942 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 22:25:19
邪馬台国の時点で生活レベルは日本の方が↑だぞ
943 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 01:25:18
>941
東南アジアの侵略は石油確保がねらいだが、結果的に解放を促進した。
944 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 01:53:03
単なる結果じゃないよ。
アジアの解放は始めから宣言していたからな。
石油はアジア解放のついで。
945 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 02:02:15
文明度で言えば日本がトップだったと思う。
江戸時代の300年で近代化の基礎固めの時代だった。
資本家の成長なども見られていた。
946 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 02:08:52
>>943 植民地から解放してやるのだから石油くらい提供して協力するのが
当然だな。
当時はオランダが独占していたのだから。
947 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 02:16:21
>>941 日本は東南アジアだけでなく朝鮮、満州をロシアから守り、台湾を
英仏蘭から守っていた。
つまり日本はシナを除いてほとんどのアジアを解放したことになる。
これに対してシナはチベット、ウイグル、内モンゴル、満州を事実上、
植民地にしている植民地帝国のままで、さらに台湾を併合しようとする
時代錯誤の帝国なのだ。
948 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 00:23:02
>16世紀
ヨーロッパ宣教師の判定 日本>>>中国
16世紀日本に来た西欧人は、日本を非常に高く評価した。
「日本人は古代ローマ人のようで、尊敬に値する」アレッサンドロ・ヴァリニャーニョ
「近江の城下町は、バビロンの都のように賑わっている」ルイス・フロイス
「大坂の繁栄はロンドンを凌ぐ」ミラー・アンジュ
「日本人が台湾を手に入れれば、ここは壊滅する」ルソン提督
一方中国に対しては、「中国の征服は困難ではない」と多くのスペイン人や宣教師が
述べていた。これはフェリペ2世に対し中国征服を促す書簡が多いことでわかる。
(フェリペ2世は征服を認めなかったが)
それに対し日本は、当時世界最大の銀産国だったにも関わらず、ヨーロッパ人は
始めから日本征服を諦めていた。
949 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 00:28:06
日本は二千年帝国 世界史上最強
日本民族に逆らえば死あるのみ
日本民族は世界一優秀 軍隊も世界史上最強
日本の文明力は古代から世界一
950 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 01:29:53
ルイス・フロイス『日本史』第三部五四章
シナ人について、日本人その他の国民は誤った認識を抱いていたので、アゴスチイノ(小西行長)
がシナ人に対して(和平交渉を)提議したことは、人々に幻滅感を抱かせることになった。人々は、
シナ人は(天性)惰弱であり、たとえ無数(といえるほど)いても、鉄砲の音を耳にし、抜き身の刃を
見れば、(こちらが)少数であるにかかわらず敵を恐れて逃走するに違いない、と思っていた。この
ような考えは、軍兵がいないシナの海岸地帯へ盗みにいった幾ばくかの日本人(倭寇)に基づく
ものであった。そこには武器など手にしたことのない農民と土着の住民だけしかいなかったので、
二百人ないし三百人の日本人が無数(のシナ人)を追い払ったように見えたのであった。またこの
考えは、広東のシナ兵について語ったポルトガル人の証言とも一致するものがあった。これらの
兵士たちは、一度も敵に接したことがなく、戦争の経験がなかったので、戦意に欠け、たまたまある
機会に争った際に、きわめて卑怯に振舞ったのであった。
しかし、アゴスチイノに戦いを挑んできた(シナの祖承訓麾下の)兵士たちは、タルタール(韃靼)人
との国境に駐屯する部隊(遼陽の副総兵の軍)であり、彼らと絶えず戦っていたので、事実、戦場で
示したように、非常に勇気があり、戦術にも長けていた。このためにアゴスチイノはシナ人の実力を
知り、彼らとの実戦の経験を考慮して、彼らの戦闘能力について認識を改めたのである。
>>948 16世紀のどの時期だろう?
満洲族の動向と関係があるのだろうか?
952 :
とりあえず:2006/08/31(木) 09:54:36
949
あんまそういう書き込みするなよ。
どこの国にも一長一短、世界一があるんだから
韓国人みたいになっちまうぞ
953 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 14:19:38
>952
あんな糞食い韓国人と一緒にするな。
韓国人なんか百年前まで竪穴式住居に住んでたんだぜW
954 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 15:20:07
日本は二千年帝国 世界史上最強
日本民族に逆らえば死あるのみ
日本民族は世界一優秀 軍隊も世界史上最強
日本の文明力は古代から世界一
955 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 15:26:11
日本は二千年帝国 世界史上最強
日本民族に逆らえば死あるのみ
日本民族は世界一優秀 軍隊も世界史上最強
日本の文明力は古代から世界一
>>951 「シナ大王国史」かなんかにそういう話があったような気がする>「中国の征服は困難ではない」
957 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 23:23:48
フアン・ゴンザレス・デ・メンドーサ 『シナ大王国史』 第二部第一巻
ビレイ(巡撫)はこの日からエスパニャ人たちに何度か見物に出かけることを許可し、そして一行を
特別に歓待することを部下に命じた。そのひとつは、月の初めの何日かにわたって全国内でいっせいに
おこなわれる習慣になっている閲兵の儀式に一行を連れて行ったことで、これはまことにたいへんな
見ものであった。
この閲兵は市の城壁に接している広場で次のようにしておこなわれた。およそ二万名の槍兵(ピケーロ)
と火縄銃手(アルカブセーロ)がラッパと太鼓の音にあわせてじつに機敏に行動した。まず合図と同時に
進軍隊形をつくり、つぎの合図では密集隊形となり、そのつぎの合図では火縄銃隊が本隊から散開して
整然と射撃をおこない、ふたたびもとの位置にもどった。これが終了すると槍隊が散開してまことに巧妙に
目標に襲いかかった。その有様を見てエスパニャ人たちは、この軍隊が世界のどの軍隊よりも優秀であり、
もしもかれらの士気が旺盛で、その訓練と兵員数と同様に優っているならば、容易に全世界を征服する
ことができるであろう、とおもったほどである。
958 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 00:37:47
>951
フェリペ2世だから16世紀末かな?
