943 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 15:15:40
マッターホーンにより、中国・成都に前線基地が建設されるはこびとなり、
インド・カラグプルにB−29専用基地とその大規模な兵站支援施設が
設置された。米国の膨大な資金と約四〇万の中国人労働者をつぎ込んで、
一九四四年五月までに成都地域の四ヶ所にB−29専用基地が造られる
と共に、爆撃機の飛行場を保護する戦闘機用基地が数箇所に建設された。
それらの基地まで、数千の支援要員となる技術者、兵器係、コック、倉庫
管理係に加え、予備部品(交換用エンジンも含む)、爆弾、食料、燃料を
運ぶ必要があった。中国の基地から一〇〇機のB−29による攻撃を実施
するには、およそ二三〇〇トンの物資を運び入れるほかに、肝心の爆撃機
をインドの後方基地から中国まで飛ばす必要もあった。
日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 / トーマス・アレン/著
ノーマン・ポーマー/著 栗山洋児/訳
陸軍長官のヘンリー・L・ステムソンは、マーシャルの意見に同意したばかりか、
さらに一歩前進していた。もしスチルウェルを召還するならば、彼と交代して中国
に派遣される者と蒋介石との関係を阻害する、重大な過失をおかすことになる、
という意見を、ルーズベルトに提出した。
陸軍省内のおおくの人間の意見を総合して、スチムソンは、蒋介石とシェンノ
ートに対抗して、スチルウェルを支持しなかったのは、ルーズベルトの失敗である、
となげいた。スチムソンは、シェンノートを、“最低の貢献で最大の援助をアメリカ
からひきだすために、蒋介石の手さきとして使われた男”と見ていた。
http://www.tom-jerry.com/tomandjerry%20museum/taisen3.htm 「日中航空決戦」(ロナルド・ハイファーマン)より
944 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 19:26:49
>>934,938
どうもありがとう。でもずいぶん開きがあるなあ。
中国民間死傷者の中には、国民党が黄河の堤防を決壊させた
ための数十万にのぼる死傷者も含まれているんだろうなあ。
945 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 19:49:42
ソ連も焦土戦術とったし、
日本も民間人さえ戦陣訓の糊で
集団自決とか慣行して、
もう犠牲者を無駄に増やして・・
第一次世界大戦より、ずっと陰惨な印象を受けるなあ。
946 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 21:42:20
陰惨度からすると第一次世界大戦の方が上
あまりに悲惨だったので戦後のヨーロッパでは今の日本と同じような
平和主義が台頭した
その後のナチスの侵略にも手をこまねいていた
947 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 00:28:28
盟邦ナチスを謗る香具師は誰だ
949 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 12:37:03
日中戦争は満州事変が要因
950 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 12:38:04
× 日中戦争
〇 支那事変
951 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 13:22:23
○ 日中戦争
× 支那事変
巨乳フェチ ×
美乳フェチ ○
ところが、ナチズムの権力掌握後、独ソ関係の悪化によりこの軍事協力関係
の維持は不可能となり、ドイツ国防軍がみずからの活力を維持するためには、
あらたな軍事的パートナーを必要とするにいたったのである。この面で
ドイツ国防軍、主として陸軍が注目したのは中国であった。・・・中略・・・
また、国防経済という観点からも、ドイツ国防軍が親中路線を採用する理由が
存在した。なぜなら、両国の経済は相互補完的であったからである。ドイツ国防
経済は、ロシアとの関係悪化後、技術刷新の継続のためにも、また付加的な
輸出の拡大のためにも、あらたな市場を求めていた。一方、中国側は、ドイツから
の工業製品輸入を天然資源の輸出で相殺することができたし、また一九三五〜三六年
のドイツの武器輸出総額のうち、実に五七・五パーセント(二千万ライヒスマルク)
が中国に向けられていたのである。
これに対し日本はその一パーセントにも満たない十七万七千ライヒスマルクであった。
ナチズム極東戦略 日独防共協定を巡る諜報戦 / 田嶋信雄/著
954 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 12:37:43
日中戦争中国側死者の件。秦郁彦が中国側死者が膨張していく状況を批判
しつつ、確実性の高い資料から約200万(うち軍人130万)であろうと言っていた。
日本側の責任だけとは言い切れない餓死や堤防決壊死者などを除けば、妥当な
数かもしれないね。それでも日本の小県二つ分くらいの数なわけだが。
955 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 13:16:49
300万くらい行くんでないかい?
