1 :
日本@名無史さん:
明治のほうがオモシロイのに
2 :
日本@名無史さん:05/02/17 18:40:40
明治厨は大正を知らない
チョンマゲを落とした明治はクソ
4 :
日本@名無史さん:05/02/17 19:42:47
幕末・明治を通すのが一番おもろい。同じ人物とは思えないほど変わった働きをしてる。
5 :
日本@名無史さん:05/02/17 19:59:30
司馬さんから入る人多いからな
7 :
日本@名無史さん:05/02/17 20:16:21
司馬遼から入ったら、なおさら明治に行くと思うが。
『坂の上の雲』『翔ぶが如く』『歳月』『殉死』、どれも名作じゃん。
明治時代は暗黒時代
江戸時代のほうが面白い
9 :
日本@名無史さん:05/02/17 20:47:19
お前の脳みそでは明治時代を把握できないから暗黒時代?
10 :
日本@名無史さん:05/02/18 02:46:51
幕末厨、とくに龍馬厨と新撰組厨は歴史なんかどうでもいいからね。
彼らが死んだあとの明治時代に関心もてないのさ。
歴史としての面白味は明治元〜明治10年くらいのほうがあると思うけどね。
11 :
日本@名無史さん:05/02/18 02:52:10
新撰組を援助してた多摩の豪農たちが、
維新後は自由民権運動を熱烈に応援するんだよね。
開国から40年足らずで世界の一等国まで登りつめる課程が面白いな。
>>10 新政府設立の過程で薩摩が色々きな臭いことやっちゃったらからな。
維新志士が持ってるような純粋な情熱を新政府に感じないんだろうね。
癸丑以来の彼らが生きていれば…ぶつぶつ…
15 :
日本@名無史さん:05/02/19 17:29:25
>>13 勤王の志士がみんなそれほど純粋な情熱をもっていたとは思えないな。
たいがいの場合「一旗揚げる」くらいの気分だっただけでしょ。
新選組なんかその代表だよね。
過激な攘夷家は純粋だったかもしれないけど、
これもファナティックで根拠のない毛唐嫌いだしな。
多くの場合は日本の国益ではなく自藩の「藩益」最優先で行動しただけじゃんか。
まあ幕末厨の9割9分は小説ドラマで厨になってるだけだから
「純粋な情熱」なんて誤解してるんだろうけど。
16 :
日本@名無史さん:05/02/19 19:03:09
チェストォーていうのは日本語ですか?
薩摩弁かなんかじゃなかったっけ?意味は分からんが。
気合
19 :
日本@名無史さん:05/02/19 19:25:19
>歴史としての面白味は明治元〜明治10年くらいのほうがあると思うけどね。
福沢の時事小言などを読むと、明治初期は、
混乱した不気味な時代だったことがわかる。
王政復古、普天率土、祭政一致、億兆同心・・・ほとんどカルト宗教。
福沢は西欧思想の学習や文明開化論が疎んじられる風潮を嘆いてる。
薩長のような基地外が権力を取ったのによく近代化できたと思うよ。
20 :
日本@名無史さん:05/02/19 19:35:20
日本人は優性人種だからだよ。
なんでもかんでも厨で括るやつが一番の“厨”だと思うけどな。
22 :
日本@名無史さん:05/02/20 17:16:01
遺伝の分野で、「ホモ遺伝子は劣性遺伝」って出てきた時に、
「事実だとしてもホモセクシャルに対して、あまりにもひどすぎる
こんなのは教科書に載せるべきことだじゃない」
とか言い出したやつがいた。
優性というのは対立形質をもつ両親の交配により、雑種第一代に現れる形質で、
顕性ともいわれる。そこに形質の優秀さ、といった意味合いはない。
「劣った形質」が人間集団に蔓延しないように、適切な措置を取るべきだとする
優生学Eugenicsという思想がかつて流行したが、そこにおいて「劣った形質」をもった
人間のことは、劣等者などと「劣等」という語が用いられた。
ともかく、「優性」という語を優秀の意味でつかうのは誤用である。
もちろん、「ホモ遺伝子」のホモをホモセクシャルの略だと勘違いしてる点も見過ごしてはいけない。
24 :
日本@名無史さん:05/02/23 07:15:23
別冊太陽「開国150年 明治かがやく」発売記念age
25 :
日本@名無史さん:05/02/26 14:34:49
流れを読まず質問
明治政府の歴史的課題としての倒幕藩体制の否定ってどういうこと?
