1 :
日本@名無史さん:
もっと有名でよくない?仮にも家康に二回勝ってるんだから
2 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:08:44
あまりにも息子がメジャーになりすぎたから・・・
2げっと〜
3 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:10:12
関が原の際の、上田城での合戦は、
実際にあったのか定かではないらしい
4 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:10:49
3男だっけ?
5 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:12:12
実際には 真田昌幸は結構めじゃーじゃよ
江戸幕府が開かれる頃は・・・
おじいさんがそう言ってた
6 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:12:49
確かに昌幸はあの当時では一番の切れ者だっただろう。幸村はかなり脚色されてるよ
7 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:14:26
NHK真田太平記は名作だよ。
8 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:14:54
>4
そう。上の二人はながしので御討死
9 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:15:40
実際は真田家を継ぐ地位にはいなかった人ですね
10 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:16:42
真田姓じゃあなかったしね
11 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:17:35
むとうだったかな?
うろ覚え
まちがいだったらごみん
12 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:18:03
ひょうりひきょうのもの
13 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:19:16
あの頃ではほめ言葉でつね
14 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:21:03
昌幸のイメージ=丹波てつろう
15 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:21:09
でも真田家ってすさまじい名将ばかり出してるな。鬼弾正から始まって
16 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:22:53
>14
意味がわからない
17 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:27:05
むかし ドラマでやったような・・・
でも あんなイメージじゃない?
裏表ありそうで でもすこし抜けてそうで
18 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:27:28
19 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:28:04
安房守が一番好き。サイコーー
20 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:32:15
18さん
さんくす
22 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:38:25
場所が悪かったな。上杉、徳川、北条に囲まれてたんだから
23 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:38:44
すまん
命令口調はやめれ!
24 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:45:29
俺和歌山出身だけど、昌幸のこと知ってる人ってかなり少ないよ。九度山のことすら知らない人も多いし。まあ幸村のことを知ってる人は多いけど(もちろん信繁という名前は知らないが)
25 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:49:32
信繁しってますよ
げんじろう(幼少のころ)
長男だったというのはほんとうなのか?幸村
26 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:50:37
もったいない人だよ。タイミングさえ良かったら絶対天下をとれてたのに
27 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:51:55
>>11 それも正しいと思う。多分武藤氏の養子になったのだろう。
真田氏の本姓は海野氏若しくは滋野氏。
もちろん清和源氏とは全く関係ない。祖とされる貞保親王は実在しない。
畏らく諏訪氏と同じく神官か、または安曇氏・小岩嶽氏と似た家系かもな。
28 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:54:34
>>1 そもそも、メジャーかどうかの判断て、メジャー武将に何回勝ったかどうかで決まるのか?
一般的には、どれだけの勢力(石高や兵力など)かによって、メジャーかどうかが決まっているように思う。
>>11 武藤喜兵衛ですな。ちなみにじいさんの姓は海野。
>>17 いま、時代劇専門チャンネルで絶賛放送中ですな。
29 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:55:44
でもさあ、マジで昌幸ってどれくらいの強さだったの?かなり抽象的だけど、なんとなくでいいから誰か教えて
30 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:56:18
幸隆が真田姓を名乗りました。
武田晴信の先兵としてガンガリました。
戸石落としですか?調略で有名なのは。
31 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:59:57
海野棟綱の娘が昌幸の祖母。
32 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:00:41
>28
でも島津なんてそんなにでかくないのに有名だよ。
33 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:03:29
真田は、武田が存続して重鎮としていた方が良かったのか、独立した方が良かったのかどっちだろう?
34 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:06:12
真田はむしろ新参だから、武田が存続しても
あまり高い地位は望めないような。
でも昌幸は苦労の割りに、版図が狭い訳で・・・
35 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:09:10
だからまわりにデカイ奴らがいたからだろ。それに幸隆の代から高い地位だ
36 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:09:51
武田が滅んだから昌幸は独立をせざるを得なかった。
昌幸は勝頼にかなり信頼されたからな。
仮に勝頼の世子の信勝が天目山で死なずに昌幸に頼っていたら、
多分、昌幸は信勝を擁立して武田の重鎮として奔走していただろう。
…と推測してみるスレ。
37 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:12:02
>>31 叔母じゃなくて?
