952 :
日本@名無史さん:2007/06/14(木) 18:29:19
>>947 間違えたわけでなく
懐良親皇はサク封を受けていたはず
専門外の者だが質問します。
蘇我氏が百済系って、そうなの?
藤原氏(中臣鎌足)が百済系で、反百済の蘇我氏を殺し(大化の改新)、
その時組んだ、中大兄皇子・後の天智天皇が、百済復興の「白村江の戦い」をやったんではないの?
この認識間違いだったら、簡潔に教えて。
専門外の住人しかいません。
自称でもウソでもいいから専門家はいないのかい?
>>954 曽我氏は高句麗系のような気がする。
藤原氏はまったく不明。
天智天皇は純血系で「白村江の戦い」は大陸の情勢がわかってない上での失策だったと思う。
957 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:06:32
母系が高句麗系だと思う。
おそらく、550年の道薩城の役後、大伴狭手彦が蘇我稲目に送った、
高句麗の美女媛と吾田子のいずれかが、蘇我馬子の母親だと思う。
958 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:19:39
中大兄皇子は、父舒明天皇の代に亡命してきた
百済の王子を支援する形をとっていたように思う。
豪族が百済系だの、高句麗系だの、いったところで、
帰化してしまえば、本国とのつながりはない。
中臣家(藤原氏)は外来種ではないと思う。
959 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:20:50
960 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:24:37
百済王族の木満致と豪族蘇我満智を結びつけることに対しては、異論が多い。
そもそも、蘇我稲目以前の蘇我氏の家系図は、
信憑性が薄い。
蘇我満智は蘇我氏系図にしか現れず、実在性が疑われている。
961 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:25:41
>豪族が百済系だの、高句麗系だの、いったところで、
>帰化してしまえば、本国とのつながりはない。
とんでもない勘違いだよ。
木満致は、倭にあって百済の政治をほしいままにし、
恨みをかった、という趣旨が百済紀に書いてある。
要するに亡命政権なんだが、本国政権がないわけで、
亡命政権が唯一の政権でもあったということだろうよ。
962 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:31:42
>>954 日本書紀の神功皇后や応神天皇のところに、木羅斤資と木満致(母は新羅人)という親子が出てくる。
よく読むと木羅斤資は神功や応神の家来、木満致は応神の家来としか読めないが、アンチ皇国史観という古臭い偏見のため、百済の将軍とされた。
時には、「木羅」という名が朝鮮っぽいから百済人などと言う高名な学者もいる。
で、木満致は、蘇我満智に名前が似ているからそういつ人物であると、根拠レスに主張。
故に、蘇我氏は百済であると。
要するに
木満致は、百済人で、蘇我の祖先。
その理由は、
a 木満致の父の「木羅」という名が朝鮮っぽいから。
b 木満致の満致が蘇我満智のマンチっぽいから。
アホらしか。なら行くぞ。
満致がオマーンっぽいから、木満致は、オマーン国王の祖先!!!
963 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:32:30
日本書紀と百済記に次のようにある。
これが、蘇我満智でないとは考えがたい。
『日本書紀』応神天皇25年条に、百済の国政を執った木満致が登場する。
「25年に百済の直支王薨りぬ。即ち子・久爾辛王、立ちて王となる。王年幼し。
木満致、国政を執る。王の母と相婬けて、多に無礼す。天皇聞こしめして召す。
百済記にいわく。
木満致は、是れ木羅斤資、新羅を討ちし時に、その国の婦を娶りて生むところなり。
その父の功を以て、任那に専横せり。わが国(百済)に来入りて、貴国(倭国)に
往還(かよ)ふ。制を天朝(倭国の天皇)に承りて、わが国(百済)の政治を執る。
権勢世に当れり。しかるを天朝、その暴(あしき)を聞しめして召すという」
964 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:36:07
>>962 お前のその素晴らしい説は、百済記と矛盾する。
よって、無価値。
965 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:38:30
百済の木満致は、実在の人物だろうね。
だから、何?
