第76題 在日朝鮮人の犯罪と生活保護
在日朝鮮人の犯罪率は日本人の5倍となろう。そしてこの高い数字は60年代末に至る
まで変わらなかった。(註3)
この数字はどういうことかを例えていうと、隣の空家に誰かが引っ越してきた場合、
朝鮮人であれば日本人の5倍の心配をせねばならないということである。それほど当時の
両者の関係は緊張するものだったのである。
なお犯罪の内訳で、朝鮮人が日本人より多いのが傷害(粗暴犯である)と
贓物(いわゆる盗品故売など)で、少ないのが詐欺(知能犯である)であることについては、
かつての在日を知る者には成る程と思うだろう。
鈴木二郎は、1960年代末に在日朝鮮人の犯罪について次のように書いている。
「・・・この結果が、在日朝鮮人の犯罪率を高くして、凶悪犯で日本人の五倍、粗暴犯で七倍、
せっ盗犯で四・五倍という数字をうみだすことになる。」(鈴木監修『現代の差別と偏見』
(新泉社 1969年5月 263頁)
60年代でも在日の犯罪率が高いままであったことを示している。
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuurokudai
レイプ事件考
このごろレイプ事件がよく報道されている。それを読みながら、かつての在日活動家たち
の隠れたレイプを思い出す。
古い資料だが『マルコポーロ』1993年9月号に、梁石日、崔洋一、鄭義信の対談があった。
崔「一時流行ったんだな。左翼少女を口説くときは日帝三十六年史で落とせというのが。」
鄭「いまだにそんな手を使っている人、いるんだよね。」
梁「男の風上にもおけんなあ。」
崔「梁さん、唇、震えてますよ(笑)。」
朝鮮問題に関わる日本人女性たちが、在日活動家に警戒心をなくし、レイプされるという
事件が少なくなかったのである。そして彼女たちは、反体制意識を持っていたために警察に
通報することもなく、泣き寝入りした。周囲からは運動団体内でフリーセックスが流行ったと
思われたのだろうが、実態はレイプであった。
人権に最も敏感なはずの在日活動家が何故そんなことをするのか。また日本の女性たち
は、活動家とはいえ在日男性がたずねてくると、なぜ警戒心をなくして部屋にあげて
しまうのか。
今はどうなのか知らないが、昔はそういう時代であったということである。
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunanadai
第15題朝高生を襲撃する「右翼的」高校生
朝鮮高校生(朝高生)と日本の高校生との抗争については、まとまった資料やデータという
のは見たことがない。しかし、七〇年代後半の東京における朝高生と国士舘高校生との
抗争はすさまじく、新聞にも報道されたことがあった。国士舘という右翼的体質からして
朝鮮への敵対・差別感情があって朝高生を襲撃し、対して朝高生が自衛したのだと解説する
人がいたが、実態はそんなに単純なものではなかった。
東京にいた人の話では、朝高生のゴンタクレの戦闘力にはすごいものがあり、ほぼ東京中の
高校を陥落させ、唯一これに対抗できたのが国士舘高校のゴンタクレだったというのである。
朝高生のゴンタクレは、ゴンタクレ同士のケンカだけでなく、山の手線の車両を占拠して、
誰も入らせないよう見張りを出し、中で飲酒・タバコ・博打をするという傍若無人な振舞いを
繰り返し、また日本の高校の一般生徒へ暴行・恐喝をも引き起こした。日本の高校の
ゴンタクレも朝鮮高校の一般生徒への襲撃を行ない、朝高のバッジをどれだけ奪ったかを
自慢の種としたという。
こういった類の話は東京だけでなく、規模は小さいが大阪でも神戸でも起こっている。朝高の
ゴンタクレから恐喝を受けた日本の高校生の朝鮮人への悪感情は、体験に基づくものだけに
非常に強固なものがあり、十数年たって三十代になってもその感情は消えていない。
私の周辺でもこの体験を語る人が意外と多い。おそらく、死ぬまで悪感情は消えず、
こそこそと差別発言を繰り返していくことであろう。
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuugodai 朝鮮高校の青春 ボクたちが暴力的だったわけ
金 漢一 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4334974805/249-2906635-8541902
>>596 80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/20(月) 16:40:07 ID:h6ffFKll0
週刊新潮 [2月23日号]
週刊新潮「闘争50年史」/「朝鮮総連」から「過激派」まで
http://www.zasshi.com/ZASSHI_SOKUHOU/data/syuukanshinchou.html この記事を読んだら、左翼って人間の屑だよ。
ゲバ棒を持って教授をボコボコにしたりとか、内ゲバとかいって仲間内でリンチ粛清とか
やってたのはよく知られているけど、それだけじゃなくて、仲間の女性活動家なんて、
男性活動家から強姦されまくりだったんだって。
そりゃそうだろ。追われる身だから警察に届けるわけにはいかないし、
アパートに潜伏している時に強姦されかかったら、叫び声を上げるわけにもいかない。
それで、女性活動家は「ありとあらゆる場所」で強姦されていたんだって。
女性活動家の証言に基づいてだけど、記事の分だけでも、やられたのは30人だって。
女性の側にも同志意識というか、身を捧げなければいけないみたいな意識があったそうだ。
もともと左翼が暴力・戦争反対を叫ぶなんて、てめーらがやってる行為に照らせば
