【初心者】スレッド立てる前に質問をPart10【歓迎】

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553日本@名無史さん
文学板から来ました。質問です。

1983年度の東大入試問題――。
「なぜ平安末、鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか。
ほかの時代ではなく、どうしてこの時代にこのような現象が起こったのか。
歴史の流れを総合的に考え、自由な立場から各自の見解を240〜390字で述べよ」

以下はこれに答えたものです。
誤り、追加事項などありましたら教えていただけませんでしょうか。

「百済から伝えられ隋、唐の影響を受けながら貴族を中心に浸透した日本仏教は、
平安末期、中国からの影響が薄れ、蔓延する末法思想の中、
天台宗内で日本独自の信仰世界を形成するにいたる。
その成熟した教義は民衆にも理解しやすい専修念仏といった易業として結実する。
折しも貴族政治から初めての武家政権へと移行する過程での戦乱、社会不安の中、
厳しい現実と向き合う民衆は救いとなる新しい教えを渇望していた。
加えて、古くは私度僧、平安期には聖(ひじり)と呼ばれる
非公認の僧侶が諸国遍歴を継続していた。
そのため信仰母体の土壌が成立していたことも、
新宗教家の登場を歓迎する前提として好都合だった。」 (300字くらいです)
554日本@名無史さん:05/02/20 17:00:35
>>549
>>523を参照されたし。
555日本@名無史さん:05/02/20 17:36:44
>>554
大納言以下はともかく、武家の大臣は徳川以外にいないだろう。
556日本@名無史さん:05/02/20 22:13:57
>>555
源実朝は左大臣、足利義満は太政大臣、徳川将軍の指定ポストは内大臣
じゃかなったっけ?
557日本@名無史さん:05/02/20 22:49:30
>>556
このお題目は江戸時代限定の話なの。
>>513参照。
558日本@名無史さん:05/02/20 22:58:55
>徳川将軍の指定ポストは内大臣
>じゃかなったっけ?
これは違う。
例えば家康・秀忠は太政大臣になっているし、家光も左大臣になっている。
559日本@名無史さん:05/02/20 23:33:10
徳川家の歴代将軍を教えて下さい。お願いします
560日本@名無史さん:05/02/20 23:34:20
インターネット検索
Google  http://www.google.co.jp/
561タダシイ反応例:05/02/21 01:28:07
>>559
宿題は自分で汁!
562559:05/02/21 03:00:50
560 ありがとうございます
561 宿題じゃ ないです… パソコンが壊れてて 携帯でも 見れる検索先がわからなくて… 周りに聞いても みんなわからないと言うので 歴史に詳しそうな 皆さんに教えて頂こうと…
563日本@名無史さん:05/02/21 11:21:05
>>559
日正社の「日本史小典」という手帳サイズの資料があるが、これは便利。
ぐぐったら、4版(1997)でまだあるようだ。出かけるときは、電車の中で
見ていても、退屈しない。
564日本@名無史さん:05/02/21 11:58:33
初代 家康
二代 秀忠
三代 家光
四代 家綱 
五代 綱吉
六代 家宣
七代 家継
八代 吉宗
九代 家重
十代 家治
十一代 家斉
十二代 家慶
十三代 家定
十四代 家茂
十五代 慶喜
565日本@名無史さん:05/02/21 12:42:44
>>556
そもそも実朝は右大臣だし…。
566日本@名無史さん:05/02/21 18:34:49
鳥羽院政の時代に荘園公領制が確立したと聞いたのですが、
このとき武家(武士の棟梁)は国に税?をはらっていたのですか。
もしそうでなければ、国の財源がかなり減っているとおもうのですが。(貴族が地方から収入を得ているのは別で)
567日本@名無史さん:05/02/21 21:34:05
室町幕府が、足利成氏の関東公方就任を認めた理由はなんですか?
実際彼は後に幕府に逆らって、関東管領を殺害しましたよね?
568日本@名無史さん:05/02/21 23:17:22
私は、小田原市に住んでいて家紋も三つ鱗で名字が北条なのですが
あの後北条氏と関係があると見てもいいのでしょうか?
特にそうだと伝わってはいませんが。
ちなみに名字は、税金を沢山納めていたとかで江戸時代から特別に許可されていました
569日本@名無史さん:05/02/22 00:05:23
>>88封神のつづき
天尊、真人、太上なんかの他に、天子ってのも出てきた
封神に出てくる仙人ってのが道教で、そっから神道にいったってこと?
700年30代続いた殷ってあったけど同時代の日本だと700年じゃ7代ぐらい?
570日本@名無史さん:05/02/22 03:39:03
564さん ありがとうございます。すごく嬉しいです。
571日本@名無史さん:05/02/22 03:43:08
563さん ありがとうございます。興味深いので買ってみますね
572日本@名無史さん:05/02/22 21:18:43
土佐の安芸ですが、地名が先なのか安芸氏が先なのかどちらなんでしょうか。
573日本@名無史さん:05/02/23 22:14:55
質問です。
北の政所は諸将に家康側につくよう諭し、家康も北の政所と懇意だったようですが、
後に、家康が秀吉の墓をめちゃめちゃに打ち壊したとき、北の政所はどんな気分だったのでしょうか?
574日本@名無史さん:05/02/23 23:04:59
質問です。
「徳川ナイフ」というナイフがあるのを聞いて、ナイフショップを訪ねてみたんですが
「そんなものはない」と言われてしまいました。
一体何処へ行けば徳川ナイフは売っているのでしょうか?
575日本@名無史さん:05/02/24 03:32:00
>>574
今度から、まず友達に話してウケたら書き込もうね。
576日本@名無史さん:05/02/24 08:58:35
最初なんだろうと思ったけど、わかってワロタ
徳川内府ねww
577日本@名無史さん:05/02/24 11:22:11
>>573
『北政所』(中公新書)を読んでみましょう
ねね様の晩年の下りが、諸史料を駆使して書かれておりますので
わりと心情に迫っているのではないかと思われ
578日本@名無史さん:05/02/24 21:05:11
今川了俊が関東公方と組んでいたというのは、本当なんでしょうか?
579日本@名無史さん:05/02/25 03:13:01
現在において「源氏の長者」っているのでしょうか?
あと、清和源氏の宗家って面々と続いているのでしょうか?
580日本@名無史さん:05/02/25 03:28:16
応永の乱のとき?
581日本@名無史さん:05/02/25 04:29:40
蒲生郷舎は実在したのでしょうか?教えてください。
582日本@名無史さん:05/02/25 10:29:46
>>579
清和源氏の宗家は源実朝で断絶しただろ。
583日本@名無史さん:05/02/25 10:53:40
「女郎」の読み方の「いらつめ」と「いつらめ」は違うのでしょうか?
どちらかの読み方が間違っているのでしょうか?
584日本@名無史さん:05/02/25 11:13:05
源氏長者って足利義満に奪われるまでは村上源氏嫡流の久我家が有してた
はず…
585日本@名無史さん:05/02/25 11:47:02
そやね。で、最後は徳川慶喜からその久我氏に一旦返されたんだっけ、源氏長者。
586日本@名無史さん:05/02/25 15:28:20
仏教で、人間が死ぬと虚空に帰すると、説いているのはどの流派でしょうか?
587日本@名無史さん:05/02/25 15:34:50
いらつめ【郎女】
588日本@名無史さん:05/02/25 15:39:16
>>587
若い女性を親しんで言う語

男は、いらつこ
589日本@名無史さん:05/02/25 17:40:59
>>584
厳密に言えば、最初は嵯峨源氏の源信(応天門の変のときの左大臣)だし、
村上源氏でも後醍醐天皇の時に分家の北畠親房が長者に抜擢された例がある。
590日本@名無史さん:05/02/25 18:41:58
明治時代とかに爵位とかを貰ってたのはどんな人達?
仕事的には何をしてたんでしょう?
没落の主な要因はどんなものでしょう?

あと、現在でも○○邸とかの洋館が残ってる地域とか
ご存知でしたら教えて下さい。
591日本@名無史さん:05/02/25 20:00:06
>>590
旧藩主・公家・維新に貢献したもの・後に国に貢献した者
素晴らしい軍功があったもの・功績を上げた博士や、日本銀行の頭取など。

華族は貴族院議員に入れたり、国から金をもらったり爵位に応じて色々できた。
つーか検索すれば簡単に出てくるが
592日本@名無史さん:05/02/26 00:09:51
仏教で、極楽とか輪廻とかを目指さない、死んだらそれまで的な宗派はどれですか?
593日本@名無史さん:05/02/26 00:28:52
明治に国民全員が名字をつけることを義務化される前、庄屋(関東では名主だっけか?)は村のリーダーですが、
その村のトップでさえ、明治になるまでは名字が無かったんですか?あと家紋は名字が名乗れない身分でも
もつことができたのでしょうか?
594日本@名無史さん:05/02/26 00:39:20
>>593
江戸時代、百姓でも公言できないだけで名字も家紋を持っていた
終了
595日本@名無史さん:05/02/26 00:55:11
2.26将校の歌っていた、べきらのうんたら作詞作曲した人は誰ですか?
596日本@名無史さん:05/02/26 01:00:32
三上卓
597579:05/02/26 12:42:11
>>582
はい、それは知っていたんですが、直系の血は途絶えても、宗家は、
どこかが継いでいるのかな?と思っていました。

>>584,585,589
ありがとうございました。ハッキリしているのは徳川慶喜が最後で
久我氏に返されたけど、その後社会が大きく変わったので、
今は無いと言う事でよろしいでしょうか?
598日本@名無史さん:05/02/26 12:46:00
ない
599579:05/02/26 13:06:14
ありがとうございました。
スッキリしますた。
600日本@名無史さん:05/02/26 15:54:55
デウスとゼウスの関連性を教えてください。
601日本@名無史さん:05/02/26 17:38:53
>>600
両者に関連性はない。

「でうす」という言葉は、16世紀日本にやってきたキリスト教の
宣教師たちが、日本における「神」が八百万もいることを知り、
それと同一視されることを嫌って、ラテン語をそのまま
「でうす」と日本語の音で読んだもの。

ちなみに、「神の愛」という言葉も、「愛」が仏教では
人の解脱をさまたげる、執着の一つであることから、
仏教徒から、「きさまの神は、愛あるゆえに解脱ができない。
よって、仏教の方が優れている」といわれたため、
「でうすの御大切」という造語で宣教師は対応している。
602日本@名無史さん:05/02/26 19:01:49
>>597
源太の産着に源太の鎧兜に源太の太刀を伝えているとか?
鎧や太刀ならともかく、産着なんか腐ってるんじゃないですかね。
良く知らないですけどね。
603日本@名無史さん:05/02/26 19:16:53
佐原真って何と読むのですか?シン?マコト?
ググっても両方出てくる場合が。
604日本@名無史さん:05/02/26 19:30:15
仏教の質問をしたものです・・・
ないんですかね・・
山野さん、ひとつ頼みます!
605日本@名無史さん:05/02/26 19:44:12
>>600
ゼウスはギリシャ神話の神でキリスト教以前からのもの。
606日本@名無史さん:05/02/26 19:50:40
>>592
禅宗
607日本@名無史さん:05/02/26 20:05:03
>>604
何か知ってて書いてるような気がするんですけどねえ。
数日前のNHKクローズアップ現代で「而今」なんて言ってたし。
608日本@名無史さん:05/02/26 20:07:57
>>605
ラテン語の聖書にはDeusと出てくると思うが。
609日本@名無史さん:05/02/26 21:16:01
真田信繁を真田幸村と書いてある本が多いのはなぜですか?
610山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/02/26 22:09:35
>>602
>源太の産着
大鎧の名称であった筈ですが。源氏全体というよりは、頼義系のものでは。
実際にそんな大層なものを頼朝に伝えたという話も怪しい。
>604
>死んだらそれまで的な宗派
漠然とし過ぎている上に、質問の意図・目的がはっきりしません。
611日本@名無史さん:05/02/26 22:33:50
こちらの住人さんにお尋ねします。
●○源氏とか平氏ってのは元皇族の氏族ですよね?
彼らってそんなに血縁が強い訳ではないのに
史上でなぜまとめて扱われるのでしょうか。
それ以前から「氏」制度自体にどういう精神的根拠が背景にあったのでしょう・・・
勘違いがありましたら合わせてお願いします。

612日本@名無史さん:05/02/27 00:51:33
仏教の質問は要するに極楽往生とか、輪廻転生を説かない、
死すれば虚空のもとに、という思想(教義)のものを訊きたいだけだろ?

