1 :
日本@名無史さん :
05/01/04 03:26:03 SAPIOにてゴーマニズム宣言連載中の小林よしのり氏によると 中世の沖縄で名前に「〜丸」がつく場合は沖縄人ではなく、本土人の確率が 高いそうです。 琉球第二尚氏王朝の開祖は「金丸」であり、本土人の可能性高く、一部学説 も支持しています。 もしこれが事実なら薩摩侵攻以前に沖縄(奄美含む)は日本に帰属していた ということになりますが、いかがでしょうか?お願いします。 ※荒らしや沖縄・奄美の方に対する中傷はおやめください。 関連スレ 小林と沖縄について語るスレ(ゴーマニズム板)
2 :
日本@名無史さん :05/01/04 04:27:32
2
まず中世沖縄の人名自体がほとんど記録に残ってないのに、 「丸がついたら」云々は根拠があいまいすぎ。 つぎにそれで「日本に服属していた」っていうんなら、 日本は大陸に服属していることになり 2600年の「独立」とやらはすべてウソということになっちゃいます。 小林という人物は「ダブルスタンダード」という言葉を 自分に適用するだけの自省能力に欠けたアホなので、 真面目に取り合うこと自体が無意味です。 >3 おまえもな
4 :
日本@名無史さん :05/01/04 06:19:21
琉球は中華固有の領土である。
金丸の名は王府の役人になってから改名した名前。 ■■■■■■■■■■ 終 了 ■■■■■■■■■■
コヴァも随分いい加減っちゃいい加減だな。
>>4 シナ留は息をするようにウソをつくね。
みなさん! 天皇家の先祖をたどるとアフリカ出身なんです。ご存知でしたか? 日本はアフリカに支配されているんですよ!!!! という議論とどこが違うのかね。
8 :
日本@名無史さん :05/01/07 09:52:15
9 :
日本@名無史さん :05/01/07 09:59:37
「・・・という確率が高い」→「・・・・である」 典型的コヴァ流詭弁術(バカがよくひっかかる) もっとも、こういうのは正しいのだろうがw 「デバガメは犯罪者である確率が高い」→「小林は犯罪者である」
10 :
日本@名無史さん :05/01/07 10:02:16
そういや、「特高警察は拷問死という不幸もあったが 共産圏では裁判もなく死刑である」とか、(゚Д゚)ハァ?を 自慢げに漫画に書いてたよな
11 :
日本@名無史さん :05/01/07 10:34:50
「琉球王は日本人である可能性が高い」 ↓ 「琉球は日本が支配していた」 マジで病院逝け 「フジモリ元大統領は日本人である」 ↓ 「ペルーは日本が支配していた」
>>8 それは薩摩支配下で大和人>琉球人という意識体系を覆すために琉球側が日琉同祖論をでっちあげた
時に作られた話。
ただの捏造話であって、一切の根拠は無い。
13 :
日本@名無史さん :05/01/09 03:40:50
>>11 >「琉球王は日本人である可能性が高い」
↓
>「琉球は日本が支配していた」
>マジで病院逝け
>>12 であったが「源為朝〜」は江戸時代の滝沢馬琴が書いた本が引用元。この本の挿し絵を
描いた葛飾北斎は「琉球八景」も描いている。日琉同祖論はむしろ侵攻の正当化に使われた。
(まあ江戸庶民には琉球など異国情緒あってほほえましかったのだろう。)
結局、琉球が源氏に支配されていた国なら、源氏末裔の島津が支配してよいという理屈になった。
これがいまなら「病院逝け」だけで済むのだから平和だw
歴史は机上の産物ではないことに留意した方がよいと思うYO!
小林よしのりもあまり認識は変わらないと思うけど・・ ゴー宣読む限りだけど。
島津系なんて人種が違う。それが奄美以南の悲劇の元よ。
16 :
日本@名無史さん :05/01/16 21:14:04
中世のかんしてはたしかに大和から落ち武者なんぞが上陸していたことは、 「おもろそうし」の記録をみてもわかるが彼らが特に 強烈なインパクトをもって存在したというよりもむしろ 庶民のなかで遠慮がちにほそぼそとくらしていたような イメージなんだよな。でも人格が優れていて(情け深いという意味) 能力がたかければ支配層にいけたかもね。 世界中の先進国なんかも「支配者=人格第一」は常識ですよね。 島津にかんしてはよくわからないな。
17 :
日本@名無史さん :05/01/16 21:36:14
支那だって支配者は唐は鮮卑くさいし元は蒙古で清は満州で それで支那の王朝として何の問題もないんだから
ゴー宣で小林が「日琉同祖論」にもとづき薩摩侵入肯定しましたな。
>>12 ∧_∧
( ´∀`) ハンロンハヤク ハヤクウ〜
( ∪ ∪
と__)__)
日琉・日鮮・日満・日猶・・・ 「日○同祖論」ってたくさんあるけど どれがほんとなんだよ?って見るたびに思う てかアジア人はみんな兄弟ですって言いたいだけちゃうんかと。
20 :
日本@名無史さん :05/02/24 20:58:47
そうか
21 :
日本@名無史さん :05/02/25 00:00:41
やっぱりというか小林マニアがよく立てるんですね こんなネタずっと昔からあるネタで、〜じゃないかって想像で語る世界。 義経はジンギスカンだったと同じレベルのネタです。 琉球王朝の話ってもういろんなネタが豊富で興味ある方は自分で本読むなりなんなり して勉強してください。小林に関しては沖縄無知なので、反米軍基地のネタとしていきなり 沖縄やっただけなので盲目的な信者以外は「子供の漫画書いてた頃に戻ったみたいだな」 と嘲笑しながら見とけばいいです。旅行者が急ごしらえでネタ集めただけのゴー宣沖縄編。 レベルがとにかく低すぎな為、今回は盛り上がってないです。
22 :
日本@名無史さん :05/02/25 00:05:03
仮処分が認められない = 原爆投下。堀江豚即死。 仮処分が認められる = 長期戦に突入。MSCB爆弾投下。兵糧が尽きて堀江豚死亡。 万が一、ライブドアが51%以上確保出来ても、もう増資という手が使えない。 フジはそこまで計算してやってる。 だから日枝は「訴訟したければどうぞ」と余裕の表情。豚は必死の表情。 ライブドアは完全に詰んだ。 結局は即死するかジワジワ死ぬかの違い。豚死亡という現実は変わらん。
23 :
日本@名無史さん :05/02/25 00:25:19
21の続きですが、小林が無知な証拠に昔懐かしい、本土とのつながりやたら必死こいて 強調する返還運動の頃の言論思い出しました。今時、よく分からん事まで必死こいてマスコミで言い切ってる 奴も珍しいです。それだけ小林が沖縄無知なんでしょうね。 日琉は同祖みたいなもんだし、言語文化風習人種も同じ系統です。 ペリー一行やその他外人の王国見聞記録でさえも基本的には日本と同じという事が書かれてます こんな事は今更強調する事もなく話題になる時点で「だいぶ昔」なのです。 そして、金丸が本土人などというのは誰も知るはずも無く、そして本土から流れてきてたから帰属してたとかいうのも 小学生の想像レベルかと思います。朝鮮半島から来た物の子孫がある村の村長になったら、日本のその村だけは朝鮮帰属に なるのですか?小林のファンって今は子供レベルが多いのですかね。 この子らの将来が心配です。 国って何?人種って何?1はよく勉強しなおした方がいいと思います。 日本人という人種は世界の常識からして無いです。〜から来たかもはロマンの世界の 話で、そこに政治的意義はあり得ない。ましてや今のこの時代に。 必死なのは小林と盲目的な信者だけ。
24 :
日本@名無史さん :05/02/25 00:35:42
またまた21のですが、国は後から作ったものだろ。 琉球国だって後から作ったものだ。今の日本国も世界の国々と同じく いろんな過程経て今の状態がる。最初から今の状態ではなかった。 カリフォルニアだって前はアメリカじゃない。それ以前にアメリカ自体が後出しだし。 朝鮮も後出しだし。済州島だって独立国だったし。ちなみに「沖縄県」が誕生して表記されてる時も、北海道は まだ「外地」表記だった時期があるという事書いてこれにてさよならします。
25 :
日本@名無史さん :05/02/25 01:30:31
26 :
日本@名無史さん :05/02/25 01:40:35
>>13 滝沢馬琴はもともとあったためとも伝説を元に小説を書いただけだよ、
お前も病院に行ったほうがいいぞ。
もちろん、小林よしのりの琉球王の祖先が大和人だったから、琉球は
昔から日本だというのは、頭悪すぎて話しにならんがな。
小林が最近、反米が過ぎて、反米以上に唾棄すべき糞儒教的な考え
方に脳みそが犯されつつある結果だろうがな。
27 :
日本@名無史さん :05/02/25 01:46:56
まあ沖縄人の王朝ではないだろ 最後の琉球国王・尚泰の写真見てもいわゆる沖縄顔じゃないし
28 :
日本@名無史さん :05/02/25 01:57:37
>>26 いや民間伝承でもまとめたのは滝沢なら、別に13の文章には問題ないよ
問題は小林の解釈…
>27 ウチの皇族の顔見て同じこと言えるのかい?
戦争論ぐらいしか読んでないけど、小林よしのりって今やここまで終わってんの?
32 :
日本@名無史さん :05/02/25 03:53:59
よしのりもう終了 反基地煽る前に故郷の九州のどうにかせい。 いつまで税金泥棒トップ走るんだよ
小林はこの説によって結局何を言いたいんだ?
34 :
日本@名無史さん :05/02/25 11:27:33
>>27 顔は判断材料にならないだろう。
たとえ尚円王が大和の血を引いていたとしても、代々の王妃は琉球人なんだから、かなり血は薄くなってるはず。
それに大和人みたいな顔の琉球人とか、琉球人みたいな顔の大和人なんて、戦前の写真を見てもいくらでもいるよ。
・・・ネタにマジレスしたかも。
35 :
日本@名無史さん :05/02/25 11:38:44
>>33 日本(大和)人は日本に都合よく歴史を解釈すべきだって言いたいんだろ。
36 :
日本@名無史さん :05/02/25 13:01:16
大和人という人種も無いし、琉球人という人種も無いんだが・・・頭痛くなってきた。 今は何時代だろ? 九州から琉球列島に南下した縄文人や弥生人達は「金丸?大和から?驚いた?俺らが先じゃ!!」と思ってるに違いない。
37 :
日本@名無史さん :05/02/25 13:27:43
うん、大和人とか琉球人とかは人種じゃないよね。 でもね、誰も人種だなんて言ってないと思うよ。 バファリン飲んだ?
38 :
日本@名無史さん :05/02/25 16:36:49
顔がとか言ってるのがいるからいけないんじゃないかな いろんな顔あんのに
39 :
日本@名無史さん :05/02/25 19:48:45
>>19 ちょっと試しにやってみた。
レーニンの祖母はチンギス=ハーンの子孫(これは事実)。
↓
チンギス=ハーンは実は源義経。
↓
レーニンは日本人で清和天皇の末裔。
・・・・・・バファリンくれ。
40 :
日本@名無史さん :05/02/26 08:58:26
ナロンエースならあるぞ
30過ぎて童貞って、国に申請すると障害者認定してもらえるよ。
42 :
日本@名無史さん :05/02/26 15:23:43
>>30 昭和天皇も今上も普通の日本人顔だと思うが。
43 :
日本@名無史さん :05/02/26 15:29:55
皇太子と紀宮はチョン顔だがな。
44 :
日本@名無史さん :05/02/26 17:07:38
そういえば秋篠宮は母親似だな 愛子サマも母親に似れば美人になったろうに。
45 :
日本@名無史さん :05/02/26 17:12:13
いや、マサコもどちらかというとチョン系の顔だぞ。 妹二人は派手な顔のようだが、マサコ本人は目も細いし加護ちゃん系だろ。 マサコの顔を濃いとか派手とか言ってる鬼女板の連中は目蔵だなw 濃いとか派手ってのはベッキーとか仲間由紀江とか平山あやみたいな顔だろうが。
46 :
日本@名無史さん :05/02/26 17:14:21
ここっていつからあちらの方の溜まり場に?
47 :
日本@名無史さん :05/02/27 00:50:05
仲間由紀江が沖縄人だとどれだけのごくせん視聴者は知ってるんだろうか?
宮里藍が沖縄人だとどれだけのゴルフファンは知ってるんだろうか?
49 :
日本@名無史さん :05/02/27 14:46:01
山田優が沖縄人だとどれだけのボーダフォンユーザーは知ってるんだろうか?
50 :
日本@名無史さん :05/02/27 15:19:16
山田優を知らないよ。
あの〜 沖縄県人ですけど、琉球王朝の自画像ってのがあるんですけど〜 ど〜見たって、顔つきがうちな〜んちゅジラ〜しているんですけど〜 髭ボーボーで濃い顔立ちの自画像なんですけど〜 あれが本土の人の顔なんですか〜 なんでもかんでも偉い人は本土人だって言うのは可笑しいですよ〜 数年後には宮里兄弟も仲間由紀恵も本土の人だったって言いそうだよね〜
私の同級生に、沖縄の首里王朝の子孫が居たけど、どう見たって沖縄人の顔立ち でしたよ。 学校を卒業して本土に仕事に行ったけど、本人も「沖縄県人と日本人 は違うな〜」ってしみじみと言っていたよ。 本当に、ぱっと見ただけで、沖縄人だ、って分かる顔立ちだよ。
53 :
日本@名無史さん :05/02/27 16:09:40
尚泰は朝鮮人に髭付けたような顔だぞ
54 :
日本@名無史さん :05/02/27 16:15:55
王様も顔が皆違うんだが レベル低い顔談義は辞めれw それに多くは絵だぞ ちなみにプロジェクトXでも取り上げられた王様から何代目かの人はモロ醤油顔 写真もどっかで見れるぞよ 尚泰は大陸とか半島にうじゃうじゃいそうな顔だったな 気づいたら俺も顔のネタばっかりだった ごめん。
へー 肖像画に付け髭つける理由が解らないけど。 今度、その友達に聞いてみるよ。 おまえ、本土出身だってな、って 笑うはず。 そういえば、その子孫が本土で電車に乗ったとき、「インド人?」って言われたそうな。 本当だよ。子供のころ実家に遊びに行ったよ。
56 :
日本@名無史さん :05/02/27 17:50:17
馬鹿ばっかり・・・・
57 :
日本@名無史さん :05/02/27 18:02:17
2ちゃんではなんでも話せる匿名性と引き替えに、 頭も人生もからっぽの名無しになることを要求されるのさ。 違うか。 もとからからっぽの奴が2ちゃんにたむろして愚痴ってるのか。 くだらないな。 俺もお前もくだらない。
どうせだったらDNA鑑定しればいいのに。 指の指紋でも解るそうだよ。
それを言ったら、おしまいよ。
まぁ小林の馬鹿ぶりを再確認してスレも終わりということで。
。・゚・(ノД`)・゚・。
⊂⊃ ⊂⊃ ⊂ \ /⊃ \\ /⌒ヽ// ⊂⊃ (( \( ^ω^) )) 琉球王朝は /| ヘ きっと本土人だ //( ヽノ \\ ⊂/ ノ>ノ \⊃ レレ スイスーイ ⊂⊃ 彡 \____________________/ (⌒)  ̄ O 。 /⌒ヽ ⊂二二二( ^ω^)二⊃ | / ブーン ( ヽノ ノ>ノ 三 レレ
マチクタビレタ〜 ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・) < 金丸=ヤマトンチュー説、マダ〜? \_/⊂ ⊂_ ) \_____________ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| |
64 :
日本@名無史さん :2005/03/28(月) 20:39:13
コヴァは逝ってよし
65 :
日本@名無史さん :2005/04/15(金) 00:31:05
なんで
>58 華南母系だろ、薩摩様々だな。中国がぽしゃらなきゃ、鹿児島人は勲章もんだよ。
⊂⊃ ⊂⊃ ⊂ \ /⊃ \\ /⌒ヽ// ⊂⊃ (( \( ^ω^) )) 琉球王朝は /| ヘ きっと沖縄人以外だ //( ヽノ \\ ⊂/ ノ>ノ \⊃ レレ スイスーイ ⊂⊃ 彡 \____________________/ (⌒)  ̄ O 。 /⌒ヽ ⊂二二二( ^ω^)二⊃ | / ブーン ( ヽノ ノ>ノ 三 レレ
琉球の王朝は純粋な沖縄人らしいよ
70 :
日本@名無史さん :2005/05/02(月) 23:35:56
71 :
日本@名無史さん :2005/05/04(水) 00:28:05
中山王って?無知でスマソ
72 :
日本@名無史さん :2005/05/04(水) 00:35:17
琉球国王のこと。 もともと沖縄本島は山北、中山、山南の3王国が分立していたのを 中山王が統一して第一尚氏王朝を開いた。 だから、歴代琉球国王の称号は「中山王」である。
73 :
日本@名無史さん :2005/05/04(水) 00:51:02
即レスサンクス。って事は凄い人よね?
>73 正確に言えば、北中南の三山はそれぞれ別個に中国から冊封をうけてた。 その中山王の位をブン奪ったのが第一尚家の始祖で、 南と北を攻め滅ぼして本島を統一した、と。 そして第二尚家の始祖がクーデターで王位を奪取した後に、 尚家の名を名乗り中国そのものに対する敵意が無いことを進貢で証明。 中国の対外姿勢ってのは、外征よりは進貢のほうを重視し 中国を盟主と認めるなら辺境でのドンパチには基本的に関与しない、外征もしないってのが 基本的な姿勢だったんで、そのままクーデター政府は承認されちゃった、と。 その直系子孫が、今に続く尚氏。
しかし沖縄に行くと、第二尚家の尚円王って 英雄扱いされてない? あまり「王位を簒奪した悪者」って印象は持っていないらしい。 まあ当然ながら後から(第二尚氏王朝時代に)作った史書には、 「第一尚家の政治があまりにも乱れていたので、尚円王が正義をもって王位を継いだ」 みたいに書いてあるんだろうけど。実際のところどうなんでしょ。
76 :
日本@名無史さん :2005/05/06(金) 02:24:57
608隋の楊帝に攻められた古王朝が、その後、断絶したのがいかん。 王統系譜不明の沖縄。
>75 秀吉も家康も信玄も英雄扱いですが、何か不思議でも? >76 そんな次元で「王統系譜不明」とか言い出したら 日本の天皇家だって2600年の歴史があるかどうか怪しいですよw
78 :
日本@名無史さん :2005/05/06(金) 10:38:19
伝説では源為朝の子が王になったんだっけ?
79 :
日本@名無史さん :2005/05/07(土) 02:00:50
名前:名無しかましてよかですか? 投稿日:2005/04/22(金) 02:40:36 ID:245s0bGE
琉球王府は1537年に奄美大島を討伐し、1571年に征服する。
これで、奄美諸島から、宮古島・八重山諸島までを支配下に置くのである。
しかし、1609年に島津氏が沖縄に侵攻し、琉球は逆に支配されることになった。
まあ、「どっちもどっち」ということである。沖縄は一方的に侵略されたのではないということであり、
仮に沖縄の「独立運動」が持ち上がっても宮古島・八重山諸島の人々にしてみれば
沖縄が独立しても「支配者の顔が変わるだけ」という風に冷ややかに見るのではないだろうか
名前:名無しかましてよかですか? 投稿日:2005/04/22(金) 21:45:12 ID:lxswL2F/
つか、薩摩に侵攻されて悔しいとか奄美八重山諸島を支配下において嬉しいとか
大昔のことで一揆位置勇出来るものなのか?もしかしてず〜と本島への恨みを受け告いでるの?
名前:名無しかましてよかですか? 投稿日:2005/04/22(金) 21:55:01 ID:VpiC3ctY
やられたものの恨みは深いよ。会津だっていまだに薩摩長州の人はタクシー
に乗せないとか言ってたもん。
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/kova/1115218422/
80 :
興味のある人どうぞ :2005/05/11(水) 19:19:54
81 :
日本@名無史さん :2005/05/12(木) 10:26:41
【姦国はうそつき国 !!】
●大英図書館にもケンブリッジ大学にも
「東海-トンヘ」などという間抜けな呼び名の地図は1枚も存在しなかった
外務省調査
(イ)大英図書館が所蔵する地図に関する調査結果
(i) 大英図書館が所蔵する1801年から1861年にかけて発行された
古地図のうち日本海周辺を含むものが37枚あることが確認された。
これは、大英図書館が所蔵する同時期に発行された古地図は0枚である
とする韓国側の調査結果を完全に覆すものであった。
(ii) この37枚のうち、32枚において発行国の言語で「日本海」(Sea of
Japan、Mer du Japon等)と記載され、5枚において「朝鮮海」(Gulf
of Corea 、Mer de Coree等)と記載されていた。
なお、「東海」(East Sea)と記載された地図は1枚も存在しなかった。
(ロ) ケンブリッジ大学が所蔵する地図に関する調査結果
(i) ケンブリッジ大学が所蔵する1801年から1861年にかけて
発行された古地図のうち日本海周辺を含むものが21枚あるこ
とが確認された。これも、ケンブリッジ大学が所蔵する
同時期に発行された古地図は6枚のみとする韓国側の調査は
デタラメである。
(ii) この21枚のうち、18枚において発行国の言語で「日本海」と
記載され、3枚において「朝鮮海」と記載されていた。
なお、「東海」(East Sea)と記載された地図は1枚も存在しなかった。
ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/nihonkai_k/map/gaiyo.html
83 :
日本@名無史さん :2005/05/29(日) 00:30:33
なに?
84 :
。 :2005/05/30(月) 13:05:12
沖縄人でよかった。 ただ、それだけ。
85 :
日本@名無史さん :2005/06/10(金) 21:47:04
そう?
86 :
日本@名無史さん :2005/06/10(金) 22:18:10
護佐丸盛春って名前だけ見ると 完全に和人なんだが。
87 :
日本@名無史さん :2005/06/10(金) 22:33:17
そう?
>>86 護佐丸には「毛国鼎」っていう別名もあるんだよ。
琉球人は日本風の名前と中国風の名前をふたつ持ってた。
89 :
。 :2005/06/12(日) 09:51:18
「盛春」の盛が琉球っぽい。
90 :
日本@名無史さん :2005/06/23(木) 23:55:06
どのへんが?
91 :
日本@名無史さん :2005/06/24(金) 00:26:24
何を言ってるんだか... 縄文人は、東南アジアを経て沖縄〜本土に移り住んだんだろ? そして、弥生になってチョンが進出し、混血と排斥を繰り返し 今の日本人になった。沖縄人こそ日本民族の始祖じゃないのかい。 だから・・・・・・だ。
とりあえず書店で「沖縄論」買ってきましたよ。 どうも、「丸」という名にヤマトンチューの正統性を持たせたかった。 んで、沖縄=日本人で持論を補完したかったのではないかな。 事実はとにかくこの本の内容は歴史関係のウエイト大きいですね。 浦添ようどれの規模のデカさに強力な王権を感じさせる記述とかはおもろい。
>>91 東南アジアを経て?
台湾原住民・フィリピン人は縄文人とまったく系統が違うんですが・・・
盛の字はどちらかと言えば薩摩っぽい 隆盛とか。
盛は平家だろ。 清盛とか。 西郷隆盛の先祖も平姓の菊池氏だし。
96 :
日本@名無史さん :2005/07/08(金) 02:14:19
超テキトーw
平家つうのは、地盤はもともと西だろ? 大元は半島渡来系だろうが。 このあいだ靖国に遺骨返せて来た人にも間違いなく日本史風に言えば ハヤト系いるね。
護佐丸の名前に関しては 本名が護佐丸、盛春は別名で、唐名が毛国鼎。 盛春は日本との交易の際に使っていた名前。 ちなみに、姓はない
99 :
日本@名無史さん :2005/07/27(水) 01:42:30
>>92 同意。
漏れも買ってきたけどね。
日本人だから沖縄人にはできない「易姓革命」を平気で成し遂げた
っと、言いたいようだが、うーむ。
まあ個人的には、浦添ようどれの件はもう少し取り上げてほしかったな。
100 :
日本@名無史さん :2005/08/14(日) 18:12:55
100
逆説の日本史嫁よ
102 :
日本@名無史さん :2005/09/02(金) 02:10:13
なんで
103 :
日本@名無史さん :2005/09/17(土) 22:59:53
沖縄=19000年 朝鮮=9000年 中国=6000年 日本=2600年
104 :
日本@名無史さん :2005/10/07(金) 00:51:36
はあ?
105 :
日本@名無史さん :2005/10/26(水) 21:39:07
106 :
日本@名無史さん :2005/11/17(木) 20:22:43
沖縄人はチャンコロの一種だからな
107 :
日本@名無史さん :2005/11/17(木) 22:18:21
そういえば、なんで日本って沖縄をいまだに占領してるの? 直ちに韓国に返還すべきでは?
108 :
日本@名無史さん :2005/12/07(水) 00:20:04
それもいいね。
109 :
日本@名無史さん :2005/12/07(水) 01:27:45
なんで韓国?
110 :
ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2005/12/14(水) 21:01:46 BE:90531836-##
// _// / ||_ノ __________________ \/// ̄\ / |> <_> \ | 我々の要求は、沖縄県における最大規模の大図書館の建設だ。 く\___| < |∇ \ | 明日宮内庁を爆破する。 \__/ \ |≧||≦ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 天皇制と文明論 〜恐るべき国民統制のカラクリ〜 天皇制の実質的な地位は、明治政府の意図した絶対的権力に基づく国家思想そのもので あり、社会整備や、教育現場における最高権力であった。しかしながら、その時代背景 には、権力者が独占的に政治と資本を支配し、その結果、国民の無権利や、不平等格差 が非難され、政治家への暴行、及び暗殺事件が多発していたことからも示されるように、 天皇制絶対主義という位置づけがなされたのである。 さらに、日本が軍事国家として巨大化していくうちに、天皇制絶対主義はこれとは違うもう ひとつの様相を有してきた。それが世界でも有名な、植民地支配の象徴である。日本国民 はそれまでの不平等格差を政治家や天皇に向けるのではなく、侵略することによって解消 し、それこそ子供だけでなく大人までもが、天皇制の意義を見出すようになったのである。 世紀の大混乱の中で支持された天皇制絶対主義とその思想文学は、現代においても侵略的 意義(琉球民族とアイヌ民族の国家的侵略)の組み込まれた大和民族のアイデンティティー そのものであり、他民族圧殺という民主主義プロパガンダを脈々と流しつづけているのである。
111 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 10:58:06
「顔」は重要だと思う。言ってみれば、顔=DNAなわけだから。現在のように雑婚のすすんだ 時代に生きてるとピンと来ないが。 ほんの100年くらい前までは、まともな氏素性の人間なら 氏素性の違う相手との結婚はなかった。 氏素性=一族・郎党は既得権共有集団なわけで、既得権死守のためには、身内で固めることが 重要。愛人はともかく、家督を継ぐ可能性のある正妻・側室はまず一族系から選ばれた。だから 顔には、一族のルーツが色濃く反映している。 琉球史はよく知らんのだが、写真を見る限り、尚王族は面長・一重まぶた。明らかに新モンゴロイド系。 大陸か半島出身でしょう。ヤマトの王族は3世紀ごろやってきたけど、琉球の王族はもっとずっと後で しょうね。 スンダランド出自の古モンゴロイド系の人達は国家をつくりません。共同体原理の人たちですから。 国家・皇帝は極東では中国発祥ですから。 沖縄の気風を見ると、王様はいても庶民レベルはさほど気にせずやっていたのかも。テーゲーな 人情は明らかに南方系。王族は首里の高台で、孤高に生活していたのかも。
112 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 11:02:03
沖縄人の俺からしたら、もうどうでもいい話なんだけどよ。 沖縄人の先祖は日本人だというのは確実な話だしな。
113 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 11:08:27
>112 長崎あたりのヤシらしいよ。 日本人というより倭人
114 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 11:18:51
>>112 沖縄人の祖先が日本人、っていう認識は誤解だと思う。人種でいったら、沖縄は人種の坩堝。
とにかくいろんなところから来てるでしょ。来てないのは北方系の古モンゴロイドくらい。
115 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 11:25:03
琉球人が日本人になったのは、明治5年からであって。 それまで、自分を日本人なんて思っていた琉球人は一人もいなかったと思われ。
116 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 11:28:11
>>114 おまえ今時無知過ぎるぞ 何のため2chにいる、何のため日本史板にいる
117 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 11:33:09
沖縄人はいつから原をバルとよむんだ? バルって九州だけの読み方だよ
118 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 11:50:10
>>1 金丸=キム=半島ニダ!!
沖縄を大韓に返還するニダ!!
119 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 11:56:56
>>116 民族概念と人種概念は、根本的に異なるよね。
「日本人」成立は、極力さかのぼっても7世紀中ごろ。沖縄人の祖先が日本人なんて
ことはありえない。
120 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 11:58:32
やはり沖縄の先祖は大韓ニダ!!
121 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 12:09:06
沖縄に韓国顔はいることはいるが、稀だ。 沖縄の先祖が「大韓ニダ !! 」なんてことはありえない。一番多いのはポリネシア系。
122 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 12:37:34
gm遺伝子、遺跡では九州から渡ったことが証明されとるぞ 沖縄人。 ポリネシア、マレーの血は入ってない。
123 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 12:55:03
gm遺伝子は初耳だが。九州から逆流してきたのは、けっこう新しい時代でしょう。 顔を見た直感で言うと、一番多いのは南方ポリネシアン。次が東南アジア系。ちょこっと半島北部中国系。 おれは、さっぱりした酢味噌和え・白和え系の、醤油顔を見かけるとホッとする。 クレヨンで縁取ったような輪郭の濃い顔が断然多いからな。
124 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 13:07:48
尚ファミリー及び支配者層と、被支配者層の顔や遺伝子は違うニダ 支配者層は大韓ニダ ちなみに被支配者層の顔が濃いのは米兵によるレイプで生まれた子がほとんどなのは公然の秘密ニダ も一ついうと九州遺伝子自体が大韓起源だから何の問題もないニダ!
125 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 13:28:02
>>124 やっと、すっきりしたニダ。
沖縄の祖先は大韓ではないニダナ。尚王朝の出自は大韓であるかもニダ。あるかもニダであって
確定ではないニダ。おらは中国南部系の可能性が強いおもうニダ。
半島自体が、いろんな遺伝子混在してるニダ。中華系、モンゴル系、北方もんごりあん系。
「朝鮮民族」はいても「朝鮮人種」は存在しないニダ。日本も同じニダ。
126 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 14:01:02
人種や遺伝子はおいて、沖縄語には古代日本語が残っている日本語族であることは 間違い無い。日本人成立以前に渡っていったのなら倭人語と呼べばいい。 琉球語は日本語の一種であり、シナ語や朝鮮語、ポリネシア語とは何の関係も なくアイヌ語とも関係無い。そして言語は民族区分の中核になるものだろう。 沖縄人自身が中世には琉球語と日本語の類似に気付いていて仮名文字を使う ようになり、文化的繋がりは続いていたのだ。
127 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 19:21:42
言語で言うと、文法上は、日本語・沖縄語・アイヌ語・朝鮮語は共通。兄弟言語である。 とくに、沖縄語とアイヌ語には似ている単語の多いことが確認されている。 これらの故郷語として想定されるのが、中国南部山岳地帯の少数民族の言語。彼らが 琉球列島を経由して、日本列島・朝鮮半島南部へ移動した可能性が高い。 沖縄に日本古語がたくさん残っているのは周辺だからではなく、ここが経由地だったから と考える方が自然。
128 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 19:51:48
>>127 日本語と琉球語は姉妹語で方言とも言える関係だが、アイヌ語は
文法が違いすぎて姉妹語ではない。朝鮮語とも共通語が少なく兄弟語などと
言えるものではない。言語学では関係は薄いというのが定説だ。
琉球人はアジアから北上して来たのではなく北方(九州)から南下して
きた民族だと分かっている。
帰属もなにも同じ日本語しゃっべっていて
>>1 はほとんど
ナンセンス
>>127 日本語・琉球語は方言関係だが、朝鮮語とは基本的語彙
音韻とも無関係。
関係付けはこじつけ程度のものでしかない。
130 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 20:35:40
港川人は一万四千年前の人。DNA分析で中国南部山岳地帯がルーツと確認されています。 県博物館の復元模型とそっくりの人達が歩いていてびっくりしました。DNAつながりを 実感しました。 間氷期でスンダランドが水没し、二万〜一万二千年前ごろたくさんの人達がカヌーや 筏で、移動しています。黒潮に乗って、台湾・琉球列島・日本列島にたどり着きました。 沖縄で一番多いのはこの人達だと思います。 九州から南下してきたのはごく最近。3世紀くらいでしょう。大陸・半島からの移動組が 北部九州を基点として征服戦争を始めたころ。しかもこのころはごく少数と思われ。 本格的に流入してきたのは沖縄に国家が分立し始めた時期だと思います。
131 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 20:54:38
132 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 21:12:48
>>131 gm遺伝子、ちょっと勉強してみました。
結果、gm遺伝子でアジア周辺は語れない。なぜならほとんど同じようなものだから。
特に日本周辺では、明確な差異はないようです。
>>130 いやだからGm遺伝子から琉球人は本土人より
北方系なんだってば
134 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 21:57:36
>>132 キミ初心者だね。 この板と人類板のヒッキーの連中はみんな知ってる常識さ 沖縄人は港川人以外は縄文時代の九州人なのよ。 土器とかからもそう考えられている。
135 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 22:24:21
もちろん初心者ですよ。 鹿児島では見られない人種の人が、沖縄にはいっぱいいます。白い人や黒い人の ことじゃないよ。
136 :
日本@名無史さん :2006/01/16(月) 23:40:40
>>135 人種?容貌のことか?容貌がどうであれ、琉球に異民族がいたという記録は
ないだろう。琉球語以外の語族がいたという記録もない。
久米島?に通訳業を独占していたシナ人集落があったくらいだろう。
137 :
日本@名無史さん :2006/01/17(火) 08:56:33
↑有史以来のことだけ論じているからかみ合わない。
138 :
日本@名無史さん :2006/01/17(火) 12:57:13
ここは第二尚王朝の出自を語る板だったっけね。 ヤマト・アメリカ以前では、彼らが一番の新参者でしょうね。
>>135 > 鹿児島では見られない人種の人が、沖縄にはいっぱいいます。
客観性を担保するソース持ってきなさい。
印象論では話になりません。
140 :
日本@名無史さん :2006/01/17(火) 19:47:47
↑ 直感が、正しいこともあるんだよな。 感受性の強弱も関係するけど。
141 :
日本@名無史さん :2006/01/17(火) 19:55:04
>>140 鹿児島にはしょっちゅう行ってるけどまんま沖縄人がいるよ。
地元人でね。
むしろ東京のテレビに出演中の鹿児島人が
本当に鹿児島人なのかそれの方が疑わしい
143 :
日本@名無史さん :2006/01/17(火) 20:33:39
↑ 誰が思ってるの。 気にしないから、まったくだいじょーぶ。
144 :
日本@名無史さん :2006/01/17(火) 20:42:14
もう一言。 gm遺伝子は、はなはだ根拠不確実で論証能力なしって、みんな言ってるよ。
145 :
日本@名無史さん :2006/01/17(火) 20:48:29
せっかくスレのテーマに話を戻そうと思ってるのに、詰まらんことにこだわるなって。 gm遺伝子が、どーのこーのって。
146 :
日本@名無史さん :2006/01/17(火) 20:58:03
今民主党の政策で独立国家にしようなんて事になってるようだけど、 ほんとに独立したらチャンコロとチョンの取り合いになるのかなぁ・・・ どっちの国も古銭なんかを無断で埋めて「ココは先祖がすんでたアルよ!!だから沖縄は中国の領土 」とか言ってくるんじゃない? んでそのうち排他水域問題になってる沖ノ鳥島にも「ココも中国の領土アルよ!!!」なんて言ってきたりして・・・
147 :
日本@名無史さん :2006/01/17(火) 21:02:52
★古代カラ半島国家の歴史★ 【志良岐】 国号の読みはシラギ。正しくはシラキ。4世紀以前の東アジア半島(現在の朝鮮半島)の 南東部にあった国である。神武天皇の兄・稲飯命によって建国される。 シラキとは「治らす木」の意味である。治らす(シラス)は日本語古語で治めるの意味であり、 木とは神木、すなわち天孫たる日本皇族のことである。したがって、治ら木(シラキ)とは、 「国を治める皇孫」の意味であり、稲飯命の別名なのである。 この事実から考えるならば、シラキの国号をその意味と音に合わせて漢字表記する場合、 『治良木』と書くのが適切である。しかし、わが国では昔から志良岐と表記したり、 また、新羅と表記するのが一般的ある。 神武天皇の兄=稲飯命によって建国され、その子孫が代々の王(キミ・国の主)となった 志良岐は、古代東アジア半島の南部諸国の中で、日本国(ヤマト)ともっとも友好関係に あった国である。 その政治制度は、王(キミ)の下に国吉士(クニキシ。コニキシとも呼ばれる)という長官 が置かれ、王の統治を補佐するという独特のシステムであった。しかし、この制度が原因で、 志良岐王(シラキのキミ)は、臣下である第十七代・国吉士(クニキシ)=金奈勿に王権を 奪われることになった。 奈勿は、高句麗と手を組んで謀反を起こし、稲飯命の血を引く志良岐王族を皆殺しにした。 そして、志良岐の国号を『新羅』に改め、自分が新しい王となったのである。 金奈勿は金氏新羅の初代王であるが、志良岐人(倭人)ではなく、朝鮮人である。 金氏は謎の一族である。彼らが、いつ、どこから来たのか、どのような方法で志良岐に 移住したのか、それを記した資料はなく、すべてが謎に包まれている。 韓国に伝わる新羅の建国神話によれば、稲飯命が森の中で拾ってきたという逸話があるが、 もちろん作り話である。新羅建国(奪国)者=金氏に関する歴史的資料は皆無なのだ。 コピペ協力よろしく! バラまいてね!
148 :
日本@名無史さん :2006/01/17(火) 21:29:14
↑ ながーーーーーーい、長すぎる。 読む気が起こらない。
149 :
日本@名無史さん :2006/01/18(水) 19:47:58
★古代カラ半島国家の歴史 2★ 【任那】 地名の読みは、ミマナである。 日本国の第十代大王(オオキミ)である崇神天皇=孫木入彦命(ミマキイリヒコ)の御名を 記念して命名された。地名の意味は「皇孫の名」である。 志良岐の西側にあった日本国領土である。 任那は、正確に言えば「国」ではない。ヤマト朝廷が直接統治する天皇家の「領地」であった。 神武天皇が日本国を建国する以前から、任那には多くの倭人が住んでいた。隣接する志良岐や 久多良とともに、任那は日本文明圏を構成する地域の一つだったのである。 崇神天皇の時代に日本国の正式領土となった任那には、ヤマト朝廷が管理する鉱山と製鉄所が 置かれ、日本列島および志良岐、久多良へ鉄材が輸出されていた。 これらの鉄は、鍋などの生活用品を製造するための原材料として使われると同時に、剣や槍など の武器の製造にも利用された。 そのため、日本にとっての任那は、経済面だけでなく、軍事面でも重要な意味を持つ地域で あった。任那にはヤマトから派遣された軍が常駐していた。任那の軍は、任那の独立を守る ための組織であると同時に、志良岐および久多良に対する軍事支援を行う任務も持っていた。 また、カラ半島北部の騎馬民族勢力に対する監視活動・情報収集活動等も行っていた。 朝鮮人国家の金氏新羅に征服されるまでは、多くの倭人が居住し、日本文化が花開く美しい 土地であった。 これコピーして、近所にバラまけぇ〜〜〜っっ!!