即レスキボン
26 :
日本@名無史さん:05/02/26 18:01:27
流れもなにも、質問の意味が日本語として不明
27 :
日本@名無史さん:05/02/26 18:06:16
幕末明治って区別するの?
伊藤博文が幕末で
山県有朋が明治?
明治政府の立場からの「倒幕藩体制の否定」ってことです。
俺のノートにそう書いてあって、それでは矛盾してしまわないかと。
でも考えた結果、「倒幕 藩体制の否定」と区切れば辻褄が合いました。
幕末厨は通史を知らない、知ろうともしない。
だからその場限りの見方しかできない事も多い、が恥とも思わない。
30 :
日本@名無史さん:05/03/08 02:08:33
>>1さんに同意。
それより妹が幕末厨でさ、事態は深刻なんだ。
放っとけばそのうち明治まで生き残った人の人生まで興味が及ぶと思うよ。ちょっと前まで血刀振るってお互い闘ってた人が、今度は一緒に鉄の艦隊を指揮して外国相手にしてたりしてるんだよ?
32 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 08:21:06
オレンジレンジがチェストって
歌ってたけど何か関係が?
33 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 22:15:13
明治好きはやっぱ大正→昭和と進んでゆくのですか?
その後どこ行くのかしりたい。
まあ新選組・会津ヲタは通史を知らない香具師が多いからなあ。
本家会津研究家は自由民権運動と会津農政史を重要視しているのだが。
明治は日清・日露戦争での弱すぎる清軍とアホすぎるロシア軍と勇敢な日本兵とまともな司令部とを
比べるのが楽しいジャマイカ
36 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 22:51:29
>>35 むしろ大国意識でナメきっていた清露両軍と、後が無いだけに
相当の準備期間で戦争に赴いた日本軍を見比べるのが良かれ。
37 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 02:58:59
暗黒時代。少しその表現分かる。
明治に入ると、戦争等が絡んでくる。
学校教育等で中途半端に入れられた怖いイメージがあり、
どうにもとっつけません。
そんな自分は幕末ヲタです。
確かに全部通して知ってる人は尊敬する。
38 :
日本@名無史さん:2005/05/21(土) 03:26:45
たった15年間なのにもかかわらず明治にも昭和にも吸収されず
ひとつの時代として認識される大正こそ偉大
平成はどうなるかな
平成は混沌の時代
昭和店じまいの時代。
41 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 19:38:59
スレタイのとおりだ!
大河で新選組を知って幕末にはまったけど、それ以降のことはあんまり知らないや。
その通りだわー。
明治にもなんか興味が湧いて来たヨ
42 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 23:13:55
幕末が混乱して、明治はその収拾をとりあえずだが着けた時代。
幕末ヲタは、せめて明治時代までは知っておかないと幕末自体を語れないよ。
欲を言えば、源平合戦の時代(鎌倉幕府による武家政治の始まり)と南北朝時代
(武家政治を否定し、天皇親政を復活させようとして混乱した時代。
幕末の天皇親政や王政復古もこの時代を参考にしている。)、戦国時代
(藩の元になる戦国大名達の成立)と江戸時代(幕藩体制及び鎖国体制の成立)を
知っていた方がベスト。
今まで幕末ばかりだったけど、最近、おれもやっと明治に入ってきましたよ。
明治以降のおすすめの歴史書を教えておくれよ。
とりあえず「陸奥宗光とその時代」(岡崎久彦)を読んだ。
>>4 幕末と明治、同じ人物を通してみると面白いよな。
そこから世界が広がる。
>>43 希望ジャンルはあるかい?
