1 :
源平義盛:
源氏の棟梁、頼朝の子孫はどうなったのか。その親父、義朝の子孫は?
また平氏が清盛ー重盛ー維盛ー六代と続くが維盛、六代の直系の子孫はいるのか。
教えてくれ。
2 :
日本@名無史さん:05/01/28 15:59:59
戦国時代まで続いた石見の吉見氏が
範頼の子孫だと名乗っていたはず。
でも、真偽ほどは分からない。
源頼朝の子孫は全滅した。
3 :
日本@名無史さん:05/01/28 16:26:44
義朝の子孫って頼朝だろ。実朝は苦暁に殺されただろ。日本史勉強したのか? 清盛の直系の子孫は壇ノ浦で途絶えた。 確証がない限り源氏を名乗る武士すべて怪しくないか?名乗りほうだいだから
4 :
日本@名無史さん:05/01/28 17:13:00
>>3 六代は壇ノ浦を生き延びたよ。歴史勉強したのか?
あと義朝の子供は頼朝だけじゃないだろ。10人くらいはいただろう。
5 :
日本@名無史さん:05/01/28 17:21:32
清盛系は壇ノ浦に沈んだり、処刑されたりしたけど頼盛の系統は残ったのでは?
直系の子孫ということなら俺も平清盛の直系の子孫だけどな。
女系だけどね。まあ、
>>1が言いたいのは男子直系・男系の子孫という
ことなんだろうけど。
>>3 源氏といえば頼朝系だけだと思ってるのかこいつは?
系図見たことあるんだろうか。
そもそも一口に源氏つっても清和源氏だけじゃないし
8 :
日本@名無史さん :05/01/30 06:06:59
俺も平清盛と源義朝双方の女系の子孫だ。
ちゃんとその血を引いてるから直系だ。
平清盛ー藤原兼雅室…→俺
平清盛ー藤原隆房室…→俺
源義朝ー坊門姫(一条能保室)…→俺
まーそんな奴なら腐るほどいる。
ホントに用語をアバウトに使う奴多いよな。
もちろん「直系」じゃなく「嫡流」っていうのなら
>>6の意味に変わるけど。
二男・三男だろうと、女系だろうと、側室腹だろうと、その人物の子孫なら「直系」だろ?
また別の例だと、その人物の兄弟の直系なのに、その人物の「子孫」だなんて言ってる奴がいる。
これは誤用だろう。
10 :
日本@名無史さん:05/02/02 12:13:43
>>4 六代はその後出家したが、捕らえられて処刑された。
お前こそ勉強したの?
11 :
日本@名無史さん:05/02/03 16:37:17
>>10 上を良く見直せ。
>>3は壇ノ浦で途絶えたといってるぞ。
>>4は別にその後子孫を残したといってるわけじゃない。
書き込む前に文章読解力を身に付けなさい
12 :
日本@名無史さん:05/02/03 17:00:01
>>10 確かに壇ノ浦のあと出家しているが、処刑されたのは随分後だ。壇ノ浦の時点で12歳、その後文覚の弟子となり出家。しかし文覚の謀反の後、六代は処刑された。30余歳。
でも壇ノ浦で清盛の子孫が全員滅ぶわけ無いじゃん。
武田信玄の直系の子孫だって残ってるくらいだからね。
>>3と
>>10が同一人物だと思ったから指摘しといた。
13 :
日本@名無史さん:05/02/04 02:24:23
経盛の直系なら、江戸時代でも下級貴族だったらしいぜ、噂だけどよ。
御室と後鳥羽院に隠してもらって、処刑を免れたとか云々。
まあ、噂だけどよ。確かに、江戸時代、朝廷から官位を賜ってる平姓の奴いる。
あと、堂上平氏なら、ばっちり公家であり続けた。
時子の弟とか従兄弟の直系な。烏丸とか西洞院とか平松とか・・・
華族で子爵だし。
でも、清盛系は絶えちゃったんでねえか?
小松家も嫡男の宗盛系も。
因みに、六代の妹は、ずっと後になってから、時子の甥と結婚したんだよな、確か。
14 :
日本@名無史さん:05/02/16 02:43:20
平将門の子孫はどうなの?
一人息子に将国がいたと思うけど。
土佐吉良氏
源義朝−希義−希望・・・・・・・・・・=親貞(長宗我部)−親実
16 :
日本@名無史さん:05/02/17 02:13:09
将国が安倍清明になったていうのは本当?
17 :
日本@名無史さん:05/02/20 02:59:45
「直系」とはどういうこと?
「嫡流」とか「本家」などと、どう違うのか?
河内源氏の源義朝も、伊勢平氏の平清盛も、いずれも傍流なんだけれどね。
19 :
日本@名無史さん:05/02/20 15:05:23
源氏の嫡流と平氏の嫡流ってどこになるのですか?
20 :
日本@名無史さん:05/02/20 19:17:34
>>19 清和源氏(経基流)の嫡流は、源頼政とか多田行綱とか...
桓武平氏(高望流)の嫡流は、定かじゃない。
長幼の序から見ると一応、熊谷氏とか北条氏とか伊勢氏とか山木氏とか...
21 :
日本@名無史さん:05/02/21 15:36:01
源平合戦の時代
源氏の嫡流は源頼政
平氏の嫡流は平時忠(高棟流)
22 :
日本@名無史さん:05/02/21 15:37:57
東国の源氏、西国の平家などと言われるが、
源氏の出地は摂津・河内などの西国。
平家は坂東の東国。
桓武平氏は祖となる親王だけで4人、しかも子孫の代に個別に平姓を与えられた
わけだから本来的には嫡流が存在しないというのが正しいと思う。
葛原親王流ではあえて言えば公家平氏(高棟流)の方が嫡流か。
高望流も嫡流というほどの家はなかったのかも。
まあ国香ー貞盛親子を嫡流と認めるとしても、貞盛の子・孫の段階では自他とも
に認める嫡流などなかったのでは。
24 :
日本@名無史さん:05/02/21 16:41:49
25 :
日本@名無史さん:05/02/21 16:45:21
26 :
日本@名無史さん:05/02/21 17:26:13
源氏の八甲(八竜・月数・日数・楯無・膝丸・産衣・薄金・沢だか)持ってる家こそ源氏の頭領(宗家かどうかは別として)
27 :
日本@名無史さん:05/02/21 17:56:44
平家嫡流は大掾氏だ。
大掾宗家は佐竹に滅ぼされたが、分家は残ってる。
鹿島氏とか。
28 :
日本@名無史さん:05/02/21 18:00:42
公家平氏嫡流 西洞院氏
公家源氏嫡流 久我氏
武家平氏嫡流 大掾氏(鹿島氏)
武家源氏嫡流 足利氏
でFA?
久我は村上源氏の嫡流でしょうね。
藤原氏の嫡流とかと同じ意味なら、天皇家が王孫一族の嫡流でしょう。
30 :
日本@名無史さん:05/02/21 18:32:59
皇族とはもはや別族と考えた方がよくないですか?臣籍降下で完全に諸氏と同じ扱い、これほど明確な絶縁状は他にないっすよ。
>>30 その視点は正しいんですが、ただ源氏全体の祖って嵯峨天皇しかいないん
ですよね。
共通の嫡流というと天皇家しかないし。
源氏をひとくくりにするなら、あえて平氏や他の皇裔氏族を別にする理由
がないような気も。
32 :
日本@名無史さん:05/02/21 20:25:55
33 :
日本@名無史さん:05/02/22 00:36:25
34 :
日本@名無史さん:05/02/23 15:57:26
桓武平氏嫡流 鹿島氏(旗本家)
清和源氏嫡流 土岐氏(大名家旧子爵)
異論は認めない。
aho
36 :
日本@名無史さん:05/02/23 18:55:05
とりあえず頼朝の男系子孫、頼家・実朝・一幡・公暁は常識として、
頼朝の末子貞暁(母は常陸介藤原時長の娘)、仁和寺の僧侶で子孫なし。
頼家の子栄実・禅暁(母はともに頼朝の祐筆一品房昌寛の娘)
二人とも僧侶らしい、栄実は承久元年(1219年)10月6日自殺。
仁和寺僧侶禅暁は翌承久2年4月14日誅殺された。
以上で男子直系は消滅。
38 :
日本@名無史さん:05/02/23 20:16:17
足利氏が源氏嫡流となるのは、そのあとか?
39 :
日本@名無史さん:05/02/23 22:57:48
範頼の子孫と称している吉見氏は嫡流の資格なし?
木曽義仲の子孫ですが全然嫡流じゃないですよね
41 :
日本@名無史さん:05/02/23 23:29:25
なんの嫡流?源氏が傍流にして木曽家の嫡流で別にいいんじゃね。
42 :
日本@名無史さん:05/02/24 01:35:15
藤原氏の嫡流はどこになるの?
43 :
日本@名無史さん:05/02/24 05:55:29
源経基を祖とする武家源氏の嫡流は
経基--満仲--頼光(摂津源氏)--頼政--土岐光信(摂津源氏を継ぐ)
で、美濃の土岐氏が武家源氏の嫡流。
44 :
日本@名無史さん:05/02/24 05:59:06
>>38 足利氏は源氏嫡流ではないよ。
足利氏の祖の源義国は、義家の子だが、義家は河内源氏の三代目で、河内源氏は系譜的には傍流。
さらにその傍流が足利氏。
だから、河内源氏と限定すれば、足利氏は源実朝死後、河内源氏の嫡流になるが、武家源氏の嫡流ではない。
45 :
日本@名無史さん:05/02/24 06:03:05
46 :
日本@名無史さん:05/02/24 06:24:56
細川護煕
47 :
日本@名無史さん:05/02/24 07:32:30
>>46 細川氏は、傍流の河内源氏の傍流の足利氏のさらに傍流。
48 :
日本@名無史さん:05/02/24 08:22:28
源氏も平氏も直系の子孫なんていない。
子孫はすべて分系であり、庶流であり、傍流、分家。
和泉細川氏はそのまた更に傍流だな
>>44 どういう理由で足利が河内源氏の嫡流だと考えてるのかな?
より血統が嫡流に近い家は吉良、吉見などがあるはずだが、
それでも嫡流が足利だということは、一番栄えてる家=嫡流かね?
だったら摂津現時は勢力を失って久しいわけだから、
源氏の嫡流=河内源氏の嫡流=足利ではないのかな?
51 :
日本@名無史さん:05/02/24 16:27:49
52 :
日本@名無史さん:05/02/25 00:46:20
>>51 頼政の子孫は、土岐氏が養子になり継承している。
だから土岐氏が、源氏嫡流の摂津源氏の後継となる。
54 :
日本@名無史さん:05/02/25 11:28:12
詳細きぼんぬ
55 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:02:35
>>51 >鹿島氏は高望流だから嫡流じゃない
なんで?
56 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:18:31
>>53 頼政に実子はいなかったの?
>>43 土岐光信(摂津源氏を継ぐ)
の出典希望
57 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:22:21
>>56 狂人の土岐厨に出典なんて示せるはずないんだからやめといてやれよ。大人気ないぜ。
尊氏が将軍に(遅くとも義満が源氏長者に)なった時点で足利氏が嫡流だろ。
58 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:25:34
>>56 狂人の土岐厨に出典なんて示せるはずないんだからやめといてやれよ。大人気ないぜ。
尊氏が将軍に(遅くとも義満が源氏長者に)なった時点で足利氏が嫡流だろ。
59 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:27:10
「直系の子孫はどうなった」というスレなのに
なんで嫡流の話になってるんだ?
傍流だろうと直系は直系だろ。
60 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:31:48
>>18 用語を整理する意味でこれに返答。
ごっちゃにしてるヤツ多すぎ。
「嫡流」は正室の産んだ男系子孫。
「直系」は正室、側室も含めた男系子孫。
「本家」は家督を継いだ子孫。
「傍流」は「本家」以外の子孫。
61 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:47:20
62 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:51:21
>「嫡流」は正室の産んだ男系子孫。
次・三男の系統でも正妻腹なら嫡流?
やっぱり基本は長男血統なんじゃないの?
63 :
日本@名無史さん:05/02/26 01:54:19
鹿島氏ってすごいな、源義家や源義光と姻戚なのか。しかも正しき平氏の名門。
こんなかくれた名族がいたとは・・
64 :
日本@名無史さん:05/02/26 02:35:18
> 次・三男の系統でも正妻腹なら嫡流?