コテならそのくらい読み取ってやれ。初心者スレだろ。
だから山野は(ry
613山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/02/27 01:08:39
しかし、禅宗でもそれには当て嵌まりませんよ。「分らない」と言った僧侶
はいますが、それが一般的な答えという訳ではない。
そもそも、目的がはっきりせず、背景まで解説出来ないのでは返答の仕様
がありません。そこまでお求めでないのなら、一般書籍をお奨めするしか。
614日本@名無史さん:05/02/27 01:12:30

某板のコテが名無しで(結果的に)荒らすから山野はこの板にこないんだろ。

まぁ漏れ的にはどうでも良いことだが>>612は>>371->>379を見レ。
山野が変に警戒している事情が分かるから。
615日本@名無史さん:05/02/27 01:16:03
ふーん。
それじゃあ変わりに訊きます。
仏教で、来世だとか輪廻に頼らない宗派を教えてください。
目的は、あまりにも釈尊以来の教えから逸脱している「仏教」が多いと思うから。
素直に「死んだらわからない」「虚空」とか言ってることの思想背景を知りたいから。

よろしく
616614:05/02/27 01:16:03
自爆しちまったw
何か言わないと気のすまない人だね>>613




617山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/02/27 01:17:35
別に質問者を責めている訳ではありませんので、その点はご理解下さい。
618某スレの某コテ:05/02/27 01:27:33
すいません。気に入らない質問者(回答者も含む)は容赦なく叩きまつ。
619日本@名無史さん:05/02/27 01:31:24
↑史んでろボケ
620日本@名無史さん:05/02/27 02:32:09
>>610
おおっと、そうでしたっけ。鎧ならそう易々とは腐らないですな。
621日本@名無史さん:05/02/27 04:33:50
高1のものですが…3月3日に日本史の期末試験があります。毎回必ず10点分ほど「時事問題」がでるんです。一つは京都議定書をだすってもうゆわれてるんですが…ほかに何がでそうか予想していただけないでしょうか??(>_<)
622山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/02/27 10:18:06
>>615
すみませんが、日本史の範疇を超えてしまうものと思われます。
「逸脱」の定義がはっきりしませんが、釈迦の神格化などの「逸脱」は既に
インドで始まっていた事ですし。本来死後については「無記」でしたが。
『原始仏典』というそのものずばりの本が筑摩書房から出ております。
故中村元先生らによってまとめられたものですが、あの辺りからご覧に
なって下さい。一年や二年では片付くテーマではなさそうです。

>621
経済、北朝鮮、イラク問題が思い浮かびますが。
しかし、あなたの先生ではありませんので、保証は出来ません。
623日本@名無史さん:05/02/27 11:34:26
関東大震災で死んだ華族っているんですか?
624日本@名無史さん:05/02/27 12:17:07
山野サン、ありがとうございました!!!もう一つ聞きたいのですが最近発見された遺跡とか以前からある、遺跡から何かが出土したとかっていうニュースはありませんか??
625579:05/02/27 13:58:18
それでは源太の太刀は現存するのでしょうか?
626日本@名無史さん:05/02/27 16:44:49
満州国のハルビンはどうしてカタカナ表記が主流なんですか?
627日本@名無史さん:05/02/27 16:56:03
漢字が難しいから
628日本@名無史さん:05/02/27 18:03:53
>>625
「源氏と日本国王」(講談社現代新書)読んだほうがいいですよ。
多分、そこそこの本屋ならあると思うし。

源氏長者=武家の棟梁でも征夷大将軍でもありません。

源氏長者と、清和源氏諸家に代々伝わる太刀や鎧なども全然関係ありません。
629日本@名無史さん:05/02/27 20:04:20
落ち武者伝説が平家ものばかり(それ以外あるんでしょうか?)なのな何故でしょう?

負け戦での落ち武者なんて沢山いるだろうに。
630日本@名無史さん:05/02/27 21:16:17
>>623
華族どころか皇族も数名亡くなっています。
631日本@名無史さん:05/02/28 00:19:55
江戸時代には浪人が武士の身分を捨てて町人になる人がいたとは聞きますが、
逆に三代、四代と代々浪人を続けていく家もあったのでしょうか?
632山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/02/28 00:40:12
>>629
元々辺鄙な土地に住んでいた人々が、自尊心のために名乗った。
乱暴な言い方をすれば、平家伝説の大半はこうして生れたものです。
おそらく、『平家物語』の伝播が一役かっていたのでしょう。
633日本@名無史さん:05/02/28 09:50:58
尼子の落ち武者は有名。
634日本@名無史さん:05/02/28 13:08:06
平は平でも将門一族とか、木曾源氏とか、南朝とか、
635日本@名無史さん:05/02/28 17:51:28
>>623
>>630
丁度、まだ9/1で震源地近くの湘南海岸一帯でバカンスをされていた方々の犠牲も大きかったようです。
636日本@名無史さん:05/03/01 00:21:20
あの611なのですがいっこうに解決してません。
他を当った方がよろしいでしょうか。
637日本@名無史さん:05/03/01 00:30:20
>>636
> 史上でなぜまとめて扱われるのでしょうか。
良く知らないですが、いずれも、全国各地の土地を領地として割り振られたせいで、
広く散らばっていたのがポイントでは? で、源氏のほうがあとで割り振られたせ
いで、平家よりも物なりの悪い土地しかあてがわれなかったとかいいますね。
638日本@名無史さん:05/03/01 00:39:11
(´-`).。o○(どこかの馬鹿が“源平藤橘”と、したり顔で触れ回るからじゃないのかなぁ
639日本@名無史さん:05/03/01 08:42:35
「特選ケーキ」なるものが静岡で売ってるらしいのですが、どこで売ってるか尻ませんか?
640日本@名無史さん:05/03/01 22:27:29
日本の経済史勉強したいんですが、基本として読んでおくべき書籍教えて下さい。
641日本@名無史さん:05/03/01 22:57:44
>>640
日本経済史と言っても、
時代やテーマによってお薦めの本がいっぱいあるのですが。。。
最低限、時代位は書いていただかないと答えようがありません。
642640:05/03/01 23:03:10
>>641
すみません
幕末から大正ぐらいまででお願いしますm(_ _)m
643日本@名無史さん:05/03/01 23:44:05
その時代の庶民の生活(服、食物、その他風俗など)が分かるサイト教えてください。
644日本@名無史さん:05/03/01 23:50:15
テーマは?
農村経済とか流通とか・・・
645日本@名無史さん:05/03/02 00:04:00
>>644
素人なので細かいジャンルは分からないのですが、貿易とか、国内の産業構造の変化
とかです。
646日本@名無史さん:05/03/02 03:30:01
知識が曖昧でクグってもよくわからないので質問します。
ポーランド分割の際にロシアに捕まってカムチャッカに抑留され、のちに脱出
して日本に漂着し、ロシアの南下を江戸幕府に警告したポーランド人って名前は
ペニョフスキーでしたっけ?
あと、これって明和8年で良いのでしょうか?
647日本@名無史さん:05/03/02 07:54:50
江戸時代、「藩」という名称は一般的に使われていなかったと聞くのですが
その際、どういう風に呼称されていたのでしょうか?
1ヶ国の国持ち大名、2ヶ国以上の国持ち大名、1ヶ国の1地域領有の大名、2ヶ国以上にまたがる地域領有の大名の場合など・・・・
648日本@名無史さん:05/03/02 09:26:46
>>647

松平大膳大夫領分などと称える
649日本@名無史さん:05/03/02 09:56:12
すみません、太平洋戦争中の陸軍と海軍の人数は
最も多いときでどのくらいでしょうか?

ググりましたが見つかりませんでした。
650日本@名無史さん:05/03/02 10:50:11
> 965 名前: quarante-deux 投稿日: 05/02/26 14:29:53 ID:7HmOcg/7
> >>961
> ええ、たぶんそうするでしょうね。それに対して日本はたぶん
> 何もできない。戦争の補償問題が片付いてないからブロック化も
> 難しいし。「新しい教科書」なんて教育現場で使ってる場合じゃ
> ないんだけどね。国益に反してるw
>
> 中国が築くであろう元経済圏でそれなりの地位を占められれば、と
> いうことでしょうね。古代と同じで属国化するのも可かと。

某スレで見つけた物なんですが
前半の方はともかくとしてw
後半の
「古代と同じで属国化するのも」
というのは
「古代日本は中国の属国」という認識だと思われます。

古代日本が隋や唐などの属国だという話は
現在では学会の主流説なのでしょうか?


651日本@名無史さん:05/03/02 10:52:28
>>645
『新体系日本史 流通経済史』(山川出版社)が最新の研究成果に基づいています。
そこに文献一覧もあるので参考になります。

あとは、
『日本経済史 近代成長の胎動』
『日本経済史 開港と維新』(いずれも岩波書店)
石井寛治『日本流通史』(有斐閣)
『日本経済史〈1〉 幕末維新期』(東京大学出版会)
くらいでしょうか。
652日本@名無史さん:05/03/02 10:53:59
>>650
Noです。
変な歴史観に固まっている人のレスは無視してね
653日本@名無史さん:05/03/02 10:57:59
高師直の一族は、室町に出仕しなかったんでしょうか?
654日本@名無史さん:05/03/02 11:21:16
>>651
ありがとうございますm(_ _)m
早速探して読んでみます。
655日本@名無史さん:05/03/02 13:33:07
>>650
属国ではありませんでしたが、朝貢国でした
656日本@名無史さん:05/03/02 14:32:21
>>655
属国と朝貢国の違いは年号・暦を中国に従うか、それ以外のものを使うかの差。
657日本@名無史さん:05/03/02 17:30:06
質問です。
父は昭和16年の9月に生まれたのですが「俺は防空壕の中で産まれた」と言います。
そのうえ「親父は母さんが妊娠してるのをしらずに戦争に行ったので終戦後に俺を見て驚いた」
とも言っていますが太平洋戦争は16年の12月に始まったのですよね?
開戦の1年以上も前から兵隊は集められていたのでしょうか?
それとも父の記憶が間違っているのでしょうか?
658日本@名無史さん:05/03/02 17:40:06
日中戦争じゃねーのか
659日本@名無史さん:05/03/02 18:37:27

学問上、ワニ博士は実在したという事になっているのでしょうか?
地元にあるワニの墓についてネットで調べていると、どうもよくわかりません。
墓は捏造されたもので間違いないようですが、ワニ自体は学問上どうなっているのでしょうか?
660日本@名無史さん:05/03/02 19:42:08
>>657
陸軍は対ソ戦準備として16年7月の関東軍特別演習(関特演)で準動員体制
へ移行しています。この兵力が後に太平洋戦争準備のために南方へ展開して
いきます。普通、召集してから新兵訓練の終了まで少なくとも三ヶ月ですから、
7月の関特演に間に合わせるために召集されたなら>657さんのお父さんの召集
時期は遅くても4月ごろ。もっと早い場合もあるでしょうからそんなにおかしくないと
思います。
661日本@名無史さん:05/03/02 19:47:41
>>660
× >657さんのお父さん
○ >657さんのお祖父さん

大変失礼しました。
(どちらかというと軍事板ならもっと詳しいかも)
662650:05/03/02 23:06:15
>>652
>>655-656
ご回答ありがとうございました
663日本@名無史さん:05/03/03 03:54:06
>>637
その辺の事情は最早よく分からないのでしょうかね。
土地のあからさまな優劣があったのですか。。。
お答えありがとうございました。
質問したもう一方はいかがでしょう。
大和政権以降、氏姓という考え方がどうして社会的同意を得ることが出来たのか。


664日本@名無史さん:05/03/03 04:47:11
>>660
返答ありがとうございます。
本人に聞いても「産まれた時の事は覚えてないけど俺はそう聞いた」
という言葉で会話は終わってしまいました。
まんざらホラでもないようですね。
665日本@名無史さん:05/03/03 18:58:41
江戸時代の鎌倉付近って直轄領?それとも旗本領?
時期によって変化があったのかもしれませんが…
666日本@名無史さん:05/03/03 22:28:05
>665
関東御料だったのでは?
667日本@名無史さん:05/03/04 00:16:20
>>647
「藩」を大名領を表す正式な名称にしたのは実は明治新政府。
戦国大名の系譜を引くような一部の大大名を除けば、当時の大名領・旗本領
なんてあっちこっちに分散していて飛び地だらけのことも珍しくないから、>>648
みたいな言い方が用いられた。

>>653
観応の擾乱以降は、一族の多くは関東へ下って鎌倉府へ出仕するようになったのでは?
668日本@名無史さん:05/03/04 00:52:16
>>646ってベニョフスキーですか?
669日本@名無史さん:05/03/04 01:38:20
>>638
> (´-`).。o○(どこかの馬鹿
何それ? もうちょっとマシなことを書けない?
670日本@名無史さん:05/03/04 02:05:18
芝と書けば満足か?
671日本@名無史さん:05/03/04 02:08:06
補足しとくと、馬鹿なのは作家の書いていることを
史実だと思い込んでいる香具師のこと。満足か?>>669
672日本@名無史さん:05/03/04 02:21:17
江戸時代の大名の官位の上限を教えてください。
そういうサイトも教えていただけるとありがたいです。

前田家は権大納言とか、水戸徳川は権中納言まで、とか言う感じで。
673日本@名無史さん:05/03/04 04:34:01
>>672
ちょっと違うかも知れないけど、こんなのはどう?
http://wolfpac.press.ne.jp/
674日本@名無史さん:05/03/04 19:09:09
江戸時代に改易された大名領の全てがその後天領とならなかったのはなぜですか?
天領になると税が安くなるので領民には歓迎した人が多かったと聞きますが・・・。
675日本@名無史さん:05/03/04 20:36:59
>>672
余談だけど、前田家の極官は四位の参議。
676日本@名無史さん:05/03/04 20:37:48
前田利常は小松中納言って呼ばれてなかったっけ?
677日本@名無史さん:05/03/04 20:55:07
>>676
利常以降は参議止まり。
678日本@名無史さん:05/03/04 20:59:05
>>674

大名の配置は戦略的なもの
隣りあった藩は仮想敵であり、相互に監視・敵対していたほうが幕府に取って
都合が良い
天領・旗本領には軍事力がほとんどない(万が一の時、江戸から兵力を
出すより、親藩→外様藩というふうに攻撃させたほうが早い)
679日本@名無史さん:05/03/04 22:13:02
よく中国の歴史5000年と言われていますが、
日本の歴史は2000年くらいと考えればいいのでしょうか?