150 :
日本@名無史さん :2006/01/18(水) 20:32:59
ナゲーーーーーーーーーッ。 漢字、多すぎーーーーッ。読みにくーーーーーーッ。 もっと読みやすい文章にするべし。
金丸って日本人だったのか… どうりで主君を殺すわけだ
「日本語は琉球語の方言(逆でもいいが)だから琉球人は日本人」ってな論を展開するやつがいるが そいつらは「英語はもともとドイツ語の方言だからイギリス人もアメリカ人もドイツ人」って論にも はい、そうです。っていうわけ?
153 :
日本@名無史さん :2006/01/18(水) 22:49:08
>>152 琉球は清と薩摩に両属する属国だったが、明治維新で清国から独立し日本に
併合された。WW2後、米国の施政下に入ったが日本への復帰運動が起こり復帰した。
つまり沖縄人は日本国民になることを選択したということだ。独立志向なら日本
復帰運動など起こらないだろう。また沖縄人は自分を中国人だと意識したことは
歴史上なかった。
元々、沖縄語が日本語族という事実がこの選択の一要因だろう。
英語とドイツ語は方言程度の差ではないが、沖縄語と日本語は方言差程度のもの
だ。
言語学を学んだことがないので英語と独語の差がどの程度なのかわからないが、方言程度の差でも別々の国民としてある場合もあるんじゃないかと言いたかった(スペインポルトガルとか?) 遺伝子や言語が同じ、似てるってことが主要因なのではなく、そこの歴史や住人の志向が帰属意識にはより重要じゃないか? つまり「遺伝子や言語がヤマトと同じ、だから沖縄は日本」って言い方をするようなやつらはごくごく一部だけを知って全体を語るようなもんだからやめてくれと言いたかった
155 :
日本@名無史さん :2006/01/19(木) 13:39:07
まったくか
156 :
日本@名無史さん :2006/01/19(木) 15:32:35
>>154 そこの歴史や住人の志向が帰属意識にはより重要じゃないか?
沖縄の「祖国復帰運動」というのが帰属意識を物語っているだろう。
この祖国とは中国ではなく日本のことだ。
157 :
日本@名無史さん :2006/01/19(木) 15:44:18
>>154 沖縄がオランダやポルトガルのようにドイツ語やスペイン語と近い
語族でも海洋民族として大帝国をきづくくらいの国力があったのなら、
沖縄も日本語族の別の独立国だっただろうが、残念ながらそれだけの国力は
なかったので、日本の一部としてやっていくことを選択したのだろう。
158 :
日本@名無史さん :2006/01/19(木) 16:15:32
>>154 台湾くらいの人口、面積、国力があれば同じシナ語族であっても
独立してやっていけるので中国に帰属する必要はないし、住民意識も中共
と一緒にはなりたくない、という確固とした独立精神がある。
沖縄も周辺海域で大油田でも出たら、独立志向が高まるかも知れない。
159 :
日本@名無史さん :2006/01/19(木) 16:28:57
>>154 シナ語族は北と南で方言程度の差ではなく外国語と言えるほどなの
だが統一を保っている。日本語と琉球語の差以上の違いがあるようだ。
人種的にも満州と華南では異人種だろう。
160 :
154 :2006/01/19(木) 16:49:23
>>156 ,157
沖縄の帰属の話をするときはそういうふうな話の組み立て方をして欲しかった
もっとも沖縄の歴史、志向は日本の他地域と比べると異質なので、
一言では終わらせられないおもしろい話になるはず
161 :
日本@名無史さん :2006/01/19(木) 17:44:13
>>160 台湾の帰属もシナ本土と比べると異質で沖縄と似たところがあり
興味深い。
162 :
日本@名無史さん :2006/01/19(木) 18:00:20
★古代カラ半島国家の歴史 3★ 【久多良】 国号の読みはクダラ。正しくはクタラ。 6世紀以前の東アジア半島(現在の朝鮮半島)南部にあった国である。日本国・志良岐・任那と 同じく、日本語を公用語とする倭人(日本民族)の国である。 久多良(クタラ)の語源は、降つ(クタツ)である。降つは、降る(クタル)ともいう。 クタツ=クタルは日本語古語であり、「日が傾く」「日が沈む」という意味の大和言葉である。 古代日本領であった志良岐や任那から見て、西側に位置していたことから、「日が沈む方角にある国」 「西の国」という意味でクタラと呼ばれていた。それがそのまま国号となったのである。 久多良(クタラ)の地には、紀元前から倭人が居住していた。もちろん、日本列島の倭人とは日常的 に交流があり、経済面だけでなく、政治面、軍事面でもヤマトと一体であった。 久多良は、古代日本の一部であり、久多良文化は日本文化である。久多良人(クタラビト)も 大和人(ヤマトビト)も、同じ古代日本語を話し、日本文化を共有していたため、両者は強い同族意識 で結ばれていた。大和と久多良が、対高句麗戦争で常に一体となって戦っていたのは同族だったから である。 久多良の統治は、大和の天皇(スメラミコト=清めら御子人)が任命する国吉士(クニキシ)が 担った。クニキシはコニキシとも呼ばれ、カラ半島南部の国を統治する役人の最高位である。 3世紀の半ばに、志良岐が、朝鮮人の国吉士・金奈勿に乗っ取られ、『金氏新羅』という朝鮮人国家 に変質した。この金氏新羅が、6世紀に久多良を侵略して滅ぼしたが、久多良が滅びた時、多くの 久多良人(倭人)が大和(日本国)に亡命し移住した。 なぜ、大和朝廷は、久多良人(クタラビト)の日本への移住を許可したのか。それは、久多良人が 我々と同じ日本民族だったからである。 現在、久多良という国はない。しかし、久多良人の血は、今も日本民族に受け継がれ、 我々の体の中で生き続けているのだ。 これコピーして、近所にバラまけぇ〜〜〜っっ!!
163 :
日本@名無史さん :2006/01/19(木) 23:20:35
>123 ポリネシアンとえば、故二子山親方だね。 彼の二人の息子なんか(特に貴乃花)なんか モロ関東から東北地方にかけて多いタイプだよね。(ホッペが赤くてなんか上品な感じ) あれじゃないか、小笠原、伊豆諸島を経由してイッキに関東、東北に北上 したんじゃないの。(群馬の古墳人とかはまったく別系統だけどね。) どうだろう関東の学者はどう思っているのだろう。 ああいう感じは沖縄とか西日本ではあまりみかけないよね。 西日本では比較的最近、中国、朝鮮系が移住し沖縄では南中国、マレー系が これもまた比較的最近移住してきたんじゃないの。(弥生期の移住人もタイプが 違ってたみたいだしね。)基礎部分は日本全国どこも似てるんじゃないの。
164 :
日本@名無史さん :2006/01/20(金) 20:26:05
>>163 これコピーして、近所にバラまけぇ〜〜〜っっ!!
_____________________
/ || :ヽ
┌|(⌒ヽ :|| ..:⌒: |┐ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|::|::ヽ.__:):||(___ノ ::|::| │
|:|: .. :|| .. |:| │
:|: .. || ..|| < 古代のカラ半島南部は
日本領だったのだ!
:\ [_ ̄] /::| │
:: |\|_|_|_|_/:::| \________
__| | / / :|___
古代カラ半島の歴史1・2・3をコピーせよ。
近所にバラまきたまえ!
地球を守るために、ウルトラマンに協力せよ!!
165 :
日本@名無史さん :2006/01/23(月) 13:39:40
>>164 当時まだ日本国という意識は発生していない。あっちからやってきた連中が
自分らの縄張りと思っていた、ということでしょう。
戦後の沖縄の日本復帰運動はそれまでの歴史をふまえなければ正しく理解できない。 琉球王国は明・清の冊封体制に組み込まれていたが、実質的には独立国だった。 これが1609年に薩摩の侵攻を受け、日中両属になった(最新の歴史学者の見解と しては、独立したまま、日中を宗主国としたという理解が一般的)。 明治維新後、琉球処分を受けて沖縄県として日本に併合され、琉球王国は滅びた。 戦前の沖縄は大和との同化・皇民化政策を強力にすすめた。この背景に大和の 沖縄人に対する根深い差別があったことは留意すべきだろう。 戦後、沖縄・奄美は連合国(アメリカ)の軍政統治下におかれることになる。 アメリカは沖縄を歴史的に日本とは異なる文化圏、民族圏と認識しており、沖縄を 琉球と呼称している(ペルーの黒船は琉球王国にも訪れており、米琉通商条約が 結ばれていた。世界的に琉球王国は日本国とは異なるという認識が一般的)。
167 :
つづき :2006/01/27(金) 04:59:56
だがアメリカ軍政の実態は沖縄県民に基本的人権を認めないものでありまた、全島 軍事基地化への反発もあり、沖縄県民は米軍政に強力に反発。日本への帰属を望む ようになる。これが独立ではなく日本帰属であったのは、戦前のナショナリズムの 浸透が強かったこと、軍事アレルギーを持つ県民が、日本の戦後平和憲法によせる 期待が大きかったことが理由としてあげられる。また、琉球王国時代には、ナショナ リズムを自覚していなかったことも大きいだろう。沖縄独立に先立って奄美軍政区が 先に日本帰属を果たすが、奄美では全島投票の結果として、独立でも沖縄帰属でもなく、 日本帰属を選択した。(ちなみに奄美は、琉球王国に武力的、外交的に冊封された 歴史をもっており、歴史的に琉球、薩摩、大和、アメリカに搾取された地域である) そして現在、沖縄のナショナリズムは近年に至ってより強力になりつつある。これは 第一に米軍事基地撤廃が推進されず、日本の平和主義が帰属当時に期待した実態では なかったこと、沖縄の経済状況が米軍政時代より貧困であることなどが理由として 考えられる。沖縄の民衆は昔から権力者の代替わりを称して「琉球世」「大和世」 「アメリカ世」というが、そういう意識を持つ彼らにとって権力者は時代の仮初めの ものでしかない。現在はもちろん「大和世」であるが、これが永劫に変わらない という考えは、彼らにはおそらくないだろう。彼らにとって、権力者は変わるもので あり、変えられるものなのだ。 彼が戦後に日本帰属を選んだからといって、日本にこそ彼らのアイデンテティが あるという理解は正しくない。本質的に彼らが帰属する場所はシマ(島、共同体) であり、権力者はたまたまそのとき、その上にいる存在にすぎないのだ。
それで
>>1 の説だが、実際に金丸が日本人だった、という学説はある。
ただし、日本人だったというのは正しくはない。「倭人」だったのだとする。
つまり倭寇である。倭寇を構成していたのは日本、朝鮮系の人々である。
第二尚氏政権誕生に、当時東シナ海を荒らしていた倭寇が関係していたの
ではないか、とする説を一部の学者が主張しており、おもろさうしにも
それを臭わせるウムイや、史書の手がかりも挙げられている(だが全体
としては支持されていない説である)。いずれにしても、金丸が大和人
としてのアイデンテティを持っていたということはなく、彼は日系琉球人
だったと考えるべきだろう。もともと、琉球には北方系、南方系の人間が
雑多に存在しており、日系人がいてもなんら不思議なことはない。
なお、通説に金丸の出身は伊是名島とされている。
169 :
琉球人51世 :2006/01/30(月) 11:43:50
↑まぁ沖縄側の謙遜的な想像説ですから・・・ 金丸の御後絵をみるといわゆるツングース系でないことはあきらかだな。 沖縄はこういう謙遜説はやめた方がいいと思う。 根幹は日本国とほぼいっしょ(新石器時代以降)なんだから
170 :
日本@名無史さん :2006/02/17(金) 10:06:30
コヴァ氏ね
171 :
日本@名無史さん :2006/02/17(金) 10:30:30
沖縄って何時から人が住んでるんだろうね
172 :
日本@名無史さん :2006/02/20(月) 18:40:41
13世紀に、貝塚時代から三山時代へと、大激変した原因は何なんでしょうか。 一般論で言うとこういう場合、異民族の進入とか異文化の侵入で時代原理が 転換するとかなんだけど。 調べてみたけど、このあたりの説明が曖昧なんですよ。
173 :
日本@名無史さん :2006/02/20(月) 19:11:27
>>172 マジレスすればいきなり三山時代に入ったわけではありません。
13世紀頃から「グスク時代」と呼ばれ各地に力を持った権力者(按司)が現れました。
もともとグスクは聖域的な要素を持ったものでしたが、力をつけた按司は軍事的な要素を持ったグスクを築いていきます。
やがていくつもの按司が淘汰されて南山・中山・北山の三山が鼎立したわけです。
ちなみに三山鼎立以前の王統、舜天・英祖の二王統も「強力な一按司」程度だったと見るべきでしょう。
まぁ・・・一般的な説ですが。
174 :
日本@名無史さん :2006/02/26(日) 14:05:26
175 :
日本@名無史さん :2006/02/27(月) 16:26:32
三山時代とか沖縄の戦史も結構面白そうだねねぇ 光栄、沖縄が舞台のシミュレーション作れ。 グスク攻めたい。
所々にチョンが出現してるな。
源為朝だろ。
伽耶(金官)から、沖縄でしか採れない貝で作られた生活用具が出土してるため、 4世紀から南鮮と沖縄との間で交易があったと言える。
179 :
日本@名無史さん :2006/03/10(金) 04:47:16
>>174 現代は出版の自由が認められています。
ある意味個人の主張を世界にアピールできます。
一昔前まではそこそこ大きな集団に認知されなければ
出版すらできません。
大和政権も琉球王国も中国や朝鮮もおこるべきして起こった訳でですので
歴史の積み重ねです。(外部の影響はどんな国にもあります)
しかしアメリカやオーストラリアは必然性はおそらくないでしょう。
これらの地域は偶然としかいいようがありません。
180 :
179 :2006/03/10(金) 05:02:13
とはいえ私は出版関係の人間ですので 例えつまらないものでも大枚はたいて出版してくださるのなら おおいに後押しさせていただきたいのでございます。
181 :
168 :2006/03/10(金) 05:44:51
>>168 でいったのが
>>174 の書籍なわけだが。
しかしよく読むとやはり多少の無理のある説ではないかと思う。
ところどころ要所で「あえて〜という立場をとると」という論旨展開だから。
想像で補っている部分がまだまだ多い。
>>119 沖縄語勉強してるんだけど、沖縄語が本土日本語と分かれたのが7世紀以前とはとても思えないんだけど?
語頭において、ワ行の「ゑ」が少数の語で「wi」という音で残っているのに対し(例えば「ゑひひと(酔人)」=「wiQcu」)、
ア行の「え」とヤ行の「江(エ)」の区別は平安・鎌倉以降の本土語同様、
沖縄語でも失われているし、
(「える(得、ア行え)」=「yiiyun」、「エす(江洲、ヤ行エ、地名)」=「yiisi」)
ハ行転呼も本土同様に起きている(「わらひ(笑)=「waree」)。
これらの音変化は7世紀には起きていなかったことは国語学の分野では常識。
沖縄語と本土日本語が分かれたのはたぶん平安〜鎌倉くらいなんじゃないだろうか。
183 :
日本@名無史さん :2006/03/26(日) 21:44:45
>166 たかが2ちゃんによくここまで書きました。 勉強になった。 ありがたう。
>>183 そんなデタラメに納得するなよ
自演か?w
185 :
日本@名無史さん :2006/04/09(日) 10:48:47
ちがくよ
まあ、メリケンの戦略的な認識はあたってんだろw
187 :
日本@名無史さん :2006/04/27(木) 00:51:30
188 :
日本@名無史さん :2006/04/27(木) 01:12:18
>>1 源為朝と言っていたのは、
実は壇ノ浦から逃げた平家であることを偽装するためだったのではないか。
189 :
日本@名無史さん :2006/04/27(木) 01:15:51
現に喜界島まで頼朝は討伐させていたし。 鎌倉時代、奄美諸島まで北条氏の支配下で、千窯氏というのが代官だった、というのは、実態が不明だが。
護佐丸の毛国鼎は 毛・国鼎 毛国・鼎 どっち? 下だったらあんまり中国風じゃないなぁ。 毛野国の住人みたい。古代日本では東国の人を毛人と呼んでるし。
毛氏
中国に毛姓ってあんの?
毛沢東
194 :
日本@名無史さん :2006/05/05(金) 11:00:54
沖縄は倭寇の根拠地だったの?
伝統というと何でも良いものだと勘違いしている者が時々居るが、大きな間違いだ。 悪しき伝統、悪弊と言うものも有る。 天皇制は正にそれに当る。 天皇制が出来てからと言うもの、日本人は長い間、重税や徴用に苦しめられて来た。 自民党と公明党は教育基本法を改定して子供達に「伝統を重んずる国を愛する心」を押し付けようとしている。 伝統に固執した時、進歩は止まる。 インカやアステカの様になると言うことだ。 男尊女卑、封建的上下意識、天皇万歳、談合、天下り、癒着、町内会。 みんな伝統だ。 悪しき伝統、悪弊を断つ改革なくして、進歩は無い。 その進歩に必要な心を子供達から摘み取る積もりらしい。 国の行く末は子供達がどんな教育をされたかによって決まる。 間違った教育を受けた場合、もう、自力では元へ戻すことが出来なくなるのだ。 それが教育の恐ろしいところだ。 またバカをやって外国の軍隊に進駐してもらって正してもらうしかないだろう。 まぁそれまで、国民は散々苦しむだろうな。
196 :
日本@名無史さん :2006/05/22(月) 00:43:15
うほ
197 :
日本@名無史さん :2006/06/24(土) 16:59:31
198 :
沖縄人 :2006/06/24(土) 19:15:45
っていうか、沖縄の人間の祖先は 古代の日本人なのは間違いないから、 元から、日本人の王朝だっつうの。
199 :
日本@名無史さん :2006/06/24(土) 21:07:55
>>195 明治維新の天皇制は幕府を倒して日本を中央集権国家に改造するための
求心力として王政復古したことによるだろう。
薩長藩閥政府では他の藩の上に立つ権威不足だったからだ。当時の欧米列強の
植民地化を阻止するためには他に公武合体政府という方式もあったが、それでは
幕府の権威が存続して徹底的な改革は遅れることになっただろう。議会も華族と
上級士族だけで構成される貴族政治になったはずで、四民平等という思想もあまり
強まらなかったと思われる。
天皇制とは薩長の下級武士が革命を遂行するための仕掛けだったのだ。
200 :
日本@名無史さん :2006/06/25(日) 11:30:59
琉球語は、日本の古語に近いものが多いよ。 古語辞典を引くと「あきず」というのは、トンボの事だけど、 現在の琉球方言では「アーケージュー」だ。 「あかつき」は「アカトゥンチ」などとなる。 どうだ、古式ゆかしいだろう!
201 :
日本@名無史さん :2006/06/25(日) 11:53:18
>>200 まぁ古式ゆかしいが相当訛っているのであまり優雅とも思えないな。
202 :
日本@名無史さん :2006/06/25(日) 13:21:03
沖縄に毛姓なんかあったの?
203 :
日本@名無史さん :2006/06/25(日) 16:12:13
沖縄好きです
204 :
日本@名無史さん :2006/06/25(日) 19:09:15
>>1 ところで尚という苗字は日本には無いと思うが、シナ、朝鮮にはあるのだろう
か?
シナ、朝鮮でも見かけない苗字だ。
205 :
日本@名無史さん :2006/06/25(日) 19:45:11
シナとか言うな。ちゃんと中国と書け。 それはともかく、「尚」という姓は沖縄独自のものではないのか。 もともと尚というのは姓ではなく、尚巴志のオヤジの尚思紹の名前の一部だった。 ところが中国側で「尚思紹」の最初の一字を姓と解釈し、息子の巴志に対しても 「尚巴志」と書いた手紙をよこしてきた。 そこで琉球王家は、以後代々「尚」を姓とすることになったらしい。
206 :
日本@名無史さん :2006/06/25(日) 20:49:13
それは逆じゃないかな。 「尚巴志」全体が名前で、父親の「思紹」をまず国王として、明に朝貢した際、 尚巴志の「尚」が姓と勘違いされて、父親の名前が「尚思紹」にされてしまった。
207 :
日本@名無史さん :2006/06/26(月) 22:21:30
>>205 支那人でなく、支那を宗主国として奉じてもいない人に
中国呼称を強制するのは良くないよ。
209 :
日本@名無史さん :2006/06/27(火) 16:11:34
尚の発音がシアンだったとするとキヤンという沖縄の姓に似ているので、本来の 沖縄人の可能性があると思っていたのですが、姓ではなかったのですか。 しかし尚巴志や思紹という名前も本土日本人の名前とは思えないな。魏志倭人伝 に出て来る倭人の名前のようだ。
210 :
日本@名無史さん :2006/06/27(火) 16:39:37
ヒミコ(日巫女)とかトヨ(イヨ)とかですか?
211 :
日本@名無史さん :2006/06/27(火) 17:02:50
>>210 卑弥呼やトヨは日本人の名前と分るが、日本人なのか外国人なのか
わからない難升米、都市牛利、ヤヤクなどのような謎の人名に似ていると
思う。
212 :
日本@名無史さん :2006/06/27(火) 22:16:50
>>209 尚は、中国語でシャン(Shang)だよ。
尚と書いて「シアン」と読む。中国語の、シャンじゃないの?
213 :
日本@名無史さん :2006/06/27(火) 22:22:26
>>212 シャンにしても沖縄の姓キャンとは関係ないようですね。
214 :
日本@名無史さん :2006/06/27(火) 22:42:58
215 :
日本@名無史さん :2006/06/27(火) 23:03:15
似ていないよ。喜屋武だろう? 「きやぬ」が訛って「きゃん」になっただけだろうが、どう見ても?
216 :
日本@名無史さん :2006/06/28(水) 00:15:10
>>214 もともと尚が姓ではないのならキヤンとは関係ないだろう。
>>沖縄語 でもヨーロッパの言語もほとんど方言みたいなもんだぞ。 スペイン語とポルトガル語の違いなど標準語と関西弁程度だし、 クロアチア語とセルビア語とマケドニア語とモンテネグロ語の違いなんて、 関西方言内部の方言の違いにも等しいくらい微小なもの。 それに比べれば本土語と沖縄語の違いはメチャ大きいぞ。
218 :
日本@名無史さん :2006/06/28(水) 06:41:22
>>23 こんな一年四ヶ月も前の書き込みにレスしても仕方ないが
あまりにもバカな書き込みなので反論。
何でここでペリーとかアメリカの証言が出てくるんだか・・・・
欧米人なんて現代ですら、教科書で日本と中国と朝鮮と東南アジアを
「東アジア地域」として一緒くたにして教えてるような連中なんだぞ。
ましてや二百年も前のアメリカ人の感想などなんの役に立つか?
あいつらは「日本人も沖縄人も同じような東アジアの未開な連中」
程度にしか思わなかったろうよ。
219 :
日本@名無史さん :2006/06/28(水) 06:58:14
>>217 北京ごと広東語と上海語と台湾語で会話をさせたら、お互い死んでも通じないぞw
220 :
日本@名無史さん :2006/06/28(水) 06:59:15
ベトナム語と広東語の差の方が少ないくらいじゃないか? あの国はでかするぎる、方言ブロックごとに分かれた方が いいだろう。
>ベトナム語と広東語の差の方が少ないくらいじゃないか? さすがにそれは無い、分裂には賛成だけど
222 :
日本@名無史さん :2006/07/03(月) 21:39:12
ほう
223 :
日本@名無史さん :2006/07/03(月) 22:54:01
>>218 イエズス会の宣教師たちには日本人をスエズ以東?で一番優秀な民族という
認識があったそうだが。
>>218 >欧米人なんて現代ですら、教科書で日本と中国と朝鮮と東南アジアを
>「東アジア地域」として一緒くたにして教えてるような連中なんだぞ。
日本人だって欧米地域を一緒くたに教えてるだろうに。
しかし率直に言って欧米人がうらやましいな。
日本史を東アジア史の枠組みで捉えることで、新たに見えてくるものが確実にある。
文化史なんか特にそうだ。
ついでに言っとくと、太平洋戦争から戦後の占領期にかけては確実に、
そしておそらく今でもアメリカ人は「沖縄人と日本人は違う」という認識だぞ。
225 :
日本@名無史さん :2006/07/04(火) 12:19:54
米軍は、沖縄の言論界にも大きな圧力をかけていたらしく、「日本と沖縄は全く関係が無い」 とする学説を必死に広め、その為、沖縄の歴史研究者がなんとか本土との関連を訴えようと 必死に頑張っていたということが、司馬遼太郎の『沖縄・先島への道』に書かれていた。
だから今も居座ってんだろw あんま、メリケンなめちゃいかん。この国ネタには困らんぞ。
227 :
日本@名無史さん :2006/07/15(土) 11:31:45
え?
うちの母親の家系図(族譜?)の頭にはそれはもう 自慢げに「源為朝」とかかれているのだが、 何年か前、世界遺産の指定があったとき、明治生まれの 近所のばあさんに「沖縄は日本じゃない」ってはっきり言われて ショックを受けた。 明治の人にとったら「沖縄」は日本じゃなかったんだろね。 悲しかったなあ。
229 :
日本@名無史さん :2006/07/15(土) 12:59:53
モナコやリヒテンシュタインやサンマリノが独立国で通用するなら、 琉球は十分独立国になる資格はある。
230 :
日本@名無史さん :2006/07/15(土) 18:22:20
モナコやリヒテンシュタインやサンマリノが独立国で通用するなら、 済州島も十分独立国になる資格はある。 モナコやリヒテンシュタインやサンマリノが独立国で通用するなら、 台湾は十分独立国になる資格はある。
なぜいきなり台湾とかが出てくるのか意味不明
232 :
日本@名無史さん :2006/07/15(土) 18:35:54
台湾は事実上、独立国だろ。国際社会から承認されてないだけで。
233 :
日本@名無史さん :2006/07/15(土) 18:59:22
沖縄は当然独立する資格はあるよ つもりがあるかは知らんが 沖縄方言には 古日本語が残っているから昔から本土の影響下にあったって言われるけど 事実は逆で 原日本語を持っていた倭族が 南中国から陸続きだった先島大陸を経由して本島大陸・南九州へと移動して行ったもの 最終的には西日本各地で古弥生人となっていった 弥生人の源流は 琉球にあるんだよ
234 :
日本@名無史さん :2006/07/15(土) 19:10:12
琉球人は九州から南下したんじゃないの? 6000年以上前の喜界カルデラの大噴火で、南島人種が殆ど 滅亡してしまい、その後被災地が落ち着いてから九州から琉球へ と移動していった連中が沢山いた。 だから、九州と沖縄の言葉は近いのだと思うが、違ったかな?
235 :
沖縄人 :2006/07/15(土) 19:10:34
スレタイとほとんど関係ない話ですまないが 俺の親父と祖母は鬱火病で朝鮮気質というのが俺にとっての今一番の悩み ちなみに両親とも沖縄人だが 祖母は宮古島市の久松地区出身 (朝鮮系の多い地域在日ではなく渡来系が適切) そして祖父は名護市出身 (アメリカ国籍の日本人というか沖縄人 この前の大戦でも日本軍ではなく 連合国軍の兵士で対イタリア戦の外国人部隊の通信員・・・ そして沖縄の人にしては高身長173ぐらい、見た目も沖縄人には見えない 東洋系は確かだが、日本人か朝鮮人か中国人系かは分からない) 苗字は両方とも沖縄の苗字で先祖も代々沖縄出身と聞いている そして俺は、沖縄生まれ・沖縄育ち・・・ 色白・沖縄にしては高身長178・体毛が薄い・・・ 祖母も祖父も沖縄人には見えない 父と祖母は鬱火病で朝鮮人気質 国際通りを歩けば観光客と間違われ 東京で沖縄出身と言わなければ沖縄っぽいとか言われた事ない どちらかというと関西か東海地方の顔っぽいらしい 名古屋に5年住んでいたため、標準語を話すと多少名古屋訛りで 名古屋人と思われる。 在日に君も在日でしょって言われた事もある 中国人に先祖が中国東北出身でしょ?みたいな事言われた事もある 理由は俺の歩き方が日本人や朝鮮人と骨格の違う中国人と同じ歩き方で 見た目が中国人の東北出身みたいだから(身長のせいもあるけど) 結局俺は何人なんだよ・・・
236 :
日本@名無史さん :2006/07/15(土) 19:48:56
>>234 山下洞人は3万2千年前 港川人は1万8千年前
一万数千年前の海面上昇まで 中国南部と先島大陸は地続きだったんだ
南部中国の華北漢民族から「倭」と呼ばれていた民族が移動している
「倭人」はこれらの人達の後裔だよ
トカラ大噴火で南九州から先祖の地へ避難してきたわけ
>>235 沖縄は人種の坩堝だよ ざっと概観して
・一万数千年以前までに地続きの中国南部からの「倭族」系
・一万数千年前のスンダランドの水没で黒潮にのってやってきた東南アジア系
・11〜12世紀 倭寇を騙って暴れていた半島人・中華人がかなり入っている
第二尚氏は半島人倭寇の起こした王朝で間違いない
・後はご存知 島津人(といっても倭族の末裔) 本土人 白い人 黒い人
現代は婚姻自由の時代だからハイブリッドがドンドン誕生しているが
かつては同属内での婚姻が原則だった
遺伝子が混ざらないで保持されていたと考えていいよ
キミのような人が沖縄にいても全く不思議ではない
オレが住んでる若狭近辺だって チョット昔のことを調べると
久米は中国人村だったとか どこそこは朝鮮村だったとか(忘れた、差別でないから)
王朝時代までは その出自毎一族毎に固まって住むのが常識だった
現代ではそんな出自門地が一番のアイディンテティーだったなんてことを
感じ取るのは難しいけど
島津人が倭族の末裔?あんまり笑わせんな、蒙固形w
238 :
沖縄県民 :2006/07/15(土) 22:22:55
>>235 どう考えても、ただの沖縄人です。本当にありがとうございました。
沖縄では、ハーフなんて全然珍しくもない
っていうか
>>235 はハーフでもないwww
239 :
日本@名無史さん :2006/07/15(土) 22:54:03
>>236 久米村の華僑は、福建系でしょう?
今でも、福建と交流が盛んだよ。
それがいいのか悪いのかはわからんが。
>>237 日本に蒙古形は少ないよー。
特に、日本人(内地)とモンゴル人は、父方の
遺伝子が、ぜんっぜん違う。
中国北部人と縄文人を足して真っ二つに割った
ような遺伝子じゃんw
240 :
日本@名無史さん :2006/07/15(土) 23:49:46
●島津氏は平安末期の近衛家の家来がここの荘園守に派遣されて 鎌倉時代になって 頼朝から地頭職に任命されたのが起源だから 唐系の新規移住人でしょうね 支配層はそうでも 「島津人」というか薩摩人の大半は土着人だったわけで 西郷ドンなんてどう見たって琉球人の親類顔ですよ ●11〜12世紀→11〜16世紀に訂正します この時期は東シナ海周辺が無権力状態で一般市民が冒険した時代でしたよ 歴代中華王朝がモンロー主義みたいに周辺にあまり関心のない時代 中華沿岸人や半島人や北九州沿岸人 もちろん琉球人も ある時は貿易商人 またある時は海賊に姿を変えて 大活躍した時代ですね 東シナ海周辺でひとつの地域を構成していた時代ともいえます 琉球にもいろんな人が来てますよ
島津も階層支配だから、下級武士はハヤト系の血の濃いのも多いだろw 頭は島津でもw
242 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 00:15:44
240に付け加えて 西郷ドンは 琉球顔といっても 港川人系の倭族顔でなくて 宮里藍チャン系の東南アジア系の感じですね 長兄の聖がそっくりじゃないですか
243 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 00:28:58
南九州の クマソ ハヤト ツチグモ て言われた人々って イメージして ●クマソ・・・・・宮里兄弟系のスンダランド出身系かな ●ハヤト・・・・・倭族系かな ●ツチグモ・・・・手足がひょろ長かったっていうから 黒人系でなかったのか スンダランドには倭族系が南下する以前から南回りで到着した 黒人系が住んでいたから
そりゃ大和側の呼称だろw ハヤトとヤマトの関係はなぜか、胡散臭さがある。 なぜ奄美以南が大和言葉系w
245 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 00:46:39
大和はミニ中華思想で 周辺を蛮族視したからね これら名称には 大和人から見た印象が込められているから参考になると思う 渡来系が藤原王朝を打ち建てるまでは 琉球列島経由や遼東半島経由で進出した倭族系が主権を握っていた 渡来系王朝になっても 奄美以南には侵出していないので 倭族古語が豊かに残った
246 :
235 :2006/07/16(日) 00:48:59
>>238 てめぇーには俺の心境が理解できないんだよ。この毛長ザル
色白だから小学生の時のあだ名は鈴木その子
プールの時間に周りの毛深いいかにもオキナワ人から
俺の体毛が薄い事から「女じゃねーの」発言
見た目が沖縄人じゃないからナイチャー呼ばわり=それって差別だろ?
低身長のやつらからの嫉妬
昔は本気で沖縄に馴染みたかったと思ってたよ
でもねぇ、名古屋に住んでそれから東京に住んでからは
色白でもわりとモテる
高身長の方がモテる
毛深い人は嫌いという周りの女子の発言←俺は毛深くないから嫌われない
沖縄人が差別や区別される事を知ってからは、沖縄出身と言わなくなった
その方が有利←見た目沖縄じゃないから沖縄出身とはばれない
逆に沖縄シンパの人も多い事も知った・そうゆう人には沖縄アピール
で高感度
思春期から最近まで名古屋に住んでいたため、性格的にも
沖縄の悪い所とされる
時間にルーズ・お金にルーズ・貸したものを返さない・真面目に仕事をしない
その沖縄と正反対の性格を持つ名古屋人に囲まれ育った事は自分を高められた
沖縄が嫌いなわけじゃないが、いかにも沖縄な性格の人は正直嫌悪感を抱く
名古屋人が性格が悪いとか聞いてたけど実感は沖縄人の性格のほうが悪い
247 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 01:01:57
>>246 尚氏一族の写真を見たことがある ??
まったく 俗に言うところの沖縄の濃い顔とは程遠いよ
長身のうりざね顔に切れ長の一重まぶた
完全に半島または北部中華系の特徴
尚氏の起源は倭寇を騙った半島の海賊だったという説を 信用する
親類でないかい
249 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 01:12:07
>>247 あるある!首里城の博物館みたいな所で見た事あるけど
目が切れ長だったりはっきり言って沖縄人に見えない人が何人もいた。
あの人達はおそらく一般の沖縄人とは別系統の人種だと思う所で同意
250 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 08:25:50
>>242 港川タイプは、大噴火で絶滅したんじゃないの?
いったん東南アジア系が死に絶えた後に、縄文人や
弥生人が南下して誕生したのが、現在の琉球人の
原型だと思うが。
だからヤマトと琉球の言葉は、世界で最も近い。
その後東南アジア人や華僑と僅かに混血したのが、
現在の沖縄人だと思うがね。
251 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 11:21:37
魏志倭人伝を読むとこれは日本ではなくて沖縄のことではないかと思うことが あるな。
252 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 14:16:36
対馬がちゃんと書かれているがな。
253 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 14:25:38
>>252 伊都国かどこかから南へ水行十日、陸行一月だろう。方向が正しい
とすると沖縄へ行くしかない。
254 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 18:37:00
最近、DVDで人形劇のアメリカ映画「チームアメリカ=ワールドポリス」を 見たんだが、笑える作品だよ。 劇中で、北朝鮮の核査察に来た国連の調査官が、金正日のことを 「ミスターイル」と呼ぶんだけど(w あれは、映画の監督が金正日の苗字を「イル」と勘違いしたためではないんだよね。 欧米では、金正日の名前をキム・ジョン・イルと3つのパートに分けて表記するけど、 監督は、金正日の苗字が「キム」であることを承知した上で、 わざと「ミスターイル」と呼んでいるのだ。 英語で病気のことをイルネスと言う。 「彼は病気です」を英語で言うと、ヒー・イズ・イル、となる。 つまり、ミスターイルは「病気氏」という意味。 金正日のことを、精神病者あつかいしてるわけ(爆笑
>(爆笑 wwwww
256 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 20:37:11
>>250 絶滅してないよ
ヤンバルクイナもちゃんと現在でも生存してるし
もし生物を絶滅させるような噴火だったら
生物相は 今のように豊かでなくずっと単調なものになっていたと思う
このときの噴火は 琉球列島あたりは海底爆発だったらしい
噴火の影響は海底陥没による列島の沈没に大きかったって
つまり「琉球大陸沈没」だね
このとき完全に水没している島にはハブが生息していないんだって
257 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 22:41:30
まじですか?
火砕流と大津波で鹿児島以南は、屍累々だったはずでは?
野生動物はともかく、人間は死んだんじゃないかと思うのだが。
>>253 沖縄には、女王卑弥呼が大国家連合を築いた形跡が何も無いよ。
258 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 22:44:46
しかも古代中国の発音で、邪馬台(ヤマト)だし。
259 :
沖縄人 :2006/07/16(日) 23:10:18
>>246 おまえの言っていることはおかしいwww
まず第一に、沖縄にも色白の本土人の様なのはたくさんいる
みんながみんな、毛深い訳ではない位沖縄に住んでたならわかるはず
沖縄の人間が仕事と金にルーズなんて、
それって、本土人のイメージだろが
時間を守らない所は当たってるが。
それに、沖縄だって毛深いよりは、
色白で背が高い方がモテるだろがwww
本当に、沖縄人で塚?
っていうか沖縄でなじめなかったのは
お前自身
に原因があるんじゃないの?
260 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 23:17:25
>>257 まじで〜す
琉球列島には火山灰地なんてないでしょ
鹿児島のシラスみたいなのは どこにもない
つまり 火山灰は被っていない
死屍累々は 南九州方面だけでしょうね
261 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 23:19:22
津波もなかったと思うよ 地震でないから
262 :
日本@名無史さん :2006/07/17(月) 05:16:42
たわけ
>>259 >沖縄にも色白の本土人の様なのはたくさんいる
たくさんとはどの程度の割合だ?
色黒率全国1位の沖縄に色白がたくさんいるってのは、
てめぇーの認識が正解で、統計が間違っているせい?
北○高校に通っていた俺の友人の学級新聞の
カッコいい芸能人アンケートで1位から5位の中に色白の芸能人は
一人もいなかったが?1位がオダギリジョーだったが、
沖縄人に近い顔がこのまれるらしい
比較的縄文系と言われる、オダギリジョーとか坂口憲次みたいな顔をした
沖縄人は今まで一度も見た事ないが、何か?