この場合でも嫡流。
「嫡」を長男の意味にとるのはありがちな誤解。
65 :
日本@名無史さん:05/02/26 03:15:48
嫡子と言ったら正室の子すべてを指すの?
後継者一人ではなく?
> 嫡子と言ったら正室の子すべてを指すの?
>後継者一人ではなく?
これは使い方による。
狭義には「後継者」の意味になる。
ただし、それ以外の正室の子を嫡子と呼んでも間違いではない。
嫡子が後継者の意味に使われるのは庶子との差別化のためだと思う。
後継者としての正当性は、長男であっても庶子より嫡子の方が上とされるから。
67 :
日本@名無史さん:05/02/26 03:42:42
廃嫡といえば次期当主の取り消しだから・・
68 :
日本@名無史さん:05/02/26 03:46:01
嫡出子といったら本妻の子すべてだろうが
嫡子といったら跡継ぎのみではないか?
69 :
日本@名無史さん:05/02/26 04:03:09
> 嫡子といったら跡継ぎのみではないか?
66のように、狭義ではその通り。
跡継ぎ以外では嫡子かどうかは問題になることはないと思う。
廃嫡に関しても同じ。
推測だが、嫡出子というのは法律用語だと思う。
知ってる人いたらフォロー頼む。
70 :
日本@名無史さん:05/02/26 04:32:39
小笠原や林はナシですか?
71 :
日本@名無史さん:05/02/26 08:47:19
養子だろうが、妾腹だろうが、嫡流は嫡流です。
庶子(正妻以外の子)しかいなければそのうちの誰かがが嫡子(後継)となります。
誰もいなければ、弟でも甥でも養子にとって嫡子とします。
仮に正妻の生んだ長男がいても廃嫡されていれば嫡子ではなく、当然子孫がいても嫡流
ではありません。
そして嫡子と定められた赤の他人(曽祖父の姉の娘の娘の孫息子とか)の子孫が、嫡流と
なるわけです。
嫡子、嫡出の子、正妻から生まれた家督を継ぐべき子、特に長男。
庶子・養子を含めて家督を継ぐべき子。
庶子、嫡出でない子、正妻以外から生まれた子。
嫡出を含めて後継ぎ以外の子。
つまり、庶子(妾腹)にして嫡子(後継)、嫡子(正妻の子)にして庶子(後継以外)と言うこと
は当たり前に存在。
>>71 これは家督相続と嫡庶とをごっちゃにしてる。
73 :
日本@名無史さん:05/02/26 13:14:51
結局、源平藤橘の嫡流は何処?
74 :
日本@名無史さん:05/02/27 00:07:11
源氏嫡流 土岐氏
平氏嫡流 鹿島氏
藤氏嫡流 九条氏
橘氏嫡流 同上
75 :
村上源氏が嫡流:05/02/27 00:53:19
>>74 狂人土岐ヲタいいかげんなこと言うな。
藤氏嫡流が九条なら
源氏嫡流は久我だろう。
>>71 あなたがいいたいのは
庶出子(妾腹)にして嫡子(後継)、嫡出子(正妻の子)にして庶子(後継以外)と言うこと
は当たり前に存在
ということでは?
76 :
日本@名無史さん:05/02/27 01:02:01
江戸時代に、多くの大名は、親戚になってしまったしね。血統をどうのこうのは、いえないような希ガス。
77 :
日本@名無史さん:05/02/27 06:10:31
女系は直系とは言わない
がこの国の歴史学の暗黙ルール
「”ただし”女系でなら続いている」という風に但書をするもの。
78 :
日本@名無史さん:05/02/27 15:55:52
79 :
日本@名無史さん:05/02/27 21:02:08
源氏嫡流 土岐氏
平氏嫡流 鹿島氏
藤氏嫡流 九条氏
橘氏嫡流 同上
80 :
日本@名無史さん:05/02/27 23:48:48
>>78 土岐ヲタに聞いても無駄だよ。
ってゆうか、奴に聞くまでもなく、土岐が嫡流なわけがない。
土岐ヲタは根拠を示せない妄想野郎。
81 :
日本@名無史さん:05/02/28 00:41:20
他のスレでは、多田行綱が源氏嫡流という人がいて喧々諤々。
ここでは土岐氏が源氏嫡流なの?
多田氏は、摂津源氏の庶流だから、摂津源氏嫡流を継いだ土岐氏の方が正しいかも。
82 :
日本@名無史さん:05/02/28 05:10:05
>>56 尊非分脈によると、土岐氏の祖の源光信の子の光重が、源仲政の養子となっている。
土岐氏の祖は、源頼光の孫で、源頼政の祖父の頼綱の弟の国房。
83 :
日本@名無史さん:05/02/28 05:29:00
源氏と平家は大きな一族だから、直系は絶えても傍流はかなりの数が残っているはずだ。
室町幕府を作った足利も、源氏の傍流(比較的に本流に近い)の一つだったはずだ。
他にも源氏と平家の分流はかなりある。
もっとも真偽が怪しいのも多いけどね。
江戸幕府の徳川氏の元の姓、松平氏も清和源氏の流れを組むと名乗っていたはずだが、これも本当かどうかわからん。
84 :
日本@名無史さん:05/02/28 09:39:23
>>82でも頼光には実子もいるぞ。
養子になった即嫡流じゃないだろう。
それに『分脈』だって平安期の記述は必ずしも正しくないし。
85 :
日本@名無史さん:05/02/28 14:48:25
法的には、男系だろうと女系だろうと直系。
直系親=父母・祖父母のように直通する系列にある親族。
傍系親=伯父・叔母のように共通の祖先によってつながる関係にある親族。
直系尊属=父母・祖父母・曾祖父母・高祖父母…
傍系尊属=伯叔父母・伯叔祖父母…
86 :
日本@名無史さん:05/02/28 15:06:00
源氏嫡流 土岐氏
平氏嫡流 鹿島氏
藤氏嫡流 九条氏
橘氏嫡流 同上
87 :
日本@名無史さん:05/02/28 16:03:31
で結局、源平の嫡流は何処になる?
88 :
日本@名無史さん:05/02/28 16:16:26
>>85 公家は嫡腹・妾腹は気にしないが
武家はけっこう重視する。
兄弟であっても妾腹が嫡男より上ということはない
>>88 源氏って受領階級の貴族だが、どうなんだろう?
>公家は嫡腹・妾腹は気にしないが
藤原道長さんの家は気にしてたよね?
倫子腹と明子腹では差があったはず。
90 :
日本@名無史さん:05/02/28 20:20:55
源氏嫡流 土岐氏
平氏嫡流 鹿島氏
91 :
日本@名無史さん:05/02/28 22:17:43
>>83 間違ってるよ。
源氏と平氏については、
「大きな一族だから、直系は絶えても傍流はかなりの数が残っているはず」
というのは正しい。
しかし、平家は、平氏の中の一つの一族にすぎない。
平氏と平家を混同しないように。
92 :
日本@名無史さん:05/02/28 23:49:04
>>89 道長の時代にそんなことあった?
平安時代には通い婚が普通で、正妻と妾の差はたいして無かったはずだが?
気を使ったということは、妻への寵愛の差でないの。
>源氏って受領階級の貴族だが、どうなんだろう?
北条時宗は妾腹の兄を差し置いて北条の棟梁となった。
これを見ればわかるように鎌倉期には、嫡腹と妾腹の差ははっきりとあったよ。
しかしそれ以前はどうかね?
そこまでは知らない
93 :
日本@名無史さん:05/03/01 01:23:20
>>91 平氏と平家はどう違う?
清盛の一族が平家ってこと?
嫡流の平時忠が「平家にあらんずば人にあらず」と言っていたが。
94 :
日本@名無史さん:05/03/01 02:14:25
>>44は
>>50に痛いところを突かれて無視。
要は、摂津ヲタに反論する能力はないということだ。
>>93 平氏とは、必ずしも平姓ではなく、坂東平氏のように地名による苗字を名のっている。
平氏の中で平家とは、平姓の一族で、この時代に「平家」と呼ばれたのは、平氏の中の平清盛一族のこと。
平時忠は平氏だが、妹が清盛の正室になり、平家の一族になった。
96 :
日本@名無史さん:05/03/01 02:26:11
>>94 君、頭悪いよ。
>>50は別に
>>44の痛いところをついてないよ。
なぜなら、
>>44は、「足利氏は源氏嫡流ではない」というのがメインなのに対して、
>>50は、足利氏の河内源氏での位置を言っており、論点がズレているからね。
君は歴史の前に国語をやりたまえ。
97 :
日本@名無史さん:05/03/01 02:29:43
>>92 横レスですまんが、朧谷寿『藤原氏千年』に
「母親の違いが子の将来に大きく作用することは、この時代によく見られた現象である」、とある。
>>92 通い婚と言ったって、通うのは最初だけで、妻の家に住み込んでその邸宅を受け継ぐ。
99 :
日本@名無史さん:05/03/01 16:36:28
平時忠と源頼政の子孫の家系図キボンヌ。
100 :
日本@名無史さん:05/03/01 17:47:36
>>97 それは当然でしょう。
あの時代は母系が重視されて、男性は言って見れば婿養子のように妻の家が面倒を見たのですから。
だから生まれた子供は妻の一族の後見で将来が定まって行くからね。
私が言っているのはそうではなく、妻の家を気にするならともかく、正妻と妾の差をそこまで気にするかということなんだからな。
101 :
日本@名無史さん:05/03/01 18:16:56
PCの前で真っ赤になってる面が目に浮かぶ
そもそも平安時代に正妻と妾の区別なんかあったのかと。
104 :
日本@名無史さん:05/03/01 21:30:46
なかったの?
105 :
日本@名無史さん:05/03/01 21:38:16
平氏と平家の違いだが
平清盛の一族の場合、
桓武平氏内の一体感が弱く
それぞれが独立した勢力なので
清盛の居たあの一族の事は
平氏というよりも平家というほうが適当。
平氏という場合は、坂東八平氏なんかも纏めていう場合。
逆に源頼朝の場合、清和源氏の一族がある程度
大きく連帯していたから、源家というよりも
もっと大きな枠組みで源氏といほうが適当、ということか?
106 :
日本@名無史さん:05/03/01 21:39:59
明治の堂上華族の中に
平家の生き残りって居たの?