でも中国の地にも、日本の地にも、
もっと前から人が暮らしていて、狩りや衣食住の文化をもっていたので、
極端な話、旧石器時代までさかのぼると20万年の歴史になってしまって
5000年や2000年どころの歴史ではなくなりますね。

いったい何をもってして「国の始まり」というのは決められるのでしょうか?
680日本@名無史さん:05/03/05 02:04:17
江戸時代の駕籠という乗り物はひどくエネルギー効率が悪いように思います。
大八車にひとを乗せた方がずっと楽なのに、なぜそういう商売がなかったので
しょうか?
681日本@名無史さん:05/03/05 02:48:10
>>671
素直にそういえ。
682日本@名無史さん:05/03/05 05:51:36
>>674>>678
江戸中期以降だと、親藩や外様の大名の石高が変わることはあまりないけど、
幕政に参画する譜代大名・旗本の場合、その功績による加増や失政・失脚による
減封が比較的頻繁にあり得る。
天領のなかには、戦略上必然的に幕府直轄地としておかなければならない場所も
あるが、あとはそういう幕府の人事や政変に伴う加増減封のための控えとして
幕府が持っている土地という性格も含まれる。
なお、旗本の場合、譜代と外様の別が大名ほど厳格ではないため、大名ならば
確実に外様に分類されるような家柄でも幕府の役職についていることが
結構あるので、旗本領も変化が大きい。
683日本@名無史さん:05/03/05 07:47:17
>>679
戦前は、神武天皇がたってからというので、皇紀というのを唱えていた。これを
採用すると、今年は2665年になるが、神話の時代で根拠がはっきりしないので
今は言わないが、一部の人は言い張っている。
卑弥呼だ、大和朝廷だと論争があるので、いつが統一政権の誕生した時期かは
定まっていないのではないか。政府が宣言すれば済むとも言えるが、戦前の発想
からの反省で、それは(まだ?)ないのではないか。
「日本国 国の始まり」とでもして、ぐぐれば、事情がわかろう。
684日本@名無史さん:05/03/05 08:06:31
>>680
規制があったふしがある。ま、私を含めて、並の人間が考えることは昔も考えて
いた。
http://www.pcs.ne.jp/~sakura/kuruma.html
685674:05/03/05 11:43:05
>>678
>>682
ありがとうございました
686日本@名無史さん:05/03/05 13:08:21
>>684
レスありがとうございます。
でもリンク切れてます。
687日本@名無史さん:05/03/05 13:15:09
>>684
あっアドレスコピペしたらつながりました。
よくわかりました。あらためてありがとうございました。
688684:05/03/05 16:03:30
>>687
684 のアドレスをクリックしても直接は飛びませんね。失礼しました。
アドレスに打ち込めば行きます。>>皆さん

684 を書いて思い出したのですが、名神の大津SAに花崗岩を轍の幅でえぐった
石が昔の車道(?)の痕跡として展示してありますね。車を物流に使おうとして
いた人達がいた証拠でしょう。
689679:05/03/05 18:09:46
>>683
丁寧に答えていただいて、ありがとうございました。
683さんのアドバイスにしたがって、調べたり考察したりしてみました。
自分なりの個人的解釈もうまれて、なんとなくモヤモヤが晴れましたぜ。
690日本@名無史さん:05/03/05 21:18:04
>>684のリンク先は普通に見れますが。
道が荒れるというのが最大の理由でしょう。
東海道だって石畳は一部だけだし。
691日本@名無史さん:05/03/07 05:19:59
九月乙巳って何日ですか?
692日本@名無史さん:05/03/07 08:15:07
>>691

何年の?毎年違うし、乙巳がない九月もある。
『日本暦日原典』とか類書で調べなさい
693日本@名無史さん:05/03/07 12:32:36
>>692
大同4年です。
694日本@名無史さん:05/03/07 12:46:46
上杉景勝は本能寺の変時官職は何を名乗っていたのですか?
695日本@名無史さん:05/03/07 22:05:21
>>694
弾正少弼
696日本@名無史さん:05/03/07 22:30:52
有名武将の刀剣を調べたいのですが名の有るモノを教えて
ください。特に信長及び家臣周辺が知りたいです。自分で
ググってみたいと思います
697日本@名無史さん:05/03/07 22:34:45
どうぞ
698日本@名無史さん:05/03/07 23:24:13
今日、先週の「その時歴史が動いた」を見て思ったのですが、
なぜ北条氏は自ら将軍職に就かなかったのでしょうか?

権力を欲し、執権という幕府重職を作り自らその座に就いた北条氏。
二代将軍源頼家を追放し、三代将軍源実朝を暗殺し、
公暁を討ち取ったあと、北条氏に敵は居なかったのでは?
なぜ北条義時は自ら将軍職に就かなかったのでしょうか?
wikipediaの北条義時や藤原頼経の項目を読んでもイマイチわからないのですが
摂関家から傀儡将軍を迎えて、その裏で実権を握るのなら、
初めから自分が将軍になればよかったのでは???と

書きながら少ない知識で妄想するに、
鎌倉武士団でトップとは言え、所詮その他と同列の御家人。
力をあわせて幕府を支えてきたのにいきなり俺が将軍だとか言い出したら
他の御家人の賛同が得られないからかなぁ・・・・とか。

実際のところどうなんでしょう?

あと、俺こそが将軍だとか言い出した源氏の傍系とか居なかったんでしょうか?

素人の素朴な疑問、よろしくお願いします
699日本@名無史さん:05/03/08 00:35:42
神奈川県に行くと時々田舎にポツンと武家屋敷があるのですが、なんでですか?標識など見ると侍云々と書いてあるのです。
郷士や武士なら分かる気もするのですが侍って・・・
700日本@名無史さん:05/03/08 00:47:39
教えてください。
クイズ問題(問題文をあまり覚えていないのですが)で、

「『蘭学ことはじめ』を著したのは杉田玄白ですが、『蘭学○○』を著したのは誰?」

というのがあったのですが、さっぱり分かりませんでした。
どなたか解答教えていただけませんか?

※肝心の○○の部分は覚えてないのですが、最後の文字には梯か櫛みたいな木へんの漢字が使われていたと思います。
701日本@名無史さん:05/03/08 00:49:20

ご利用下さい。

学歴板 【草のみどり】中央大学総合すれ【タマでお昼寝】

http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/joke/1107019095/l50

702日本@名無史さん:05/03/08 01:21:04
>700
大槻玄沢「蘭学階梯」かな?
703日本@名無史さん:05/03/08 03:18:18
家康の通称と言えば何でしょうか?

タヌキ(たぬき、狸)、二郎三郎、蔵人

これ以外に。
704日本@名無史さん :05/03/08 04:13:52
趣味で東洋哲学を学んでいるのですが
「私有自楽」(本居宣長)ってなんと読むのでしょうか?
西洋哲学は一応学校でやったのですが、東洋哲学は独学で聞く人が居ません
ネットで調べても、読み方を併記している所は無く…
よろしくお願いします
705日本@名無史さん:05/03/08 14:09:01
>703
ナイフ
706日本@名無史さん:05/03/08 14:34:01
>>703
江戸時代だと、権現様とか
707日本@名無史さん:05/03/08 15:16:29
うんこもらし。
708日本@名無史さん:05/03/08 16:16:25
>>703
竹千代
>>704
そのまま嫁
709日本@名無史さん:05/03/08 19:51:37
元康
710日本@名無史さん:05/03/08 22:16:18
雑兵物語を詳しく解説しているサイトってご存知ですか?
711700:05/03/08 23:03:29
>>702
どうもありがとうございます!
712704:05/03/09 02:20:58
>>708
何度も、申し訳無いけど、そのまま読めと言われても
「しようじらく」「しゆうずらく」等いろいろ読めるんで伺ったのですが…
出来れば誰か正しい読み方を教えてもらえませんか?
713日本@名無史さん:05/03/09 02:28:26
忠臣蔵ってなんですか?よろしくお願いします
714日本@名無史さん:05/03/09 02:30:49
>>712
心で読め。
715日本@名無史さん:05/03/09 07:47:08
>>713
ググってわからない所を絞ってから質問しろ。
716日本@名無史さん:05/03/09 11:04:27
ちょっとスレ違いですが・・
私は人の顔をキチンと見るのが苦手です。
小学校の時、先生に「相手の顔を直視するのは失礼」と教わったからです。
で、卒業式の練習で卒業証書授与の時に校長が
「私の顔をしっかり見て」と言ったので、初めてびっくりしました。
もう、20年以上前の話ですが・・・
小学校の同級生は「え〜?そんなこと習った?話すとき顔は見るでしょ・・」
で、両親も兄も相手の目お見て話すと昔から教わったと言ってます。
ただし、別の兄は、学校で顔を直視してはいけないと習ったと言っていますので、
そう教えた教師が居るとは思いますが。
日本のマナーでは
相手の顔を見てはいけないってあったんでしょうか?
武士では、お殿様の顔から下を見てはいけないってあった気がします。
農民とかが大名行列の時は顔上げないし、西洋でも、召使は主人の顔を直視しては
いけなかったような・・・?
長年気になってるので、詳しい方教えていただけたらと思います。
717日本@名無史さん:05/03/09 11:48:58
>>712
面白いと思って、検索したが、goo では出てこなかった。
しかし本居宣長記念館というのがあるから、電話してみたら。
オレなんぞ、お寺さんのことであちこち電話したことがあるが、意外に教えて
くれる。横柄な態度はいけないよ。
樋口一葉記念館は(たまたまかもしれないが、出た人は)ひどかった。
718日本@名無史さん:05/03/09 12:26:01
>>704
諸橋大漢和辞典
日本国語大辞典
などや故事成語・四文字熟語辞典類は引かれましたか?
719素人の意見:05/03/09 12:31:41
>>698
それは敵のいないはずの秀吉や家康が天皇の座に就こうとしなかったのと同じなのではなかろうか?
720素人その2:05/03/09 14:21:17
>>698
北条氏は、政敵を倒して覇権を拡張するとか、全国に自分の所領を増やすとか
やってはいるが、政治のやり方は、割と地道で豪華絢爛というほどではない。
関東武士の分を弁えた印象がある。末期の高時はちょっと例外だが。
時代は違うが、信長が比叡山を攻めたようなこともあるが、秀吉にしても光秀
にしても、神仏をおそれる傾向はあった。前田、細川のようにトップに立たず
に長期にわたって利を確保するという手法もある。
天下が自由になるとはいっても「分」をわきまえて行動していたのではないか。
721日本@名無史さん:05/03/09 14:31:00
>>716
西武グループの社員は堤義明の目を見たら左遷されたそうだが・・・。
722日本@名無史さん:05/03/09 14:36:05
>秀吉にしても光秀にしても、神仏をおそれる傾向はあった。
根拠不明
723日本@名無史さん:05/03/09 14:39:32
美濃の御嶽城城主の小栗信濃守と、常陸の小栗氏は同属でしょうか?
同族でしたらいつごろ美濃に土着したのでしょうか?
どなたか教えてくださいませ。
724日本@名無史さん:05/03/10 00:41:33
>>708
少なくとも4通りはありえますな。

>>712
何をどう間違えると「有」が「よう」とか「自」が「ず」とかいうことになりますか???
725日本@名無史さん:05/03/10 00:43:49
>>718
学校の図書館なら、ないはずはないですね。といっても、卒業後なら近くにいるか
どうかは分からないし、時間があるかどうかも分からないですが。
726日本@名無史さん:05/03/10 03:18:06
質問スレはage進行。
727日本@名無史さん:05/03/10 03:23:56
「尾張名古屋は城でもつ」ってどういう意味ですか?
728日本@名無史さん:05/03/10 03:39:24
>>727
たとえ西から攻めて来るものがあっても、名古屋城で防ぐことができる。
729日本@名無史さん:05/03/10 04:49:24
明日青春18切符で東京から大阪へ向かいます。もちろん東海道本線。
歴史好きな自分としては途中下車して史跡巡りなんてことをしてみたいなと思ってます。

ところが時間との兼ね合いで下車して見に行けるのは一ヶ所が限界です。
そこで歴史に詳しい皆さんにお尋ねします。
東海道沿線これは見ておけ!というお勧めの史跡はどこでしょうか?

