1 :
日本@名無史さん:
請西藩藩主で遊撃隊に加わった林忠崇のスレ
2 :
日本@名無史さん:05/03/09 18:47:21
2ゲット!! m9( ̄ー ̄)
3 :
日本@名無史さん:05/03/09 22:29:38
ただみねって読むのか?
4 :
日本@名無史さん:05/03/09 22:48:07
通称一文字大名もしくは脱藩大名
5 :
日本@名無史さん:05/03/09 22:58:04
てーか幕末で実戦に参加した大名ってこの人だけ?
ちなみに幕末のドサクサで家督は継いだものの叙任されてませんので官位は無し
守名乗りもなく名前だけとなっております。
6 :
日本@名無史さん:05/03/10 00:11:46
天保の三奸人といわれた林肥後守忠英の関係者?
7 :
日本@名無史さん:05/03/10 12:55:36
いつのまにラビット林のスレが・・・
>>1 ありがとう。
8 :
日本@名無史さん:05/03/10 13:00:01
9 :
日本@名無史さん:05/03/10 13:02:15
>>2 林スレでは「1」の字以外意味はありません。
>>3 「ただたか」だったかと
>>4 ラスト・ダイミョウ
>>5 殿様が自ら実戦参加するってのもどうかとは思いますが(笑)
あとで爵位貰ったからいいんです。かなり後ですけど・・・。
>>6 孫に該当します。
三河以来・・・というか三河以前からの譜代ですけど、
忠英までが大身旗本で7000石
忠英の代にいろいろごにょごにょ・・・してくれてやっと一万石余の大名になりました。
10 :
日本@名無史さん:05/03/10 13:05:26
>>8 忠英の決起後、保守派家臣が立てた後継者って、
3代目の息子でしたっけ?
大名未分では宍戸藩主も実戦に参加した。こっちは戦う意志は無かったが成り行きで戦うはめになり、
その上死罪で改易。もっとも維新後に復易したが。
12 :
日本@名無史さん:05/03/11 15:03:32
>>11 林忠崇は、負け戦の時に一晩山を彷徨い、
非常食を食べて生き延びた。
というぐらいの正真正銘の”実戦参加”です(笑)
殿様身分で指揮を執って、というぐらいのものではありません。
13 :
日本@名無史さん:05/03/11 18:13:43
バカ殿age
積極的に戦闘に参加し改易されたが本人は生き延びた鯉西と、
やむを得ず戦闘に入り本人は死罪にされたが御家は復易した宍戸は
政治信条もまた対照的なのは偶然なのだろうか。
15 :
日本@名無史さん:05/03/12 12:42:10
16 :
日本@名無史さん:05/03/21 03:20:41
レストマッター
17 :
日本@名無史さん:05/03/21 03:29:00
>殿様が自ら実戦参加するってのもどうかとは思いますが(笑)
>あとで爵位貰ったからいいんです。かなり後ですけど・・・。
厳密にいうと本人は叙爵されてはいないという罠。
いわゆる無爵華族のはず。
18 :
日本@名無史さん:2005/03/21 03:47:24(月)
>>17 林家は明治26年に男爵に叙せられていますが、
忠崇は戊辰戦争に参加する直前に忠弘に家督を譲っており、
叙爵したのは忠弘で、忠崇は前戸主の身分でした。
19 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 05:26:49
>>5 ほかにも水野某っていう大名が上野の彰義隊に参加してるよ
21 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 09:11:55
22 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 20:55:12
>>17-18 それは言わずもがな、なので突っ込むところじゃないと思うよ。
>>21 ええっとその人、御家騒動の行きがかり上、彰義隊に参加してしまって、
上野戦争の前日に脱走してませんでしたっけ?
二本松丹羽からの養子だったと思うのですが・・・
23 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 12:06:18
保守
24 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 22:06:28
林だあ?
小田原藩が、目に物みせてくれるわ。
25 :
日本@名無史さん:2005/05/08(日) 00:38:25
いちばん根性なしだった小田原藩か・・・
いまさら、何の用だ?
>>5 近藤が万石貰って大名になってる。すぐ捕まって首切られたけど。
27 :
大久保加賀守:2005/05/08(日) 07:33:10
箱根荻野藩に偵察させたが、官軍は予想外に強いため、さっさと幸福しました
林は興味があるのだが、中村彰彦がかなり捏造してしまったから
実像が見えにくい。
29 :
日本@名無史さん:2005/05/09(月) 15:25:31
捏造するほどのものでもなく
あれ以上もなく、あれ以下もなし
31 :
日本@名無史:2005/05/10(火) 00:22:46
>>25 山中荻野藩だろ
山中、今の厚木市のあたりにあった。
陣屋が薩摩の焼き討ちにあってるよな。
32 :
日本@名無史さん:2005/05/15(日) 00:54:45
>>25が、右往左往してた、バカがリンちゃんなんだろ。
33 :
日本@名無史さん:2005/05/15(日) 01:35:53
34 :
日本@名無史さん:2005/05/15(日) 01:49:26
林家の当主は今でも、正月に兎肉を徳川宗家に献上してるのか?
35 :
日本@名無史さん:2005/06/02(木) 18:10:23
けっこうイケメン
36 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 09:06:10
>>34 忠崇が日光東照宮で神職だった頃、
「正月に神前に兎を供える」という行事が”新設された”らしいです。
(それまでの東照宮年中行事には未確認とのこと)
つまり、忠崇が林家の「徳川家に兎献上」という行事を
「東照宮で家康に対して行う」ようにさせたらしいのです。
なので、行事自体は形を変えて現在も存続してる、と言えるのでは?
そもそも林家の当主、どこいったかわからんです・・・
明治の情勢や、殿様の最後の暮らしぶりからして
かなり庶民ではないかと推測されますwww
>>35 伊庭に悪いっすよ
林家を相続した忠崇の弟血筋の旧林男爵家ご当主ならいらっさるじゃん。
青松寺のお墓を守ってるよ、行方不明なんて失礼な。
で、なんで林の殿さんをイケメンと言うと伊庭に悪いのか疑問www
38 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 10:00:38
>>37 あーごめん、「俺の中で行方不明(つまりよく知らない)」でした。
情報ありがとうざんす。
忠崇の顔と比べると、そりゃ伊庭君の顔がry
吉本芸人みたいで
あんたの理屈でいうと、出版的に登場しないご子孫の人々
自分がよく知らない人=行方不明かよ。
一般的にそりゃそうだろうな
物知り自慢はさておき
ryが全然意味をなしてないのがミソなんだよ
42 :
日本@名無史さん:
釣れるのもミソでして