1 :
日本@名無史さん:
江戸時代はいってみれば常時軍事体制であり、平和であったとは
いえ常に危急の時に備えていた。
学問も儒学を中心に、国家・道徳・危機管理について深く思慮を
めぐらし、研究していた。常に危機に備えていた。
武士たちは常に武器を携帯しつつ、道徳・モラルも現在と比べて
数段高かったので常時危機存亡を思うについて怠ることがなかっ
た。
このような伝統を現在にも復活させたいものだ。
2 :
日本@名無史さん:04/12/23 17:34:39
江ロ幕府w
3 :
日本@名無史さん:04/12/23 17:38:57
参勤交代はなんの為だったのか?
日本という国家の為に役にたつのか論じてもらおうかw
4 :
日本@名無史さん:04/12/23 17:58:48
荒すな共産党!
>常時危機存亡を思うについて怠ることがなかっ
>た。
黒船きた時大騒ぎになったんじゃなかったの?
6 :
日本@名無史さん:04/12/23 18:43:54
>>4 まだ誰も荒らしていませんが?
不都合な事を聞かれてご立腹でつかw。
7 :
日本@名無史さん:04/12/23 18:51:07
参勤交代は諸侯が封建領主としての性格を維持している事を誇示するデモンストレーションであり、中央集権化に伴う官僚主義的な腐敗の遅延に効果があった。
おまけに地方領主が蓄積した資本を半ば強制的に散在させる参勤交代は、日本全体の経済を活性化させていた。
各地の領主だのみってずいぶん頼りない軍事体制だよね
9 :
日本@名無史さん:04/12/23 19:02:36
封建社会というのは、地方分権の極相だからな。
中央政府が頼りないのも当然だ。
10 :
日本@名無史さん:04/12/23 19:14:35
島原でどれだけ敵と味方が死んだのかねえ?
11 :
日本@名無史さん:04/12/23 19:18:43
一揆側は4万人近く死んだらしい
12 :
日本@名無史さん:04/12/23 19:22:53
誰の敵と誰の味方だよ?
13 :
日本@名無史さん:04/12/23 19:39:52
荒らすな信濃町!
14 :
日本@名無史さん:04/12/23 19:56:04
黒船来航時の幕府の軍事体制はひどいものでした。
駆り出された旗本や御家人たちは、もう二百数十年間もしまいこんで
あった先祖の甲冑を身につけましたが、重くて立ち上がることすら
出来ない武士が大勢いました。そして、幕府が有していた武器といえば、
大砲ですら大阪夏の陣で使った旧式砲がわずかしかなく、それを多く見せ
かけるために寺院の釣鐘を徴収して海岸線に並べ、大砲がたくさんあるように
見せかけていたような始末です。そして、外国船が空砲を鳴らしただけで
馬は驚いて暴れ出し、落馬する武士が続出したというのが実態でした。
15 :
日本@名無史さん:04/12/23 19:56:18
鎖国後の外敵を意識しない状態で軍事体制とか言えるのかねえ
16 :
日本@名無史さん:04/12/23 20:08:20
>>259の線に賛成
まあ、宇垣や豊田(貞)は外交官じゃねーだろ!とツッコミが入るかも知れないが。
でも、1956年で外務大臣の意味合いが専門職出身者から純粋に国民が選んだ代表出身に変わったのだから、一つのスレで語るのはどうかと思う。
17 :
日本@名無史さん:04/12/23 20:09:42
17世紀前半以降、武士は武士でなくなり、官僚・役人となってしまいました。
18 :
日本@名無史さん:04/12/23 20:55:18
幕末に日本を訪れたフランス軍人は
「この国はこれまで常備軍を保持していなかった・・」
などと論評していますね。
軍事専門家はこのようにみていましたね。
19 :
日本@名無史さん:04/12/23 22:03:02
現代、及び当時の西洋人の目から、当時の武士を断罪するのはフェアとはいえまい。
いうまでもなく江戸時代というのは軍人たる武士が統治する常時戦時体制であり、
形式的にはあらゆるものが軍事的色彩を帯びていた。
戦国時代の武士は武に傾注せざるを得なかったが、江戸時代太平の世となり
文事に力を注げるようになり、軍事の実践面から精神面への研究が深められた。
そして儒教の研究を中心として武士道なる概念が深く形成された。
軍事力は兵器・装備だけで決まるのでなく、それらを使う精神力も重要である。
つまり江戸時代には軍事精神が戦国時代よりもさらに深められた。
軍事研究は実戦に備えるだけではない。いかに無用な戦争を防ぐかということ
も重要な研究テーマである。清や他のアジア諸国は攘夷を唱えて欧米と戦い
ことごとく破れ植民地化されたが、日本では江戸時代深く軍事戦略がなされて
いたので、無用な争いを避け、独立を保ちえたのである。
どうかな?
20 :
日本@名無史さん:04/12/23 23:21:37
つーか、鎖国してたんだから軍事戦略もなにもないだろw
どうやって徳川家に逆らいそうな藩を弱体化させればいいかそれだけ。
具体策として参勤交代や天下普請で藩から金を奪った。
兵器や戦術戦略も戦国時代から発展せず、かえって低下している。
戦国時代にあれだけあった騎馬隊が存在せず、幕末に騎兵を作れなかったのが良い例。
21 :
日本@名無史さん:04/12/23 23:26:04
江戸幕府の歴代将軍で武士としての職務を行ったのは家康・秀忠・家茂・慶喜
だけですね。家光〜家定までは、征夷大将軍とは名ばかりの存在でした。
22 :
日本@名無史さん:04/12/23 23:30:34
自分で小便もできない将軍とかだっせえwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
23 :
日本@名無史さん:04/12/23 23:32:12
>>19 鎖国で世界の事を知らないんだから「無用な争いを避け、独立を保ちえた」
も何もないw。
清や他のアジア諸国は大陸で地続き、諸外国との交流はさけられないが、
日本は極東で西欧から最も遠く、海に隔てられている。
24 :
日本@名無史さん:04/12/23 23:38:59
西洋の侵略を妨げる軍事力が伴っていなければ、鎖国を貫く事もできないんだよ。
この儒教をマンセーする馬鹿は前にもいたな。
そういやあのスレはどーするんだ?
26 :
日本@名無史さん:04/12/23 23:48:35
今、なぜ日本の携帯電話だけ海外で使えないのかってテレビでやってるよ。
携帯鎖国は今なお継続し、独立を保っているらしい。
27 :
日本@名無史さん:04/12/24 07:53:40
>>24 だから鎖国できずイヤイヤ開国したんだろw。
諸外国に屈服する形でさw。
28 :
日本@名無史さん:04/12/24 08:27:53
そう言えば徳川幕府には軍事の統括者っていたの?
幕末には陸軍とか海軍の責任者いたみたいだけど
29 :
日本@名無史さん:04/12/24 09:13:22
軍事の統括者というのは、武家の棟梁である征夷大将軍の事だな。
30 :
日本@名無史さん:04/12/24 09:20:19
>>27 家光以来200年以上に渡って西洋の侵略を阻止し続け、鎖国と独立を貫く事ができた背景には、
それなりの軍事力が伴っていたという事実を理解できましたか?
良かったね
31 :
日本@名無史さん:04/12/24 11:00:36
日本って200年以上に渡って侵略され続けてたのか?
32 :
日本@名無史さん:04/12/24 11:04:39
侵略され続けていたんじゃなくて、
侵略を阻止し続けていたんだよ。
日本と同様にオランダから狙われていたインドネシアがたちまち植民地化されていたのを見れば、
日本の軍事力の高さが分かる筈なんだがね。
33 :
日本@名無史さん:04/12/24 11:18:24
家光の頃までは、間違いなく日本が軍事力では世界最強。
当時は全ヨーロッパ諸国の合計を上回る数の鉄砲が日本に存在した。
家光がその時点で鎖国したから西洋諸国には日本を力づくで侵略するのは難しいという認識が定着し、
鎖国によって銃器の発展が滞った日本との軍事力の格差が逆転するまでは西洋による侵略を阻止して独立と鎖国を貫く事ができた。
江戸幕府がへタレじゃなければ、幕末あんなことにはならない。
軍事力撃ヨワ。つーか雑魚。
戦国時代なら西洋に逆に侵略できるくらいの戦力があったのにさ。
35 :
日本@名無史さん:04/12/24 12:26:07
ヘタレというより、鎖国による200年の平和が軍事技術の停滞を招いただけ。
平和は人間のポテンシャルをスポイルする場合もある。
これは現代日本にも言える。
ろくに食料や燃料も無い北朝鮮の微々たる軍事力に怯えて、拉致被害者を力づくで奪還する事も出来ないのが今の日本だ。
36 :
日本@名無史さん:04/12/24 12:34:04
徳川って日本にとって害虫だったんだよな
37 :
日本@名無史さん:04/12/24 13:32:44
問題は、戦国末期〜家光時代当時の日本人達が、自分達の国を世界最強だと自覚していなかった事にある。
秀吉なんかインドまで征服できると思ってたじゃん
39 :
日本@名無史さん:04/12/24 13:46:48
秀吉の海外進攻計画は、彼の死で中断された。
家康は豊臣家の天下を横取りする為に朝鮮征伐による負担を課せられた武将たちの反目を利用した。
家康としては、自分が秀吉と同じ真似をすれば同じように天下を他者によって横取りされかねないという懸念もあったのだろう。
その後幕府は海外進出を躊躇い、ついには邪宗門を警戒して鎖国するに到る。
40 :
日本@名無史さん:04/12/24 13:52:12
徳川安定時代にロシアに対馬占領されたことあったよ
イギリスが対抗上付けてくれたが
>>39 海外遠征は金かかるしな
41 :
日本@名無史さん:04/12/24 14:58:54
>>33 鉄砲の数だけで世界最強とは言わんだろう。そもそも鉄砲は攻撃用というより防御用じゃないの?
42 :
日本@名無史さん:04/12/24 18:39:39
鉄砲の数がそれだけ多ければ世界最強に決まってる。攻撃用ではないという思い込みも意味不明だし。
鉄砲は攻撃の際にも非常に役立つよ。
43 :
日本@名無史さん:04/12/24 19:49:53
>>39 その辺が関が原を騙る学者どもや火葬戦記の作者どもが
“西軍が勝ってたら日本は海外進出を継続していた”とか
ほざく根拠なのかな?
44 :
日本@名無史さん:04/12/24 21:09:54
天下太平と鎖国により、武士において武と文の優先順位が逆転した。
実戦的なものから一転して、文献学や抽象的・精神的な学術が発展した。
砲術等でも幾ばくかの改良・進展は見られたが、欧米の急速な軍事開発と比べ
らるようなレベルではなかった。
しかしこれは停滞というよりも単に軍事開発がさほど必要でなかっただけだと
いったほうが適切だろう。
また文献学的発達とその蓄積は、識字率・初等教育の発展を促す基盤となり、
後の日本の近代発展を用意することになった。
軍事だけ優れていても識字率や初等教育の普及がなければ総合的な国力は
低くなるのである。
45 :
日本@名無史さん:04/12/24 21:59:49
兵隊の数なら北朝鮮やイラクも多いよね
幕府はそんなことしてないだろ>44
してたのは庶民と、雄藩。
んで明治新政府
47 :
日本@名無史さん:04/12/24 23:30:42
その鉄砲の数を減らす為に幕府は諸藩に圧力を掛け、
鎖国により火薬の輸入をストップさせている。
結果として、鉄砲の数が激減している訳だが?。
幕府の軍事態勢を自慢するネタで「全ヨーロッパ諸国の合計を上回る数の鉄砲」
なんて言い出すのは墓穴掘っているだけだよw。
48 :
日本@名無史さん:04/12/24 23:37:44
>>46 少ないだろw。江戸時代は武士しか戦闘員になれないんだから。
徴兵制で国民皆兵が出来る国とは訳が違う。
49 :
日本@名無史さん:04/12/25 00:31:25
江戸幕府が鎖国によって外国からの侵略を防いでいたという妄想を垂れてる馬鹿
がいるな。日本みたいなわけのわからない島国なんか侵略対象にされなかっただけの
話なんだよ。こういう馬鹿を見ると、日米安保のおかげなのに「日本が侵略されない
のは平和憲法があるからだ」と妄想垂れてる奴らと同根だということがよくわかるよ。
50 :
日本@名無史さん:04/12/25 00:44:42
禿胴。
ちっぽけな島国を侵略するぐらいなら、
広大な土地を持つ清の方を侵略するよな。事実そうだったし。
英国が独り占め状態にして、はじき出されたアメリカが日本に目をつけただけ。
51 :
日本@名無史さん:04/12/25 00:56:41
将軍直属の旗本連中なんか悲惨だったぞ。特に次男坊以下の部屋住み
の奴らはね。赤鞘組って知ってるか?旗本の馬鹿息子連中がその名の
とおり真っ赤な鞘の刀をさし、かぶいた格好をして徒党を組んでは町
中で乱暴狼藉ばかりやってた。
52 :
日本@名無史さん:04/12/25 02:26:57
その血の気の多い冷や飯組を集めて常備軍を作ればよかったような気がする
53 :
日本@名無史さん:04/12/25 08:07:43
>>52 実際に旗本で陸軍歩兵隊を作ろうとしたんだよ。でも失敗した。
連中は根性が何もないので、歩兵の訓練に耐えられず出勤拒否続出w。
結局、農民町人ヤクザ者で幕府歩兵隊を作っている。
54 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:08:01
火薬の輸入を制限すると、なぜ鉄砲の数が減るんだ?
火薬が無くても鉄砲が消えてなくなったりはしないぞ。
55 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:15:07
マルコポーロが日本を黄金の国としてヨーロッパに紹介して以来、ヨーロッパは日本に注目しまくりですが、何か?
実際に日本との貿易を独占していたオランダは西洋に日本製品を高価に売りさばき大儲けしていた。
他の国は日本市場に介入しようとして必死だった。
ロシア皇帝のピョートル大帝にいたっては、自ら身分を伏せてオランダの造船所で船大工として働き、造船技術を学び取ろうとした。
そこまでしたのは、日本に渡る為の船をロシアでも建造する為だ。
56 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:16:59
>>49-50 それは現代人から見た結果論だろうが・・・
当時の幕府がそれをご存知だったんですか?
