おまいらに官位を与えてやるスレpart8

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952日本@名無史さん:05/02/16 00:11:26
ぬるぽ
953右大臣源氏丸 ◆7TFwpvkt0s :05/02/16 00:46:59
安芸の豪族で守護武田同様に甲斐源氏の血をひく平賀家があるが、

同じ俳人で発明家でもある平賀源内は足軽の白石家に生まれたが、
先祖の平賀姓に変えているのぅ。。ルーツが安芸平賀とは限らんが。

歌人つながりで松永貞徳は松永久秀の孫とよく巷では言われるが、確証はなく、
松永一族という関係に近い。久秀の伯母に育てられていたとか。
954鎌倉大納言兼三位中将平朝臣景之 ◆FYiXlX6Jvk :05/02/16 01:26:43
そうなんですよね。平賀源内は讃州志度の白石家三男でしたね。。
ちなみに、あとになって先祖の姓を名乗る人って結構いますよね。。
955畠山隼人正平朝臣重忠 ◆OtHPw98ikE :05/02/16 08:37:35
>>執権・鎌倉大納言殿
応!
畠山一門、八幡太郎以来の重宝の白旗掲げて、御先手仕りたく存ずる!御下知を下さりませ!

者ども、いざ鎌倉じゃ!命を惜しむな!名こそ惜しめ!続けぃ〜!
956日本@名無史さん:05/02/16 10:16:35
バカか。このスレ終わってもいないのに
次を立てるお調子者がいるぞ。
957右大臣源氏丸 ◆7TFwpvkt0s :05/02/16 10:18:48
源平合戦の一幕。源氏武者に振り他の青年武将がいた。
一人は武蔵の住人、宇多法皇の血をひく近江源氏の嫡男佐々木高綱。
もう一人は獅子王 人皇50代桓武天皇が子孫で関東八平氏のひとつ、
鎌倉党の一党 梶原平三平景時が嫡男、梶原源太平景季。
梶原源太景季(梶)「本日は源氏軍の先陣をきって武勲と致そうぞ」
平家追討の中、先陣をきって川をわたらんと先駆けすする梶原にその後を追う佐々木高綱。
佐々木高綱(佐)「梶原には負けぬ」
(佐)「おぉぃ、おぉぃ梶原、梶原よ」
梶原は声に築きながらも走り続ける。
(佐)「御身の鞍の腹帯が緩んでおるぞ。直せ、ここで転ぶ様なことがあれば後世
までの笑い草。早々に直されよ。」
梶原はとまどいながらもここで失態しても末代までの恥。致し方なく、鞍の帯を直しにかかった。
(梶)「こんな時に!」
(佐)「今じゃ」
(佐)「先陣!源氏軍先陣は佐々木高綱ぞ!」
(梶)「してやられた!」
958右大臣源氏丸 ◆7TFwpvkt0s :05/02/16 11:07:42
>>955

主家の祖先の名をとなえるのに呼び捨てはまずない。
鎌倉武士なれば八幡太郎殿とか義家殿、義家公、義家朝臣と呼ぶのが普通。

平朝臣を名乗っているが、朝臣は四位以上の官にある者じゃ。
五位以下なら平重忠、四位であれば、平重忠朝臣、参議か三位以上なら平朝臣重忠卿となる。

>者ども、いざ鎌倉じゃ!命を惜しむな!名こそ惜しめ!続けぃ〜

命は惜しむな・・・か。昔こんなこと言った武将がいたな。

尼子経久家臣 多胡辰敬「名は重く、命は軽く」
命は一代、名は末代
960畠山隼人正平朝臣重忠 ◆OtHPw98ikE :05/02/16 12:12:15
>>右大臣殿
確かに、そうですね…。
携帯からの書き込みだったので、書き忘れてましたよ…orz
961畠山隼人正平朝臣重忠 ◆OtHPw98ikE :05/02/16 12:37:26
鶴ヶ峰合戦に臨んでの畠山重忠の台詞
「家を忘れ、肉親を忘れるのが武将の本意である。嫡子重保が討たれたからにはもう家門のことは考えなくてもよい。
一時の命を惜しむようなことはないし、かねてより陰謀があったようにも思われたくないので、いさぎよく追手を迎
え撃つ」

当時から、命よりも名誉を重んじていたんですね。ちなみに、鶴ヶ峰合戦は、重忠方134騎に対して、追討軍数万騎と
いう陣容だったそうですが、勝敗がつくのに4時間もかかったほどの激闘だったそうです。
ていうか、寡勢でよく4時間も戦えたものだと思いますよ。
962右大臣源氏丸 ◆7TFwpvkt0s :05/02/16 15:45:28
万騎ヶ原の地名はその戦から来ているからのぅ。