ちなみに名古屋と京都の間でお願いします。
それと彦根城は行ったことあるので除外します。

730日本@名無史さん:05/03/10 09:48:11
>>724
十の島

>>727
守るに易く、攻めるに難し。金に困れば鯱を売れば良しという意味。
731日本@名無史さん:05/03/10 10:11:59
>>729
持ち時間とか自分の関心あるものを書かなきゃアドバイスのしよう
がないだろ。
732日本@名無史さん:05/03/10 11:31:50
足軽って侍なんですか?
733日本@名無史さん:05/03/10 12:09:44
>>732
違う
734日本@名無史さん:05/03/10 12:56:01
>>722
光秀には本能寺の変の直前に何度もおみくじを引いたという話がなかったっけ?
735718:05/03/10 17:41:32
>>704
今日自分の用事のついでに調べてきました。

私有自楽 しゆうじらく
宣長が京都遊学中、同じ堀景山門下の漢学書生清水吉太郎に宛てた
漢文体書簡草稿(『本居宣長全集』17巻所収・書簡番号9)に見える語句。
自分の好みに従い、自ら楽しむことのできる和歌の世界をこのように表現した。

儒学を好む吉太郎が、儒学より和歌を愛好する宣長を強く非難したことに対し、
宣長は逆に儒学を斥けて「聖人の道は、国を為め天下を治め、民を安んずるの道也。
私かに自ら楽しむ有る所以の者に非ざる也」(原漢文)と述べた。

聖人の道の学習は、国や民を治める立場にない自分には本当の楽しみではなく、
「僕の和歌を好むは、性也。又た癖也」(同上)という自己の内面に照らした
自己の私的な世界にこそ真楽があるとした。
孔子が与した曾ルの「浴沂詠帰の歌」(『論語』先進)に倣った思想の表現である。

遊学中の宣長にとって、伝統的美意識を有する和歌は、漢意に汚れた現実から離れ、
唯一、私的な一個人として遊ぶことのできる世界であった。(高橋俊)
典拠:本居宣長記念館編『本居宣長事典』(東京堂出版、2001年)219〜220頁を適宜改行。

#歴史の醍醐味は、わからないことを自分でいろいろ調べるところにあると思います。
#最低限の辞・事典などのツールを、まず調べてから他人に聞いた方が面白いですよ。
736日本@名無史さん:05/03/10 20:04:38
>>735
割込ですが、乙です。『本居宣長事典』なんて本まであるんですか。

> 最低限の辞・事典などのツール
その辺の具体的なところからして、畑違いだと皆目見当もつかないのが普通だから、
まさにこのスレ向きでは?
737日本@名無史さん:05/03/10 23:24:28
>>729
関が原でも逝っとけ
738729:05/03/11 00:10:32
関が原に決定いたしました。行ってまいります。
739日本@名無史さん:05/03/11 09:59:10
>>733
じゃあ、一般人ですか?

旗本なんかの家人の若党、郎党と呼ばれる人は身分的にはどうなるんですか?
740日本@名無史さん:05/03/11 10:41:07
>>739
武士
741日本@名無史さん:05/03/11 14:04:37
>>じゃあ、一般人ですか?

いえ、芸能人です。
742日本@名無史さん:05/03/11 18:46:25
吉村さんは足軽で切腹の作法も教えられてなかったからやっぱり足軽は侍じゃないよ。
743日本@名無史さん:05/03/11 22:19:03
こういう話を別の板で見つけてきたのですが


645 名前: quarante-deux 投稿日: 05/03/11 21:25:35 ID:cJ9X/mbS
>>641長文レススマソ>ALL

>>637
やっぱりそうなんですか。いつも思うんですけど、日本がアメリカの
51番目(でしたっけ?)の州になれば、いろんなことがはっきりして
いいのに、と思うんですよね。まあ、現在の情勢でそれをやると
安全保障やテロ対策等で大変なことになるのは目に見えてますが。
貿易摩擦がなくなり、無能な国会議員の数が減って税金の無駄使いが
なくなるだけでもいいなぁ、とw 昔からジャメリカ州なんて
言葉もあることですしね。

古代にもどって中国に朝貢するというのもあるけど、それだと
自律性がなさそうですし。主権国家として覇権を争うというのとは
違う面従腹背の選択ってあると思うけれど、たぶん、アメリカの
方が断わりますね、これw


古代日本において卑弥呼や倭の五王など古代中国に朝貢していたことはありますが
そのことによって政治経済の自立性を制限されたことはあったのでしょうか?
744日本@名無史さん:05/03/12 06:23:18
>>743
で?
745日本@名無史さん:05/03/12 12:07:57
>>744
最後の2行がきかれてるのに
それじゃ会話が成立してないぞw
746日本@名無史さん:05/03/12 14:05:24
>>745
おお、本当だ(笑)
747日本@名無史さん:05/03/12 18:03:50
国司と守護が紛らわしくてよくわかりません。
江戸時代の大名等の官職である「××守」はどちらなのですか?
どうも介や掾もいるので国司だと思うのですが、そうすると鎌倉幕府以来の
武士の官職の守護は江戸期には無くなってしまったのですか?
748日本@名無史さん:05/03/12 18:11:52
日本がアメリカの領土になればいいとは失礼千万!
それでは祖国を守ってきた祖先や天皇陛下に申し訳が立ちませぬぞ!
749日本@名無史さん:05/03/12 18:15:58
>>748
安心しろ。
そんなことはありえないから(笑)
750日本@名無史さん:05/03/12 19:19:03
>>747
はい
751日本@名無史さん:05/03/12 19:25:40
北条氏直の花押て何だったんですか?
752日本@名無史さん:05/03/12 19:35:36
>>747
守は律令の国司制度のもの。
守護とは基本的には何の関係もない。
室町幕府の組織が崩壊した1573年に任命されていた守護をもって廃止
753日本@名無史さん:05/03/12 19:53:45
西郷従道が独断で台湾に出兵したのは何故ですか?
政府と仲が悪かったの?
754日本@名無史さん:05/03/12 20:51:04
>>752
ありがとうございました。
755日本@名無史さん :05/03/13 03:26:06
私有自楽(本居宣長)について、質問した者です
れすしてくれた皆さん、ありがとうございました。
>>735
なにぶん哲学が主で、歴史は専門外だった者で…
ソレが意味する所は、本などを読めば解るのですが、読み方となると西洋哲学しか学んだ事の無い自分からすると
東洋哲学は、本を読む事がせいぜいで読み方等は載っていない事が多い(東洋哲学を学んでいる事が前提なので)

みなさんありがとうございました。
756日本@名無史さん:05/03/13 07:48:32
早稲田商学部の問題ですが、

3世紀半ばすぎ、魏に検使して以降の約150年間、中国史書には倭国に関する記事が無くなる
      ↑
この文章、間違いらしいんですけど何が間違いなんでしょうか?
757日本@名無史さん:05/03/13 08:44:09
魏→晋
検使→遣使
758日本@名無史さん:05/03/13 10:41:58
>>756
卑弥呼の後を継いだ壱与が晋に使者を送っております。
759日本@名無史さん:05/03/13 12:02:22
江戸時代、忍と侍とでは、どちらが強かったのですか?
多くの人は剣術を習得しましたが、自分には忍の方が強く思えて
忍術を習得した方が良かったのではないかと疑問でなりません。
760日本@名無史さん:05/03/13 12:33:36
>>757-758
ありがとう!!
761756:05/03/13 12:41:24
すみません、もう一つ!!

自分の使ってるテキストには使者って書いてあるんだけど、検使と遣使の違いは何ですか?
762日本@名無史さん:05/03/13 13:49:10
遣使とは、使者を派遣することです。
また検使とは、一般には検分などを行ったりする使者のことです。
763日本@名無史さん:05/03/13 15:43:13
八州巡検使とかあったっけ。字あっている?
764日本@名無史さん:05/03/13 21:15:35
巡見使
765日本@名無史さん:05/03/13 21:49:01
> 古代中国に朝貢していた
あれは表向きは「朝貢」だけど、実質は「お移り」目当ての割の良い貿易。


766日本@名無史さん:05/03/13 22:07:31
大学行って歴史を学びたいのですが明治維新以前は全く興味がありません。明治以降中心の学科はあるのでしょうか?
767日本@名無史さん:05/03/13 22:22:38
>>766
そんなことを心配する暇があったら、希望通りの学校の学科に入れるように勉強を頑張ってね。
768756:05/03/13 23:17:55
>>762
ありがとうございます。

ちょっと出かけてたんで、遅れてすみません・・・
769日本@名無史さん:05/03/13 23:46:06
10年越しの疑問です
八股の大蛇は七つの股しかないのに何故八股なんでしょうか?
辞書にも載ってないし、ググッても出てきません。
もしかして見えない頭があると言う設定なんでしょうか?
770日本@名無史さん:05/03/13 23:49:16
ハルノートの経緯って、どんなんですか?
なんか、ハルノートなのにハル自身が作ったのもではない
とかなんとか
771日本@名無史さん:05/03/14 00:03:31
>>769
のび太も同じ疑問抱いてたな。

もとが一つで先が○つに分かれている状態を○股というんだよ。
例えば「川が二股に分かれている」とか使うでしょ。
恋愛の二股もある意味一緒だ。
歴史じゃなくて言葉の問題だと思う。
772日本@名無史さん:05/03/14 00:07:54
>>769
? 「頭としっぽが八本ずつ」だから「八岐」のおろちですが?
773日本@名無史さん:05/03/14 00:09:44
>>771
そういう誤解・・・なのかな?
774日本@名無史さん:05/03/14 00:13:38
>>771
恋愛の二股は二つの股の意味でしょう。
775日本@名無史さん:05/03/14 00:17:27
三つ又の矛は刃?が三つだが股は二つだな。
776日本@名無史さん:05/03/14 00:18:53
八岐大蛇
777日本@名無史さん:05/03/14 00:21:35
至期果有大蛇。頭尾各有八岐。
778日本@名無史さん:05/03/14 00:35:58
>>771-777さん
回答ありがとうございます
そもそも漢字が間違っていたんですね
で、調べてみました
【八岐大蛇】
〔頭・尾それぞれ八つあり、八岐に分かれる大蛇の意〕記紀神話に現れる大蛇。出雲国簸河(ひのかわ)の上流にいて、
一年に一度老夫婦足名椎(あしなづち)・手名椎(てなづち)の娘を一人ずつ呑んでいたが、八人目の時に素戔嗚尊(すさ
のおのみこと)によって退治された。その尾の中より出た剣が三種の神器の一つ、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)で
あるとされる。

やまたとは「八つに分かれる」の意味だったのですね。
まさに国語レベルの質問でしたorz

も一つ分かったのが、大蛇から出てきたのは草薙の剣じゃなかったんですね
かなりおかしな記憶をしていたようです。

皆さんありがとうございました。
779日本@名無史さん:05/03/14 00:37:31
>>703 竹千代、神君、東照大権現。
780日本@名無史さん:05/03/14 00:46:47
>>778 携帯なんで漢字が書けませんが、「アマノムラクモ」で日本武尊が草を払った故事に基づいて「草薙の剣」 とも呼ばれています。草薙の剣の正式名称です。
781日本@名無史さん:05/03/14 00:59:50
草薙劔、此云倶娑那伎能都留伎。一書曰、本名天叢雲劔。
蓋大蛇所居之上常有雲氣、故以名歟。至日本武皇子、改名曰草薙劔。
782日本@名無史さん:05/03/14 01:44:25
>>775
あ それ、「字が違う」し、「股」にしても、「またぐら」の
意味だけではないの。漢和で調べてね。

>>778
> やまたとは「八つに分かれる」の意味だったのですね。
というか、「岐→枝分かれ」が八つ。「八つに分かれている」
というニュアンス。
783日本@名無史さん:05/03/14 16:18:57
>>766に答えて
784日本@名無史さん:05/03/14 21:21:47
>>783
ある。心配なし。
785日本@名無史さん:05/03/14 22:46:15
>>784
本当ですか!神奈川か東京の私大なんですが…
786日本@名無史さん:05/03/14 23:33:58
「智恵伊豆」の松平氏は幕末に、どこの地域の藩で、石高はいくらでしょうか?
787日本@名無史さん:05/03/15 00:39:51
三河吉田7万石
788日本@名無史さん:05/03/15 01:36:09
質問です。
古来、身分の高い人は、自分の持つ本当の名前(諱)を、
他人に知られることを嫌がり、通称(字)で呼ばれることのほうが多かったそうですが、
本名を知られることを忌み嫌う理由は、何処から来ているのでしょうか。
789日本@名無史さん:05/03/15 01:59:07

