現代からしてみれば驚く江戸時代の技術

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518日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:38:54
そういえば、ペリーが測量しようとした時に伊能忠敬の地図を見て、その正確さに
驚いて帰国した後に、幕府が砲台が完成させ、もしかしたら戦争になってたかも
しれないって聞いた事があんだけど本当かしら?
519日本@名無しさん:2008/08/01(金) 22:53:26
>>516
昔は根付、今ストラップフィギュア。
根付にこれといった伝統があるわけじゃない。ブームになったんでクオリティが揚がっていっただけ。
凄い凄くないは別の話、所詮はサブカル。愛されたものだけが遺され、伝わるだけ。
それ以外に、特別に遺すほどのものなんかないのですよ…

「いいものを愛そう」 この心がけだけ、伝えればいい。 愛されれば伝わっていくのだから。
520日本@名無史さん:2008/08/02(土) 11:48:50
江戸時代って そう言うサブカルに力こめてた感じがあって、
楽しそうじゃないですか。    俺だけ?
521日本@名無史さん:2008/08/02(土) 14:21:11
庶民文化はサブカルだからねぇ
またそれを明治以降に欧米がマンセーして
更にその評価が宇ターンして日本に帰ってきて
今に至っているわけだが
522日本@名無史さん:2008/08/02(土) 15:26:23
>>518
伊能地図は幕府の秘蔵だったんじゃないですか。テレビでやってたよ。
日本地図を海外に持ち出そうとした、シーボルト事件もあったしね。
持ち出し厳禁!
それに、ペリーは江戸登城はしてなかったと思う。
初めて将軍に謁見したのは、確かハリス。篤姫でやってたよ。
523日本@名無史さん:2008/08/02(土) 16:38:07
確かに初めて将軍に謁見したのはハリスだが
「篤姫でやってた」から事実認定されても困るw
524日本@名無史さん:2008/08/02(土) 16:52:59
あの時家定は奇行だったんでしょ。
テレビではどうしたのかな〜。
525日本@名無史さん:2008/08/03(日) 00:19:31
テレビではヨーっと踊りました。
526日本@名無史さん:2008/08/03(日) 01:18:36
>>522
結局持ち出されて、ペリーも伊能地図の複製はもってたんだよ。
で「日本人の作った地図なんかあてになるか」と思って測量したら
伊能地図と同じだったんで驚いたんだよ
527日本@名無史さん:2008/08/04(月) 14:39:46
>>526
ペリーは何処から伊能地図を手に入れたんですか?
528日本@名無史さん:2008/08/05(火) 21:09:05
48手
529日本@名無史さん:2008/10/05(日) 00:07:13
江戸庶民の一人遊びとかワロタ
530日本@名無史さん:2008/10/05(日) 07:25:51
江戸時代の扇子の先から水を噴出す見世物の技術は現代でも手品の種あかしが
難しいな。
531日本@名無史さん:2008/12/07(日) 00:45:29
技術じゃないけど春画とか、今とあんまり変わらないらしいね
532日本@名無史さん:2008/12/07(日) 01:01:38
>>527
シーボルトが交流のあった最上徳内や高橋景保から伊能図を見せてもらう
→シーボルト伊能図を違法コピー
→シーボルト、スパイ容疑で幕府から国外退去処分、伊能図海賊版海を渡る
→ヨーロッパで伊能図海賊版大量コピー
→ペリーの手に渡る
http://ja.wikipedia.org/wiki/伊能図

>>526
確かイギリスも日本近海を測量しようとしたとき、
立ち会っていた幕府役人から伊能図を見せられ、
ビックリし、伊能図で不明な所だけ少し測量しただけで帰って行ったんだよね。
533日本@名無史さん:2009/02/07(土) 23:19:29
534日本@名無史さん:2009/02/08(日) 02:54:42
エレキテル!
535日本@名無史さん:2009/04/12(日) 00:14:33
ガイドブックとか
536日本@名無史さん:2009/04/12(日) 02:35:06
>>327 八幡はシナ語で読めばパーファンだろうが、それがどうしてヤーパンになるんだ?

