892 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 02:35:00
チャングムというドラマを見ていると(見る気はないがNHKへ回すとやっている)
これは料理の達人のパクリで歴史ドラマとして粉飾しただけの番組だと分かるな。
893 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 03:01:33
貴族一割
>>881 > 貨幣 日本、計数貨幣(単位で表す貨幣)発達。
> 中国、秤量貨幣(重さで価値を計る貨幣)止まり。
貨幣制度は実体経済をそのまま反映するわけじゃなく、
政府の信用とか政策に大きく影響されるからねえ。
18世紀なんて通貨政策が何もなかったような時代でしょ。
> 有価証券 日本---手形、小切手など
> 中国---なし
約束手形の類は中国にもある。日本にあって中国に無かったのは米手形とかその辺。
> 土地所有 日本---一家一土地所有、所有権有---西欧の民法や商法を導入可能
> 中国---皇帝が所有(国有)---資本主義ではなく共産主義へ移行(ロシアも同じ)
中国の土地を国有と呼ぶんだったら日本だって封建的土地所有になる。
実質は近代的土地所有だろうが。
895 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 00:53:54
18世紀に通貨政策ないって? とんでもない。
例えば17世紀末の勘定奉行(財務大臣)荻原重秀は、
元禄の過剰な経済発展に対し、それを養うに足る通貨量が不足していることを見抜いて
見事に切り抜けた(慶長金銀の品位を下げて量を増やす手法を用いた)。
計数貨幣については、田沼時代の南りょう二朱銀貨登場以降、1両=4分、1分=4朱
という単位が定められた。
これはそれだけ、幕府に対する信用と社会秩序の安定が高かったことを意味する。
土地所有については、封建制は主君が部下に土地所有権を完全に与えるシステム
であり、土地私有制の基礎を成すもの。これは土地の所有が法治主義の下に
成り立つシステムといえる。
そしてその意味での<封建制>は、中国には全くみられない。
896 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 01:39:18
>>895 土地所有権については上土権、下土権とか鍬先権、入会権という
ような重層的な権利が付着していたりして、利害関係が錯綜していたという
説もあるな。
現在でも借地権とか借家権という訳のわからない権利が存在する。
897 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 19:43:34
チャングムなんて、まだかわいい方。
韓国には、もっととんでもないドラマや映画が結構ある。
例えば、韓国が日本やアジアを支配していたら、韓国の素晴らしい文化によって
アジア全体の繁栄が達成されただろう・・・などという妄想に近いドラマが
あるらしい。
そういや、前にシルミドを制作した監督も、最近とんでもない映画を作ったって
話だ。シルミドは良かったのにねえ。やっぱり韓流物は見るべきじゃなかったな。
>>895 通貨政策が無かったというのは清の話ね。
当時は通貨に対する関心がそれ以前に比べても薄かった。
【 ☆ 決定 ☆ 朝鮮族の母体はエベンキ系「沃沮、濊狛」人 】
その風俗は山川が重なり、山川には各部族がおり、みだりに干渉することはできない。
同姓は婚姻できない。多くの忌諱があり、(家族が)疾病で死んだときは、すぐに旧宅を
廃棄し、更(通典では夏)に新居を建てる。麻布があり、蚕糸で絹を作る。 夜明けの星宿
(二十八宿の占い)から、その歳の作物の豊穣を予想する。珠玉を宝としない。
常用十月の節句(重陽の節句。旧暦9月9日)に天を祭り、昼夜に酒を飲み、歌い踊る、
これを「舞天」 という。また虎を神として祭る。その邑落は互いに侵犯するが、刑罰とし
て相手に生口(せいこう=奴婢) と牛馬を差し出す、これを「責禍」という。人を殺した
者は死をもって贖(あがな)う。強盗は少ない。・・・・『三国志、魏書、濊伝』・・・
901 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 16:31:59
人口から言えば朝鮮の数倍が日本で日本の数倍が中国
902 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 02:41:19
903 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 03:06:27
白村江…大敗
元冦…辛勝
朝鮮出兵…敗北
日清戦争…圧勝
北清事変…圧勝
日中戦争…大敗
とりあえず結果だけ見たら、五分五分かも。
