男系断絶!女帝出現後の天皇制を追究しよう!Part25

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567日本@名無史さん
564の続き 
 「10月6日と7日にウェーキ島を攻撃したTF14は新たに就役した艦が加わり、艦隊空母
と軽空母各3艦を基幹とする強力な艦隊となった。6日の日の出の30分前に主攻撃部
隊のヨークタウン、エセックス(CV-9)、レキシントン(CV‐16)、カウペンズ(CVL‐25)、からVF
−5、VF-9、VF‐16、VF‐25、のF6Fの小編隊(4機)各4個が発進した。そのうちの
47機島に接近した時、第252航空隊(252空)などの零戦26機との戦闘が始まった。
 VF-5のホフマン大尉は米海軍がアリューシャン列島で鹵獲した零戦21型を飛ばして評価テストし
た時に操縦した経験を持っていた。彼と列機のダンカン少尉は、迫って来る零戦数機の
編隊に対し反転して突っ込んでいった。ダンカンは偏角射撃を命中させて1機を撃墜し、
次の1機を攻撃中に別の零戦に襲われて被弾した。
 この零戦は彼の上方に回避して急上昇に移るミスを犯した。彼はそれを追い、相手の
速度が落ち始めた時に追いついて弾丸を撃ち込んで撃墜した。
 VF‐5はこのこの短い空戦で別の1機を撃墜した後、地上攻撃に移った。掃射から上昇
に移った移ったホフマンは上方に零戦1機を発見し、下方からの攻撃で撃墜した。VF‐9では
単機で20機以上の零戦に囲まれ、1機を撃墜して逃げ切ったという苦戦もあった。
 米軍は戦闘機の空戦と掃射によって相手の基地航空部隊を制圧し、その後に艦攻、艦爆
の攻撃をかける戦術を採り成功を収めた。このため翌日の日本軍の反撃は微弱だった。
2日間の戦果が零戦と1式陸攻20機以上、地上撃破も多く、ウェーキ基地の日本海軍航空兵
力は全滅に近かった。米艦載機の空戦被撃墜は6機、対空砲火による損失6機、他に艦隊
周辺での不時着水は3機があった。」
568日本@名無史さん:04/12/31 22:16:38
 「10月末からTF38(間もなくTG50.4と改称)はソロモン諸島北部、ブーゲンビル島上陸
作戦支援の航空攻撃に当っていたが、11月4日に突然、ラバウル港攻撃を命じられた。こ
の目標に対しては陸上基地からの航空攻撃が重ねられていたが、日本海軍の重巡6隻を
基幹とする強力な艦隊がここに向かっているのが発見されたため、艦載機による攻撃
が計画されたのである。
 TG50.4は夜のうちに、目標の南東400kmまで接近し、5日0900時にサラトガからVF‐12
の33機、プリンストンからVF‐23の19機、合計52機のF6Fと、両艦から合計45機のSBDとTBF
が発進した。F6Fの小隊編隊が艦爆/艦攻の各編隊の上方に配置され、その上方にVF‐23
の4個小隊が上段援護として飛んだ。
 日本海軍は消耗が進んだラバウル周辺の基地航空隊攻撃力を補強するため、11月1日に零
戦82機を含む1航空戦(空母翔鶴、瑞鶴、瑞雲の飛行隊)の173機がトラック島からラバウルに
進出しており、この日は零戦59機が迎撃に飛んだ。F6Fの編隊は日本機の兆発に乗らず、
雷/爆撃機編隊とともに激しい対空砲火の中をシンプソン湾の上空に進入した。艦隊に対
する攻撃を終わり、艦載機が崩れた編隊で南東に向かった時、零戦との間で激しい空中戦
が始まり、VF‐12は帰還後に零戦確実撃墜11機、不確実14機と報告し、VF‐23の戦果報
告も同じ程度だった。実際の日本側の損失は2機である。TG50.4の艦載機の損失はF6F 
5機を含めて13機だったが、日本艦隊は重巡3隻をはじめ8隻が直撃弾、至近弾の被害を
受け、ソロモン水域制圧の目的を放棄して主力は後退した。」


569日本@名無史さん:04/12/31 22:17:45
 「この日、TF.38は一撃攻撃の後に至急退避したが、11日にTG50.3と協同して
再びラバウルを攻撃した。目標の東360kmの地点からTF38のF6F 55機とTBF、SBD合計
46機が発進し、0830時に軍港上空に到着したが、雲が厚く効果的な攻撃は出来なか
った。70機近い零戦が迎撃したが、交戦した米艦載機は7機だけであり、2機が撃墜
された。撃墜報告はVF-12の1機のみだった。TF38の編隊を迎撃した後、零戦が着
陸していることを期待し、TG50.3の艦載機の先頭は30分後に目標上空に進入するよ
う計画されていた。しかし、エセックスから出撃したVF-9が0900時に湾口上空に接近し
た時、零戦数十機が待ち構えていた。
 隊長トーレイ少佐以下小隊編隊3個の制空編隊と零戦の半数が激しい戦闘に入る。
乱戦の中でマクホーター中尉(最終撃墜数12)は被弾しながら3機を撃墜し、スミス大尉は
