919 :
御側御用人・柳沢美濃守:
これがため元禄元年十一月には柳沢に一万石の加増が言い渡された。
しめて一万二千三十石である。
正式に「御側御用人・柳沢美濃守」の役目にもなった。
元禄三年四月二日に、将軍綱吉は千代田城大広間で、
自ら仕舞いをして諸大名に参観させた。
それゆえ当日は舞の後でも機嫌が良く柳沢へも、
「染子の児は如何であるか」と珍しく見せて尋ねたりした。
920 :
五十五回も柳沢の屋敷に立ち寄る:2006/06/16(金) 17:52:13
「はあ明けて数えのおん五歳、おん健やかにて」と答えたところ、
「もう五つにあいなるか、では何かと物入りであろうな」と即座に、
二万石の加増が言い渡され、しめて三万二千三十石である。
これはどう考えてみても、今度の加増とてこれまでの忠誠の報酬ではなく、
染子の産んだ児を預かっていることへの里親扶持のようなものである。
この後、綱吉は生涯五十五回も柳沢の屋敷に立ち寄る異例な行動をとる。