107 :
日本@名無史さん:05/03/01 21:41:22
正妻もなにも、女に名前はないし男の付属物程度の扱いだろう
一郎の母とか次郎の姉とかいう待遇だから、正妻も妾も扱いは
さほど変わらんだろう
食事の序列もも子供より下で末席の給仕係りという扱いだろう
110 :
日本@名無史さん:05/03/02 00:09:09
平氏は一体感が弱いため、みんな敵味方にバラバラ。
源氏は一体感が強いため、みんな内輪もめで必死。
111 :
日本@名無史さん:05/03/02 00:13:21
平家: 平清盛一族の家
源氏: 源家諸家の連合軍。
源義朝遺児の家。
源義賢遺児の家。
源頼政の家。
源義広の家。
その他。
112 :
日本@名無史さん:05/03/02 00:30:29
ここだけの話、隣の奥さんがアパッチ健の
若いときの子供みたい
113 :
日本@名無史さん:05/03/02 00:35:01
源氏では、源頼朝を嫡流だと見ていなかった
新田義重(源義重)
志田義広(源義広)
が、いいね。
114 :
日本@名無史さん:05/03/02 01:03:37
義広ってどうだったんだろうね。
ポジション的には我こそ嫡流、みたいな意識があったんだろうか。
まあ保元・平治の乱に参加してないところを見ると、
あまり周囲から当てにされるキャラではなかったのだろうが。
115 :
日本@名無史さん:05/03/02 01:09:43
平家の子孫は福岡はおおいです 自分も平家です
116 :
日本@名無史さん:05/03/02 01:26:38
常陸源氏の佐竹氏も頼朝に対抗していた。
坂東の源氏は、大半が頼朝を嫡流とは見ていなかったようだ。
結局、頼朝を担いだのは坂東の平氏ということか。
敵対してたことと嫡流視してたか否かってのは、全然関係ないだろ。
118 :
日本@名無史さん:05/03/02 02:52:13
源氏物語の主人公の光源氏があるように、源姓は母親の身分が低かったりして、天皇の見込みがなかったり、皇族に留まっても居心地が悪いとか
あるいは政治的な理由から臣籍に降りた親王などによく用いられた姓だ。
歴代天皇の中には、夜の生活が豪胆で、五十人からの御子をもうけたお方もいて、そうした御子が臣籍に下ることはよくあった。
しかし臣籍に下っても、藤原氏の天下ではいけるとこが限られているので、何代かすれば受領になったりして地方に行った
それが源氏と平家の先祖達だろう。
要するに源氏と平家と一言に言っても、いろんな系統がいたわけだ。
源頼朝らの清和源氏が本流なんだろうが、それ以外にも幾つもの系統があった。
平清盛が源頼朝らを生かしたのは、頼朝の美人の母親の助命嘆願や清盛の母親の助言とか言われているけど
それだけではなく、同じ平家でも源氏に近い平家や平家に近い源氏もいて、源氏の直系を下手に根絶やしにしたら、かえって政治的にややこしいことになるからではないかと考えられている。
そんなわけで源氏や平家の子孫もいろんな系統で本流の一つが耐えても、いまも残っているのも多いだろ
119 :
日本@名無史さん:05/03/02 16:29:02
120 :
日本@名無史さん:05/03/02 20:05:31
熊本の五家荘の緒方姓は平家ですばい
>106
文献名も個人の名前も忘れたけど、太平洋戦争では平家の子孫で平姓を名乗る
将校がいた。「平○盛」という名前だったはず。
122 :
日本@名無史さん:05/03/03 11:08:08
傍系の話になるが、2代将軍頼家の子供は何人いて、公暁以外はどうなったか教えて。
123 :
日本@名無史さん:05/03/03 13:58:56
しかし、織田某という自称織田宗家が明智、武田と相次いで若いとかやっていたね。
去年。
その後、テレビ朝日で放映直前に柏原織田系当主から、局に申し入れがあり
直前で放映ストップ。
霞会(旧貴族の会)にも入っていない自称大名の末裔には怪しいのが多い。
124 :
日本@名無史さん:05/03/03 14:21:01
新田系で岩松氏というのがあったと思うけど。
今も健在なの?
125 :
日本@名無史さん:05/03/03 15:21:43
>>123
埼玉県庁職員かなんかでしょ。
申し入れがあったのはソースはありますか?
明智子孫もあやしい。
ソース見つけました。どうも
128 :
日本@名無史さん:05/03/03 18:23:15
このまえ、トランプのカードに名前があることを知ったが、日本の武将に当てはめてみる。
〜キング〜
スペード:源頼朝
ハート:平清盛
クラブ:藤原道長
ダイヤ:菅原道真
〜ジャック〜
スペード:武田信玄
ハート:上杉謙信
クラブ:楠木正成
ダイヤ:源義経
〜クイーン〜
スペード:卑弥呼
ハート:小野小町
クラブ:巴御前
ダイヤ:淀殿 でどう?
武将でないのがいっぱい
130 :
日本@名無史さん:05/03/04 11:34:47
キングは中世・古代の権力者
〜キング〜
スペード:源頼朝
ハート:平清盛
クラブ:藤原道長
ダイヤ:蘇我馬子
〜ジャック〜
スペード:武田信玄
ハート:上杉謙信
クラブ:楠木正成
ダイヤ:源義経
〜クイーン〜
スペード:北条政子
ハート:小野小町
クラブ:巴御前
ダイヤ:淀殿 でどう?
131 :
日本@名無史さん:05/03/04 11:36:06
傍流の話になるが、源頼朝の兄弟の子孫っていないの?
132 :
日本@名無史さん:05/03/04 11:45:35
乙若が親子共々殺されたんじゃなかったか
133 :
日本@名無史さん:05/03/04 12:20:15
>>130 絵柄を一族に分けた方がいいと思う。
たとえば
ハート :平氏
スペード:源氏
クラブ :藤原氏
ダイヤ :公家
ってな感じで
135 :
日本@名無史さん:05/03/04 13:20:32
武田信玄=源氏
上杉謙信=平氏
平家みちよ
>>131 義平子孫=中村氏
頼朝子孫=島津氏、大友氏、和賀氏
希義子孫=吉良氏
範頼子孫=吉見氏
全成子孫=阿野氏
義円子孫=愛智氏
義経子孫=佐藤氏
知家子孫=八田氏、宍戸氏
明らかにウソと分かるのも入れて書いてみた。参考まで。
138 :
日本@名無史さん:05/03/04 22:11:38
頼朝の子に頼家、実朝以外に忠久という人物が系図に書かれていたんですが、この忠久という人物について何か情報あります?
139 :
日本@名無史さん:05/03/04 22:13:32
そいつは朝鮮人だよ。
140 :
日本@名無史さん:05/03/04 22:20:38
そいつは琉球国王と同祖なんだよ
142 :
日本@名無史さん:05/03/04 22:37:58
>>138 日本でもっとも野蛮な土地の王になった香具師だよ。
143 :
日本@名無史さん:05/03/04 23:55:53
144 :
日本@名無史さん:05/03/05 01:14:46
もし島津が頼朝の子孫だとしたら、大江広元の子孫である毛利は家臣になる?
145 :
日本@名無史さん:05/03/05 11:56:49
話を戻すが、源平の嫡流は何処な訳?
146 :
日本@名無史さん:05/03/05 12:28:57
源氏嫡流は久我氏。
誰だよ土岐とかほざく奴は。
多田スレより。
129 :日本@名無史さん :05/03/04 01:18:38
>>116 >土岐源氏なんて、油売りの斎藤道三に乗っ取られるくらいだから
>とんま源氏だな
まぁそれはちっと言い過ぎだろうが、そもそもこれだけ煽られるのも
土岐ヲタがあちこちで摂津が嫡流だの土岐が嫡流だのと喚いてるからだな。
天に唾するとはこのことだな。
147 :
日本@名無史さん:05/03/05 15:10:46
土岐は嫡流ではないが、摂津源氏が嫡流でしょ。
148 :
日本@名無史さん:05/03/05 15:20:27
小泉首相とモリマンは義経の子孫だよ。
149 :
日本@名無史さん:05/03/05 16:35:57
村上源氏久我氏が嫡流。
源氏氏長者が久我から足利、徳川なんだから。
徳川家だろ。
あえて出自にはめをつむってだが。wwww
151 :
日本@名無史さん:05/03/05 17:08:43
里谷多英が清和源氏嫡流でしょ。
152 :
日本@名無史さん:05/03/05 17:42:10
道理で見事な騎乗(ry
153 :
日本@名無史さん:05/03/05 18:40:44
陽成源氏
○源氏
親王・一世王(天皇の孫、親王の子)が臣籍降下した者。嵯峨天皇から始まる。
嵯峨、仁明、文徳、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐、村上、冷泉、花山、三条、後三条、
順徳、後嵯峨、後深草、亀山、後二条。→清和源氏、村上源氏、嵯峨源氏、宇多源氏が名高い。
○平氏
二世王(天皇の曾孫、親王の孫、一世王の子)以下が臣籍降下した者。
桓武平氏、仁明平氏、文徳平氏、光孝平氏。
156 :
日本@名無史さん:05/03/06 00:30:03
>>150 大政奉還後、徳川は久我氏に源氏長者を返還。
静ちゃん
はら
159 :
日本@名無史さん:05/03/06 01:22:08
久我って村上源氏じゃないかよ
160 :
日本@名無史さん:05/03/06 12:14:34
>159
そもそも源氏長者の地位は村上源氏諸家が相続してたのを
足利義満が強奪して徳川慶喜が返還したんだからイイんだよ。
161 :
日本@名無史さん:05/03/06 15:22:34
そもそも源氏長者って何?
源氏で御金持ちの人の総称。
村上源氏諸家が相伝していた財産を足利義満が強奪し、徳川慶喜が返還した。
だから徳川慶喜家は貧乏になって、子孫はコーヒー屋をやっている。
163 :
日本@名無史さん:05/03/06 17:59:12
では、源氏の子孫は今は女優、で良いのでしょうか?
久我美子、昔は美人だった。
165 :
日本@名無史さん:05/03/07 02:17:41
源氏長者は嫡流とは関係ないだろ。
ここでは、源平の嫡流について書き込みしなさい。
166 :
日本@名無史さん:05/03/07 07:00:52
>165
氏長者と嫡流は切っても切れない関係のはず。
藤原氏嫡流は五摂家に限定されることでもあきらか。
村上源氏の嫡流は久我家ということで問題無いと思う。
桓武平氏の嫡流は公家の西洞院家でいいと思う。
167 :
日本@名無史さん:05/03/07 15:06:00
村上源氏は清和源氏の嫡流ではないでしょ。
嫡流は摂津源氏
168 :
日本@名無史さん:05/03/07 15:09:15
西洞院氏の系図キボン。
>>155 それ見ると、
嵯峨源氏が源氏の中では一番最初っぽいな
そうすると嵯峨源氏の嫡流は?
170 :
日本@名無史さん:05/03/07 21:35:09
>>169 源氏の男系の子孫の中では、やっぱ、光孝源氏の当主 明仁氏が嫡流じゃないか。
171 :
日本@名無史さん:05/03/07 21:46:09
源明仁
172 :
日本@名無史さん:05/03/07 21:48:59
173 :
日本@名無史さん:05/03/07 22:04:48
蒲池ネタはイラねえよ!
いや面白いと思うよ。
まあ、嫡流じゃないから九州へ下ったわけだろうが、
どこの子孫にしろ、嫡流の子孫なんてそもそも希少なのではないか。
清和源氏も嫡流はやられていて、残っている子孫は全部、傍流、庶流だし。
平氏は、平家自身が傍流の伊勢平氏のさらに傍流であるし。
源平以外でもいいが、嫡流の子孫が健在な氏なんてあるのかね。
源義朝の子は、誰も子孫はいないのか?
直系
嫡流
本家
の違いは何?
177 :
日本@名無史さん:05/03/08 01:34:08
平氏の話になるが、坂東八平氏の嫡流はどこなの?
178 :
日本@名無史さん:05/03/08 01:38:24
坂東八平氏とやらは実際には平氏の男系子孫ではない。
平氏の男系子孫ではないということは、女系子孫?
平氏の某が地元の豪族の某氏の娘に産ませた子供の子孫ではないのか?
182 :
日本@名無史さん:05/03/08 08:55:29
>170
明仁氏は宇多源氏の嫡流と思うが。
183 :
日本@名無史さん:05/03/08 09:02:21
>182
あ、ごめん。光孝源氏であってるな。
光孝天皇の第七皇子、源定省の嫡流か。
184 :
日本@名無史さん:05/03/08 09:12:47
嫡流なのかなあ?
本家だろうとは思うけど。
185 :
日本@名無史さん:05/03/08 10:35:41
>>167 スレタイ読みなさい。
清和源氏に限定してなかろうが。
源氏の嫡流は久我氏。
摂津源氏は傍流。
>>185 久我氏は源氏嫡流ではなくて、源氏長者だよ。
嫡流と長者はまた別。
187 :
日本@名無史さん:05/03/08 15:00:06
ここでは清和源氏と桓武平氏だけでお願いします。
>>187 どうして?
スレタイは、別に清和や桓武に限定しておらず、
ただ、源氏と平氏とあるだけだから、清和源氏や桓武平氏以外のことでもいいのではないか。
190 :
日本@名無史さん:05/03/08 15:05:47
源氏の八幡太郎、加茂次郎、新羅三郎の三兄弟で、それぞれの嫡流は
八幡が頼朝(もしくは新田か足利)、三郎が武田氏だが加茂も嫡流はどこなの?
193 :
日本@名無史さん:05/03/08 15:17:45
スレタイを根拠に持ってくる奴がいるが、
>>1を見なさい。
清盛、頼朝の子孫についてだったがより嫡流の摂津源氏にうつっている。
嵯峨や村上の話ならよそでどうぞ。
194 :
日本@名無史さん:05/03/08 15:19:41
清和と嵯峨、村上のなかでどれが嫡流なんてのはない。
清和源氏の中でどれが嫡流なのかを議論するのは意味があるが。
195 :
日本@名無史さん:05/03/08 15:22:12
今日のバリバリバリューで清盛の孫がはじめた温泉旅館についてやるぞ。
報道ステーションのホリエモン生出演とどっちを見ようか迷ってる。
196 :
日本@名無史さん:05/03/08 15:23:07
でもNEWS23でも生出演するからいいか。
197 :
日本@名無史さん:05/03/08 15:26:47
河内源氏は清和源氏の嫡流じゃないとして、河内の嫡流はどこになるの?
