男系断絶!女帝出現後の天皇制を追究しよう!Part28
792 :
日本@名無史さん:05/03/20 08:18:23
793 :
日本@名無史さん:05/03/20 13:27:57
/つ_∧
/つ_,∧ 〈( ゚д゚)
|( ゚д゚) ヽ ⊂ニ) まじっすか!
ヽ__と/ ̄ ̄ ̄/ |
 ̄\/___/
795 :
日本@名無史さん:05/03/20 23:00:53
そのとおりっす。
797 :
日本@名無史さん:05/03/20 23:56:41
武田、ついに登場したな
798 :
日本@名無史さん:05/03/21 00:13:08
若本規夫の方がいいんだが。
799 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 10:17:29
>若本規夫の方がいいんだが。
誰だそれは?
800 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 10:24:08
801 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 11:00:11
差別されるには朝鮮人の方にもそれなりの原因がある、例えばあの有名な朝鮮人詩人の金素雲氏
は、その自伝の中で次のように書いている
日本人所有の家を借りたなら、家賃は一切払わなくてもよいというのが、その当時(昭和の
初期―筆者注)同胞の間では常識化していた風習だった。
「お前らは国まで盗んでいったじゃないか。家賃ぐらい何だ!」
――こちらにはこんな腹があったが、引っかけられた日本人の側では恨み骨髄にならざるを
得なかった。家賃をもらうどころか5,6ヵ月分の家賃に当たる金を<立退料>という名
目で払わなければならなかった。こんなとき、その仲介の役割を果たすのが、いうなれば叔父
の職分だった。(同胞が集団居住する町には、こんなブローカーが必ず何人かいた)
1,2年ただで住んでは<立退料>をせしめて家を空けてやることもあったが、時には引っ
越した次の日に大家から立退料を取ってまた引っ越していく、そんな場合もあった。
その立退料の半分ぐらいにあたる金が叔父のようなブローカーの懐に入ってくる。もちろん
これは4,50年前の昔話ではあるが、こんなやり口がその後長い間い年月を通じて、大多数
の日本人の生活感情の底に<チョーセンジン>を敬遠し蔑視する後遺症の種となったことも事
実である。
802 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 14:03:48
高句麗語の数詞がなぜ判明しているか、については、朝鮮半島の三国史記の地志で、
旧高句麗領地の地名を新羅の景徳王が変更した、という記事が多数あるためです。
高句麗語地名の漢字表記(当て字=卑弥呼などと同じ)と、
新羅地名に変換後の漢字表記(漢字の意味利用)を対比すればよいわけです。
「三」は高句麗語で「密」なので当時の発音推定により「mit」
「五」は高句麗語で「于次」なので当時の発音推定により「utu」
「七」は高句麗語で「難隠」なので当時の発音推定により「nanun」
「十」は高句麗語で「徳」なので当時の発音推定により「tek」
例えば「兎山郡、本、高句麗、烏斯含達県」というのがあり、
「達」が「山」に対応するので、「烏斯含」が「兎」対応するものと考えられます。
そうすると「烏斯含」の音はosieGemなので、日本語 wosagi に対応する、と。
現代日本語で強いて読めば、烏斯含達=うさぎだけ(兎岳)。
803 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 14:21:01
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