「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか13)

このエントリーをはてなブックマークに追加
952日本@名無史さん:04/08/29 06:18
卑弥呼が最初に下賜されたのが「漢式鏡」や「きほう鏡」などで、
それを見た卑弥呼たちが、その後、魏晋に鏡の「特注」を依頼したんじゃないのかなぁ?
それなら三角縁神獣鏡が、中国から出てこないことの説明がつく。

「紀年鏡」を、Spring8で成分解析して欲しいなぁ。
「景初三年」「景初四年」「正始元年」の銘文を持つ鏡が、どのグループに
分類されるのか、すごく知りたいよ。
953日本@名無史さん:04/08/29 06:33
>>952
>>三角縁神獣鏡が、中国から出てこないことの説明

張氏車騎神獣画像鏡という全くそっくりなものが出土しているらしい
すぐ直前の後漢時代のもので直径23.2cmとほぼ同じ

>>魏晋に鏡の「特注」を依頼したんじゃないのかなぁ?

おそらく張氏車騎神獣画像鏡をベースにして特注したものと思われます

>>950
>>せめて大量に中国から出土するか、同笵鏡などが出てきて欲しいね。

中国で魏時代の墳墓はまだ1基しか発掘されていないらしくて
今後の発掘次第では出土するかもしれなくて
現時点で出土していないことは魏製を否定する判断材料にならないみたい
954日本@名無史さん:04/08/29 08:27
極右の折れとしてみれば
日本は畿内を中心に同心円状に発展していないと嫌だね。
955日本@名無史さん:04/08/29 08:33
三角縁神獣鏡の銘文例(大阪府の国分茶臼山古墳の出土)を見てみると、
『吾作明竟真大好 浮由天下 ■四海 用青同 至海東』
「私は明鏡を作る。まことに良い品である。天下を浮遊し四海に遊ぶ。青銅を用いる。海東に至る。」

ここで、鏡の原料には青銅を用い、鏡は海東に至る、とある点が重要です。
つまり、鏡は青銅を用いられて作られ、(中国からみて)海東すなわち日本へ至るわけです。
魏において製造されたということがわかります。
956日本史@名無しさん:04/08/29 08:40
954 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 04/08/29 08:27
極右の折れとしてみれば
日本は畿内を中心に同心円状に発展していないと嫌だね。

↑ こういうチンカスが学者にも多いから困る。相対的には九州説が圧倒的に有利なのに、
こういった所で常に一点突破をはかろうとするからいつも議論がおかしな方向に行ってしま
う。要するに近畿説の言うことは全部釣りなんだよ。

昔から日本の歴史学は訓固注釈学と悪口されるが、未だに体質は変わってないよね。
もっと物流や政治学、経済学、神話や文献学と合わせていろんな可能性を吟味し、そこから
議論をする段階なのに、「だろう」「らしい」「と考えてもおかしくない」といった詭弁だけで砂上
の楼閣を組み立ててしまう。頭はいいんだろうが、理系的な意味での弁証法的構造が無いか
ら、結局推測の上に屋上屋を重ねる議論ばかり。

だからすぐに「学会では・・・」とか持ち出すんだよ。まだ定説とか言える状況じゃないのにね。
957日本@名無史さん:04/08/29 08:46
>>956
わざとらしい釣りに反応すんな。あんな事ワザワザ書くの逆に日本人ぽくない。
958日本@名無史さん:04/08/29 08:49
群馬県の柴崎蟹沢古墳の出土の三角縁神獣鏡に書かれた銘文中には、
『銅出徐州 師出洛陽』というのがあります。
「銅は徐州に出で、(鏡)師は洛陽に出ずる。」とあり、
徐州の銅を用いており、鏡師は魏の都である洛陽に住んでいるようです。

