■平将門の敗れた理由■

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1日本@名無史さん
何故、平将門の建てた国が三ヶ月しか続かなかったのか?
漏れ的には弱者をかくまって国家へ反逆したためと
絶頂期に部下の進言を聞かなかったためと思われ
2日本@名無史さん:04/07/27 16:14
2終了
3日本@名無史さん:04/07/27 16:25
age
4日本@名無史さん:04/07/27 16:29
矢に射貫かれたからだね。
矢に当たらなきゃ大丈夫だったのに。
5日本@名無史さん:04/07/27 16:32
      ∧_∧      ∧_∧
     _( ´∀`)    (;; @u@)
  三(⌒),    ノ⊃    ( >>1 )   糞スレは・・
     ̄/ /)  )      | |  |
    . 〈_)\_)      (__(___)

         ∧_∧  .∧_∧
         (  ´∀) (;; @u@)
       ≡≡三 三ニ⌒) >>1 .)    立てんなって
        /  /)  )  ̄.| |  |
        〈__)__)  (__(___)

           ∧_∧  ,__ ∧_∧
          (    ´)ノ ):;:;)u@)
          /    ̄,ノ'' >>1  )   言ったろうが
         C   /~ / /   /      ヴォケがー
         /   / 〉 (__(__./
         \__)\)
                      ヽ l //
            ∧_∧(⌒) ―― (@u@)なんだと ―――
            (    ) /|l  // | ヽ   
           (/     ノl|ll / / |  ヽ
            (O  ノ 彡''   /  .|
            /  ./ 〉
            \__)_)
6日本@名無史さん:04/07/27 16:34
>>1
部下の裏切りです
7日本@名無史さん:04/07/27 16:35
>>5
あぼーんされてて見えないわけだが・・・
8日本@名無史さん:04/07/27 16:40
>>5
荒らし  キタ−−−−−−−(゚∀゚)−−−−−−−−−ww
9日本@名無史さん:04/07/27 16:40
10日本@名無史さん:04/07/27 16:54
逆賊だからに決まってんだろ
11日本@名無史さん:04/07/29 11:08
兵士達を故郷に返した手薄な時に攻められたからでしょ?まあ、甘いですわな。
朝廷にもっと裏工作する政治力があれば分からなかったが(でも民衆には嫌われそうだな)。
12日本@名無史さん:04/08/05 12:58
というか、そこまでやらないと、既成の朝廷権力と同じになって支持をえられなかったから。
13桓武天皇:04/08/13 14:16
アンニョンハセヨー
14日本@名無史さん:04/08/13 15:22
私闘のつもりだったが逆賊にされてしまった。
15日本@名無史さん:04/08/13 22:24
理想を求めすぎた哀れな人だったから
負ければ賊軍
16日本@名無史さん:04/08/14 04:09
>>14
逆賊にされても、独立しちゃえば、関係無いじゃん。
17日本@名無史さん:04/08/14 04:33
独立?一方的に国府を攻めたら、逆賊。
逆賊にされたら朝廷より討伐軍が興されるます。

挙兵してすぐ各々の国府に攻めないで、
国府を攻めずにうまく横領して勢力を固めとけば新皇も…。
18日本@名無史さん:04/09/17 00:56:30
age
19日本@名無史さん:04/09/17 01:04:48
逆臣だから
20X?X:04/09/18 06:34:20
頼朝みたいにどんな国するのかという理念がなかったから。勢いだけで押していって
守りのことを考えなかったから。
21日本@名無史さん:04/09/18 07:26:25
決定的な理由



            運が悪い
22日本@名無史さん:04/09/18 09:14:19
朝廷って直属の軍隊持ってないんだよね?
23日本@名無史さん:04/09/18 09:16:37
そうだけど、みんな朝廷にシッポふり
24日本@名無史さん:04/09/18 09:41:38
将門の首塚にイタズラした奴居る?
25日本@名無史さん:04/09/18 09:49:17
>>24
爆笑問題の太田が首塚に蹴り入れたら祟られて田中が金玉無くした
26:04/09/18 11:06:07
そうじゃないだろ。
3年間仕事が全くこなかった。
27日本@名無史さん:04/09/18 21:44:49
ニートの拳

作:武論尊
画:蛭子能収
28日本@名無史さん:04/09/19 10:45:48
関東大震災の直前に誰か首塚を弄ったの?
29日本@名無史さん:04/09/19 13:09:47
現在ある将門首塚は首塚跡だよ。

塚を削った時に出てきた石灯篭を祀っているだけ。
30日本@名無史さん:04/09/19 16:52:50
将門の首塚 小史
年 出来事
903 将門誕生.
935 平将門の乱始まる.
940 将門戦死.
1307 時宗の真教上人が "蓮阿弥陀仏" という法号を与え供養."神田明神" と改称.
1600 年頃 家康が江戸入部の際,神田明神を移転する.塚は残される.大名屋敷内.
明治 官庁街建設され,将門塚は大蔵省の敷地内.
1874 明治天皇,神田明神参拝.明治天皇が参拝したのは靖国神社とここのみ.急遽 "朝敵" である将門公は別殿に移され,祭殿は,大己貴命 (オオクニヌシ) と少彦名命となる.
1923 関東大震災.大蔵省庁舎全焼.発掘調査の結果,盗掘され何もないため,塚を破壊し埋め立て,仮庁舎とした.
1926 大蔵大臣早速整爾が病にて死亡.
現職の矢橋官材局課長その他十数名死亡.
政務次官武内作平ほか多数が仮庁舎で転倒して怪我続出.
将門塚破壊の祟りであるという噂が広まる.
1928 噂が広がり,仮庁舎を撤去,神田神社社司平田盛胤祭主の慰霊祭が行われ,大蔵大臣三士忠造以下幹部関係者多数が拝礼.
1945 日本敗戦.
米軍が周囲を整地し,駐車場を作ろうとしたが,工事用のブルドーザーを運転していた日本人が墓のようなものの前で突然転落して死亡する事故が起きたため,塚だけは破壊を免れた.
1984 NHK 大河ドラマ "海と風と虹と" の影響により,将門殿が 110 年ぶりに神田明神の神座に復帰.

