軍人軍閥総合スレ

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501日本@名無史さん
>>496
五摂家で職業軍人ってこの家くらいかな?
息子がノモンハンで醜態を晒して停職になったね。
502日本@名無史さん:2005/07/13(水) 16:23:44
>>501
詳しく
503日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:13:44
醜態を晒したはちょっと酷な言い方だったかな。
鷹司公爵の次男鷹司信煕砲兵大佐は野戦重砲兵第7聯隊長としてノモンハンに参戦。
8月下旬敵の包囲下で「書類」の焼却を指示。ところがこれを聞き間違えた部下が
「車輛」の焼却を始め、その煙を狙い撃ちされて、火砲を牽引する術を失ってしまう。
その後残った部下と加農砲1門を引き連れ後方の司令部に出頭するが、
司令部は聯隊長が火砲を放棄して退却したことに怒り、後方での謹慎を命じた。
9月には停職と男爵の礼遇停止の処分を受け、その後予備役に入れられた。

鷹司大佐は、車輛の焼却の混乱以外は何も間違った処置はしてないと述べているが、
例えば小松原師団長は、沢田茂中将の「何か処分しなければならぬ人はないか?」
との問いに、配属の砲兵旅団で、鷹司中佐(大佐)に逃走の嫌疑がある、と答えている。
また飯村中将はその手記で、「日本最高の名門出身の某砲兵聯隊長の自刃近しとの
報に接し、アノ人もかと思ってハラハラしたのであったが、幸いにも無事であったので
胸をなでおろしたことを、覚えている」と書いてる。
504日本@名無史さん:2005/07/13(水) 21:57:09
>>503
d
どうやらあまり優秀ではなかったようですね
505山縣は逆賊:2005/07/13(水) 22:24:26
孝明天皇を毒殺して幼い明治天皇を手中に収めた陰謀の薩長は無能の集まり。明治新政府で猛威をふるった山縣の軍が野望を求め第二次大戦で日本を壊滅させた!今日の日本の姿は全て明治維新の無能な薩長のおかげだぜ。
506日本@名無史さん:2005/07/13(水) 23:37:48
小松原は鷹司と井置中佐を並べて指弾してる。
もし鷹司が超名門の出でなければ、恐らく井置中佐と同じ運命を辿っただろう。
507日本@名無史さん:2005/07/14(木) 00:16:38
>504
 そもそも「野戦重砲兵連隊」が包囲されるような状況を作り出した、小松原中将
自身も含めた司令部の「優秀でなさ」の方が問題何じゃないだろうか。
508日本@名無史さん:2005/07/14(木) 00:27:14
小松原の井置中佐に対する言い草も酷いもんだよ
「僕の部下は、あの困難な状況に於いて、不束な僕の指揮に従ってよく働いてくれた。
ただ一人、捜索聯隊長に問題があったが、同期生が詰め腹を切らせて、表面きれいに
済んでおるから、これには触れたくない」
509日本@名無史さん:2005/07/14(木) 01:02:20
>>496
階級が少将までって中途半端だな
この人の家柄、門地があったら大将までいっておかしくないと思うが
510日本@名無史さん:2005/07/14(木) 16:25:51
>>509
親補職の師団長にはできないような人物だったんだろう。
511日本@名無史さん:2005/07/14(木) 17:36:14
いくら五摂家とはいえ、それだけで大将までなれるほど甘くないよ。
まあこの人の場合、佐官時代侍従一筋で、少将進級と同時に後備に入り、
その後も宮中に仕え続けたかなり特殊な人物だけど。

余談になるが、軍人華族の2代目は大佐、少将くらいが多い。
寺内家みたいなのは例外的。
512日本@名無史さん:2005/07/14(木) 17:52:10
>>511
反長閥のムードの中で、長州出身者の陸大入学を阻止したりしたこともあったようだから、
埋没した人も多かったんだろう。
513日本@名無史さん:2005/07/14(木) 20:03:06
長州云々はあんま関係ないね。軍隊は世襲制じゃないってこと。
     親          子        孫
公爵 大山 巌元帥   柏少佐
侯爵 西郷従道元帥  従徳大佐   従吾大佐
伯爵 奥 保鞏元帥   保夫少将
    寺内正毅元帥  寿一元帥
    長谷川好道元帥 猪三郎少将
子爵 大島久直大将  久忠大佐
    大島義昌大将  陸太郎少将
    川村景明元帥  景一大佐
    高島鞆之助中将 友武中将
    立見尚文大将  豊丸大佐
    谷 干城中将   儀一少将
    西 寛二郎大将 勝男大佐
    山口素臣大将  十八少将
男爵 浅田信興大将  良逸中将
    上田有沢大将  兵吉少将
    安東貞美大将  貞雄大佐
    木越安綱中将  専八少将
    永山武四郎中将 武敏大佐
    井田 譲少将   磐楠少佐   正孝中佐
514日本@名無史さん:2005/07/16(土) 17:31:07
井田磐楠 ウィーン生まれの右翼政治家。戦犯として巣鴨に入った。
爵位を継いだ正孝は宮城事件など終戦時のごたごたを語る上では欠かせない人物。
養子だったので戦後は生家の岩田に復姓、電通で重役になった。
まだ御存命なのかな?ちょっとググったけどわかんない。
515日本@名無史さん:2005/07/16(土) 18:08:59
長州閥というのは別に世襲をいうのではないだろ
山形有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一と続く陸軍軍政の独占を指すはず
だが、上原勇作の登場で、長州閥の終焉を迎えることになった
516日本@名無史さん:2005/07/16(土) 18:11:22
山形有朋⇒山県有朋
517513:2005/07/16(土) 19:07:52
よく考えたら谷儀一少将って血筋的には孫だったわ。

