942 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 08:26:44
>>940 そんなことよりアホの妄想、飛躍ぶりを突っ込め
やはり平民は考えることが違うとな
943 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 12:40:34
944 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 13:25:07
945 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 13:42:56
946 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 15:59:30
>941
能役者ならどうかしらんがの・・・。
いっぺん、歌舞伎役者でぐぐって・・
948 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:23:49
950
952 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 18:12:14
953 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:57:44
>>952 岩井半四郎の先祖が盛信って何だかな…orz
>>952-953 どうせ同じ歌舞伎枠を使うなら、来年の風林火山の信玄役は
こっちの系統の方がふさわしかったかもなw
今さら変更は無理だろうけど。
955 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 01:43:30
>>952 板違いでスマソだが、松方の元嫁こと仁科亜希子は
十代目岩井半四郎(仁科周芳)の次女
その仁科某はその娘の仁科仁美で松方の娘で合っている。
正直、最初は歌舞伎の家と武家ってあまりつながるイメージが
なかったが、実際にこういう人がいたとは驚いたyo!
盛信は勝頼と一緒に鼓を神社に奉納してるぐらいだから、末裔が
舞踊の世界にいるってやはりそのの血なんだろうな。
何かロマンを感じた。
956 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 03:47:19
>>955 岩井半四郎と仁科盛信はなんの関係もない。
仁科が全部仁科盛信の子孫とでも思ってるのか?
957 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 04:10:02
岩井半四郎の長女は岩井友美。その旦那の先妻は
日本初のP女優、香取環。彼女の消息知ってる人教えて。
噂の真相に昔、あの人は今、的な記事が載ったそうだが
それについてでも結構。
958 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 04:17:05
>>952のリンク先より抜粋
岩井(友美):「歌舞伎役者・岩井半四郎」は、父で十代目。
初代が生誕して今年で三百五十年になります。
【本名の『仁科家』の方は、源を辿れば長野県の高遠の城主。
武田信玄の五男・仁科五郎盛信が先祖にあたります。】
ですから千年ぐらいの歴史があるんですよね。
十代目岩井半四郎の長女が自ら語っているのだから
全くデタラメというわけでもないと思われ。
そしてこれが本当なら確かに末裔ということにもなる。
>>958 仁科家は江戸時代大身旗本、明治以降は子爵家で現在へ続く。
想像するに旗本仁科氏が初代半四郎の贔屓で仁科の名乗りを許したとかでしょう。
贔屓ぐらいで名乗りを許すとはとても思えん。
大身旗本レベルなら特に
962 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 10:47:10
>>958 そんなの真に受ける馬鹿がいるかw。
何が悲しくて仁科盛信の子孫が瓦こじきやらなきゃならないんだww
中村勘九郎も先祖は、〜の流れを汲む武家だったってほざいてたな。
やっぱり、現在では名家と言われているけどコンプレックスはあるんだろうね。
日本における、根深い問題だと思う。
武家ってどの程度の家を言ってるの?
大名家? 足軽大将程度は? 郷士の子孫は?
ちなみに私は、逆賊桐野家の縁者ですw
>>962 生活のためなら仕方あるまい。
○○の末裔ですだけで食っていける世の中なんてない。
967 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 21:52:58
>>964 卒族は入るのかねえ?馬に乗れないとアウトかもしれない。
968 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:00:43
少なくともここまであったように、
武田や仁科なんて家は武家などという安っぽい括りでは語られてないな。
彼らに取り立てられる立場にある上士や下士にこそ似合う言葉だ。
969 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:16:41
>>968 公家か武家かという言い方では武家じゃ。
970
971 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 23:58:59
>要するに士族スレなので。
武家、士族に憎悪を抱く百姓の子孫が活躍しとるでww
そういう煽りあいはスレの為にならないのでは?尚更あっちで正解。
歌舞伎衆は川原乞食でも大名御目見えだったりするし。
975 :
日本@名無史さん:2006/06/15(木) 22:16:39
age
976 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 11:07:15
ここの過去ログ見ると、先祖の勇名だけがよりどころのニートが多いな。
それを考えるとK-1武蔵はアル意味ものすごい。先祖に負けてないな。
977 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 12:05:02
>>965 生活のためでも瓦こじきにはならない。勉強しなおせ馬鹿
質問
中級士族の娘あたりで藩主の娘(姫)の乳母係をするような人というのは
時々いますが、そういう乳母が密通をして子供を産む場合、父親というのは
どういうのが考えられますか?
