日本の刑罰史について語る2

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937日本@名無史さん:04/12/08 20:59:17
可奉存候文法的に直ちに間違いではないが、前後、文意を見れば誤った用法だ
938日本@名無史さん:04/12/09 00:11:36
関東派の牙城・東大法学部にまで全身に油を塗ったボディビルダーが侵入するとは嘆かわしい‥
就職先の無い史学科に帰ってもらえ!
939日本@名無史さん:04/12/09 00:13:28
ボディビルダーじゃなくて相撲取りなんだが
940日本@名無史さん:04/12/09 00:36:09
>>933
使ってるから2chに来てんだろ。
>>860は登録しないで出る字も使ってない。
941日本@名無史さん:04/12/09 00:57:36
だからどーした
942日本史@名無史さん:04/12/09 01:44:46
大學ヘ授様、重ての失礼御宥免下さいませ。
扨々スレ題が本朝の刑罰に限定なりせば、直ぐには今の処思ひ附くものがありません。
不肖は重複のなきよう今暫く思索いたし、諸兄の設問と先生の回答に耳を傾けませう。
943日本@名無史さん:04/12/09 02:09:21
>>938
教授が関東派の学祖と位置づけている(>>846)三浦周行は文科大学国史学科卒(選科)の
「全身に油を塗ったボディビルダー」。
944大學ヘ授:04/12/09 09:56:09
>>942
 ご丁寧なるご挨拶痛み入ります
 何れ全員スレ違ひにて、他に宜しき書込の宛ても無きことなれば、ご存分にお書き下さい
 言葉が過ぎまして、ご無禮申上げました

>>943
 938は我ならず
 また三浦先生は寧ろ関西派の開祖でせう
 京大は法學部にしても就職する氣が薄かったし、文學部は東大でも浮世に勤め先は無かりき
 これは事實です
 されど、人はパンのみに生るに非ず、とヤソも申します
 相撲取もボディビルダーも、力を合せて御國に尽しませう
 
945日本@名無史さん:04/12/09 18:38:25
大学教授のファンだったけど、俺たち史学科を馬鹿にするんでもう嫌いだ!
就職の無いかわいそうな人を苛めていいんか!
946日本史@名無史さん:04/12/09 21:22:29
945殿、議論の裡にも礼有り。大学教授先生は恬淡にして亦た能く仁を知る人なり。
史学にして現今扶持の方途少なきは予れ能く知る処なり。
さればこそ大和魂を固め、今何を学ぶべきや、何を宗とすべきや見極めが肝心なり。
今暫くは糠糟だに飽くこと勿れ。
大学教授様
こちらこそ毎度有益なる御教示、幸甚に存じます。
古人曰く「人心これ危し、道心これ微かなり、これ精これ一、まことにその中を執る
れ」と。誠に若き学徒には世を憂い、国を憂い、吾れ今何を為すべきやを絶えず自問して欲しく、後世迄も四海に冠たる日本国を安泰ならしめ度く存じます。
947日本@名無史さん:04/12/10 12:44:45
文盲は逃げ散って今、同心スレで教授の留守を狙い喚いてる。
何れまた言い負かされて帝国憲法スレへでも逃げ込むんだろーw
948日本@名無史さん:04/12/11 00:19:44
教授に限らずコテハンは狙い打たれる傾向があるけど、自信のある人は平然と貼るんだわこれが‥‥
949日本@名無史さん:04/12/11 03:38:12
文盲は名無し
950日本@名無史さん:04/12/12 00:21:26

さてはお前が文盲荒らしだったか
951大學ヘ授:04/12/12 11:07:48
  妻敵討
 敵討の一種であるといへば言へるが、大公儀から庶民まで、必ずしもも好まなかった
 要するに夫による姦夫姦婦、殊には姦夫の成敗である
 公辺は一般の敵討に對するより更に制約し、一般も家の恥を公にすることを嫌った