人数対比と地理的なことから数万が一挙に刃を交えることは難しい。
畠山勢にしてみれば、新手がつきないものの、じわじわと攻め立てた
のではないかな。
当時の合戦は戦国期にあった様な集団戦法ではないしな。
謀略といえど、武士の作法はあったからな。

しかし、北条が栄えた世も今は昔。畠山重忠は今の世にも
名将として伝えられる。
執権政治を確立させた勝者 北条がよいか、敗者 畠山の生き方がよいか。
時を経ると、見えてくるものがある様な気がする。

命は一代、名は末代というが、重忠こそ現代にも名が生きている真の武将
ではなかったかな。
963佐竹(小田野)常陸介重隆 ◆lr.SvCnhCc :05/02/16 15:50:46
新潟といえば金山。上杉謙信、景勝統治下の越後、佐渡の金山のお話をば。

佐渡の金山はあまりにも有名ですが、歴史的に古いのは岩船郡朝日村の鳴海金山。
鳴海金山は大同(807年)出羽国の住人、相之俣弥三郎によって発見され、
戦国期には長尾氏→上杉氏の重要な資金源となりました。
但し、金山の膝元には揚北衆という国人衆がおり、統治には苦労したようです。
一方佐渡の西三川金山は、平安期の発見ではないかとされ、今昔物語に
既に記述がされています。佐渡の金山を上杉氏が完全に掌握したのは、天正末期のことです。

ところで景勝の時代の慶長3年(1598年)に豊臣秀吉に天正大判を運上しましたが、
その数は約2000枚で全国の6割を占めたんだそうです。そのうち鳴海金山が約1100枚、
佐渡が約800枚であり、佐渡が産出の最盛期を迎えるのは大久保長安が初代佐渡奉行となった、
江戸時代になってからのことであります。
ちなみに我が佐竹の資料では、この時は1位鳴海、2位佐渡、3位常陸もしくは伊達の金山と
記録されています。

いずれにしても、謙信、そして殊に景勝の時代の越後上杉家は金産出に支えられ台所は
裕福でありました。
しかしご存知の通り、同じ慶長3年景勝は会津に百二十万石の太守として移っていきますが。
964日本@名無史さん:05/02/16 15:53:33
内府、本多英忠と無気力政権が続いて面白くない。
受動的で、淡々とこなしているだけじゃないか。
初代スレを思い出したら、楽しかったなぁと思う。
安定政権にすることよりも、楽しめるものにして
くれないかな。スレ主だから何でもできるという
設定なんだし、そもそも公共の電波上でやっている
部分は自覚してもいいよね。
マンネリ化して一部のエリートによる人事スレに
しては絶対にいけない。スレ主のリードを求める。

その意味で、内大臣も本多将軍もつなぎにしかなっていない
ということもできるんじゃんか?太閤が最近こんな動きしている
のも分かる気がする。一番ダメダメなのは群を抜いて
左大臣だけど。
965日本@名無史さん:05/02/16 15:59:40
>>964
と太閤が言っているw
966日本@名無史さん:05/02/16 16:13:49
違うだろ、おそらく。もう、誰でもいいよ。
一理あるし。
967山県翔 ◆spMpDKVEdc :05/02/16 16:46:17
・南部の先祖は源氏の源秀房で、最上の先祖の源明智の弟である。

・細川ガラシャは夢でイエスに逢ったと細川伝記に記されている

官位を頂けませんでしょうか?
968日本@名無史さん :05/02/16 16:59:57
山県さんいらしゃい!
969日本@名無史さん:05/02/16 18:38:21
>>967
斯波の流れだからな、当たり前だろ、ボケェ
それで官位が貰えたら皆一位か二位になるんだよ
970日本@名無史さん:05/02/16 18:48:03
>>951
ハッ!
流石は風魔党…恐るべし!

>>952
ガッ
971村上大膳宗清(深川黒松) ◆jBQKoieyWQ :05/02/16 19:01:28
姓名変えたぜ
なんか野暮なこと聞くようだけどよ このスレでいっちゃん偉ぇのは太閤さんなんですかい?
たまに人間関係がよくわかんなくなるときがあるんでさ
あと疑問なんだけどよ俺は幕府に仕官してるってことになってるんですかい?