(政治、外交、軍事、産業、教育、など…)
明治といっても幅広いから、良本は数あれど、何をあげていいかわからんです。
43です。
政治と産業を中心にお願いします。
(外交と軍事は岡崎本で読む予定なので)
木戸孝允日記は最強。オモロすぎ。
48 :
日本@名無史さん:2005/06/08(水) 17:31:13
49 :
日本@名無史さん:2005/06/08(水) 18:03:44
50 :
日本@名無史さん:2005/06/08(水) 20:26:29
>>45産業に興味アリ。
たとえばどんなのが面白いだろうか?
52 :
日本@名無史さん:2005/06/12(日) 11:08:25
53 :
日本@名無史さん:2005/06/12(日) 17:07:34
映画のラストサムライは近代化を拒む幕末厨が好きそうな匂いが漂っていたな。
幕末厨は歴史ファンタジーに酔っていたいんだな。
>>48 確かに、木戸孝允日記は面白いよ。
あの時代に書かれた日記とかは、後世見られることを意識してるものがほとんどである
と言われるが。木戸孝允日記については、まじでただの日記って感じだ。
もちろん政治的な記述もあるが、普通に遊んで怒って泣いて、非常に人間らしさが感じられる。
内容としても、当時の日本で上からかぞえて10番以内には入るであろう高官が何やってんの
ってなことをさらっとやってて笑いを誘う。
そういや、大鳥日記も凄い笑えるって聞いたけどどうなんだろ。
大鳥圭介の日記『南柯紀行』のことかな?
一応、慶応〜明治にかけて書かれてるけど、戊辰戦争中だから、
明治として扱っていいのか凄いビミョーだよ。
まあ、獄中日記なんかは、明治でいいと思う。
『南柯紀行』は日記風だけど、雑誌に連載されたやつだから、
人に見られることを意識して書いた日記の部類に入るよ。
でも、なぜか面白さは神クラス。
つかあれは絶対ウケ狙ってる。天然じゃない。
証拠に、明治の産業視察の日記なんかは、180度雰囲気が違う…。
木戸孝允日記は読んでて楽しいね。
木戸本人には読んで笑って申し訳ないような気もするけれど。
産業……これも幅広いよなー。
渋沢栄一とか益田孝とか、実業界なら入門に最適。
今の大手企業と絶対通じるものがあるからさ。
ってこれは経済?
>>55 情報提供ありがとう。
明治としちゃ微妙だが、『南柯紀行』かなり読みたくなったよ。
まあ、木戸孝允日記は、後世に見られないと思って安心して書いてないか?ってところがあるから。
あと、真面目に人民の幸せ考えてる所も多々あるから、確かにそれ読んで笑ってると思うと申し訳
ない気もするw
実業なら岩崎弥太郎だろ?
木戸日記を図書館でパラ見してみた。
ネ申!
つか木戸マメすぎ。A型?
ところが以外、木戸はO型らしいよ。
つーか、面白いよね木戸日記。そこで木戸に興味が出てきたら、
史実参照 木戸松菊公逸話 妻木忠太著
をお勧めする。著者が色んな明治人に木戸のことを尋ねまわって集めた逸話が読める。
↑マジっすか!?