つまり、三角縁神獣鏡のオリジナルは確実に魏で作られており、
三角縁神獣鏡の出土分布からみて、邪馬台国は畿内であるとともに、
九州から福島県に至るまでの勢力圏を持っていたことがわかります。
959日本@名無史さん:04/08/29 09:52
大分あたりじゃない。
960日本@名無史さん:04/08/29 10:05
だれか>>958のズタズタの意味が通じたやついるか?
ワシが翻訳してあげよう。
      ↓
鋳造時術の優れた九州が邪馬台国だったが、鉄器が無く、絹も無い
武器といえばサヌカイトしかないド田舎畿内では、鏡をことさら珍重した。
邪馬台国は福島県までを配下においていた。
三角縁神獣鏡は、中国鏡の列島側のパクリであることは間違いない。
961日本@名無史さん:04/08/29 13:27
>>960 ド田舎畿内では、鏡をことさら珍重した
    ↑
だから卑弥呼の時代においては、鏡や銅鐸や玉(=宗教的な霊力)の方が、
現世的な武器や物質より人の心を動かす力は上なんだってば。
何度言ったら判るんだよ。
962日本@名無史さん:04/08/29 14:13
>>960
>邪馬台国は福島県までを配下においていた。
>三角縁神獣鏡は、中国鏡の列島側のパクリであることは間違いない。

詳しく
963日本@名無史さん:04/08/29 15:28
>>962
筑紫舞
964日本@名無史さん:04/08/29 16:14
オウムの麻原は卑弥呼の鬼道を崇拝してたらしいぞ。
965日本@名無史さん:04/08/29 19:52
>>873
> 三角縁神獣鏡には、『景初四年』だけでなく『正始元年』のものもちゃんとあります。
>
> したがって、年号を知らないとか、ずっと景初四年と信じていたとかは、嘘です。

「それらを作ったのが同じグループであると仮定するなら、そのグループは、ずっと景初四年
と信じていたとは考えられない」というべきでしょう。

> あるいは、239年(景初三年)に渡したあとに追加製造をあらかじめ始めて
> 翌240年で改元され、そのまま景初四年と正始元年のを渡しただけではないでしょうか。

だから、「真正の下賜品なのかどうか?」は、本場の中国において、そういう「結果として
存在しない先走った年号を入れた金属器が他にも存在するのか?」が決め手になるでしょう。
他に存在するなら「特に珍しくもないありふれたこと」になるのに対して、他に存在が認め
られていないなら、「極端に例外的なケースが後世に残された珍しい例」であるか、あるい
は、「本場物ではない」か、いずれか、ということになると。
966日本@名無史さん:04/08/29 19:53
>>964
あんな我利我利亡者の妄言など、歴史とは何の関係もない事柄です。
967日本@名無史さん:04/08/29 19:57
>>877
その辺も論点の一つですね。
968日本@名無史さん:04/08/29 20:00
>>877
仮に「景初三年」が下賜されたオリジナルで、「景初四年」が、それを真似て、ただし年
号を推定ですげかえた模造品だとするなら、何で「待ってましたとばかりにすぐに作れる
の?」という疑問もありますな。




「正始元年」
969日本@名無史さん:04/08/29 20:02
> あるいは、239年(景初三年)に渡したあとに追加製造をあらかじめ始めて
> 翌240年で改元され、そのまま景初四年と正始元年のを渡しただけではないでしょうか。

もし中国(魏朝)内で「あらかじめ製作」されたとしても(それもありにくい話である)、
そんなものを下賜するわけない。
現代人は、ひとくちに「年号」などと軽く考える悪い癖があるが、当時の人々にとっては
畏れ多くも天子の元号ですぜ。
970日本@名無史さん:04/08/29 20:08
>>968
日本では大晦日から新年の物を用意して、正月を祝う風習がある。
倭人にとって鏡は「神器」であるから、「景初四年」の鏡が用意され、
正月の祭祀に使われた可能性がある。

この推測の方が「実在しない年号の下賜物」わりもずっとリアリティがあると思うのだが?
971日本@名無史さん:04/08/29 20:15
>>885
年号は「特定の皇帝の治世であることを世界に知らせるための重要な記述」であって、
「単なる製造年月日の記述の類い」ではないから、そういった類推は成り立たない。

現代人日本なら、詰まらないことにプライドをかけると思うのが普通だけど、キリス
ト教徒でもないくせにキリスト教歴を「西暦」と称して日常的に使って怪しまない
無節操な現代日本人の感覚のほうが異常なだけ。
972日本@名無史さん:04/08/29 20:16
>>969
現代日本にどっぷりつかって、「現代日本の自分の感覚がすべて」と決めつけている輩が
多い、ということですね。
973日本@名無史さん:04/08/29 20:17
民国暦を使用し続ける台湾政府は正常である。
974日本@名無史さん:04/08/29 20:19
>>970
それはすなわち、「見本をもらったらすぐ模造できるだけの技術と材料があった」と
主張するわけですね。
975日本@名無史さん:04/08/29 20:22
>>973
ですね。歴史を正確に把握したいなら、「現代日本人の感覚は異常」と明確に認識して
おくことが必須と。
976日本@名無史さん:04/08/29 20:26
>>972
まったくです。

