華族について part4

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947日本@名無史さん:2005/07/04(月) 04:02:29
>>946
まだ議員やっているよ。また議員やっているよかな。
948日本@名無史さん:2005/07/04(月) 21:56:37
田も平沼も男爵家
亀井久興が子爵、かな
旧伯爵以上の現役議員はいない、か
949日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:02:48
伯爵以上の議員って、もともと少なかったような。
昔、紀伊徳川と一橋徳川の当主が参議院議員だったほかは、細川元首相くらいでは?
950日本@名無史さん:2005/07/04(月) 22:35:10
津和野藩主亀井家は、確か伯爵じゃありませんでしたか。
951日本@名無史さん:2005/07/04(月) 23:46:57
>>948
亀井久興氏は当主家の弟だから爵位はつげないよ!

>>950
伯爵家だよ
952日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:00:53
>>949
西郷隆盛の孫の吉之助氏が、戦後、参議院議員やって法務大臣にまでなっている。
隆盛系の西郷家は、従道系と同様、侯爵になっている。
953日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:18:36
吉之助氏は何の才能もない凡人として有名だった
ただ顔がキヨソネの描いた隆盛の絵とそっくりで
954日本@名無史さん:2005/07/05(火) 11:40:02
>>953
間違いなく名誉毀損罪だな。
裁判所召還おめ♪
955日本@名無史さん:2005/07/05(火) 12:32:47
浅草弾左衛門が男爵位の授与を拒否したってホントかな?
柴田なんとかの長野お被差別部落について書かれた書籍に伝承として語られていたんだけど。
956日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:14:11
ここ数日のTVを見ていたら、花田家、長嶋家、ヤワラ家は現代の華族というにふさわしいな。
957日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:21:39
>>955
弾直樹が作った靴工場は、明治七年に倒産している。
男爵の話は出てくるはずがないと思うが。
958日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:25:17
あと今は、自治体の首長も旧華族は少なくなったね
昔は有名どころだと、井伊伯爵家(彦根市長)、堀田伯爵家(佐倉市長)
久松伯爵家(愛媛県知事)、細川侯爵家(熊本県知事)といったところがいた
959日本@名無史さん:2005/07/06(水) 00:55:19
>>958
会津市長のの松平さんも忘れないでね☆

あと、旧華族でなくて旧皇族だけど、横浜市長に竹田宮家の人が出馬しそうになったよね。
960日本@名無史さん:2005/07/06(水) 03:56:28
>>957

被差別部落の伝承と生活―信州の部落・古老聞き書き―
(柴田道子著,三一書房刊,1972.1)

これに部落に伝わる伝承として古老が語っていたと思う。
便器に汁物を入れて振舞うことで部落から離れることを
皆に勧める話なんかも出ていたよね。
961日本@名無史さん:2005/07/06(水) 09:33:17
佐竹もおるぞ。
962日本@名無史さん:2005/07/06(水) 11:26:07
故人ですが鍋島直紹さんが、佐賀鹿島藩第十五代目当主で、佐賀県知事。
参議院に転じて科学技術庁長官をされていました。
963日本@名無史さん:2005/07/06(水) 15:19:10
西園寺公一もいたね。
964日本@名無史さん:2005/07/07(木) 05:05:20
久松家の当主が愛媛県知事やってた事もあったよな。
965日本@名無史さん:2005/07/07(木) 23:11:35
徳川家達が総理大臣になりかけたこともあったなあ!
966日本@名無史さん:2005/07/07(木) 23:43:48
昔、尾張徳川家の当主が名古屋市長選に出馬して落選したことがあった
967日本@名無史さん:2005/07/07(木) 23:49:49
>>966恥だな・・・尾張って恨まれてるの?
968日本@名無史さん:2005/07/08(金) 00:43:33
>>964
この馬鹿目倉が。
ちゃんと>>958を嫁。
969日本@名無史さん:2005/07/08(金) 17:09:08
おやまあ
970日本@名無史さん:2005/07/08(金) 18:12:39
阿部正弘の直系子孫は西片町内会長だ!!確か阿部家は伯爵だったの?
971日本@名無史さん:2005/07/08(金) 20:10:22
>>945小和田は士族なので違う。むしろ川嶋の方が正しい。
972日本@名無史さん:2005/07/08(金) 20:16:52
>>971いや、士族ではないでしょ。足軽でかつ族籍が決まる前に藩を辞めて東京に行ったはず。。。森鴎外の父親もそうらしい。
973愛知県民:2005/07/09(土) 19:04:42
>>966
義親侯かねえ。
俺、義親侯の破天荒ぶりは好きだな。
尾張の殿様はあれくらいやってくれる人じゃないと。
974日本@名無史さん:2005/07/10(日) 06:33:08
身分の高い家の名字と地名が同じ場合、地名があとからついたのか、地名から名字がきたのか、どちらなのでしょう。
例えば津軽家や阿蘇家。
975日本@名無史さん:2005/07/10(日) 06:45:42
>>974地名から名字がきた。基本的に世界中、地名から苗字を執った家は中世の土豪。
976日本@名無史さん:2005/07/10(日) 09:02:28
新潟の小和田家の墓には新潟県貫族士族ときざまれている。ちなみに雅子さんの祖父は高校の校長。雅子さんの本籍は結婚するまで新潟だった。
977日本@名無史さん:2005/07/10(日) 11:46:47
花田家、長嶋家、ヤワラ家は現代の華族というにふさわしいな。
978日本@名無史さん:2005/07/10(日) 16:16:22
>>973
義親侯。
その名古屋市長選、自身は旧華族なのに革新系候補だったんだろ?
979日本@名無史さん:2005/07/10(日) 17:14:25
>>978
久松愛媛県知事も社会党だったような記憶が…
980日本@名無史さん:2005/07/10(日) 18:22:14
戦前に赤い華族、赤化華族と呼ばれていた人は結構いる。
981日本@名無史さん:2005/07/10(日) 18:37:18
土方久敬
岩倉靖子