57 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:26:28
>>54 火薬がなければ鉄砲は撃てないだろ。
持っていても意味がなければ誰も買わないし、製造もされない。
持っていた銃の手入れもせず倉の中で放っておけば鉄で出来た鉄砲は錆びて壊れる。
58 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:35:52
鎖国を江戸時代の武器開発の停滞の理由にあげている論がある。
確かに鎖国が自由な情報の流通を阻害したという一面もあろう。
しかし鎖国できるのも一定の武力がありしっかりした統治体制あってのこと
である。統治者の意思により行えるのである。鎖国もできないような弱小国
家もあるのである。
また、鎖国していても軍事力アップができない国もある。日本の場合鎖国が
終わり明治となって富国強兵となって武力開発が急速に進んだわけだが、
そもそも江戸時代に学問的蓄積があったからできたのである。寺小屋をはじめ
とする武士から庶民にいたる識字率の高さ、初期教育の徹底、外国の文献をも
読みこなす文献学的知識や意欲、刀剣から鉄砲にいたる技術力の高さ、
そうした基盤がなければ鎖国がなかったとしても軍事力はアップしなかった
であろう。
59 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:38:42
鎖国の理由など一つでは無く色々あるだろ
別に一つに絞る必要も無い
60 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:39:36
>>56 バカ?当時の諸外国の動静をみれば解る事だろw。
結果論だなどとほざくのは知識不足を暴露しているだけ。恥w。
>>55にいたっては諸外国国家が真に欲した経済的な効果を考えず、
一部の嗜好品だけを見て語っているw。小さな島国と大国中国とでは
市場の規模が違うんだよw。
61 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:45:38
輸入の必要があるとされたのは火薬を製造する材料の硝石だが、江戸時代には日本国内でも硝石を採取する方法が明らかにされて輸入に依存する必要はなくなった。
村田経芳も自腹で火薬を作っていたしな。
鉄砲をちゃんと保存しないのは朝鮮みたいな国だけだよ。
日本ではちゃんと手入れしていつでも使える様に磨いておいたものだ。
62 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:46:02
>>58 お前は戦国から勉強し直せ。もはやバカにつける薬がない。
63 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:49:40
オランダが日本製品で莫大な利益を上げていたから、諸国も必死になって日本を目指したんだが。
64 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:54:02
>>61 ハア。マジでバカだな。
その硝石を作るのに何年かかると思ってるんだよ。
しかも生産量もごく少量。
中国みたいに資源として採掘できる訳じゃないんだよ。
>本ではちゃんと手入れしていつでも使える様に磨いておいたものだ
妄想で書くなってのw。戊辰戦争を見てみろ。
戦国にあれだけあった火縄銃がどの程度残っていたと思う?。
鉄砲隊なんてほとんど無かった。みんな慌てて洋銃を買っているだろ。
65 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:56:03
66 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:56:47
67 :
日本@名無史さん:04/12/25 11:59:54
戊辰戦争の頃には、火縄銃も時代遅れになっていただけ。
薩長などの官軍が大々的に導入した雷管式小銃は火縄銃とは格段の性能差があるからな。
幕府では伝習隊くらいしか新式銃を満足に備えていなかった。
68 :
日本@名無史さん:04/12/25 12:04:00
>>67 あっそw。
そう思っていればいいじゃんw。
それで君が満足ならw。
69 :
日本@名無史さん:04/12/25 12:08:22
西洋では18世紀には時代遅れと化した火縄銃も、平和な日本では19世紀半ばまではバリバリの現役。
その為に日本製火縄銃は世界最高品質となっている。
現代の射撃大海でも、前装銃部門では性能と保存状態に優れた日本製の火縄銃を使うのが常識となっていて、
国際ルールでもtanegashima(種子島) ,hizadai(膝台), tanzutsu(短筒)という種目名になっている。
70 :
日本@名無史さん:04/12/25 12:09:15
射撃大海×
射撃大会○
火縄銃の大半は雷管銃に改造されて使われたことをしらない
>>67がいるスレはここですか?
先込めスムーズボアのゲベール銃は雷管を除いては火縄銃
と大して変わらないんだよ。
72 :
日本@名無史さん:04/12/25 12:19:04
>>66 中央アジアやシベリアの先住民に対しては残虐非道の限りを尽くして悪名高い当時のロシア帝国とは思えないくらい低姿勢ですな。
幕府とはあくまで友好的な貿易を希望していて、交渉が喧嘩別れに終わる事を怖がってるような文書だ。
73 :
日本@名無史さん:04/12/25 12:20:07
>>71 そういう改造を施されたのは、雷管式小銃というんだよ。
読解力の無い人だな。
74 :
日本@名無史さん:04/12/25 12:25:35
伝習隊がそろえていた銃は世界でも最新型で、薩長がそろえていた新式銃よりも僅かに高性能だった。
まあ、そんな高性能の銃を十分に持っていたのは伝習隊くらいしか存在しなかったがな。
全般的には、薩長の方が装備は優れている。
75 :
日本@名無史さん:04/12/25 12:31:41
江戸時代の火縄銃は、雷管銃に改造されて慶応4年に現役で利用できる程度には保存状態が良好だった事は分かった。
重要なのはライフリング(命中率と射程が向上)と元込め(伏射できる)で、
両者を欠いたゲベール銃なんて火縄銃と大差ないよ。
いちいちバカ扱いしてるやつがいるけどさ、そんなに詳しいなら一から
説明してやればいいだけのことじゃないのか?
いくら知識が豊富でもさ、相手のおかしな意見に対して、いきなりバカって
のも端から見ていて恥ずかしい気がするんだが
78 :
日本@名無史さん:04/12/25 12:40:24
>>60 だから、諸外国の動向を正確に理解出来てる現代人から見た結果論当時の幕府が君が言う事を理解していたか答えてみろ
79 :
日本@名無史さん:04/12/25 12:42:40
>>76 そんな事は分かってるよ。
ここで問題になってるのは、江戸開幕の時点で世界最高の数に上っていた火縄銃が、武器庫で放置されて錆だらけになって壊れて激減していたのかどうかなんだけど。
雷管式に改造されて戊辰戦争で大々的に使用されていたのであれば、保存状態は良好だったという事でしょ。
李氏朝鮮でも秀吉の朝鮮征伐以後、大慌てで火縄銃を配備したが、それこそ甲申事変の頃には完全に使い物にならなくなっていたのと比較すれば、
江戸時代の日本では火縄銃をきちんと保管していたのは明白だ。
80 :
日本@名無史さん:04/12/25 12:50:11
村田経芳が銃器開発を志すきっかけとなったのも、戦国時代からの家宝となっていた短筒を幼少時に見て魅了されたからだという。
81 :
日本@名無史さん:04/12/25 22:48:45
>>79 はあ?
ここで問題になってるのは、江戸開幕の時点で世界最高の数に上っていた火縄銃が、
その数を幕末までに減っているか保っているかだろ。錆びているかどうかなどあまり問題ではないよ。
82 :
日本@名無史さん:04/12/26 00:07:12
日本人は鉄砲については種子島に偶然漂着したポルトガル人の所持していた
少数の鉄砲からたちまちコピーを作成し、またたくまに量産し全国に広がる
こととなった。
しかしその後も天下統一後徳川時代が始まり鎖国化したとはいえ、完全に外国
と交流をたったわけではない。それなのに、鉄砲以外の武器ほか兵器のコピーは
作られなんだ。
どうしてであろうか?
たとえばオランダ船などが到来したからには、そうした半ば軍船をコピーするこ
となどたやすかったはずである。また東南アジアにも日本人は行っていたの
だから欧州の兵器や文物に触れていたはずであるのに、コピーはろくに生まれて
いない。
鉄砲だけがなぜコピーされ、他の兵器はコピーされなんだのか?
江戸幕府によって大型船の建造が禁じられ、造船技術も廃れていったから。
>>58 お前は1か?
どっちにしろ真性のアホなのは間違いないから、勉強してこい。
鎖国がなければ、あの程度では終わらなかった。
日本を100年は遅らせたのが鎖国。
当時欧州の国家と五分以上の戦力があったのに、鎖国でそれを総体的に減少させた。
85 :
日本@名無史さん:04/12/26 08:16:27
鉄砲の手入れを行い、保存し続けているのだから、その数は減っていない。
つまり、当時欧州の国家と五分以上の戦力があったのに、鎖国でそれを
総体的に減少させてはいないのだ。鎖国を長く続ける事が出来たのは
江戸幕府が世界最高の軍事組織であったからだ。
結 論
江戸時代はいってみれば常時軍事体制であり、平和であったとは
いえ常に危急の時に備えていた。
学問も儒学を中心に、国家・道徳・危機管理について深く思慮を
めぐらし、研究していた。常に危機に備えていた。
武士たちは常に武器を携帯しつつ、道徳・モラルも現在と比べて
数段高かったので常時危機存亡を思うについて怠ることがなかっ
た。
このような伝統を現在にも復活させたいものだ。
87 :
日本@名無史さん:04/12/26 10:09:29
つまり、大量の鉄砲を保持していたことにより、諸外国は日本への侵略を断念した
訳だ。
88 :
日本@名無史さん:04/12/26 10:21:58
>>82 銃に関して言えば、火縄銃から改良を加えた多銃身連発銃を世界最初に作り出している。
その先見性は国家・道徳・危機管理について深く思慮を めぐらし研究していた結果であろう。
89 :
日本@名無史さん:04/12/26 11:30:23
>>84 >>58ではないが、アホはおまえだ。
軍事は戦力のみで語る物ではない。政治も経済も勉強し直せ。
江戸時代初期、諸外国が有力諸藩に肩入れするのを防ぐため
外交権を各藩でなく幕府に一括する必要があった。
このことを認識させる事件が島原の乱であったと思う。戦国時代
中期から九州の大名が自国の富国のため、キリスト教の教化
を進めたのが遠因であるのは間違いない。
鎖国は、諸外国の情報を遮断するのが目的ではなく、外交権の
一元化が目的であったと考えるのが正当だと思う。
結果として、幕府の安定がはかられ260年にわたる平和が続いた
わけだ。
世界でもっとも早く大衆文化が華咲いた日本だ。フランスはそれから50年
程度遅れている。それまで、貴族が担っていた文化を一般民衆から生み出す
ことが出来た意味は大きい。文字の読み書きだけでなく、幅広い教養が一般
民衆に浸透して来たということであろう。
これを達成できるのは安定した社会と経済がなせる技である。
>>84がいうように100年鎖国を遅らせたなら、成立初期で安定性のない
江戸幕府に諸外国が諸藩に肩入れしてまた、戦争を始めていただろう。
あと、当時の日本は資源小国だったいうのは無しな。
今も昔も日本は資源大国だ。
その辺分かってないやつが多いんだよ・・・。
90 :
日本@名無史さん:04/12/26 11:36:43
輸入の必要があるとされたのは火薬を製造する材料の硝石だが、江戸時代には日本国内でも硝石を採取する方法が明らかにされて輸入に依存する必要はなくなった。
91 :
日本@名無史さん:04/12/26 11:43:53
>>89 安定した社会と経済なのか。
じゃあ、江戸期の物価上昇に武士や農民がついていけず、貧乏していたという説が嘘だって事でOかな?。
92 :
日本@名無史さん:04/12/26 13:29:10
徳川家の繁栄のために、国家の繁栄が遅れ、そのことが、
WW2の敗北の遠因になってる希ガス。
豊臣家がチョン、シナを平定し、徳川家の世が来なければ、
大英帝国のようになり、資源に困ることもなく、米国を
一蹴し、世界の覇者になってたかも。
家康の策略は成功したが、国家としての損失は大きいな。
93 :
日本@名無史さん:04/12/26 13:39:20
>>91 貧乏で済むぐらいなら安定した社会だろう。
同時期のヨーロッパみたいに戦乱続きで経済や社会がご破算に
なるよりは、はるかにましであろう。
たしかにそういう貧困を巡る問題が、社会の安定に陰を
指す一面も否定はしないが。
94 :
日本@名無史さん:04/12/26 13:41:32
今も昔も日本は資源大国だ。
95 :
日本@名無史さん:04/12/26 13:46:15
あれだね。日本には明治維新など必要なく、
幕藩体制・鎖国したまま21世紀を迎えるべきだったんだな。
そっちの方が、平和で安定していて文化的という生活が出来たって事だ。
96 :
日本@名無史さん:04/12/26 13:58:42
↑シナ並の生活水準で平和な社会なんてイラネ
97 :
日本@名無史さん:04/12/26 14:03:27
事故が起こった後でも労災に加入できるのでしょうか???
事故後の労災保険の加入はできます。
それどころかそのアルバイトの人もさかのぼって労災保険から給付されます。
まずは、労働基準監督署に事故が起きてからの加入であることを申し出ます。
そうなると、調査をして2年間さかのぼって労災保険に加入することになります。
もちろん保険料も2年間分支払わなくてはいけません。
通常の損害保険ではこのような事故後の加入なんてものは絶対ありません。
(あったら間違いなくその保険会社はツブレマス)
しかし、労働保険(労災保険、雇用保険)はそれができるのです、マチガイナイ。
原則、労働者をひとりでも(アルバイト、パート含む)雇っていれば
絶対に加入しなければならない強制保険です。
今回の○○工業所についても加入すべきことは知っていたと思います。
まぁ多少のペナルティーはくると思いますが、
しかし、原則に従って誠実に対処してくれればいいと思います。
98 :
日本@名無史さん:04/12/26 18:37:16
素晴らしき江戸時代
どうして幕府は大型船造るの禁止してたの?
>>89 欧州はずっと戦争をしていたからこそ、あれだけ発展したのであり、
日本も戦国時代があったからこそ、あれだけ発展したんだよ、
そして江戸時代は、成長が鈍化し、西洋と比べ遅れた時代。
んで江戸の町民数十万人だけが豊だった、だからどうした?
一握りの人間が豊かだった時代など腐るほどある、それが当時の日本では町民だっただけ。
つか鎖国してなけりゃ、幕末あれほど慌てることはなかっただろう。
100年遅らせたで正解、鎖国してなければ、イギリスと同じくらいに産業革命がおこって、
それが亜細亜に波及し、欧米の足元を見る事もなかっただろう。
ほんと余計な事をした糞政体だ。
102 :
92:04/12/26 22:51:44
>>101 そうだよね。秀吉の朝鮮出兵が失敗してたとしても、
日本が英国並に早く発展してた可能性高いし、
中国も、日本の技術に対抗したり、伝播したりして
白人に蹂躙されることもなかったかもしれない。
白人に容姿以外のコンプレックスも感じることなく、
日本が世界の覇権を握っていたかもしれない。
クソ家康のジコチュウのせいで、日本の運命は大きく変えられた
希ガス。
103 :
日本@名無史さん:04/12/26 23:50:59
ヨーロッパみたいに戦乱続きで経済や社会がご破算に
なるよりは、はるかにましであろう。
104 :
92:04/12/27 00:01:05
ヨーロッパは今でも、米、日、欧の世界の経済の中心の
一つじゃない。
日本以外のアジアは、シナもバブルはじけそうだし、韓国も
いまいち。
日本がもっと早く経済発展してたら、その周囲の地区も
もっと発展して、極東が欧州を圧倒してた気がものすごい
するな。
105 :
日本@名無史さん:04/12/27 00:08:08
短期的にみれば鎖国は軍事的技術的に停滞をもたらしたのは否めない。
しかし平和ならばこそ可能だった江戸期の世界的にみて驚異的な識字率や就学率が明治以降の大発展に大きな貢献をしたわけなんだけどね。
世界最強の大英帝国の首都ロンドンでさえ平均識字率が20%台だった19世紀前半に、武士から農民まで平均して40〜50%の人間が藩校や寺子屋に通いある程度の読み書き計算をこなせた。
江戸や大坂の町人は80%以上の識字率を誇り、また左翼の言うところの貧しく搾取されているはずの農民でさえ30%の人間が寺子屋に就学していたなどという例は他にない。
ただ一年中ドンパチやって領地を拡げても国民の最低限の教養レベルがおぼつかなければ帝政ロシアのようになってしまっただろうよ。
106 :
92:04/12/27 00:08:58
そもそも、シナなんて、ひとりあたりのGDPなんて
現在でも、悲惨だし、もうバブルもそろそろはじけそう。
でも、文化でしなが欧州に勝ってた時期もあった。
だから潜在的能力の差があったわけじゃない。
欧州の発展は戦争が続き、それで文明が進歩した。
それに比べて、極東はのんびりしすぎていた。
日本が、英国みたいになってたら、文化は伝播して
極東が欧州を圧倒してた可能性高いし、現在の
世界情勢もかなり違ってた希ガス。
107 :
日本@名無史さん:04/12/27 00:16:01
江戸時代の庶民が喰うや喰わずで本当に貧乏なら、直接の利益を生まない教育なんかに時間とお金はかけられないよ。
学問好きの日本人の国民性を差し引いてもだ。
108 :
92:04/12/27 00:18:41
>>105 でもね、識字率が低くても、大英帝国だよ。
米の前の世界の覇者だよ。
一般庶民の水準が低くても、いいんだよ。
米も、現在でも、一般庶民の水準が高いわけじゃない。
全世界で、子供のテストしても、日本の水準が低くなったと
言っても、米なんかより全然まし。
一部の先端技術者の水準さえ高ければいいんだよ。
研究、開発の水準さえ高ければ、工場や、それ以外の
産業なんて、そんなに高い水準でなくても、無問題。
実際、今の米がそうだし。そりゃあ、資源、国土の広さ
とか全然違うから、単純に比較対照にならないけどさ。
109 :
日本@名無史さん:04/12/27 00:24:30
>>101 産業革命の基盤となる蒸気機関の熱力学という物理体系や
それを構築するための数々の数理を日本1国でなしえると
はとうてい考えられないのだが?
