【男子禁制】大 奥【女の園】

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910染子
六代将軍になる家宣の許へ、京より近衛関白家の姫君が輿入れをしてきた。
その時近衛家から供をしてきた中に、当時十三歳の染子が選ばれ混じって
東下りしてきていた。さて、大奥の一の井戸の御番というのは、
将軍家がおなりになって泊まられる時、縁の下にずらりと水を汲んだ
手桶を並べておき、庭石の所でまじろぎもせずに見張っておらねばなら
ぬ役目である。
911日本@名無史さん:2006/06/16(金) 14:58:44
バルサン院
912一の井戸番:2006/06/16(金) 15:29:43
将軍が大奥へ渡ってきて泊まられるというのは、
なにも一人で寝にくる訳ではない。必ず御添い寝する女人が寄り添うの
だから、それからの事の成り行きを眼ばたきもせずに、
始めから終わりまで見て居るのは、経験の有無を問わず、
やはりとても目に毒である。それゆえ一の井戸番は、
大奥では極めて重要な役だが誰を付けても長続きしない。
そこで京から来た近衛家の侍女の中で、
色白な上に大柄な染子が老女達の目に止まり「まだ十三じゃそうだが、
それくらいの方がまだ春情の何たるかを解せず、御用大切に勤めるだろう」
と、一の井戸番を名指しで命じられた。
913一の井戸番:2006/06/16(金) 15:33:20
染子は他の女ではあまり長続きしない一の井戸番を必死に続けた。
しかし、十三や十四の時はまあ辛抱でき、ただ好奇心だけぐらいの
処で済んだが、十五歳になると、さすがに全身が火照って頭へ血が
上ることが多くなった。
さて、綱吉も初めは気づかずだった。何しろ一の井戸番というのは、
これまで目まぐるしく変わっているので、大奥へ通る度に庭先で見
かけても、ろくに顔など覚えはしなかった。しかし染子になってか
らは、何年も続けているので、その内に綱吉も次第に「ほう、
同じ顔が良く続いているな」と染子を意識するようになった。
そこで意地悪でもないが、それからというもの相手の女との痴態を
わざと見せつけるようになった。勿論、覗き見している染子へよく
眺めさせてやろうとの親切心からではない。
914一の井戸番:2006/06/16(金) 15:34:41
綱吉にしてみれば悪戯心も半分は有ったろう。しかし染子にしてみればそうした有様を露骨に見せつけられ、
うめき声や妙な言葉を次々と聴かされては、いくら京女の意地を示す為とはいえ、ますます気が変になって来てしまい、
「死んだが増し」といった悲壮な想いにもさせられていた。さて、こんな時、
「あの色白な井戸番の娘は何歳になるか?」と綱吉が控えの老女に声をかけた時、
「はい十八歳になりますが」と答えが戻ってきた。そこで、
「そうであるか、一の井戸番を勤めてより何年になるか」と気になるゆえ尋ねた。
「はあ他の女どもとは違い、十三歳より五年の御奉公」との返事に、ほう真面目な
ものであるなといわんばかりに綱吉は大きく頷いた。
915怪しき身分の者:2006/06/16(金) 15:36:39
こうした経緯があって染子はとうとう将軍家のお手がつくこと
になった。この後、綱吉は「染、染子」と一辺倒になった。
何故かという理由については推測するしかないが、将軍とて男である。
男女の間は今も昔も情愛と性愛の絡みあい
でしかない。しかしこの円満な関係も長くは続かない事になる。

綱吉の生母である桂昌院が調べたところ、染子は近衛の姫の侍女
とはなっているが、貞享二年二月に、風邪で京都御苑の北隅に捕
りこめ小屋で崩じられた前帝後西さま、その母方櫛笥家の養女で、
倒幕謀叛の容疑をもって幽閉中の前帝を救おうと、
権中納言の家柄を隠し通して侍女となって東下りしてきた怪しき
身分の者、と判明した。
916染子は妊娠していた:2006/06/16(金) 15:39:22
そして綱吉を説得して無理に染子を引き離してしまった。
綱吉にしても二年も寵愛していた染子をそう惨くは扱いかね、
柳沢吉保に下げ渡す事にした。
だがこの時染子は妊娠していたのである。
勿論、綱吉の種である。

綱吉はこの時四十二歳になっていたが、染子懐妊と聴くと、
「其の方の子として育てるように」と柳沢に命令した。
やがて秋になるとまるまるとした男児を産み落とした。