1 :
日本@名無史さん:
この夫妻について語ろう。
チャーミーのガラシャはかわいいね
本当に美人だったのか。
明智光秀に似ていたのか。
5 :
日本@名無史さん:05/01/14 14:10:31
>>3 美人だったのは間違いない!
>>4 光秀の妻に似ていたらしい。つまり母親似
6 :
日本@名無史さん:05/01/14 14:14:46
変態だったのか?
7 :
日本@名無史さん:05/01/14 14:23:14
ガラシャってどういう意味?
8 :
日本@名無史さん:05/01/14 16:05:06
恩寵
だっけ>ガラシャ
カタカナにすれぱ本当はグレーシァと聞いたことがあるけど嘘かも
ガラスと関係あるんじゃ。
10 :
日本@名無史さん:05/01/14 16:59:35
ガラシャって血液型AB型っぽいな
忠興はガラシャが気になり、メールばかりしていて、朝鮮の晋州城戦で惨敗したのでした。
12 :
日本@名無史さん:05/01/14 17:16:04
細川ガラシャはレズ
13 :
日本@名無史さん:05/01/14 21:46:11
フロイスが光秀の息子は「ヨーロッパの貴公子」のように容姿端麗だったと記しているらしい。
財務事務次官の細川興一は一族郎党
15 :
日本@名無史さん:05/01/15 18:32:55
ガラシャの名前は、たまと言うそうだけど、本当ですか?
玉子でつ
17 :
日本@名無史さん:05/01/15 20:15:29
たまちゃんが幼女の頃、
「おなかが空きました」って言ってるシーンが
良くあるけど(大河「秀吉」とかこの前の「国盗り物語」とか)
これって史実で何かエピソードがあるの?
あとでクリスチャンになることの伏線なのかな
18 :
日本@名無史さん:05/01/15 20:19:33
19 :
日本@名無史さん:05/01/16 14:22:40
大河ドラマの主役になるにはかなり厳しいかもね。
>>8 洗礼名ガラシャ
英語読みにするとグレイス
細川グレイス
滝川クリステルの 無意味なしな と 潤んだ瞳 と にっこり はエロ杉
>>10 父親の明智光秀がA型らしいから
これで母親がB型ならその可能性大
22 :
日本@名無史さん:05/01/20 12:34:54
そういやUFOを見たっていう忠興の日記があったよね。
23 :
昔、名無しありけり:05/01/20 12:40:30
細川踏み絵
24 :
日本@名無史さん:05/01/20 13:52:38
>>23 ウゴウゴルーガにそんなネタあったな。
ピカソ君「キリシタンの踏み絵と細川ふみえ、踏んでみたいのはどっち?」
・・・子どもに向かってマニアックな質問すんなよ
つーか、何で長岡藤孝・忠興と表記する本があるのに長岡ガラシャと表記する本はないの?
>>25 「ピカソ君」じゃない。
「シュール君」だよ。
28 :
日本@名無史さん:05/01/20 23:53:20
おお
漏れもなぜかピカソ君だと思ってたぞ
>>25 そうだよな。シュール君だよな。
30 :
日本@名無史さん:05/01/26 10:23:21
ガラシャ夫人の肖像画見て思った。当時はあれが「美人」だったのかと・・・・
お市の方にしても同様
31 :
日本@名無史さん:05/01/26 12:32:43
>>30 時代によって美人の価値観は違うからな〜(平安なんかはデブが美人だし)
小ネタ
忠興とガラシャが食事中、庭師が忠興自慢の枝を落としてしまった
逆上した忠興はその場で庭師の首を撥ねた
転がる首に眉一つ動かさず食事を続けるガラシャに忠興は
「お前はヘビのような女だな」と吐き捨てた
するとガラシャは
「枝を切ったぐらいで人を斬るヘビのような男の妻ですから」
>時代によって美人の価値観は違うからな〜
スレ違いだけど新撰組の土方歳三は現代人の目から見ても美男子だろう。
>31
さすが細川の殿のご先祖だけあるな。
ところで細川元総理て今何やってんだ?
