【常識】井沢:日本史集中講義てどうよ?【転覆】

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1日本@名無史さん:04/07/06 23:41
井沢元彦;「日本史集中講義」には、これまでの日本史になかった
日本史の歴史性の叙述が、論理的にかかれてある。
できばえは、いまいちといった感じだが、日本には土壌のない
<歴史論>の構築に挑む力作。
井沢の今後を注視したい。
2:04/07/06 23:50
なお、井沢は、この著作に込めた気概=大志は壮大だと思われるが、
残念ながら、本人の言いたいことの3−4割しか述べられていない。(と、思う)
それは、井沢が事実の用意周到な探求から論理を導出し、それなりの成果を
あげているのだが、いわば<全体>を一貫性を持って論述する方法を知らないか、
習熟してないからだと思われる。
それにしても、若干20代で「猿丸幻視考」のような才気あふれる
問題提起型の著述をものしているのだから、この著作の意義は大きい。
3:04/07/07 00:14
ちょっとむつかしかったかな?
質問してくれたら、説明します。(鳩
4日本@名無史さん:04/07/07 10:35
どれほどのモンかと思って買ってみたけど「ふーん」と思う程度でしたねぇ。
5日本@名無史さん:04/07/11 04:16
>>4
読みが浅いと思われ。
宣伝ではないが、井沢の論理脳力がはっきされた「猿丸幻視考」
を、賞味すれば、その発現はあり得ない。
6日本@名無史さん:04/07/11 06:27
デムパは何を書いてもデムパ。
7日本@名無史さん:04/07/12 12:36
井沢は自説に都合のいいように嘘をつくからキライ
8日本@名無史さん:04/07/14 00:40
>>7
印象に残った嘘を挙げてみ。
可能な場合は、漏れが答えてもいいよ。(ハート
9日本@名無史さん:04/07/14 08:15
井沢もおとなしく小説書いてればよけいな恥をかかずにすんだのになあ。
おとなしく漫画を書いていればよけいな恥をかかずにすんだ小林よしのりと一緒だな。
10日本@名無史さん:04/07/15 01:47
>>9
も前は、馬鹿に違いない。

馬鹿を認定いたします。(w

だまって、ROMってればよかったのに。(鳩
11日本@名無史さん:04/07/15 20:00
>>10
騎士のテツさん、登場しますたw
12日本@名無史さん:04/07/15 21:46
>>9 井沢が小説が書けるかどうかは、
「死ぬまでの僅かな時間 」(2000年発売 双葉社)
を読んだ後判断してくれ。
13日本@名無史さん:04/07/17 03:54
小説だかけるかどうかなんて、もはやどうでもいいのでは?
井沢は、あるときはリュックを背負って、羽田を一人歩き
あるときは、国会図書館で入館者の列に混じって奮闘している。
と、信じたい。
井沢の提出している問題意識は、歴史の蓋然性は、確かにあるのだが、
それを、万人が異論なく承諾できるかどうかという地平にまで立ち至っている。
井沢ファンは。心して研鑽召されよ。
この意味が分からないでは、井沢が泣くよ。
14日本@名無史さん:04/07/22 01:23
井沢ファンの書きこがないのを
いぶかしむ。
その程度の理解力の香具師だったのか。
本当の研鑽を積むファンは2CHなんかには来ないのか?
回答気盆ぬ。
15七つの林の中学生:04/07/28 22:58
10年以上前のネタの使いまわしばっかり。

井沢元彦より、清水義範の方がずっと勉強しているぞ。

ちったあしみーを見習え「道家和彦」!
16日本@名無史さん:04/07/29 03:00
ちんちんまんまん最強伝説的なスレだな・・・・。
17日本@名無史さん:04/08/05 07:19
書店にもかなり入荷されていましたぞ。
18禅人未到:04/08/30 08:59
>>8
こんなのあるよ

529 :日本@名無史さん :04/08/29 15:49
井沢元彦が素人をだますどのような手口を使っているかの具体例をあげよう。
「逆説の日本史第一巻古代黎明編」第4章において井沢は邪馬台国九州宇佐説を展開する。
そこで持ち出したのは弓削道鏡事件だ。
称徳女帝が道鏡に位を譲ろうとした時、その行為が正しいかどうか神託を求めようということになった。
そこで井沢は疑問を抱く。
なぜ清麻呂はわざわざ九州の宇佐八幡まで行ったのか。奈良の都のすぐ近くに存在する伊勢神宮に行かなかったのはなぜか。
皇室の重大事を決めるために祖先神の意見を聞くなら、アマテラスを祀った日本最高の神格をもつ伊勢神宮へ行くべきだろう。
天皇家という家系にとって重要な万世一系のルールを変えるのだからどうしても祖先神にその是非を問わねばならない。
それを聞けるのは祖先神だけで、ほかの神様ではまずい。
となると答えはひとつ。宇佐神宮こそが天皇家の真の祖先神だ。
皇室内「うちの先祖は九州宇佐から来た。皇室の命運にかかわることは宇佐の神に聞け」という言い伝えがあったのだろう・・・
いかにも素人には、なるほどと思わせる論理展開だ。
しかし、史実は異なる。称徳女帝はなぜ清麻呂に宇佐八幡の神託を聞きに行かせたか。
それは、そもそも「道鏡を天皇に即ければ天下泰平になる」という神託が宇佐八幡の神のものだったからだ。
宇佐八幡の神がお告げを出した。それが本当に真実かどうかを確かめるのに、たとい近かろうとわざわざ伊勢神宮には聞かない。
当の宇佐八幡の神に確かめるのが一番確実だ。だから清麻呂をわざわざではなく当然に宇佐八幡に行かせたのだ。
そんなことは唯一の公的歴史書「続日本紀」にちゃんと書いてある。
井沢がそのことを知らないはずがない。いやしくも歴史を語るものが「続日本紀」を読まないはずは無いからな。
このようなトンデモ説で邪馬台国宇佐説を汚すな、といいたい。
19日本@名無史さん:04/09/01 02:44
トータルの読解力が肝。

