>>902さん
詳しい情報をどうもありがとう。
北白川宮拡子女王
北白川宮美年子女王の
竹田宮礼子女王の生没年はわかりますか?
912 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 16:59:32
すごく詳しいね。なんだかうれしいよ。
913 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 19:27:48
私人の血統を晒して楽しむのは気色悪い
914 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 19:38:15
多恵子女王は子供を産むのも難しいほど病弱だったから爵位を継ぐべき男子を産む必要のない次男に嫁いだとと想像してみる
915 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 20:21:50
>>911 二荒擴子(北白川宮能久親王第五王女、二荒芳コ伯爵夫人)は
1895年生まれで1990年死去。95歳の天寿を全うされたようです。
確か東久邇稔彦死去のすぐあとで、2〜3月だったはずです。
時すでにバブル絶頂&紀子さんブームで大ウカレの平成2年。
なのに新聞の訃報欄で「能久親王の……」なんて文字を見つけ、
そのギャップに驚愕した覚えがあります。
とてもお美しく、つつましやかな生涯だったとか。
能久親王王子女の中で唯一、母が浮山幾牟という人なので
すが、彼女がどういう女性か、調べているのですがわからず……。
東園佐和子(1914年生まれ)は2001年7月に87歳で死去。
立花美年子(1912年生まれ、存命なら93歳)、佐野禮子(1913
年生まれ、存命なら92歳)が健在かどうかは不明です。
『平成新修旧華族家系大成』(霞会館篇)が確実ですが、1989〜
93年の調査資料が元の本なので、平成の動きは掴みにくいのです。
昭和版に比べて、プライバシーの観点から割愛された情報も多い
ですし(例えば安田男爵家は掲載自体を拒否していますし、允子
内親王妃没後、朝香宮鳩彦王との仲で宮内省を悩ませた某女性な
どのお騒がせさんや、零落した家などの情報も思いっきり削除)。
>>910 コ川圀禎は房子内親王大妃の覚えがめでたかったんですね。
水戸家と北白川宮家の接点って何なのか教えていただけますか?
916 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 20:50:47
ちなみに平成代替わり直後は旧皇族も多数死去。
(1989年)
山階芳麿(1月:山階宮菊麿王第2王子、理学博士・鳥類学者)
李方子(4月:梨本宮守正王第1王女、李王垠妃)
鍋島紀久子(4月:朝香宮鳩彦王第1王女、鍋島直泰夫人)
鷹司和子(5月:昭和天皇第3皇女、鷹司平通夫人)
大谷智子(11月:久邇宮邦彦王第3王女、大谷光暢夫人)
(1990年)
東久邇稔彦(1月:もと東久邇宮稔彦王、元首相)
二荒擴子(2or3月:北白川宮能久親王第5王女、二荒芳コ夫人)
一條直子(5月:もと閑院宮春仁王妃、戦後離縁)
昭和天皇が崩御し、張りつめていたものが裂けたのかな〜。
閑院宮家の王女・恭子女王(安藤信昭夫人)、茂子女王(黒田長禮
夫人)も1990年代中期に90歳前後で死去していますね。
917 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:39:27
立花美年子さんは昭和45年4月10日に死去
とあります。
平成版では山県男爵も掲載を拒否したみたいですな。
918 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:41:27
筑波山を愛した筑波なんとかさんまだいるの?
>>915-917 どうもありがとうございます。
>とてもお美しく、つつましやかな生涯だったとか。
ご容姿に違わず内面も美しい女性だったのですね〜
何かご存じのエピソードがあれば教えて欲しいです。
閑院宮家の華子女王は比較的最近死去されてました。
現在の関院宮家の当主さんはどなたかご存じですか?
