1 :
日本@名無史さん:
もし秀吉が天下を統一する前に死んでいたら、どういう展開になったであろうか?
2 :
日本@名無史さん:04/12/15 01:30:08
>>1 三戦板向けなネタだな。
スレを伸ばしたいなら、どの時点で秀吉が死ぬのか設定してみれ。
3 :
日本@名無史さん:04/12/15 01:32:06
徳川幕府成立が早くなるだけ
4 :
日本@名無史さん:04/12/15 01:33:13
死に方にもよるな
>>3 そうとも言い切れない罠。
例えば秀吉が死んだのが小牧・長久手の前だったら、家康の領地は駿河・遠江・三河と甲斐・信濃の一部。
尾張・美濃には同盟者の信雄が、東には北条、信濃・上野に真田、越後に上杉がいて、そう簡単に領国拡大は出来ないだろうよ。
6 :
日本@名無史さん:04/12/15 01:46:42
>>5 もし1586年に死んでいたら、まだ九州や東北の大名は健在だから・・・
さて、どうなったと思う?
7 :
日本@名無史さん:04/12/15 01:47:39
>>3 むしろ、遅くなったか、徳川時代はこなかったかも。
>>6 1586つうと四国は平定済みで、九州平定前か。
つうか、
>>1=6なのか?
それとも立て逃げか?
まあ、明日休みだからヒマだし、いいんだけどさ。
>>8 そうだね。
だから、まだ島津、伊達、北条が勢力として健在だよ。
家康には、史実より厳しい展開になりそうだね?
>>10 >家康には、史実より厳しい展開になりそうだね?
おそらくね。
つうか、秀長死去が1591で…利休もまだ生きてるんじゃないのか?
>>11 反対に、政宗は史実より有利な展開が期待できるかもしれないね?
つまり
>>11で言いたいのは、まだ朝鮮の役後のように武功派と吏僚派の対立も表面化しておらず、秀長ー利休のラインが存在し、後継者としての秀次がいる。
堺と京都も握っていて、経済的基盤もある。
また、前田利家も小早川隆景も元気である、と。
毛利が天下に手を掛けたりしない限り、豊臣の優勢は覆らないかもな。
>>13 秀吉が早く死んでいれば、豊臣が滅ぶことは無かったわけ?
>>12 伊達や島津は確かに領国を拡大できるとは思う。
しかし、島津については九州から出る際に海が邪魔になるし、伊達の領国からでは秀吉の領地は遠い。
それと仮に織田信雄が豊臣に秀吉死後背いたとしても、近江・美濃・畿内の穀倉地帯と、国友・堺などの鉄砲産地、京都・堺・近江大津・草津などの主要都市、堺の南蛮貿易による硝石(火薬の原料)を抑えているのは大きい。
>>14 家康がつけ込める隙が史実では武功・吏僚両派の対立だったわけだけど、その隙がまだ1586年には存在しない。
また、「秀頼のこと、おたのみもうす云々」などという大義名分もない。
さらに、切りくずすにしても、例えば上杉景勝は元々信濃の領有権を争ったせいか豊臣寄りであり家老の直江兼続は石田三成都親しいので徳川につくとは思えない。
四国では長宗我部が勢力拡大を図るだろうから、四国の大名は四国の事で手一杯。
それに、讃岐に仙石、阿波に蜂須賀という豊臣を裏切らないであろう家臣が防波堤になると思われる。
さらには紀伊・大和に秀長もいる。
中国地方には毛利一族(含:吉川・小早川)がおり、その東に宇喜田。
毛利が元就の遺言に背いて天下に望みを掛けて東へ侵攻し、宇喜田がそれに呼応して豊臣を裏切らない限り、こちらも安泰。
島津が仮に九州を統一したとしても、これを突破するのは厳しいかと。
さらには毛利の実権は親豊臣の小早川隆景が握っている。
毛利がこの段階で豊臣を裏切るとは考えにくい。
…とまあこんなわけで、徳川が動くのはなかなか難しいかと。
むしろ秀吉が死んだ1586から、秀長が史実で死去した1591までの間に秀次体制が固まる可能性の方が、徳川が権力の座に就く可能性より高いかも。
って、誰もいなくなったなw
寝るかw
21 :
日本@名無史さん:04/12/15 02:47:57
東には伊達や北条がいるけど、こちらは脅威にならないのか?
