926 :
日本@名無史さん:2006/12/18(月) 17:27:16
928 :
日本@名無史さん:2006/12/18(月) 18:58:16
>>923 なんで俺がアホなんだ?
上杉影虎謙信とか織田壇上乃忠信長とか武田報省院信玄とかミドルネーム知ってるのか?
漢字違うかもしれないけど少なくとも俺は知ってる(`・ω・´)シャキーン
IDが出ないにしてもひどい釣りだ
と他人事ながら思った
930 :
日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:33:14
壮大な自作自演乙。
931 :
日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:33:40
928は中学生だろ
相手にすんな、じきに痛いってことがわかるよ
まぁ笑える
932 :
日本@名無史さん:2006/12/18(月) 23:34:17
守護大名の普段着は直垂&侍烏帽子じゃないの?
お前らだって中学の時は絵文字のバカみたいな戦国マニアのお宅だったんだろ。
昔の自分見てるみたいで恥ずかしいんだろ?
934 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 01:24:07
花倉の乱(はなくらのらん、花蔵とも)は、戦国時代の天文5年(1536年)
に起きた、駿河国の守護大名、戦国大名でもある今川氏のお家騒動。
「花倉」とは、静岡県藤枝市の地名で、玄広恵探らが挙兵した地にちなむ、
あるいは恵探は「花蔵殿」と呼ばれていたからとも云われる。
嫡流の梅岳承芳(今川義元)らが勝利し終結。
935 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 04:09:43
936 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 04:17:56
ジモピーがしったかして嬉々として書き込んでいて気持ち悪い935なんて死んでしまえば良いのに
仮に江戸時代に今川家が駿河あたりに50万石程の大名で残ってたら
花倉の乱を起こしてたら、お家騒動で幕府に改易又は減封処分だったな。
938 :
日本@名無しさん:2006/12/19(火) 21:11:53
義元は信長の馬廻の1人、服部小平太に斬りかかられるものの、逆に服部を斬って負傷させた。
しかし、服部との格闘の間に迫ってきた新手の毛利新助と乱戦になり、ついに毛利によって討ち取られた。
討ち取られた時、義元は毛利新助の人差し指を噛み切るほど抵抗したといわれている。義元の戦死により
今川軍本隊は壊滅し、合戦は織田方の大勝に終わった。
>>939 服部を撃退したのは結構なことだが、人差し指を「かみ切る」というのは如何なものか。
それはともかく、岡部元信って岡部家の次男坊だったと思うんだけど、
兄貴の正綱はなんで出陣しなかったんだろう?
駿府で留守居でもしてたのかな?
っていうか、正綱が1542年生まれだから、元信は18にも満たない年齢だったというわけか。
しかも兄貴や代々の岡部家当主も与えられていない主君の一字を拝領している。
余程将来を期待されていたのか。
941 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 22:04:17
>>936 花倉の読みなんてこの時代の研究者には常識レベル。
地元民じゃなきゃ知らないような話ではない。
>>940 岡部氏って元々は独立の御家人だし、完全に今川の被官化するのは戦国期に
入ってからだよね。
>>940 元信は1540年代の小豆坂の戦いで功績を挙げたとも言われているし、
本当に正綱の弟だったのか疑問視する向きもある。
桶狭間合戦後の手際の鮮やかさから言っても、岡部一族から経験と実力を買われて登用された
熟練の将だったんじゃないかな。
朝比奈泰朝と朝比奈元智の関係みたいなものか?
944 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:10:16
朝比奈氏の「泰」は、先祖が今川泰範から貰ったものが後に通字化したものじゃなかった?
945 :
日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:24:50
桶狭間の戦いの頃にはハゲネズミや明智光秀はすでに織田信長の家来だったんですかね?
家来だったならハゲネズミは活躍したんですか?
葛山勝嘉って誰も知らないみたいだなw
947 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 01:16:26
葛山氏は立場が微妙だよな。
948 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 01:21:35
ハゲネズミって今川では戦働きはしてないんじゃね?