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1
790日本@名無史さん:05/03/15 07:11:59
>>787
便乗質問。
忍->川越->古河->吉田->????->吉田と移っているようですが、
????はどこだったか、分かりますか?
791日本@名無史さん :05/03/15 09:09:00
>>790 浜松7万石でしょ
792790:05/03/15 10:57:25
>>791
早速どうもありがとうございます。
ほんとだ。本荘と入れ替わりだ。ずっと松平(大河内)って記述してあるのに、ここは
大河内のみ。見落とした。
793日本@名無史さん:05/03/15 11:14:21
治天の君と上皇って違うんですか?
794日本@名無史さん:05/03/15 13:06:54
>>793
治天の君はそのときの天皇家の家長。
上皇は退位した天皇。

だから、天皇が「治天の君」になるときもある。

上皇が治天の君になれないケースは
たとえば、治天の君が天皇をすげかえた場合。

すげかえられた天皇は退位して上皇となるけど、
自分をすげかえた治天の君にさからえるはずもない
(さからえるようなら、退位なんかしないよね)。



795日本@名無史さん:05/03/15 13:08:58
>>785
普通に史学科入って、近現代史のゼミ入ればいいじゃん。
796日本@名無史さん:05/03/15 17:18:41
律令制度ってほとんど実施されてない&皇朝12銭もほとんど通用力無しって
習った覚えがあるんですが最近の研究ではそうでもないのですか?
要するに律令制度は当時のグローバルスタンダードだから
形だけ受け入れたことになっていたみたいな(実際その骨子たる官僚制が形成されていない)
江戸幕府までの日本は中央政権といっても豪族・不在地主の寄り合いみたいなもんだという
理解でしたがこれも違うのでしょうか?
797日本@名無史さん:05/03/15 19:10:51
>>788
> 本名を知られることを忌み嫌う理由
「知られること」ではなくて「呼ばれたり、宛先に名前を書かれたりす
ること」を嫌った、というか「呼んだり、宛先に名前を書いたりしない
のが礼儀にかなっていた」というニュアンス。
感覚的には「赤の他人が馴れ馴れしく呼び捨てにしたりしないのが礼儀」
といったところでしょう。
798日本@名無史さん:05/03/16 00:48:10
藤原氏って出自は皇族なんですか。
799日本@名無史さん:05/03/16 00:59:00
入学面接とかで「尊敬する人は?」と聞かれたら
武田信玄か織田信長がよく言われていますがどうしてですか?
800日本@名無史さん:05/03/16 01:28:59
>>799
以前のテレビドラマで、歴史上の大人物が嫌らしいまでに矮小化されて、まるで、脚本家
と同じ「いじけた劣等生」みたいに描かれているのがあって怒り心頭に発して以来、全く
見ていないから知らないですが、テレビドラマで採り上げられたせいか何かではないでし
ょうか。
801日本@名無史さん:05/03/16 02:15:23
>>799
有名かつ無難という以外、心当たりがありません。
例えば、あなたの部下が「尊敬する人は斉藤道三です」という人だったらどう感じますか?
802日本@名無史さん:05/03/16 03:15:21
さっさと追い払うなw
803日本@名無史さん:05/03/16 03:19:14
>>798
不比等が天智の隠し子だって話を除けば、神別です。
津速魂流です。
804日本@名無史さん:05/03/16 04:06:10
日本史の大体の流れを分かりやすく説明している、参考書はどれですか?
805日本@名無史さん:05/03/16 08:28:37
>>799
答える必要はないよ。
そういうの質問は、差別につながるとして、してはいけないとなっているはずなんだがな。
806日本@名無史さん:05/03/16 10:17:42
煽りではなく、入学面接ってのがよくわからん。
小学生のお受験かな?
807日本@名無史さん:05/03/16 10:58:10
>>806
面接試験のことだろ。
高校受験の時にやらなかったのか?
808日本@名無史さん:05/03/16 11:09:21
大学でも推薦には面接が付き物だな。
809日本@名無史さん:05/03/16 11:25:52
結構聞いて来るんだよな、そういうの。別に受験者が誰を尊敬してるかってのは
どうでもいいんだけど(それでもあんまり奇矯な答えはマイナス。ヒトラーとかさw)、
なんていうか、「この人物のこういう点、こういう業績に見るべきところがあると思います」と
要領よく相手に伝える能力を見る設問、なわけよ。「今まで読んだ中で印象に残った本は」
なんてのと一緒。そんなに深刻に考えるこたぁない。好きな人物を挙げりゃよろしい。
810806:05/03/16 11:36:28
3教科バカとしては最強ランクの大学卒のフリーターなんだけど、入試関係
で面接なんて受けたことない。憲法に定める思想良心の自由に反する質問な
のではないかな?
スレ違いなので、これでやめます。
811日本@名無史さん:05/03/16 19:34:50
>>805
横レスだけどなんで差別に繋がるの?
812日本@名無史さん:05/03/16 19:41:15
まあ、信長とか信玄みたいな戦国武将ならたいして問題はないと思うが、
近現代の人物や思想・宗教関係の人物だと思想・信条の問題にひっかかるからな。
813日本@名無史さん:05/03/16 20:05:16
>尊敬する人
就職面接の場合は
労働大臣の定める指針によって
原則として収集してはならない個人情報のひとつとされています。
http://www.roudoukyoku.go.jp/secondpage/20030709-adoption/20030709-adoption-6.html

入試に関してこういうものがあるのかどうかは知りませんが。
814日本@名無史さん:05/03/16 21:17:31
池田大作とか正直に書いたらやばいよなw
815日本@名無史さん:05/03/16 22:16:07
>>811
俺自身、高校受験の時に言われたからよく知らんが、だいたい>>812さんや>>813さんが書いてくれたような理由だろう。
まぁ、面接する側からしたら、尊敬する人物なんかどうでもいいんだけどね。どうせ、無難な答えしか返ってこないし。実際は、その解答振りを見るわけだし。
816日本@名無史さん:05/03/17 19:45:17
ロシア皇太子に切りつけた警官はその後どうなったんですか?
確か法を尊重して死刑にはならなかったんですよね?
817日本@名無史さん:05/03/17 20:08:27
>>816
明治24年9月29日、釧路集治監で病死。
818日本@名無史さん:05/03/17 21:22:50
>>816
ちなみに、「干渉をはねつけた」とされる児島はその裁判には無関係で、担当の
裁判官たちに対する指揮権はないので、あれも裁判に対する干渉の一種。
もっとも、担当の裁判官たちが児島の言い分に耳を貸したものかどうかは、全員、
一切、書き残しも語り残しもしていないので不明。
819日本@名無史さん:05/03/17 23:01:25
大逆罪の裁判は大審院でしか行われない。

地裁に起訴した検事からして大逆罪にする気がなかったのでは?
820日本@名無史さん:05/03/17 23:10:09
>>819
いや、天皇と皇太子に対する殺人未遂は元々無理ということで、皇族に対する
謀殺(未遂)に問うか否かじゃなかったっけ?
821日本@名無史さん:05/03/17 23:28:19
>>816
来日が侵略を意図したものと妄信したためによる犯行で、判決は無期徒刑。

>>817
俺が持っている資料では、30日になっている。ちなみに死因は肺炎。
822日本@名無史さん:05/03/17 23:59:16
>>818-820
政府は「皇室ニ対スル罪」を適用して死刑判決を希望したが、兒島(正確にはこう書く)は一般人に対する謀殺未遂罪の適用を主張し、結果は前記の通り。
確かに、兒島が介入したかどうかの証拠はないが、その翌年、弄花(花札賭博)事件に荷担したとして院長を辞任した。しかし、この事件は冤罪であったことから、それなりの介入があったのではなかろうかと推察されるが、いかがであろうか?
823日本@名無史さん:05/03/18 00:32:50
>>822
「皇室ニ対スル罪」でしたね。

> 介入
ちょっと意味が。大津ではない大阪だったかで、担当の判事(確か3人?)に訓辞を
したという事実はあったはずですが、そこでいう介入は「政府のほうの意趣返し」と
かの意味???
824日本@名無史さん:05/03/18 01:00:15
すみません、教えてください。

"江戸時代、貨幣を鋳造した金座や銀座を監督した幕府の機関は?"

というクイズがあったんですが答えられませんでした。
解答は漢字4文字らしいですが、どなたか分かる方いらっしゃいませんか?
教科書を見ても見当が付きませんでしたorz
825日本@名無史さん:05/03/18 02:20:22
>>824
御金改役
826日本@名無史さん:05/03/18 03:05:37

http://blogs.yahoo.co.jp/japanandkorea2005/627199.html


ここのブログ↑で独島が韓国領であるまぎれもない根拠が示されてるよ。 けけけw
827日本@名無史さん:05/03/18 09:01:38
>>824
勘定奉行

>>825
( ´_ゝ`)
828824:05/03/18 12:30:46
どうもありがとうございます!
829日本@名無史さん:05/03/18 14:52:29
スカスカな話書いたblogが炎上してるだけじゃないか・・・・
830日本@名無史さん:05/03/18 14:55:04
2chでは韓国が半万年の歴史を謳っているのをよくネタにされているんですが、
日本は何千年の歴史って考えればいいんですか?
831日本@名無史さん:05/03/18 16:37:31
歴史の古さを誇るやつは、それ以外に誇るものがないと考えればいいよ。
832日本@名無史さん:05/03/18 17:17:16
>>830
日本の歴史は公式には今年2665年。
833日本@名無史さん:05/03/18 18:29:06
大八洲とかいうから、氷河期の後では?
834日本@名無史さん:05/03/18 18:42:14
>>831
まあ、かの国のことはおいといて、自国の歴史が何年かってのは知っておいて損はないんじゃ。

>>832
それって皇紀何年ってやつ?ウリナラ半万年並に胡散臭いんだが。
835日本@名無史さん:05/03/18 19:13:59
>>834
胡散臭かろうが何だろうが、2665年。
文部省は皇紀も使っている。
836日本@名無史さん:05/03/18 19:18:31
>>835
それじゃあ、韓国の事はあんまり馬鹿に出来ないね。
武が雄略くらいからしか確定してないんでしょ?それって。
837日本@名無史さん:05/03/18 19:18:52
文部省が使ってる!?
838日本@名無史さん:05/03/18 19:24:45
皇紀を公式とするなら、日本書紀は歴史的事実と認定される訳ですか?
839日本@名無史さん:05/03/18 19:30:23
2月11日の紀元節を建国記念の日と定めている以上、
神武紀元は公式だろう。
840日本@名無史さん:05/03/18 19:43:59
公式は元号のヤツじゃないの?
841日本@名無史さん:05/03/18 20:09:44
神話と史実をごっちゃにしてる時点で他国の事をとやかく言えないよ。
せいぜい紀元5世紀くらい?
邪馬台国はどういう扱いになるのかな?
842日本@名無史さん:05/03/18 20:12:08
>>837
数年前に見た、(当時)文部省が出している小冊子を見たら、神武暦・西暦・元号が併記してあったよ。
843日本@名無史さん:05/03/18 20:14:16
http://www.style-21.com/diary/1549/
でわ、明治以後の皇統順位はと言いますと、
時とともに少しずつ変わってはいたのですが
大正十二年には、1秩父。2高松。3伏見。4華頂。5山階。6賀陽。7久邇。
8梨本。9朝香。10東久邇。11北白川。12竹田。13閑院。14東伏見の順でした。

これが昭和十五年には、1秩父。2高松。3三笠。4閑院。5東伏見。6伏見。
7山階。8賀陽。9久邇。10梨本。11朝香。12東久邇。13北白川。14竹田。
このような順位になっていたと思われます。。
***********************************************************
↑のページの宮家の格付けってどの程度正確なんでしょう?

また、大正時代には途絶えてしまってたようですけど、
有栖川宮家が存続していた場合、伏見とどちらが上だったんですか?
江戸時代の石高などは伏見のが高かったようですけど、
血筋でいけば有栖川のほうが天皇家に近いんですよね。
傍系宮家の継承順位の基準ってどうなっていたんでしょうか?
844日本@名無史さん:05/03/19 00:02:00
太平洋戦争の開始を告げるラジオ放送で(大本営陸海軍部は・・ってやつです)

「西太平洋で戦争に入れり」みたいなことを放送していたようですが、
日本から見て西なのですか?地理的に他の(真珠湾以外)もふくめてですか?
845日本@名無史さん:05/03/19 00:43:57
いま高校一年で4月から日本史がはじまります。。。。
教科書をもらって見たのですが覚えることが多そうで頭が痛くなりました。
そこで、なにか本を買って簡単で楽しく覚えたいのですが(逆に好きになるくらい)
なにがいいでしょうか?