>>21 あ、人がいたw
伊達は1586だと、芦名を滅ぼす「摺上原合戦(1589)」の前。
北条は徳川と同盟を結んでいるものの、周囲に里見・佐竹など敵を抱えている。
>>19で書いたように秀長存命中に秀次体制が固まってしまうとしたら、その前に伊達・北条に、徳川と共に、或いは単独で豊臣に戦いを仕掛ける力があるとは思えない。
>>22 ちょっと無理がありますね。
伊達政宗は蘆名領を狙っています。
佐竹義重には北条氏直と伊達政宗の両家と対抗する力は全くありません。
里見の方は力が残っていません。それに里見義頼が1587年に死んじゃいます。(笑)
気になるのは上杉と真田です。
上杉景勝が上洛して豊臣秀吉に臣従するのって1586年ですよね。
ですから上洛するかどうかわかりません。(同盟関係は継続すると思いますが。)
関東に興味が無い上杉景勝が北条氏直と手を結ぶっていうのもアリかも。(難しいですが。)
あと新発田重家の反乱も豊臣からの援軍が無いと厳しいくらいにてこずっています。
上杉景勝が臣従しないと援軍は送ってこないでしょうね。
真田昌幸は上田と沼田の所領次第ですね。
第一次上田合戦で徳川は真田に負けていますが、
沼田方面の北条は真田に対して優勢に戦闘してかなり攻め込んでいます。
この時期の北条は絶好調で真田、宇都宮、佐竹に対して優勢なんですが、
徳川の方が石川、小笠原の離反で苦しい局面を迎えています。(領地は失っていませんが。)
このような状況から東国においては徳川、北条、伊達が有利に事を運ぶと思いますが、
豊臣に戦いを仕掛けることに無理があるのは私も同意します。(隙があれば別ですが。)
24 :
日本@名無史さん:04/12/15 04:37:15
>>23のつづき
ついでに西国の方は、
豊臣秀長が徳川家康や上杉景勝の臣従無しで九州征伐ができるかどうかですね。
名代に豊臣秀次・豊臣秀保という案もありますが・・・。(蜂須賀正勝も1586年に死去。)
どちらにしても九州征伐軍が予定より遅くなるのは確実。
立花城は陥落し九州上陸は困難を極めることになるでしょう。
九州征伐の長期化。
徳川家康・上杉景勝の臣従がない。
豊臣秀長の寿命。
この3点により豊臣家は三好家や織田家と同じ道を歩むかと思います。
長文失礼。
ごめんなさい。
ageてしまいました。
26 :
日本@名無史さん:04/12/15 04:48:49
あっ忘れていました。
織田信雄・・・好きに使って下さい。
豊臣政権から離反するもよし。
残って獅子身中の虫(第二の家康)になるもよし。
長曾我部元親も忘れていました。(笑)
これも好きに使って下さい。
度々ごめんなさい。
そいえば、
四国征伐の働きで秀次って羽柴姓を許されているんでしたよね。(1585年に豊臣姓を。)
ということは秀吉の後を継ぐのは秀次ですか。(笑)
>>24の名代は逆になりますね。
29 :
日本@名無史さん:04/12/15 17:24:12
島津や伊達や北条などが有利になるから、家康は不利になるのでは?
30 :
日本@名無史さん:04/12/15 17:35:54
もし秀吉が関が原まで生きていたら?
大名はもっと困っただろう
キーマンは小早川隆景だな
秀吉亡き後、秀次を立て天下を納めるか
家康みたいに巧く裁いて毛利に天下をとらしめるか
豊臣直参もどうなるかな
>>31 小早川隆景は毛利家を一番に考えています。
けっして豊臣家を一番に考えているわけではありません。
小牧・長久手合戦の際には日和見を決め込んでいます。
1585年春まで毛利家と宇喜多家は所領争いをしています。
四国征伐の際には伊予の所領を巡って小早川隆景自身が意地を通しています。
豊臣秀吉が死去した場合、
毛利家と豊臣家の対等同盟は考えられますが、
引き続き毛利家が豊臣家に臣従するのはどうでしょうね。
>>24・・・訂正します。
× 豊臣秀保
○ 豊臣秀勝
ところで、
豊臣秀吉の死去は公にするのかな?
葬儀は今度こそ行われるのかな?(笑)
33 :
日本@名無史さん:04/12/21 00:34:06
島津、毛利、北条、伊達
が4強になったのでは?