悪いジョークだけど、そんな奴らが“従軍慰安婦”だとかいって 歴史を糾弾しているなんて、
お笑いだぜ。
記事にした新潮社には火炎瓶が投げられたんだって。
601 :
600:2006/04/07(金) 11:41:26
『日本共産党の80年』が発行された。
この日本共産党の「歴史教科書」からは依然、
「在日朝鮮人運動と日本共産党の関係」
がカットされたままだ。
在日朝鮮人は戦前、戦中、終戦直後の日本共産党員全体の3分の1を
占め、戦後、徳田球一、志賀義雄らが府中刑務所から出所した際、盛大
に出迎えた殆どが在日朝鮮人だった。
彼らは朝鮮人連盟を組織、戦後の日本共産党の再建に献身的に支援した。
当時、共産党には
「人民(アヒル)艦隊」
と呼ばれる組織があり党中央の指令の下、朝鮮半島との間を漁船で
往復、北朝鮮の当時の秘密組織と連絡をとっていた他、
党中央には「朝鮮人部」、「少数民族部」
があり在日朝鮮人を革命運動に利用していたのだが、今回の80年史に
は封印されたままだ。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H15/1505/1505002chosen.html
第65題在日一世の家庭内暴力
在日一世の家庭内暴力(夫による妻への暴力)はすさまじいもので、日常的に在日と
接しない日本人にはちょっと想像ができないものがあると思う。
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dairokujuugodai 多くの在日韓国・朝鮮人二世たちは、父親から「暴力」を振るわれた経験をもっている。
http://www.modern-korea.net/column/zainichi/son.html 佐高信・辛淑玉(対談)
『佐高信の日本国憲法の逆襲 第2回 この憲法、日本人にはもったいない!』
月刊「世界」(岩波書店)2000年2月号
佐高 二世と三世の違いでいうと、朴慶南でも梁石日でも、父親がもの
すごい暴君だったようですが、あなたの場合は少しは違う?
辛 いや、朝鮮人の親の多くは暴力的ですよ。その暴力的なものはどこ
で培ったのかというと、儒教の文化に植民地体験が加わったことで
す。これは朝鮮人の家だからというより、暴力はより弱いところに
移行していくわけです。日本の社会から抑圧された朝鮮人の男たち
は、朝鮮人の女に対してよりひどいことをする。子どもに対して高圧的
になる。お母さんたちはそこでまた子どもを抑圧する。それがあたり
まえだと思ってきて、初めて日本の学校に行ったときに、親に殴られた
ことのない子がいて腰が抜けるほど驚いて、何て日本人は幸せな
生き方をしてるんだろうと思いましたね。これは親の世代で終わって
いるかというと違います。日本の在日社会に脈々と生きつづけている
暴力の文化(=支配の文化)があるのです。差別と共存しているのです。
>>595 >>598 戦後日本の強姦の認知件数(警察が犯罪として認知した件数)を調べると、1964年に
6857件とピークを迎えた後、徐々に減り続け、1983年以降2000件を切り、1996年には
1483件となっている。被害者が強姦を告発する抵抗感は、昔と比べれば強まっているとは
言い難いので、実質として強姦件数は「著しく減少した」といえよう(ちなみに東京都の
1994年の調査によると、強姦を警察に届けると答えた女性は51.2%で、実際の
強姦発生件数はこの2倍ありそうである)。
この強姦認知件数(1996年の件数)を外国と比較してみる。日本の認知件数を1とすると、
アメリカは29と異様に多いが、元来アメリカの犯罪の多さは特異なもので、比較対象としては
不適切である。そこで韓国や台湾のように、日本より性に対する規制が厳しい国や、
ニュージーランドのように治安の良い国と比較する。すると日本を1とした場合、韓国は9.3、
台湾は3.5、ニュージーランドは6.3であることがわかった。
韓国は、日本や台湾と比べ儒教規範がかなり浸透しており、その分、日本や台湾より性に
対する規範は抑制的で厳しい。にもかかわらず、そんな韓国で強姦に関していえば、日本や
台湾より件数が多いのである。またニュージーランドは人口350万人という小さな国で、
殺人件数も1994年で31件という少なさであるが、こと強姦については人口あたりの件数は
かなり高いともいえる。
これらのことから「日本の強姦の発生率は1960年代前半をピークに低下し」、そして
「日本の強姦の発生率は、単に報告率が低いという事実にとどまらず、実際も諸外国と
比較して顕著に低い」と考えられる。そこで次のようなことが推測できる。
http://masa-888.hp.infoseek.co.jp/scrap8.html 戦後の日本は、強姦地獄だったのである。
http://deztec.jp/x/05/07/simple/pd200309.html 1960年の少年犯罪の検挙数は、殺人438件、強姦4407件である。そして1998年の
場合は、殺人が117件、強姦480件である。(警察庁生活安全局少年課の統計による)
「急増する少年犯罪」とメディアは煽っているが、実際は逆で、少年犯罪は減っているので
ある。とくに強姦の数は目を見はるものがある。1960年は、1998年と比べて10倍の
検挙数である。
605 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 12:26:33
606 :
日本@名無史さん:2006/04/07(金) 12:28:50
ドウでもいいが、日本にまで来てスリして、のむひょんの馬鹿すこしは
なんか心を痛めないのかね?