「忘れてしまった高校の日本史を復習する本」

自分はこれがいいのかなぁ?なんて思うんですが、どうでしょうか?
846日本@名無史さん:05/03/19 01:36:21
日本史Aと日本史Bは内容がちがうのでしょうか?
日本史Bをおおざっぱに浅くやるのが日本史Aって感じでしょうか?
日本史Aの内容はすべて日本史Bに含まれているんですか?
何でこんな質問をするかは説明が結構めんどくさいので(ぉぃ)
そこはどうか気にしないで下さい。
847日本@名無史さん:05/03/19 02:13:31
日本という国号を使い始めたのは7世紀末だけどな。
848日本@名無史さん:05/03/19 06:08:38
>>847
天武だっけ?持統だっけ?
天武から「天皇」の称号だし、そこをもって日本国の成り立ちとするのもありだと思うけど、
天武は辿れば一応血筋が継体まで繋がってるし、同一王朝扱いでいいんでは?って事にもなる。
一方、継体は継体で、「宋書」の倭王武でほぼ確定している雄略の孫にあたる武烈の後継者と
していきなり出てきたんだけど、本当に武烈の遠い血筋なのか、つまり応神の血筋なのかどう
かが怪しいし、応神以前だって実在してるのか、実在してもどういう奴だったのかあんまり
解ってないし、史書通りだと一人で50年も60年も在位してた奴がズラッと並んでるし、中には
100年在位の奴もいるわけでどうにも胡散臭い。
どこからを史実でどこからを神話で区切っていいのやら。

あと、天智天武兄弟じゃない説、天武朝鮮人説ってのがあるよなぁ。
そうなるとそこでブチっと途切れるわけでしょ。天武の嫁は天智の娘ばっかりだから、文武、
元明、元正、聖武、孝謙、淳仁は天智の血は繋がっていても父系じゃなくなる。
じゃあ、天智系の光仁に戻った時からカウントし直す?

日本っていったいいつ建国されたんだろうね?
849日本@名無史さん:05/03/19 08:15:05
850日本@名無史さん:05/03/19 08:24:37
いま趣味で、神山県について色々と研究しているのですが、県内にあった村の石高のなかに、「弐石ヲ壱石トシテ」とありますが、これは一体なぜそんなことをするんでしょうか?
851日本@名無史さん:05/03/19 09:21:21
>>850
宇和島県 → 神山県 → 愛媛県
のことでっか。うーん。

領地によって石高換算や貢納政策は違うからなぁ。

幕末明治期の村においては、郡割・村入用等の支出のことで
問題をおこしている場合がいろいろあって、それは、実収の
増加に伴って貢租負担が相対的に減少したとはいえ、その
減少部分が農民の収入となることなしに、地主得米として、
地主の手に入ってしまっていたり、、、と。

まあ、ややこしいのよ。
852850:05/03/19 10:27:39
>>851
じゃあ、実収はともかく、その村の規模を表記するには、「弐石ヲ壱石トシテ五百石」とある場合、それは五百石としていいんでしょうか? それとも、千石とした方がよろしいのでしょうか?
853日本@名無史さん:05/03/19 10:35:22
そうせい
854日本@名無史さん:05/03/19 13:00:24
>>853
それじゃどっちかわからないじゃんw
回答できないんならするなよ
855日本@名無史さん:05/03/19 13:18:09
>>852
その文言がどういう史料の中にどのように出てきて
そしてあなたが何を調べているのか
それによって扱いは変わってくると思います。
>>850>>852の情報だけでは答えようがないとしか言えません。
856日本@名無史さん:05/03/19 13:51:55
愛媛県内の村々が戦国時代から、どのように発展したのかを調べています。で、それをまとめたサイトを作ろうかと思っています。
いま使っている史料は、愛媛県が出した『愛媛県史』の中の「神山県区画並小区役員帳」です。
857日本@名無史さん:05/03/19 15:35:55
遣唐使の言語能力について書かれた本を読んだことがあるのですが、
書名を忘れてしまいました。
どなたか知っている方いらっしゃいますか?
858日本@名無史さん:05/03/19 21:02:47
>845
小学館から出てる「少年少女日本の歴史」。
全巻そろえて読破するもよし、興味ある時代の巻から読んでいくもよし。
859日本@名無史さん:05/03/19 22:09:02
>>844
「西太平洋ニオイテ戦闘状態ニ入レリ」というやつだな。
ハワイは西太平洋だろ。どこだと思っていた?
860日本@名無史さん:05/03/20 02:31:53
辞世ってのはアレあらかじめ作っておくのですか?
それともとっさにみんな作ってるんですか?
後者だったら昔の人って凄いなぁ
死に直面してぽんと句や歌ができるというのは。


一応私は作ってあります。
861日本@名無史さん:05/03/20 03:40:43
>>788
俺もなんとなく他人に本名知られたくないから本能じゃないの?
「なんで?」ってきかれたら「諱が云々」とか説明すると
たいていの人は理解できないから煙に巻くことができていいよ
862日本@名無史さん:05/03/20 04:16:28
>>861
名前使って呪われるからでしょ。
863日本@名無史さん:05/03/20 06:11:53
追捕使と押領使の違いってなんですか?
現地で調達する店長みたいなのが追、都から派遣される本社の営業担当が押みたいな感じですかね?
864日本@名無史さん:05/03/20 11:58:12
>>863
追捕使=江戸町奉行
押領使=火盗改メ
865日本@名無史さん:05/03/20 16:56:02
時代劇や小説などで、お寺の鐘の音で時間を知るシチュがありますが、
ではお寺はどうやって時刻を確認しているんですか?
866日本@名無史さん:05/03/20 17:04:59
時計
867日本@名無史さん:05/03/20 17:38:02
>>860
あらかじめ用意しておく場合も在るそうだ
他人が作っちゃう(というかそれが商売として成立)場合もある

もちろんとっさに詠んだのも在るだろう
足利義輝のとかは多分とっさに作ったんだろうね
奴ならやれるだろう

俺もなんか作っとこうかなぁ
868日本@名無史さん:05/03/20 19:31:32
日本史板の皆様始めまして。質問させていただきます。

先祖のことについて調べております。
私の家の初代は、秋月種実の娘が肥前愛宕山飯盛城主相神浦松浦氏の松浦定(1571-1593)に嫁に行った際に、
隠居した先代と5人兄弟の末弟が同行を命じられ、そのまま松浦氏(おそらく相神浦松浦家)の家臣となっています。

その後結局平戸松浦家の家臣となり、300石ほどもらう中流の家柄となっているようなのですが、
(松浦静山の甲子夜話にも○○某として、ご先祖が出演したりしています:笑)

どうにも分からないのが、松浦家の総領争いに負けた相神浦松浦の家臣だったのに、なぜかちゃっかりちゃんと
平戸松浦氏の家臣となっているところです。で、系図の記載や家の古文書、口伝の伝承などを調べても、そのあたり
の経緯について全くわからないのです。
#相神浦松浦氏はその後幕臣になっているようですので・・・・・尚更??です

この初代の墓は愛宕山飯盛城跡のふもとにありますが、このご先祖の死についても、戦に負けて切腹したとの家の伝承
と系図への記載があり、また戒名が30年以上後になってからつけられていたりと怪しいことのオンパレードです。

そこで、まず基礎的なこととして、平戸松浦家と相神浦松浦家の総領争いについて調べたいと思っているのですが、
全く史料が見当たりません。この辺りの事情について、詳しい史料があるかどうかご存知でしたら、ご教授いただけないでしょうか。
また、私自身鎌倉時代以前について、趣味的に調べる程度で、戦国末期のことについて、自力で探す場合、
どのような調べ方をすればよいのか見当がつかず、途方にくれています。

なにかアドバイスをいただけると助かります。

よろしくおねがいします。

869日本@名無史さん:05/03/20 20:41:24
>>868
不明確な系図がある以上、あなたの六代くらい前の水汲み百姓が
名門の家の子孫を自称したんでしょう。
こういうことは珍しくありません。気を落とさずに
870688:05/03/20 20:59:01
初代まで墓もそれぞれ、本人、妻、成人前の子供
これらが全部あります。
一部墓に掘られた文字が消えかけているところがありますが、
江戸中期、末期の記録、昭和初期のそれぞれの記録とも一致します。

文書の類も箱3バイ分くらい未整理ですが色々あり、なんやら感謝状やら免状
やらたんなる書付っぽいものまでごちゃごちゃとあります。

刀剣類も、戦時中にかなり供出したそうですが、それでも殿様からもらった
とか色々由緒があるものが10数本くらいのこっており、あとは維新の時に
もらった菊の紋の杯とか、そういうもんもあります。

系図は思いっきり遡ると、神様に到達しますので、精々戦国中期くらい
までが本物で、あとは適当に作ったもの、と思っていました。

まぁ系図査証はよくあることなので、どっかからはうそっぱちと思っていましたが、
こういう状態でも6代くらいが関の山なものでしょうか。

捏造のために色々作ったのかな。
まぁそんなもの、というふうに受け取っておきます。

ご回答ありがとうございました。
871日本@名無史さん:05/03/20 21:29:44
>868
一方、永正九年(1512)、相神浦の地で蜂起した相神浦松浦氏は、神浦の飯盛山に城を築き、
平戸松浦氏に対する一大勢力となった。やがて、佐嘉の龍造寺隆信の斡旋で相神浦松浦氏は
平戸松浦氏と和解の運びとなり、親と弘定が会見して両者の和睦がなった。
その結果、平戸松浦氏が押えていた相神浦一帯は従前のように、松浦宗家が支配するとことなったのである。
 興信のあとを継いだ隆信は、同族や近隣の情勢から相神浦丹後守家の再興を見逃すしかなかった。
永禄六年(1563)、上松浦の波多家に家督争いが起こり、彼杵の大村氏と有馬氏も仲違いを起こし、
相神浦を攻めても誰も手を貸せない状況となったのである。
この絶好機を捉えた隆信はただちに全兵力をあげて相神浦を攻撃した。
しかし、相神浦は容易に落ちず、両者の抗争は永禄九年まで繰り返された。
戦況は次第に相神浦方の劣勢となり、ついに丹後守親は龍造寺氏らの仲介をいれて、
隆信の三男親を養子に迎え、平戸松浦家の家臣となったのである。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/matura.html
872日本@名無史さん:05/03/21 03:05:21
女の人斬りは実在するんスか?
873日本@名無史さん:2005/03/21(月) 06:24:03
sageで質問するうつけ者に誰が答えるか。
874日本@名無史さん:2005/03/21(月) 12:13:12
以前から質問をしようと思っていて、機会が無かったものです。
(下らない質問かも知れません。)

日本では江戸時代以前には、ガラス窓などというものは殆ど全然無かった
だろうと思いますが、一般庶民の家の縁側や玄関などは、単に板戸か、
明かりを取りたい場合でも、精々障子紙等を貼っていただけなのでしょうか。

時代劇での武家屋敷などを見ても、この点がなかなかハッキリしません。
よく見る体裁というのは、雨ざらしの縁側が有り、そこに障子が有るだけ
といったものばかりですが、そんな物では、大風や嵐の時は大変だったろう
と思います。勿論、台風や嵐の時には、補強用の雨戸を入れたのでしょうが、
雨戸には障子紙などは貼ってないし、風を防ぐためには、穴をあけるわけ
にもいかないので、部屋の中は、昼でも真っ暗になったと思います。また、
江戸以前は、照明用の油さえ高価だったと聞きますから、嵐が来るたびに
さぞ大変だったろうと思うのですが。また、ガラスは、南蛮人やオランダ人
が真っ先に日本に輸出して来そうですが、江戸時代にも窓ガラスに使ったと
いう話は全然無かったのでしょうか。  
875日本@名無史さん:2005/03/21(月) 19:02:45
>>874
江戸時代まで遡るまでもなくて、藁葺きの民家なんかは皆そんな具合。
暗くなったら困ると思うのは、明るいのが当たり前になっているからで、
暗ければ暗いで、それなりにやれば問題なし。ただし、今の時代にそれ
では不便極まりないから、藁葺きの民家がどんどん消滅したわけです。

なお、日中に雨戸を閉めても、そこら中隙間だらけだから、昼間なら完全
には真っ暗にならないし、雨戸を全部閉め切らないとどうしようもないよ
うな嵐など、年に何日もあるわけではないから問題にならなかったわけです。
876日本@名無史さん:2005/03/21(月) 19:50:42
うちは家紋とか苗字が同じだし地元に確かに流れてきてるから
紀姓の○○家と自称してるけど
父方が三代前は百姓、母方も字侍崩れの庄屋であることが判明してるから
ネタで言ってる。あんまりこだわらないほうがいいと思うよ。