先代と繋がりのある方でしょうか
920 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:33:19
閑院宮華子女王(戸田華子)は1909年6月生で2003年5月没。閑院宮は長生きが多いね。
久邇邦久夫人松浦董子も平成元年一月没。
921 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:43:29
二荒拡子はその美貌と昭和五年と九年に息子を産んでいて結構高齢出産なんだということぐらいしか思い浮かばない
922 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:11:05
>>917 情報感謝! 『華族家系大成』は実家にあって手許にないので……。
山縣男爵家というと、外祖父に山縣有光の家ですね。
有朋死去と同時に授爵されたというご褒美男爵家。知らなかった。
『華族事件録』という本に出てくるキズありの家は、『〜家系大成』
でもいろいろ情報操作(若しくは削除)されてますよね〜。
>>918 現在の当主・筑波常治(ひさはる)は元早稲田大学政経学部教授。
01年に退官しています。緑色が大好きで、スーツからペンから眼鏡
から何でもかんでもグリーンで統一し、住所も「東京都*市緑町」
という徹底ぶり(笑)。
923 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 00:35:34
>>919 閑院宮家の祭祀は純仁(春仁)が1988年に死去して以降
戸田華子が独りで守ってきたようですが、彼女の死去後は
事実上、途絶えています。豊島岡の墓所は宮内庁が管理。
華子長男・華頂博道がいくつかの貴重品を受け継いでいる
ようですが、「○年祭」などの祭礼は行われないでしょうね。
戸田華子といえば、晩年は狛江市の小ぢんまりしたアパート
暮らしでしたが(閑院宮家伝来の蒔絵箪笥など、豪華な調度が余り
にも不釣り合いで場所をとる、と自嘲気味に話していたとか)、
前出の香淳皇后兄嫁・松浦董子は、足立区の六畳一間でひっそり
死去し、そのわびしい部屋写真を見て驚いたものでした
(『夕刊フジ』が”皇太后さまの兄嫁、寂しすぎる死”と詳報)。
同じく1989年に死去した紀州コ川侯爵家最後の当主・爲子も、
島津公爵令嬢にして富裕大名華族当主夫人、という前半生からは
余りにもかけ離れた、東京千駄木の崩れそうな借家で長い生涯を
閉じており……。すみません「旧宮家の人々」ではないけど。
1992年に死去した竹田恆コは、戦後も旧宮家の体面を保持しつつ
死去した数少ない元皇族ですね。旧宮邸(高輪プリンスホテル)前
にある邸宅も、今なお超高級マンションとして燦然と輝いていますし。
その恆コ夫人光子は健在なのでしょうか?
924 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:00:56
>>923 為にあるお話、どうもありがとう。
華子さんって徳川のお姫様から旦那を奪ったんだよね。しかもW不倫
その戸田さんはケンブリッジ帰りのインテリだって聞いたんだけど
>戸田華子といえば、晩年は狛江市の小ぢんまりしたアパート
>暮らしでしたが(閑院宮家伝来の蒔絵箪笥など、豪華な調度が余り
>にも不釣り合いで場所をとる、と自嘲気味に話していたとか)、
っていうのはどうしてだろう。旦那は早世しタンかな?
925 :
924:2005/11/18(金) 01:01:54
その戸田さんはケンブリッジ帰りのインテリだって聞いたんだけど
↑
旦那さんのことね
926 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:28:53
>>925 華子タンは戸田豊太郎博士とも離婚したっす。でも戸田姓のまま死去。
927 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 10:34:23
>>926 そ、そうだったんですね...2回も結婚離婚を繰り返されていらっしゃったんですね〜
慰謝料とかはもらってなかったんだろうか?徳川さんは結構優雅にお暮らしになったたみたいだけど
臣に下った皇族と徳川本家では違うかもしれないが
928 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 13:37:14
>>920-923 貴重な情報ありがとうございます
発売中の週刊新潮のもくじに『テレビに映らなかった「ロイヤル・ウエディング」
・出欠を分けた旧皇族「久邇宮」「梨本宮」「閑院宮」』とありますが
関院宮家は存続しているのか?と疑問に思いまして。純仁(春仁)氏は
子供も無く死去されたはずだし、養子でももらったのでしょうか。
それとも週刊誌の早合点?
930 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 17:13:05
住み人さんが亡くなった時点断絶。容姿をもらったのは梨本宮
931 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 17:24:35
>>927 貴婦人キラー・戸田豊太郎は、元侯爵夫人華頂華子とデキる前に
コ川慶喜4男厚男爵の令嬢・喜和子と結婚していますね。
喜和子は宗家出ではないですけど、元来活発な性質で、自由奔放、
生涯を好きな乗馬振興に捧げたヒトですから、自然、交友範囲も
広く、各種名誉総裁も歴任していたので手許不如意ではなかった
ようです。
「コ川」といっても維新後は、宗家、紀州家、尾張家、尾張分家が
富裕な程度で(紀州家は昭和恐慌後に零落)、残りはたいした財産
もなかったとか。
>>915 存在しましたよ。三井、岩崎(三菱)、住友と並ぶ4大財閥家の一つ。
創業者・安田善次郎は現在のみずほ銀行、みずほコーポレート銀行、
損保ジャパン、明治安田生命保険などを設立し、東大安田講堂、
日比谷公会堂、両国公会堂なども寄付しています。
1997年に83歳で死去した安田一は3代目で、財閥解体を乗り切った
名総帥。初代善次郎孫娘・小野磯子の長女がオノ・ヨーコ。
千代田区富士見のフィリピン大使公邸、文京区千駄木のナショナ
ルトラスト旧安田楠雄邸は、神奈川県大磯町の安田別邸は、安田男
爵家ゆかりの壮麗な邸宅で必見です!
