男系断絶!女帝出現後の天皇制を追究しよう!Part25
593 :
日本@名無史さん:
昭和のテンコロは戦争犯罪人です(w
・天皇の発言によって軍事行動が左右された事項
1、1933年・熱河作戦の一時指し止め
2、1936年・2・26事件における反乱軍の武力鎮圧の決定
3、1937年・日中戦争初期の兵力増強、戦略爆撃実施方針の決定
4、1938年・張鼓峰事件における武力行使方針の一時指し止め
5、1939年・「昭和14年度帝国海軍作戦計画」の修正要求
6、1940年・宜昌再確保への作戦変更
7、1942年・フィリピン・バターン要塞への早期攻撃の実現
8、1942年・重慶攻略の方針の決定と取りやめ
9、1942年・ガダルカナル攻防戦における陸軍航空隊の進出
10、1943年・ガダルカナル撤退後のニューギニアでの新攻勢の実施
11、1943年・統帥部内の中部ソロモン放棄論の棚上げ
12、1943年・アッツ島玉砕後の海上決戦のたびかさなる要求と、海軍消極姿勢への
厳しい叱責による統帥部引き締め
13、1943年・陸軍のニューギニアでの航空戦への没入
14、1943〜44年・絶対国防圏設定後の攻勢防御の実施(ブラウン奇襲後の軍令部指示など)
15、1944年・サイパン奪還計画の立案
16、1945年・沖縄戦における攻勢作戦の実施(防御部隊が突撃させられアボーン)
17、1945年・朝鮮軍の関東軍への編入取りやめ
<例>
1、「沖縄では守るだけか、海軍はどうしたのか」→防戦予定が突撃させられる、
大和特攻が敢行され死者3721人。
2、「(特攻隊は)そのようにまでせねばならなかったか。しかし良くやった」
→現地では「よくやった」とのお言葉をもらったと続々と続く一要因となる
3、1947年9月20日、寺崎英成を通して、「沖縄に関する軍事占領を継続する
事を希望する」「25年ないし50年という長期が良い」と要望した覚書をGHQ顧問
からマッカーサーに提出。
(「昭和天皇の軍事思想」校倉書房)
594 :
日本@名無史さん:04/12/31 23:12:48
1971年に昭和天皇が訪欧したとき、イギリスやオランダでは歓迎されず、怒れる人々のデモがあり、大衆紙には「戦争犯罪人」とも「ヒロヒトラー」とも書きたてられた。
1975年の訪米の際には、自身の戦争責任を曖昧にし、太平洋戦争のことを「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」と、自分で宣戦しておきながら、まるで、第三者みたいなスピーチをした。
そのため帰国後、外国人記者クラブとの公式記者会見では、『ロンドン・タイムズ』紙の記者が天皇に、その発言の真意を質し、
「ご発言がありましたが、このことは戦争にたいして責任を感じておられるという意味と解してよろしゅうございますか。また、陛下はいわゆる戦争責任について、どのようにお考えになっておられますか、おうかがいします。」と質問したところ、
昭和天皇は「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」と返答した。
すなわち、天皇自身は全く戦争に対する悔恨も責任も持たず、宮内省がつくった作文を、無自覚に読んでいただけだった。
やはり、戦争責任を誤魔化し、責任をA級戦犯や「一億総懺悔」という言葉で民衆に擦り付けて、自分は被害者面している昭和天皇は、とんでもないクズと言うほか無い。
595 :
日本@名無史さん:04/12/31 23:14:19
「やはり、陛下にはこの戦争に責任がある。
戦艦に御座乗りいただいて、戦死していただくのが一番よい。
自決していただくのが、もっとよいと思いますがね。
そのうえでで国民も、軍も、無条件降伏をすることに納得がゆくでしょう。」
(昭和20年7.26 近衛文麿)
596 :
日本@名無史さん:04/12/31 23:14:52
殊に統帥権の問題は、政府には全然発言権なく、政府と統帥部との
両方を抑え得るものは、陛下ただ御一人である。
まさに、「国務と統帥はすべて、上御一人のご発動により生じます。」(東条)
で、恥知らず天皇がいくら知らばっくれても、責任重大である。
要するに戦争について御責任はあり。
即ち一国の統治者として、国家の戦争につきロボット
にあらざる限り御責任あることは明なり。
(木下道雄「側近日誌」)
「天皇が私に内閣をつくれと言った。」(東条英機)
597 :
日本@名無史さん:04/12/31 23:15:33
「今度の敗戦については何としても陛下に御責任あることになれば・・・略・・・
皇室だけが遂に責任をおとりにならぬことになり、何かやり切れぬ空気を残し、
永久の禍根となるにあらざるやを慮れる。」(木戸幸一)