昭和天皇の戦争責任

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135日本@名無史さん
>「寺崎英成 御用掛日記 昭和天皇独白録」
>寺崎英成 マリコテラサキミラー編著 文芸春秋杜 より抜粋。

>昭和20年7月25日
>「もし本土決戦となれば、敵は空挺部隊を東京に降下させ、大本営その
>ものが捕虜となることも考えられる。そうなれぱ、皇祖皇宗よりお預か
>りしている三種の神器も奪われることも予想される。
>それでは皇室も国体も護持しえないことになる。もはや難を忍んで和を
>講ずるよりほかはないのではないか」

>同年7月31日「伊勢と熱田の神器は詰局白分の身近に御移して御守り
>するのが一番よいと思う。‥‥万一の場合には白分が御守リして
>運命をともにするほかはない」

>「同年8月9日ポツダム宣言受諾の''聖断"」をのちに回想して
>「‥‥当時私の決心は第一に、このままでは目本民族は亡びて終ふ、
>私は赤子を保護する事が出来ない。第二には国体護持の事で木戸も
>同意見であったが、敵が伊勢湾付近に上陸すれぱ、伊勢熱田両神宮は
>直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の餘裕はなく、その確保の見込み
>が立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は犠牲
>にしても講和をせねばならぬと思った。」

守ろうとしたのは三種の神器と国体の護持だね。
民族を守るってのは、日本人でなく、天皇の臣下って意味じゃないかな。