>>929 930さんのおっしゃる通り、「閑院宮」は早合点かも。記事を読んでい
ないので主旨がわかりませんが。梨本家は廣橋元伯爵家からもらった
儀光がコ彦との養子を解消して以降、40年ほど嗣子空白でしたが、
02年11月に、6代目を名乗る人物が突然現れて、故李玖葬儀でもしゃ
しゃり出るなど物議を醸しているようですね(コ彦公認の養子!?)。
932 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 17:35:43
>>929 閑院純仁は元妃直子や実妹華子も証言している、純然たる同性愛者です
からねぇ、”隠し子”とかもいるはずがない。
高松宮宣仁にしてもそうですが、同性愛に罪はなくとも宮家当主の第一
の努めは嗣子存続=皇統補佐だから、悲劇だけど廃絶は致し方ないねぇ。
>>930-932 ありがとうございます。
純仁(春仁)氏の男性関係も梨本宮家が養子をもらったことも
知っていますが、もしかしたら純仁(春仁)氏の死去後に
養子縁組でもしたのかしら?と思いまして。どうやら違うみたいですね。
>02年11月に、6代目を名乗る人物が突然現れて、故李玖葬儀でもしゃ
>しゃり出るなど物議を醸しているようですね(コ彦公認の養子!?)。
そんなことがあったんですか。6代目を名乗る人物は血縁者の方?
934 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 17:54:40
>「コ川」といっても維新後は、宗家、紀州家、尾張家、尾張分家が
>富裕な程度で(紀州家は昭和恐慌後に零落)、残りはたいした財産
>もなかったとか。
現在、富裕なのは尾張家と水戸家。
どちらも財団法人、美術館、資産管理会社を保有している。
尾張家は徳川黎明会、徳川美術館、八雲産業。
水戸家は水府明徳会、徳川博物館、常磐興業。
宗家が徳川記念財団を設立したのは、ごく最近で自前の博物館はない。
935 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 18:03:12
紀州家は戦前の当主が派手な浪費家だったのが没落の原因だ。
それでも終戦後、和歌山県から参議院議員に選出されたが、すぐに病没。
残された未亡人がレストラン経営に失敗して、完全に零落した。
また、日系人のナントカ剛という人を婿養子にしたものの、すぐ離縁している。
936 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 18:34:27
>日系人のナントカ剛
大分前に週刊誌に載っていたね、なんなんだろうかこのひとは、、
>高松宮宣仁にしてもそうですが
やっぱりそうだったんですか?秩父宮さんはどうだったんでしょうか?
937 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 18:37:55
秩父宮さんは妃が一度流産してるじゃん
938 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 18:48:48
芸能リポーターの梨元勝は梨本宮の後裔?
>>937 秩父宮様は病弱で結核を患っていたから
勢津子妃は秩父宮様の余命が余りないことを承知した上で
「会津の人が喜んでくれるなら」
と結婚を承知したそうだが
地域エゴの犠牲になられたということでしょうか。。。
940 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 19:04:57
941 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 19:29:56
942 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 19:32:51
>>915 申橋幸子(満子女王生母)や岩浪稲子(貞子女王生母)のことは知っているの?
