1 :
異国の土:
中国・西安で遣唐使の墓誌発見 皇帝に仕えた日本人判明
http://www.asahi.com/culture/update/1010/006.html 唐の都・長安のあった中国・西安で、8世紀前半に阿倍仲麻呂らとともに遣唐使として
渡りながら、現地で亡くなった日本人留学生の墓誌(死者の簡単な伝記)が見つかった。
その人生や、死を惜しんだ玄宗皇帝が高官の役職を贈ったことなどが記されていた。この
時代の日本人の墓誌が中国で発見されたのは初めて。古代東アジアの交流や、遣唐使の実
態を伝える前例のない発見といえる。西安で10日開かれた記者会見で発表されたと、中
国国営新華社通信が伝えた。
西安の西北大学博物館が最近入手したもので、39.5センチ四方の石に、名前は「井
真成」で「国号日本」など12行で171文字が刻まれていた。生まれつき優秀、国命で
派遣され勉学に励み、宮廷で役職についたが、急病で開元22(734)年に36歳で死
去、魂は故郷に帰るだろう、といったことが記されている。
現存の実物資料としては国号「日本」が使用された最古の例となる。
共同通信によると、西安市内の工事現場で見つかり個人が収蔵していたものを西北大の
博物館員が収集した。
当時の遣唐使は十数年に一度の不定期。年齢から、717年の遣唐使に19歳で留学生
として参加したとみられる。奈良に都を移してから初の遣唐使にあたる。仲麻呂や吉備真
備、僧玄●(●は日へんに方)(げんぼう)らに乗組員を加えた、総勢557人の回だ。
遣唐使の参加者は、唐で活躍した仲麻呂のほかは、日本で五位以上の官位を持つ参加者
しか記録されていないため、この人物に該当する記述はなく、日本名などは分からない。
死後に皇帝から贈られたのは、その近くに仕える「尚衣奉御」(尚衣局の責任者)とい
う、従五品上の役職。中国の官位は一〜九品に分かれ、五品以上が皇帝の前に出ることが
できる殿上人だ。唐で役人として出世したほぼ同年齢の仲麻呂は、真成が死亡した年に従
五品下に昇格しており、2人は似たコースを歩んでいた可能性が強い。仲麻呂は安南節度
使(ベトナム地方の長官)にまで昇進している。
2 :
日本@名無史さん:04/10/12 16:26:09
(続き)
墓誌には朝廷内の役職についていたことを示唆する記述はあるが、
実際にどのような役職だったのかは記されていない。
◇
氣賀澤保規・明治大教授(中国史)による銘文の抄訳は以下の通り。
「姓は井、字(あざな)は真成、国は日本と号す。生まれつき優秀で、
国命で遠く唐にやってきて、一生懸命努力した。学問を修め、正式な
官僚として朝廷に仕え、活躍ぶりは抜きんでていた。ところが思わぬことに、
急に病気になり開元22年の1月に官舎で亡くなった。36歳だった。
皇帝は大変残念に思い、特別な扱いで埋葬することにした。
尚衣奉御の位を贈った。2月4日に万年県の川のほとりに埋葬した。
体はこの地に埋葬されたが、魂は故郷に帰るにちがいない」
〈町田章・奈良文化財研究所所長(考古学)の話〉 阿倍仲麻呂とともに
養老元年の遣唐使で行った留学生と見て間違いないだろう。遣唐使の中でも
平安に入ってからのものは比較的記録が残っているが、奈良時代の
遣唐使については続日本紀などに断片的に記録が残っているだけ。
留学生についても、帰ってきて政治家や高僧として成功すれば伝記や
紀行文の記録が残るが、若くして向こうに渡ったとすれば日本側の資料では
「その他大勢」でしかなく、名前が残らないのも当然と言える。
遣唐使の歴史を解明する上で、非常に重要な発見だ。
3 :
日本@名無史さん:04/10/12 16:30:38
唐の都、もう一人の仲麻呂がいた? 墓誌発見の日本人
http://www.asahi.com/culture/update/1010/005.html 奈良時代、唐の都・長安(現・西安)に渡り活躍した一人の日本人の存在が
浮かび上がった。中国の西安で発見された墓誌には、留学生として中国に渡り、
懸命に学びながら36歳で亡くなった「井真成」の人生が記されていた。
1200年以上前の、日中交流の一場面を描き出す驚きの発見。阿倍仲麻呂と
同じ717年の遣唐使船に乗り合わせたとみられるが、日本では記録は見つかっていない。
どんな人物だったのか、「もう一人の仲麻呂」像を描いてみると……。
最大の手掛かりは「井」という中国姓だ。
鈴木靖民・国学院大教授(日本古代史)は、井を日本名の痕跡と考え、
「井上」という一族に注目する。現在の大阪府藤井寺市一帯を本拠とし、
忌寸(いみき)という渡来系に多い姓(かばね)を与えられていた。
遣唐使など外交官の任務につくものが多く出ているという。
「遣唐使に参加できるのは、特に優秀か、特別なコネがある、限られた人物。
高級官僚になるための試験・科挙にも合格したかもしれない。そのためには
何より語学力が必要だった」として、「一族きっての秀才で井上真成という
名前の若者だったのではないか」と考える。
4 :
日本@名無史さん:04/10/12 16:31:06
(続き)
東野治之・奈良大教授(日本古代史)は渡来系の氏族、「葛井(ふじい)氏」の
出身ではないかと考える。葛井寺(藤井寺市藤井寺)の創建にかかわった河内の貴族で、
飛鳥から奈良時代にかけて、遣唐使などを多く出した。「ふじいのまなり――という
名前だったのでは」と推定する。
「皇帝が死を惜しんで官位を追贈したという。こうした厚遇を受けるのは非常に
異例のことだ。よほど優秀な留学生だったのだろう」とみる。
贈られた役職は「尚衣奉御」。石見清裕・早稲田大助教授(中国史)によると、
殿中省尚衣局の責任者だという。殿中省は王宮内の管理が業務で、尚衣局は
皇帝の衣服関係を担当。奉御はその責任者で2人いた。部下は20人程度で、
「部長」的な役回りだったようだ。
当時の長安は人口100万人の世界一の国際都市。行政や法律の仕組みなどを
学ぶために渡った日本の留学生は、いつ来るかわからない次の遣唐使船を待ちながら、
勉学、職務に励んだ。実際には次に遣唐使が日本を出発したのは、733年。懸命に
学び知識を蓄えた井真成は734年の1月に死亡した。最初の一隻が唐からの帰国の
途についたのはその年の秋。故郷に錦を飾るのを目前にした死だったようだ。
墓誌には「無念」を思いやる記述が残っている。
5 :
日本@名無史さん:04/10/12 16:31:39
(続き)
◇
〈阿倍仲麻呂とは〉墓誌の人物とともに留学生として唐に渡った阿倍仲麻呂は玄宗皇帝に
その才能を認められ、朝衡(ちょうこう)などと名を変えて唐王朝の要職を担った。
一度は帰国の途に就いたが船が難破して安南(現在のベトナム)に漂着。再び長安に戻り、
安南節度使などを歴任して770年に中国で亡くなった。その名は「続日本紀」などに見える。
李白や王維ら一級の文化人とも交遊し、彼らの惜別や哀悼の詩にもうたわれている。
「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」という歌でも知られる。
6 :
日本@名無史さん:04/10/12 16:38:07
遣唐使の墓誌発見…「魂は故郷へ」と異国の死刻む
http://www.yomiuri.co.jp/culture/news/20041010it14.htm 【西安(中国陝西省)=竹腰雅彦】8世紀初めに日本から中国・唐(618―907)に
渡り、現地で客死した遣唐使随行の留学生の墓誌(734年)が見つかったと、
西北大学(西安市)が10日、発表した。
中国で古代の日本人の墓誌が見つかったのは初めてで、「日本」の国号が記された
中国最古の例。謎に包まれている遣唐使の実像に迫る貴重な資料として注目される。
墓誌は死者の事績を記した墓石で、発見された墓誌は高さ、幅とも約39センチの
ほぼ正方形。上に載せられた蓋石(ふたいし)の上面に12文字、本体に171文字が
刻まれていた。
「姓は井、字は真成。国号は日本。天賦の才能をもって、唐に渡り、勉学にいそしんだ。
学問を修め、官吏として朝廷に仕えた。礼儀正しさは比類のないほどだった。しかし、
開元22年(734年)正月、急病のため36歳で死去した。皇帝は死を悼み、尚衣奉御という
官職を贈った。2月4日、サン水(さんすい)のほとりに埋葬した。遺体は異国の土となったが、
魂は故郷へ帰る」などと記されていた。「尚衣奉御」は皇帝の衣服を管理する部署の長のこと。
当時の玄宗皇帝(在位712―756年)の信頼が相当あつかったことがうかがわれ、
「かなり親しい人物だったのではないか」と、調査にあたった西北大の王建新教授は推測している。
7 :
日本@名無史さん:04/10/12 16:40:20
(続き)
「井真成」は中国名(唐名)で、日本側の記録にないため、該当する人物は特定されて