幸隆の親父が海野棟綱だが。
>>32 それはやっぱり、幕末にも活躍しているからじゃないか?
38 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:18:00
勢力の多寡は関係ないだろう。大きいところが強かったっていうだけで。原因と結果が逆だろ
39 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:21:26
36の意見には禿同
昌幸ももう少しメジャーになってたかも
40 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:24:13
結局昌幸は家康と直接戦ってないだろう。ほんとに戦ったらどう考えても家康が勝つだろ
41 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:24:54
禿同
42 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:26:10
43 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:35:03
せめて上杉くらいのでかさがあればなあ
44 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:38:27
真田の諜報能力はCIA以上
45 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:39:01
でも昌幸の遺志を継いだのが幸村だから
もしかすると家康と戦ってもいい線いったかも・・・
46 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:39:35
真田家は衛星を持っていた
47 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:40:58
>45
幸村は実際そんなにすごくないよ。あれは誇張されすぎ
昌幸は一城を守り抜く程度の軍略
家康は天下を経営する戦略
49 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:42:25
確かに。へたしたら信幸の方が良かったんじゃねえ?
50 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:43:38
信州松代藩最後の藩主・真田幸民は、宇和島藩主・伊達宗城の子だな。
51 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:44:20
>48
だから場所とタイミングがまずかったんだよ。家康なんか信長に守られてただけじゃねえか
52 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:44:48
そんなことない 徳川の史記(名前わすれた)にも
真田の軍略古今無双みたいなこと書かれてる
家康は幸村を認めていた
昌幸も認めていた
53 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:46:42
信幸は名君なのは認めるが
戦人(いくさびと)ではないな・・・
54 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:49:43
忠勝に認められてるのに?
55 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:52:26
>52
それは昌幸の子だから認めてたんじゃない?昌幸も認めただけで、自分より凄いなんて言ってないでしょ
56 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:53:03
忠勝は娘婿だから認めて当然では?
57 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:54:13
認めたから結婚させたんだろ?
ドラマでは、小松殿が信幸に惚れてしまう訳だが。
実際は、家康が真田を取り込む為の政略婚でしょ。
59 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:58:29
55さんは名古屋の方か?
アンチ家康なんで 私
すいません
60 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 12:59:41
当たり障りのない信幸を家康が選んだという説
61 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:01:43
名古屋なんかじゃねーよ。昌幸の方が凄いって言ってるだけだよ
62 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:03:21
じゃあ 昌幸はすごくて幸村はすごくないと?
63 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:04:08
誇張されすぎだと言ってるんだ
64 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:04:45
見てきたんかい?
65 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:05:31
そっちもな
66 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:06:10
おお お互い様か
まいったな
67 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:08:41
>51
信玄にもボロカスにやられてるしな
68 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:08:52
真田って名前でどうしてもあつくなんだな
すまんのう
家を残した信之
名を残した信繁
70 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:10:25
名前残した方がロマンがあって共感もてる
まあ ロマンで飯は食えんけど・・・
71 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:11:49
命を惜しむな、名を惜しめ
72 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:13:36
戦国武将の鏡です 昌幸 幸村
73 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:14:12
せめて勝頼が天目山方面に向かう時に
袂を別れる昌幸に後継者の信勝を託しておれば…。
勝頼が死んでも息子の信勝が生きて昌幸がその筆頭家老に
なれば…。自己中心の武田一門も殆ど死んでるし。
課題があるとすれば、江尻城主の穴山梅雪の存在かな。
74 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:15:18
いや、あいつはなんもできんだろ
75 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:16:37
真田家は小説で良く書かれすぎなんだよ
76 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:17:55
そんなこと ないぞ
徳川賛美か?
77 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:17:55
加藤清正と同じで
78 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:18:32
猿の飼い犬と一緒にすんな
79 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:19:02
虎だよ
80 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:20:44
いいや 犬だ!