おまい、熱力学って知ってる?ニュートンとかライプニッツとか
知ってるか?
仮に産業革命が成立してその技術がアジア(特に支那)に
波及したとして白人に対抗できると思ってるのか?
せいぜい華夷秩序の支那のことだからアジア各国に侵略
し始めて早々に日本と衝突する可能性のほうが高いのだが・・・。
>>100 江戸時代には、各地方都市を船で結ぶ航路も開拓され諸都市間での
物流交流も盛んだったし、5街道が整備されその街道沿いの宿場町
も盛んになったんだけど、その辺どうよ?
江戸の町人が豊かになるってことはその生活の基盤を支える農民も
豊かだったってことじゃないのか?
110 :
日本@名無史さん:04/12/27 00:55:16
>>92 戦争で文明が進歩するというのは一面では当たっているが、全てではない。
戦乱が打ち続けば文明の連続性が断絶することもある。
古く伝わる文物が焼かれたり失われたりするのだ。
日本では戦乱はあってもそういうことはなかった。
王朝の変更や異民族による支配がなかったからである。
唯一第二次大戦によりかなり根本的に変化せられ、その故に古来の伝統は
かなりダメージを受けている。漢字の簡略化などはその例だ。
111 :
日本@名無史さん:04/12/27 00:57:03
戦争は文明の母である
陸軍パンフレット
112 :
日本@名無史さん:04/12/27 01:00:37
>>1 常に危急の事態に備える、なんていうのはジョーシキじゃないか?
だから、いまもって世界中も国が軍備をもってるわけで。
日本にも一応、自衛隊があるじゃん。
備えなくて済むなら、あんな“金喰い虫”税金で養ってる必要ないじゃんか。
だからさ、伝統復活云々じゃなくて、
国同士が分裂――それが幕藩体制だろうと、いまの世界地図だろうと――してる以上、
それしかないんじゃん?
>>105 平時でなくても可能なもの、むしろ戦時だからこそ国民の思想の統一、
教育による国民の底上げに力を政府が力を入れる事になる。
明治新政府が教育に力をいれたのを見ても明らか、
そして幕府をみてみろ、教育にいつ力をいれたというんだ。
幕府はなにもやっていない、藩がそして庶民が自発的に行ったことだ。
>>109 >それを構築するための数々の数理を日本1国でなしえると
鎖国しているわけじゃないんだから、日本一国で発明する必要はない。
それこそ欧米からし入れればいい、
>江戸の町人が豊かになるってことはその生活の基盤を支える農民も
逆だ、その豊かな町人を養う為に、農民はおろか武士までやせ細っていったのが江戸時代。
参勤交代、江戸滞在で、遠方の諸藩は、収入の半分以上は消費させられていた。
この無駄極まりない消費こそが、江戸時代最大の害悪。
んで物流が盛ん?大型船の建造を禁じて、輸送網を弱体化させたのが江戸幕府。
だから幕末、長州藩が下関を封鎖しただけで、輸送網が崩壊した。
幕府がしたのは全て、日本の弱体化であり、
日本が発展していたというのは、それはそれで正解だが、
それは戦国時代以前の遺産を継承していたからに過ぎず、
江戸幕府には功績は一分もない。
114 :
日本@名無史さん:04/12/27 01:12:19
>>113 幕府は昌平坂学問所を設けている。これは地方の子弟も受け入れている。
また昌平坂学問所の教師たちも地方の知識人ともさかんに文化的な交流を
していた。武士だけでなく農民・町民の知識人たちともだ。
江戸時代の場合、ある種学問世界においては上下の区別を超えたものがあった
ようだ。
115 :
日本@名無史さん:04/12/27 01:16:37
>>113 幕府が、とか藩が自主的に、
とかじゃないと思うな。
徳川期を通じて、日本の知識レベルが上がった
っていう事実が、後世の歴史にも役立ってくるわけじゃん。
>>114 それで?
何人がそこで学べた?
つかそこのなにが、識字率の上昇にどれだけ役にたったというんだ?
117 :
日本@名無史さん:04/12/27 01:20:57
各藩が藩校を置くきっかけになったのには昌平坂学問所の影響もかなりある。
なぜなら各藩の子弟が江戸にいるとき昌平坂学問所関係の教師に教わったり
入塾していて学問の必要性が藩主に伝わっていたからである。
>>115 260年もあって、それだけしか効果がなかったら、
100年遅らせたとしかいえんだろうが。
実際西南雄藩は、寺小屋の拡充に力を入れている藩もあるし、
庶民の知識レベルもあがったのは事実だ、
だがそれは幕府の指示に従ったわけではない。
徳川期を通じて上がった、これは正だろうが、
徳川がそれに寄与したわけではないのだから、誤でもあり。
遅らせたも、また正である。
119 :
日本@名無史さん:04/12/27 01:29:09
指示というよりも、武士をはじめとして当時の日本人に学問を尊ぶという気風が
澎湃として起こってきたのである。指示されなくてもそうした気風があった。
その根本には徳川が林家に命じて儒学を研究させ学問を振興したり、朝鮮活字
で印刷させたりといった文化政策が影響していることは間違いない。
>>117 昌平坂学問所よりも早く藩校を開いた藩も少なくない。
よってその指摘は的外れだろう、
むしろ時系列では逆になろう。
121 :
日本@名無史さん:04/12/27 01:35:04
徳川幕府がどのような意図をもっていたのか知る由もないが
参勤に弊害はあれど、明治以降の統一国家になる為のステップとしての役割はあったであろう。
参勤の影響で江戸言葉が全国津々浦々に広がり、江戸の武家言葉が話せれば日本全国でそれ相応の人々と結果的に意思の疎通をすることが出来た。
当たり前すぎて意識しないが、統一国家に必要な標準語の基盤が造られた時期であり、世界を見渡しても旧宗主国の言語をもって標準語とするしかない国家が現在でも多くを占めるような状況を見るにつけても参勤の副次効果があるといえる。
参勤で全国各地から武士が集まったからこそ、一大消費地として町人も集まり当時人口120万〜150万と言われる世界最大の都市が出来上がった。
何をもって「文化的」とするかは各人の価値観であるのでいえないが、当時の「軍事力が強い」「蒸気機関を知っている」はずの欧米の「文明国」の大都市でこれに匹敵するだけの規模を持った文化がどれくらい存在したのだろうか。
>>119 個別事象の証明が必要であり、また因果関係が皆無、それを保障するには、
それなりの史料がなければ電波といわざるをえない。
>>121 共通語を作ったのも明治政府。というか陸軍。
だから今に残る共通語とは、長州の方言と江戸の方言を合わせて作られた。
そして長州の言葉をさして、日本語の基盤が作られたとは言わないわけで、
同じように江戸の方言を指して、日本語の基盤として作られたとは言えない。
124 :
日本@名無史さん:04/12/27 01:50:59
結 論
江戸時代はいってみれば常時軍事体制であり、平和であったとは
いえ常に危急の時に備えていた。
学問も儒学を中心に、国家・道徳・危機管理について深く思慮を
めぐらし、研究していた。常に危機に備えていた。
武士たちは常に武器を携帯しつつ、道徳・モラルも現在と比べて
数段高かったので常時危機存亡を思うについて怠ることがなかっ
た。
このような伝統を現在にも復活させたいものだ。
モラルが高かったというのは都市伝説。
と思うので、調査中・・・・・・・・・
とりあえず、生活を描いた書物で
武士がモラル高く書かれているものは見たことない。
トンデモ本位外。
126 :
日本@名無史さん:04/12/27 01:58:34
徳川幕府ていうのは現代の統一国家の感覚でいう中央政府ではないってことをまず前提にしないと。
日本というものを代表して持ってたのは外交権と鋳造権くらい。(対馬藩や琉球、松前藩なんかのポジションを見てると外交権の完全掌握すら怪しい)
お家騒動や大規模一揆でもない限り各大名に対して内政干渉はNG。
精々幕領の700石だか800石の完全支配権しかなかった幕府に、日本を代表する中央政府としてのビジョンを求めてはいけないし、国家戦略がなかったことをどうこう言えるものでもない。
1 :日本@名無史さん :04/12/23 17:33:52
江戸時代はいってみれば常時軍事体制であり、平和であったとは
いえ常に危急の時に備えていた。
学問も儒学を中心に、国家・道徳・危機管理について深く思慮を
めぐらし、研究していた。常に危機に備えていた。
武士たちは常に武器を携帯しつつ、道徳・モラルも現在と比べて
数段高かったので常時危機存亡を思うについて怠ることがなかっ
た。
>>1さんは在日外国人の方か、就学前のお子様でしょうか?
ずいぶん日本語が苦手な方のようですね。
128 :
日本@名無史さん:04/12/27 02:28:17
>>125 薩摩や会津はしらないが、江戸の旗本御家人などは大都会でぬるま湯につかった生活をしてたんだろうな。
129 :
日本@名無史さん:04/12/27 02:33:24
内職しつつカツカツな生活ですた。
130 :
日本@名無史さん:04/12/27 02:50:08
131 :
日本@名無史さん:04/12/27 04:05:50
論破されすぎで
>>1があまりにも可哀想だなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
132 :
日本@名無史さん:04/12/27 07:47:37
軍事力は兵器・装備だけで決まるのでなく、それらを使う精神力も重要である。
つまり江戸時代には軍事精神が戦国時代よりもさらに深められた。
軍事研究は実戦に備えるだけではない。いかに無用な戦争を防ぐかということ
も重要な研究テーマである。清や他のアジア諸国は攘夷を唱えて欧米と戦い
ことごとく破れ植民地化されたが、日本では江戸時代深く軍事戦略がなされて
いたので、無用な争いを避け、独立を保ちえたのである。
どうかな?
133 :
日本@名無史さん:04/12/27 19:26:56
>>81 とことん読解力の無い奴だな。
>>57をよく読めよ。
錆びてるから減ってると決め付けてるぞ。
しかもそれは
>>47で書いてあるような、火薬の輸入が制限されたか結果として何故か鉄砲が激減してるという意味不明な妄想への疑問に対する返答としてな。
134 :
日本@名無史さん:04/12/27 20:44:38
>132
>日本では江戸時代深く軍事戦略がなされて
いたので、無用な争いを避け、独立を保ちえたのである
他のアジア諸国が植民地化されたので、攘夷はムリポと
学習できる時間的余裕があったのと、互角に戦えるだけの
軍事力がなかっただけじゃないの。軍事戦略が充分になされてた
というには、あまりに、外敵に対して、防衛が手薄すぎない?
理論だけで、実行しないんだから、深く軍事戦略してた
とは思わないんですが。
江戸時代あたりの勉強してたら、その時代を美化したくなる
気持ちは理解できますが、鎖国で起こったことはトータルで
考えたら、日本の発展を遅らせた弊害のほうが圧倒的に
多い漢字します。
135 :
日本@名無史さん:04/12/27 21:02:24
家光の時代には十分に夷狄を撃退できるよ。
その頃はまだ余裕で世界最強だし。
136 :
日本@名無史さん:04/12/27 21:08:05
>>133 錆びて使えなくなった銃は実際にある。
>>57は総数は減っているといい、
数ある原因の中で、錆びる事と火薬を示したに過ぎない。
ちっとは読解力を磨け。
137 :
日本@名無史さん:04/12/27 21:12:58
138 :
日本@名無史さん:04/12/27 22:32:55
>>137 鉄が錆びないと思っているのかw。板杉だなw。材料工学の「鉄」の本を読め。
それに博物館にでも行けば、自分の目で見る事も出来る。
すごく丹念に保存してる博物館もあり、奇麗な展示品もあるから、
それをして「錆びていない」などと言うなよw。
ただ、戦国から幕末までその総数が減ったかどうかは俺は知らない。
壊れた分、作れば数は保てるからな。
>>57にでも聞けばw。
139 :
日本@名無史さん:04/12/27 22:51:09
>>138 鎖国するまでの日本には欧州を凌駕する世界最多の鉄砲が存在したがゆえに世界最強だったという指摘に対して、
>>47では火薬の輸入を規制した結果として鉄砲が激減した為に世界最強ではなくなったという電波が観測されている。
そしてなぜ火薬の輸入が規制されると鉄砲が減るのかという素朴な疑問に対する回答が、錆びたからなのだそうな。
だからお前には、錆びて激減したという事が分かるソースを出す必要があるんだよ。
読解力の無い奴だな。
140 :
日本@名無史さん:04/12/28 00:03:57
>>139 わかんないヤツだな。俺は錆びている鉄砲もあるとは言ったが、
それが原因で減ったなんていっていないだろ。
なんで、俺が「錆びて激減したという事が分かるソースを出す必要」があるんだ。
>>57と俺は別人なんだよ。そいつに聞けと言っているだろうに。読解力の無い奴だな。
141 :
日本@名無史さん:04/12/28 00:45:37
>>140 >>47からの流れを読み取れていなかったのかね?
読解力の無い奴だな。
分かってなかったのなら割り込むなよ。
142 :
日本@名無史さん:04/12/28 00:47:39
キリシタンを潰したのは正解
神とは唯一キリストのみ。神道も仏教も邪教。
神仏混交、なんでもOKの日本人には理解不能な教え。
独善的排他的な一神教は今も昔も日本人の感性にあわず。
143 :
日本@名無史さん:04/12/28 00:59:12
>>140 痛い所を衝かれてとっさに別人を装うのはブザマですなw
別人だと言いたければ、トリップをつけてからにしませう。
名無しが必死に別人である事を強調すると笑い者にされるだけ。
特に
>>47で君が主張した「火薬の輸入ストップの結果として鉄砲が激減云々」という謎に満ちた鉄砲消滅現象の原因を君がちゃんと説明していないのだから、
現時点では
>>57の「錆びて激減した」という説明を書いたのが君だとしか思えないね。
144 :
日本@名無史さん:04/12/28 01:25:51
145 :
日本@名無史さん:04/12/28 01:29:57
俺が知りたいのは、鉄砲の数が減ったかどうかなんだよ。
錆びたかどうかじゃないから論点を戻そうと書き込んだだけ。
なんでこんなに粘着されなければならんのか理解できない。
146 :
日本@名無史さん:04/12/28 01:35:42
基本的なことを教えてよ。
幕府軍の名称は?
147 :
日本@名無史さん:04/12/28 01:46:17
幕軍
148 :
日本@名無史さん:04/12/28 07:27:32
>>145 火薬が輸入されなくなったから、その結果として鉄砲が激減したとしか文意を読み取りようが無い
>>47を書いたのは君じゃないのかね?