だがなぜ西欧人はシナの征服を容易と思ったのか。
俺が思うに、皇帝が何もかもを采配する古典的な中央集権国家だったからだろう。
こういうシステムだと、トップの首さえ押さえてしまえば今度は自分が何もかもを
采配できる地位に就けることになる。少数民族の満州人が明を征服できたのも、
トップの首を押さえたからだ。(シナだけでなく、ほとんどのアジア諸国も、南北
アメリカ諸国も、王や皇帝の一存に依存するシステムだった)
それに対し日本は封建国家で、権力や土地の所有者が高度に分散し、誰かの一存で
すべてが采配されるような社会ではなかったのだ。
これが江戸時代になると、社会の分散化はさらに進み、おまけに商人がいなければ
社会が全く回らない「商人依存型社会」となったため、征服する価値がほとんどない
国家となっていた。(なぜなら、征服して王となっても結局は商人に依存せざるを
得ない。それなら征服よりも商取引、即ち貿易をする方が利益を上げられるのだ。)
>だがなぜ西欧人はシナの征服を容易と思ったのか。
>俺が思うに、皇帝が何もかもを采配する古典的な中央集権国家だったからだろう。
それならまずムガル朝、サファヴィー朝、オスマン朝を征服しようと考えたはずだ。
960 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 00:56:39
>959
じゃあなぜ容易と思ったのか。
ムガルやサファヴィーは結局征服され、清は残ったしね。
君の意見は?
沿岸の守備隊とちょっと衝突したけど戦ってみたら弱かった。
内陸を旅してみると戦争の影すらなく、住民は平和に慣れきっている。
こんなところじゃないかな。
実際にその報告書を読んでみたいところだが(たぶん日本語訳は探せばあるはず)。
ムガル朝は征服というより自滅だね。サファヴィー朝はアフガン族に滅ぼされた。
962 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 01:47:17
>なるほどね
ただ、シナやアジアが事実として征服されやすかったのは、一極采配型だったから
だとは思うがね。
江戸時代は平和だったが、ペリーもプチャーチンも、誰も日本の植民地化を考えては
いなかった。まあ、16世紀と19世紀は違うが。
963 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 01:48:08
>なるほどね
ただ、シナやアジアが事実として征服されやすかったのは、一極采配型だったから
だとは思うがね。
江戸時代は平和だったが、ペリーもプチャーチンも、誰も日本の植民地化を考えては
いなかった。まあ、16世紀と19世紀は違うが。
中国の王朝末期は集権制の弊害というより、体制内部での利害対立やディスコミュニケーションが深刻。
アヘン戦争なんかでも、林則徐が広州を必死で守ってるのに首都付近で負けてたり滅茶苦茶。
インドなんかはムガル朝衰退後の群雄割拠の中で東インド会社が覇者になってしまった感じですね。
それに比べるとイランはカージャール朝の支配のおかげで現代までの版図を維持できたわけで
専制も良し悪しだと思う。
965 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 19:55:27
16世紀のスペインとポルトガルは、「地球分割計画」で地球上の全ての国を
互いに分け合おうなんてとんでもない事を考えていた。
もちろん中国も日本も征服可能か否かを冷静に検討していたはずだ。
そしてスペインが出した結論は、「中国よりも日本の方が手ごわい」だった。
さらにスペインには、中国の征服を日本に手伝ってもらえばより容易になるとして、
キリシタン大名に軍を派遣してもらえばいいという意見もあったらしい。
話を飛躍させて考えると、もしかしたら豊臣秀吉の明の征服計画も、スペインやヨーロッパ宣教師の
入れ知恵があったんじゃないかと思う。「中国はたいしたことないよ」ってね。
さらにフロイスによれば、織田信長も明の征服を検討していたという。
こうなってくると、16世紀の日本を知るためには世界史的視野を持たなければ無理だろう。
いっそ、スペインと歴史共同研究でもすべきなんじゃないかな。
966 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 20:06:21
アジアでは 軍治力ロシア が 1番
967 :
張學良:2006/09/01(金) 20:14:28
中国はあの時盛んな時代だった!