63 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 19:10:23
>>56 遅レスですまんが、ありがとう。
産業と実業は通じてるところがあるからね、
そのあたりから入るとする。
64 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 22:22:29
グリコは知ってます
66 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 00:32:39
>>64でも
>>65でもないが、
森永が一番早いんだな。
明治32年 森永西洋菓子製造所
大正 5年 東京菓子(明治製菓)創立
大正11年 グリコ創業
67 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 00:37:17
明治末期ってどんな時代だったのかなぁ
死んだおばあちゃんが明治35年生まれだったから生きてるうちに話を聞いておけば良かったなぁ
>>66 ほほお! 森永西洋菓子製造所って、そのまんまのネーミングセンスがいいな。
明治は、チョコレートのあれで、グリコは…なんだっけな。
皆、結構歴史あるんだなー。
この辺調べても結構面白そうだな。
グリコ…思いつかんかった…orz
意外なネタをありがトン。
明治と繋がりあるっつーと、工業系どうよ。
川崎重工とか、大アリだと思うんだが。
>>67 今90歳過ぎの明治生まれの方だと、
江戸生まれの人から話聞いてたりするんだよなぁ。
>>70 そうなんだよね
だから色々と聞いておけば良かった
覚えてるのは戦争の時に疎開した話ぐらい
昔は歴史なんてわかんなかったから、
じいちゃんが何か話してくれてもチンプンカンプンだった。
今自分の無知度にめっちゃ後悔。
「話ききてー!」って思ったときには、
もうじいちゃんばあちゃん生きてないって黄金パターン…
うう、悲しい…
73 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 23:33:20
>>69 工業系というより、払い下げ物件関係?
財閥が頭をよぎりますな。
元幕臣で明治政府に出仕した人物は、
変節漢で卑怯な人物だと偏見を持たれがちです。
特に幕末厨から。
・゚・(ノд`)・゚・。 ウワァァァァァン!
>75
ここで存分に語ってけ。
>>75 潔く散ればいいってもんでもないんだがなー。
幕府時代に活躍できなかった(強い身分制のため)若い幕臣達が明治政府
において多く取り上げられるようになったって意見を読んだことあるよ。
確かに、岩倉使節団とか旧幕臣率高いよな。
伊藤はよく旧幕臣とも遊んでるな。
若いからなのか…
80 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 01:09:38
つかよう。
岩倉具視って明治ですげえ先進的なことやってんのに、
なんか一般的な評価って低いイメージがあるなー
81 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 01:13:45
つうか、その前にまずは幕末、あとは使節団っていうイメージが、
先行してんのかもな。
使節団もあのチョンマゲイメージで固定してんのが多数だしよ。
82 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 01:19:37
明治政府の無能を晒して回った岩倉使節団ってバカじゃないの?
スレタイに反して、このスレのレスが未開人っぽいのは何故?
だんだん明治を語るのではなくて、単なる一部明治人マンセースレになってるぞ。
しかし、岩倉の一般的評価が低いという衝撃真実を知ってしまった今、
とりあえずマンセーせずにはいられない気分だ・・・
85 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 21:02:08
当時はまだ新政府が発足して5年たらず。
全く未発達な政府だったことなど、諸外国はとっくにお見通しさ。
だがな、岩倉使節団は、日本近代化の様々な面で非常に重要な役割を果たしたんだ。
>>82は久米邦武の『米欧回覧実記』でも読んでみるがいい。
この実記は文理双方の研究者から、エンサイクロペディアと絶賛されてる。
しかも久米は科学者ではなく、コテコテの漢学者。
(そらもう、奈良朝史とか書いちゃうくらいの文系度)
その漢学者をして、これだけの実記をかかせる視察ってどんな視察だよ。
実記の挿絵でもいいから、見てくれよ。スゲェから。
ついでに木戸日記ともあわせて読むとなおよし。
伊藤とか結構、洋学者ひきつれて産業視察に出向いてるぞ。
これがトップにたって、殖産興業政策をおしすすめ、
今の技術大国日本の基盤をつくったんだ。
ついでに大久保も内務卿として、近代化に尽くしたしな。
岩倉使節団を一面から見てはだめだ。
あの濃さを知ったら、明治の面白さがわかるってもんさ。
86 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 21:07:48
>>84 待ってくれ!マンセーするならマンセー理由を述べてくれ!
ただの判官びいきならやめてくれ。
>>86 >>85に書いてんじゃないか?
