし知名度あるし箱館だから大陸に近いしで、生存説が出てきそうなもんだけど。
44日本@名無史さん:2005/05/01(日) 09:45:51
喧嘩の末に、腹を斬ろうとしたからじゃないか?
つまり、それだけ衝動的行動を多く起こしたと思われたんだろ。
45原田:2005/05/02(月) 08:43:14
原田左之助忠一

謎が多い人物ですが、それだけに惹かれます。

伊予国(愛媛)松山藩の足軽の家に生まれ、後に松山藩を脱藩。

左之助は坂本竜馬暗殺の嫌疑もかけられるなど逸話も。
(おそらく犯人ではないでしょう)


46日本@名無史さん:2005/05/02(月) 22:34:29
斉藤一の警察官はなんかこえー。
47日本@名無史さん:2005/05/02(月) 22:51:25
芹沢グループの生き残り平間重助は?
こいつが近藤、土方や伊東等より長生きしてたのも意外。
48新選組十一番隊長:2005/05/02(月) 22:54:04
日露か日清戦争時に、やたら新選組に詳しく、いつも先頭きって斬り込みかけて無傷で戻る初老の軍人が原田左之助だったという話しを祖父が曾祖父から聞いたと言ってました。長い槍ではなく、手槍と云う短い槍を持ち歩いていたらしいです。
49原田:2005/05/03(火) 04:47:03
>>48

伝説が多いですね。
あちこちに名前は出てきますけど、知名度は近藤・土方・沖田ら
とくらべ物にならないとおもうのに。

日清・日露の話は、彰義隊で死亡せずに大陸に渡って
馬賊になり日本軍を後方支援という話ですね。
自分で名乗ったという話。

原田さのすけ
50日本@名無史さん:2005/05/03(火) 05:39:49
望月三起也の漫画では原田が主人公。
51日本@名無史さん:2005/05/03(火) 20:11:42
永倉新八の死因初めて知った
なんか物凄く切ないのは何故
52日本@名無史さん :2005/05/03(火) 21:38:10
原田左之助は日中戦争で目撃情報があるぞ。
5352:2005/05/03(火) 23:09:27
既出だった(´A`)
54日本@名無史さん:2005/05/04(水) 00:27:22
>>52
日中戦争ではないよね?さすがに。
55日本@名無史さん:2005/05/04(水) 00:27:50
日中戦争ってことは、生きてても100歳近いんじゃないの?
56日本@名無史さん:2005/05/04(水) 06:02:35
原田生存説はガセネタさ。
57原田:2005/05/04(水) 08:36:54
日中じゃないよ。日露ですね。
義経みたいですね。

原田さのすけ
58日本@名無史さん:2005/05/04(水) 22:57:45
沖田生存説もある。
59日本@名無史さん:2005/05/05(木) 01:25:03
幹部クラスは情報が現在も残ってるが、平隊士は最早調べ様が無いよね。
文久時代からの古参平隊士を始め、慶応までの幾度かの隊士募集、
そして戊辰戦争中の隊士募集、加わっては散り散りになって…
案外、昭和初期ぐらいまで京都には元平隊士だった生き残りがごろごろいたかもね。
「元新選組」の肩書きは命取りになるから、まず口外しなかっただろうけど。
60日本@名無史さん:2005/05/05(木) 02:57:58
実際、新撰組が国賊という汚名は、いつまで続いたのだろうか?
61日本@名無史さん:2005/05/05(木) 03:11:34
来年には解除されるんじゃね?
62日本@名無史さん:2005/05/05(木) 20:52:49
去年発見された山崎烝の取り調べちゃうぞ帖はガセ?
63日本@名無史さん:2005/05/06(金) 01:11:36
ガセだぜ
64日本@名無史さん:2005/05/06(金) 04:28:49
まだ新撰組は国賊扱いなのか?
慶喜公ですら許されたのに、不条理だ。
65日本@名無史さん:2005/05/06(金) 04:37:58
だから去年NHKが名誉回復したんじゃないかー
66日本@名無史さん:2005/05/06(金) 08:35:11
今はNHK自体が名誉回復に躍起なわけだが・・・。
67日本@名無史さん:2005/05/06(金) 21:17:28
大河では芹沢先生の名誉回復はかなり達成された。
68日本@名無史さん:2005/05/07(土) 08:33:33
「あと一人は誰だ」

 ゴゴーン

「(ニヤリ)嬉しいぜ」
69日本@名無史さん:2005/05/07(土) 14:44:26
近藤の首は京都で晒された後は行方不明だよね?
首なしの遺体はどこにあるの?
掘り返して埋葬した説とか色々説があるけどよくわからないので誰か教えてくらさい
70日本@名無史さん:2005/05/07(土) 23:51:11
>>69
水木しげるの漫画では
首無し遺体は
遺族が土から掘り起こして
手厚く葬ったそうだ。
71日本@名無史さん:2005/05/07(土) 23:52:21
結局、斎藤一は近藤の首を持ち帰ることはできなかったんだろう?
72日本@名無史さん:2005/05/08(日) 12:26:08
斎藤一は正座したまま絶命した、って本で読んだが
本当ですかね?
73日本@名無史さん:2005/05/08(日) 13:47:48
>>72
本当です。(座布団の上で死にました)
74新選組十一番隊長:2005/05/09(月) 03:10:27
近藤の胴体は一旦、刑場に埋められたが、有志や遺族が掘り出して、近くの寺もしくは三鷹の龍源寺に埋めたらしい。首については諸説あるが、愛知の法蔵寺説が有力かと♪理由はここの住職が京都にいる時に近藤と親交があったため。因みに松平家の菩提寺でもある。
75日本@名無史さん:2005/05/11(水) 22:54:51
新選組隊士・阿部十郎。
この人物は、新選組の中でただ一人、新選組を二度脱走している。
一度目は、池田屋事件の前、男色が隊内に流行し、
不逞浪士の追補のみに奔走する現状等に失望し、数名脱走していったなかに彼はいた。
脱走後は大坂に潜伏していたようだ。
その後、新選組は池田屋事件で大戦果をあげ、より強大になっていき、
その新選組の威名に、新入隊士が増えていった。
そんな中、阿部十郎は、この池田屋事件の二ヶ月後、ツテを使って無事に新選組に復帰し、
伍長、砲術師範役など、幹部の道を進んでいったのである。
二度目は、伊東甲子太郎が御陵衛士を名乗って、隊士15名と共に独立した時である。
この15名の隊士の中に、阿部十郎もいた。
その後、御陵衛士から赤報隊として戊辰戦争を戦い、明治40年まで生きた。
また彼は、伏見墨染において、近藤勇を狙撃して傷を負わせている。
76日本@名無史さん:2005/05/12(木) 06:00:03
阿部。いい人生送ってるじゃねえか。
77日本@名無史さん:2005/05/13(金) 05:48:49
長生きした奴結構いるんだよな。
78日本@名無史さん:2005/05/13(金) 22:18:10
もし五稜郭にあると思われる土方の遺体を発見しても 今の科学力で土方の遺体だと証明できるのかな?
79日本@名無史さん:2005/05/13(金) 22:22:16
>>78
母親一緒の系統が残ってるから証明はほぼ100%可能。
80日本@名無史さん:2005/05/13(金) 22:32:09
なるほど

大規模な発掘調査をしても見つけるのは困難かなぁ
ちゃんと見つけて家族のお墓に入れてあげたい気もするけど、このままのほうが良いのかなぁ
81日本@名無史さん:2005/05/14(土) 03:01:38
>>76
けど風雲幕末伝ではいつまでも油小路とか言っててうざかった
82日本@名無史さん:2005/05/14(土) 07:12:15
油小路。一発屋みたいだ。
83日本@名無史さん:2005/05/15(日) 21:11:49
俺達の言葉は幕末の人に通じるのかな?
普通に俺達と会話とかできるのかな?
84日本@名無史さん:2005/05/15(日) 22:20:22
>>83
会話できる部分もあれば、全く通じない言葉も存在するのではないだろうか?
85日本@名無史さん:2005/05/16(月) 09:01:13
以前、俺がネトゲで知り合った人が京都の人で、その人の亡くなったおじいちゃんが元新選組平隊士だったらしい。
まぁ本当かどうかはもはや調べ様が無いけれど、京都には「元隊士」の末裔がゴロゴロしてそう。
86日本@名無史さん:2005/05/16(月) 11:21:09
最大時250人位の隊士がいたようだし、その都度に
隊士募集もしていたわけで、鳥羽伏見のゴタゴタ
の中に雇い入れた傭兵じみた人や、甲陽鎮撫隊の
時の募集隊士も、新選組が有名になった事で、後日
人に話をする際には元新選組隊士と名乗っている
可能性もあるし、あながち間違いでもない。
それを考えたら、結構な人数の子孫は残っている
でしょうね。
むしろ、維新後悪役にされた事で、新選組隊士で
あった過去を隠した人も多いだろうし、子孫も
そんなことも知らないままに時が流れている、って
ケースも多いでしょうね。
一番長生きしたとされる、記録に残っている隊士と
しては、稗田利八と言う隊士が昭和11年くらいまで
存命してたよね。
新選組の末期入隊の人らしいけど。
江戸時代最後の生き残りは、確か慶応元年生まれで
120歳まで存命されていた泉重千代さん(1986年没)
のようだから、昭和2〜30年くらいまでなら、新選組に
関わった事のある人が存命していた可能性はあるね。
87日本@名無史さん:2005/05/16(月) 17:48:04
赤間さんの新撰組女一人旅の本は面白いですね
実際に現場に取材に言って子孫の話を聞いてるし

88日本@名無史さん:2005/05/16(月) 22:23:09
>>86
そりゃすげえや!
波乱万丈の人生だね。
若い者たちにさぞかし昔話をしたんじゃないの?
89日本@名無史さん:2005/05/17(火) 04:44:33
>>58
はじめて聞いた。
教えてくれ。
90日本@名無史さん:2005/05/17(火) 23:45:40
子母澤寛の書いたものによると、新撰組を脱退した人などの記載もあるよね。
横浜で、ガラス商として成功した人がいるらしいと書いてあったような。

斎藤、原田ほど有名ではないけど脱退した人のその後の人生をおせ〜てください。

91日本@名無史さん:2005/05/18(水) 02:14:43
竜馬殺しの犯人として獄中で死刑になった隊士がいたよね?
竜馬殺しの謎を解く本に書いてあった
92日本@名無史さん:2005/05/18(水) 03:35:40
>>91
「人斬り鍬次郎」と称された大石鍬次郎ですね。
93日本@名無史さん:2005/05/18(水) 16:01:40
鍬次郎かわいそうに
94日本@名無史さん:2005/05/18(水) 16:32:58
相馬さんは新島に流された後に浅草に移って自殺してるよね?
95日本@名無史:2005/05/19(木) 00:02:15
>>91
竜馬殺しの黒幕は薩摩。
実行は当時薩摩に飼われていた伊東率いる御陵衛士に近藤・土方と袂をわかったふりをして潜入していた斉藤一。
当時薩摩は大政奉還後の体制で主導権を握るため、徳川家存続を主張して譲らない竜馬が邪魔で仕方なかった。
竜馬を消して、罪を新撰組になすりつければ一石二鳥。
斉藤は潜入操作の役目を全うするため竜馬暗殺実行を引き受けるが、実行後すぐに土方に報告する。
新撰組は薩摩の更なる陰謀を封じるため手先の伊藤暗殺を決行する。
というのが浅田次郎説で妙に納得できた。
96日本@名無史さん:2005/05/19(木) 06:18:01
>>95
説得力があるな。
坂本龍馬は所詮西郷のパシリ。
用済みになったら捨てられたわけだ。
97日本@名無史さん:2005/05/21(土) 16:01:23
浅田二郎>>>司馬遼太郎
98日本@名無史さん:2005/05/21(土) 16:55:43
近藤勇の衆道の相手だったという小姓が
昭和の初めまで生きていたという話は聞いたことがある。
99新選組十一番隊長:2005/05/22(日) 04:28:09
龍馬暗殺については諸説あるが、俺は中岡もかんでると考えている。薩摩に説得されて、最初の額の横なぎの一刀は中岡が放ったと。その後、検分に来た高台寺党に斬殺されたと。龍馬の傷は少ないが中岡はメッタ斬りされてるし。
100日本@名無史さん:2005/05/22(日) 05:20:19
>>95
その説、さいとうたかおさんの「血闘!新撰組」でも採用されていましたね。
俺もそうかと思っています。
>>99
中岡が・・か、確かに龍馬とは意見の食い違いはあったようだけど・・。
盟友にそんなことするかなあ・・。
101日本@名無史さん:2005/05/22(日) 05:20:22
>>99
たまにその説を聞くね。
102日本@名無史さん:2005/05/22(日) 10:59:11
>>99
とても興味深いですね。
今まで俺が読んできた説だと、新撰組の原田・見廻組の数名という説はあったが
中岡が裏で一枚噛んでいる説は初見でした!
もしよろしければ、もっと詳しく聞かせて頂けませんか?
103新選組十一番隊長:2005/05/22(日) 19:33:23
龍馬は北辰一刀流の免許皆伝です。刺客が高台寺党だったとしても、額に横なぎ一閃は無理かと思われ、峰吉が十津川の郷士が来た事を告げた時に中岡なら可能かと思われます。ただ、中岡も自分まで斬られるとは思ってなくて窓つたいに屋根まで逃げたがメッタ斬りにされましたね。
104日本@名無史さん:2005/05/23(月) 15:05:11
永倉って北大の道場で「人を切るときはこうする」ってやろうとしたらぶっ倒れて、それからヨボヨボなったと聞いたことあるけどホント?
105日本@名無史さん:2005/05/23(月) 22:59:40
本当だ。
106日本@名無史さん:2005/05/24(火) 10:25:34
>103
竜馬が北辰一刀流免許皆伝って話は良く聞くが、それは
長刀での免許皆伝だよ。
刀と長刀じゃ全然間合いも違うし、ましてや狭い室内で
は刀を一閃させるだけでも結構な技術だよ。
焦っていれば、たいてい大降りに振りかぶって天井など
を削り、殺すに至らない。
冷静に横薙ぎに額を切ったということは、それだけ前も
って計画をして覚悟した上での襲撃だろう。
いきなり襖を開けての襲撃ではそうも行かず、一番可能
性の高いのは、やはり目前にて隙を伺いつつ歓談しなが
ら機を待って冷静に事が運べた存在と言えば、やはり
中岡慎太郎その人である可能性もあるよね。
でも、自身が切られたのに、存命中に犯人を誰何する事
無く、死んで行ったのは不思議な話だが。
高台寺党とはまるっきり面識がなかったのか、それとも
それ以外の人間だったのか・・・
死ぬ前に幕府内にも肝の据わった人間がいるから注意しろ
との発言をしたのが本当なら、やはり見廻り組にやられた
と考えるのが自然かな?
107新選組十一番隊長:2005/05/24(火) 12:37:37
龍馬の皆伝が長刀だったとしても、山内容堂主催の御前試合で優勝したのは確かだし。
中岡は翌日まで生きていたと言われるが、全身数十カ所に及ぶ斬り傷で重体だったので口は聞けないだろう。見回組の今井は龍馬暗殺で獄に入るが後に西郷によって赦免されている。
108日本@名無史さん:2005/05/24(火) 13:13:45
>安政の御前試合のもようは、武市半平太が小南五郎右衛門に宛てた
>安政5年10月29日付の手紙に詳しく書かれています。「桂は
>連戦連勝、向かうところ敵なしだったが、龍馬と立ち合うと10本
>までが相打ち、11本目に龍馬がもろ手に付き勝利を収めた」と
>いうことになっています。しかし、龍馬は安政5年それによると
>の9月に帰国、桂も10月に帰国、試合を実見した武市も安政4年
>9月に土佐に帰っています。「坂本龍馬のすべて」の著者平尾道雄氏
>は「手紙はまったく偽文書だ」と指摘しています.
109日本@名無史さん:2005/05/24(火) 15:21:55
見回組の今井は西郷によって赦免されているのに新撰組の大石鍬次郎は死刑。
後に今井は西郷には借りがある発言した記録も残ってる。
竜馬殺しの黒幕は薩摩説が有力。

原田を犯人にしようとしてたのは薩摩だっけ?それとも土佐だっけ?
110日本@名無史さん:2005/05/24(火) 19:35:53
ん?今井の釈放に西郷が関わっていたことを確証出来る資料は発見されていないぞ。
借りがあるって西南戦争に従軍したことも別に珍しいことではない。
西南は維新政府を潰せるチャンスと目論んで、旧幕府軍も西郷軍に大勢参加していた。

で、龍馬暗殺だが、寺田屋襲撃時の同心射殺容疑の廉で
実行者:佐々木只三郎
命令者:会津藩重臣の手代木直右衛門(佐々木の実兄)
でFAが出てるんじゃね。
まぁ会津方にしてみれば、龍馬は瀕死の長州に薩摩を結びつけた上に、
幕府の権威失墜をもたらした曲者だしな。
龍馬の慶喜延命策をどれだけの幕臣が認識していたか。
事実、近藤・土方は龍馬の死報に喜んでいる。
111日本@名無史さん:2005/05/24(火) 20:09:26
>107
>龍馬の皆伝が長刀だったとしても、
>山内容堂主催の御前試合で優勝した
>のは確かだし。
その話は確かな話なのか?
各章を得たと言うような資料を見た事
が無いのだが・・・
まさか、小説の類を見て「確か」なんて
言ってるんじゃないよね?
112日本@名無史さん:2005/05/24(火) 20:28:18
龍馬好きの俺が断言するのもなんだが、山内容堂主催の御前試合で優勝したなんてのはない。
創作。

あと、佐々木只三郎は清川八郎も殺してるし、実績で言えば文句は無い。
同じ京都見回り組みの男が、その事件で指を怪我して云々みたいな細かい話もあるし。
113日本@名無史さん:2005/05/24(火) 20:45:52
ことごとく否定され続ける107w
114日本@名無史さん:2005/05/24(火) 23:27:54
107じゃないけど。
俺の手元にある文献によれば山内容堂主催の御前試合で優勝したって
のは事実らしい。
115日本@名無史さん:2005/05/24(火) 23:43:29
 龍馬が剣術試合に参加したという記録は数種類ほどある。その記録のうちの一つに江戸鍛冶橋土佐藩邸で行われた武術大会があるが、
これによると龍馬は「島田駒之助」なる人物と試合をして勝利を得たことが記されている。しかし現在この記録は「当時の事情にかな
り精通したものによって偽作されたもの」との評価が定着している。
偽書とされる理由として
●史料によって試合結果が異なる。(結果の異なるものが三種類以上ある)
●同時代史料の『山内家日記』に該当する記述が無い。
●開催時期が史料によって一貫しない。
●出場者・桂小五郎の詳細な伝記『木戸孝允公伝』に該当記述がない。
●開催された当時、江戸にいるはずのない人物が出場している。

と、ここのサイトは書いている。
ttp://homepage2.nifty.com/ryomado/index.html
116日本@名無史さん:2005/05/25(水) 13:05:10
>114
その文献て、竜馬がゆくだろ・・
117日本@名無史さん:2005/05/26(木) 19:20:30
>116
それを言ってやりなさんな。
114は「俺の手元にある文献」と書いている割に
その文献名を明かしていない。
「文献名書いたら突っ込まれちゃうなぁ・・・」
って気持ちで、わざと書かなかったんだろう。
多分107と114同一人物だと思うが、突っ込まれ
るのが分っていながら、それでも何とか自分の
意見を正当化したかったんだろうよ。
かわいい奴ではないかw
118日本@名無しさん:2005/05/26(木) 19:49:19
市村鉄之助って西南戦争で西郷軍に加わっていたみたいだけど
政府軍にいた斎藤とあった可能性とかないかな?
119日本@名無史さん:2005/05/26(木) 20:06:41
市村が兄事していたと言うか付き従っていた
土方と斉藤は会津で別れちゃったし、詳しい
いきさつも知らず、まだ若いから単純に斉藤
に対しては良い感情を抱いてなかったんじゃ
ないだろうか?
新選組内での立場も違いすぎて、互いに口を
聞いた事すらあったかどうか?
例え西南の役で見かけたとしても、市村の方
は距離を置いて知らん顔をしたかも。
斉藤の方は、市村を覚えていたかどうかすら謎。
そもそも、互いに新選組に関っていた過去は隠し
ていただろうしね。
って気がするけどどうだろうね?
120日本@名無史さん:2005/05/26(木) 20:12:55
斎藤は豊後口の士族軍と戦闘。延岡で負傷し、東京へ送還。
一方、西郷本隊は鹿児島へ。
市村が桐野の側近にいるなら、遭遇率は皆無。
121日本@名無史さん:2005/05/26(木) 23:04:59
司馬の作り話にうんざりの今日この頃。
122新選組十一番隊長:2005/05/27(金) 01:27:53
今井は龍馬暗殺の罪で投獄されたが、鍬次郎は龍馬の件で死刑になった訳ではなく、高台寺党の加納らが伊東甲子太郎の暗殺の件で死刑にされたようだよ。伊東を殺しておいて、加納達に顔見知りだから、助けてくれと哀願したらしい。
そして、今井の西南戦争ですが、参加するのは新政府軍だから逆ですね。西郷とはあと腐れなく、投獄、赦免で終わりでしょう♪西南戦争は仕事でしょ。腕を生かしてね。
123日本@名無史さん:2005/05/27(金) 10:41:27
ジャンキーで性格破綻者になって自殺した香具師って誰?
124日本@名無史さん:2005/05/27(金) 11:24:21
>>123
そんなんいたか?
125日本@名無史さん:2005/05/29(日) 05:52:39
>>119
日本史に弱い腐女子っぽいレスだね。
土方と斎藤のいきさつってなによw
会津で離散した時の状況は不明なはずなのに、
痛い小説で得たスパイ説なぞ持ち込まないでくれ。
126日本@名無史さん:2005/05/29(日) 08:40:02
http://plaza.rakuten.co.jp/lapislazuri/ 何か知ったかぶりしてるバカ女ハケーン
みんな一見の価値あり
127日本@名無史さん:2005/05/29(日) 08:42:26
昨日秋葉原で原田左之助見たよ。
何か美少女フィギュアの顔の塗りを一生懸命チェックしてた。
流石にヨボヨボのお爺ちゃんになってたよ。
128日本@名無史さん:2005/05/29(日) 13:54:57
沖田総司。実は明治の中頃まで生きてた。
そう言う説があるが本当か?
肺病のふりして逃げ回ってたと言う。
珍説としかいい様がないけどな。
129日本@名無史さん:2005/05/29(日) 16:05:24
良スレなのに、腐女子だの○○のレス書いたのお前だろうだのと、しょうもない煽りを入れる奴が増えたな。
130日本@名無史さん:2005/05/30(月) 02:24:35
>>127
今度見かけたら、すぐに捕まえておけ。
165歳の爺さんなら、貧弱なお前でも大丈夫だろう。
とりあえず、マスコミ呼んでの記者会見に、ギネスの申請、あと忘れてならないのが聞き取り調査だな。
さぁ、これから忙しくなるぞぉ〜。

