世襲云々というのは、偉いさんの息子だからといってすいすい出世できるわけじゃない
という意味で使ったわけで。
二世があんまり大成してないのは、反藩閥感情に邪魔されたというのも
まるっきりなくはないだろうけど、それより本人の性格や能力に因ると思うのです。
518日本@名無史さん:2005/07/16(土) 19:16:25
同等の能力なら力のある派閥に所属してたほうが有利だが、明らかに能力が劣る人間が
出世できるほど世の中甘くはない。こうしたことが行なわれる組織はいずれ衰退する
かの東郷元帥の息子(実)だって特務艦長や地方の人事部長で退役(少将)
519日本@名無史さん:2005/07/16(土) 21:08:07
寺内の息子みたいな明らかに無能な人間が何で出世できたんだ?
520日本@名無史さん:2005/07/16(土) 21:15:19
へー
521日本@名無史さん:2005/07/16(土) 21:18:17
陸大の成績はわるくないんだなあ、これが>寺内
522日本@名無史さん:2005/07/17(日) 01:01:45
>>519
二二六後の粛軍で上がいなくなったから、と誰かが書いてたな
523日本@名無史さん:2005/07/18(月) 22:16:19
粛軍人事をするために陸相になった。
そのお陰で出世出来たのは東條。
524日本@名無史さん:2005/07/19(火) 20:54:54
>>519

昔のスレのコピペ

寺内寿一
若い頃には放蕩者で、正毅の嗣子でなかったらまあ少将どまりと見られていた。
彼は生来ののんき者というか、伯爵家の坊ちゃん育ち、部内にどんな風が吹いていようが自分に対してどんな冷や飯を食わせようが、超然として酒を飲んでいた。
まあ、毒にも薬にもならないからと、皇道派時代でもあえて首にはしなかったのだ。
他人の邪魔をしたり、何かの野心を持たずにいれば、かえって生き延びられるものだ。
あくせくして上手に立ち回ろうとして、足をすべらして、どんどん転落していく者が出てくるので、いやでも順番が回ってきて第四師団長になった。
第四師団長もまあどうにか勤めたから、もうこれ以上は現役軍人として望むところはない。もとより元帥や大将になろうという野心はない。
昭和九年八月の大規模人事異動で、今度こそ自分の番だとお別れの宴を開くことにし、招待状に日付を書き込むばかりにして待っていると、台湾軍司令官に転補されることになった。
これですっかり運命は一変して、やがて大将になる。
軍司令官から軍事参議官として大礒の自宅に悠々自適しているうち、二・二六事件が起きた。
一番遠隔の地大磯にいた寺内が、参内将軍第一着となり、真崎から不審をもたれる一幕もあって、今度は陸軍大臣になった。
全くついていたというほかはない。

高宮太平、「昭和の将帥」より。
525日本@名無史さん:2005/07/19(火) 21:19:57
宇垣「私が陸相時代軍の定期異動で寺内の予備役入りを決めたが、彼は陸軍の
   大先輩の跡取りだから、辞令だけでは失礼と思い本人を呼んで”君は伯爵だ。
   此の際後進に途を譲り義兄児玉伯と共に、貴族院議員でお国に御奉公してはどうか”
   と、勇退を求めた。彼はうなだれて『私の無能は存じて居りますが、私は世間で申しま
   す襁褓のうちからではなく、母の胎中にいる時から陸軍の飯を戴いて居りましたので、
   任地は由良でも澎湖島の要塞でも結構です。どうか一生陸軍に置いて頂きたい』と
   神妙にいうので宋襄の仁も手伝って馘首は引っ込めた」
526日本@名無史さん:2005/07/19(火) 21:58:35
寺内正毅は、宇多田正輔の3男で、宇多田正毅と言ってた。母の実家の寺内家を継いだ。
そう、あの宇多田ヒカル一族だよ。
ちなみに、宇多田ヒカルの祖父の宇多田二夫は、東京外国語学校(現東京外国語大学)を出ると英語力と一族(寺内寿一)のひきで南方総軍の情報将校となった。
527日本@名無史さん:2005/07/19(火) 21:58:47
最悪の大元帥は昭和のテンコロ(w