主に家中の事を負かされていたが、妬んだ同僚と不和に
なって新参者の禿げに暇をだされたといつた感じじゃね。
949 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 03:51:49
>>945 明智光秀は織田が美濃を制した後、義昭をセールスに来た後で、
高額の支度金でヘッドハンティングしたものでまだこのころは朝倉の客将。
ハゲネズミは今川の家来の家来の足軽だね。
極めて身分が低かった。
951 :
日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:39:50
ところで「朝比奈」の読みって「あさひな」「あさいな」「あざいな」のどれが正しいの?
952 :
日本@名無史さん:2006/12/21(木) 07:53:00
うざいな
953 :
日本@名無史さん:2006/12/22(金) 03:34:37
思慮があさいな
954 :
日本@名無史さん:2007/01/09(火) 02:54:55
あざいながまさ
>>909 「貸してくれ」って言われて本当に貸すと、岩松の新田直系というアイデンティティがなくなっちゃうんだよ。
由緒のある系図が伝わっているということがステータスだった時代なんだから。量が膨大とかってのは全く関係なし。
その辺がらみで本当に切った張ったになって死人が出てしまったのが、江戸時代の田沼意知刺殺事件。
没落して旗本になってる佐野本家が、猟官運動の一環で系図を分家の田沼家へ貸したのだが役職にはありつけないわ系
図は返ってこないわで逆切れして殿中で刃傷に及んだという話もある。
義元について最近いろいろ調べているのですが、
この人って回りに対する態度や人柄はどんな感じだったのでしょうか?
なんか義元の性格についての記述をあまり見ないもので…。
957 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 22:51:02
由良が岩松の分家っていうのは信憑性あるの?
958 :
日本@名無史さん:2007/01/16(火) 22:42:51
祝・今川氏輝大河初登場
959 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 00:36:20
個人的にドラマでの今川義元役で最高だったのは武田信玄時の中村勘九朗。終盤の見た目はマロマロしていたが
高貴なキレ者の雰囲気がムンムン出ていた。
他の作品では見た目から中身までマロマロしていて
実在もこんな人だったのか!?と思ってた
960 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 02:55:43
義元、あの時信長に討たれなくて尾張を平定していたら
頃合を見て上洛敢行していたのだろうか。
でも仮にあの時点で上洛していたとしても
京には現存の将軍義輝がいたわけだし
近くにいた三好長慶が黙ってはいないだろう。
よって上洛したところでなにも出来なかったんじゃ
強そうなのが上洛したらしばらく大人しくしていて
滞在費切れで帰るか弱体したら活動再開っつーのが
定番かな。
962 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 03:47:50
そういや、松永は謙信が京に来ていた時は
大人しくしていたというが。
こいつは信長上洛の時も釜や壷もって軍門に下ったみたいだし
めざといな。
963 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 05:09:32
今川義元って、公家みたいな細長い尖った帽子をかぶっているから弱々しく見えるんじゃない?