34 :
日本@名無史さん:04/12/21 00:45:28
天下統一してないとすると秀次と利休が石田三成を助け彼を羽柴家の執権にさせる
35 :
日本@名無史さん:04/12/21 00:54:45
歴史なんて一箇所違えばまったく予想がつかんね。
秀吉の登場自体、想定外なんだし。
37 :
日本@名無史さん:05/01/17 02:45:34
旧織田勢力が圧倒的有利だろう。
島津、毛利、長曾我部、徳川、北条は一番手じゃない。
賤ヶ岳前
◎織田信孝ー柴田勝家
○徳川
●伊達
(他は地理的条件がキツイ)
賤ヶ岳後〜小牧前
◎織田信雄ー池田信輝or滝川一益
○徳川
●伊達
小牧後
◎徳川家康
○毛利(旧織田家の分割に参加)
●伊達
だろう。
38 :
日本@名無史さん:05/01/17 02:50:49
賤ヶ岳前
◎織田信孝ー柴田勝家
○徳川
●伊達
賤ヶ岳後〜小牧前
◎織田信雄ー池田信輝or滝川一益
○徳川
●伊達
小牧後
◎徳川家康
○毛利(旧織田家の分割に参加)
●伊達
39 :
日本@名無史さん:05/01/17 03:05:58
・島津
前途に毛利、長曾我部がキツイ。時期も遅い。
・毛利
長年の戦争で疲弊、後虎の島津もキツイ。長曾我部とも敵対。
・長曾我部
四国だけじゃ国力不足。
・上杉
地理的に中央進出できない。
・徳川
史実では北条の援護を受けて、旧織田勢力と決戦。
引き分けで一気にメジャーになれる好条件。
・北条
甲斐争奪戦で、家康に負けて佐竹攻めへ。
・伊達
佐竹攻めを終えれば一気に大大名。
中央が長く揉めれば、一番得をするはず。若いし。
>>39 ・上杉
地理的に中央進出できない。
・徳川
史実では北条の援護を受けて、旧織田勢力と決戦。
引き分けで一気にメジャーになれる好条件。
・北条
甲斐争奪戦で、家康に負けて佐竹攻めへ。
・・・これについてですが。
旧織田領争奪戦で北条家は負けたわけではありません。
北条家は上野を手中に収められれば充分で信濃は必要ではありません。(甲斐は欲しいですが。)
徳川家は甲斐・信濃の経営に専念したいため北条家との同盟が重要になります。(姫を差し出す。)
はじき出された真田家は上杉家と同盟します。
上杉家は信濃の小笠原家(徳川家派)に侵攻します。
徳川家は信濃の真田家に苦戦します。
北条家は上野の真田家に勝利します。(信じられないかもしれませんが実話なんですw)
さらに北条家は佐竹家や宇都宮家を追い込んでいます。(だからといって天下を狙えるかどうかは知りませんが。)
柴田勝家が健在なら上杉家の中央進出は厳しいと思います。
しかし徳川家康が旧織田勢力を取り込まないなら、
上杉家は旧織田勢力と真田家と同盟することで勝機は出てきますね。
徳川家・北条家の同盟は上野・信濃方面では有効ですが、
単独で徳川家vs旧織田勢力はちょいとばかり無理があります。
島津家・毛利家・長曾我部家が力不足というのであれば、
織田家の背後を脅かすような勢力は無いということになりますので、
やっぱり徳川家は単独決戦になります。
徳川家が好条件になるとはとても思えないのですがどうなんでしょう?