ちなみに、国際的評価は結構高そうだぞ。
条約交渉失敗ということだけみると無能っぽいし、大久保もそれをして、失敗という言葉を使ったことが
あるようだが、当初の予定ではそんなもんはなから視野に入ってなかった。
森有礼の暴走でそんなことになったわけだが。
少なくとも、海外人は欧米に渡った日本人を見て、その礼儀正しさと、堂々とした態度、勉強熱心さに大いに
敬意を払ったらしい。特に、岩倉、大久保、木戸は尋常の人物じゃないとの評価だったそうな。
さらに一般人で随行した有名な女性達は、帰国後学校を開いたり、外交に役立ったりと大いに活躍している。
授業などで、岩倉使節団は金の無駄遣いなどと教えていた事もあったようだが(どっかのブログで読んだ)、
今になってどうやら違うようだぞ、というように再評価が始まってるよ。
ググってみりゃ、その流れがよく分かるぞ。
88 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 02:26:12
85=86っス。
たまに判官びいきでマンセーする奴がいて、少し過敏になってた。スマソ。
ちなみに、
>>85で言ったことは岩倉使節団のこと。
岩倉自身については述べてないっス。
ぜひ
>>84のマンセー理由も聞きたい。
自分が岩倉スゲェって思ったのは、岩倉の意見書を読んでからなんだな。
民営化や自由競争の推進等、今に通じることが書かれてるじゃないか。
そういったことを薦める官僚がまわりにいたんだろうけど、
それを取り入れて、上に意見する先進性を評価したいんだ。
89 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 03:12:25
人物の功績を云々したり、人物評価に関してあれこれ言っているのを
読む限り、幕末系スレと全く変わりがない。
明らかにケンカ売ってそうな、スレタイにも問題あると思う。
なんか幕末系すべてを敵にまわしてそうな。
明治総合スレにすれば面白かったのに。
91 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 04:09:41
幕府の遣米使節団と比べると岩倉氏切断はガキの使い。
たとえ物見遊山の観光でも、
岩倉たちにとっては多少は役に立ったかもしれない。
でも日本外交という観点からはありえないメンバーだったな。
岩倉氏切断……よくある誤変換だけども、演技悪すぎ(藁)
おっと演技じゃない、縁起だ。
94 :
84:2005/07/08(金) 12:11:52
>>86>>88 すまん、書き方が悪かったかな。
けなされると、反対に過剰に褒めたくなる、という心理を言いたかっただけで、
実際にマンセーしてるわけではないんだが。
一般的評価が低いとは知らなかったので、驚いたんだ。
俺としては、明治創業時の人として普通に評価してる。
お公家さんとは思えない活躍ぶりだからなー。
一般の岩倉評もそんなところか、もしくは、腹黒いけどたいした奴、あたりかと思ってた。
95 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 02:19:41
どうでもいいけど、顔つきもお公家さんっぽくないw
96 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 13:19:55
徳川慶喜は将軍に就任して以来、列強諸国から「日本の皇帝」(エンペラー Emperor)として承認されていました。
その彼が、12月9日の「王政復古」の政変による幕府廃止に伴い、
将軍職を辞任(と言うよりも更迭)させられた一週間後の12月16日、大坂城(大阪城)に各国公使を引見した際、
慶喜は引き続き「自分自身が日本の主権者である」旨を宣言しており、公使達もそれを支持していたと言う事実です。
更に重要な事は、「大政奉還」にしろ「王政復古」にしろ、朝廷=新政府(薩長主体の)には、発足当初、日本を統治する何らの実力も無かったと言う事です。
「大政奉還」を受理した朝廷は、国家の重要案件や外交問題の処理については「衆議を尽くす」事、
その他の案件については「召しの諸侯上京の上、御決定これあるべく」として、諸大名に対して朝廷から上京命令が発せられたのですが、