 八をヤと読むのは訓読みだ。
537日本@名無史さん:2009/05/06(水) 21:36:35
ほほー
538日本@名無史さん:2009/05/06(水) 23:18:09
切絵図。
はやい話が住宅地図をすでに作っていた。
しかもカラーにしたりイラストを入れたりして
デザインを楽しんでいた。
539日本@名無史さん:2009/07/05(日) 00:55:08
保守
540日本@名無史さん:2009/07/05(日) 02:06:40
>>104
超亀レスだが俺の伯父さんの体験談を

伯父の祖父(つまり俺の曽祖父)が畑仕事に出かけたとき、弁当を忘れて、当時、小学生だった伯父が気がついて
追いかけていった。
曽祖父は桑を担いで歩いている。伯父は弁当を持って走って追いかけている。
なのに、全く追いつけなかったそうだ。
「どうみても爺さんは歩いているんだ。こっちは走って追いかけているのに全く差が縮まらないんだ」
と言ってた。

子供の頃聞かされた話だったので、真に受けなかったのだが・・・・。
541日本@名無史さん:2009/07/10(金) 23:38:07
>>532
伊能図の技術そのものはハッキリ言ってローテクです。
ヨーロッパの300年前の技術です。
実は日本でも技術的には100年前にできたものです。政治的に無理だったのです。
伊能図の偉大さは別にところにあります。伊能は偉大で伊能図は偉大です。
しかし技術的にはローテクなのです。
542日本@名無史さん:2009/07/10(金) 23:50:29
俺の先祖の話

隣村に用事があって自転車の荷台に弁当をくくり付けて行った
村境のお稲荷さんの前で何もないのに自転車がこけて
立て直して隣村へ行って弁当箱を開けてみると中が空だった
狐に食われたらしい
 
寄合で酒を飲んで家路につくと途中に露天風呂がある
こりゃいいと風呂に入って気持ちよくなってると夜が明けた
肥溜めだったとさ
543日本@名無史さん:2009/07/10(金) 23:53:30
>>541
で、伊能図の偉大さはどこなの?
544日本@名無史さん:2009/07/10(金) 23:57:02
日本の植木屋さんは世界一
http://vaccine.sblo.jp/category/177282-3.html
545日本@名無史さん:2009/07/11(土) 01:03:58
546日本@名無史さん:2009/07/11(土) 01:10:34
>>543
あなたが60のジジイなら歩いてローテクで緻密に測量して全日本地図作れますか?氏ね
547日本@名無史さん:2009/07/11(土) 02:06:51
で、なにが最新技術だったの?
当時の世界の国では、あれくらいの国土全図、
普通だったの?
548日本@名無史さん:2009/07/11(土) 02:08:36
>>547最新じゃないって言ってんじゃんW氏ねW
549日本@名無史さん:2009/07/11(土) 07:49:18
違和感感じるんだが運用技術も立派な技術だろ。
単なる知識だけを技術というのは変
カンバン方式が技術でなくなっちゃうよ。

