在日朝鮮人人口の推移
在日朝鮮人人口動態 内務省警保局統計 他
年度 在日朝鮮人数 増加人口(数前年比) 特記
1910 韓国併合・朝鮮で「土地調査事業」〜1918
1915 3989
1916 5638 1649
1917 1万4501 8863
1918 2万2262 7761 第一次世界大戦終了・日本で米騒動
1919 2万8272 6010 朝鮮で3.1独立運動起こる・朝鮮人の渡日制限〜1922
1920 3万0175 1903 朝鮮で「産米増殖計画」〜1934
1921 3万5876 5693
1922 5万9865 2万3989 日本への「自由渡航制」
1923 8万0617 2万0752 関東大震災
1924 12万0238 3万9621
1925 13万3710 1万3472 再び日本への「渡航制限」〜1938
1926 14万8503 1万4793
1927 17万5911 2万7408
1928 24万3328 6万7417
1929 27万6031 3万2703
1930 29万8091 2万2060 日本に世界恐慌が波及
1931 31万8212 2万0121 満州事変(日中15年戦争の始まり)
1932 39万0543 7万2331 満州国建国
1933 46万6217 7万5674
1934 53万7576 7万1359
1935 62万5678 8万8102
1936 69万0501 6万4823
1937 73万5689 4万5188 盧溝橋事件で戦火拡大
1938 79万9865 6万4176 国家総動員法が成立
1939 96万1591 16万1726 国民徴用令が成立(朝鮮に適用されたのは 1944年9月から)「募集」
日本企業が朝鮮で自由に労働者を募集することを許可
1940 119万0444 22万8853
1941 146万9230 27万8786 真珠湾攻撃で日米開戦
1942 162万5054 15万5824 「官斡旋」 総督府が朝鮮人労働者を募集
1943 188万2456 25万7402
1944 193万6843 5万4387 「徴用」 法律により労働を強制された
1945 210万0000(諸説あり) 終戦
1946 64万7006 厚生省による在日朝鮮人の登録 (この時登録しない者がいたので
100万人程いたと書く本もあり)
1999年末 54万6553
渡日年度・渡日年齢別にみた渡日理由
徴兵・徴用 経済的理由 結婚・親族との同居 留学 その他 不明
1910年〜25年 54.3% 7.1% 12.9% 24.3% 1.4%
1926年〜30年 3.6% 54.4% 15.0% 6.3% 20.6%
1931年〜35年 3.8% 42.9% 22.7% 10.9% 19.7%
1936年〜40年 14.9% 36.2% 17.8% 9.6% 21.6%
1941年〜45年 27.9% 27.6% 16.2% 9.9% 18.4%
民団も韓国青年会も自認
この数字は在日韓国人自体の調査によっても裏付けられている。1988年2月に 発刊された「”我々の歴史を取り戻
す運動”報告書」(在日本大韓民国青年会中央本部)には、全国千百余人の一世から直接聞きとりした調査結果が収
録されてい る。これによると、渡日の理由として「徴兵・徴用」は13.3%にすぎず、経済 的理由(39.6%)、「結
婚・親族との同居」(17.3%)に次いで3番目で ある。この13.3%のうち、徴兵は0.5%で、残りが徴用ということに
なる。しかし、「渡日年度別に見た渡日理由」によると、徴用は1926〜30年に6 人、1931〜35年に9人、1936〜40年に
51人とある。国民徴用令が公布されたのは1939年7月であって、これが朝鮮に適用されたのは前述のように 1944年9月
であるから、この「徴用による渡日という」回答は思い違いによる ものと考えられる。従ってこの人数はのぞかねば
ならない。 1941〜45年の徴兵、徴用と答えた76人も、その大部分は記憶違いというよ りほかはない。徴用が実施され
ていた1944年9月以降終戦までの一年分だけを 前期の方法で算出すれば16人、すなわち全体の1.5%にしかならない。
また、 法務省の数字のアンケート調査の場合と同様、官あっせんを徴用と考えても(1942年2月以降)59人=5.4%とな
り、徴兵を加えて5.9%である。
実地調査でも「在日1世強制連行少数説」は裏付けられています。
「在日韓国・朝鮮人」 福岡安則 1993 中公新書
私は、1988年以降、若い世代の人たちを中心に150名余りの在日韓国・朝鮮人からの聞き取りを実施してきたが、自分の親もしくは祖父
が「強制連行」で日本に連れてこられたという人には一人も出会わなかった。ただ一人伯父が「強制連行」で北海道の炭坑に連れてこられ、
そこで「事故死」にあった("殺された"といっていいと思う)という事例を聞いているだけである。
(中略)
私の調査体験をもって、安易な結論を導き出すことは慎まなければならない。だがそれにしても、文字どおりの「強制連行」で日本に連れて
こられた人達の大部分は母国に帰り、それ以前に仕事を求めて渡日してきた人たちが中心になって日本に残留した、という一般的傾向が認
められると思う。
「日韓2000年の真実」 名越二荒之助 平成9年 国際企画
徴用された朝鮮人は、終戦と同時にほとんど帰国しており、今日在日朝鮮人が声高に、自分たちの父母は『強制連行』されたと言い立てるのは、
他に目的あってのことと考えざるを得ない。
かつて朝鮮人学校で父母の来日動機を調査したところ、『朝鮮では食えないから渡航して来た』という回答がほとんどで、『強制連行』と答えた
のは一人しかいなかったので困惑したという報告があるそうだが(田端元「好太王から朝鮮滅亡後まで」十六)、さもありなんという気がする。