1 :
日本@名無史さん:
ぼーっと、日本史の参考書よんでたら、明治時代に東京に遷都しました、とかいてあった。
でも、調べたら「奠都(てんと)=天応が住居をうつしただけ」らしい。
その後の、「宮城の制」とか、帝都としての東京を認めるような諸法令で初めて東京に
「実質的に遷都」ってことになったらしい。
遷都と奠都、これいついて語りたいね。
2 :
日本@名無史さん:05/02/12 15:10:10
サンバ
3 :
日本@名無史さん:05/02/12 15:10:38
日本人なら南セントレア市に賛成しよう!
4 :
日本@名無史さん:05/02/12 15:13:16
これ、よく、京都が持ち出してくるネタだよねえ。
ギャー!
天応→明治天皇
6 :
日本@名無史さん:05/02/12 15:29:00
7 :
日本@名無史さん:05/02/14 23:46:26
テント師匠禁止↓
8 :
日本@名無史さん:05/02/15 00:18:26
このスレは、東京人にとって触れられたくないものなのでやめてくれませんか。
9 :
日本@名無史さん:05/02/15 00:36:46
そんな東京人いねえよ。
10 :
日本@名無史さん:05/02/15 10:33:11
>>8 別に気にしなくても良いんじゃないの?
法的にはあやふやだけどさ…都制も戦中に決められたものだし。
日清戦争の時には広島が臨時首都になったりとか。
>>9 そりゃ、おのぼりさんは知らないからな。
11 :
日本@名無史さん:05/02/16 02:30:11
ああ、人間スロットの人ね。
12 :
日本@名無史さん:05/02/16 06:34:58
>>8-10 東京人ですが、400年前から実質的な首都は東京です。
江戸城西の丸に居ついている方々には京都にお帰りになっていただけた方が嬉しいです。
13 :
日本@名無史さん:05/02/16 07:06:57
そんな東京人いねーよ
14 :
日本@名無史さん:05/02/16 07:52:08
15 :
日本@名無史さん:05/02/16 09:44:45
蟷螂の落し子
16 :
日本@名無史さん:05/02/16 10:11:00
東京奠都ノ詔(明治元年7月18日)
朕今万機ヲ親裁シ億兆ヲ綏撫ス江戸ハ
東国第一ノ大鎮四方輻湊ノ地宜シク親臨
以テ其政ヲ視ルヘシ因テ自今江戸ヲ称シテ
東京トセン是朕ノ海内一家東西同視スル所以ナリ
衆庶此意ヲ体セヨ
18 :
日本@名無史さん:05/02/24 08:53:20
実質的な首都は東京。
形式的な首都は京都。
19 :
日本@名無史さん:05/03/16 14:40:51
↓以下、テント師匠ネタ解禁
21 :
日本@名無史さん:05/03/16 15:41:21
てん-と [1] 【奠都】 (名)スル
都を定めること。都を建設すること。
せん-と [1] 【遷都】 (名)スル
都を他の地へうつすこと。みやこうつり。「明治二年東京に―する」
(大辞林)
23 :
日本@名無史さん:05/03/16 17:09:34
東京が首都かどうかに拘るのは東京人と京都人。
僕のズボンの下にもテントが張られてます
25 :
日本@名無史さん:05/03/16 17:55:26
>>23 あと、宮城県は何で【宮城】って名前がついてるのに、皇居=宮城と呼んでた時にするーされたのか、とか
広島は臨時首都になった事がある、とか、いわゆる「首都トリビアフェチ」の香具師。
26 :
日本@名無史さん:
南無阿弥陀仏
「お浄土をもってござる仏さまの、必ずたすけるといわれるおおせにしたがうよりほかに手はないではないか」(讃岐の庄松)
私が小さい頃、なぜ南無阿弥陀仏とお念仏するのか疑問に思い、とりあえず側にいた母親に「南無阿弥陀仏ってどういう意味なん?」と聞きました。
ところが、「今、忙しい。後にしぃ」といわれました。
そこで、今度はおばあさんに同じように聞いてみると、今度は「難しくて、よぉわからんわ。お父さんに聞き」といわれました。
そこで、父の帰りを待って、また同じように聞いてみると、父は紙になにやら文字を書いて私に見せて、「読んでみぃ」と言いました。
そこには、「まかせよ、すくう、いまここで、われを、たのみとせよ」と書かれてありました。
読めても意味がわからないので、「どういうこと?」とたずねると、父は「南無阿弥陀仏というのは、こんな風にお前を今ここで救うぞ、という呼び声なんだよ」。
そこで、「じゃあ、なんで僕らが南無阿弥陀仏っていうのん?」と私は聞きました。
「それはなぁ、その阿弥陀さんの呼び声に対して、私らがありがとうって言ってるんだよ」と教えてくれました。
私たちが救われるのは、自分がお念仏するからではなく、阿弥陀さまにすべてをおまかせするからなのです。
庄松さんが言うように「おまかせするよりほかに手はない」のです。