だいたい「景初三年」が十三ヶ月あった、と主張しておきながら、「景初四年」と勘違いした、
という推測がよくわからない。
うっかり勘違いするくらいなら、改元せず景初四年のままでも、不都合はない。
「景初四年」がどうしても不都合だから、景初三年の後十二月なんてのを作ったのだ。

現代人にとって異様な「景初三年後十二ヶ月」だが、当時の人たちにしてみれば、
「景初四年」がそれほど不体裁で無様なものだったのである。
977日本@名無史さん:04/08/29 20:29
>>974
当時の日本は「銅矛」「銅鐸」を製造する技術があったんですよ?
問題はむしろ「銅の原材料の確保」の方でしょうな。
978日本@名無史さん:04/08/29 20:35
当時の倭国は【魏略曰:其俗不知正歳四節、但計春耕秋收爲年紀】というもので、
一年に2回正月があったことは、祝詞によっても証明されています(大晦日も2回)。

つまり、春耕の祭祀(仮名)の時に「景初4年鏡」が用意され、秋收の祭祀(仮名)の時
正始元年鏡が用意された、という可能性もあるでしょう。
むろんこれは、まだまだ推論の域ですが。
979日本@名無史さん:04/08/29 20:48
ついでに言うなら日本には「鏡割り」の風習もある。
今でこそ「餅を割ってぜんざいを食べる」ようなものだが
今でも田舎では、祭壇に供えた物を、出席者で分けて持ち帰る。
これは「お盆」の時もそうである。

紀年鏡がそのようにして地方豪族にわたった場合、後に「景初四年」が実在しないことに
気づいても、すべてを回収・廃棄することは困難と思われる。
980日本@名無史さん:04/08/29 20:50
「景初三年鏡」「景初四年鏡」「正始元年鏡」の件については、
まあ、魏でつくられたか、倭でつくられたかは、両説甲乙つけがたいが、
どちらにしても、オリジナル鏡は、239〜240年頃に作られた以外に説明ができない。

加えて、後に、粗雑な模倣品が作られているのも事実。
981日本@名無史さん:04/08/29 20:51
↑珍説のハイブリットw
982日本@名無史さん:04/08/29 20:57
>>981
なんで正月にお供えする餅を「おかがみ」と言うのか。
また、なんで「おかがみ」をわざわざ作ってお供えするのか。

そういうことを考えたら、もともと「神器」である鏡が新年の祭祀に使われていた、
という推論が「珍説」などでないことがわかるだろう。
この推論が正しいか誤りかは別としても、「珍説」としか理解できないのは、
アンタの知識・想像力が欠如しているのが原因なのだ。
983日本@名無史さん:04/08/29 20:58
>>977 当時の日本は「銅矛」「銅鐸」を製造する技術があったんですよ

しかも高い技術であった。
薄く「銅鐸」を製造する技術は、現在の技術者の研究対象にして
学会で報告しているほどだ。そういう職人がいた。
984日本@名無史さん:04/08/29 21:08
「銅鐸」は何の目的で造られたのか?
風呂を沸かすため?
985日本@名無史さん:04/08/29 21:10
>>984
祭祀音楽を奏でるための楽器というのが有力だけど、
もともとは軍事用。戦場で味方を鼓舞するため、あるいは
軍事的な作戦や、合図などに使用するのが目的。
986日本@名無史さん:04/08/29 21:22
そうなんです。
畿内政権は既に、あの巨大な銅鐸を作り上げる技術を持っていたんです。

しかし、戦乱の中、畿内政権は卑弥呼の鬼道による収拾をつけ、
銅鐸はすべて山に埋めて、卑弥呼による鏡を用いる政治へと進みました。
987981:04/08/29 21:50
>>982
いや、「↑」がさしているのはずっと前のレスなのだが、
書いてるうちに大量のレスがついて遅れてしまったのだよ
988日本史@名無しさん:04/08/29 22:04
なるほど。銅鐸軍事利用説か。