(オダギリに近いやつはいたが似て非なる沖縄顔)
当時の名古屋で同じアンケートとったら、窪塚洋介・小栗旬・あたりが上位にくると思うがね
>沖縄の人間が仕事と金にルーズなんて、 それって、本土人のイメージだろが
=火のない所から煙はたたない&自覚が無い時点で終わってる
仕事に関して言えば、書ききれないぐらいあるが、いちいち書こうか?
沖縄の商店街でもサンエーの福引でも5等や残念賞に節水器具とか
節約セットが置いてあるのを俺は見た事ないが?
すべて99ショップで買った粗末な食材を丁寧に調理し5000円で売る
儲けたお金で高級焼肉店へ行く経済感覚を学べよ
東京や大阪や名古屋で馴染めない沖縄人が何を言いたい?
季節工として本土に渡る軍資金もあまりないのに↓
耐え切れない者は脱落→負け組みとして沖縄に帰り→20代前半で結婚
→子供を3人生み→5年後起業してみたが→事業に失敗→離婚
イメージだが沖縄人にありそうなネガティブパターンw
263 :
沖縄人 :2006/07/17(月) 06:50:45
>>262 お前が、田舎に住んでて、
那覇で遊んだことがないんだろうということがよくわかったwww
あったことがないというのは田舎に住んでたからだろ?www
多分沖縄の女の子と、どういう男が好きかとか
話あったこともないんだろうwww
264 :
日本@名無史さん :2006/07/17(月) 21:07:47
>>263 ばかじゃん?
少ない情報でよくそこまで決め付けんね?
国際通りのベスト電器の横のクラブシエロ?あそこって
トラパラとかレイブ系のイベントやってんの?
トラパラでわりと最近のやつだったら、ブチアゲ天国に収録されてる曲は
少しは踊れるけど、昔だったら、ミッキーマウスとかストップユアコントロール
とか。
松山のキャバクラは1件ぐらいしか、おもろい店ないし・・・
はっきり言ってそこも、ほんとにキャバクラ?レベル
ナカノマチのキャバクラは入店5分でいたたまれなくなって
ちゃんと初回料金払って出ていったが、二度とあの辺の飲み屋は行かない
しかも時間制ハウスボトル?泡盛が出てくるから、わざわざ、金城洋酒店(松山)とか
近所のアルテックで、焼酎だったら、タンタカタン、スパークリング系
だったら、モエシャンドン買って、あと、スミノフ・ジーマ・カフェパリ。
泡盛拒否ってんだけど、
チェイサーくださいって言って理解出来るボーイがほとんどいないが?
チェイサー自体おいてないのか?沖縄の人がお酒強いせい?レベルが低いせい?
だから、女友達と遊びに行く時はホスクラ通っているんだけど
名古屋の系列の店が2店大阪の系列の店が2店づつあと1ヶ所は行った事ないが
国際通り歩いてもほとんどお兄系の服着て奴いないうえに
たまにいたかと思えば、丸井系のブランド・・・終わっている
(沖縄に丸井がないから、丸井ブランド知らないだろうけど?)
同じブランドでも東京で丸井ブランド着ていたらバカにされるよ?
だいたい沖縄は観光で行く所で遊ぶ所無いんじゃん?・・・
同じぐらいのお金使うんだったら、まだ韓国かグアムの方が若者ウケ
いいんでないの?
265 :
日本@名無史さん :2006/07/17(月) 21:10:26
場所変えろよ キミ達 キミ達のせいで 荒れてるよ
266 :
沖縄人 :2006/07/17(月) 21:24:52
>>265 悪かった。釣れそうな奴だったんで、釣っただけなんだ。
実は沖縄県民じゃないwwwwwwww
オキナワンって変な人が多いね 尚氏はやっぱり沖縄人だったんじゃないの 日本人と同じにされたくないwwwww
268 :
日本@名無史さん :2006/07/17(月) 21:50:55
>>266 いいやつだな 気にすんなよ
2chなんて落書き帳なんだから
実は オレなんか北海道なんだよ
269 :
日本@名無史さん :2006/07/17(月) 21:57:54
第一尚氏王統、第二尚氏王統の出自が 朝鮮半島系の倭寇であると言ってる日本の学者がいて それを元に、沖縄は韓国領土だと言ってる 韓国人がいる。しかもその人は学者らしいww
学者だけじゃなくて enjoykoreaでも書いてるのが 何人もいるじゃん
271 :
日本@名無史さん :2006/07/17(月) 22:16:41
尚氏の出自が半島系の倭寇というのは 歴史上の事実だろう しかしまあ それを根拠に沖縄を韓国領と主張するのは荒唐無稽だよね それをいうなら 朝鮮半島は1945年まで日本だったんだから 日本は領有を主張できるな 多額の投資もしてるんだし 憂慮するのは30万人の在日の存在だよ なぜ彼らは帰国しないんだ 日本人なんか敗戦でみんなワラワラ帰国してきたのに 日本が朝鮮出兵したのは在朝居留民保護が目的だったんだ かれらも在日保護を名目に いざというとき進駐するつもりでないのか
272 :
日本@名無史さん :2006/07/17(月) 22:27:27
>>271 尚氏を半島系っていってる学者は
ネットで叩かれてるけど。
273 :
日本@名無史さん :2006/07/17(月) 22:56:51
>>272 尚氏一族の写真を見た事ある?
どう考えても沖縄の人には見えない、かといって半島系とも思わない。
関係ないが人は見た目が9割って本、面白いから、とりあえず読んでみて!?
韓国の物は韓国の物 日本の物は韓国の物 世界の物も韓国の物
275 :
日本@名無史さん :2006/07/17(月) 23:21:51
韓国のものはオレのもの つまり オレが世界一
276 :
日本@名無史さん :2006/07/17(月) 23:29:12
277 :
274 :2006/07/17(月) 23:53:39
275は俺と違う
278 :
日本@名無史さん :2006/07/18(火) 00:10:07
ドラえもん連合(日本・台湾・インドネシア・東南アジア諸国と中国の一部) vs 島トラしまじろう連合(朝鮮半島)
半島血統も場所を選ばんとw 中国の手のひらで踊ってるぞ。
280 :
日本@名無史さん :2006/07/18(火) 02:45:32
別に俺って何人でもよいよ。半島系でも、沖縄人でも名古屋人でも 出身地が沖縄なのに、まったく沖縄人に見えない、東洋系は確かだが 東京行ったら、名古屋・京都あたりの出身に見え(苗字・容姿・訛り) 在日に在日と思われ(実際に名古屋の在日が多い地域に住んでいたし) 中国人にあからさまに、中国人でしょ?みたいな事言われて(容姿・身長・歩き方) 結局さぁ海のもんとも山のもんとも分からん奴はたいがい勝ち組だし このスレで沖縄叩いたけれど、他の板では、名古屋人のフリして沖縄上げて (本籍地は沖縄なんだけどね) 沖縄人のフリして名古屋上げたり、名古屋人のフリして大阪さげたり 東京人のフリとか在日や中国人のフリはしないが・・・関わるスレで、 擁護したり、落としたり どのポジションでも発言出来るって有利=実生活においてもwww
281 :
日本@名無史さん :2006/07/18(火) 02:56:49
さすがに白人にはなれないが、祖父がアメリカ国籍で連合国軍 の軍人だったてのも、有利でしょ?
282 :
日本@名無史さん :2006/07/18(火) 07:45:31
>>271 尚氏が半島系の倭寇だったら、少なくとも半島系であることを主張するんじゃ
ないか?
283 :
日本@名無史さん :2006/07/18(火) 13:05:45
>>282 してないと思うよ
当時の半島は実質中華帝国の植民地なわけだし
自分を偉そうに見せたかったら
半島出身というより 中華皇帝様の縁続きだとか言ったと思う
実際 朝貢始めてるしね
冊封してもらってうれしかったろうよ
海賊から中華皇帝の家臣になれたんだから
>>283 いや、朝鮮倭寇の征服王朝だと言いたいんだろ?
それが出自隠してどうするんだよw
んで、仮に隠しているのなら、資料もなしに推測で断言できる頭の構造ってどうよ?
それに、尚氏は中華だと出自を称していたのか?
まあ、この図式は、「天皇は百済人ニダ」と同じなんだけどな。
エンコリでの奴等の話だと、百済人だという資料がないのは、差別されたかららしい。
理解出来ないだろw
285 :
日本@名無史さん :2006/07/18(火) 21:59:38
>>284 キミの文章は 理解するのが大変だよ 個性的で
当時 オレらは半島出身だぞなんて言っても意味なかったと思う
朝鮮人だなんていう 国民意識そのものがなかったろうから
正当性と後ろ盾が欲しいわけだから 中華朝貢を始めたのさ
>>285 近代の民族国民意識とは異なるが、全く無かったわけではなかろうよ。
円仁の頃、赤山の新羅人は唐の中にあって新羅人と認識していたんだし。
287 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 13:39:30
>>271 尚氏の外交的な役割を担ったのは華僑だと思うが、尚氏が
朝鮮系倭寇だとすると、そんな荒っぽい出自の椰子に粛々と
仕えるかね?
それとも、尚氏に仕えた華僑も倭寇崩ればっかりだったのか?
尚氏の薄顔傾向は、日本人や中国人の影響(混血を含めて)
ではないのか?
なんか必死だなオイw 日本人だってよ。
尚王家の傍系の子孫にアメリカで会ったことあるけどたしかに薄い顔だったなあ
290 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 15:04:16
12〜16世紀の東シナ海周辺地域は 一衣帯水のひと繋がりの地域だったと思うよ 一族郎党意識はあっても 国家国民意識は全く存在していない 中国にしたって 海岸地域は中華から見たら周辺の僻地で同族と思われてもいなかった 山田長政がタイ王室の重臣になれて 東南アジアのあちこちに日本人村ができた時代 野心と勇気があって才覚があれば どこででも活躍できたろう 華僑なんて言葉ができたのはこの時代の後でしょう 武力で圧倒的だった半島出身の海賊は 沖縄本島で原住民を平定して縄張りを確実にし 福建あたり出身の知恵モノの参謀のアドバイスのもと 中華皇帝に朝貢して取り入り まんまと「尚」なんていう王姓をもらって錦の御旗をゲット 他の海賊グループを打ち倒して本島一元支配を手に入れた っていうところでしょう グスク時代より前の原住民たちは生活原理が全く異なる人々 諍いはしても 戦争は知らない人々だった スペイン人に征服されたインカ人のようにひとたまりもなかったでしょう 侵入者からみた原住民も 腰巻1丁の入墨だらけで鼻輪に耳輪で 野蛮人の動物のように見えたかも この時代は 沖縄史上いちばんの激動の時代であったことは マチガイナイ
291 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 15:18:39
>>290 >一衣帯水
こんな言葉を好んで使うのは、中国人だけだ。
>鼻輪
耳輪はともかく、鼻輪なんて出土して無い。
292 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 15:21:10
>>291 鼻輪もしてたってさ 記録に残ってる
「一衣帯水」って 日本人が好きな言葉だと思うけど
293 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 15:26:39
294 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 15:38:29
小林よしのり氏か 知識人気取りでの ブ男隠しが目的だからな コンプレックスの強い人のことは 信用してまへん !!!
尚氏が誰だろうと、どうだっていいが 沖縄が韓国や中国じゃなくて、薩摩に支配されたのは 今の沖縄県民からすると、ホームラン級の幸運だな。
296 :
一衣帯水のお友達へ :2006/07/19(水) 15:51:22
>>292 「一衣帯水」は中国語で、中国の政治家が日本人に対して
好んで使う言葉ですが?
日中両国は「一衣帯水的令/阝邦」だとか言ってね!
それは別にいいや、鼻輪って本当か?
297 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 18:42:28
半島系倭寇が王族で知恵者の福建華僑が参謀って、、一体どんな面白いコラボなんだ? それじゃあ“悪の王国”だよ…ww
298 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 20:34:50
>>296 鼻輪は史実だよ
1700年頃 朝鮮の商船が八重山で座礁して救助され
八重山から琉球列島を島伝いに本島まで移送され 朝鮮に帰国した人たちの
生還記録が残っている
それによると
八重山諸島の風俗は腰巻に鯨面文身、鼻輪に耳輪をつけていたと
列島を北上するにつれて大陸風の様子になり
那覇の街はほとんど大陸の町と様子が変わらなかったって
ただし人情となると逆で 北上するほどよそよそしくなっていったって
救助してくれた八重山の小島の人たちに一番感謝していたよ
299 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 21:42:54
腰巻なんて、東南アジアの農耕民の衣装みたいだね。 鼻輪の風習って、東南アジアにあったっけ?
300 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 22:14:13
>>271 顔だけを根拠に「歴史上の事実」と断言されてもな・・・
301 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 22:25:45
>>299 まさに
ハヤト・クマソ・ツチグモと共通の人々だと思うよ
腰巻か筒頭衣かの違いはあっても
12世紀のグスク時代が始まる以前が 沖縄は一番平和な時代だったと思う
長い貝塚時代を遅れた時代とみなすのは 現代人の勝手な進歩性善説だよ
変化しなかったというのは 安定していたから
港川人やスンダランドから来た人達は野生の原理でつつましくテリトリーの中で暮らしていたのでしょう
たまに境当たりで諍いがあって死人が出たりしても
戦争して相手を滅ぼすというようなことは知らなかった人々だったと思います
12世紀にいきなりグスク時代が始まったという意味は
戦争文化・略奪独占の文化を持った新人類が侵入して来たということ
東シナ海の大航海時代が始まって いろんな人間がやってくるようになったからでしょうね
302 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 22:35:47
>>300 いや 顔だけじゃないよ
朝鮮側の文献 尚氏と朝鮮との深い交流の史実
確定資料はないけど 状況証拠の積み重ねで 有罪と見た
303 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 23:15:41
>>302 交流だったら中国や日本のほうが何倍も深いだろ。
アホか
304 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 23:22:07
>>273 万一尚円王が半島の人だったとしても
子孫が写真に写るまでどれだけ血が薄まっているのかと・・・
400年経っているからなそんな写真では何の証明も出来ない。
305 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 23:23:37
>>303 口の汚い奴とは 話ししね!!!
オメーだって 墓参りに行くのは年1回だろ
営業先には毎日行っても
このバーーーーーーーーーーーーーーーーーーーカ !!!
306 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 23:25:28
>>302 現在に残っている琉球史の文献はほとんど中国の史書を基にしていて
朝鮮の史料と言うのはそれほど無いはずだが。
>>290 山田長政は「日本人町」に住んでいた。
そこで「日本人」の傭兵としてタイ王朝に仕えた。
各地に居た日本人の傭兵も「日本人傭兵」としてイギリス人などに雇われている。
華僑も華僑のグループで町を作って住んだ。
在日じゃあるまいし、通名使って公務員を狙うなんてないよ。
308 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 23:30:51
>>306 >>307 そんなこと知るかよ テキトーーに書いてんのに
2chは創造的虚言の場なんだよ
糞真面目は 教科書でも読んでろ !!!
309 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 23:35:26
>>301 多分いきなりではないと思う。
小集団同士の小競り合いから徐々に敗れた集団を統合していく時代へと向かったのではないかと。
これはかつての日本でもあったこと。
日本と比べてそういった時期が遅かっただけなのだろう。
310 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 23:36:40
>>308 妄想・虚言の類はチラシの裏に書いてください。
311 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 23:42:37
312 :
日本@名無史さん :2006/07/19(水) 23:52:39
>>309 「文明の衝突」なしに そんなことは起こり得ないね
人間の行動原理というものは そういうものだよ
313 :
日本@名無史さん :2006/07/20(木) 07:24:57
>>301 領土拡張意欲に満ち溢れた何者かが渡来した可能性がある、
という点では同意する。
ただ、渡来人が地元の有力者に入れ知恵した可能性もあると
考える。ある時期から俄然貿易活動が盛んになっているので、
海上貿易に長けた野師が権力の中枢に近いところにいたんだ
ろうな。やっぱ、海賊か?
そうえいば鄭成功の親爺も海賊兼貿易商だったな。
314 :
日本@名無史さん :2006/07/20(木) 10:55:29
>>300 顔は有力な物証だよ
顔はDNAで決まるんだから
直観力の有る者にとっては DNA検査に匹敵する
沖縄人に多い濃い顔 フィリピン・ベトナム・カンボジア人のような顔 たまに見る色白の瓜実顔
全員祖先のDNAを引き継いでいるからさ
顔はDNAの固まりなの
人相とか品格となると DNAではなく当人の教養の積み方の問題になるけどね
315 :
日本@名無史さん :2006/07/20(木) 11:57:54
現代と当時を同じように考えたら大間違いだって 現在は雑婚時代で 遺伝子の混ざり合いがドンドン進んでいるけど ほんの百数十年前までは 同族内の結婚が常識だったの 何故かっていうと 一族郎党で生きていくための手段や正当性を守り伝えて行くのが当時の社会原理 一族郎党の一員でいるということは 個人が生きていく絶対条件にも等しいこと だから 一族郎党の慣習に逆らうような者は 滅多にいなかったでしょう だから DNAは結構純粋なかたちで残っているといっていいの ただし これからは雑種化がドンドン進んで その差異は縮小していくだろうけど 沖縄の人種を語る場合でも ホモ・サピエンスの移動の概略知識くらいは必要だよ なぜ東南アジアやジャワやオーストラリアなんかに 真っ黒い人々がいたりするのか
316 :
日本@名無史さん :2006/07/25(火) 12:09:36
顔がデカーーーーーー パーツがゴツーーーーー 目がキツーーーーー ほとんど三白眼ーーー 本土ではまず見ない人達だな やはりここは異国だな
317 :
日本@名無史さん :2006/07/25(火) 17:01:25
>>316 そういう容貌が違うという印象は朝鮮人からも受けるが、中国南部からは
ほとんど受けないな。スポーツ選手を見ていても朝鮮人と日本人の区別はつくが
中国人はあまり分からない。
沖縄は容貌が多少違うが、言語が日本語族だというはっきりした証拠がある。
アイヌが言語も容貌も違う少数民族であるのに比べると沖縄は日本に近い。
まだやってんのかよ、面は新モンゴロイドが一滴昆りゃあ加速度的に うす顔になるからよ。 テメェーのルーツは他あたれ。
>人相とか品格となると DNAではなく当人の教養の積み方の問題になるけどね
320 :
日本@名無史さん :2006/07/26(水) 20:36:30
新モンゴロイド系は薄味が好きだから くっ付くのは少ないでしょう
白黒系の人に好かれてんでないかい
相変わらず 口が汚い
>>317 なんで中華帝国が「倭国」と呼んだかというと 倭族が移動して作った国だということを
知っていたから
倭族というのは現在の雲南省辺りに住んでいた人達 中華人は小柄な彼らを「倭」と呼称していた
春秋戦国時代や三国時代の戦乱で攻められて 東へ南へと避難してあっちこっちに小国家を作ったよ
中華とのせめぎあいの中で存在していた民族なので ちっちゃいけど戦は得意
2・3世紀頃やって来た彼らは武力で西日本に大和王朝を作った このときやって来た倭人は
呉の滅亡で遼東半島経由で逃げてきた人々 彼らは同胞がすでに多数移住していたことを知っていたから
321 :
日本@名無史さん :2006/07/27(木) 11:23:35
322 :
日本@名無史さん :2006/07/27(木) 18:24:55
>ちっちゃいけど戦いは得意 「倭」て、本当に“ちっちゃい”って意味だったんだっけ?!
323 :
あー :2006/07/28(金) 00:10:16
それが本当なら護佐丸も大和人て事だよな?
324 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 03:56:08
沖縄人からゆうとだな おまいら本土人はなんで たらこ唇が多いか? って事だよ 答えろ! 沖縄人は総じて唇が薄いんだよ
325 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 04:57:39
顔はでかい(見た目)短足 色白 (日照時間の問題か?) 一部の(だいたい5%位は)容姿がいいが後はブス 沖縄人の率直な感想です うんざりするほどブスです!!!!!!!!!!!
326 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 05:09:00
日本女性の95%は ブス だと言っていいですか?
327 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 05:33:28
まあ英国王室だってノルマンの侵略が起源なんだから 明らかにアングロサクソンの王朝ではないわな
328 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 07:47:06
>>325 ちょっと上の方から読んでみてくれ。
外人も参加しとるよ、ここ。
329 :
あー :2006/07/28(金) 09:26:03
それが本当なら護佐丸も大和人て事だよな?
330 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 11:53:02
ところで・・・ 小林よしのりの言ってる事なんざアテになるなるのか!? 2ちゃんねる同様、モノを知らないアホガキを洗脳して楽しんでる 滑舌の悪い低学歴なオヤジだとしか思えないのだが・・・!? 小林よしのり程度に洗脳されるレベルの人間は死んだ方がいいよ(マジで!)。
あてにならねぇw まあ、種子、屋久止まりにしとけや、つう事だろ。
332 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 14:45:44
>>322 「倭」は卑字で 勿論使っていたのは中華人だけですが
意味は 「しなびてて ちぃっちゃい」ということですね
見た目は実際そうなんですけどね
333 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 17:55:43
日本の女は口が臭い
334 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 18:51:03
>>332 弥生人は肩幅が狭いんだけど、長身で体格的には、ちっちゃくないんですよね。
>>290 以降の、朝鮮倭寇説は中国人が書き込んでいるようだが、知ってた?
ほんと、やめてくれよなー(憤
335 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 20:05:55
>>333 テメーもよく見かける香具師だな。
同じセリフあちこちに書き込んで、何やってんだ、コノヤロー?
336 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 20:46:51
雲南出自の倭族を特徴付けるのは 米作と高床住宅 「南米 北麦」 中華をはじめ世界の住宅の主流は土間式 日本で床式住宅に米作が一般的なのを見ても 倭人文化の大きさが知れる 645年の唐人のクーデター以前は BC3・2世紀からは倭人主権の国家だったといえる 弥生人は倭人 中華も倭人と知っていたから ○○倭人伝として記録していた
337 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 21:22:04
一体何なんだかな〜〜、ここのスレは…?
>>336 >中華も倭人と知っていたから○○倭人伝として記録していた
倭人が楽浪の東南に住んでいて、朝貢するようになったからだよ、たぶん。
338 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 22:16:31
>>334 中国人がそんな書き込みせんだろ。人形劇で庶民に歴史教えるとこだw
いたとしたら、国に帰れば、当局からご指導されんでないのw
340 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 23:20:57
>>339 たぶん、横浜あたりの華僑がふざけて書いてんだろうよ。
>>290 ぐらいからレスをじっくり読んでみな。微妙に身元がバレて慌ててるから。
おふざけならいいや。ただねー、怪しげな離間作業はやめて欲しいんだよね。
たぶんそんな大層なもんではないと思うがね。
341 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 23:26:48
>>339 ネット上には俺も含めて色んなのがいるんだよね。
ただねー、中国には「琉球論壇」とかいう掲示板もあるからね。
やるなら、そういうところで書いて、しっかりと個人情報押さえ
込まれて欲しいもんだよ。タダで書き込める安全な2chとかじゃ
なくてさ。
あんまりおかしな事すると、仲良くしてやんないよ〜。
342 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 23:30:07
うるせえな 軍事オタクは
343 :
日本@名無史さん :2006/07/28(金) 23:35:52
>>342 軍事オタク?
日中友好関係の人ですが、何か?
344 :
日本@名無史さん :2006/07/29(土) 18:51:51
>>336 倭人が大陸にいたという文献有る?
かすかに引っかかると言えば、『山海経』の「倭は燕に属す」というのと
『論衡』の「周の時天下太平、越裳白雉を献じ、倭人鬯草を貢す」ぐらい
しかないんだけど。
345 :
日本@名無史さん :2006/07/29(土) 23:23:39
>>344 この分野は 鳥越憲三郎氏が第一人者
図書館に著作があるから それ読んで
346 :
日本@名無史さん :2006/07/30(日) 00:02:49
>>345 鳥越氏の「倭族」(非常に漠然として分かりにくい)と「倭人」は
明確に区別しなきゃ駄目でしょう。中国の少数民族を勝手に「倭族」
に組み込んじゃっていいのかよ?!という疑問もある。
強いて言えば、“日本人の先祖である可能性がある人々”とでも呼ぶ
べきではないだろうか?
はっきりと文章化された資料があるといいんだけどね。
347 :
日本@名無史さん :2006/07/30(日) 00:08:50
戸籍謄本を出せといっても 2000年以上も前のことだしね 状況証拠としては十分のように思うよ
348 :
日本@名無史さん :2006/07/30(日) 08:24:37
違う違う・・・中国の文献。古文書。『史記』とか『三国志』のようなもの。 戸籍謄本があるわけないじゃん。 倭人が大陸のどの辺りにいたとか、そういうのがはっきりとわかる文献。 『山海経』も妖怪本だから当てにならんし。
349 :
日本@名無史さん :2006/07/30(日) 09:28:54
鳥越氏の著作の中に倭人を記述した文献が出ていたよ 書名は分からないよ 図書館に行ってみて 沖縄の人だったら 県立に行けば5・6冊あるよ
350 :
日本@名無史さん :2006/07/31(月) 01:05:02
科学的証拠を集めろよ
351 :
日本@名無史さん :2006/07/31(月) 10:58:35
オレは学者でないから直接文献をあたるなんてことしないよ 学者の書いた本を読むんで十分 いろんな分野を幅広く読んでると 内容の当たり外れが直感できるようになるもんさ
352 :
日本@名無史さん :2006/07/31(月) 11:13:04
確かに。
353 :
日本@名無史さん :2006/08/22(火) 18:23:39
なんやねん
354 :
日本@名無史さん :2006/09/10(日) 13:41:18
すっかり過疎ったね ガンバレ!!!
355 :
グリーン中山 :2006/09/10(日) 17:04:34
356 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 07:15:10
357 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 12:47:54
>>45 チョン顔ってw
痛いな。
マサコ様は縄文系キコ様は弥生系だろただそれだけじゃん。
359 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 12:55:19
360 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 13:00:57
特に電波でもないし、沖縄県として認められているが、 沖縄が中国語圏で注目されている証拠
361 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 14:01:43
尚氏一族ってそもそも先祖がなんであれ何代かに一回日本人の血が入ってなかったか? 小笠原家とか。 あと薩摩にやられた時点で琉球終わってるんじゃね−のか? 幕府の目を欺く為に、偽独立国として薩摩に偽造されていただけじゃん。 ほんとの意味で琉球って呼べるのは薩摩に支配受ける前までだろう。 で今度はアメリカの洗脳教育のおかげで日本は悪い物と言い出してるだけだろ。
363 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 14:26:36
>>280 >どのポジションでも発言出来るって有利=実生活においても
ネットだけでもそんな奴クズなのに実生活でもか?
正直俺はお前の事をマジでクズだと思い同時に哀れと思う。
お前が何人に見えようが、地域差別する筋合いや他者を
馬鹿にする筋合いなんかない。
それじゃ過去に虐められたとかをむちゃな言い訳に、
幼女誘拐したりする人間のクズと同じじゃねーか。
俺なんか2チャンでは悪党みたいに叩かれる大阪人だが、
別に余所の地域差別はしないよ。お前本気で最低だぞ。もうやめとけよ。
別に沖縄人に見えなくとも過去に虐められたんだとしてももう良いじゃねーか?
な?せっかくの人生なんだからもう少し前向きに生きたらどうだ?
沖縄の人達はグ、スクとは発音していない、グス、クと発音してる。 グスクとは元々草地を防風のため石垣で囲んだ御嶽の場所の事 奄美地方ではこんな感じ(沖縄本島とは違う)のグスクが多い これが後、明風(ゆるやかな曲線)の大きな城へと発展したもの。 『グスク』=『グシク』=城 (グス)は琉球方言で「草、くさ」の事(例コーレーグス、高麗草、唐辛子の事) (ク)は城郭の郭で江南辺りの発音で(クォ、グォ)和語で(くるわ)囲んだ所。 『グスク』とは草地を囲んだ所、区切った所、または草地に覆われた防御、防衛地。
365 :
日本@名無史さん :2006/09/11(月) 16:27:57
なちゅるわらびや みみぐすぐす へいよー へいよーなーくなようー コーレーグスさん『グスク』の(グス)はみみぐすぐすの(ぐす)でもいいですか?
大村御殿ぬ後なかいぃ〜 耳切り坊主ぬ 立ぁっちょんど〜 泣ちゅる童ぇ〜 耳 グ ス グ ス ヘイヨーヘイヨー 泣〜かんど〜 ヘイヨーヘイヨー 泣〜かんど〜
367 :
日本@名無史さん :2006/09/12(火) 07:20:07
>>364 オレはここにも貼り忘れていたか…
オレからの切なお願いを貼っておく。じゃあな。
↓
俺は、琉球独立運動そのものには賛成も反対もしていません。
ただ、無関係な者として、以下のお願いがあります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
@自身が琉球独立運動家である事を明示し、できるだけ顔や名前を公表する事。
A中国人や朝鮮人に頼らず、独力で全国を回り、講演会などを行い支持を広げる事。
B日本や日本人を貶める目的でネガティブキャンペーンを絶対に行わない事。
Cメディアやネット上で、絶対に捏造を行わない事。
D2chなどで、本土人や中国人に成りすまして世論を撹乱しない事。
E『日中関係を常に良好に保つように努力する事』。
以上です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
E番は、単なるイヤミだがな…w
※実は@〜Eは、中国人と朝鮮人に対する警告でもある!
368 :
日本@名無史さん :2006/09/12(火) 07:23:56
イヤミでもないか…切実なお願いだ。
369 :
日本@名無史さん :2006/09/13(水) 01:52:00
だからよ、琉球なんていつ成立だよw 琉球、琉球言うのは民族分けしたからしょうがないから、底上げしてんだろw
371 :
日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:13:24
361 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/09/11(月) 14:01:43 尚氏一族ってそもそも先祖がなんであれ何代かに一回日本人の血が入ってなかったか? 小笠原家とか。 あと薩摩にやられた時点で琉球終わってるんじゃね−のか? 幕府の目を欺く為に、偽独立国として薩摩に偽造されていただけじゃん。 ほんとの意味で琉球って呼べるのは薩摩に支配受ける前までだろう。 で今度はアメリカの洗脳教育のおかげで日本は悪い物と言い出してるだけだろ。
372 :
日本@名無史さん :2006/09/26(火) 17:55:21
小林みたいな心の腐った青びょうたんに沖縄を語って欲しくないさ
373 :
日本@名無史さん :2006/09/26(火) 19:21:15
尚家が内地の日本人と縁組みするのは維新後だよ。 日本の華族になってから井伊とか小笠原と縁組みしている。
374 :
日本@名無史さん :2006/09/27(水) 16:10:32
維新以前に7代目辺りが無理やり結婚させられたんじゃなかったけ? いや側室が日本人なのかな?
375 :
日本@名無史さん :2006/09/27(水) 16:12:05
376 :
日本@名無史さん :2006/09/28(木) 19:07:51
私は金丸が出生した部落の者ですが、文献も含めて実在の人物です 伊是名村は歴史的には古い方に入りますよ、県内で完全人骨が出土下のは、伊是名村具志川島です 又、最近貝殻等の透かし彫り細工を同島で発見されましたこれも県内では最古の分類です。 地元では金丸にまつわる伝説は沢山有りますよ ちなみに第一王朝発祥の地は後ろの伊平屋島(村)です
377 :
日本@名無史さん :2006/09/28(木) 21:45:38
「琉球王国と倭寇」なる本を読んだ 内容は琉球の歌謡集「おもろさうし」 から琉球王朝の出自について切り込んだものである 尚円(金丸)が伊是名島出身は恐らく事実でないとある そして「それは、第一尚氏も第二尚氏も、はるかな北へと続く海の道に 結びつく人間が樹立した王権だったからに違いない・・」とある 久米島おもろに「今日吹いている真北風」「北の金丸様」などと真北の風と 方角が示されている 沖縄から羅針盤で真北の方向に進んで行くと韓国に到達する 「北の金丸」は「真北の風」にのって琉球に南下してきたと解釈できる あとこの本には倭寇や朝鮮半島の関係が述べられている 果たして歌謡集「おもろ」から琉球王朝の出自が読めるというのは 少し以外な気がする しかし、琉球のグスク(城)とそのアーチ門は朝鮮半島の山城に最も良く似ている さらに、浦添グスクや首里城の初期の頃から高麗瓦が大量に出土して おり屋根にそれが葺かれていたと推定される それに、「李朝実録」に島の南部を支配する南山王の王子が朝鮮に亡命 李朝に臣下とともに寄宿していたと記録されている このことから金丸だけでなく沖縄島に勢力を張る他の集団も朝鮮との 関係が指摘できる
>>377 それは半島の方が書いた本だな。
萬国津梁の鐘を取り上げて
「琉球國者南海勝地而 鐘三韓之秀以大明為」
「輔車以日域為唇歯在 此二中間湧出之蓬莱」
この初めの文章はただ単に「琉球国は南海の勝地で、
三韓の秀を集め、大明を輔車とし日域を唇歯とするこの中間にありて湧き出る蓬莱である」
要は「琉球は韓、明、日本の中間にあって南海の勝地で蓬莱である」と言っているだけなのに
いきなり「『三韓』に注目しないのはおかしい」などとと言ってみたりこじ付けが過ぎるのだが・・・
「赤瓦」については首里にしろ勝連にしろ対外交易で力を蓄えた勢力
別に朝鮮出身でなくとも瓦はいくらでも調達できたはず。
あと薩摩侵攻以前の時代でも朝鮮よりは中国・日本の方が関係深かったことも付け加えておく。
379 :
日本@名無史さん :2006/09/28(木) 23:22:09
沖縄にはシナ人集落があって代々、通訳職を独占していたそうだが、朝鮮人集落が あって朝鮮語通訳をやっていたという話は無いな。 日本人との通訳がいたのかどうか知らないが、薩摩となら通訳なしで通じていた のだろうな。
380 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 00:35:57
「琉球王国と倭寇」は秋田県出身の吉成先生と東京の福先生の共著 「三韓」ではなく「三韓の秀」つまり「秀」を強調したんだろう 例えば グスク・瓦あるいは朝鮮製の鐘やあるいは首里城は風水を参考にしている 「赤瓦」は江戸時代以降に中国の製法で作られたもので高麗瓦は色は灰色 や青みがかった黒系瓦で浦添城や首里城などから出土している 日本との関係が深くなったのは島津侵攻以後のこと 記録や建造物からもはっきり区別できる 例えば今に残る首里城正殿は安土桃山時代の日本建築方式で1712年建立 記録ぶつは取り上げる必要は無いでしょう(多数あるため)
381 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 00:44:44
薩摩とは通訳なしでは意思の疎通がはかれない 漢文による筆談と中国語や日本語でやりとりした 勿論、通事を通して のやり取り 後の時代になると日本語を話せる琉球官吏が直接対応したりした
382 :
387 :2006/09/29(金) 01:20:14
本の著者については思い違いしていた。
しかし瓦については交易の産物、というのが一般的な見方だが。
例えば勝連グスクでは出土された瓦のうち高麗系と大和系が両方出土されている。
>>377 で触れている南山王子については詳細ははっきりしていない筈だが。
「李朝実録」では
(1394年)「在逃の山南王子承察度の送還を請う」
(1399年)「琉球國山南王温沙道、一族15人率いて来る、沙道は中山王に追われてきたり晋陽に寓す」
こういった二つの記述がある。
前者は要請があったという記述のみで状況は不明。
後者は晋陽に潜んでいた、というだけで李朝が正式に受け入れただけではない。
そもそも承察度(うふさっと)も温沙道も「うふさと」と読め、同一人物という説もある。
1394年に要請があり、李朝が「何のことだ?」と思ったら1399年に発見された。
ちなみに温沙道はその年になくなっている。
つまり「うふさと」が勝手に朝鮮に逃げただけで特別な関係は無かったのでは無いか。
薩摩侵攻以前も深くは無いが大和と交流があったことは確か。
室町幕府との交易がそうだ。
「中山世鑑」には金丸の童名・親兄弟についても記されているし。
金丸が滅ぼした第一尚氏についても尚巴志以前の三代についても触れている。
・八蔵大主(伊平屋島の実力者)
・佐名川大主(伊平屋から伊是名に移りグスクを築く)
・苗代大親(思紹王、佐敷グスクを築く)
こんなところだが・・・どちらも出自は出ているのだが。
朝鮮との関係を論じるのは自由だがあまり強調するべきではないのでは?
383 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 11:55:49
ここは学問板、特別な感情(希望的観測・こう在るべき・こうあって欲しい) という感情は避けるべき。 記録や考古学的物証を基に歴史を語るべき 歴史や考古学には捏造や創作があると疑ってかかるべき 実際、沖縄の古い記録は事実とは限らない神話や創作の類とみるべきである 「中山世鑑」は17世紀中頃以降に記された歴史書 2百年以上前の金丸について詳しく 書けるわけない 明らかに伝承をもとにした創作とみるべき 考古学も捏造が多い 沖縄の歴史・考古学に携わる人間は例えば「土器」がでれば先に日本と結びつける 或いは日本と結びつけるために日本とつながる「物」を仕込み、捏造の疑いがあるものが多い 生活がかかっていてしょうがないのかもしれない
384 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 12:05:32
>>383 正しい姿勢だと思う。賛同する。
「琉球王国と倭寇」は示唆に富む部分もある。そのいくつかは説得力もあるが、
総じて、こじつけや着想を端緒に展開する推論の域を出ない。
一冊の本だけを読んで、それが事実の全てと思い込むのは悪い傾向だ。
例えば「高麗瓦が大量に出土しており」とその本に書いてあれば、
高麗瓦「だけ」が出土していたかのような印象、あるいは高麗瓦が「最も多く」
「圧倒的に多く」出土していたかのような思い込みに囚われてしまうようなことだ。
ひとつの資料しかみていないと、そういう思い込みに陥ることが多い。
多角的に資料を集めなければ語れない。
が、そもそも琉球史を解明するには史料が少なすぎる。
中立的で理性的な議論を求めたい。
386 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 12:22:29
科学的根拠を基にすれば 琉球人は日本本土人とは遺伝的に遠い 分かりやすく言えば琉球人と日本本土人は同じ血を分けた兄弟(同胞)ではない 日本本土人に最も近いのは朝鮮人である それを基に歴史や考古学を調べたり語るべきである そうでないと様々な矛盾が生じる その結果、笑い者になってしまう と言うか一段劣ると見られかねない
387 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 13:54:25
388 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 14:11:46
科学的根拠を基にすれば 琉球語は日本語とは比較言語学的に近い 分かりやすく言えば琉球語と日本語は同じ血を分けた兄弟(同胞)である。 日本語に最も近いのは琉球語である それを基に歴史や考古学を調べたり語るべきである そうでないと様々な矛盾が生じる その結果、笑い者になってしまう と言うか一段劣ると見られかねない
389 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 15:30:02
>387 事実を知った方が有利 捏造や創作、或いは事実誤認は弱みにしかならない だから嘘を信じたい人は信じればいい
390 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 15:57:46
嘘を信じる様子は偽有栖川宮と同じ 件のあの男があの女に「自分は皇族ではない」と告白 件の女は「そんなことどうでもいいじゃない」と言う返事 二人は逮捕されるまで皇族を演じ続けた 悲しく虚しい話である あるいは「裸の王様」にもたとえられるだろう
>>383 >ここは学問板、特別な感情(希望的観測・こう在るべき・こうあって欲しい)
という感情は避けるべき。
言っている事はもっともだが
>>377 ではやや推測が混じっているように思える。
出土品に関して触れると朝鮮とのかかわりが薄れてくるように思える。
前回もあげた勝連グスクは土器・須恵器・中国陶磁・鉄器などが出土され、
瓦と同年代と思われる辺りから日本製の刀も出土されている。
南山グスクも同様で土器や中国製陶磁器が主、
今帰仁グスクでは陶磁器、備前・タイ・ベトナム土器、鉄器、銅製品、古銭、石製品、貝殻、獣魚骨
古い部類の玉城グスクでは土器、陶磁器 。
金丸の出身といわれる伊是名島の伊是名グスクでも土器・須恵器・陶磁器・貝殻といったものだ。
グスクから頻繁に出土されているものはいわゆるグスク式土器・フェンサ式土器・須恵器・陶磁器のようだ。陶磁器は中国のものが多い。
>考古学も捏造が多い
沖縄の歴史・考古学に携わる人間は例えば「土器」がでれば先に日本と結びつける
或いは日本と結びつけるために日本とつながる「物」を仕込み、捏造の疑いがあるものが多い
希望的観測が非常に強いようだが・・・自分で言ったことを忘れたのか。
「中山世鑑」が全般の信頼を置けないものであることは事実。
しかし、その土台は各地の伝承、中国の記録に基づいていてでたらめではない。
金丸半島人説が出てきているようだが、それなら伊是名玉御殿の遺体調査でも行えばいいだろう。
尚家の許可が必要になるだろうが。
392 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 21:21:40
393 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 21:25:54
394 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 21:54:22
日本刀は護身用であり実戦では使えない 合戦では弓と槍で後に鉄砲も使用 モンゴルや中国人倭寇は片手で持つ日本刀に似た剣を用いていた 尚家に伝わる千代金丸は片手で用いるモンゴルや中国人倭寇と同じ剣 日本製の刀でも柄を片手用に改良したものだろう
395 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 22:20:29
「琉球王国と倭寇」を著した吉成氏は東大理学部卒の理学博士 科学的根拠があって琉球王朝の出自を朝鮮系倭寇との論を説いている としか思えない 科学的根拠を基(例えばDNA調査)に「おもろさうし」の唄を読み解いたんだろう
>>395 明らかに思い込み一杯の発言。
DNA調査って遺体からDNAでも採取したのか?