いない。阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)、吉備真備(きびのまきび)などが派遣された717年の
遣唐使の一員とみられる。
墓誌の具体的な発見日時は明らかにされていないが、記述内容から、西安中心部から
東に10キロほどのサン水付近に埋設されたと考えられる。(「サン水」のサンはさんずいに産)
◆「遣唐使船」の著書もある東野治之・奈良大学教授(日本古代史)の話「中国で
亡くなった遣唐使の随員を初めて考古学的に裏付けた点で極めて重要。遣唐使が中国で、
どのような待遇を受けていたかを知る上でも非常に興味深い」
◆遣唐使=630年の犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)を最初として、唐に派遣された
使節。894年に菅原道真の建議によって廃止されるまで、20回の任命があり、うち16回が
実際に渡航。唐の先進的文化がもたらされ、律令国家確立に大きな役割を果たした。
派遣された主な人物は、山上憶良(やまのうえのおくら)、空海、最澄ら。
8 :
日本@名無史さん:04/10/12 23:34:30
9 :
日本@名無史さん:04/10/13 00:03:39
韓国人の知らない学問の世界だな。
10 :
日本@名無史さん:04/10/13 03:57:22
837 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/13 01:53:43 JKJ2XZM3
私も新聞で見たときは「おお!」と思ったが、
今日、大学の先生が授業時間を目いっぱい使って嘘だということを証明してた・・・
あの墓誌の文は当時の中国ではありえないものらしい(途中寝てしまったから
詳しくはわからない)「どうせ騙すつもりならもっと上手く出来なかったんですかね?」
とまで言ってた。
中国が日本の新聞にこの記事を高く売りつけた、とも言ってた。
この授業の話を鵜呑みにするつもりはないけど、やっぱりちょっとアヤシイかも。
墓誌のどの文が矛盾してるのかちゃんと聞いておけば良かった・・・
11 :
日本@名無史さん:04/10/13 04:00:44
720 名前:名無しさん@5周年 本日のレス 投稿日:04/10/12 18:24:36 6xtIBgON
>工事現場で見つかり個人が収蔵していたもの
誰もここにツッコミ入れていないんですね
833 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/13 01:00:06 Vw/DgbZU
>工事現場で見つかり個人が収蔵していたもの
やばそうですこれは 石碑は年代鑑定できません
発掘現場で写真をとっていないと駄目です
平山東京芸大学長は 絵描きで彫刻家ではありません
隣の国立博物館に贋ガンダーラ仏が大量入荷しているのに
見破れない人です
845 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/13 02:44:03 85PiVXYi
もしかしてこれって実は石碑自体がていぞうなのか?
石碑で日中友好ラブラブ(嘘)をメッセージした釣りなのか
韓国の歴史書き換え、アジア杯決勝問題、ガス田共同開発打診と
あってこのタイミングってのも胡散臭い
歴史系の釣りを新たなカードにしようとしてるのかな
日本が真贋鑑定できないからなんとも言えないな
12 :
日本@名無史さん:04/10/13 04:02:35
ニュー速では、美しい墓誌だと結構盛り上がってたけど、ここはいきなり捏造から話にはいるのか。
14 :
日本@名無史さん:04/10/13 06:39:50
歴史の素養がある歴史板住人を甘く見るなってこった。
…偉いチョンにはそれが分からんのです。
15 :
日本@名無史さん:04/10/13 08:57:32
捏造って、ネタでしょ。
こんなもの捏造する意味がない。
16 :
日本@名無史さん:04/10/13 09:11:25
支那人は捏造の前科が山のようにあるからな
17 :
日本@名無史さん:04/10/13 09:13:45
じゃあ兵馬俑も万里の長城も紫禁城も捏造?
18 :
日本@名無史さん:04/10/13 10:05:16
どうせ捏造するなら安倍仲麻呂の墓誌とかの方が面白い。
とりあえず,捏造はスルーね。
19 :
日本@名無史さん:04/10/13 10:09:35
マジで感動してしまった。
どんな人物だったのだろう。
明治の官費の留学生も、善くやったようだが
奈良時代から日本人は真面目なのね
って言うか、西安で日本人を数百人呼んで遣唐使○百年の
「日中友好」のセレモニーを開いてる時に
見つかったってのは、何か余りに微妙な時期だよな。
プレゼント代わりに歴史をチョチョと捏造してプレゼントしたんじゃないの。
中国人の常識がどの程度かわからないから疑ってしまうんだよな。
21 :
日本@名無史さん:04/10/13 11:01:44
そんなことまで疑い出してたらキリねえ
捏造は別として、発表するタイミング測ってたってのはあるかもね
23 :
MC Hammer:04/10/13 20:40:37
U CAN'T TOUCH THIS!
U CAN'T TOUCH THIS!
U CAN'T TOUCH THIS!
U CAN'T TOUCH THIS!
U CAN'T TOUCH THIS!
U CAN'T TOUCH THIS!
U CAN'T TOUCH THIS!
遣唐使death!
24 :
日本@名無史さん:04/10/13 20:41:15
431 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/11 21:03:24 lyih1f3g
遠い外国から来た優秀な留学生が、唐の地方長官まで昇進したのが、
まるでその国が開放的であったかのような錯覚をしている人がいる。
唐の権力の中枢にいた者は、身内の同族をまったく信用していなかっただけだ。
野心を持つ同族に重要なポストを与えて、力を得たとたんに反旗を翻されるよりは、
政府に野心を持たずに何か事を起こすことが出来るほどの数と力を持たない
遠方出身の有能な人材の方が、コントロールしやすくて安心して任せられただけのことだ。
まあ、中国側とすれば何とか日中友好を演出できるまったりネタとして、
何気にこのタイミングで出したんだろうがな。
25 :
日本@名無史さん:04/10/13 20:43:53
261 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/11 16:54:17 W9/3q8Hl
純粋な(?)元々の漢族は、秦・前漢・新・後漢までしか存続しておらず、
三国・五胡十六国・南北と打ち続く戦乱と飢饉のなかで絶滅し、また、
侵入・移民して来る遊牧民との混血のなかに、消滅したと考えられる。
隋・唐は、鮮卑族の立てた王朝で、歴代王朝をまねて漢字を公文書に
用いたため漢族と思われがちだか、そうではない。しかし、自ら漢族
を名乗ったのだから、以上の事実さえ踏まえているなら、(新)漢族
と考えてもいい。なお、この新漢族も、元(蒙古族)清(満洲族)の支配
混血を経るなかで、現在の、中国人主流(自称漢族)へと変化したが、
これは、新・新漢族とでも呼ぶべきもので、唐時代の(新)漢族とも、
違う種族である。7世紀の日本建国当時から、あまり種族として変化して
いない日本族との大きな違いである。なお、現在の中華人民共和国には、
公式に認められているだけでも、漢族以外に、55の種族が、共存している。
自称漢族のなかにも、はっきりと6系統が認められており、中国は常に
分裂の要素を孕んでいると言える。
26 :
日本@名無史さん:04/10/13 20:44:50
537 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/12 07:23:59 Ooh6kFbf
隋も唐も鮮卑族拓跋部よる?弟王朝であり、異民族征服王朝である事は
間違い無い。当時、西方ではタウガス等と呼ばれていた。唐朝初期の
軍事用語が鮮卑語であったことも学術文献的に証明されている。
太宗李世民が侍講の学者にその出自を指摘されて激怒したエピソードは
有名です。大体、高宗は太宗の側室を自分のものにしたり、玄宗は息子の
女を取ったりと、騎馬民族気質丸出しであります。
556 名前:♪ 投稿日:04/10/12 09:53:21 tlOQQnmM
隋唐の前の北周は,宇文氏といふ姓からあきらかなやうに鮮卑王朝で
隋の楊氏,唐の李氏ともに,周政権では漢人系を代表する名家ではある.