>>40 確かに信孝が死に、信雄が徳川を頼らないのであれば徳川は厳しいね。
それに伊達と北条を比べると、北条の方が有利かな。
しかし旧織田勢力には完全に見劣りするし、時間が経つほど伊達は強大になるしな。
甲斐勢に見放された時点で先行きはイマイチ。
あと丹羽と前田を忘れてたけど、信雄と言えばやっぱ滝川かなー。池田とも仲が良いし。
賤ヶ岳前
◎織田信孝ー柴田勝家
○北条
●徳川(in信雄)
賤ヶ岳後〜小牧前
◎織田信雄ー池田信輝or滝川一益
○
●伊達、秀長
小牧後
◎徳川家康
○毛利(旧織田家の分割に参加)
●伊達
山崎合戦で羽柴秀吉と明智光秀の両将が死亡したという設定で賤ヶ岳前
織田家の内訌
織田信孝・・・丹羽長秀、池田恒興、蜂屋頼隆、九鬼嘉隆
織田信雄・・・(南伊勢衆、伊賀衆)
柴田勝家・・・佐々成政、前田利家、不破光治(北陸方面軍)
滝川一益、森可成、稲葉良通、氏家直通、蒲生賢秀・・・など
清洲会議
この会議で織田信孝と柴田勝家が手を結びます。
これに滝川一益、森可成、稲葉良通、氏家直通、蒲生賢秀らも参加します。(反対する理由が無い。)
織田信雄は孤立します。
徳川家の動向
この時点で徳川家康と北条氏直は対立、若神子対陣で上方への対応が取れません。
よって、
清洲同盟はそのまま維持され織田信孝と徳川家康の連合が毛利、長曾我部、上杉、北条を撃破します。
その際、九州と奥羽の諸勢力は織田・徳川連合に誼を通じその傘下に治まります。
結論
織田信孝・徳川家康の勝利となります。
43 :
日本@名無史さん:05/01/17 08:57:30
>>41は、池田恒興の間違い。
>>42 徳川は柴田に睨まれ続けるんだろーな。さらにその上に信孝が居るんじゃ、
天下の目は無さげ。
賤ヶ岳合戦で羽柴秀吉と柴田勝家の両将が死亡したという設定で小牧・長久手前
織田家の内訌
織田信雄・・・丹羽長秀、池田恒興、蜂屋頼隆、九鬼嘉隆、森可成、稲葉良通、氏家直通、蒲生賢秀
織田信孝・・・佐々成政、前田利家、不破勝光、滝川一益
戦後処理
織田信孝は内海野間において自害し、これにより織田信雄が当主となります。
ただ、蒲生賢秀(1584年没)、丹羽長秀(1585年没)、滝川一益(1586年没)と寿命が迫っています。
徳川家の動向
徳川家と北条家は再同盟に成功します。
しかし真田家の処遇をめぐって徳川家の信濃経営は先が見えません。(甲斐経営は成功。)
何はともあれ、後ろ盾を得た徳川家は織田家に対抗し天下の野心を見せ始めます。
外交
上杉家・・・柴田勝家の死亡により織田家との緊張は緩和します。信濃をめぐって徳川家・北条家とは敵対します。
北条家・・・徳川家との同盟により関東平定を進めていきます。
毛利家・・・羽柴秀吉の死により織田家との関係が微妙になります。(毛利家を高く売り込みたいので傍観するかな?)
長曾我部・・・反羽柴外交から反織田外交をとり四国統一を進めていきます。
よって、
織田信雄が上杉家と毛利家を取り込むことができるかが重要になりますね。
また、長曾我部家に対して四国統一を認めることができるかも重要になります。
これに失敗した場合、徳川家・北条家の天下取りに可能性が生まれます。
結論
織田信雄が天下統一に僅かに有利と言えます。
>>43 そうとも言い切れない。
柴田勝家は高齢なので、確実に長生きする徳川家康にも天下の好機はあります。
小牧・長久手合戦で羽柴秀吉が死亡したという設定でその合戦後
織田家の内訌
織田信雄、徳川家康、北条氏直が同盟(協力・・・長曾我部元親、佐々成政)
羽柴家・・・丹羽長秀、蜂屋頼隆、九鬼嘉隆、前田利家、滝川一益、稲葉良通、氏家直通、蒲生氏郷・・・など
小牧・長久手合戦後
これにより稲葉、氏家、九鬼などは織田・徳川連合に降伏し、尾張、美濃、伊勢、志摩を平定します。
丹羽、蜂屋などの古参の織田家臣も降伏し、畿内一円をその版図に取り込みます。
織田信雄の誤算
これで織田家は元の鞘に収まったはずなのですが徳川家康が織田家臣団の取り込みを始めます。
残ったのは丹羽長秀(1585年没)、滝川一益、蜂屋頼隆、佐々成政、前田利家など。
徳川家の繁栄
三河、遠江、駿河、甲斐、信濃南部に加え、
尾張、美濃、伊勢、志摩、近江、さらに機内にまで影響力を及ぼすようになります。
その版図に徳川家臣団を配し領国経営に当たらせます。
酒井忠次・・・遠江、駿河
石川数正・・・三河、尾張、美濃
榊原康政・・・信濃(対上杉)
本多忠勝・・・南近江、摂津、播磨(対毛利)
井伊直政・・・北近江、若狭、丹波(対毛利)
大久保忠佐・・・甲斐
鳥居元忠・・・伊勢
平岩親吉・・・志摩
服部正成・・・伊賀
内政重視の家臣(本多正信など)・・・山城、大和、和泉、河内
織田家の凋落
織田信雄は北陸へ本拠を移して徳川家に対抗します。
そこに上杉家が佐々成政の越中に侵攻します。
織田家は上杉家との合戦に謀殺されてしまいます。
外交
上杉家・・・大国化した徳川家との抗争を避け、弱体化した織田家に侵攻を繰り返していきます。
北条家・・・徳川家の親族として関東平定を進めていきます。(平定はまだと思います。)
毛利家・・・中国地方の経営に力を入れ国力の強化を図り、徳川家に対抗する姿勢を見せるも和平交渉に入ります。
長曾我部・・・徳川家の協力者として四国平定を達成します。
よって、
織田家の滅亡は時間の問題と思います。
ただ、織田信雄のことですからいち早く降伏し保身に走る方が現実的かな?