31日本@名無史さん:04/09/19 16:53:44
将門の首塚 小史
年 出来事
903 将門誕生.
935 平将門の乱始まる.
940 将門戦死.
1307 時宗の真教上人が "蓮阿弥陀仏" という法号を与え供養."神田明神" と改称.
1600 年頃 家康が江戸入部の際,神田明神を移転する.塚は残される.大名屋敷内.
明治 官庁街建設され,将門塚は大蔵省の敷地内.
1874 明治天皇,神田明神参拝.明治天皇が参拝したのは靖国神社とここのみ.急遽 "朝敵" である将門公は別殿に移され,祭殿は,大己貴命 (オオクニヌシ) と少彦名命となる.
1923 関東大震災.大蔵省庁舎全焼.発掘調査の結果,盗掘され何もないため,塚を破壊し埋め立て,仮庁舎とした.
1926 大蔵大臣早速整爾が病にて死亡.
現職の矢橋官材局課長その他十数名死亡.
政務次官武内作平ほか多数が仮庁舎で転倒して怪我続出.
将門塚破壊の祟りであるという噂が広まる.
1928 噂が広がり,仮庁舎を撤去,神田神社社司平田盛胤祭主の慰霊祭が行われ,大蔵大臣三士忠造以下幹部関係者多数が拝礼.
1945 日本敗戦.
米軍が周囲を整地し,駐車場を作ろうとしたが,工事用のブルドーザーを運転していた日本人が墓のようなものの前で突然転落して死亡する事故が起きたため,塚だけは破壊を免れた.
1984 NHK 大河ドラマ "海と風と虹と" の影響により,将門殿が 110 年ぶりに神田明神の神座に復帰.

32日本@名無史さん:04/09/20 01:52:03
a
33日本@名無史さん:04/09/20 10:17:14
新皇って名乗っているけどさ〜
結局将門って天皇と遠戚なわけだから
新皇が「親王」に見えてしまう
34日本@名無史さん:04/09/20 10:23:58
>33

目的は新皇じゃなくて、所領安堵だったのにね。
35日本@名無史さん:04/09/20 14:03:52
36日本@名無史さん:04/09/22 21:26:35
戦国自衛隊 1549   エキストラ募集


□募集内容
合戦時の雑兵18歳〜50代くらいまでの男性(高校生不可)体力に自信のある方(疾走シーンあり)
□募集期間
9月1日〜10月中旬頃までの随時
□撮影場所
陸上自衛隊東富士演習場周辺
□撮 影 日
9月25日〜11月27日の中の10日前後※この期間中に適宜撮影がありますが、正確な日取りが未確定なので、
現時点で参加可能な日取りをお手数ですがすべてチェックしてください。
□集合場所
都内ターミナル駅付近
□食  事
昼食はこちらでご用意しております
□謝  礼
記念品をご用意しております
□注意事項
(1)採用の可否は、撮影日が確定した時点でメール、もしくはお電話でご連絡差し上げます。
(2)出演シーンが戦国時代の設定なので、衣裳は着物を着用いたします。
 ご参加いただく際は丸襟シャツやタートルネックなどを避けて、首周りがあいている服でお越しください。
(3)出演していただくにあたって、衣裳メイク等の支度に時間がかかるため、集合時間が早朝になります。 
恐れ入りますがあらかじめご了承ください。
(4)当日お車でのご来場はお控えください。
(5)雨天時の撮影の有無など、詳細につきましては担当者からのご連絡をお待ちください。
□ご連絡先
[email protected]
37日本@名無史さん:04/09/23 17:14:25
洪 思翊
1946(昭和21)年9月26日没
朝鮮出身
日本陸軍軍人
陸軍中将
歩兵
1914(大正3)年 陸軍士官学校(26期)卒
1923(大正12)年11月 陸軍大学校(35期)卒
1939(昭和14)年9月28日 支那派遣軍御用掛
1940(昭和15)年8月1日 留守第一師団付
1941(昭和16)年3月1日 陸軍少将 第108旅団長
1942(昭和17)年4月17日 公主嶺校付
1944(昭和19)年3月2日 比島俘虜収容所長
 10月26日 陸軍中将
 12月30日 第14方面軍兵站監
戦後、連合軍から収容所長時代の責任を問われる
1946(昭和21)年9月26日 マニラで死去(法務死)
38日本@名無史さん:04/09/24 00:27:45
あげ
39日本@名無史さん:04/09/25 20:09:05
z
40日本@名無史さん:04/09/25 22:59:41
悪は滅んだ
41日本@名無史さん:04/10/19 10:36:04
落ちた飯粒を拾って食った貧乏くささが敗因だな。
42日本@名無史さん:04/11/15 15:18:09
>>30-31
大河ドラマは「風と雲と虹と」だな。加藤剛さんがカコイイ。吉永小百合さんも出ててびっくり。
43日本@名無史さん:04/12/01 02:20:46
そもそも将門に反乱の計画性がなかった。
計画性のない反乱など成功するわけない。
国府を襲ってしまっていくとこまでいくか、もう後戻りはできないし。
っていうのが実情。
新国家の制度も朝廷の真似事でだし。
だから坂東八州平定後、大部分の兵を国許に返すという愚挙をやってしまった。
将門にしてみたら民の人気取りのためだったかもしれないが、
日本の大部分を治める朝廷を甘く見すぎだろう。
将門は戦術のプロであって戦略のプロではなかったというところか。
44日本@名無史さん:04/12/01 19:02:24
45日本@名無史さん:04/12/02 18:37:04
今現在の日本刀作ったって本当か?<将門
46日本@名無史さん:04/12/05 23:40:46
日本刀は大宝時代の天国(あまくに)元祖説が有力だな。