968 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 20:18:59
トルデシリャス条約ってのは地球を分割する計画じゃなくて、新大陸への植民は
スペインに優先的にさせる、というただの便宜的な取り決めだったんだよね
つか信長の鉄砲三段撃ちはバテレンに教わったとかいう人がよくいるけど
その手の話はもう耳タコ
>>966 16世紀なら違う
970 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 20:41:41
>969
だが西欧人が地球全体の征服を考えてたのは事実。
信長も秀吉も、西欧の影響なしに明の征服を考えただろうか。
現実問題として異教徒に中欧が脅かされていた時代に西洋人が世界征服を可能だと考えたとは思えないし
ポルトガルやスペインがやってくる前から明と日本を行き来していた人間は大勢いた。
もちろん明の官軍と戦った人間も。バテレンに教えられなくても判断する材料はあっただろう。
972 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 21:12:22
そうか?少なくとも世界をキリスト化させようって計画はあった。
特に新宗派のイエズス会などは。
それにレパントの海戦以降、スペインは本気で世界の帝王になろうとしていた。
まあ中欧は考えてなかっただろうが・・・。
あと、東アジアについては、何もかもを西欧とからめる必要はないが、何もかも
西欧を排除することもないと思う。
973 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 22:06:20
15世紀もついでにやっとくか?
15世紀 日本>中国
国のでかさでは圧倒的に中国だが、15世紀日本は面白い現象がみられる。
それは、農村内において小家族制が現れたこと。(特に近畿)
つまり、夫婦とその子供と夫の両親を一つの単位とし、その単位ごとに土地・家・財産を
持つというもの。
ひとつの家族が自分の土地を完全に持つというのは今じゃ当然だが、歴史的にはめずらしい。
そして日本の市場経済の普及は、小家族制抜きに考えられない。
なぜなら財産の所有者が分散されればされるほど、消費者が増えるからだ。
この小家族制は、太閤検地で全国化した。
>>972 世界のキリスト化ってのは植民地も何もない時代から建前としてあったわけです。
当時のスペインがやってたのは世界征服じゃなくて、欧州での相対的優位のために
海外から入ってくる金を武器弾薬傭兵に費やしてしまうという空しいゲーム。
植民地であがった利益が国内に投資されず他国に流れてしまう構造になっていた。
おまけにムスリムやユダヤ人を追放したため商工業の基盤まで失ってしまい
けっきょく二流国になり果ててしまった。
975 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 14:13:07
>974
うーん・・・君はスペインが世界を我が物にしようとしたわけではないっていうが、
果たしてそうか。
たしかに大航海時代初期はそんな野望などなく、トルコを通らない香辛料ルートの
確立や、あるいは単なる好奇心で世界へ出て行ったのだろう。
だが、新大陸の発見や太平洋ルートの確立、アジアへの進出を果たすにつれ、徐々に
その活動は侵略性を帯びるようになり、土地獲得競争も活発化していく。
(トリデシリヤスやサラゴサ条約は、明らかに地球分割計画の意図ありと俺は思うね)
(この西欧人の精神の変換、大陸やアジアの発見がなぜ占有や侵略に結びついたのかについては
「驚異と占有、グリーンブラッド著」がある)
おそらくそうなってしまったのは、西欧に対してアフリカやアメリカ、そしてアジアの人々の知的
水準の低さ、合理主義思考(理性)の欠如、社会の後進性などの諸要素により、非西欧社会に対する
蔑視感情が征服欲を大きくさせてしまったのだろう。
976 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 16:38:40
太閤秀吉の時代、秀吉は総兵力40万人の朝鮮征伐部隊を用意してた。
当時の日本の国力・軍事力などは世界的に見てもかなり高位ランクだと思う。
明、オスマントルコ、大英帝国をぶっ潰して、真の世界史上最強国は日本だと
世界に示す。
977 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 18:38:39
比べるな朝鮮憐れすぎ
978 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 19:52:59
18世紀だろうが16世紀だろうがチョンの出る幕なし
979 :
日本@名無史さん:2006/09/03(日) 14:22:56
>>976 明治維新前後の西欧が産業革命を成功させた時期でさえ、オランダ程度が日本を侵略に来たのなら返り討ちに出来るだけの国力は保持していた。
産業革命って明治維新の一世紀前には始まってたぞ。つかその頃はオランダの領土は長崎の出島だけ(ry
981 :
日本@名無史さん:2006/09/03(日) 22:21:05
>>980 オランダは東インド会社がジャワを植民地にして、他には南アフリカ、
南米、北米にも植民していただろう。南アフリカのアフリカーンス語はオランダ語
の方言だし、ニューヨークは最初、オランダ領だったはずだ。
982 :
日本@名無史さん:2006/09/04(月) 00:12:02
明朝と言えば支那歴代王朝屈指の暗黒時代だろ。
暗殺やら粛清の応酬で人材が枯渇した。
>>980 そうじゃなくて一時期本土を失陥してしまい、地球上でオランダの旗が立ってるのは長崎だけという状態になった。
990