それならおもろを読み解くという回りくどいことをする必要は無いと思うのだが。
理学博士といっても歴史・考古学の専門ではないのだろう。
琉球のグスクからは朝鮮との関係を裏付ける出土品は出ていない。
以上。
398 :
日本@名無史さん :2006/09/29(金) 23:13:52
金丸は、第一王朝を滅ぼしてはいません、あくまで臣民の推挙で最高冠位についただけです 金丸の家は、貧乏であった、美貌の青年である事が後々に影響してる 逆田伝説は、金丸の水田は、どんな旱魃にあっても水が干上がる事が無く又美貌ゆえに 島の青年に逆恨みされ、島から夜逃げ同然に逃げた事から始まるその浜の名が渡浜(ワタンジぬハマ) です。 ちなみに伊是名島の城山(グスク)は中腹部分に絶対枯れない井戸があるが、山事態は岩山でありこの井戸以外に 水が出る場所はない。 北山軍が攻めて来た時も、このグスクに地主達が篭城して北山軍を追い返したのも史書に残っている 沖縄には和人(本土・内地・本州の人)の難民の話は多くある 一例で、源元義朝が(氏名ちょっと忘れました)が難破して漂着したのが今帰仁村の運天港(運を天に任せて漂着した為この名前になった) その後今の浦添で現地の人と恋に落ち一緒となるが、迎え船が来たため和の国に帰っていた その後、恋仲の女性に必ず帰ると言い残した場所で、女性が待ち続けたのが牧港(まきみなと・まちなと)です。 琉球のル−ツはどちらかと言うと、北方よりは南方系だと思いますが ニライカナイ伝説も似たような話は南方に多いし
>>398 >金丸は、あくまで臣民の推挙で最高冠位についただけです
定説ではない。クーデターという説と二分する説の一方。
>その浜の名が渡浜(ワタンジぬハマ)
あくまで伝説の話。
>一例で、源元義朝が
為朝伝説は史実ではないとする学説が主流。
ちなみにその現地の人とは、勢理客(ジッチャク)祝女と伝わっている。
400 :
日本@名無史さん :2006/09/30(土) 19:08:48
>>399 渡浜訂正・・渡地でその海岸線がワタンジぬ浜でした 勢理客(ジッチャク)は伊是名村の部落名で学説では浦添市の勢理客(セリキャク)のほうです
>>400 本島の「勢理客」の名前は伊是名由来だったと思いましたが。
正確には、勢理客はジッチャクともセリキャクとも呼ぶ。 ジッチャクが古い呼び名。セリキャクは新しい呼び名。 由来は伊是名の地名と考えられ、歴史的にはジッチャクの呼び方が正しい。
403 :
日本@名無史さん :2006/10/01(日) 15:09:43
牧港は当て字でなければ馬を輸出していたんだろう
琉球のグスク周辺には馬場や牧の跡がある
琉球の馬は蒙古馬と遺伝子が同じらしい
琉球には最後のモンゴル皇帝の次男が流されている
それ以前にモンゴルの影響下にあったかもしれん
少なくとも先島はモンゴルと高麗人の影響下にあった
16世紀頃まで東シナ海はジャンク船に乗った中国人や高麗・朝鮮人が縦横に跳梁跋扈していた時代である
日本の和船の付け入る余地はない
日本本土との交易というが高性能の船と磁石がなければどうしようもない
だから、全く島の見えない海洋上におかれたときそれを遭難という
島が見えたり目標や目印になるものが見えないと遭難する時代である
しかも和船は船底が平らで安定板がない ちょっとした波で転覆してしまう
ヨットやウインドサーフイン乗った経験のある人は判ると思う
安定板が付いていないとフラフラしてひっくり返る
ジャンク船の船底には安定板が付いていた
しかも、風上に走れ磁石もある
中国人や朝鮮人が東シナ海を支配するのは当然である
日本の船は16世紀まで琉球までくる事は出来なかった
琉球船が日本にこれない時はジャンク船を利用していたのである
日本人は和船で琉球に渡来できなかった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E8%88%B9 それから遣唐使船が南西諸島を利用したのは事実ではない大嘘で政治的な意味で
出た説である
和船の能力から沖縄まで航海出来ない
「遣唐使〜その歴史的経緯と役割」を検索すれば理解できる
http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2003/030418.html
404 :
日本@名無史さん :2006/10/01(日) 15:47:27
古代から中世の時代、日本人が沖縄に船で来たというなら 実際に実験すると良い 丸木舟や遣唐使船、或いは中世の船で磁石やナビゲーションシステムを 搭載せず本土から沖縄までたどり着けるか証明してみることだ 沖縄から本土への原始的な船での実証実験は成功した話はよく聞く 本土から沖縄へ実証実験する勇気のある人はいないのか
405 :
日本@名無史さん :2006/10/01(日) 16:11:28
>>403 16世紀頃まで東シナ海はジャンク船に乗った中国人や高麗・朝鮮人が
縦横に跳梁跋扈していた時代である
・・・それは中、後期倭寇でそれ以前の倭寇は文字通り、日本人が東シナ海
を縦横に跳梁跋扈していただろう。明、朝鮮の要請で日本が倭寇取締りを
強化したあと、シナ、朝鮮の海賊が残っただけだ。
406 :
日本@名無史さん :2006/10/01(日) 16:17:43
>>403 16世紀後半には日本人は東南アジアまで進出して日本人町を各地
に作っているが、朝鮮が朝鮮人町を作っていたという話は聞かないな。
朝鮮の造船技術が日本を上回っていたとは信じられないことだ。
407 :
日本@名無史さん :2006/10/01(日) 17:44:15
日本の和船は東シナ海を行き交う能力・性能はないし航海の技術を日本人は
もっていなかった
日本人の倭寇が行き交ったのは朝鮮や対岸の中国沿岸の東シナ海北部に限られる
琉球までは日本の倭寇は及んでいない 琉球は中国の勢力範囲
ただ、薩摩を倭寇にみたてればこの限りではない 琉球を1609年勢力下においた
日本人の東南アジアに進出は16世紀末ジャンク船を基に朱印船を造ったから
それよりも南蛮船やジャンクに便乗して日本人は東南アジアに進出している
日本人が和船で跳梁跋扈していたというなら実証実験して証明することである
和船
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E8%88%B9
408 :
日本@名無史さん :2006/10/01(日) 17:53:49
問題は島津侵入以前に日本人が琉球人の遺伝子を変えるほどに 渡ったかということ 答えは日本人は琉球に渡れなかった 理由は和船の性能と磁石をもたず航海技術がまだ乏しかった だから少なくとも琉球は15世紀まで中国や高麗・朝鮮人倭寇の勢力下にあった
409 :
日本@名無史さん :2006/10/01(日) 17:55:41
>>407 琉球は中国の勢力範囲
・・・沖縄にシナ人集落があって、通訳職を独占していたことを指すのか?
勢力範囲というほどの勢力とは思えないな。交易をやっていただけだろう。
410 :
日本@名無史さん :2006/10/01(日) 18:00:41
>>406 朝鮮の造船技術は中国からの輸入 琉球も同じ 秀吉の朝鮮出兵で中国や朝鮮の船に衝突されると日本の船は沈んでしまったという
411 :
日本@名無史さん :2006/10/01(日) 18:08:45
>>409 琉球は中国とは朝貢関係
渡来中国人(久米36姓)が政治と外交を仕切っていた
琉球には日本人は渡っていないといってい
16世紀まで琉球には日本人の墓など痕跡がない
察度王がちゃんといるし、あくまで進貢貿易を円滑にするための久米36姓では?
413 :
日本@名無史さん :2006/10/01(日) 19:21:00
為朝伝説って八丈島あたりにも、流れついた民話があるけど、始皇帝の不死の薬探しのパクリぽいよね。 始皇帝騙した奴の名前なんだっけ?
414 :
琉球 :2006/10/01(日) 22:57:40
久米36姓 live in 久米村 明 洪武25年(1392年)来琉球
415 :
日本@名無史さん :2006/10/02(月) 14:30:48
???
419 :
日本@名無史さん :2006/10/02(月) 18:44:05
420 :
日本@名無史さん :2006/10/02(月) 19:08:20
このYAP+遺伝子 中国人、朝鮮人からは出て来ない不思議な遺伝子 らしいな、(チベット人は出る)と言うことは九州、本州人より沖縄人 の方がよりご先祖さんに近いと言う事か。ふ〜〜ん
学校の先生がYAP+は、「始め人間ギャートルズ」遺伝子って言ってたな マンモス追いかけて、アメリカまで行ったグループと日本列島に下りて 来たグループ、チベット方面に行ったグループが有るって言ってた。 原始モンゴロイド人らしい。
422 :
日本@名無史さん :2006/10/02(月) 21:05:35
>>421 そういえば日本人の中には黒人に似た人間も居るが、シナ人、朝鮮人には
見かけないな。
よくルーツ論に遺伝子を出す人がいるけど、それは無数にある遺伝子の たったひとつに着目した成果でしかない。 ひとつの示唆にすぎず、結論を与えるものではないよ。 そのことをわきまえて考えるべし。
424 :
日本@名無史さん :2006/10/03(火) 15:15:02
昔に行って 確かめて来い
427 :
日本@名無史さん :2006/10/03(火) 16:59:47
>>423 よくルーツ論に遺伝子を出す人がいるけど、それは無数にある遺伝子の
たったひとつに着目した成果でしかない。
ひとつの示唆にすぎず、結論を与えるものではないよ。
そのことをわきまえて考えるべし。
例えば
428 :
日本@名無史さん :2006/10/03(火) 18:43:27
沖縄には独立を目指す政党があるらしいからなあ。 けっこう沖縄の独立運動史は古いし幅も広いんだよ。
429 :
日本@名無史さん :2006/10/03(火) 18:46:58
>>426 知ってるだろうけど言っておく。
中国南部からYAPが出る連中は「チベット系」が多いよ。
割合としては低くないよ。
test
431 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 00:09:23
>>374 詳しくは忘れたが間接的に日本人の娘じゃないのか?
日本人の娘の娘とかだったんじゃないか?
日本人が嫁ぐのは幕末から維新近くだろ?
432 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 10:53:03
433 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 11:04:44
訂正 首里大君按司加那司は(すいうふぎみうしゅがなし)と読むかもしれん 夫人の名前にある按司は(うしゅ)と読むかもしれん)
434 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 11:09:57
さらに訂正 「按司」について 沖縄の女の名前に「うし」というのがある 「按司」は(うし)で読んでいいかもしれん まぁ〜「うしゅ」と読んでもいいだろう どうでもいい
435 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 11:21:18
琉球人の昔の名前(本名)は モンゴルや満州や中世以前の朝鮮の人名のように長い名前が多い その後、支配層は中国には中国風の名前 薩摩侵入後は日本には和風の名前で対応した
436 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 12:03:24
琉球史で按司といえば「あじ」または「あんじ」と読み地位を表す 按司のもともとの呼び方は「うし」あるいは「うしゅ」だろう 女の名前に「按司」を付けるといことは沖縄が母系社会だったと 言う事かもしれん 旦那が朝鮮辺りの海賊で子孫が出来た後、戻ってこないという事が あったかもしれない 自然、母親は「按司(うし・うしゅ)」と言う事になり母親を中心にした 社会になったと予想される
437 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 12:04:47
第一王統で尚 思紹王、神号がのってるけど誰がつけたのかな 当時でも内地と宗教的交流があったとか?
439 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 14:29:18
日本では神号という名は使わない 日本では古代に帝が崩御すると 諡号とか諡と呼ばれる贈り名をする 琉球王の神号名は後世、沖縄の学者が付けたんだろう 沖縄は自然宗教の祖先崇拝であり先祖を神として崇拝する だから神号としたんだろう さらに、琉球の宗教や祖先崇拝は中国の道教の影響をも受けていて様々な神がいる 面白いのは神にお線香を供えるところが中国的というか道教の影響といえるだろう 沖縄の祖先崇拝はもともと日本の神道とは関係ないが薩摩の侵入後 神社がもうけられ沖縄も影響を受けるようになり琉球神道とも 呼ばれるようになった しかし、沖縄の人間は琉球神道とはいわない とおーとおーめえー(尊尊前)?あるいは(尊尊命)?というがそれは 先祖の位牌のことであり位牌は中国の影響だろう
440 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 15:16:05
本土人と沖縄人って言葉と血を中心に民族的に何千年も前から関係あるけど 中国人や朝鮮人と、本土人や沖縄人は文化的な影響はあっても民族的には全然関係ないよね
がくしゃて、、、、、んなあほな、、
442 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 15:53:27
>>440 それは嘘も方便 キツネとタヌキの化かしあい
本土は名を取り沖縄は実を取る そういうこと
血が繋がっている事が善という考え方は古いしいずれ崩壊する
単一民族は北海道(アイヌもいるが)から九州まで
日本人は沖縄人より朝鮮人に近いというのが真相である
よーし俺が総理になって、一重はみんなゲシュタポ送りにしてやるぞ〜
「琉球王国と倭寇」に目を通すとまるでかつてのノストラダムス予言解釈本を読んでいるような気分になる。 訳の分からないこじつけや解釈が多い。 「承察度」を承と察度に分けて「察度は『査都』を同じ読みで実際『承査都』を書かれている文献が(朝鮮に)ある・・・云々」といった文章があるのだが。 そもそも承察度だの温沙道だの怕尼芝や攀安知だのといった名前は当て字というのが定説なのだが・・・ 実際最初に南山王と称した承察度(うふさっと)はウフサト=大里、最初に北山王と称した怕尼芝(はにじ)はハニジ=羽地、といった具合に本拠とした地名を表わしている。 「さと」が領主の意味ならなぜ汪英紫や他魯毎、攀安知は名乗らなかったのか不思議でならない。 言ってしまえば自説に都合のいい部分だけ拡大解釈し他は無視しているといえる。 そんな過程で成り立つ「琉球=朝鮮倭寇説」がどの程度の説得力があるだろうか。
445 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 19:50:42
「琉球王国と倭寇」は細かい部分は誤りがあるかもしれないが大筋で朝鮮系倭寇の 琉球王朝は事実に近いだろう 倭寇はほとんどが中国人と朝鮮人で日本人は1割から多くて3割 倭寇の時代、東シナ海を縦横に往来できる船は中国のジャンク船しかない 倭寇の時代に琉球には日本人の痕跡がない(墓・グスクなど構造物) もし、朝鮮系でなければ琉球王朝は中国人の王朝だろう ただ、16世紀頃の中国の琉球語を訳した琉球館訳語には日本語らしき言語と朝鮮語らしき 言語が見られる 琉球の中国との交易に琉球人以外に日本人と朝鮮人が関わっていた可能性がある ただ、これだけは言える 琉球王朝は渡来系の王朝であることは確実である
446 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 19:59:47
>>444 大里は「ウフサト」とは読まず「ウフサリ」だろう
>>445 あの本はおもろさうしやその他文献を捻り倒して結論へ持っていく構成だから途中が間違うと結論へ辿りつけないと思うのだが?
もともと結論ありきで纏めたのなら仕方ないが。
日本人の痕跡はほとんど無いが朝鮮人の痕跡も同様ではないか。
・琉球の古い墓(風葬)は朝鮮の墓とは似ても似つかぬ物。
・グスクは元々軍事的なものではなく土着信仰の拝所であった。
非常に古いグスクの中ではミントングスクのように規模の小さなものもある。
倭寇の縄張りとしては心許ないと思うが何故そういった物を築いた(?)のか。
・察度王の時代(1368年)に大和僧により護国寺が創建されたのに、そういった歴史的事実を無視して
日本人はこられない、というのか。
・グスクからの遺物で多いものは土器で、他は中国からの磁器、日本に多く見られる須恵器が中心。
もちろん朝鮮系の遺物も無くはないはずだが、朝鮮倭寇説は考古学的に見れば苦しいと思われるが。
>ただ、これだけは言える 琉球王朝は渡来系の王朝であることは確実である
なら何故通訳が必要なのか。
断言するからには確固たる根拠があるのだろう。
449 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 21:32:22
沖縄本島南部には石を積んだ饅頭型やドーム型の墳墓がある
この場合モンゴルや満州にも同様の墓がある
琉球のグスクは朝鮮の山城に最もよく似ている 明らかに日本にはない構造物である
グスクから高麗瓦の出土
浦添ユウドレの内部は高句麗や高麗の石の積み方である
グスクは軍事的な意味がある
御嶽とグスク別
同じ中国でも通訳が必要なところもある ただ筆談では意思疎通できる
琉球語や朝鮮語は通訳は必要
昔は沖縄には石壁に茅葺(竹ぶき)の家屋があったこれは明らかに朝鮮からつたわったもの
>>415 参照
450 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 21:43:31
護国寺は史実ではない伝説
451 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 21:45:23
「倭寇」っていうのは 倭人の海賊連中と言う意味 日本人の海賊と言う意味ではない 中華人から見たら どこに住んでいようと倭人は蛮族
宮古島は気性が荒いから、朝鮮の影響あるのかね? と中の悪い石垣島民が言ってみる。
453 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 21:50:26
石垣・宮古には17世紀まで 倭寇も立ち寄らなかった おかげでずっと 貝塚時代 平和な土人部落社会だったさ
454 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 21:53:56
>>445 ただ、16世紀頃の中国の琉球語を訳した琉球館訳語には日本語らしき
言語と朝鮮語らしき言語が見られる
・・・その朝鮮語らしき言語とはどういうものなのか?
455 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 21:57:34
>>445 もし、朝鮮系でなければ琉球王朝は中国人の王朝だろう
朝鮮系やシナ系の王朝なら王や官職名がシナか朝鮮と同じものを用いる
だろうが、琉球王朝にそんなものがあるのか?
456 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 22:05:03
沖縄は現代でも 現住民系と征服民系のはっきりした 格差社会 顔を見れば 氏素性はハッキリ分かる 高額所得者=征服民系 庶 民=原住民系 征服民系は コネ重用で既得権を守っている
457 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 22:24:36
沖縄県人って朝鮮国と顔が似ても似つかないじゃんw 日本語の二大方言は本土方言と沖縄方言だし、朝鮮が関係あるわけないだろw
天皇は半島系とか言っちゃう国だし 高句麗は朝鮮系じゃないっていう厳然たる事実も素直に認められません
459 :
日本@名無史さん :2006/10/05(木) 22:46:23
そもそも半島は独自の文化ってあんの? NAVERの韓国人も朝鮮の城や庭と中国の城や庭の違いが分からなかったのに、グスクが朝鮮から伝わったってw せめて中国から半島経由で沖縄に伝わったってことにしといた方がいいぞ
461 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 12:17:19
朝鮮半島の山城は石材の種類や地形などの条件でさまざまある 時代によっても違う
沖縄のグスクも一般的に琉球石灰岩のものと今帰仁グスクのように石材が違うと見た目も
違ってくる
アーチ門の工法は朝鮮のアーチ門が大きくそれだけレベルが高いだろう
琉球のそれは自然条件との関係で小さいアーチ門
全体として古い朝鮮の山城と琉球のグスクは最もよく似ており同じものは
日本や中国には見られない
高麗瓦は琉球の瓦に比べ色が黒色系でそれは高温で焼かれ品質が高いと言う事
がいえる
琉球の赤瓦は17世紀以降作られ中国の製法らしいが低い温度で焼いているため品質は悪い
おそらく大量に生産する必要があって簡単な低い温度で焼く方法にしたんだろう
或いは技術を得ていなかったということだろう
中国の紫禁城の瓦は釉薬が塗ってあり水を吸わないので赤瓦より品質は高い
高麗瓦を琉球で生産した証拠は無い 窯の跡も出ていない 朝鮮から瓦を輸入
したのかもしれない
朝鮮の山城
http://www.linkclub.or.jp/~juta/castling/syasinsyu/koryusanjyo.jpg
462 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 12:20:04
463 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 12:33:40
>>457 >>458 歴史観の時系列上の整理整頓が支離滅裂
すべての時代がごっちゃごちやになっている
464 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 12:58:00
16世紀頃の 中国の琉球館訳語から 平仮名は(一部漢字)琉球語 (漢字)は意味を表す あま (山) あまんちゅう (日本人) まかり (碗) あしゃつ?・あさと? (父親) あーみぃ?・うみぃ?(母親) たし?・とぅし? (年) 礼?・りー?・れー? (茶) ? (魚) 勤那 (門) 慢多・まだ?・まど?(窓)
465 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 13:18:27
466 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 13:54:01
>>464 >あまんちゅう (日本人)
え?!知らなんだ…
あまんちゅう=奄美人 じゃなかったのか。
467 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 14:23:39
>>466 「あまん」の意味は「山」
今でも沖縄の高齢者の中には日本本土人を「あまんちゅ」といったり
する人もいる
先島では背の高い欧州系の人のことらしい
468 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 15:24:51
勝連グスクの阿麻和利は「あまんじゃー」ともいう 阿麻和利は、あまん(日本)から来た渡来人かもしれない 阿麻和利は謀反人として悪者になっているが 阿麻和利がヤマトンチューだとすると 敵対していた琉球王は日本以外から来た渡来系の人間だろう(例えば朝鮮系倭寇) と推定する
今帰仁グスクが今の形になったのは15世紀後半から16世紀にかけてのこと。 その時期は出土品から中国との交易が確認されている。 グスクは交易を通じて発展したのだろう。 実際、アーチ門を持ったグスク、座喜味・中城・知念はグスク時代後期のもの。 座喜味15世紀のはじめ頃に護佐丸が築いたものだし、中城は座喜味から移された護佐丸が今の形にした。 知念グスクの新城(ミーグスク)は尚真王の時代に築かれたもの。 やや古いものでは安慶名・玉城があるが安慶名は元々ある岩を利用したもの。 玉城に至っては岩をくり抜いている。 どの辺りに朝鮮式山城が割り込む余地があったのか・・・ あとミントン・フェンサ・勢理といった古いグスクのどの辺りが朝鮮式なのか。
470 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 15:36:22
阿麻和利がクーデターで倒した時の勝連グスクの主は「茂知付木」(もちづき) と言う名前 こっちが日本人のような気がするが それとも「モチヅキ」という日本人を倒したから「阿麻和利」(あま割り) と言う名前か?
アマンチューというのはアマミキヨを意味するようだが? だとすればかなりいい加減なことを言っていることになる。 アマ、アマンカイという方言は一般的に使われているが、その辺りではないのか。
472 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 15:46:05
>>469 アーチ門を築くにも高い技術がいる (瓦も高い技術がいる)
或いは石の切り出しなど石工の技術も簡単に身に付くものではない
アーチ門の技術は外国から入ったはずだ 朝鮮で無ければ中国から伝来
したんだろう
因みに日本の石橋のアーチの技術は朝鮮人石工が伝えたものである
>アーチ門の技術は外国から入ったはずだ だからこそ交易が盛んになったグスク時代後期に作られたのだろう。 大陸などから技術が伝わってグスクなどが発展したことは充分考えられる。 琉球=朝鮮倭寇は全くの別問題だが。
474 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 15:56:05
>>471 琉球館訳語にある
5ページに「山」を琉球語で「亜馬奴(あまぬ・あまん)」とある
17ページに「日本人」を琉球語で「亜馬奴必周(あまぬちゅう・あまんちゅう)」
とある
475 :
日本@名無史さん :2006/10/06(金) 16:00:57
阿麻和利がヤマトンチューだとすると敵対していた琉球王は日本以外から来た渡来 系の人間だろう(例えば朝鮮系倭寇)と推定する ・・・琉球王国は独立していたので、日本の侵攻があれば敵対するのが当然だが、 それが何故渡来系ということになるのだ?琉球土着系なら敵対しないとでも言う のか。
朝鮮の技術が大元の中国にないわけないだろw 独自のものがあるとしたら、それはどうしても中国の技術に及ばないためにかえって素朴な風味が出たりする偶然 中国から琉球そして朝鮮半島に伝わった可能性の方がまだ信じやすい
あま、ってあそことかにつかうよね。 くま、はなんだろう?クマークマークマー
うちなーぐちで クマ=こっち、だろ
あまんちゅ・・・ 単純に「あっちの人か?」
480 :
日本@名無史さん :2006/10/08(日) 21:31:58
「あまんちゅう」中国の琉球館訳語には漢字で表音「亞馬奴必周」と字を当てている 「亞馬奴(アマン)」の意味は「山」のこと 中国の記録には八重山・太平山(宮古島)・久米山など島に山の字を当てている 「あまん」は古い琉球語で島とか山のことで遠く離れていることを意味するのかもしれん 昔、八重山では外国人のことを「あまんちゅう」と云っていた 「必周」は日本語の「ひと」の転訛だろうヒト→ヒトゥ→ヒチュウ→チュウ 琉球語は薩摩侵入以前の遅くとも15世紀頃から日本語の影響や言語の借用が始まった のかもしれない 琉球船に便乗して交易したり或いは倭寇に連れて来られてグスクの築城などに従事 させられたりしたのかもしれない 首里城や浦添グスクなどは百人単位でないと築城は難しいだろう 恐らく沖縄の 先住民では作業が進まず朝鮮や日本などから人間を連れて来て作業に当たらせたと思う ただ日本語と琉球語は基が違う 「ひと」が「チュウ」に転訛するのがいい例 或いはポルトガル人が琉球を「レキオ」といったり、日本の幕末の頃に アメリカンを「メリケン」と転訛するのと同様である 日本語と琉球語にはそれだけの差異がある
481 :
日本@名無史さん :2006/10/08(日) 23:11:16
遣隋使、遣唐使には唐語通訳のほかに新羅語、沖縄語通訳が乗っていたらしい。 つまり沖縄語は唐語でも新羅語でもなかったということだ。奈良時代にすでに 日本語とはかなり違う言語だったのだが、よく調べてみると日本語と音韻対応や アクセント対応があり、動詞の活用形にも類似がある。特に動詞活用の類似は 姉妹語でなければ見られない類似点で、単なる借用語ではない、という証拠であり、 琉球語は古代から日本語の一種だったということだ。
482 :
日本@名無史さん :2006/10/08(日) 23:20:00
>>480 ポルトガル人が琉球をレキオと書いたのは日本人がドジョウをドゼウ、
バショウをバセヲと表記したのと同じことで、現在でもポルトガル、スペイン、
フランス、イタリア人などのラテン民族は東京をトキオと書いているのと同じことだ。
オランダ人は長崎をナンガサク、江戸をイェッドなどと書いているが現地人は
そんな発音をせず、琉球人はリュウキュウと言っていたのだ。
483 :
日本@名無史さん :2006/10/08(日) 23:59:26
>>481 >遣隋使、遣唐使には唐語通訳のほかに新羅語、沖縄語通訳が乗っていたらしい
その根拠は
484 :
日本@名無史さん :2006/10/09(月) 00:07:51
「あまんちゅう」は日本人と言う意味 だから「あまん」は日本のことでもある ヤマトの固有名詞を使っていなかったということは日本とは 疎遠であったといえる
485 :
日本@名無史さん :2006/10/09(月) 06:07:09
しむさ
486 :
日本@名無史さん :2006/10/09(月) 10:41:53
ぬ〜しむば〜
487 :
日本@名無史さん :2006/10/09(月) 14:47:05
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1160229411/ 205 :197:2006/10/08(日) 23:40:17 ID:???
>>202 もちろん私も波木井史観を学童向けに教えるべきではないと思っている。
あまりにも危険すぎる思想だからな。
「つくる会」や「自由主義史観研究会」の歴史観の威力が竹やりレベルだとすれば、
波木井史観はいわば核爆弾のようなものだ。
思想が持つ射程距離と影響の深刻さがケタ違いなんだよ。
私が言った波木井史観にもとづく歴史教科書というのは、
もとより凡百の子どもを対象とした学校向け教科書などであろうはずがなく、
厳しい思想的鍛錬を経た選民的な葵講員だけが閲覧を許される高級な書物である。
488 :
日本@名無史さん :2006/10/09(月) 16:37:50
あまんちゅ=山人=大和 なんだろ
489 :
日本@名無史さん :2006/10/09(月) 18:12:15
ぬーがぬーやらむるわからん ぬーがなとーやむるわからん
490 :
日本@名無史さん :2006/10/09(月) 18:29:36
>>483 司馬遼太郎の「空海の風景」だったかに書いてあったが、出典は
忘れた。唐語は現地に着いたときの通訳だが、新羅、琉球語の方は、漂流
した場合に備えての通訳だったらしい。
491 :
日本@名無史さん :2006/10/09(月) 21:31:12
16世紀前半の朝鮮の海東諸国記に記録された琉球語には 日本は 「じゃまと」あるいは「あまと」と記録されている 油は 「あぶら」と記録 現代琉球語は「アンダ」(スペインのオリーブ油の産地アンダルシアからきた単語?) 塩は 「ましお」 現代琉球語は「マース」 紙は 「かぁみ」 現代琉球語は「カビ」 衣服・衣・きぬ は 「きる・きぬ」 現代琉球語は「ちん」 16世紀前半の方が日本語に近い 琉球館訳語では 売り を16世紀の琉球語で「こーゆん」 買い は16世紀琉球語で「うり」 と売りと買いがそれぞれ逆になっている おそらくヤマトンチュウとの商いのやり取りの中ででそのまま鏡に映し たようにヤマトンチュウの話す言葉を誤読したんだろう このことから琉球語はヤマトンチュウとのコミュニケーションを通して伝播 した言語だろう
492 :
日本@名無史さん :2006/10/09(月) 22:04:11
アンダルシアはさすがにきっついな、、、
493 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 00:33:31
>>491 琉球館訳語では
売り を16世紀の琉球語で「こーゆん」
買い は16世紀琉球語で「うり」
・・・それは朝鮮人が混同した可能性もあるだろうな。
494 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 04:38:31
ゆーしったい
た〜がひ〜がぷ〜
496 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 06:42:58
りっか
497 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 08:09:06
>>491 琉球語と言っても方言が多くて、互いに通じないほどらしいが、
海東諸国記に記録された琉球語というのは首里語なのか?
琉球方言の中には日本語と同じ形態を残している方言もあるらしい。
また琉球語の古い方が日本語に近いというのは当然で、古代に遡れば
同じ祖語にたどり着くということになる。
498 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 10:15:59
499 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 10:32:29
>>497 海東諸国記に記載されている琉球語は日本語
琉球の中国貿易に日本人が関与していたんだろう
16世紀、明は海禁政策で鎖国下にあり日本は中国と交易が禁止されていた
そこで日本人は琉球人に成りすますなどして交易に関与したんだろう
当時は中国銭と銀が使われ銀を保有する日本人は優位にたてただろう
例えば言葉は琉球人固有の言語は使われず日本語が主に使われたはずである
だから琉球人も日本語を覚えざるをなかったんだろう
500 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 11:30:59
>>491 あぶ「ら」 ← あン「ダ」
用例
砂糖あぶ「ら」揚げ ← さタアあン「ダ」あギ
琉球人は、ら音の発音が苦手なんだよ。「ラ」ジオ (radio) の事を生徒
達が「『だ』ジオ」と発音する。浦島太郎を「う『ダ』しま」と発音す
ると言って、かつての那覇校校長の宮良長包が『美しき帝国』の中で嘆
いてた。やつらは、東ほぐ人に少し似てるかな。
501 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 12:06:42
>>490 だから、沖縄語が古代より日本語の一種だという確実な根拠やソースを示せといっている
10世紀以前、沖縄は貝塚時代であり沖縄貝塚人は縄文人や弥生人とは異なる
それに、日本本土と交易の記録やその他痕跡が残っていない
だから、沖縄貝塚人は「大和」の存在を知らなかったはず
古い琉球語では日本は「アマン」である
というか、沖縄人の知らない遠くはなれた島や外国は全て「アマン」であり
ヤマトを含む外国人は全て「あまん」の人ということになるのである
502 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 14:32:19
アマン、クマンかしまさぬ、あんしぇ渡来人やナイチャ〜か?クマソちゅはま〜んちゅやが?
503 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 15:56:11
>>500 それは逆だろう
沖縄人は「ダ行」を「ラ行」で発音してしまう
例えば「だから」を「らから」「誰」を「られ」など
「油」は昔「アンダルシア」というオリーブ油の産地があると聞いただけ
504 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 16:46:45
505 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 18:11:38
ぶ〜さ〜しっ!
506 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 22:37:33
>>500 あぶらabura>abra>amra>amda>andaという変化形だろう。
日本語内でも「飛んだ」tobitari>tobta>tomda>tonda という変化形がある。
507 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 22:45:09
>>501 有力な根拠の一つが動詞の活用形だと言っている。日本周辺で四段
活用する動詞をもつ言語がほかにあるのか。
古代からという根拠は奈良時代の遣唐使の琉球語通訳があると言っている。
シナ語でも新羅語でもない琉球語があったのなら、それが10世紀以後の
琉球語の先祖と考える以外に、何語があるのだ。
508 :
日本@名無史さん :2006/10/11(水) 00:14:12
>>507 10世紀以前の古代、沖縄貝塚人の人骨は身体的に氷河期の寒冷地適応していない
だからアマン(日本人)とは異なる(弥生人或いはそれ以後の日本人とは見た目で区別がつく)
沖縄貝塚人は古代の大陸や朝鮮とも見た目で区別がつく人種である
むしろアマン(日本人)の方が大陸や朝鮮と区別がつかないだろう
言語も同じ
沖縄貝塚人の話す言葉は古代日本語とは異なるし大陸や朝鮮とも違う
古代なら日本語は琉球語より古代朝鮮語に近いだろう
古代日本語が古代朝鮮語に近いと言っても現代と同じで意思疎通は図れない
琉球人が日本や日本人をを「あまん」と呼んでいた時代があったことは歴史的事実である
509 :
日本@名無史さん :2006/10/11(水) 01:38:08
>>480 「(ひ)と」の「ひ」が脱落して「と(チュ?)」だけ
残ってる形は、九州本島ではよくあるぞ。琉球弁なんて
どうせクマソ語の一種だろうが、それが証明されたよう
なものだな。
じつを言うと、その形は標準語にもある。w
例
商人(あきないの(ひ)と)→ あきんど
盗人(ぬすみの(ひ)と)→ ぬすっと
510 :
日本@名無史さん :2006/10/11(水) 02:59:18
モンゴル人工作員まだやってんのかよw いい加減中国を再併合しろや、あんたらが工作するような領域じゃないw
511 :
日本@名無史さん :2006/10/11(水) 04:50:53
「ちゅう」は「衆」だろ。 一般に「人」と日本語訳されてるが。
512 :
日本@名無史さん :2006/10/11(水) 10:47:01
>>489 >ぬーがぬーやらむるわからん ぬーがなとーやむるわからん
「何がなにやら全く解らん。何がどうなってるのかまるで解らん…」
って言ってるの?沖縄べん解らんが、意味が理解できたよ。
513 :
日本@名無史さん :2006/10/11(水) 11:46:27
>>508 沖縄貝塚人の話す言葉は古代日本語とは異なるし大陸や朝鮮とも違う
・・・ほお、沖縄貝塚人語というものが分かっているのか。どんな言語なの
か興味があるのでご教示願いたい。
514 :
日本@名無史さん :2006/10/11(水) 11:49:09
>>489 >ぬーがぬーやらむるわからん ぬーがなとーやむるわからん
沖縄語が日本語の一種だとよく分かる例だな。
515 :
日本@名無史さん :2006/10/11(水) 15:13:11
>>513 アマン(山・島)
アマン(日本・日本人)
アマン(外国人)
クマ・クマン(こっち・沖縄側)
クマンというのは熊襲に通じるな
517 :
日本@名無史さん :2006/10/11(水) 19:40:36
∩___∩ | ノ ヽ/⌒) /⌒) (゚) (゚) | .| / / ( _●_) ミ/ .( ヽ |∪| / \ ヽノ / / / | _つ / | /UJ\ \ | / ) ) ∪ ( \ \_)
518 :
日本@名無史さん :2006/10/11(水) 21:35:19
あぎじゃびよ〜い!
519 :
日本@名無史さん :2006/10/11(水) 21:47:54
なぜ韓国人は様々な文化を半島から伝えたことにしたがるのか余程コンプレックスがあるのだろうか・・・ このようなやり方が嫌韓を増やしているのだろうとしみじみ思う。
524 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 00:55:21
先島や或いは久米島には朝鮮系倭寇の遺跡があるのは事実
昔は沖縄本島にも石壁に萱葺きの建物はあった
>>415
525 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 01:02:36
韓国の相撲のシルム 沖縄角力のシマ 「シルム」が転訛して「シマ」と言うのは通らないかな? 紐を握るというかはじめから組んで戦うなど「シルム」と「シマ」はそっくりである
>>525 >紐を握るというかはじめから組んで戦うなど「シルム」と「シマ」はそっくりである
初めから組んでからということならモンゴル相撲も半島からなんですね。
そう出張しないのですか?