   妻敵は討つ方が憎体二見え

 庶民では寧ろ内済で済ませるのが普通であり、各地に相場まであった
 しかし武家には断固討取る氣風も残り、法制上も一定限度で許容された
952日本@名無史さん:04/12/12 13:17:45
    〔特別講演〕法が生まれるとき──国際法の場合
                小田滋(前国際司法裁判所裁判官・東北大学名誉教授)
 「法が生まれるとき──国際法の場合」というテーマを与えられて、一体国際社会という
ものが何時からあったのか、そこに法があったのだろうか、歴史に疎い私には判らない。た
だ16、17世紀ころからひとにぎりの学者がius gentium国際法と称する概論書をかきはじめ
ている。近年ではむしろそうした書物そのものを国際法の源流と理解しているようである。
重ねて私には判らない。

 国家間に法規範意識が生まれるのは19世紀後半、それももっぱら戦争の仕方についてで
あろう。そうして紛争を平和的に解決すべしとする規範意識である。主としてロシアの主
導のもとに、戦争についてのルールがヨーロッパ列強の間の条約という形で策定される。
一般的な法規範はわずかな分野で生まれたに過ぎない。それも慣習法と言えるかどうかも
問題である。そうして国際間の裁判制度がごく原初的な形でスタートした。

 こうした混沌のなかからあえて国際法の法典化を、あるいは立法化を試みようとしたの
が1930年の国際連盟の法典編纂会議である。そこで採択されたのはあくまで法典案であり、
海洋制度、国籍制度、国家責任の分野であった。こうした試みは第二次大戦によって中断
され、すべては戦後の国連に引きつがれた。国連がその発足以後行ったもっとも注目すべ
き事業が国際法の法典化、立法化の事業である。人権条約、環境条約、外交関係条約、領
事関係条約、海洋法条約、宇宙条約など各分野にまたがる。これらは国連の国際法委員会
が数年の審議を経て発議し、世界各国の全権代表が一堂に会して一般条約という形で採択
する。これで国際法は生まれたのか。各国がこれに署名し、批准して拘束的な法規範とし
て受け入れるかどうかは別である。

 私自身、海洋法の作成に深く関わった経験から、実態は内容に無知な全権会議における
各国外交代表の手の上げ下げの多数決で決まってゆく国際法にいささか疑念をもち続けて
来たことに触れることが出来ればと思う。
953日本@名無史さん:04/12/12 13:21:02
   都市災害における賃借人の地位──立法史的研究
                           小柳春一郎(獨協大学法学部)
 平成7年1月の阪神・淡路大震災後の復興過程においてマンション,土地区画整理と並ぶ
重要性を有したのが借地借家問題であった。本報告は,ここで適用された罹災法(罹災都市
借地借家臨時処理法,昭和21年)について検討する。罹災法は,関東大震災後の借地借家臨
時処理法(大正13年)に源流を有する戦災復興目的の法律であり,@罹災借地権者保護とし
て,対抗要件なしの対抗力規定を設け,A罹災建物借主の保護として,(i)優先借家権(再築
建物を優先して借受ける権利),(ii)優先借地権(罹災建物借主が建物所有目的で土地賃借
申出し,正当事由を備えた地主による3週間以内の拒絶がなければ相当な借地条件で期間10
年の土地賃借権設定をうける権利),(iii)借地権優先譲受権を与える。通常の法理とは異る
借地権借家権の強制的設定が特徴である。B紛争処理につき賃借条件のみならず賃借権設定
の有無(権利の存否)について罹災非訟手続(非公開・職権主義)を予定し,これを合憲と
した最大判昭和33年3月5日では違憲とする少数意見もあった。