こんなもんでいいか?
131新選組十一番隊長:2005/05/30(月) 17:43:35
確かに、沖田や土方が生きてたという話しは聞くけど、いまいち信憑性にかける気がする。
そうあってほしい願望なだけの気もする。西郷もだけどね。
ところで近藤の首って、所在わかる人いますか?愛知の法蔵寺と会津の天寧寺、米沢説といろいろあるんだけど、それ以外のところって知ってる人いますか?
132日本@名無史さん:2005/05/30(月) 17:46:24
沖田に関しては、そうであっても不思議ではない、とは思う。
まぁないんだろうけど。
133日本@名無史さん:2005/05/30(月) 19:39:03
京都の東山山中。
134日本@名無史さん:2005/05/30(月) 19:46:34
そういえば今日は沖田総司の命日です‥よね??
135日本@名無史さん:2005/05/30(月) 22:29:21
>>134
ぴったしカンカン!
136日本@名無史さん:2005/05/31(火) 11:02:02
死んで無いんだから、命日なんかあるわけ無いじゃん。
137芹沢矢ガモ ◆e9w/ElzaeU :2005/05/31(火) 17:40:55
>>136
えっ!?まだ生きてんの?
138新選組十一番隊長:2005/05/31(火) 17:47:19
聞き書き新選組によると佐藤彦五郎が京都にいる山野八十八のとこに聞きに行ったが、わからず、東本願寺の島田塊に捜索を依頼したって書いてあるけど、その後は書かれてないんだよな〜。斎藤一が晒された河原から持ち去ったとか、同士が持ち去ったとか、どれがほんとなんだか?
139日本@名無しさん:2005/05/31(火) 18:35:48
佐久間象山の息子も一応隊士だったよな
140日本@名無史さん:2005/06/01(水) 01:19:40
>>139
その後の人生は?
141日本@名無史さん:2005/06/01(水) 12:56:22
東京にも近藤の墓ありますよ
142日本@名無史さん:2005/06/01(水) 13:33:12
>>140
三浦啓之助は、自ら人にぶつかっておきながら、その相手を斬り殺すなど乱暴狼藉が目立っていた。
そのため、新撰組には居辛くなって脱走。維新を迎える。
新政府には〔佐久間象山の息子〕という看板を持って、司法省に出仕。
松山県(現・愛媛県)裁判所判事として赴任中の明治十年二月二十六日、食中毒にて死亡。
享年二十九。なお、現在その墓は、愛媛県松山市鷺谷墓地内に打ち捨てられている。
143日本@名無史さん:2005/06/01(水) 16:53:11
>>142
食中毒で死亡。享年29歳。
何ともあっけない人生ですな。
144日本@名無史さん:2005/06/01(水) 20:58:56
>>143
可哀想に。
男汁を飲み過ぎたんだね。
145日本@名無史さん:2005/06/03(金) 13:43:40
>>144
マジレスすれば、男汁で食中毒なぞ聞いたことがない。
そもそも、男汁が原因なら、もっと早くに死んでいると思うが?w
146日本@名無史さん:2005/06/04(土) 00:23:04
沖田総司が明治半ばまで生きたと言う説。ソースは?
ちょっと気になる。
147日本@名無史さん:2005/06/04(土) 00:45:25
新撰組隊士のくせに生き延びたなんて、士道に悖る
腹を切れ!
148日本@名無史さん:2005/06/04(土) 05:08:23
>>142
暗殺されたんジャマイカ?
149日本@名無史さん:2005/06/04(土) 07:21:50
板橋に碑(墓にあらず)が建てられた時の話。除幕式が
終わり人も散り始めた頃、一人の男性が碑に手を合わせて
祈った後、短冊を供えて立ち去ろうとした。近藤の養子
近藤勇三が「旧隊士の方では」と声を掛けたが、男性は
名乗らず立ち去った。残された短冊に書かれた句は

速き瀬に
力足らぬや
下り鮎
150日本@名無史さん:2005/06/04(土) 09:36:20
>>148
それはないだろ。
しかし、墓参りに行く人が誰もいないというのも、実にさびしいもんだな。
151日本@名無史さん:2005/06/04(土) 12:54:01
>>149

>速き瀬に
>力足らぬや
>下り鮎

あまりにもベタで句の態をなしていないが・・・
というか突っ込み所は俳句かよ!
152日本@名無史さん:2005/06/04(土) 14:30:59
>>151
下り鮎ではなく、戻り鮎にしてみてはいかがでしょうか?

と、普通に添削してみるテスト
153日本@名無しさん:2005/06/04(土) 18:50:43
>>147
相馬主計
154日本@名無史さん:2005/06/04(土) 20:11:14
誰か原田佐之助が日清戦争時まで生きてた話の根拠って何か教えて
155日本@名無史さん:2005/06/04(土) 20:32:06
財閥の重役になったのは誰だっけ
156日本@名無史さん:2005/06/05(日) 05:10:50
>>149
誰だったんだろう?斉藤一かな?
157日本@名無史さん:2005/06/05(日) 08:28:53
下手な俳句・・で土方と膝を打つ音があちこちから・・。
158日本@名無史さん:2005/06/06(月) 05:31:27
土方の俳句は意外に女性的だった。
159日本@名無史さん:2005/06/06(月) 06:09:22
って幽霊かよ
その場にいた関係者の誰も顔を知らなかったらしいから
無名の平隊士だったんでないの?
160日本@名無史さん:2005/06/06(月) 06:38:16
>>159
「はっ!新入隊員の三浦恒次郎でありますっ!」
161日本@名無史さん:2005/06/06(月) 08:28:23
>>149

句に名前が隠されていると推理
162日本@名無史さん:2005/06/06(月) 11:58:37
判った縦読み
163日本@名無史さん:2005/06/06(月) 13:08:43
生存説なんか眉唾すぎて聞いててあくびが出る
妄想はチラシの裏にでも書いておきたまえ
164日本@名無史さん:2005/06/07(火) 09:08:36
昭和38年まで天保生まれの人が生きてたくらいやから(中村重兵衛)
昭和初期まで生きてた人も一人くらいいるんじゃない?
165日本@名無史さん:2005/06/07(火) 22:15:16
長生きしていろいろな体験をする人生。
いいよなあ!
166日本@名無史さん:2005/06/08(水) 01:56:42
>>154
日清戦争のとき新選組の内情に詳しい老軍夫がいて
「原田さんでは?」と人に聞かれても肯定も否定もしなかった
という話から。
167日本@名無史さん:2005/06/08(水) 06:03:52
>>166
その老軍夫って尾形俊太郎じゃない?いや、根拠はないけど。
168日本@名無史さん:2005/06/08(水) 12:04:50
バーバラ寺岡は新撰組隊士の子孫
169夜更かし:2005/06/08(水) 21:55:59
新撰組で長生きしたと思える人は・・・
原田左之助→日露戦争にいた、或いは中国で何かをしでかしたと言う伝説がありま
す。私は性格上中国に行って生き延びたと思います。
永倉新八→この方は確実です。近藤(土方もだったかも)の墓を立てたそうです。
そしてご本人が亡くなられたあと親族が隣に墓を立てたんだそうです。また生存中お孫
さんも居り、イイおじいちゃんだったそうです。因みに新撰組のコトを記録し顛末記と
なって今でも売られてます。(今生きてる私の爺ちゃんなら会えたかもw)
斎藤一→近藤の死後会津の幕臣(確か)の娘と結婚し警察官として働いていたらしい
です。明治の終わり頃に死にました。(確か)
一応のところはそんなトコでしょうか。新撰組は結構バラついてたので不明な人が多く
長生きした人も多いかもしれません。
170日本@名無史さん:2005/06/09(木) 01:32:11
>>169
原田左之助は日清戦争。大陸で馬賊の頭領になった等の伝説。
永倉新八は近藤の墓ではなく板橋に新選組の追悼碑を建てた。
顛末記は長男の義太郎がまとめた「新撰組永倉新八」の復刊。
斎藤一は会津藩士高木小十郎の娘、時尾と結婚。仲人松平容保。
大正4年に72歳で死亡。
もっと勉強しましょう。
171日本@名無史さん:2005/06/09(木) 01:54:38
>>170
>永倉新八は近藤の墓ではなく板橋に新選組の追悼碑を建てた。

ただ、あの近辺(板橋)の看板には「近藤勇墓所」とか書いてあるんだよね。

>顛末記は長男の義太郎がまとめた「新撰組永倉新八」の復刊。

「新撰組永倉新八」自体は、新聞記者が執筆した新聞連載。


172日本@名無史さん:2005/06/09(木) 02:35:25
>>171
碑の正面には近藤と土方の名前、両側面に百十人の死亡
した隊士の名前が刻まれている。
小樽新聞では「永倉新八」で70回連載。
息子が「新撰組永倉新八」として本にまとめた。
戦後「新撰組顛末記」で復刊。
173日本@名無史さん:2005/06/09(木) 10:05:58
>>170
別に近藤の墓でも間違いではない。
役所では近藤の墓印という形で申請を受けている。
単なる新選組士慰霊塔or供養塔ならわざわざ近藤処刑ゆかりの地に
碑を建てなければならない理由はない。
旧幕軍の法要をしている円通寺や会津の方が適しているし、
新選組最後の地である箱館でもよい。
わざわざ刑場跡を探ってあの地に建立したのは、近藤死地に建てる
という意義が最大の理由。(ゆえに墓印として申請)
○○家の墓に○○家の人間でない■■姓の人間が入っているという
ような事はよくあること。
それに近い形で、新選組という家族の家長としての近藤の碑に
新選組ファミリーとして隊士名を刻んだとみてもよい。
名目として、近藤勇の墓(印)であり、実質、新選組隊士供養碑となる。
だから、どちらか一方が間違っているというわけではない。
174日本@名無史さん:2005/06/09(木) 10:09:49
>>173
なかなか実証的、かつ論理的でよいと思います。
175日本@名無史さん:2005/06/09(木) 17:15:32
胴体を掘り出して竜源寺に運んだ話もあるけど、
あそこから掘り出せなかった説もあるからね
だから墓をたてたんでしょ
176日本@名無史さん:2005/06/11(土) 08:01:21
177日本@名無史さん:2005/06/19(日) 02:22:24
昭和まで生存した隊士発見。
しかも2人。ただし出身は桑名藩。
178日本@名無史さん:2005/06/19(日) 11:19:25
昭和13年まで生きた池田七三郎が最長ジャマイカ
その他、昭和まで生きたのは
井上泰助(〜昭和2年)
佐久間銀太郎(〜昭和8年)
高木剛次郎(〜昭和8年)
くらいかと思います。
補足あったらお願いします。
179原田生存説:2005/06/19(日) 11:51:13
明治40年、原田が松山に帰郷して半次(弟)や松山市内に住む甥たち
を訪ねて金品を与えたという話が残っている。
その時に「自分は明治元年に支那へ渡り馬賊の群れに入りその頭
になった日露の戦には皇国のために尽したが
出征軍人将校中には自分を認めてくれた人がいる。これが最期の
袂別と思い来たのだ」と言って半次に多くの金品を渡したが、半次
は坂本龍馬を殺したのは原田だと思っていたので関わり合いになる
のを恐れ、よそよそしい態度で接したらしい。
原田は「鉄嶺(中国の都市)に帰る」と言って松山を去ったとされ
ている。

『原田佐之助助事跡』伊予史談会
180日本@名無史さん:2005/06/23(木) 05:32:03
>>178
大した奴らだ。豪傑だ。
181日本@名無史さん:2005/06/23(木) 18:31:50
俺達が幕末の京にタイムスリップしたらどうなるの?
普通に歩いてたらいきなり捕まえられちゃうの?
その後どうなるの? (((;゚Д゚)))ガクブル
182日本@名無史さん:2005/06/23(木) 18:51:18
>>181

現代の我々の格好で幕末をうろうろすれば夷狄として斬られる可能性が高いので
おすすめ出来ない
茶髪だったら100%危ない
183日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:03:30
よし、どうやったら生き延びられるかみんなで考えよう
184日本@名無史さん:2005/06/24(金) 10:58:21
>>183
男子は普段から褌着用。タイムスリップした際は即座に服を脱げば
身ぐるみ剥がれた可哀想な人に見えるはず。
勿論、茶髪金髪は禁止。
もし実現したら伊東甲子太郎が新撰組に入らないように策を労して
下さい。よろしく。
185日本@名無史さん:2005/06/24(金) 11:47:25
以前からものすごく気になっている事があります。

斎藤一が女学校の交通整理員(用務員さん?)をしていたのは有名な話ですが、
通学していた女学生のみなさんはその事実を知っていたのでしょうか?

個人的には知らなかった、というエピソードであった方が好きなんですが。
学校の用務員のおっちゃんが、実は過去、泣く子も黙る新選組三番組隊長だったとか、カッコエエなぁと思います。
186日本@名無史さん:2005/06/24(金) 11:59:07
>>185
名前も藤田五郎と変えて過去を隠していたのだが。
187日本@名無史さん:2005/06/24(金) 12:39:34
伊東に話しかけても俺の言葉通じるかなぁ?
188日本@名無史さん:2005/06/24(金) 12:58:05
同じ日本人だ。
なんとか通じるだろ
189日本@名無史さん:2005/06/24(金) 13:04:44
>>185

平成の今の世と違い、まだ維新の志士を斬りまくった連中という
負のイメージが強いから、明かさないだろう。
彰義隊の生き残りでも身分(姓名)を明かさなかった人は多い
190日本@名無史さん:2005/06/24(金) 14:54:07
>>185
今に例えるなら、日本赤軍かオウム信者であった過去を引きずっているようなものだ。
当時は京都の街中を土足で踏み荒らし、白刃をちらつかせながら洛人をびびらせた思想憲兵みたいなイメージだよ。
小説等で色々と脚色された現代とは違う。
191日本@名無史さん:2005/06/24(金) 15:49:03
新選組を蛇蝎のごとく嫌って明治になってからも探し回っていたのは官軍方ですから。
明治初期には錦絵になるほど人気はあったのだよ。
192日本@名無史さん:2005/06/24(金) 23:44:37
京都をはじめとする日本の西と、江戸幕府があった日本の東では
新選組に対する民衆の深層意識も違うとオモ

その女学校の校長自体、会津人だしね
193185:2005/06/25(土) 14:34:14
>189
赤軍の生き残りってのは、なんとなくイメージとして重なるところがあったのかな
と思っていたのですが、同時代人(ってか同窓)の永倉が30後半で、
新選組の慰霊碑作るために奔走したと聞きましたので、ちょっと違うものなのかなと思ってました。

>192
なるほど
では、学生さんは知らなかったかもしれないが、その学長は知っていた可能性が高い
という事ですかね。
そうであれば、ますますドラマを感じますねぇ
194日本@名無史さん:2005/06/26(日) 12:16:34
歴史はドラマだ。
195日本@名無史さん:2005/06/27(月) 14:10:30
>>193
知っていたもなにも、校長が斎藤を庶務に据えたわけだが・・・。
196185:2005/06/27(月) 18:48:04
>195
まぁそのへんの線引きが、時代背景と重ねてどんなもんだったんだろうなぁって単純な疑問です。

出自を隠していたと思われる、ってのも正論だと思いますしね。

校長、教頭、教師、生徒

校長は明らかに知っていたが、生徒が全く知らなかった。
ってのはなかなか難しい状況では?

少し昔とはいえ、超有名人だったんじゃないでしょうか>新選組生き残り
197日本@名無史さん:2005/06/27(月) 18:59:05
>>196
たかが学校庶務の経歴を生徒が把握している方が異常だと思いますが?
貴方は貴方の出身校の職員の経歴を全て御存知なんですか?
198日本@名無史さん:2005/06/27(月) 20:02:23
>197
なるほど、そう言われて見ればそうですね。

ただ、適切な例かどうかはわかりませんが、
前出の元オウム信者とか日本赤軍の生き残りって経歴持たれた用務員さんなら、
なにがしか耳に入ってきたような気もします。
(田舎だからかな…。そういう意味では東京の学校には当てはまらないかもしれませんね)

199日本@名無史さん:2005/06/27(月) 21:19:34
>>198
元オウム信者とか日本赤軍の生き残りなんていう例えを
本気で信じているのかw
200日本@名無史さん :2005/06/28(火) 18:37:55
>>199
当時の感覚を現代に例えるならそれも然りだろう。それを否定したい信者の気持ちは分かる。
時代がたてば、日本赤軍の捉え方も変わっていくさ(オウムはちとオーバーすぎて違うな)。
201日本@名無史さん:2005/06/28(火) 20:16:28
>>200
当時の感覚をわかっているのなら、尚更、本気で信じている方が変w
あと、信者じゃないからw
202日本@名無史さん:2005/06/28(火) 23:44:33
>>201
んじゃあ君の考えは?
「新撰組は赤軍如き反乱テロリストとは違う、御公儀の為に尽くした治安部隊だ」というのは無しだぞ
203日本@名無史さん:2005/06/29(水) 08:19:54
>>196
なるほどなあ。面白い意見だ。
204日本@名無史さん:2005/06/29(水) 08:39:58

新撰組は体制側だったのだから、赤軍やオウムではない。
あえて、強いて例えるなら憲兵や特高のようなものだろう。
国家の為と思ってやっていたことが、敗戦後、価値観が逆転し
経歴を公表することが憚られるような
205日本@名無史さん:2005/06/29(水) 19:16:31
現代で元日本赤軍の警官や公立学校職員というのはいるの?
聞いた事がないけど・・・
斎藤は警視庁勤務や学校勤務をしていたのだから、
日本赤軍の生き残りっていう例えは適当だとは思えないけどなぁ〜
斎藤以外でも公職についていた元新選組隊士は居たよ
206日本@名無史さん:2005/06/30(木) 12:25:05
>>204の考えが一番的を得ているな。
207日本@名無史さん:2005/06/30(木) 13:56:42
204が的を射ているかはわからないが、
何か書きかけで止めたような文章が
気になる。
208日本@名無史さん:2005/07/02(土) 01:24:17
中島登は?
209日本@名無史さん:2005/07/02(土) 15:08:03
明治20年くらいに亡くなったはず。
晩年は葉蘭栽培で財産を作って、浜松の名士になったらしい。
210日本@名無史さん:2005/07/02(土) 23:29:49
斉藤は西南戦争で政府軍の抜刀隊に参加してたらしい
211日本@名無史さん:2005/07/03(日) 00:37:34
会津藩士や白虎隊の生き残りも政府の伐刀隊に所属した。
212日本@名無史さん:2005/07/03(日) 00:55:17
松本捨助は?
213日本@名無史さん:2005/07/03(日) 01:58:42
大正七年没。享年74歳。
家督は土方の甥にゆずって、自身は米屋やってたそうです。
214日本@名無史さん:2005/07/05(火) 05:51:12
いい人生だ。
215日本@名無史さん:2005/07/06(水) 22:34:18
>>213
米屋。随分稼いだの?
216213:2005/07/07(木) 01:04:17
稼いだかどうかまで詳しい事まではわかりませんが、
なぜか故郷の多摩じゃなく名古屋等で米屋をやって、
隠居か廃業かはわからないが晩年は八王子に住み、
そこで天寿を全うしたとのこと。
あと、奥さんは井上源三郎の姪っ子だそうです。
217日本@名無史さん:2005/07/09(土) 05:40:26
>>216
詳しい情報ありがとう。
218日本@名無史さん:2005/07/09(土) 10:50:03
中島登は、浜松で花火屋やってた・・・
219日本@名無史さん:2005/07/09(土) 11:05:13
生き残った人達・・・結構いますよ。名前だけ上げると・・・
佐々木一、中島登、永倉新八、斉藤一、池田七三郎、大野右仲、尾関雅次郎(結構謎が多い)、
神戸四郎、近藤芳助、斎藤一諾斎、島田魁、関川代次郎、高山次郎、立川主税、谷口四郎兵衛、
田村銀之助、森常吉、横倉甚五郎、山野八十八、安富才介・・・
220日本史@名無し:2005/07/09(土) 16:25:07
生き残った隊士の中の斉藤一による口述を記録した夢録という回想録は、本当にあるのかそれともただのフィクションなのか?