もっとも,漢人を名乗ってゐるとはいへ,この時代の北朝の有力貴族は胡族との婚姻を
重ねてゐるから,混血がかなりすすんでゐるので,漢人系だらうと鮮卑系だらうと
同じ穴のムジナであるわけだが.
#たとへば,隋の文帝(楊堅)の妻は,鮮卑系の名家の独弧氏.
#唐の李淵の母も独弧氏.
27 :
日本@名無史さん:04/10/13 20:47:44
戦乱、飢饉で絶滅したと言いながら、混血で消滅したと言う
28 :
日本@名無史さん:04/10/13 20:48:07
で、「井真成」って誰なの?
遣唐使の一行の名簿が日本に残ってないっていうのが驚き。
当然記録はあったはずだろうに、散逸しちゃったのかな?
30 :
日本@名無史さん:04/10/13 21:07:16
現時点では詳細不明。
日本側にも記録なし。
井上氏、葛井氏,などの説が出ていた。
ともに遣唐使を多く出した氏らしい。
唐風に一字名にしたらしいという。
そういえば安倍仲麻呂も唐名があった。
31 :
日本@名無史さん:04/10/13 21:18:10
名簿は身分の高いもの、大使、副使などの記録は在る。
学問僧(留学生)の記録は身分の高いものの記録はあるが、
日本に戻ってきて、官位について初めて記録に残る事が多いらしい。
でも、一応事務レベルでは全員の名簿は作るんじゃない?
官位の高い者以外は、公式記録として残されず、保存されなかった
ということだろうか?
33 :
日本@名無史さん:04/10/13 21:45:53
だろうね。行く前から記録に残るような大物ならこんなことにはならないはず。
34 :
日本@名無史さん:04/10/13 22:21:05
川原泉の「中国の壷」思い出して感動した。
35 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:17:15
753 やっと、帰国を許される。王維が送別の詩を贈り、仲麻呂はお返しの詩を作る。
また、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」の和歌は仲麻呂が
蘇州を船出するときに詠んだといわれる。
王維の送別の詩をご紹介します。
(読み)
送秘書晁監還日本国 秘書晁監(ヒショチョウカン)の日本国に還るを送る
積水不可極 積水(セキスイ) 極(キワ)むべからず
安知滄海東 安(イズク)んぞ知らん滄海(ソウカイ)の東を
九州何処遠 九州 何(イズ)れの処か遠き
万里若乗空 万里 空に乗ずるが若(ゴト)し
向国惟看日 国に向って惟(タ)だ日を看(ミ)
帰帆但信風 帰帆 但(タ)だ風に信(マカ)す
鰲身映天黒 鰲身(ゴウシン) 天に映じて黒く
魚眼射波紅 魚眼 波を射て紅(クレナイ)なり
郷国扶桑外 郷国 扶桑(フソウ)の外(ホカ)
主人孤島中 主人 孤島(コトウ)の中(ウチ)
別離方異域 別離 方(マサ)に域(イキ)を異(コト)にす
音信若為通 音信(インシン) 若為(イカン)ぞ通ぜん
(意味)
秘書晁監が日本国に還るのを送る
(註)晁衡または朝衡は阿倍仲麻呂の中国名。秘書監という職名の間に姓の晁を挿むのが中国式である。
大海の果ては極めようがなく、大海の東の日本のことをどうして知ることができよう。
世界には九つの州があるそうだが、その中で日本が一番遠いのではないか。その国に
帰る君の船は虚空へ万里も乗り出すようなものだ。その国に向かってただ太陽を目当てとし、
帆を風任せにして帰っていく。大海亀の背が天に映えて黒々と見え、怪魚の眼が波を射る
ように赤く光っているだろう。君の故国は扶桑の樹のあるところより更に遠く、君は孤島の中に
住むことになるのだ。ここで別れてしまえば、別の世界の人となり音信はどうして通じたらよいのだろう。
http://server.azt.ac/~safuro/bungaku62.htm
36 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:17:40
また仲麻呂が死んだと聞いた時、李白は次のような追悼の詩を作りました。
哭晁卿衡 晁卿衡(チョゥケイコウ)を哭(コク)す
日本晁卿辞帝都 日本の晁卿(チョウケイ) 帝都を辞し
征帆一片遶蓬壷 征帆一片 蓬壷(ホウコ)を遶(メグ)る
明月不帰沈碧海 明月は帰らず碧海に沈み
白雲愁色満蒼梧 白雲愁色 蒼梧(ソウゴ)に満つ
(意味)
日本の晁衡(阿倍仲麻呂の中国名)卿は帝都長安に別れをつげ、一片の帆影は蓬壷の島を
回って去っていった。明月のように輝かしかった君は青い海に沈んでもう帰らない。白雲が流れ、
悲しみの気分が蒼梧山に満ちている。
阿倍仲麻呂と中国名晁衡とは漢字の意味に関係があるのだろうか?
37 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:18:20
>>36 「仲麻呂は入唐後、しばらく朝臣(あそん)仲満」と称していたが、
後に名を唐風に改めて朝衡とした。
この朝を古体字で記すと晁となり、晁衡とも書かれる」
と最近出た夢枕獏の某伝奇小説に書いてあった。
38 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:19:52
284 名前:283 投稿日:04/10/11 17:48:54 brBFs9Jy
ごめん。
かぎかっこが一つ足りない。
あと、某伝奇小説の名前は
「沙門空海 唐の国にて鬼と宴す」
仲麻呂もバンバン出てきます。
312 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/11 18:25:13 /6t+M4nJ
>唐で役人として出世したほぼ同年齢の仲麻呂は、真成が死亡した年に従
>五品下に昇格しており、2人は似たコースを歩んでいた可能性が強い。
へえ、阿部仲麻呂並のキャリアだったんだ
こりゃ日本史の大発見だね
教科書書き換えは確実か
317 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/11 18:46:14 NVZUFwX6
>>312 でも「天の原〜」の歌が在る文、仲麻呂の方が教えやすい。
仲麻呂が帰るのに失敗した回の遣唐使で日本に着いたのが
六回目の挑戦だった鑑真。話として、生徒に受けるんだよね。
347 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/11 19:32:44 khDrBcKO
偉大な李白や王維と仲麻呂が親交が合ったのではなくて、
仲麻呂と親交があったから李白と王維が日本で殊に大きく
扱われているだけなのかな?
39 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:21:49
401 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/11 20:15:56 /yfm30Uw
そーいやベトナムのハイノで
阿倍仲麻呂の勤めてた王宮跡が
見つかったとか聞いたな
403 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/11 20:17:52 F9HoI80Z
>>399 いま中国では墓誌発掘ブームで、たくさん研究も進んでますです。
アカヒ新聞で、この墓誌の抄訳した気賀澤先生(明治大学)は
墓誌の研究やってる方でつ。
阿部仲麻呂の墓誌とか出てきたらすごいなー。
619 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/12 14:21:45 s989XPD9
首相が阿倍仲麻呂の赴任先とみられる遺跡を見学
【ハノイ=中山真】「1300年前にもベトナムと日本の知られざる交流があったんだなぁ」――。
ベトナム訪問中の小泉純一郎首相は10日、奈良時代に留学生として唐に渡り、官職に就いた
阿倍仲麻呂が赴任した安南都護府(7―9世紀)があったとされるハノイのタンロン遺跡を見学した。
政府は遺跡保存に協力する方針で、現場を目の当たりにした首相は「支援のしがいがある」と満足げ。
「仲麻呂は(中国の官吏登用試験の)科挙に合格しているんだよ。信じられないような波乱万丈の
生涯だよな」と知識を披歴していた。 (20:04)
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20041010AT1E1000210102004.html
40 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:24:57
551 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/12 08:46:54 netHT34d
すいません。教えてください。
阿部仲麻呂は安南節度使だったということですが、この時代の安南(ベトナム)の政治、経済、文化はどの程度だったのでしょうか?
私の中では南蛮とか疫病とかあまりよろしくないイメージなんですが。
節度使という地位はすごいんでしょうけど安南に派遣されるということが当時の唐の役人にとってプラスとマイナスどちらの方がつよかったんでしょう?