紐を握るというかはじめから組んで戦うなど「シルム」と「シマ」はそっくりである
>>519 のサイトに綱引きや空手(唐手)が半島から伝わったとあるが
沖縄のそれは中国由来なのだが・・・
530 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 01:16:23
琉球語の「ちゅう」や「あんだ」など日本語から転訛した語彙と比べれば 相撲のルールがそっくりで十分裏付けがある ただこれだけは言える 琉球人は朝鮮人とは遺伝的に遠い 分かりやすく言えば「あかの他人」である ただ、琉球人は日本本土人とも遺伝的に遠く「あかの他人」である 日本本土人に遺伝的に最も近い民族は朝鮮人である
民族血統分けしてるから当然だろw あんま、関わるなよあんた等の為だ。
532 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 01:26:06
>>527 モンゴル相撲の「ブフ」は韓国の相撲とは別で歴史が違う
アレルギーがおおいね〜
琉球人はヤマトンチューとは「あかの他人」なんだから気にする事はない
勿論、朝鮮人もあかの他人
533 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 18:41:38
>>532 日本人と赤の他人が何故、日本語の方言程度の言語を話しているのか、
説明してくれ。
534 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 18:59:02
あり あり あり あり
言語的な近縁関係と血統的関係は必ずしも一致しない
536 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 19:37:28
占領された後進国駄目民族が 宗主国のことばをしゃべる のは当然のことだよ 比島人 → スペイン語 香港人 → 英語 越南人 → 仏語
537 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 19:53:55
>>536 それは公的な場面で家の中では現地語を話しているのだが、琉球人
はどこでも琉球語だけで生活していた。
明治以後は日本標準語が普及したが、それは東北地方でも同じことだった。
538 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 20:11:25
>>533 琉球語やよお 亞馬奴必周ぬ言葉とおー異ないん 亞馬奴言葉とうゆぬ方言
どぅいいんどうやれえー わんが くまなかい書ちゃる文やわかいやすさに
話やよおー いんかし いんかし うちなーぬ世ぬ明きてい ひゃーく年ふどうたち
三山ぬ戦ぬ世やうちなちあとう すいうしがなしーめー(首里按司加那志前)ぬ
世やなたるばすなかい
うちなーんかい 亞馬奴ちゅぬ しんかぬちゃーぬうほーくめんそーち
うちなーんちゅぬすがいしばきてぃ うりから 唐とぬあちねえーんかい あたていよーさい
亞馬奴ちゅたーがる銀やむっちどううー事よー なーあちねえーやうったー勝手どうやる
言葉や亞馬奴ちゅたーぬ言葉しどう あちねえーやさぎー事よおー
うちなーんちょー 亞馬奴ぬ言葉うびらんねえー あちねえーやないびらんよーやーさい
うっさ説明しえーわかいさに
539 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 20:18:23
>>538 わしは関西人なんで、標準語は分かるが沖縄弁や東北弁は分からん
ので、標準語で頼む。
540 :
我は成りすまし朝鮮人なり。 :2006/10/12(木) 21:21:44
541 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 22:35:34
>>540 韓国人の同胞は北鮮だけだから、頑張って早く統一しろ。
日本、沖縄とは赤の他人だ。
542 :
日本@名無史さん :2006/10/12(木) 22:40:17
543 :
542 :2006/10/12(木) 22:44:35
因子 × 遺伝子 ○ 頭の悪い糞青以外の知識人は、日琉同祖を認めているという事でおk?
544 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 04:50:48
>>533 違うな。
日本人が琉球語と方言程度しか違わない言語をしゃべってるんだ。
545 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 06:57:48
>>544 日本人は本土方言、沖縄人は沖縄方言を話している同じ日本語族
というのが言語学上の分類だ。
546 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 07:15:42
>>535 言語的な近縁関係と血統的関係は必ずしも一致しない
・・・在日朝鮮人は日本語を喋っているが、本人の意識上、朝鮮人なら朝鮮人だ。
547 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 12:55:53
ワープ人が古代の大和言葉の古語を温存するわけねぇだろがw 新しい日本語憶えんで何喋るんだよ。
548 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 17:52:08
このスレぇ、でーじむちかさんどぉ
549 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 18:42:04
∩___∩
| ノ ヽ/⌒)
/⌒) (゚) (゚) | .|
>>548 出痔?
/ / ( _●_) ミ/
.( ヽ |∪| /
\ ヽノ /
/ /
| _つ /
| /UJ\ \
| / ) )
∪ ( \
\_)
550 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 18:52:26
日本に帰属していたも何も もともと沖縄人もヤマト民族だろ
551 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 19:11:30
沖縄人は汗腺が多いのかな?
552 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 20:12:05
>>550 いや、言語は古代から日本語族だったが、薩摩の侵攻までは独立王国
だったので、それまでは異民族化していただろう。しかし、薩摩の支配、
明治の併合によって徐々に大和民族に組み込まれていったが、まだ一部、
異民族意識が残っている状態だろう。
言語が日本語族ということは、太古に日本から分離していった語族で再び、
元に戻って来た民族とも言える。
553 :
日本@名無史さん :2006/10/13(金) 23:28:47
>>535 トルコ語族などは白人種と黄色人種が使っているし、英語も白人と黒人、
黄色人種も母語として使っているな。
>>545 その通り。そして言語学ではその両者は等価だ。
沖縄方言は本土方言の下位にあるものではない。
そこまで知っておけ。
555 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 07:09:44
>>554 むしろ日本文化の基層をなす誇り高い民族として、琉球人は
大いに威張った方がいい。
九州・本州・四国などの人間は、中国や朝鮮半島から渡来した
人間と大いに混血して、先祖のありがたみを理解できなくなった
不幸な連中だと哀れんでやればいいのさ。
556 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 10:14:27
>>555 沖縄人にも醤油顔は無視できんくらいの割合で存在するようだが。
で、沖縄に存在する「日本文化」の基層とは何のことだ。
557 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 10:16:52
沖縄に存在する「日本文化」の基層 ・・・これは朝鮮人がよく主張する日本文化の起源は朝鮮というのと同一の 発想だな。
>>556 無視できんくらいってw
時間の問題だろ一重目になるのも。
559 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 16:27:43
>>558 沖縄に行ったことがないのでいわゆる沖縄顔と醤油顔の割合は分からん。
560 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 17:00:01
561 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 17:31:55
>>555 朝鮮から大量に渡来したにしては日本人に朝鮮顔はあまりおらず、
シナ人の方が区別がつかんほど似ていると思うな。
562 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 18:35:25
563 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 19:38:29
沖縄貝塚文化 貝塚時代は、縄文時代にあたる前半と、弥生時代から平安時代にあたる後半 に大きく分けられる。前半について「縄文時代」の名称を使用する場合も あるが、使用については意見が分かれる。また、弥生時代の特徴に稲作 (水稲耕作)があげられるが、現時点で弥生時代にあたる時期の水田はみつ かっておらず、農耕がはじまるのは貝塚時代の末である。 旧石器時代を経た後、貝塚(ただし本州地域のように厚い貝層をつくるよう な貝塚は稀)を形成する集落を中心とした独特の文化を形成した。 沖縄の土器文化の始まりは日本列島が縄文時代を迎えた時期より若干遅く、 紀元前5千年紀頃にはじまるものと推定されており、縄文土器の影響を受け 形成されたと考えられる。この時期の終わりは平安時代末期にいたるまでで、 期間は数千年に及んでいる。縄文時代にあたる時期(貝塚時代早期〜中期) は狩猟・漁労・採集を生活の手段としていたが、貝塚時代中期(縄文晩期) には畑作が行われていた可能性もある。この頃の生活を示す貝塚も多く発見 されている。生活は竪穴式住居に暮らす集落単位で、狩猟採取・漁労を中心と する原始共産社会である。
564 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 19:39:42
弥生時代から古墳時代にあたる時期(貝塚時代後期前半)には九州との貝 交易が行われ、弥生土器や鉄などが発見されている。また、この地で採れた 貝(イモガイ・ゴホウラ)は腕輪として、九州を中心に遠く北海道でも発見 されている。貝塚時代の終わりごろ(貝塚時代後期後半)には農耕がはじま ったと考えられており、畑跡がいくつかの遺跡で確認されている。 なお、日本の遣唐使がこの時期の琉球を経由して唐に向かっている。 沖縄諸島で発見される開元通宝は遣唐使が持ち込んだとする説もある
565 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 19:45:49
>>556 沖縄の土器文化の始まりは日本列島が縄文時代を迎えた時期より若干
遅く、紀元前5千年紀頃にはじまるものと推定されており、縄文土器の影響を
受け形成されたと考えられる。
・・・日本の影響を受けて数千年遅れて始まった沖縄の縄文土器が「日本
文化の基層」になるか?沖縄文化の基層が日本文化なのだ。
566 :
日本@名無史さん :2006/10/14(土) 19:48:23
567 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 08:07:32
>>556 >紀元前5千年紀頃
紀元前5世紀頃ね。
>沖縄文化の基層が日本文化なのだ。
>>555 >日本文化の基層をなす誇り高い民族
↑
>>560 の資料を見ると、本州や北海道の住民も琉球人の血が混じっている
ようだし、そのような言い方をしても、おkではないだろうか。
琉球に閉じこもっていた人間が「琉球人」になったという事か。
568 :
567 :2006/10/15(日) 08:08:39
569 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 08:17:20
>>560 縄文人a=琉球人
縄文人b=アイヌ人(蝦夷?)
但し、琉球人≠アイヌ人
本州のサンプルでは、アイヌより琉球タイプの配列を有する人が多い件。
琉球の文化基層が日本という言い方は正しくない。 それならば日本の文化基層が琉球ということもできる。 日琉に共通の文化基層がある、というべきだ。
571 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 12:54:51
>>570 >日琉に共通の文化基層がある、というべきだ。
なるほどね。
どちらが元祖というよりは、完全に対等な存在だね。
よく琉球独立派が活動しているが、日本列島に住み着いた縄文人には、
アイヌ系と琉球系があるようだから、縄文の子孫である琉球人とアイヌは
本来独立する必要がなく、「移民の子孫であるその他大勢を母なる大陸へ
強制送還する」という言い方が、むしろ正しいのだろうな。
母なる大陸へW 列島が空っぽになるだろがよ。問題なのはルーツ方向性。 石原が言ったのは、メリケン、中狂への牽制。
573 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 14:05:30
>>571 歴史板に琉球独立を持ち込まないほうがいい
琉球独立問題を言わせてもらうと
米軍の沖縄駐留の元々の目的・大義名分は「琉球独立」である
だから沖縄が独立するまで米軍は撤退しない
それに、米国は沖縄が独立するまで米軍を駐留させて沖縄を守っていく
ということであった
米軍の沖縄駐留でその見返りに沖縄へ日本政府から財政負担を獲得できる
日本は米国市民に日本製品を買ってもらって外貨を稼ぎそれが米軍駐留費
や沖縄への財政負担に回るという仕組みは上手くできている
沖縄がこの仕組み言い換えれば「財政資源」を簡単には手放さない
手放すとすれば経済自立して独立となったときだろう
沖縄の経済自立それは沖縄独立である
それまでは米軍基地は必要である
574 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 15:00:29
(沖縄独立)を過去の日本復帰運動と重ねてみれば面白い 日本復帰運動(沖縄独立運動)→行政主席公選(独立正否の住民投票)→ 日本復帰派当選(投票の結果独立派多数)→一年後の1969年日米首脳会談で 3年以内の沖縄返還決定(独立へ向けて日・米政府と交渉)→後は事務的に事が運ぶ
575 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 16:00:46
>>573 >米軍の沖縄駐留の元々の目的・大義名分は「琉球独立」である
だから沖縄が独立するまで米軍は撤退しない
げーーーーっ?!
それ、まじっすか?
それも、あれのあれだがw どっちゃにしろ、あちら様にとっちゃぁ、ネタに困る領域じゃない。
577 :
日本@名無史さん :2006/10/15(日) 16:36:53
>>570 沖縄の縄文文化は日本より数千年遅れて始まった・・・これは常識
で考えれば、日本の基層縄文文化が沖縄へ波及して行ったということで、
沖縄から日本へ波及したのではない。これのどこが対等の立場だ?
このスレで琉球と朝鮮を同化させようとしている人はどうして突っ込まれると話題を変えるのですか?
579 :
日本@名無史さん :2006/10/21(土) 11:54:45
2ちゃんねる・糞スレで
>>1 先生を偲ぶ
「糞レス(くそれす)」など、2ちゃんねるの旅の楽しさを
綴った紀行文学で知られる作家の
>>1 (みぎみぎ・いち)先生が、
去る平成1×年4月02日、肺炎のためご他界されました。37歳でした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
このスレッドは、その「糞レス(くそれす)」の書中で
先生が約20,800にも及ぶスレッドを完乗された記念すべき場所であり、
先生のファンにとって「聖地」とも呼べる特別なスレッドでもあります。
多くのファンの方々が先生のご逝去を悼み、
先生の作品に思いを馳せながらその足跡を辿って
このスレを訪れることでしょう。
そこで当方では、2ちゃんねるに『訪問記念ノート』を用意いたしました。
http://love3.2ch.net/test/read.cgi/gender/1161396979/l50 >>1 先生や作品への思い、旅の思い出などを自由にお書きください。
このノートがみなさんで作る第二の「糞レス」となることを願っています
580 :
日本@名無史さん :2006/10/23(月) 19:19:19
698 名前:おさかなくわえた名無しさん[] 投稿日:2006/10/18(水) 21:00:00 ID:AdBSQdeE 私はさほど裕福ではないが、しっかりした家で育った。 祖父はかなり厳格な人間で、非常に厳しくしつけられた。 中でも友達関係にはとても厳しかった。 子供の頃、友人を家に招いて遊んでいると、祖父はその中の1人の耳をつかんで表に引きずりだした。 「お前はこの家に入ることは許さない!」と怒鳴りつけた。 私はなぜ祖父が仲良しの友達にそんなまねをするのか理解できず、祖父をひどく嫌ったものだ。 子供の頃は気にしなかったが、祖父が家に入ることを禁じた友達はどうやら朝鮮人だったようだ。 一方、祖父と異なり、おおらかな家風の家も近所にあった。 その家では、朝鮮人の子供が家に入ることを禁じることもなく、家族ぐるみの付き合いをしていた。 その友人は、「昨日は焼肉を食べさせてもらった」とか「めずらしい辛い料理を食べた」と自慢していた。 私は、焼肉など食べたことがなかったので、その友人がひどくうらやましかったのを覚えている。 しばらくすると、その友人の両親が殺され、家からは金目のものが一切合財なくなっていた。 時を同じくして、家族ぐるみの付き合いをしていた朝鮮人が警察につかまった。 人づてに聞いたところによると、朝鮮人一家は子供を家にあがらせ、かくれんぼなどをする中で金目の物のありかを探らせていたという。 さらに家族ぐるみの付き合いをすることでそれを確かめ、家の間取りや鍵の具合などを調べていたそうだ。 友人の家よりも、我が家のほうが経済的に恵まれていたが、朝鮮人一家は親切にしてくれた友人の家へ盗みに入ったのだ。 さらに、帰宅して鉢合わせになった友人の両親を刺し殺したという。 両親をなくした友人は、遠くの県の親戚の家へ引き取られていった。 仲の良かった友達と遊べなくなった私は、とても悲しかった。 祖父は食事をしながら吐き捨てるようにこう言った。 「鮮人を家に上げるから、あんな目にあうんだ。あいつらは平気で恩を仇で返す」 その朝鮮人一家は人付き合いのよい、傍目には「いい人たち」であった。 『いい朝鮮人もいる』そんな話を私は信じることはどうしてもできない。
581 :
日本@名無史さん :2006/10/24(火) 14:32:40
私は差別主義者ではないが朝鮮人は好きになれない。 最初は人良さそうな顔をして平気で裏切る。 都合が悪くなると植民地にされたとかいって責任転嫁する。 あなたのおじいちゃんは正解かもね。
582 :
日本@名無史さん :2006/10/24(火) 19:33:48
民族原理主義者にのっとられて まったくつまらなくなった
匿名掲示板ですからね、どこの国も目糞鼻糞、似たようなもんだw
584 :
日本@名無史さん :2006/11/01(水) 03:26:48
てーげーやっさぁ〜
工作すれ、まだだいぶ残ってんなおい。
工作って? 民族主義者が?
沖縄には倭寇の一部もいたようだし、金丸が沖縄人ではないというのも考えられるが、 そもそも農民出身と思われるから、「金丸」という名前自体も後付けっぽいかなあ。
588 :
日本@名無史さん :2006/12/01(金) 18:01:19
「尚」という姓は、久米村の中国人が「小」を尚と書いたの がはじまりではないかという説もある。
589 :
日本@名無史さん :2006/12/01(金) 20:02:18
「尚励めよ」の意味の「尚」姓下賜だろう 「頑張ってやれよ」という意味
590 :
うんの :2006/12/01(金) 22:39:14
尚の字を良く見ると顔文字ニダ、目は細くつり上がり、口をぽか〜んと 開けていてアホ顔ニダ
嫌韓脳、、、、、、、、、、、重症です、、、子孫は東京にいるらしいが何してんでしょうね?
592 :
日本@名無史さん :2006/12/02(土) 10:14:52
尚姓はもともと姓ではなく、「尚巴志」全体で名前だった。 尚巴志が明に朝貢して父の「思紹」を王に冊封してもらったとき、 明が「尚」を姓と勘違いして、思紹を「尚」思紹として冊封した。
中国本土の中山ってどんな意味があるんですか?教えてくださいませエロゐ人
594 :
うんの :2006/12/03(日) 21:14:52
攀安知=八幡按司、尚巴志=小按司、思紹(ししょう)はなんだったっけ?
596 :
日本@名無史さん :2006/12/04(月) 09:42:29
>>595 攀安知=ハネジ、尚巴志=サバチ、思紹=シチャ だったと思ったな。
八幡っていうと尚巴志の孫にあたる尚徳王が八幡王子と呼ばれてたみたい。
あとその兄弟(尚徳の弟)にも八幡加那志(はちまんがなし)ってのがいるからややこしい。
第一尚氏は八幡神とかかわりが深く、その紋章も左三つ巴を用いている。
同じく倭寇も八幡神を奉じているので第一尚氏は倭寇の末裔ではないか?とする説もある。
良成直樹氏、福寛美氏の書『琉球王国と倭寇』には第一尚氏、第二尚氏の成立はともに倭寇が深く関わっていたと論じている。
そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、 下国のなかの下国であった。 天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、 朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。 また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、 朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが 「渓陰漫筆」に書かれている。 そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。 (黄文雄『韓国は日本人が作った』徳間書店)
598 :
日本@名無史さん :2006/12/17(日) 14:49:37
>良成直樹氏、福寛美氏の書『琉球王国と倭寇』には第一尚氏、第二尚氏の成立はともに倭寇が深く関わっていたと論じている。 興味深いな。 小林よしのりの言うとおり、金丸=本土人もあり得るわけか。
>>596 羽地(はねじ)から来ているのは怕尼芝(ハニジ)。
尚徳王が八幡とつけられたのは死後のこと(神号八幡按司)
尚徳王が喜界島遠征するときに安里村で願掛けで鳥を射落として
その場所に安里八幡宮を建立したというからその影響で付けられたのかも。
何でもかんでも倭寇に繋げようとする時点で客観的とは言いがたいかもな。
>>598 その可能性はゼロではないが小林氏の書いている根拠は完全な的外れ。
600 :
うんの :2006/12/17(日) 19:41:50
琉球は元寇で日本征服に失敗逃亡したモンゴル・女真・高麗人の集団が 琉球に渡来してきて渡来人同士の抗争が始まった その遺跡が沖縄各地にグスクや石積みの拝所や墳墓として残っている 琉球開闢の地、斎場御嶽はモンゴルにも同じものがみられる 斎場御嶽に移り住んだ琉球開闢のアマミキヨはモンゴル・女真・高麗人などの 複合集団である モンゴル馬と琉球馬は遺伝子が全く一緒である この頃(13〜14世紀)琉球はモンゴルの影響下にあったと思われ 琉球は尚氏が統一する以前に北方騎馬民族の支配下にあったのである
>>600 ならばそれらの集団の文化(文字・言語など)が後世に伝わらなかったのはなぜか。
>モンゴル馬と琉球馬は遺伝子が全く一緒である
そのソースは?
琉球馬の遺伝子を調査した結果でもあるのか?
602 :
日本@名無史さん :2006/12/17(日) 20:59:49
>>601 言語は語彙の中に残っている
本島の琉球馬と宮古馬は絶滅
与那国馬が残っていて遺伝子がモンゴル馬と同じ
>>600 一般的に伝えられる英祖の即位が1260年。
この時点で既に各地に按司がいて英祖も浦添を根拠とする一勢力だったと言われている。
良成直樹氏、福寛美氏の好きなおもろさうしにも英祖が戦いに赴く様子が描かれている。
対して元寇は弘安の役が1281年。
アマミキヨにしては時代がずいぶん遅れているようだが?
渡来人がいてさらに抗争まであったのならそれらの記述やそれらを示すものが残っていないのはなぜか。
604 :
うんの :2006/12/18(月) 14:16:52
>>603 英祖の即位1260年は17世紀以降に著した歴史書による
13世紀までは神話でしかない
ただ三山時代以前に王権が確立していたといわれる
モンゴル軍が沖縄に来たのは文永の役の可能性が強い
アマミキヨはモンゴル・女真・高麗などの集団
アマミキヨの琉球開闢は13世紀
アマミキヨが首里城を造営したとおもろさうしにある
グスクは朝鮮全土と満州人の居住地域に一部存在する山城によく似ている
斎場御嶽の岩信仰はモンゴルにも同じものがある
石積みの拝所や墳墓もモンゴルにある
石の文化はモンゴル・女真・朝鮮・琉球で共通の文化
本島に数多くあるグスクが沖縄で激しい抗争があったことの証である
>>604 その出張は完全に客観性を書く
>>603 で英祖がおもろさうしを持ち出したら
>>604 で神話と否定した。
しかしその主張で首里城云々という部分でおもろさうしを持ち出している。
こちらがおもろさうしを持ち出せば神話と即座に否定しておきながら
自分がおもろさうしを持ち出すと言うのは一貫性がなくその出張は到底信じられるものではない。
またこちらが出した英祖を後に書かれた歴史書の神話と一蹴しておきながら
>>604 ではおもろさうしのような曖昧な伝聞。
また似ている、似ていないといった程度の曖昧な根拠しか出せないのでは問題外と思われるが。
英祖は後の歴史書のみではなくおもろさうしにも登場している。
さらにいえば首里城は察度か尚巴志が現在の形にしたが、それ以前に首里城(グスク)が存在したかどうかは明らかになっていない。
にもかかわらずおもろさうしのみを根拠に断言するのはどうか。
606 :
605 :2006/12/18(月) 20:37:11
さらに言えば浦添ようどれの調査結果から英祖は実在した可能性が高い。 付け加えればアマミキヨが築いたと言われる。 玉城グスクやミントングスクから朝鮮やモンゴルを示す異物が出てきたという話は聞いたことがない。 ミントングスクも朝鮮の山城に似ているのか興味があるw いってしまえば沖縄には日本やモンゴル、朝鮮に似た部分のある文化があった。 それだけである、近ければ交流などで影響を受けることはある。 だが渡来人やら渡来人の抗争などというのはそれを示す遺物がないのであったとは言えない。 以上。
607 :
日本@名無史さん :2006/12/18(月) 21:48:58
孫薇って学者は第一尚氏は存在しなかったって説を主張してるみたい。 吉成、福の書も孫薇氏の主張を支持してるような印象を受けたな。 思紹は佐敷の豪族、尚巴志は読谷を中心とした豪族、尚泰久は首里との争いに敗れて玉城に敗走した豪族らしい。 また、尚志達、尚金福に関してはその存在自体が疑わしい、と述べている。 らしい。 早く一般にも公開してくれないかな。ネタでもいい。面白い説だ。
>>607 少なくとも『琉球王国と倭寇』は三山時代は無かったと言う出張をしているように取れる。
ならば明と交易していたのは何者なのか。
この本を信用して引用してくる人に聞いてみたいものだw
609 :
うんの :2006/12/19(火) 12:16:30
>>605 英祖の即位1260年は神話で嘘だといっている
英祖という人物の存在は否定も肯定もできない
じゃ逆に訊ねるが「アマミキヨ」は何者かね 日本人?
ただ「おもろさうし」は中国の古い漢詩の様式に極めて類似している
おもろさうしの原文は漢文だった可能性が高い
610 :
うんの :2006/12/19(火) 12:49:38
>>605 おもろそうしではアマミキヨが首里城を造営したとあるがそれは神話でしかない
しかし、考古学的調査では首里城は古くても14世紀末の造営と推定される
当時、日本には石工の技術はない
中国にも石積みの山城はみられないし中国の城壁は土や煉瓦が主である
石積みの城壁が見られるのは琉球と朝鮮と満州の一部だけである
何度もいうがアマミキヨの琉球開闢の地の斎場御嶽はモンゴルにも同じ
形の岩があり信仰の対象になっている
琉球の神話や宗教はモンゴルや満州に由来することは確かである
611 :
うんの :2006/12/19(火) 13:21:00
>>605 沖縄の貝塚時代の人骨とグスク時代の人骨の骨は解剖学的に異なる
貝塚人は立体的で日本の縄文人や後のアイヌ民族に似ているが遺伝的には
違いがあるという
此れに対しグスク時代人は寒冷地適応の平面的な顔で平均身長が当時としては
高く160センチありグスク時代人は当時の日本人の平均身長(157センチ)より高い
グスク時代人は何処からきたのかね?
612 :
うんの :2006/12/19(火) 13:36:30
>>605 グスク時代人は身長が160センチで鎌倉時代の日本人(157センチ)
室町時代の日本人(156センチ)に比べ明らかに身長に違いがある
グスク時代人が身長の高い中国北部やモンゴルや満州系の人々である可能性は
高い 朝鮮人も日本人より身長は高かったであろう
613 :
日本@名無史さん :2006/12/19(火) 14:22:53
二人の論戦、とても興味深く面白い。 感情的にならずに続けてもらえるとうれしい。(個人的希望) それと余談だが、二人の意見を読んでると、黒澤明の羅生門を思い浮かべた。 どちらの言い分もある面から見れば正しいのであろう。
なかなか淡々と進んできて良いね。 ようどれに拝みに行ってる人達の間では、英祖の存在は神話じゃないです。 それと、モンゴル系の伝承は皆無なんですが、親戚を見る限り色白な人は確かに多い。 ところで、しょう様は何処におわすのかw 私は寂しゅうございます。
615 :
うんの :2006/12/20(水) 00:58:02
沖縄本島の島尻の人は背が高い 特に糸満人は昔から背が高いことで有名 それと私が知っている沖縄の門中に馬姓があるが中部のある馬姓の屋号は 「アンダ」といいモンゴル語で「盟友」満州語で「幼馴染」「友人」という意味である 沖縄の義賊の物語 「ウンタマギルー」の名前はいかにも北方系の名前で 相棒の名前も「アンダケーボージャー」この名前が北方系なら意味は 「幼馴染の坊主」といったところだろう この辺りで「シャン シャン」とシメマショウや!
616 :
うんの :2006/12/20(水) 01:07:04
島尻で思い出した モンゴル語で「ココシリ」というのがある 意味は「美しい丘」とか「美しい娘」という意味 島尻の「シリ」は丘という意味があるかもしれない
なるほど、モンゴル語で追うのも面白い。 友人の馬姓の人も背が高いし、モンゴルの人っぽい顔してますな。 あと彼は下戸なので、下戸統計取って見ると何か分かるかもしれません。 識者には到底及ばないのですが、 門中の伝承にモンゴルの薫りを感じられないという点で、どうも腑に落ちないのです。
618 :
605 :2006/12/20(水) 02:20:06
レスが多くて全部に返すのは面倒なので・・・ 英祖の1260年即位が事実でないにしろ察度以前に浦添を支配した政権があることは間違いない。 浦添ようどれの人骨調査の結果、伝承の時期に符合するということから13世紀頃の人物と見て間違いない。 沖縄の古い民族は一般的に南島の縄文人と言われている。 もし神話が事実に基づくのであれば彼らがアマミキヨになるという可能性もある。 グスク時代の突如変化するといわれているがまだ詳細は分かっていないのが事実。 日本人に近い人種というのが有力で南島系との混血もあったのではないかと見られているようだが。 おもろさうしは現在残っているものは原書も含めてほとんどがひらがな、漢字であったというどこにもない。 沖縄の文字はひらがなで日本とは使い方が微妙に異なっていたらしい。 また最も古い部類のグスクであるフェンサグスクは10世紀から11世紀頃とも言われ、土器などが出土されている。 アマミキヨが元寇での渡来人であればアマミキヨがやってくる前にグスクが築かれていたことになる。 岩を崇拝するのは沖縄とモンゴルに限ったことではない。 日本にも岩を御神体して祀っている場合もあるし、他のアジア諸国でもこういったことはあるかもしれない。 >島尻の「シリ」は丘という意味があるかもしれない 普通に考えれば国「頭」との対比である。 >
619 :
614 :2006/12/20(水) 02:48:43
戦前まで、浦添王子系統の人は嫡流だったことを誇りにしていたし、 友寄・平敷屋事件だって、その家の口伝を消し去る事は出来なかった。 それぐらい伝承は根強いものだと思うのですが…。 それに、第一尚氏が王統として存在なければ、明氏諸家が復権する事は 無かったのではないでしょうか? 御先祖さまがモンゴルの草原を駆け巡っていたとの説は、浪漫に溢れていて それはそれで楽しいのですが、どうも信じられないのです。
620 :
614 :2006/12/20(水) 03:01:56
>>618 モンゴル説って、何だか井沢さんの史観っぽく感じてしまうのは、私だけ?
あの方は、地理と読み仮名の時点で初歩的なミスをしていた記憶があるのだが。
グスクは本来は戦争のための城ではないよ。 学説では元々は御嶽を中心に発達した集落とするのが一般的。 「城」という言葉の持つ大和的なイメージに引っ張られるのは不適切。 それと三山時代の実態は群雄割拠であり、各勢力は有力者同士の同盟 というのが最近の主流だと思うが。 元寇での渡来者はあったかもしれないが、琉球は7世紀には歴史に 登場しており、元寇で琉球社会が劇的に変化したという記録はない。
622 :
うんの :2006/12/20(水) 09:46:41
沖縄人の遺伝子的には50%以上が先住民(貝塚人)の遺伝子 北方系の遺伝子も混血しているが弥生人(日本人)との混血はほとんどないと いって良い それが事実であり現実 はたして沖縄人に混血している北方系の遺伝子とはどの地域の民族の 遺伝子だろうか 今更、ソースを貼り付ける必要はないとおもう
623 :
うんの :2006/12/20(水) 10:28:40
624 :
日本@名無史さん :2006/12/20(水) 11:07:17
琉球語と日本語が同一の南方という起源を持つ言葉という考え方がある。 これは黒潮に乗って南方からきた南方民族と北方の大陸からきた民族が 日本本土で融合したのが、現在の日本民族の起源であるという考え方の基礎となっている。 南方と九州の中間にある沖縄に、その移動途中で定住するようになったのが、 沖縄の民族の起源の一つである可能性も現在言われている
625 :
日本@名無史さん :2006/12/20(水) 11:22:36
閑話休題 門中や家譜を残してくれた先祖に感謝。 先祖が誰でどこから来たなんて暮らし向きには全く関係ないし、沖縄の場合は先祖自慢できる要素もそう多くはない。 でも自分の先祖が下級役人で、妻は○氏の娘で□□で、何代目のだれだれが流刑になって家督がいとこのだれだれに移ってとか、、、 名誉も隠したい事も書いてるってすごいことだと思った。 ああ、確かにご先祖様はこの世に生きてたんだなぁ、その血と肉が俺に続いてるのかぁ、ちゃんとしなきゃぁな、、、、という気になる。 しかしいかんせん漢字ばかりで読むのには苦労するが。 ってなわけで雑談失礼しました。
626 :
日本@名無史さん :2006/12/20(水) 21:15:12
>>624 「閑話休題」の意味を誤解してる
「雑談を止めて 本題に入りましょう」が正解だよ
628 :
625 :2006/12/21(木) 10:26:59
>>626 うわ、、恥ずかしいっす(汗)
ご指摘ありがとうございます。
ではほんとの意味で
閑話休題お願いします。
失礼しました。
836 :沖縄の福建系華人:2006/12/19(火) 23:40:56
沖縄って以外と華人多いんだよね
久米36姓と呼ばれる人々
次期県知事の仲井間も今の県知事の稲嶺もその前の県知事の大田も華人
ゆいレールの社長、湖城も華人
ドリフターズの仲本工事も華人
山田優も華人
宮里藍も華人
なんだよ・・・
844 :沖縄の福建系華人 ◆jGSvhyHdTY :2006/12/20(水) 19:27:37
>>842 文化もほぼ中華文化圏ですね。
豆腐ヨウは中国ではしゅう豆腐、沖縄そばも中国ルーツ
空手も唐手で唐から来た古武術を沖縄アレンジし今の空手になる
中国語の「アイヤー」という単語も同じ意味で沖縄で使われている。
現在の国際通りや首里地区・首里城は風水により建築されている
数年前に沖縄に中華街を作ろうという構想があったが
沖縄があまりにも中華文化のため断念された経緯を持つ
>久米36姓と呼ばれる人々
今すぐ出て行け。
630 :
うんの :2006/12/21(木) 11:41:49
久米系の人々がいなくなったら沖縄はなりたたない 沖縄に死ねというようなもの 私が知っている沖縄のある一族の屋号の名前が「日本」そのもので 伝承では先祖がヤマトンチューだという ただ、名前は沖縄独自の名前 先祖がヤマトンチューの場合、中国風の唐名はないようだ 勝連半島に「大庭」という姓があるが、江戸時代に薩摩から渡来した大庭○○佐衛門の子孫で こちらは系図が明確である 近年、鹿児島の大庭さんとの交流のニュースをみたことがある 沖縄人に占める大和系遺伝子の割合は多くても10%でしかないだろう
631 :
626 :2006/12/21(木) 19:47:36
>>627 オレも アンカー間違ってた
ああ 恥ずかしい
正統沖縄人は誰??というテーマは不毛だと思うよ
沖縄列島に最初に住みついたのは山下洞人や港川人のような
大陸と地続きだった2万年前までにやってきた倭人系の人達だけど・・・
今の沖縄社会や文化はその後にやって来たスンダランド人や倭寇の半島・大陸人
薩摩人にヤマト人なんかが チャンプルーで作ったものだから
沖縄の文化・習慣を共有して自分を沖縄人と意識している人はみんな沖縄民族で
沖縄の主役でいいんでない
部族社会が長くて未だに地域間のムラ意識が強いけど・・・
632 :
614 :2006/12/21(木) 20:22:32
>>629 君には、久米系の血は入ってないのか?
第一、山田姓は上原などと並んで薩摩系か判別つかんだろ。
山口とか大迫とか、明らかに薩摩・日向の侍だった人も多いの知らないのか?
それに王家ですら、近代になるに従って大和からもらってるじゃないか。
633 :
614 :2006/12/21(木) 21:06:38
>それに王家ですら、近代になるに従って大和からもらってるじゃないか。 嫁さんね。 私の祖母は何百年も前に大和から渡ってきた家の出だそうだけど、唐名は無し。 何を持って大和系遺伝子というのか分からないが、実際には多いのではないか?
634 :
日本@名無史さん :2006/12/21(木) 21:15:52
あー、崎浜さんで秀が名乗頭の人は大和より来琉したお坊さんですよ。牛氏です。 それと知り合いに平氏(へい・うじ)の人いますよ。これも大和よりのお坊さんだったかと記憶しております。 ちなみに平氏の家紋は蝶なんですが、桓武平家と関係あるのかしらん? せつ氏の人も薩摩のお侍さんですよ。 大和系、結構昔から入ってきてるんじゃないかな。
635 :
日本@名無史さん :2006/12/21(木) 21:46:25
>>634 平清盛は眼が青かったらしいよ
平氏の出自は中央アジアからイスラムに追われたゾロアスター教徒たち
平氏の氏神 安芸の宮島が真っ赤なのはゾロアスター教の影響らしい
現住系が「よっつ」と呼称されたのに対して
平氏系は「はち」系と呼称された様だ
苗字に「ハチ」音を持つ人は平氏系ということらしい
ただ 自称「平家落人の子孫」を名乗る人が多いらしいけど
同じくワロタ
638 :
635 :2006/12/21(木) 23:39:56
笑いをとるためのカキコみではないんだけど・・・ 史実なんだけど・・・
大事笑わしてくれる。 ところで諸氏、馬氏ってどこ出身なのか知ってる人いる? 馬氏の友達でモンゴル人に似ている人も居れば、地黒の人も居る。 つーか、どっちかって言うと地黒が多い。結構昔から居た人達なんだろうか?
640 :
639 :2006/12/21(木) 23:49:50
>>638 ごめん、笑いどころじゃなかったのね。
出来れば出典を教えて頂きたいのですが…。
641 :
日本@名無史さん :2006/12/21(木) 23:52:36
>>640 ウチの言い伝えです
ちなみに「ハチ島」といいます
642 :
うんの :2006/12/22(金) 10:50:25
>>639 馬氏がどこの出身というが
沖縄には「馬」という苗字はない
「馬」姓の子孫は本家の苗字は「小禄」で傍系には宮平・豊平・名護・桃原
など
http://www.okinawajoho.net/pc/culture/kamon/pages/a01.html (沖縄には一般的に家紋は無い 前世紀に家紋商法で勝手に家紋ができた)
傍系は屋号を「アンダ」と名乗っていてルーツをうかがわせる
「アンダ」の意味は「友達」らしい
モンゴル語では「アンダ」の意味は「盟友」満州語では「幼馴染」「親友」
「友人」など
ただ馬氏大浦添親方の出自がモンゴルかは不明
しかし、ユーラシア大陸を東は朝鮮、西の端はポーランドと駆け巡った騎馬民族
の子孫だとすればロマンがある
琉球には元朝 最後の皇帝の王子が流されている 此れは歴史的事実
「馬」姓の子孫がモンゴル王子の子孫なら面白くロマンがある
643 :
うんの :2006/12/22(金) 10:58:48
642の続き つまりモンゴル王子の子孫なら元朝皇帝クビライ さらにはチンギスハン が先祖という事になりロマンが広がっていく 馬姓の本家はクビライの直系の子孫という事になるのだが・・・
>>642 ども、ご注意有難うございます。姓と苗字の区別が不明確でした。
「小禄」はちと紛らわしいですね、ウチの本家筋かと思いました。
地保奴(ティポヌ)の話、とても魅力がありますねぇ。
子孫がどうなったか、まだまだ謎だと聞いてるんですが、最近の研究で明らかになったのやら。
645 :
日本@名無史さん :2006/12/22(金) 13:04:44
>>644 ってことは644さんは向氏小禄殿内の流れの方ですか?