河内源氏の嫡流は、頼朝の家が絶えた後は、足利氏では?
河内源氏の本拠地の河内国石川郡壷井(大阪府羽曳野市壷井)の地を相続したのは?
200 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:17:51
>>199 八幡太郎義家の六男の義時。
義時の系統は、石川に土着して石川氏を名乗り石川源氏と呼ばれる。
201 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:20:10
202 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:24:44
源義家が7代(?)のちに天下をとるといったが、
7代目の足利某は天下を取れる時世ではなく3代後に天下をとるといって切腹した。
その3代目が尊氏。
うろ覚えだがそんな話を聞いたことがある。
203 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:27:32
河内源氏の継ぎ方は随分、不思議だな。
頼朝の子孫断絶のあと、随分昔に分かれた足利や新田が嫡流だというのだから。
皇室典範的にはどこが嫡流なの?
204 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:43:22
205 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:46:22
>>203 皇室も武列天皇の子孫が絶えた時、5代遡り、その5代後の継体を持ってきているから、
あまり大差はないよ。
206 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:48:40
207 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:49:22
平氏長者は存在しないのか?
208 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:52:19
もう氏長者の話はよい。
嫡流一本で
209 :
日本@名無史さん:05/03/08 16:53:51
足利が嫡流なら武田はだめなのか?
より以前に分かれた一門として。
210 :
日本@名無史さん:05/03/08 17:04:12
>>209 足利は、義家の系統だが、武田は義家の弟の義光の系統だから、
嫡流のランクとしては、義家の子孫筋より1ランク下になるのでは。
211 :
日本@名無史さん:05/03/08 17:10:45
212 :
日本@名無史さん:05/03/08 17:15:52
吉見は足利よりも嫡流に近いが、残念なことに勢力が弱い。
やはりある程度の力と、嫡流の近さのバランスが軸になるのではないか。
213 :
日本@名無史さん:05/03/08 17:17:26
武田、佐竹、新田などは頼朝によって弱体化させられたので
鎌倉幕府内での序列が足利の方が高くなったのでそう見られて
いただけなのでは?
214 :
日本@名無史さん:05/03/08 17:24:11
勢力なんて関係ない現代ではどこが河内源氏の嫡流な訳?
215 :
日本@名無史さん:05/03/08 19:32:42
現代に河内源氏の嫡流など存在しない。
216 :
日本@名無史さん:05/03/08 19:35:38
217 :
日本@名無史さん:05/03/08 19:58:21
>>204 建部姓が平姓を仮冒してるだけだからキニスンナ
218 :
日本@名無史さん:05/03/08 20:06:40
清和源氏嫡流
経基ー満仲ー頼光ー頼国ー頼綱ー仲政ー頼政ー仲綱ー有綱ー光信ー光基ー光衡ー光行ー光定ー頼貞
219 :
日本@名無史さん:05/03/08 20:08:33
清和源氏傍流河内源氏嫡流
頼信ー頼義ー義家ー義親ー為義ー義朝ー頼朝ー頼家ー実朝
220 :
日本@名無史さん:05/03/08 20:43:42
>>217 高清は、六代(妙覚)のことかと。
平家嫡流の6代目なので、こう呼ばれた。
でも、禰寝氏の祖云々というのは捏造。
渡辺さんは大阪の神社の神主だと聞いたが。
旧子爵家だとおもう。
222 :
日本@名無史さん:05/03/08 21:19:45
>>221 大阪の座摩神社は渡辺姓の発祥地にあり宮司の渡辺氏は渡辺綱の子孫。
またお初天神で有名な大阪の梅田新道の露天神の宮司も渡辺綱の子孫。
近くにある太融寺は、渡辺氏の祖の嵯峨源氏初代の源融ゆかりの寺。
実朝の死で河内源氏嫡流は絶えた。
残った家はすべて庶流。
足利が嫡流?ハァ?
224 :
日本@名無史さん:05/03/08 22:05:02
>>221 渡辺綱って源頼光の四天王(配下)だった人でしょ?頼光が左馬権頭職で酒呑童子や市原野の鬼同丸、羅生門の鬼なんかの討征に従ってる。家格か個人かはわからないけどこの時点で清和>嵯峨ですかね?
またお初天神で有名な大阪の梅田新道の露天神の宮司も渡辺綱の子孫。
これは初出だ。
バリバリバリューで平家嫡流がでてました。
限りなくグレーだが。www
227 :
日本@名無史さん:05/03/08 22:51:50
228 :
日本@名無史さん:05/03/08 22:52:34
229 :
日本@名無史さん:05/03/08 23:54:33
源氏と平氏が平成6年に和睦したというソースキボン
230 :
日本@名無史さん:05/03/09 00:31:58
旅館経営してる伴氏って武家平氏の嫡流で本当にいいの?
231 :
日本@名無史さん:05/03/09 00:46:33
源氏の嫡流は多田氏。
経基ー満仲ー頼光ー頼国ー頼綱ー仲政ー頼政ー仲綱ー有綱ー光信ー光基ー光衡ー光行ー光定ー頼貞
までは嫡流みたいだがその後はどう続くの?
あと高棟流の平氏の嫡流はどこ?
232 :
日本@名無史さん:05/03/09 00:48:23
源広綱の子孫っているの?
234 :
日本@名無史さん:05/03/09 01:18:50
235 :
日本@名無史さん:05/03/09 01:23:56
>>231 それは多田氏ではない。
仲政や頼政の号は馬場であり多田ではないし、頼政以降も多田を名のった者はいない。
多田氏は、仲政の兄の明国の系統。
頼綱ー明国ー頼盛ー行綱ー行定ー基綱ー重綱ー宗重ー長重ー重国
237 :
日本@名無史さん:05/03/09 07:41:36
摂津ヲタ必死だなw
俺詳しくはいえないけど源雷光の四天王の子孫ゆかり
239 :
日本@名無史さん:05/03/09 15:15:35
>>237 つまらんゴタクを言う前に、
お前の摂津源氏の位置づけを書いてみなw
そうでないとお前は便所の落書き以下だな。
240 :
日本@名無史さん:05/03/09 15:16:36
>238
源頼光ならいたが、源雷光なんていないぜw
241 :
日本@名無史さん:05/03/09 15:39:52
頼綱ー明国ー頼盛ー行綱ー行定ー基綱ー重綱ー宗重ー長重ー重国
の系統が清和源氏の嫡流でいいのか。
で続きはどうなった?
242 :
日本@名無史さん:05/03/09 16:11:49
243 :
日本@名無史さん:05/03/09 17:00:41
でも雷光ってつおそう
244 :
日本@名無史さん:05/03/09 18:35:32
続きの系図はないの?
245 :
日本@名無史さん:05/03/09 19:01:58
昨日のバリバリバリューで
平氏の嫡流の人出てましたよ。
今は伴て苗字
「よりみつ」はどう間違えても「雷光」にはならんよな。
247 :
日本@名無史さん:05/03/09 19:22:07
俺も見たが本当にそこが嫡流?
248 :
日本@名無史さん:05/03/09 21:44:43
満仲―頼光―頼国―頼弘―家光―淳国
これしかないんじゃないか、嫡流は。
249 :
日本@名無史さん:05/03/10 00:13:11
平家の落人部落は証拠など残しておらず、生きるのに必死で
一族すら忘れてしまっている所こそ本物です。
250 :
日本@名無史さん:05/03/10 00:27:04
251 :
日本@名無史さん:05/03/10 10:22:45
とにかく嫡流の系図載せてよ。
252 :
源氏嫡流系図:05/03/10 11:07:40
義家─頼朝─家康─俺
253 :
日本@名無史さん:05/03/10 14:36:49
藤原氏の話になるが、武家の藤原氏って魚名から?
蒲生氏郷も奥州藤原氏も伊達政宗もみんなそうだよね。
254 :
日本@名無史さん:05/03/10 15:51:58
255 :
日本@名無史さん:05/03/10 18:11:32
>>253 伊達氏は偽証が高いらしい。
伊達氏の前身・中村氏は
古代豪族の毛野氏の後裔じゃないか?とも言われている。
>>250 摂津源氏が嫡流とか喚いてる厨房は、
結局「頼光が満仲の長男だから」という程度のことを言いたいだけなんだろうから、
それならば単純に長男の系統だけを辿ったらこうなる、という皮肉ですわ。
明国とか頼政とか土岐とかはこの系統より栄えたかも知れんが、
そう言いはじめたら頼朝や足利のケースはどうなるんだろうか。
結局どういうふうに理屈を持ってきても明国や土岐が嫡流の筈はない。
258 :
日本@名無史さん:05/03/10 23:44:35
>>256 無知の見本。
おまえ、恥ずかしすぎるよ。
259 :
日本@名無史さん:05/03/11 00:58:11
>>193 >スレタイを根拠に持ってくる奴がいるが、
>>1を見なさい。
>清盛、頼朝の子孫についてだったがより嫡流の摂津源氏にうつっている。
>嵯峨や村上の話ならよそでどうぞ。
日本語が理解できずに阿保なこと喚いてる奴がいるが、
清盛、頼朝の子孫についてだったがより嫡流の摂津源氏を経て
源氏全体の嫡流である源氏長者にうつっている。
それと忠告だが嵯峨源氏や村上源氏を嵯峨や村上と略すなよ。
260 :
日本@名無史さん:05/03/11 01:06:02
>>194 >清和と嵯峨、村上のなかでどれが嫡流なんてのはない。
>清和源氏の中でどれが嫡流なのかを議論するのは意味があるが。
清和源氏、嵯峨源氏、村上源氏が全く別の家だから、
その嫡庶を論じるのは無意味というのは、まぁもっともだな。
しかしそれと同じくらい河内源氏、大和源氏、摂津源氏も別の家なわけで、
どこが嫡流とかいう議論には意味がないと思うが。
そもそも当時「源氏」という言葉はあっても、清和源氏とか河内源氏とか
というのは、後世の人間が便宜的にそう呼んでいるだけだろ。
だとすれば、形式的とはいえまだ「源氏長者が源氏の代表である」という方が、
「摂津源氏が嫡流」とかいう説より正確なのではないか。
261 :
日本@名無史さん:05/03/11 01:25:33
清和源氏でいこうよ。
で嫡流はどこな訳?
262 :
日本@名無史さん:05/03/11 03:44:47
263 :
日本@名無史さん:05/03/11 03:56:52
264 :
日本@名無史さん:05/03/11 03:59:35
265 :
日本@名無史さん:05/03/11 04:49:42
267 :
日本@名無史さん:05/03/11 14:05:53
いや、徳川は賤民の子孫だよ。
新田氏に得川という姓があったのを利用して系図を捏造した。
268 :
日本@名無史さん:05/03/11 15:25:46
269 :
日本@名無史さん:05/03/11 21:17:05
>>268 清和源氏の先祖って、逝ってたらしいよね。で強制退位とか
270 :
日本@名無史さん:05/03/12 10:40:34
で嫡流はどこな訳?
いい加減結論だせ
271 :
日本@名無史さん:05/03/12 11:23:01
>>270 人にもの聞くのに偉い威圧的だねぇ。
源氏は久我氏だよ。
272 :
日本@名無史さん:05/03/12 11:28:44
>>269 星野博士の陽成源氏説だね。
まぁその説自体通説にはなってないし、
陽成天皇が不都合なので退位に追い込んだ藤原氏が、
自らの正当化のため陽成天皇を貶めたとも考えられるのだが
274 :
日本@名無史さん:05/03/12 17:47:44
摂津源氏と河内源氏の嫡流の系図を詳しくキボンヌ。
275 :
日本@名無史さん:05/03/12 18:18:37
摂津の嫡流は
頼綱ー明国ー行国ー頼盛ー行綱(多田)
頼綱ー仲政ー頼政(馬場)
どっちですか?