 罹災法は,既存抵当権と優先借地権の優劣が議論になるなど民事法としても難しい法律で
あるが,その特徴を理解するには歴史的考察が必要である。本報告では,大正時代からの都
市災害と賃借人保護法の歴史――関東大震災後のバラック問題や虎ノ門事件が賃借人保護法
に与えた影響,戦災復興,昭和30年代都市大火,昭和40年代以降の都市大火克服,阪神・淡
路大震災後の議論及び裁判例――を検討し,近代日本において都市災害がどのように変化し
たか,災害復興に賃借人がどのような位置を与えられてきたかを明らかにすることにより,
現在の法律問題に歴史及び法史研究が関わりうることを指摘する。
954日本@名無史さん:04/12/12 13:31:46
953が
>開会冒頭、獨逸協会大學某教授が史学科出て行けと言はんばかりの震災對策法制論で
>大審院−最高裁判例の帰趨、立法の動向を論じ、法務省参事官答弁の遺漏を衝き、實
>定法を學べと獅子吼せられたのでボディビルダーはふてくされてゐた
のことだと思う。また952は
>黄葉美しき京都帝國大學で開催された法制史學会は盛会でした
>中でも、國際聯合國際司法裁判所裁判官を三期二十七年勤め上げられた小田慈先生の
>御講演が最も示唆に富んでゐたので、追々御紹介しませう
>小田先生は東京帝國大學法科大學で國際公法を横田喜三郎先生(東京帝大ヘ授−國際聯合國際司法裁判
>所裁判官−最高裁判所長官)に學び、東北帝國大學で刑法を木村亀二先生に學ぶ等せられた法學徒にて無
>為徒食の史家に非ず
>法の生まれる時てふ主題の下、説き去り説き來り、特に支那潜水艦の領海侵犯事件に付き、對馬海峡な
>ら同じく12浬線を犯すとも本邦日頃の主張により國際法違反とならず「だから支那は馬鹿」と明言せら
>れ会場を沸かせたり
だろう。しかも教授の紹介のほうが詳しいから、こぴぺでは無い。
最高裁判所裁判官名簿も調べたがS、Kという判事は実在し、しかも同一大学出身だった。同じ研究室と
いうのもおそらく事実だろう。教授の書いていることは全部事実と思われる。彼は本物だ。
955日本@名無史さん:04/12/12 14:50:52
>大学教授のファンだったけど、俺たち史学科を馬鹿にするんでもう嫌いだ!
>就職の無いかわいそうな人を苛めていいんか!

また、全裸にオイルを塗ったボディビルダーか・・・
956日本@名無史さん:04/12/12 17:02:14
そーゆーことならさらしあげると最高裁にタイーホされる。
957日本@名無史さん:04/12/12 17:20:59
>>954
全く見当違い
958日本史@名無史さん:04/12/12 21:04:03
大学教授先生の妻敵討のお話で思い出しましたが、
先妻が後妻を懲罰する、後妻討(うわなりうち)が中世の頃は存在していたといいますが、
このような私裁が本当に存在したのか、史料に残りづらいのか、まともな事例を見たことがありません。
三一書房の庶民生活資料集成に収録された近世随筆で述べられているのをみた程度です。
どなたか事例が見られる中世資料をご存知ないでしょうか?
959日本@名無史さん:04/12/13 02:16:58
三一書房は共産党出版社
960日本@名無史さん:04/12/13 10:23:06
うわなりうちは刑罰と関係無いんじゃないの?
961日本@名無史さん:04/12/13 14:06:26
>>954 理由を書いてみろよ、文盲w
962日本@名無史さん:04/12/13 14:06:56
>>957 だった
963日本@名無史さん:04/12/13 20:14:28
960に刑罰の話ができるのかよw
964日本@名無史さん:04/12/14 01:15:11
刑罰の話ができるのは教授だけ
965日本@名無史さん:04/12/14 15:01:54
貧民史は匿名で出没しているな。
966大學ヘ授:04/12/14 22:17:03
 小兵、貧民下郎の習俗には疎いのですが一般に、後妻打は平安期に遡り、室町期に武家や
町方で盛行したとされてゐますから、地方や庶民に偏ると木によりて魚を求むる類となりさ
うですね
967日本@名無史さん:04/12/15 00:18:00
他人の受け売り教授
968日本@名無史さん:04/12/15 01:30:23
>>966
法とは物にもよるが、往々にして下郎を縛り統制するものであり、
法の対象である下郎についての深い考察がないと、法を語ることができないと思うのだがいかに?
969日本史@名無史さん:04/12/15 02:33:02
下郎云々如何はともかく、「うわなり討ち」という名称自体はしばしば聞きもし、ドラマにも取り上げられておりながら、
あまりにもこの慣習(この慣習が自力救済のカテゴリーに入るのかどうかも悩むところ)が存在していたことを明瞭に示す史料が見つからないので、
話題を持ち出した私すら、これから先どう展開していいのかわからないのです。面目ない。
大学教授先生も、具体的事例がなければお答えできないのも当然と思います。
従って皆さんにいい史料があれば教えてほしいと申上げたのです。