972左大臣正二位平朝臣忠直:05/02/16 19:02:20
>>970は某っス。
973日本@名無史さん:05/02/16 20:33:03
太閤は源氏長者から新将軍を決めたいらしいが具体的に公卿で源氏=秋山か源氏丸ってことだよな
光ってことはなさそうだし
>>971村上
このスレで一番偉い人・・・難しい質問だがやはりスレ主だと思われる。
どんなに高位の方でもスレ主が官位ボッシューといったり九州に行っちゃえーと言われればどうしようもない。
官位は称号と言う基本に戻っている場合だけど。殿下も確か前にこんなこと言っていたと思う。

自分のことを幕府の御家人だと思っていれば仕官していると言う事さ。
多分。
975日本@名無史さん:05/02/16 22:26:12
スレ主の力にも限界はあると思う
左大臣が久々にきたときスレ主ではなく太閤が復帰を認めていることから、やはり一位の廷臣が力が強いのかな?
太閤はかなり干渉はしていたけどその時は結構盛り上がっていたと思う
結局は誰が一番偉いではなく、誰がスレの運営に力を発揮するかでしょ
ところで太閤の功績って何よ?激しくキニナール
976鎌倉大納言兼三位中将平朝臣景之 ◆FYiXlX6Jvk :05/02/17 00:58:15
今日は誰もいないようですね。。
977日本@名無史さん:05/02/17 01:10:27
村上、畠山みたいに幕府の評定所行けば?
978鎌倉大納言兼三位中将平朝臣景之 ◆FYiXlX6Jvk :05/02/17 01:11:09
>>村上殿
村上殿は今幕臣としても廷臣としても自由な立場にいます。
ただ侠客が廷臣扱いされた例がありませんので幕臣としての方がいいかもしれません。

しかし、朝廷にお仕え致すならばそれなりの口調でお仕えいたすが道理。

ちなみに太閤殿下の政所もありますんで。。


某個人としては村上殿のキャラは好きですがw

979鎌倉大納言兼三位中将平朝臣景之 ◆FYiXlX6Jvk :05/02/17 01:14:19
>>977
え…と。ちなみにあなたは誰ですか…?
>>鎌倉卿
いますよん
981鎌倉大納言兼三位中将平朝臣景之 ◆FYiXlX6Jvk :05/02/17 01:21:55
>>980
榊原殿。。やはりあなたはいましたか。。
なんかスレの裏側では慌ただしいことになっているようですが某たちはマターリいきませう。
恥ずかしながら納言なのに某は運営には直接携わってないので。。

ちなみに今起きてるってことは…


飲みたいってことですかねw



やはりその流れですかw
いまレポート作成中なもんで遠慮させていただきますw

携帯だからいつでも見てますし、1000getだって虎視眈々と狙ってますからねw
983本多将軍次郎英忠 ◆jbyjPky2A. :05/02/17 01:37:02
村上、977の言う通り幕府評定所に来れば、
幕臣だと皆が判断してくれるだろう。
>>御所様
言い遅れて申し訳ありませぬ。
スレ立て乙です。。
985鎌倉大納言兼三位中将平朝臣景之 ◆FYiXlX6Jvk :05/02/17 04:46:05
>>榊原
986鎌倉大納言兼三位中将平朝臣景之 ◆FYiXlX6Jvk :05/02/17 04:49:34
>>榊原殿
なんかこのボロ携帯がいつのまにか送信を。。失礼。

酒はいいですぞ!てか携帯から打ち込むのに未だに慣れません!
987佐竹(小田野)常陸介重隆 ◆lr.SvCnhCc :05/02/17 09:49:05
常陸介は大好きにござりまする。
私の遠祖の義光公、佐竹二代忠義公 三代隆義公 四代秀義公 五代義重公……
貞義公、義篤公……そして鬼義重公も常陸介に任じられておりますゆえ。
独り言ですのでお気になさらずに。


>>971 我が友 深川の〜
    村上を名乗られるか。おめでとうございます。これからは村上大膳殿と呼ぼうかな。
    清 がつくところをみると、義清殿の信濃村上氏かな。
    清和源氏頼信の子頼清の流れで、頼清の子顕清が信濃に入り村上を名乗ったそうだ。
    同じ清和源氏なので、これからもよろしく×よろしく!
    水戸には藝(げい)に游(あそ)ぶという言葉があります。
    村上大膳殿は悠々としてればいいんじゃないですか。