964 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 09:54:48
義元が桶狭間で討たれてなくても多分尾張の南東部を切り取ったに過ぎず
その辺りってのは今川と織田の壮絶な奪い合いの土地だからそれほど大勢には影響なさげ
信長本軍を打ち破って支配下に組み込めるほどの戦果は期待できんだろう
今川側からしてみればそれほどたいした戦いでもなかったのに義元本人が討ち取られてしまい
その後今川家が弱体化してしまうし信長は飛躍するしで後世の人間からみると重要な戦いかもしれんが
当時の当人達の意識ではそれほど重要でもなかったと思うよ
>>964 自らはほとんど戦場に赴かなかった義元が出てきたと言うことは、
相当な決意があったということ。
>>963 大内義興(細川俊之が演じてた)は公家みたいな格好でも強そうに見えたが
967 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 12:09:49
まあ桶狭間の合戦については専門家でも意見が合わないのが現状なんで仕方ないが
具体的に上洛依頼があったわけでもなさそうだし、上洛する大義名分もないわけだし
織田家との争いに決着をつけるためとした方が当時の状況的によろしいかと思うわけだ
その上で、織田家と本当に決着をつけるための大規模な戦であれば義元本人が出向くくらいの
気合の入り方をしてもいいかと思うわけで
織田と今川の数十年に渡る紛争を解決するなら気合入れないといかんだろう
>>964-965 >>967 あの敗戦が後々に大きな影響を及ぼすものかどうかなど、
所詮後知恵でしか判断できない。今川家中の者たちに
とってもおそらくはそうで、あまり深く考えず臨み、完敗して
初めてその意味を知ったというところなのだろう。
上洛の意図もまた、後世の脚色とみていいのだろう。
しかし確実にいえるのは、今川方は当主が負けようの無い
親征に臨んだとしか思えないこと。
大友、大内、そして武田。
ワンマン体制において、負けるはずの無い侵攻で目的を
果たせなかった代償は、途方もなく高くつく。
ここに戦国大名というワンマン会社的システムの脆さ、
そして信長だけはなぜ違っていたのかを、後世の我々は
知ることができるといえるだろう。
桶狭間って、ドラマとかだと信長視点で奇襲作戦が描かれるけど、
史実に忠実に描くとすれば、今川側の視点から描く方が解り易いと思う。
織田陣営は、攻めたり退いたり、必死で戦ってる。
今川陣営は、そんな織田軍の動きを完全に掌握できてる。勝てる戦。
だがその内部に、不幸の連鎖の火種がくすぶりだす。
色んな原因がもとになって、情報伝達の過程で誤解が混じったり、
今川の武将同士でちょっとした思惑の衝突、すれ違いがあったり、
義元に誤った報告が届いたり、急に天候が変わったりしていくうちに、
なんだか落ち着かないゴタゴタした状況になっていく。
ふいに、今川義元の本陣が、織田勢が今戦っているであろう場所の近くで、
わずかに一瞬、手薄になる瞬間が訪れる。
アレ、これまずいんじゃないか、と気付いた別の陣の武将が、本陣に連絡を取ろうとする。
が、連絡が取れない。飛び交う様々な憶測。情報系統乱れ、様々な情報が錯綜する。
その中に、やがて今川義元が首を取られた、という情報が混じる。
本当なのか誤報なのか、いや信じられない、取り乱す今川軍。
やがてそれが事実だと解り、雨の中、呆然とする武将たち……みたいな感じで。
970 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 13:35:27
信長だって自ら戦場に赴き死にそうになることもたびたびだが
結局死ななかったってのが一番でかいだろ
義元の場合は不運もあるよ
最近の文献だと見晴らしの良い田んぼのど真中を織田軍が堂々と正面攻撃してきたのに
ちょうど豪雨が今川陣側に向けて吹きつけ歩哨がまともに前も見れない状態だったらしいんだからさ
気がつけば目の前に織田の軍勢でパニック→敗走ついでに義元討ち死に
971 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 14:05:39
まぁ、なんにしても義元にとってのこの戦は一生の不覚。
>>968 >大友、大内、そして武田。
>ワンマン体制において、負けるはずの無い侵攻で目的を
>果たせなかった代償は、途方もなく高くつく。
大友は同紋衆の合議制、大内は陶、内藤、杉等有力守護代が幅をきかせてた
武田もワンマンではない。
973 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 16:35:56
今川も義元の代は自力で後継者争いを勝ち抜いた主君だから皆が認めているが
認められない主君が上に立とうものなら豪族などなどが分裂反乱やり放題だ
悲しいけどこれ戦国なのよね
974 :
日本@名無史さん:2007/01/17(水) 17:34:52
ドラマや劇画で義元のマロイメージを改善すれば
より信長が引き立つってもんだ。
今世間にある義元のイメージじゃ
ただのおじゃるマロ殿様を討ったにすぎん。
時代劇を見慣れている人から話を聞いて
義元ってそんな偉いさんなのか!って感じだし。
信長ってなんで桶狭間で今川勢を襲ったの?
上洛のために領内通過するだけなんだから、そのまま素通りさせればよかったのに。
あの時点でわざわざ義元を襲って首を取る意味なんてあったのか?
今川に対する嫌がらせかw