528日本@名無史さん:2005/07/19(火) 22:10:24
>>526
寺内の生家が宇多田家というのは知ってたけど、
それが宇多田ひかるにつながるのは知らなかった
一つ勉強になりました
529日本@名無史さん:2005/07/20(水) 05:37:33
初めまして、ここで質問していいかどうかもわからないのですが
失礼を承知で質問させてください。
旧日本陸軍の少将、中将というのはどういった立場だったんでしょうか?
自分の家系がそういうものだとつい最近知ったのですが、どうもピンとこなくて…
ここに書き込みをしている皆さんなら詳しいかと思いまして。
よろしかったら教えてください。宜しくお願いします。
530日本@名無史さん:2005/07/20(水) 12:24:26
少将・・・勅任官二等 (正五位)
     官衙では陸軍省局長、参謀本部部長、教育総監部部長など。
     軍隊では旅団長、独立兵団長、師団附、軍参謀長など。
     そのほか学校長や学校幹事、兵学教官など。
     官衙に於いては、事実上陸軍を動かす立場にあるが、軍隊に於いては
     中将と大佐に挟まれた比較的中途半端な階級。
     エリート軍人にとっては中将大将への過程に過ぎないが、無天の軍人に
     とっては終着点。少将進級と同時に待命というケースもある。
中将・・・勅任官一等(従四位)
     官衙では陸軍大臣、陸軍省次官、参謀次長、教育総監部本部長、航空本部長
     各兵監、憲兵司令官、学校長其の他色々。
     軍隊では師団長、軍司令官、方面軍司令官、軍参謀長など。
     上は大臣方面軍司令官から下は要塞司令官まで幅広い階級。
531日本@名無史さん:2005/07/20(水) 14:03:14
>>530
少将中将がどういうものが分かってない人に
「無天」「待命」だとか言っても分からんだろう。
参謀本部部長や教育総幹部部長も同じくその要職たるを
知らなければ「部長程度なの?取締役クラスじゃなくて?」ってなもんだ。
分かりやすく説明するのは相当難しいと思う。
532日本@名無史さん:2005/07/20(水) 14:19:49
>>496の人は日露戦争ではどういう職務にあったの?
533日本@名無史さん:2005/07/20(水) 18:13:40
534日本@名無史さん:2005/07/20(水) 18:37:04
>>533
535日本@名無史さん:2005/07/20(水) 23:21:36
>>531
現代の企業にたとえると

代表取締役会長=大将
代表取締役社長=中将
代表取締役専務=中将
   取締役専務=中将・少将
   取締役常務=少将
  取締役本部長=少将・大佐
   取締役部長=大佐
536日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:22:56
一口に少将といっても、まさにこれから陸軍を背負って立とうかという前途洋洋たる人
もいれば、これから第二の人生どうしようかなあという人もいるわけで。
537日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:33:42
陰謀の山縣が創立した軍隊は約80年で壊滅した!薩長は陰謀を企てて明治維新を成し遂げた賊軍である。
538日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:46:54
>>537
下らん煽りは他でやってくれんかね。
539日本@名無史さん:2005/07/21(木) 08:32:13
>>536
そういうこったな。
「少将が最終到達点なのか」「少将は中将・大将へのステップなのか」
人によって違うからな〜
中将にはなってもそこが最終到達点の人もいれば
更に大将への進む人もいるしな〜
540531:2005/07/21(木) 17:28:32
お答えいただきありがとうございました。
なんとなくつかめたような気がします。
曽祖父は戦死してしまったので中将止まりでしたが、それでも立派だったと思えます。

541日本@名無史さん:2005/07/21(木) 18:32:46
戦死したということは>>9-12にいらっしゃるんじゃ?
542531:2005/07/22(金) 09:22:06
第二師団の仙台夜襲師団だった方です。
543日本@名無史さん:2005/07/22(金) 10:20:41
なるほど。ガダルカナルで高熱を押して夜襲をかけた方ですか。
544日本@名無史さん:2005/07/22(金) 12:30:00
>>543
あれはご本人にとってはツキがなかったですな。
戦死という結果に変わりがなかったとしても、健康で存分に戦わせてあげたかった。
とは言え、あの職は何か中途半端な感じがしますね。後には職を置かない師団も増えていましたから。
545日本@名無史さん:2005/07/24(日) 18:15:49
日本陸軍将官総覧持ってる人いる?
欲しいんだけど、なかなか見つからん。
546日本@名無史さん:2005/07/26(火) 13:37:49
あれは全部載ってない本なんだよね
547日本@名無史さん:2005/07/29(金) 20:33:12
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4404027389/qid%3D1122636727/250-8057860-9992265
そんなに血眼になって探すほどの本とも思えんけどなあ
548日本@名無史さん:2005/07/30(土) 09:39:27
海軍は充実しているんだけど陸軍将官のキャリアが載っているサイトはないんだよな
549日本@名無史さん:2005/07/31(日) 23:04:31
今日行った古本屋に、偕行社の会員名簿(昭和51年)が
あったので買っておきました。
経理学校出身者らしき方から入荷した関係書籍数冊の山から
見つけました。経理学校出身者名簿他もありましたが、さすがに
食指動かずそちらはスルーです。
550日本@名無史さん:2005/08/01(月) 01:21:55
俺ほしいかも。
どこの本屋すか?