221日本@名無史さん:2005/07/09(土) 20:40:05
いつ頃の話を口述したもの??
222日本史@名無し:2005/07/09(土) 20:59:58
子母沢寛の新撰組遺聞の一文の中にあり、斉藤一の晩年になってからの話しらしい。
223日本@名無史さん:2005/07/09(土) 22:10:06
斉藤と永倉は維新後に会ったりしなかったのだろうか。
224日本史:2005/07/09(土) 22:44:35
多分会っていなかったと思います。
225 ◆vOONRCNRtc :2005/07/10(日) 20:31:49
司馬以前は、ただの悪役だったそうですよ。
226斎藤三:2005/07/12(火) 01:03:25
司馬以前というか、戦後しばらくしてから見直されたんでそ?戦前は完璧に悪役だったらしい。まあ、政府に楯突いたからという理由でしょ。
歴史なんて勝てば良くなり負ければ悪く書かれる。支配するのに都合いいからね。
227日本@名無史さん:2005/07/12(火) 09:49:31
>>225-226
「だったそうですよ」「だったらしい」程度の話なら、わざわざ書き込むな。
そんな暇があるのなら、中里介山でも読んでからからカキコしろ。
「戦前は完璧に悪役」だったと主張するなら、戦前に何故、赤間倭子が
ファンと称して近藤の実家に押しかけていたのか、赤間関係者に
わけを聞いて来いよ。
228日本@名無史さん:2005/07/13(水) 11:38:34
>>225-226
明治期に錦絵にもなっているちゅうに。
229日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:57:08
>>219
尾関の謎が知りたい。
230日本@名無史さん:2005/07/15(金) 19:01:55
尾関弟のどの辺が謎?
231日本@名無史さん:2005/07/18(月) 07:03:34
ググれ。
232日本@名無史さん:2005/07/24(日) 17:57:41
age
233日本@名無史さん:2005/07/24(日) 18:41:43
>>225-226
戦前の頃には既に大河内伝次郎主演の「近藤勇」や新撰組関係の映画が何本も作られている
憶測で語るな。馬鹿タレ
234日本@名無史さん:2005/08/05(金) 01:28:46
age
235日本@名無史さん:2005/08/08(月) 00:54:45
227よ!おまいもまだまだ甘いよ!赤間のオバハンは斉藤一に興味を持っただけの話。いつからではなく、新撰組をここまでにしたのは子母澤寛やぞ!記者を辞めてまで自費で史実を綴ったの!
236日本@名無史さん:2005/08/08(月) 02:56:41
>>235が無知。赤間が近藤を好きなあまり、終戦前に宮川家に出入りしていた
のは事実。誰が新撰組をどこまでにしたという話が主題なのではなく、赤間の
ような熱狂的なファンがすでに終戦前に存在していたということ。
>>225-226みたいに「ただの悪役」「完璧に悪役」だったというのなら、当時
赤間のような硬い(?)お嬢さん系女学生が熱狂するのはおかしい。
つまり、>>225-226はおかしい。
>>227>>225-226への反論なのであって、新撰組研究者の功績評価に関する話
をしているのではない。スレの流れをよく読んでからレスすべきだな。
237新撰組よ…:2005/08/08(月) 10:47:41
236↑かっかっか(^O^)怒られちったよ。俺様に対して無知とは…よほどの知識者かアホかやな!ま、少しうれしい気もするけど。実際、まわりに新撰組のことでそれだけ言える奴が俺様以外にいなかったからな!しかし俺様に対して無知とは…俺様を知らないとはいえ何とも…。。
238日本@名無史さん:2005/08/08(月) 12:25:46
子母澤が史実ねぇ…w
239日本@名無史さん:2005/08/08(月) 13:27:35
>>237はただの夏厨
240日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:34:44
239はただのイジメられっ子。
241日本@名無史さん:2005/08/08(月) 22:24:41
子母澤の名を得意気に出してるあたり、釣りかとも思われるが
夏だし真性という可能性も考えられる。
242日本@名無史さん:2005/08/09(火) 04:39:13
ということは、戦前から新撰組は見直され、許されていたということなんですね!
戦前はまだ、明治政府の影響が色濃く残っていたのに・・
243日本@名無史さん:2005/08/09(火) 11:33:38
>>242
「見直され、許されていた」ってどういう意味?
244日本@名無史さん:2005/08/12(金) 20:08:58
他に組長の写真残ってないの?
特に藤堂、沖田、原田が見たい。
原田は息子の写真が残ってるみたいだし、その写真から想像できるが
245日本@名無史さん:2005/08/12(金) 20:30:51
沖田は有名な甥っ子の肖像画と沖田?って疑惑の細い目の男の写真
を見た事がある。本人ではないと思うけど。
246日本@名無史さん:2005/08/19(金) 21:04:30
沖田の母方の叔父さんの写真みました。
眼光が異常に鋭い!沖田が母方の顔だったらいいなぁと思いました。
247日本@名無史さん:2005/08/22(月) 07:30:57
そうだな。
248日本@名無史さん:2005/08/30(火) 19:50:47
斎藤一。いい人生おくったなあ。
249日本@名無史さん:2005/08/31(水) 16:38:10
>>242
「赦された」という意味なら明治期にはすでに新撰組は赦されてるのでは。
だから、釈放もされたし、新撰組の石碑も建てられた。
250日本@名無史さん:2005/09/03(土) 06:48:30
元特高も赦されたぐらいだからな。
251日本@名無史さん:2005/09/03(土) 12:39:13
うちの曾祖父さんがそうだな。
新撰小太郎っていう芸名だったんだけど
252日本@名無史さん:2005/09/17(土) 17:45:25
>>10
篠原泰之進しのはらたいのしん 1828〜1911篠原泰輔。篠塚友平。泰河内。泰林親。
文政11年、筑後国生葉郡高見村の石工業・篠原元助の長男として生まれる。
篠原は俺から数えて、ひいひいひいひい又はひいひいひい爺さんの兄か弟です。
石工業となってるが、本当は石工業に弟子入りしてただけみたい!
本当は農家らしい。祖母が言ってたと母から教えてもらいました。
253252:2005/09/17(土) 21:55:23
ひいひいひい爺さんの弟でした。
長男って書いてあるけど、どうやら次男らしい。
254日本@名無史さん:2005/09/17(土) 22:05:43 BE:166243384-
沖田総司の顔写真見たけど、キモいよ?
斉藤一も「北の国から」のオッサンみたいだった・・・。
255日本@名無史さん:2005/09/17(土) 22:15:00
沖田の顔は本物かな?
結構不細工だけど・・・
斉藤はるろ剣で超イケ面だったが、実際はあんなもんだろう。
256日本@名無史さん:2005/09/23(金) 11:40:05
吉村さん・・・・
257日本@名無史さん:2005/09/23(金) 18:46:35
斉藤はダディクールに似てる
258日本@名無史さん:2005/09/30(金) 19:09:06
斎藤さんの抜刀隊の時の写真見たことあるけど、
眼光鋭く、まさに新撰組って感じだった。
正座で往生するたぁ、なんともカッコいいねぇ。
259日本@名無史さん:2005/10/01(土) 23:01:51
いい人生送ったなあ。斎藤一。
260日本@名無史さん:2005/10/09(日) 06:32:24
斎藤一日本一!
261日本@名無史さん:2005/10/10(月) 01:29:11
子母澤の本に出てくるじいさん達の話はどこまで
本当なのか教えてくれ。
子母澤が直接会って話したのは八木為三郎、近藤勇五郎、池田七三郎
みたいだけど、これは本当に子母澤が会ったんだよね?
262日本@名無史さん:2005/10/12(水) 22:34:33
そうだよ。
263日本@名無史さん:2005/10/12(水) 22:43:32
子母澤は後に半分くらいは創作だと告白しているのだが
264日本@名無史さん:2005/10/13(木) 00:46:38
斉藤一は藤田誠そのままだな
よく考えるとまだ四代ぐらいしかたってないだろうから似てて当然だろうけど
265日本@名無史さん:2005/10/13(木) 05:32:19
266日本@名無史さん:2005/10/13(木) 08:47:55
あれが斉藤とは確定されていない
もしかしたらこれじゃないか、という程度
267日本@名無史さん:2005/10/14(金) 23:20:02
>>263
老人達の話が子母澤による創作ってことはないでしょ?
268日本@名無史さん:2005/10/14(金) 23:53:43
>>1正解は
殿内義雄、家里次朗、佐々木愛次郎でした


ところで篠原の死因て中耳炎というのは本当?
269日本@名無史さん:2005/10/15(土) 03:48:05
>>267
その老人たちの話をいくつか脚色して書いたということは
本人も認めている。老人たちの話もすべて聞き書きだから。

>>268
篠原は風呂に入るとき耳を洗う習慣があったそうで、それが元で中耳炎を
引き起こし亡くなったと言われている。
270日本@名無史さん:2005/10/20(木) 05:56:16
司馬説か。
271日本@名無史さん:2005/10/20(木) 09:12:20
>>270
「浪士文久報国記事」だろ
272比企小森:2005/10/20(木) 16:26:51
>>40

【よらば大樹の陰】って言ったのは、斉藤一なんですか? (マジレス頼む)


273日本@名無史さん:2005/10/22(土) 18:50:03
274日本@名無史さん:2005/10/24(月) 01:59:50
松陰神社祭り、キモかった・・・
275日本@名無史さん:2005/10/24(月) 02:29:15
維新後に新撰組元隊士って交流あったんですかね?
特に、斎藤、永倉が再会することがあったのか興味があります
276日本@名無史さん:2005/10/24(月) 09:04:02
>>275
記録に残ってるのは島田を永倉が訪ねていることくらいかな。
壬生の八木邸にはひょっこり昔の隊士が訪ねてくることもあったようだ。
幕府瓦解後は新政府の目も厳しかったから直接交流することは敢えて避けて
いたのではないだろうか。
斉藤も斗南に家族と暮らし、永倉も小樽にいたので剣の交流試合か何かで
会っていた可能性も無きにしも非ず。でも斗南での生活は過酷を極めたと
いうからそれどころではなかったのかも。
277日本@名無史さん:2005/10/24(月) 17:47:42
斉藤と永倉は明治十年の時点では既に再会してるよ
278日本@名無史さん:2005/10/24(月) 20:39:05
学研から出てる「血誠新撰組」という本の中に、
天然理心流剣7世の滝上氏、小島鹿之助の子孫の政孝氏、
三十一人会会長林氏の鼎談会が載っているんだけど、
話の中で斉藤の流派が話題になった際に、
滝上氏の師匠が永倉に斉藤の流派を尋ねたら、
「斉藤君とはあまり口を利かなかったので知らん」と答えたと語っていた。

たんなる同僚?
279日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:47:07
浪士文久報告記事には試衛館メンバーだったと書いてる
記事か、その老人かどちらかもしくは両方が嘘と思われ
280日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:48:41
ちなみに天然理心流は勇のあと勇五郎が継いだが
その後新撰組関係者とは縁が切れてるそうだ
なので瀧上氏の言うことはいまいち信用できない
281日本@名無史さん:2005/10/24(月) 23:52:34
退京が後少し遅ければ幹部達は切腹させられていた。

当時坂本中岡殺害犯は新撰組説が当然視されて、
引き続いて御陵衛士暗殺を起こし、近藤が言った土佐人が引き起こしたと言う嘘が露呈して、
朝廷内で問題になり新撰組廃止、23人を切腹させると言う話が出ていた。
結局鳥羽伏見が起こり退京してしまい有耶無耶のままになってしまった。
282日本@名無史さん:2005/10/25(火) 08:49:57
浪士文久報告記事は永倉が書いたものだろ
永倉が大層活躍した部分については脚色も多いだろうが
事件そのものに関しては日時天候などからしても正確だと思われ。
283日本@名無史さん:2005/10/28(金) 05:57:51
永倉。よく殺されずに長生きできたな。
284日本@名無史さん:2005/10/28(金) 11:28:09
永倉が三樹三郎にばったり会って、斬られるのではないかと冷や汗を流したって話は本当かね?
勝者と敗者の心理描写として面白い話ではあったけど
285日本@名無史さん:2005/10/29(土) 02:37:50
>>284
それがきっかけになって鈴木一派に付狙われるようになったので
松前藩に帰参願い出して届けいれられ
小樽の医者の娘と結婚し、婿入りし杉村姓になった。
286日本@名無史さん:2005/10/29(土) 09:30:03
>>284
三樹三郎側の記録にもあった気がする
287日本@名無史さん:2005/10/29(土) 10:07:06
当時はお尋ね者だったから、斬り合いよりも通報を恐れたんでは?
288日本@名無史さん:2005/10/29(土) 10:33:59
永倉談話からすると松前藩帰参後の話のようだけど。
下谷三味線掘(現台東区)の藩邸居住でフランス式歩兵訓練をしていたと。
(150石と言うと御家人を超えて下級旗本並の厚遇…)
289日本@名無史さん:2005/11/01(火) 20:40:01
稗田利八・京の商人の子。新撰組で最後まで生きていた男。剣は小野派一刀流目録。
組にいたころは池田七三郎と名のっていた。階級は平隊士。同名の隊士がもう一人い
たらしいが鳥羽伏見の戦いで戦死。池田も大砲をくらい顔を半分ふっとばされたが奇
跡的に生きていたらしい。
えー・・・壬生義士伝に出てくる人です。でもちゃんと実在してました。
写真ものこってるみたいだし。
290日本@名無史さん:2005/11/03(木) 13:06:44
>>289
新選組好きなら散々がいしゅつなことw
291日本@名無史さん:2005/12/04(日) 17:32:36
新撰組が居た頃にタイムマシンで行って見たいんですが。
                    20歳
292新選組ファン:2005/12/04(日) 18:42:35
おれは、幕末の時代にいって新選組に入りたいなー!!
293日本@名無史さん:2005/12/04(日) 19:29:58
>>292
じゃ「士道ニ背キ間敷事」違反故明朝切腹を申し付く。
294日本@名無史さん:2005/12/04(日) 19:42:46
山脇正勝、料理家バーバラ寺岡の曽祖父。
295日本@名無史さん:2005/12/04(日) 20:34:58
赤穂浪士討入りまでに彼女を作ろう Vol1

http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news7/1132711537/
296日本@名無史さん:2005/12/23(金) 18:16:16
散々人を殺して長生きするとは・・・・・・・。
297新選組ファン:2005/12/24(土) 23:25:18
やられたらやり返すそれが新選組!
298日本@名無史さん:2005/12/24(土) 23:34:49
打たれ強いんだなぁ
299日本@名無史さん:2005/12/26(月) 20:03:21
むさいうどんこ。
300日本@名無史さん:2005/12/27(火) 09:17:17
バーデンバーデンでの長州閥排斥の密約に参加した東條を筆頭に、
昭和期に至り長州閥を駆逐し軍部を手中に収めた東北勢力。

さらには政府をも飲み込み、
総国民に白虎隊の精神を浸透させることに成功した。
白虎隊の逸話は戦時教育を通じて子供たちに叩きこまれ、
学徒動員・神風特攻隊に具現化した。

まさにこのとき、東北の人々の美学であった白虎隊の精神が、
日本国民全員の共有するところのものとなったのだ。

しかも、これらは長州藩閥の時代における独裁とは異なり、
東北の市民の支持を得て行われた、
まさに民主主義の結実であったと言える。
大陸や太平洋での日本軍の活躍に、
昭和初期の不況にあえぐ国民は、希望の灯を見い出した。

白虎隊の精神はヒトラーやムッソリーニにも感銘を与え、
白虎隊が果てた飯盛山では、
ヒトラーとムッソリーニから贈られた記念碑が
まばゆいばかりの輝きを放っている。

今の日本に欠けているのは、この白虎隊の精神ではないだろうか。
子供たちに、大人たちや国のために命を投げ出す覚悟がなくして、
この国の繁栄はありえないのである。
301日本@名無史さん:2005/12/27(火) 09:43:58
亀もいい所だが虫歯が原因、遠因で死ぬ事は別段珍しくも無いらしい
かなり悪化すると歯茎の血管から全身に虫歯菌が回って
肺炎などの各種炎症や心筋梗塞、敗血症、リューマチ等を引き起こすとか
302日本@名無史さん:2005/12/27(火) 12:52:30
斎藤一が明治政府の警察官になってからの話だけど
剣道の稽古の時に、5段以上の有段者10人と同時に
やりあって有段者がなにも出来ないまま負けたらしいね

どんだけ強かったのかと
303新選組ファン:2005/12/27(火) 20:47:01
やはり、斉藤一の殺人剣強い・かなり強い・やばく強い!!
304日本@名無史さん:2006/01/04(水) 03:05:26
新撰組強さ?
斉藤>永倉>沖田>土方
浜村淳(京都出身)は子どもの頃に、おばあちゃんが沖田に遊んでもらった話を聞かされたと言っていた。
305日本@名無史さん:2006/01/04(水) 05:56:49
北海道産まれの漏れの先祖に元隊員がいる可能性ってある?
306日本@名無史さん:2006/01/04(水) 20:43:45
強さから言えば
粕谷>芹沢>沖田>近藤>土方
307日本@名無史さん:2006/01/09(月) 19:27:52
俺も曾祖母から曾祖母の母ちゃんが鹿児島に敗走する西郷隆盛を見た話をされたなあ
308日本@名無史さん:2006/01/10(火) 18:58:12
>>306
妥当な線だな。
309日本@名無史さん:2006/01/20(金) 22:54:22
沖田総司が実は明治時代中期まで生きていたと言う説がある。
結核で病死した事にしてうまく逃げたそうだ。
310日本@名無史さん:2006/01/20(金) 23:14:53
>>309
へぇ〜初めて知った〜
どこで知った?
原田佐ノ助が馬賊になった説は知ってるけど・・・・・・
池田七三郎が結構長生きしてますよ。
確か大正くらいまで。
311日本@名無史さん:2006/01/20(金) 23:57:03
>>310


近藤 沖田 名を換え逃げてたりしてw
312yamato:2006/01/27(金) 15:26:05
沖田総司の顔写真持ってる人?おいドン新撰組の大ファンでござる
有力情報待ってマースw
313日本@名無史さん:2006/01/28(土) 00:13:03
.
314日本@名無史さん:2006/01/29(日) 18:35:22
阿部十郎
315日本@名無史さん:2006/01/31(火) 14:08:26
永倉
316日本@名無史さん:2006/01/31(火) 20:04:05
民主党代表の前原さんの先祖に
新撰組に関わりのある人がいたらしいよ。
317日本@名無史さん:2006/02/01(水) 15:49:20
前原一誠なら新撰組に目の敵にされた側だろうけどw
318日本@名無史さん:2006/02/02(木) 10:56:55
>>317
そうだろうな。
瞬殺だ。
でも、そこまで大きな人物じゃなかったはず。
319作者:2006/02/03(金) 01:48:52
セイ・チャットというところの雑談の掲示板で『幕末期 新撰組』という
スレッドをたてておりますので、興味を持たれた方は
覗くだけでも構いませんから、是非一度お越し下さい。
お待ちしています。
320日本@名無史さん:2006/02/03(金) 17:36:08
日野で局長が撃たれる
http://www.sankei.co.jp/news/060203/sha076.htm
321日本@名無史さん:2006/02/03(金) 19:16:35
沖田くんの写真は残ってない。一部でわ沖田??てゆわれる?写真ネットで見たけど…家紋が違うのと特徴が違うのとで完璧偽物らしいね。ガセ。とゆ〜訳で残ってナイよ!
322日本@名無史さん:2006/02/04(土) 11:31:42
323日本@名無史さん:2006/02/04(土) 13:59:51
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1092801995/l50
新撰組は特高警察みたいなものか?
324日本@名無史さん:2006/02/12(日) 18:05:23
そうさ。
325日本@名無史さん:2006/02/13(月) 23:42:17
嵐寛の鞍馬天狗では新撰組って悪役なんでしょ?
あの時代は今みたいに新撰組ってもてはやされてなかったのかな。
326日本@名無史さん:2006/02/14(火) 01:08:41
>>323
新撰組は斜線北海道
327日本@名無史さん:2006/02/14(火) 01:15:45
>>325
「池田屋騒動」「風雲新撰組」等でアラカンは近藤勇やっている。
328日本@名無史さん:2006/02/14(火) 09:17:45
>>325
片や大立ち回りのヒーローで、片や悪役で描かれていたろ。
しかし鞍馬天狗に不愉快なのは、隊士が斬られ要員になっているからか?
新撰組物でも長州土佐浪士が斬られ要員になっているからイイじゃね
ここまで連続で新撰組物が描かれてるなら、そろそろ民放で鞍馬天狗をキボヌ
329日本@名無史さん:2006/02/15(水) 23:53:29
【新撰組】京都御苑で職務質問【コスプレ】
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news7/1139724920/
330日本@名無史さん:2006/02/26(日) 20:13:52
いい
331日本@名無史さん:2006/03/04(土) 04:28:09
一さん
332日本@名無史さん:2006/03/06(月) 23:25:29
新八存命中に小樽の新聞に自分のことが連載されたんだってね。
そのくらいの時代になるともう新撰組=朝敵のレッテルは無効になってたんだね。
333日本@名無史さん:2006/03/17(金) 13:56:03
>>310
池田は昭和まで生きてたょ。
334日本@名無史さん:2006/03/19(日) 17:04:18
いろんな人のご子孫がちょこちょこと本など出したりインタビューに答えたりしてくれるけど
斎藤の子孫とか島田の子孫とか山南系列の子孫とか、その他脱走隊士の子孫の人達のお話が聞きたい。
335日本@名無史さん:2006/03/20(月) 01:01:33
山南は無理。
資料調べてみれば分かるよ
336日本@名無史さん:2006/03/20(月) 01:10:40
新撰組の人気が高くなったのはいつ頃からですか?
明治後期とか大正時代での新撰組の扱いはどんな感じだったんでしょうか?
337日本@名無史さん:2006/03/20(月) 21:38:55
>>335
なんで?
338日本@名無史さん:2006/03/26(日) 19:02:20
会津の殿様の子孫は黙して騙らずですつね。
339日本@名無史さん:2006/03/26(日) 21:57:41
そういえばそうだ。
340日本@名無史さん:2006/03/27(月) 19:33:21
>>334
土方の子孫ならいる。
http://www.bambataku.com/
341日本@名無史さん:2006/03/27(月) 19:51:13

こいつは詐称だろう
342日本@名無史さん:2006/03/27(月) 20:03:14
>>341
まぢでか!そうなの?
343日本@名無史さん:2006/03/28(火) 00:22:23
>>342
某レーサーが「子孫」だって本気で信じてる人なんていないでしょ。
344日本@名無史さん:2006/03/28(火) 13:36:16
>>340
土方本家はどう思ってるんだろうね。
345日本@名無史さん:2006/03/28(火) 14:32:20
土方の親族 多摩で土方屋敷無料開放してるがや
346日本@名無史さん:2006/03/28(火) 19:28:55
無料?
ってことは土方資料館ではないね。
誰だろう。
347日本@名無史さん:2006/03/28(火) 19:34:40
ご迷惑でしたね