で、何故火薬が輸入されなくなると鉄砲まで激減するんだという当然湧き上がる疑問についての答案が
>>57だとしか解釈しようが無い流れだ。
>>57で説明されている錆以外に、鉄砲が激減した原因の説明らしき文章を
>>47や
>>57程度のアホが書いている形跡は無い。
お前こそ読解力も無い癖して何を粘着してるんだ?
お前は
>>47なのか
>>57なのか?
まあ、
>>47=
>>57なんだろうけどなw
誰かが錆で火縄銃が激減したという事実を示すソースを出せば良いんだよ。
早く出せよ。
150 :
日本@名無史さん:04/12/29 00:18:37
喧嘩やめてお万個の話でもしようよ
151 :
日本@名無史さん:04/12/29 04:39:54
あ
152 :
日本@名無史さん:04/12/29 12:12:34
感動するなよ
153 :
日本@名無史さん:04/12/29 16:18:56
高卒就職者って就職先決まって祝福されるの?
親とかは心の奥底ではスゲー悲しんでるよ。
オレとかが行ってた大学進学率ほぼ100%の進学校だと、学年350人中2〜3人就職、1人専門がいたが
コソコソと冷たい視線や嘲笑い、暴言、哀れがられてたし、この高校を卒業しても気やすく名乗るなよ!って言われてたな。
教師の態度も変わるし卒業式にはとうていでられません。
ある教師が学校の名をけなすクズとか社会の敗者とか言ってたな。
逆に浪人も60人くらいいたが彼らの扱いは将来があるということで学校側がバックアップしてやるぞ!安心しろ!みたいなこと言ってて手厚かった。
この差はなんざんしょ?
とりあえず、こんな僕から言わせてもらうと高卒なんか直視できないほど恥ずかしいよ。
だって僕の育った環境からすればアリエナイし同じ人間ってか、人間ですらないんだもん。
韓国人の学歴崇拝はずいぶん病的なんだね
155 :
日本@名無史さん:04/12/29 19:49:11
姦国に健康なところなぞない。
156 :
日本@名無史さん:04/12/29 19:51:51
美人なら整形でもイイ
157 :
日本@名無史さん:04/12/29 20:08:33
いい大学入るならカンニングでもイイ
158 :
日本@名無史さん:04/12/29 20:27:28
↑ハゲドウ。普通カンニングでは合格しないけどw
159 :
日本@名無史さん:04/12/30 15:28:53
実証的に話をしてみると、、、
@国友村の鉄砲鍛治の数が江戸初期から中期にかけて減少している資料などは、
「鉄砲と日本人―「鉄砲神話」が隠してきたこと」(ちくま学芸文庫)等にあったと思います。
たしか、銃身や銃床を作る職人が減る一方で、象嵌とか装飾の職人は減っていないような資料。
つまり鉄砲が実用品から工芸品に変わっていったということだと思います。
A参勤交代は建前上、「軍役」ということになっていますが、その編成を見ると鉄砲の占める比率は一割程度。
戦国時代、長宗我部氏や島津氏が(実際にそうだったかは措くとして)一人一銃体制を
号していたのに比べると退化しているように見受けられます。
もちろん、江戸になるべく鉄砲を持ち込ませまいとする幕府の意向かもしれませんが。
B元禄期、備中松山城の接収に向かった赤穂藩(大石内蔵助)は、保管の不備等により
撃てる鉄砲と火薬が足りなかったことから浅野本家から借り受けていった記録があります。
火縄銃の保管・整備はなってなかったということでしょう。
Cペリー来航後、幕府が作った講武所では、多くの旗本御家人たちが銃砲の訓練を逃れたいがために
弓術・槍術・炮碌(ほうろく)調煉に興じたそうです。
幕府が洋式調練を開始したときも、多くの武士たちは4キロもあるゲベール銃を保持すること
ができず、最終的に幕府は旗本の戦力化を諦め、町人(博徒)・農民からなる歩兵隊の編成へと向かいます。
当時の武士たちの銃砲軽視、安逸を貪る心理状況が見て取れます。
このあたりは 「幕府歩兵隊―幕末を駆けぬけた兵士集団」(中公新書)に詳しいです。
要は、江戸期は、「常時軍事体制」とはいい難く、儒学(朱子学)に基づく
官僚制文民国家に近かったと思います。武士は刀という儀礼杖を持った官僚という
べきでしょう。
「常に危機に備えていた」というにしては幕末の混乱は大きすぎますし、
「武士たちは常に武器を携帯」していた、その武器は刀くらいのもので、
これは身分を示す、多分に儀礼的なシンボルに過ぎません。大部分の武士は
実際に刀を使用することなく、一生を終えています。
戦国期の主戦兵器は鉄砲と槍でしたし、そのうち、鉄砲の衰退ぶりは上記@-C
に記したとおりです。
長文失礼。
160 :
日本@名無史さん:04/12/30 16:31:05
とはいえ、薩摩なんかでは武士達が子供の頃から火縄銃を使ってロシアンルーレットみたいな遊びに慣れ親しんでいたようだがな。
どうやって火縄銃でロシアンルーレットをやるのかというと、まずは部屋の真ん中に天井から紐を垂らして銃を水平に吊り下げる。
銃の火縄は時間が来ると直接発射薬に着火するように仕掛けておき、天井から吊り下げた紐をグルグルよじり、火縄には点火しておく。
よじれた紐が元に戻ろうとして銃を回転させるので、回転する銃の周りをみんなでとり囲んで正座し、静かに四書五経だか仮名手本忠臣蔵だかを輪読する。
暫くすると火縄が燃え尽きて発砲するが、その瞬間にも姿勢を崩して怯えたり逃げたりする素振りをする事は許されない。
もしも弾丸が自分に命中しても大声を上げて痛がったりしてはならず、あくまで平然とした態度で手当てを済ませなくてはならない。
江戸時代を通じても薩摩に限っては、鉄砲文化が日常生活の中にしっかりと根付いていた。
161 :
日本@名無史さん:04/12/30 16:49:46
薩摩と会津は例外中の例外だ。
その二藩だけが幕末まで武士が腐らなかった。
162 :
159:04/12/30 17:58:42
>160
海音寺潮五郎や司馬遼太郎の著作で有名な話ですね。
薩摩で鉄砲が衰えず、戦国の遺風が受け継がれたのは、
同藩が幕府の襲来に備え、常に臨戦態勢をとっていたからでしょう。
すなわち、
>1さんの意見は、薩摩については当てはまると思います。
ただし、薩摩の農民支配は苛斂誅求を極めたものだったそうですし、
若侍たちは肝試しに農民の首を取りに行く習慣があった等、
(儒学でいうところの)道徳にはやや疑問があります。。。
163 :
日本@名無史さん:04/12/31 08:01:58
age
164 :
159:04/12/31 09:41:41
「軍事体制」として「危急の時に備え」るためには、他と隔絶した武力(ハード)と
自己完結した組織・行動能力(ソフト)が必要です。
そのうちソフトについて堺屋太一が書いていたことですが、江戸期の武士たちは建前上、
小隊(組)編成をとっており、「危急の時」には領主の号令一下、組織された軍隊がすぐさま
集まることになっていましたが、実情は長い間軍事的観点での編成替えを行わずに
放置していたため、老人や病人、相続したばかりの幼児が多数混入していて動きが取れない
格好になっていました。
また組とは無関係に役方(=行政事務)を割り当てたため、江戸詰や代官勘定方で抜ける者もおり、
軍事組織としての武士集団は(建前としてはともかく)事実上消滅していたと考えるべきだと思います。
165 :
日本@名無史さん:04/12/31 10:55:25
堺屋太一はsぐってんとしては恥かしい典拠だと思う
166 :
日本@名無史さん:04/12/31 18:54:31
「昔は貧乏だったから大学に行けなかった人が多かった」、はホントのようでウソ。
今から25年〜30年前は国立大学の授業料は年間1万5千円程度。
当時の所得水準から考えてもただみたいなもの。(換算してもせいぜい4〜5万だろうな)
だから優秀で国立大学に受かる位の能力があれば今よりはるかに経済的負担なく大学に行けた。
その後、国立と私立の格差をなくすという名目で国立大の授業料が異常に跳ね上がり今では年間50万まで上がってしまった。
結局、高卒は今も昔も怠け者なんです。
167 :
日本@名無史さん:05/01/01 12:22:39
昔の定義を間違えてるよ
168 :
日本@名無史さん:05/01/01 17:10:48
育英会の奨学金も返済する必要がなかったしな。
そもそも高校に行かなかった人間が世代の半分だったころの話だろ?
170 :
日本@名無史さん:05/01/02 12:41:17
昔は貧乏だったから大学に行けなかった人が多かったというときの昔がいつかは、
進学率推移を見れば判る
半世紀も前の話だ
旧制では、中学へ行った時点でエリート
171 :
日本@名無史さん:05/01/02 20:19:30
あっげ
172 :
日本@名無史さん:05/01/03 00:52:07
(東大からFランク大まで含めた)現代の大学進学率>>
>>1930年代の旧制中学(5年制)進学率
てところだね。
同世代での位置で考えれば昔の旧制中学卒は今の基準なら駅弁マーチ以上卒と同じ位にはなる。
禿すれ違いすまそ
今大学行く奴は、金じゃなくて、能力がないからだろう。
成績のいいやつは、高卒でも職を見つけられるが、悪い奴は見付からない。
担任も、就職先を見つける自信がないから、おまえら大学行けと言っていた。
大学より就職が楽だったのは、バブル時代の話しだな。
今は大学いくほうが楽。
評価で最低でも4、0できれば4、5はないと、就職は推薦すらしてもらえん。
高校でなんとか就職した奴に聞いたら、4、2はあったからなあ。
(それでも受けた人達の中では低かったそうな)
俺なんか、3、5程度だったから、諦めて大学目指したし。
そいつは真面目に都市銀行に勤めているけど、俺は大学でてもろくに就職先が見付からず、
地元のショボイところに勤めることになった。
国公立でてもろくに見付からない時代だし、仕方ないんだけどなあ。
174 :
日本@名無史さん:05/01/03 02:44:07
まあ高卒を叩く香具師は、就職時におけるライバルになりうる範囲で行くと、
私立文系卒が殆どだろ。
下手すると高卒より学力が下だからな。
175 :
日本@名無史さん:05/01/03 02:46:03
例えばの話だよ、大学生集団に高卒・専門がコンパに連れていかれるとしよう。
そして、相手は偏差50以上の女子大生だと仮定しよう。
ある大学生が酔った勢いで、『○○クン(高卒・専門の名前)ってドコの大学だっけ?』と、言われたら
消えたくなるくらい恥ずかしいだろ?
それ以前に自己紹介で自滅or大学生だと嘘をつくしかないよな?
で、相手方は高卒・専門と知った時点で空気のごとく無視されるだろ。
席替えで隣に座った子にバイキンが近寄ったような目でみられ、わざとらしく女は席を離れるだろ。
それを見ている大学生集団はニャニャ顔…
そして、二次会に行くために会計を済ませ、外へ出たときに、
『あれ?○○クンなんでいるの?』と、言われる。
プライドをズタズタにされた高卒・専門は泣く気力すら残っておらず、
ただ頭が真っ白状態で気が付いたら真っ暗な自分の部屋で寝そべって、ようやく泣きだす。
自分達をバカにした女子大生たちをヲナネタにしている自分にも悔しくて泣く。
しかし、大学受験を放棄したテイタラクどもへの社会からの仕打ちはこれから死ぬまで続くのであった。
そして、一生劣等感を抱くのであった。
さぁ、高卒辞めますか?人間辞めますか?
高卒の人は恥じてないよ。それどころか大卒を逆に見下しているところもある。
あいつら、仕事もろくにできんとね。このまえ入社してろくに仕事が出来ず、
数ヶ月でやめた馬鹿がいたって言ってたしね、
確かにそいつには彼女はいなかったがw(いない大卒の友人こそ両手で足りないくらいいるしな)
去年中学の同窓会行ったら、彼女どころか、もう子供までつくっている奴も多かったよ。
独身の先生がおまえ等早すぎと言っていた。
あとコンパとかに行く段階で、モテナイ奴って吐露しているようなもんだぞ。
正直四流五流大学は高卒より質が悪い。
能力もなんだが、それ以上にやる気がない。
侵入社員を指導したことがある人なら分かるだろうが、
何人かは五月には辞める、酷いのになると数日で、
半年もつのは半分くらい。
高卒は後がないと分かっている為だろうか、すぐすぐ辞める奴はいないな。
数年は持つ。まあ、仕事覚えて辞められるのが一番困るんだけどね。
178 :
日本@名無史さん:05/01/03 03:04:14
>>176 仕事も出来ないことに関して、大卒者のクセにという前提が出てくる時点で、逆に高卒者は相手が大卒者であることを意識してるとも思えるんだが。
179 :
日本@名無史さん:05/01/03 03:07:52
なんじゃこりゃ・・・
180 :
日本@名無史さん:05/01/03 03:09:50
延々とスレ違いで板違いの話ばかり続けているおまいらは全員幼稚園中退。
>>178 それはあると思う、屈折したコンプレックスとでもいうのかな、
うちの前チーフも高卒だったんだが、かなり大卒者への風当たりが強かった。
彼等にしたら、なにしに行ったんだというものがあるらしい、
もしくは彼等も行きたかったのかもね。
そいつ、かなり成績がよかったけど、諦めた口だからね。
両親が子供のときに死んでて、祖父母と暮らしている奴だったし、そのうえ妹が一人いたし、
無理できなかったんだろう。
確かに大卒のプーは最近多いな。
ってなんでこんな会話になっているんだよ!!!
幼稚園中退だからだろ
184 :
sage:05/01/03 03:26:20
こう言っちゃなんだけど、高卒の香具師らを煽っても面白くも何ともないんだけど。
別に笑えんというか。
185 :
日本@名無史さん:05/01/03 11:41:56
激しくスレ違い。学歴版に逝ってくれ。
186 :
日本@名無史さん:05/01/03 11:53:00
コピペだろ。
江戸時代は鎖国していたと言うのは言い過ぎだと思う。
べつに国際化する理由もないし、といって完全に国を閉鎖したわけじゃない。
むしろスペインやポルトガルなど好ましくないと思われた外国勢力を排除したにすぎない。
しかも鎖国が完成したとされる寛永年間には「鎖国」という言葉はなかった。
188 :
日本@名無史さん:05/01/03 13:08:34
それじゃ幕末に「開国」という言葉が当時頻繁に使われたのはなんでだよ。
出島で細々と交易をしていた幕府の官僚の視点で見ればそう見えるかもしれんが、
幕府により外国との貿易を禁止された諸藩から見れば立派に鎖国だろ。
190 :
日本@名無史さん:05/01/03 17:16:15
191 :
日本@名無史さん:05/01/03 17:49:41
鎖国という言葉の当否は兎も角、海外に対して国を閉ざしたのは事実だし、、
それはその時点ではそれなりに正しい選択であったかもしれない。
オランダから得た洋書を翻訳する際に、日本はオランダ以外の西洋諸国から国を閉ざしている事を記述している箇所で、「鎖国令」という造語を用いて和訳したのが広まったらしいが。
だから江戸時代から鎖国と言う表現自体は定着していた。
ただし幕府が公式に「鎖国令」という法令を出した訳ではない。
193 :
日本@名無史さん:05/01/03 18:42:27
公式も非公式も関係ない。
鎖国的な体制であった事は認めるんだな?。
194 :
日本@名無史さん:05/01/04 09:37:33
共産党以外、誰だって認めるよ
195 :
日本@名無史さん:05/01/05 09:34:47
攘夷断行!
