956 :
寿明姫は発育不全:
家定には、天璋院で知られる篤子姫の前にふたりの御台所がいました。
一人目の御台所・鷹司政熙の女(むすめ)・有姫は、才色兼備で鼓をよくし、舅の徳川家慶にも気に入られ、
家定との仲もむつまじかったそうですが若くして死去します。
二人目の御台所一条忠良の女・寿明姫は発育不全で、子供のように小さかったと言われます。
寿明姫も若くして亡くなります。
こうして、三人目の御台所として迎えられたのが篤姫でした。
957 :
家定 一説には脳性麻痺:2006/06/17(土) 11:15:52
家定は就任直後から後継問題が浮上するほど体が弱く、
一説には脳性麻痺だったとも言われているが、
将軍として指導権を示すことが出来なかった。1858年に死去、享年34。
家定は、庭の鳥を追いかけるなどする子供のような将軍であり、
煮豆やふかし芋などを作っていた為、松平慶永(春嶽)から「イモ公方」
などと呼ばれていたという。
また、ハリスと引見した際、頭を後方に反らし、
足を踏み鳴らすという異常な行動もとったといわれている。
958 :
毒殺されたという説:2006/06/17(土) 11:18:17
その死は慶福が後継ぎに決まった直後であった為、
一橋派が家定を毒殺したのではないか、という説や、
逆に南紀派に毒殺されたという説がある。