猿丸幻視考を書いたのは27歳、まだリーマンの朱鷺だった。

といっても、猿丸幻視考のすごさが分からなければ、「なんのこっちゃ」

となってしまうが。(w
20日本@名無史さん:04/09/02 20:04
>>18
奈良時代以降1100年間も天皇家は近くの伊勢神宮に参拝すらしたことが
無いのに、国家の大事や天皇の即位時には、宇佐神宮に必ず勅使が遣わされ
ているという事実を、あんたはどう考える。
また、宇佐神宮は全国八幡宮の総本社であり、八幡神=応神天皇という、
単純な事実もあるのだが。
21日本@名無史さん:04/09/06 05:50
まあ18さんは単に引用しただけかもしれないけど、
結局>>18ではじゃあ宇佐八幡の神託がなぜそれだけの力を
もっていたのか?って大きな問題に答えは出てないわね。
で19さんのいうような宇佐と天皇家とのつながりは事実としてあるわけで。
その二つを結びつけて考えてみたい誘惑には、
井沢氏じゃなくても駆られるよねえ。
22日本@名無史さん:04/09/06 09:51
説明責任は新説を出す方にあるのでは?
23日本@名無史さん:04/09/06 10:33
井沢氏の本って「逆説」と「天皇になりたかった将軍」しか読んでないけど、「ああ、そういう可能性もあるかもね。そうだったら面白いね。」
くらいの感覚で読んでるから、歴史学的にどうか?的な説があっても別に腹は立たない。彼の唱える説の真否がどうこうじゃなくて、
着眼点とかそういう部分で賛同できる点の方も多いけどなあ。
24日本@名無史さん:04/09/06 11:21
サヨクならこう言うだろう。

朝日新聞ってインターネットでしか読んでないけど、「ああ、そういう可能性もあるかもね。そうだったら面白いね。」
くらいの感覚で読んでるから、歴史学的にどうか?的な説があっても別に腹は立たない。朝日の唱える説の真否がどうこうじゃなくて、
着眼点とかそういう部分で賛同できる点の方も多いけどなあ。
25日本@名無史さん:04/09/06 15:57
>>22
それは>>21に対するレス?? 
<ではじゃあ宇佐八幡の神託がなぜそれだけの力を
<もっていたのか?って大きな問題に答えは出てないわね。
これの答えを井沢が説明すべきだってこと?
26日本@名無史さん:04/09/08 12:07
◆託宣の神としての八幡神◆
1)託宣の神としての八幡様の始まり
八幡神が、小倉山に鎮座する前、養老4年(720)に、九州南部の隼人(はやと・はやひと)が叛乱を起こした時、宇佐地方の兵士が、征討に加わり、鎮圧の後、
殺生の罪障を「放生会(ほうじょうえ)」(捕らえられた生き物を山野や池沼に放つ儀式)を修して消滅するよう託宣を下した、とあります。これが放生会の起こりといわれています。

2)東大寺大仏造立時の託宣
もっとも有名な神託は、聖武天皇の東大寺建立の際に、宇佐八幡が託宣を下して大仏鋳造を助けたといわれる事件です。
伝承では、天平勝宝元年(749)7月に大仏を拝したいと託宣を下すと、八幡が宇佐から平城京へやってきてお入りになり、
大仏殿の横に鎮座し、梨原宮に新殿が造立されたといいます。これが、手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)です。

これらの事件を通じ、とくに大仏鋳造によって奈良朝政権と深く結びつくわけです。
そして道鏡事件では
「 道鏡を天皇にすると国家は安泰となる」との宇佐八幡宮の神託が出たとの噂が流れます。(当時、宇佐八幡を管理していた
九州太宰府の長官は道鏡の弟、神託を奏上した大宰主神の中臣習宜阿曽麻呂という人物はもともと 神祇(じんぎ)を 司(つかさど)る
中臣(なかとみ)氏の配下にあり宇佐氏と結託していました。)


宇佐八幡は託宣をする神として有名になるとともに奈良朝政権にとっては利用しやすいため持ちつ持たれつの関係を築いたからこそ、
大きな力を持った訳で、最初から皇室と深い関係にあったわけではありません。もちろん応神天皇、神功皇后という祖先を祀ってあることは事実ですが。
発想が逆立ちしてますよ。


27日本@名無史さん
宇佐八幡には、小学校の修学旅行でいって、
その建築の巨大さに、度肝を抜かれた。
・・・
その後成人して彼女といった。
そのときもやはり、こんな巨大な建築がどうして古代に
可能だったのか、という素朴な疑問を持った。
・・・
やはり、常識を疑ってかかった方がいい。
そう思う今日この頃ではあるのだが、、、。