2機を撃墜した。艦爆護衛の編隊は零戦の反復攻撃に耐え、損失をSBD 2機、F6F
1機に止めることが出来た。VF-9の戦果報告合計は14機である。
 TG50.3の第2波の空襲部隊は新たに戦列に加わったバンカーヒル(CV-17)の艦載機
である。零戦の攻撃を受けたが、VF‐18のヘルキャットも攻撃機編隊の護衛の位置を離れ
ず、戦果はビロ中尉の2機撃墜に止まり、艦爆、艦攻を含めて6機を喪失した。最
後に進入したのはインディペンデンスの部隊であり、戦闘部隊はVF-22と臨時配属のVF-6
分遣隊だった。零戦4機を撃墜し、F6F 3機を失った。米軍の戦果は合計で撃墜30
機に上ったが、実際の零戦の損失は6機に過ぎず、米軍の損失の半分以下だった。し
かし駆逐艦2隻を撃沈し、軽巡2隻に損傷を与え、日本艦隊の戦力を低下させた。
 ラバウルの南東260kmの位置にあったTG50.3は、攻撃部隊を収容した後、第2次攻撃
の準備を進めていたが、艦隊に向かう敵性機大編隊が発見されたので、1330時に艦
攻と艦爆を空中退避させるために緊急発進させた。陸上基地部隊であるVF‐33のF6F
7機は臨時にインディペンデンスから発着し、艦隊上空のCAP任務に当っていた。母艦の
誘導で迎撃に向かったVF‐33は艦隊から60kmの距離で日本機を発見し、『敵は恐ろ
しいほどの数だ』と報告してきた。」
570日本@名無史さん:04/12/31 22:18:56
 「零戦33機、99式艦爆20機、97式艦攻14機、彗星4機の大編隊だった。
 ニュージョージア島の基地のVF-17のコルセアもCAP任務に付いており、VF‐33と共に防空
戦闘に入った。母艦の誘導指揮は失策を犯して在空の戦闘機兵力を無駄に分散し、零
戦編隊との戦闘に向かわせたので、艦爆はその隙に空母3隻に投弾したが、至近弾に
よる損傷を与えたに止まった。艦隊のF6Fも給油/給弾を完了した機から次々に発進し、
脚を引っ込めると同時に格闘戦に入った機も多かった。戦闘の結果はF6Fの損失3機に
対し、日本海軍の損失は97式艦攻全14機、99式艦爆17機、零戦と彗星各2機、合計35
機に達した。
 その夜の1式陸攻11機と艦攻10機の夜間雷撃と合わせて、この米空母部隊に対する
攻撃は”第3次ボーゲンビル島沖海戦(当時の日本側呼称)”と呼ばれ、巡洋艦1隻撃沈
など過大な戦果が発表された。11月初め以来のブーゲンビル島攻防戦の艦船攻撃とラバウル
防空戦により在ラバウルの航空兵力は激しく消耗し、1航戦も進出時の173機が12日には
52機に減少したため、翌日トラック島に後退した。」
571日本@名無史さん:04/12/31 22:19:44
 「続いて米軍は、ラバウル攻略を回避して、南洋の日本信託統治領の諸島群の航空基地
と艦船泊地を次々に奪取し、北上していくガルバニック作戦に取りかかった。最初の
目標はギルバート諸島のタラワ環礁(最大の島、べチオ島に飛行場がある)とその北200km
のマキン島だった。11月19日以降、両島とその北マーシャル群島の日本海軍の基地をTG50.3
とTG50.1の艦載機が空襲し、21日早晩に上陸作戦が始まった。
 エセックス、バンカーヒル、インディペンデンスの空母3隻を擁するTG50.3は、8隻の護衛空母と
共に上陸支援の任務にあたり、夕刻に最後の攻撃部隊を収容している時、クェゼリン環礁
の基地(ルオット)から発進した755空の1式陸攻14機の奇襲を受けた。バンカーヒルのVF-18
のCAP編隊と対空砲火が9機を撃墜したが、魚雷1発がインディペンデンスの艦尾右舷に命中し、
同艦は戦列を離れて南方に退避した(1式陸攻の被撃墜は5機、2機が帰還途中で墜落
した)。
 TG50.3のレキシントン、ヨークタウン、カウペンズはマーシャル諸島の基地からの日本海軍機の攻撃を阻止
する為に、マキン島の北方200kmの水域に配備されており、レキシントンのVF‐16は11月24日の
朝に戦果を挙げた。誘導指揮官の指示で北に向かったF6F 12機は高度8,000mで1,200m下
方に零戦21機の編隊を発見した。飛行隊長ブーイ少佐は”パイロットの夢”とも言える状況
のもと、全機で太陽を背にした後方からの側面攻撃をかけた。数回の攻撃航過だけで彼自
身の2機を含めて多数撃墜し、残った数機は海面近くに追い詰められた。VF-16は全機無事
に帰還し、合計戦果は確実撃墜17機、不確実4機と判定された。
 同隊のハンクス少尉はこの日が初の実戦だったが、確実5、不確実1の戦果を挙げ、ヘルキャットの
パイロットの中で初の”一日でのエース(Aces in a day)"になった。彼の後に40名以上のF6Fパイ
ロットが一日に5機以上の戦果を挙げており、これはF6Fの総合的な性能の高さを示すと共に、
日本のパイロット、特に戦闘機パイロットの、平均的な技量の低下を示している。」