正直なところ、300万でもとんでもない虐殺行為だし、
その罪は日本軍と当時も含めた日本人が背負わなけりゃ
ならないかもしれない。それはわれわれの罪だ。
言い逃れしても逃げられないと思う。
だが
捏造して総計3500万人も日本人が殺したとよく言えるな中共は。
1000万超える人間を大躍進〜文革で餓死させ、有能な人材を多数政治闘争で
追いころしたのはほかでもないお前等だ、日本人じゃない。 自分のやったことまで
人のせいにするのはどういうことだ。 ・・・計算すら出来ない馬鹿でないなら
中国人が良く日本人に言う『正視歴史』と言う奴を示してみろ
957 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 22:34:06
>>956 確かに、日本が満州移民のために現地農民を追い出したことによる餓死者
や戦闘により土地や住居が荒廃したことによる餓死者など、日中戦争では
「間接被害」が多かったのは事実だろうね。このあたりをどう評価するかだな。
958 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 22:52:54
そもそも中国側には早期に戦争をやめようという気はなかったのか?
959 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 22:58:05
960 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:10:06
>>957 確かに間接被害は多いね
統計には入ってないんだろうが・・・
962 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 16:54:20
白 中国軍はもともと蒋介石の軍隊なんですよ。シナ事変から
終戦まで蒋介石軍と日本のシナ派遣軍が戦ったわけですが、
雑軍も含めて最小限度三百万の蒋介石軍があった。毛沢東の
八路軍は小さいんですよ。砲兵もなくてね。
それが国共内戦で蒋介石が敗れて毛沢東の軍隊になった。
彼らは最小限度十年のプロなんだ。しかも三十個師団ぐらいは
米軍の装備をもっていた。もちろん日本軍のろ獲品もあるし、
蒋介石がつくった兵器もある。蒋介石が台湾に逃げて、
これが中国軍になった。
━ 虎の子の人民解放軍は本国で温存、というわけですね。
白 こういうアジア情勢をあまり日本人は知らないね。
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2000/ronbun/09-r5.html 韓国将軍が五十年後に明かす朝鮮戦争の真実
963 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 23:19:55
>>961 本になってるよ。
タイトルは忘れたが、秦以外にも10人くらいの著者がいる
本だった。文京二中とかいうところの教師が中国側死者数を水増し
していくって話が中心だった。
日本軍ビルマの村民600人虐殺 カンボジアで生体解剖
記録によると、一九四五年七月、陸軍第三三師団歩兵第二一五連隊第三大隊が、
ビルマ中部のカラゴン村を急襲。男性百七十四人、女性百九十六人、子ども二百
六十七人の計六百三十七人を銃剣で刺し、井戸に投げ込むなどして殺害したと、
難を逃れた当時の村長が証言した。
四六年四月、兵士三人とともに死刑判決を受けた同大隊の少佐が「(英軍に協
力する)住民を殺せという連隊長命令に従っただけ。子どもを殺したのは、助け
ても孤児になって生きていくことはできないと判断したからだ」と供述した調書も見つかった。
カンボジアのプノンペンの北約五十`にあるウドンで四五年七月、窃盗容疑で逮捕
した住民一人を生体解剖し、軍医三人が死刑になった事件や、「慰安婦」になること
を拒否したビルマ人女性七十五人が集団暴行を受けたとされる事件の記録もあった。
一九四二年二月、シンガポールのアレクサンドラ陵軍病院で医師、患者ら二、三百人
が殺害された事件では、第二五軍第一八師団の牟田口廉也中将を逮捕。
965 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:54:45
966 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:51:50
>>963 昭和史20の争点 日本人の常識 秦郁彦編 文芸春秋社
歴史教科書ではなぜ被害者数がインフレになるのか
秦自身の考えでは中国側軍人死者132万人、民間死者約50万人。
国民党の説に近いな、さらに逃亡で離散したものを含めてないから死者が少ないんだろう。
968 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:49:45
ま、180万としたって日本は中国に広島原爆12,3個分くらいの損害を与えているんだけどね。
969 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:50:58 BE:332986368-
970 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 19:06:50
正規戦で敵兵を何人殺そうと何の問題もない
971 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:51:07
>>970 あと2,30年もすれば確実にかつての日中の立場が逆転するだろうから、
中国兵が上陸して来た時にその言葉を噛み締めてくれ。
972 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 20:54:05
>>971 隣の国も十年前から同じようなこと言っていたような。
973 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:36:49
侵略する側の論理、される側の論理
974 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 23:16:56
975 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 23:17:49
つか、正規兵を殺した事が問題になるんじゃ、アメリカなんて大量殺人鬼ってことになるぞ(w
アメリカのキルレシオはいつも圧倒的なんだから。
976 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 23:39:49
>>975 イスラムの人間はふつーにアメリカ人を「大量殺人鬼」と
呼んでるような気がするのは気のせいか?