でも将門が製鉄関係に力を入れてたのは事実らしい。
47日本@名無史さん:04/12/23 01:57:48
age
48日本@名無史さん:04/12/23 02:45:58
>>30
伊達騒動も入れるべきなのだろうか?
現場の酒井雅樂助屋敷内に首塚があったわけだし
49日本@名無史さん:05/01/10 04:36:11
将門と藤原純友が知り合いだったってのは本当?
50日本@名無史さん:05/01/10 17:50:40
創作じゃないかと思うがな。でもほぼ同時代だったから、そういう風に作品を作った方が燃えるという。
51日本@名無史さん:05/01/30 23:41:45
将門と藤原純友は共同戦線を張っていた
52日本@名無史さん:05/02/14 18:39:52
>>49
創作かもしれませんが、古い文献にはそういう記述があるようです。
http://www.tsukudo.jp/hito-sumitomo.html
53日本@名無史さん:05/02/14 20:35:26
つーか、そう思って公家連中がビビりまくってた。
武力叛乱に対して調伏祈祷で対抗しようとする連中だから。
54日本@名無史さん:05/02/18 20:56:08
将門の子孫って残ってないの?
55日本@名無史さん:05/02/18 22:09:44
漏れですが何か?
56日本@名無史さん:05/03/02 14:41:08
将門の息子、御鍋神社の平九郎について知ってる人語ってくれ。
57日本@名無史さん:05/03/04 13:07:25
平将門ってイメージ的には木曾義仲とダブるなあ。
武勇に秀でているものの単純な性質で政治のウラ・オモテに明るくない。
そのへんが理由だと思う。
58日本@名無史さん:05/03/04 13:08:03
>>54
相馬氏
59日本@名無史さん:05/03/04 13:35:53
大昔だから本当の所は分からない
60日本@名無史さん:05/03/06 01:08:21
八幡さま万歳
新皇さま万歳
61日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 18:39:16
平将門の乱 藤原純友の乱
62日本@名無史さん:2005/05/07(土) 08:01:52
当時の関東は未開の地で、経済が未発達だった。
それに武士団も調停に忠誠尽くしていて独立の基盤がなかった。
宗教の違いで分かれたセルビアとクロアチアみたいな相違性すらなかった。
63日本@名無史さん:2005/05/11(水) 22:50:39
朝廷が期待できないから荘園化・地方反乱頻発→武家社会化の流れになった罠
64日本@名無史さん:2005/05/21(土) 22:45:04
"PCウイルス感染:個人情報流出か? 福島・そうま農協"
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050522k0000m040079000c.html

>「ウィニー」を使用
65日本@名無史さん:2005/05/29(日) 17:06:49
http://www5.tok2.com/home2/okunouso/jun.htm
古代多羅国は現在では韓国の慶尚南道陜川郡にあたる。

富士山から筑波山まで見渡すかぎり、関東地方はほとんどが多羅人で占められていた

後世、平将門が「我こそは関東の天皇だ」と朝廷にたてつくのもこうした背景があったからだ。
66日本@名無史さん:2005/06/02(木) 02:45:16 BE:112757876-
この前「風と雲と虹と」の総集編をレンタルしてみたけど、面白かった。
個人的には過去の大河ドラマの中で一番好きかな。秀吉なんか何回もリメイク
されてるのに将門がまだ1回だけというのは残念。キャスティングしだいでは
けっこう視聴率とれるとおもうんだけど。
67日本@名無史さん:2005/06/02(木) 11:07:11
将門の孫である忠常は3年間も関東を支配したぞ。

ところでこの時代の関東ってどのくらいの範囲なの?
68日本@名無史さん:2005/06/11(土) 00:43:30
相馬市振興公社の破たん危機:財政支援で市長、臨時議会も視野 /福島
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050610-00000050-mailo-l07
69日本@名無史さん:2005/06/11(土) 14:36:48
ところで、相馬氏と将門って女系でもいいから血は繋がるの?
70日本@名無史さん:2005/06/11(土) 14:39:45
鹿島アントラーズの相馬直樹は静岡出身だが将門の子孫なのか?w
7170:2005/06/11(土) 14:45:16
失礼。川崎フロンターレだった。
72世界@名無史さん:2005/06/11(土) 17:58:28
運が悪かった
73日本@名無史さん:2005/06/12(日) 14:04:42
九州に行った相馬の子孫はどうなった?
74日本@名無史さん:2005/06/16(木) 14:12:36
将門は「馬の将門」ともいわれ、騎馬軍は無敵を誇った。そもそも馬の種類が違ったらしい。
また人に頼まれると引き受けなければならないと思うような仁徳のある武将であった。
それが災いして、逆賊となったのだが。

平将門というのは戦国時代の武田信玄と上杉謙信を合わせたような人物といってもいいだろう。
75日本@名無史さん:2005/06/19(日) 00:25:33
これかな?
 ↓
http://www.tsukudo.jp/densetu-uma.html

「馬の将門」・・・。なるほど。
76日本@名無史さん:2005/06/19(日) 00:39:34
岩井の神社から木造かっぱらったバカがいたけど
やっぱり死んだのかな?
77日本@名無史さん:2005/06/19(日) 01:05:05

ひょっとして、祟りとか信じているおばかさんかな?
78日本@名無史さん:2005/06/19(日) 01:24:49
平良文は連勝不敗の将だったが
将門に組したのが運の尽きで武州村岡に3代逼塞
しかし曾孫桓将が下総相馬を切り取り房総に覇を唱える千葉氏となった
79日本@名無史さん:2005/06/19(日) 09:02:46
一説には将門の娘と良文の子・忠頼の間に生まれたのが忠常とされている。