マルチうざ
277 :
日本@名無史さん:05/03/12 21:11:33
清和源氏嫡流
経基ー満仲ー頼光ー頼国ー頼綱ー仲政ー頼政ー仲綱ー有綱ー光信ー光基ー光衡ー光行ー光定ー頼貞
陽成天皇は実は在原業平の子だったと高い子が自白したので
基経がヤバイと思って陽成を退位させて子供も臣籍に降ろした
ってどこぞのカルトが言ってた
279 :
日本@名無史さん:05/03/13 00:00:19
>>277 頼政が短兵急に挙兵して敗死し、
一方で頼朝卿がその後数百年続く武家政権樹立の偉業を成し遂げた時点で
摂津源氏は嫡流を称する資格なしでしょ。
>>278 なかなか興味深い説ではあるね。
280 :
日本@名無史さん:05/03/13 01:38:26
>>279 嫡流の資格は、嫡子の系統であり、
頼朝はどんな偉業を成し遂げようと、嫡流にはなれない。
河内源氏の嫡流にはなれたが。
同じ河内源氏の木曽義仲をはじめ、佐竹その他を倒し、
弟まで粛清しているからね。
281 :
日本@名無史さん:05/03/13 01:40:06
頼朝は、河内源氏7代目になる。
>>280 >嫡流の資格は、嫡子の系統であり、
>頼朝はどんな偉業を成し遂げようと、嫡流にはなれない。
>河内源氏の嫡流にはなれたが。
これと
>同じ河内源氏の木曽義仲をはじめ、佐竹その他を倒し、
>弟まで粛清しているからね。
これの繋がりが分かんない。
283 :
日本@名無史さん:05/03/13 04:32:47
>>278 業平も元皇族、オヤジが薬子とえちしなければ天ちゃんになれてたかも?な人なんだけどな。
284 :
日本@名無史さん:05/03/13 11:32:41
多田と馬場はどっちが嫡流?
頼政は馬場だと思うんだけど。
285 :
会社員なんてくだらねぇ。なるんじゃなかった:05/03/13 11:38:16
>>280 そうはいうが、藤原摂家は嫡子の系統でないが、
藤原氏の嫡流であることに異論はないだろう。
摂津源氏に詳しい人が多いこのスレでさえ、
摂津源氏の嫡流が多田か馬場か土岐かで議論が分かれている有様だ。
当時の人間にとっては、そんなグレーな家々のどれかが嫡流なんて思ってないだろうな。
286 :
日本@名無史さん:05/03/13 12:26:50
摂家は藤原北家の嫡流ではあるが、
藤原氏全体の嫡流は藤原武智麻呂の子孫たる
熱田大宮司家。
287 :
日本@名無史さん:05/03/13 12:32:38
ところで藤原氏は
南家・・・熱田大宮司家
北家・・・摂家、清華家等の公卿、大名家など多数
と両家の子孫は確認できるが、
式家や京家の系統の家はあるの?
288 :
日本@名無史さん:05/03/13 13:02:04
>>283 :日本@名無史さん :05/03/13 04:32:47
>
>>278 >業平も元皇族、オヤジが薬子とえちしなければ天ちゃんになれてたかも?な人なんだけどな。
そう。
業平の系統(平城天皇系)のほうが、元々は皇室の本流だったけど
薬子の変で、弟の系統(嵯峨天皇系)が皇室本流になった。
289 :
日本@名無史さん:05/03/13 14:09:49
藤原氏全体の嫡流なんてない。
単独相続じゃないんだから
290 :
渡辺の名無しさん:05/03/13 14:13:55
じっちゃんが、わが家は「渡辺綱の子孫」だといってた。
ホントかいな?
291 :
日本@名無史さん:05/03/13 17:34:14
有耶無耶になっちゃったけど摂津源氏の嫡流は馬場と多田のどっちですか?
結論でてないんですけど。
あと、馬場と多田の当主は健在?
ババとタダってどっか似てる。
292 :
日本@名無史さん:05/03/13 18:40:04
293 :
日本@名無史さん:05/03/13 19:08:16
>>293 村上厨うぜえ。
お前ら愚民にいいこと教えてやる。
土岐頼遠が光厳上皇の牛車に
「院というか、犬というか、犬ならば射ておけ」といって
矢を放ったのは、土岐氏が源氏嫡流という自覚だからに他ならないのだ。
そもそも仁明天皇の嫡子は文徳天皇。
従って、光孝天皇の子孫に過ぎない光厳上皇など、
土岐氏から見たら傍流に過ぎないのだ。
つまり土岐氏>>>>>>>>>>>>>宇多、村上
だぞ分かったか村上厨。
二度とこのスレに来るな。
294 :
日本@名無史さん:05/03/13 19:09:42
295 :
日本@名無史さん:05/03/13 19:13:42
源氏の子孫=堀江
平氏の子孫=日枝
今まさに1000年の時を越えて
再び天下を二分した戦いに突入。
今後の動向は、村上水軍の子孫=村上ファンド
がどちらにつくかで趨勢が決する。
まさに1000年前の源平合戦の再現w
296 :
日本@名無史さん:05/03/14 10:04:21
藤原氏と源氏の嫡流の継承方法って違うよな。
297 :
日本@名無史さん:05/03/14 11:09:30
299 :
日本@名無史さん:05/03/14 11:39:28
300 :
日本@名無史さん:05/03/14 11:43:11
301 :
日本@名無史さん:05/03/14 15:03:40
っていうか、武家藤原氏って何よw
その嫡流って何よw
秀郷流が嫡流で、隆家流はその庶流???
304 :
日本@名無史さん:05/03/15 11:43:02
小山と結城が武家藤原氏(秀郷流)の嫡流なんでしょ?
それとも佐藤氏?
305 :
日本@名無史さん:05/03/15 11:43:36
306 :
日本@名無史さん:05/03/15 16:26:27
307 :
日本@名無史さん:05/03/15 23:52:46
308 :
日本@名無史さん:05/03/15 23:59:08
つーか宇都宮氏が道兼の流れだという系図については
否定的な意見のほうが定説だろ。
309 :
日本@名無史さん:05/03/16 01:10:26
>>308 そうですね。
宇都宮氏は、古代豪族の毛野氏の子孫という説が有力ですね。中原氏説もありますし。
ただ、まあ尊卑分脈あたりの見方を言っただけ。
しかし、秀郷流というのも藤原氏なのかどうかは疑問が多いし、
秀郷の子孫という武家も秀郷と関係ないものが少なくないのも確か。
中原氏。宗綱が中原師であることは同時代史料に明記されている。
毛野氏の子孫なわけがない。地盤は継いだだろうが。
311 :
日本@名無史さん:05/03/16 07:39:55
本当に毛野氏だったとしたら漏れ的には藤原氏なんかより
よほど萌えなんだが。
312 :
日本@名無史さん:05/03/16 10:15:35
秀郷が藤原の子孫だと言うのは信用できるし、
佐藤、結城、小山あたりが嫡流なんだろう。
313 :
日本@名無史さん:05/03/16 11:37:48
314 :
日本@名無史さん:05/03/16 11:49:12
うちは源氏の直系ではない源氏の傍系だが、
源氏は親兄弟で殺し会ったロクな家系ではない。
うちも源氏の血を引いているので、
先に生まれた子が後から生まれて来た子を嫉妬しちゃってどうしようもない。
315 :
日本@名無史さん:05/03/16 15:16:24
316 :
日本@名無史さん:05/03/16 15:18:46
佐藤氏は鎮守府将軍藤原秀郷より六世の孫公清にはじまる。
佐藤とは公清の官名が左衛門尉であり、
その子季清、その孫康清がいずrめお左衛門尉に任じられていたため、
左衛門尉の左をとって佐藤と称したといわれる。
317 :
日本@名無史さん:05/03/16 15:19:34
西行となのった佐藤義清は康清の子である。義清もまた、家門の伝統を継承して左衛門尉に補任され、兼ねて鳥羽院の下北面となった。
318 :
日本@名無史さん:05/03/16 15:24:11
319 :
日本@名無史さん:05/03/16 23:45:52
源氏嫡流はどこなの?
また源家嫡流は?
320 :
日本@名無史さん:05/03/17 10:45:50
321 :
日本@名無史さん:05/03/17 11:01:51
322 :
日本@名無史さん:05/03/17 12:19:33
323 :
日本@名無史さん:05/03/17 16:21:39
太田氏は摂津源氏でしょ。
どっから猪俣党説なんて出てきたんだ?
324 :
日本@名無史さん:05/03/17 16:38:00
桓武平氏の嫡流はどこになるの?
高棟流と高望流をそれぞれ教えてください。
325 :
日本@名無史さん:05/03/17 17:05:55
326 :
日本@名無史さん:05/03/17 22:06:23
浅野忠信の本名って佐藤忠信じゃなかったっけ?
327 :
日本@名無史さん:05/03/17 23:34:43
328 :
日本@名無史さん:05/03/18 00:24:55
329 :
日本@名無史さん:05/03/18 01:54:42
>相馬貞元
伊作(伊佐)平次貞時の男良元と同一人
330 :
日本@名無史さん:05/03/18 16:36:51
子孫について教えて
331 :
日本@名無史さん:05/03/18 18:27:05
◆顕浄土真実教行証文類
【 序 】
ひそかにおもんみれば、難思の弘誓は難度海を度する大船、無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。
しかればすなはち浄邦縁熟して、調達(提婆達多)、闍世(阿闍世)をして逆害を興ぜしむ。
浄業機彰れて、釈迦韋提をして安養を選ばしめたまへり。
これすなはち権化の仁、斉しく苦悩の群萠を救済し、世雄の悲、まさしく逆謗闡提を恵まんと欲す。
ゆえに知んぬ、円融至徳の果号は悪を転じて徳をなす正智、難信金剛の信楽は疑を除き証を得しむる真理なりと。
しかれば凡小修し易き真教、愚鈍往き易き捷径なり。
大聖一代の教、この徳海にしくなし。
穢を捨て浄を忻ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡く、悪重く障多きもの、ことに如来(釈尊)の発遣を仰ぎ、かならず最勝の直道に帰して、もっぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ。
ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。
たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。
もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへってまた曠劫を逕歴せん。
誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。
ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月氏の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。
真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。
ここをもって聞くところを慶び、得るところを嘆ずるなりと。
332 :
日本@名無史さん:05/03/18 19:50:56
333 :
日本@名無史さん:05/03/18 20:24:26
貞盛の跡は維衡(清盛の先祖)ではなく、兄の維将乃至その子維時
(祖父貞盛の養子)が継いだと考えるなら、維時の子で検非違使大夫尉と
なり平忠常の乱に遣わされた直方(武功無く、源頼義を婿とした。義家外祖父)
の子孫北条氏となる。(直方嫡流熊谷氏は毛利氏配下に)
となるとその名跡を継いだ後北条(清盛曾祖父正衡の兄の子孫伊勢氏)か。
ちなみに江戸中期の有職故実家伊勢貞丈もこの伊勢氏一族。
高棟流は西洞院で問題ないんじゃない。
334 :
日本@名無史さん:05/03/18 20:38:12
桓武平氏は常陸を中心に栄えたので、その嫡流といえば、幕末の芹沢家。
つまり芹沢鴨は平家の本家の御曹司。
だてに、水戸候が芹沢家に表敬訪問するだけの家である。
貞盛の弟繁盛の子維幹の、長男為賢は九州伊佐平氏の、
次男為幹は常陸大掾氏(鎌田、多気、真壁、鹿嶋大宮司、芹沢等)の先祖。
また繁盛子で祖父国香の養子となった余五将軍維茂は城、海道、
加地、奥山、今津などの祖。特に城、海道は北陸、東北において
名族とされた。また維茂の嫡流はずっと苗字を名乗らず京都にあって朝廷に仕えた。
336 :
日本@名無史さん:05/03/18 23:46:25
繁盛の子が国香の養子って、年代あうの?
まあ合わんことないのかもしれんが、養子にする必要性なんかあったの?
国香─繁盛─兼忠
維茂(余五将軍)の系譜的位置付けには諸説がある。
『尊卑分脈』に繁盛の子とし、『今昔物語集』には兼忠の子。
国香の子としているのは『将門記』とかだっけ? 失念した・・・
338 :
日本@名無史さん:05/03/19 01:24:19
>>334 芹沢家の姓は、「平」で、
芹沢鴨の正式な名乗りは、平光基(たいら・の・みつもと)。
339 :
日本@名無史さん:05/03/19 01:29:39
「もと」は「幹」じゃないか?