親族が土方邸 開放してるだけ
348日本@名無史さん:2006/03/28(火) 20:36:23
どの土方よ?
349日本@名無史さん:2006/03/28(火) 21:09:36
いい加減、土方の話は土方スレでやれ
350日本@名無史さん:2006/03/29(水) 16:15:19
>>349
誘導先は?
351日本@名無史さん:2006/03/29(水) 19:53:11
>>350
設計/建築板に逝け。
352日本@名無史さん:2006/03/30(木) 15:55:34
逃げた芹沢派の子孫とかはどうしてるのだろう。
353日本@名無史さん:2006/03/32(土) 00:56:07
>>336
「新撰組始末記」子母沢寛著
354日本@名無史さん:2006/04/04(火) 23:51:53
355日本@名無史さん:2006/04/13(木) 12:16:20
>>350
土方歳三は単なる殺し屋
356日本@名無史さん:2006/04/13(木) 17:19:12
>>353
テキトーなことを書かないように。
357日本@名無史さん:2006/04/16(日) 20:16:45
358日本@名無史さん:2006/04/20(木) 21:14:45
1年たったな。このスレ。
359日本@名無史さん:2006/04/21(金) 06:13:37
??>>309
詳しく
360日本@名無史さん:2006/04/21(金) 08:18:42
腐女子の妄想
361日本@名無史さん:2006/05/07(日) 09:30:27
新撰組は江戸時代の特高警察だ!
362日本@名無史さん:2006/05/09(火) 09:12:40
島田魁の子孫のインタビュー
ttp://samuraiya.com/samuraishison.htm
363日本@名無史さん:2006/05/09(火) 09:22:02
山崎正勝
364日本@名無史さん:2006/05/10(水) 04:44:29
永倉と島田の日記が一緒になってる本を注文した
楽しみだ
365日本@名無史さん:2006/05/10(水) 05:36:29
そのカップリングで妄想して楽しむワケですね。さすが腐女子
366日本@名無史さん:2006/05/10(水) 16:04:53
死にたい 死にたい
死にたい 死にたい
死にたい 死にたい
死にたい 死にたい
死にたい 死にたい
死のうよ 死のうよ
死のうよ 死のうよ
死のうよ 死のうよ
死のうよ 死のうよ
死のうよ 死のうよ
367日本@名無史さん:2006/05/10(水) 16:25:38
>>361 新撰組 しらないらしい。


浪人集団 壬生浪士組


土方に遊ばれたヤクザ的

暴徒化集団
368日本@名無史さん:2006/05/10(水) 16:46:44
会津・新撰組ファンの皆さんにお願いなんですが、
倒幕派の人物の墓所や関連史跡を荒らすのはやめてください。
369日本@名無史さん:2006/05/10(水) 16:52:33
>>368
このスレに会津・新撰組ファンはいませんので、
別の場所で御願いした方が賢明でしょう。
このスレにいるのは、アンチと腐女子だけですよ。
370日本@名無史さん:2006/05/10(水) 17:59:48
人斬りの斎藤一が警官って、あんまりで残念な
維新後の転身だと思った。
371日本@名無史さん:2006/05/11(木) 00:41:20
幕末の京にタイムスリップして生き延びる方法
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1146780378/l50
372日本@名無史さん:2006/05/11(木) 10:35:22
土方ですがなにか?
373日本@名無史さん:2006/05/12(金) 01:10:00
>>372
現場に、帰ぇれ! 帰ぇるんだッ!!
374日本@名無史さん:2006/05/12(金) 11:43:19
俺がここで退いたらあの人にどんな顔したらいいんだよ!!
375日本@名無史さん:2006/05/12(金) 21:37:04
かっちゃん‥
あ…っ はあっ あぁん‥
かっちゃん…好きだ…
!――あっ! だ、だめだよ、そんなとこ…は…!!
ひぃっ や…やめて…くれ…
ああぁぁ…っ!!ん……!うぁ…

愛してる…俺だけのかっちゃん… ふふっこんなトコ、とても総司には見せられないな…
376日本@名無史さん:2006/05/12(金) 22:50:05
近藤×土方は癒しだな
377日本@名無史さん:2006/05/13(土) 08:08:05
土方受けは耽美
378日本@名無史さん:2006/05/13(土) 11:20:04
すいません。近土公式ですので・・・。
379日本@名無史さん:2006/05/13(土) 19:38:17
近藤受けは?
380日本@名無史さん:2006/05/14(日) 00:48:32
もまえら、中島登を忘れるな・・
381日本@名無史さん:2006/05/14(日) 07:06:49
中島こそ受けだな
382日本@名無史さん:2006/05/14(日) 09:12:17
383日本@名無史さん:2006/05/25(木) 03:39:31
沖田総司の得意技の突きは、1秒間に3回突けるだとか…。
まるで、北斗の拳だ
384日本@名無史さん:2006/05/25(木) 10:27:54
得意の3段突きで局長のアニャルを突きます
385日本@名無史さん:2006/05/27(土) 06:05:10
斎藤一はずるい?
386日本@名無史さん:2006/05/27(土) 06:50:47
ずるいわけない。
斎藤さんは体で会津藩主をたぶらかした魅惑の青年。
局長、副長、伊東参謀など新選組内の多数の人達も斎
藤さんの体にはまって骨抜きにされてた。
結論→斎藤さんはエロい。色香に騙される方が悪い。
387日本@名無史さん:2006/05/27(土) 10:50:49
  ||
 ∧||∧
( / ⌒ヽ
 ||   |←腐女子の末路
 ∪ 亅|
  | | |
  ∪∪
   :
   :

 ‐ニ三ニ‐
388日本@名無史さん:2006/05/27(土) 10:55:52
斎藤受け人気に対する沖田腐女子のひがみワロスWWW
389日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:29:27
武道、武芸板にいけ
新撰組の剣術スレがあるから
390日本@名無史さん:2006/06/08(木) 06:17:30
やなこった!
391日本@名無史さん:2006/06/08(木) 09:41:24
既出かな?詳しくはしらないけど、斎藤一は80近くまでいきたんでしょ?しかも死因は虫歯。
392日本@名無史さん:2006/06/08(木) 09:52:05
80才近くになっても受けフェロモンむんむんの斎藤さんに萌え
393日本@名無史さん:2006/06/08(木) 10:10:11
>>392
もし、お前さんが斎藤さんの前でそんな事を言ったら、
一瞬にして首が飛んでいたと想う。
394日本@名無史さん:2006/06/08(木) 12:39:21
首を飛ばそうとする前に逆に自分が姦られてしまう受け子の斎藤さん萌え
395日本@名無史さん:2006/06/10(土) 23:41:13
虫歯が死因なのは、永倉でなかった?
斎藤は座して逝ったってのが有名だと思うが。
396日本@名無史さん:2006/06/11(日) 09:29:03
永倉さんは斎藤さんの上で腹上死したいと願っているよ
397日本@名無史さん:2006/06/15(木) 07:15:34
>393 や、斉藤受け斉藤好きの腐女は392の言い方はしないからw 荒しじゃね? 
398日本@名無史さん:2006/06/16(金) 05:43:47
>>393は荒らし
399日本@名無史さん:2006/06/26(月) 08:21:38
やはり大物で斎藤、永倉。
小物で馬込、田村あたりか。
400日本@名無史さん:2006/06/26(月) 15:07:17
斎藤×沖田萌え
401日本@名無史さん:2006/06/28(水) 08:17:50
ホモ
402日本@名無史さん:2006/06/28(水) 23:22:38
ホモぢゃない!やおいだ!
403日本@名無史さん:2006/06/29(木) 04:14:30
創作だからモチーフ実在しないかもしれませんが、壬生義士伝にでてくる吉村と同期で小野派一刀流目録の居酒屋の親父って誰のこと?推量でいいんで、知ってる方か該当する人物わかる人教えて下さい
404日本@名無史さん:2006/06/29(木) 04:23:57
>>403 嶋大輔
405日本@名無史さん:2006/06/29(木) 08:15:39
>>403おすぎ
406日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:49:43
>>403
稗田利八つったかな?
407日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:51:25
またの名を池田七三郎
ぐぐってみ
408日本@名無史さん:2006/06/30(金) 00:20:05
しんぱっちゃんは絶対に受けだよな
409403:2006/06/30(金) 21:48:33
稗田じゃないです 天保生まれで足軽の次男、小野派一刀流目録で慶応元年大阪で入隊、五稜郭降服まで土方と転戦、早くても大正四年まで生存 そんな隊士いますかね?創作かもしれないんで恐縮ですが心当たりある人いたら教えて下さい
410日本@名無史さん:2006/06/30(金) 23:26:06
力士出身の越ノ海のだろ
411日本@名無史さん:2006/07/01(土) 01:55:01
近藤×土方テラモエス
412日本@名無史さん:2006/07/01(土) 10:08:47
ドカタ
413日本@名無史さん:2006/07/06(木) 15:45:12
斉藤×沖田 きもっ 
逆だ普通
414日本@名無史さん:2006/07/08(土) 08:54:03
起きた受けをバカにするな!
才当は攻めも受けもできない中途半端な奴!
415日本@名無史さん:2006/07/08(土) 16:34:01
おちつきなされ。そして数字板いけっての。
416日本@名無史さん:2006/07/09(日) 03:10:26
際当受けオタと、起きた受けオタがけんかしてる・・・
417日本@名無史さん:2006/07/09(日) 19:52:11
肘受け派はそれを高みの見物W
418マロン名無しさん:2006/07/10(月) 14:40:51
またアンチの自演か
419日本@名無史さん:2006/07/11(火) 00:22:35
沖田
420日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:38:05
起きは絶対に受けだよ
421日本@名無史さん:2006/07/14(金) 09:58:53
トシたんは総受け!
422日本@名無史さん:2006/07/16(日) 17:25:13
飲ん兵衛三木三郎
423日本@名無史さん:2006/07/18(火) 20:38:38
伊東×トシにテラモエス
424日本@名無史さん:2006/07/20(木) 02:06:46
やはり新撰組でも核には勝てなかった
シェルターに入り生き残った者はこれから生き抜くために拳法を編み出した
後の北斗神拳である
425日本@名無史さん:2006/07/21(金) 02:26:02
>>403 それ私もかなり気になりました…調べたところ、相馬主計という隊士なんではないかと…すいませんでしたたぶん違います…!
426日本@名無史さん:2006/07/21(金) 16:30:34
そーまたんは受け子さんだよ
427日本@名無史さん:2006/07/24(月) 06:02:24
坂本龍馬を斬殺した佐々木只三郎は?
428日本@名無史さん:2006/07/24(月) 08:53:33
日本をだめにしたのは長州!
大東亜戦争、満州、台湾、朝鮮、竹島を失った責任はすべて長州の責任。
長州は日本の政治経済から排除されるべき。
429日本@名無史さん:2006/07/24(月) 10:51:54
釣りは他でやれや
430日本@名無しさん:2006/08/10(木) 11:03:16
龍馬暗殺は佐々木じゃないだろ。
431日本@名無史さん:2006/08/22(火) 23:09:17
沖田の愛刀は菊一文字だったって説があるけど、そんなはずはないんだよな。
清満でFA?
432日本@名無史さん:2006/08/23(水) 07:11:05
土方「総司の菊穴は最高だったよ」
433日本@名無史さん:2006/09/19(火) 23:02:04
永倉新八 斎藤一 篠原泰之進 稗田利八かな?
434日本@名無史さん:2006/09/20(水) 20:55:35
島田魁もだよね
435日本@名無史さん:2006/09/21(木) 20:16:02
>>302
同時に10人はいくら何でもオーバーじゃないか?10人抜きなら分かるけれども。
後ろに回られたらどうすんのよ。
436日本@名無史さん:2006/09/22(金) 02:15:33
土方と沖田って仲良くなかったのか?
437日本@名無史さん:2006/09/22(金) 05:56:08
土方×沖田は仲良しどころかデキてるよ!
一昔前迄は王道カプールですた。
438日本@名無史さん:2006/09/23(土) 08:59:54
>>302 ありえない。。。
アンタみたいな人は司馬先生の本を読んで「竜馬スゲー!ハンパねぇ!」とか言いそう。
439日本@名無史さん:2006/09/26(火) 20:17:06
悪・即・斬、牙突は平刺突を昇華させたもの。
これを信じてる香具師がいたらスゲーよな。
440日本@名無史さん:2006/09/30(土) 12:29:08
厨厨厨
441日本@名無史さん:2006/09/30(土) 14:45:14
新鮮組が内部粛清以外で殺した人間の数は
せいぜい十数人。
新撰組がしょっちゅう人を斬ってるなんてのは
小説とかで創られた世界。

参考
http://page.freett.com/take1975/sinsen.htm

ちなみに新鮮組が内部粛清以外で斬った数で確実に確認できるのは十七人というのは
NHKの歴史番組や知ってるつもりでもやってました。
442日本@名無史さん:2006/09/30(土) 19:38:04
しかしまぁ・・・存続期間僅かに5年で17人ってのも結構な数字では有るな。
443日本@名無史さん:2006/09/30(土) 20:23:42
新選組のやる事は全部正しいんだよ、文句言うな!
そいつらは殺されても仕方ない悪人たちなんだから!
444日本@名無史さん:2006/09/30(土) 22:23:59
少なくとも、漫画とかドラマでやってるみたいに
いつもいつもズバズバと大量に斬ってるわけじゃない。
基本的には京都見廻りのおまわりさん。
445日本@名無史さん:2006/10/19(木) 22:08:32
>>444
うん、それで維新を企てるやつには集団でリンチするよね

1対多数
   ↑もちろん新撰組
446日本@名無史さん:2006/10/19(木) 22:25:07
結局、アイヌ地で土方没

斎藤一 抜刀隊


東寺警備 島田魁
447日本@名無史さん:2006/10/19(木) 22:27:01
負け戦にばりじゃない
448日本@名無史さん:2006/11/15(水) 07:54:44
私たち新選組ファンの女子は彼らをオカズに毎日オナニーしてますが何か?
新選組同人誌や新選組関連の本=オナニーのネタ
449日本@名無史さん:2006/11/15(水) 08:21:31
↑↑この新選組アンチは毎回こんなことしか書き込めなくて、かわいそうな人生だよな・・・・wぷぷぷ
450日本@名無史さん:2006/11/15(水) 11:54:42
永倉のかいたものは 嘘、大げさ、紛らわしい らしい

そして実際の新撰組では後半には脱走者盛りだくさん
すぐに捕まえるならともかくいちいち追いかけてなんて居られません
451日本@名無史さん:2006/11/15(水) 18:32:14
佐久間象山の息子も脱走している
452日本@名無史さん:2006/11/16(木) 19:58:02
佐久間象山の息子は辞めたけど29で死んでるな。
453日本@名無史さん:2006/11/16(木) 21:21:12
後半のほう死者数以外でも隊員半減してるからな
454日本@名無史さん:2006/11/18(土) 23:18:05
そういえば土方さんの子孫の方、いまビリヤードで活躍してらっしゃいます
よね。たしか土方隼斗さん?どことなく似てました。
455日本@名無史さん:2006/11/19(日) 22:03:39
土方家も男系が切れてしまったが
なんで長女じゃなく三女が継いでるのか?

>土方隼斗さん
それは長女の息子?次女の息子?
456日本@名無史さん:2006/11/23(木) 22:35:10
斉藤一の明治以降の逸話、本当かどうかはともかく面白いな。
警視庁時代は本当に密偵だったんじゃないかとか、
晩年吊るした空き缶に竹刀の突きで穴あけたとか。
笑えたのは女子高等師範学校勤務時代女学生から「目つきの鋭いおじさん」と言われていたとか。
457日本@名無史さん:2006/11/24(金) 03:20:15
>>154
かなりの遅レスで気が引けるが…

明治の…とある日、原田の親族の家に初老の男が現れた。
その訪問に応対したのは原田の兄の息子(だった気がする忘れた)
初老の男は原田サノスケを名乗り、
大陸から持ってきたという土産を差し出した。
しかし、竜馬暗殺の疑いをかけられているサノスケを親族達は快く迎えなかった。
結局サノスケは一泊だけして、大陸へと帰っていった。

という逸話がある
458日本@名無史さん:2006/11/27(月) 12:17:16
原田左ノ助なる人物は幕末、維新後も謎を残した人物である…

・中岡慎太郎、坂本竜馬暗殺(京都近江屋事件)の実行犯と嫌疑をかけられる。
・同じ槍の使い手(流派に差異あり)、七番隊組長谷三十郎の腕前を見抜けず。(近藤勇曰く千石もの)
・官軍の猛攻撃の中、奇跡的に彰義隊の生き残りとなる。
・短気な性格と尋常ならぬ精神力で大陸へ渡る。(国内逃亡)
・馬賊に扮し明治政府をバックアップ。(何故だ?)
・日本へ帰国。弟、甥に多額の金品を授与し鉄嶺へ戻る。
・腹の真一文字の傷跡を見たものはいない。

元中間としては出世し、後世に名を残したほうだろう。
459日本@名無史さん:2006/11/27(月) 19:01:28
>>458
左ノ助って日清戦争に出たかっただよね?
出たいって言ったら明治政府に「気持ちだけ・・・」って言われちゃったんだよね?
460日本@名無史さん:2006/11/27(月) 21:31:45
それは新八か斎藤だった気がするぞ。
原田じゃない。
461日本@名無史さん:2006/11/27(月) 21:47:17
>>459
それ永倉
もうじじいだったし・・・
でも街のゴロツキ連中が一喝されて逃げ出したくらいのじじい
462日本@名無史さん:2006/11/28(火) 13:58:45
手ぬぐいで戦った説もある。まぁジジィとは言えそこらのチンピラにゃ負けないだろ。そりゃ
463OPS:2006/11/28(火) 14:21:27
日清戦争の抜刀隊募集の際に応募したがお年という事で断られた。
464日本@名無史さん:2006/11/28(火) 15:26:02
すげーなーおい
日清戦争の頃にまでまだ抜刀隊なんて部隊があったのかー(棒読み)
465日本@名無史さん:2006/11/28(火) 16:30:07
そもそも日本刀ってそんな何人も斬れるの?数人で刀に脂がついて斬れなくなるって聞いたが
466日本@名無史さん:2006/11/28(火) 20:55:08
>>465
鉄の包丁で豚肉を切ってみるとわかるよ。
467日本@名無史さん:2006/11/28(火) 22:05:19
>>465
数人どころか、一人を本気で切ったら刀が壊れる。
日本刀は力学的に人を切れるようにはなってない。

田原坂の抜刀隊も相手の寝込みをそっと襲って首刺しただけで
薩摩軍が射撃してきたら、あっという間に死屍累々。
468日本@名無史さん:2006/12/04(月) 01:21:18
>>467
でも銃弾は斬れるw
たぶん銃弾の嵐の中を斬り裂きながら進むんだ
469日本@名無史さん:2006/12/04(月) 01:56:50
>>467 抜刀隊慰霊碑
470日本@名無史さん:2007/01/05(金) 22:57:40
    |. . :.:|:.:|:.:.:| !:.:.| |l、_:ハ::ハ:.:.|:.:.:.:.:.:.:.|:.:.:.:.:.',
     |:.:.:.:.:|!:.|:;,:ィヽ:| ハ:.| |! ̄jノ|`:.:.:.:.:.:.|:.:',:.:.:.|
     |:.:.:.:.:|'゙、ト|  `    _  |:.:.:.:.:.:.:.|:.: ',:.:..|
    |:.:.:.:.:|  _ニ、     '゙´ ̄``|:.:.:.:.:.:.|:.:.:.:ヽ:.|
    |:.:.:.:.:|_/´    :       ',:.:.:.:.:.:ト、:.:.:.:ヾ 新撰組は渡辺さんでおまかせ
    |:.:.:.:.:|      、      J'、:.:.:..:.',:ヽ:.:.:..ヽ
    |:.:.:.:.∧       _     ∧:.:.:.: '、\\:.ヽ 風も光るよ
     !:.:.:.:.:.:∧    < ̄  ノ    /!:.:\:.:.:.ヽ:.ヽ:.ト、:',
    l:.:.:.:.:./:.:.:.\      ̄    /:..|:.:.:.:.l\:.:ヽハ:.| 'i
   /:.:.;.:イ:.:.、:.:.:.:.:.:>; 、 __,. '´   |:.:.:.:.|:.:.:.l`::7`ソ   
  ノ '´ヾ| \:.:\: :.:.:.:.:|    ,. -‐┴ヽ;ノ:.:./|ン
     `  ヾ、 丶r'゙}  /     / \
471日本@名無史さん:2007/01/10(水) 00:30:51
佐久間象三の馬鹿息子は
鰻に当たって死亡
m9(^д^)プギャー
472日本@名無史さん:2007/02/02(金) 16:27:11
>>32
亀レスだがそんなもん。
どんな強者も病気には勝てないってことさ。
ちなみに虫歯はほっとくといろんな病気を誘発するとか聞いたことあるぞ。
473日本@名無史さん:2007/02/18(日) 03:52:31
新撰組二番隊組長永倉新八、同三番隊組長斉藤一、さぞ強かったんでしょうな
今の剣道の達人と試合したどうなるんだろう?
まさに永遠のロマンですなあ
474日本@名無史さん:2007/02/18(日) 03:54:23
永倉×斉藤はちょっと・・
475日本@名無史さん:2007/02/18(日) 03:59:48
函館新撰組だが山脇正勝、バーバラ寺岡のひい爺さん。
476日本@名無史さん:2007/02/18(日) 05:28:46
フ---( ´_ゝ`)---ン
477日本@名無史さん:2007/02/18(日) 23:32:17
斎藤曰く、人と斬り合うときに普段の剣術なんて役に立たないらしいね
478日本@名無史さん:2007/03/06(火) 18:43:44
歴史難民板が新しく出来ました
スレが全然ないので
幕末英雄スレをみんなで立てまくってね