千葉氏の祖であり、3年間坂東を支配した。将門より遥かに長く支配したのだが、あまり有名ではない。
80日本@名無史さん:2005/07/01(金) 13:12:16
将門に味方したのは、大半が悪い国司を退治してくれたと慕ってきた民衆達
や地元の豪族達。
つまり農民が大半。だから農繁期、田んぼがいそがしいときは家にかえして
あげないと田んぼができない。だから兵士達を田んぼや農業をさせに村や家
に返してあげて、兵がのこり100人くらいになってしまったときに、その
隙を疲れて朝廷側に何千人かで攻められたんだよね。将門側は兵士を帰した
あとだったから100人で敵を迎え撃つしかなくて、結局多勢に無勢で敗北・
討ち死に。首はさらされたが、関東に飛んで行ったとかいう話。
81日本@名無史さん:2005/07/01(金) 14:11:44
平良文が将門に味方したというのは初耳だ。出典は?
82日本@名無史さん:2005/07/01(金) 15:01:05
>>80
朝廷軍を蹴散らせれば「田んぼの領有権と耕作権、まぁいわゆる土地の安堵」する事を約束すれば、
誰も帰らないと思うが?
83日本@名無史さん:2005/07/01(金) 15:44:55

その手の連中は官軍蹴散らさなくったって、とっくの昔に安堵されてんじゃねーの?
84日本@名無史さん:2005/07/01(金) 16:20:34
千葉氏をはじめとする坂東平氏と伊勢平氏は将門以来の怨恨がなんとか・・・
85日本@名無史さん:2005/07/01(金) 22:01:00
>>81
良文・将門系と国香・良兼系が仲が悪かった
86日本@名無史さん:2005/07/27(水) 00:41:56
87日本@名無史さん:2005/08/03(水) 03:17:12
>>1
弱かったからだ
88日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:36:46
東京のど真ん中に将門の首塚があるのは何で?

首塚があるのは太田道灌が江戸城つくるより遥かに前だよね?
それとも単なる偶然なのだろうか。
89日本@名無史さん:2005/08/03(水) 18:58:44
相馬市の博物館見に行った時に良文が将門の直系に入れられてて大人のやり方を感じた。
90日本@名無史さん:2005/08/03(水) 22:17:29
>>87
甘いな、強さ弱さなぞお互いが採る戦略・戦法で上下するもんだ。
将門が戦略的に敗れたって事だな。
91日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:14:02
平将門に進言し乱を諌めたと言われる、
家来若しくは息子の永井平九郎について知ってる人いるかな?
いたら何でも良いから教えて欲しいのだけども、チョット専門的すぎたかな?
9291:2005/08/03(水) 23:16:09
それと桔梗って、将門の母、妻、孫等、色々説有るけどどうなっているんだい?
93日本@名無史さん:2005/08/03(水) 23:45:52
>>92
ついでに「小宰相の方」も同一人物か知りたい。将門屋敷で秀郷に将門の弱点を
教えた女。栃木県人が桔梗を呼ぶ時の名前だろうという感じなんだが。
94日本@名無史さん:2005/08/04(木) 22:18:04
>>88の質問に答えてくださいよ。
95日本@名無史さん:2005/08/04(木) 23:35:09
将門の首塚なんて、京都以東ならそこらじゅうにあるじゃん
96日本@名無史さん:2005/08/05(金) 12:12:18
そうなのか?
97日本@名無史さん:2005/08/05(金) 12:27:45
平将門はね、韓国人なんですよ
98日本@名無史さん:2005/08/05(金) 13:54:15
>>94
東国では将門に人気あったからじゃないの?
祀ってあげれば祀った神社の人気取りにもなるでそ。姑息な気もするが。

場所を問題視するなら、太田道灌以前から、あの辺りが交通の要衝で人の往来があったからとしか言えんな。
99日本@名無史さん:2005/08/05(金) 18:44:35
将門を祀ってあるならともかく、
首塚がたくさんあるなんて聞いたことないが?
100日本@名無史さん:2005/08/06(土) 06:55:06
いくつもあるよ
どこも「飛んできた将門の首が、おらが村に落ちただよ」って主張してる
どれが一番信憑性があるのかは知らないが。
101日本@名無史さん:2005/08/06(土) 08:02:18
例えばどこ?
102日本@名無史さん:2005/08/06(土) 08:48:18
部下18名と一緒に首を埋葬したとされる掛川の十九首塚とか、
岐阜県大垣市の御首(みくび)神社とか、
滋賀県愛智郡の将軍塚とか。

…昔から判官びいきとか反骨ヒーロー好きだったのかねぇ、日本人は。
103日本@名無史さん:2005/08/06(土) 08:50:04
関連寺社・史跡資料として面白いかも
ttp://www.cmo.jp/users/wvsyuri/masakado/5siseki.html
104日本@名無史さん:2005/08/06(土) 10:39:51
>>102-103
サンクス
105日本@名無史さん:2005/08/11(木) 17:17:54
お岩さんの稲荷、将門の首塚――。東京都は「旧跡」に指定している歴史文化財
約230件の約9割について、「史実の裏付けが乏しい」として、指定廃止を視野に総点検を進めている。
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050811-00000105-yom-soci
106日本@名無史さん:2005/08/12(金) 09:41:12
>長年「東京名所」の一つに数えられてきた旧跡もあり、都は“再評価”に苦慮している。
>架空の物語とはいえ、当時の社会背景や教訓を伝える歴史文化財として、指定を続けてもらってもいいのでは