81 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:21:36
あかぞなえって直正が本物なの?
82 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:23:35
>78
禿同。結局は裏切り者だしね
武田が本物。
井伊のはパクリ。
もちろん真田のもパクリ。
84 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:24:59
>83
なるほど。ありがとうございます。
85 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:28:56
元は武田の武将なんだからパクリとはいえんだろ
86 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:30:08
昌幸、吉継、かねつぐ。この三人だろ
87 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:31:21
>>83 井伊のはパクりとは言わんだろ。
武田遺臣を継いでいるんだから。
88 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:31:29
でも家が違うんだからパクリだろ
もとは武田の誰が赤いの?
90 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:33:24
六文銭が一番かっこいい
91 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:34:34
ばば
92 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:40:55
93 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:42:35
94 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:43:35
家康に勝ったんじゃなくて鳥居元忠に勝ったんでしょ
95 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:44:58
でも幸村は家康の馬廻衆を蹴散らした
96 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:45:33
>93
武田家のものであって家来のものではないでしょ
97 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:46:09
>95
奇襲じゃん
98 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:50:53
奇襲は日本人のもっとも得意でもっとも好きな戦術
99 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:50:59
>97
幸村に家康とガチンコで戦えと?
100 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:53:32
兵力が同じならどっちがかってたかなあ?
101 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:54:21
幸村に決まってんでしょ!
102 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:54:47
むしろ一騎射ちならチャンス
103 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:54:48
でも 政治は別の人に
104 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:55:07
まぁ、何にしてもパクリじゃねぇよ
105 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:55:20
信幸でお願いします
106 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:57:07
やっぱり 昌幸より幸村がメジャーですね
107 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 13:58:17
大阪の陣が効いたね
108 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 14:00:18
しかも十勇士が付いてくるし。
109 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 14:00:51
家康がもっと早く死んでたらなあ
110 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 14:03:22
昌幸のスレタイでもどうしても幸村
111 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 14:04:07
非常にゆゆしき問題
112 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 14:04:16
そのとおり もすこし早く家康死ねば
歴史が大きく変わってたかも
113 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 14:07:06
みかたがはらで死んでりゃ良かったのに
114 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 14:15:25
そうですな 信玄公に屠ってもらえれば
家康ももう少し人気が出たかも・・・
115 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 14:18:07
馬鹿だなあ、
家康は関が原で忍者に殺されたの。
あとは全部影武者だって。
影武者で幕府ひらいちまんだぜ。
116 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 14:19:47
見たんかい?
117 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 14:22:43
家康影武者説
光秀天海説
あほくさっ!
118 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 14:33:33
昌幸ではやはり伸びないなあ
119 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 14:41:50
120 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 14:45:50
一部は史実として残ってる
創作オンリーではない
121 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 14:58:40
>1 もっと頑張れ!
122 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 15:06:48
長男に裏切られたから
123 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 15:09:06
>>120 でも、十勇士のひとりである猿飛佐助は創造の人物じゃないか。
124 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 15:11:00
猿飛佐助だけで判断すな!
125 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 15:22:35
実は幸村が長男だという説
126 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 15:30:41
>>123 三好青海入道の活躍も、佐助と同じく、立川文庫による創作。
127 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 15:33:00
結局 昌幸スレタイでも十勇士の話
真田十勇士自体が立川文庫(明治だぞ?)の創作なのに、なにが史実で残ってるんだ!?
129 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 18:29:46
幸村は家康と戦ったわけだが、あきらかに戦力差があり、話にボリュームがでなかったから十勇士を創作したとしても、逆にいえばそんな状況の中恩ある豊臣側につき家康に一矢報いた。それだけでもすごくね?
130 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 20:03:59
>>130 大正元年ですね・・・orz
もしかして史実で残ってるとは真田三代記の事かな?
132 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 20:55:07
太閤さまは、何で昌幸を気に入ったの?
