332 :
田布施から帰ってきた。:
05年5月24日から27日にひさしぶりに田布施の麻郷にかえってきました。
(田布施のおじいちゃん92歳で周東病院に入院したため。無事退いんしたから
帰ってきたけど)(ただし記憶力だけは抜群!)
で、地家家の墓参りとおじさん(54歳死去)の供養のため地家の西円寺
にいって阿川さん(京大卒)に過去帳のコピーをもらいました。
大室近祐邸にいったよ。近祐の妻の静江さんはもうなくなったらしい。
それで近祐の妹大室ひさ子さん(95歳)にあってきたけどもう昔の事は言いたくないし
かかわりをもちたくないらしい。(奇兵隊の旗とか高杉の手紙とか処分した)
でも高松宮が2回きたっていってた。それにしても大室弘樹さんの若いときの写真
みたらあまりにも皇太子さまにそっくりでビックリしたよ。
で近祐さん2回憲兵につかまったんだって。
むかし(10年前なら)なら田布施のおじいちゃん大室天皇の話聞かせてといっただけで
ぶちきれて「そんなこと(大室天皇問題)調べるひまあったら勉強しろ!」ってどなりちらされてた
けど92になってだいぶやつれて穏和になってて俺が病室で戸籍謄本見せて「おじいちゃん戸籍では地家作蔵
の3男朝平(俺の高祖父)って書いてるけど作蔵の長男と次男のしたの名前教えて」といったら
333 :
田布施から帰ってきた。:2005/05/28(土) 13:33:03
332の続き
290の続き
じいちゃんが長男(地家寅吉のちの大室寅之祐)はかぞえ6歳の時(1855年1月頃)大室家の養子
にいって大室(寅之祐)天皇になって明治天皇になった。」とブッチャけるから
もうオヤジもいと子もおばあちゃんもいきなり大叔父が明治天皇になったと初めてカミングアウト
されてももう突然の事で大笑いするしかなくて・・・
(あまりにも明治天皇が偉大すぎてそんなこと急にいわれても・・・)
でおじいちゃん言うには明治天皇の写真が1枚しか残ってないのは真実らしい。
なぜなら天皇のすりかえが国民にばれたら困るからだって。
鹿島昇が言うとおり明治20年田布施に女官連れてきたのも事実。
俺の予測したとおりのことおじいちゃんが言ってくれたけどようは麻郷の地家の西円寺
に柳原愛子がきたのは明治天皇の父作蔵の葬式に来たためで明治天皇の父作蔵の痕跡を
消すために作蔵の位牌を柳原愛子が東京にもちかえったんだって。
東京に帰る途中で某女官がよけいなこと(大室天皇について)告げ口
したから愛子がその女官を刀で切り殺したんだって。
(その墓は麻郷の三宅にのこってる)
334 :
田布施から帰ってきた。:2005/05/28(土) 13:47:04
で結局神武天皇以来の2600年125代の歴史だの明治天皇が南朝光良親王から
500年大室家24代目大室寅之祐だのもうウソというかわからなくなるんだよ。
結局、血統先祖を間違いなく真実の歴史だと断定できるのは5代前まで。
「歴史は5代151年で作られる」という法則があって口承ではおじいちゃんが
そのまたおじいちゃんの歴史を語るのが精一杯と言う事。大室家がタブーで
大室近祐の妹が奇兵隊の旗を焼いたり高杉晋作や伊藤博文の手紙を焼いたりして
るから5代でもうわからなくなってしまう。だから日本の歴史なんて孝明天皇が
即位して徳川斉昭が慶喜を作ったごろ(150年くらい前)の歴史がやっとだと言う事。
斉昭の「大日本史」あたりが日本の歴史の始まりでショウ。
と言う事は歴史を作る人間が天皇になれると言う事。斉昭の大日本史と明治天皇のじだいに
作られた皇国史観の混合が今の歴史。あとは文献に頼るしかないけどどこまでが本当かわからない。
いまでも歴史のタブーがあるけど昔はもっと権力者が強いから足利義満がもし
鹿島昇みたいな本当の事を書く歴史家がいたらその歴史家は惨殺されてたと思う。
足利義満なんて古事記を10数箇所改竄したそうだしね。