196 :
日本@名無史さん:05/01/06 06:52:08
戦国末期、日本の戦力は絶頂にあり、世界最強だった
197 :
???? ◆VgMkRE6jec :05/01/06 07:00:41
『官位』スレを誰かが煽ってますが、無視して下さい。後、迷惑をかけてましたらすいませんでした。
官位板使者
198 :
日本@名無史さん:05/01/06 16:44:29
そんなこと誰も書いて無いぞ
199 :
日本@名無史さん:05/01/06 19:53:01
西洋諸国と決戦したら楽勝だったろうな
200 :
日本@名無史さん:05/01/06 20:32:34
西洋諸国と決戦したら切腹だったろうな
201 :
日本@名無史さん:05/01/06 23:29:15
西洋人が?
202 :
日本@名無史さん:05/01/07 08:51:50
わろた
オランダ総督は捕虜になってるね
203 :
日本@名無史さん:05/01/07 09:59:31
浜田弥兵衛が生け捕ったノイツだっけ?
204 :
日本@名無史さん:05/01/07 11:41:17
骸を馬蹄にかけられつ
身を野晒しになしてこそ
世に武士の義と言はめ
山田美妙斎
205 :
日本@名無史さん:05/01/08 08:34:44
やっぱり楽勝だったか
206 :
日本@名無史さん:05/01/08 11:45:40
なぜ黒船が来るまで他の列強は日本を侵略しようとしなかったのか。
これって結構面白い問題じゃない?
207 :
日本@名無史さん:05/01/08 12:05:34
西洋から見て清の向こう側だから
本格的な侵攻は後回しにされてたんでしょ。
アメリカだけは太平洋航路で
植民地争奪戦の一発逆転を狙ってたから
途中にある日本に執着したと。
いや、日本との貿易で莫大な利益を上げていたオランダは欧州にとって垂涎の的であり、諸国もあの手この手で日本市場参入を試みている。
後回しになんてされていないが、当時は日本への航路はそれを知る国にとって国家機密であり、日本がどこにあるのかも知らない国も珍しくなかった。
ロシア皇帝のピョートル大帝にいたっては、日本への航路を掴む為に自ら身分を伏せてオランダの造船所に船大工として働いていたほどだ。
しかし植民地化を狙っていたかどうかという問題は一言では言えない。
欧米にとって日本が通常の交易で十分に儲かる相手であれば、力づくで侵略する必要を感じない。
侵略が容易な弱小国であれば侵略する事も方針にされるのでだろうが、当時の欧米の感覚で言えば、当時の日本は相当手ごわい相手だった。
それは下関戦争で降伏に追い込んだ四カ国連合軍が講和会議で結局長州に対して領土的要求を断念させられた事や、
同時期に始まった薩英戦争では僅か2日目で英艦隊が撃退されている事でも分かる。
209 :
日本@名無史さん:05/01/08 19:39:15
頼山陽謳ひて曰く、武夫悉く好仇
210 :
日本@名無史さん:05/01/08 21:54:45
>>208 >薩英戦争では僅か2日目で英艦隊が撃退されている
具体的にはどのように薩摩は英艦隊を撃退したのですか? またそのような
ことが可能だったのですか?
211 :
日本@名無史さん:05/01/08 22:52:32
>>210 錦江湾に攻め込んだ英艦隊には、海兵隊などの上陸戦用の部隊が乗っていなかった。
初日の砲撃戦で薩摩側の砲台の大部分を破壊したものの、その時点で英軍は手詰まりとなった。
従軍した英国公使館通訳のアーネスト・サトウの手記などで書かれているが、日英双方の事情通が口を揃えて
「上陸戦になれば薩摩が勝つだろう」と予想した為に艦隊司令官は上陸を断念し、戦闘を中断して撤退した。
本格的な上陸戦に及ばずとも大艦隊で押し寄せるだけで薩摩は腰を抜かして降参するだろうとタカを括っていたようだが、予想が外れたという所だろう。
薩摩の方ではスイカ売りに化けた決死隊が英国艦を奪取して、そのまま奪い取った艦隊で京に攻め上って倒幕をやろうとさえ計画していた。
薩英ともお互いに相手を過少評価していたところが微笑ましい。
初日に砲台が壊滅した薩摩ではその晩、国中に号令を発してオデタイをかき集めた。
オデタイというのは麻を染める時に使う細長い樽だが、これを黒く塗って擬装砲を急造した。
翌朝になって、昨日よりも巨大な砲身がズラリと据え付けられて完全復活している海岸の砲台群を見た英軍は腰を抜かし、あわてて錦江湾から退却した。
213 :
日本@名無史さん:05/01/08 23:36:28
兵鋭く、馬騰る
214 :
日本@名無史さん:05/01/09 01:17:28
>>211 それでは撃退したのではないんじゃないですか。むしろ英艦隊が深入りを避けて
退いたとするほうが正しいのではないですか。
撃退ということであれば、英艦隊に砲撃して撤退せしめるということだと思う。
確か、薩摩には唯一英艦隊と戦い得た大砲があったというが。
>>214 戦争の勝敗を判定する際の基準は、戦争目的の達成度が問題となる。
英軍の目的は、薩摩を降伏させる事。
薩摩軍の目的は、英軍を撃退する事。
英軍は薩摩を降伏に追い込む為に必要な軍備を用意できず、従って薩摩を降伏に追い込む攻撃を行なう事も出来なかった。
それで仕方なく目的達成を断念して退却に追い込まれた。
これが撃退という事なんだよ。
216 :
日本@名無史さん:05/01/09 01:36:22
「やれば負ける」と判断した方が尻に帆かけてスタコラ逃げ出したら、それはレッキとした撃退という事だな。
217 :
日本@名無史さん:05/01/09 01:51:01
そうじゃないだろ。薩摩からの砲撃の中にかなり正確なものがあって、英軍の
重要な人物がかなり死傷した。そこで徹底せざるを得なかった。
218 :
日本@名無史さん:05/01/09 02:00:37
>>217 それはあくまで瑣末な出来事に過ぎない。
英艦隊旗艦の艦長と副長が戦死して艦隊全体が大混乱したのは事実だが、それは一事的な状況にすぎない。
何故艦隊全体が混乱したのかというと、無線も発達していない当時の英海軍では艦隊行動の基準となるのが旗艦であり、
後続艦が全て旗艦に追従して行動するという規則だったからだ。
艦長と副長が同時に即死したので一時的には大混乱となったが、薩摩軍もその機に乗じて英艦隊を無力化出来た訳でもなく、
時間の経過に伴って英艦隊は秩序を回復した。
英軍全体の戦死者は13名に留まり、英艦隊がそればかりの損害を理由に撤退する事はありえない。
英艦隊の砲撃によって5名死亡した薩摩が、それを理由に英艦隊に対して降伏する事などありえないのと同じ。
219 :
日本@名無史さん:05/01/09 02:15:25
英艦隊が撤退を決断したのは、あくまで「砲撃だけでは薩摩を降伏させる事が出来ないし、上陸占領を試みたら負ける」と判断したからだ。
英艦隊をしてそういう判断に至らしめる強大な薩摩の軍事力の存在なくして、英艦隊の撤退という結末は有り得ない。
220 :
日本@名無史さん:05/01/09 02:16:20
瑣末であると一蹴するわけにもいくまい。
当時砲撃戦においては圧倒的に欧米が有利であると信じられていたが、
実際、薩摩には種々の大砲があったにせよ、その中にかなり正確に射撃できる
ものが存在したのである。艦長など重要人物が死んだことは正確に狙い撃つ技術があ
ったことを裏付ける。そこで英国は接近かなわず撤退したのである。
確かに撃沈されるなどの致命的な打撃を被ったわけではないとしても、脅威を
感じていたことは当然であろう。
221 :
日本@名無史さん:05/01/09 02:23:49
>>220 英艦隊による砲撃で壊滅するまでに英軍将兵を僅か13名ばかり殺害しただけにとどまった薩摩軍の火力は、英艦隊を撤退に追い込む程の戦力とは言えない。
僅か5名を殺す事しか出来なかった英艦隊の火力が、薩摩を降伏させる事が出来ない程度の戦力に過ぎないのと同じ。
英艦隊が撤退したのは、旗艦の艦長や副長が死んだからではない。
あくまで、上陸占領の目処が立たなかったからというのが主たる理由だ。
222 :
日本@名無史さん:05/01/09 02:29:31
英艦隊が逃げ出したのは、樽を見て怯えたからだよ。
223 :
日本@名無史さん:05/01/09 02:37:25
>>221 ノルマンディー上陸作戦を見るまでもなく、陸からの正確に射撃されるという
ことほど艦隊をおびえさせるものはない。とどかないとか当たらないとか、
撃つのが遅いというのならともかく、正確に的中させるというのは実に脅威
であったに違いない。
薩摩の大砲の種類や砲術の程度を仔細に検討することなく、ただ予想にもと
づいて薩摩の戦力を低く見るのには賛成しかねる。
言葉遊びはそこそこにしとけ。
225 :
日本@名無史さん:05/01/09 07:24:01
腰間の秋水鉄をも断つ可し
226 :
日本@名無史さん:05/01/09 07:39:29
>>223 壊滅した後の砲台に怯えるようなマヌケは居ない。
翌朝復活したかに見せかけられた砲台を警戒して後退したのは事実だが、英軍が脅威を感じていたのは上陸戦の際に発揮される薩摩軍の白兵戦能力だよ。
疑うのであればアーネスト・サトウの手記でも読んでからまたおいで。
憶測でものを言うなよ。
227 :
日本@名無史さん:05/01/09 09:49:02
じゃ、幕府がアメリカと戦って勝ってたら世界史はどうなってたの?
228 :
日本@名無史さん:05/01/09 10:05:13
幕府じゃ絶対に勝てないから安心しる
229 :
日本@名無史さん:05/01/09 10:28:38
そうとも言えん
勝海舟、大鳥圭介、松平太郎‥
230 :
日本@名無史さん:05/01/09 11:25:41
総司令官が徳川家茂・慶喜の二択しかない時点で終わっている
231 :
日本@名無史さん:05/01/09 11:41:05
毛利少将や島津八郎に劣るとも思えんが
232 :
日本@名無史さん:05/01/09 11:51:46
毛利や島津は有能者に軍を指揮させる事が出来るが、
幕府では、勝や大鳥を指揮官にしようとすれば
小栗ら代々徳川家に仕えてきた古参旗本が反発する。
そうでなくともかれらの意見を老中譜代大名が採用するかどうか?。
旗本・老中そして、将軍の考えまでも納得させようとすれば、
勝も大鳥も敵と戦う前に味方の説得に疲れ果てるんじゃね?。
折れは江戸食事体制の方が興味がある
234 :
日本@名無史さん:05/01/10 00:46:21
先に言っておくが、犬喰いネタならよそへ逝け
いやだなあ、そんな気はないですよ
ところで、豚一様って誰のこと?
236 :
日本@名無史さん:05/01/10 08:25:27
徳川慶喜のあだ名だよ
237 :
日本@名無史さん:05/01/11 21:26:20
少林最強!
238 :
日本@名無史さん:05/01/12 00:42:42
他人にあだ名をつけるのは止めませう
239 :
日本@名無史さん:05/01/12 01:25:31
仇名とは他人からつけられるものであります。
240 :
日本@名無史さん:05/01/12 08:22:15
自分につければ問題なし
241 :
日本@名無史さん:05/01/12 08:41:10
それは仇名ではなく、自称だ
242 :
日本@名無史さん:05/01/12 13:31:46
自称他称と渾名か否かは別問題
243 :
日本@名無史さん:05/01/12 13:53:44
いや、充分問題だろ。
自分に仇名をつける行為自体がサムイから、自称には悪いイメージが付き纏う。
244 :
日本@名無史さん:05/01/13 01:40:24
幕藩体制は、初期には強力だった
世界最強だったろう
産業革命で逆転した
245 :
日本@名無史さん:05/01/13 10:13:09
戦国末期、江戸初期には実際最強だったろう。
246 :
日本@名無史さん:05/01/13 20:22:08
根拠無し?
247 :
日本@名無史さん:05/01/13 20:24:15
戦国末は日本のほうが明より人口が多かったそうだ。
秀吉がもう少し長生きすれば・・
248 :
日本@名無史さん:05/01/13 22:31:43
メキシコ銀山や南アフリカ金山が開発されるまでの日本は、
金銀銅の産出量が全世界の20〜40%を占め断トツの経済超大国。
その圧倒的な経済力をもって全ヨーロッパの合計を上回る火器を保有し、
生活のゆとりは世界最高の識字率と文化水準を実現していた。
江戸時代前期までの日本は、間違いなく世界最強の大国だよ。
残念ながら家康とその子孫は、その事実を知らなかった。
江戸時代前期にそれほど識字率とか、文化水準が高いわけないでしょう。
江戸は単身赴任者が多い、文化的には上方に遅れを取っていた開拓地みたいな地域なんだから。
元禄あたりまでくれば新田開発などで多少の余裕はできたかもしれないけど
今度は貴金属の産出量は下がってくるし。
軍事的にみても、平均的な装備や戦意では明・清を上回るかもしれないけど、
兵力その他を含めた総合力では勝てないと思うけど。
250 :
日本@名無史さん:05/01/14 00:20:11
兵力もかなりだよ
元々人口や富力によって決まる数値だからね
>>247 流石にそれはない、明の末期の人口はおよそ6000万人
日本は1200〜1800万人、間をとって1500万人だとすると四倍。
差を最小に見積もっても三倍はある。
秀吉が長生きしたら、朝鮮を併呑した可能性は否定しないけどな。
関が原で両軍あわせて20万動員しているのをみると、日本の国力はまだ余裕があったみたいだしな。
252 :
日本@名無史さん:05/01/14 07:50:28
253 :
日本@名無史さん:05/01/14 07:56:11
>>249 安土桃山文化を知らない素人さんですかな?
254 :
日本@名無史さん:05/01/14 08:18:11
>>252 ここだな。
さて時代は下って明の永楽帝の時代、日本はこの時、足利義満の時代です
が人口を比べてみると……。
中国 6600万人
日本 1500万人
人口比で五倍ほどの差があるのだが、この明朝の後半は北からはモンゴル
の諸部族タタール部、オイラート部が首都・北京に襲いかかる。1449年に
は皇帝を捕虜にして連行されるほどで、明は万里の長城を築いて防衛に当
たる。おまけに南の沿岸部では倭寇が跋扈跳梁し、明は北と南に病根を抱
えて衰退する。つまりまた人口崩壊を起こし、人口は半減したようだ。
255 :
日本@名無史さん:05/01/14 08:19:44
戦国時代には日本の文化、教育水準が衰退していたとでも誤解している人が居るのかも知れないが、
実際はその反対で文化、教育水準は大幅に発展し続けていた。
戦国時代とは言っても再起不能なまでに文化や技術水準が損なわれるような破壊行為は稀であり、
むしろ文化面では急速に発展した。
種子島の領主に中古の火縄銃をベラボウな高値で売り付けた西洋商人が二匹目のドジョウを狙って後日再び薩摩を訪れたら、
既に火縄銃の国産化に成功していてぼったくる事が出来なかった。
薩摩のような辺境の鍛冶屋でさえ、たちまち西洋以上に優れた銃を生産出来る水準に達していたからこそだ。
256 :
日本@名無史さん:05/01/14 08:46:14
まぁ、戦国末期には世界一の軍事力もってたって言うしな。
朝鮮出兵に失敗したのは戦力が問題ではなかったわけだし。
257 :
日本@名無史さん:05/01/14 08:56:56
× 朝鮮出兵
〇 朝鮮征伐
258 :
於義丸:05/01/14 22:18:14
家光chanのせいじゃね?