問題はそう簡単ではないねぇ…、首塚も熱心に詣でる人がいる事だし。
107日本@名無史さん:2005/08/12(金) 09:43:27
歴史文化財指定があろうとなかろうと、思い入れを持つ人々は「そこ」や「それ」を守り続けるさ、
それが形や時を超える想いって奴
108日本@名無史さん:2005/08/12(金) 16:17:59
都庁職員、謎の怪死相次ぐ予感
109日本@名無史さん:2005/08/24(水) 17:33:25
興世王の名がまだ出ていない
110:2005/08/24(水) 20:19:36
文屋某とかも
111日本@名無史さん:2005/08/28(日) 17:49:27
武蔵武芝は?
112日本@名無史さん:2005/08/29(月) 01:13:00
足立郡司
113日本@名無史さん:2005/08/29(月) 13:16:44
藤原千万と4人の愉快な仲間達は?
114日本@名無史さん:2005/09/14(水) 05:50:20
平将明萌え
115日本@名無史さん:2005/10/12(水) 12:32:55
爆笑問題太田が将門の首塚ケッタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
116日本@名無史さん:2005/10/26(水) 20:35:50
>>1
弱かったからだろ
117日本@名無史さん:2005/11/02(水) 19:14:39
爆笑問題の太田、絶対祟りに合うね
118日本@名無史さん:2005/11/25(金) 05:11:13
英雄 マサカド
119日本@名無史さん:2005/12/10(土) 13:17:51
太田に天罰を
120日本@名無史さん:2005/12/10(土) 15:57:13
太田は在日だから、日本の歴史上の人物に敬意を払わない。
121日本@名無史さん:2005/12/14(水) 22:58:48
関係ないのだが、俺の実家の裏山(といよりも丘)は竹林なんだが、
その竹林のどこかにおごりょう様の祠と呼ばれる祠あり、
そこには平国香の首が隠されていて、その祠を見たものは
三日以内に呪いで死ぬと言う言い伝えがあるのだが
さらにもう一度、行ってもそこには祠はなくなってるらしい。
詳しい話を知ってる方はいませんか?
122日本@名無史さん:2005/12/14(水) 23:48:27
>>121
俺の人生終わってるのでマジで知りたい
123日本@名無史さん:2005/12/15(木) 22:30:16
>>121
どこ?
124日本@名無史さん:2005/12/15(木) 23:13:42
>>123
石岡の府中の近く
ただし竹林といっても、昔と比べてだいぶ面積が減っている。
子供のころ、遊びで山歩きしたので祠のようなものが何箇所かあるのは知ってる。
そのどれがおごりょう様かはわからないし、手がかりになるようなものもなにもない。
125日本@名無史さん:2005/12/15(木) 23:43:34
かつて相馬御厨だったところにある老人ホームで働いてる。
近くには将門神社なんてものもある。
「地元の人は成田山には行かない」なんてイメージがあったので、地元出身のおばあちゃんに
「もうすぐ初詣ですね。ここらの人はやっぱり成田山には行かないんですか?」と質問してみたら、

「行くよ」

       ,.ィ , - 、._     、
.      ,イ/ l/       ̄ ̄`ヽ!__
     ト/ |' {              `ヽ.            ,ヘ
    N│ ヽ. `                 ヽ         /ヽ /  ∨
   N.ヽ.ヽ、            ,        }    l\/  `′
.  ヽヽ.\         ,.ィイハ       |   _|
   ヾニー __ _ -=_彡ソノ u_\ヽ、   |  \   地元の人が
.      ゙̄r=<‐モミ、ニr;==ェ;ュ<_ゞ-=7´ヽ   >
.       l    ̄リーh ` ー‐‐' l‐''´冫)'./ ∠__  成田山に参詣しないってのは
       ゙iー- イ'__ ヽ、..___ノ   トr‐'    /
       l   `___,.、     u ./│    /_  ウソだったんだよ!!!
.        ヽ.  }z‐r--|     /  ト,        |  ,、
           >、`ー-- '  ./  / |ヽ     l/ ヽ   ,ヘ
      _,./| ヽ`ー--‐ _´.. ‐''´   ./  \、       \/ ヽ/
-‐ '''"  ̄ /  :|   ,ゝ=<      /    | `'''‐- 、.._
     /   !./l;';';';';';';\    ./    │   _
      _,> '´|l. ミ:ゝ、;';';_/,´\  ./|._ , --、 | i´!⌒!l  r:,=i
.     |     |:.l. /';';';';';|=  ヽ/:.| .|l⌒l lニ._ | ゙ー=':| |. L._」
      l.    |:.:.l./';';';';';';'!    /:.:.| i´|.ー‐' | / |    |. !   l
.     l.   |:.:.:.!';';';';';';';'|  /:.:.:.:!.|"'|.   l'  │-==:|. ! ==l   ,. -‐;
     l   |:.:.:.:l;';';';';';';';| /:.:.:.:.:| i=!ー=;: l   |    l. |   | /   //
       l  |:.:.:.:.:l;';';';';';';'|/:.:.:.:.:.:.!│ l    l、 :|    | } _|,.{::  7
126日本@名無史さん:2005/12/20(火) 20:40:31
age
127日本@名無史さん:2005/12/22(木) 14:00:26
>>120
朝廷に反旗を翻し
関東を独立させて日本を分裂せんと画策した逆賊に
敬意などを払う必要などない
128日本@名無史さん:2005/12/22(木) 15:29:39
>>127
韓災人乙
129日本@名無史さん:2005/12/26(月) 15:20:12
>>128
逆賊を崇める反日人間乙
130日本@名無史さん:2005/12/27(火) 04:34:44
源護と頼朝の清和源氏の関係は?
131日本@名無史さん:2005/12/28(水) 01:36:33
>>127
>朝廷に反旗を翻し

時の権力者、藤原氏に反旗を翻した。

>源護と頼朝の清和源氏の関係は?

関係ない。
頼朝は、武芝と揉めて仲介に入った将門を恨み、将門が東国で乱を起したと
朝廷にチクッた源経基(みなもとのつねもと)の8世代後の子孫。
132日本@名無史さん:2005/12/29(木) 18:05:47
補足

