昔、知り合いに坂本龍馬の手紙というのを見せてもらったことがある。
まだ世の中に出ていなくて数千万の値段がつくとか言っていた。
内容は土佐の実家に宛てに金がいるとかなんとからしい
そんな在野に埋もれている面白い物について教えてください
2 :
日本@名無史さん:05/03/04 18:35:02
>数千万の値段がつく
つかね〜よ、ば〜か
♪うちの応挙はよい応挙
『岩水寺産石灰を原料とした肥料の効能』
図書館で見つけた戦前の肥料会社のパンフレット
5 :
日本@名無史さん:05/03/11 02:49:48
新潟の地震の時に、旧家の蔵の物を守ろうと自治体が保管を申し出た時にも
未発見の歴史資料価値のあるものが何個か出てきたっていうからね
ちゃんと整理してみればまだまだいっぱい出てきてもいいと思う。
6 :
日本@名無史さん:05/03/11 10:51:22
昭和天皇の日記
7 :
日本@名無史さん:05/03/11 11:38:52
>未発見の歴史資料価値のあるものが
どうなんだろうね。
いずれにしても所蔵者の方には是非公開してもらって、
厳正な史料批判に晒してから世に出回って欲しいもんだわ。
「武功夜話」のように版元主導でネタ系てんこ盛りのまま出回ったもん勝ち、
信長の真実の姿がここに!超一級史料登場!とさんざん萌えまくった後で、
なんか偽書っぽいんですが・・・の萎え〜な展開の二の舞は勘弁だわな。
8 :
日本@名無史さん:05/03/11 11:56:36
西園寺公望のカルテ
9 :
日本@名無史さん:05/03/11 16:44:44
道端のゴミ集積所で古文書みたいな和綴じの書物を見つけたのですかさず拾っておいた。
草書は読めないので断定できないが、おそらく江戸時代の物のようだ。
何かの帳簿みたいだが、史料として貴重な価値があるのかどうかも分からない。
10 :
日本@名無史さん:05/03/11 16:52:29
泉重千代回想録
11 :
日本@名無史さん:05/03/11 23:44:00
なぜ日本には本物のストライカーが出て来ないのか?
12 :
日本@名無史さん:05/03/12 01:12:47
歴史ある名家には沢山ありそう。
13 :
日本@名無史さん:05/03/13 12:45:12
静岡の親戚の家に武田勝頼からの手紙があるぞ
あと鎧とか陣笠とかそんなの
家には祖父の遺品に軍人手帳やら支那方面での写真や勲章(等級は低い)やちょっとした公文書
なんかがあって、今でもちょっと貴重な資料になるものがある。
100年後、200年後にはきっと貴重なものになるであろうから、
いづれ公開する日に備え、とりあえず後50年は自分が厳重に保管しうと思う。
15 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 00:02:30
uho
16 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 00:31:26
>軍人手帳やら支那方面での写真や勲章(等級は低い)や
>ちょっとした公文書なんかがあって、今でもちょっと貴重な資料になる
げええ、何一つ「貴重な」「資料」がないいい。
大事に一生ゴミ抱えて生きてくれい。
17 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 09:51:40
儀式に使ったと思われる疑似米がたくさん家にあるよ
18 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 10:52:44
>>14>>16 今の時点では貴重な資料ではないかな。でも、持ち続けてください。
「いつでもその辺にある」モノほど、気づいた時には希少になっています。
「ちょっとした公文書」が気になります。角度によっては化ける可能性も。
19 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 12:30:03
>>16 例え
>>14の持っている品々が千年経た後の世でも貴重な資料にならなくとも、少なくともゴミではないだろ。
そんな発言をして、
>>14の亡くなられた祖父に申し訳ないと思わないのかね?
20 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 13:11:33
俺の家に大勲位菊花大綬章があるけど何か?
部落地名総鑑
22 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 22:09:55
馬賊の首
23 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 22:28:11
朝鮮の日帝が焼いたとされる膨大な絵本。
24 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:47:50
25 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 14:47:58
うちの先祖のラブレターらしきもの。
歴史的価値なんかないな
27 :
日本@名無史さん:2005/05/27(金) 02:58:06
いつごろのもの?
