1 :
むすい:慶長410/04/01(金) 15:53:17
剣客についてあれやこれや、まったりのんびりと語らねいかい?
2 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 15:58:34
先ず、新撰組ではどうだろう?
個人的には服部武雄など結構強かったのではないかと思ってるのだが。
永倉新八とかは?
4 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 19:21:50
永倉新八も良いね。
神道無念流で龍尾の剣≠ニ言われた。
5 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:34:39
えっと、土佐のアレだ、、
えっと、、、
酔っ払って新撰組喧嘩売り、その相手が永倉・沖田・斉藤だったにもかかわらず
体格活かしていい勝負したと言う、剣術素人のアイツ。
6 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:07:10
緋村抜刀斎
8 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:35:49
天然理心流なんて
人の後ろか刺すか、集団で襲う卑怯剣術だろ
9 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:40:00
>>8 確かにそーゆー面もあるけどそれだけじゃあない。
二十数人いた池田屋にたった五、六人で踏み込んだんだぜ!
10 :
誘導:慶長410/04/01(金) 22:46:38
新選組総合スレか最強剣客スレで事足りるじゃん
ただでさえ今総合スレ復活させようとしてるんだからもう分散させるなよ
>>5 土佐の那須盛馬の事だろうか?
その新撰組と喧嘩した時に一緒だった十津川の中井庄五郎は
居合の達人で中々の使い手だった。
その時に受けた傷を自慢してたらしいね>土佐の奴
13 :
日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 16:26:47
>>5 どーやら那須盛馬の事のようだあね。
中井庄五郎もその当時は一目置かれる存在だったみたいね。
14 :
日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 16:41:26
雑魚の新選組関連秋田。あれはただの殺人者集団
戦国の話をしようよ。疋田文五郎とか。『剣の舞』カッコよかった
疋田豊五郎は柳生宗厳を子供扱いしてましたね。
しかも疋田は剣術だけでなく槍術でも一流を築いたらしいです。
16 :
5:慶長410年,2005/04/02(土) 23:46:26
17 :
日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 23:53:16
戦国時代ベスト10 vs 幕末ベスト10 で勝負するとだな
○○が圧勝だべ
18 :
日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 03:45:24
>>9 その時、天然理心流は近藤・沖田
藤堂・永倉は別だべ
それにどこまでがホントだか
19 :
鬼平:2005/04/04(月) 00:37:35
ワシと左馬ノ介のほうが強い
20 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 10:19:40
俺が独断と偏見と思いつきで考えた剣客十傑
戦国の十傑
塚原卜伝
上泉伊勢守
柳生石舟斎
柳生兵庫介
柳生十兵衛
小野次郎右衛門
宮本武蔵
富田勢源
伊藤一刀斎
林崎甚助
幕末の十傑
男谷精一郎
島田虎之助
榊原鍵吉
沖田総司
永倉新八
千葉周作
千葉栄次郎
斎藤弥九郎
高柳又四郎
寺田宗有
こんなんでどや?
21 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 19:08:23
流派についてかたろぜ
22 :
日本@名無しさん:2005/04/05(火) 19:45:38
柳生流は強かったんかいな?
23 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 21:04:23
人によりけり
神影流 心影流 ややこしね
24 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 21:07:22
北辰一刀流
神道無念流
鏡心明智流
天然理心流
柳剛流
無外流
これらは実践向きだと思うけど
胴払いなしの念流とかどうよ
25 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 10:19:33
>>22 柳生新陰流は強かったと思うよ。
少なくとも江戸の初期頃までは。
>>24 他に、一刀流中西派とか直心陰流、心形刀流なんかもつおかったとおもうな〜!
26 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 10:57:21
あと、実践向きという意味では示現流も外せないっしょ!
27 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 11:58:05
剣道をやってた者として言わせ貰うと流派ではなく使い手次第だと思います。例えば柳生の剣をやってれば最強と言う訳でもないし…。ただ剣道でも実戦的なのは念流かなぁと…。
28 :
剣客:2005/05/02(月) 15:49:04
「剣客」といふ言葉は、いつ頃からあるのでせうか。「客」は、どんな意味ですか。明治以前は、誰でも「剣」を持てたのですから。
また、「剣士」といふ言葉も、いつ頃からあるのでせうか。「士」は「さむらひ」ですから、武士は、いつも「剣」を持つてゐるはづですね。
刀が本當に實用の道具であつた時代、「あいつは、刀の使ひ手だ」程度の表現はあつたでせう。
「剣客」とか「剣士」は、いかにも、刀が實用品ではなくなつた時代の、物語の世界の、もの言ひではないかと感じます。
武芸者!!と言う徳川前期より戦国の尚武を前面に押し出していた頃が一番面白いと思います。竹刀などない実戦だから
生き残る者が強い事になる。既にいろんな流派が合ったようですが、種々な場面を想定しながら1対1・1対複数・槍や棒術
等にも対応できるよう、心身を鍛錬し、斬り覚えて自信をつける!達人・名人を倒して名を上げ、又自分が付け狙われる
心身の休まる事はなかったと思いますね。手強い相手には時には小刀を投げつける、ヘッドスライディングで足元を狙ったり
やはり運動神経や視力がいいものが勝つようですね。
30 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 18:37:49
>>29 僕も同意見です。江戸以降は剣術は剣技だけという感じですけど、それ以前の剣術は剣技だけではなく何でもあり!なのではないかと。古流剣術には剣の他に柔術やかなりエグい禁じ手等もあったとか、昔の人ほうが身体能力も高いだろうし。
31 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 19:02:46
普通に質問です
御子神典膳は小野善鬼を殺したのですか?
32 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 11:32:05
殺したんじゃなかったっけ。
33 :
日本@名無史さん:2005/06/28(火) 13:59:43
負けそうになって伝書もって逃げ出し、瓶の中に隠れてたのを瓶ごとばっさり・・・
34 :
日本@名無史さん:
幕末のころ?にはざっと500余流もの流派があったと聞きますが
誰か流儀名全て答えられる人いませんか。