561 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/12 10:43:03 +fWJJpkd
>>551 調べずにカキコするけど、左遷。 南方は瘴癘(しょうれい)の地。
仲麻呂は、玄宗の下で出世した人だから、 安禄山の変で玄宗が上皇となり、
粛宗が皇帝になってから、玄宗系の人は どんどん左遷されていった(高力士とかも)。
だからそのときに左遷されたと推測。
436 名前:名無しさん@5周年 投稿日:04/10/11 21:10:02 MMpeliq4
>>419 朝鮮は常に国として扱われていたみたいです。
朝鮮・ベトナム、日本共に、中国は属国と見なしていましたが、実情はだいぶ異なりました。
朝鮮は名実ともに、完全な属国として収奪され続けます。
あの半島で何とか国として存続するためには、中華皇帝に朝貢を続けざるを得なかったようですね。
日本の軍事力も無視できなかったため、中国に内緒で日本にも通信使を送っていたそうです。
ベトナムは中国に対して常に属国の地位を受け入れていましたが、
朝貢は僅かなもので、独立心の強い反抗的な属国でした。
中国は何度も直接支配を試みますが、何度も大敗して逆に攻め上られたりする始末、
長期の直接支配は確立できませんでした。
日本は白村江の大敗以後、中国の与えた倭という名を拒否して国号を日本と改め、
皇帝の臣である王ではなく天皇と自称しますが、中国は一度も日本に征伐軍を送ることはありませんでした。
秀吉の朝鮮出兵で明に敗れ、日本と明(朝鮮の代表は含まれません)が講和しますが、
その時も明は、大敗した日本に朝貢を強要することもありませんでした。
41 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:30:03
熱象の疑いは多分にある。
第一に現代シナ人は歴史を政治の道具としてしか扱わない性質がある事。
第二に発見にまつわる状況がインチキ臭くてグレーゾーンである事。
第三にこの発見が対日外交的に大きな影響を及ぼしそうな絶好のタイミングである事。
42 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:41:56
葛井連説が優勢のヨカーン
43 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:43:50
16 名前:( ´台`)v(´▽` )ノ750 投稿日:04/10/11 04:05:25 lTl0Q0mj
>>7 唐は漢民族じゃなくて西域人だからな。中国史上ではほとんど唯一の仏教国家のはずだ。
西遊記もこの時代だし。この王朝だけは嫌いになれんな。
27 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 04:30:12 BvnJkse4
>>22 同じ中国としてみる方が無理があるのかもな。中華幻想というか…。
もともと交易だとかを通じて異民族交流が当たり前だった鮮卑族の建てた唐朝と、
他民族王朝が弱体化したのに乗じて(ウルトラ)ナショナリズムを前面に出して打ちたてた
漢族政権とでは当然中身が違うわな。
いわゆる中国って認識されてるものって、古代においては現代の国際法とか、民主主義的手続きとか、
そういうものだったのだと思う。
39 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 05:33:02 BvnJkse4
>>35 ウイグル族と鮮卑族は区別されてるみたいだから、ウイグル族王朝とはいえないんじゃない?
安史の乱鎮圧の為にウイグル族に援助を要請したりしてるわけだから、唐王朝とは別物だったと思われ。
ttp://www.geocities.jp/timeway/kougi-35.html
44 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:44:37
42 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 06:04:08 tEpqGXqn
唐って人種・民族的にはコーカソイドがモンゴロイドのどっちなんだ?やっぱモンゴロイドかな?その中間か?
学術的にはっきりしているのか?エロい人教えてきぼんぬ
56 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 06:44:38 BNQUokgX
>>42 隋末混乱を収め唐を建てたのが山西で挙兵した李淵唐の高祖である。
李淵の先祖は、隋を建てた楊氏と同様に鮮卑が多く住んでいた
武川の軍閥で、祖父は西魏・北周の「八柱国」という最高官職に就いた。
このため李氏は鮮卑族であるという説も強い。
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/tyusei/56-china16.html どっかの先生の話【世界帝国の形成.講談社現代新書 が元らしい】
http://www.geocities.jp/timeway/kougi-32.html 略)この時(晋末)に中国内に入ってきた異民族が五胡と呼ばれるのです。
匈奴、鮮卑、羯(けつ)、テイ、羌です。…鮮卑はモンゴル系。…(略)
北魏皇帝孝文帝(位471)は鮮卑族なんですが、かれの母親は漢民族。
かれのお祖母さんも漢民族。だから人種的に何民族かということは実質的
にはあまり意味がなくなって〜
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
唐の100年前に既に混血も進んでたようでつね
個人的にはインド・ヨーロッパ語族の青い目をイメージしてますたが
モンゴル系だと全然ちがたみたい。
45 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:45:50
留学生ということ自体捏造です。
当時アジアの最先進国であった日本が、蛮族の建てた唐などという後進国に
学生を送るはずがありません。
正しい歴史を学んだものなら誰でも分ることです。
46 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:45:52
57 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 06:48:45 BvnJkse4
>>42 鮮卑族はトゥルク系、もしくはモンゴル系とツングース系の混血だから、そこに漢系が入ったとしてもモンゴロイド。
ただし政府内にはコーカソイドもいた。安史の乱の安禄山はイラン系のソグド人(コーカソイド)と突厥(モンゴロイド)のハーフ。
85 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 08:59:53 xv32ChPL
>>16 日本の僧の円仁が遣唐使として唐へ行った頃は丁度仏教弾圧が始まった頃だった。
>>38 > へぇー、日本にも残ってないんだね。超エリートのはずなのに。
> 留学つーても死ぬのが半分デフォの外交官だたーら
> 名前ぐらい記録しといてやれよなー >藤原氏
> って冷泉家ひっくり返したら文献あったりして。
遣唐使は外交官ではありません。唐の文化を学ぶ為の留学生です。
また、遣唐使として派遣される人達は還学と留学の2パターンがあり、
エリートは還学の方です。
あと、藤原氏への誤解が濃厚ですな……(´ω`;)
平安初期の838年、遣唐使として唐へ渡った円仁の生の日記があります。
興味のある方は読んでみるといいと思います。>『入唐求法巡礼行記』
また、井上靖の『天平の甍』も遣唐使が主人公でなかなか面白いですよ。
47 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:47:32
112 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 11:46:29 WZ93IVbs
唐名といえば小野妹子→蘇因高が有名だな
113 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 11:52:47 t+yotINH
帰化系でなく、渡来系というのが一般的なのか。
おれが習ったときは渡来系なんて言葉は使ってなかったのに。
114 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 12:07:11 2TzhPnqG
葛井寺(ふじいでら)
●交通● 近鉄南大阪線「藤井寺駅」下車、南へ5分。
藤井寺という地名の起源となった寺で、百済系王氏の子孫
である葛井連の氏寺と伝えられています。
このネタで、チョンと語る時は、注意。
帰化してるのだから日本人なんだが、「百済系だから在日朝鮮人」として
「ウリナラマンセー在日認定」する可能性があるからね。
48 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:48:28
116 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 12:18:24 JN0wRAWB
>>113 > 帰化系でなく、渡来系というのが一般的なのか。
> おれが習ったときは渡来系なんて言葉は使ってなかったのに。
それはね、ど腐れチョソの抗議で変わったんだよ。
アイツらが言うには、帰化って言葉には文化の低い国の人間が高い
国に同化したってイメージがあるからおかしいんだとよ(プ
49 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:48:56
115 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 12:08:14 BNQUokgX
>>85 > 遣唐使は外交官ではありません。唐の文化を学ぶ為の留学生です。
> また、遣唐使として派遣される人達は還学と留学の2パターンがあり、
> エリートは還学の方です。
おいらが了解してた遣唐使の目的は
第一に時の権力者が自らの権力を権威付ける為
第二に朝貢貿易による利権
第三に留学(還学?)生による文化の接収
と考えてたのだが違うのかい?
確かにこの頃は藤原北家が完全に掌握しちゃってるから、派遣当初の
第一義の理由は薄いかもしれないが、おかしなヤツを留学させたら
それこそ国威にかかわる訳で選ばれた人間しか乗船できないと思うのだが。
あと >還学と留学〜 還学てのは文化を持ち帰ってくる一時留学
て事だろうけど、この時代の留学生ってのはデフォは逝きっぱなしかい?
おいらは全ての留学生はいつかは日本に帰ってくるもんだとおもってたが?