>>253 安土桃山文化が、当時の日本人のどれくらいの割合に浸透したの?
日本全国がその恩恵を受けたと思ってます?
代表的な例でいえば石垣造りの城とかも日本全国に広がったわけじゃないですよ。
当時の全国の識字率は江戸後期と変わらないレベルなの?
>>251 秀吉が生きていたら朝鮮を占領できるとの根拠もわからない。
日本がら空きにして秀吉が直接朝鮮までいって指揮すればあっさり勝てるようなかんたんな問題?
補給は? 占領地の行政はどうするの? 朝鮮北部とか中国北部とか米もとれませんよ。
北方の遊牧民族との接触経験もないし、鉄砲さえあれば勝てると考えてませんよね?
当時の日本が世界の中でも指折りの戦力を持っていたのは事実と思いますが得手不得手はあるわけで、
鉄砲に不可欠な硝石はほとんど輸入、遠洋航海術も持っていない、
中国大陸のような広大な国土を統治するのに必要な官僚を確保する手段もないし、
当時の日本封建システムをそのまま適用できるとも思えないですが。
満州族は少数で中国を支配できたけど、それは中国のシステムや当時の政治状況(内乱状態)を
うまく利用できたからでしょう。
秀吉時代はそこまで明の状況も悪くない。
260 :
日本@名無史さん:05/01/15 00:28:09
まあ、今も昔も朝鮮に関わって得することはないよ。
261 :
日本@名無史さん:05/01/15 22:09:08
朝鮮征伐は秀吉が老衰で死んだから中断しただけで、戦闘では勝ちまくりだよ。
日本との戦いで極度に弱体化した明は、まもなく僅か30万人の満州族に征服された。
>>351 ほほー、2度目の出兵時もそれほど勝ちまくりとは知りませんでした。
きっと朝鮮のかなり内部なで進撃していたのでしょうね。
大体、どのあたりまで進出・占領していたのか教えてください。
263 :
日本@名無史さん:05/01/15 23:52:21
満州まで進出・占領していた
264 :
日本@名無史さん:05/01/16 00:04:48
支那人は伝統的に前衛部隊が戦場を放棄して逃げ出すと、無傷な全軍がたちまち総崩れになる伝統があるから、
少人数で割と簡単に征服できる。
265 :
日本@名無史さん:05/01/16 00:30:43
そのとーり
267 :
日本@名無史さん:05/01/16 08:38:46
268 :
日本@名無史さん:05/01/16 09:33:34
無内容なことを書くな馬鹿
269 :
日本@名無史さん:05/01/16 09:37:38
お前も反応するな馬鹿
近代戦においても、日本兵は戦わずして勝ってたからなぁ。
刀剣で襲いかかれば、ほとんど逃げ出してたわけだし。
根性がないから、後できゃんきゃん吠えたりする訳だ。W
>>254 半減といってもいくらなんでも実際に半分まで減ったわけではない、
中国の戸籍は戦乱がおこると人口調査能力が減り、人口が減っているだけで、
実体はそこまで減らない。
>>259 俺は朝鮮とかいているのに、なんで明になってんの?
んで今まで送ってない東国の大名を送れば、もう何年も戦い続けることが可能。
朝鮮には抵抗能力などもうない。
南部から徐々に日本の属領になるだろう。
朝鮮の財政規模では日本に抵抗するなど、不可能。初戦で壊滅した海軍も再建できなかったしな。
あとは明がどれだけ朝鮮を援助するかということになるが、
あと5年も十年も半島に兵力を回すのは不可能じゃないか。満州族がそろそろ黙ってない。
272 :
日本@名無史さん:05/01/16 10:22:54
〜だろう、〜じゃないか、は根拠のない妄想と思われてしまうよ。
なるべく使わない方がいいぞ。
うう、351の人ごめん。
>>271 東国の大名に何人役を割り当てて投入するの?総動員兵力はどれくらい?
伊達とかも動員されてるのに結局勝利は得られなかったですが。
秀吉の作戦目的は唐入りですよ。どこまで本気かしらないが。
朝鮮占領だけでOKなのか?
大体、海岸沿いに倭城を建設して、そっから出撃するくらいしかしてないじゃないか、2回目は。
耄碌した秀吉がどう指令したかは不明ですが、実際に作戦に参加している大名は朝鮮内部への
侵攻・占領とかあきらめてるんじゃない?
明が朝鮮に動員した軍隊は東北部の(本来なら満州あたりの警戒用)軍隊のみ。
国内にどれだけの予備兵力があったと考えてますか?
当時は満州族は部族単位で、統一した戦力とはなっていないし。
満州族警戒用の軍隊が朝鮮に動員されたから、警戒の目が緩んで満州族統一が
進んだとはいえますが、彼らが明と敵対すると断言できるの?
大体ここは、江戸時代の軍事体制を議論するスレッドじゃないのか?
秀吉時代の話をするのは間違ってる
1見ろと言おうとしたが、1みると単に冬厨が立てただけのスレッドみたいですね・・・。
274 :
日本@名無史さん:05/01/16 12:00:16
275 :
日本@名無史さん:05/01/16 12:25:36
>秀吉の作戦目的は唐入りですよ。
それは、一回目の朝鮮攻めの後、出てきた話とか。
276 :
日本@名無史さん:05/01/16 12:49:27
>>275 秀吉の唐入り構想は、小田原の役の辺りからすでにあった。
277 :
日本@名無史さん:05/01/16 16:51:44
朝鮮征伐の際の朝鮮の軍事力とは、殆ど物の数ではなかったというのが実情。
装備も錬度も極度に劣る兵力が総勢5000人ではまったく話にならない。
本来は朝鮮征伐ではなく、日明戦争とでもいうべき。
朝鮮は単なる場所。
>>273 >東国の大名に何人役を割り当てて投入するの?総動員兵力はどれくらい?
東国の大名は殆ど出兵していない、伊達も1500から3000ってとこだ。
近場ではないから、それほどの大軍は動員できないだろうが、
この倍は余裕。実際関が原で両軍あわせて20万の軍勢が動員されたのをみれば、
あのクラスの出兵をあと10年以上続けるのは余裕だ。
いやむしろ、し続けなければ、大名の統制にならんし、国力を消費させる意味でも必要。
>秀吉の作戦目的は唐入りですよ。どこまで本気かしらないが。
前期と後期で目的が異なる。慶長の役では朝鮮の属領化が目的。
だから半島南部の属領かが進み、明朝鮮ともに、日本軍にはろくにかてていない。
秀吉が死んだので帰っただけだ。たのみの水軍は初戦で日本軍に大敗。
200隻のうち190隻は沈められた。
明の予備兵力も問題ない、そもそも南方から送るだけでどれだけの国力を消費すると思うね。
また広大な明の領土の防衛、そして敵は日本だけじゃない。
んで日本と長期間交戦すればそれだけ、満州族が早めに動ける。
史実のように内部分裂する可能性も高い。
これは日本にもいえるが、秀吉が長生きすることが前提条件なので、国内の大規模な反乱はあり得ないからな。
279 :
日本@名無史さん:05/01/16 20:55:21
>>278 朝鮮の役は諸大名の怨嗟の的だったから、秀吉が長生きして
そのまま戦争続行したら、秀吉暗殺されてるね。
280 :
日本@名無史さん:05/01/16 21:10:42
朝鮮への派兵が嫌がられていたのは、朝鮮半島が領土的に殆ど魅力の無い不毛の荒野だからに過ぎない。
朝鮮を落として華北へ進撃すれば、事情は大いに変わるだろう。
秀吉の統制力は圧倒的だぞ。どうやって反乱するんだよ。
282 :
日本@名無史さん:05/01/17 09:27:37
秀吉が渡海していれば圧勝
283 :
日本@名無史さん:05/01/17 21:00:12
>>281 徳川家康が黙って従うとは思えないが。
秀吉が海を渡れば、天下取りのチャンスだし。
家康を渡海させようとすれば、江戸転封したばっかりの家康が駄々をこねるんじゃね。
秀吉も、家康には頭ごなしに命令だせなさそうだし。
284 :
日本@名無史さん:05/01/17 21:27:23
まあ、事実として秀吉が最も消耗させたがっていた筈の家康を江戸から引きずり出して朝鮮送りにする事は出来なかった。
このような二人の間のパワーバランスは、秀吉の寿命が数年〜十数年伸びたと仮定しても変化ないと思われ。
つまり秀吉は家康はじめ東国諸大名を朝鮮、支那戦線に投入できない訳だ。
しかしその一方で李舜臣を仕留めた後は九州からの補給線が確立するので、朝鮮半島を完全制圧して一気に明を攻め滅ぼすのは時間の問題となる。
つーか、日本軍も相当消耗してるぞ。フロイスによれば、開戦1年で日本軍
15万のうち5万人が死んだという(戦死ではなく、病気や朝鮮の寒さが原因)。
長期戦になれば、日本軍のダメージも大きくなる。
秀吉の精神状態も心配だな。ほとんど「人格障害」って感じになってるから。
文禄4年(1595)は、例の秀次一族皆殺し事件が起こっているし。
慶長の役などは、戦略もクソもない。秀吉が「明の講和内容」にブチ切れた
発作的なヒステリーでしかない。指揮官がこの有様では先が思いやられるな。
286 :
日本@名無史さん:05/01/17 22:01:08
日本軍の消耗の主な原因は、補給線が確保出来なかった事だ。
李舜臣のワンパターンな作戦を早い時期から読み切っていた日本側は、時間の経過に伴い必ず李を仕留めて補給を確立する事になり、
戦闘によるもの以外の死亡者は激減すると予測できる。
287 :
日本@名無史さん:05/01/17 22:12:24
朝鮮半島では遠く離れた秀吉の精神状態が現場の戦力を左右したりする訳がないよ。
派遣された武将たちにとって肝心なのは、秀吉が征伐の意志を持つかどうかだけ。
秀吉が明と朝鮮に対する征伐を命じている限り、
朝鮮半島に渡る諸大名は明軍を事務的に蹴散らして制圧するだけの話だ。
288 :
日本@名無史さん:05/01/17 22:22:48
そんなにまでして、秀吉は朝鮮人参を欲したのか〜
289 :
日本@名無史さん:05/01/17 22:25:34
秀吉が朝鮮半島で欲しがっていたのは、
明征伐の為の進撃路
だけだよ。
なんか、日本軍を過大評価して、一生懸命
明を撃破するのは当然といってる人がいますね。
最初は東国の大名を動員できればOKだったのが、旗色が悪くなると
補給さえあれば現地に派遣されている兵力だけでOKと言い出してる。w
そのうち、対馬の宗だけで大丈夫とか言い出しそうだ。w
291 :
日本@名無史さん:05/01/17 22:54:18
旗色?
島津隊の5000人相手にさえ返り討ちにされてる明の大群など始めから烏合の衆以外の何者でもないんだよ。
292 :
日本@名無史さん:05/01/17 23:08:10
豚のような指揮官と錬度で劣る兵士で構成されていた明軍が、100年にわたる戦国時代を勝ち抜いて来た百戦練磨の日本軍を撃退する為に必要な兵力は、
最低でも日本の10倍だろう。
つまり明軍が朝鮮半島から日本軍を追い落とす為には150万以上の軍勢が欠かせない。
実際に派遣できた明軍は必要な兵力に遠く及ばない少数に留まり、戦場では実際に惨敗を重ねる結果となった。
>>283 家康程度じゃ無理だよ。命令されたらヘイへイ出兵するだけ、
反乱を起こせば一月もなく滅ぶぞ、それがわからん家康じゃあるまい。
関が原もいわば、豊臣政権下の分裂を利用しただけで、
家康本体の兵力は5万もない。
秀吉が渡航する必要すらない。
>>284 もっとも消費させたかったのは徳川じゃなくて、毛利なんだけどなあ。
だから早期から毛利の両川を独立させ分離させたり、養子を送りこんで、
乗っ取りを企んでいたわけだし。
徳川はせいぜい石川を引き抜いたりしただけで、(こいつは筆頭家老だが)
毛利に比べればまだ弱い。
朝鮮出兵でももっとも多く出兵を命じられたのも毛利だし。
294 :
日本@名無史さん:05/01/18 07:17:38
島津、加藤の活躍に比べると、朝鮮の役での毛利家の影は薄い。
295 :
日本@名無史さん:05/01/18 21:18:32
いつのまにか秀吉の挑戦征伐のスレになちゃたよ!
296 :
日本@名無史さん:05/01/18 22:02:34
朝鮮征伐スレに濃いよ
297 :
日本@名無史さん:05/01/19 01:55:34
何れにしても朝鮮は征伐せねばならぬ
日本は島国だから安全だったといわれるけど、それなら同じ島国で
植民地化されたインドネシアやフィリピンはどうなの?
299 :
日本@名無史さん:05/01/19 03:20:25
朝鮮征伐>軍事学的な話としては面白いけど実際統治するのは割りに合わないだろ、あんな不毛の地は。
300 :
日本@名無史さん:05/01/19 09:18:44
島国だから安全ということはない
301 :
日本@名無史さん:05/01/19 13:26:24
慶長の役では、秀吉は、朝鮮の三郡の穀倉地帯の割譲・占領を図った。
秀吉があと3年くらい元気でいれば、100年戦争の頃の、フランスにおけ
るイギリスの飛び地のような植民地が韓国にできたかもしれんな。
その地は毛利家が支配する。
302 :
日本@名無史さん:05/01/19 14:04:42
朝鮮なんぞどうでもいい
黄海経由で北京占領
303 :
日本@名無史さん:05/01/19 19:00:48
>>298 武人が社会の基幹層を担ったいたかどうかの違いじゃないの。
フィリピンは社会の発展段階がそこまで至っていたかどうかは疑問だけど。
郡は道の間違いだよね?
つい、簡単なことを間違ったんだよね?
朝鮮各道の生産高などデータをもとに説明してくれると
説得力があると思いますよ。
ところで朝鮮の領土割譲は秀吉側の要求ですが、
明・朝鮮はその条件を認めていないので講和は成立しませんね。
305 :
日本@名無史さん:05/01/19 23:25:04
↑ ばか
>>305 済みません、バカなんでどのあたりに間違いがあるのか判らないので
是非教えてください。
>>304 北部じゃろくに米はとれんよ。麦じゃ生産性が悪いし。
南部を抑えるだけで、都市部への食料供給がストップする。
講和なんて必要ではない、南部をあと5年も占拠していれば、餓死者がゴロゴロでて戦争どころじゃなくなる。
とくに明軍を養う食料もいるわけだしね。
309 :
日本@名無史さん:05/01/20 07:06:43
朝鮮の「道」と「郡」を2chで得意げに指摘してるバカもいるな。どうでもいいよ。
慶長の役が秀吉の死で挫折していなければ、慶尚、全羅、忠清、京畿は日本側に割譲され
てるよ。文禄2年の晋州城の戦いで朝鮮の義兵はほぼ壊滅。余力はないから。慶長の役で
は李舜臣敗死。また明軍は数は多いが、戦うたびに日本軍に叩かれ敗走してる弱兵。
朝鮮はすんでのところで、日本の植民地化を逃れることができた。秀吉の死のおかげだな。
310 :
東亞病夫:05/01/20 20:09:57
甘い!