蘇我満智が実在した証明となる史料をもってきてほしいんだけど。
文章、読めてる?
966 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:52:31
お前は百済記が、
日本にいながらにして、百済の政治を牛耳っていたという人物が
日本では有力貴族でもなんでもなく、たとえば一般庶民として
乞食みたいな生活でもしていたと、言いたいわけか?
頭、大丈夫か?
967 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 12:59:57
>>964 矛盾? どこが?
ちなみに、
>>953でも、
「わが国(百済)に来入りて」
つまり、木満致は、外部から百済へやってきた。
「制を天朝(倭国の天皇)に承りて、わが国(百済)の政治を執る」
木満致の命令権者は倭国の天皇(=応神)としか読めない。
この当時、百済が倭の属国で、木満致は倭人とすれば、何の矛盾もない。
なお、当時の百済や新羅は倭の属国になったり、独立したり、高句麗の属国になったりと安定しないことは、
高太王碑文から明白。
968 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:01:20
間違えちった。
>>964 矛盾? どこが?
ちなみに、
>>963でも、
「わが国(百済)に来入りて」
つまり、木満致は、外部から百済へやってきた。
「制を天朝(倭国の天皇)に承りて、わが国(百済)の政治を執る」
木満致の命令権者は倭国の天皇(=応神)としか読めない。
この当時、百済が倭の属国で、木満致は倭人とすれば、何の矛盾もない。
なお、当時の百済や新羅は倭の属国になったり、独立したり、高句麗の属国になったりと安定しないことは、
好太王碑文から明白。
969 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:03:34
>966
頭、おかしいのはお前だよ。
木満致が日本に住んで、
百済の政治をとっていたなんて、
どこにも書いてない。
木満致はいつ、日本に移住して、
蘇我の姓を賜ったというんだ?
970 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:03:57
メーソンによる世界経済破壊に続く第3次世界大戦
北京オリンピック終了後、メーソンは弱者を犠牲にしてしか成り立たない偽
りの資本経済を維持する為に、世界経済から資金を引き上げて恐慌を引き起こ
す。手始めに中国バブルを起こす。中国はバブル崩壊によって経済が潰れ、人
民が暴動を繰り返す。北朝鮮は韓国等の経済援助を断たれて行き詰まり、祖国
統一をうたって韓国に侵攻する。それに呼応して中国は台湾を侵略する。日本
は誤った憲法解釈の下に集団的自衛権を行使して、同盟国の韓国、台湾を救出
すべく自衛軍を派兵する。北朝鮮の後には中国、ロシアが控えており、日本は
格好の餌食となる。ロシアは北海道より攻め寄せてくる。日本の大都市は中国
等の核攻撃を受ける。アメリカは助けてくれないばかりか日本を攻撃する。こ
の時日本人は知るだろう。なぜ、黒船が来たのか。太平洋戦争で日本を挑発し
たのか、侵略者に仕立てたのか。大空襲と原爆で日本人を大虐殺したのか。金
融の自由化、バブル崩壊による日本経済の破壊と乗っ取りが行われたのか。こ
れらは日本を破滅させて占領するためである。
国家権力の牙が国民を襲う
国家の破産を先送りにする為に、福祉の切り捨て、大増税が敢行される。国
の借金3000兆円(隠している分も加算)を解消するには焼け石に水である。
政府とすればこれを誤魔化す為には、外国から侵略されて戦争になってくれた
方が有り難いのである。支配層は国を売って奴隷になっても構わないと思って
いるやつらである。こんなやつらが日本を支配しているのだからお先真っ暗で
ある。国民は預金封鎖と大増税で、金と財産を巻き上げられ、住基ネットによ
り管理されて、反逆者は食料も得ることが出来ず抹殺される。運の良い者は共
謀罪で牢獄に収監される。政府は携帯電話による盗聴、防犯カメラ、公安、2
チャンネル等で反逆者を捜索している。
971 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:05:24
いつも思うんだが、なんで日本の歴史書は捏造で、チョンやチュンの歴史書は信憑性があるの?
そういう根拠って何?