いいにくければ地域だけでも。
551日本@名無史さん:2005/08/05(金) 03:21:45
文●堂?
552日本@名無史さん:2005/08/05(金) 04:36:43
田中隆吉といえば愛人の川島芳子タンだな。
田中隆吉著作集では、芳子の方から自分に迫ってきたと書いているが、
楳本捨三の本では、田中が芳子を手篭めにしたことを別の軍人に得意げに話していたらしい。
どっちが真相なんだか。
村松梢風の文章には、芳子を怒らせた田中が土下座していたのを見たという。
田中の方が芳子に粘着していたな。
553日本@名無史さん:2005/08/05(金) 07:02:38
悪名高い関東軍の創立者は?
554日本@名無史さん:2005/08/05(金) 07:40:54
明治天皇
555日本@名無史さん:2005/08/05(金) 07:55:10
隆吉はその後芳子を多田駿に預けた。多田と芳子が男女の仲だったのかどうか
本当のところはわからんが、芳子は多田をパパと呼んでた。
多田が北支那方面軍司令官時代、芳子も北京に戻っており、このとき随分
多田の威光を利用するような言動を為して、北支の一部日本人の顰蹙を買ってた。
556日本@名無史さん:2005/08/05(金) 08:44:05
明治天皇は薩長に利用された?
557日本@名無史さん:2005/08/05(金) 09:56:09
ノモンハンの死者がソ蒙側が日満側を若干上回ってた事実と、ウェデマイヤー将軍などが日ソ戦日本側に成算あり、みたいな見方を総合すると、小畑敏四郎将軍が関東軍司令官で日ソ戦やったなら、良い展開になったんじゃないかね?
558日本@名無史さん:2005/08/05(金) 10:39:15
山縣が軍隊創立した人?
559日本@名無史さん:2005/08/05(金) 10:54:57
>>558
山縣と言うより大村益次郎。
大村が基礎を築き、山縣や大山等が発展させた。
560日本@名無史さん:2005/08/05(金) 11:09:58
薩長の指導者が創立した帝国陸軍は素晴らしい軍隊?
561日本@名無史さん:2005/08/08(月) 12:25:34
隊付青年将校運動について教えて下さい。
2.26事件って、実質磯辺浅一のオルグだと思うけど、天保銭組への反感も
あったって本当ですか?
(出典 松本清張のあれ)
562日本@名無史さん:2005/08/08(月) 12:32:41
薩長閥を中心とする明治新政府は明治天皇を大元帥陛下にまつりあげ近代国家軍国の道を歩み始めた。
563日本@名無史さん:2005/08/08(月) 12:39:30
大村益次郎の御親兵制度だっけ?
564日本@名無史さん:2005/08/08(月) 19:21:53
>>561
人それぞれとしかいいようがない
末松太平の本とか読むと少しは見えてくるんじゃないか
565日本@名無史さん:2005/08/09(火) 18:29:14
山口一太郎大尉について、教えて欲しいです。
彼は、226の時、決起したのですか?
処刑はされてないように伺うのですが…。
566日本@名無史さん:2005/08/09(火) 18:44:59
起訴されてもいないけど、当番司令の時、確か警視庁あいてに突貫突撃訓練
やらかして抗議受けていなかったか?
567日本@名無史さん:2005/08/09(火) 19:15:49
山口は事件当時、週番司令で、部隊の出動を見逃してる。
その後、舅に働きかけたり、戒厳司令部で熱弁を振るったりと。
無期禁固の刑を受けるけど、割合早くに出獄してる。
まあその能力が重宝されたんだろう。帝大理学部出てるからね。
568日本@名無史さん:2005/08/09(火) 21:55:05
ものすごく初歩的な質問なんだけど、
階級(といっていいのか?中尉とか大尉とか、大佐とか大将とか)
というのはどうゆう風にして、上の階に上がれるの?
年齢とか関係あるの?それとも、成績みたいなもの?
569日本@名無史さん:2005/08/09(火) 23:48:56
>>568
進級には停年による進級と抜擢による進級の2種類がある。
停年補徐は、進級に必要な実役停年を超えたものを順繰りに進級させるもので、
抜擢補徐は、進級に必要な実役停年を超えたものの中から選らんで進級させるもの。

各階級ごとの進級に必要な年数(実役停年)は、武官進級令で定められており、
例えば大正5年改正の陸軍武官進級令によれば、各階級の進級に必要な実役停年は
少尉-2年-中尉-2年-大尉-4年-少佐-3年-中佐-2年-大佐-2年-少将-3年-中将-4年-大将
となってた。しかし実際は定められてるよりも長くかかる。特に平和な時代は前が詰まってる
ため、大尉あたりで7、8年は当たり前。そのほかにも内規が色々ある。例えば、少将になる
には佐官時代に2年以上隊付をしていなければならないとか。中将候補の少将を集めた
将官演習旅行なんていうものもあった。