源護は、嵯峨源氏の流れです。(名前が1文字)
133日本@名無史さん:2006/01/25(水) 00:50:10
源経基は屁タレ王
134日本@名無史さん:2006/01/26(木) 12:51:13
そういえば、将門の本拠地のあったあたりが
今では市町村合併で 坂東市 と呼ばれているらしいな。
まぁ、許せまい市名が多いなかでは許せるほうだな。
135日本@名無史さん:2006/01/29(日) 22:14:41
平将門主役で、面白い小説教えて。
136日本@名無史さん:2006/01/29(日) 22:24:04
>>135
将門記
137日本@名無史さん:2006/01/29(日) 23:24:14
138日本@名無史さん:2006/02/23(木) 22:48:30
福田豊彦
139日本@名無史さん:2006/03/27(月) 17:04:14
興世王って名前から察するに皇族なんだろうけど、一体どの天皇からの血筋なんですか?
140日本@名無史さん:2006/03/29(水) 00:31:26
141日本@名無史さん:2006/03/29(水) 08:33:30
このスレ見てる人で秀郷の子孫いる?
142日本@名無史さん:2006/03/30(木) 22:06:17
良文子孫!
143日本@名無史さん:2006/03/30(木) 22:32:17
首で飛んで行く根性があれば、何でも出来そうだ
144日本@名無史さん:2006/04/06(木) 18:48:57
京成電鉄大佐倉駅に将門城址とあるけど?
145日本@名無史さん:2006/04/27(木) 20:38:23
あげ
146日本@名無史さん:2006/05/03(水) 01:47:14
昔は、旧相馬郡(柏・我孫子・取手・守谷市,利根町)、旧吉田(のち豊田)郡(水海道市 他)、旧猿島郡(坂東市 他)の住民は、成田山新勝寺には絶対に参詣しなかったそうだ。
147日本@名無史さん:2006/05/05(金) 01:50:09
首塚ってどの辺りにあるのでしょうか?皇居付近を探索してもわからなかったんですが…
148日本@名無史さん:2006/05/05(金) 02:57:19
日本中にあります
149日本@名無史さん:2006/05/05(金) 09:55:46
>147大手町だよ。田舎モンが、ガイドブックも持たずにウロウロしてはいかんよ。
150日本@名無史さん:2006/05/05(金) 10:17:57
桓武平氏だから
151日本@名無史さん:2006/05/05(金) 12:47:34
素朴な疑問なんだが、桓武平氏以外の平氏っているの?
152日本@名無史さん:2006/05/07(日) 23:41:19
>>151
仁明平氏、文徳平氏、光孝平氏は知ってまつ。
四流と言われていますが、まだあるような話を聞いたことがあります。
誰か教えて
153日本@名無史さん:2006/05/16(火) 00:47:54
それだけだよ
154日本@名無史さん:2006/05/25(木) 03:20:34
平安時代前期では、明確な武士の主従関係が希薄であった為、伴類、従類など
の大まかな組織形態では、体系的な戦術を構築するのは困難であったと想定
される。と同時に、朝廷の権威は未だ絶対的であり、太政官付の発布によって
「お尋ね者」(平将門)VS「賞金稼ぎ」(藤原秀郷・平貞盛)の構図になって
しまった事が大きな理由であろう。結局、本格的な武士の時代は院政期を過ぎて
保元・平治の乱まで待たねばならなかった訳だが、承平・天慶の乱から250余
年を経なければ鎌倉幕府が成立しなかった事を思うと、感慨が深い。
155日本@名無史さん:2006/05/26(金) 14:31:41
興世王は権守という事は上司の武蔵守はどうしてたのか
欠員だったのか
何かの本で武蔵守は「くだらのさだつら」と書いてあったが
こいつは何かしたのか
156日本@名無史さん:2006/05/26(金) 20:04:26
武蔵守の百済王貞運(連)は興世王と対立したんじゃなかったか
157日本@名無史さん:2006/06/10(土) 03:03:22
>>155
基本的には武蔵国は親王任国、つまり名目上のみで親王が守となっていた為。
従って「欠員」には当たらない。しかし、これは現代で言えば「カラ出張」の
典型だろう(笑)国司の守としての給付分はチャッカリ貰ってる訳だ。この様
な親王任国は、常陸、上総、下野なども該当する。従って、実際に赴任する
国司のポジションは、介などの次官以下であったが実務上はトップであった。
百済王貞連(こだらのこにしきていれん)は、将門が興世王と源経基の反目に
仲介した以降に武蔵守に任じられ、他の坂東諸国の国司にも橘最茂、小野諸興、
藤原惟条などが任じられた(明らかに武力を持つ軍事貴族)のを見ると、朝廷
としての興世王への牽制と言えよう。事実、この後、百済王貞連と興世王は対立
し結果的に興世王は将門側に組みする事になる。さて、この百済王貞連だが詳細
な人物像は、今一つはっきりしない。やはり軍事貴族としての任務があったと
推定するのが自然であろう。
158日本@名無史さん:2006/06/10(土) 03:53:37
在地勢力との婚姻を通じなきゃ、軍事力を蓄えた地盤を持てないから
国司=軍事貴族ではない。

>>157
小野諸興は小野牧の別当で横山党の祖。
多摩郡の在地豪族だから国司ではないよ。
小野牧は御牧だけど、元々は小野氏の私牧だった馬牧小野牧を朝廷に寄進する形で、
最高管理者である御牧の別当の地位を小野氏が得たんだろう。

藤原惟条は秩父牧の別当。
159日本@名無史さん:2006/06/10(土) 06:07:25
>>157
すまん、
小野諸興は実質国司だな。
『日野市史』とかがそうだが、小野諸興を中央貴族の小野氏出身とする説も有力だが
俺は小野郷出身の在地豪族だと思ってる。
ただ、諸興は異常に重用されてるんだよな。日野市史が中央出自とするのもそこなんだが。


寝るか・・・
160日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:41:33
>>159
157ですが、解説多謝。在地勢力との婚姻は、確かに中央からの下向には
大きな勢力伸張の為の要因ですね。小野諸興は横山党でしたか。後世の武蔵
七党に属する武士団の祖は、大抵が中央から下向した人達が多かったのでしょう。
尊卑文脈を見ていませんので明確には分かりませんが、藤原惟条は藤原惟幾・為憲
らに近い一族と推定しています。>>157の相関では、武蔵武芝も重要な人物に
なりますが、彼は十世紀よりも以前に武蔵国に勢力を保持してきたのでしょう。
しかし、十世紀の史料は少なすぎて何か新史料の発見があると嬉しいです(笑)
161日本@名無史さん:2006/06/12(月) 00:44:27
平安時代の日本には、軍隊はなかったって聞きますが、
平将門の乱に朝廷は軍隊を派遣したんでしょうか?
162日本@名無史さん:2006/06/12(月) 01:00:16
メキシコ国家ええなあ・・・

