しょっく!
2 :
日本@名無史さん:04/07/21 01:52
怒唖呆。
3 :
日本@名無史さん:04/07/21 01:53
>1
そ の 筋 の 人 は 空 気 が う ま く 眺 め が 良 い 病 院 に 帰 っ て
信玄をはじめ、全員足軽だったりして。(嘘)
くわしいこと教えてくれ
The End
武田騎馬隊で検索したら、戦国時代にはそもそも騎馬隊という部隊は無く、馬に乗れたのは身分の高い指揮官だけだったそうな。他にも本を読んだがどうもそれっぽい。
ってことは、信長の野望の騎馬隊はやはり不自然ですか。
8 :
日本@名無史さん:04/07/21 02:11
9 :
日本@名無史さん:04/07/21 02:25
>>7 信濃の浅間山に良い病院があるから紹介しようか?
10 :
日本@名無史さん:04/07/21 02:29
馬は荷駄運びですじゃ、
>>10 戦闘には使われへんかったん?なんで武田の騎馬隊って有名になったん?
>>11 犯罪者とチョ○、Bの吹き溜まりの大阪民国の人は金儲けと犯罪だけ考えていればよろし
武田騎馬隊の真実。
三人の足軽で馬を作り
その上に武者が乗る。
兜を取られたら負け。
馬に乗っているのは皆金持ちなんだよ!!
現代で言えばベンツのSクラスに乗ってるような人達です。
15 :
日本@名無史さん:04/07/30 08:04
藤本正行という人が、騎馬隊が存在しなかった
とかなんとか本に書いているね。
16 :
日本@名無史さん:04/07/30 14:47
戦国期の騎馬隊は下馬して戦っててしかも軍の中でも少数なほう。
ただこれは戦国全体の常識。
武田騎馬隊は事実はわからないけど名は有名。
本当はひょっとすると馬上で戦っていて
しかも騎馬が沢山って事はあるかもしれない。
17 :
日本@名無史さん:04/07/31 01:31
真実は定かではないにしろ 武田の騎馬武者が精強だった事は間違いない。
黒沢の映画「7人の侍」を見ると 騎馬武者がどれほど恐ろしいかよくわかる。
現代でも韓国に 映画のためか その姿を残す集団がある。騎乗したまま
弓を射り 刀や槍で地上に置いたマキワラをバサバサと切って突き刺していく。
歩兵(当時は足軽か?)からみたら かなりの恐怖の対象になったと思う。
それを武田は モンゴル人のように 集団にしてうまく使いこなしたのだろう。
そういえば ロシアがモンゴルの支配から脱したのも 鉄砲(当時は火縄銃)の
おかげだったと記憶している。やはりロシアにも織田信長のような人物がいたのかな?
18 :
日本@名無史さん:04/07/31 01:48
そうすると、やはり上杉軍団も弱かったのか。
19 :
日本@名無史さん:04/07/31 01:50
武田の騎馬武者が存在しないというよりも、歴史学に自然科学
で適用されるような厳密な意味での実証主義は存在しない、
不可能だということだ。
自然科学の厳密から言えば、ないともあるとも言えない、すべては
仮説の域をでないっつーわけで、決定不可能。
歴史へのアプローチは優れた歴史小説家の方が正しい。歴史観しか
持ち得ないから。
歴史学者の言う実証主義なんぞ現代史ならまだ議論も成り立つが
、本家の理系からいわせればDQNの戯言に過ぎない。
>騎馬武者がどれほど恐ろしいかよくわかる
士気と錬度の高い歩兵の方陣に
騎馬隊が突撃することは自殺行為
これ西洋での軍事学の常識アル
信じるヨロシ ニッポンジン バンザイアタックしか知らない
とっても悲しい心よ・・・
クロサワ ノーサンキュウ 戦国時代の武将トッテモ優秀
だから騎馬で戦う人誰もいない私見てきたから間違いないネ
現実を認めたくないならテニスンでもヨムヨロシ
詩に名高い英国軽騎兵最後の突撃の顛末を
21 :
日本@名無史さん:04/07/31 02:23
>>20 七人の侍で、最後の決戦で、襲ってくる騎馬隊(西洋馬)は山賊化した
敵方の浪人だけだ。
22 :
日本@名無史さん:04/07/31 02:49
油断大敵
よく見るよろし
>>21
ソーリー
私日本語たくさん話せる
バット
ユーの日本語少し分からないアル
>20の、どの文章に何を指摘してるココロか?
騙りがでる前にトリップ付けたアル
失敗したヨ ハズカシイココロネ
>>21
↓
>>21
25 :
日本@名無史さん:04/07/31 05:01
騎馬軍団は武田軍の主戦力。
その為、三方ヶ原の戦いで、騎馬軍団の展開に適した広大な草原である三方ヶ原を決戦場に選んだ。
26 :
日本@名無史さん:04/07/31 05:04
27 :
日本@名無史さん:04/07/31 23:07
鈴木眞哉『鉄砲隊と騎馬軍団』(洋泉社、2003年)
28 :
日本@名無史さん:04/08/01 00:35
長篠の戦のときの柵はなぜ「馬防柵」とよばれるのか?
「騎馬武者は士官であり騎馬武者のみを集めてしまっては配下の徒歩武者、
足軽を指揮するものがいなくなる」という指摘があるが、そもそも騎馬武者の大多数は
数人程度の配下を抱えてるに過ぎない小規模部隊長であり、戦場でこれらの小隊長が
それぞれ部下に指示を出していたのではあまりに効率が悪すぎる。
また鉄砲隊、弓隊というように、小隊長の配下からはなれてそれそれの兵科でまとまっての
集団運用も行われていたのだから、騎馬隊、と言わないまでも、
状況に応じて騎馬武者による集団攻撃が行われていても不思議はない。
「当時の馬は甲冑に身を固めた武者を乗せて走るのは困難だった」という指摘があるが、
母衣(風を孕む位の速度で走れないと効果がない)、使い番(当然スピード命)などの存在から考えると
実戦に耐えうるくらいの速さは出たのではないか?
29 :
日本@名無史さん:04/08/01 01:36
馬と信玄の獣姦がみたい
なんかすごいよね武将全員
横一列に並んで馬の一物をアナルに突っ込んでいるの
想像しただけだが興奮するね
だから武田軍はほとんどの武将が痔で馬に乗れない
だから騎馬隊は無いという結論に達した
30 :
日本@名無史さん:04/08/01 02:47
マジレスするが、武田の騎馬隊が有名になったのは
武田(甲斐・信濃)産の馬が山岳部の輸送手段
として優れていたのが原因だそうです。
普通、平野部の馬は、山岳部の斜面を重い荷物を運ぶのに
耐えられなく成るそうですが、
山岳部で育成された武田産の馬は、
斜面での輸送に力を発揮したらしいです。
つまり、戦闘時には、歩兵が中心で、他の大名と変化ありません。
中国大陸の蒙古の騎馬軍団とは、
似ても似つかない存在みたいです。
31 :
日本@名無史さん:04/08/01 02:49
日本の馬は小型でしかも
去勢されていない
獣姦に最適だった
しかも山間部の馬は腰が強く
精力抜群
32 :
日本@名無史さん:04/08/01 03:49
>>30 輸送用の駄馬と軍用馬が混同されることはありえんと思うわけだが。
33 :
日本@名無史さん:04/08/01 08:24
騎馬隊は存在しません。
@甲斐の金山は微々たる収益なので金銭的に不可。
A兵農分離をしてない農民に馬術を仕込むのは不可。
B馬が小さ過ぎて戦闘向きでは無かった。
Cそもそも、馬にのるのは侍大将以上なので足軽は乗れない。
騎馬隊厨に理屈は無意味
騎馬隊厨の論理は日本全国モンゴル草原
騎馬隊厨は生物学すら否定できる
騎馬隊厨の相手は時間の無駄
35 :
日本@名無史さん:04/08/01 09:43
馬に乗るってなんか卑猥だね
日本の馬は小さいから獣姦向き
去勢しなかったことからも
獣姦に珍重されていたことが分かる
獣姦マニアがまぎれこんでるな
37 :
日本@名無史さん:04/08/01 14:01
>>32 あなたは大河ドラマや映画の見すぎ...