結論
徳川家を中心に東の北条家と西の長曾我部家が勝利します。
49 :
日本@名無史さん:05/01/17 20:03:51
>>44 織田四天王がほとんど消えて、ろくな人材が残ってないなー。
全体を統率できる名声と能力を持つのは、丹羽と、滝川雄利経由で一益抜擢くらいか。
鬼武蔵や池田はイマイチだし。
その上ノブオじゃ、大変だ。
>>49 丹羽長秀と滝川一益には寿命が近づいていますから期待できませんが、
池田恒興・之助、蜂屋頼隆、九鬼嘉隆、森可成、稲葉良通、氏家直通は丁寧に扱えば使えると思いますよ。
佐々成政、前田利家などの敗将も処刑せずに家臣として扱えば戦力が増強されます。
それに蒲生氏郷もいますし政治と経済の中心である畿内を押さえている限り、まだ勝機はありますよ。
>>50 滝川一益ってなんで死んだんだろう?張り合いがでてきたら長生きするような気もするけどな。
滝川益氏、滝川雄利、前田慶次郎、池田恒興、池田輝政、九鬼嘉隆と親類は一大勢力だからなー。
対抗するのは、丹羽長秀、前田利家、蒲生氏郷、羽柴秀長くらいか。
無能な信雄の下だからなー。
でも信雄はきっちり北畠を潰してるし、世渡りも巧いし、
以外に無能では無いかも知れない。
当面の敵は徳川と毛利か。
>>52 徳川家・北条家の連合同盟は真田家をめぐって上杉家との抗争に突入すると思いますから、
織田信雄からすると一先ず安心かな?
美濃には池田恒興、森長可、稲葉良通、氏家直通、能登の前田利家、越中の佐々成政もいますし。
それより西方情勢が気になりますね。
長曾我部家の淡路侵攻が予想できますからそれが心配かな。
毛利家は伯耆、因幡、美作、備中、備前の回復は勿論ですが、
但馬、播磨の奪回も予想できますからそれも心配ですね。
毛利家と長曾我部家の対織田家連合同盟ってあるのかな?
54 :
日本@名無史さん:05/01/18 16:44:43
>>53 徳川が来ないのなら毛利と長曾我部家の同盟は、怖くもなんとも無い気がする。
畿内勢がまたも決起するのは本願寺が無いため難しい。
淡路を取れば、三好勢を中心とした旧畿内勢が長曾我部の敵に周るわけだし。
>>46 新清洲会議のメンバーは、
丹羽、秀長、佐々、前田、そして徳川あたりだろうか?