カンバン方式自体は有名だがどこもトヨタほどうまく活用してない。
技術てのは細かいノウハウや基本思想は大事。
データを集めそれを適切に処理した伊能の技術も技術として立派。
もちろん事業としても立派だが
550日本@名無史さん:2009/07/11(土) 10:26:19
>>543
実際に作って見せたところ。
ティコ・ブラーエとかシドニー・ブレナーとかに匹敵する、地道でローテクな偉大な作業。
551日本@名無史さん:2009/07/11(土) 11:10:24
>>546
好き勝手に偉大だ偉大だと言って氏ねとはたまげたなあ
552日本@名無史さん:2009/07/16(木) 22:08:51
つまり伊能忠敬の健脚さは現代からしてみれば驚くってことでいいよな。
553日本@名無史さん:2009/09/20(日) 00:34:00
サムライサムライブシドー
554日本@名無史さん:2009/09/20(日) 02:50:03
江戸のインフラの代表格といえば、やはり肥溜め=上水道ダイレクトシステムだな。
各地方から圧政に耐えかねて江戸に亡命する貧民が絶えなかった当時、
江戸の人口爆発を抑える手段として大腸菌で流入者を殺す意義は大きかった。
555日本@名無史さん:2009/09/20(日) 02:57:08
お前は水道橋の水道博物館でもいってこい
556日本@名無史さん:2009/10/11(日) 02:42:53
>>554
江戸に亡命なんて当時そんなに簡単にできたっけ?
557日本@名無史さん:2009/11/14(土) 20:56:34
さあ。
558日本@名無史さん:2009/12/20(日) 23:47:19
エレキテル
559日本@名無史さん:2010/02/13(土) 13:02:15
ほー
560日本@名無史さん:2010/03/12(金) 21:30:43
保守
561日本@名無史さん:2010/03/22(月) 10:47:34
万華鏡
562日本@名無史さん:2010/03/24(水) 00:01:50
電気の世の中が蛍光電灯の世の中になつて、人間は影を失なひ、血色を失なつた。
蛍光灯の下では美人も幽霊のやうに見える。近代生活のビジネスに疲れ果てた幽霊の男女が、蛍光灯の下で、
あまり美味しくもなささうな色の料理を食べてゐるのは、文明の劇画である。
そこで、はうばうのレストランでは、蝋燭が用ひられだした。磨硝子(すりガラス)の円筒形のなかに蝋燭を
点したのが卓上に置かれる。すると、白い卓布の上にアット・ホームな円光がゑがかれ、そこに顔をさし出した
女は、周囲の暗い喧騒のなかから静かに浮彫のやうに浮き出して見え、ほんの一寸した微笑、ほんの一寸した
目の煌めきまでがいきいきと見える。情緒生活の照明では、今日も蝋燭に如くものはないらしい。
そこで今度は古来の提灯(ちやうちん)がかへり見られる番であらう。

三島由紀夫「蝋燭の灯」より
563日本@名無史さん:2010/03/24(水) 00:02:11
…私の幼年時代はむろん電気の時代だつたが、提灯はまだ生活の一部に生きてゐた。内玄関の鴨居には、家紋を
つけた大小長短の提灯が埃まみれの箱に納められてかかつてゐた。火事や変事の場合は、それらが一家の
避難所の目じるしになるのであつた。
提灯行列は軍国主義花やかなりし時代の唯一の俳句的景物であつたが、岐阜提灯のさびしさが今日では、生活の中の
季節感に残された唯一のものであらう。盆のころには、地方によつては、まだ盆灯籠が用ひられてゐるだらうが、
都会では灯籠といへば、石灯籠か回はり灯籠で、提灯との縁はうすくなつた。
「大塔宮曦鎧」といふ芝居があつて、その身替り音頭の場面には、たしか美しい抒情的な切子(きりこ)灯籠が
一役買つてゐた。切子灯籠は、歳時記を見ると、切子とも言ひ、灯籠の枠を四角の角を落とした切子形に作り、
薄い白紙で張り、灯籠の下の四辺には模様などを透し切りにした長い白紙を下げたもの、と書いてある。
江戸時代の庶民の発明した紙のシャンデリアである。

三島由紀夫「蝋燭の灯」より
564日本@名無史さん:2010/05/02(日) 15:25:21
ほー
565日本@名無史さん:2010/05/03(月) 12:45:23
>>1 和算家が円周率小数点以下42桁算出、というのが当時の日本のレベルを示しているだろう。

 そんなことをやっていたのは日本とヨーロッパだけではないか。インド、アラブは知らないが。
566日本@名無史さん:2010/05/04(火) 22:11:26
多色刷りのエロ本とか
567名無しさん@そうだ選挙に行こう
age