>>160
地方は史料無いもんね。
小野氏自体が中央貴種の血を取り込んでる、と考えるのは自然な事だろうけど。
多摩郡小野郷・小野牧に、畿内の春日氏系小野氏とつながると、
何か話が出来すぎてる感じがして。
まあ、畿内小野氏出身としても母系は坂東系で、諸興は坂東生まれになるが。

>>161
同じ坂東人(秀郷ら)に制圧させる。
夷をもって夷を制す。狡賢いやり方が一貫してる。
163日本@名無史さん:2006/06/12(月) 01:01:35
>>161
あくまで形式上ながら、征東大将軍として藤原忠文が派遣されています。
実質上は、平将門追討の太政官符の方が遥かに効果があった、と見做す
べきです。また、軍隊の有無については「軍隊」の意味にもよりますが、
あったか無かったか、と言うなら「あった」と言う事です。
164日本@名無史さん:2006/06/12(月) 01:51:24
吉川弘文館「中世日本の諸相上」所収の「古代末期の傭兵と傭兵隊長」福田豊彦著
健児の国別定員
      (延暦11年6月14日官符)                    (延喜式)
324人                                       陸奥
200人  陸奥・近江                              常陸・近江
150人  下総                                   武蔵・下総
105人  武蔵
100人  伊勢・相模・上総・美濃・信濃・上野・下野・越前        伊勢・相模・上総・美濃・信濃・上野・下野・越前
       越後・出雲・播磨                           越後・出雲・播磨・讃岐
60人   遠江                                   遠江・紀伊
50人   尾張・駿河・能登・越中・丹波・但馬・因幡・伯耆        尾張・三河・駿河・甲斐・加賀・能登・越中・丹波・但馬
      美作・備前・備中・備後・長門・讃岐・伊予             因幡・伯耆・美作・備前・備中・備後・周防・長門・伊予
40人                                        山城・安芸
30人  大和・河内・摂津・山城・伊賀・三河・伊豆・甲斐         河内・摂津・伊賀・志摩・伊豆・安房・飛騨・若狭・佐渡
      安房・若狭・丹後・石見・隠岐・安芸・周防・紀伊        丹後・石見・隠岐・淡路・阿波・土佐
      淡路・阿波・土佐
25人  和泉
20人                                         和泉
      51国3155人                              57国3964人



165日本@名無史さん:2006/06/12(月) 05:29:39
かんたんなことよ。将門は農民で稲作の糞忙しいときを狙われたからさ
166日本@名無史さん:2006/06/12(月) 07:05:19
>>161
そういや、全く答えになってなかった>162。

征東軍は迅速に組織されてる。その政治力(都の貴族)を福田豊彦氏は高く評価。
征討軍の武力は、坂東中心に諸国の群盗的な富裕層『つわもの』。

>>165
農民は伴類。
167日本@名無史さん:2006/06/12(月) 21:54:17
>>166

>征東軍は迅速に組織されてる。その政治力(都の貴族)を福田豊彦氏は高く評価。
>征討軍の武力は、坂東中心に諸国の群盗的な富裕層『つわもの』

言葉足らずの説明ありがとう。
今回も全く答えになっていないよ。
162はもちろん答えになっていないけどね。
説得力は全くなし。
説得力ゼロだね。

中途半端な説明をするくらいなら、リンクを貼ってよ。
あなたの説明はなしでいいからさ。
次回からその方向でお願いします。


168日本@名無史さん:2006/06/13(火) 01:13:42
>>167
何だよリンクってw
福田豊彦氏の説に詳しいサイトでもあるってのか。
逆に教えてもらいたいもんだ。
169日本@名無史さん:2006/06/13(火) 16:23:56
>>168

言葉足らずの説明ならしない方がマシってことです。
さっさと気づきなさい。

>征東軍は迅速に組織されてる。
正しい日本語は“組織されている”ではなくて、“組織される”ですね。
まず文法の使い方から勉強し直しなさい。


>征討軍の武力は、坂東中心に諸国の群盗的な富裕層『つわもの』。
意味不明な文章ですね。
【武力】ぶりょく ― 軍隊の力。兵力。
【坂東】ばんどう ― 足柄・碓氷から東の国の称。日光連山の東側。
【群盗】ぐんとう ― 集団をなしている盗賊。
【富裕】ふゆう  ― 財産がたくさんある・こと(さま)。裕福。
つわもの 【兵】 ― 兵士。武士。もののふ。

翻訳すると
「征討軍の軍隊の力(兵力)は、足柄・碓氷から東の国を中心に諸国の集団をなしている盗賊の財産がたくさんある層『武士』。」

なるほど。
つまりあなたが言いたいのは、「武士とは足柄・碓氷から東の国の裕福な盗賊。」だということですね。
「武士が盗賊」とは勉強になりました。
ある意味、正解なのかも知れませんね。
170日本@名無史さん:2006/06/13(火) 16:27:47
>>168

あと「群盗的」という日本語はありませんから、次からは注意して下さい。
もっと、日本語を勉強して精進して下さいね。
あなたのような態度だと社会での人間関係に苦労しますよ。
171日本@名無史さん:2006/06/13(火) 21:43:55
>>169-170
つまらん事で粘着するんだな、なるほどw
武力(福田せんせが使ってるなぁ…)。富裕がおかしいのか??
百科事典的な解説もサンキュー。

征東軍の副将軍に、平清幹(安房平群郡司)など坂東の『兵=つわもの』が任じられてる。
征東軍が東進していく道々で、諸国の兵の参加も増え、征東軍は膨れ上がっていくわけだ。
征東軍は残党追捕で活躍してる。夷(東国人)をもって夷を制す、でもある。

『群盗』『凶賊・強盗』。例えば、泰和2年(899)の太政官符に全てみられる。
【群盗】― 集団をなしている盗賊?そんな単純な事じゃない。
藤原秀郷(下野)、橘近保(駿河)、藤原玄明(常陸)。代表的な群盗勢力じゃないか。