少尉から中尉への進級は2/3が停年、1/3が抜擢、中尉から大尉へは停年と
抜擢が半々。大尉から少佐、少佐から中佐、中佐から大佐への進級はすべて抜擢人事。
大佐から少将、少将から中将、中将から大将への抜擢人事は明治天皇に禁じられていたが、
支那事変拡大にともない、少しずつ行われだした。

抜擢を受ける材料としては、やはり陸大を出たかどうか、出たなら其の成績だろう。
天保銭は、大尉或は少佐進級時に、無天の同期生より先に抜擢を受け、
先輩の無天すら追い抜いて進む。
570日本@名無史さん:2005/08/10(水) 00:10:29
補足
・砲工学校高等科を卒業したものも、陸大卒業者と同等の抜擢を受けた。
・大佐から少将への進級年限は2年と定められていたが、通常は6年くらいかかった。
 少将進級見込みの無いものは、4年で予備役となっった。
・明治天皇が将官への抜擢を禁じたのは、「団隊長ともあろうものが、後輩に追い抜かれて
 は、恥ずかしくて職に止まれないだろう」という配慮からであった。
・中将から大将への進級は内規で6年と定められていた(進級令では4年)が、東條を
 大将にするために5年に短縮された。
571日本@名無史さん:2005/08/10(水) 04:40:38
>>567
その後は、何してたんだ?
572日本@名無史さん:2005/08/10(水) 07:02:29
>>571
萱場製作所技術部長

青江舜二郎の『石原莞爾』には昭和13?年頃には新京に姿を見せたと書いてある。
573日本@名無史さん:2005/08/12(金) 11:23:30
梅津美治郎って日記とか回想録の類残してたっけ?
574日本@名無史さん:2005/08/12(金) 20:33:35
>>573
例え残していたとしても、遺族が公開しなければ我々が見ることは無理。

高松宮日記も危うく宮家の倉庫内で朽ち果てるところだったし。
575日本@名無史さん:2005/08/13(土) 16:42:51
質問です。一等兵や二等兵といった人たちと
少尉や中尉などの将校はどう違うのですか?
また、二年兵や一年兵、などは徴兵令で入ってきた兵隊達をいうのですか?
徴兵令は、昭和初期(特に226の時)には
どのように行われていたのでしょうか?
全ての人が、徴兵令に行っていたのですか?

知識が乏しくてすみません;
576日本@名無史さん:2005/08/13(土) 18:37:43
577日本@名無史さん:2005/08/13(土) 18:48:55
578日本@名無史さん :2005/08/17(水) 21:54:56
香川敬了って三菱財閥下の企業経営者は桓武帝後裔ってこともあって、献金で陸軍中佐の地位を金で買った。五代財閥も同じ。
579日本@名無史さん:2005/08/17(水) 22:25:23
>>573
海軍のA級戦犯で死刑が確実であろうといわれた嶋田繁太郎元海軍大臣は、詳細な日記を付けていたという。
しかし、意外にも終身禁固になり、陸軍関係者の怨嗟の的になった。
したがって、戦後死ぬまで嶋田は沈黙して、遺族も、そんな嶋田の気持ちをおもんばかって日記を公開していない。
公開すれば、昭和史の貴重な資料になるといわれ続けている。
580日本@名無史さん:2005/08/18(木) 11:15:08
香川敬了は帝国大学でてるしね。世界恐慌の一ヶ月前に三菱財閥入るとかけっこう頭良いし。
581日本@名無史さん:2005/08/19(金) 22:35:39
終戦後の経営者とかってどうなったのかね?満州五代財閥とか
582名無し:2005/08/20(土) 22:04:30
敬了日記って香川敬了が書いたの?あれって自分的には公開されてりゃ世界的だったんじゃないかと思う
583日本@名無史さん:2005/08/20(土) 22:17:35
敬了日記(上・中・下)綿糸会社設立→ホワイトスターライン社の視察→陸軍参入までの個人記録。
584日本@名無史さん:2005/08/20(土) 22:19:25
タイタニック号の図面や軍人の個人情報など貴重な情報が書かれた。自分の鉄工会社や綿糸会社などの4つの会社の記録から大陸料理や軍隊料理なども書かれていた。自身がシベリア抑留されると執筆中の下巻が行方不明に。上中巻は経堂の屋敷で勲章国債と共に妻に焼かれた。
585日本@名無史さん:2005/08/20(土) 22:20:52
現在、焼け残りを保管した女中頭付きの沼なる人物が5ページ分の写本を保管している。
586日本@名無史さん:2005/08/20(土) 22:22:19
連書き失礼。私の大学に写本のコピーがあった。でも一般公開はしていない。
587日本@名無史さん:2005/08/20(土) 22:28:19
ちなみに沼なる人物は現在70〜?公開しない理由は8年前までお仕えした敬了の息子さんに義理立てしているらしい。なお内容も重要でないとか。
588日本@名無史さん:2005/08/20(土) 22:40:32
12月14日 今日は赤穂浪○討ち入りの日である。私も久々に歌舞伎が見たくなった。
       高級参謀が連日会議を開いている。戦況は芳しく○いようである。我国の国力は拙い。
       軍人には国家計算は出来ないようである。○給品も益々粗悪になってきた。