904 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 04:38:33
>>903 白村江…大敗
元冦…神風により大勝
朝鮮出兵…秀吉の死亡により引き揚げ、勝敗なし
日清戦争…圧勝
北清事変…圧勝
日中戦争…米国に負けたため、シナには勝っていたが引き揚げ
だろう。
905 :
日本@名無史さん:2006/07/26(水) 22:19:45
>>903 支那事変は、勝ちだと思うけど。
あと満州事変が抜けてるよ。
元寇に勝ったのは実力だろ。
それから朝鮮出兵はどこも征服できなかったんだから負けだ。
大敗ではあり得ないが。
日中戦争は南京政府を作ったりするところまでは行ってるから
少なくとも負けてはいない。
朝鮮出兵は痛み分けじゃないか
908 :
竹島が日本に”復帰”:2006/07/28(金) 16:18:34
名前欄に「竹島が日本に復帰」とかくと、
「竹島が日本に"復帰"」となるお
白村江…大敗
元冦…元の第三次派兵が立ち消え、日本の勝利
日明戦争(文禄・慶長・万暦)…秀吉の死亡により引き揚げ、明が属領防衛に成功、
日本の敗北
日清戦争…圧勝
日露戦争…辛勝
日中戦争…シナでは泥沼、撤収も時間の問題だった。日米戦争が始まり日本が大陸
での影響力を無くした為、結果的に敗北
白村江 日本の同盟国(属国とまで言い切れるか疑問)である百済が滅亡。
さらにその後百済を通じて友好国であった高句麗も滅亡。
大敗北。
白村江=出先での一会戦の敗北に過ぎない。(仮に唐が攻めてきたら玄海灘で海没)
元寇=勝利。
文禄慶長=歴史的には勝利。
日清戦争=大勝利
日露戦争=大勝利
満州事変〜支那事変=勝利
大東亜戦争=敗北
冷戦=勝利
湾岸戦争=敗北
>>911 白村江
その会戦で同盟国が滅ぼされ、半島から親日勢力が放逐されたんだが。
台湾朝鮮樺太沖縄が落とされたけど、日本本土が無事だから一会戦の敗北に過ぎないというようなもんだ。
白村江よりずっと前に百済が滅亡していた件について
915 :
日本@名無史さん:2006/07/31(月) 12:32:59
>>913>>914 百済は一旦滅亡してるよ。家臣がお家再興の戦いを起こして旗頭に日本で人質になっていた王子と援軍を朝廷に要請し、朝廷がそれに応えたのが白村江の戦いの背景。
916 :
日本@名無史さん:2006/07/31(月) 14:10:32
>白村江の戦
はくそんこうのたたかい
朝鮮南西部の錦江河口付近で663年,日本軍と百済復興軍とが唐・新羅の
連合軍と交じえた戦い。白村江(〈はくすきのえ〉ともよむ)は錦江の古
名。戦争は2日にわたって行われたが,河口の岸上に陣を張った百済軍は
文武王のひきいる新羅軍に打ち破られ,日本軍は海上で蘇定方のひきい
る唐軍に敗北した。このため,周留城にたてこもっていた豊璋のひきい
る百済復興軍も崩壊した。この戦いは,660年,百済が唐の高宗と新羅の
軍隊に滅ぼされて以後,百済復興を企図した鬼室福信,黒歯常之,僧道竺
(どうちん)等が大和朝廷へ救援を求めてきたことに発端がある。当時,
大和朝廷には百済王義慈の子豊璋が人質として来ており,鬼室福信らは
大和朝廷の軍事援助を受けるとともに,唐軍に降服した義慈王と太子隆
にかわって豊璋を百済王として迎えようとしたらしい。この要請にこた
えた当時の日本は斉明天皇のもとで中大兄皇子が実権をにぎっていたが
,643年に百済が洛東江沿岸の旧加羅諸国を新羅から奪い,644年には唐
の太宗が高句麗遠征に踏み切るなど,当時の中国,朝鮮の激動から大和
朝廷も大きな影響を受けていた。とくに百済が旧加羅諸国を占領したこ
とは,それまで新羅に代納させてきた〈任那の調〉を百済に肩代りさせ,
さらに646年にはこれを廃止して新羅から人質をとるという外交方針の
転換を迫った。しかし,さらに660年,百済が唐と新羅軍に急襲され滅亡
すると,大和朝廷は,それまで百済と新羅との対立を利用して両国から調
貢を受け取ってきた外交の転換を余儀なくされた。大和朝廷ではこのよ
うな外交のいきづまりを,百済救援の要請にこたえることで打開しようと
したものと思われる。もちろん古くからの百済との友好関係も一因をな
したかも知れないが,いずれにせよ6世紀以来の大和朝廷の対朝鮮外交
はこの白村江の戦をもって終止符が打たれたのである。
鬼頭 清明
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917 :
日本@名無史さん:2006/07/31(月) 14:56:02
歴史的に大きな敗北だね。
このころのユーラシアの東っ側はペルシャとムガル、日本以外は清朝に朝貢してただろ。
比べモンにならん
919 :
日本@名無史さん:2006/07/31(月) 16:22:05
>>918 清朝?いつの時代の話だ。また清朝は満蒙連合政権でシナ人、チベッ