逝きっぱーの学生を乗船させるメリットは権力者にとって殆ど無いと思うのだが。
> 藤原氏への誤解が濃厚ですな……(´ω`;)。
つーのはどういう事かな?
第一義の理由が薄れた遣唐使は利権化してると思ったので、誰かは詳しくは
知らんが、時の北家当主の旗振りで派遣されていたんではないの?
少なくとも国家事業の側面も大いにある訳だから公文書や日記等に詳しく
乗員名簿や朝貢品目、出港日等が記録されていると思って「冷泉云々」に
なったんだけど? なんか誤解してる?
紹介さんくす『天平の甍』の方は映画も見たし読んだけど忘れちゃったw
50 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:49:51
118 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 12:32:08 swcZ/uSW
>>85 > 遣唐使は外交官ではありません。唐の文化を学ぶ為の留学生です。
> また、遣唐使として派遣される人達は還学と留学の2パターンがあり、
> エリートは還学の方です。
誤解があるようですね。
遣唐使の目的は、
・両国間の外交事務
・貿易
・文物制度の吸収。
というまとめ方がいいとおもいます。
大使と副使は、外交官ですから、当然、業務が終わったら早めに帰ったわけです。
留学生は唐の国家の補助を受けながら勉強しました。
長くいたのは結果的にそうだったのであって、帰る予定であったことは疑いないと思います。
留学僧は、国家補助と民間の援助の両方をえられたので、中国を広く歩き回った
ような人もいたようです。
遣唐使の停止は、唐自体が事実上黄巣の乱で滅んだことが原因です。
51 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:50:16
124 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 12:48:19 uNRop4d9
空海や最澄といった留学僧なんか、現地で厚遇されたようだね。
遣唐使と遣隋使では、唐のほうが圧倒的にグローバルだ。
あと、この時代の貿易は朝貢貿易だ。
行き先の政府が権威付けに行うので、使節の扱いは大々的で親切だ。
問題は、非対称な貿易なので、朝貢するほうが圧倒的に儲かること。
正倉院の御物は朝貢貿易と留学僧の収集文物が中心だが、唐の流行が金ぴかだったのに対し、地味なハイテク職人芸が圧倒的に多い。
奈良時代の日本にとって、金なんか河で取ってこれるもので、大して価値が無かったのですね。
反面、唐の文化を丸ごと持ち帰った審美眼は大したもの。遣唐使のレベルの高さがうかがわれます。
125 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 12:56:00 bZSumKqz
>>124 中国は伝統的に国粋主義が強いが、唐というのは中国で例外的なくらい国際的だった時代らしいね。
まあ元ははっきり征服王朝だからもっとそうだっただろうけど。
唐の時代は儒教でなく仏教が優勢だったこともそういう雰囲気に影響しているという人もいる。
52 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:51:36
133 名前:67 投稿日:04/10/11 13:58:55 i2CbdFaf
こうして異国で玄宗皇帝の信任も得て出世を重ねていった阿倍仲麻呂も、56歳の高齢になり、ようやく上述の如く、
「中国側の使節」という形での一時帰国とはいえ、祖国・日本に戻れることになったわけだ。しかしながら、無情にも
この船団は、阿児奈波島(沖縄本島)に到着後、北の奄美に向う途中で暴風雨に遭遇。阿倍仲麻呂が大使の
藤原清河らとともに乗った第1船だけは遠く南に押し流され、驩州(現在のベトナム北部・ヴィン附近)に漂着する。
ベトナムに漂着した阿倍仲麻呂たち一行は、土地の盗賊に襲われたりして、170余人が死んだといわれる。
しかしながら阿部仲麻呂と藤原清河は奇跡的に生き抜いて、755年6月、長安にたどり着く。阿部仲麻呂たちは、
既になくなったと伝えられていたため(交友のあった唐の詩人・李白(701年〜762年)は遭難の知らせを聞いて
「晁卿(仲麻呂の中国での名前)の行を哭す」という七言絶句を作っている)、この長安への帰還は、人びとを驚かせた。
http://www.mekong.ne.jp/linkage/abenonakamaro.htm 仲麻呂は一度死んだと思われてたんだね。まあそれでも仲麻呂50代のときだから
井真成と同一人物とするには無理かもしれない。
一応報告まで。
53 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:51:39
阿倍仲麻呂の例もあるので断言できないが、
鮮卑族王朝である唐代には漢族風じゃない名前の高官が沢山記録に残ってたりするから日本人が漢族風に名乗るのはちょっと不思議なんだよね。
54 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:52:13
151 名前:( ´台`)v(´▽` )ノ750 投稿日:04/10/11 17:38:17 lTl0Q0mj
>>125 元の時代も国際的だった。このころは中央アジア、西アジアまでモンゴル皇帝家の分家のハン国が治めてるから、スケールとしてはこっちのほうがでかいな。
ちなみに元は正式には大元モンゴル国といい、モンゴルが本領。中国王朝としての元はあくまで中国総督府にすぎない。元の皇室もチンギスハーンの正当後
継者オゴタイハーンの家より家格は下になる。まあ実力で圧倒しちゃったけどね。
152 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 18:10:00 d1U/WZjR
遣唐使とか遣隋使は近代史で言えば、明治維新後の洋行みたいなもの。
侵略されるより独立をということ。
コピペウザイよ
56 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:53:39
153 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 18:12:51 HGKzmlP/
85
>>115 けっこう勉強なさってる方のようですね。
歴史系板ならばともかく、こういう板なので、ちょっと頓珍漢な人だなと思い、
めちゃくちゃ大雑把に反論させて頂きました。その辺は謝罪します。
>第三に留学(還学?)生による文化の接収
遣唐使=全員外交官という感覚で仰ってるのかと思いました。
私が言いたかったのは留学生は学生である、という点です。
本人の出来が良く、たまたま唐で任官される事もありましょうが、基本は学生です。
> 確かにこの頃は藤原北家が完全に掌握しちゃってるから、
まだ掌握していません。この時代は元明天皇の時代であり、
藤原不比等が娘を硬質に入内させて基盤づくりをしている最中に過ぎません。
つまり、他の豪族たちと同レベルかやや頭ひとつ抜きんでいた程度。
北家の台頭は、南家、式家が没落した平安時代を待たなくてはなりません。
> あと >還学と留学〜 還学てのは文化を持ち帰ってくる一時留学
> て事だろうけど、この時代の留学生ってのはデフォは逝きっぱなしかい?
当然留学生も帰国するのが筋ですよ。 しかしあきらかに差はありました。
> > 藤原氏への誤解が濃厚ですな……(´ω`;)。 > つーのはどういう事かな?
これについては上記にも説明しました。 また、冷泉家について誤解があるようですが、
これは藤原氏の一員ではありますが、 すでに主流の藤原氏から外れた傍系です。
始祖は鎌倉時代の中流貴族である藤原定家で、藤原本家から遠く隔たっていました。
115さんが見たいと思うような史料に関してはですね。
もしもあったとしても今ないというなら応仁の乱で焼けちゃったのかもしれません。
57 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:54:50
178 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/11 21:16:59 rGFemnYO
国号・日本の由来
もともと日本は「大和(ヤマト)」という国号でした。
大和は国のまほろば(理想郷)、たたなずく青垣、山籠もれる。大和し、美わし。
(やまとはくにのまほろば たたなずくあおがき やまごもれる やまとし うるわし)
これは倭建命(ヤマトタケル)の歌です。
『万葉集』では〈ヒノモトのヤマト〉と云うよう、古くからの国号である大和にかかる枕詞
として用いられていました。聖徳太子が隋に対して「日、出ずる国より、日、没する国へ・・・」
という手紙を渡し、隋の煬帝を大変怒らせてしまったことは歴史的にも有名ですが、その後、
天智天皇二年(663)8月27日「白村江の戦い」の後、天智天皇が国号を其れまでの
倭国から日本に改めました。奈良時代初期、それまで口伝だった大和民族の歴史が
古事記という形で記述され、ヤマトタケルは”日本武尊”とも表記されるようになります。
奈良時代の日本と朝鮮との関係は「日本>朝鮮」でした。格下の朝鮮ごときが日本の
国号の名付けに関わったなど、妄言もはなはだしい。ウェーハッハッハッハッ……(´ω`)。
いつまでコピペ続ける気?