武田軍は歩兵中心だし、そもそも日本の国土(中でも甲信地方)では
騎馬軍主体の戦争は不向きです。
武田の騎馬隊とは補給のための騎馬が主体であり
これが山岳部で育成されたものだから、
急な坂でも重い荷物を運んで登ることが出来たとか...
これが、実際の戦争で、迅速な補給の確保に役立って
平野部の大名を恐れさせたとか...
>>37 補給用の非戦闘馬の輸送での活躍が、騎馬隊の戦場での活躍と誤伝されたと?
まさか。歴史群像マニアですか?
39 :
日本@名無史さん:04/08/01 15:20
騎馬といえばモンゴル軍が有名だけど、野戦のばあいは騎馬による戦いが
効果的でありえるという実例はあるわけだよね。馬の大きさもモンゴルの
ものは小さかったというし、鐙も6世紀には日本で使われ始めている事を
考えると、なぜ日本で騎馬戦法が発達しなかったのか疑問だ(武田の騎馬隊
がなかったとする前提だけどね)。
上記のレスで「戦場には馬に乗っていくが戦闘では馬を下りて戦う」って
記述があったけど、これって鐙の存在を知らない兵の戦い方だよね。
40 :
日本@名無史さん:04/08/01 15:26
平安〜鎌倉の武士は弓騎兵だってときいたが
41 :
日本@名無史さん:04/08/01 15:40
>>40 そうだね。遠距離では馬上から弓を射って、接近戦では刀を使う。
戦国時代はどうなのかは分からんが。
42 :
日本@名無史さん:04/08/01 16:28
>>38 別に、武田軍が全く騎馬戦をしなかったとは思いません。
ただ、世界規模で見ると、武田軍は
騎馬隊というよりは、歩兵中心の集団戦法という色彩のほうが
強いと思うのです。
武田軍の戦場は、モンゴルのような大地を駆け巡っての戦争ではないし
日本の山岳に囲まれた密集地での戦争が主体だし、
当然、歩兵がメインで、一部が騎馬兵という感じだったと思います。
43 :
日本@名無史さん:04/08/01 16:54
>41
宣教師ルイス・フロイスは、『日本覚書』第七章37に「日本人は戦わねば
ならぬ時には馬から下りる」と記録しているとか。
44 :
日本@名無史さん:04/08/01 16:56
秀吉は6本指ですよ
45 :
日本@名無史さん:04/08/01 17:48
>なぜ日本で騎馬戦法が発達しなかったのか疑問だ
日本では騎馬戦法が有効でなかったから。
中国の書物で騎馬戦法の知識はあったが
日本には大陸での開豁地に相当する地形が存在しない。
46 :
日本@名無史さん:04/08/01 17:51
ちなみに、中国でも時代、場所によっては
歩兵が主体だったりする。
47 :
日本@名無史さん:04/08/01 18:18
「騎馬軍団は存在したけど実戦における馬の役割は決して大きいものでは
なかった」というのがスレの流れだな。で、学問的にはこれが一応の定説なの?
48 :
日本@名無史さん:04/08/01 18:39
>>47 まあ、そういうことです。
それで、武田の馬が注目されたのは輸送手段として注目されたのも大きな要因です。
それと、これまた意外ですが、長篠の戦いは、
武田軍の銃撃(鉄砲)が強力だったという資料も残っており、
武田は必ずしも鉄砲を軽視してません。
また、織田の戦い方も鉄砲の効果あったというより
織田が、武田の3倍の兵力で安全で常識的な戦いをしたというのが
正しいと思われます。
>それで、武田の馬が注目されたのは輸送手段として注目されたのも大きな要因です。
注目されたというソース希望。現代人の研究は多少は知ってるが、昔の人間がどう評価してたか知りたいので。
50 :
日本@名無史さん:04/08/01 21:11
いざ鎌倉で獣姦
50回獣姦する武田信玄
馬一頭の輸送量は米三俵(約一石)が限界。 (現代で例えると航空便)
牛一頭の輸送量は馬の三倍〜四倍。しかし速度が遅い。(現代で例えると船舶便)
室町時代中頃までは馬は乗用、牛は輸送・労働に使われた。
室町時代中頃から京都を中心とした一部で馬を輸送に使い始めた。
54 :
日本@名無史さん:04/08/02 09:08
伊達で有名な鉄砲騎馬隊は馬上で撃つのだろうか?
とても撃てるような状況じゃなさそうだが…
55 :
日本@名無史さん:04/08/02 09:10
鉄砲の運用がうまかった信長のように、
信玄は馬の運用が他国の勢力よりうまかった
56 :
日本@名無史さん:04/08/02 11:02
>>54 西洋のドラグーン(竜騎兵)はどうなんだろ
あと、兵糧等の輸送じゃなくて兵の輸送つまり
神出鬼没の用兵は武田得意だった?
58 :
日本@名無史さん:04/08/02 11:23
>>56 欧米では獣姦はさかんだったらしい
>>55 鉄砲をアナルに突っ込むのか
>>40 南北朝時代から下馬するようになった様ですね。日本で下馬して戦っていた
事については、ルイス・フロイスの『日欧文化比較』や柳成竜の『懲ヒ録』に記
されています。
本来は弓が主体であったのに、治承・寿永の内乱の頃に弓馬の道に慣れて
いない田舎武者も参戦する中で打物・組み打ちといった戦のやり方が登場す
る様になり、騎射の占める役割も弱くなったらしい。
『春日権現験記絵』には、馬上での長刀使用も見られます。
60 :
日本@名無史さん:04/08/02 11:34
>57が紹介しているAns.Qの過去ログで結論はでましたね。
個人的には、Ans.Qはまともなサイト(住人の平均年齢が高い)なので
2chに直 リンを貼るのはやめてほしかったのだが・・・
62 :
日本@名無史さん:04/08/02 13:01
武田騎馬隊は騎乗して戦ってる気がしてきた。
でなきゃ有名じゃない気もするし。
戦国の常識ではない騎馬隊だったってのが良いな。
(あくまで希望だけど)
63 :
日本@名無史さん:04/08/02 13:08
畠山重忠は馬を背負っていた
騎馬隊厨キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
だから騎馬隊厨に何を言っても無駄だと言っているのに・・・
結局、根拠も無しに「武田騎馬隊は騎乗して戦ってる」だけを言い続けるだけなんだから・・・
65 :
日本@名無史さん:04/08/02 13:14
馬プレイ
66 :
日本@名無史さん:04/08/02 13:22
67 :
日本@名無史さん:04/08/02 13:23
>>64一応聞いてみるか。では何で武田騎馬隊は有名なんだ?