ト人、ウイグル人も支配していた植民地帝国だったな。モンゴル帝国の
復活と言える。
918はスレタイだけ見て流れをまったく無視してるんだと思われ。
921 :
日本@名無史さん:2006/07/31(月) 16:33:52
55歳にもなって,まだ性欲が有り余ってるぞ。
チンポはいつもビンビンだっ。
さあてと,今日はどの女の顔に精液をドバッとかけるかな!
922 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 01:23:11
>921
超反日女キム・テヒの顔にかけてやれ。
923 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 03:13:33
韓国の歴史教科書やマスコミによれば
中国>韓国>>>>>>>>>>>日本
ってなってるけど・・・どういう事?
>>923 韓国の歴史教科書によれば、って時点でわかるだろ。なんとなく。
中華意識とか儒教的道徳観とか有るわけだし。
925 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 05:10:29
朝鮮は儒教思想と小中華意識という妄想だけが日本より以上に発達していた
ということだろう。
あと進んでいたとすると陶磁器くらいではないか。
926 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 05:31:34
・18世紀=中国>>>>>日本>>韓国
・明治時代=日本>>(ロシア)>中国>>韓国
・21世紀=中国>>日本>>韓国
927 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 05:39:02
・18世紀=日本>シナ=韓国
・明治時代=日本>>>>>(ロシア)>シナ=韓国
・21世紀=日本>>>>>>>>>>シナ=韓国
928 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 13:16:18
・18世紀=中国≧日本>>>∞朝鮮
・明治時代=日本>>>>>中国>>>朝鮮
・21世紀=日本>>>>>>>>韓国 (中華人民共和国は、まもなく民主化により国号等不明)
929 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 15:26:35
BRICSという言葉を知っているのか?
930 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 15:54:38
30年後のGDP
1、アメリカ
2、中国
3、日本
4、ロシア
931 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 19:37:00
>>929 BRIC's とは欧米+日本のG7に次ぐ新興経済大国ということで、100年前
からそう言われていたが全然実現しない未来の大国ということだ。
ロシアが一時的に軍事大国になったが、そのために経済が潰れたという経験を
シナは生かすべきだろう。
そもそも中進国(BR)と後進国(IC)を一緒にする神経が分からんよな。
933 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 01:18:26
18世紀
国土の広さ 中国>>>>>日本>朝鮮
人口の多さ 中国>>>>>日本>>朝鮮
資本主義的要素の発達 日本>>>中国>>>>>>>>>>>>>>>朝鮮
934 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 02:42:16
18世紀
洋学者数 日本>>>>>>>>シナ>>>朝鮮
935 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 21:49:25
18世紀
日本・・・徳川幕府の独立国。各藩の独立性の高い分権国家連合。
シナ・・・満州人の植民地
朝鮮・・・シナの属国
936 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 18:50:51
18世紀
街の美しさ 日本>>>>>>>>>>>>>>>中国>>>>>朝鮮
937 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 02:09:34
>>930 30年前のGNP
1.USA
2.ドイツ
3.イギリス
4.フランス
5.日本
6.イタリア
7.カナダ
938 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 14:07:44
フランス以下だったんだ?