134 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 22:14:06
有能だから
135 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 22:57:52
実在するモデルがいるからって話でしょ。
メジャーかどうかは別として、上杉、北条、徳川と合戦して負けていない
んだから有能ではあったんじゃないか?
負けた名胡桃城の件は、北条攻めの口実を与えるための戦略だったのだし。
それ以外では3大勢力の狭間で表裏を繰り返しながら単独で撃退を続け、
版図を守っていたでしょ。
幸村にしても真田丸攻防戦や徳川本陣突撃等の事実らしきことを題材に
脚色されるだけのカリスマ性があったってことでは?
それが小説だからって話で終わってしまえば、忠臣蔵とかどうなのよ
136 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 23:27:56
>>135 モデルが一人とは限らん。
また、脚色されるのにカリスマ性はいらん。脚色した人間が、単なる真田好きだっただけの話。
137 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 23:35:38
>>136 モデルになったとされる人物はそれぞれにいるけど?
カリスマ性は必要ないって…
カリスマ性のない人物を描いても大勢の人が読むわけがない
138 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 01:13:06
大坂城の真田丸は
最強の作戦だろ?
ろう城作戦で
出戦だし。
140 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 01:49:31
>>138 何でもかんでも否定するだけのおまいさんに言われても説得力全然ないの
わかってる?
141 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 01:53:27
142 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 14:47:30
昌幸スレで十勇士ネタ喧嘩
面白いね
143 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 17:45:35
秀吉は昌幸を気に入ったのか?訳のわからない恐ろしい奴だと思ったんじゃないのか?
144 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 18:04:36
気に入ってないなら幸村はもらわんだろ
スレタイで「真田昌幸」と書いてあるにも関わらず「真田幸村」で喧々囂々
ということは、父ちゃんは語るほどの人物じゃないのかえ?
ん?
秀吉は昌幸気に入ってたよ。容姿が自分と似てたから。
どっちもチンチクリンでシワクチャ顔。
沼田城を北条に返還する際、隣接していた名胡桃城は
「真田の祖先が奉られてる」なんて屁理屈で、真田領のままとした。
それ位気にいられてた。
尤も、これは北条を嵌める罠だっただけかもしれないが。
147 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 22:19:16
真田昌幸は早くから秀吉に接近していた割に沼田返還以外に土地を与えて
もらってなくない?
それを考えると黒田如水同様恐れられていた可能性もありそうだ
使えそうだから傍に置いておきたがるが大きな領地は与えない
そういうとこは信長と秀吉の差でもあるな
148 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 22:52:00
>>1 まず第一次上田城の戦いは家康は参陣してない。勿論、第二次もそうだが。
関ヶ原の秀忠遅参の件は第二次上田城の闘いで真田の遅延工作に引っかかったというより
悪天候と準備不足と使者の遅れが主因。
むしろ上田城攻めたのはなにもしないわけにはいかない。といった理由からだ。
ようするにどうでも良い闘いだった。
149 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 23:00:30
>>36 >>39 >>73 真田は武田滅亡の時に織田と北条に連絡を取るほど狡猾。
もしも勝頼が真田を頼ってたら昌幸は小山田と同じことをしてたろう。
あと信勝にしろ信長が許すとは思えんし、
昌幸はお家の存続のために信長に差し出してたろ。
万が一守ろうとしたところで巨大勢力、織田に攻められて真田アポンだろう。
そもそも真田=忠義なんてのは大阪の陣の信繁からきたウソ。
そもそも真田家は信玄の代になって大勢力の武田に仕えたのだし、
自分の家を滅ぼしてまで武田を守らなくてはいけない義理はない。
そもそも真田昌幸は武田滅亡後、織田、上杉、豊臣など目まぐるしく従属勢力を変えている。
150 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 23:02:15
>>139 真田丸を考えたのは後藤又兵衛という説の方が有力。
151 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 23:08:26
>>123-128 猿飛はまったくの架空の人物。
あとの連中も家臣にモデルになったとされる人物はいるものの、ほとんどウソ。
三好清海と三好伊三に至っては家臣ですらなく、大阪の陣に出陣した三好政康と政勝だし。
>>149 武田家では、版図辺境の武将が隣接する勢力と好を通じるのは許可されている。