977 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 13:13:18
侵略された側の兵士の死者数は、重みを感じるね。
それに対し(略
978 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 01:39:36
二行目で略したんじゃ何も分らない
ってゆうか、言うべき理論が無い?
■■■皇室も認めた南京大虐殺■■■
昭和天皇の弟である三笠宮崇仁親王は南京で四ヶ月滞在されたことがあり、
南京の虐殺についていろいろ調査をおこない、天皇に報告されたことがあります。
昭和天皇はそれをきき、したの将領を厳しく批判しました。
これも天皇の英明の歴史観ではないでしょうか?ほんとうに天皇のことを尊敬すれば、
天皇さまのように、人の生存権を大事にして、正直にしなさい。
この話は日中友好協会全国本部からうかがいました。
98年南京で城壁修復のとき、三笠宮の南京で滞在の旧跡をさがそうとおもって、この話を教えてくれました。
980 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 02:27:56
↑ 皇室の政治利用は憲法違反です 猛省しなさい
981 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 02:30:08
事変を収拾しようと近衛は大本営を設けて
軍部に政府側の意見を反映させようと試みたが、
首相の大本営参加の前例があるにも関わらず
近衛ら政府側の参加は統帥権の独立のもと拒否された。
事変に際し、国民権利の代表者が参加できなかった。
つまり、日本国民は事変に関与していないので責任もない。
984 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 13:44:00
「重大決意」近衛首相
「蒋介石政府を相手にせず」近衛首相
>事変に際し、国民権利の代表者が参加できなかった。
>つまり、日本国民は事変に関与していないので責任もない。
じゃああれか、
戦争責任は軍部と天皇が全部引き受けろと言ってるのだな?
●〜 自慰的歴史観 〜●
ヽヽ〃 /
ヽ〃 プシュ!
( _)
| | シコシコ・・・ シコシコ・・・
| | /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 ) <誇り高き我民族、その歴史に一点の曇無し!あッ!うっ!
/ ゝ |
/ _ ゝ___)(9 (` ´) )j
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-| ハァハァ…
/ ) ( Y ̄ ̄ ̄ ̄)←つくる会・安部・無職・ニート
/ _/ \____/
公衆の面前でのオナニーは止めてください。
見てる方が不愉快になります。
愛国というのは心の問題ではなく「納税額」の高さで決まるんだよ
まずは貧乏人はバイトして、所得税・住民税・国民年金を納めろ
愛国者ならバンバン納税して国家に尽くせよな。
まあ、中国共産党政権が崩壊してかの国でナショナリズムが相対化されるまで
日中戦争を客観的に論ずることは無理だろうな
あと、日本の左翼の絶滅も必要
彼らは未来を語れなくなった分過去を叩くことよってカタルシスを感じてる
まさしく「自慰」
987 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 16:37:30
日本の侵略戦争だったと、
老若男女が普通に言える日が来れば、
客観的に語れる
988 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 18:44:10
>>985 中国人なら自分の掲示板に書いてケロ
>>983 みたいなの中国人ニートがやってたとしたらヤだな
まともな社会人がやってたとするともっと性質がわるいけど
989 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 20:53:26
まあ、日中戦争というのは、日本兵が中国に行って人口の300分の1
を抹殺したイベントに過ぎないわけだよな。
谷沢永一「自虐史観はもうやめたい!」新版
第一章 4
・ソ連の呪いがかけられた国・日本
・日本以外の国に、ソ連はテーゼを発しなかった不思議
・日本への恐怖が生んだ「32年テーゼ」
「コミンテルン」は、中学でも習うだろうが、これほど重要な意味合いがあり、
また、正反対の意味で日教組が教えているとは思わなかった。ロシア人が日露戦争
をどれほど悔しがっているか、彼らの人種差別意識がいかに卑しくわれわれに
向けられつづけているかを思い知ることが出来なければ、あなたは相当なアホで
あろう。それ以上に、ここまでいってもテーゼの呪縛から逃れられない朝日、岩波
進歩的学者文化人が完全に低脳であろう。
991 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 23:16:49
共産党の策略、日本軍強硬派の野心、覚悟を決めた蒋介石
どの要素も不可欠な戦争だったろう
992 :
日本@名無史さん:
結局蒋介石の精神にはかなり日本人が入ってるんじゃないか?
無論陸士留学通算3年ってのはあるが、それ以上に。