939 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 15:02:36
日本がフランスより勝ってると思ってたの?
940 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 21:58:55
>>939 日本は日清戦争後、独仏露の三国干渉のため、遼東半島を返還したが、
大東亜戦争でフランス植民地(ベトナム、ラオス、カンボジア)を占領して
フランスをアジアから追い出した。
イギリス領マレー、ビルマ、シンガポール、オランダ領インドネシアも占領して
英仏蘭には勝っていたが、米国の参戦で米国に敗れただけである。
戦争後、これらの旧植民地は独立して日本の戦争目的の一つ(アジア解放)は
達成したことになる。
941 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 22:24:10
やれやれ
アジア解放なんて寝言、マジで信じてるのw
942 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 22:25:19
邪馬台国の時点で生活レベルは日本の方が↑だぞ
943 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 01:25:18
>941
東南アジアの侵略は石油確保がねらいだが、結果的に解放を促進した。
944 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 01:53:03
単なる結果じゃないよ。
アジアの解放は始めから宣言していたからな。
石油はアジア解放のついで。
945 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 02:02:15
文明度で言えば日本がトップだったと思う。
江戸時代の300年で近代化の基礎固めの時代だった。
資本家の成長なども見られていた。
946 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 02:08:52
>>943 植民地から解放してやるのだから石油くらい提供して協力するのが
当然だな。
当時はオランダが独占していたのだから。
947 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 02:16:21
>>941 日本は東南アジアだけでなく朝鮮、満州をロシアから守り、台湾を
英仏蘭から守っていた。
つまり日本はシナを除いてほとんどのアジアを解放したことになる。
これに対してシナはチベット、ウイグル、内モンゴル、満州を事実上、
植民地にしている植民地帝国のままで、さらに台湾を併合しようとする
時代錯誤の帝国なのだ。
948 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 00:23:02
>16世紀
ヨーロッパ宣教師の判定 日本>>>中国
16世紀日本に来た西欧人は、日本を非常に高く評価した。
「日本人は古代ローマ人のようで、尊敬に値する」アレッサンドロ・ヴァリニャーニョ
「近江の城下町は、バビロンの都のように賑わっている」ルイス・フロイス
「大坂の繁栄はロンドンを凌ぐ」ミラー・アンジュ
「日本人が台湾を手に入れれば、ここは壊滅する」ルソン提督
一方中国に対しては、「中国の征服は困難ではない」と多くのスペイン人や宣教師が
述べていた。これはフェリペ2世に対し中国征服を促す書簡が多いことでわかる。
(フェリペ2世は征服を認めなかったが)
それに対し日本は、当時世界最大の銀産国だったにも関わらず、ヨーロッパ人は
始めから日本征服を諦めていた。
949 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 00:28:06
日本は二千年帝国 世界史上最強
日本民族に逆らえば死あるのみ
日本民族は世界一優秀 軍隊も世界史上最強
日本の文明力は古代から世界一
950 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 01:29:53
ルイス・フロイス『日本史』第三部五四章
シナ人について、日本人その他の国民は誤った認識を抱いていたので、アゴスチイノ(小西行長)
がシナ人に対して(和平交渉を)提議したことは、人々に幻滅感を抱かせることになった。人々は、
シナ人は(天性)惰弱であり、たとえ無数(といえるほど)いても、鉄砲の音を耳にし、抜き身の刃を
見れば、(こちらが)少数であるにかかわらず敵を恐れて逃走するに違いない、と思っていた。この
ような考えは、軍兵がいないシナの海岸地帯へ盗みにいった幾ばくかの日本人(倭寇)に基づく
ものであった。そこには武器など手にしたことのない農民と土着の住民だけしかいなかったので、
二百人ないし三百人の日本人が無数(のシナ人)を追い払ったように見えたのであった。またこの
考えは、広東のシナ兵について語ったポルトガル人の証言とも一致するものがあった。これらの
兵士たちは、一度も敵に接したことがなく、戦争の経験がなかったので、戦意に欠け、たまたまある
機会に争った際に、きわめて卑怯に振舞ったのであった。
しかし、アゴスチイノに戦いを挑んできた(シナの祖承訓麾下の)兵士たちは、タルタール(韃靼)人
との国境に駐屯する部隊(遼陽の副総兵の軍)であり、彼らと絶えず戦っていたので、事実、戦場で
示したように、非常に勇気があり、戦術にも長けていた。このためにアゴスチイノはシナ人の実力を
知り、彼らとの実戦の経験を考慮して、彼らの戦闘能力について認識を改めたのである。
>>948 16世紀のどの時期だろう?