59 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:56:08
>>45 186 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 投稿日:04/10/12 03:26:57 Y6+Yoxue
この報道の真意は、「唐の恩に報いる為に
支那人留学生をもっと受け入れ手厚い保護を与えましょうね、
恩著せがましくせず恩に報いるように」と繋げて
九割が落ちたらしい支那人留学生の選考を
有名無実化ないし白紙撤回させる事にある。
本件を美談として扱うのはいいが、それと現在の政治的決断は別だ。
以下蛇足。既出の通り、共産支那と唐の間に連続性は無い。
また唐は対外膨張主義で、だからこそ当時の日本は、
危機感を抱いて敵情視察・文物摂取を行ったのだから
一方的に恩を感じる必要も無い。
60 :
日本@名無史さん:04/10/13 23:56:41
>>58 これで終わり。せっかく良い情報がもったいないので。
>>60 中国がらみだとフィルターがかかったようなものの見方しかできない人がいる
という例ですね。ありがとう。
62 :
日本@名無史さん:04/10/14 00:18:45
>>61 このスレでネタになりそうな情報は全て出すという意味で。
63 :
日本@名無史さん:04/10/14 00:22:37
>>62 実際中国は中華思想と共産主義で偏った政策を続けており
フィルターのかかった外交をしてきているので
嫌疑をかけずに見て額面どおり信じると騙されるからねぇ。
64 :
日本@名無史さん:04/10/14 00:24:55
>>63 事実中国国民は共産党に騙され続けています。
日本史板的興味としては、そんな中国の事情よりも、
どういう素性の人物なのかって言う点だろう。
66 :
日本@名無史さん:04/10/14 00:52:10
>>65 61のレスが下記のようなものだったから
> 中国がらみだとフィルターがかかったようなものの見方しかできない人がいるという例ですね。
実際に提供している情報は日本国内の状況や日本の政治状況等
参考になりそうなものは全て入れています。
しかし主題は遣唐使であり、中国で生涯を終え、中国で葬られ、
この時期に中国政府から発表されたという側面もあります。
勘違いに満ちた記事ばかりだな。
たとえば、尚衣奉御を与えられたことが如何にも重大事であるかのように
書かれているけど、死後に贈られる官位は殉職に伴う二階級特進みたいなもの。
しかももらえる奴はそれこそ一・二品クラスを追贈してもらえる場面で
たかだか従五品上止まりなのだから、正直たいしたことない。
というか生前の官はそれ以下なわけで、五品に満たないのだから所詮は下っ端役人、
謁見できないし、当然「皇帝にその死を惜しまれた」なんてありえない。
>ほぼ同年齢の仲麻呂は、真成が死亡した年に従五品下に昇格しており
>2人は似たコースを歩んでいた可能性が強い。
なんて記事は、殉職して恩給は警部扱いの巡査部長と、現役キャリア警部を
混同しているようなもの。全然似てねぇよ。
つーか墓誌は、死人のために歯の浮くような文言をプロが書いてやるもの。
どれだけ文中で褒められていようが、せいぜい話半分で読むのが当然。
「体はここに埋められようと魂は日本に帰る」も単に慣用表現。
まあ実際のところは、
「我が国で奉職していた日本人が死んだので、気の利いた葬式でもあげて
かの国に陛下の温情を示してやってはいかがかと」「可」
とかゆう上奏と詔があってこうなったんだろう。
あんまり騒いだってしょうがないわ、これ。
>>28 『三代実録』元慶三年十二月十五日条に見える井上伊美吉真雄の
あるいは貞観五年九月五日条などに見える兵部少録葛井連居都成の
先祖の一族。
>>68 卑屈にならなくてもそんなものだろうよ。
だからといって興味深さは別に変わらないけど。
71 :
日本@名無史さん:04/10/14 20:48:09
>>32 留学生名簿がどこかに残っている可能性は無いのだろうか?
72 :
日本@名無史さん:04/10/14 21:27:51
反日宣伝を飯の種にしている全体主義国から出た情報なんぞを鵜呑みに出来るかボケ。
>>71 正倉院とか漁ったらあるのかもねえ。
でも、それならとっくに調べられてるだろうから、
多分残ってないんだろうね。
74 :
日本@名無史さん:04/10/15 00:05:59
なんでこのスレコピペばっかなの?
>>13 >美しい墓誌だと結構盛り上がってたけど
どこが?w
1〜20ぐらいまで張ってあげようか
75 :
日本@名無史さん:04/10/15 03:26:41
>>74 > なんでこのスレコピペばっかなの?
ニュー速+と東アジアnews+にあったスレの中で面白かったカキコを
残さずこちらに移したから。
ニュー速+と東アジアnews+のスレはすぐ過去ログに行くので
多分長く続くこちらの日本史スレの議論のネタに使えるだろうと思ったから。
76 :
日本@名無史さん:04/10/15 15:11:48
>>10 > 今日、大学の先生が授業時間を目いっぱい使って嘘だということを証明してた・・・
> あの墓誌の文は当時の中国ではありえないものらしい(途中寝てしまったから
> 詳しくはわからない)「どうせ騙すつもりならもっと上手く出来なかったんですかね?」
> とまで言ってた。
もし歴史に強い人があの墓誌を捏造だというなら
どんなところが真実とは言いがたいの?
教えてエロい人。
ていうか与太話でしょう。
実物も見ないで偽物と断定する教授がいたらその学識を疑う。
78 :
日本@名無史さん:04/10/15 17:57:06
状況は限りなくクロに近いよ。
死後の追贈でもたかだか五品官、
無名で記録や史料における裏付けが皆無。
この状況で真に受けるような奴が居たら、そいつは詐欺師の得意客。
問題は、当時の中国でこういう墓誌を作るのが一般的だったのか、
きわめて特殊なことなのか、他に当時の墓誌は発見されているのか、
文面に当時ではありえないような用語が使われたりしていないか、
彫られている字の字体はどうなのか、
このあたりが真贋の決め手になると思うが、誰か詳しい人教えて。
葛井氏系図
白猪史
百済貴須王・・・・(四代略)・・・・午定君─┬味沙──胆津──己都──宝然──┐
├辰爾・・・・[船連] │
└牛・・・・[津連・菅野朝臣] . . │
┌────────────────────────────────┘
│ 葛井連
└─道麻呂─┬大成〔筑後守〕───道依───藤子〔平城帝妃・阿保親王母〕
├広成〔中務少輔〕──根主
├乙成
└(真成?) ←推定
81 :
日本@名無史さん:04/10/16 09:30:45
>>79 過去ログを読んでみると「日本」という国名を使っているのも
一つの謎解きの鍵のようだが。。。
当時唐は日本を「倭」と読んでいたの?
それとも「日本」?
武則天あたりから後ろは日本
仲麻呂はどの位を追贈してもらったの?
84 :
日本@名無史さん:04/10/16 18:54:23
日本の国号は7世紀後半に高句麗の高僧によって命名された 。
こうした事実を隠蔽する教科書は許さん!
>>78 言ってることが分からん
むしろ捏造なら有名人の名前を使うだろうし、五品という中途半端な位階にはしないと思うが
86 :
日本@名無史さん:04/10/20 12:16:47
続報はないのかなぁ
>>85 有名人や高位の人間にすると、他の資料とつき合わせて捏造がばれる可能性がある
から、無名の人間にしたと言いたいのだと思う。
88 :
日本@名無史さん:04/11/01 17:57:53
lヽ ノ l l l l ヽ ヽ
)'ーーノ( | | | 、 / l| l ハヽ |ー‐''"l
/ O | | |/| ハ / / ,/ /|ノ /l / l l l| l O ヽ
l ・ i´ | ヽ、| |r|| | //--‐'" `'メ、_lノ| / ・ /
| D l トー-トヽ| |ノ ''"´` rー-/// | D |
| ・ |/ | l ||、 ''""" j ""''/ | |ヽl ・ |
| A | | l | ヽ, ― / | | l A |
| !! | / | | | ` ー-‐ ' ´|| ,ノ| | | !! |
ノー‐---、,| / │l、l |レ' ,ノノ ノハ、_ノヽ
/ / ノ⌒ヾ、 ヽ ノハ, |
,/ ,イーf'´ /´ \ | ,/´ |ヽl |
/-ト、| ┼―- 、_ヽメr' , -=l''"ハ | l
,/ | ヽ \ _,ノーf' ´ ノノ ヽ | |
、_ _ ‐''l `ー‐―''" ⌒'ー--‐'´`ヽ、_ _,ノ ノ
 ̄ ̄ | /  ̄
89 :
日本@名無史さん:04/11/21 00:23:06
たぶん中国はいっぱい持ってんだね。日本関係の資料。
で、外交上必要な時に小出しにする
91 :
日本@名無史さん:04/12/03 16:04:14
へー
93 :
日本@名無史さん:04/12/28 22:33:41
94 :
日本@名無史さん:05/01/09 20:53:36
この人の記録が日本で見つかれば完璧
95 :
日本@名無史さん:05/01/25 00:35:39
安倍一族なのかな?