おそらく他家も同様であったと思う。でないと外交上不味いだろが。
で、昌幸だが真田に復姓後、亡兄を継いで西上野攻略司令官として上州岩櫃に在城。
領地の隣接勢力、後北条氏の上野方面司令官である北条氏那と当然通じているんだよ。
153 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 00:11:57
>>148 確か山岡小説では徳川家を温存するため秀忠に三河軍団の大部分を
統轄させたと聞いた。
じゃあ決して美化・美談ってわけではないのな。
154 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 00:12:08
>149
織田→豊臣→徳川って変わるのは当時あのへんにいたところはみんなそうじゃない?天下とったorとりそうな勢いだった所だし。義理がないと言うほどのことじゃないんじゃ?上杉と組んで織田と戦えと?おもしろそうだけど、賢い選択じゃないよね。
155 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 00:13:41
↑ごめん、上杉にも従属してたね
156 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 00:41:25
単なる地方の小豪族だからだろ。
由良(横瀬)の片手間仕事で沼田領有危機。
沼田平八郎は沼田奪還目前に昌幸のエグイ謀略で死亡。
不思議なのは徳川相手だと凄いのに上野の小豪族相手には苦戦。
対徳川は、なにか有るな・・・
157 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 10:55:13
158 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 18:30:10
夏の陣での幸村の活躍は誇張されすぎと誰か言ってたけど、
実際にはどれぐらい活躍してたの?何かテレビで観た事あるんだけど、
真田軍の襲撃で家康が死んでしまったという説があったような気がする。
やっぱり相当激しい攻撃をかけていたことは確かなんだろうか?
159 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 18:34:05
>>158 大御所による「真田丸攻撃禁止」や、真田丸攻撃で関東方が大敗したのは、
事実なんだろうから、それほど誇張じゃないんじゃないかな?
夏の陣で大御所の本陣が総崩れになったのも事実だと思うし。
160 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 18:43:07
これだけ皆に語られる存在の真田家はメジャーですね
まあ 昌幸より幸村 信幸のほうが有名だからなんだろうけど・・・
スレタイが失敗だったかも
161 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 22:24:56
有能かどうかは分からないけれど、自分の領土を取られてないから、
馬鹿でもなさそう。
162 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 22:30:03
真田家単体ではあの時代どうすることも出来なかったんだから
仕方ないな
でも その地方の小さい真田家が徳川に一泡ふかせたんだから
日本人の嗜好にあってるんだろうな 真田家
なんとなくだけど六文銭てかっこいいよね
164 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 23:17:20
↑
前も言ってなかった?
確かに格好いいけどね
知将>幸隆
策士>昌幸
名君>信幸
匹夫>信繁
166 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 23:27:38
匹夫は捨ておけん!
智将>幸村
167 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 00:01:38
真田家の歴史認識をいびつにした最大の要因は
多分「鉄砲」だと思う。
長篠の戦い → 見えない壁 → 真田丸の攻防戦
168 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 00:13:04
真田十勇士が元凶なのでは?
真田十勇士はあくまでも創作なんで
その創作が歴史認識をおかしくさせていると思います
昌幸 幸村に関しては資料が乏しいのが現実ではないかと・・・
>>168 真田10勇士は知らないけど、真田幸村は知ってるっていう人意外と多いぞ。
170 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 00:54:02
それは 戦国無双(PS2)のやりすぎな学生さんでしょ?
真田昌幸ってあれだろ
100分の1の兵しか率いてない小娘や
篭城した義理の娘に撃退されたヘボ武将の事だろ?
172 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 18:55:11
ヘボではなくてあれは優しさですよ!
自分の孫は攻めれんでしょ!
昌幸と一緒に信玄の目て言われた人て武田滅亡後どうなったの?
174 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 21:39:10
173さん
すいません 意味わかんないです
曽根匠のことか?
176 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 22:02:07
ようやく意味解った!
