江戸時代はフリーセックスって餓鬼どうするの?

このエントリーをはてなブックマークに追加
952日本@名無史さん:05/02/16 05:52:31
このスレの議論で「少子化問題の解決方法」は見えてきた。

1.セックスする機会を増やす
 -できるだけ若くからセックスする習慣を作る
 -社会が若い男女が知り合うお膳立てをする(歌垣の復活)
 -結婚や離婚を簡単にできるようにする(戸籍制度の廃止等)
  過去に結婚した記録が一切残らない

2.中絶を防ぐ
 -出産しても親は匿名で子どもの親権を放棄できるようにする(間引相当)
戸籍等の記録に出産記録を一切残さない
-出産・育児に必要な期間は学校・企業等は無条件で両親の地位
  を保証する
953日本@名無史さん:05/02/16 05:55:22
続き。
3.子どもを作る動機を増やす
 -子どもを作ると経済的に優遇する(税金の削減・補助金の支給など)
 -児童労働の範囲を広く認め社会が活用する。
  ベビーシッター、老人介護や自宅以外の家事手伝いなど。
  子どもの収入は当然子どもの生活費に使用する。
 -公共の場所、交通機関などに乳幼児を預けたり授乳する場所を作る

4.親の責任を限定する
 -親による子どもの扶養義務を中学校卒業までとする。
 -中学校卒業以降の教育費・養育費はすべて公共の負担とする
  近代化による教育期間の増加分コストは受益者である社会の負担とする。
954日本@名無史さん:05/02/16 16:58:22
大・政策建白書が出来そうだ。
955日本@名無史さん:05/02/16 18:00:10
>>952
高校・大学はドイツの大学制度のように卒業期限のない完全単位制にして、
好きな学校で単位を取れるようにするといいな。
956日本@名無史さん:05/02/16 23:06:57
>>952
>>953
お前は、スターリン・金正日・ポルポトの生まれ変わりか!
957日本@名無史さん:05/02/16 23:24:01
>>956
せめて徳川家康の生まれ変わりと言ってくれ。
958日本@名無史さん:05/02/16 23:34:41
しかし今の少子化対策なるものがいかにいい加減かってことだよな。
952,953のようなことをやって初めて多産になるんだから、これくらい
やる決心がないなら、人口減少を前提とした政策にするしかない。
959日本@名無史さん:05/02/17 14:38:40
突然、視点を変えて申し訳ありませんが、長時間、電磁波を浴びていると
実包能力が下がるとかいうのを聞いたことがありますが、どうなんでしょう。
960日本@名無史さん:05/02/18 15:02:49
>>952
これで身売りも可能になれば完璧だな。いやマジで。
子の養育に関心がもてずにネグレクトや虐待を繰り返すなら
お互いのためだな。
961日本@名無史さん:05/02/18 15:23:58
馬鹿ばっかし!
962日本@名無史さん:05/02/21 01:42:35
>>941
花園メリーゴーランドも御石神落としも結局はネタ本は赤松だしなあ…
963日本@名無史さん:05/02/21 16:21:43
「江戸の性談」講談社 氏家幹人(国立公文書館勤務)という本を読んだ。
江戸時代の信憑性の高い文書を根拠に、切実で奔放な江戸時代の性について
述べている。

北町奉行所の与力の幕臣中山業智が書いた「真際随筆」では、けっして偽り
ではないと断ったうえで幕領十津川郷(現在の奈良県十津川村)の性風俗
についてこう書かれている。
・この土地では、人妻と娘・下女の区別なく、村内で出会った男と所構わず
 セックスして悪びれる素振りもない。女たちは相手が旅人でも気安くセッ
 クスするので、評判を聞いて京大坂の好色な男たちが多数入りこんで、
 山奥なのに大賑わい。

1828年に江戸を訪れたシーボルトは「江戸参府紀行」で女郎屋を見てこう書かれている。
・一般にこうした施設は日本では料理屋と同様、生活に必要なものとみなされ
 ているようである。白昼、娼家から出てくるのは、われわれの国でいえば
 コーヒー店から出てくるのと同様でほとんど問題にならない。
964日本@名無史さん:05/02/21 17:31:57
>>963
十津川のは、単に娯楽のためって、書いてあるの?