下手すりゃ騎馬歩兵の線も消えるな・・・
69 :
日本@名無史さん:04/08/02 13:36
実は2人乗り。
↓詳細マダァ-? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
52 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/08/01(日) 22:42
>>49 騎馬隊が存在したというソース希望。
71 :
日本@名無史さん:04/08/02 13:40
馬を背負うという発想は
やはり武士にはアナル獣姦という
考え方があったんでは
72 :
日本@名無史さん:04/08/02 13:40
>>67一応聞いてみるか。では何で伊達で有名な鉄砲騎馬隊は有名なんだ?
73 :
日本@名無史さん:04/08/02 13:44
有名な理由は…小説・ドラマ・ゲームじゃね?
74 :
日本@名無史さん:04/08/02 14:06
武田騎馬隊が有名になった原因は小瀬甫庵の信長記だろう。
75 :
日本@名無史さん:04/08/02 14:26
長編映画
いざ鎌倉馬とおじさん
じゃないの
三国志も影響ありそう…
77 :
日本@名無史さん:04/08/02 19:12
騎乗(戦のとき下馬するのも含む)するのと輸送するのでは馬具に違いが
出てくると思うんだけどね。そのあたりどうなの?
78 :
日本@名無史さん:04/08/02 19:46
やはり長篠だろうな
長篠を鉄砲vs騎馬軍団という二項対立構造に仕立てたがゆえの過ち
>>72 「城塞」を読んだ司馬厨の仕業。そのソースは講談のタネ本として知られる『常山紀談』。
これだけでも100%嘘だと言い切れる。
これが事実なら、『武功夜話』は超一級の史料と言うことになっちゃうけどいい?
>>79 何か誤解があるようだが・・・
漏れは一貫して騎馬隊否定論者。
そもそも、存在するか否かという議論では
存在すると主張する側が論拠を提示しなければ
ならないのに、こと、騎馬隊に関しては
武田騎馬隊は騎乗して戦ってる気がする。
だから実在した。と、存在すると主張する側は
妄想を語り。否定論者が存在しない論拠を提示
し続けている。
ついでに、以下余談。17世紀の日本に騎馬鉄砲隊が存在したとすれば、
ヨーロッパで流行していたカラコール戦術(待機陣地から敵陣まで突進して射撃、
後方へ戻って装填。これを繰り返す)をとったと考えられる。
だがカラコール自体、スウェーデン軍の白兵突撃に駆逐されてしまうので、
費用対効果の高い戦術であったとは思えない。
馬上筒だと射程に問題があるので、なおさら実戦には使えない。
でも、かつての戦国イメージを否定し今は定説と扱われている説をもう一度ひっくり返す、
というのは面白いかもね。
武田騎馬隊は存在した!
日本刀は合戦でバリバリ使われていた!
信長は桶狭間の出陣のときに、一人で駆けた!
82 :
日本@名無史さん:04/08/02 22:51
84 :
日本@名無史さん:04/08/02 23:47
>67 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/08/02(月) 13:23
>
>>64一応聞いてみるか。では何で武田騎馬隊は有名なんだ?
有名だから実在した。などという香具師がいてる時点で釣りだと気づけ。
必死になって否定してる奴等は、皆釣られているんだよ。
騎馬隊という部隊はなかったが騎馬武者が強かったんだろ。
で騎馬武者の群れを便宜上騎馬隊、と呼ぶ奴が現れたってことだろ。
ムキになるようなことか?
騎乗したままの戦闘は難しく、騎乗するのであれば追撃時に限るべしという
教訓が『三河物語』に見られます。『雑兵物語』によれば、いざという時にな
って主を探して馬に乗せるのも大変だったとか。
>>85 >騎馬武者の群れ
この時点でもう無理が出ていますが。
87 :
日本@名無史さん:04/08/03 01:39
騎馬武者がだめということなので
次回から獣姦の歴史でも語ろうよ
>>86 そういうツッコミは如何なものかと・・・
>>85 少し想像力をはたらかしてごらん。
>騎馬武者が強かった
この時、強い騎馬武者は手に何を持っているの?
刀?それとも槍?一発しか撃てない鉄砲?
騎乗時には、それを片手で使うんだよ。
(馬の首が邪魔にはならないという妄想は不許可w)
誰もが片手で刀を使えたら二刀流はもっと普及していただろうね。
武器の片手使用は両手で使用する者より威力が弱い。
>86が指摘しているように、洋の東西を問わず騎馬が威力を発揮するのは
相手の士気が下がり背走している時。
騎馬武者が突進してきても、姿勢を下げて槍を構えれば(下側を地面に突き刺すとか)
歩兵にとって騎馬武者は脅威では無い。
三間槍を携帯している騎馬武者なんか存在しない。
騎馬武者に数人の徒歩兵が付随しているのは合理的な理由があるんだよ。
単独で行動している戦車が複数の歩兵に簡単に屠られるのと同じ。
騎馬武者は万能ではなく戦場では極めて脆い兵種なんだよ。
>>86 じゃあ武田は馬に乗っての追撃戦が強かったんじゃないの?
三方ヶ原とかさ。
関ヶ原の松平忠吉、井伊直政なんか自ら先頭に立って島津隊を追撃したが、
彼らの身分を考えると、周りには当然「騎馬武者の群れ」が形成されていたと思われ。
そういうのに尾鰭がついて騎馬隊へと・・・
刀を横に出して馬の突進力を利用して
すれ違いざまに鉄の棒をぶつけるような感じで切りつける
(当時の馬の体躯からして丁度その程度かなと)
これなら刀を振回すほどの力も要らないと思いますし、
もし人と馬がぶつかって自分が落馬しても相手は馬に轢かれた後、
自分はもとより落馬してからの組討覚悟なので多少は優位なはず。
少数精鋭の命知らずどもに敵陣(敵部隊と言った方がいいかな?)
に突っ込ませかき回しているうちに普通の徒歩兵が
ジャストタイミングで襲うと・・・。
もしそういう部隊があるとして(妄想)それが馬の生産地という事も
相まって他国に比べて比率が多かったから有名になったとか・・・?
って言うか命知らずのDQNどもが突っ込んでくる
↓
農民の寄せ集めの雑兵どもビビッて混乱(陣形崩れる)
↓
武田軍(*´Д`)y−~~~ウマー!なのかも・・・。
88さんのおっしゃるように槍を構えられていると突っ込めないから
突撃前に十分に矢を射掛けてから・・・。
南北朝のころ馬上で馬鹿でかい刀振り回してなかったか?
>>89 しかし武田の例が強調された理由が分かりませんからね。なんでここまで広ま
ったのやら。『信長公記』の例を見ると、「馬上の巧者」がいたようですから、この
せいかもしれません。
>>91 伝足利尊氏(実は高師直)画像の様に、開戦前から抜き払っていたようですね。
93 :
日本@名無史さん:04/08/03 22:06
しかし世界史的には馬に乗ったままの戦闘もありますよね。11cのヘースティン
グスの戦いなどは馬に乗ったまま戦ったノルマン方が勝利をおさめたわけですが、
この戦いは、戦場までは馬で来て戦闘時には降りて戦ったイングランド方の兵法的
敗戦と言われています。あと、重装歩兵の密集戦法が出るまでのギリシャの騎兵や
モンゴル軍など馬上での戦闘技術なども。これをもって武田の騎馬軍団が存在した
などとは言いませんが、馬乗での戦いが一概に不利とも言えないような気がする。
帝政期のローマも重装歩兵から騎兵に主力が移ったと聞いた。
95 :
日本@名無史さん:04/08/03 22:25
モンゴルなどは馬上用の弓などを使うよね。いち早く敵に近づいて弓を射る。
相手が陣形を崩したりひるんだりするのを見計らって一気攻撃。逆に陣形を
整えて責めてくる場合はアッサリ退却。日本ではこういう戦いは難しいだろう
けど、歩兵との組み合わせ次第ではそういう状況が作れたのかもしれない。
あと甲斐の黒駒の性質を生かして陣形を組みにくい山間部での奇襲攻撃とか。
まぁ、あくまで想像だけどねw
96 :
日本@名無史さん:04/08/03 22:34
モンゴルは羊も使う
>93
世界史で下馬戦闘というと、
・『ガリア戦記』に登場する特定の部族
・百年戦争以降の英軍(後に有利と見て仏軍もこれを採用)
ぐらいしか思い当たりませんね。騎乗した者だけならまだしも、歩兵を伴っ
た状態なら下馬して一体になって戦ったほうがよかったのでは?