焼き物製作
>>31 ちょっと違う。
忠興は嫉妬深い性格で、ガラシャを男性の前に出さなかった。
(これは最後の自害のときも同様で、介錯した家臣は部屋の外から障子越しに刺し殺した)
あるとき、屋根を葺いていた職人が足を滑らせて、食事中の夫妻の目の前に落ちてしまった。
その首をはねて、食事の膳の横に置いたが、ガラシャは平然と食事を続けた。
「そなたはヘビのような女だ」と言うの対して「鬼の嫁にはヘビがふさわしいでしょう」とやり返したという話。
忠興が冷酷な性格だったのは事実で、江戸時代、江戸城に参内した大名のお付きの家臣たちが
城内で主人を待っているとき、つい居眠りしたりしてしまう。ところが細川家の家臣は、背筋を伸ばして
きちんと待機している。他の大名がどうやっているのか尋ねたところ、
「2度まで注意して聞かなければ、切り捨てます」と・・・。
忠興とガラシャ
夫が夫なら妻も妻だな
「ヘビのような女」とか「鬼の女房」なんて表現凄すぎw
38 :
日本@名無史さん:05/01/29 23:53:53
忠興はクソ
光秀を見捨てた罪は
親父同様許されません
39 :
日本@名無史さん:05/01/30 10:06:56
ガラシャはそんな夫を許してなかった
40 :
日本@名無史さん:05/01/30 20:16:33
41 :
日本@名無史さん:05/02/21 19:16:33
資料でも小説でもガラシャの最後は大雑把に言ってこの2パターンっす。
A:綿帽子で顔を隠して首ちょんぱ
B:胸をはだけて刃物でブッスリ
・・・パターンBに欲情する人出そうな予感
(小説でもエロく書かれている場合多し)
42 :
日本@名無史さん:05/03/13 00:02:07
この人がNHK大河ドラマにならないのは、短命であったことと
やはり細川家の同意が得られない、、、というのがあるのかな?
短命ならば義経もいい勝負だと思うが。。。
明智の娘だしなぁ・・。
44 :
日本@名無史さん:05/03/13 01:13:08
明智の娘で逆賊の娘だからということ?
ならば春日の局も同じじゃないの?
45 :
日本@名無史さん:05/03/13 04:34:23
>>42 細川さんが政治やってたのもマイナスポイント
46 :
日本@名無史さん:05/03/13 09:29:32
ガラシャと春日局は従姉妹。春日局の母は明智光秀の妹だから
>45
自民党で総理総裁だったらともかく・・。
烏合の衆集めての御輿だったからなぁ・・。
48 :
日本@名無史さん:05/03/14 15:18:15
49 :
日本@名無史さん:05/03/15 16:06:43
「本当はウチが本家なんだ」と以前にテレビで隆一郎が言ってた意味を
ここ読んで理解できた。
そういや鑑定モノ番組で、肥後藩士の末裔と隆一郎が同席していた時、
番組中にかかわらず、名刺交換してた嬉しそうな顔が印象的だったな。
50 :
日本@名無史さん:05/03/17 21:47:49
>>49 以前、細川隆一郎氏の兄の細川隆元氏の家の近くに住んでたんだけど、
ガラシャの末裔は分家の細川隆元氏の方に残されているというのは
本当の話なのかな?
そうだよ
52 :
日本@名無史さん:05/03/17 22:04:22
細川さんが日本新党を立ち上げた頃、奥さんの佳代子さんがうちの
職場に講演に来られたことがあった。お膝元の熊本だけど。
その時の話の中に、ガラシャだったか明智光秀だったか秀頼だったか
忘れたが、とにかくその中のひとりは熊本の天草に落ち延びて、
現在も末裔が天草にいると言われていた。
そのころあんまり歴史に興味なかったので記憶が曖昧なのが悔しいけど、
今考えると、へえ〜〜〜つと思うことばかりだったな。。。
53 :
日本@名無史さん:05/03/17 22:41:37
都合のいい有権者ですね
54 :
日本@名無史さん:05/03/18 20:44:00
55 :
日本@名無史さん:05/03/18 21:10:02
>>51 >>54 レス、サンクス。
細川忠興には何人かお妾さんがいたんですよね。
護煕氏はそのうちどのお妾さんの子孫か御存知ですか?