歴史難民
http://etc6.2ch.net/nanminhis/
479日本@名無史さん:2007/04/15(日) 22:59:54
過疎アゲ
480日本@名無史さん:2007/04/16(月) 00:30:54
>>472
昔でも虫歯やら歯周病自体が主要因で死に至らしめることは皆無なんだけど

食えない噛めないってのは点滴やら補助食が無い一昔前だとまさに致命的
内臓の特に胃や小腸の弱い高齢者には厳しかったのよね
緩慢な餓死ってか似非スキルスってか
481日本@名無史さん:2007/04/27(金) 00:09:27
新八さん、好きだーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
482日本@名無史さん:2007/05/29(火) 23:39:58
73郎とかはじめさんとかそれぞれ手紙のやり取りなんかしてんだろか
483日本@名無史さん:2007/06/05(火) 17:48:28
篠原と加納と三樹三郎は結構晩年まで文通し合ってた。
484日本@名無史さん:2007/06/30(土) 04:06:40
>>473
「剣道」なら永倉
「斬りあい」なら斉藤
という感じがするな。
485日本@名無史さん:2007/07/01(日) 07:56:41
沖田がめちゃ強だったって結局本当なの?
486日本@名無史さん:2007/07/06(金) 12:18:34
結局生きたもん勝ち
結核で死んだヒラメに何ができる
487日本@名無史さん:2007/07/06(金) 19:35:42
ほとんど実戦はしてないからナー、ヒラメ。
ヒラメが戦ってたらとか、生きてればとかの
たられば男。
488日本@名無史さん:2007/07/06(金) 20:11:11
沖田の三段突きは、目に見えない速さだ。
だから誰も見た者はいない。
489日本@名無史さん:2007/07/07(土) 00:08:56
斉藤一はお茶大の守衛さんになっんだよな。
史上最強の守衛だな。
490日本@名無史さん:2007/07/14(土) 13:38:46
薩長土出身の隊士とか居たの?
491日本@名無史さん:2007/07/22(日) 22:57:27
斎藤は西南戦争時には、負傷しながらも相手の大砲を奪うくらいの活躍をしたそうだ。

つか、斎藤は刀一つで修羅場を潜り抜けまくってるな。
池田屋事件、天満屋事件、伊東派潜入、鳥羽・伏見の戦い、甲州勝沼の戦い、会津戦争、激寒の地へ配流、西南戦争…

もう剣士ってレベルじゃねーぞ
492日本@名無史さん:2007/07/23(月) 14:03:39
前野五郎は靖兵隊で隊長代理だったのになんでいつの間にか官軍側にいるの?
493日本@名無史さん:2007/07/27(金) 11:08:57
稗田利八翁
494日本@名無史さん:2007/08/07(火) 13:00:11
ホモ集団
495日本@名無史さん:2007/08/13(月) 07:21:58
男色
496日本@名無史さん:2007/08/14(火) 08:55:41
久留米藩ではホモ交際が奨励されてたのね(*^^*)
497日本@名無史さん:2007/08/23(木) 05:54:34
です
498日本@名無史さん:2007/08/27(月) 05:38:58
きもー
499日本@名無史さん:2007/08/27(月) 05:48:17
原田左之助は湾岸戦争で目撃情報があるぞ。 
500日本@名無史さん:2007/08/27(月) 05:51:29
原田左之助はコミケで目撃情報があるぞ。
501日本@名無史さん:2007/08/27(月) 20:24:34
近藤@京都と土方@函館?の二人だけ写真残したのか・・・
京で幹部連中だけでも集合写真撮れなかったのかな?
浪士組居残り記念で撮影していれば、鴨さんも拝めたのに(´・ω・`)
502日本@名無史さん:2007/08/27(月) 21:31:08
芹沢DUCK
503日本@名無史さん:2007/10/02(火) 02:03:16
>>278
斉藤は無口だった。他ともそんなもん。
504日本@名無史さん:2007/10/08(月) 10:41:48
斉藤てしゃくれているよな
505日本@名無史さん:2007/10/08(月) 14:51:33
鈴木三樹三郎

死因:老衰

この人も確か警察だった、写真ものこってるよね、確か。

カワイイ顔してたはず
506日本@名無史さん:2007/10/08(月) 15:03:04
自称特攻隊の生き残りみたいに
自称新撰組の生き残りも多そう
507日本@名無史さん:2007/10/17(水) 20:22:26
反日本親朝鮮の記事捏造アサヒる新聞は日本から出て行け。
508日本@名無史さん:2007/10/18(木) 00:10:14
>>507
保健室でのセンズリ見られたんだってなwww
509日本@名無史さん:2007/11/06(火) 19:46:13
>>488
三段突きって、1突きで3回って言う説と
突くまでの段階が3回あって、そのスピードが
早い説があると聞いたのですが知ってますか?
・・・剣術に詳しい方教えてください。
510509:2007/11/06(火) 19:54:28
間違いです、
突くまでの段階が3回× 
突くまでの段階が2回○
 失礼しました。
511日本@名無史さん:2007/11/06(火) 22:42:40
>>501
近藤と土方のカッコイイ写真についても解説。
現代では写真を撮ることなどなんでもないことだが、
当時は写真を撮るということはまさに一世一代の大イベントであり、
事前に撮影スタッフと被写体の本人が数回の打ち合わせ会議を行い
「どういう構図で写真を撮るか」「どういう服装にするか」
「どういう表情にするか」などを細密に話し合い検討し細部まで決める。
そして写真撮影当時は被写体となる人物は
最高の一張羅もしくは撮影のために購入した豪華な衣装を着て
時間をかけて丹念な髪型を整え、化粧までして撮影に望む。

そこからが大変で実は当時の写真撮影は実は15分くらい被写体は
停止してなくてはいけない。
さらに写真撮影の椅子には頭が動かないように後ろから固定する器具があった。
あの近藤や土方の微妙な表情やポーズも打ち合わせどおり作られたものであり、
しかもそのポーズのままずっと15分も停止しているという不自然極まりないものであった。
その影には必死で「カッコイイ写真を残したい」という彼らの思惑と熱意があったのだ。
そしてさらにオマケに出来上がった写真にもかなりの修正が施されたという。

土方や近藤の写真を見て、
「この写真は彼らの当時の心境を表している」とかご高説をたれる新撰組オタがいるが、
当時の写真は実は細部まで作りこまれた肖像画のようなものでしかない。
512日本@名無史さん:2007/11/06(火) 23:06:42
>>278 >>279
二年も前の書き込みにレスつけても仕方ないが、
その永倉が「斉藤君とはあまり話したことはないから、よく知らないが彼の剣の腕は凄かった」

とか語ったという話しは事実でしょ。
ロマンが崩れるとかいう理由で論拠もなくウソと決め付けてはイカンと思うよ。
要するにそかんなには個人的に親しい関係でなかったと思われ。
513日本@名無史さん:2007/11/07(水) 16:02:43
新選組史上から抹殺された根岸友山。
維新後に本を書いてまで近藤いさきをこきおろした。
514日本@名無史さん:2007/11/07(水) 22:48:18
>>511
それを考慮すると、中岡の白い歯スマイルは異常
515日本@名無史さん:2007/11/08(木) 08:35:41
>>511
土方が写真を撮った年代なら写真技術が向上して
静止時間は5分程度で済んだ筈。
5分でも大変だろうけど。
516日本@名無史さん:2007/11/10(土) 02:31:19
永倉とか斉藤が大正まで生きてたってのがすごい。
大正生まれのじじばばは今もいっぱいいるけど
新撰組の生き残りと同じ空気を吸ってたのにロマンを感じますね
517日本@名無史さん:2007/11/10(土) 02:42:41
んでがんす。
518日本@名無史さん:2007/11/13(火) 17:20:01
写真てどこで見れる?
歴史の教科書とかに載ってるのと同じ?
519日本@名無史さん:2007/11/14(水) 09:10:23
函館政府の集合写真とか見たかったな。
一年も暇してたんだから、色々な写真撮ればよかったのに。
大鳥と土方が肩を組んだ写真とか(*´Д`)ハァハァ
榎本のお髭を引っ張るいたずら顔の土方とか(*´Д`)ハァハァ
520日本@名無史さん:2007/11/15(木) 20:11:42
>>518
さすがに教科書には新撰組の写真は載って無いよw
普通に新撰組関係の文献見ればいい。
あとは幕末写真館とか言うサイトに行けば見れるとオモ。

>>519
妄想乙。
521日本@名無史さん:2007/11/15(木) 20:47:50
栗塚旭
522日本@名無史さん:2007/11/20(火) 02:21:38
俺の中で土方は栗塚さんなんだよなー
山本もかっこいいけど、鬼の副長にしてはちょっと軽い気もする
523日本@名無史さん:2007/11/20(火) 04:20:17
鬼っ娘の副長がいいな
士道不覚悟だっちゃ!
切腹だっちゃ!!
524日本@名無史さん:2007/11/20(火) 13:50:01
近藤がダーリン
525日本@名無史さん:2007/11/20(火) 21:53:38
ちょっと質問があるんだけど新撰組の関係者で山南って人いなかった?
ふとその名を耳にして新撰組関係者だったような気がして…
526日本@名無史さん:2007/11/20(火) 22:07:40
すいません自己解決しました
めちゃくちゃ有名だ…

でも新撰組にかなり興味持てたので新撰組について色々勉強してみます
527日本@名無史さん:2007/11/21(水) 15:57:50
山南さんは隠れ志士だったので、土方さんにリストラされました。
528日本@名無史さん:2007/11/27(火) 13:20:09
なんでここは腐れた女子が多いんでつか?(´;ω;`)
529日本@名無史さん:2007/11/27(火) 14:33:31
山南ファンは腐れ万個ばかりだよ
530日本@名無史さん:2007/11/27(火) 16:54:29
実際の山南さんは小太りで色白の優しい青年だったんだけどね。
堺雅人のイメージで腐女子が湧いてしまった。
531日本@名無史さん:2007/11/27(火) 17:44:55
俺も小太りで色白の優しい引きこもりなんだがなあ
532日本@名無史さん:2007/11/29(木) 02:27:38
>>531
職業不覚悟だな
切腹しろよ
533日本@名無史さん:2007/12/04(火) 20:59:08
【コラム】 人間の不老不死研究はどこまで進んでるの?
http://news.ameba.jp/r25/2007/12/9120.html
534日本@名無史さん:2008/01/23(水) 19:26:38
俺の祖父は服部武雄
535日本@名無史さん:2008/01/25(金) 17:06:37
北海道の小樽に永倉新八の孫が俺が中学生くらいまで生きてた。
536日本@名無史さん:2008/01/27(日) 02:26:18
あげ
537日本@名無史さん:2008/02/01(金) 18:26:00
永倉新八が虫歯で死んだって話やけど、さっき歯医者の先生に虫歯で死ぬことが
あるかどうか聞いたら、実際にあるらしい
虫歯菌が血管の中に入って血管を腐らせるらしいが、そこまでくると相当激痛みたい
昔の人は木の枝なんかを使ってつまようじみたいに歯を掃除してたらしいよ
538日本@名無史さん:2008/02/01(金) 20:45:15
大正期の内閣総理大臣加藤高明のおじさんが新撰組と最近知って驚いた。
539日本@名無史さん:2008/02/10(日) 08:22:55
土方が戦死しないで、捕らえられてたら
どうなったかな?
普通に斬首かな?
540日本@名無史さん:2008/02/10(日) 16:13:57
斬首なんて生ぬるいもんじゃn…
541日本@名無史さん:2008/02/10(日) 17:12:51
俺のおじいちゃんが新鮮組を経営してたが今96歳やでぇ〜
542日本@名無史さん:2008/02/11(月) 16:25:53
永倉新八なら俺の曾おじいちゃんがビビらせてやったって自慢してた。
543日本@名無史さん:2008/02/11(月) 17:19:46
>>542の曾爺「やらないか」

永倉「・・・?」

>>542の曾祖父「もう我慢できねぇ!俺の金玉をみてくれえええええええ」

永倉「ぎゃああああああああああ」


こんな感じだろ
544日本@名無史さん:2008/02/13(水) 11:46:56
永倉新八って80歳で剣道教えていたらしいよね。
エライ気迫で、誰も敵わなかったらしいよ。
そりゃそーだよね本当に人を何人も斬ったんだから。
545日本@名無史さん:2008/02/13(水) 16:35:45
>>539,>>540
榎本武揚が、土方の統率力を惜しんで、明治政府と政治取引をして
土方を生き残らせようとしたという話をどこかで聞いた気がする。
546日本@名無史さん:2008/02/13(水) 17:52:30
544

孫に教えてたんだよ

 孫は柔道がやりたかったんだけど毎朝無理矢理やらしてたらしいね
547日本@名無史さん:2008/02/13(水) 18:42:53
>>545
生き残って、欲しかったね
しかし、戦死の方が、土方らしくもある


>>544
弾丸、白刃の雨を生き残ったんだから、チンピラなんかにびびらないよな
睨んだだけで、おいかえしたってのは凄いけど
548日本@名無史さん:2008/02/13(水) 19:10:03
>>547
榎本の申し出に対して土方は
「俺は人を殺し過ぎた」と断ったらしい。

出来すぎの話だからつくり話の可能性が高いが。
549日本@名無史さん:2008/02/13(水) 20:29:23
>>548
燃えよ剣かな?
土方の大河ドラマやんないかな
俳優は細川なんとかあたりで
仮面ライダーの
香取の近藤はないよな
550日本@名無史さん:2008/02/20(水) 12:59:46
 
551日本@名無史さん:2008/02/20(水) 13:23:13
>>549 やはり 土方は栗塚旭でしょう。
552日本@名無史さん:2008/02/22(金) 08:06:55
土方は今生きてても、イケメンで通りそうだ
553日本@名無史さん:2008/02/22(金) 12:31:06

幕末一のイケメンは桂小五郎。
554日本@名無史さん:2008/02/22(金) 18:41:09
木戸カッコいいか?
松平容保のほうがカッコいいだろ
555日本@名無史さん:2008/02/26(火) 16:27:57
もしも、五稜郭の戦いで土方が榎本らと一緒に投降していたら、
新政府は土方をどう扱ったかな。
処刑か、または榎本・大鳥のように軽い罰で済んだか。
まぁ土方は絶対に降伏なんてしないだろうし、例え拘束されても脇刺で自刃したろうけど、もしもの話。
556555:2008/02/26(火) 16:43:44
前のレス読返したら、もうこの話題出てましたね。ごめん。
ただ、旧幕軍の最高司令官でさえ軽い処分で済んだんだから、土方も西郷辺りの恩情で数年の投獄程度だった可能性もあるよなって思って。

もし生き残ってたら永倉・斎藤と共に北海道辺りで道場でもやってほしいな。
557日本@名無史さん:2008/02/26(火) 19:01:29
でも降伏する土方なんて嫌だな
558日本@名無史さん:2008/02/27(水) 00:07:48
嫌だな
559日本@名無史さん:2008/02/27(水) 00:11:39
そうか?

 土方さんには生きてほしかったよ
560日本@名無史さん:2008/02/27(水) 13:19:33
>>559
生きて、日清戦争で指揮する土方ってのも素敵だけど
降伏は嫌だな
せめて、隠れて生き延びるってならいいけど
561日本@名無史さん:2008/02/27(水) 13:29:15
>>554

あんな三白眼なバカ殿嫌だわ。
562日本@名無史さん:2008/02/27(水) 13:48:44
木戸はなるしすと臭い
土方が一番カッコいいな
もてそうなのは中岡慎太郎
563日本@名無史さん:2008/02/27(水) 14:28:37
>>560
確かに日清戦争で指揮をとる土方は見てみたいし心強い。
抜刀隊を優遇しそうだけどw
原田生存説が真実で永倉の志願が承諾されてれば、また一緒に戦えてたかもね。
だけど隠れて生き延びる、って函館戦争から逃げ落ちてどこかに潜伏するってことになるな。
そんな土方はもう土方じゃないよ。やっぱあの人はベストな死に方をしたわけだ。
564日本@名無史さん:2008/02/27(水) 15:52:21
>>562
ナルシストそうなのは圧倒的に土方だろ。因みに京の舞妓の間で一番モテたのは桂だぜ
>>563
新撰組で唯一許せるよ土方は。思想は無いけど戦うために生きてる感じが不器用でかっこいい。
565日本@名無史さん:2008/02/27(水) 16:00:53
桂が一番もてたってソースは?
土方は舞妓からもらったラブレターを
実家に送りつけたエピソードがあるが
566日本@名無史さん:2008/02/27(水) 16:40:56
沖田
「土方さん。これからどうなるんでしょうね?」
土方
「総司、男ならどうなるかじゃなく、どうするかだ!」
567日本@名無史さん:2008/02/27(水) 20:47:44
かだ!」
568日本@名無史さん:2008/02/27(水) 23:56:59
土方は五稜郭で死んだからこそ「新撰組副長 土方歳三」なんじゃないかな?

仮に生き残って軍に入るとしても長州人だらけの陸軍じゃ出世どころか命が危ない
薩摩閥の海軍もあるけど土方の得意分野じゃないし…
民間でも壬生の狼、賊軍、人斬り集団の副長ということで就職は見込めないだろな
やっぱ多摩の百姓で不遇の人生をおくる土方なんて見たくないよw

569日本@名無史さん:2008/02/28(木) 00:44:09
名を石田と改めて薬の行商をするんだよ…嫌スギルw
もし生き残ったら土方verを考えると斎藤一の世渡りの上手さが神懸り的に思えてくる。
維新後の警察の採用基準て腕っ節の強さか?だとしたら薩長の志士だらけだったと思うんだけど斎藤よく集団リンチに合わなかったなw
そもそも元新撰組だって隠してたのかな、偽名使ってもバレバレだと思うのだが。
570日本@名無史さん:2008/02/28(木) 00:52:36
もしかしたらリンチされてたかもよ?
 そういう記述がないだけで…
571日本@名無史さん:2008/02/28(木) 01:38:51
>>569

明治初期の警察は失業した士族、没落士族の再就職先という面もあったから
むしろ元賊軍や弱小藩出身者が多かったみたい
薩長の志士たち川路みたいな幹部クラスにはいたと思うけど、大半が近衛師団か陸、海軍に散らばってるんじゃない?
572日本@名無史さん:2008/02/28(木) 15:33:29
>>564
許せるってどういうことだ?
573日本@名無史さん:2008/02/28(木) 15:34:46
てか長州にリンチ受けるのは解せるが
薩摩とは一度組んで禁門の変で戦ったわけで
リンチ受ける意味が分からん
574日本@名無史さん:2008/02/28(木) 18:23:18
西南戦争での斎藤一の活躍が新聞に書かれたそうだけど、元新選組っていう記述はあったのかな。
575日本@名無史さん:2008/02/28(木) 20:19:53
新撰組より鞍馬天狗のが強い
576日本@名無史さん:2008/02/28(木) 20:35:49
>>569 ない
577日本@名無史さん:2008/02/28(木) 20:40:01
新撰組はリンチはするが
尊皇の志士はリンチはしない
578日本@名無史さん:2008/02/28(木) 20:44:38
土方は1番狡猾でずる賢いやつ
579日本@名無史さん:2008/02/28(木) 20:45:43
>>574
ない
580日本@名無史さん:2008/02/28(木) 20:48:31
>>565
野暮で田舎者の新撰組は京の女には圧倒的に
不人気だったのは歴史の常識。
だからラブレターをもらう程度のことが
大自慢になったわけ。
581日本@名無史さん:2008/02/28(木) 21:24:28
長州人は遊郭で金使いまくったからモテただけだろ
582日本@名無史さん:2008/02/29(金) 01:19:29
577 いやどっちもどっち
 新撰組来る前は超やりたい放題だったけど、新撰組が来た後はあんまできなくなっただけ