       奸臣達にいくら進言しても日露戦争の話を持ち出す。

       おそらく今年の3月には満州撤退命令が下るであろう。内閣がまともならの話であるが。
       
       
589日本@名無史さん:2005/08/20(土) 23:28:02
5月○○日 満州に来て一ヶ月余りが過ぎた。毎日執務室詰めで仕事も事務が中心である。
      たまに本庄氏が来て世間話をする。平時の高位の軍人は案外暇なのだろう。
      街では抗日騒動が頻繁に起こる。旅順工場からの書簡で船が抗日騒動で燃やされたと聞いた。
      早く日本に戻りたいものである。

      教育係の士官が下兵を憂さ晴らしに罰棒で殴っていた。軍規は乱れている。
      
      私は遠縁ではあるが皇叔であり本庄氏や敬三先生の後盾があるので士官は細かい事を言わない。
      
      
      

      ○原中将に頼み韓国の内侍日誌という王朝の秘文書写本を閲○させて○○た。
      以○にその内容の一部を書き記す。
       
590日本@名無史さん:2005/08/21(日) 01:12:22
>>575 >>577
日本陸軍では「一年兵」とは言わず、「初年兵」と言う。
初年兵は普通、入隊して半年、訓練の成果を見る「一期検閲」があり、
殆どの初年兵は二等兵から一等兵に進級する。つまり一年たって進級
するのではなく半年で進級する。その時点で二年兵の一等兵と初年兵の
一等兵が出来、やがて二年兵は半年がたてば約半数が上等兵に進級して
無事除隊していく。
591日本@名無史さん:2005/08/25(木) 22:23:10
質問。
226決起将校の、河野寿大尉と竹島継夫中尉は
同期生(40期)だと伺いますが、
226事件当時、大尉と中尉で階級が違いますよね。
どのような違いから、こうなったのですか?
(質問がおかしくてすみません。)
592日本@名無史さん:2005/08/25(木) 22:38:55
河野さんが航空兵だからです。
593日本@名無史さん:2005/08/27(土) 09:28:47
鈴木貞一について教えて下さい。

母方の祖父の叔父にあたると聞いて驚いているんですが、本当なのかよくわかりません。
戦前祖父が非常にお世話になったそうですが、祖父のほうが先になくなり、話も全く聞けずじまいでした。
母方は千葉の芝山、成田に親戚が多く鈴木貞一も戦後は成田で蟄居していたそうなので
本当のような気もします。

鈴木貞一氏の兄弟や親戚、戦後のことなどどなたかご存知であれば教えて下さい。
594日本@名無史さん:2005/08/27(土) 09:31:57
>>593
平成元年まで生きてらっしゃったんですから、お祖父さん以外にも
知ってる親類の方はいらっしゃるんじゃないですか
法事の時にでも聞いてみたら?
595日本@名無史さん:2005/08/28(日) 18:31:02
hayakusine
596日本@名無史さん:2005/08/29(月) 20:14:40
秩父宮って王位簒奪を狙っていたって本当ですか
597日本@名無史さん:2005/08/29(月) 20:41:00
>>596
嘘です
598日本@名無史さん:2005/08/30(火) 06:16:04
秩父宮最強伝説
599日本@名無史さん:2005/09/02(金) 17:41:58
有末精三が糸引いてたんでしょ?
なにかと
>秩父宮
600日本@名無史さん:2005/09/02(金) 19:20:44
結核を口実に御殿場の別荘に押し込め。紀元2600年の奉祝式典でも
天皇陛下万歳の音頭も弟の高松宮が・・・・・・・
601日本@名無史さん:2005/09/02(金) 19:23:15
結核を口実に御殿場の別荘に押し込め。紀元2600年の奉祝式典でも
天皇陛下万歳の音頭も弟の高松宮が・・・・・・・
602日本@名無史さん:2005/09/03(土) 09:38:29
秩父宮殿下は安藤輝三大尉と親しかった。
だから、2・26事件後、青森から上京した時も宮中や軍部は困惑したようです。
本人は、どんな意図で上京したんでしょうね。
当初は、本気で反乱軍の頭目になるつもりだったんでしょうか?
603日本@名無史さん:2005/09/03(土) 11:01:09
反乱将校のクーデターが失敗に終わった場合の処置を少しでも軽くできたら良いなぐらいの気持ちでしょ。
604日本@名無史さん:2005/09/05(月) 19:01:24
そんな心持ちなら叛乱将校に「腹を斬れ」とは言わんでしょう。
605日本@名無史さん:2005/09/12(月) 07:13:23
担ぎあげるとしたら誰がやるの?
606日本@名無史さん:2005/09/16(金) 08:03:53
北一輝
西田税
607日本@名無史さん:2005/09/19(月) 06:23:20
西田が秩父宮と同期で繋がっていたんじゃなかったっけ?
608日本@名無史さん:2005/09/19(月) 10:11:46
若殿に兜取られて負け戦
609日本@名無史さん:2005/09/21(水) 00:12:21
有栖川宮熾仁親王は戊辰の役のとき、東征大総督であり、
西南戦争や日清戦争にも功績があるにも関わらず、元帥に
なってないのですか?誰か教えて!
610日本@名無史さん:2005/09/21(水) 00:52:55
日清、日露は薩長が多いが、第二次世界大戦はどうだったのかな。東条は違うし、
やはり薩長じゃないから負けたのかな。
611日本@名無史さん:2005/09/21(水) 05:09:11
山下奉文も事件のあと、陸相官邸に集められた決起将校らに暗に自決するよう示唆したため
事件前は煽ったり同情していたくせにと山下に将校の多くは腹を立てていた
612日本@名無史さん:2005/09/21(水) 05:59:32
>>609