>95
>モンゴルなどは馬上用の弓などを使うよね。
中世前期の侍も騎乗弓兵でしたが、『源平盛衰記』によればあまり長い弓は馬
上で使いにくいので長身で弓も長かった源為朝などは騎射が苦手であったそ
うです。モンゴル兵は馬上で短弓を、地上で長弓を使い矢もそれぞれ30本
ずつ用意していました(日本の武士の携帯した矢は30〜40本)。
アメリカ原住民も当初は長弓を使用していたものが、馬の扱いに慣れるに従
って短弓を使用するようになったそうです。
しかし戦国期の戦闘に騎射の活躍する場面があったでしょうか。
流鏑馬は応仁・文明の乱以降廃絶し、今あるものは江戸初期に徳川・島津家
で復元されたもので中世のそれとは様式が異なります。大河ドラマで中世に
今のような流鏑馬をやっていたら不自然ですよ。
11cのヘースティングスの戦い
>戦場までは馬で来て戦闘時には降りて戦ったイングランド方の兵法的敗戦と言われています。
幾度かのあまり効果的でない攻撃をかけた後、ウイリアムはサクソン軍を有利な丘の上から誘い出すた めに
偽の退却をすることにします。退却していくウイリアム軍を追撃するのに夢中になったサクソン軍は、
思わず深追してしまい、気がついた時にはノルマン騎兵に包囲されて次々と殺されていきました。
伝説によ るとウイリアムの弓兵隊が空に向かって多くの矢を放ったため、サクソン軍は矢から身を守るため
盾を頭上 にかざしていたところを重装騎兵に攻撃されたということです。
http://www31.ocn.ne.jp/~tactic/heistingus.html >重装歩兵の密集戦法が出るまでのギリシャの騎兵やモンゴル軍など馬上での戦闘技術
・・・何か勘違いしていませんか?
閑話休題。過去に世界中で行われたあらゆる戦争の例を際限なく持ち出すつもりなのでしょうか?
諸兵連合効果という用語を御存知でしょうか。あらゆる兵種には長短様様な特徴があります。
私は騎兵や馬乗での戦いを否定しているのではありません。他の兵種や十分な支援があれば
戦術や個兵単位での戦闘において騎兵や馬乗での戦いは突出した効果をもたらします。
>88にて私は馬を戦車に譬えましたが、WWU当時、独の1940年型戦車師団には過度の戦車が
配備されていたため対仏戦では弊害が多数発生しました。そのため(対露戦に備えて師団数の
増設が急務という側面もありますが)独では戦車師団の定数が大幅にみなおされています。
伊達家は大坂の陣にて、他家と比較して突出した鉄砲装備率で戦闘に臨みましたが、
戦後、鉄砲と槍の装備率は他家と同様のレベルに落ち着きました。
一つの兵種に偏った軍は十全に機能しないものなのです。
国や時代・兵器によって、戦争はその時時に応じた様相を指し示します。
ですから、概括的な一般論ならともかく、特定の地域や多くの側面がある過去の戦争での
一面のみを捉えて、その事象を戦国時代の我が国に対して用いるのは適当ではないと私は考えます。
16c前後の我が国において、兵種の装備比率があまり変わりばえしないのは、それがこの国において
最も効果的な装備比率であったということの証左であると言えるのではないでしょうか。
山と馬は武田家の独占物ではありません。もしこの国に騎馬隊が存在したのであれば
多数の事例が他の地域にも存在したはずです。
武田騎馬隊のみが講談等で有名なのは、逆説的ではありますが騎馬隊なるものが講談においてのみ
語られる存在だからではないでしょうか。
100 :
日本@名無史さん:04/08/04 00:52
ひよどり越えなんかは、騎馬隊じゃないの?
>>100 『平家物語』にも『吾妻鏡』にも特に描写はありませんが、常識的に考えて歩兵も
随行していたのではないかと。
102 :
チンギスハン:04/08/04 01:07
性描写のこと獣姦はあった
>>100 『延慶本平家物語』などにも福原周辺は城郭化されているとの記述があります。
馬上での戦闘技術に長けたモンゴルでも騎乗のままでの攻城戦は行いません。
104 :
日本@名無史さん:04/08/04 02:14
モンゴルは馬に乗ったまま性交ができる
105 :
獣姦大魔道義安:04/08/04 07:05
モンゴルとか騎馬民族の強みは守る城を持たないことだよな。
ちょっと敵わないくらいの数が来たな、と思えばユルトまとめて逃げればいいしな。
で、相手が疲れてきたな、とか、何かはぐれてるっぽい、と見たら攻勢に出る。
劉邦が匈奴に負けたのもこのせいだし。
逆にカクが匈奴に勝てたのはこの作戦に乗らなかったからかな。
騎馬民族の強さは戦略上のもので戦術上ではないと思うんだけど。
日本の所謂騎馬隊と比べるのはナンセンスなんじゃねーの?
106 :
日本@名無史さん:04/08/04 11:43
>>105 その通りだな...
大陸の騎馬民族が強かったのは、彼らは移動型生活者なので守るべき土地がなかった。
そのために、農耕民に生活拠点を破壊されない。
騎馬民族に生活基盤ごと、広くて何もないモンゴル高原に逃げ込む。
また、移動型生活は、人口が少ない割には、多く兵力を動員できた。
なぜなら、彼らは普段から移動しながら生活(常時、遠征しているようなもの)
していたから、補給という面では遥かに有利にあった。
逆に、農耕民は、守るべき土地があり、生活基盤が固定されているから
町ごと逃げるなんてことは出来ず、騎馬民族の攻撃に弱い。
また、人口が多い割には、動員できる兵力にも限りがある。
兵を動員しようとなると、その期間、農作業する人が生産を中断しなければならない。
こういうに考えると、
武田軍は、大陸の騎馬隊とは全く異なるものである。
日本のような密集した山岳部では、騎馬民族は存在できず、
武田軍の兵員は、歩兵中心だった。
武田軍の騎馬隊が有名だったのは、彼らの本拠地である甲信地方での
戦争時の補給に、武田の山馬の輸送が優れていたため、
平野地の平野で育成された馬主体の他国の大名には、
武田の山馬の山岳部での補給の速度は脅威だったというのがある。
108 :
日本@名無史さん:04/08/04 14:10
輸送と戦闘がごっちゃになるわけねーだろ、とマジレスしてみる。
いいとこ武田騎馬歩兵軍団だろ
>109
人員輸送もあるんじゃないの?