大明は滅亡し、秀吉は北京入城して紫禁城を居城としたであろう
それから304
生産高なんて関係ないよ
明を滅ぼした韃靼は生産高ゼロ!
軍事は軍事
経済に従属はしない
経済こそ戦争になったら消し飛んでしまう
311 :
日本@名無史さん:05/01/20 20:28:52
ドン・キホーテの集まるスレはここでつか?
312 :
日本@名無史さん:05/01/20 20:43:04
歴史の事実から判断するに、ドンキホーテとは、島津に無謀にも
戦いを挑んだ挙げ句、無様に返り討ちされた李舜臣であろうな。
朝鮮人をバカにしつつ、朝鮮人と同じように
捏造・妄想・電波で語るバカが集うスレです
>>311
314 :
日本@名無史さん:05/01/20 20:59:38
狂信的日本オタがドン・キホーテということがよくわかりますた。
316 :
日本@名無史さん:05/01/21 09:32:23
ドン・キホーテという呼称が異様で受入れられず、いかにも一人きりの自演に見える
319 :
日本@名無史さん:05/01/21 12:11:07
そういうことはカンケー無いのよ
四大文明はみな米無しで成立したんだぞ
320 :
日本@名無史さん:05/01/21 12:54:11
シュメール文明はウリナラ起源らしい。
>>304 朝鮮は不毛の地だよ。日本と比べると。
石高は日本が当時検地したものがあるけど、
1200万石程度だ。
これは日本の1800万石に対して2:3でいい線いっていると思いたいかもしれないが、
そうじゃないんだよね。
かんきょうどうなど北部の実際にはほとんど米の取れないところの石高が
非常に大きい。(不毛の地だったので清正は引き返したよな)
これは機械的に土地の大きさを検討しただけのデータなわけ。
とうぜんだよな。朝鮮人を使って限られた時間で測ったのだもの。
(それにしてもすごいと思うよ。日本人は。あの条件下で朝鮮全土の検地をやったんだから)
で、実際には南部の穀倉地帯が中心になるけど、
石高でいうとその半分600万、よくて800万程度じゃないか。
つまり日本の1/3〜1/2.
慶長の役。日本が南部だけを支配しようとした理由も分かる。
つまり
322 :
日本@名無史さん:05/01/21 20:49:42
>>286 李舜臣のおかげで補給路が確保できなかったというのは間違い。
2chネラーなんてドンキホーテの集まりだろって常々思ってたが
こいつぁすげえわ、ハリボテの風車どころじゃねえや、見えない戦車と戦ってやがる
324 :
日本@名無史さん:05/01/21 21:08:19
325 :
日本@名無史さん:05/01/21 21:36:23
>>323 この程度で火病起こしてたら日本でやってけないぞチョン
326 :
日本@名無史さん:05/01/21 21:40:54
ところで、韓国のいう「倭乱」に抵抗感じない?
侵略なら「寇」だし、通常の戦争なら「役」を使うのが常識。
それを国内の少数勢力の反乱である「乱」という漢字を使うとこに、
日本蔑視を感じるんだけど。
「倭」ってのも当然そうだけどね。
日本ヲタ、必死だな
328 :
日本@名無史さん:05/01/21 21:56:31
>>326 そりゃ蔑称だよ。
でも、いいじゃないか。勝手に言わせておけば。
オコチャマなんだから。
べつにどうってことはない。
こっちは堂々と文禄慶長の役でいいんだよ。
スマートでカッコいい。
329 :
日本@名無史さん:05/01/21 21:58:18
当時の朝鮮の人口は300万人そこそこだよ。
おまけに毎年春窮といって冬に食料を食い尽くすから何万人もの民衆が春になると餓死していた。
実態としてはせいぜい300万石で、それ以上という事は有り得ない。
330 :
日本@名無史さん:05/01/21 21:58:26
真実をぐさりと突き当てられて、
>>327 が泪目で書いてます。
332 :
日本@名無史さん:05/01/21 22:26:24
日本ヲタ…はじめて聞いた…唖然
333 :
日本@名無史さん:05/01/21 22:29:51
日本ヲタ、必死だな
>>329 人口300万に対して石高300万なら日本と比率的にはほぼ同じですよ。
朝鮮のほうが対象の面積が広いから輸送コストはかかるけど。
それで毎年餓死者がでるほど貧窮しているとは思えないのですが。
日本と韓国の年間平均気温の差は4度もある。
これは米の生産量にも多いに影響する。
さらに野菜などの農作物も。
くわえて木材資源量において圧倒的に格差があり、
それは燃料の量(加工品の生産力)や
工作物、土木建築物の生産(資材量)として反映される。
経済力は単に石高だけでは推し量れない。
災害、飢饉への耐久力(発生率)にも影響するだろうな。
江戸時代になるとその差は更に広がる。
北チョン=蝦夷地
韓国=奥州 って感じで捉えていいっすかね?
338 :
日本@名無史さん:05/01/22 07:48:19
どちらかといえば、
北チョン=薩摩
韓国=長州 って感じで捉えていいっすね。
共に米の生産力の低い不毛の地だし。
339 :
日本@名無史さん:05/01/22 08:54:22
どちらかといえば、
北チョン=会津
韓国=仙台 って感じで捉えていいっすね。
共に未だに過去の怨念に固まって、負け犬の遠吠えしているし。
340 :
日本@名無史さん:05/01/22 08:57:12
いまだに戊辰戦争ひきずってるのは、東北では会津だけだろうな
會津に住んでたことがあるが、年寄りはどうかしらんが
若い人は別に「ふうん」って感じだよ。
ただの観光資源だよ。
342 :
日本@名無史さん:05/01/22 13:30:10
江戸時代に比べて現代が危機意識が甘いなどとは思わない。しかし民族滅亡
という死を身近に感ずるような危機意識は現在日本では一部の枢要の位置に
ある者しか感じていないように思う。危機の意識があれば自ずとそれが社会
生活全般を引き締めるであろう。
343 :
日本@名無史さん:05/01/22 20:51:47
>>342 黒船に対処できなかったから徳川幕府は倒れたんだが。。。
344 :
日本@名無史さん:05/01/22 22:59:29
江戸時代後期、既に危機意識は甘かった
危機意識はあったけど金も資源も技術も無かった。
346 :
日本@名無史さん:05/01/24 08:56:16
危機意識があれば金も資源も技術もちくせきするさ
泰平の眠りを覚ます蒸汽船
347 :
日本@名無史さん:05/01/24 15:27:21
北朝鮮人民のように、常時軍事体制を強いられたのが薩摩人だった
348 :
日本@名無史さん:05/01/25 21:17:54
北朝鮮は弱虫
薩摩は兵鋭く馬騰る
腰間の秋水鉄をも断つ可し!
349 :
日本@名無史さん:05/01/29 09:06:34
薩摩はつおい
清の動向には敏感だったけど
インド亜大陸が英国の手に落ちたことには
意外と無関心なんだな。
351 :
日本@名無史さん:05/01/30 21:38:45
アヘン戦争が1840年。
英軍がインドの諸侯を完全制圧したインド大反乱の鎮圧が1858年。
薩英戦争が1862年。
英国が侵略の橋頭堡に選んだのが薩摩でなければ非常に危ないところだった。
352 :
日本@名無史さん:05/01/30 22:40:13
兵児の歌
353 :
日本@名無史さん:05/02/02 11:27:22
薩英戦争快勝
354 :
日本@名無史さん:05/02/02 11:52:57
薩摩戦争に敗北した薩摩は、イギリスに和睦を請うたw
以下イギリスの「忠犬」となるw
実際、イギリスは薩摩など交渉相手にすらしていないからね。(対幕府)
イギリスの外相などは、薩摩は粗暴で野蛮と公言してるし。
356 :
日本@名無史さん:05/02/02 15:00:44
>>355 :日本@名無史さん :05/02/02 11:57:32
>実際、イギリスは薩摩など交渉相手にすらしていないからね。(対幕府)
>イギリスの外相などは、薩摩は粗暴で野蛮と公言してるし。
当たり前だろうが...
薩摩は地方政府にしか過ぎないわけだし...
自分のケツもふけないくせに戦争などするな、ということだなw
358 :
日本@名無史さん:05/02/04 01:33:24
↑ 下品で無内容
359 :
日本@名無史さん:05/02/04 01:55:35
世界で最も粗暴で野蛮な英夷の発言なんか一々真に受けるなよ。
英夷にしてみれば褒め言葉のつもりで言ったのかも知れないしな。
360 :
日本@名無史さん:05/02/05 21:22:52
薩摩は全然拭きたくないんだから、凡そ見当違い那非難だな
薩摩による民間人殺害の罪は重いよ。
362 :
日本@名無史さん:05/02/05 21:45:27
無礼者を即座に処罰するのは古き良き日本の美風
363 :
日本@名無史さん:05/02/06 12:15:42
処刑だから民間人もへったくれもない
頭の悪い香具師は書かないでほしい
364 :
日本@名無史さん:05/02/06 21:17:59
朱印状について、聞きたいのですが、これも軍事的な意味ですよね。
家来としての主従の証?ね。(それと、秀吉も朱印状をはじめましたですよね。)
聞きたいのは、これは、将軍が変わる度ですか、
それとも殿様が変わる度ですか。ということです。
それと、1万石以上だけですか、旗本も朱印状もらうんですか。御家人はどうですか。
領地がないと貰わないんですか。ということです。
それから、黒印状って聞いたことあるんですが、これって何でしょうか。
365 :
日本@名無史さん:05/02/06 21:49:09
旗本も朱印状をもらいます。
例、徳川家康朱印状(慶長9年花房志摩守宛)
備中小田郡之内四千七百四拾八石四斗壱升、
後月郡之内弐百五拾壱石五斗九升、
合五千石之事、宛行訖、
全可領知者也
慶長九年八月晦日(家康朱印)
花房志摩守とのへ
>>365 花房なんかは交代寄合(参勤交代もする上級旗本)だけど、ごく一般的な蔵米取りか知行
地があっても領地なぞ一生のうちに一度行けばいいくらいの旗本はどうなんだろ。
367 :
大學ヘ授:05/02/09 19:31:54
十萬石以上は御判物と呼ぶ花押
以下は朱印状です
368 :
日本@名無史さん:05/02/10 02:36:34
教授が来たらみんな逃げます田
369 :
日本@名無史さん:05/02/11 01:11:47
貧民史以外は、無敵の教授に抗弁できません。
370 :
朝鮮征伐:05/02/11 18:53:00
┌─┐
│●│ 勝った!勝った!
└─┤
_ _ ∩
( ゚∀゚)彡 ∧_∧
┌─┬⊂彡 ☆)))Д´> アイゴー
|●| パーン
└─┘ パーン
371 :
日本@名無史さん:05/02/13 22:35:59
支那や朝鮮には誰でも勝てます
372 :
日本@名無史さん:05/02/14 11:24:31
それにしたって勝ち過ぎ
373 :
日本@名無史さん:05/02/17 10:39:20
鎌倉武士>元軍
豊臣軍>大明軍
大日本帝國陸海軍>大清帝國軍
大日本帝國陸海軍>中華民國軍(含紅軍)
374 :
日本@名無史さん:05/02/18 21:33:09
支那全敗
375 :
日本@名無史さん:05/02/19 11:01:11
明を救援して韃靼を撃滅する方法もあったな
376 :
朝鮮征伐:05/02/19 18:45:36
やはり大明征討は正しかった
377 :
日本@名無史さん:05/02/20 02:21:42
江戸の軍事態勢はつおいと、今、城代スレで語られてる。
378 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:19:33
修文練武の江戸武士に敬礼!
379 :
日本@名無史さん:05/02/20 23:56:11
俺が知りたいのは、鉄砲の数が減ったかどうかなんだよ。
380 :
日本@名無史さん:05/02/21 09:15:36
餅搗け
突然に何事だ
381 :
朝鮮征伐:05/02/23 21:59:21
北京攻略!
382 :
日本@名無史さん:05/02/26 00:00:00
-'::.:;;:-‐:.:.:.:.:.:.!:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.ヽ、::.:.:.:ヽ、:.:.゙、
,'.:.:/.:.:.:.:.:.:.:.:.:..;!:.i:.:.:.:.:.:、:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ;::::.:.゙、:.:.゙!
!,.'.:/:.:.:;.':.:.:.:.:.:.,.'゙!:.、:.:、:.:.:ヽ、:.:.:.:.、:.:.:.゙、:::.:.゙!::.:|
.,'.:,イ:.:./:.:.:.:.:.:./ ゙、゙、:.ヽ;:.:.:.ヽ、:.:.:゙、.::.:.゙;:::.:.!i:.:!
.,':;'::.:.:.;':::.:.:.:.:./,,__ ヾ,ヽ:゙、ヽ、:::.ヽ、:.゙!:::.:.゙!:::.|l.;!
l::!゙i:.:..;!::.:.:.:.:;' _,,.`ヽミ、、ヾ:.、,.>,、、ヾ!::::.:|::.;'/
|:! ゙!::.;イ::.:.:.:;!ィ´!ノ:::::iヽ ヽ、 ` ,イ,ノ:::!゙ヾ::.:.;!iス、 赤い話をやめなさい
. ゙! ゙!:| !::::.:.:| ゙!::::::ノ L::::ノ !|:/.:ヽヾヽ、 反逆罪は死刑だよ!
ヾイ、:.:.,. - 、 ̄´ ,!!':.:.:.:.:゙、ヾヽ`ヽ、
,.'i゙,' !::ヽ! \ ' ,.' ゙、:.:.:.:.:.:.゙! ゙!| ,!
/,rl::!´゙!::.:.゙、. ゙、 ´ ̄ ,.::'.::::::::゙、:.:.:.:.:.゙! .i|:.. |
.// |:! .゙、:.:.:゙、. ゙!-/⌒!_,..-'',!:「`_- _:.!|i:.:.:.:.| ! ,. ,!
.,.':,' |! ゙、:::.:.:.゙! .:..l | |-‐''゙,'::::! i::ト、` i|_!:.:.:;'-'; ,'
.,.'::::!:.. .:.゙、:.:,r' ー--ゝ、 {ニ´ッ::__::! l::゙、テ``!::/ ,!
んヘ:゙、:.. .:::..,! 、...__ ゙!、゙、,ィ',´-::..、!:::゙、:. |/ |
ヾ、:. .:.! `ヽ.! !,ィ´`` ‐--ヽ,_/ _,,.!
i゙ .{ '' ´ ̄ヽ y /::.. !- ....二二-'
.,! ..:. ,.._ァャ゙、 t‐ 、 ,ソ /:.. ;.ヽ、 /
,! .:ィ',./ム-'"ヽ、` ―'゙ /:::.. , i::. Y__,
. ゙!:.,.:イ |::i /:::... ,.:':. :. . !、,.゙!
`i !::! イ|:::::: ,.ィ'::. .. ,'.! !