余談ながら、旧事諮問録(あれはいい資料だ)の復刻を待ち望む今日この頃・・・。
970大學ヘ授:04/12/15 09:28:49
 『旧事諮問録』は東京帝國大學史談會編で青蛙房から出版されており、小兵も蔵しており
ます
 編集方針如何と思へど、良書ではありませう
 高名なる書なれば古書も有る可し

 単なる意趣返しで結果変動を伴ひませんから、時期的消長から見て中世自力救済の風潮の
影響有るとも其範疇に可不入
971日本@名無史さん:04/12/15 22:45:50
>>967 受け売りでなく自分で書いてみろ白痴野郎!
972日本@名無史さん:04/12/16 00:01:45
973日本@名無史さん:04/12/16 00:15:51
刑罰史といったら江藤新平だろ

自分の作った刑法で死刑って皮肉な人生やで
974日本@名無史さん:04/12/16 01:30:32
以前の刑法でも死刑なんだから、格別皮肉でもないと思うよ
975日本@名無史さん:04/12/16 11:37:00
単に刑死しただけで刑罰史上の大物とはいえまい。
文盲の言いそうな愚説だw
976日本@名無史さん:04/12/16 14:54:02
>>969 御堂関白記 長和元年2月25日
>存在していたことを明瞭に示す史料が見つからないので
もう少し勉強シル
977日本@名無史さん:04/12/16 18:54:22
槍の権左も妻敵討なの?
978日本史@名無史さん:04/12/16 23:29:53
私が嘗て持っておりましたのは岩波文庫版でした。
以前、後輩に貸したきり戻って来ず仕舞いでした。
明治になってからの聞き取りとはいえ、
記録類だけではわからない、実務経験者ならではの豊富な証言が魅力でした。
今度神保町で探してまいります。
976さん、お手数をおかけいたしました。職場の書庫であたってみます。
或いは古事類苑などにも引用があるかもしれませんね。
・・いやいや、孫引きなどは慎まねば。
近松の槍の権左は、妻敵討を題材にした、最も名高い演目ですね。
979日本@名無史さん:04/12/16 23:57:13
↑ 貧民史
980日本@名無史さん:04/12/17 00:30:57
>>941
散々突っかかったあげく「だからどーした」だって
「どー(←ここらへんが文盲くさい)した」
みじめだねぇ文盲くん
981日本@名無史さん:04/12/17 09:19:37
刑罰史スレにおいて刑罰史の全く判らない文盲一派が勝てる訳無い。
いま、同心スレの論争に便乗し他人の褌で相撲を取ろうとしているが、両力士の蹴転がされてる‥w
982日本@名無史さん:04/12/17 15:17:16
蹴転 けころ 最下級の女郎
もっとも文盲共の知性はけころ以下かも知れん
983大學ヘ授:04/12/17 20:18:03
 貧民史殿 671

> ちなみにマルクス主義歴史學は實態を理論の枠組みの中に無理やり押込めやう
> としたわけですが私はああいう阿呆なことをやろうとは思っておりません。

 共産主義の狂氣を否定し別な道を模索されるのは結構な御趣意ですが、なほ共産
主義の洗脳を抜け切ってゐません 生まれてこの方赤い情報にばかり曝されて來た
といふ事情は御察し致しますが、全てを疑ふ科學の根本に立返り、一度リセットさ
れては如何
 マルクス史観退潮の時代にマルクス史観を否定しても、単に流行に染まれるのみ
984日本@名無史さん:04/12/17 20:41:34
「全てを疑ふ」

マルクスの言葉だね
985日本@名無史さん:04/12/17 20:48:16
違うだろ。
パスカル以前からあったのを踏襲しただけだろ。
おまいがマルクスしか読まんから知らないだけ。
986日本@名無史さん
日本の学校教育では、中国や韓国を好意的に捉えた授業をしているのに、中国や韓国では反日教育を公然とやっている。
日中韓の友好を妨げているのはどっちだろう・・・・