 581 新撰組だってそうだろ
 むしろ金回りは新撰組のが全然上
  
583日本@名無史さん:2008/02/29(金) 01:25:05
新撰組は金回りは悪かった。
直属の上司である京都守護職松平容保の会津藩は、長年の京都駐屯で既に財政破綻を来たしていた。
584日本@名無史さん:2008/03/04(火) 06:02:24
土方はブサじゃないけど開いてるか閉じてるかよくわからん目しててノッペリ顔
585日本@名無史さん:2008/03/04(火) 14:23:09
香取の新撰組の時の、土方役は結構似てたな
586日本@名無史さん:2008/03/05(水) 20:09:06
test
587日本@名無史さん:2008/03/06(木) 17:16:53
池田七三郎
588日本@名無史さん:2008/03/06(木) 17:17:58
永倉新八
589日本@名無史さん:2008/03/06(木) 17:18:23
齋藤一
590日本@名無史さん:2008/03/17(月) 23:50:05
斎藤さんは永倉さんのように何か書物など残されてはいないのでしょうね。
591日本@名無史さん:2008/03/18(火) 21:03:00
池田七三郎は新撰組隊士の最後の生き残りだよね。
592日本@名無史さん:2008/03/22(土) 21:55:03
斎藤一と芹沢鴨の接点を知っていたら、教えてくれませんか。
593日本@名無史さん:2008/03/23(日) 01:00:38
どっちも哺乳類
594日本@名無史さん:2008/03/23(日) 01:51:59
藤田五郎の墓に行ってきました。
595日本@名無史さん:2008/03/23(日) 14:09:13
>>594
どこにあるの?
近藤の墓は遺族が作ったみたいだけど
土方の墓ってないの?
596日本@名無史さん:2008/03/23(日) 21:46:37
>>595
会津にあります。パチンコ屋の前で阿弥陀寺って所でした。
597日本@名無史さん:2008/03/24(月) 04:06:29
斉藤一が左利ききで脇差し右に差してたなんて浅田の創作だよね?
598日本@名無史さん:2008/03/24(月) 06:43:53
牙突
599日本@名無史さん:2008/03/25(火) 18:25:11
>>596
それは土方の?斉藤の?
600日本@名無史さん:2008/03/25(火) 19:03:53
596に書いたのは斎藤一で藤田五郎の名前です。
会津には近藤勇、土方の墓もありました。
601日本@名無史さん:2008/03/25(火) 23:22:55
土方の墓あるのか
でも遺骨ちゃんと埋葬されてるのかね
602日本@名無史さん:2008/03/26(水) 09:16:42
狙撃された落馬、遺体を味方が収容して、官軍に分かり難い場所へ埋葬。
その後、埋葬場所を特定出来ず(´・ω・`)
ということで、土方の遺骨は行方不明です。
603日本@名無史さん:2008/03/26(水) 11:43:14
んじゃ函館の土になってるのか。
604日本@名無史さん:2008/03/26(水) 22:41:17
やはり行方不明か
新政府軍に処刑されたら遺骨は残ってたかもな
605日本@名無史さん:2008/03/26(水) 23:20:05
坂本龍馬
606日本@名無史さん:2008/06/03(火) 07:16:43
近藤の首の行方が今ではほぼ判明しているって某サイトにあったけど
一般的に知れ渡っていないだけで、学者やら研究者の中では
既に周知の事実ってのがあるのかねー
607日本@名無史さん:2008/06/12(木) 11:46:55
近藤勇の首って、京都の東山に埋葬してあって
首塚を見たって言う人も時々現れます。
いずれにせよ、首塚は東山にあるのだろう。
608日本@名無史さん:2008/06/18(水) 00:03:42
自分は会津に土方が近藤の首を埋葬したと聞いた
609新選組:2008/06/18(水) 00:26:22
沖田とされた写真は実は大鳥圭介だった。と何かの本で読んだ覚え
がある。また、東スポ出版の「激録 新撰組」という本に
芹沢や無名隊士3人の集合写真、なぜか赤報隊の相楽総三の写真
も掲載されてたが、どれもインチキくさかった。
610日本@名無史さん:2008/06/21(土) 14:31:36
文化祭で新撰組やることになった
何か池田屋以外にやりやすいストーリーとか
面白そうな逸話みたいなのとか無いですか?
新撰組初心者なんでググってもなかなかわからないです
誰か助けて・・
611日本@名無史さん:2008/06/21(土) 15:12:51
会津には遺髪じゃなかったかの?
612日本@名無史さん:2008/06/21(土) 19:39:29
>>608
近藤の首級は京都、土方は官軍と転戦中。
そんな余裕はありませんがな。
確か近畿の寺に埋葬されたんじゃなかったかな?
613新選組:2008/06/22(日) 08:38:45
>610
まだ誠衛館(試衛館?)道場の頃。つまり、
京都上洛前の頃を芝居してみては如何?
漫画でもそういう場面だけクローズアップ
している作品もあるし。
主要メンバーの多くはもう揃っていたから
結構いけると思います。
614日本@名無史さん:2008/06/22(日) 10:44:54
就職活動すると分かるよ、日本語の大切さが。

ハーバード大、プリンストン大、あと北京大やらエーゲ大やら、似たり寄ったりの学生が
何千人も面接に来てみんな同じこと言うんだよ、
「学生時代は、ごっくんサークルの部長代理次官補佐筆頭を務めていて」とか、
「夏休みに海外の大学に法典獨協会留学していて」とか。
みんな同じことしか言わない。
そこで、新潟弁がぺらぺらに話せますって言えば、
居酒屋とかだとだいたい最終面接までいける。
ポルトガル語は、これから社会に出る人間にとってすごい武器になるかもね。
615日本@名無史さん:2008/06/22(日) 14:33:13
>>613
ありがとうございます 
参考にします

616新選組:2008/06/23(月) 08:35:34
>615
勇の義父の周斎が刀を振り回して土方を
追い駆け回したエピソードなんか、結構
笑いを取れると思うよ。

土方が伊庭八郎と飲み歩いたり、2人で
周斎の講談からそっと逃げ出したり、
この辺りのことは幾らでも脚色出来るから
マニアからクレームは来ないと思うし、
気楽にやれますよ。
617日本@名無史さん:2008/06/23(月) 20:26:28
>>601
島田 魁
新撰組隊士。新撰組一の力持ちと謡われ、その豪腕で数々の戦火を越えてきた。
新撰組崩壊後も土方歳三に付き従い、北は蝦夷地、函館までやってきたが、
土方が凶弾に倒れると その身体を担ぎ上げて民家に運び込み、その最期を看取った。
その躯はどこかに密葬されて 今でも発見はされていない。
島田魁は函館まで残った新撰組隊士の最期の名簿を作成したり
晩年に新撰組をその手記に残すなどしている。
618新選組:2008/06/24(火) 12:45:43
斉藤一は夢録とか言う書を残していたらしいね。
だけど、その内容は不明で現物も行方不明。
専門家が必死に探しているが、発見出来ない。

沖田総司の写真もあったらしいけど、戦時中の
空襲で燃えてしまった、と言うエピソードを
本で読んだのだが、詳しいこと知っている人いますか?
619日本@名無史さん:2008/06/30(月) 17:21:26
西南戦争に参加しようとした奴は迷ったんじゃないか?
西郷軍であくまで明治政府と戦うか
政府軍で憎い薩摩の西郷軍と戦うか
どっちも道理にかなっていない
620日本@名無史さん:2008/06/30(月) 19:05:00
市村は西南戦争前に実家で病死
西南戦争に参加して死んだとか思ってるやつは
娯楽小説家の嘘を信じてる低能低学歴馬鹿
学問板で語る資格なし消えうせろ
もっと大脳を使って生きるんだな
621日本@名無史さん:2008/06/30(月) 19:16:36
司馬のうすら馬鹿爺(親父は息子の妻をレイプ三昧。司馬はかばわなかった)のせいで
脱走した臆病者の代表として名があげられることになってしまった
相馬主計が哀れすぎる
司馬の馬鹿爺(先妻に後妻になる女の品定めをさせた)はなんで相馬を名指しで選んだんだ?
622日本@名無史さん:2008/07/01(火) 22:31:40
質問だが沖田さんの恋人?かと思われる墓の方だが(光縁寺:沖田氏縁者)
一説には、石井秩さんか明里という説もあるが実際にはどうなんだろうか?
623日本@名無史さん:2008/07/02(水) 00:09:29
山南さん亡き後、沖田君が明里を京妻にしていたのかね?
兄の未亡人を弟が貰うという話はよくあったみたいだし。
624日本@名無史さん:2008/07/19(土) 12:25:02
新撰組は羽織袴(例えば池田屋事件の時でも)で戦闘してたんですか?
625日本@名無史さん:2008/07/19(土) 12:29:08
>>620 斎藤一
626新選組:2008/07/21(月) 01:43:22
>どうも専門家から言わせると、違うらしい。
鴻池に借金までして作った隊服は行動に目立つのと、
恥ずかしいとの理由から、僅か数ヶ月で着なくなった。
との事。その後は映画の「御法度」で着ているような
黒主体の服だったらしい。

浅葱色は本来、田舎侍の代名詞的色だったので、その点
からも嫌われたのだろう。
627日本@名無史さん:2008/07/21(月) 02:21:31
勤番侍=浅黄裏だけど武士の礼装だからね
628新選組:2008/07/21(月) 19:14:01
>627
えっ、そうだったの?それは不見識を
恥じる。だけど、当時の隊服が写真に
に残っていたらと思う。
629日本@名無史さん:2008/07/23(水) 22:06:32
630日本@名無史さん:2008/07/24(木) 10:09:18
宣伝用に制作されだんだら羽織りは芹沢鴨暗殺前後で廃止されている。今でいうコスプレ衣装のような物で抵抗があった、材質が悪いなどが理由。
その後池田屋事件前後までの期間、出動の際は機動的で統一のとれた格好であったようだが色調などは不明。
長州征伐開始前後の組織改革が進む時期に黒装束(筒袖に陣羽織?)へ移行していった。渡辺昇の証言によれば当時巷では「新撰組といえば黒装束」という認識だったようだ。
631日本@名無史さん:2008/08/07(木) 13:52:43
生き残りはだいたい明治&大正時代に亡くなってるが昭和初期まで生きた人も存在してる。
維新以後は消息不明の人も大量にいるからもしかしたらその中には戦後まで生き延びたひともいるかもね〜。
632日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:06:56
633日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:34:34
>>547
けど永倉さんは維新後の東京で、恨まれている三木三郎に会ってビビったって自分で言っている。やっぱり敗戦後で弱気になっていたらしいが…
そんな正直な永倉さんが俺は大好きです。
634日本@名無史さん:2008/08/23(土) 22:26:58
でもその後人生成功した人っていないよね?
御稜衛士組の篠原ぐらい?
榎本や人見のように敗軍からなった人もいない
635日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:14:55
【水着がないから】女子中学生3人、深夜に川を裸で泳ぎ補導される 【福岡】
http://science6.2ch.net/test/read.cgi/bake/1219459071/
636日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:22:39
>>635 自然体捕獲でしょう。
637日本@名無史さん:2008/08/24(日) 06:10:13
生き残り中には三木三郎や斎藤一のように警察で出世した連中、
近藤芳助のように政治家で成功した連中、阿倍十郎や中島登のように商売
で成功した連中なんかが以外に多い。
佐々木一なんかは生前に紳士録に記載された。直接関係はないけど佐野七
五三之助のように親族から首相を出した人もいたりする。佐野自体は明治
の前に死亡してるけども。
対照的に三浦啓之助や谷万太郎みたいに不遇の後半生を送った人も多かっ
たことだろうが。
極端な成功もおさめなければとりわけ不幸な生活を送ったわけでもなく、
ごく一般的で平凡な人生を送った人が大半だったんじゃないかな。
638日本@名無史さん:2008/08/24(日) 06:17:58
島田魁
明治維新後に京都西本願寺の守衛になりました。
639日本@名無史さん:2008/08/24(日) 07:02:53
伊東組じゃない連中は
出仕した連中もよくて一般官吏だよね警官とかも

中島の花火屋は成功って言えるのか?
蘭栽培のときに偶然できた新種が馬に蘭食べられて
商売終了とか経歴は面白いけど
質屋もコケテえらく懲りたのか「孫子の代まで質屋はやっちゃだめ」とかいい残し

加藤高明と佐野が血縁だったのか・・・
640日本@名無史さん:2008/08/25(月) 04:26:03
元新撰組でも採用率が高かった警察ならすんなり入れたんだか。それでも警部とか署長になったのは凄いが。
彼らが元気で働けるころの陸海軍って長州系とかの反発とかあってやりづらそうだな。よく久米部正親は士官に採用されたよな。
伊東一派は元新撰組&元赤報隊のダブル汚名があるのに基本的に順風満帆にすごしてるな。ある意味単に元新撰組というより維新後の進路は大変だったんじゃない?
三木三郎も死ぬギリギリに兄ちゃんの活躍が国に認められてよかったよね。
641日本@名無史さん:2008/08/27(水) 09:20:38
鈴木三樹三郎って大正8年まで生き残ってるけど組頭経験者では最後の生き残りだよね。新撰組時代のことは詳しく伝えてない。新撰組の内情とか平隊士に比べたら色々知ってることも多かったと思うけど。
新撰組から離脱しあげく兄や仲間殺されたから、今更元新撰組ですなんて胸張って喋れる立場でもなかったしそんな気もなかったろうんだろうけど。
兄同様に美男子で紳士的な人物だった彼は老後、普段は大人しく日々を過ごした。だがある日盗人が忍び込んだとき
「ぶっ殺したる!!」
ってとっさに刀振り回して絶叫して賊を追い払ったという。
永倉の場合もそうだが新撰組と知らなくても喧嘩売った明治生まれの若者は本当に不運だよな。よぼよぼの爺さんだと思って脅したら逆におっかない目にあうなんてね。
642日本@名無史さん:2008/08/31(日) 05:07:21
>>622
「沖田氏縁者」は他の沖田姓の隊士のものでは、て説もなかったっけ。
643日本@名無史さん:2008/08/31(日) 05:13:10
若い頃、厳しい新撰組で命懸けの戦いを何度も切り抜けてきてるんだから、年をとっても迫力はすごかったろうね……。
ヤクザの比じゃないよね。
644日本@名無史さん:2008/08/31(日) 05:18:29
池田という隊士は昭和11年まで生きてたんでしょ?
俺の母親の生まれる約10年前はまだ新撰組隊士が生きてた……。
なんだか、意外と近くて遠いな。
645日本@名無史さん:2008/08/31(日) 07:01:18
池田七三郎の没年は昭和13年だよ。享年90。入隊した当時は慶応三年で19歳。江戸時代終了から丁度70年後に亡くなったことになる。あと10年生きてれば戦後も経験したことになる。
考えて見れば江戸時代終了から終戦まで80年。現在から80年前は昭和三年だから丁度江戸時代終了から60年の時。
今年は明治140年にあたるけどそれ関連のイベントあるのかな?
それともきりがいい十年後にそういうことはやるのかな。
646日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:55:30
新撰組が近く感じるな。
647日本@名無史さん:2008/09/02(火) 06:56:31
うちの祖父母は昭和五年の生まれだが祖父母が若い頃まだ新撰組と同時代に生きた人が少なくとも70歳は越えてただろうけどまだまだ現存してたんだよな〜。
648日本@名無史さん:2008/09/02(火) 11:31:34
>>645
今のように歴史や文化財の保存に意識のある時代だったならと惜しまれるな。
当時の新撰組は朝敵との風潮だったから語るのをためらった関係者や資料を処分してしまったことも多いだろう。
明治初年の廃仏毀釈と戦時中の空襲がなければ江戸時代を伝える資料はもっと大量に残っていただろうに。
649日本@名無史さん:2008/09/05(金) 00:53:10
>>609
東スポは宇宙人や恐竜をも真面目に記事に出す新聞社なんだぞ。
芹沢鴨くらい何羽でも出せるさ。
650日本@名無史さん:2008/09/05(金) 06:35:41
池田七三郎が死んだ年に生まれて今生きてる人たち
野沢那智、大林宣彦、細川元総理、磯野ワカメの中の人
しんじゃったけどジャイアント馬場

池田が生まれるまで生きていた人
葛飾北斎、踏み倒しの調所、ショパン

池田と同年生まれの人
乃木希典、西園寺公望、ベルツ、 緋村剣心
651日本@名無史さん:2008/09/05(金) 08:29:58
剣心wwwww
652日本@名無史さん:2008/09/05(金) 23:13:08
西園寺って昭和16年に死んだんだっけ?やつも長生きだよな。
653日本@名無史さん:2008/09/06(土) 01:09:08
銀さんはどの辺に入りまつか?
654日本@名無史さん:2008/09/06(土) 07:12:17
こうしてみると意外と江戸もそれほど昔じゃないんだなぁ
そういや文化文政時代に生きてた人は明治以降も生きててもおかしくないから
湖の時代が舞台であることが多い時代劇の登場人物の同心とか与力とか仕事人とか火消しとかも
最終回以降に維新を体験して文明開化を経験してる可能性があるという話を聞いたことがある
現に金さんのライバルの鳥居妖怪は生きてたしね
655日本@名無史さん:2008/09/06(土) 07:27:08
遠山も1855年まで生きてたんだから勝海舟とあってても不思議はないな。
656日本@名無史さん:2008/09/06(土) 16:37:55
『増補浮世絵類考』の斎藤月岑なんかも明治まで生きていて
「明治直前に書かれた写楽の記事なんて信用できない!」と一部から嘘つき呼ばわりされているけれど
月岑が写楽の記事書いた頃は
葛飾北斎や曲亭馬琴が現役ばりばりだったりするんだよなあ。
657日本@名無史さん:2008/09/06(土) 16:40:17
ここはまったり感があって居心地悪くないな。近代史板の新撰組スレ覗いてみたが変なの多すぎ・・・。純粋な学生つかまえては必死にバカにしてる奴らはいるし。
それはともかく、幕末からまだ150年も経ってない。ってことは若いときに幕末の志士と話した人がまだ生きてるかも。あと永倉新八のお孫さんってまだ生きてるんかね?
658日本@名無史さん:2008/09/07(日) 15:57:25
曾孫さんが本出してたような。お孫さんはよくわからない。
659日本@名無史さん:2008/09/28(日) 18:20:37
昭和の新撰組池田七三郎
660日本@名無史さん:2008/09/29(月) 00:41:31
私の子どもは、土方さんが戦死した次の日に生まれた
土方さんは信長と同じ日に亡くなった

いや、言ってみただけ
661日本@名無史さん:2008/10/01(水) 12:47:12
近藤や土方の写真は一般的に知られているアノ写真しかないの?
662日本@名無史さん:2008/10/02(木) 08:43:54
確実に本人だといえるの一般的に知られてるあの写真しかないですね。どこかに近藤勇と依田学海とのツーショット写真がある(あった)とも言われてます。
土方歳三はとある函館政府軍人の写真が彼にどことなく似てるので土方か?と疑問をもたれてるというのを五年くらい前に雑誌で読んだ気がします。
いずれにしてもその真相は不明で、雑誌によくありがちな「もしかしたら」的な記事ですので信じるに値する情報ではありませんね。
現在は少ないのですが昔はそうした詳細不明な写真を芹沢鴨とか沖田総司といって普通に雑誌にのせる時代がありました。
663日本@名無史さん:2008/10/05(日) 16:13:13
大河ドラマ「新選組!」しりとり
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/575/1084934166/l50
664日本@名無史さん:2008/10/08(水) 09:21:28
しんぱちに限るな

漫画に出てくる新八ってどんな?
銀魂(ちょっと違うけど)、ひなたの狼・・・?あとは?
665のうたりん:2008/10/13(月) 03:15:30
稗田利八も甲府で大怪我してよく昭和13年まで生きたよなー。たいしたもんだ
666日本@名無史さん:2008/10/13(月) 11:17:00
中島登は新撰組同僚の絵を描いてるけどアレってまるで歌舞伎役者の錦絵だ。
667日本@名無史さん:2008/10/13(月) 12:07:13
昔から慣れ親しんだ、ああいう錦絵的な画風にどうしてもなってしまうのかも。
絵に描かれた何人かの戦死者の傷が実際の戦死理由とされる負傷箇所と一致している。
また、戦闘風景や隊士の風貌も伝承や写真のイメージに近いもので実は案外リアルな絵であることがわかる。
668日本@名無史さん:2008/10/20(月) 04:34:40
隊士と一緒に寝たい
土方先生とか
669日本@名無史さん:2008/10/20(月) 20:19:47
>>668
がんがってタイムマシン発明しれ。
んで、屯所行って、みんなと雑魚寝して来やがれ。
670日本@名無史さん:2008/10/21(火) 10:40:44
初期の頃はみんな雑魚寝だったんだよな。なんか、土方歳三とか実際は割とフレンドリーだったのかも。
下っ端隊士にまじって将棋やってたなんて話もあるし。
671日本@名無史さん:2008/10/22(水) 18:48:55
隊員全員で屯所前で記念撮影している写真があれば見てみたいな。
672日本@名無史さん:2008/10/22(水) 18:50:10
島田魁
673日本@名無史さん:2008/10/22(水) 20:17:12
共に語ろうぞ!!