112 :
日本@名無史さん:04/08/04 20:06
確かに武田の騎馬軍団が存在した可能性は低いだろうな。ただ、馬を使った
戦術が有効でないというところの説明がいまひとつなんだな。例えば敗軍の
兵の追撃とか、不意の奇襲とか、そういう事にさえ馬は使えなかったのだろ
うか?
113 :
日本@名無史さん:04/08/04 20:16
池上遼一「信長」の長篠の戦いが、騎馬隊説の理想そのものなんだよな。
騎馬隊が横一列になって馬防柵に向かって突進していくと、号令一下
横一列の火縄銃が火を噴いて、騎馬隊が一斉に倒れる。
にも関わらず勝頼は突撃を命じ続ける。
それ途中で駄目だこりゃって気づきそうだけどな。
115 :
日本@名無史さん:04/08/04 20:54
信長公記によれば西上野の小幡氏が馬上巧者、だということだが
これはどう捉えればよいのだろうか?
>>108 くだらない小説しか書けない人の妄想記事だね。
リアル厨房並みの論理と言訳が書き連ねてあって見苦しすぎる。
素人だから、まともな反論を受けるのが恐いんだろうけど
言訳しながら愚にもつかないことしか言えないのなら、はじめから書くなよ>佐々木譲
117 :
日本@名無史さん:04/08/04 21:10
>>116 なんでそんなに憎悪剥き出しなの?
あんた鈴木さんですか?
119 :
日本@名無史さん:04/08/04 21:34
>>108 結構説得力あるね。
まあこの人も集団騎馬隊を否定していることには変わりないが。
120 :
日本@名無史さん:04/08/04 21:39
>>113 :日本@名無史さん :04/08/04 20:16
>池上遼一「信長」の長篠の戦いが、騎馬隊説の理想そのものなんだよな。
>騎馬隊が横一列になって馬防柵に向かって突進していくと、号令一下
>横一列の火縄銃が火を噴いて、騎馬隊が一斉に倒れる。
>にも関わらず勝頼は突撃を命じ続ける。
そう。これが、長篠の合戦のイメージを誤った方向へ
決定付けた最大の原因。
実際は、武田が敗れた原因は鉄砲ではない。
結局、兵力の差で押し切られたのが最大の原因。
しかこ、信長は安全策で、なるべく兵力の損失を少なくすむように
して戦い、勝頼は少ない兵力でいかに勝つか考え、
その結果うまくいかなかった。
117=118=119
本人のいないところで欠席裁判かい?
君がかわりをつとめるというのなら↓を説明してくれ。他の妄想記事の間違いは、これの次にしてやるからw
>じっさいの135センチから145センチの馬をイメージできていないのだ。
戦国期の日本の馬が135センチから145センチだという根拠は何だ?
>>120 >しかこ、信長は安全策で、なるべく兵力の損失を少なくすむように
>して戦い、勝頼は少ない兵力でいかに勝つか考え、
>その結果うまくいかなかった。
具体的に。
>>121 何の反論もせず罵倒するばかりだった君が被害者面かいw
124 :
日本@名無史さん:04/08/04 22:16
>>121 被害妄想の強い人だね。裁判ってハア?
俺は119だけど、別に116を批判してるわけじゃないんだけど。
普通に説得力あると思うけどな。馬についてはこの人の方が詳しそうだし。
つうか、
>戦国期の日本の馬が135センチから145センチだという根拠は何だ?
ttp://www.sasakijo.com/kiba.htm によれば、
>戦国期は、おそらく135センチほどの平均体高であったはずである。
とある。145センチとは言っていない。そしてその理由として
>生物学的には、現在の和種馬の平均体高は130センチである。
>これは数世紀かけて小型化されてきた結果と考えられている。
らしい。
まあ小型化されて130センチなら戦国期には135センチ程あったんじゃないの?
125 :
日本@名無史さん:04/08/04 22:17
>>123 何の反論もできない君は罵倒するだけかいw
>そもそも、存在するか否かという議論では
>存在すると主張する側が論拠を提示しなければ
>ならないのに、こと、騎馬隊に関しては
>武田騎馬隊は騎乗して戦ってる気がする。
>だから実在した。と、存在すると主張する側は
>妄想を語り。否定論者が存在しない論拠を提示
>し続けている。
126 :
日本@名無史さん:04/08/04 22:24
おめコシテイ
>>124 【欠席裁判】
その場にいない人の批判をしたり、その人の不利となる事柄を決めたりすること
単純な人だね。よく他人から騙されているだろ。被害妄想の強い人ってハア?
この妄想記事の最初の目的は
>蒙古馬の平均体高は135センチ。ジンギスカンの軍隊は、この馬でユーラシアを疾駆し、征服したのである。
↑自説のために体高は135センチ以上ならモウマンタイ。そのために誘導しているんだよ。
>145センチとは言っていない。
とりあえず百回読みなおせ。
>>125 ばとう ―たう 0 【▼罵倒】
(名)スル
口ぎたなくののしること。また、その言葉。
「相手を―する」「―を浴びせる」
まさにあんただね。
【欠席裁判】
その場にいない人の批判をしたり、その人の不利となる事柄を決めたりすること
本人であるあんたは現にいるんだから全然欠席裁判じゃないよね。
バカはスルーでアカデミックな議論を続けてくれm(_ _)mペコリ
130 :
日本@名無史さん:04/08/04 22:49
なんでこんなに必死なんだ
132 :
日本@名無史さん:04/08/04 23:36
>>100 司馬遼太郎の「坂の上の雲」で、フランスの騎兵教官に秋山好古が「日本にも騎兵の使い方を
知っている人間はいた!」を主張するシーンで、源義経を紹介してるね。
あれは小説の中の話だけど、源義経が騎兵を効果的に使った武将であることは確か。
>>99 >もしこの国に騎馬隊が存在したのであれば多数の事例が他の地域にも存在したはずです。
騎兵は維持に非常に金がかかる兵種であるため、職業軍人が存在せず、個々の部将レベルで部隊を
構成していた戦国期に騎兵隊が存在しないのは当たり前です。
よって、
・馬の産地である
・馬を大量購入できるほど裕福な大名・国である
・自国の軍団に対する戦略的な視点をもった大名が、各部将単位に任せず「国家」として騎馬隊を育成している
・足軽より上級の馬持ちの侍を個別に運用せず、それをかき集めて「騎兵隊」という単位で運用できる (←義経はこの例)
などの条件があればできますが、当然ながら非常に稀な例です。
一般的じゃないのは当たり前じゃないでしょうか。
>132
実際問題、源義経がいなくても大勢はかわりませんが
源義経が騎兵を効果的に使ったという歴史的根拠を私は
寡聞にして知りません。
>などの条件があればできますが、当然ながら非常に稀な例です。
>一般的じゃないのは当たり前じゃないでしょうか。
その非常に稀な例が武田家なのでしょうか?
その条件に武田家は当てはまらないようですが・・・
134 :
日本@名無史さん:04/08/05 00:39
徳島の皆さん、大丈夫ですか?
巣立ち君元気?
甲斐と信濃は馬の産地ですよね?
信玄統治時にどの程度の数の馬が領国にいたのでしょうか?
大将から一兵卒まで皆が騎兵だと主張する人はいないでしょうけれどw
大体何頭くらいいれば騎兵部隊として成り立つでしょうか?