>>13>>75 ttp://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1097464730/ 2 :名無しさん@5周年 :04/10/11 12:19:07 ID:ql+v/qER
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
┃ ▼よく分かる朝鮮の歴史
┃
┃有史以前 : 原始人が生息。
┃2世紀 : 中国軍(漢)の駐屯地になる。
┃4世紀 : 日本(倭)の属国になる。
┃7世紀 : 中国(唐)の属国になる。
┃13世紀 : モンゴルの属国になる。
┃14世紀 : 再度中国(明)の属国になる。
┃17世紀 : 明が滅亡し、清の属国になる。
┃20世紀 前半 : 日本の属国に なる。
┃20世紀 後半 : 北半分がソ連の、南半分がアメリカの属国になる。
∧_∧ 。
( ´∀`) / <これでテストは満点 E[]ヨ
(つ つ ━━━━━━━━━━━━━━━━
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
| | ((⌒⌒)) ((⌒⌒))
| | | | | |
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ∧_∧ ∧_∧
歴史教科書でこんなに教えますか?><`Д´# > <`Д´# > <再び勉強する.!
と ⊂ )⊂ ⊂ ) \
______| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
3 :名無しさん@5周年 :04/10/11 12:19:10 ID:q4uQ8yRl
2
4 :名無しさん@5周年 :04/10/11 12:19:15 ID:8HPn58ng
アイコタソ様が2get
97 :
日本@名無史さん:05/02/06 01:39:26
5 :名無しさん@5周年 :04/10/11 12:22:49 ID:xlXbw0M3
結構すごいニュースだと思うんだけどなあ
阿倍仲麻呂と一緒にいたのかな
6 :名無しさん@5周年 :04/10/11 12:23:44 ID:aHukPfoe
この墓は支那人に荒らされそうだな
7 :名無しさん@5周年 :04/10/11 12:23:48 ID:hvgg8kVe
どうやって言葉が通じるんだろうといつも思う
8 :名無しさん@5周年 :04/10/11 12:24:15 ID:bgaAw09+
これを今この時期に出してきた中国側の地政学的な意図は何?
9 :名無しさん@5周年 :04/10/11 12:24:28 ID:brQaji9/
中日友好アルの腐臭がプンプン
10 :名無しさん@5周年 :04/10/11 12:25:28 ID:awwax4p2
で、支那畜はこの一件をどう反日政策に利用する気なんだ?
今日の朝日夕刊に先月のシンポの記事出てたよ。
鈴木教授は井上氏説で、白猪から葛井への改名時期から葛井氏説には
否定的なようだけど、中国側教授の指摘(日本名と中国名はたいして関係ない)と
>>80を見る限りでは井上氏出自とみて良さそうですが、どうなんでしょ?
99 :
日本@名無史さん:05/02/23 02:20:03
しかし、井上真成って、そんなやつ、聞いたこと無いぞ
100 :
日本@名無史さん:05/02/23 23:05:41
仏像レリーフ大量出土、異国風5人の群像も 奈良・御所
http://www.asahi.com/culture/update/0223/009.html 奈良県御所(ごせ)市北窪で、7世紀末の古代寺院の金堂とみられる建物跡が出
土し、一緒に仏像の土製レリーフ(セン仏=「セン」は「土」へんに「專」)の破
片約200点が見つかった。いずれも白鳳美術の逸品で、これまで国内で出土例が
ない異国風の顔立ちの5人の群像もあり、細部までくっきりと残っていた。県立橿
原考古学研究所が23日発表し、古い地名から「二光寺(にこうじ)廃寺」と名づ
けた。
破片をつなぎ合わせたところ4種類のレリーフの一部とわかった。このうちほぼ
全体の構図がわかる「方形三尊セン仏」(縦22センチ、横13センチ)は中央に
如来、左右に菩薩(ぼさつ)が並び、空を舞う飛天も見える。阿弥陀如来の周囲に
僧らが配された「大型多尊セン仏」(推定55センチ四方)の一部とみられる5人
の群像はエキゾチックで、インドやペルシャの影響を指摘する専門家もいる。
百橋明穂(どのはし・あきお)・神戸大教授(美術史)は「如来や飛天からは大
陸の影響を受けた当時の白鳳美術らしさが伝わるが、西域を思わせる群像の顔立ち
は異彩を放っている」と話す。
現地説明会は26日午前9時半〜午後4時。近鉄忍海(おしみ)駅から奈良交通
の有料専用バスが運行。北東約200メートルで見
つかった「極楽寺ヒビキ遺跡」の説明会と並行して開かれる。
102 :
日本@名無史さん:05/02/28 00:21:54
最古の国号「日本」てのはどうも台湾の論文に引用した記述があるらしいじゃん。
103 :
日本@名無史さん:05/02/28 01:24:53
藤原紀香が2002年日韓国民交流年の日本側親善大使として韓国へ行き、
金大中大統領を表敬訪問した。そのとき、金大統領から「遣唐使の志で頑張ってください」と言われたそうだ。
捏造だと思う。
だまされるなよ。
こんなものが今時発見されるわけがない。
政治的捏造イベントは明々白々。
馬鹿なNHKなど大騒ぎで特集なんだろうけど。
ho
106 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 22:48:36
ウホッホ
107 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 22:54:43
というか、遣唐使自体、そんなたいしたものじゃなかった、
たんなる儀礼的なもので、日本文化に影響を与えたとか
そういう性質のものではなく過大評価され過ぎ、
というのが最近の学会の主流。
108 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 00:15:48
110 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 21:51:03
西安は反日デモの噂もきかないし、GWに行っても大丈夫かな?
111 :
日本@名無史さん:2005/05/05(木) 22:40:13
いっていいよ
で、行ってきたの?
113 :
日本@名無史さん:2005/05/27(金) 22:56:48
西安、数年前は秋に「城壁マラソン」やってましたね。
あと、JASの数少ない国際線航路でもあった。
114 :
日本@名無史さん:2005/05/27(金) 23:13:56
さんざん既出だろうが、唐って皇帝がトルコ人だろ。タクバツ氏出身だよ。
それを漢民族の坊主に暴かれて怒り狂ったらしい。
だから日本人が出世したとかいっても驚くにはあたらない。支配者が漢民族
の出じゃないんだから。異民族も使うだろ。
日本人って、唐を漢民族の典型とみてるようだけど、実は異民族王朝に近い
らしいね。
115 :
日本@名無史さん:2005/05/27(金) 23:33:28
>>114 それは現代の学者が唐室は鮮卑系だろうと言ってるってことで
当時の唐では老子の子孫ってことになってた
116 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 03:35:07
漢民族じゃないといえば秦の始皇帝も漢民族じゃないし。
何民族の出身だろうが大陸を統一した覇者がすなわち中華の王者なんだよ。
117 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 00:20:10
>>114 異民族王朝に近いってのはちょっと違うな。
あれは異民族と漢民族が混ざり合った上で出来た新しいタイプの中華帝国。
ちなみに真成君は全くといっていいほど、出世していないでしょ。
118 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 19:08:47
>> 西安市内の工事現場で見つかり個人が収蔵していたものを西北大の博物館員が収集した
出土がかなり怪しい
日中でもめているという状況で発表時期的にも怪しい
>> 死を惜しんだ玄宗皇帝が高官の役職を贈った
>> 死後に皇帝から贈られたのは、その近くに仕える「尚衣奉御」(尚衣局の責任者)という、従五品上の役職
死後に従五品上を贈呈なのに、皇帝から死を惜しまれた身分とは?