646 :
うんの :2006/12/22(金) 13:57:19
>>645 誤解させてしまって申し訳ない。
正確には母方がそうなので、墓参りに行ったりしている程度なんですけどね。
歴史系ブログなどを開設されておられましたら、ご教授頂ければ幸いです。
648 :
うんの :2006/12/22(金) 20:19:29
>>644 どーもミスタイプしました
「小禄」ではなく『小緑』の間違いです
あと小緑殿地(うるくどぅんち)は馬姓 向姓は小緑御殿(うるくうどぅん)
Wikiに載ってり、学校の名前になっているのは「小禄」ですが、家紋Webに載ってるのは「小緑」ですね。 家紋のページも誤字が多いので、どっちが正しいやら。 まぁ、殿地と御殿は分かってらっしゃると思いまして。正しい突っ込み、有難うございます。
650 :
日本@名無史さん :2006/12/24(日) 16:23:41
>>650 リンク先のグラフって、ミトコンドリアDNAのタイプで分けているのですよね。
理系的に読み解くならば、本土日本人に良く見られるタイプの割合は、
本土4.8%、沖縄4%、台湾本省人1.5%、アイヌ・韓国0%の順となり、
本土-沖縄との近縁性は指摘できるが、アイヌ・韓国とは関係が薄いと言える。
また、中国人に良く見られるタイプで比較すると、
中国60.6%>日本本土25.8%>韓国21.9%>沖縄10%>アイヌ9.8%
同様に、韓国人に良く見られるタイプでは、
韓国40.6%>日本本土24.2%>中国10.6%>アイヌ9.8%>沖縄8%
同様に、琉球人に良く見られるタイプでは、
沖縄50%>アイヌ23.5%>韓国17.4%>日本本土16.1%>中国7.6%
同様に、アイヌに良く見られるタイプでは、
アイヌ33.3%>日本本土8.1%>沖縄2%>韓国1.6%>中国1.5%
すなわち沖縄人は、本土タイプを本土と同程度の比率で所有し、
韓国タイプを最も低率で所有し、中国タイプをアイヌの次に低率で所有している。
という結論に至る。
しかし、ミトコンドリアDNAの調査も錯誤の可能性が指摘されており、
他のDNA分析と併せて検討される必要がある。
世界史板でやっても良いが、ちゃんとグラフを読み取って頂ければ幸い。 650氏の論法を用いると… 日本本土人は、在来の遺伝子を4.8%しか存在せず、 中国の遺伝子が25.8%、韓国人は17.4%で日本人遺伝子の3倍を占めている。 中国人との混血がわかるが、問題は韓国人の遺伝子が在来の日本人より多いというのは、 科学的事実であり、沖縄人の比率より多い朝鮮半島の集団はいつ渡来したかということである。 よって、日本の歴史は日本史ではミスマッチであり、どちらかというとアジア史である。 だから、ここの日本史より世界史の方がマッチしている。 という結論になる。
653 :
652 :2006/12/24(日) 19:24:44
失礼!ちと書き間違った。 650氏の論法を用いると… 現代日本人には、本土日本人の遺伝子はわずか4%でしかない。 これに対し、中国の遺伝子が25.8%、韓国人は17.4%で日本人遺伝子の3倍を占めている。 中国人との混血がわかるが、問題は韓国人の遺伝子が在来の日本人より多いというのは、 科学的事実であり、沖縄人の比率より多い朝鮮半島の集団はいつ渡来したかということである。 よって、日本の歴史は日本史ではミスマッチであり、どちらかというとアジア史である。 だから、ここの日本史より世界史の方がマッチしている。 という結果になってしまう。
654 :
652 :2006/12/24(日) 19:28:01
また間違ってた。 650氏の論法を用いると… 現代日本人には、本土日本人の遺伝子はわずか4%でしかない。 これに対し、中国の遺伝子が25.8%、韓国人は24.2%%で、日本人遺伝子の6倍を占めている。 中国人との混血はわかるが、問題は韓国人の遺伝子が在来の日本人より多いというのは、 科学的事実であり、沖縄人の比率より多い朝鮮半島の集団はいつ渡来したかということである。 よって、日本の歴史は日本史ではミスマッチであり、どちらかというとアジア史である。 だから、ここの日本史より世界史の方がマッチしている。 という結果になってしまう。
655 :
日本@名無史さん :2006/12/24(日) 19:40:23
>>655 貴方を不快にさせるつもりは無かったのだが…。
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm ここのグラフをちゃんと見れば、
>現代沖縄人には本土日本人の遺伝子はわずか4%でしかない
とするなら、現代日本人も本土日本人の遺伝子はわずか4.8%と言わざるを得ない。
>これに対し、中国人の遺伝子は10%
>韓国人は8%で日本人遺伝子の2倍を占めている
と言うならば、現代日本人も中国人の遺伝子25.8%、韓国人は24.2%で4.8%の5倍を占めると言わざるを得ない。
>中国人との混血はわかるが 問題は韓国人の遺伝子が日本人より多いというのは
>科学的事実〜
とは言えない。これでは自然科学の学術論文は通らないよ。
ちょっと覘いてみた程度だけで、沖縄人がどこと混血してようと構わないが、
科学を学ぶ者として、グラフの読み取りが変ではないか?と気になった。
>むしろ中国人や韓国人との混血度が高い それが科学的事実、現実である
とまでは、言えない。弥生と近いとも言えないが。
それと、これは貴方か? 590 :うんの :2006/12/01(金) 22:39:14 尚の字を良く見ると顔文字ニダ、目は細くつり上がり、口をぽか〜んと 開けていてアホ顔ニダ 騙りであれば良いが、同一人物が言ってるとすれば、考察に疑問が残る。
658 :
日本@名無史さん :2006/12/25(月) 09:57:12
659 :
日本@名無史さん :2006/12/25(月) 10:05:51
>>657 エッサー ちょっと皮肉っただけ
その証拠に沖縄人には8%の古い朝鮮人が混血している
661 :
日本@名無史さん :2006/12/25(月) 11:00:24
>>660 そのグラフは大まかにかつ遺伝的に民族を分けているだけ
大和民族・琉球民族・アイヌ民族と韓国人の各民族の遺伝的距離が
示されているだけで下のリンクに示した各民族の遺伝的構成の詳細を示していない
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm そのグラフでは日本には 日本本土の民族と琉球民族とアイヌ民族の
三つの民族集団が存在するということ
ブーツストラップ確立=85%では琉球には弥生時代以降九州から本土人が
移住して琉球人は距離的に韓国人と同じくらいに日本本土人と
遺伝的距離が近くなったということだろう
簡単にいえば琉球民族は日本本土人とは異なる民族であると証明しているということだろう
662 :
日本@名無史さん :2006/12/25(月) 11:03:40
661訂正 異なる民族よりも別の民族のほうがショック小さいので訂正 「琉球民族は日本本土人とは別民族であるいうことだろう」
>>650 このグラフからどの民族に近いかなど見出すこと事態無理では?
このグラフでは、日本人独自のDNAが日本人で4.8%しか無いことを問題にしている。
そしてそれは沖縄人にも4%含まれている。
対して同DNAは韓国人で0%中国人1.5%。
比較的近いと見ることもできる。
このグラフではアイヌ、琉球人、韓国人、中国人それぞれ独自のDNA比率が記されている。
北海道で33.3% 沖縄で50% 韓国で40.6%、中国で60.6%。
これらの民族が高い割合で独自のDNAが多いことが分かっただけなのだから
このグラフで混血がどうこうと話すことは難しい。
>>651 のように日本人が混血が多いから日本史=世界史という解釈になってしまう。
よほど恣意的に見なければ
>>650 のような理屈にならないと思われる。
664 :
日本@名無史さん :2006/12/25(月) 21:12:09
宝来聰博士の言葉から引用 日本人のルーツについては明治以来様々な論議が行われてきた。 しかし、残念なことに純粋に科学的な議論が行われてきたとは言い難い。 政治的・イデオロギー的に「こうあってほしい」あるいは 「こうあってはほしくない」という感情に理性が押し流され 「信じたいことを信じる」科学とは無縁の「学説」が公然と大手を振ってなされてきた。 しかし、最近になって生物の設計図であるDNA(デオキシリボ核酸deoxyribonucleic acid)によって日本人のルーツを探ることができるようになった。 信じたい事を信じればいいのでは 詭弁、捏造は弱みにしかならない 事実は事実 結局は科学的根拠があるほうが正当化される 詭弁や捏造は将来 政治的に利用されるだろう だから捏造や詭弁大いに結構な事
665 :
日本@名無史さん :2007/01/01(月) 17:51:12
捏造・詭弁派の皆さんもっと嘘と詭弁を続けてください 私が昔、米軍の関係者から聞いた話では「沖縄人はDNAが日本人とは違う 沖縄人はマイノリティー」ということだった アマミキヨ琉球開闢の神話がモンゴルの自然信仰の岩穴信仰に由来すると 教えられたのはは東京で日本本土の知識層 英祖が実在したかは不明だがなんらかの権力や王権があった事は間違いないだろう 英祖は名前ではなく中国や朝鮮に見られる尊称だろう 英祖がモンゴルや朝鮮でないとすれば大陸から渡来した漢族の中国人だろう
>>665 何のソースも無いのに乙です。
>英祖は名前ではなく中国や朝鮮に見られる尊称だろう
それなら英祖の父親と伝わる恵祖は「伊祖」から来たのではなくて中国の尊称なのですか?
ちなみにそういうのは尊称というよりは皇帝の死後に付けられる諡に似ていますが名前にするのとは訳が違うと思いますが。
>私が昔、米軍の関係者から聞いた話では
>教えられたのはは東京で日本本土の知識層
そんなものが通じるのなら何とでも言えますが。
もしかしてネタですか?
667 :
666 :2007/01/06(土) 01:03:23
忘れていたがさらに言えば英祖も伊祖から来ている。 この場合は「祖」が共通しているから分かりやすい。 だからといって中国の尊称云々言われても説得力に欠けるように思う。
>>666 私も本土の人かと思ったのですが、665氏は某党員の方のようです。
669 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 12:00:35
>>666 英祖という人物は実在せず17世紀いこうに伝承をもとにした名前で尊称あるいは
おくりなみたいなものだろう
日本史に聖徳太子と言う名前の人物が実在しないのと同じ
聖徳太子と言う名は後の時代に実在の人物に付けられた尊称のようなもの
670 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 12:15:11
>>668 某党員でもなければ何所の政治団体・組織にも所属していない
ここの歴史板と沖縄独立は無関係
独立の話をして欲しければやってもいい
沖縄の独立は米国と沖縄住民の意思が一致した時だろう
50年後、日本の人口の40%は65歳以上と予測されている
そうなると日本の財政にとって米軍基地や沖縄関係の予算の負担は重く
なる
沖縄が独立するとすれば50年後以降だろう
沖縄が有利な条件で独立するとすれば沖縄側から独立の意思を示さず
日本政府側に独立してくれないかと言わせれば有利な条件で独立できるだろう
671 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 13:28:46
>>666
恵祖も英祖も実在の人物か確定されていない
ただ浦添ようどれが13世紀以降の造成であり英祖が造ったとの伝承がある
「中国や朝鮮にも見られる尊称」というのがまずかったのですかね
沖縄人の
東京にいた頃のはなしで琉球語といわず「方言」あるいは
「沖縄の人は日本的だ」などと日本人を強調すると顔が安心した表情になるという
>ネタですか
じゃ此れをご覧
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm アマミキヨの開闢神話のモンゴル由来は知らない方がいいだろう
沖縄人は言葉も顔も気質や文化も全て日本的ということでいいだろう
672 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 13:50:23
>>666 アマミキヨの神話は日本のイザナギ・イザナミ神話に似ているというより
由来するといえばいいのかな
いかが、安心しましたか?
>>671 英祖がいたかどうかについては確定はしていない。
だが浦添ようどれは調査されており、察度以前に建造されていたことから実在した可能性は高い。
名前は出身地から取った後付だろう。
おもろに登場する「伊祖のいくさおもい」が英祖であると伝えられている。
話は変わるが「グスク文化を考える」という書籍で、近年の調査で伊波グスクが12世紀の築かれたものと解明されたという。
12世紀といえば日本では末に鎌倉幕府が置かれたような時期であり大陸では金と南宋が争っている状態である。
伊波グスク自体。怕尼芝によって今帰仁グスクを奪われた按司の息子によって築かれたといわれており、
このころ既に今帰仁では怕尼芝王統が生まれており、グスクが聖域・拝所から城郭型へと移行して言ったのではないか。
それから時代が下ってからアマミキヨが現れたとしてもどれほどの影響を与えるだろうか。
>じゃ此れをご覧
以前に見たが、そのグラフによる出張はおおよそこじ付けとしか思えない。
そのグラフの数値に余計な計算を加えなくともそのまま見れば
>>663 のような解釈が成り立つ。
そもそも沖縄人が日本人と別民族であるのと、モンゴルや朝鮮人と一緒であることは別問題である。
日本人と別であることを出頭したいためにモンゴルや朝鮮と同じにしたいのであれば余計なお世話では?
モンゴルの末裔と考えるとロマンはあるが現実的にはどうか。
674 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 13:51:45
672訂正 「日本」を「日本本土」に訂正
675 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 14:10:05
>>673 沖縄人はモンゴルや朝鮮人とは別民族
ただ間違いなく琉球にはモンゴルの侵入があった
それがモンゴル馬=琉球馬であり遺跡や自然信仰がモンゴルと共通する
ということ
しかし、中国との関係でモンゴル風(言語・衣服など)のものは消えていったということだろう
似ているものを羅列すると
風葬 斎場御嶽の岩穴信仰 馬のDNA 石積みの遺跡 ヤギを食べる
沖縄角力(韓国相撲にも似ている) 探せばもっとでてくるだろう
モンゴル馬がなぜ琉球で多くかわれていたか考えたくないだろうが
モンゴル馬=琉球馬は事実でごまかせない
676 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 14:15:32
>>672 何が言いたいのかさっぱりだが・・・
確かに
・国土を作った
・国の基となる人を作った
という部分は共通するが神話とはそういうものでは?
日本の神話には多くの神が登場するが沖縄ではアマミキヨのみである。
それを言えば地上を作り、アダムとイヴを作った聖書の創世記も同じ由来になってしまう。
>>671 からの言動を見るに
「沖縄を朝鮮・モンゴルと同じ民族であることを色々な資料を使って出張したがそれが上手くいかなかったので逆切れ」しているようにしか見えない。
それだと
>>665 の
>捏造・詭弁派の皆さんもっと嘘と詭弁を続けてください
について「自己紹介乙です」と言われてもやむを得ないだろう。
677 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 14:27:26
>>676 何度言わせれば分かる
琉球民族はモンゴル人や朝鮮人とは別民族
ただ琉球には中世にモンゴル軍(モンゴル・女真・高麗など)の侵入で
遺伝子の構成が変わった
日本人との混血も新しく室町時代以降
繰り返す
琉球民族は独立した民族である
>>677 まぁ、宝来氏のグラフからは、少なくとも本島で最も多いのは同意します。
しかし、グラフから計算すると、本土でも2000万人くらいは琉球人系だということになる。
日本人を構成する大きな遺伝的系統の一つと言えるのではありませんか?
679 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 19:04:23
>>678 縄文人は二種類の古モンゴロイドがいてアイヌ民族も琉球タイプの遺伝子
が混交している
と言う事は縄文人は二種類の古モンゴロイドの混血した人種だろう
ここで本題の間違いを指摘する
>小林よしのり氏によると
中世の沖縄で名前に「〜丸」がつく場合は沖縄人ではなく、本土人の確率が
高いそうです。
この漫画家は頭のなかまで漫画のようだ
この時代のの中国人の倭寇には「〜丸」のつく者がいる
それだと金丸は中国系倭寇ということになる
じゃ金丸が何者かというと王統のDNAを調べれば答えがでるというしか
ない
金丸も尚巴志と同系の一族。 金丸と尚泰久はマタ従兄弟の関係。 金丸の父と尚巴志は従兄弟同士。 金丸の祖父と思紹(尚巴志の父)とは腹違いの兄弟。 その父とは、そう鮫川大主。 なんらかの理由により金丸は出自を明らかに出来なかった。 金丸が伊是名を追い出される理由と鮫川のそれとはまったく同じである。 伊平屋、伊是名の人間はそんなに優秀な人間が妬ましいのか。 いや、そうではあるまい。 系統が同じであるということを示そうとする暗号なのではないか。 明らかに易姓革命なのになぜわざわざ尚姓を継承したのか。 普通の感覚の人間ならちょっと真似できないだろう。 豊臣を討った徳川が豊臣を名乗るのを想像するとその奇妙さが理解できよう。 それは自らの出自をそのことによって示そうとしたのではないか。 と脳内で妄想してみましたが、そんな説を本気で唱えてる人っていませんか? あながちありえない話ではないと思うんですけどね。
>>680 私も気になってたんですよ、それ。
このブログでも同族説が取り沙汰されてました。
ttp://navy.ap.teacup.com/applet/showmyn/archive?b=5 近いですからね、二島は。妬みの件も胡散臭いんですよね。
ただ、金丸は両親が二十歳前に亡くなった後各地を転々としていて親戚付き合いも
薄かったでしょうから、結局ルーツは本人も分からなかったんじゃないでしょうか?
あと私の陰謀論として、オギヤカの宣威嫌いは、金丸が可愛がって我が子のような扱いを
していたのに嫉妬したのが原因なんでは?というのがあります。
継子イジメだったんじゃないかなぁ。
第一尚氏、第二尚氏始祖はともに伊是名を追放されたことになってるが確かに胡散臭い。 話は前後するが、尚巴志の大里按司征伐は母方の実家(麻氏、名乗頭「真」の一族)が大里按司に滅ぼされた敵討ちという説もある。 もし敵討ちが真実であるなら、尚巴志は祖父を殺そうとしたした島の人々を許さなかったに違いない。 金丸にしてもそうだ。 恨みこそすれ、伊是名をさまざまな面で優遇したのには合点が行かない。 伊平屋、伊是名はただの中継地点に過ぎず村人による追放もなかったとする説に一票。 問題はどこから来たか?だが、、、、 第一と第二の末裔の方DNAサンプル提供してくれ。
DNAサンプル欲しいよなぁ。傍流なら結構いるから、サンプルに事欠かないはずだが。 おじさんに言ってみるか…。でも、どこが調査してくれるんだろうか。
全羅南道 長城郡のサイトの日本語ページより。
1504年に波照間島に定着した洪吉童なる人物と一族が、
琉球王国を支配し、朝鮮の文化と技術を伝えて発展させ、
1609年、薩摩藩(壬辰、丁酉再乱の時、朝鮮人の鼻と耳をいちばん
多く刈って行った所である―※原文まま)の侵攻があるまで、
統治したそうです。
ちなみに、この洪吉童という人物は、朝鮮では有名な歴史小説の
主人公だそうで、実在も定かではない人物のようです。
http://jap.jangseong.go.kr/html/03sub_01_03.html 元々波照間出身で八重山を統治した、オヤケアカハチと言う、実在の英雄が
いるのだが、それが朝鮮人と言いたいらしい。
686 :
日本@名無史さん :2007/01/22(月) 23:37:09
王朝を創ったのが沖縄人じゃないとしても、長い年月を経るうちに沖縄現地人と同化していくんじゃないのか? 俺の祖先は中国から来たビン(漢字が変換されなかったorz)氏三十六姓の一つである鄭氏だという 実家に家系図もあった ところが、彼らの子孫である俺らには中国人らしい特徴はどこにも無い 彫りは深いし、眉毛や睫毛や脛毛や腕毛も濃いし、顔幅や肩幅が広いといういわゆる沖縄人な特徴だ
687 :
日本@名無史さん :2007/01/23(火) 00:39:54
尚巴志の故郷は中央アジアの可能性あり 理由は第一尚氏の墳墓は首里の天山陵で 石棺本体は無いが台座が中国産青石で馬や鹿アラビア系やトルコ系の文字 のような模様があり遊牧騎馬民族をあらわすレリーフである 天山とは中央アジアの天山山脈のことである さらに尚巴志は明朝により琉球に流されたモンゴル帝国王子の地保奴の存在 と年代が一致する 王子=尚巴志の可能性あり 15世紀第二尚氏の玉座に座る琉球王の周りの取り巻きが欧州系の顔立ちである 彼らはトルコ系の人々であろう 琉球王(尚円・尚真)もトルコ系の顔立ちに見えなくも無い モンゴル系のタタール人などはトルコ系でありチンギス・カンも蒼き狼(トルコの神話) が先祖ということはトルコ語系民族の血が流れている
688 :
日本@名無史さん :2007/01/23(火) 01:03:42
>>687 それなら尚思紹は何者?
>15世紀第二尚氏の玉座に座る琉球王の周りの取り巻きが欧州系の顔立ちである
>彼らはトルコ系の人々であろう
>琉球王(尚円・尚真)もトルコ系の顔立ちに見えなくも無い
もしかして肖像画を基に考えている?
それは無茶だろう。
どうせなら第一尚氏や第二尚氏の国王の頭蓋骨を実際に解析してから言ってくれ。
そんな薄弱な根拠では説得力が無い。
689 :
日本@名無史さん :2007/01/23(火) 11:45:02
>>688 688や うちなーんちよー あらんらやー あんしえーわからんはじ 琉球にはモンゴルの集団(モンゴル人・高麗人・女真人・トルコ系等の色目人) が侵入した可能性が強い 第二尚氏の尚円は顔のエラが張っていて朝鮮系かもしれんが子の尚真は顔が 親の尚円に似ていない。血は繋がっていないだろう(母親はオギヤカ) 琉球王の肖像画は本物なら周りの人物が欧州系の顔立ちでトルコ語系である ことは間違いない 頭蓋骨でなくても骨があれば遺伝子で人種や民族が特定できる 沖縄の糸満などのウミンチューは昔は背が高く体格がいいことで有名で 「インドや地中海にまで出かけて混血している」と言う話らしいが 実際はモンゴル人やトルコ語系人との混血だろう(欧州人の可能性もあるが)
690 :
日本@名無史さん :2007/01/23(火) 11:58:12
>>688 あんた 頭固いねー 尚思紹が尚巴志の実の親とは限らない
尚円と尚真も血が繋がっているとは限らない
現代でも血は繋がっていなくても戸籍上は実子としている例はいくらでもある
それに歴史は書いた側の都合や言い伝えなどで書かれたりするものだ
分かるかね?
691 :
日本@名無史さん :2007/01/23(火) 14:22:07
>>690 >それに歴史は書いた側の都合や言い伝えなどで書かれたりするものだ
>分かるかね?
だからといって読む側が好き勝手に話を作っては収拾が付かない。
それ相応の根拠が必要だと思うが?
いずれにしても血が繋がっている、繋がっていないという話は
ここで頭蓋骨やら遺伝子の鑑定ができない以上不毛ではないか?
それならば史書に準拠しかないのでは?
もちろんそれ以上のソースがあるのなら話は別だが。
692 :
日本@名無史さん :2007/01/23(火) 14:29:27
個人情報悪用元 M−ケティンG RサーT S−ビSは毎年粉飾なのに 何故か資金繰りに困らない謎
693 :
日本@名無史さん :2007/01/23(火) 14:37:03
694 :
日本@名無史さん :2007/01/23(火) 14:53:29
>>693 モンゴルに征服されたってことだ
鉄を持たない沖縄先住民に太刀打ちできるわけ無い
小按司 小柄は後に書かれた歴史でなんともいえない
小按司は子どもの按司と言う意味かもしれない。勿論は断定はしない
じゃ逆に聞くが
沖縄人には北方系の遺伝子が混交しているが北方系はどこから来たと思う
695 :
日本@名無史さん :2007/01/23(火) 15:44:00
>>694 沖縄からモンゴルの遺物が出たという話は聞いたことが無い。
古くて貝塚時代でその後は大抵明代のもので他は日本、朝鮮のもの。
>沖縄人には北方系の遺伝子が混交しているが北方系はどこから来たと思う
混じったのは有史以前という可能性も高い。
そういう人種というだけの話でそれだけで征服云々というのはどうか。
中国側の史書にも無いだろうし。
>>沖縄のみなさん、下記の話ほんとかね。 シュメール学の権威であるS・N・クレーマーによれば、 「ついこの間まで、プレアデス星団を指すシュメール語ムル・ムルと、この星々を 表す日本語「スバル」との間に、何か歴史的な、あるいは文化的なつながりを想定 するなど、だれにも夢想だにできないことだった。それが優れたオリエント学者 ロイ・ミラーが、権威あるアメリカ・オリエント学会の会長講演をもとに加筆し “スバルの跡をたどれば、本当にシュメールの昔にまで行き着く”ことを論証した のである」という内容の論文だった。 >>「スバル」=古事記、日本書紀、では「すまる、統べる」とも記す。ちなみに 沖縄方言でムルブシ(星)八重山方言でムルカ星と言う。「スバル」星は「東」 の方角を指す道標。天皇(スメラミコト)も東に輝く「スバル」のミコトでは?
697 :
日本@名無史さん :2007/01/24(水) 10:04:57
>>695 琉球民族の成り立ちや歴史は謎と言う事で終了
>>174 関連
【韓国】「沖縄は韓国人が開拓した国」〜新羅・于山国が沖繩を670年間支配していた[02/22]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1172120974/ 著書に紹介された関連文献などによれば、日本の古書である『琉球国旧記・1731年』、
『古琉球・1890年』など、数十巻の文献を分析した結果、于山国は512年に新羅の異斯夫
(イサブ)により服属された直後、資源不足などを理由に沖繩(旧称・ウルマ国) 南部の
久高島などに遠い航海の果てに初めて進出した。
当時の于山国の住民は、馬韓と百済、高句麗系統だと推定される天孫氏(チョンソンシ)と
呼ばれた集団で、鬱陵島に茂っていたけやきで作った船舶に乗り、沖繩に到着して全域で
勢力を伸ばして670年間王位を維持していたが、1187年に国王が重臣に殺害された後、
滅亡の道を歩く事になった。
699 :
日本@名無史さん :2007/02/23(金) 02:35:20
>>698 本当にそう出張しているのなら(十分すぎるほどにあり得る)
妄想乙と言うほか無い
天孫氏って伝説だろw
ウルマ国ってww
突っ込みどころ満載www
まちBに貼ってたのでもしやと思い来てみたら案の定。
702 :
日本@名無史さん :2007/03/03(土) 11:42:18
沖縄は人種・言語・文化のどれをとっても「古日本」直系、「縄文」直系である 本土は、縄文と弥生の混合だから、沖縄と違うのは当然である だから沖縄は、まぎれもなく日本だし、むしろ沖縄こそが「日本の元祖」なのだ なお、「琉球」は中国語で、明朝が海洋進出した時代の一時的朝貢関係の下での呼称に過ぎない
>>698 まだやってんのか?つぅか膨らんできてねぇか?w
電波も飛ばす方向考えんとな。
種子島、屋久島止まりにしとけや、将来ヤバイ事になるかも知れんぞ
と言っても、中国中枢にもたまに電波飛ばしてるみたいだが、平和でいいなw
704 :
日本@名無史さん :2007/03/06(火) 14:01:45
昔読んだ沖縄の人の書いた歴史関係の本に「うるま」は韓国の鬱陵島と 書いてあった 沖縄と鬱陵島は結びつきがあるかもしれない ただ、西暦513年というのは古すぎると思う 科学的根拠があれば支持するのだが 因みに「うるま」は沖縄のことでもある
705 :
日本@名無史さん :2007/03/06(火) 15:45:43
>>696 ムリブシはムレ「群れ」ブシ「星」で朝鮮語は関係ない。
見た目通り星が群れているから群れ星と読んで何が変なんだ?
706 :
日本@名無史さん :2007/03/07(水) 21:42:57
707 :
日本@名無史さん :2007/03/08(木) 20:35:11
まあ、沖縄の地名を見ると日本語の一種で、周辺外国的な地名など何もないな。 地名は変わりにくいのが特徴で、先住民がいたのならアイヌ地名のような日本語 では考えられないものが残っているはずだ。
708 :
日本@名無史さん :2007/03/09(金) 05:42:24
>>706 ウルマは珊瑚の島という意味だろ。
>>707 アイヌ地名のような地名は沖縄に何カ所もある。ものを知らないのに語るな。
709 :
日本@名無史さん :2007/03/10(土) 00:10:49
>>707 ・保栄茂
・為又
・真境名
・勢理客
・西洲
そう言うのであればとりあえずこの辺りから読んでみれば?
日本語として。
710 :
日本@名無史さん :2007/03/13(火) 13:51:01
沖縄土人は団結が強いと言われるが 大きい団結でなく小さい団結がいくつもあり まったくまとまらない 琉球王朝も結局はまとまりながなく 毎度毎度外国の脅威に晒されていた 現在沖縄では成人式に新成人がおチンチンを町中で晒し 踊り狂うまでキチガイ化している また文化面では未だ80年年代的な不良ファッションが流行 他人の家に勝手にあがりこんでは米などを持って帰る 意地汚い悪習が平気で横行している
711 :
日本@名無史さん :2007/03/13(火) 18:57:49
>>709 調べた結果以下の通り
ビン
ビイマタ
マジャキナ?マジキナ
ジッチャク
イリジマ
712 :
日本@名無史さん :2007/03/13(火) 19:43:16
ビン ビイマタ マジャキナ?マジキナ ジッチャク イリジマ ・・・これらは最後を除いて沖縄語でも解明困難な地名だろう。シナ語や 朝鮮語、台湾原住民語、パプア語で解明できるのか。
713 :
日本@名無史さん :2007/03/14(水) 11:28:08
714 :
日本@名無史さん :2007/03/14(水) 20:15:15
>>712 ・・・だからそういう当て字のような物もあるから
>>707 のような事を言うなという話であって。
首里城南殿の第二尚氏の歴代王の肖像をながめていた観光客が一言 「あー、やっぱ沖縄だけに顔濃いねー」 とおっしゃっておりました。 だからと言ってヨーロッパ系と結論付けるのは早計だが、 だがしかし、外人みたいな顔つきの奴たしかに居るな。 まあ、本土にも平井賢みたいな奴もいるからなー。 顔つきだけでは判断できないんじゃね?
ネットでの朝鮮系工作員の日本分断工作 地域同士あおり合って対立させようとする いわゆるお国自慢厨と言われてる人達は大抵がこの工作員 特に東京vs大阪の構図にしたいらしく、大阪叩きに力を入れている(もしくは関東vs関西) 「大阪民国」等と名前を付けて、日本から孤立させようとする 何かあるたびに「また〇〇か」「〇〇人じゃしょうがない」などのフレーズを使ってけなす 朝鮮系であることを隠す為に嫌韓を装うことも多い(これは同時に嫌韓の評判を下げる在日エセ右翼の街頭右翼と同じ仕組み) 「〇〇人=朝鮮人」「〇〇人とチョンは似てる」等と書いて叩く このような朝鮮系工作員の企みに惑わされないよう注意してください
717 :
日本@名無史さん :2007/03/27(火) 15:05:37
>>676 沖永良部ではアマクブタが島を作ったことになっているぞ。
>>714 あんま、半島系漫画家のネタを相手スンナw
長岐の面のコイ作家といい、半島脳味噌だなw
間違った
>>714 じゃなく、えらぶの人にだった。
720 :
日本@名無史さん :2007/03/28(水) 00:26:42
>>719 なにが朝鮮系?
沖永良部の民族伝承を書いただけなんだが?
721 :
日本@名無史さん :2007/03/28(水) 00:48:16
>>712 それほど堪能ではないが俺の知っている琉語の知識では
イリジマ:西方の部落
瀬利覚:ジッキョ:水源地
ビイマタ:マタは大和の谷津ににた地形(風葬等の跡地が多い)
と解釈できるよ。
722 :
717 :2007/03/28(水) 01:50:44
間違えたシマクブタだった、気になったから調べなおした。 シマタティシンゴを抜粋して掲示するよ。 じゃむうまりはしゅらぬむん おうなくりら、みきゅなちきら しまくぶだ、くみくぶだくりら 〜中略 しまうちゅきくりんしょーり、くみうちゅききりんしょーり ふーしゅたるでぃ、むちぬしたりば やはしゅたるでぃ、むちぬしたりば あはちちは しゃぐちなち くるちちは うぃぎちなち しまとぅとぅみ くみとぅとぅみ くんゐしてぃ くんひゅーぎてぃ わがしま ゐーしま、まーじま たふたふーとぅ ふぬだしが にしぬゆーばなくみば ひぎゃぬうちゃがゆい ひじゃぬゆーばなくみば にしぬうちゃがゆい うきしまどぅふぬだる ゆいしまどぅふぬだる
甦る海上の道・日本と琉球 読んだ人いる? 九州の名和氏が南下して第一尚氏になったって折口説を補強してるらしいんだけど。 とりあえず、本屋行ってみるかな。ちなみに近所のツタヤにはなかったからもっとでかい書店へ行こう。
ほう(・∀・) オモシロそうな本だ ヲレも買って読んでみるべ
ふむぅ、俺も読んでみよう。 ただ、文藝春秋の宣伝文は変だね。 『「琉球ナショナリズム」を揺さぶる知の衝撃。』だそうだ。 そんな事を目的にしているわけじゃ無かろうに… 前科者の文藝春秋は、またも変なやり口を通そうとしているのかね。
朝鮮人が琉球王朝を打ちたてたと大差ねぇだろw
727 :
日本@名無史さん :2007/03/28(水) 18:53:26
>>723 首里にある天山陵は第一尚氏の墓という 墓は石棺は失われ台座だけ
台座には馬と鹿やアラビア文字のようなレリーフが施されている
天山とは中央アジアの天山脈のこと
このことから第一尚氏の出自は中央アジアのモンゴル系或いはトルコ系の
騎馬民族だろう
実物見てみたいなぁ。天山陵だったと言われてる場所さ、 あそこは今では第二尚氏の末裔の方の土地で確か与那覇殿内だったよね。 ○○さんの私有地だもんね。勝手に入ったら通報されるよね。 おいら第一の末裔なんだけどウガミさせて下さいって言ったら拒否られるかな(笑) (ま、そこに先祖の遺骨はないのだけど) まー、でも鮫川一族が外から来たって説は否定はしないけど、出自が中央アジアってのもちょっと信じがたい話だなぁ。 ロマンがあっていいとは思うけどさ。
729 :
日本@名無史さん :2007/03/29(木) 09:27:42
>>728 鮫川の名前の漢字は間違い元々は「佐銘川」と書きそれも当て字でしかなく
「さめかわ」の呼び名も日本読みに呼んだだけ
つまり元々の名前に「佐銘川」の漢字をあてそれが「鮫川」に変化した
それに「サメカワ」は姓ではなく「太郎」「次郎」といった名前であろう
その理由は琉球には元々姓や苗字はなかった
730 :
日本@名無史さん :2007/03/29(木) 09:43:29
>>728 沖縄の民族のルーツの約50&は先住民(貝塚人)
残りはアジア・ユーラシアがルーツであり日本本土人をルーツとするのは
わずかでしかない
それは墳墓を見れば明らかであり沖縄のその時代の墳墓は中央アジアや
トルコやローマ時代の墳墓に似通っている
それに墳墓の人骨の平均身長も160センチ前後で当時の日本人よりも
体格が良い
大里辺りに残ってる鮫川のお墓って風葬墓じゃなかった?
732 :
日本@名無史さん :2007/03/29(木) 13:16:18
第一尚氏は月が神様で月信仰だが 中央アジアのモンゴル系やトルコ系の国(民族)は大まかに分けて東側が太陽信仰で 西側のトルコ系の国は月信仰である 第二尚氏は国王の肖像画には白の円形と黒の円形が国王の後ろに見える 白い円は太陽或いは満月で黒い円が夜或いは新月を表しているとすれば 第二尚氏も中央アジアやトルコ系民族の太陽信仰或いは月信仰の何れかであろう
733 :
日本@名無史さん :2007/03/29(木) 13:21:33
732続き 肖像画は白黒だった と言う事は黒い円は赤い円で太陽を表し 白い円は満月を表すかもしれない
734 :
717 :2007/03/29(木) 13:29:50
>>730 意味不明なこと書いているね、遺伝学上
縄文人の形質をアイヌが90%、琉球が40%、近畿が50%残しているんだよ。
残りが弥生期の渡来人(朝鮮・千島経由)
君の日本本土人っていう定義が判らんぞ。
735 :
日本@名無史さん :2007/03/29(木) 13:51:11
>>734 日本本土人は基本的に弥生時代以降に日本に渡ってきた人々
琉球は日本規格あるいは日本の物差しでははかれない
沖縄貝塚人そのものが縄文人とは異なり古代に血の交流があったとは思えない
古代に船で渡れるのは島が互いに見えるトカラ列島まで
トカラの南端から奄美は見えないし船で渡るにも磁石がない
沖縄には縄文時代はないし 縄文人も居住していない
沖縄は貝塚時代で居住しているのは貝塚人
なんで鮫川のお墓は風葬墓だわけ?
737 :
日本@名無史さん :2007/03/29(木) 14:45:29
>>736 外観からは風葬の有無は確認できない
因みにモンゴルなど中央アジアやチベットも風葬
風葬とは遺体を自然の風雨にさらして葬る事
そういう意味では墓の口を封じている墓は風葬とはいえない
沖縄のもともとの風葬は自然の洞窟に遺体をおいてさらし
墓に遺骨を埋葬しない
てことは? 風葬後に洗骨してずしがめに納めたお墓は風葬墓ではないの? 中グスク城の裏側に風穴を利用したお墓があるさ? あれは封じられてないけどずしがめに納骨されてるさ? あと上記の風穴墓の隣りになんとかアジのお墓あるけど・・・あの人は誰ね? 知っている人いますか
>>735 規格も糞もあるかよwこのDNA時代にw
確かに、奄美以南はその本流において半島とは無縁だ交流はるがな。
王家伝来の宝剣、治金丸はどう見ても日本刀ですあり(ryだったけどな 朝鮮人が日本刀貰って喜ぶのか?
741 :
日本@名無史さん :2007/03/29(木) 21:26:53
沖縄の戦いは騎馬戦が中心で片手で持つ騎馬民族特有の刀剣 琉球国王の肖像画にある周りの者の肩にかざした刀剣を見れば短く片手でもつ 騎馬民族の刀剣 しかし、薩摩侵入以降の取り巻きの刀剣は明らかに両手で持つ日本刀を肩に かざしている 治金丸は日本製らしいが実戦用なら所謂日本刀ではない 日本刀は鋭い反面で刃こぼれしたり折れやすく実戦では使えない 所謂日本刀は美術性の高い護身用の刀
742 :
日本@名無史さん :2007/03/29(木) 21:42:54
続き 治金丸は1522年宮古の豪族から尚真王に献上された「小日本製」の刀らしい 見た感じ刀身は短めで柄も短めである もう一つ千代金丸という刀剣は第一尚氏が北山王を滅ぼした時に手に入れた刀らしい この刀は「琉球製」らしい
743 :
日本@名無史さん :2007/03/29(木) 22:28:31
>一尚氏の出自は中央アジアのモンゴル系或いはトルコ系の 騎馬民族だろう そういった事で話を進めるとすると彼らはいつの時代にどこ経由で沖縄にやって来た?