池田、森の凋落で、羽柴勢力は大きくなっているだろうから、
羽柴勢力の動向は無視できないかも。
茶々丸を押すか、信雄につくか、家康につくか、毛利につくか・・・
小牧・長久手では↓らしいから、信雄ってのはなかなか敏い人間かもしれない。
90 :日本@名無史さん :04/05/05 12:29
秀吉が講和を急ぎすぎたのが失敗。
家康側はこの対陣を支えるために人・物を大量に必要としたが、信濃や甲斐の
ような新参・新規領土で食料・税の搾取や動員を行うと叛乱がおきる恐れが
あるため、譜代の地・三河や家康の支配に慣れた駿河から調達せざるをえず、
三河・駿河は荒廃し、餓死者も出たと記録にある。
九州・四国はほっておいてじっくり兵糧攻めにすれば、家康軍は自壊した。
>>54 長曾我部家と三好家は既に戦争状態になっていると思いますが。
三好康長の没年は知りませんが、十河存保の方は長曾我部元親に敗北しているから期待できないと思います。
それでも織田家の方が優勢でしょうねw
>>56 秀吉にも事情があったのでしょう。
九州・四国は放っておくと厄介になると思います。
特に四国は長曾我部家が淡路・畿内に進軍してきたら厄介になります。
雑賀衆と連携された長期戦になりかねないと思います。
あと、矢田川原会見は羽柴秀吉と織田信雄だけの和睦になり、
徳川家康との和睦はまだまだ先になります。
(逆に言えば徳川家には甲斐・信濃の分があるので無理が効きます。)
徳川家、長曾我部家、佐々家、雑賀衆の一斉蜂起が怖いと思います。
真田家と上杉家への対応には北条家が担当することも重要になります。
九州も大友が滅んで島津が完全に統一して5〜10年経つと
かなり厄介な状態になると思う。
九州征伐当時はまだごたごたしていたから裏切りが相次いだけど
ある程度安定した後だったらどうなっていたか分からない。
>>61 九州統一して5年も経てば、既に中国を攻めていると思う。
外交上も島津家と長曾我部家の対毛利同盟が成立していそう。
その場合、瀬戸内水軍を有する毛利家はこの同盟にどう出るかな?
やはり毛利家は滅亡の道を辿るかな?
63 :
日本@名無史さん:05/03/04 21:09:16
>>62 毛利のことだから中立に走ると思う。
豊臣には援軍が無ければ島津に着くと脅し
幾度か戦して、島津有利と見れば豊臣を見限り単独講和して
島津、長曾我部を素通りさせるかもしれません。
なにより 毛利は足利義昭を抱えてますから征夷大将軍という
錦の御旗はないよりましでしょう。
形式的に足利幕府の体裁を取り
織田信雄を近畿管領、島津義久を鎮西管領、毛利輝元を西国管領
として対面を保ち
島津を九州探題、長曾我部を四国探題、毛利を中国探題にして
領国の支配権を保障
あとは上杉景勝を北陸管領か探題に据えて手を組む。
あとは上杉を介して遠交近攻の理どおり伊達政宗に接近
奥羽探題に加えて関東の切り取り自由くらいは手形出して
、徳川に対して不可侵の約束と関東公方の官職くらい出して
徳川と北条を争わせれば上出来でしょうか。
その隙に西国連合軍で織田を潰し上方の基盤を固め
北条攻めで疲弊した徳川を背後から襲うと。
>>63 毛利が四国方面から手を引くのかな?
来島の離反の時、毛利の河野への介入を考えますと厳しいような気がします。
島津の素通りも現実的な発想ではありませんね。
あと、毛利がキャスティングボードを握って織田を取り込むのも無理があります。
毛利を持ち上げすぎですよ。
関東切り取りの件にしても佐竹と敵対している北条と伊達が関東を巡って争うとも思えないし、
関東公方(?)の件も徳川が北条と争うという流れも冷静に考えてありえないと思います。
もう少し時代背景を考慮して頂けると嬉しく思います。
>>64 う〜ん、微妙に日本語が変になってしまった。
許して下されw
66 :
日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 18:40:35
大魔王アゲ
死ぬ時期と死に方が凄く重要だよね、それによってはだいぶ変わる
1583年の賤ヶ岳の戦い以前に病で死んでいたら柴田勝家が生きる事になってるだろうから…
age
69 :
日本@名無史さん:2005/05/17(火) 14:45:15
朝鮮出兵は起きなかったってことでFA?
伊達が伸びるみたいな書き込みあるけど、北条が西からの驚異を感じなければ佐竹にちょっかい出すのが遅れる訳で・・・
人取橋の戦いの時に佐竹に内紛が起きたのも北条に空気入れられたからだから・
よって伊達は人取橋の戦いで大敗を喫し、勢力を伸ばすのが遅れる・・もしくは・・伊達政宗が人取橋の戦いでアボーン
佐竹は伊達家の馬打ち領になっていたことは、まず間違いはないね。