多少深刻に想像するに、域外の種を求める習慣は、丈夫な子供を得るために
行われていたようだ。客人と書いて「まろうど」というが、稀人と読める。
十津川は、免税されているので、いくさ手伝いには積極的で、村人の減少を
防止する意図があったのではとも考えられる。
司馬遼だか、十津川で病人が米の粥を与えられると、ああ、おれも末期だと
観念する話が出ていた。
965日本@名無史さん:05/02/21 19:20:35
>>
全然一般的なはなじじゃないじゃないか。
女郎屋があって、そういうコトができる場が提供されているのは当然だしな。
966日本@名無史さん:05/02/21 21:44:57
>>964
こんな話も「江戸の性談」に出ている。

朝鮮通信史の一員として1764年3月に江戸に到着した金仁謙は、途中
壱岐で女たちから卑猥な言葉やしぐさを浴びせられたと「日東壮遊歌」
に書いている。
女たちは「今夜、私の家で、一緒に寝ましょう」と声をかけてくる。
毎日丘の上に集まって「尻をはだけて叩き、手を振って」招いたり、
「裾をまくって下を見せ」ながら呼び掛けたという。金仁謙は言語道断
の破廉恥行為と切り捨てている。倭人の女は「恥じらいというものが
まったくみられず、風俗は淫らである」というのである。
967日本@名無史さん:05/02/21 21:45:47
>>965
日本が当時のヨーロッパ人から見て異常に売春施設と娼婦が多い国であった
というのは事実のようだな。

1776年オランダ使節に同行したスウェーデン人ツンベルグも
「ツンベルグ日本紀行」でこう書いている。

どんなに小さな村でも、大きな都会と同じに公開の遊女屋がある。
上ノ関(現在の山口県上関町)には遊女屋が二軒あり、全部で八十人
の遊女が置いてあった。御手洗(現在の山口県光市)には四軒あった。
地ノ家室(現在の山口県東和町)は小さな町であるが百人の遊女がいた。
968日本@名無史さん:05/02/21 21:50:34
>>966
チョンはこの間までおっぱい丸出しだったぞ。
969日本@名無史さん:05/02/21 21:55:38
>>966
ちなみに著者は「これらの例は江戸時代の性風俗の中でもごく特殊な
例に違いない。とはいえ、江戸や京大坂の女性たちが特段に貞女であった
わけでもないようだ」として、不義密通は表向きは死罪でありながら、実際
は「姦通なんてよくある出来事」という例を長々と書いている。
970日本@名無史さん:05/02/21 21:58:10
>>968
そりゃ日本も同じ。
戦後しばらく鹿児島のトカラあたりではトップレスの少女が普通に
あるいてた。
971日本@名無史さん:05/02/21 22:19:36
>>969
どうせ江戸時代の「週刊実話」を題材にしているんだろw
972日本@名無史さん:05/02/21 22:27:00
昭和30年代まで日本の海女は裸で仕事していたわけだが。
http://www.fundoshi-bikini.net/home-1/capture/ama/capture-ama.htm
973日本@名無史さん:05/02/21 23:26:29
>>971
「栃木県鹿沼市発行「鹿沼市史」(資料編・近世一)とか「千葉県の歴史」
(資料編・近世二)収録「小保田村名主要用抜書」とか「寛政重修諸家譜」
とか。さすがに著者は国立公文書館勤務とあって怪しげな資料は分別している。
974日本@名無史さん:05/02/21 23:59:21
オレは、財産がある家のメンバーなら不義密通ってのは駄目駄目だったろう派だ。
そりゃ、財産がない階級ならそういった話は当然あったろうな。
また、Hな話はおもしろおかしく伝えられる可能性が高いのは事実。

ところで「鹿沼市史」にどの程度の記述があるんだ?
975日本@名無史さん:05/02/22 01:04:49
>>974
つまり、嫁の不倫を大っぴらにすると夫の無能を世の中に晒す
こととなり、妻敵討ちを迫られれば自分が返り討ちにあったり
家の存続も危うくなるというやっかいなことになるから。
以下「江戸の性談」より。

寛延四(1751)年、旗本小野家では、嫁の不倫を咎めて実家に
返したものの、実家から仲人を通して持参金の返却を督促され、
結局札差から借金して返却しなければならなかった。
寝取られた夫側が慰謝料を請求するのではなく、逆に妻の実家
から金品の返却を迫られたのである。どうしてそんな馬鹿なことが。
理由は、「私の妻は不倫しました。私は妻を寝取られました」と
公表することになるからだ。
976日本@名無史さん:05/02/22 06:43:50
天下を統一した秀吉は,1581年に大軍を率いて九州を平定したが,その際にポルトガル人が多数の日本人を奴隷として買い取り,国外に連れていくことについて,イエズス会の宣教師を詰問している。
この詰問に対して宣教師Coelhoは日本人が売りたがっているからだとつっぱねている(『イエズス会日本年報』下,1587)。
わが国の貿易上の主力商品は,そのごく初期から少年,少女の奴隷であった(藤木久志:雑兵たちの戦場,1995)。
977日本@名無史さん:05/02/22 07:23:02
切支丹はまさに邪宗門だな。
978日本@名無史さん:05/02/22 08:53:09
>>976
間引きの習慣を考えると宣教師の主張にも一理ある。
売られるほうにとっては究極の選択だな。
979日本@名無史さん:05/02/22 08:53:10
蝶々夫人も実際のモデルは現代の女子中学生だもん
日本人の女子中学生が外人の嫁でその話が現代ではオペラw