満洲族の動向と関係があるのだろうか?
952 :
とりあえず:2006/08/31(木) 09:54:36
949
あんまそういう書き込みするなよ。
どこの国にも一長一短、世界一があるんだから
韓国人みたいになっちまうぞ
953 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 14:19:38
>952
あんな糞食い韓国人と一緒にするな。
韓国人なんか百年前まで竪穴式住居に住んでたんだぜW
954 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 15:20:07
日本は二千年帝国 世界史上最強
日本民族に逆らえば死あるのみ
日本民族は世界一優秀 軍隊も世界史上最強
日本の文明力は古代から世界一
955 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 15:26:11
日本は二千年帝国 世界史上最強
日本民族に逆らえば死あるのみ
日本民族は世界一優秀 軍隊も世界史上最強
日本の文明力は古代から世界一
>>951 「シナ大王国史」かなんかにそういう話があったような気がする>「中国の征服は困難ではない」
957 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 23:23:48
フアン・ゴンザレス・デ・メンドーサ 『シナ大王国史』 第二部第一巻
ビレイ(巡撫)はこの日からエスパニャ人たちに何度か見物に出かけることを許可し、そして一行を
特別に歓待することを部下に命じた。そのひとつは、月の初めの何日かにわたって全国内でいっせいに
おこなわれる習慣になっている閲兵の儀式に一行を連れて行ったことで、これはまことにたいへんな
見ものであった。
この閲兵は市の城壁に接している広場で次のようにしておこなわれた。およそ二万名の槍兵(ピケーロ)
と火縄銃手(アルカブセーロ)がラッパと太鼓の音にあわせてじつに機敏に行動した。まず合図と同時に
進軍隊形をつくり、つぎの合図では密集隊形となり、そのつぎの合図では火縄銃隊が本隊から散開して
整然と射撃をおこない、ふたたびもとの位置にもどった。これが終了すると槍隊が散開してまことに巧妙に
目標に襲いかかった。その有様を見てエスパニャ人たちは、この軍隊が世界のどの軍隊よりも優秀であり、
もしもかれらの士気が旺盛で、その訓練と兵員数と同様に優っているならば、容易に全世界を征服する
ことができるであろう、とおもったほどである。
958 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 00:37:47
>951
フェリペ2世だから16世紀末かな?
だがなぜ西欧人はシナの征服を容易と思ったのか。
俺が思うに、皇帝が何もかもを采配する古典的な中央集権国家だったからだろう。
こういうシステムだと、トップの首さえ押さえてしまえば今度は自分が何もかもを
采配できる地位に就けることになる。少数民族の満州人が明を征服できたのも、
トップの首を押さえたからだ。(シナだけでなく、ほとんどのアジア諸国も、南北
アメリカ諸国も、王や皇帝の一存に依存するシステムだった)
それに対し日本は封建国家で、権力や土地の所有者が高度に分散し、誰かの一存で
すべてが采配されるような社会ではなかったのだ。
これが江戸時代になると、社会の分散化はさらに進み、おまけに商人がいなければ
社会が全く回らない「商人依存型社会」となったため、征服する価値がほとんどない
国家となっていた。(なぜなら、征服して王となっても結局は商人に依存せざるを
得ない。それなら征服よりも商取引、即ち貿易をする方が利益を上げられるのだ。)
>だがなぜ西欧人はシナの征服を容易と思ったのか。
>俺が思うに、皇帝が何もかもを采配する古典的な中央集権国家だったからだろう。
それならまずムガル朝、サファヴィー朝、オスマン朝を征服しようと考えたはずだ。
960 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 00:56:39
>959
じゃあなぜ容易と思ったのか。
ムガルやサファヴィーは結局征服され、清は残ったしね。
君の意見は?