為幹以来常陸大掾一族の通字
341 :
338:05/03/19 05:02:42
>>339 そうでした。芹沢鴨は、
平光幹
が正解。
ダンケ・シェーン。
342 :
日本@名無史さん:05/03/19 11:15:41
343 :
日本@名無史さん:05/03/19 11:35:07
高望流の嫡流は
高望ー国香ー貞盛までは確実だよね。
高望の子供は何人かいたが、国香が嫡男。
国香の嫡男は貞盛ってことでいいのだろうか。
もしかして
高望ー良将ー将門が嫡流?
344 :
日本@名無史さん:05/03/19 12:47:05
平氏は早くから苗字化しており、平姓の伊勢平氏は庶流だから、
平氏系には嫡流は早期に消滅して、平氏としての一族感は消滅。
坂東の平氏が源氏の郎党となったのも、こうした事情による。
345 :
日本@名無史さん:05/03/19 12:56:39
源氏は、源頼光の摂津源氏が嫡流だったが、源頼政が死に、源頼朝が鎌倉幕府を開いた時点で、
それまでの源氏嫡流は消滅し、頼朝が新たに自らを源氏嫡流としたため、
そこから逆算して頼朝の先祖の河内源氏が、源氏嫡流の源頼朝の祖として嫡流視される。
しかし、源頼朝の家は実朝で滅び、源頼朝の家を嫡流とする源氏嫡流観は消滅。
源頼朝の家の絶えた後、源氏の一族で最大の勢力を持っていたのは足利氏であり、
足利氏が自らを源氏嫡流と称する。
このように源氏嫡流は、
摂津源氏(源頼光〜源頼政)時代
河内源氏(源頼朝〜源実朝)時代
足利氏時代
と変遷しているといえるのではないか。
346 :
日本@名無史さん:05/03/19 14:59:11
で高望流の嫡流はどこな訳よ。
347 :
日本@名無史さん:05/03/19 16:37:38
高望流で
貞盛と将門はどっちが嫡流だったんだろう?
貞盛の子に維将と維衝があるがどっちが嫡男なんでしょう?
質問2つの回答をお願いします。
348 :
日本@名無史さん:05/03/19 18:23:05
>>345 貴見に概ね賛成ですが、鎌倉三代を河内源氏とは言わないのでは。
349 :
日本@名無史さん:05/03/19 18:27:27
今は「清和源氏」とは言わないんですか?
350 :
日本@名無史さん:05/03/19 22:39:37
いうよ。
清和源氏という巨大氏族の中にも、摂津や河内などの大きい氏族やら小さい氏族やらいっぱいいるんだよ。
351 :
衣笠宮:05/03/19 23:14:12
>>60 「嫡流」は正室の産んだ男系子孫。
「直系」は正室、側室も含めた男系子孫。
「本家」は家督を継いだ子孫。
「傍流」は「本家」以外の子孫。
>>71 養子だろうが、妾腹だろうが、嫡流は嫡流です。
庶子(正妻以外の子)しかいなければそのうちの誰かがが嫡子(後継)となります。
誰もいなければ、弟でも甥でも養子にとって嫡子とします。
仮に正妻の生んだ長男がいても廃嫡されていれば嫡子ではなく、当然子孫がいても嫡流
ではありません。
そして嫡子と定められた赤の他人(曽祖父の姉の娘の娘の孫息子とか)の子孫が、嫡流と
なるわけです。
60さんの説明は少し違います。
71さんの説明は正解です。
簡潔に説明すると以下の通りとなります。
直系=血筋が父祖から子孫へ一直線につながる系統。
子や孫は直系。正室の子孫だろうが側室の子孫だろうが養子に行こうが関係なし。
蜂須賀斉裕は徳川家斉の子供であり徳川家康の直系の子孫です。
傍系=血族ではあるが直接の親子関係だけではつながっていないもの。
兄弟や従兄弟の子孫は傍系。
徳川吉宗は徳川秀忠から見れば傍系です。
嫡子=跡継ぎ
嫡流=家督を受け伝えてゆく家柄
例え養子であっても跡継ぎは嫡子、嫡流とは本家とイコール
質問ノ
家督や跡継ぎを一人に絞って決めだしたのっていつ頃でしょうか?
>>351 >「嫡流」は正室の産んだ男系子孫。
単に正式な後継者の系統であって、正室は関係ないんじゃねーの?
正室の産んだ子が後継者になりやすいってだけで。
354 :
日本@名無史さん:05/03/20 01:20:53
で摂津源氏と河内源氏の嫡流は何処な訳?
355 :
日本@名無史さん:05/03/20 01:29:27
>>353 いや、嫡子とは正室が生んだ子をさす。
現在でも皇室典範にも民法にも嫡子と言う言葉がでてくるが
特に民法で正妻の嫡子と愛人の子で相続に格差があるのは有名だろ。
また皇室典範には嫡子しか皇族になれないことが規定されている。
正妻以外の子は皇族ではない。
現代の法律を遡及適用しないでw
確かに本来は
>>355の意味だが、
広義では
>>353の意味でも通用してる。
357 :
日本@名無史さん:05/03/20 13:53:22
高望流で
貞盛と将門はどっちが嫡流だったんだろう?
貞盛の子に維将と維衝があるがどっちが嫡男なんでしょう?
質問2つの回答をお願いします。
>>357 答えてほしいのは分かるけど1度目の質問からあまり時間が経っていないのに、
直ぐに2度めの質問をするのは頂けないな。
高望の子、孫の時代でゴタゴタがあって残ったのが貞盛になったというだけで、
どの人物が嫡流だとかそういうのはなかったんじゃないの?
中央官吏なら家の官位を継いでいくので嫡流とかきっちり決めていってたと思うけど、
実効支配以外意味のない受領層で嫡流・傍流は結果(誰が経済力・武力を一番備え得たか)で
決まっていくと思うんだけど。
359 :
衣笠宮:05/03/20 22:10:05
>>355 :いや、嫡子とは正室が生んだ子をさす。
現在でも皇室典範にも民法にも嫡子と言う言葉がでてくるが
特に民法で正妻の嫡子と愛人の子で相続に格差があるのは有名だろ。
また皇室典範には嫡子しか皇族になれないことが規定されている。
正妻以外の子は皇族ではない。
嫡子とは跡取りのことです。
場合によっては、正室の子を差し置いて側室の子が嫡子になることだってあります。
赤の他人が嫡子になることだってあります。
天皇の正室っていわゆる皇后だろ?
歴代天皇の生母見ても皇后からの生まれじゃない人も沢山見受けられるね
古い例だと桓武天皇 新しいとこだと明治天皇か
361 :
日本@名無史さん:05/03/20 22:56:10
>>360 現在の皇室典範では正妻以外の子は皇族と認められないのは
事実だよ。
側室制度があった、旧皇室典範第4条にも正妻の嫡出皇子と
それ以外の子を皇庶子として区別していて、皇位継承は嫡子を
法的に優先していた。
現在の皇室典範は側室は存在しないから皇庶子の言葉がなくなった。
正妻以外の子の取り扱いはどうするか、議論にもなっている。
それに皇后生まれの天皇が少ないのは皇后に子供がいないか
早く死んだからだよ。
皇后に男子がいれば最優先で皇位は継承される。
将軍家や武家でも正妻の男子が嫡子として優先される。
伊達政宗の子も正妻の次男が宗家を継ぎ、長男は伊予で
分家となった。
362 :
日本@名無史さん:05/03/20 23:00:03
>>360 旧皇室典範の規定でいくと、もし昭憲皇后に皇男子がいれば、
大正天皇は例え明治天皇の長男でも即位できなかった。
皇室の話は参考になった
じゃあ正妻に男子が居なければ、側室でも嫡子になるでいいってことだな
っていうかさ、民法とか皇室典範って近代的な家制度を確立するためのものじゃないのか?
そんなもん持ち出してどうすんねん
365 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 06:02:32
頼朝は義平、朝長と言う二人の兄がいたにも関わらず、嫡子。
そう言うことだろ。
366 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 12:15:20
嫡流論議をしているのが百姓の子孫なんだろう。
368 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 16:28:14
>>367 あんた、「百姓」という語の歴史的意味を知ってるのかいw
369 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 17:30:18
>368
網野オタうざい
370 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 17:34:14
どうでもいいから質問には答えてくださいよ。
371 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 17:52:45
嫡子=跡取り
嫡流=跡取りの連続の筋
でいいでしょ。もう。考え過ぎの人がいるね。
372 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 17:54:20
平安時代、跡継ぎは長男にこだわっていなかった。
もっと柔軟に物事を考えよう。
373 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 18:01:59
長子かどうかよりも母の父や兄弟がどれほどの有力者だったのか、
ということの方が重要だったわけですし。
現に大河ドラマでも取り上げられ、2chの流行語も生んだ、あの
北条時輔だって、時宗の「庶兄」なんだからね。
長子相続を社会ルールとして固めてきたのは徳川家康以降でしょう。
さらにガチガチに固めたのは明治新政府。
それまでは長子相続を理想としながらも、他の選択肢も許されてい
た、と考えてはダメ?
ふむ
嫡子に対する考え方も時代や地方・個人で多様であった。
と仮定すると、色々納得イクねぇ。
375 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 22:22:52
辞書には「嫡出」正妻の子。同意語として嫡子と書いてあるが。
対義語が庶子。(正妻以外の子)
庶子が跡継ぎになる場合、正妻の子として嫡子とするはずでは。
それが義経では頼朝は自ら「わしは嫡流、義経は庶流」と念押ししているぞ。
2chの流行語も生んだ、あの
北条時輔だって、時宗の「庶兄」なんだからね。
↑??
流行語ありましたか?
377 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 22:50:07
徳川将軍家も側室の子供が跡継ぎになる場合、
御台所の子とするんでは、なかった?
先代の御台所を母親として遇していた、とかいう話を聞いたような気がするが、
何らかの手続きみたいなのはあったのかね?
379 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 23:00:25
徳川宗家以外から分家(御三家や御三卿)が将軍になる時
先代夫妻の養子になったような。
綱吉や家綱の、吉宗は家継の養子縁組の手続きがとられた。
要するに手続きさえすりゃ生母云々はどうでもいいってことやの
381 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 05:50:31
>379
吉宗は違う。今も昔も基本的に年下の者が年上の者を養子にすることはできない。
382 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 08:53:58
誰を嫡子とするかは、父親が決める。
383 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 11:02:41
>383
タイムマシンに乗って相馬師国に聞いてこいやバカヤロウ
385 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 17:11:33
知らんのなら書き込むな。
386 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 17:36:32
兼頼の子・重国は源義家に臣従し義家の斡旋によって将門以来、
有名無実と成って居た相馬御厨(みくりや)(伊勢皇太神宮領)が安偖(あんしゃ)され相馬家に返り咲き、
重国は信太佐倉より相馬郡下高井に移住し信太氏改め相馬と改姓した。
胤国(たねくに)―師国(もろくに)と続き、師国の時、
男子は胤富(たねとみ)を除いては女子多く、胤富は後妻の子である為、
家督相続で争いが絶えず、胤富の母が常胤の弟・胤光の娘と言う関係で母の意に従って常胤の次男・胤常を養子に迎え、
養父の名をとって師常と改め、相馬家を継承して事なきを得た。
胤富は伊豆山権現文陽房覚淵(かくえん)の基で出家し、
覚勢(かくせい)法印と号した。
387 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 17:44:36
>相馬貞元の子孫
貞元は相馬氏ではなく、
>>329の伊作氏。
将門の後裔とする俗伝が系図に反映しただけ。
389 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 20:42:05
女系でもいいので嘘抜き(落人伝説とかではなく)
平相国清盛公の血が入っている方はいらっしゃるのですか?
戸沢氏はどうなんだろう?
391 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 00:33:43
貞元の子孫はどうなったのだろう?
戦国時代にも表に出てこなかったし。
392 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 00:53:17
>>389 有名どころでは、天ちゃん もちろん女系。
393 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 01:05:29
>>376 だって頼朝は嫡子だもの。あの時点で生き延びていた源義朝の子のうち、
一番、サラブレッドなんだから。母の父が有力だから。
競走馬でいえば「良血配合」ってやつじゃないの?