江戸期の大名だって家計図適当に買ってたり作ったりしてたどこの馬の骨かわからん連中ばっかだし。
脇坂なんか系図屋に
脇坂「うち藤原らしいよ」
系図屋「藤原っていっても北家とか南家とかいっぱいあるけどどこよ」
脇坂「北南 それとも知らず この糸の ゆかりばかりの 末の藤原」という
和歌を交えてやり取りをしてたというし。こっちのほうがかっこいいよw
877日本@名無史さん:2005/03/21(月) 19:57:48
マツケンサンバとええじゃないかは同原理ではやってると思うのですよ
世情が不安定になるとこういうのがはやるとおもうのですがどうでしょうか
あるある探検隊とかも
878日本@名無史さん:2005/03/21(月) 21:39:43
既出でしたらすみません

伊達政宗のミイラが残っていると以前耳にしたことがあるのですが
瑞鳳殿に保管されているのでしょうか?
又、公開されているのでしょうか?
879日本@名無史さん:2005/03/21(月) 21:55:52
>>878
ミイラではなくて遺骨です。

政宗は土葬され、瑞鳳殿に葬られました

その瑞鳳殿が第二次世界大戦で焼失し、戦後再建する際に政宗の墓を発掘したと言うことです。
遺骨の残存状況が良かったことから容貌や身長、血液型も判明しました。
その遺骨から復元された政宗像は仙台のどこかの博物館で見られたはず。

と思ってぐぐったらすぐヒットしたぞ。
ttp://www.zuihoden.com/
880日本@名無史さん:2005/03/21(月) 22:00:13
>879
即レスありがとうございます

ミイラというか遺骨そのものが見てみたくて。
普通そういうものは非公開でしょうかね?
881小学7年生:2005/03/21(月) 22:49:04
ガオレンジャーって実在するんですか?
882日本@名無史さん:2005/03/21(月) 22:53:43
>>878=>880
確か遺骨は再建された瑞鳳殿に納められていて見られなかったと思う。
レプリカが瑞鳳殿の博物館にあるかも知れないので、後は直接聞いてみて下さい。
883日本@名無史さん:2005/03/22(火) 03:27:18
戦国時代とか江戸時代とかそのあたりの村はどうやって治安をまもってたんですか?
山賊みたいなのに襲撃されたらなすがままでしょうか
884日本@名無史さん:2005/03/22(火) 04:52:45
>>883地侍、庄屋でしょ。
885日本@名無史さん:2005/03/22(火) 05:32:15
俺史学科でゼミ選ばなきゃいけないんだけど日本史で中世って戦国時代も入る?
886日本@名無史さん:2005/03/22(火) 05:56:10
俗に中世を打破して近世に導いたのが信長って言われているから戦国は中世末期。
でもなぁ・・・
887日本@名無史さん:2005/03/22(火) 10:27:52
>>885
戦国時代って言ったって、期間が随分長いぜ。
俺が持ってる大辞林によると、中世は鎌倉・室町時代、近世は安土桃山・江戸時代だそうな。
888日本@名無史さん:2005/03/22(火) 13:40:10
現状、近世史の「王道」は18世紀です。
ですから、「近世史」の先生で戦国時代である16世紀について
わかる先生は少数派です。

では中世史ではどうか?
院政期や鎌倉やってる人には多分わからないでしょう。
室町をやってる人であれば、なんとかなるでしょう。

結論をいうと、戦国時代のうち、どの大名をやりたいか、を
あるいはどの地方をやりたいか、ある程度決めたうえで、
先生に直接、あるいはセンパイに聞くのが一番ということになりますね。
889日本@名無史さん:2005/03/22(火) 14:43:38
日本史の中で剣客サムライ集団と言えば新撰組が非常に有名ですよね。
新撰組以外にも剣客サムライ集団があるとすれば、何がありますか?
890日本@名無史さん:2005/03/22(火) 20:09:01
>>389
赤穂四十七士
891878=880:2005/03/22(火) 23:49:33
>882
ご丁寧にありがとうございました。
892日本@名無史さん:2005/03/23(水) 14:18:18
江戸時代以前の村って最小で何人ぐらいから、最大で何人ぐらいの規模だったんですか?
893マー:2005/03/23(水) 16:11:32
こんにちは。初めて質問させていただきます。
姫路城を建築したのは誰か(武将)わかりますか?
あと、富士山が最後に噴火したのはいつかわかりますか?
アドバイスお願いいたします。
894日本@名無史さん:2005/03/23(水) 17:30:28
>>893
姫路城は南北朝期に赤松氏が築城が定説だが砦のような代物で、本格的な城としては戦国時代の黒田重隆(官兵衛の祖父)だとされている。
関が原後に池田輝政が、その後に本多忠勝の息子(名前は忘れた)が入城して現在に残るような大城に改築された。

富士山の最後の噴火は細かい年号は忘れたが、将軍綱吉の時代の最末期。
895日本@名無史さん:2005/03/23(水) 17:55:21
戦国時代の始まりは応仁の乱ではなく、管領細川政元による将軍足利義稙の追放から始まる。
896日本@名無史さん:2005/03/23(水) 18:15:49
>>893
1707年(宝永4)に大噴火
897日本@名無史さん:2005/03/23(水) 19:57:42
>>893>>896
ちなみに、そのときに宝永山(2,702m)が成立する。
898マー:2005/03/23(水) 20:03:37
大変助かりました。
どうもありがとうございます。
899日本@名無史さん:2005/03/24(木) 07:56:56
うちは村の中でも大きな地主の一つで○○氏、隣は○○家で同じ苗字です。
でも系図的には隣が本家らしいです。
そこで、氏と家の使い分けを教えてください。
苗字は多分明治期についたらしいのですが、別家となってからかなりの時間が経っていたようです。
900日本@名無史さん:2005/03/24(木) 17:13:57
ふと思ったんだけど、改易後ってのは元の主君に仕えていた人たちは全員が浪人になったの?
それとも新しい主君に仕える事も可能だった?
二君に仕えずとか言われているけど。
901日本@名無史さん:2005/03/24(木) 21:14:21
>>900
そこいら辺の事情は現代と変わらぬ。
902日本@名無史さん:2005/03/24(木) 21:33:50
トラバーユしますた
903日本@名無史さん:2005/03/25(金) 02:31:36
ニッポン放送をライブドアが乗っ取ったら、元の社員達は忠義を重んじて
みんなやめるってこと?
904日本@名無史さん:2005/03/25(金) 02:52:08
だからその辺は現代の事情と一緒。
忠義を重んじて旧主君について行くものもあれば、
別の主君を探すものもあれば、
現実を直視して新主君に仕えるものもある。

精神論だけじゃ飯が食えないのは今も昔も一緒。
905日本@名無史さん:2005/03/25(金) 21:15:17
>>900
良く知らないけど、折りたく柴の記なんかを見ると、ひとくちに主君と家臣といっても、
つながりの度合いが色々あって、知り合いの口利きとかであちこち移ってる人もけっこ
ういたみたいですね。
新井さんが特に有能だったから、ということはありそうだけど、全くの例外というわけ
でもなさそう。
906日本@名無史さん:2005/03/26(土) 20:25:23
最近 食の歴史にはまってるんだけど戦国時代とか江戸時代の武士の食事について詳しく扱ってる本ないかな?
前買った歴史読本に少しだけ戦国時代とかの食事について書いてあったんだけど・・・
907日本@名無史さん:2005/03/26(土) 21:08:53
今まで生麦事件で殺されたのがヒュースケンだとばっかり思ってました。
全然違うんですね。
908日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:12:16
>906
『雑兵物語』
909日本@名無史さん:2005/03/27(日) 08:17:39
日本で科挙制度が導入されなかったのは、なぜでしょうか?
910日本@名無史さん:2005/03/27(日) 10:02:06
既得権益のもった豪族層がそのまま律令貴族になったから
911日本@名無史さん:2005/03/27(日) 12:00:38
>>909現在はあるじゃん。キャリア官僚。
912日本@名無史さん:2005/03/27(日) 16:31:47
梶原景時の子に源太景季というのがいましたけど、

平氏なのになぜ「源太」なのですか?
913日本@名無史さん:2005/03/27(日) 17:39:47
>>906
96年に河出文庫から出た「たべもの戦国史」(永山久夫)はどう?
914日本@名無史さん:2005/03/27(日) 21:00:52
>>911
キンタマも取ってもらおう。
915日本@名無史さん:2005/03/27(日) 23:38:06
質問であります。

今放映中の大河ドラマ「義経」にて、後白河院は自分自身を「み」(身?)と
呼んでいますが、やはり実際に譲位した上皇や法皇は「朕」ではなく「み」と
自称するのですか?
916日本@名無史さん:2005/03/28(月) 01:32:54
「身」というのは、別に上皇や法皇に限定の一人称ってわけじゃありません。
中世以降、男性の一人称として普通に用いられたもので、今で言うなればただの「私」です。

このドラマでは「身」ですけど、史実の後白河法皇は自分をどう呼んでたんでしょね。
梁塵秘抄口伝なんかじゃ法皇様の一人称は「我」ですけど…。
ここは中世史の泰斗・山野さんあたりに伺いたいところ。
917日本@名無史さん:2005/03/28(月) 01:35:36
>>914
それは官宦
918日本@名無史さん:2005/03/28(月) 02:35:32
大坂の陣では、豊臣方は浪人を金で集めて兵としたようですが、戦国時代の戦闘の場合はいかがだったのでしょうか?
自分の家来の他に、浪人を雇ったりしたのでしょうか?
919日本@名無史さん:2005/03/28(月) 02:57:23
陣借りというのはありました。
陣借りとは、戦でどちらか一方に押しかけて所属し、その兵力として戦うことです。
依頼されたものではないから報酬などは出ません。
働きがあれば、恩賞にありつくことができた程度です。
その働きを認められて後日の仕官を狙う目的で行われる場合もあります。
920日本@名無史さん:2005/03/28(月) 03:28:26
板垣退助の先祖は、関が原で山内家に陣借りして、そのまま仕官。当時「乾」姓。
921918:2005/03/28(月) 03:34:31
>>919>>920
そうですか、わかりました。
ありがとうございます。
922日本@名無史さん:2005/03/28(月) 19:42:34
>>908
>>913
レスサンクス。「たべもの戦国史」早速注文したよ。85年の初版だけど・・・
923日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:43:03
>>498の回答ってもらえました?
924日本@名無史さん:2005/03/29(火) 03:31:13
日本史フラッシュって無いのでしょうか?
歴史的な質問ではなくて申し訳ないのですが。
明治維新頃のフラッシュを探しています。
925日本@名無史さん:2005/03/29(火) 08:34:58
紀元前1年の翌年は紀元1年なんですか?
それとも紀元0年なんですか?
926日本@名無史さん:2005/03/29(火) 09:49:18
>>925
世界史板に池
927日本@名無史さん:2005/03/29(火) 10:08:32
>>925
難儀だな。
1月の前は、何月だ。1日(ついたち)の前は何日だ。
1時の前は(普通は)何時だ。
928日本@名無史さん:2005/03/29(火) 10:21:55
>>498
実力
929日本@名無史さん:2005/03/29(火) 11:49:42
>>927
1月の前は12月。
1日の前は30か31か28か29。
1時の前は12時か0時。
紀元1年の前は紀元0年ってことか。
930日本@名無史さん:2005/03/30(水) 04:52:23
申し訳ありませんが、陣借りについて、もう少し教えてください。
陣借りをする場合、城なり陣なりに出向いて、「浪人○○ご助勢つかまつる」などと名乗りをあげたのでしょうか? それとも、戦場に直接行き、その場で参加したのでしょうか?
ヨロシクお願い致します。
931日本@名無史さん:2005/03/30(水) 11:19:01
>>925
西暦紀元を思いついたときヨーロッパ人はゼロを知らなかった。
932日本@名無史さん:2005/03/30(水) 12:09:12
なぜ歴史を学ぶ必要があるんですか?
過去を振り返って何の役に立つのですか?
933日本@名無史さん:2005/03/30(水) 12:16:14
>>932
賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶってのがあるな。
ヤケドしなきゃ、ヤケドの痛さ、苦しさが分からないというのは困るだろ。
イルカやクジラだって、子にエサの取り方を教えているというぞ。
義務教育は、最低限の歴史の勉強だな。学科の「歴史」だけが歴史ではない。
934日本@名無史さん:2005/03/30(水) 12:20:38
>>925
数には、整数、負数、少数、無理数、虚数ってのがあるが、序数ってのもある。
935日本@名無史さん:2005/03/30(水) 12:54:28
歴史を勉強しなければならない理由がわからないですね。
過去の経験から学べっていうなら、あそこまで細かく勉強する必要なないでしょう。
おおざっぱに知っておけばいいだけの話です。
936日本@名無史さん:2005/03/30(水) 17:13:42