▲▽▲新徒【誠】新撰組屯所▲▽▲part4
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/shugi/1220755159/
674日本@名無史さん:2008/10/22(水) 20:32:04
>>142 三浦啓之助は、ウナギの蒲焼きに中って、亡くなったそうな。
http://page.freett.com/sukechika/ishin/zinmeiroku/set12ma.html

ちなみに、ウナギの蒲焼きで中ることもあるのか、と思って調べたら
どうやらサルモネラ菌による食中毒らしい。
http://mh.at-g.net/memo/mi0075.htm
現代日本なら、間違いなく治るだろうが、明治初年の松山でろくな医者も
おらず、結果として食中毒でも不治の病になったのだろう。
まぁ、この人の場合、日頃の行いが悪かったので天罰だったかもしれない。
675日本@名無史さん:2008/10/23(木) 09:28:45
「新選組永倉新八のひ孫がつくった本」を読んでみた
ファンブック的な感じで思ってたのとはちょっと違ったけど
永倉以外にも近藤や土方や沖田の子孫の人達の話が載ってて
それなりに面白かった

ただ最後の最後で江原哲之が出てきたのには驚いた
あの人が霊視wしたところによると新撰組は今あの世で
再結成して現代の日本をどうするか相談しているそうだw
なんなのこいつ
676675:2008/10/23(木) 09:32:17
間違えた、啓之だった
677日本@名無史さん:2008/10/24(金) 11:09:55
ってか近藤勇の養子は勇五郎じゃなかったかな?
678日本@名無史さん:2008/10/26(日) 21:47:29
私も養子にしてください
679日本@名無史さん:2008/10/27(月) 18:12:38
谷千太郎(近藤周平)も一時期養子だったよな。たった一、二年程度だが。
680日本@名無史さん:2008/11/17(月) 19:40:29
無名の平隊士は意外と長生きしたんじゃね?
681日本@名無史さん:2008/11/18(火) 03:17:27
新撰組っても幕末時に死亡が確認できる連中は全体の半分もいないな。なんとか上手く世渡りして激動期を乗り切った奴は多い。
しかし、最古参隊士の生き残りは少ない。浪士組結成から鳥羽伏見戦争まで経験し大正まで生きたのは永倉新八しかいない。
682日本@名無史さん:2008/11/18(火) 10:06:01
ラジオで、怒りやストレスを感じてるとき強い胃酸が
でて胃によくないみたいな話してて、
そういえば斎藤一は胃潰瘍で死んだなぁと思い出した。
683日本@名無史さん:2008/12/04(木) 18:55:23
ちょっと気になってる事があるんだけど、斎藤って「大恩ある会津藩を見捨てる
事はできない」(だっけ?)って言って土方たちと別れたけど、
維新後の会津戦争で政府軍の警視庁抜刀隊として参加したんでしょ?
なんか矛盾してると思うんだけど、そのへんどうなの?
詳しいこと知ってる人いたら教えてください。
684日本@名無史さん:2008/12/04(木) 19:17:59
加納惣三郎
685日本@名無史さん:2008/12/04(木) 19:53:03
>>683
そりゃ西南戦争だべ。
明治になってカタモリの仲人で結婚式してるのにw
686日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:15:10
斎藤一は最後まで会津藩と強い関係を有しています。あと会津戦争は二度も起きてはいません。
斎藤一が警察で編成された臨時陸軍部隊〔抜刀隊ではない〕に参加して戦ったのは西南戦争。
687683:2008/12/05(金) 13:44:10

すいません。間違えてました。会津戦争じゃなくて西南戦争でした。

>>685
教えて頂きありがとうございました。勘違いしてました。
不勉強ですいません。
よく考えればわかることでした、、、。
ホントに恥ずかしい、、、。


>>686
詳しくて勉強になりました。ありがとうございます。
西南戦争のときも、抜刀隊じゃなかったんですね。
688日本@名無史さん:2008/12/05(金) 14:44:27
>>685
元会津藩主 松平容保
江戸幽閉後に日光東照 の宮司やってたからな。
689日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:36:32
>>687
ライフル銃を抱えた藤田五郎(斎藤一)の写真も残っているよ。
西南戦争の天王山田原坂では実際に元会津藩士などの抜刀隊が大活躍したよ。
690日本@名無史さん:2008/12/16(火) 17:51:38
抜刀隊って火力の援護がないと脆そうだな。
691日本@名無史さん:2008/12/16(火) 18:07:44
火力の援護が無けりゃあ「七転八倒隊」だべ。
692日本@名無史さん:2008/12/17(水) 22:00:10
たしかに、火力の存在は大きかったろうな。ただ、銃器もたせても、特に武士出身連中
693日本@名無史さん:2008/12/18(木) 00:22:35
薩軍の示現流が刀構えて怒声揚げながら突っ込んでこられると、
農民上がりが多いの政府軍最前線はビビッたようだね。
そこで投入されたのが薩摩に恨みがあった元会津藩士系抜刀隊
694日本@名無史さん:2008/12/18(木) 01:18:08
チェストー!
695日本@名無史さん:2008/12/23(火) 16:35:16
chessと
696日本@名無史さん:2008/12/23(火) 16:47:12
よつばと!
697 【大吉】 【1759円】 株価【42】 :2009/01/01(木) 23:19:17
おめでと!
698参謀:2009/01/02(金) 16:14:28
あけましておめでとうございます
699日本@名無史さん:2009/01/11(日) 02:10:27
斉藤一の写真 
ttp://www.dokidoki.ne.jp/home2/quwatoro/bakumatu/saitou.html
上 ミスタースポック
下 クッキングパパ
700日本@名無史さん:2009/01/11(日) 09:23:15
ぶっちゃけ斎藤一がどんな容姿だったかなんてどうでもいいがな・・・。あんな裏切り&嘘つき繰り返し捲り野郎の容姿なんてな。
701日本@名無史さん:2009/01/12(月) 01:29:10
抜刀祭の影響が大きいよな <イケメン斎藤
702日本@名無史さん:2009/01/19(月) 11:06:50
一昨年斉藤さんの親族の方に一族写真見せてもらいますた。
「厳格なおじいさま」という雰囲気ですた(語彙貧弱。
今まで見たことが無かった写真ですた。
親族の方曰く、「見せた誰かがネットにうpってから、あまり見せてない」
と言われたけどネットで見たことないんだけど、なー。
どーしても見たい、と口説き落として見せてもらった。
703日本@名無史さん:2009/01/19(月) 11:15:58
すげー見たい。俺はそれすげー見たい。
704日本@名無史さん:2009/01/19(月) 17:57:40
スレチに成るかもしれないけど
御陵衛士って意味有ったの?
私には新撰組を抜ける為の口実にしか思えない
705日本@名無史さん:2009/01/20(火) 19:58:31
伊東甲子太郎は組頭の一人として多大な貢献をしてきた人物であったが、思想的にはやや近藤勇らとは一線を画す存在だった。
しかし、近藤らとの対立は激しいものではなく、むしろ内部に存在する反主流派の受け皿として、慶応2年には参謀に昇進した。
伊東は一年後に御陵衛士として分離。それは倒幕派スパイのためで、参謀職はその計画主任で伊東派調役はその補佐という任務があったと考えられる。
事実、分離後も特に新撰組へ敵対する活動は行わず、新撰組幹部と接触したりと、純粋な新撰組協力機関であった可能性が強い。
しかし、伊東は「大開国」を掲げ次第に独自の政治活動に邁進。それが近藤らの嫌疑を招く。さらに近藤暗殺を真意不明ながら計画したとされる。
後、先手を打つ形で伊東は暗殺、残りの御陵衛士も殺害追放されるが、近藤暗殺計画がどこまで検討されていたかは疑わしい。
むしろ、遊興に耽り信頼失って衛士内にいずづらくなった斎藤一が新撰組との微妙な関係を利用してついた帰隊のための嘘であった可能性がある。
706日本@名無史さん:2009/01/20(火) 20:46:53
さっきテレ東でやってた土方生存説見た方いるかな?あれって珍説?
一見、新政府軍の銃の飛距離と新政府の位置からしたら歳三は打てない。だから遺体もない、と言っていたが…どうなのだろう
他の蝦夷共和国の人間は生き残ってるのに土方だけ撃たれた。そこも指摘してあった
土方がロシアに行ったってのはまあ嘘臭いけれども
707日本@名無史さん:2009/01/20(火) 21:24:14
「蝦夷共和国」なんて言ってる時点でインチキと気づけ。
708日本@名無史さん:2009/01/20(火) 21:51:05
なぜ新撰組が人気あるかわからん
内ゲバばかりやってさ
それにこいつらの功績って何よ?
709日本@名無史さん:2009/01/20(火) 21:57:27
司馬遼太郎の目に留まったのが最大の功積
710日本@名無史さん:2009/01/20(火) 22:29:48
教科書に載ってないことが不思議。メジャーなのに教科書や資料集では申し訳程度にしか出てこない。
もっと大々的に取り上げていいと自分は思うけれども。なんか教科書見てたら偏ってる気もする。
>>707
やっぱり珍説?
蝦夷共和国を抜いたらちょっと信じたくなるような話ですが…
711日本@名無史さん:2009/01/20(火) 22:48:21
新撰組ってのは「尽忠報国の志」があれば「貴賤老若」に関わらず参加できるっていうところが注目できる。
これは全身の浪士組時代からの方針で、大きく見れば身分解放の先駆けともいえる方針で結果様々な個性的な人材が集まった。
ただし、広範囲な身分や地域の人々が多数所属する事で、当然思想的な問題も含めた内部対立は恒常的にならざるを得ない。
ま、内部対立なんか明治の諸隊潰しに比べりゃ小規模なものだし、どこでもってあったこと。新撰組のそれは幕末の物騒さの一例に過ぎない。
712日本@名無史さん:2009/01/20(火) 23:02:35
>>710
教科書で大々的に載せる必要は無いだろ。今のようにさらっと乗せる程度で十分。新撰組の斬ったはったよりも重視すべき事柄はもっとある。
どの隊員がどんなやつかなんてどうでもいいし。新撰組の時代に果たした功罪や、その実像は大学なんかでやってくれればいい。
713日本@名無史さん:2009/01/25(日) 09:53:27
確かに新撰組のやったことなんて、あの激動の時代の中ではほんの小さな一部だものね。
714日本@名無史さん:2009/01/25(日) 23:00:58
>>706
そもそも仲間からの発砲説があるからね
715日本@名無史さん:2009/01/26(月) 12:07:15
近藤って新撰組の規模を拡大して軍隊的組織するつもりだったんだっけ?
716日本@名無史さん:2009/01/27(火) 17:08:25
そもそも最初っから新撰組は「攘夷」のための思想&軍事集団だったね。
京都残留の口実として京都守護職の支配下に属し、警察と訴訟取扱いの
仕事に従事していたけれどもね。
でもそのうち攘夷の不可能が世間的に常識化し、今度は「長州問題解決」
のための思想&軍事集団に性格を変えたわけ。
ただ現実には有志集団という性格上、内部抗争や脱走はしょっちゅうで隊士
の出入りは激しいし、雇い主の会津藩の経済状況に遠慮してなかなか規模を
拡大するのは難しかったみたい。
京都時代は最高でも150人くらいしか集まんなかった。それに正規軍に
なったのも遅かったから装備も同じ幕府軍の中でも旧式な方で、個人戦では
強いだろうが、近代的な軍隊としては同じ幕府の「歩兵隊」なんかに遥かに
劣っていた。



717日本@名無史さん:2009/01/27(火) 17:36:38
>>710
世界史の授業で三国志の時代が2、3行で片付けられるのと一緒
718日本@名無史さん:2009/01/28(水) 00:47:51
中韓の歴史なんて素通りで十分^^
719日本@名無史さん:2009/01/28(水) 10:48:32
>>716
そもそも治安維持任務(警察)レベルの組織や装備、人員で鳥羽伏見で軍隊相手に戦うなんてムチャだよ。
720日本@名無史さん:2009/02/01(日) 11:20:41
斉藤一は確か警察官になったよな?
KYですまん
721日本@名無史さん:2009/02/03(火) 16:39:05
斎藤は警察になってるよ。彼が警察に採用された1870年代後半旧薩摩藩士を中心とした士族の反乱が頻発。政府は薩摩系が大量辞職した警察の補充要員に旧幕臣を採用。
彼らは警察というよりも未だ規模が不十分な陸軍の助っ人としての性格が強い。彼らが別動旅団・抜刀隊などを編成して西南戦争で大暴れしたのは有名。
722日本@名無史さん:2009/02/03(火) 19:42:22
>>719
大砲装備して西本願寺でドカンドカン嫌がらせ半分の演習やってた組織を警察程度とな
任務が主に治安維持だったのは事実だが、組織自体は有事の戦闘集団目指していたわけだろう
武士になるという発想自体が時代に逆行してたがな
723日本@名無史さん:2009/02/03(火) 21:13:29
>>722
幕末〜明治初期時点の感覚では、武士になることが封建制下で立身出世するため欠かせない事項で新撰組に限らず全国的な常識。
明治初期以降の社会の変化による武士の末路を知った現代人から見れば古めかしいかもしれないがね。
724日本@名無史さん:2009/02/03(火) 22:48:24
>>722
警察つーか先頭集団つーか、独立愚連隊みたいなもんだろ。

現代で言うと、中東あたりで敵対組織にロケット砲打ち込む武装集団みたいなもんだよ。

大砲持ってりゃどうだっつーの。
725日本@名無史さん:2009/02/04(水) 22:35:26
幕府制度でいえば平時の新撰組は京都とその周辺の警察・裁判調停担当組織。つまり役方(文官)。
しかし戦時には軍隊に改変。つまり番方(武官)となる。平時の副長助勤が戦時には組頭と名称を変え直属の部下を従えたように。
ようするに、新撰組は時と場合に応じて警察や裁判官にもなりえたし攘夷や長州征伐を目的にした軍隊にもなった。
726日本@名無史さん:2009/02/05(木) 00:05:14
その割には隊員少ないのよねw
最大で200人くらいでしょ?
全員が最新兵器ライフルを持ったとしても、
戦況に影響を与えるような軍隊組織とは思えないけど。
実際には、刀と大砲ちょっとだけだし@鳥羽伏見
727日本@名無史さん:2009/02/05(木) 09:50:32
>>726
そもそも、どこの藩の藩士ってことでもないし、勿論徴兵制でもないし、人員はあくまでも有志から成り立っていることをお忘れなく。
当時の有志諸隊なんてみんなそんなもんだろ。せいぜい百人超えるくらいしかいない組織はざらにある。二百人いたらいいほう。
728日本@名無史さん:2009/02/05(木) 17:44:57
>>726
幕府指揮下とはいってもあくまで私設の軍隊だからやはり装備の優秀さなんかは正規の歩兵部隊にくらべて限界があるよな。
ま、150人もいりゃ普段の活動にはむしろ十分な人数だったろうけども。
729日本@名無史さん:2009/02/09(月) 23:07:47
戦国時代は大軍VS大軍の戦闘が目立つが
幕末って□□隊とか△△組とか少人数の戦闘グループの活躍が目立つな。
730日本@名無史さん:2009/02/10(火) 01:22:47
>>729
うむ。大半の藩は傍観決め込むか、付き合いで10人程度の兵だして終わりというパターンが多いからね。有志の部隊が中心にならざるをえなかったわけだな。
731日本@名無史さん:2009/02/12(木) 21:31:34
とりあえず、新選組の最後の生き残りは
稗田利八と言うのが、今のところ定説に
なっているね。
732日本@名無史さん:2009/02/13(金) 15:50:38
ワシが最後の生き残りじゃが
733日本@名無史さん:2009/02/13(金) 23:46:14
>732
あっ、あなたは!?新選組最後の生き残り!?
この時代に?お名前をお聞かせ願いたい。
734日本@名無史さん:2009/02/14(土) 00:00:15
新撰組の隊員は維新後に消息不明のメンバー多いな。
735日本@名無史さん:2009/02/14(土) 00:39:37
>>734
幕末期は新撰組に限らず歴とした幕臣や藩士でも下級になれば下級になるほど消息が分からん人は多いようだね。
むしろ名前だけでも判明していてその時代に存在したことがわかっている分だけいいほうだろうな。
736日本@名無史さん:2009/02/14(土) 02:53:48
伊東さんは生き残れば、新政府で活躍できたのにね。
737日本@名無史さん:2009/02/14(土) 15:48:33
歴史の流れ次第だろうな。もし戊辰戦争のような内乱がおこらず薩長閥のみが
幅をきかせるような事態にならなければ十分活躍の場が与えられただろうね。
しかし史実通りの世界になれば薩長閥と一線を画する伊東の方針(坂本龍馬な
んかと似た考え。ただし坂本からは警戒されていたようだが)は邪魔だったろ
うしいかに伊東が優れていたとしても中枢で活躍できたかは微妙なところだろ
う。また元新撰組大幹部の経歴も長州の心証を悪くしたろうし。
勿論文武に秀でており人格者でもあったようだから太政官や各省の卿なんかに
なれなかったとしても県知事とかにはなれたかもね。
738日本@名無史さん:2009/02/14(土) 16:41:57
土壇場で新撰組に戻って最後まで土方と転戦するという熱い展開があったかもしれんw
739日本@名無史さん:2009/02/14(土) 20:46:01
伊東は生きてたとしても何とかの乱で明治十年までにはあぼーんだったでしょ
740日本@名無史さん:2009/02/15(日) 10:23:35
>>738
土方と仲が良かったかは不明だが離脱後しばらくは新撰組と友好関係だったらしい。ただ政局の緊迫した土壇場で新撰組の疑心暗鬼をかって殺されたと。
741日本@名無史さん:2009/02/15(日) 15:29:59
>>739
そしてさらし首の写真が残る、と
近藤とかも誰か撮ってないのかな
742日本@名無史さん:2009/02/15(日) 21:23:32
>>741
近藤勇の晒し首の絵は何枚か残ってるな。しかし誰のものであったとしてもそういう写真や絵は気味が悪い。
743日本@名無史さん:2009/02/16(月) 13:53:30
伊東は道場は違えど同じ北辰一刀流の同門なのに、
龍馬に邪険にされてるんだよねw
しかも、龍馬に身辺気をつけよと忠告の席で。
伊東さん、清河八郎と同じニオイがしたのかな・・・
龍馬「こいつ胡散くせぇ」
744日本@名無史さん:2009/02/17(火) 05:43:49
>>743
龍馬は伊東を単にスパイだと信じ込んでたようだな。御稜衛士は新撰組がスパイ活動させるため放った分隊ってのが周囲の認識だったし。
それに離脱後も新撰組内部の最新情報に通じてたり、活動資金とおぼしき金を受け取ってる時点で縁が切れてない証拠。
現実的には伊東の人格が怪しいってよりもその前歴と背景が問題だったようだ。
745日本@名無史さん:2009/02/17(火) 16:22:32
伊東と龍馬が会ったっていうのは創作じゃなかったのか。
746日本@名無史さん:2009/02/17(火) 16:45:26
>>745
事件前後に複数回伊東が坂本を訪ねてるのは谷千城他の記録に散見され事実であったようだね。
ただ、坂本暗殺後に伊東が遺留品を見て犯人は新撰組だと証言したくだりは嘘だと。
新撰組に怨みのある土佐下級藩士たちが近藤勇他の処刑の口実としたかったみたいだ。
747日本@名無史さん:2009/02/17(火) 19:34:38
龍馬暗殺の数日前に、伊東と藤堂が近江屋へ。 <多分、薩摩藩の仲介でしょう。
龍馬と中岡、二対二で面談した。
伊東が語る時勢の分析に、中岡は伊東を信頼したようだが、
龍馬はかなりスルーしたらしい。
最後に、新選組が狙っているよと忠告して、中岡は感謝したが龍馬は無視。
陸援隊の隊士が新選組屯所に監禁されていたから、中岡としても新選組情報を知りたかった。

龍馬暗殺の当日は、その陸援隊隊士の解放が永井大目付の仲介で決まっていて、
その引き渡しの段取りについて龍馬と相談していた模様。
中岡は死ぬまで新選組の仕業だと思っていただろうね。
748745:2009/02/17(火) 21:27:48
情報ありがとう。
そりゃ新撰組が疑われてもしょうがないわな。
幕末ってこういう意外な史実があるからおもしろいわ。
749日本@名無史さん:2009/02/18(水) 22:47:20
龍馬暗殺について近藤勇は何か発言してたっけ?
750日本@名無史さん:2009/02/18(水) 22:49:34
土方歳三の写真は洋装姿のあれ以外見たこと無いな。
751日本@名無史さん:2009/02/19(木) 00:52:41
>>749
大目付永井尚志から、お前ら自制出来なかったのか?と訊かれたが、
絶対に新選組は関わっていないと断言している。

その当時の永井、龍馬、新選組の関係は面白い。
龍馬は、福岡藤次の紹介で永井邸で連日のように大政奉還について議論している。
土佐藩家老後藤も何度か同席している。
また、永井の紹介で後藤と近藤勇も一度だけ会談している。
永井邸は二条城に近く、周りは幕府関係者ばかり。
また、永井邸の警護は新選組が任されていました。
連日その永井邸に龍馬が来るわけで、当然新選組も龍馬の来訪は黙認していました。
つまり、その時点で永井から龍馬に手を出すなと、近藤へ通達は届いています。
龍馬の書簡に、永井とヒタ同心とあり、勝海舟に近い思想の永井とも意気投合しています。
この永井・板倉を龍馬・後藤が説き伏せたことで、大政奉還が大きく現実へ近付きました。

坂本海援隊と後藤象二郎(藩主山内容堂)は、徳川中心の雄藩連合へ
中岡陸援隊と板垣退助(土佐藩西洋式陸軍)は、薩長連合と武力倒幕へ

近江屋で襲われた時も中岡が居ますし、中岡は坂本の行動へ同調しようとしていたのでしょうか?
二人が生きていれば、戊辰戦争がどうなっていたのか・・・
752日本@名無史さん:2009/02/19(木) 00:59:00
>>749
近藤は永井尚志ら幕府役人の調べに対しても更に後の官軍の取り調べでもまったく身に覚えのないことで知らんと話してたような。
また大石鍬次郎の証言では近藤が事件後に隊の酒宴で集まった組頭たちに対して見廻組が坂本を暗殺したことを語ったというな。
753日本@名無史さん:2009/02/19(木) 01:12:51
>>750
京都時代は特に写真を撮るような環境でもなかったし、得体の知れないものに金遣うより飲み食いやら女遊びに使った方が良かったんだろうか。
754日本@名無史さん:2009/02/19(木) 08:14:33
>>753
番組でやってたがストレスから遊女依存症になり、給料を使い切った挙句
その金ほしさに強盗殺人に走り、結局隊にばれて破滅したなんてアホな隊員がいたな。

番組では現代に彼がいたらよかったのにといってたが、どうせ職場のストレス発散を
ギャンブルや女に走ってしまって犯罪を起こすたちだろうに。
755日本@名無史さん:2009/02/19(木) 11:42:43
>>754
加納惣三郎のことかな?司馬遼太郎の小説じゃ男狂いの挙げ句に沖田に斬られる美少年設定だけど。
加納が実在の人物かははっきりした記録に見られず怪しいが、強請りや不義密通騒ぎはちょくちょくあったみたいだな。

756日本@名無史さん:2009/02/28(土) 22:42:18
>>741
マジで?
ネットで見れる?
757日本@名無史さん:2009/03/24(火) 22:30:17
幕末ファンの何割が歴史小説や漫画やゲームなどの新撰組からファンになったのだろう?
758日本@名無史さん:2009/03/25(水) 18:12:43
元アナウンサーの有賀さつきがひいひい爺さんが新撰組隊士って言ってたね、何かの歴史番組で。
759日本@名無史さん:2009/03/26(木) 01:14:35
こないだテレビ(ナントカ日本史)に坂本龍馬を斬った人の子孫が出てたね。
今井さん?だったかな。テレビでの露出・発言は初めてということで
興味深かったス。その中で言っていたのは、

・腕がたつということで江戸から見廻組に入隊したこと。
・坂本龍馬が維新の英雄だと知ったのは明治に入りずっと後であったこと。
・暗殺当時は危険人物、極悪人であるから捕縛、無理なら殺しても構わぬから
 との指示を受けており正義感で行動していたこと。
・使用した刀が今でも伝わっている。
・突入の順番はクジで決め、最初は3番クジだったがまだ若く血気にはやり
 もう一度クジを引かせてくれと頼み、1番をゲットしたこと。
・知人のフリをして『お久しぶりです坂本先生』『…どちらさんでしたかな?』
 というやりとりのあと座位のまま横なぎに斬ったこと。
・斬ったときに龍馬はグギャア…というような凄く嫌な声を出したこと。
・『コナクソ!』とは誰も言っていないこと。
・その後捕縛され取調べを受けたが、何故かすぐ釈放になったこと。