383 :
日本@名無史さん:05/02/26 14:43:58
今日は226事件の記念日
384 :
日本@名無史さん:05/02/27 23:18:18
もうじき陸軍記念日
385 :
日本@名無史さん:05/03/01 22:39:36
三河武士はつおい
中世近世のGDPとか、データないですかね。
387 :
日本@名無史さん:05/03/04 03:55:02
文明圏別の工業生産比率
地域 西欧 日本 中華 印度 東欧 その他
1750 18.2 3.8 32.8 24.5 5.0 15.7
1800 23.3 3.5 33.3 19.7 5.6 14.6
1830 31.1 2.8 29.8 17.6 5.6 13.1
1860 53.7 2.6 19.7 8.6 7.0 8.4
1880 68.8 2.4 12.5 2.8 7.6 5.9
1900 77.4 2.4 6.2 1.7 8.8 3.5
1913 81.6 2.7 3.6 1.4 8.2 2.5
1928 84.2 3.3 3.4 1.9 5.3 1.9
1938 78.6 5.2 3.1 2.4 9.0 1.7
1953 74.6 2.9 2.3 1.7 16.0 2.5
1963 65.4 5.1 3.5 1.8 20.9 3.3
1973 61.2 8.8 3.9 2.1 20.1 3.9
1980 57.8 9.1 5.0 2.3 21.1 4.7
(単位%、世界=100%)
(出典)Paul Bairoch, "International Industrialization Levels, 1750- 1980,"
Journal of European Economic History 11, 1982, pp.269-334
文明圏別の工業生産比率(脚注)
年代別関連主要国
1750年(産業革命、フランス革命、米国独立直前期、享保の改革)
西欧・・・仏・西ブルボン朝、神聖ローマ帝国、英ハノーバー朝、オランダ、ハンガリー、ポルトガル
中華・・・清朝、シャム・アユタヤ朝、李氏朝鮮、安南阮朝、ビルマ・アラウンバヤ朝
東欧・・・露ロマノフ朝、ポーランド
印度・・・ムガル朝、マイソール王国、マラータ同盟、シーク教国、ベンガル
その他・・オスマン帝国、ペルシア・アフシャール朝
>>254 黄巾の乱が起こる前の後漢(光武帝の奴ね)の人口が史書の上では約6000万で、
それが黄巾の乱で史書の上では約800万に減ったとされてる。
その後唐代宋代で江南の開発が進んで生産力が激増したから、
永楽帝の時代で6800万ってのは流石に少ないんじゃあない?
なんだかんだいっても中国は日本よりも大国だよ。
>>301 日本をイングランドに例えるなら朝鮮南部はギエンヌ公国ってよりも北アイルランドに近いと思う。
仮に残ってたとしてもIRAみたいなのとの悲惨なテロ合戦の予感・・・
もし中原まで行けたとしても、どの道、史実の満州みたいに中華に吸収されちゃうと思うから
つくづく失敗してよかったと思う。
390 :
日本@名無史さん:05/03/06 01:10:22
↑ ばか
391 :
日本@名無史さん:05/03/08 23:35:53
日本史>英国史
392 :
日本@名無史さん:05/03/09 08:05:06
大陸縁辺の島嶼国家という点で共通だが、日本のほうが上だな
>>389 ずっと中国は、動乱期で低下、
(もっとも実際に800万まで減ったわけではなく、戸籍の調査能力が減ったのが大きい)
大平が続けば、6000〜8000万くらいまで増加って感じ。
これが破られたのは、清が統一してから、始めて億を突破し、
その後も増えつづけている。日本の江戸時代がクソだったのも大きく、人口に著しい差が出てしまった。
とくに明は異民族を認めず、版図が他の王朝より狭いので、人口は少なめ。
元や清の半分もない。
394 :
日本@名無史さん:05/03/11 10:18:12
人口で決まるなら世界最強支那、二位印度
>>392 英国 日の没することなし
日本 んなこたあねえ
396 :
日本@名無史さん:05/03/15 10:09:41
大英帝国は世界中の土人を攻殺して威張っていたが、ひとたび日本に対するや薩摩の一土候に敗れた
397 :
日本@名無史さん:05/03/15 20:44:57
パクス・トクガワーナ
398 :
日本@名無史さん:05/03/16 00:34:21
パクス・サツマーナ
400 :
日本@名無史さん:05/03/17 02:01:40
どこう の漢字が出ないだけ
401 :
日本@名無史さん:05/03/17 09:56:06
侯は「こう」で普通に出るよ。
>>400 侯爵を入力してから爵の字を消して、単語登録しておけばぁ?
いくら2ちゃんでも、仮にも学問板なんだからあまり使わない用語の誤字は恥ずかしいよ。
「〜汁」とか「希ガス」とか「漏れ」とかとは意味合いが違うんだから。
「徳川家安」とか「豊臣英吉」が恥ずかしいのと一緒。
403 :
日本@名無史さん:05/03/17 11:45:45
おまいの粘着こそきもい
対馬は韓国領土って(プッ
406 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 18:00:05
hisshinanennchakuka
407 :
江戸時代の武士≒警察官:2005/03/27(日) 21:57:08
江戸幕府が武士による常時軍事体制というのは誤解ですね。
たしかに武士ですから軍人相当身分ではあるんですが、
鎖国して以後、戦自体がなくなり内政専従体制になった。
つまり、武士の武の意味が、「戦争」から「治安維持」に変質したと言っていい。
江戸時代の武士とは「警察官」であり、幕府体制は内務・警察官僚による支配とみなすのが妥当でしょう。
408 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:54:22
↑ もっと勉強してからかいてね
409 :
大學ヘ授:2005/03/29(火) 23:54:39
警察は捜査を目的とし、軍隊は戦闘を目的とします
よって戦闘を目的とする組織は軍隊であって、貴説は全然成立ちません
幕府でいえば、治安維持をしていたのは町奉行でしょ。
そして今でいう警察官はそこに付いてる与力同心。
与力同心は戦国時代の足軽の延長線上にあるものだが、江戸時代では戦闘員といえるようなものではない。
ちゃきちゃきの江戸っ子そのものだったという。
俸給は家族がやっと暮らせるかどうか位の微禄。ほとんどのものは内職なしではやっていけなかった。
むしろ内職が本業となっていたむきがあり、時たまある門番などの役目は負担となっていた。
住まいは幕府からの拝領していて、山の手などにまとまってあたえられていた。
庭は家庭菜園に利用したり、躑躅の栽培を内職にしているものもいた。
411 :
大學ヘ授:2005/03/31(木) 20:12:41
警察勤務に着く武士は全体のごく一部であり、しかも不浄役人と卑しまれました
町方は人数も少く、任務も裁判、行政と廣汎で、捜査はその職掌に属しましたが、
治安維持とまで呼べるやうな大層なものかは疑問です
現實に治安が紊乱した時は町方では鎮圧できず、火盗ほかの戦闘部隊を投入する
ことになります
因って武士には主観的に警察官としての意識も無いし、客観的に警察業務に當る
者も下級者中の例外的一部に過ぎません
與力同心の殆どは、警察と無関係の職務に従事してゐました
なほ町方は金銭的には裕福ですし、山に手にも住まず、誰も躑躅の栽培を内職な
どして居りません
>>411 武士が困窮に喘いでいたのは、物価の上昇などの経済悪化が原因と思いますが、
そんな中にあって、町方が金銭的に裕福だったとは知りませんでした。
なぜ彼らは裕福であったのでしょうか?。ぜひ教えて下さい。
413 :
大學ヘ授:2005/03/31(木) 23:11:46
元々の御扶持が良い上に、巨額の付届けがあるからです
これは天下公知の史實にて、御存知無きは残念
歴史は理論科目ではありませんから、知識の蓄積が大切です
お励みなされ
はーい。先生がんばりまあっす。
415 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 09:53:32
素直な文盲には好感が持てる
416 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:22:52
武士は警察が嫌い
417 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:25:01
一万石って両に直すと何両になるのでしょう?
同心の30表二人扶ちってのが気になります。
418 :
大學ヘ授:慶長410/04/01(金) 20:35:21
相場は日々刻々変動します
419 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:36:32
大体でお願いします。
420 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:00:07
2ちゃんでたびたびもめる「上級武士」と「下級武士」の分け方。
自分は君主から見て直系の家臣を上級、主君から見て家臣の家臣(陪臣)
を下級武士と見ていますが、ホントにこんな分け方で良いのでせうか?。
教えてエロイ人。
421 :
大學ヘ授:慶長410/04/01(金) 21:05:28
左様に単純ではないのですが、現米なら一石乃至一俵が一両と呼ばれた時期も有りま
した 三百年間には随分上下しており、問自体が無理なものだと思ひます
「上級武士」と「下級武士」、重き武家奉公人と軽き武家奉公人の区別は左様なもの
ではありません 陪臣に付ては中小姓を以て境界とすること多し
422 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:10:23
上級下級の分かれ目は、やはり石高や禄高になるのでしょうか。
それとも家格や身分?。
423 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 21:22:54
藩によって違うよ。一万石そこそこの大名家の家老だと大藩の中級武士程度の石高だし。
上級武士と言われる人たちはだいたい役職について、藩政を動かせるようよな立場。
下級武士は藩政を直接動かせる立場ではない人。
今の役場で言えば、上級武士は部課長クラス。下級武士はヒラ。てとこか?
424 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 22:26:43
なんだそりゃ。
今こそ貧民史が出てきて能書きを垂れろ。
おっと貧民下郎で無いとわかんないのかな?
425 :
日本@名無史さん:2005/04/03(日) 23:25:51
貧民史の悪口を云うな!
426 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 16:34:57
大学教授=貧民史
427 :
日本@名無史さん:2005/04/10(日) 10:39:43
大学教授
∴大学教授=貧民史=w
これが文盲派の主張
428 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 23:09:26
さすがの文盲も恥かしくて何もいえません。
429 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 18:26:02
町方には、富裕な町人層からの付け届けはあるし、
不慣れな場所で家臣がトラブルを起こすのを恐れる諸藩からの
挨拶もあったらしい。
>>420 お目見え以上・以下で分けるのが妥当だと思います
幕府でも諸藩でもこの区別はあります
禄高では分けないのです
431 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 20:24:28
>>430 補足すると、旧族大名家の中には家臣をいくつもの家格に分けており、県史・市町村史など
でどこからが上級というように解説されている場合があります。
久保田佐竹・仙台伊達・米沢上杉・長州毛利などが代表的ですので、詳しくはそれらの大名
家の家臣団について書かれた本を読んでみると良いでしょう。
434 :
日本@名無史さん:2005/05/07(土) 10:14:23
中小姓以上が目安だって、前に教授が書いてたような
435 :
日本@名無史さん:2005/05/20(金) 08:44:21
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 教授、続きマダー!!
\__ ________
∨
ト、 ,.-7
l l 7/
| |_//
/ミ∧ l.持ノヽ .
/ ´ |ミ∠二/ > l カッカッカッ
(_)' |ミ,(д´ハ=ヽ
/ キミ|=|]´ 〈
|‐−"キ|W|__ゝ⌒"キミミ三≡=〜
|Ω‐'"〈_(_) |
L( ソ || |( _,ノ、ゝ
/ /ー'"⌒`ヒ`ー‐ヘ \
436 :
日本@名無史さん:2005/05/22(日) 12:55:19
アホか。徳川太平の世とかいって気ぬいてた江戸時代こそ最悪最低の時代。
日本はこの時代に積極的に欧米の火器技術を取り入れ、南方や大陸制覇に
乗り出すべきだった。
日本が黒船に目を覚まされるまでの平和ボケの間、アメリカやイギリスなどは
血で血を洗う領土拡大戦争を繰り広げていたというのに。
徳川家は日本最大最凶の売国奴。
437 :
日本@名無史さん:2005/05/24(火) 11:16:37
やっぱり織田、せめて豊臣政権でなくちゃ
でも、鎖国は豊臣時代に始まったんだよな
侵略者と絶縁するのはそれなりに合理性のある選択だったし
あれは貿易統制であって、それほど悪いものではないぞ。
家康も貿易は結構積極的だったし、問題はあやつの、子や孫で。
439 :
日本@名無史さん:2005/05/26(木) 17:33:16
南蛮人はひとさらい
440 :
日本@名無史さん:2005/06/01(水) 09:33:05
シナ人は人食い
441 :
日本@名無史さん:2005/06/04(土) 09:58:37
今こそ鎖国が必要だ
442 :
日本@名無史さん:2005/06/07(火) 14:36:53
南蛮邪宗門きもい
443 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 10:22:09
,′ _
, -r/`ヽ十/`ヽ ヽ.
_/ l|/, ゛、
/:/ 爪! l| il| | ヽ
/:::/ | l l``` "´| ト、 l ゙、
. !::::l /|.lヽ! リ }ハ_ i 好きです、日本の兵隊さん!
l::::| l/l|二、 ,二., l i l
|::::l i l,/_j::、 _j::、ヽl i ! !
l::::| l l! _ヒ」 ヾ┘ j l | |
l::::i! i l l ; //l j i !
!::::lヽ!、ヽ'、 、__, ノ'// ///
. j::::::!::::::ヽ゛、 ///!'´
i::::::::i::::::::::i::`}' 、 _ _,. 'l::::/'::i::::|
!::::::::::!::::::::::!ノ !:::::::::::!::l
j::_,,-ヽ:::::::ヽ iヽ:::::::::ヽ!
444 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 21:19:39
444
445 :
日本@名無史さん:2005/06/10(金) 00:02:48
↑ 異常者逝って良し
446 :
日本@名無史さん:2005/06/10(金) 10:59:01
2チャンは異常者揃いじゃん
それはさて置き、日本武士最強!
447 :
日本@名無史さん:2005/06/11(土) 18:58:44
/ノ‐/ / ///=-‐'' _,、 ' ,,;;='=、
_,,,'_イ'|/ /, ,'イ/,'\,,、、-‐''"´_,、 , ‐-丶''、`ヾ、
,、- '´ `ヽ /// /i/ー='、‐==''_;、-' // i i ヽ ヾヽ.
/ }/,ヘミ;;、 ー= '=‐''´'´ ノノ / } ヽ ヽ i
. , ' ,} |!! ';;;,ヾ` ー=二-‐''='´/ / i ヽヽ!!
/ ノ| i' , -=;;='´/ / / i l i
/ ,、-',,ノ' :|'i、 、'ヽ, _,、-=;;、`}、-=彳 ノ/ / / !
/ __ /=='' / iヽ、 ´ ’{=-'',〃,/´'" / / / / /
/ '´ ~~"'' ‐'- 、,へ、_ / / i; `;i丶-‐'i´ー=二-‐''´ / /.///
/ / 〃´`"''、 i; / i|イ// //ー=二-‐',、-'´//
'、 i i'〃 \i;、, !ノ||i ||/ ~"二,,、、-‐'' '
,,>- 、,,__,,,、、--‐‐‐;,,、'! ヽ i、ィ、ソiiソ ! 良スレです。
/ {{,,、、-‐‐''~丶 ヽ.〉) \! お手本にしましょう。
,、r'i ,,、-''`´ '! 'i '、. ', \ ヽ
/i' .l,,┬''´ ヽ、 / r'⌒'、 i. iヽ '、 ヽ.
/ ! '/ ; *ヽ、,i .ノ } } ./ '、_!`''-,、',
/,,,,/ ソヽ'´ 'y' 'し‐' ヽ 〉
〈 ,'; ,'. iヽ ヾ
y {、ヽ; ! ヽ. ヽ
. ,' , ヘ. τ iヽ、 ヽ
,' ノ`''''`i''''"ヽ ヽ
448 :
日本@名無史さん:2005/06/12(日) 12:07:24
鄭成功の嘆願容れて援軍出せばよかった
449 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 00:17:24
鎌倉武士最強
450 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 00:14:00
江戸城の初期なわばりを見ると強固な城塞都市ですな。
451 :
日本@名無史さん:
坂東武者最強