沿岸の守備隊とちょっと衝突したけど戦ってみたら弱かった。
内陸を旅してみると戦争の影すらなく、住民は平和に慣れきっている。
こんなところじゃないかな。
実際にその報告書を読んでみたいところだが(たぶん日本語訳は探せばあるはず)。
ムガル朝は征服というより自滅だね。サファヴィー朝はアフガン族に滅ぼされた。
962 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 01:47:17
>なるほどね
ただ、シナやアジアが事実として征服されやすかったのは、一極采配型だったから
だとは思うがね。
江戸時代は平和だったが、ペリーもプチャーチンも、誰も日本の植民地化を考えては
いなかった。まあ、16世紀と19世紀は違うが。
963 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 01:48:08
>なるほどね
ただ、シナやアジアが事実として征服されやすかったのは、一極采配型だったから
だとは思うがね。
江戸時代は平和だったが、ペリーもプチャーチンも、誰も日本の植民地化を考えては
いなかった。まあ、16世紀と19世紀は違うが。
中国の王朝末期は集権制の弊害というより、体制内部での利害対立やディスコミュニケーションが深刻。
アヘン戦争なんかでも、林則徐が広州を必死で守ってるのに首都付近で負けてたり滅茶苦茶。
インドなんかはムガル朝衰退後の群雄割拠の中で東インド会社が覇者になってしまった感じですね。
それに比べるとイランはカージャール朝の支配のおかげで現代までの版図を維持できたわけで
専制も良し悪しだと思う。
965 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 19:55:27
16世紀のスペインとポルトガルは、「地球分割計画」で地球上の全ての国を
互いに分け合おうなんてとんでもない事を考えていた。
もちろん中国も日本も征服可能か否かを冷静に検討していたはずだ。
そしてスペインが出した結論は、「中国よりも日本の方が手ごわい」だった。
さらにスペインには、中国の征服を日本に手伝ってもらえばより容易になるとして、
キリシタン大名に軍を派遣してもらえばいいという意見もあったらしい。
話を飛躍させて考えると、もしかしたら豊臣秀吉の明の征服計画も、スペインやヨーロッパ宣教師の
入れ知恵があったんじゃないかと思う。「中国はたいしたことないよ」ってね。
さらにフロイスによれば、織田信長も明の征服を検討していたという。
こうなってくると、16世紀の日本を知るためには世界史的視野を持たなければ無理だろう。
いっそ、スペインと歴史共同研究でもすべきなんじゃないかな。
966 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 20:06:21
アジアでは 軍治力ロシア が 1番
967 :
張學良:2006/09/01(金) 20:14:28
中国はあの時盛んな時代だった!
968 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 20:18:59
トルデシリャス条約ってのは地球を分割する計画じゃなくて、新大陸への植民は
スペインに優先的にさせる、というただの便宜的な取り決めだったんだよね
つか信長の鉄砲三段撃ちはバテレンに教わったとかいう人がよくいるけど
その手の話はもう耳タコ
>>966 16世紀なら違う
970 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 20:41:41
>969
だが西欧人が地球全体の征服を考えてたのは事実。
信長も秀吉も、西欧の影響なしに明の征服を考えただろうか。
現実問題として異教徒に中欧が脅かされていた時代に西洋人が世界征服を可能だと考えたとは思えないし
ポルトガルやスペインがやってくる前から明と日本を行き来していた人間は大勢いた。
もちろん明の官軍と戦った人間も。バテレンに教えられなくても判断する材料はあっただろう。
972 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 21:12:22
そうか?少なくとも世界をキリスト化させようって計画はあった。
特に新宗派のイエズス会などは。
それにレパントの海戦以降、スペインは本気で世界の帝王になろうとしていた。
まあ中欧は考えてなかっただろうが・・・。
あと、東アジアについては、何もかもを西欧とからめる必要はないが、何もかも
西欧を排除することもないと思う。
973 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 22:06:20
15世紀もついでにやっとくか?