397 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 03:32:42
>>396 頼朝は、義朝の嫡子。
義仲は、義賢の嫡子。
仲綱は、頼政の嫡子。
嫡子は多いぞ。
元を辿り、源満仲の嫡子は誰かということ。
398 :
9:2005/03/23(水) 04:35:10
>>389 俺。
平清盛ー藤原兼雅室…→俺
兼雅室は、花山院忠経・五辻家経の母。家経の子孫には、後伏見天皇の母や後醍醐天皇の母がいる。
平清盛ー藤原隆房室…→俺
隆房室は、四条隆衡の母。隆衡の孫・姞子が後嵯峨天皇に嫁ぎ、後深草・亀山両天皇の母となっている。
→条件的にかなりの数の女系子孫。
あんまり珍しく無いかも。
399 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 10:19:21
男系子孫もかなりいるから珍しいことではない。
400 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 11:17:37
401 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 11:22:18
402 :
389:2005/03/23(水) 12:19:34
>>393さん、
>>398さん是非お友達になって下さい。
お家には先祖代々の文化財とか沢山あるのですか?
羨ましい限りでございます。
403 :
393:2005/03/23(水) 12:38:46
そんなもん全然ないよ。
平家の女系の子孫なんて山ほどいる。
おそらく日本人の大半がそうだろう。
系図で説明がつくか、つかないかというだけの話。
祖父母なり曽祖父母なりの家に家系図がある人でなければ
難しいだろうな。
404 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 14:14:06
国香の兄弟の子孫って案外互いに親戚っていう意識が強かったのかもなあ
相馬と千葉の養子関係とか
あと千葉は鹿島氏から養子もらってるし
もちろん互いに嫁をだしたりもらったりしてたわけだが
405 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 15:28:26
将門・忠常 VS 貞盛・維衝という構図だったらしい。
忠常が反乱を起こしたとき貞盛の子孫を先祖の敵とし、
維衝は忠常を将門以来の旧敵としていた。
406 :
日本@名無史さん:2005/03/25(金) 01:11:40
>>405 もう少し正確に言うと、貞盛・繁盛兄弟vs将門、忠頼・忠光兄弟
そして、その子ども達、維時・直方親子vs忠常
直方が追討使となり、維時が上総介となるなど、この乱は実は私戦。
結局それでは埒が明かず、直方父子のもくろみは失敗し、源頼信によって
乱は終結。直方は頼信の子頼義を婿に迎え、坂東での諸権益を譲り、
以後、坂東は源氏の勢力下となり、平氏は伊勢に活動の舞台を移す。
維衡・正輔親子vs致頼・致経親子は前者の勝利となり、伊勢平氏となる。
後者の子孫長田氏は源氏につくが、義朝を裏切る。
409 :
日本@名無史さん:2005/03/25(金) 16:40:21
410 :
日本@名無史さん:2005/03/25(金) 17:10:02
有馬氏は将門と一切関係ない。
411 :
日本@名無史さん:2005/03/25(金) 17:13:39
ttp://www.hikoshima.com/bbs/heike_slink/100674_4.html >相馬貞元の裔が九州相馬氏で、太平記に見える南北朝時代の鎮西の
>相馬小太郎などは後裔と思われる。恐らく筑後国山門郡瀬高庄を中心に
>九州全域に拡がったものと推測する。また異説として肥前有馬氏の祖で
>ある藤原氏長良流の直純は、実は将門の子相馬次郎平直澄であり
>養子となり藤原純友の末裔に家系をすり替えたとしている。
平直澄の系譜は不明だが、太田亮氏の所論に拠れば伊佐平氏の族と。
この伊佐(伊作)平氏にも将門の子孫とする俗伝がある。また山口良吾氏
の研究によれば、有馬経澄は相馬中務庄司を名乗っていたともいう。
平国香
藤原紀香
415 :
日本@名無史さん:2005/03/26(土) 13:36:59
俺のことか?
416 :
日本@名無史さん:2005/03/26(土) 15:08:56
で将門の子孫は今どこにいるわけ?
┌─────────┐
つ さがさないでください │
└─────────┘
418 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 00:45:52
清盛の子孫はいるんだろうか?
重盛や知盛あたりの
織田氏って平家の流れでしょ?
スケートの少年も
織田は斎部姓、一説に伴姓
421 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 16:00:54
織田が平家の流れなんて本当に信じてる人なんているんだ。
そういう人って徳川も源氏だと思っているんだろうな。
422 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 17:08:26
スケート小僧は織田の嫡流じゃない。
読売の真田と同じ。
一々、スポーツニュースで織田信長の末裔のOOっていう解説がいらない。
423 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 17:15:43
424 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 19:00:31
経盛さんの子孫は?
経正さん、敦盛さんあたりの。
425 :
日本@名無史さん:2005/03/29(火) 01:34:52
敦盛は15,6で死んだから子孫はいないと思う。
426 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 11:17:26
バリバリバリューに出てた伴家はかなり怪しいな。
あんな家が名門だとは許せんものがある
427 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 19:48:14
>>423 平忠実ってバリバリバリューのWebにあるよ?
>>427 湯西川ってところらしいので検索しても 忠実って書いてあったので
忠実が正しいと思う。
本当に落ちていったのかどうかは知らんが そう伝えられてるらしい。
429 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 15:30:30
六角氏
430 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 16:26:47
平忠実ってあまり聞かないけど、誰の子?
431 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 16:52:25
432 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 16:59:20
でも平忠実が逃れてきて、3、400年たってから武具が発掘されたんだよな。
それまで何してたんだろう?
433 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 17:03:37
っていうか平忠実なんて本当にいたの?
どの系図調べても名前載っていないんですけど
434 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 18:51:52
435 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:52:52
平安末期から隠されていたにしては、鎧が妙に新しそうに見えたのですが。
当時あんなに家紋が使われていたのかな?
俺も、平家ゆかりと言う割に、甲冑に小袖のものがあって疑問だった。
隠しながらコツコツ貯め続けてたのか?とも思ったけど、隠してた理由が「源氏から逃れるため」だしなぁ。
いつまで源氏による平家狩りがあったんだ…。
437 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 00:17:37
っていうかいくら隠していたといっても、
自分の子供には隠し場所言っとくだろ。
400年もたってでてきたといっても怪しすぎる
438 :
日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 00:57:40
そもそも、平氏の落武者が幾ら鴨フラージュのためとはいえ、
「伴」を名乗ること自体が、変に思える。
もしかしたら、元々は伴氏系を名乗る名主(例えば神職から転
身)で、何代目かの人が軍記物や政談物のファンだったんじゃな
いか?
で、「伴善男ではカッコ悪いから平重盛にしーちゃおっと」て考
えたんでわなかろうか?
考え過ぎかな?
440 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 14:57:28
っていうかあんな家が平家の嫡流のふりしてて許されるのか?
441 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 20:59:10
平氏嫡流なら、明治以前、何百年も素性を明かせないのは当然。
今の世の中の基準で考えるな。
442 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 21:02:48
それより今日の大河で
頼朝が源氏嫡流て強調してるが
嫡流行綱スレとか立っているように
本当に頼朝が嫡流なのか?
また、なぜそう思われているのか?
知ってる人きぼーん。
>>441は、何も知らないDQN。
本当に平氏嫡流だったら、
江戸時代に嬉々として
系図晒すだろ。
444 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:10:23
俺の友達に父方が平氏で母方が源氏って言ってた奴いるよ
>>444 惜しい!もうちょっと笑うツボを研究してくださいまし。
446 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:43:12
父ちゃんが平家蟹、母ちゃんが源氏蛍
447 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 00:32:31
>>442 今回の大河で挙兵した源頼政が清和源氏の嫡流で摂津源氏と呼ばれる。
頼朝は河内源氏の嫡流。義家以来、源氏の棟梁は庶流でありながら河内源氏となった。
449 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 01:39:26
450 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 01:45:43
平治の乱で清盛方についた頼政(摂津源氏)を
源氏の棟梁とは呼べないだろう
451 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 03:19:26
452 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 13:23:30
>>450 頼政は清盛方についたのではないよ。
義朝とは独立していたから、源氏嫡流として自主的行動をしただけ。
つまり、大内守護の一族として天皇擁護の立場を選んだだけ。
453 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 14:46:41
っていうか棟梁と嫡流とは別物だろ
454 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 14:48:03
455 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 15:06:53
NHK頼政は丹波哲郎がやるらしいね
考えてみりゃぴったりだ
456 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 15:46:28
458 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 10:50:28
>>454 訳が分からんけど笑えたよね
まじめな話を聞きたいなあ
459 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 11:08:52
とりあえず、摂津源氏、河内源氏の嫡流はどこなの?
460 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 11:20:36
ニセモノが多い率
源氏>藤原氏>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>平氏>>橘氏
461 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 11:34:59
頼朝は源氏の嫡流というより、当時の認識で言えば、義朝の嫡男だろ。
確かに義朝の他の子供とは、周囲の見方も違ったと思う。
しかし、そもそも義朝はあちこちに女をおいていたから、平家みたいに正室
という感じはないから、あくまで後世に権力を握ってからの脚色だと思う。
歴史は常に勝者のものだから
462 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 11:43:21
463 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 15:00:18
華族の系図があればいいんだけどね。
竹内家(清和系)を調べたけど、いまいち分からなかったなあ
源氏の流れを汲む(と称する)竹内流っていう古武道の竹内家があったぐらい
竹内子爵と竹内古武道家とのリンクは不明だった
現代の政治家もあたってみたけど、親子で政治家っていう
横須賀市の竹内議員
(小泉首相の支持者でもちろん自民党市議。親父が神奈川県議会議長)
っていうのがいるけど、だからなんだっていうところが不明。
465 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 16:02:08
竹内家は新羅三郎義光の4男平賀盛義6代の孫信治を祖とし、その子孫秀治は久我家の諸大夫だったが、足利氏と同族であったため室町幕府の執奏で堂上に列せられた。
とあるが河内源氏の嫡流でないのは確か。
466 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 16:14:50
467 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 16:15:04
摂家将軍家の嫡流の子孫はどうなったの?
468 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 16:17:15
あと頼朝には大姫っていう娘がいたよね。
大姫はどうなった?
469 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 16:26:17
>>467-468 自分で調べろ
清和源氏(明治時代、堂上家として唯一竹内家のみ。源氏長者を一番多く輩出。今も続いている源氏嫡流)
と
河内源氏(清和源氏の一流。義家・頼朝が出た。一時源氏長者を輩出。が、鎌倉時代に滅びた)
と
それ以外の源氏
どれか順番決めて徹底的に調べたほうがよいんじゃないかい?
470 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 16:35:13
頼家には竹御所という娘がいて、4代将軍・藤原頼経の妻となるが、
竹御所は頼経より15歳も年上。
471 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 16:37:11
竹内家が源氏嫡流などというアホがいるみたいだが、公家だっただけだろ?
公家になると嫡流とはめでたいな。
472 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 16:46:11
>>470 ( ・∀・)つ〃∩ ヘェー ヘェー ヘェー
もはや拷問だなw>15歳年上女房
474 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 17:03:44
頼朝の話に戻ってるみたいなので、ここで質問。
頼朝、頼家の子供を全部教えてください。
475 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 17:09:34
476 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 17:29:51
結局、頼朝の血筋は女系も含めすべて絶えたと言ってよいのだろうか。
477 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 17:40:00
>>476 改訂新版
「日本史の謎」 世界文化社
では
頼朝の子で頼家・実朝の亡き後まで生きた男子は、貞暁一人だけだとしている。
現在のところ、これは正しい。
頼家+伊達朝宗の娘=貞暁
政子から4代目将軍にどだ?と誘われたものの、任官拒否。
なぜか目をくりぬいて激しく拒否。
拒否!拒否!拒否!そしてあろうことか坊主になってしまた
僧になる前も後も子はいなかった(らしい。はっきり分からない)ので、
頼朝直系の系譜は完全に途絶えた
だと。
478 :
477:2005/04/05(火) 17:42:56
つづき
>>470が書いているが、
頼家の娘が一人残っていたが、その娘竹ノ御所鞠子も
出産でその子とともに絶命。
だとさ
479 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 17:45:25
まとめ
義家>頼朝(スタミナ勝負で)
480 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 19:06:00
1999年に源氏と平家が和解したの覚えてる人いる?
この時の源氏代表ってだれ?
平家のほうは代理人が出てきたってニュースで報道されていたけど
481 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 19:15:19
徳川慶喜まで源氏長者だったけど、それ以降の徳川当主は
源氏長者ではないんの?