28 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 18:47:36
しらんの
29 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 06:31:41
かなりマイナーだが菊地義武が使用したとされる鎧と菊地義武が兄に送ったとされる書状と菊地義武以後の菊地のカケイズみたいなの
30 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 22:59:49
>>2 鑑定団に出た信長書状は右筆のものなのに数千万いってたような。
32 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 16:55:00
マジ?
書かれた時期やあて先や書状の内容や保存状態なんぞによって変動するんじゃね?
龍馬だったら人気も高いし、保存状態さえよければ一千万は無茶な数字では無かろう
とある襖修理する業者が、襖の修理を受けたところ
襖の中から坂本竜馬の手紙を発見し、討ったところ500万とあいなりました
36 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 19:55:43
沖田がお漏らしした褌
38 :
日本@名無史さん:2005/09/04(日) 23:30:18
39 :
日本@名無史さん:2005/10/06(木) 00:39:47
ウホ
40 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 22:47:57
41 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 00:57:47
42 :
31:2005/11/15(火) 00:00:09
1200万の間違いだったらしいです。てことで訂正age
43 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 00:55:39
「世に出ていない」というわけでも無いし真実かどうかも定かでは無いんだけど‥‥
それは著者の太平洋戦争時に戦闘機部隊に所属していた頃の話を記録した小説のある一節の話。
戦争末期にもなってきて戦地を移動する事態となり、戦闘機「隼」に搭乗して目的地に向かった著者。
その経由地点である東南アジアのとある飛行場に立ち寄って、飛行場付近を仲間とぶらぶらしてたときに
ある意外な人物に出会った。
敷島隊隊長として最初に特攻を遂げたはずの関大尉である。
関大尉曰く「敵艦に飛び込む際に、爆撃の要領でつい反射的に爆弾のみを敵艦スレスレで切り離してしまった。」
とのこと。
続いて「俺はもう世間じゃ死んだことになってるから何処かで果てることにするよ。」
と言って去ってしまった‥‥‥
って書いてあったんだけどどーなんだろう?何処で調べても関大尉が生き残っていたなんて
書いてあるとこも無いし‥‥‥
って手元にその小説が無いから細かい描写がかなり曖昧でスマソ。
小説のタイトルは確か「隼のつばさ」だったはず。誰か詳細分かる人いないかな?
44 :
日本@名無史さん:2005/12/10(土) 01:22:33
W
sage
46 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 19:49:55
加藤清正の墳墓( と言うか骨壺 )
47 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 13:39:41
age
48 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 13:58:01
竜馬の書簡が数千万円もするってほんまか?
ほ
50 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 09:08:24
ほんまや
51 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 07:31:06
俺が小学生のとき田舎で発掘した、磨製石器と弥生式土器。
昔は、近所の畑でいっぱい出てきたけど発掘されるのがいやでみんな
黙っていた。
そういうのっていっぱいあるはずだ。
52 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 07:55:53
マンションとか道路工事現場なんかでも
なんか出てきても黙って埋めてしまうケースはいくらでもありそうだな。
53 :
てらやん:2006/03/25(土) 13:36:14
あるよ。特に奈良なんかは、あちこち掘ったらどっさり出てくるので、工事が
中断されて、発掘作業となる。すると工期が延期されるは、確か費用もかかるわ、
一級ものなら保存になるわで、隠したり埋め戻したりするのは事実あるよ。
給油所建設の仕事していたときのことです。
54 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 13:43:38
うちにある応挙の掛け軸
55 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 15:05:19
56 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 10:59:47
まじ
57 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 01:16:44
「明月記」の定家自筆断簡が鑑定団に出た
冷泉さんとこで買いとって紙背文書を調べて下さい
58 :
日本@名無史さん:2006/04/20(木) 02:39:12
>>51 俺んちのあたりもそうだよ。
小学校の頃、住宅地造成中ところから縄文土器がたくさん見つかると聞いて、
工事が休みになる日曜日に拾いにいったな、そこら中にゴロゴロあった。
友達が骨董趣味の親父に見せたら、縄文土器の底部分を見つけたらお小遣いあげると
いうので結構必死で探したな。
今はその造成地に住んでいるが、隣接した農地で発掘調査をしている。
もしあの時、調査が入っていたら縄文の大集落発見のニュースになっていたな。
閑話休題
その年の夏休みの研究は、男子全員縄文土器についてだった。
だが一人弥生土器の研究をした彼がいた、拾ってきた縄文土器をタワシで
擦り洗いしてツルツルの弥生化を施した彼は、これは弥生式なのだという
自身の意見を曲げることはなかった。
他にお宝はぬわぁいのかね?