972 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:13:07
応神朝の出来事の割りに、
蘇我氏が活躍をはじめるのは、欽明あたりからだよね?
宣化あたりが初出で、それまでは蘇我氏の名前など、正史に一切出ない。
百済の政治を牛耳った大貴族、日本へ移住しても大豪族、だというのならば、
なんで日本側の史料に満智の活躍が描かれないの?
応神朝から天智朝まで、日本の天皇家の外交政策は、
すべて木満致とその子孫の政策だというのならば、
応神以降の王朝で、蘇我氏は第一の外交担当豪族として史料に登場するはず。
でも、実際に、将軍などの名前として史料にある日本側の大豪族は、
もっぱら葛城氏や平群氏なんだよね。
蘇我氏が重用された形跡は、一切なし。
973 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:18:49
974 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:26:37
チョンチキがまた騒いでるなw
975 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:51:05
976 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 13:57:02
977 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:05:52
だいたいにおいて、
満智の子が韓子(からこ)で、その子は高麗(こま)。
(その次が稲目だが。ちなみに、満智より前の系図は創作と言われる)
朝鮮系でない(つまり、大和土着の豪族)というなら、
なんでそんな名を付けるのよ。
常識をもって判断しろよ。
皇国史観もいいが、あまりに無理な論は、日本の品位を貶める。
どちらにしろ想像でしか話できないならすべきではない。
終了。
979 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:11:00
お前は、皇国史観に合致しないものは認めないのか!
俺は、真実しか認めないぞ。
980 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:13:39
雄略天皇の妃、葛城韓媛、
これも朝鮮系だといいかねんな。
ここのチョンチキは。
981 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:19:35
>>976 『上宮聖徳法王帝説』か?
近江、林、豊浦は、いずれも地名ではないの?
一貫性のある読み方のほうが好き。
葛城皇子=中大兄(=近江天皇)であっても葛城の一族ではない。
林太郎=入鹿としても林の一族とは限らないよ。
門脇信者?
982 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:23:38
常識で言うのなら、「韓子」というのは渡来氏族が使う名称ではないよね。
逆に、朝鮮系氏族に「韓子」とか「高麗」といった名前は見かけない。
「大日本人娶蕃女所生爲韓子也」(継体紀24年より)とあるし、
奈良時代には「県犬養唐」という人がいるが、この人は唐人なのかい?
983 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:23:42
>977
満智より前の系図が創作だなんて、誰が決めたの?
そもそも、日本の正史、日本書紀、古事記には、
稲目より前の人物は登場しない。
信憑性がないんだよ。
それを、満智までさかのぼらせるあたりが、君の創作。
いや、君が信仰する先生の創作か。
984 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:24:46
>>977 大昔の名前の流行や好みなんぞ、今さら勝手に憶測してもしょうがない。
むしろ、蘇我氏が百済系だというといいながら、高麗(こま)という名はOKなど、本当にどうしようもない。
行き当たりばったりにしか考えていないだろ。
>>979 皇国史観だろうが蘇我氏が百済系だろうが、
どちらも想像・妄想が入った仮説にすぎず、
お前の欲している「真実」ではない。
真実が知りたければタイムマシーン作るほうが早いw
986 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:51:43
蘇我馬子、蘇我蝦夷、蘇我入鹿
まずこの名前が創作。
馬鹿の語源は中国の漢代、
秦の二代皇帝胡亥を馬鹿にして創作された作り話が語源
と考えられ、前権力を否定する為に作られた
話が馬鹿の語源である。
日本書紀を創作した奈良時代にこの言葉が
日本に伝わり、最新の言葉が使われた。
蝦夷は大和朝廷が征服途中であった、
東北地方の蛮族を差別、卑下した総称である。
馬子、蝦夷、入鹿は蛮族を馬鹿でサンドした名前、