>>173 曽根昌世さんですね。
武田家滅亡後は、徳川に拾われる。
後、蒲生氏郷に仕えて会津若松城の縄張りに携わる。
ぐらい知らんわ。
179 :
osaru:2005/04/20(水) 09:15:55
沼田平八郎を甘言で騙し、謀殺して、沼田城を奪い、自分の城にして、弟を入れる。
岩櫃城の留守番していた武田家臣の海野能登守をだまし討ちにして城奪う。
こんな悪いやつはいない。「まぼろしの城」「真田軍記」よんだかね。
宇喜田直家と同じ性質の人物だ。
頼もしいね
181 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 22:53:25
真田家と立花家がもし50万石あったのなら・・・
183 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 01:16:24
>>182 だよなあ。
昌幸が西軍についた動機も周りは東軍ばかりで勝ってもたいして利益が少ないという目的だし、
幸村がなにを言おうが命令して東軍につかせれば良いんだし。
184 :
日本@名無史さん:2005/04/21(木) 01:52:01
>>182 183
関が原の前ではどう
信長死んだくらいの時期
>>184 信長死んだ時50万石?
甲斐あたりに火事場泥棒するんじゃない?
186 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 19:43:51
50万石あったら確実に天下取りに行ってるだろ。ふつうに考えて
187 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 19:47:21
六文銭っていうのは三途の川を渡るときの船代なんだよ。つまりいつ死んでもいいという心構え
188 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 19:49:13
>>179 善いことしたってどうにもならないよ?人殺すこと自体悪いことだし、善い人なんていないから
189 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 19:51:14
↑今の価値観で語るな。戦うために生まれてきたんだぞ
190 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 19:53:47
戦国時代だっていうことわかってる?
>>186 50万石じゃきつくないか?
回りはもっとでかい国ばっかだし
小さかったから生き残れたみたいな部分もあるだろうしね
すぐIF話しはじめるのは厨の証拠
史板じゃなく三戦板へ帰れ
195 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 11:02:31
>>193 IFの話をしない史学家なんて存在しない。
196 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 15:52:24 BE:76869465-
>187
そうなんですか?w
197 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 17:16:38
しっかし真田家ってよく大名として生き延びたよなぁ。徳川家に睨まれまくりだったろうに。
198 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 17:20:35
>>188 人の事言う前にお前が人や動物、または環境を殺してんだよ。
直接でもなくてもな。
それがわかったら即身仏のように死んでくれ。
199 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 18:05:15
200 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 18:51:40
昌幸は家康には勝ってない。
家来や息子に勝っただけ。
以上!
202 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 19:51:50
家康は昌幸を畏怖し、大阪の陣では既に死去してるにも関わらず「親の方か子の方か」と怯えたと言われる。
203 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 22:04:10
>>200 一騎打ちで勝たなきゃ勝ったことにはならないの?
だとしたら、織田信長も武田信玄に勝ったことはないね。
>>199 何宗と言うより仏教自体の考えらしいよ
六道と縁を切るって考えが元らしい
205 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 23:49:09
206 :
日本@名無史さん:2005/04/25(月) 16:26:25
>>186 天下取りって戦国ゲームじゃないんだぞ。
50万石くらいなら周りに上杉、北条、徳川と大きな大名がうようよしてるし
徳川ですら最終的には膝を折った豊臣も出てくるしで、
真田昌幸が優れてたくらいで真田の天下の目なんてない。
207 :
日本@名無史さん:2005/04/25(月) 17:17:11