大阪の細川家の屋敷にお妾さんは何人かいたみたいなんですか。
56 :
日本@名無史さん:05/03/18 21:16:07
>>54>>55 妾というより、後妻といった方がいいのでは?
確かに忠興は異常人ではあったが、ガラシャ以外には側室はいないようだし。
ガラシャの息子が長男と次男。
後妻の息子が3男と4男。
長男は秀吉にかわいがられた関係もあって、家督をつけず、主席家老となった。
その子孫が細川隆一郎−細川珠生。
次男は不明。大阪の陣で豊臣方に参加だったかな?
3男忠利が家督を継ぎ熊本藩主。途中で断絶。
4男系は肥後宇土藩の藩主。3男系が断絶したので、本家熊本藩を継ぎ、その子孫は元総理。
細川隆一郎はガラシャがエライ自慢らしく、娘は「たま(お・珠生)」、洗礼名はガラシャ。
57 :
日本@名無史さん:05/03/18 21:26:29
たまおちゃん
洗礼名ガラシャは直接的にはできないから
間接的に同じガラシャということだろうな
>>56 長男(忠隆)は関ヶ原後、奥さん(前田利家娘)がガラシャを見捨てて脱出したのに怒った
忠興に離縁を命令されるが拒否したため廃嫡、前田家に寄寓してたんだが結局奥さんとは離縁。
後に細川家の家臣(内膳家)になった。ちなみに筆頭家老ではありません。(筆頭は八代城主松井氏)
そもそも家老でもなかったと思う。
この内膳家の末裔が政治評論家の細川隆元、隆一郎氏。(叔父・甥の関係)
昔、正月だかに酔っ払った隆元氏が”もともとウチが本家筋”みたいな話をしたら
細川当主の護貞氏に”ご本家、どうぞ上座に”みたいにからかわれて真っ赤になったというエピソードがあるらしい。
(熊本の地元紙に隆元氏のエピソードとして載っていました)
次男は興秋、小倉城代だったが、忠利の代わりに人質として江戸に行かされることに
反発して出奔、大坂の陣で豊臣方に付いて、戦後忠興の命令で切腹。
三男忠利は、関ヶ原戦時、人質となって徳川家に気にいられたこともあり、家督を継ぐ。
公式には正嫡腹(ガラシャの息子)だが異説もあり。(ガラシャ侍女の清原マリアの息子)
四男立孝以降(六男まで)は側室腹です。四男は宇土支藩を立て、五男は家臣に(刑部家)
六男は、筆頭家老松井家の養子になっています。
60 :
日本@名無史さん:05/03/19 11:24:26
>>56-
>>59 レス有難うございます。
霊能者の占い師に水晶で前世を占ってもらった知人がいて、
その人の先祖が細川ガラシャに仕えていた時、ガラシャと共に祈っていて、
キリスト教への橋渡しをしたと言われたらしいです。
忠興には何人か側室がいて、ガラシャは不幸な結婚生活をおくっていたので、
その影響でその人も結婚に対して不安を抱いていると言われたようです。
永井路子氏や三浦綾子氏の小説ではガラシャが未土野に幽閉されている間、
忠興が宮津の城で側室を囲っていたという記憶があるんですが、実際は
どうだったんでしょうか。
細川忠利が清原マリアの子であるという説は私も何かの本で見たん
ですけど、真実は不明なんですよね。
清原マリアや、ガラシャに仕えていた侍女たちはその後どうなったんでしょうか。
清原マリアは細川家の家臣と結婚したようですが、キリスト教は離教した
んでしょうか。
その人は占い師に観てもらう前に永井路子氏の「朱なる十字架」を読んで、
それが強く頭の中に印象として残っていたので、占い師がそれを読み取った
のかもしれないと言ってました。
下らないこと書いてすみません。
小説家は話を面白く作るのが仕事だから・・・。
司馬はんなんか作りすぎて歴史に成ってしまってるくらいなもんで(W