韓国の極一般的な小中学校で行われている、社会の授業風景。


テロ朝が2年程前に取材した時のキャプ画像より。


http://www.animar-japan.com/cgi-bin/history/imgbox/img20050330170149.jpg
937日本@名無史さん:2005/03/30(水) 17:19:59
>>935
君がどれほど勉強したかは知らないが、恐らく大雑把にしかやってないと思うが?
938日本@名無史さん:2005/03/30(水) 19:29:04
そうかな?高校の歴史の教科書とか覚えても意味のない事ばっかりじゃない。
生活の役に立たない事ばっかり。
歴史板に入り浸っているみんなは趣味で覚えたり調べたりしているのが楽しいかも知れないけど、
普通に過去の経験に学ぶためだけに生きているなら、覚える事は1世紀につき10個位で十分でしょ。
キリストが生まれました。ローマ帝国がありました。卑弥呼がいました。
第一次世界大戦がありました。第二次世界大戦がありました。くらい。
律令制度を事細かく覚えて何の役に立つの?
中学レベルの租調庸でさえ要らないと思う。
939日本@名無史さん:2005/03/30(水) 19:31:39
例えば、936みたいな事を徹底的に教える歴史の授業、つまり韓国は嘘の歴史ばっかりを
教えているんだよ、日本はどうすればいいの?ってのなら役に立つと思う。
でも、その他のくだらないものは必要ないよね、歴史の授業には。
940日本@名無史さん:2005/03/30(水) 20:35:38
歴史を学ぶ最大の理由とは何かを考えるスレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1103122554/l50
941日本@名無史さん:2005/03/30(水) 20:46:45
>>938
高校の教科書は十分あれで大雑把なんじゃないか?
ほんとに「学んでる」といえるの?
942日本@名無史さん:2005/03/30(水) 20:55:25
なぜその時、そんな事をしたのか?ってとこまで踏み込んで
初めて役に立つ歴史の勉強になるんじゃない?
学校の勉強は、世間に出たときに
馬鹿にされないための雑学ですな。
同じような失敗をしない為に有る学問なはずなんだけどねぇ?
943日本@名無史さん:2005/03/30(水) 21:28:04
そういえば 中学・高校と日本史習ったけど
共に明治維新までしか習ってないや
944日本@名無史さん:2005/03/30(水) 22:46:47
>>939
>韓国が嘘の歴史ばっかりを教えているんだよ、日本はどうすればいいの?
これを考えることのどこが、役に立つ学問なんだ?
単なる内政干渉じゃないか。それに、そうなるとなぜ嘘の歴史を教えるようになったのか、原因を調べるためにそれについての歴史を学ばなくちゃならんぞ。
945日本@名無史さん:2005/03/30(水) 22:49:10
>>943
俺は高校の時、明治維新以前のことはしなかったなぁ。
946日本@名無史さん:2005/03/30(水) 22:50:47
韓国の起源はメソポタミアというのが馬鹿げた話だというのは勉強しないと分からんかもしれんが
韓民族の祖先は熊だというのは勉強せんでも(ry
947日本@名無史さん:2005/03/31(木) 00:21:26
>>946
なんだ、ただの嫌韓厨か。
948日本@名無史さん:2005/03/31(木) 02:18:55
大學教授とgoatsong ◆ZJLQCE9Eは同一人物ですか?
949日本@名無史さん:2005/03/31(木) 03:06:30
ネットで日本史を勉強したいんだけど
オススメのサイトを教えてくれたら幸いです お願いします
950日本@名無史さん:2005/03/31(木) 03:38:02
http://blogs.yahoo.co.jp/livinonaprayerjp/folder/170652.html
何か間違いがあったらブログに間違いを指摘してください。
951日本@名無史さん:2005/03/31(木) 03:48:54
コメントが欲しいならもっと単純な方法がありますよw
ウヨにトラックバックを打ちまくればいいんじゃないですかぁ?
952日本@名無史さん :2005/03/31(木) 03:54:26
>>949
ネットは止めておけ(トンデモを当然のごとく引用してる、適当な個人のサイトが多いから)
作者の思想信条がはっきり解る、本の中から何冊か選んだ方が良い
953日本@名無史さん:2005/03/31(木) 08:12:44
歴史を学ぶモチベーションがあがらないよね。
本当に意味のない事ばっかりしか教科書には載ってないし。
細かすぎ。歴史を学ぶ意義がなぜその時そんな事をしたとか、過去から学べって言うなら、
中学レベルでもあんなに細かく意味のない事を覚える必要はないでしょう。
954日本@名無史さん:2005/03/31(木) 08:53:32
>>953
>>本当に意味のない事ばっかりしか....
興味が持てないとか、面白くないとかが、本音だろ。意味はあるんだよ。

主観の問題をここで、同意を求めても、マサに意味はない。誰かがそうだと
言って、先でだまされたと後悔しても、取り返しはつかない。自己責任。
955日本@名無史さん:2005/03/31(木) 11:54:04
今話題の鹿内家って江戸時代は何をやってたのですか?
956日本@名無史さん:2005/03/31(木) 15:49:07
武士は西暦でいうと何年までいたんですか?
957日本@名無史さん:2005/03/31(木) 16:27:06
意味の無いこと覚えなきゃイカンのは、
歴史に限ったことではないと思われ。
958日本@名無史さん:2005/03/31(木) 16:54:35
教科書はむしろ端折り過ぎで流れがわかりにい
959日本@名無史さん:2005/03/31(木) 17:24:34
>>958
同意。
例えば、教科書作成者、文部科学省なんぞで、工夫したいことはあるんだろうが、
見方によっては、誘導し過ぎとの批判が出るんで、当たり触りのない内容になるん
ではないか。先生が工夫すれば多少違うかもしれないが、多くの先生がそうなる
とは期待できないし。痛し痒し。
まあ、教科書は、インデクス+アブストラクトと割り切った方が気軽ではないか。
図書館へ行って、伝記ものとか読むのがいい。マンガもあるし。
しかし、将軍から一字貰った名前を付けるとかいうのは、卒業して知ったが、
早く教えてもらったら楽だったと、悔やんだな。
960日本@名無史さん:2005/03/31(木) 17:47:33
意味の有り余ってる壮大な歴史を、はしょって端的にまとめるのがどれだけ大変か。
それだけでも大きな工夫が完成されているだろ・・・。
961日本@名無史さん:2005/03/31(木) 21:27:03
流れを無視して御免なさい。

>930
戦場では味方でない者は全て敵です。
また、仕官にせよ恩賞狙いにせよ、あるいは武名を高めるためにせよ
自分の手柄を認めさせるためにはそれを確認する者が必要です。

いきなり戦場に乱入して首をとり戦後処理の際にその首を
持ち込んでも拾い首だと見做されるだけでしょう。
962日本@名無史さん:2005/03/31(木) 21:39:01
>>942
全科目についてそういうことをやったら、何年たっても卒業できない。

> 同じような失敗をしない為に有る学問なはずなんだけどねぇ?
そういう効能書きをつけたがる者もいるけど、怪しいと思う。
963日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 04:09:55
捏造歴史の皇紀の日付をつける2chってアホじゃないか?
964日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 07:59:15
>>961
ということは、事前に城に赴き、傭兵として登録しておくということでしょうか?
そういった登録制度に名前はあるのでしょうか?
そういったことを解説している書籍はないでしょうか?
教えて厨で申し訳ありませんが、ヨロシクお願い致します。
965日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 14:49:25
日本史上、いちばんの長期政権保持者は誰なんでしょう。
地方政権ではなく中央政権で。
ただ君臨していたんではなく、実質的な「時の日本政府首脳」
と呼ばれるべき立場の人で。

知人にきいたら、「藤原頼通」と言ってましたが、徳川家斉
ではないんでしょうか。
966日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 15:56:19
どっちも50年だな。

関係ないけど、詮子と道長って異母姉弟だったんだね。
なんで道長をかわいがったんだろう。
967日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 17:27:32
慶長ワロスwww
968日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 23:39:43
>964
>そういったことを解説している書籍はないでしょうか?
よく2chで引用されているのは藤木氏の『雑兵たちの戦場〜中世の傭兵と奴隷狩り〜』です。

所謂戦国時代を俯瞰的に扱っている書籍として奥野高広氏の『戦国武将と民衆』もあります。
お求めのテーマに関しても少しだけ記述がありますし、
藤木氏とは異なるアプローチで書かれてあるので御一読をお勧めします。
現在では入手が難しいと思われますので図書館等で探されてみてはいかがでしょうか。
969日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:07:18
太平洋戦争の前に日本国内で北進論というものが
提唱されていた時期がありましたが、
それは資源を確保できるものだったのでしょうか?
970日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:09:17
観点が違う
971日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 03:38:55
そうだね
972日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 10:30:29
廃藩置県前の日本の地図を探しているのですが、
インターネット上にありますか?

あと、昔は測量技術も確立してなかったから歴史の教科書に載っている地図は、
後に目印などを基準に測量しなおしたのでしょうか?
そういうことを扱っているサイトとかあればついでにおながいします。
973日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 12:31:52
>>969
満州の安全確保が目的だろう>北進

>>972
日本列島の形はほぼそのままなのだから、当時の行政資料を現代に比定しているだけだろう。
974日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 12:47:59 BE:1354043-#
>>972
「伊能忠敬」でググって下され
975日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 13:01:13
縁日で亀を売っているのはどうして?
976日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 13:01:58
>>966
同母兄弟の筈だが…。
977日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 18:53:12
>>976
異母姉弟なのに同母弟じゃなくて、なんで腹違いの道長を贔屓したのかって事でしょ?
978日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 19:08:38
>>977
詮子と道長はともに藤原中正の娘・時姫が生んだのだから、異母姉弟ではない。(>>976はそこを指摘している)
979日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 19:43:52
>>978
http://nekhet.ddo.jp/people/japan/fujiwarakita.html#kaneie
ここ見た時に分断して書いてあったし、名前がないから母親が別人だと思っていた。
道隆、道兼、詮子の母親は時姫の姉とか妹じゃなくて時姫なんだ。
980日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 19:51:01
>>912
・テキトーに名付けた。
・悪源太義平に因んだ。
・じつは頼朝の御落胤をもらいうけた。

のどれかと思われ。
981日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 23:41:38
>>965

白河天皇〜白河院は実権を握った【日本政府首脳】だったと
してもいいんじゃない?
982日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 01:19:50
>>981
白河院は、堀河天皇親政時には実権がなかったとされてますな。
まぁ、正確に年数を計算して、頼通と比較したわけではないので、
その分を引いても最長かもしれませんが。
983日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/03(日) 06:08:14
日本史のラスボスは織田信長だと思うのですが
インパクト的にも知名度的にも
984日本@名無史さん:2005/04/03(日) 08:17:01
>>983
ラスボスってなんだよ?
お前、ゲームのやりすぎだぞ。頭がおかしくなるぞ。
985日本@名無史さん:2005/04/03(日) 09:05:49
中公文庫の『日本の歴史』ってどうなんですか?
986日本@名無史さん:2005/04/03(日) 09:14:34
>>973-974
ありがとうございます、勉強になりますた。
987日本@名無史さん:2005/04/03(日) 10:10:28
>>961>>968
遅くなって申し訳ありませんが、ありがとうございます。
988日本@名無史さん:2005/04/03(日) 10:38:07
二つ質問があります、教えてください。
@日露戦争の旅順攻略のとき、日露双方の軍人の犠牲者数
A盧溝橋事件から始まる日中戦争において、終戦時における双方の軍人の犠牲者数
どうぞよろしくお願いします。
989日本@名無史さん:2005/04/03(日) 10:51:08
>>988
マルチすんなよ。
990日本@名無史さん:2005/04/03(日) 11:30:37
日中戦争による日本軍の死者は41万人、戦傷病者は92万人。
中国のうけた被害は、軍人の死者130余万、戦傷病者約300万人、
民間人の死傷者は約2000万人。
991日本@名無史さん:2005/04/03(日) 11:43:40
>>990 情報ありがとうございます。
けれど民間人の死傷者数2000万って信じ難いのですけど・・・
992日本@名無史さん:2005/04/03(日) 12:10:59
次スレ
【初心者】スレッド立てる前に質問をPart11【歓迎】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1112497759/l50
993日本@名無史さん:2005/04/03(日) 13:19:36
現在、農書としてではなく、軍記として『清良記』は読めるのでしょうか?
9942:2005/04/03(日) 13:31:19
ありがとうございます。
995日本@名無史さん:2005/04/03(日) 15:19:04
>>990 民間人死者は政府系資料でも1200万程でない?
996日本@名無史さん:2005/04/03(日) 16:25:17
>>979
確かに誤解されそうな書き方だな。
ちなみにこっちも参照してみてください。
http://yamatokagami.nce.buttobi.net/k/a0.html
997日本@名無史さん:2005/04/03(日) 16:28:11
>>993
昔大学の図書館で読んだことはあるが、確か地元の地方出版社の刊本だから…。
998日本@名無史さん:2005/04/03(日) 16:46:57
>>997
地元と言いますと、愛媛の方ですか?
999997:2005/04/03(日) 18:40:07
>>998
確か愛媛の出版社だった気がする。
1000997:2005/04/03(日) 18:41:28
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