943 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 19:41:20
944 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 19:51:38
貞明皇后も実は一度流産したらしい。
945 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 19:57:08
以外と隠してるよね。特に戦前は
946 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 21:06:54
李方子は長男没後次男を産むまで二度流産。
豊島岡墓地(?)には香淳皇后が流産した胎児の墓があるらしい。
947 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 22:26:07
>>941 秩父宮妃勢津子が懐妊したのは1936年初頭、弘前でです。
前年の1935年に陸軍歩兵第三十一連隊長として弘前に赴任した
秩父宮でしたが、226事件後、帰京命令が出たため、幸せな弘前
生活も1年で終止符。帰途の列車での長旅が妃の身体に障ったと
いわれています。勢津子妃も、実はかなり繊細な体質なんですよ
ね。欧州歴訪中は秩父宮と交代交代で病床に臥せっていますし。
秩父宮は1938年頃から体調が傾き、1940年6月、正式に結核と診断
され、皇紀2600年奉祝委員会総裁ほかの公務を一切辞して療養生
活に入ることに。ですから、勢津子妃が「宮の余命幾許もないこと
を承知で入輿」というのは違うかと。
秩父宮家に王子女が誕生していたとしたら、その人は今年69歳ですね。
948 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:08:39
梨本宮第6代を名乗り、2002年にコ彦と養子縁組したという「梨本隆夫」は
ハッキリ言ってウサン臭いね。
本人は「李方子の孫」と語っているけど、現66歳だから1939年生まれ。
1901年生まれの方子の孫であるはずがないし。
老化著しいコ彦と、不遇な晩年だった李玖(1933年生まれ)に取り入った
んだろうね。法的には養子手続きを完了しているかもしれないけど。
コトの発端は、李王朝歴代君主の祭祀「宗廟祭礼」(毎年5月)に昨年、”日
本皇族末裔”梨本隆夫が、巫子35人を含む日本人50人を引き連れ参加し
たことが発覚した事件。隆夫は、行事の亜献官(二番目の盃を献上する
祭官)を務めたとか。彼は、宗教法人出羽三山教の第17代教主で、「10
年前から日本を代表し、英親王李垠の子・李玖氏と共に宗廟祭礼に参加
している」と語ったらしい。
李王家の後裔らは一様に不快感を表明、高宗の孫で、純宗の甥として第一
室の「太祖高皇帝室」に参拝した李ソク(義親王の息子)は「非常に気分が
悪い。自尊心のない行為」と激怒。つまり、「歴代李朝君主の魂霊を祀っ
た神聖な場所に、李王朝を滅ぼした日本の神道関係者が大挙して訪れた」
ことに対する怒りとか。っていうか開催前に気付かなかった!?
韓国側に手引きした人がいたのだろうけど。
「梨本隆夫」についてコ彦は沈黙しているし、李玖も、事件の2ヵ月後
に赤坂プリンスホテルで他界していて何も語らずじまい。
ただ、晩年の李玖の東京での身元は、梨本家と廣橋家が保障しており、
赤プリ滞在やら何やらを「隆夫」が世話していた可能性も……。
しっかし、梨本宮家の零落ぶりは目を覆わんばかりですね。
徳彦も、宗教にトチ狂った妻と息子に去られたり、養子に迎えた廣橋
儀光にも愛想をつかされたり、ヤバそうな団体の広告塔に何度も何度
も担がれたり。生活力というか、学習能力が欠如……。
949 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 02:40:21
徳彦氏って今は竜田姓?
950 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 08:32:16
で、サーヤの披露宴に出た、旧皇族や、旧宮家の当主は
誰と誰なん?
式を仕切った北白川さんは、子供は娘だけで断絶なんだよね?
951 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 08:36:59
952 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 09:37:54
51 :名無しさん@6周年 :2005/11/19(土) 01:58:03 ID:SAydjK8gO
天皇家の祖先は生粋の日本人じゃないでしょ
↑まだ痛い香具師がいる...じゃあお前の先祖はどこのドイツか言ってみろって
953 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 12:17:56
>>949 正子元夫人や徳久氏は龍田姓らしいが徳彦氏は梨本姓のはず。
954 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 12:29:20
>>951 何というかトモさんや竹の間みたいな皇室にとって
害にしかならないやつに限って男系を主張してるってどうなんよ。
955 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 12:32:28
だからといって、キモ太子やブサアイコがいいってもんでもない。
956 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 14:20:37
>>954・955
まぁまぁまぁ、皇室関係スレで皇位継承論が避けがたいのは
わかりますが、そのへんは別のスレで深めてくだされ。
957 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 15:52:53
958 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 21:29:34
紀宮の新聞報道を見ると旧宮家と皇室との距離もさまざまですね
怪しげな梨本は無視されてるようです
北白川は結婚の儀を取り仕切った
朝香、久邇、東久邇は呼ばれた
竹田も呼ばれただろうな、会長だもんな
賀陽も宮内庁だし
閑院の親戚も呼ばれた
血統は確かだが怪しげな活動をしている伏見はどうなった?
東伏見はあの坊主の一族が呼ばれたのか?
山階は弟の子孫が呼ばれたのか?
詳細知ってる人、情報求む
>>958 スレ違いだけど三笠宮高円宮女王は呼ばれたの?
960 :
日本@名無史さん:
>閑院の親戚
黒田長久氏とか?