山形史に残る○人・服部敬雄

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8山形テレビ・山形放送事件(前編)
49 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/19 16:22
>>48
元々山形テレビはNET(現;テレ朝)メインでTBSとのクロスネット
(JNN協定の関係でニュースはすべてANNを放送)として開局予定で、
フジ系になるつもりも山新グループになるつもりもなかった。
ところが服部に目をつけられて開局寸前で乗っ取られてしまい、系列も
服部と親交があったフジテレビとなってしまった。
この一件に、サブネット予定だったTBSはともかくとしてメインネットに
なるはずだったNET(&朝日新聞)が激怒し、逆襲として山形テレビの株を
大量に手に入れて筆頭株主となり、編成部に圧力をかけ、昭和50年に一旦は
フジ系メインのNETクロス局に移行した。
これに服部は驚き、山形テレビにNETクロスを続けさせるといずれ元々の
予定だったNETメインネットに戻ってしまうと危機感を募らせた。そして
この対向策として昭和55年に朝日資本と関係のない山新グループの山形放送を
わざと日テレ・テレ朝クロスに移行させた。しかも比率が日テレ3:テレ朝2と
かなりテレ朝系の侵食を許した。しかも同時or時差ネットが多かったため、これに
日テレから抗議され、テレ朝クロスで放送できない日テレの番組はフジ系シングル
ネットとなった山形テレビで放送され、はじき出されたフジ系の番組は全国ネットの
入ってこない時間帯に遅れ放送されることとなった。

9山形テレビ・山形放送事件(後編):05/02/05 16:43:32
50 :名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/19 16:36
(続き)
転機は服部があぼーんしてから。
これで山形テレビが無理にフジとくっつく必要がなくなり、筆頭株主である
朝日系の連中に「本来のテレ朝系になってくれ」と要求された。
またこの頃山形テレビは事業失敗で経営が傾いており、テレ朝は経営支援を
山形テレビに約束した。またテレ朝系のネット保証金は他系列に比べて随分と
高く、この話に飛び乗り、山形テレビはフジ系と縁を切り、93年4月にテレ朝
系の完全ネット局に移行した。これにより山形放送も日テレ系完全ネットとなり、
13年に及ぶぼろぼろネットが解消された。
しかし、これにより山形はフジ系の空白地帯となり、またフジ側もこれに激怒。
また県民の不満もここにきて大爆発した。県民は新局設置の署名運動を起こし、
地元の有力者を煽ってフジ系誘致の住民運動にまで発展した。フジも山形への
再進出に乗り気で、当時の郵政省のチャンネルプランで山形は4局化する予定が
なかったところを、4局目を割り当てさせ、96年にさくらんぼテレビが設立された。
そして97年4月に開局し、山形は4局地域となった。