>>1 武田信玄に二度も勝った村上義清とか、信玄を子供扱いにした名将長野業正なんて戦国オタか研究者しか知らんぞ。
双葉山は59連勝したが、その双葉山に土をつけた力士などほとんどの人は知らんし。
貴乃花の最後の一番の力士など忘れた。
金星なんてのは対戦相手が偉いのであって、
金星を取った人間など当時としては話題性はあってもすぐに忘れてしまう程度の人物にすぎん。
横綱に金星とった人間など、ただの一発屋。過大評価すべきではない。
208 :
日本@名無史さん:2005/04/25(月) 17:59:39
>>207 歴史小説を頻繁に読む人で村上義清、長野業正、真田昌幸あたりを
知らない人はいないでしょ
業正が名将かどうかの判断はここでは置いておこう
まぁ業正よりもその配下にあった上泉信綱の方がメジャーではある
ただ教科書レベルの人達は日本史に大きな影響を与えた人物のみ
教えられて知っているため天下人3人(信長含)の知名度程ではない
というだけのこと
210 :
207:2005/04/25(月) 19:15:36
>>208 俺は
>>1の質問にストレートに答えただけだよ。
人は横綱の名前は覚えていても、横綱から金星を上げただけの小物力士の名などすぐに忘れると。
211 :
日本@名無史さん:2005/04/25(月) 20:05:49
>>209 三途の川を、生前に善行を施した者は橋を、普通の者は浅瀬を、悪行をした者は深い場所を渡ると聞いたことがある。
ちなみに、極善者と極悪者は三途の川を渡らないとか。
212 :
日本@名無史さん:2005/04/25(月) 20:06:16
>>210 >横綱から金星を上げただけの小物力士
例えにツッコミを入れるのはどうかと思うが、一応本人の名誉のために言わせてもらおう。
昭和14年1月場所4日目に、双葉山定次の70連勝を阻んだ安芸ノ海節男は第37代横綱(双葉山は第35代横綱)で、幕内勝率7割6厘、横綱勝率6割6分7厘、優勝1回と、決して小物力士ではない。
解説者として、79年に心不全で他界するまで、相撲放送に出演していたから、無名でもない。
214 :
日本@名無史さん:2005/04/25(月) 23:52:12
>>212 双葉山や彼の69連勝を知っている人はいても、
その安芸の海とやらいう力士をどれだけ知っている人がいるって言うんだよ。
相撲ファンなら知っているかもしれないが。
215 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 00:01:16
相撲の話は終了しようぜ
216 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 00:39:29
どっちにしろ真田昌幸の存在が歴史に影響を与えたわけでもないので傍流の存在でしかないだろう。
第二次上田城で秀忠を遅参させた(本当の主因は悪天候らしいが)のも結局は大勢に影響を与えなかったし、
むしろ真田幸村の方が遥かにメジャーだが、彼ですら何か歴史を変えるような事をできたわけでもないし、
彼が家康の首でも取ってれば別だが。
217 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 00:41:05
サナダ虫として名前を残したからいいじゃん
>>217 サナダ虫って真田家となんか関係あるのか?
良かったら解説してくれ。
219 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 01:17:07
>>214 安芸ノ海は結構有名。
そもそも、いまの若い人には双葉山じたい知られていない。
>>218 直接は関係ない。
真田虫は、その形が真田紐に似ていることから名付けられた。その真田紐は、天正年間に真田昌幸が初めてこの紐で刀の柄を巻いたことから名付けられた。
>>219 少なくとも俺は双葉山は知ってたが安芸ノ海は知らなかった。
試しに俺の親に双葉山の連勝記録止めた力士は?
と聞いてみたが「知らん、忘れた」という解答だった。
まあ「大横綱の名は覚えていても、その横綱に金星をつけた小物力士などすぐに忘れてしまう」
という文で俺の言いたい事はだいたいわかるだろ。
あんまり意味の薄い揚げ足を取り続けるのはディベートみたいなもんだぞ。
221 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 01:55:18
とくだらねぇクズが申しております。
終了
華麗に再開w
>>217-219 子供の頃に読んだ戦国豆知識系の本で
家康か秀忠の一人か、両方か忘れたけど寄生虫に苦しめられて
その苦しさと腹ただしさに昌幸を思い出して
「この腹虫は憎き真田のようだ。」→サナダムシの名前の由来。
ていうのはガセネタなの?
227 :
日本@名無史さん:2005/04/29(金) 13:07:50
北条のウジ虫め〜っ!
229 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 05:01:02
真田幸村で知られる真田家が領民に作らせていた真田紐に形状が似ているところから
230 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 06:21:06
小信玄