譜代大名(徳川家の直接の家臣)の多くがこの命令を辞退(無視)し、朝廷より賜った官位を返上しようとした事実です。
つまり、彼ら譜代大名にとっては、徳川家こそが自分達の主権者であり、
外様(とざま)である薩長が主体の新政権=朝廷に指図を受ける筋合いは無い、と考えた訳です。だからこそ、
上京命令無視・官位返上と言う挙に出ようとした訳です。これが意味するものは、
例え将軍職(列強諸国が言う所の「エンペラー」)を辞したとしても、慶喜が「日本の主権者」である事に何ら変わりがなかったと言う事です。
そして、その慶喜が最終的に目指したもの、それは将軍に代わる新たな地位 ── すわなち「日本国大統領」の座だったのです。
「日本国大統領」。慶喜は、自らの政治顧問である西周(にし-あまね)に『議題腹稿』を起草させています。
これは言うなれば「憲法草案」と言えるものでした。(以下、概要)
97 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 13:20:39
この中に謳(うた)われている「大君」こそ、慶喜が将軍職に代わって新たに狙っていた地位なのです。
確かにその名称は「将軍」の対外的呼称であった「大君」(タイクーン:Tycoon)と同じです。
しかし、『議題腹稿』に定義されている新たな「大君」職は、行政府の長であり、立法府の長であり、尚かつ、軍最高司令官をも兼任する強大な権限を有しており、
それはさながら、古代ローマ皇帝(元首:Princeps プリンケプス)か、アメリカ合衆国大統領(President プレジデント)と言った所でしょうか。
そして、それを可能にする素地が実際にあったからこそ、慶喜は「大政奉還」の挙に打って出、将軍職を辞任しても何ら臆する事が無かったのではないでしょうか?
「列藩会議」。慶喜は、徳川宗家の持つ強大な軍事力、
「前将軍」と言う知名度、そして、列強諸国から依然として「日本の主権者」として認知されている事実を最大の武器に、
朝廷が諸大名を招集して開催するであろうこの会議において政治の主導権を掌握し、
『議題腹稿』に則って「大君」 ── 事実上の「日本国大統領」に推戴される事を狙っていたのでしょう。
しかし、歴史の歯車が狂い、戊辰戦争において「朝敵」の汚名を受け、遂に日本国初代大統領の座を掌中にする夢は潰(つい)え去ったのです。
その後、日本は薩長土肥主体の明治新政府が成立、時をおいて内閣、そして議会が開設されていくのですが、
私は、慶喜の思惑通り事が進み、例え『議題腹稿』に沿った新国家が成立していたとしても、
我々の知る「歴史」とそれ程違った体制になったとは到底思えないのです。発足当初こそ大名主体だったとしても、
時が経てば当然の事ながら民主化されたでしょうし、天皇も現在の地位である「日本国民統合の象徴」として定着した事でしょう。
要は、「明治維新」と言うある種の「革命」があったかなかったか、改革が急進的だったか漸進的だったかの違いでしか無かったのでは無いでしょうか?
もし、歴史に「if」が許されるのであるならば・・・そう考える時、
慶喜が目指した新国家の「その後」の歴史が、実際どの様に推移していっただろうか?と、知りたくもあります。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/keiki.html
慶喜のめざしていた「大君」はアメリカ的な大統領とはちがうだろ。
むしろ、君主国連邦であるドイツ帝国の皇帝みたいな地位だ。
あと、天皇は政府から切り離して山城国に放置プレイなんだから、
せいぜいローマ教皇的な国家外の存在であって、象徴天皇にはならない。
99 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:39:17
>>1 明治になった瞬間開化したと思っている
>>1こそ未開人だと思う。
近代化の礎を築いたのは徳川幕府。
江戸幕府はなにもしてないよ、江戸幕府は100年日本を遅らせただけ。
つか庶民が、幕府の規制を潜りぬけて、日本を育てただけ。
幕府は大型船の建造や、車輪、架橋など流通に様々の規制をかけ、
日本の発展を常に阻害していた癌。
101 :
日本@名無史さん:
>>100 日本の近代化は横須賀造船所から始まった。
日露戦争に勝てたのも小栗のお陰と東郷が言ってる。