>> 姓は井、字(あざな)は真成、国は日本と号す
>> 開元22年の1月に官舎で亡くなった
734年だから、もし本当ならば、日本という国号が唐で使われた初事例だね
そういや、旧唐書では、倭と日本は別扱いだっけ
119 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 21:41:31
>>118 「日本」の使用例で、もっと古いのがあるらしいけどね。
井真成墓誌の最初のシンポジウムでも言及されたらしいけど、
つい最近日本でもそれについて論文が発表されてたよ。
雑誌名も著者名もタイトルも全て失念してしまったのはもうしわけない限り。
日本史の論文で遣唐使の研究やっている人だったと思うけど。
ちなみに7/7に学習院大学で真成墓誌に関する気賀沢先生の講演会があるから、興味のある人は行ってみては?
120 :
199:2005/06/15(水) 21:42:40
あ、ちなみに
>>119で挙げた墓誌は台湾の古物商が所有していた由。とっても怪しい。
実は真成墓誌も古物商の持ち込み、って話らしいね。
121 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 03:06:14
122 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 01:26:24
>25 名前: 名無しさん 投稿日: 2000/04/30(日) 14:48
>継体天皇の墓と思われる、今城塚出土と伝える墓誌があって、
>それによると、継体天皇は越前の豪族で、先祖は須佐男尊に結び付けられており、
>応神天皇の子孫ではないそうです。
日本にも墓誌ってあったんだ?
123 :
日本@名無史さん:2005/07/03(日) 06:21:42
あるよ。船王後、小野毛人、太安万侶などが有名。
文忌寸祢麻呂・威奈真人大村・下道圀勝/圀依母夫人・伊福部徳足比売
僧道楽・山代忌寸真作・小治田朝臣安萬侶・美努岡萬連・僧行基・
石川朝臣年足・宇治宿祢某・高屋連牧人・紀朝臣吉継
元明天皇の陵碑はどうかな・・・
125 :
捏造進行中:2005/07/23(土) 19:32:14
126 :
日本@名無史さん:2005/07/24(日) 13:44:00
>>125 どんな事があろうとも
>遣新羅使、遣渤海使が韓国に留学した
だけは嘘だな
127 :
日本@名無史さん:2005/07/24(日) 17:28:08
東博行った
つまんねー展覧会
しょぼ杉
128 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 14:57:48
>つまんねー展覧会
遣唐使船の模型、井真成の墓誌、あと唐三彩の置物など・・・
出品点数少なすぎ。馬の置物とかはよかったが、あとはどうでもいい。
焼き物マニアでないと、たいして面白くない。
129 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 21:01:46
130 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 00:17:59
131 :
日本@名無史さん:2005/10/06(木) 00:48:45
133 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 21:29:50
落ちるよ
135 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 23:27:59
遣唐使は十数年に一度の不定期
136 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 01:19:43
堺雅人が井真成に扮したNHKの特番があるらしいから保守。
番組の構成は昨日のNHKのよりは今日のTBSのが良かった
墓誌の訳しかたはNHKの勝ち
NHKのは堺雅人が真成の格好して中国の大学で聴講してたりシュールで笑えた。
TBSの実況板いったらひどいひどい
あれが一般的な2チャンネラーってやつなんだろうか?
138 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 08:10:46
139 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 17:21:58
age
あけおめことよろ
141 :
世界@名無史さん:2006/01/10(火) 15:31:22
日本国号が701年の大宝律令以前に遡れないかな?
井ア
井部
144 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 00:04:22
。ρ。 ううっ!出るっ!!
ρ  ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
mドピュッ
C|.| /⌒⌒⌒ヽ/~ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
/⌒ヽ⌒ヽ___ | ∴ヽ 3 )
./ _ ゝ___)(9 (` ´) )
/ 丿ヽ___,.───|彡ヽ ―◎-◎-|
_/ ) ( Y ̄ ̄ ̄ ̄)
(__/ \____/
maintenance
147 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 11:18:48
うほ
148 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 21:47:46
maintenance
150 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 04:43:03
阿倍仲麻呂
151 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 04:44:38
152 :
日本@名無史さん:2006/05/18(木) 04:45:59
昨年10月、西安で、唐代の日本の遣唐使として中国に渡り、そのまま唐の玄宗皇帝に仕えた日本人留学生、「井真成」の墓誌が発見され、大きな話題となった。この墓誌をどう読むかについて、中日両国の専門家や学者がシンポジウムを開催したり、論文を発表したりしている。
153 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 16:52:50
すごい
154 :
日本@名無史さん:2006/06/18(日) 17:53:02
>>138 それが本当ならスゴーイ。
雲南大理か…いいところだね。
大理王国は、漢民族に最後まで抵抗した誇り高き仏教国だ。
阿倍仲麻呂は、李白のお友達だった。(意味なし)
test
156 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 07:19:14
ところで、井真成って、本当にいたんか?
大阪あたりの帰化漢人の子孫だという噂だが。
157 :
日本@名無史さん:2006/06/27(火) 07:12:10
井上氏。
葛井だろ
159 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:19:52
帰化人だろう。
160 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 21:58:32
豆知識。
井上氏(いのへし)、葛井氏(ふじいし)と読む。
どちらも、帰化系氏族。
井真成は、このどちらかの氏族の出だと思われる。
161 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 21:14:05
本当か?
162 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 20:56:56
本当だよ。
163 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 23:18:38
信じられん。
164 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 18:08:39
本当だ!
どうせ捏造だろ
チョンコ君の名言集
↑はい。よくできました。さぁ 次は外に出てみよう
大きな画用紙に今カキコした内容を力強い文字で二枚カキコし、紐で二枚の画用紙を繋ぎ 首からぶら下げ街の中を行進しよう。
君なら出来る。絶対出来る。出来たら「あんたが大将」
いや。所詮はチンケなチンカス野郎、今でもゲリラ的に荒らしている様だが
出来た所で一つか二つのスレ潰すだけの半端者。 どうせやるなら「2ちゃん」全てを潰すつもりでやらなければな 手っ取り早く経済的に乗っ取るとか
法的拘束をするとか
結局チンケなチンカス野郎には縁の無い話し
とんだオムツ野郎だよ
「男系断絶」スレを荒らしてる奴は
埋め立てか容量オーバーまで荒らすからな
立派なもんだよ
崇り神はチンケな荒らしだよ
どうせやるなら、埋め立てまでやれ!
おい
それでおしまいか?
半端者のチンカス野郎が。
中途半端なチンカス野郎
意気地無し
だからお前はダメなんだよ!荒すなら徹底的に荒らしてみろ
中途半端で止めるなら最初からやるな……半端者が
このスレ主として嘆願致します。
☆の無意味なコピペこれは単なる悪戯とは判断しかねます。
過去にも同じ様な荒らし行為を関連スレにて見受けられ、もはや限度を越えた行為と判断し
スレ主として
☆レス者の『アクセス禁止』を嘆願するしだいです。
何卒御判断の末、アク禁依頼代行をお願いするしだいです。
自治スレ諸氏方へ
167 :
日本@名無史さん:2006/08/21(月) 11:18:07
ほほー
169 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 14:05:10
「男系断絶」スレを荒らしてる奴は
埋め立てか容量オーバーまで荒らすからな
立派なもんだよ
崇り神はチンケな荒らしだよ
どうせやるなら、埋め立てまでやれ!
おい
それでおしまいか?
半端者のチンカス野郎が。
中途半端なチンカス野郎
意気地無し
だからお前はダメなんだよ!荒すなら徹底的に荒らしてみろ
170 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 18:32:58
h
この「井真成」って帰化名が必ずしも日本名に由来するとは限らないんじゃ?
古代から中世にかけて入唐した人物全ての向こうでの呼び名を調べるとかしてるんだよね?
173 :
日本@名無史さん:2006/12/29(金) 22:32:59
調べたってわからんだろ。
小野妹子は蘇因高、阿倍仲麻呂は朝衡だっけ?
175 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 01:10:03
このころ唐への朝貢国の中で、日本の序列は最下位くらい?
176 :
日本@名無史さん:2007/01/06(土) 17:22:29
東の第一席が日本よりも格下の新羅である事を唐に抗議して、新羅と席次を交替させた記録が残っている。
西の第一席とどちらが格上になるのかは不明だが、上から1番目か2番目に入るのは確実だね。
177 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 01:21:25
178 :
日本@名無史さん:2007/02/22(木) 13:35:47
>>174 何を由来につけたのか禿しく気になる…。
179 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 17:05:06
ほー
蘇因高は名前の音からとったって読んだことがあるけど。
当時の発音がよくわからない、誰か詳しい方おられませんか?