137 :
日本@名無史さん:04/08/05 05:36
>>133 義経は、騎馬隊による高速移動を生かした奇襲戦法を好んだ武将ですよ。
ひよどり越(一の谷の合戦)と屋島襲撃はその典型的な例ですね。
義経は、道案内者に向かって「屏風を立てた如きこの断崖を人馬が通るか。」
との問いに「人馬は通りませぬが、たまに鹿が通ります。」との答に
義経「鹿は四足、馬も四足、鹿が通って馬が通れぬ筈はない」
と大胆にも義経は左右を振り向き、吾に続けと一鞭当て降りれば一同続いて
一ノ谷を攻め、火を放ちました。
まあ中世の物語の一説ではありますが、義経の部隊が騎兵中心の部隊であることを
よく伝えています。
>>136 1部隊は300人を超えず100〜200程度で騎士の率が30%以上、
100人未満では50%以上あればいいんじゃないかなあ(個人的な推測です。根拠なし)。
「南海治乱記」に細川管領家の軍制の記述があり、騎兵という兵種がなく槍・鉄砲・弓を
もった混成1部隊1000人のうち、前軍・後軍500人ずつで、前軍は足軽大将率いる
完全な歩兵部隊、後軍は騎馬武者の侍大将が率いる突撃部隊となっています。
後軍の騎乗の武士は、部隊長:3人×2頭(替え馬が必要なため)、兵長:30騎(替え馬なし)の33騎。
軍制としては中世のものを引きずっており古いタイプのものだし、騎馬武者の多い関東や奥州なら騎士の率は
もっと高いでしょうね。
ちなみに上記の細川家の例では、1000人のうちには、馬関係者として馬引き72人、馬飼い36人も
いたそうです。
常設の騎兵隊というのは、珍しい(あるいは反対論者にとってみれば「存在しない」)ものではありますが、
騎馬武者だけを集めて突貫する戦術などはいろいろな軍学にも存在する戦法なので、武田騎馬隊というのも
戦場において暫定で組織される部隊だったという可能性はあります。
いわゆる足軽より上の侍は基本的に騎乗であり、それが徒歩の郎党を連れているわけですが、
徒歩の者はとどめおいて騎馬武者だけを集めれば、暫定の騎兵隊を編成するぐらいはいくらでも
できるわけで、反対論者は「騎兵隊=ヨーロッパやモンゴルのような常設の純粋な騎兵」の
概念にとらわれ過ぎの様な気がします。
139 :
獣姦大魔道義安:04/08/05 07:53
>>116がアホで騎馬隊懐疑派の旗色が悪くなっているので援護射撃してみる。
俺も専門家じゃなくてただ鈴木の本を読んだだけなのでたいしたことは言えないが、
佐々木曰く、
>先に記したように、蒙古馬の平均体高は135センチ。
>ジンギスカンの軍隊は、この馬でユーラシアを疾駆し、征服したのである。
>142センチ、あるいは145センチの馬であれば、戦闘用馬としては
>十分すぎるほどのサイズである。
>戦国期、日本の馬が宣教師たちに「ポニー」と呼ばれた、ということで、
>たぶん鈴木氏はじめおおかたの戦国研究者は、観光牧場にいる
>シェトランド・ポニー(105センチ)とか、ウェリッシュ・ポニー(120センチ前後)を
>連想している。じっさいの135センチから145センチの馬をイメージできていないのだ。
鈴木は『謎とき日本合戦史』の中で、「147センチ以下をポニーとする今日の馬の
分類からすれば、まさにその部類である」「戦国時代の乗馬については、実際に
遺骨が出土した例があるが、それらも120センチからせいぜい140センチどまり
でしかない」といっている。佐々木はちゃんと読んでいないのか?
そして鈴木は、馬で白刃で持って切り込むことはめったに無かった、といっているので
あって、弓矢でもって乗馬して戦うこと自体(この項は鎌倉時代の戦闘についての話)は
否定していない。ちなみにモンゴルの騎兵も主な武器は弓矢であったことは
言うまでも無く、その強さはそうした「胡服騎射」よりもむしろ民族大移動的戦略にあった
というのも大体衆寡一致するところだと思う。
140 :
獣姦大魔道義安:04/08/05 07:53
>別の問題になるが、甲冑の重さ45キロ、というのも、どんなものか。
>今日に伝わっている甲冑がじっさいにそのような重さだったとしても、
>身動きもままならぬような甲冑を、ほんとうに戦闘要員が身につけたのだろうか。
>馬装のほうは、行軍から戦闘に移るときは、さっと紐を解いて、仰々しい飾りを
>捨てたのだ。
また該当ページの中ほど
>日本の馬には、戦闘に使える能力はなかったのか
では佐々木は、鈴木の「小さな馬が重たい鎧武者を乗せて、三々五々トコトコと
攻めかかっていったところで、いったいどういう効果が期待できたのだろう」という
文を受けて母衣衆について述べているが、それこそ、母衣を着て走るときは
重たい具足を脱いで走ったんじゃねーの?と問いたい。そもそも母衣衆は伝達係りだし。
前部で「馬装の時に本当に甲冑を戦闘要員が身につけたのか?」と自分で問いながら
母衣のときはまるで具足を身につけつつ走っているようにいうのはおかしい。
私は鈴木の著書を全て読んだわけじゃないので正確なところはわからないが、
そもそも彼は(戦国時代に)騎馬部隊が存在しなかったなどと言っているのか?
彼は騎馬部隊とやらが刀や槍を持って敵陣へ突入を敢行するようなことは
ほとんど無かったといっているのであって騎馬部隊なんてありません!と断定は
していないんじゃないのかな?
141 :
獣姦大魔道義安:04/08/05 07:54
>(注、『信長公記』巻14には、馬にまつわる記述が多い。
>信長が安土城下に整備された馬場を築造したこと。
>矢代勝介という馬術家を召し抱えたこと、
>信長が先頭になり、爆竹を鳴らして乗馬の練習を行ったことなど、が記されている。
>鈴木氏の「訓練の形跡さえ見当たらない」という認識は、どこからくるものなのだろう)
比較的裕福な戦国武将は馬に乗っていたし、それが普通。馬場なんて地名は全国
いたるところにあるし、多くの戦国大名の城下にはそれがあったことはわざわざ
『信長公記』を出して述べるまでも無い。
馬術についても、例えば大坪流とかはほとんど乗り技について言っているんであって
馬上の戦闘技術についての講釈なんかあるのかな?
>近代ヨーロッパの騎兵のような密集突撃など、できるものではない。
>そもそもそういう訓練をしていた形跡さえ見当たらないのである」
佐々木は鈴木の文を上のように出して>「訓練の形跡さえ見当たらない」という認識は、
どこからくるものなのだろう
なんて言っているけど、前の文章を見れば、「近代ヨーロッパの騎兵のような密集突撃の
ような訓練をしていたような形跡さえ見当たらない」と理解するのがもっとも妥当だと思う
のだけど。佐々木はちょっと違うらしい。
長くてすんませんねぇ。
>>139 フッ釣られてやるか・・・
まあ
>>1が某と同じで妄想大好き人間で、まともな反論一つできないようだし。
日本語能力に疑問のある香具師を叩いてもつまらん。
>「戦国時代の乗馬については、実際に遺骨が出土した例があるが、
>それらも120センチからせいぜい140センチどまりでしかない」といっている。
補足しとくと、林田重幸氏「中世日本の馬について」に、
元弘三年の新田義貞による鎌倉攻め戦死者の遺構に多数の軍馬の馬骨が発見されている。
体高は109〜140cmに分布し、平均は129.5cm。このうちもっとも多いのは126〜136cm。
>佐々木曰く、
>先に記したように、蒙古馬の平均体高は135センチ。
>ジンギスカンの軍隊は、この馬でユーラシアを疾駆し、征服したのである。
>142センチ、あるいは145センチの馬であれば、戦闘用馬としては
>十分すぎるほどのサイズである。
いわゆる名馬の体高は139〜145cm。某の脳内では日本の馬は名馬揃いのようであるw
143 :
日本@名無史さん:04/08/05 14:42
信長公記にある馬防柵って嘘っぱちだったんですか?