また、そういう風な事情で生まれた子供というのは大概どのようになるんでしょうか?
やはり親戚の家に養子として出されることが多いんでしょうか?
また、江戸時代の半ばに新しく武士が墓を作る場合、宗派は以前と同じものにする場合が
多いのでしょうか?
石高がかなり低い少碌の下級士族が中級士族の家へ養子に入るということもありますか?
そういう下級士族というのは中級士族の血縁ということが多いのでしょうか?
江戸詰めである上府の士族でも、戸籍というのは藩のある地方ということでしょうか?
>上府
定府でした。すいません。
980 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 17:49:56
漏れの先祖は武家だけど、明治初期の戸籍とか見て、その当主の親欄なんか見ると、
庄屋の娘が嫁に入ってきてたりしてる。先祖は騎乗の侍で、かなりの屋敷に
住んでもいたが、江戸の末期にもなると、わりとこう異身分間での婚姻関係も
多かったと聞いた。
調べてると、寺自体が宗派の変更をしてる場合は侭あるな。
我が家は恐らく百姓なんですが
と言うか6代前までしか分からない
5代前は江戸時代生まれで明治中期ごろに亡くなったようですが
妻は御三家の家老の家から貰っています
子供は男子4人女子4人で
女子4人とも旧藩士や郷士の元に嫁いでいます
明治初期にはもう家格には五月蝿くなかったのでしょうか?
なんで得体の知れない我が家が士族と親類になってるのか不思議でしょうがない…
982 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:34:14
>>980>>981 明治4年8月に華士族と平民の婚姻が許されていますので、当時の豪商
や庄屋の主は自分の嫡子と武家の娘を縁組させる事を進めたと言います。
言い換えれば、江戸時代までは武家以外の婚姻は藩主の許可が必要であった。
しかし、この許可は上士にあたる話で、足軽や同心などの下級武士の場合、
町民などから嫁を貰っていた事は記録で残っています。
983 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:39:32
庄屋地味だなぁW
984 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 20:47:33
明治の様子を知りたければ、図書館にある明治期の新聞を見る事を薦めます。
華族、士族、平民、それぞれの生活が記録として残されています。
私たちが把握出来ない当時の時代世相、景気状況など事細かく書かれていて
当時、裕福だった人々はほんの一部だった事が理解出来ますので…。
985 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 23:15:53
藩主というか将軍自体が側室に百姓とか町人の娘をもらって
それがそのまま世継ぎを生んで現在の子孫はその子孫だったりするからね
正室の産んだ子率低いよ>上士
986 :
日本@名無史さん:2006/06/16(金) 23:56:51
ピラニアというのは要するに極右(差別主義者)のこと
こいつらが日本をダメにしてるんだ
日本を少しでも悪く言う奴はみんな朝鮮人、というハッピーな思考回路を持ってるのが特徴
耳の痛いことは朝鮮人のせいにしてシャットアウト
まさに日本の害虫なのよ
987 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 00:22:01
うちの父の先祖は加賀藩の家老の村井っていう家だったらしいんだけどなぁ
ビンボーでどうしようもねぇw
加賀八家の村井氏ならば維新後は男爵ですね。
石高は1万5千石でしたか。なかなかのお家柄。
990 :
日本@名無史さん:2006/06/17(土) 04:12:17
村野って可愛いコなら知ってるよ。
991 :
日本@名無史さん:
うちの祖は、大雑把に言うと右府の奥州攻めに功名したのに始まり、
後に葛西氏の被官になったと伝える。
幕藩時代には百姓で肝入なども勤めていたが学者が出て、
分家して一ノ関田村右京大夫家に仕官。
江戸で維新を迎えたという。
今、我が家に武家らしき品は伝わってはいない。
刀は数振りあるが、サーベル型の軍刀と粗末な脇差のみである。