あたりか?
982日本@名無史さん:2005/07/10(日) 22:34:55
>>981
過去スレに紹介されている。
983日本@名無史さん:2005/07/10(日) 22:35:41
武者小路とか。
984日本@名無史さん:2005/07/11(月) 06:53:47
「昭和の政商」と呼ばれた小佐野賢治は山梨の農家の生まれ、
丁稚奉公に出された目と鼻の先に
堀田伯爵家(下総佐倉11万石城主)の立派なお屋敷があり、
そこの伯爵令嬢は「戦後学習院が生んだ最高の美女」と言われていた。
後にその英子姫と結婚することになろうとは思いもよらなかったはず…。
985日本@名無史さん:2005/07/11(月) 10:32:22
堀田家と縁戚ということは、現在の尾張徳川家とも親戚ってことだな。
986日本@名無史さん:2005/07/11(月) 11:32:29
戦後、没落した華族の娘で、書店で参考書か何かを万引きして
警察沙汰になり、とうとう首吊り自殺をしたのが居たと聞きます。
何という名前の女子か教えて下されい!
987日本@名無史さん:2005/07/11(月) 17:36:49
>>984
>そこの伯爵令嬢は「戦後学習院が生んだ最高の美女」と言われていた


とりあえずうpしようよ
988日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:25:08
次スレどうぞ

華族について part5
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1121077450/
989日本@名無史さん:2005/07/11(月) 19:33:13
>>984
それぞれ何歳のときに結婚したん?
990日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:12:02
>>989
彼は確か昭和8年、
13歳くらいで本郷一丁目の本郷商会に丁稚奉公に出てきた。
お姫様は当時4歳。
結婚するのは17年後だから30歳と21歳か…。
華燭の典は丸の内工業倶楽部で華族・政財界の著名人250人以上が列席したそう。
農民出身の金持ち実業家と旧藩主のお姫様の結婚か…。
周りからいろいろ言われたんだろうか。
991日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:19:26

考える資料として, 2005/02/22
レビュアー: オースケラッパ (プロフィールを見る)   岡山県 Japan
著者は戦後の皇籍離脱の際、一時の夢だったと思って、と慨嘆し、また現皇后の成婚の際には、
世も末と悲憤慷慨したそうだ。古きよき時代の貴婦人の生き残り、生きた化石と称してよかった人だろう。
雀百までの諺通り、受けた教育や幼児の生育環境はいかんともしがたく、最後まで庶民のことは
わからなかったし、わかろうともしなかったのだろうか。しかし、ただ天皇制の保持、血のスペアインク的存在で、
なんら国と国民のために働きもせず(今もそうだが)、そのくせ非常な冨を握り続けてきた戦前の宮家の
在りようは遺憾だ。もっとも梨本宮家は李王朝と縁組みし、方子さんはお気の毒な面もあったが、
著者が美貌と血統を誇る貴婦人としてあったのなら、そのくらいは当然貢献していただきたい。
要するにノーブレス・オブリージュというのだろうか、そのあたりの観念が旧皇族にまったく
欠けていたことをつくづく思い、著者にも哀れを感じる。

梨本宮伊都子妃の日記―皇族妃の見た明治・大正・昭和

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093870632/qid=1121087725/sr=1-12/ref=sr_1_2_12/249-1966197-6201143

>要するにノーブレス・オブリージュというのだろうか、そのあたりの観念が旧皇族にまったく欠けていた

......。
992日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:36:35
手元にある日本の肖像旧皇族・華族秘蔵アルバムに堀田英子の両親の写真はのってるが、
英子自身はないなぁ


残念
993日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:37:06
北白川宮家って満州で戦死者出してなかったっけか?
台湾で戦病死した香具師もいたような。
994日本@名無史さん:2005/07/11(月) 23:50:35
>>991
その書評書いた人、他の書評も読んだけど典型的な団塊世代のひとで
表面的な正義感にはまってるトンデモさんだと思う。
特に「坂の上の雲」辺りは噴飯。本人は「俺様はいい文章書いた」と陶酔してるんだろうが。

梅梅
995日本@名無史さん:2005/07/11(月) 23:51:52
>>993
満州で死んだのが今の御当主の父上 かなりひどい死に方をされたとか。
台湾で死んだのは今の御当主の曾爺様 かつて東武皇帝とも言われた人だ。
996日本@名無史さん
>>991
マルチイクナイ!!! 産め