元帥府条例が制定される前に亡くなったからでしょ
613日本@名無史さん:2005/09/22(木) 13:46:57
>>612
ですな。

熾仁親王薨去は明治28年。
元帥府條例公布は明治31年。
あと3年生き永らえておれば・・・。
614日本@名無史さん:2005/09/28(水) 13:43:15
黒木為もとも、元帥になっていないな。
615日本@名無史さん:2005/09/29(木) 22:49:13
age
616日本@名無史さん:2005/09/30(金) 03:40:16
黒木は過小評価されている気がしてならんのだが
有名じゃないし…
617日本@名無史さん:2005/09/30(金) 13:37:53
野津兄弟は?
618日本@名無史さん:2005/10/09(日) 08:41:20
>>617
野津は全然知られてないね
619日本@名無史さん:2005/10/24(月) 17:08:11
失脚した小澤の風貌がいかにも歴戦の将軍・・・
620日本@名無史さん:2005/11/03(木) 16:36:49
武雄か・・・曾我スケノリも味がある
621日本@名無史さん:2005/11/20(日) 11:59:50
野津弟は一見優男
しかし実際は鹿の血を、精がつくといって飲む人
622日本@名無史さん:2005/11/20(日) 17:11:22
日清戦争のさなかの、真冬の朝鮮半島で、水浴びしてたヒトですね・・・
623日本@名無史さん:2005/11/22(火) 20:36:06
そのシチュエーションにはもしや福島安正が…。
624日本@名無史さん:2005/11/22(火) 20:43:18
野津兄は田原坂で酒樽ぶち抜いた話しか知らんわ
625日本@名無史さん:2005/11/28(月) 00:29:36
自民党の加藤紘一が石原莞爾と親戚だと読売の特集記事で読みました。
びっくりです
626日本@名無史さん:2005/11/28(月) 19:50:16
>>625
いま知りました。びっくりです。
627日本@名無史さん:2005/12/11(日) 10:39:03
加藤の乱で泣きながら加藤止めてた谷垣大臣は影佐禎昭の孫らしいね
628日本@名無史さん:2005/12/11(日) 10:59:03
近代史板でやれよ。
629日本@名無史さん:2005/12/11(日) 11:11:34
帝國陸軍は全てカス。 山縣が日本をメチクチャにした。
630熊沢:2005/12/11(日) 11:35:49
そやそやワイがミカドやったらあんなことにはならへんかった
631日本@名無史さん:2005/12/11(日) 11:56:43
熊沢天皇万歳!
632日本@名無史さん:2005/12/14(水) 01:16:47
>>627
それは知ってたW
633日本@名無史さん:2006/01/06(金) 05:14:10
おいおい実はな…。
カシミールはインドとパキスタンだけでなく、中国も領有を主張しているのだぞ。
それでころか、インド領チベット人地区も狙っているのだ。
なぜなら、そこに化石燃料を見つけたから。
あぁ、恐ろしや、恐ろしや。
中国って本当に怖いね。
634日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:29:39
>>491
陸軍パンフレットは永田鉄山のかばん持ちで当時軍事課政策班長だった池田純久の手によるもので、
社会大衆党書記長麻生久の右腕、亀井貫一郎が作成に参加している。
三月事件のとき、永田鉄山は亀井を協力者としたクーデター案と書いており(何とかごまかした)、
麻生と亀井は統制派の重要な協力者の一人だった。
永田が殺されたとき、血の海に横たわる永田を抱きかかえたのが池田純久と武藤章だった。
635:2006/01/08(日) 12:05:47
>>634 3月事件の予定として.赤松克麿と亀井貫一郎は総同盟の組合員をして
国会に乱入し国会を占拠するつもりだった。
636634:2006/01/08(日) 19:44:06
というか、亀井に陸パン起草への参加を求めたのが永田だったようだ。
637日本@名無史さん:2006/01/08(日) 19:56:23
>>634
>亀井貫一郎が作成に参加している。
それ、亀井貫一郎以外の証言あります?
どうも眉唾だと思ってるんだが。
638日本@名無史さん:2006/01/08(日) 20:08:30
>>637
一次資料での証言と言うことではよくわかりません。
他政党が陸パンに反対するなか、社大党の麻生久らは支持に回っていたようだから、
自分としては別に不自然とは感じなかったんで特に探してみようと言う考えもありませんでした。
どこら辺が眉唾ですかね?
639日本@名無史さん:2006/01/12(木) 10:09:43
だから近衛(文麿)擁立運動をいうのはわれわれのグループにおいては合法的にいく場合もある。
非合法でいく場合もある。いずれにしても近衛でいく…。
永田(鉄山)の在世中、議会、政党、軍、政府の間に、両院議長が、
つまり近衛が貴族院議長で、秋田が衆議院議長で、それが立会人となって覚え書を作ったんですよ。
…われわれの軍内の味方はある意味においてカウンタークーデターを考えておったのです。
だから右翼は右翼でクーデターを考えてもよい。
どっちのクーデターが来ても近衛を押し出そうと、ここまで考えていたということが永田が殺された原因の一つですね。
(亀井貫一郎談話)
640637:2006/01/12(木) 12:41:26
>>638
レスがすっかり遅れてすみません。
ちょうど >>639 で引用されてる部分に関しし、塩崎弘明氏は、
「このような亀井の『証言』には多分に思いこみがあるといわねばならぬ」
と評されてます(『国内新体制を求めて』p..23)。
亀井はそこで言及されてる新庄健吉や、内務官僚の加藤祐三郎を、
非常に近い同志としていますが、
塩崎氏の言うようにそのような実体は資料上確認できません。
亀井と永田の関係も、亀井の証言以外には見当たらず、
些細な接触をかなり大げさに述べたものではないだろうかと思っています。
641日本@名無史さん:2006/01/16(月) 00:27:08
>>640
レスありがとうございます。
塩崎氏の本を見てみようと思います。
642日本@名無史さん:2006/01/25(水) 01:13:32
有名軍人の子孫が有名人って例を教えてー
643日本@名無史さん:2006/01/25(水) 04:38:31
上原勇作の子孫が加山雄三
644日本@名無史さん:2006/01/25(水) 06:31:40
それはガセ。上原謙は芸名で本名は池端。
645日本@名無史さん:2006/01/25(水) 10:26:21
山屋他人大将(連合艦隊司令長官)と江頭安太郎中将(海軍省軍務局長)の
曾孫が現皇太子妃雅子。
646日本@名無史さん:2006/01/25(水) 10:34:47
やっぱり海軍が日本を滅ぼすということね・・・
647日本@名無史さん:2006/01/26(木) 01:34:47
東條英機の曾孫は国分佐智子
648日本@名無史さん:2006/01/29(日) 03:27:35
649日本@名無史さん:2006/01/29(日) 03:28:33
650日本@名無史さん:2006/01/29(日) 03:29:11
651日本@名無史さん:2006/01/29(日) 03:30:04
652日本@名無史さん:2006/01/29(日) 03:30:43
653日本@名無史さん:2006/02/04(土) 02:43:30
石原莞爾(1889〜1949)
帝国陸軍中将・参謀本部作戦部長、第16師団長