実在の名称としてはありえない。
隋との国交を樹立して、日本初の憲法を制定した
人物が蘇我馬子であったら都合が悪かったと考えられる。
後の権力者であった藤原氏の創作が濃い「日本書紀」を
今時鵜呑みにする学者は、絶滅危惧種。
987 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:56:41
また湧いたよ。蔑称説馬鹿が。orz
988 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 14:58:02
>>980 >雄略天皇の妃、葛城韓媛、
>これも朝鮮系だといいかねんな。
この流れをくんでいる可能性はないとはいえない。
というか、この娘は誰にあたるのかな…
http://ja.wikipedia.org/wiki/倭・倭人関連の朝鮮文献
三国史記(新羅本紀)
312年 春三月に、倭国の国王が使臣をつかわして、息子のために
求婚したので、王は阿飡の急利の娘を倭国に送ってやった。
漢代に語源があるならもっと早く入ってきてるだろwww
あと名前の創作なんて言ってるやつまだいるんだなw
990 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 15:01:01
「馬鹿・バカ」の語源説は調べてみた方がいいぞ。
991 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 15:05:40
>988
雄略妃葛城韓媛は、雄略に滅ぼされた葛城円大臣の娘で間違いないのだが。
葛城韓媛の子が、清寧天皇。
312年は、謎の4世紀、日本に史料がない時期であり、
少なくとも五世紀仁徳天皇以降の倭の五王とは関係がない。
現在の天皇家との関係も不明。
992 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 15:25:28
しかし、余談になるが、
この(他国の王家に)通婚を求めるという手法が、
当時の日本が朝鮮半島に足場を築くことになったのかねぇ。
そして、皇室は皇室であると同時に、朝鮮王家の血筋をも
受け継ぐという展開に…
雄略朝にも池津媛なる人物が天皇に贈られたらしいが、
(池津媛は結局、家臣と密通したため天皇妃にならなかったが)
史料を読む限り、朝鮮籍の妃を母とする天皇は見当たらない。
だから、今上の「桓武天皇の母は〜」発言になるんじゃないのか。
それ以外は、散見されない。
桓武天皇の母高野新笠は、父方はたしかに渡来系の「和」氏だが、
母方は日本土着の「土師」氏。
純粋培養の外国人などではない。
すでに、日本で何代にも渡って住み、本国での権力など全くなかったが。
994 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 15:53:02
蘇我満智と、百済王族外戚・木満致の件だが、
蘇我満智が日本に来たのは、だいたい475年過ぎのこと。
http://www.okunomasao.com/saikin/051126Ronbun.htm その後、百済では東城王が即位した。
その件につき、三国史記と日本書紀では次のようにある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/東城王 『三国史記』では三斤王が479年11月に死去去したので王位についたとするだけであるが、
『日本書紀』雄略天皇23年(479年)4月条では、「百済文斤王(三斤王)が急死したため、
当時日本に滞在していた昆支王の5人の子供のなかで、第2子の末多王が幼少ながら聡明だった
ので、天皇は筑紫の軍士500人を付けて末多王を百済に帰国させ、王位につけて東城王とした。
なぜに日本がこのような力を持ちえたのかと考えたとき、
百済王族外戚・木満致(蘇我氏の祖である蘇我満智)が日本にいたからと考えれば、理解しやすい。
妄想
>994
その偉大なる蘇我満智が、なぜ一切史料に登場しないかについては全く答えず。
妄想君、もう出て行ってよ。
997 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 16:04:25
>>994 すでに405年にも同じようなケースがあるんだが?
998 :
日本@名無史さん:2007/06/18(月) 16:04:40
おまえなぁ、
日本書紀は蘇我氏の事績を否定するために作られたもの
なんだから、出てこなくても不思議でないと分からんのか。
ああ、馬子編纂の国史があったらなぁ。
次スレ立てるのか? 立てるなら、
日出る処の天子 は馬子か太子か
とでも題してほしいね。
>998
蘇我氏の功績を否定したいのなら、
欽明以降の蘇我氏の活躍こそ、全部省くべき。
日本書紀にかいてないことを捏造することが、正しい解釈?
違うだろ。
頭おかしいんじゃねえの?
捏造君の話で、終わってしまいました・・・
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。