745 :
日本@名無史さん :2007/03/30(金) 00:49:46
>>743 琉球の主なグスクには牧・馬場が備わっている 北山グスクなどは城の中に馬場がある あと刀剣は明らかにモンゴルやトルコ系の騎馬集団と同じように片手で 使用する刀剣 服装も祭りのエイサーを見て分かるように軽装である ただ、馬の皮で出来た防具を着用していたらしい あと絹の下着や胴衣は蚕の繭と同じように強く感染症を予防する 絹は重ねると防弾チョッキに使える位強い繊維である モンゴル軍が軽装で強かったのは絹にあった 秀吉の朝鮮出兵では明軍は絹衣を着用していたため軽装であった 日本の鎧はフル装備で20キロあったらしいこれでは戦えない だから実際には足軽の言葉どおり胴に着用するのがせいぜい
■■■■■■■■■■一段落つきましょ■■■■■■■■ ここで捏造・妄想・幻想をまとめて琉球王朝の成り立ちを想像してみる ↓ 韓国・鬱陵島住人1000人あまりが沖縄にえっさほいさやってきて天孫氏王朝を興す。ホルホルホル ↓ 670年あまり続いたが家臣・利勇のクーデターにより滅亡。アイゴー ↓ 沖縄に漂流した源為朝の子供・舜天が利勇を討ち舜天王統を興す ↓ 3代続くが家臣の英祖に禅譲し舜天王統滅亡。 ↓ 太陽の子と称される英祖は鬱陵島住人が沖縄で最初に興した天孫氏の末裔なんだよ! なんだってー!!! チョン返り咲くホルホルホル ↓ 5代続くが後の中山王こと天女の子、察度に滅ぼされる 英祖王統滅亡アイゴー ↓ 察度王統を興しが2代続くが、ここでモンゴル出自の第一尚家の祖・鮫川大主が何かしらの方法で、もしくは騎馬軍隊を率いてホホッホッホッホッホっと来沖 ↓ 亀田がランエダに勝つぐらい(勝ってるじゃんw)の圧倒的な国力差もなんのその、得意の騎馬戦術を駆使したおかげか察度王統を滅ぼし第一尚氏王統を興す ↓ 世継ぎ問題なども勃発してアワアワの第一尚氏王統。八幡神の権化・源為朝と瓜二つと賞され弓芸に秀でた八幡按司こと第一尚氏最後の王・尚徳王が死去 ↓ 禅譲ともクーデターとも言われるが尚徳王の父親、尚泰久王の側近、金丸が王位に就き第二尚氏王統を興す ↓ その金丸こと尚円王は大和人なんだよ!!! ナンダッテ!!! ↓ 第二尚氏王統が琉球王朝滅亡まで続く・・・・ な ん だ か も う わ け わ か め 酒 by MMR
747 :
日本@名無史さん :2007/03/30(金) 04:01:40
中グスク城には馬場があるよ(・A・)
749 :
日本@名無史さん :2007/03/30(金) 08:59:29
750 :
日本@名無史さん :2007/03/30(金) 09:15:52
日本復帰の数年前まで はるさーは馬を飼っている人がけっこういたさー 乗馬用ではなくて荷馬車用の馬 それから中城公園周辺では乗馬で走っている馬をたくさんみたさー
ほう(・∀・) トコトコと馬が歩いてたんだね 微笑ましい ところで琉球馬って与那国馬みたく可愛らしいタイプ?
与那国馬と琉球馬は同じタイプ? あんな可愛らしい馬で騎馬戦繰り広げてたのか(´A`)
753 :
日本@名無史さん :2007/03/30(金) 10:50:07
琉球の歴史や風俗を日本のそれとダブらせて見るからおかしくなる 日本的でないと違和感がでて精神不安定になるのかもしれないが 事実は事実であり冷静に見るべき ガラス版写真の 琉球の花婿姿の頭のターバンも元々大陸西方のもの 衣装もおそらく 大陸伝来だろう ベールで隠す花嫁姿も大陸と同じ
なんに対してのレスかわからん(´A`) 文化が大陸伝来、融合ってのは当然でしょ?
755 :
日本@名無史さん :2007/03/30(金) 11:18:34
>>754 遺伝的にも沖縄人は先住民(貝塚人)の遺伝子を除けばほとんど
大陸・ユーラシア伝来
明治以来の単一民族同化政策で沖縄人は本土から分岐(或いは日琉同祖論)
などと誤った知識をを植え込まれそれが固定観念・強迫観念になっている
・・・・・・(´A`) うん そうだね プロテインだね
で? 話戻すけど 鮫川一族は大陸から来たんであればいつ頃来たわけ? どのぐらいの規模で? なんで王朝時代の墓や肖像画のみに顕著に現れるの? 鮫川が最初に住んでいたとされる伊是名?伊平屋?に中央アジアの騎馬民族の名残を色濃くのこす遺跡や伝承ってあんの?
758 :
日本@名無史さん :2007/03/30(金) 14:07:27
>>757 何度も同じ事を書き濃く気は無い簡単に
少なくとも琉球史に鮫川一族なるものは実在しない
第一尚氏王陵が天山陵で馬や鹿やアラビア文字のようなレリーフ
佐敷ようどれの屋根の部分がトルコにみられる墓の石棺のうわブタが同じ形がみられる
中央アジアやトルコの墓に琉球の古代の墓とよく似通う
鮫川は姓や苗字ではない「太郎」「次郎」といった名前にあたる
しかも本来漢字は「佐銘川(サメチャー)」文字をあてる
沖縄住民全部のDNAを調べて解析すれば正確なルーツはわかる
少なくともこれだけは言える
沖縄人は日本本土人とは全く異なる民族である
759 :
日本@名無史さん :2007/03/30(金) 14:17:34
もう一ついえば 鮫川なる実在しない文字の名前からも分かるように 琉球の歴史には後になって創作されたものがある
760 :
日本@名無史さん :2007/03/30(金) 14:28:16
琉球の歴史や風俗を日本のそれとダブらせて見るからおかしくなる 日本的でないと違和感がでて精神不安定になるのかもしれないが 事実は事実であり冷静に見るべき ガラス版写真の 琉球の花婿姿の頭のターバンも元々大陸西方のもの 衣装もおそらく 大陸伝来だろう ベールで隠す花嫁姿も大陸と同じ
答えになっているの?(´A`)
>>761 パッション、名乗頭の威力を見せてやるんだ!!
763 :
日本@名無史さん :2007/03/30(金) 14:51:03
現存する物から調べるしかない だから詳細に分かる分けない 例えばモンゴル馬と琉球馬のDNAが同じ これを説明するには残された物や 事実と思われる記録をもとに推測するしかない 分かるかね 琉球の歴史や風俗を日本のそれとダブらせて見るからおかしくなる 日本的でないと違和感がでて精神不安定になるのかもしれないが 事実は事実であり冷静に見るべき ガラス版写真の 琉球の花婿姿の頭のターバンも元々大陸西方のもの 衣装もおそらく 大陸伝来だろう ベールで隠す花嫁姿も大陸と同じ
現物は無いって(-д-;) じゃあ中央アジアっぽいリレーフ見て、出自は中央アジアに違いないって主張しているだけ?
>>763 いえ、日本的でなければ困る事はありませんよ。
ですが、今の研究では大和風であったというのが一般的であり、これはこれで受け止めた方が良いかと思います。
じゃあさ? いつの時代にどういった経緯でどのような規模でやって来たってのも推測でまかり通る? では俺は沖縄の出自は光の国の人って主張するねo(^-^)o 根拠? 金城哲夫がウルトラマンを・・・
冗談だよ 怒んないで (・_・)
九州のどっかにも、昔馬がいたなこいつのDNAもモンゴル系か?w
馬のことはよく分からないけど・・・・ 馬ってさ? 地続きだった時に大陸からトコトコやってきたんじゃないの? アジアの馬ってだいたいが親戚なんじゃない? 違う?
大陸と地続きって? 海も渡れねぇ人種なんてとっくに絶滅してるよw
大昔って地続きでしょ? 動物ってその時に渡ってきた奴もいるんじゃない? 違うの?
772 :
日本@名無史さん :2007/03/30(金) 18:12:35
沖縄は韓国人の子孫ですよ 従って沖縄の韓国の領土
それもアリかも知れんね? でも領土は関係無いんじゃない?
774 :
日本@名無史さん :2007/03/30(金) 20:45:51
馬の原産地は北アジアであり日本には元々馬はいない
日本本土に馬が入って来たのは弥生時代以降で朝鮮・中国の馬
琉球も大陸からモンゴル馬が大陸から入ってきた
おそらくモンゴルが中国を征服した後だろう
斉州島にもモンゴル征服後モンゴル馬の放牧地が出来たらしい
>>772 確かに琉球語には高句麗や新羅などの古い朝鮮半島の言語が残っているのは事実
また、沖縄人には朝鮮人のほうが本土日本人よりも血の混交は濃いし多い
しかし、朝鮮も琉球人形成のうえで一源流であり一分子にすぎない
ただ、古い朝鮮語が琉球語に残るからといってその時代に朝鮮の人たちが沖縄に
渡来したとは限らない
「グスク」が古い朝鮮語に由来することからグスクが造られた13世紀には
古い朝鮮語を話す人々が沖縄に渡ってきたと思う
「沖縄」「うちなー」も古い朝鮮語に由来する可能性がある
例えば「うちなー」の「うち」は我々を意味し「なー」は国や場所を意味する
「那覇」は「なーふぅわ」というが「なー」は国を意味し「ふぅわ」は場所を意味する
また那覇に「国場川」と言う川があるが「国場」の「国」は「なー」と読み
「場」は「ふぅわー」と読む 例「斉場御嶽(せーふぅわーうたき)」
つまり「国場」は「なーふぅわ(那覇)」とも読めるのである
「うちなー沖縄」も「なーふぅわ那覇・国場」も朝鮮や満州にかけての言語
に由来すると思われる
775 :
日本@名無史さん :2007/03/30(金) 21:12:34
サッカー選手に「我那覇」と言う名前がいる 妙な名前だが 「那覇」と「国場」は同義語だから「国場」に「我」を付けると 「我国場」となり意味は「我の国の場」となる 「うちなー」は「我々の国(の)場」の意味 と言う事は「我那覇」は「我国場」と同義語だから 「我那覇」は「うちなー」とも読めることになる
人の名前に妙だなんて言うな。失礼だろ。 変わった苗字だが、くらいにしとけ。 っとウチの美奈が申しております。
777 :
日本@名無史さん :2007/03/31(土) 00:56:31
>>776 日本語知らんな というか言葉を知らんようだ
「妙」の単語の意味をもっと勉強しろよ
それとも知能が低い?
お、本人が絡んでくるとは、、、、 すみませんでした><
779 :
日本@名無史さん :2007/03/31(土) 11:19:35
沖縄(おきなわ)は日本語訛りの読みであり漢字は新井白石がつけたもの 琉球語の「うちなー」の漢字は「我国場」か「我那覇」と言う事になる
780 :
日本@名無史さん :2007/03/31(土) 11:33:24
つまり、「うちなー」は沖縄島に勝手にやって来た朝鮮系・満州系の 人たちが勝手に「ここは(我々の国の場)だ」と主張して「我国場・うちなー」 あるいは「我那覇」と読んだんだろう
781 :
日本@名無史さん :2007/03/31(土) 13:20:19
「我国場」「我那覇」の正確な琉球語の表音・読みは「うちなーふぅあ」 「うちなふぅあ」である 琉球語を話せる人ならそれが自然に「うちなー」と成る事が分かるであろう
違う、全然違うよ M78星雲語から来ているんだよ (・∀・)
(´A`)
ここって特定の人しかいないの? 詳しい人が多そうだから聞くけど中グスク城の裏門にあるお墓に入っているアジってどんな人? 知っている人ヨロシク
ここでふと(言語に関する解説があったので)珍説を思いついたので発表してみたいと思います。 昔琉球には姓はなかったといいます。 歴代国王でも初期の方では童名がそのまんま正式な名前になったんですよね? シチャ→思紹 サバチ→尚巴志 尚忠以降は尚+童名が正式名称になったんでしょうか? 仮にそうだとすると尚泰久の童名はタイチュウだったと考えられます。 タイチュウから考えられる言葉はターチューです。 ここから大胆は仮説を述べてみたい。(正確には妄想ですが) ターチューとは双子という意味です。 そう、もしかして尚泰久は双子の片割れだったんではないでしょうか。 昔は双子は不吉ということで忌み嫌われたそうです。 片一方は殺されたりしたそうですね。 しかしまあ殺すのも忍びなかったのでしょう。もう一人はどこか人目につかないところへ遣られました。 ならばと尚一族の先祖のゆかりの地である伊是名へ流されたのが後の金丸ではないでしょうか。 父はもちろん尚巴志です。 鮫川の伊平屋追放と金丸の伊是名追放は全く同じ話です。 ダヴィンチコードよろしくココに何かの暗号が隠されていると思われてなりません。 通説では尚徳の不徳を糾弾し、速やかに金丸へ禅譲されたことなってますが、もちろんクーデター説も根強いわけです。 しかしながらこういった条件があると金丸が自らにも王位継承権があると考えるのは自然であります。(布里がそう主張したように) その証拠に尚徳が没した後、いやぁ私ではなんのかんのと断ってるのに尚泰久長男、次男の名前を挙げてないと思われる節があるからです。 王位に野心があったと考えるのが普通でしょう。 こう考えるとしゃあしゃあと尚姓を名乗り、左三つ巴を継承した理由も合点がいきます。 金丸はれっきとした尚巴志の子であり、尚泰久の双子の弟だったのです! すみません、全部ユクシです。 でも考えられませんか?皆さん。
名前: 日本@名無史さん E-mail: sage 内容: Ω ΩΩ ナナナナンダッテー!!! それじゃ俺も妄想を一つ 尚泰久と金丸は双子の兄弟 尚巴志兄弟のうちこの二人だけが母親が違うのね 尚巴志の正室の子が尚忠・尚金福←M78星雲←ウルトラマンやウルトラタロウ 尚巴志の妾の子が尚泰久・金丸←獅子座L77星人←ウルトラマンレオやその弟のアストラ M78星と獅子座L77星は兄弟星だけどレオやアストラは光の国の住人ではない 尚泰久ことウルトラマンレオは、同じウルトラ一族でありながら 光の国出身でな無いことを理由に不遇の身であったが、ふとしたきっかけで光の国入りでなんと王座までに上り詰めてしまう 尚泰久の後を継いだ尚徳の若死にしてしまいまたもやお家騒動が勃発し、幼い尚徳の子(獅子座L77星系統)たちを排除して M78星雲系統の尚金福の子・布里が実は生き残っていて、機は熟したとばかりに王位を主張する 尚泰久の弟であることを隠し、側近として仕えていた金丸はこれはイカンとばかりに廃嫡された尚泰久の長男・次男を担ぎ上げようとするが いかんせん勢力が弱い。 側近として十分に王朝内を把握していた金丸がならば自分がとクーデターを起こしM78星雲系統の王朝復帰を食い止める 第2尚氏はウルトラ一族であっても獅子座L77系統だったんだよ!!! ωωω ナンダッテー!! (・∀・) こういった歴史ロマンを妄想するの楽しいよね
ちなみに北山系は大和人だったかも知れないと妄想してみる (・∀・)
788 :
日本@名無史さん :2007/04/12(木) 19:04:57
>>沖縄に追放されたモンゴル皇帝の末裔、その後の事だれか知りませんか!! 13世紀頃にユーラシア大陸を席巻した史上最大の帝国・モンゴル帝国のうち、クビライが建てた 大元ウルス(ウルスはモンゴル語で国)は1368年、明の朱元璋によって滅ぼされます。その時、 明は元朝皇帝の次男と妃・娘を生け捕りにしましたが、彼らが沖縄に追放された事実はあまり知ら れていません。 元朝皇帝の次男の名前は「地保奴(ティポヌ)」。元朝17代天元帝(ウスハル・ハーン)の次男です。 捕らえられた地保奴らは当時の首都であった南京に送られます。明皇帝の太祖は元がかつて良い政治 も行ったことを考えて、その子孫である地保奴を殺すことは止めました。しかし国内においておくのも どんなものだろうかということで、多くの資財を与えて琉球に送った、と明朝の記録『明実録』にあります。 『明実録』の記事は単なる伝承などではなく、当時の出来事を正確に記録したものですから、元朝皇帝 次男の琉球への追放はほぼまちがいない事実と考えられます。
この間、翻訳された中山世鑑? 読んだけどぬるぽ・・・・違うwティヌポらしき記述はなかったなあ 他の奴には書かれてるんかな? 多分ティヌポは馬を育てる係りとかになったんじゃない イロイロ調べてみる(・ω・)
790 :
日本@名無史さん :2007/04/13(金) 18:51:43
>>788 別に琉球に流されても良いが、琉球の歴史には関係ないな。
791 :
日本@名無史さん :2007/04/13(金) 21:44:53
首里に天山陵と言う墓がある(第一尚氏の墓らしい) 墓の名前や遺物から中央アジア(モンゴル・突厥の末裔のトルコ系民族)の騎馬民族 との関連があろう 天山陵に関連して「耳ちりぼーじ(耳きりぼーず?)」の話がある 昔、モンゴル軍は各地で恐れられたがモンゴル軍は敵の兵士を殺した証として 敵の兵士の耳を切り取ったと言う 耳ちりボーズもモンゴル軍の耳きりを思わせる 尚巴志が地保奴と同一人物だった可能性もあるというか地保奴が流された 時代と尚巴志の生きていた時代が一致する
792 :
日本@名無史さん :2007/04/13(金) 21:57:00
「耳ちりぼーじ」は「耳切り坊主」と書くとは限らない 調べたらモンゴル料理で「ボーズ」という餃子に似た食べ物があるらしい これが耳に似ているといえば似ている 「耳切りぼーじ」は伝承話だから正確には伝わらない歴史や伝承は色々味付けされて 今に伝わるのだろう
793 :
日本@名無史さん :2007/04/14(土) 09:23:16
耳無し芳一の話だろ、 わざわざモンゴルを引っ張るまでもない。
ミミチリボージャが立っちゅんどーo(><;)(;><)o
795 :
日本@名無史さん :2007/04/14(土) 12:01:15
>>794 「耳ちりぼーじ」は漢字で表すと
「耳切り亡者」あるいは「耳切り猛者」かもしれない
沖縄語では猛者(もさ)は「ぼうじゃ」と読んだかもしれん
(・∀・)ホウ では明から送還されてきたぬるぽが何かしらの方法で耳切り習慣を残していったのか
797 :
日本@名無史さん :2007/04/14(土) 14:33:49
>>796 モンゴル軍は敵の兵の耳を切り取り証拠として持ち帰り戦果として示していた
琉球に流されたのは地保奴一人だけではない
妃や取り巻きやそれに知行を与えられて琉球に流された
でもヲレは天山陵は道教の本山から来たと妄想してみる(-д-)
799 :
日本@名無史さん :2007/04/14(土) 16:49:26
>>798 道教聖山五岳に天山はないよ、泰山陵、崋山陵なら可能性あるけど。
東岳泰山(山東省泰安市)
南岳衡山(湖南省衡山県)
中岳嵩山(河南省登封市)
西岳華山(陝西省華陽県)
北岳恒山(山西省大同市)
あげっ!! 論破された!!! 妄想終了(´A`)
801 :
日本@名無史さん :2007/04/14(土) 19:02:53
>>791 天山陵なんか匂うな、下記は758レスに有る話だけど事実なら益々匂う。
アラビア文字風ってのは、モンゴル文字かウイグル文字か??ティポヌにとって
モンゴル族の聖山、アルタイ、天山、父と兄が向かった天山の響きがなつかし
かったのか?どっかに旭天鵬、旭天山、ってモンゴルの関取いたな。
第一尚氏王陵が天山陵で馬や鹿やアラビア文字のようなレリーフ、佐敷ようどれの屋根の
部分がトルコにみられる墓の石棺のうわブタと同じ形がみられる、中央アジアやトルコの
墓に琉球の古代の墓とよく似通う。
トグス・テムル(ウスハル・ハーン)は天山山脈東端カラコルムを目指して落ち延びたが、
途中で高原西部に勢力を持つアリクブケ系統の王族・イェスデルの襲撃を受け、残軍も
ほとんど壊滅してしまった。トグス・テムルはわずか16騎とともに辛くも逃げ延びたものの、
大雪に阻まれてカラコルムにたどり着けないでいるうちにイェスデルの軍に追いつかれて
捕らえられ、ついに殺害された。トグス・テムルには二人の男子がいたが、
長男の天保奴(テポヌ)は父とともに殺害され、ブイル・ノールで捕虜となった次男
の地保奴(ティポヌ)は明によって琉球に流されたため、北元のクビライ王統はここに
一旦断絶した。
お墓に鹿と聞くと仏典思い出すポックソは論外でしょうか(‐o-)
803 :
日本@名無史さん :2007/04/14(土) 21:32:44
ボウズ、ホーミー(沖縄ではちょっと恥ずかしい)、と言い、沖縄にとって一番
縁のなさそうな馬が14C〜15C頃の主力交易品ってのもモンゴルとの縁を感じるな
>>802 鹿と樹木と言えば中央アジアの、ゾロアスター教がうかぶな。
804 :
日本@名無史さん :2007/04/15(日) 03:38:51
ほう〜こりゃ研究する価値ありそうだな。意外だな? 国頭ーーーーー(ウルス・アタマン)?
ゾロアスター ↓ 拝火 ↓ 火ぬ神 ムハア 繋がった?(☆ω☆)
火ぬ神って一番偉いんだってな。 あれってもともと日の神だと思ったりするがどうでしょう。 まつられてるのも荒神様だし。 荒神様はスサノオノミコトだよね。 アマテラスの弟だ。 「おいスサノオ、沖縄は遠いからちょっとお前が行って来い」 みたいな感じで火ぬ神の神になった説にB150円 あと第一尚氏の末裔の知り合いに朝青龍じらーが一人いるので 第一尚氏モンゴル起源説に13元。
じゅんにな? ↑久しぶりにこの言葉が口からでたw 小学校以来かも? 火ぬ神って先祖呼び出す装置ってひぃオバァーが言ってたよ? 近い身内なら親身に相談乗ってくれるけど遠い遠い神代の人達はさんざん呼び掛けないと来ない言ってた んで来ても「あっそ」てな感じで素っ気ないって やべ MMRとかムーっぽくなってきた(´A`)
808 :
日本@名無史さん :2007/04/15(日) 11:31:08
809 :
日本@名無史さん :2007/04/16(月) 18:41:22
ウルス(中世モンゴル語 : ulus, 現代モンゴル語 : улс (uls))は、モンゴル語 で「国家」「人々」を意味する語。遊牧民であるモンゴル人にとっては、国家とは すなわち人々の集合体であったことから同義語となっている。 アタマン(ロシア語:атаманアタマーン;ウクライナ語:отаманオタマーン)は、 コサック共同体で選出される指導者の称号。この称号は、14世紀頃に出現した。 ルーシ語のアタ(父)とトゥマン(1万)の合成語だとされる。テュルク語の オドマン(odoman)は、「牧夫の長老」を意味する。
810 :
日本@名無史さん :2007/04/16(月) 20:39:23
>>804 >>808 国頭は普通に考えれば島の頭にあるから言われているはずだが・・・
中頭、島尻と続くわけだし。
どうも無理をして沖縄とモンゴルの関係を見つけようとしているようだが
今のところ関係を決定付ける遺物は発見されていない。
モンゴルの騎馬民族との関係を考えるのもロマンがあるかもしれないが。
ただ、言語や地名ばかりをたどると言葉遊びで見当はずれになると思うが?
811 :
日本@名無史さん :2007/04/16(月) 23:50:16
ほう日本でも嫁が旦那を呼ぶ時、アータ、アンタ、アナタ、って言うな 頭はアタマ、ロシア人は良く返事の時ダーダーって言う東北人はンダー、 ンダーって言う面白いな、スラブ人と日本人関係有るんかな?
812 :
日本@名無史さん :2007/04/17(火) 00:21:12
>>810 琉球語とモンゴル語の関係はよく分からないが
琉球には遺跡や文化などモンゴルと結びつくものがある
例えば琉球馬とモンゴル馬のDNAが同じ ヤギを食べる風習
刀剣が騎馬民族特有のもの
自然信仰(斎場御嶽の岩の裂け目信仰など)
モンゴル語は中国との関係で消えていったのかもしれない
言語は古い朝鮮語が数多く琉球語に含まれていることは確か
16世紀までの琉球は中国以外にアジア大陸との文化てき影響がある
日本との文化的関係は薄いし見当たらない
石鍋ぐらいしかみつからない
あと平仮名を使ったといわれるが母音の数の違いからかなり疑問がある
古い朝鮮語てネタかw メリケンと中狂のオオボケやめさせたら、モンゴル人にでも朝鮮人 にでもなってやるよwトウモロコシ並みの遺伝子組み換えと整形と あと何が必要よw
814 :
日本@名無史さん :2007/04/17(火) 02:10:59
>>812 別にシャーマニズムは沖縄とモンゴルにしかない訳ではない。
沖縄の場合は岩そのものを信仰しているわけではないので・・・
御嶽は地域の守り神や祖先神を祀るための物。
斎場御嶽も岩そのものより久高島に近い事が聖地の要因と思われる。
>例えば琉球馬とモンゴル馬のDNAが同じ
絶滅した琉球馬の遺伝子をどうやってモンゴル馬と比較できるのか。
与那国馬は在来種として扱われているが琉球馬に近い遺伝子だったのか不明ではないか?
また平仮名が伝わっていた事は確かだが、使い方は異なっていた模様。
沖縄はもともと母音は三つだったと言われている、これは日本の古い言葉に通じるという説もあるようだが詳しくは知らない。
>古い朝鮮語
そんなものどこに残っていると言うのか。
>>812 祖母が紛れもなく琉球の民ですが、ソフィア・ローレンにそっくりで
評判だったそうです。
目鼻立ちが凄く大きく骨格がはっきりしている。他の住民も濃いぞw。
古代は知らんが、現在みる朝鮮人とは似ても似つかない。
ものすごくはっきりした二重まぶただ。
>>812 みたいな知識のないやつの相手をしなくていいよ。
高良倉吉の本の1冊すら読んでないだろこいつは。
沖縄人の先祖は光の国の人だよ!!! (・∀・)
818 :
日本@名無史さん :2007/04/17(火) 14:35:19
>>814 与那国馬は沖縄本島から移入された馬
平仮名は母音が「あいうえお」の5音。だから日本語は母音が5つ
琉球語を平仮名で表記となると母音の数の違いから不可能
>古い朝鮮語 そんなものどこに残っていると言うのか。
無知もいいとこ
琉球語には古い朝鮮語がかなりの数含まれている
例えば代表的なのが「グスク」「まーる」など数多くの語彙がある
あとは自分で調べれば
沖縄の言語学者で琉球語に古い朝鮮語の語彙があるなど主張する者は一人も
いないだろう 無知あるいは能力の無いものが言語学者やっているという証明
ただ、日本人の朝鮮人への敵意は尋常ではないその敵意が沖縄人に向かうのを
恐れていたのなら理解出来なくもない
819 :
日本@名無史さん :2007/04/17(火) 14:58:02
>>815 尚円王や尚真王の肖像画を見る限り周りの取り巻きは欧州風の顔立ち
中央アジアのトルコ系や印欧系の人々がモンゴル帝国のときに渡来したか
或いは元が北に逃げて明に捕らえられた連中がモンゴル皇子の地保奴と
ともに琉球に流されたりしたのかもしれない
しかし、琉球語に古い朝鮮語の語彙があるのは事実
グスク マール アンマー アングワー エンチュ ガジャミ
モー など
ウチナーの固有名詞も古い朝鮮語に由来する
「ウチ」は我々などの意味 「なー・なあ」は国や場所或いは庭を意味する
つまり「うちなー」は「我国」とか「我々の国」と言う意味
因みに「那覇」は琉球語では「なーふぅわ」と読む
「なー」は国とか場所などの意味で「ふぅわ」は場所を意味する
勘のいい人なら「国場川」の国場が「なーふわ」と読むと解するだろう
820 :
814 :2007/04/17(火) 22:21:07
>>818 >>819 もはや反論する価値も無いが念のため・・・
沖縄という地名は8世紀に遡る。詳しくはwikiでも読んでいれば良いだろう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84 グスクの語源も研究者の間で諸説あってはっきりしていない。
それを古代朝鮮語なるものと断言する辺り正体が現れている気がしないでもない。
>>古い朝鮮語 そんなものどこに残っていると言うのか。
>無知もいいとこ
こちらが言いたかった事は古代朝鮮語という言語が現代にどの程度残り解明されているかと言う事。
全貌が明らかでない言語が琉球語にどの程度含まれているか出張する事はどんな無知でも出来る。
もっとも主観的極まりない脳内ソースだろうが。
>琉球語を平仮名で表記となると母音の数の違いから不可能
平仮名で伝わっているのはおもろや日本語に近い文章。
母音が違うものは古い言葉であり口碑でしか伝わっていないのでは。
>しかし、琉球語に古い朝鮮語の語彙があるのは事実
グスク マール アンマー アングワー エンチュ ガジャミ
モー など
この中に古い琉球語では読めない単語があるがご存知か?
821 :
814 :2007/04/17(火) 22:34:08
>尚円王や尚真王の肖像画を見る限り・・・ 肖像画で判断しようと言うのは言葉遊びと大して変わらない。 本当に正体を明らかにしたいのなら玉陵の調査でも行うしかないだろう。 >沖縄の言語学者で琉球語に古い朝鮮語の語彙があるなど主張する者は一人も いないだろう 無知あるいは能力の無いものが言語学者やっているという証明 ただ、日本人の朝鮮人への敵意は尋常ではないその敵意が沖縄人に向かうのを 恐れていたのなら理解出来なくもない 要は言語学者より自分が正しいと言う事か? 嫌韓が増えているとは言え半数ほどの日本人は朝鮮人に敵意は持っていないだろう。 上のような勝手な被害妄想や妄言ばかり振りまいていたら話は別だろうが。
822 :
日本@名無史さん :2007/04/18(水) 00:08:21
>>820 あぬよー沖縄(おきなわ)やよー大和グチ(日本語)
ウチナー語せしぇー「うちなー」がふんとうぬなーどぅやる
うちなーぐちなかい こうれー語ぬまんちょーせー やまとぅうてー
しりとーんはなしどうやる
うりからうちなーんちゅなかいや こうれーざにぬまんちょーせー
やまとぅざにゆかうふさん
あんすくとぅ こうれー語ぬまんちょーせーあたいめーぬくとぅどうやる
うりから うちなーんちゅなかいや唐ぬ西域ぬさに うりから地中海
うりから天竺ざにぬまんちょんでーぬいんかしからぬはなしぬあいん
823 :
日本@名無史さん :2007/04/18(水) 01:20:14
コーレグスーがどうしたって? そばにはやっぱり七味でしょ(^ω^pq) ごめんなぱい 読めません(´A`)
825 :
日本@名無史さん :2007/04/18(水) 13:00:01
>>824 あぎじゃびよー うちなーぐちや ゆみやならんどぅあいんなー
かなり日本語化した琉球語を書き込んでいるのだが
琉語と日語は明らかに異なる言語
ただ琉語には日語の転訛した語彙が多数みられるというだけのこと
形容詞や接続詞などは明らかに日語とは異なるものが多い
歴史ロマン語るのに嫌韓もナショナリズムもないよ(・∀・) ちなみに今度、伊平屋に行ってみる 神社のお偉いさんが集まって「天の岩戸開き」を行ったなんとか洞窟を探検してくるよ もぅホントごっちゃまぜだね(・_・)
827 :
日本@名無史さん :2007/04/18(水) 15:26:37
>>826 伊平屋村のクマヤ洞窟は江戸時代に藤井という日本の学者が勝手に
「天岩戸」と唱えだしたらしい
地元にはそのような伝説は残っていない
第二尚氏の墓への礼拝様式は中国や朝鮮の仏教の影響を受けた礼拝様式らしい
地に膝を付いて礼拝のあと立ち上がって礼拝 それを何回か繰り返す
金丸の出自が大陸や朝鮮にあることを示すものである
面白いんじゃない? そんな昔の学者が実際に訪れたのか知らないけど こここれは 天の岩戸やああああ(≧ω≦) 実際してしかも琉球にあったんやあああ な ん て面白いでしよ
>>825 大和言葉系と日本語をごっちゃにするなよW
830 :
日本@名無史さん :2007/04/19(木) 09:11:27
>>829 ぬーあびとーがあら むるわからん
あぬよーうちなーぐちえー やまとぅぐちとー くとぅないん
あんしが うちなーぐちなかい やまとぐちぬ 語彙ぬ うほーく あいしぇー
事実やん
831 :
日本@名無史さん :2007/04/19(木) 14:13:16
>>827 なんで朝鮮がそこで出てくるのかが理解できない?
文化の通過経路にはなり得ないのに、
支那の文化は広州から入ってきているんだよ。
832 :
日本@名無史さん :2007/04/19(木) 19:25:40
>>824 コーレーグス(高麗草)とうがらし、の辛味成分カプサイシンは脳神経を強烈
に刺激し過ぎ、食べ過ぎると時に異常をきたすことがあります。
南部の人達は発汗作用で9割体外へ排出されますが、北部の人達は発汗が少ない
ので食べすぎは危険です。だから北部の辛子好きの人達にハゲが多いです。
何言ってるか全然わからん(´A`) あのさ? 大和語とうちなー語は異なってるでしょ? でも少しは似ているんじゃね? 今度は読めた(^O^) コーレグスーを調味料にしても禿げないよ モズクとか昆布とかアーサ食べてるから平気さーね アルアル効果だ!!! てかやんばらーは禿げの集まりなのか ここにくるとドンドン賢くなるね
834 :
814 :2007/04/19(木) 22:39:36
>>831 「沖縄を支配していたのは朝鮮人」という勝手な結論から話しているのだから仕方が無い。
冊封体制で小国琉球より序列が下位だったのがコンプレックスになっているのだろう。
結論ありきで書き込んでいるから
>>818 >>819 のように言語学者より自分が正しいだとか古代朝鮮語などという未解明の言語を持ち出し、
日本人は朝鮮人に敵対心を持っているなどという。
現実は逆だろ・・・
そのくせ妄言を突っ込まれても無視。
議論にならないから反論する価値は無い。
だが時々釘をさす必要はある。
>>834 あの方は、名のある氏の生まれではある。
朝鮮好きと極度の日本嫌いは、戦場経験によるところが大きいそうな。
836 :
日本@名無史さん :2007/04/20(金) 00:46:14
>>834 >「沖縄を支配していたのは朝鮮人」 さような事は一言も云っていない
第一尚氏及び第二尚氏の16世紀まで沖縄を支配していたのはモンゴル系や
トルコ系など中央アジアから渡来した人々
琉球語に古い朝鮮語が含まれているのは明らかな事実である
沖縄(おきなわ)の本来の固有名詞は「うちなー」「うちなあ」が正しい
「おきなわ」は日本語訛りの呼び方にすぎない
「おきなわ」が転訛して「うちなー」ではない
「うちなー」が琉球語であり正しい呼び名である
「うちなー」の意味は「我国」とか「我々の国」などの意味である
「なー」を「縄」と誤解して「魚場」の意味などといっている能力のない
特例学者がいるらしいが「沖縄」の漢字をあてるようになったのは江戸時代
以降の話である それまでは「悪鬼納」とよんでいた
古来より日本人は縄文系(アイヌ)やトルコ系やコーカソイドの人種を「鬼」
呼ばわりしていた
また、中世の沖縄人にも日本人は「毛唐人」と呼んでいた つまり、その頃の
琉球の支配層はトルコ系や印欧系だったということである
837 :
日本@名無史さん :2007/04/20(金) 01:30:55
>>836 >第一尚氏及び第二尚氏の16世紀まで沖縄を支配していたのはモンゴル系や
トルコ系など中央アジアから渡来した人々
いままで検討すらされたことが無い斬新なだけな説ですね。
根拠がありませんが?
もしかして言葉遊びと肖像画だけ?
写真と違って肖像画はどのようにも描けるのだが。
>琉球語に古い朝鮮語が含まれているのは明らかな事実である
解明されていない言語である古代朝鮮語が「含まれている」のが「明らか」と言うのはおかしいのだが?
幾つかの単語を取り上げただけで「似ている」というのは乱暴すぎる。
>しかし、琉球語に古い朝鮮語の語彙があるのは事実
グスク マール アンマー アングワー エンチュ ガジャミ
モー など
この中に古い琉球語では使われない母音が含まれているのだが?
>また、中世の沖縄人にも日本人は「毛唐人」と呼んでいた つまり、その頃の
琉球の支配層はトルコ系や印欧系だったということである
それならば全ての琉球人が「毛唐人」だったわけですか?
書いていておかしいと思いませんか?
838 :
日本@名無史さん :2007/04/20(金) 01:48:43
沖縄県の方へ(命に関わる注意事項です) 沖縄県での選挙ですが、どうか民主党だけは避けてください。県民の生命に関わる可能性があります。 民主党の最大の公約は一国二制度(※)ですが、一度「一国二制度 沖縄」等で検索をお願いします。 この際、民主党のHPで調べても良いです。以下の注釈↓と矛盾することは書いてないはずですから… ※一国二制度 簡単に言えば沖縄を中国と日本の共有物にし、そこに3000万人の中国人を入植させます。 (つまり沖縄人口の 96% を中国人にして、実質、沖縄を中国人の居住地とします。) さらに「自主」の名の下、沖縄で有事が起きても自衛隊は干渉できません。 3000万人の中国人が、少数派となった130万人の日本人に何をしても、です。 そして中国人の反日感情の強さは、ほとんどの日本人の理解を超えるものです。 今回の選挙で民主党が勝った場合、「自主」「発展」を連呼しつつ段階的に進めていくことになります。 自主と言っても、自主を認めるのが「住人の96%が中国人となった」後だということに気をつけてください。 発展と言っても、新沖縄の少数派となった「少数民族日本人」の発展ではないことに気をつけてください。
もうね、モンゴルマンでいいよ。 でもその正体はラーメ・・・ (・∀・) では皆さまは古宇利島が沖縄発祥の島って伝承はどー思う? ジュゴンのエッチを真似て人が増えていったって話しがオモロイよね
840 :
日本@名無史さん :2007/04/20(金) 21:20:56
>>837 グスク マール アンマー アングワー エンチュ ガジャミ
モー など
>この中に古い琉球語では使われない母音が含まれているのだが?
具体的に説明願う
841 :
日本@名無史さん :2007/04/20(金) 21:51:48
>>837 >いままで検討すらされたことが無い斬新なだけな説ですね。
根拠がありませんが?
もしかして言葉遊びと肖像画だけ?
写真と違って肖像画はどのようにも描けるのだが。
肖像画は確たる証拠にはなりえないしほかに残る文物も同じ
母音が5つの平仮名を用いていたというのも疑わしい
ただ、確かなことは琉球民族は明らかに日本本土人とは異なる民族である
それは科学的に証明されている
さらに言えばDNAレベルで日本本土人に最も近い民族は朝鮮人である
琉球人は日本本土人とは血縁関係は遠い
琉球の支配層の墳墓からでる男の骨は平均身長が160センチあり同じ時代の
日本人の平均身長157センチより高い
琉球の支配層は日本人とも異なり沖縄先住民とも異なる
ただ先住民との混血で平均身長が160センチと低くなった可能性もある
また、沖縄先住民(貝塚人身長153センチ)は日本本土の縄文人(アイヌの祖先)とも異なる
842 :
日本@名無史さん :2007/04/20(金) 22:19:07
>>840 古い琉球語に「エ」「オ」という母音は無い(長音除く)
エンチュは正しくはインチュであり、現在でもそう呼ぶほうが主流ではないか?