988畠山隼人正平重忠 ◆OtHPw98ikE :05/02/17 10:38:40
>>佐竹常陸大介
何やら、宮中にて貴殿の叙爵奏請があったもようですぞ!
これが認められれば、はれて五位。官によっては、殿上の簡が与えられるかもしれませぬな。
いや、まずは奏請がありましたること、御慶び申し上げますぞ!
御所様に、早く伝奏の御願いをなされてはいかがですかな?
989畠山隼人正平重忠 ◆OtHPw98ikE :05/02/17 11:22:16
亀山院政期の訴訟(院評定)の流れ
訴訟は蔵人・弁官(以下、併せて奉行)への訴の提起によって始められます。
 訴を受理した奉行は、十日のうちに要点をまとめて奏事目録を作成して、伝奏を通じて上皇の指示を求めます。
 訴陳を番える必要があれば奉者となって院宣を書き陳情の提出を促し、訴状・陳情が到来すると奉行はその都度、上皇に指示を仰ぎ状況に応じて、裁決=上皇の聖断が下される。と云う形式で行われました。
 奉行の下で訴陳が番われてなお論点が残る場合、はじめて評定衆・文殿衆が訴訟と関わり合いを持つようになります。
 評定衆は公卿からなり文字通り評議を尽くす事が役割で、文殿衆は史・外記・検非違使などの実務官からなる機関です。文殿衆は訴論人の対決に立ち会い、勘文を作成します。
 評定衆・文殿衆ともにこの二機関は上皇に直属しており上皇の諮問に従い随時個別に答申を行います。
 このように二つの答申機関への諮問を行い、最終的に上皇が決断を下すわけですが、これらを見てみると訴訟に関わるものは、伝奏・評定衆・弁官・職事・文殿衆と云えるでしょう。
 これら訴訟に関係を持つ機関などの関係とは、評定衆の「人々申」、文殿衆の「注申」は参考意見として提出されても、実質的には上皇の判断に拘束を直、判決内で大きな比重を占めています。
 このようにして鎌倉時代の訴訟は行われていた訳ですが、これらの機構制度が概ね完成するのが亀山院政の時期に当たります。
 更に弘安八(1285)年十一月十三日に二十条の制符を発しました。これは文書審査の徹底、謀書棄損、越訴の文殿への出訴の規定、訴陳の日数制限など手続きに属する項目から成るこの制符は、朝廷における初めての本格的な訴訟立法でした。
 整備された機構を整え、訴訟の法を内外に提示した亀山院政が朝廷訴訟制度の一完成期と云えるのです。
 此の後、両統による幾度かの制度の改変が行われ、訴訟制に壱層の充実が図られることとなりますが、どの機構も機能を変えることなく進められて行きました。

これまでの訴訟はやっぱり「令」の規定で行っていたんでしょうねぇ…。

>>常陸大介殿
>>988では、呼び捨てになってしまい、申し訳ありませんでした。
990畠山隼人正平重忠 ◆OtHPw98ikE :05/02/17 11:51:49
これで、残りは10レスか…。
各々方、1000取り合戦の御支度をなされよ!いざ、出陣〜〜!

上流とされる家柄出身ではない人(=「卑姓官人」)にとって、叙爵への足掛かりとなる官職として、「顕官」というのがあって、これは下級官職のうちでは特に重要な職、
とされており、外記・史・式部丞・民部丞・左右衛門尉がこれに当たりますが、『職原抄』では、外記・史・式部丞・弾正忠・勘解由判官が「顕官」と解説されているよう
です。ただし、弾正忠は、時代が下ると実権をなくします。
「顕官」には、「顕官の挙」ということがあって、これは、県召除目の二日目に、これらの職に任じる人を公卿に推挙させるものです。

当時は、これらの官職に就きたい人が多かったんでしょうか?顕官に就きたいとの猟官運動も激しかったんでしょうね。
991佐竹(小田野)常陸介重隆 ◆lr.SvCnhCc :05/02/17 12:05:09
>>988-989
畠山隼人正平重忠殿 お気遣いありがとうござりまする。
春さればまづ咲く屋戸の梅の花独り見つつや春日暮らさむ (憶良)
朝家への誠忠は まずネタ出しをすることからと 思うておりまする。
>>佐竹殿
>>畠山殿
あせらないほうがいいよ
ああ、書き忘れたorz

なんだかんだ言ったって昇進は御所様次第だから。
見てる人はちゃんと見てるんだから、あせらずマターリといきませう。。
994畠山隼人正平重忠 ◆OtHPw98ikE :05/02/17 12:51:13
>>榊原中将殿
焦ってはおりませぬが、ネタを出しつつ虎視眈々と1000を狙っておりまする。
あせるってのは1000取り合戦のことじゃないけど。。
996佐竹(小田野)常陸介重隆 ◆lr.SvCnhCc :05/02/17 13:17:35
>>992 榊原遠江中将殿
お気持ちうれしゅうござりまする。
私は 終日 のたりのたり としておりますよ。
997畠山隼人正平重忠 ◆OtHPw98ikE :05/02/17 13:23:45
>>榊原中将殿
あ、叙爵ですか?某、未だ新参の域を脱してはおりませぬゆえ、そちらは焦っては
おりませぬ。
単なる、ネタ出しにござりまする。
998藤原政頼 ◆xc4U1tzaOQ :05/02/17 13:26:40
1000
999藤原政頼 ◆xc4U1tzaOQ :05/02/17 13:27:45
999
1000日本@名無史さん:05/02/17 13:27:55
2ch皇帝が華麗に1000get!
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。