482 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 19:32:46
足利義満が源氏長者になるまでは村上源氏で清華家の久我家が源氏長者だった。
慶喜の追討令が出たあとは、久我家が源氏長者に復帰した。
483 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 19:48:38
久我美子の親父または久我美子の兄弟で長男はだれだ?
加山雄三は岩倉具視(村上源氏)の血筋かもしれんが母方がそうだっつーだけだ
久我美子(村上源氏)の親父はだれだー?
そいつこそ現代の源氏長者だ!
484 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 20:02:28
わかった・・・
久我通顕(1982年没 元貴族院議員 1925-1946 侯爵 源氏長者)
久我美子の親父。
そして次の代の久我家当主は
久我誠通(料理業)
なんの料理作ってんだろ?
485 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 20:07:48
486 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 10:29:01
ここは清和源氏だけ。
嵯峨、村上、宇多ならよそへお願いします。
487 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 10:42:04
頼朝の子供って
頼家、実朝、大姫の3人だけ?
変な伝説抜きで
488 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 10:52:13
頼朝の兄弟で子孫を残したものは
範頼の吉見氏、希義の吉良氏、全成の阿野氏、義円の愛智氏。
しかし信憑性はどれほどのものだろう。
489 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 10:57:33
>487
藤原時長の女大進局が産んだ貞暁(法院)は「吾妻鏡」、「尊卑分脈」に見えるから実在の人物でしょう。
藤原時長=常陸入道念西=伊達朝宗もしくは伊達宗村
ってのは伊達氏の創作くさいけどな
490 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 11:43:05
結局、頼朝の娘も孫娘も子供を残せなかったんだよね?
492 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 14:41:27
493 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 15:26:20
吉見氏って能登と石見にいたけどどっちが嫡流なんだろ?
494 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 15:28:48
495 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 16:06:50
496 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 16:14:15
497 :
日本@名無史さん:2005/04/06(水) 16:16:24
じゃあ吉見氏が六条源氏の嫡流ということでいいんですか?
傍流だし小者だなあ>吉見氏
どうせ追跡するなら戦国時代に有名でかつ名門筋>足利とか武田とか
をキボンヌ
499 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:32:26
嫡流とは血筋と勢力の兼合いなんだろうか。
河内源氏の嫡流は足利氏という意見もあるが
義朝の子孫の嫡流ということでいけば吉見氏だね。
大体、足利だって幕末には全く衰えていたわけだし。
嫡流=嫡出子の系統か家督を継いだ系統が嫡流
だろ?
501 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 11:20:19
嫡出子の系統というなら、源希義は頼朝の同母の兄弟。
っていうことは土佐吉良氏が嫡流か
土佐吉良氏は源氏の家督を継いだのか?初耳だなw
503 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 12:26:38
話がループしているな
スレの先頭から読んでいたらそう思った
504 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 16:20:08
>>土佐吉良氏は源氏の家督を継いだのか
それを言ったら武田信玄の子孫で高家なったのも嫡流でないことになる。
505 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 16:35:34
土佐吉良氏の子孫って現在いないの?
506 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 16:48:24
507 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 17:50:53
吉良はどっちにしろ断絶したから吉見氏が直系だな。
パンアートサロンは渋谷にないみたい。
っていうか調べても見つからず。
美子さんは鎌倉あたりで妹さんといっしょに暮らしていると新潮にありました。
509 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 13:44:52
>>486 >ここは清和源氏だけ。
勝手に仕切るな。
511 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 15:27:55
ここでは宇多源氏、嵯峨源氏などは場違い。
って空気読める人なら誰でもわかると思うが・・・。
512 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 15:34:07
義朝の子孫で有名で最も栄えたのは、吉見氏だよな。
513 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 16:11:46
>511
いや・・今までの流れみると、直系や嫡流の定義の話が出て、氏長者の話が出たんだから、
嵯峨源氏と村上源氏の話が出てきてもおかしくないだろ?
それに、>1が意図した事に話を限定するのなら多田、土岐、足利、武田・・・なんかもスレ違いになるのでは?
514 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 16:32:16
そもそも直系や嫡流の話はいいが、
氏長者が出てくる時点でおかしいと思う。
515 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 16:35:21
氏長者=嫡流みたいに妄想してる馬鹿がいるしな。
516 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 16:36:24
517 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 17:08:30
足利が嫡流って話から氏長者の話が出てきたのでは?(足利義満が嫡流たる根拠を欲しがり氏長者を買い取った云々)
確かに氏長者の話など本来のスレの趣旨からすれば関係ないけど、氏長者がどのように受け継がれたかは興味深い話だとは思う。
蛇足だけどなw
そもそも嫡流がどこか?って話辺りからズレが生じてるんじゃないのか?
源氏の方の話は河内源氏の義朝及び頼朝の直系の子孫の話を>1はしたくてスレ立てたのだろうし。
河内源氏の嫡流が途絶えた事は小学校5年か6年で習う話だから、直系の子孫と言ったら庶流しか残ってないのは周知の事実だろ?
だから嫡流がどこかって時点でスレ違いなのでは?
氏長者の件は話が脱線しすぎただろうけど、久我の現当主が判明した時点で話が終わってるんだから、わざわざ“仕切り”を入れて蒸し返す必要はなかったのでは?
518 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 17:32:35
義朝の子孫および清盛の子孫に話を戻そう。
519 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 17:37:22
清盛の子孫は「公式」にはすべて断絶したことになっているが、
壇ノ浦で捕らえられたもの以外、
死亡の証拠が不十分なので落人伝説が出来たんだと思う。
バリバリバリューの伴氏の祖先で重盛の六男忠実は「公式」の系図には名前は載っていない。
520 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 19:56:38
>>519 落人ではないのではと私も思っています。
甲冑の時代に合わないように思えますし、
苗字もつじつまあわせたことではないかと
考えています。断定は出来ませんが。
521 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 20:03:02
源氏長者は元々清和源氏ではなかったわけだし…。
43: 昭和天皇の戦争責任 Prat2 (502)
44: 昭和天皇の戦争責任について (722)
誰にも相手にされてない悲しい2つのスレ
すぐに下がって連結しちゃう
必死にageてる馬鹿はスレ立てた電波左翼1人だから・・・
誤爆スマソw
524 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 23:51:38
源氏長者の流れは
嵯峨源氏→村上源氏→村上源氏・清和源氏の交互→偽源氏→村上源氏
ですね
525 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 11:38:08
源平合戦の時ってまだ家紋ってできてなかったんだよね?
当時はまだ白旗、赤旗で見分けた時だし。
家紋作ったのは頼朝だって言うし。
だから自称平家の落人で揚羽蝶使ってる家って明らかにおかしいよな?
526 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 12:01:52
公式の平家の生き残りは清盛の弟頼盛の家系のみ。
527 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 15:39:41
ヨリモーリの家系図キボンヌ
528 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 16:04:52
嫡男は平家嫡流の証として小烏と抜丸の名刀を相続するのだが、
忠盛は「小烏」を清盛に、「抜丸」を清盛の異母弟である頼盛に相続させた。
これが後に清盛と忠盛の不和を生じさせることになる。
529 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 16:08:50
530 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 16:10:10
531 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 16:20:08
なぜ抜丸を頼盛に相続させたんだろう?
忠盛は清盛と頼盛の両方を嫡男とみなしていたのだろうか?
532 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 16:26:59
>>525 平家で揚羽蝶の紋を使っているのはあとから平家一門として
つけたということで考えられなくは無いけど、当時から使っていた
ものに家紋がガンガン付いることを証拠とするのは怪しいかも
533 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 16:55:17
闇源氏っていうカテゴリはないのか?w
闇に葬られた家系のことなんだが
534 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 16:55:23
頼盛流の嫡流を平家の嫡流とみていいかもな。
現代まで続いているし、系図もはっきりしてるし。
535 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 18:05:54
>532
紋所の起源は平安時代では
536 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 18:14:50
537 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 18:17:30
538 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 18:20:59
>>452 この系列の人は本当に「さむらい」
の語源どおり朝廷守護を重視していた武士の家柄なんですね。
心ない歴史ものの本には「朝廷の番犬」なんて書かれてますが。
539 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:12:39
541 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:22:48
>>538 そうだよ。歴史を調べてごらん。
源頼政の摂津源氏は、代々、大内守護の任についていた。
「心ない歴史ものの本」が何を書いていようと、「心ない」のだから責任ある内容ではないでしょう。
長男・義平・・・平治の乱の後、しばらく逃亡して清盛の命を狙うが、捕えられて刑死
次男・朝長・・・平治の乱で戦死
三男・頼朝
543 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 12:01:57
頼朝は兄が戦死したから嫡男になったのではなく、初めから嫡男だと言われていた。
544 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 12:07:24
義平・・・母は三浦義明の娘
頼長・・・母は波多野義通の妹
頼朝、義門、希義・・・母は尾張国熱田神宮の大宮司である藤原季範の娘
範頼・・・母は遠江国池田宿(浜松市)の遊女
全成、義円、義経・・・母は常盤御前
やはり正室の子、頼朝が嫡男だっただろうと思われる。
545 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 16:30:34
546 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 16:45:03
希義のは頼朝と同じく義朝の正室の子であるから、
土佐吉良氏を河内源氏の嫡流とみるむきもある。
しかし、戦国時代に土佐吉良氏は滅亡した。
547 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 17:30:13
548 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 17:41:24
549 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 19:12:51
全成や義円って、坊主のくせになんで子供がいるの?
昔は僧侶の妻帯は禁止だったんだろ。
551 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 20:35:16
四波羅夷法に於いて、淫戒の条項には、
比丘たる者は、その相手が人から畜生に至るまで
何であろうとも淫行をしちゃダメよって書いてある。
四波羅夷法とは、具足戒の中でも破った場合の
罪が一番重い戒律。追放処分になる。
当然、男色も稚児愛も抵触する。
552 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 11:22:02
しかし、バリバリバリューの伴家の家系図には「忠房」とかいて「ただざね」
と振り仮名を振ってあった。
そのとき鉛筆で書き取ったから間違いないと思う。
後日、平家の家系図を見てみると確かに清盛の孫に忠房なる人物名が載っていた。
しかし忠房は死亡とされているので落人にはなっていない。
番組のHPには「忠実」と書いてあったのだが謎はのこる・・・。
553 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 13:00:32
人は皆、ホモを目指す
554 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:46:00
源希義の子孫を詳しく知りたいな。
吉良となった二男の希望もいいが兄はどうしたのか気になる。
>>549 フマジメレス
出家する時、チソチソを切るわけではない
>>549 マジレス
坊官は妻帯可
556 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 10:26:47
557 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 00:52:21
清盛が白河天皇の落胤だと言う説だが結構信憑性あるらしい。
1、忠盛の妻・祇園女御は白河院の愛妾であった。
2、拝領してほどなく妊娠。
ここで白河天皇は、「生まれた子が女子だったら、私の子とし育てよう。
男子ならそなたの後を継いで武士として育てよ。」と言ったと平家物語にある。
この時生まれた子が清盛である。
3、清盛18歳のとき四位兵衛佐に任じられる。これはかなり異例のことであり、ある者が
「花族(貴族)でも無いくせに」と言ったとき事情を知っている鳥羽院(白河院の子)は
「清盛はれっきとした花族である」と語った。
4、胡宮神社に伝えられる「仏舎利相承系図」に祇園女御を、「院に召されて懐妊後、忠盛にこれを賜い、
忠盛に子息となし、清盛という。よって宮と号せず」とあり。
558 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 00:54:59
でも実際はどうなんだろうな。
これを忠盛は知ってて抜丸を頼盛に相続させたのだろうか?
もし清盛が白河院の子だとしたら、後白河法皇からみて大叔父になるわけだ。
559 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 07:40:27
うーん・・・・・。
560 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 08:01:33
>>557 この説はかなり信憑性のある話として歴史家も肯定する人が多いみたいだね。
源義家や平忠盛の昇殿程度にも反発した貴族たちが、清盛の昇進にあまり異議を唱えていないのは
白河院のご落胤ってことが公然の秘密だったのだろう、ということで。
561 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 08:07:39
祇園女御の妹
562 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 10:54:14
今福原がソープ街になってるのは平家と関係ある?
563 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 10:55:58
>561
そう実際は祇園女御の妹と祇園女御が混ざってしまっているが、
それも含めて信憑性の高い説であるらしい。
564 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 16:59:48
(現在の皇族も少しは見習ってもら・・ry)