144 :
日本@名無史さん:04/08/05 14:53
信長といえば人魚だがこの場合
獣姦になるのか
145 :
日本@名無史さん:04/08/05 15:28
日露戦争で使われた馬はどのくらいの大きさだったんですか?西洋列強から
「日本の騎兵隊は馬のような馬に乗っている」といわれたそうですが。
146 :
日本@名無史さん:04/08/05 15:30
象兵
馬のような馬 (´・ω・)?
148 :
日本@名無史さん:04/08/05 15:41
>>145 「馬のような馬」なら素晴らしい。
大きさの話なら、散々過去レスに日本在来馬の大きさの説明が出てるじゃん。
149 :
日本@名無史さん:04/08/05 15:49
>>147 「西洋人から見れば馬には見えないが、日本人にとっては馬である」と
いうことです。つまり馬鹿にされてるわけです。
>>148 交配されたもので在来馬とは違うようですが、在来種に近いものなら
戦国時代でも戦に使えるだけの能力はあったものと推測できると思います。
150 :
日本@名無史さん:04/08/05 16:04
>>149 日露戦争でもほとんどが在来種。
混血種もあわてて育てていたが、数量が全然足らない。
そもそも「戦国時代でも戦に使えるだけの能力」って何?
今もいる在来種(多少改良入っちゃってるけど)のドサンコや木曾馬
見ればわかるじゃん。
脚は早くなくとも、重い甲冑武者乗せて走るパワーはある。
151 :
日本@名無史さん:04/08/05 16:07
>>115 そういう表現が気になるんだよね。馬術というか何というか・・・
「馬上巧者」というからには乗馬したまま戦ってたと思うんだよね。
騎馬「軍団」の存在の有無をべつにして気になるところです。
152 :
日本@名無史さん:04/08/05 16:10
>>150 戦に使える能力とは戦に参加できた事実ということでしょう。
このスレの中には戦にさえ使えなかったというレスも多々あります
ので。
>>152 在来種にもいろいろ種類がありますが、
日露戦争の場合は高さが142cm以上とされていたそうです。
154 :
日本@名無史さん:04/08/05 16:20
つうか戦国時代は日本人の平均身長も低かったんだろ。
現代人から見たら馬小さくても当時の人には丁度良い大きさだったんじゃないの
155 :
日本@名無史さん:04/08/05 16:25
織田信長は馬の脚刈り用の部隊を作ったと聞いたが。
156 :
日本@名無史さん:04/08/05 16:28
>>154 あと当時の人たちの体重とかね。それから馬のスピードについて
だけど、確かに在来種の馬の走る速さは遅いが、当時の人たちがどういう
走り方をしていたかも明らかでない。西南戦争の際に農民は走れなかっ
たという話もあるが、今のような姿勢で走って(歩いて)いたのでは
ないことは言えるのではないかな。そうすると在来種の馬がトコトコ
と来たとしてもそれが現代人と比較して単純に遅いとも言い切れないと
も言えるんじゃないかな。
下々も鎧着てるわけだしな。
158 :
日本@名無史さん:04/08/05 20:04
さて、次は騎馬軍団否定派の攻撃いってみよー!
↓
159 :
日本@名無史さん:04/08/05 20:21
昔の武士は、歩くときに振る手を足に合わせて同じタイミングで動かすんだよ。
着物の機能から自然とそういう動きになるらしい
いわゆるナンバ歩きね
昔から気になってたのだが、「ナンバ」ってどういう意味なんだろう??
162 :
日本@名無史さん:04/08/05 21:55
議論に負けた腹いせに、みえみえの自作自演を
いつまで続けるすもりなんですか?
みっともないですよ。
ちゃんとお勉強しなおしてから2chに来なさいw
誰もあんたなんか相手にしてないんですから。
163 :
日本@名無史さん:04/08/05 21:58
昔の人は刀をアナルに入れて楽しんでいたそうだよ
164 :
日本@名無史さん:04/08/05 22:12
議論に負けた奴ってのは惨めだな。
165 :
日本@名無史さん:04/08/05 22:24
おっしゃるとおりでございます
167 :
日本@名無史さん:04/08/05 22:30
>>165 お・ま・え。
解っていることをわざわざきくなよな。
162以降のレスは無視していいからね。議論を続けましょう。
スレ主に知識が欠けていてもスレは伸びますが、
スレ主に品性が欠けていれば皆逃げ出します。
スレ主の夏の日の思い出として、このまま沈めてしまいなさい。
空ageでは余計な顰蹙をかうだけです。
続けたいのなら少しは自分で調べたことをここに書きなさい。
〜だろう。〜のはずだ。ではない文章を。
171 :
日本@名無史さん:04/08/06 21:06
江戸時代の軍学では当然のように騎馬武者の存在を念頭に置いて書かれているが
江戸時代に可能だったことが戦国時代には不可能だったの?
これぞ騎乗の空論
173 :
日本@名無史さん:04/08/06 22:33
馬に乗れるというのは武士身分でもある程度より上じゃないとダメだったのは否定できない事実。
騎乗武士が配下の足軽を引き連れて参陣するというスタイルは幕末まで続く日本の伝統。
日本に西洋の騎馬隊のようなものが出現したのは明治以降。
江戸時代は刀を重んじすぎて
幕末悲惨な人達が・・・171の話もどうせそんな感じだろ
175 :
日本@名無史さん:04/08/06 23:08
176 :
日本@名無史さん:04/08/06 23:31
177 :
日本@名無史さん:04/08/06 23:41
>>173 ある程度以上の地位の武士のまわりには騎乗できる身分の武士が集まるもんじゃないの?
178 :
日本@名無史さん:04/08/07 00:11
騎馬隊=西洋の近代騎兵隊
と考えているならそんなものは日本には明治時代になるまで存在しなかった
武田騎馬隊はいたよ!
みんなの心の中に…
>>178 そんなこと考えとるやつは光栄くらいだろ。
一応言っとくが光栄とコーエーは違うぞ。
182 :
日本@名無史さん:04/08/07 01:54
昔光栄今コーエーだろ。
いやkoeiだったか?
まあどっちにしろシブサワコウは腹を切りなさいってこった。
183 :
日本@名無史さん:04/08/07 02:01
>>173 >馬に乗れるというのは武士身分でもある程度より上じゃないとダメだったのは否定できない事実。
???
足軽以上は、基本的に馬に乗ってる。
例え、ほんの猫の額ほどでも自分の領地を持っていれば侍。
連れている郎党や替え馬、馬飼い、馬引きの数が少ないだけだ。
貧乏人が馬を持つ苦労話は、小説ではあるが「功名が辻」がその雰囲気をよく伝えている。
>>184 吉兵衛さんに新左衛門さんは足軽なのか?