60 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 18:31:50
ないよ
61 :
日本@名無史さん:2006/05/20(土) 19:24:31
山梨だが、昔、国道137号の県境工事の際に、山中からおびただしい
人骨がでたことがある。埋葬されたものではなく、おそらく鳥葬か風葬
の跡じゃないかと下請けの工事関係者の間では噂になったらしいが、上
のゼネコンの指示で工期内に拡張させる為にそのままセメントを打った
という。
その後も事故等が多く、噂が絶えなかった為か、別にトンネルが掘られ
た。しかしある大事故が起こるに至り、地元の事情を知る者は祟りでは
ともいわれている。
62 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 18:17:52
お宝はお宝でも、ちょとちがーう(*・ω‐)b
63 :
日本@名無史さん:2006/05/28(日) 19:21:31
ニュータウン開発土木工事で潰されていった縄文・弥生の大集落。
64 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 09:09:04
某組織が配下のメンバーに、
某組織への上納金を割り振ったリスト。
噂には聞いていたが、本当にあったとは・・・
65 :
日本@名無史さん:2006/06/02(金) 15:05:17
オレの日記
66 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 14:35:05
それなら俺の借金夜逃げ道中記なんてどう?
67 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 15:35:33
いらね。東風のマンガでお腹いっぱい。
68 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 16:27:45
>>61 その話は聞いたことがある。あの某被告が登った山の近くだよね。
69 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 06:19:35
70 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 08:44:11
山梨、長野といえば姥捨てだろね。
71 :
日本@名無史さん:2006/06/19(月) 22:21:34
祖母の遺品を整理してたら、俺のひい爺さんの日記が出てきた。
アメリカに留学してたそうなのでアメリカ製のノートだ。
最初のページが1903年付けになってる・・・・
面白そうだから少しずつ読んでみよう。
72 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 22:11:57
読んだよ
73 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 14:20:08
そうか
74 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 14:50:07
うちの物置に木箱のふたのようなものがあります。
そこには ○は識別不可
黄内胴張三拾人前之内
吸物膳 拾人前
天保九○(戉と戌とがくっついたような字)暦○春需○
○○氏
これって天保年間のものなのでしょうか?
それとも後の時代に作られたものなのでしょうか?
ちなみに、多分うちは江戸時代から続いていた家ではありません。
天保9年なら、確かに戊戌(つちのえいぬ)ですね。1838年。
天保年間なら、割合よく出て来るのでは。まだ世に出ていないといえば、
私もこの時期の古文書・古記録をいくつか所蔵しています。
この時代になると数が多いので、わざわざ発表する機会も少ない。
76 :
日本@名無史さん:2006/07/18(火) 00:35:06
ほう
77 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 19:25:26
うほ
ho
79 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 01:37:01
ageてみる
80 :
日本@名無史さん:
>>43 小説ではないよ。
それは、戦史物として超有名なあの 丸 に陸軍特攻隊だった人が投稿したものだ。
関大尉は不時着だったそうだね。
関大尉の突入は後で話が作られたものでしょ。3回も引き返して4回目でやっと
突入で、それで隊長機が不時着では、海軍上層部も格好がつかなかったんでしょ。
海軍初特攻にしても、敷島隊より4日も前に特攻した久納中尉の件を黙殺して
敷島隊を初特攻として海軍は軍報を出したんだよね。何としても海軍兵学校出の
関大尉を初特攻にしたかったんだろうね。