そのころはまだ仮名文字は使っていなかったのかもしれないが。
日本人と琉球人のDNAが遠いと言われれば現在では否定する材料はない。
だからといって距離的に離れたモンゴルや西アジアを持ち出すのもどうかと思う。
843 :
日本@名無史さん :2007/04/21(土) 00:35:29
>>842 DNAレベルでは縄文の形質をアイヌ90%、和50%、琉40%受け継いでいることが確認されている。
和と琉が遠いはどんな研究でも否定されている。
あのなw 北に奄美があるw
沖縄人は混血ってか昔からいろんな人が集まった所じゃない(?ω?) 代々沖縄に住んでいる人でいわゆる大和顔もいるし 代々沖縄に住んでいてチョナンカンみたいな朝鮮顔もいるし 代々沖縄に住んでいて中国顔もいるし 中には合いの子でもないけど白人なみに色白で瞳の色も茶色で赤色髪の人もいるさ? こんなボクはモジャ♂
形質は新モンゴロイドレベルが上がれば、面は同じような顔に見えるんだよw DNA、民俗学レベルで古層は温存してるだろがよ。
うん そうだね 皆にているよね
848 :
日本@名無史さん :2007/04/21(土) 10:37:23
>>847 そうか??
オレははっきり人種の違いを感じるけど
・倭族末裔タイプ
中国南部の少数民族の流れ 地続き時代に移動してきた 極めて小柄で卵顔二重
・スンダランド脱出諸民族の末裔タイプ
スンダランドの海没で北上してきた 現在の東南アジア諸民族・ニューギニアソロモンタイプ等
小柄肥満系でとても濃い顔
・大陸半島からの侵入人
12世紀以降の東シナ海の中華覇権消滅で大陸半島の倭寇が海賊貿易の基地として多数侵入
貝塚時代を終わらせて王朝時代へ 大型で面長スッキリ顔
市場とか歩いてるとニューギニア辺りに迷い込んだ気分になる
>>846 が何言ってるか理解できなかったからお茶濁した返事しただけ(・∀・)
いろんな顔立ちがあると思うよ
850 :
日本@名無史さん :2007/04/21(土) 11:05:57
平家落ち武者説というのを読んだことがある。 その理由は薩南のどこかの島に平家落ち武者による征服の言い伝えがあること、 沖縄語が中世日本語の影響を受けており、その日本語は鎌倉時代よりは古く (「候」が現れない)、しかも宮廷語であること、などだった。
北山系は大和武士団だったと妄想してみる(-д-) おもろにもあったでしょ? 詩の最後あたりに「大和の戦 山城の戦」なんてのが
ああ、これか↓ 勢理客ののろの あけしのののろの 雨くれ降ろちへ 鎧濡らちへ 又運天着けて 小港着けて 又嘉津宇嶽下がる 雨くれ降ろちへ 鎧濡らちへ 又 大和の軍 山城の軍
>>848 だからよ、新モンゴロイド化した大陸を基準にするなやw
石原都知事や加山雄三の家族の形質変化を追えよ。顔の濃い系統がどう変化するのか?
大陸なんぞ、形質的には北方化してんだからよ。
民族集団はある種のDNAグループで移動する。単品種のDNAしかない集団は異常だよw
大和の軍 山城の軍 だったのか 間違えました ごめんなパイ(´A`) おもろって書き方っか調子が(・∀・)イイ
いや、間違いじゃないよ。 読み方は やまとのいくさ やしろのいくさ みたいだし。
856 :
日本@名無史さん :2007/04/22(日) 15:30:50
琉球が日本を大和と呼ぶようになったのは薩摩の侵入以降 それ以前は「アマ(山・他の島や外国のこと)」「日域」「倭」などで「小日本」 というのもあった 日本もトカラから南は異界・鬼界であり沖縄は琉球以外に「悪鬼納」と呼んでいた 今に残る「おもろさうし」の詞は母音が5音で記されている 明らかに琉球語ではない 「おもろさうし」は漢字では「唄双紙」と書き、双紙の詩も元々は漢文と聞いたことがある 原書は明治政府関係者が全て持ち去り行方不明 「やまとのいくさ やしろのいくさ」は母音が5音の日本語であり「おもろさうし」は 琉球語ではない。日本語を解する者が記した文だろう おそらく明治以降に漢文を沖縄風日本語に書き換えた疑いがある あるいは明治以前に日本語を解する琉球人が書き記した和文かもしれない
857 :
日本@名無史さん :2007/04/22(日) 15:52:29
856の続き 或いは「おもろさうし」は琉球語を話せない沖縄人が書き換えた 下手な日本語・和文かもしれない
悪鬼納!!!! かっこいい!!!! もしかすると鬼が島って沖縄の事かも知れないね
でも千代金丸の原材料は大和でしか採れない玉鋼だよ 千代金丸は元々北山の宝刀だから・・・・ やっぱ北山は大和武士団だ\(^O^)/ んで中山は中国から流れついた人達 南山は沖縄系統の人達 かもしれない妄想ですがね(-д-) つーかなんで尚巴志は武寧に勝てたと思う? 勢力の規模が圧倒的に違うでそ・・・・ 思うに、やはり尚巴志は光の国の出自かもしれない 規模の差なんてスペシウム光線で一撃だからね(^O^) それをヒントに金城哲夫はウルトラマンを・・・・かもしれない
もともと三山なんてういう明確な区分けはなかったのかもよ。 佐敷は南山の領地に見られがちだけど、そうじゃなかったのかも。 中山を討つ前に南山は事実上尚巴志の支配下だったのかも。 南山のタルミーは実は尚巴志とはマブダチで、利益を半分コしてたのかも。 いや、実際、タルミーなんて存在せず、ダミーで(対明貿易の)窓口二つ設けて荒稼ぎして たのかも? 北山でも同じ手を使おうと思ったけど、遠いし言うこと聞きそうにない連中 だったのでやむなく討った。 南山も強敵なのに家を留守にしてわざわざ北山まで遠征に行くだろうか。 その間に中山が攻められたらシャレにならんし。 南山とは何かしらの密約があったと思うんだけどな。 そうこうしているうちに明にバレて、しょうがないから窓口を一つにした。 コレが三山統一の真実だ。 なーんてね。
ひ・・・光の国出自説が(´A`) 僕の気が確かなら・・・じゃーねやw 記憶が確かなら[尚性]って明から与えられた姓じゃないよね? 多分、統一後に巴志達が便宜上自分達で付けたと思う もしくはビン人達が明とやり取りするならそれっぽい名前にしたほうがいいよーってアドバイスしたのかも? ここら辺の認識もバラバラだから・・・・ 与えられた名前か? 自ら付けた名前か?
862 :
日本@名無史さん :2007/04/22(日) 18:44:00
>>856 アマは「あそこ」と言う意味、ちなみにクマが「ここ」ね。
奄美は8母音だよ。
まあ、あれだなw 日本史の領域に登場しないから、歴史絵巻に何でも描けると思ってんだろ 工作員先生方はw
あ い う え お が5母音でしょ? あ い う い う が3母音でしょ? 8母音は あ い う え お あ い? ここらへん弱くてごめんなぱい(´A`) てか歴史ロマン語るのに工作員も島大作もないよ(・∀・) か も し れ な い
865 :
日本@名無史さん :2007/04/22(日) 19:28:56
あいゐうえゑおを 舌の位置が違う。 くぐもって聞こえる音と澄んだ音と俺は表現しているけどね。 奄美の暮らしと儀礼、田畑千秋著南島文化叢書14に音韻表がある。 シマが違うんで俺とはちょっと違うが一例として見てみたら!
フランス語みたいな詰まった感じかな? テ ン ク ス
867 :
日本@名無史さん :2007/04/22(日) 20:19:05
私は長崎県だが、長崎弁にも「お→う」の転化がある。たとえば「おおかぜ →ううかぜ」 しかし「うう」と言うときも語源意識があって、いつでも「おお」に戻れる。 沖縄語もこれと同じで、おもろのようにやや改まったときは五母音に戻るのでは ないか? 想像だけど。
九州は全般的に しゃしぃしゅしぇしょ だな。
>>867 沖縄の人たちはあんまり北の奄美を見ないからなw
870 :
日本@名無史さん :2007/04/23(月) 09:57:19
先生は 日本語では「せんせい」と読む 九州訛り「しぇんしぇい」 沖縄訛り「しんしぃー」
871 :
日本@名無史さん :2007/04/23(月) 20:43:54
琉球語と日本語の音韻には幾つか法則がある。
・琉球語の母音は「あいういう」
ふね→ふに
・「え」「お」の音が無いわけではなく、「あ」と重なった際に長音として現れる事がある。
まえ(前)→めー
・は行は「ぱ」や「ふぁ」となる。
なは(那覇)→なふぁ
・i音の前後のか行は「ちゃ」や「ち」となる。
いく(行く)→いちゅ
・「り」は「い」になる、i音が先行する場合は除く。
もり(森)→むい いり→いり
・a音に挟まれたwは脱落する。
まわり→まーい
これらの規則に当てはめると
おきなわ→うちなー
あわもり→あーむい
以上のようになる。
少なくとも
>>819 のような勝手な説は言葉遊びでしかないことは確か。
ただ琉球語が日本語のつよい影響があるとは言え民族的には琉球人=日本人では無い。
琉球語の詳細はwikiにて、この書き込みにある例はいくつかこちらで追記した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%89%E7%90%83%E8%AA%9E
872 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 00:11:58
>>871 その音韻法則は日本語と琉球語の差異や違いに規則性があることを説明
できるということである
似たような音韻法則なら韓国語にもあるらしい
よく聞くハングルをいうとハングク(韓国)がるあと南大門も門はムンと効く
韓国人にでも聞けばもっと出てくるだろう
音の規則的な違いは日本語の方言にもある
九州の「しえんしえい(先生)」や「ううかぜ(大風」」方言の範囲内
差異でしかない
沖縄の「しんしー(先生)」や「うふかじ(大風)」になると明らかに
独立した言語の訛りである
韓国語で「先生」の読みは知らんが音の規則性で説明できるかもしれない
「ぐすく」音韻対応で説明すれば明らかにルーツは日本語ではない
グスクは音韻対応では「ゴスコ」になってしまう
音韻規則で日本語と説明できない琉球語の語彙はもっとあるだろう
873 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 00:42:26
>>872 琉球語の主な単語・音韻はこれらで説明できる事は確か。
ただそれら以外にも独自の音韻があるし、単語の中に独自の由来に基づくものと思われるものがあることも確か。
音韻や他の単語から説明を求めるのは難しいと思われる。
「しんしー」も「うふかじ」も大筋(母音)では音韻の規則に従ってはいる。
従って韓国語の出てくる余地は無い。
韓国語と日本語の共通性ならともかく現在の韓国語と琉球語を並べる事はナンセンスと言える。
こうも韓国を持ち出されると意図的なものを感じずにはいられない。
「グスク」も諸説あってはっきりしていないが、音韻に基づいた説が多い。
「御宿」(ゴスク)「御底」(ゴソコ)など。
>>872 >よく聞くハングルをいうとハングク(韓国)がるあと南大門も門はムンと効く
外来語を比較の対象にしてどうする。
朝鮮語は日本語よりずっと漢語の割合が多いぞ。
875 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 01:01:39
>>873 朝鮮語をだすと何故に感情的になるのか不思議である
日本語と韓国語には規則的な音韻対応があるということをいっただけ
琉球ごと韓国語を並べていない
「御宿」「御底」はこじ付けで言葉遊びでしかない
お宅、琉球語は日本語から分岐したと思っているようだかそれは明らかに間違い
その証拠に琉球人と日本人は遺伝的にルーツが遠い
日本人に最も近いのは朝鮮人
朝鮮語は日本語と同質性が強いらしく日本語に同化しやすいらしい
在日の朝鮮語になると音韻の規則的差異はなくなり『日本人』の話す朝鮮語になっているらしい
つまり、在日朝鮮語は母音が日本語と同じで本国と異なる言語になっているという
876 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 01:43:42
>>875 日本語と韓国語の比較であればわざわざ持ち出すほどの物ではないだろう。
琉球と朝鮮では地理的な条件が違うので比較できるとは思えない。
>「御宿」「御底」はこじ付けで言葉遊びでしかない
>>819 のような言葉遊びを披露したそちらに言われるとは思わなかったが。
いずれにせよどちらも琉球語では「グスク」と転訛できないことはない。
ただの言葉遊びよりはマシだろう。
琉球人と日本人の遺伝子が遠くとも地理的に近ければ影響を受けざるを得ない。
「阿児奈波」という地名が文献に現れているくらいだから交流があったことは否定できない。
それを通じて言葉や文字が入ってきて「琉球語」が生まれた可能性もあるだろう。
半島と沖縄の間には対馬海流や黒潮がある古い時代に半島との接触は難しかっただろう。
877 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 10:54:03
>>875 ほう、朝鮮人と琉球人が和人より遺伝的に近い?
俺の知っている人類学関係の結論とまるで逆のご意見ですな。
一体どなたがその様な説を論じて居られるか、
後学のためご教示願えませんかねー。
一応私の知っている研究者を列挙しますと
斉藤成也、尾本恵市、中堀豊、篠田謙一、中橋孝博、土肥直美
言語では安本美典が嚆矢だね
ついでにジャーナリストで良くまとめているのが道方しのぶ位かな。
878 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 11:17:38
>>872 もう一つ、音韻対応についても勉強し直した方が良いよ。
基本的な学問ができてないようだね。
君の挙げた例は漢字の音読みだから漢音の流入例とすべきもの。
そう言えば日本語と朝鮮語が似ていると言って和製漢語を持ち出してきた
奴も居たな。
879 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 19:27:29
>>877 >ほう、朝鮮人と琉球人が和人より遺伝的に近い?
近いとは言っていないが近いと言えば近いだろう それは琉球人と朝鮮人との混血は
和人と琉球人との混血よりも混血度が高いから
単純にいえば朝鮮人は日本人よりも琉球に渡来・定着したと言う事である
日本人が琉球への渡来・定着・混血が少ないのは中国との関係で日本人が
琉球への移住を困難にしたということだろう それに琉球には中国人の集団が住み付き
政治を左右した
日本人は中国との貿易で琉球を利用しただけで琉球に移り住むことは少ない
というか 記録や墓など日本人の痕跡が極めて少ないし珍しい
880 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 19:33:31
>>878 あんたの方が正しいということでいいのでは
ただこれだけは言っておこう
沖縄は米国や中国の後押しで独立するのは確実
全ては沖縄が独立したときにはっきりするだろう
それまでは日本が過去の代償を払い続けるということだろう
メリケンがオオボケかまし居座り、中狂がこれまたEEZでオオボケ かます領域にようやるわw 渡来が好きだな。で、土人を支配したとw
882 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 19:46:27
沖縄人とアイヌ人は縄文人の生き残りである。 日本人も半分ぐらいは縄文人の血を受け継ぐだろう。 つまり日本人と沖縄人は「縄文」という共通要素を持つのだ。 その後の混血は同じようなものだ。
883 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 19:51:52
自己レス。 「混血は同じようなもの」は語弊があった。 日本人の方が徹底的に朝鮮・中国からの要素と混血した。 これに較べれば沖縄の方が混血が少なかったから縄文が色濃く残った。
貝塚から2000年前の黒曜石が発掘されてるよ その黒曜石は九州のなんだってさ っかね(-_-) 沖縄人は和 朝 中 琉 南の人達の混血だよ
あのよ、大混血は大陸や半島だつぅのw だから連中必死コイてんだろがよ。
はあー? なんでよ? 混血と思うけどなあ(´A`)
沖縄は田舎なんだよ。 観光キャンペーンで琉球王国を前面に出してるだけで、 中国との付き合いは本土の方が古いの。
888 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 00:59:36
>>879 用語判るのかな?
縄文時代から琉和の通交が有ったことは考古学上の常識だよ。
例:ゴホウラ貝が津軽方面まで流通していた事等
歴史時代に入って、記紀や木簡で琉球との通交の文書が多数認められる。
古代
日本書紀:657年トカラ国人漂流、682年奄美、種屋久録を賜う、
日本紀:699年種屋久奄美度感朝貢、
714年奄美度感信覚球美島民位階授与
太宰府木簡:740年頃奄美伊藍記事
延喜式:奄美語通訳(遣唐使の一員)
中世(記事が多いので一部のみ)
997年奄美人九州攻撃(日本記略、小右記、権記、太宰府解)
1020年上同(左経記)
三国史記の時期、書かれた年代は判っているでしょうね。
沖縄が混血でなかったらどっからきたの?? 純アジアってあんの? 純大和? 純中国? 純琉球?
891 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 09:24:26
>>890 縄文人はシベリアから来た。
それがたどりついた南の端が沖縄だ。
892 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 09:26:58
>>888 841は語貴殿?
>写真と違って肖像画はどのようにも描けるのだが。
領土が絡むと捏造がおおくなる(小笠原の先例がある)
古い書物もも写真と違って肖像画のようにどのようにでも書ける
ただ、写真もいくらでも捏造できる
領土のことなら奄美地方は奄美住民が決めること
域外の人間がとやかくいうことではない
>>888 琉球が成立してない時期に、奄美を琉球でくくるなやw
奄美にワダツミノ宮を設定する必要もないだろがよ、日本書紀厨
ハヤトとはなにか?を考えたほうがいいw
じゃあ沖縄は純縄文国? 昔から縄文人しかいないの?
895 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 12:31:36
バブル経済直前のころ鹿児島出身で京セラのトップだった稲盛会長が 沖縄に来て地元の経済界の何人かを交えてインタービュー 会長曰く「沖縄は奄美といっしょに独立したらいいのではないか・・・・」 と独自の論を披露した 発言の後インタビューアーが「鹿児島にくらべ沖縄の方が高い補助金を受けている 事が背景にあるのでは・・・」などといっていた おそらく高額納税の法人と個人の立場としての発言だったかも 或いは出席していた沖縄の財界人は東大や京大の旧帝大出で沖縄の人は優遇されている と言いたかったかもしれない
だから? スレチでしょ? ハヤトって日本で一番強いと噂の薩摩隼人?
島津系の稲盛に奄美があーだこうだ言われる覚えはない。
898 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 12:57:00
沖縄の貝塚人は日本本土の縄文人と同じ人種というだけ 縄文人を直接の祖先とするのはアイヌ民族だけ 北米・南米大陸には縄文人と似た人骨が出土するらしい 日本の研究者のいう米大陸の縄文人似の人骨は欧米の研究者の間ではアボリジニー と同じ人種と位置づけられている つまり、米大陸の縄文人はモンゴロイドとは別の人種と明確なのである ここで疑問がわく、じゃ日本の縄文人やアイヌ民族は何故にモンゴロイド と位置づけられているのか不思議である 現代アイヌ民族は混血でモンゴロイドのカテゴリーにあるとおもうが・・・
直接の先祖が縄文人でないならやっぱ何処かでいろんな人が入ってきたわけでしょ ほら やっぱ混血さね
>>898 南米の湿地帯でカメカンには入った人骨が発見されたねw
これは、ほんとうに北周りかよ?
まあ、中国が動き出すかw
901 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 13:50:38
>>893 俺は琉球王国=琉球とは思っていないんでね。
琉球の範囲はカムィ焼きの分布範囲と一致するところだと認識しているよ。
>>901 北はどうでもいいが、隣の基地外大陸で逆、神の手が出現したらどうすんだよ。w
903 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 14:38:19
>>894 じゃあ沖縄は純縄文国? 昔から縄文人しかいないの?
#883で、私は「沖縄の方が混血が少なかったから縄文が色濃く
残った」と言っている。純粋などとは言っていない。
なにごとも比較の問題だ。
>>898 >沖縄の貝塚人は日本本土の縄文人と同じ人種というだけ
>縄文人を直接の祖先とするのはアイヌ民族だけ
一度読めば意味不明だが、よく読むと「沖縄人は縄文人を間接の祖先とする」
つまりアイヌ人の方が沖縄人より縄文の純度が高い、と言いたいのかな?
それなら、私の言っていることと余り違わない。
私は沖縄人が混血していることを否定していないからね。
第一、本土人との混血がある。
要するに縄文の純度は、アイヌ>沖縄>本土 というわけだ。
しかし沖縄もいろいろある。離島に行けば純度が高い。
904 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 15:19:01
沖縄貝塚人と縄文人の関係はまだ結論を出せる段階に無いでしょ。 特に先島は縄文人が入ってきたとは考えにくい。 土器->無土器->土器 と人種の交代を示唆している状況がある。 土肥は「沖縄人はどこから来たか?」で沖縄来訪人類学者の意見では、 「縄文人とは言えない」というコメントばかりである。 と書いている。
ポックソは混血支持派どす!!
906 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 16:15:47
>>903 沖縄の貝塚人と縄文人は直接繋がらない
おそらく共通の言語や文化ではなかっただろう
沖縄=貝塚人で貝塚文化
日本本土=縄文人で縄文文化
>私は沖縄人が混血していることを否定していないからね。
第一、本土人との混血がある。
沖縄には和人(倭人)が集団的に渡ってきて定住した形跡はない
また、混血も少なくせいぜい5%程度
中国人は痕跡が多い割りに10%の混血しかない
朝鮮人は倭人の倍は混血しているし痕跡も墓や道具類など残る
沖縄人の遺伝的構成は先住民が50%以上
残りの45%以上はアジア・ユーラシアの遺伝子
残りの4%程度が倭人との混血
和人(倭人)w あんた半島系だろ。中国がなぜ倭人呼ばわりで日本を煽ってこん のか?理解できるかw
908 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 16:26:49
>>906 その妙な混血データの根拠を示してよ。
俺は自分の論拠となった研究者を
>>877 で示したよ。
脳内データでなければ示せるでしょ。
遺伝学的解析で朝鮮との繋がりは和人より低いというのが、
人類学者の共通見解だよ。
909 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 16:39:33
>>908 一応私の知っている研究者を列挙しますと
DNA人類進化学(宝来聰)
910 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 16:51:09
>>907 ぼうやそう怒るな
琉球の記録にも日本人を倭人とある。それに従っただけ
他に「アマンチュー(あっちのひと・外国人)」いうのもある
911 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 17:02:53
>>907 それにな沖縄人は日本より中国とくむ事を望んでいる。それが真実
今は米国と中国の思惑もあって日本を財布(過去の代償)として利用しているだけだ
「嘘も方便」で騙しあいはお互い様 沖縄人が本音が言えるのは米国と中国の方。わかる
米中がもうこれくらいでいいだろうと思ったとき沖縄が独立する
他のカテゴリー(地理学・人類学)に
「何故日本人は沖縄人から嫌われるのか」というのもある
>>911 一部あたってるが、分離はあっても独立はない。
913 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 17:08:07
>>911 それは嘘だね、支那と組みたい琉球人がいるわけ無いじゃないか(笑笑笑)
明治の琉球処分時と一緒にして貰ったら困るな。
チベットの二の舞は御免だからね。
どれだけ奄美・沖縄が復帰運動を戦ってきたのか知らない戯れ言だな。
♪返せ、返せ、沖縄を返せ
ってね。
あまんちゅは天人でおとぎ話に出てくる天と地を分けた巨人だよ その後、情けない事にちんこを鮫に噛まれて死んでまうけどwwwww まぁ中国のバンコのパクリだろうけどね だからって沖縄は沖縄!!! 中国ではないよ ちゃんとした日本国だよ
915 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 17:14:01
子どもに政治が分かるわけない
あげ(´A`) なんでこんなして言うかね?
917 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 17:21:02
>>912 じゃーどうやって沖縄の巨大な基地問題を解決する
米国が作った仕掛け(米軍基地)は沖縄独立しか解決出来ない仕掛けになっている
日本政府がやるとなると巨額の費用を米国と沖縄から要求される
それに日本は巨大な債務を抱えていることを知らんようだ
歴史ロマンとか妄想を語ろうよ(・∀・)
メリケンの詭弁だよすべてw 国家には中心性がある。まあ、付込まれたんだな。
920 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 17:29:46
それに本土にも米軍基地がある 8年前、東京都の石原知事の公約が横田基地返還だった しかし、今はまったく口に出さない 米国側に沖縄の基地をほっといて先に横田を返還しろというのか といわれたら話はそれで終わりなんだろう
ねぇねぇ? 薩摩は一度、琉球を救ったって話を聞きたくない?
>>921 静香を思い出したくないので、聞きたくないッス。
923 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 17:58:16
>>921 台湾原住民に琉球人が殺されたことを利用して台湾を分捕った話なら知っているが?
・・・・・・・・・・・・・・(´A`)マジデ?
925 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 18:00:29
>>917 何か勘違いしていない?
沖縄人は米軍基地が無くなることを望んでいないよ。
アレがあるから政府からの多大な補助が有ることを判っているからね。
台湾の話ちがうアル 琉球侵攻の92年前の話アルヨー ロングロングタイムアイゴー・・・・ 違うw ロングロングタイムアゴー・・・・
>>926 静香ちゃんは勘弁アルよ。直系じゃないけど、思い出してしまうからヤメテ〜
928 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 18:25:51
その頃って、薩摩が琉球に貿易に来る博多商人を排除して琉和貿易を独り占めしようと 画策していた時期だね。
んとねー 妄想も含めてまとめるとね(-д-) 経営に失敗した島津ただまさの後を継いだ島津ただはるがね、尚真王に貿易許可符を持たない日本人の密貿易の取り締まり要請 ↓ 備中(岡山)の三宅和泉守国秀が琉球を鬼が島と勘違いして、桃太郎ばりに勇んで出陣!!↓ 島津忠隆がこりゃ貿易の利が無くなると焦り幕府に桃太郎討伐を要請 ↓ ちぎっては投げ ちぎっては投げの最強の名をいかん無く発揮する島津軍 利益を保守します ↓ 結果、難を逃れた琉球は建善寺の僧侶を島津に派遣してアンガトねってお礼 ↓ だいたいこんな感じ? 詳しい人修正ヨロポコ
930 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 18:47:02
>>923 明治政府の口実は日本人(宮古島民)が殺されたのを理由に台湾出兵
しかし、沖縄人が帝国臣民、つまり日本人になったのは日清戦争終結
から4年後の1899年の旧国籍法を制定したことにともなう
それまでは沖縄人は帝国臣民・日本人ではなかったのである
931 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 19:07:37
>>929 全然琉球には関係ない話じゃん(笑笑笑)
和内部の内輪もめでしょ。
でも琉球は使者を派遣してるさ? 当事の国際情勢みたいなもんだからゼンゼン関係ないって言えないはずよ?
933 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 20:33:35
>>906 アイヌ人と沖縄人(特に宮古人)との間にGm遺伝子の差がほとんどなく、
この両者と本土人との間には若干の差がある、という事実については?
934 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 20:37:04
935 :
934 :2007/04/25(水) 20:39:14
936 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 20:40:12
>>930 国籍の上で日本人でなくても日本帝国には属しただろう。
例の生蛮による琉球人殺害事件/日本の台湾出兵の結末は、
清国が殺害への賠償金を支払うことによって事実上、沖縄が
日本に属することを認めた。
937 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 22:10:32
938 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 22:29:35
>>938 韓国にも1%あるでねぇかw
中国も胡散臭いが、隠してる可能性があるなw
940 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 00:28:27
琉球処分は明治政府が軍隊を派遣琉球側の意思を無視しての一方的併合 琉球の帰属は日清戦争まで決着が付いていなかった 日本側の先島分割案に対し中国は応じず日清戦争に突入した 戦争の後、日本が台湾を割譲したこともあり琉球帰属問題は消滅した 歴史的に中国は琉球を分断したことも軍隊を派遣して戦場にした事もない 日本はいう必要ないだろう このことは後々の歴史に影響することは間違いない 沖縄の帰属が浮かび上がるのは大戦末期に米国が琉球住民の日本からの 解放と独立を大義名分に占領したが日本政府の返還要求と琉球住民の 主席選挙の結果を組んで米国は沖縄を返還した しかし、琉球の帰属が完全決着したわけではない 沖縄米軍基地は沖縄が独立によって解決する仕掛けになっている また、日本本土の米軍基地も沖縄の基地解決に左右される仕掛けになっている 沖縄は米国と中国からみれば日本へのペナルティーでしかない 沖縄を日本が保有することは米中にとって優位な立場にある 沖縄に資金が投入されることは米中にとって痛くも痒くもない 沖縄が独立するまで日本に領有して欲しいというのが両大国の本音だろう
941 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 01:10:47
>>940 そう言う思想はこの間の知事選で1%も支持されなかったな(笑笑笑)
琉球人は支那と組むことは無いよ。
なるほど、 ということはしかるべき人を沖縄に呼び戻し再び王位についていただいて 琉球王国を復活させアメリカと独自に安全保障条約を結ぶ。 こうすればすべて解決なんですかね? そんな単純な話ではない?
943 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 01:32:54
民主主義が定着した国で王制や共産主義ができるわけないでしょ。
>>942 そんな事言ってる人が最低二名ほど居ますが、ネタの域を出ませんねぇ。
一応、王家が残ってくれてるのは嬉しいのですが、これほど難治の邦を任せるのは気の毒だなぁという感じです。
県民が自助努力でどうにかするしかないでしょう。
まぁ、今は亡きお婆は、大和世よりアメリカ世だと言ってたので、高齢者はそう考える人も捜せば居るかも知れませんね。
945 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 01:40:45
>>944 ,
>>944 は現中国政権の意志だよ。
沖縄の日本帰属に疑義=戦後の返還、根拠欠く−中国紙
【北京1日時事】中国の国際問題専門誌・世界知識の最新号は、沖縄の日本帰属をめぐる歴史的経緯を紹介した専門家の論文を掲載。この中で、「戦後の日本による米国からの琉球接収は国際法上の根拠を欠き、その地位は未確定のままだ」と主張した。
中国のメディアに沖縄の日本帰属に疑問を呈する論文が登場するのは異例。中国は沖縄県尖閣諸島(中国名・釣魚島)の領有権などを日本と争っている。日本側主張の基礎となる沖縄の帰属についても問題点を指摘し、日本側を揺さぶることが狙いとみられる。
(時事通信) - 05年8月1日19時1分更新
>>945 いや、その二名は工作員じゃないよ。
リーマン辞めて、政治運動が趣味になった方々さ。根は良さそうな人達だよ。
たまに居るだろ?羽柴秀吉とか、、、
ネタにマジレスは何とやら、さ。按司家の人なら猶更言わないさ。
もうダメポッポ>< 結局こうなるんだね 意見の食い違いで熱くなるのはいいけどさ・・・ ただね・・・ 三山は無かったかもしれないよーとか、尚氏はモンゴル出自かもしれないよーとかそんな話を聞いていたかったやっさ 2チャンは皆のセンスを楽しむ場所だったらいいなと(-д-) 工作員とやらの妄想で本当に日本が分断されるとでも? まぁスレチに対する愚痴なんだろーけど てか2ちゃんってなんで1000になると書き込めないの? そろそろ1000に近付くけど、また皆さん何処かてお会いしましょ(^O^) あと独立党のおじさん? 本当にそれを訴えたいならこんな特定の人しか見ないとこで頑張ってないで、パレット前でチラシでも配ってたほうがマシと思うけどなあ(´A`)
>>947 >尚氏はモンゴル出自かもしれないよーとかそんな話を聞いていたかったやっさ
やんなー。わんも聞いていたかったやっさぁ。
んじちゃ〜びら。
>>947 そうだねぇ、こういう感覚が分からないから、民間レベルでもフィリピン統治に失敗したんだろうなぁ。
本土の猜疑心も、ほどほどにしないといかんよな。
950 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 12:32:02
951 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 13:17:56
>>940 >琉球の帰属は日清戦争まで決着が付いていなかった
そんなことはない。日清講和条約で、沖縄の帰属など問題になっていない。
952 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 14:26:47
>>951 だから、日清戦争後は琉球の帰属問題は消滅したといっている
つまり、琉球は日本が清国から割譲した領土ではなく、武力を持たない
琉球に明治政府が軍隊を派遣、有無をいわせず一方的に琉球併合したということ
琉球の保護者たる清国は日清戦争後、日本に琉球帰属問題を持ち出すことは無くなった
そういうこと
しかし、米国がこの事態を許すわけが無い。米国側は「日本が台湾を
欲しがるならくれてやればいい。何れ取り返せばそれですむ」と助言したという
沖縄については大戦時の沖縄占領の大義名分が「琉球住民の日本帝国からの
開放と独立」である
2000年沖縄サミットでクリントン大統領の沖縄の独立は何れ来ることを暗に示す
メッセージを摩文仁が丘の平和公園でしている
953 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 14:46:32
>>951 もう一ついうと
歴史的に中国は琉球を分断したことも軍隊を派遣して戦場にした事もない
日本は琉球の分断と先島分割案を清国に示したが
清国は琉球側の嘆願で日本の先島分割案を受け入れなかった
このことは後々の歴史に影響することは間違いない
954 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 15:33:11
>>952-953 誰もそんなこと気にしないよ。
今の沖縄は今の沖縄人が統治しているからね。
第一清朝は滅びて存在しない、今は中共の支配下にある。
満州独立を言いたいのかね?
955 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 15:46:51
>>954 じゃ、「清国」の固有名詞を訂正して「中国」ということで
満州は今は「中国東北部」と呼んでいるらしい
満州独立はありえない
少数民族の満州族が中国を支配した時点で満州も中国に組み込まれた
琉球民族を開放したは、そりゃぁ、メリケンの国家戦略だがよ、搾り取るもんがあるうちは 動き出さん。
957 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 17:07:12
>>955 ちゃんと支那を抛棄して満州で建国しているじゃん。
満州の帰属はまだ決まってないだろ。
中共政府が支配しているだけでしょ。
一度も満州人の意向を聞いてないよ。
958 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 19:08:06
>>952 >だから、日清戦争後は琉球の帰属問題は消滅したといっている
日清戦争のはるか以前に帰属問題が消滅したから、日清講和条約では
触れられなかったのだ。
959 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 19:44:50
>>958 >日清戦争のはるか以前に帰属問題が消滅したから、日清講和条約では
触れられなかったのだ。
そういう解釈でけっこう
ただ、米国が沖縄に軍を駐留させている以上沖縄は何れ独立する
米中にとって大戦時の賠償金を取っていない以上は別な形で日本に資金を
出してもらうしかない。それが沖縄であり米軍駐留関係費でありODA等である
米中にとって沖縄の独立が長引くのは悪い事ではない
むしろ対日関係では優位に立てるということだろう
960 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 21:54:19
琉球人が望んでいないのにどうして独立するの。 無理矢理離縁させるってか(笑笑笑)、支那らしい発想だな。 この間の知事選で明確に示されたでしょ。 独立支持は1%にもならない事が。
961 :
日本@名無史さん :2007/04/27(金) 00:32:14
>>960 君はまだ子どもだね
あのねー政治というのはそんな単純なものではない
35年前に沖縄は日本に返還されたわかる。そこには一つの何年かに渡る運動があって
その沖縄住民の意思表示を問う選挙が行われその結果をみて米国大統領は判断したわけだ
それだけではない日本の首相が何回か米国を訪問して極めて東洋的な儀礼様式・方式で沖縄の返還を
米国大統領に願った。そういうこと
沖縄の独立もそういう住民運動が起こるときがくるその時に住民の意思表示
を何らかの選挙でとうことになるであろう
そういや琉球独立党が復帰直前の参院選に立った時、子ども(中高校生)は
今更馬鹿馬鹿しいといっていた
しかし、大人は「偉いよ」との評価であった。
ぼうや、この沖縄の大人の「偉いよ」の意味が分かるかね
そういうこと沖縄返還も商業を営むものや沖縄の保守は反対・慎重の立場だった
いずれ、独立の時期がくれば沖縄返還前のような動きになるだろう
ま〜子どもには理解できないかもしれないが
962 :
日本@名無史さん :2007/04/27(金) 00:40:06
沖縄返還前日本本土は盛り上がらず冷めた反応だった 感情的には沖縄の返還は反対だっただろう。しかし、反対の動きはなかった そこで、本土世論の反応に対して上手いタイミングででたのが尖閣油田 と本土米軍基地の大幅返還 そうやって、日本政府や米国政府は日本国民をなだめたりすかしたりしたわけだ
963 :
日本@名無史さん :2007/04/27(金) 00:50:56
更にいえば 「糸を売って縄を買った」と皮肉られた日米繊維交渉というのもあった そんな単純なものではないのだよワカル? 日本は米国に外交交渉ではやられっぱなし ほんと、アメリカは外交・交渉は強かな国である まだまだ出てくるだろう。例の400万ドル肩代わりというのもあった 日本は沖縄を抱えていると米国にやられっぱなしそういうこと 過去が過去だからしょうがないがね
964 :
日本@名無史さん :2007/04/27(金) 01:07:33
しかし、米国の怖さは知るべきだろう 日本が沖縄をいじめたら米国が出てくるそういうこと
そいうことじゃないんだよw 国家の中心性に付込まれてんのw
966 :
日本@名無史さん :2007/04/27(金) 09:48:53
>>965 >国家の中心性に付込まれてんの
それは米軍基地のある沖縄には関係ないこと
海兵隊の移転費は結局3兆円前後かかるらしい
他の基地も同じように計算したらいくらかかると思う
だから沖縄が独立すればもっと安く付く
沖縄が独立すれば日本は楽になる
しかし、そうはいかないということさ
簡単には楽にさせてくれないだろう
もっと時間をかける
967 :
日本@名無史さん :2007/04/27(金) 10:11:54
沖縄が真の意味で日本からもアメリカからも独立したならば、その瞬間に 中国は歴史問題を持ち出して、台湾と同様に併合にかかるだろう。 その方が沖縄にとって望ましいという意味かな。
968 :
日本@名無史さん :2007/04/27(金) 10:32:42
>>967 それは子どもじみた発想 中国が台湾と沖縄を併合は台湾と沖縄の住民が了解すればありうる 沖縄人にとって日本は息苦しい国だろう 戦前は日本は「うとぅる国(怖い国)」でものも言えなかったという それに対し戦後は米軍の悪口は言いたい放題 この違いは大きい 中国も悪口の言いたい放題は許すだろう しかし、中国は沖縄は併合しない なぜか琉球は元々独立国 中国は日本のように沖縄に軍を派遣して併合した事もなければ 戦場にした事もない それ以上いう必要は無いだろう
969 :
日本@名無史さん :2007/04/27(金) 11:03:25
日本と沖縄をつなぐもの。 それは『お金』 日本復帰運動も米国が援助を削減、日本に肩代わりを要求 米国の意向で沖縄は復帰運動 つまり、日本復帰も『お金』 当時の本土側の反応が予想できる しかし、本土側は反対できる立場にない過去があった
970 :
日本@名無史さん :
2007/04/27(金) 11:29:20 >>961 あはは、琉球政府発行のビザを持って沖縄に修学旅行に行った世代だよ。
坊や。