>満州事変では1万の関東軍を指揮して30万以上の張学良軍相手に圧勝。
>事変を経てその名は世界に知れ渡る。WW2に参加出来なかったのが残念。

この評価が日本人の弱点を端的に表しているね
→「戦術好きの戦略下手」

>しかし彼が招いた大本営軽視の風潮は、その後陸軍の独断専行を頻発させ、
>皮肉にも彼が最も反対していた日中全面戦争、日米開戦の淵源となってし
>まった。さしもの預言者も、“神”ではなかったということか。

>また彼の思想は常人の理解の限度を超えてかなり宗教じみていたが、
>人望も厚く、政治家でもないのに庶民の支持が強い。
>極東軍事裁判でのやり取りでは敗戦国側の証人にも関わらず、
>敵国の判事には尊敬され、石原を追及したイギリス人検事すら
>「馬鹿な尋問ばかりしてすいません」と謝るほど。

>石原の能力・実績のわりに現代での人気がそこまでないのは、
>彼が引き起こした結果責任がマイナスされてのことだろう。

太平洋戦争の「亡国の三傑」と呼ばれてもおかしくない人物にこの評価です
島国の有り難さを肌で実感できますね
654日本@名無史さん:2006/02/15(水) 19:59:40
全く・・・石原莞爾は馬鹿だね。有難迷惑の典型だよ。
     くたばった馬鹿叩いてもしょうがないけど。
655日本@名無史さん:2006/02/18(土) 15:33:55
永田鉄山が殺されてなかったら、以後の歴史は違っていたでしょうか?
656日本@名無史さん:2006/02/18(土) 15:46:35
石原莞爾は活躍できた。
657日本@名無史さん:2006/02/26(日) 04:19:51
2.26あげ。
658日本@名無史さん:2006/03/24(金) 21:57:16
うーん  
659日本@名無史さん