「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか13)

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150日本@名無史さん
>>149
「天津彦火々瓊々杵尊崩因葬 筑紫日向河愛之山陵」
河愛山陵は実際に【鹿児島県】川内市神亀山にある。

古事記での「天孫降臨」
 「故爾に天津日子番能邇邇藝命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて、
伊都能知和岐知和岐弖、天の浮橋に宇岐士摩理、蘇理多多斯弖、竺紫(=筑紫)の日向の高千穂の
久士布流多氣(くじふるたけ)に天降りまさしめき。<略>
「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞來通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。
故、此地は甚吉き地。」
と詔りたまひて、底津石根に宮柱布斗斯理、高天の原の氷椽多迦斯理て坐しき。」
笠沙の御前(かささのみさき)=【鹿児島県】の西方野間岬

イザナキ大神が言うには、「私はなんと穢らわしい国に行ったのだろう。そこで、私は禊をして身体を清めよう」と言い、
竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原に行って、禊ぎ祓へを行った。
阿波岐原=【宮崎市】阿波岐原

*竺→筑 ここらへんの漢字の使用の移り変わりが勘違いの始まりかもな。

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竺紫の日向=【南九州】
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( ゚д゚)ポカーン としてないで記紀を読め。そして脳を使って考えろ。