929 :
後西院:
「徳川家に対して不穏な企をなす者は帝にてもかくのごとし」と、
仙洞御所に竹矢来を張るのでは費用が大変だからと、今の京御所、
御苑に鳥小屋の如き牢舎を作って幽閉した。ここを凝華洞と呼ぶ。
930 :
櫛笥内大臣隆賀養女:2006/06/16(金) 21:48:46
931 :
凝華洞:2006/06/16(金) 21:52:35
「桂宮邸趾」の史蹟の日蔭に、
「後西院天皇の仙洞凝華洞趾」
棒杭みたいな標識があった。
北向きの陰湿な地面にかつて存在した凝華洞とは何なのか?
歴代の帝は退位後は仙洞御所へ入らせ給う慣しなのに、この帝のみが畳十四、五枚
の狭隘な、「凝華洞」に入れられ給うた謎はなんであるのか。