15世紀 日本>中国
国のでかさでは圧倒的に中国だが、15世紀日本は面白い現象がみられる。
それは、農村内において小家族制が現れたこと。(特に近畿)
つまり、夫婦とその子供と夫の両親を一つの単位とし、その単位ごとに土地・家・財産を
持つというもの。
ひとつの家族が自分の土地を完全に持つというのは今じゃ当然だが、歴史的にはめずらしい。
そして日本の市場経済の普及は、小家族制抜きに考えられない。
なぜなら財産の所有者が分散されればされるほど、消費者が増えるからだ。
この小家族制は、太閤検地で全国化した。
>>972 世界のキリスト化ってのは植民地も何もない時代から建前としてあったわけです。
当時のスペインがやってたのは世界征服じゃなくて、欧州での相対的優位のために
海外から入ってくる金を武器弾薬傭兵に費やしてしまうという空しいゲーム。
植民地であがった利益が国内に投資されず他国に流れてしまう構造になっていた。
おまけにムスリムやユダヤ人を追放したため商工業の基盤まで失ってしまい
けっきょく二流国になり果ててしまった。
975 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 14:13:07
>974
うーん・・・君はスペインが世界を我が物にしようとしたわけではないっていうが、
果たしてそうか。
たしかに大航海時代初期はそんな野望などなく、トルコを通らない香辛料ルートの
確立や、あるいは単なる好奇心で世界へ出て行ったのだろう。
だが、新大陸の発見や太平洋ルートの確立、アジアへの進出を果たすにつれ、徐々に
その活動は侵略性を帯びるようになり、土地獲得競争も活発化していく。
(トリデシリヤスやサラゴサ条約は、明らかに地球分割計画の意図ありと俺は思うね)
(この西欧人の精神の変換、大陸やアジアの発見がなぜ占有や侵略に結びついたのかについては
「驚異と占有、グリーンブラッド著」がある)
おそらくそうなってしまったのは、西欧に対してアフリカやアメリカ、そしてアジアの人々の知的
水準の低さ、合理主義思考(理性)の欠如、社会の後進性などの諸要素により、非西欧社会に対する
蔑視感情が征服欲を大きくさせてしまったのだろう。
976 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 16:38:40
太閤秀吉の時代、秀吉は総兵力40万人の朝鮮征伐部隊を用意してた。
当時の日本の国力・軍事力などは世界的に見てもかなり高位ランクだと思う。
明、オスマントルコ、大英帝国をぶっ潰して、真の世界史上最強国は日本だと
世界に示す。
977 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 18:38:39
比べるな朝鮮憐れすぎ
978 :
日本@名無史さん:2006/09/02(土) 19:52:59
18世紀だろうが16世紀だろうがチョンの出る幕なし
979 :
日本@名無史さん:2006/09/03(日) 14:22:56
>>976 明治維新前後の西欧が産業革命を成功させた時期でさえ、オランダ程度が日本を侵略に来たのなら返り討ちに出来るだけの国力は保持していた。
産業革命って明治維新の一世紀前には始まってたぞ。つかその頃はオランダの領土は長崎の出島だけ(ry
981 :
日本@名無史さん:2006/09/03(日) 22:21:05
>>980 オランダは東インド会社がジャワを植民地にして、他には南アフリカ、
南米、北米にも植民していただろう。南アフリカのアフリカーンス語はオランダ語
の方言だし、ニューヨークは最初、オランダ領だったはずだ。
982 :
日本@名無史さん:2006/09/04(月) 00:12:02
明朝と言えば支那歴代王朝屈指の暗黒時代だろ。
暗殺やら粛清の応酬で人材が枯渇した。
>>980 そうじゃなくて一時期本土を失陥してしまい、地球上でオランダの旗が立ってるのは長崎だけという状態になった。
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