186 :
日本@名無史さん:04/08/07 18:46
>>170 いかにも歴史ヲタクの言いそうな事だ。学者気どりもほどほどにね。
高度な議論がしたけりゃ2chなんか来るなよ半端者
187 :
日本@名無史さん:04/08/07 18:48
うるせーばか
まぁ、一次史料に接することが出来る香具師が2chねらーにどれだけいるか、を
考えると186のいう事にも一理ある。このスレに限れば「騎馬軍団がいたかいない
か」の結論を出すこと自体は重要な趣旨じゃないという事ぐらいは大人ならわかる
と思うんだけどね。
まぁ、このスレに限れば騎馬軍団がいたとの結論を出すことは
不可能だいう事ぐらいは大人ならわかると思うんだけどね。
にしても・・・
いきなり雑談スレになっているなw
なんなんだ?この落差は。
学問板で学問を否定するのなら、
素直に三戦板へ行くのがよろしかろう。
>>191 騎馬武者が存在することに異論ある香具師はいないんじゃねーか?
問題なのは騎馬軍団だからねー
193 :
日本@名無史さん:04/08/08 11:57
まず騎馬軍団について定義しないと議論が進まないよ。
>>192/193
まぁ、一次史料に接することが出来る香具師が2chねらーにどれだけいるか、を
考えると186のいう事にも一理ある。このスレに限れば「騎馬軍団がいたかいない
か」の結論を出すこと自体は重要な趣旨じゃないという事ぐらいは大人ならわかる
と思うんだけどね。
>>194 一次資料に接することが出来なければ何を書いてもいいという話ではないよね?
誤訳の問題はあるにせよ自治体史で刊行されているものもあるだろうし。
そうでなければ、一次資料を基に書かれた論文にあたるという手もある。
とりあえず、少しでも信頼できる資料にあたるという姿勢は必要でしょ。「学問板」である以上。
196 :
日本@名無史さん:04/08/08 14:32
>>195 いかにも歴史ヲタクの言いそうな事だ。学者気どりもほどほどにね。
高度な議論がしたけりゃ2chなんか来るなよ半端者
197 :
日本@名無史さん:04/08/08 15:27
てか映画でよく見る
サラブレッドのような体躯の馬の
突撃シーンはありえないって事だけで。
お前ら難しく考えすぎ。
198 :
日本@名無史さん:04/08/08 15:31
>>197 おまえが消えればいい話だ。おまえ どこに行っても仲間はずれにされるタイプだろ
199 :
日本@名無史さん:04/08/08 15:33
ていうか、武田騎馬隊とドイツ軍、どっちが強い?
200 :
日本@名無史さん:04/08/08 15:37
201 :
日本@名無史さん:04/08/08 15:46
>>199 時代にもよる。
中世のドイツ騎士団とロンメル戦車軍団とでは、自ずと結論も異なる。
202 :
日本@名無史さん:04/08/08 15:49
203 :
日本@名無史さん:04/08/08 15:52
>>201 馬鹿言うな。
いつだって武田軍が勝利する。
弱小国の集まりである欧州でこそ、ドイツ軍が有名になれた。
理解して頂けたようなので失礼する。
204 :
日本@名無史さん:04/08/08 15:55
中世のドイツ騎士団って
♀(幼〜老)を押し倒すことしか考えていない連中のことか?
205 :
日本@名無史さん:04/08/08 15:57
197=200
>195
そ の 筋 の 人 は 空 気 が う ま く 眺 め が 良 い 病 院 に 帰 っ て
207 :
日本@名無史さん:04/08/08 16:00
206以降のレスは無視していいからね。議論を続けましょう。
208 :
日本@名無史さん:04/08/08 16:01
みなさーん!
夏休み楽しんでますかー?!
?!の使い方間違っているよ。
荒らさないでね。
?!
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
||@・騎馬厨は放置が一番キライ。騎馬厨は常に誰かの反応を待っています。.||
||A・放置された騎馬厨は煽りや 自 作 自 演 であなたのレスを誘います。 .||
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。 ||
||B・反撃は騎馬厨の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。 .||
|| 騎馬厨にエサを 与えないで下さい。 .。 ∧_∧ ||
||C・枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (´・ω・`) いいかな・・?
|| ゴミとしてとことん無視が一番です。 ⊂ ⊂ )旦~ ||
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_____ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|_____||
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧ は〜い、先生。
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
212 :
日本@名無史さん:04/08/08 16:29
騎馬隊なんてねーよw
ゲームのやりすぎだっぺ。
>169 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/08/06(金) 19:40
>162以降のレスは無視していいからね。議論を続けましょう。
>207 名前:日本@名無史さん 投稿日:2004/08/08(日) 16:00
>206以降のレスは無視していいからね。議論を続けましょう。
コピペする時にはさ、間違いは直して措こうな坊や。
それとも気づいていないのか?
もしかして消防?
214 :
日本@名無史さん:04/08/08 17:31
日本の軍制は幕末まで騎馬武者が配下の郎党、足軽におのおの槍、鉄砲、弓などを装備させた混成兵種の集合体。
216 :
日本@名無史さん:04/08/08 20:55
俺こないだタイムマシンで戦国時代行ってきたけど、
騎馬隊いたよ。まじすげーよ。ドドドーって向かってきた。
死ぬかと思った。
>>216 おい、お前・・・。
首にカタナ刺さってんぞ。
金山衆などのように騎馬方は特能集団だったのでは?
甲斐は古来から朝廷の牧場なんかもあって、代々に渡り
馬を育て、その馬を扱う集団があったってのはどう?
それだったら騎馬武者が上位の武士だけという
限界から抜け出せる。
>>195 君の思い込みや想像を聞いてるんじゃない
黙れ、薄ら馬鹿
黄色い救急車に乗って窓に格子枠のついた病院に一生入ってろ
もし武田に騎馬隊のようなものがあったなら、甲州の兵を取り込んで甲州の
兵法をとりいれた徳川の戦い方に現れたと思うんだよね。しかし井伊直政など
の戦いにそういうのは出てこないじゃない?
>>219 思い込みや想像でもいいんだよ。歴史って多かれ少なかれそういう物が
含まれるもんだろ。
221 :
日本@名無史さん:04/08/09 19:29
>>1 お前なんで簡単にあきらめちゃうんだよ。もっとよく探してみろよな。
よく車の下とかにいるよ!
224 :
日本@名無史さん:04/08/09 20:46
思い込みヴァカ
>>195を晒しage。
つーか、おまい伊達遠江守家中じゃないの?
だったら回線切って首吊っ(ry
リアル伊達を知らない香具師が伊達を語るか・・・
すでに伊達はこの板で伝説になったんだなと思ふ
なつのひのよる
やはり伊達遠江守家中は存在しないのか
そういえば、最近蒲池君見ないな。
ひょっとしてもう切腹しちゃったのか?
228 :
日本@名無史さん:04/08/10 00:02
>>すでに伊達はこの板で伝説になったんだなと思ふ
すでに伊達はこの板で伝説になったんだなと思う。
225は句読点も知らないの(プ
おまけに「う」を「ふ」と書いちゃってるし〜
お間抜けさんでつ(w)ね。
キャラなのかボケなのか・・・
230 :
日本@名無史さん:04/08/10 09:42
231 :
日本@名無史さん:04/08/10 10:05
で、ドイツ軍と武田騎馬軍団、どっちが強いの?
232 :
fusianasaん:04/08/10 10:19
>>222 それ武田騎ギコ猫隊か?
すまん!AAで表現したかってんケド知識不足ウマー
233 :
日本@名無史さん:04/08/10 10:43
ドイツ軍など存在しない
234など存在しない
236 :
日本@名無史さん:04/08/11 00:15
武田騎兵隊は存在しないが、高杉奇兵隊は存在した。
これでいいだろ?
武田信玄の騎馬隊はなかった!
だが武田鉄也の海援隊は存在した!