以上の話を子供の頃から聞いており、子孫としても曽祖父(だったかな?)
がこのようなかたちでしか歴史にかかわれなかったのは不幸なことと思っているとのこと。

…なんだかせつない話でしたが、暗殺犯今井某が維新後、龍馬のことを考えた時、
なんともやりきれないない気持ちでいたことを思うとなんだか気の毒ですね。
760日本@名無史さん:2009/03/26(木) 22:23:04
>>759
それ見たかったわ。
>斬ったときに龍馬はグギャア…というような凄く嫌な声を出したこと。
このくだり津本さんの本にも書いてあってすごく印象に残ってる。
761日本@名無史さん:2009/03/27(金) 08:57:41
グギャア
762日本@名無史さん:2009/03/27(金) 17:32:20
>>757
逆に聞くがそれ以外にはどういう入り方をするんだ?
ご先祖さまが縁の方とかのごく一部の方はともかく
763日本@名無史さん:2009/03/27(金) 18:28:07
古い写真を見て幕末に関心を持つ→新撰組、奇兵隊、白虎隊などの幕末の出来事を読む→
写真がある・記録が多いことにより当時の人間に感情移入できて幕末ファンになった俺は異端?
764日本@名無史さん:2009/03/28(土) 20:52:14
というか普通の人は斬られたときどんな声を出すのかそっちが気になったw
765日本@名無史さん:2009/03/29(日) 11:53:22
>>764
危ないやつだな。
766日本@名無史さん:2009/03/30(月) 00:48:55
歴史に興味もつきっかけでどっからが普通でどっからがそうじゃないか
なんて線引きできないだろうけど、大半は小説とか漫画とかいうのから
入ってく人が多いのう。
だからなのか必要以上にそういう作品のイメージに傾き過ぎたりしてて
どっから創作でどっから史実かわからんままな人とかも結構多い様子。
例えば沖田が土方が兄弟のように仲良かったとか。俺も最近知ったが二
人が仲良かったって証拠は不思議とないそうな。二人とも近藤勇とはか
なり仲良かったのは事実だが。
767日本@名無史さん:2009/03/30(月) 02:10:08
760さん、その番組『新説!?日本史ミステリー』です。
既にYouTubeにアップされていたのでいかがでしょうか。
「龍馬暗殺」とかで検索すればたどり着くと思います。
768日本@名無史さん:2009/03/30(月) 13:57:23
悪即斬の人は生きたね
769日本@名無史さん:2009/03/30(月) 18:32:05
斎藤一な。実際に悪即斬とはいってないらしいが。大正四年の九月くらい
に病没。ちょうど第一次世界大戦とかの時代だな。
斎藤一や永倉新八は新撰組崩壊から四十年以上も長い後半生を生きていた
わけだな。最後の生き残りの池田七三郎なんぞは七十年も生きてる。
ってか維新から第二次世界大戦の敗戦まで八十年も経ってないのがなんか
意外だ。
770日本@名無史さん:2009/03/30(月) 20:35:27
漫画は変に美化されている気がする。
最近は大河や映画のドラマから歴史に興味持つ人間も多そうだな
771日本@名無史さん:2009/03/31(火) 00:35:37
>>766
福澤諭吉と土方歳三が京の街を肩を並べて歩いたなんて面白い。<仕事上だけど
772日本@名無史さん:2009/04/07(火) 19:03:32
>>766
近藤と土方が仲良かったのはわかるんだけど、
近藤と沖田が仲良かったエピソードって何かある?
いや、仲悪かったわけはないと思うんだけど、なんかエピがあるなら知りたい
773日本@名無史さん:2009/04/08(水) 13:14:35
>>766
近藤が塾頭だった時に
「いずれ試衛館は沖田に継がせる」みたいな事を言っていたと思うけど。

仲がいいというよりも同郷の兄弟弟子みたいな感じじゃないかな?
774日本@名無史さん:2009/04/08(水) 21:16:34
それは近藤が慶応元年冬に長州(実際には広島)に尋問使として派遣される
際、故郷の後援者に宛てて書いた手紙だよ。自分に万一の場合があった時は
新撰組は次席の土方に任せ、天然理心流は沖田に任せるって内容。
本来なら同門連中の一人くらいは同行してもおかしくないがそうしなかった
のはこのためだな。ちなみにこの時は組頭から武田観柳斎・伊東甲子太郎、
学術師範の尾形俊太郎、調役の山崎丞ら5人というインテリ集団を同行。
あと、近藤が当時よく「総司、総司」と呼んでかわいがってたっつー話があ
り、よく好んで仕事を任せたのは沖田、井上源三郎、大石鍬次郎らだったっ
て証言もある。
沖田とは新撰組結成時点で既に十年以上も寝食を共にしているわけで完璧に
家族同様の関係にあったと考えて不思議ではないと思う。
775日本@名無史さん:2009/04/08(水) 23:03:27
でも、養子にはしてないよね。
776日本@名無史さん:2009/04/09(木) 10:26:55
慶應元年当時、勇は新撰組局長、天然理心流宗家、浪人近藤家当主ってい立場にあるがどれか一つに名前を連ねれば必ず全て継承というわけではない。
この時勇には養子周平がいてそいつが近藤家を継承する予定だった。確証はないが勇は長男であるのに紆余曲折で家を継承できなかった総司
を哀れんみ将来宗家として家を持たせ独立させてやるつもりだったらしい。近藤家に関しては結局周平との関係が解消され勇親戚の勇五郎が継承した。
ちなみに本来の沖田家は総司の姉に婿入りした井上林太郎が継承し庄内藩新徴組士として存続。この人は井上源三郎の親戚。
777日本@名無史さん:2009/04/25(土) 23:41:51
今日は近藤勇が斬首された日だったな…南無
778日本@名無史さん:2009/04/26(日) 03:57:00
>>252
篠原含め高台寺党の話がしたい
779日本@名無史さん:2009/04/26(日) 21:19:20
>>261
会ったのは本当。ただし古老の話に補足程度に脚色を加えたようなことを本人が語ってる。どこまでそうなのかは今ではわかりようがない。

ついでに沖田の肖像画はその親戚にあたる要さんの顔を使ってる。沖田の姉が常々彼の雰囲気が沖田に似てるっていってたもんだから、
維新60年記念だかをきっかけに当時の人気映画に登場する沖田の髪型や衣装を要さんの写真に合成し作成したもの。
780日本@名無史さん:2009/04/27(月) 08:55:03
>>269
耳を洗ったくらいでは中耳炎にならんと医者がいってた。
ってか子母澤はあくまで作家であって「歴史を書くつもりはない」って本人もいってるしなぁ。古老の話しを元にした娯楽作品。
作成目的からして実際の当事者たちが自ら書き残した日記類や証言に比べ信憑性は劣る。
子母澤と同じ時期の出版物なら平尾道雄の「定本新撰組史録」の方が研究書としてはよく調べてるし参考になるってのが真っ当な研究者たちの評価っぽい。
子母澤作品は確かに知名度は高いし作品としても面白く入門書には最適だけど本当に信頼できるかは正直微妙。
781日本@名無史さん:2009/06/08(月) 04:19:14
集まれ憂国の志士よ!
▲▽▲新徒【誠】新撰組屯所▲▽▲Part5
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/shugi/1236346118/
782日本@名無史さん:2009/06/09(火) 11:00:59
芹沢の魂は今も生きてる
783日本@名無史さん:2009/06/10(水) 19:55:49
芹沢は兄弟とかいたのかな?
784日本@名無史さん:2009/06/10(水) 21:21:20
このときの1両って今でいくらくらいの価値になるの?
785日本@名無史さん:2009/06/11(木) 22:47:34
1両=4万円
786日本@名無史さん:2009/06/12(金) 02:31:08
>>98
青年期の近藤が知り合いのおじさんに土方を紹介するときに「うちの〜」って
紹介して、そのおじさんがその日の日記で「おもわず!?ってなったお。」っつー文が
残ってたよな。今で言う「うちの嫁です」みたいな意味で使われてたから
おっさんが驚いたってエピソード。
近藤勇・・・友だちにまで手出したらイカンよ・・・・潔白を信じるが・・
787日本@名無史さん:2009/06/13(土) 03:20:50
>>786
腐女子大歓喜なエピソードだな。
788日本@名無史さん:2009/06/13(土) 20:34:33
このときの両さんが今生きてたら四万人ってことね
789日本@名無史さん:2009/07/04(土) 23:27:34
話ずれるけど島原てのは今でいうキャバですよね?
790日本@名無史さん:2009/07/05(日) 21:24:02
売春宿だよ
791日本@名無史さん:2009/07/05(日) 21:59:30
そうだったんですか…なんかショックです
792日本@名無史さん:2009/07/08(水) 12:14:41
近藤のおりょうストーカーはなぜ局中法度に触れないの?
793日本@名無史さん:2009/07/08(水) 15:05:41
>>790
お前、バカじゃねぇ〜の?w
太夫を単なる売春婦と思ってるのか?w
お前、日本人じゃねぇ〜だろw
794日本@名無史さん:2009/07/08(水) 15:41:38
すぐに日本人じゃないとかチョンだとか言うのやめろよ。レベル低いぞ
795日本@名無史さん:2009/07/08(水) 17:41:39
>>789です
島原は普通と違って体は売らないとウィキに書いてあったのですが、なぜ近藤さんは深雪太夫との間に子供がいるんでしょうか?幼稚な質問ですいません
796日本@名無史さん:2009/07/09(木) 17:35:53
>>795
妾にしてたからでしょ。
797日本@名無史さん:2009/07/13(月) 08:00:12
そういう事なんですか!!めかけって確か近藤さんたくさんいましたよね…
798日本@名無史さん:2009/07/15(水) 01:07:01
短パン
799日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:36:41
近藤勇を斬首した刀を持つ処刑人の子孫が居るんだけど、

その刀を見せないらしい。
薄っぺらで小さな感傷が歴史を暗くする。

あくまでも事実の資料を見せる事は、見世物ではない。

近藤勇が処断した隊士は史実として見れる様に、 近藤勇の頚椎と筋肉を切断した刀は公開されるべきだ。

くだらないこだわりはいらない
800日本@名無史さん:2009/07/30(木) 16:04:51
>>799
血糊が付いたままなら見てみたいけど、拭き取っているならどうでもいいや。

佐久間象山の息子おもしろいなぁ
幼少時、象山から牛痘の実験台にさせられる。
吉田松陰や小林虎三郎と遊んでもらう。
象山と一緒に京都へ来たら、象山暗殺される。
勝海舟の紹介状で近藤勇に預けられる。
勝や母親からの仕送りで豪遊し、敵討ちを忘れる。
若い沖田がキレて、何度か殺されそうになる。
命の危険を感じて脱走w
町中で傷害事件を起こし、六角入り。
その間に鳥羽伏見の戦いで新選組敗走
出獄したら明治維新になっていたw
象山の息子として学問を志し、福澤諭吉の慶応へ入塾。
すぐに退学するw
勝の口利きで西郷隆盛に接近して、新政府へ出仕。
すぐに辞職し、親の金で豪遊三昧w
また出仕の話がまとまった矢先、うなぎに当たって死亡…
昔はうなぎで死ぬことあったのか?
801日本@名無史さん:2009/07/30(木) 16:24:04
>>800
ダメ男の典型みたいな感じだけど、あれはあれで苦労もしたろうし、端から見れば面白い人生だよね。それに意外に心優しい一面もあったみたい。
同じくダメ男的扱いの谷周平も晩年はしがない鉄道員暮らしだけど体中には刀傷が無数にあったとか。調べればなかなか意外な一面が出てくるもんだね。
802日本@名無史さん:2009/08/02(日) 14:23:05
>>799
刀よりも
今でも謎になってる近藤の首がどこに埋葬されたのか知ってないのかな
803日本@名無史さん:2009/08/03(月) 17:57:33
>>801
谷周平は年齢を考えれば、無能な人物でもなかったのかもね。
三十郎があんな事にならなければどうなってたんだろうね。
804日本@名無史さん:2009/09/16(水) 06:50:51
>>803
何だかんだで周平は諸士調役に昇進してるしな。ってかあんまり知られてないが女性疑惑あるようだな。
旧前川屯所に残された由来不明の戸板に「近藤周平女也」とか書いてある。あと近藤勇の奥さんが「周平さんは女のためにあんなことになった」
とか脱走について語ったようで、単純に女癖が悪かったと受け取るか、女性であったが故に組を抜けざるを得なかったのか。
なかなか怪しげな説だけどね。
805日本@名無史さん:2009/10/05(月) 00:09:37
>>86
1986年ってスゲー
806日本@名無しさん:2009/10/05(月) 01:02:54
>>800
うなぎにはイクシオトキシンという蛋白毒がある。
蛋白なので加熱すれば失活するが、死んだ例は結構ある。
有名どころではマグナカルタを定めたヘンリー1世w
807日本@名無史さん:2009/10/16(金) 02:32:31
深雪大夫の写真ないの?
808日本@名無史さん:2009/10/19(月) 22:14:53
この前、土方の兄ちゃんと久しぶりに橋の下でやりあったんや。
809日本@名無史さん:2009/10/24(土) 02:07:44
近藤芳助さんの子孫の方が何でも鑑定団に出てたね。
戊辰戦争後は改名して、弁護士・横浜市議になって、80歳まで生きた。
幼少時から試衛館の近所に住んでいた縁で、新選組へ加盟。
斎藤一の下で伍長を務める。
維新後も斎藤・永倉と交友があった。
810日本@名無史さん:2009/11/13(金) 22:05:20
原田の奥さんも昭和まで生きたよ
811日本@名無史さん:2009/11/15(日) 03:06:33
近藤の墓って福島の会津にあるんじゃなかった?
812日本@名無史さん:2009/11/16(月) 00:00:30
あるよ。板橋にもあるし
813日本@名無史さん:2009/11/16(月) 00:43:15
首から下を分骨したの?
814日本@名無史さん:2009/11/19(木) 13:32:28
首は三条河原から持ち去られて、琵琶湖付近の寺に埋葬されたという話だが・・・
815日本@名無史さん:2009/11/28(土) 15:31:41
斉藤と永倉は新撰組消滅してから死ぬまで再会はしなかったんですかね?
816日本@名無史さん:2009/11/29(日) 02:27:29
板橋の慰霊碑を造る際に会ってませんでしたっけ!?
817日本@名無史さん:2009/11/29(日) 21:18:49
>>808
.\やったぜ。 投稿者:変態糞土方(8月16日(水) /糞まみれで 投稿者:変態糞親父
糞.\                          ./先日、二回目になるが例の浮浪者の  
糞糞.\昨日の8月15日にいつもの浮浪者のお ./高架の下で道路からは見えないとこなんで、
糞糞糞.\ (45歳)とわし(53歳)の3人で県北 ./いちぢく浣腸をお互いに入れあったんや。 
糞糞糞糞.\今日は明日が休みなんでコンビ /しばらく我慢していたら2人とも腹がぐるぐると
糞糞糞糞糞.\そこでしこたま酒を飲んでか /お互いにけつの穴を舐めあっていたんだが 
糞糞糞糞糞糞.\3人でちんぽ舐めあいな ./わしもおっさんも我慢の限界が近づいているみ
糞糞糞糞糞糞糞.\しばらくし∧∧∧∧∧/けつの穴がひくひくして来たんや。おっさんがわし
糞糞糞糞糞糞糞糞.\.浮 .<   ..変  >ああ^〜もう糞が出るう〜〜と言うまもなく、
糞糞糞糞糞糞糞.糞糞\ <   ..態  >それと同時にわしもおっさんの口と顔に糞を  
糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞 <  の 糞  >もう顔中に糞まみれや。お互いに糞を塗りあいながら.
――――――――――‐.< ..予 親  >――――――――――――――――――‐.  
やりたい 投稿者:糞親父<  感 父  >;;      , -────- 、  
                <  !!      >     ./´            `.ヾ ああ^〜
糞まみれのプレーをやり ./ ∨∨∨∨∨ \;   /:                 ヽ  
ちんぽを尺八しながら顔./ 090-****-**** \;; ./:::::::::               、ヽ  ああ^〜
もう考えただけでちんぽ/             ..\::::::::::::::.    ミ゙´`゙'゙'''シ  ,:ゞ'''"ミ l 
出来れば年配の親父 ./糞、ためて待つぜ。   .\. ..::::::...  ,. -─- 、  , -─- 、|  ああ^〜
糞だらけになれるなら/                 .\;,r'====i ...rェz、l⌒i  rェ; :: }^i 
一緒に変態の限りを/ はよう糞まみれになろうぜ   \::` ヽ'....:'''ンノ __ヽ.:::'''"ソ、ノ 
けつの穴に入れた /                      \ ヽ::::; ,ノ r  ヽ. ̄ ) 
818日本@名無史さん:2009/12/31(木) 07:33:05
新撰組にいた人と直接会ったことがある、
という人はまだ確実に何人も生きてるよな。
819日本@名無史さん:2010/02/01(月) 18:40:22
それでももう結構なお年?
820日本@名無史さん:2010/02/19(金) 17:22:04
まず最初に斉藤に興味を持ちいろいろ調べたら
苦労されたみたいですね。

鶴ケ城落城まで留まって斗南にまで行ったのは
彼なりに武士の本分を全うしたかったからでしょうか。


近藤は斬首、土方は死に場所を求め彷徨い(少なくともそう見える)
沖田は病死
特に近藤は土方に諭されたとはいえ
なぜ流山で切腹しなかったんでしょうかね。
まともに裁きがうけられると思ったのでしょうか。


>>799
太刀取りは横倉喜三次と言う人
捕まってる間に親交を深く持ったらしく
刀を公開するとは思えません。
821日本@名無史さん:2010/02/19(金) 18:12:21
土方歳三の一人称は「僕」だったのですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1136919206
822日本@名無史さん:2010/02/21(日) 17:28:17
料理研究家 バーバラ寺岡の曽祖父も新撰組だった。
823日本@名無史さん:2010/02/22(月) 13:57:07
>>820
> まともに裁きがうけられると思ったのでしょうか。

偽名使っているから、逃げるつもりだったんでしょ。
死にたくないの一心かと。
824日本@名無史さん:2010/02/22(月) 18:00:35
>>823
やっぱりそうなんですかね?

そうなると浪士組の意義って何だったんですかね
己の立身出世の為だけなら
内部で志があって殺された人たちが浮かばれない

永倉や斉藤の本音を聞いてみたかったですよね
途中でバカバカしくなったとか。
825日本@名無史さん:2010/02/24(水) 22:47:37
>>824
立身出世の何が悪い?
んなの承知で入ってない奴がいたらそれこそ甘ちゃん

ただまぁ永倉は愛想尽きたんだろうな
斎藤は他に理由がありそう
826日本@名無史さん:2010/03/08(月) 13:01:39
827日本@名無史さん:2010/03/08(月) 17:33:37
>>825
しかし世間の評価は違うぞ
828日本@名無史さん:2010/03/08(月) 23:06:00
永倉さんが孫とお買い物中に
町でチンピラに絡まれたけど
「気」で散らしたのは本当かな。

829日本@名無史さん:2010/03/09(火) 01:04:00
それは、ご本人の顛末記だからね…。
830日本@名無史さん:2010/04/09(金) 00:14:41
ほほー
831日本@名無史さん:2010/04/09(金) 07:07:05
>>830
一文字目は「あ」の方が似合うよ。
832日本@名無史さん:2010/04/09(金) 13:28:52
沖田の最後を看取った植木屋平五郎の子孫が『女賭博師』江波杏子。

甲陽鎮撫隊の不名誉のお詫びに、弾佐衛門が知り合いの植木屋を仲介したと
いうのは俺の推理。
833日本@名無史さん:2010/04/24(土) 13:04:04
生き残りの人達がもう少し語ってくれていたらなあ。
永倉には感謝してるが。
新撰組は意外と元武士が多いよね。藩命が絶対の時代に自分の意思で入隊してる。
子母澤の話は作り話も多いけど・・
それ以上のドラマがあるのではないかと想像してしまう。
たんなるチンピラで切り捨てられない、彼らの地の底からのオーラは
逆に言えば語らずして死んでいった故なのか。
834日本@名無史さん:2010/04/25(日) 10:56:50
>>786
大坂城かどこかで近藤が依田って人に土方を紹介した時に「吾子」と呼びかけたのとは別の話か?
835日本@名無史さん:2010/04/27(火) 19:01:39
新撰組は、「○番隊」なのに、なんで「組」長、なんですか?
836日本@名無史さん:2010/05/02(日) 21:54:38
徳川時代には武官を「番方(番衆)」、部隊単位を「番組」(例えば幕府の
将軍親衛隊の、大番組、小姓組、書院番組、新番組、小十人組(五番方)
が有名)といった。新撰組もそれに倣い、副長の下で実務を担う副長助勤
が「組頭」を併称して戦時には「番組」を率いた。しかし、時に「番組」
を「番隊」と表記したり「組頭」を「隊長」とした史料を目にする。そ
の理由は、単純に字の重複を避けたためだろう。見廻組で組頭を「与頭」
と表記していたのも同様の理由から。つまりは表記上の都合であって、そ
れ以上の理由は特に見いだせない。「一番組組頭」と書くより、「一番隊
組頭」と書いたほうが読みやすい、ってこと。
ちなみに、新撰組全体を「組」や「隊」ではなく、わざわざ「局」と称した
のは、会津藩の職制に合わせたからともいうが、「局」とは組織の美称であ
り、単純に「自分たちは立派な一隊である」ということを外部にアピールす
る手段の一つだったと考えたほうが自然じゃないかな。
837日本@名無史さん:2010/05/03(月) 01:32:03
838日本@名無史さん:2010/05/11(火) 17:40:07
>>835
最近隊長の方が多く使われてる気がする
組長って何かヤクザみたいだし
839日本@名無史さん
すいません質問です
近藤勇って妹がいたって本当ですか?