>>606 総気狂いだから、搾取の還元くらいにしか思っていないだろうな。
皆殺しか、皆殺しか、皆殺ししか解決方法は無い。
『鳩山一郎回顧録』 鳩山一郎(著) 文芸春秋
・・・・・私があの反共声明を思いついたのには、実は次に述べるような理由があったのである。
その前年の十一月新党が結成されて、十日程経て私は新党総裁として日本自由党の使命
を説くために全国遊説を始めた。
(中略)
その時上野の駅で、二等車の隅っこに座っていた。そうすると中華民国人が数人でもって
二等車の中に「この車は占領す」という旗を立てた。そして十人位の第三国人が
「この部屋をみんな出て下さい」という。出ない爺さんが一人いた。そうするとこれを私の前で
殴るのだ。
(中略)
青森から帰る時も朝鮮人が列車を占領して駅長に向って「この列車は朝鮮人だけに限ると
声明しろ」と強談判している。駅長が「それは断じて出来ない」と拒絶した。
(中略)
その時九州に行って感心したのは、福岡は割合に静穏なことである。朝鮮人が福岡駅を
占領した時に、九州大学の青年達がみんなで朝鮮人を叩き出してしまったので、すっかり騒ぎ
が納まったということを聞いて、流石九州男児だなアと思ったりした。
それでその時思ったのは、日本では共産革命は割合に楽だと感じたことである。
面と向って自ら犠牲になって阻止する者が出て来れば出来ないが、自分で責任をとって防ぐ
青年がいなかったら共産革命が成就すると思った。多数は要らないが適当な防衛力は要ると
思ったのもその時のことである。
何うしても自衛隊を持たなければならないと痛切に考えて自衛軍の構想をその時から持ち
始めた。私は当時方々を歩いて、自衛隊の設備と反共ということを同列において私が演説した
のはそういうところから来たのだった。
こうして私の二一年二月二十二日の反共声明は発せられたのである。
『日本史から見た日本人・昭和編』 渡部昇一著(祥伝社)
しかし、日本に残留したコリア人は、一人残らず一時的には金持ちになったといえよう。
戦災を受けた駅の近所の土地を不法占拠するのが、その始まりであった。闇の物資を
さばくには、警察の手の出しにくい人たちのほうが便利という面もあったろう。
(中略)
そのようなことは、そのうち治安の恢復、警察力の恢復でなくなる。再び貧しくなった
コリア人も、相当いるであろう。しかし、その頃に蓄えた経済力を元にして、正業を発展させ、
今では立派な経済人になっている人もいる。一時は銀座をはじめとする目抜きの土地が
すべて「第三国人」の手になるのではないか、と心配された時期もあったのである。今でも、
在日コリア人の平均財産は、日本人の平均財産より少ないということはないであろう。
『正論』 2000年7月号
共同通信用語ハンドブックの罪 ― かくて差別語は独り歩きする 評論家 呉智英
『日本国語大辞典』に言う「一般の外国人とは異なる法律上の扱いを受けた」第三国人である
朝鮮人や台湾人は、非合法である闇市を束ね、暴行傷害強姦などもくり返した。彼らは、
第三国人である俺達に敗戦国の警察は手が出せまいと嘲笑した。
年齢から言って、当時の被害を身にしみて知ってはいない私は、怒りよりも悲哀を覚える。
それまでの抑圧への反発が無法な形でしか噴出しないことが悲しいのだ。心ある朝鮮人も
思いは同じだろう。対談集『差別 ― その根源を問う』(朝日新聞社)で詩人の金時鐘は、
当時の朝鮮人の横暴について、日本人はまだ忘れてくれないのだなと、悲しく呻くように
語っている。同書で数少ない心打たれるところだ。
真実はしばしば直視できない。歴史の真実も、人間の心も、また、しばしば直視できない。
それでもなお言葉(ロゴス)に関わろうとする者は、誇りと責任を持って、真実を見ようと目を
見開かなければならない。言葉の誤りが見る目を曇らせるなど、最も恥ずべきことである。