群盗勢力=『弓馬に便なる富豪層』こそが国衙の軍事力。
別に坂東に限った事じゃないが。

>つわもの 【兵】 ― 兵士。武士。もののふ。
将門や秀郷の時代はつわもの。武士とは表現しない。
下向井氏なら喜ぶかもだが。


>あなたのような態度だと社会での人間関係に苦労しますよ。
そっくりそのままお返しするよ。
172日本@名無史さん:2006/06/13(火) 23:07:41
>>171
概ね、そのような事で宜しいかと。兵(つわもの)についての考察も肯首します。
下向井龍彦氏の本を読みましたが、「将門と義家を何故、兵(つわもの)と武士
と区別するのか?同じではないか」的な文脈が散見されますね。承平・天慶の乱
の結果、地方の武力階層が中央朝廷との密接な繋がりを保持していく事で、
アイデンティティを維持していく契機になった訳ですから、この十世紀の内乱を
前後して兵(つわもの)と武士(在地領主、という狭い意味だけでなく摂関家と
の緊密な繋がりを維持する、という点も含めて)の呼称、定義は区別するのが自然
と思います。
173バモラ!:2006/06/13(火) 23:42:59
悪夢の一日が過ぎた。もう駄目だ、失望した、二度とサッカーなんか観るものか、どうせ次も負けるんだろう…
虚脱感と自虐意識で充満したまま迎えた18日、歴史の転換点となるこの日、日本はクロアチアと対戦した。
初戦でブラジルに敗れたとはいえ、10分で3失点する極東の弱小国など目ではない、
ひと揉みに潰して勝ち点3をゲットしてやるとクロアチアは意気込んでいた。
しかし、真の英雄は崖っぷちに立たされたときにその真価を発揮する。背水の陣を敷いた青きサムライたちは
クロアチアを撃破した。とりあえず面目は保った、でも次のブラジル戦で終わりだろう。
煽りまくるマスコミには踊らされず、国民の多くは冷めていた。そして運命の22日。
すでに2勝し決勝T進出を決めていたブラジルは消化試合モード。カルテット・マジコをベンチに下げ、サブで相手にしてやるという手抜きぶりだ。
この屈辱的な仕打ちに対し、日本代表の怒りに火がついた。絶対勝つ!
高原が、柳沢が、中田が、俊輔が、川口が、11人全員が凶暴な鷲と化し、カナリア軍団に襲いかかり、その細首に喰らいつく。
前大会覇者ブラジル、まさかの失点。さすがに敗北だけは御免だという南米の王者は、あわてて主力を投入するが、もはや暴獣の狂奔は誰にも止められない。。
大和魂が吹き荒らす神風の前には、世界を震撼させた魔法の4人組もただの紙人形と化し、狂風に煽られヒラヒラと舞い散るのみ。
一億二千万の怒りを込めてシュートされた凶弾は、炎を噴いてブラジルのゴールネットを突き破り、背後のマスターカードの看板を粉々に打ち砕いた。
その瞬間、栄光の扉が、まばゆい閃光を放って日本代表を迎えていた。一億二千万人全員が、サッカー史を塗り替える大革命の証言者となった。

プギャー
174日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:27:03
>>172
表現としての『武士』を幅広く使いたいのが下向井氏。
下向井氏は『軍事貴族』という表現が嫌いだからね。
まっ、軍事貴族というのも造語だし、兵と武士の境目含めて
適切な呼び方が不足している、というのはあると思う。
東国武士を武士と認めず、『武芸に堪能な在地領主』という高橋氏vs下向井氏。
>>173
レイープされる前に逃げ帰るってのはダメ?
175日本@名無史さん:2006/06/17(土) 02:19:33
>>174
鎌倉幕府成立以降が、本格的な「武士」の世の到来ですから、その二百五十余年
も前の将門や純友を「武士」と表現するのは違和感がありますね。確かに適切な
用語があれば良いと思います。坂上田村麻呂を「武士」と呼ぶのは変ですし、
「好きな武将は藤原秀郷です」などの表現も何かニュアンスが違いますし。
「武将」と呼ばれるのは「戦国武将の武田信玄」とか、その辺りが適切な表現かと。
176日本@名無史さん:2006/06/17(土) 22:44:51
将門の首塚ってどこにあるんですか?何駅が近いですか?
177日本@名無史さん:2006/06/17(土) 22:47:53
唐沢山城で有名な佐野氏は将門を倒した藤原秀郷の末裔。
そして籐がつく苗字は佐野氏の部下だった連中の末裔だ。
将門を英雄視するよりも自分達の先祖を誇りに思うんだな。
178日本@名無史さん:2006/06/17(土) 22:55:46
佐藤だの加藤だのってのは佐野さん見たら頭下げな
逆らうなよw
179日本@名無史さん:2006/06/17(土) 23:08:53
>>178
全ての家系が繋がるとは限らないが、佐藤、尾藤、後藤、伊藤、近藤、
武藤、の苗字は秀郷流藤原氏を出自としています。
180日本@名無史さん:2006/06/18(日) 01:00:33
佐野氏は足利氏族。
藤原秀郷流足利氏。


佐藤は紀州。西行の家。秀郷流。

東北に佐藤姓めちゃ多し。
181日本@名無史さん:2006/06/20(火) 00:59:22
>>180
奥州藤原氏は、秀郷流藤原氏の系譜ですね。信夫郡司の佐藤氏(佐藤継信・忠信で
知られる)も庶流であると言う通説もあり。
182日本@名無史さん:2006/06/22(木) 01:10:55
age
183日本@名無史さん:2006/07/01(土) 00:51:26
ひえ
184日本@名無史さん:2006/07/01(土) 01:05:29
運がなかった。
それにつきる。
185日本@名無史さん:2006/07/10(月) 19:53:14
あの時代の資料はよく残ってないからね
186日本@名無史さん
武蔵武芝