まあ、九州軍も首に鏡と勾玉ぶら下げてただろうし、畿内軍は銅鐸うち鳴らしてたというのも
あり得るな。

だから×をつけて破壊したというなら実によくわかるし。
989日本@名無史さん:04/08/29 22:29
鏡は中国製や韓国製もあるのだろうけど、
銅鐸は日本にしか無いのはなぜか?
990日本@名無史さん:04/08/29 22:32
三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡かどうかは
まだ議論の余地があると思うが、仮に卑弥呼の鏡だとしても、
九州説(九州東遷説)は困らないんじゃないかな。

九州説では、東遷は卑弥呼の直後あたりにあると考えているのだから、
邪馬台国は、オリジナル神獣鏡を貰った時代には九州にあり、
コピーを作る時代には畿内にあったと考えられるから。

三角縁神獣鏡のコピーを含む全体は、その分布の広さから、
卑弥呼の時代よりずっと後まで流通していたのは明らか。

オリジナルの位置なら議論の対象になるだろうが、
オリジナルの位置が、仮に九州なら九州説が有利だし、
仮に畿内でも東遷のとき持ってきたんだな、くらいのこと。
991にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :04/08/29 22:36
>>989

銅鐸は韓国にもあるんだよ。
992日本史@名無しさん:04/08/29 22:44
つうか中国にもあるし。

同じ祭器で、形や大きさが違うだけ。

それに、揚子江流域では独自に巨大化したから、完全オリジナルというわけでもない。

むしろ祭器?として巨大化した経緯こそが重要。
993日本@名無史さん:04/08/29 23:36
揚子江にも銅鐸があるということは、邪馬台国の前身は揚子江あたりから渡来して来たのか!
という説を夏休みの宿題(自由研究)にしよう。
994日本@名無史さん:04/08/29 23:43
>>990 九州説では、東遷は卑弥呼の直後あたりにあると考えている、

自分もそう思っていたのだが、下記を読むと、トヨ時代ではなく、
卑弥呼と同時代の鏡が近畿から出土してるので、正直わからなくなった。
まあ鏡は持ち運び出来るから、九州から持って来たのかもしれんが。
ただ違う場所から出ている。家宝として持って来たならバラまくか?

943 :日本@名無史さん :04/08/29 04:31
青龍三年(235年)の方格規矩四神鏡が出土しているのは、
京都府の太田南古墳群と、大阪府の安満宮山古墳

946 名前:日本@名無史さん :04/08/29 04:48
青龍三年の方格規矩四神鏡は、
卑弥呼が朝貢する239年の4年前のものであることから、
もらった100枚の一部の可能性が高いのではないか?

995日本@名無史さん:04/08/29 23:55
>>994
それらが、コピーか、オリジナルかが
ハッキリしないことには何とも言いにくい。

コピーなら、ばら撒かれて当然。

オリジナルがばら撒かれているなら少々問題ありだが、
それは畿内説でも同様に解釈しにくいことではないだろうか。

あと、コピーをばら撒くという目的があるなら、九州東遷説でも
オリジナルの幾つかは持ってこなければならないということになる。

ヒラバル古墳からヤタの鏡が複数枚出てくることから、
(時期は特定しないが)東遷じたいはあったんだろうなとは思う。
996日本@名無史さん:04/08/30 00:14
米国で流行したものがソ連でも大流行なんてことはあるだろ。
同等品があれば同じ権力支配だなんてことはない。
前方後円墳だの鏡だの類似物があると、飛躍的に同一権力下と断定するのがおかしい。
所詮は倭人圏という共有文化圏諸国なのだ。
997日本@名無史さん:04/08/30 00:29
西都厨がいないこのスレッドは建設的な議論が多いですね。
なぜこのスレッドには西都厨がこないのでしょうか。
998日本@名無史さん:04/08/30 00:38
魏志倭人伝の方位についての説明は不思議だ。
まるで日本列島が九州から沖縄あたりに位置してしまうのだから。
やっぱり、三国志を信じ過ぎるのも良くないのでは・・・
999にゃんちゅー ◆IcICQJaxBw :04/08/30 00:39
999
1000日本@名無史さん:04/08/30 00:41
1000! 邪馬台国は九州ということで!
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。