凄い時代だったな
980日本@名無史さん:05/02/22 10:16:00
強調してもしすぎることはないと思うが、前近代の14,5歳ってのは
精神的にも肉体的にも掛け値なく大人だったってこと。肉体的にも
技術的にも農作業をする分には完全に一人前で、
社会的にも元服すれば立派な大人として認められた。
981日本@名無史さん:05/02/22 17:11:11
>>975
そりゃ、旗本となればそういうのも気になるわな。
で、実際には斬られた奥さんも多いんだろ?
特殊な例を出されても…。
982日本@名無史さん:05/02/22 20:05:26
昭和40年代まで女性は駅のホームなんかでふつうにおっぱい出して
授乳していた。
983日本@名無史さん:05/02/22 21:24:25
>>981
さすがに引用は面倒なんで自分で読んでくれ。あとひとつだけ。

播州龍野藩の儒者股野玉川の日記「幽蘭堂年譜」から。
天明二(1782年)7月、栗田右膳の妻が角田又八と不倫していた
事実が発覚し直ちに妻は離縁された。妻は他に二人の男とも不倫していた。

武士の妻を寝取った男にはどんな刑罰が下されたのか。
免職や謹慎などの処分になったという。武士の妻と不倫した罪は
明白なのに、とりあえず命に別状ない処分で済まされたのである。
984日本@名無史さん:05/02/22 21:27:11
>>983
特別だったからこそ、日記に残したんじゃないのか?
985日本@名無史さん:05/02/22 21:38:32
江戸時代は血が濃くなりすぎるのを避けるために、寺の坊主と
まぐわいをして血を薄めていたよ
修行後の元気もりもりの修行僧ががんばってた
だから、寺参りは奨励された
かなり、大らかだったのだろう 裏では
986日本@名無史さん:05/02/22 22:00:06
984必死w
987日本@名無史さん:05/02/22 22:31:44
>>984
著者は「武士の妻は慎み深いはずが・・」と始めて
「女性は総じて慎み深く、中でも武士の妻はめったに不倫などしなかった
はずと思い込んでいる読者も多いのではないだろうか。ところが史実は
違うのだ」というリードで「恋する人妻たち」という章を書いている。
988日本@名無史さん:05/02/23 00:08:51
全部が全部慎み深かったとは思わないよ。でも、淫乱で放蕩三昧だったとも
思えない。記録に残っているのはやはり特殊な例なんじゃないのか?
989日本@名無史さん:05/02/23 00:32:01
>>988
まあこのスレは残りも少ないことだし、氏家の本を読んでみるといいよ。
13歳くらいでの性体験が普通にあったことや、男色が広く行われたこと、
女郎買いや春画の普及、卑猥な見世物小屋の出し物などいろいろ実例が出てるよ。
990日本@名無史さん:05/02/23 02:51:42
切り捨てたり、罪科に問われればすべて記録に残るわけで
それが「不義密通」でありながら、たいした処罰もされて居ないのはどういうわけか?
それが行われていればきちんと研究書も出されているだろう

つまり、不義密通であっても不義密通は問えなかったと言うことだ
当時の武士にとって一番の大事は「体面」、いかに相手を殺そうと「女房を寝取られた」と言う恥は残る
そうなれば体面が立たない、つまり武士としては生き恥さらして生きる事になるわけだな、当然お家の名も穢れる
とすれば「粗相があった」と妻を離縁し、相手には何か別の罪科をつけて訴えるか、示談するしかない
屈辱は一身、家は永代、どちらを取るかは言うまでも無し

「心中に及んだ上級旗本」のその後の処分を読んでも、
やはり「下の恥」に関しては厳しかったんだなあと思うわけで。
991日本@名無史さん:05/02/23 02:57:11
あ、当然「武士の妻はやりたい放題」というつもりは無いよ。
ただ、武家だから夫が強くて奥が弱かったわけでは無いと
むしろ、在る意味辛い立場にあったのだなあと。

だからこそ「貞淑」を必要以上に求めたんじゃないのかね
裏返せばそれだけ世の中に奔放(男女問わず)を良しとするような空気が在ったとも思える
道徳について「教える」と言う事は「教えなければいけない状況である」と言うことでもあるわけだから。
992日本@名無史さん:05/02/23 17:35:33 ID:wmkQuoRs BE:40068678-
ちょっと横にずれるが、「農村の子供労働力理論」
ってどう考えても、コスト>>>>労働力
と思うのだが…仕込んで、使えるようになるのは早くて5年後。
しかも、半人前どころか1/3人前。
15歳になってまともに働くようになったら土地足りないし…

本能の赴くまま、やっちまった農夫が、それを告白するのが恥ずかしくて
都会からフィールドワークに来た学者に「格好付けた理屈」を喋ったのを
学者が真に受けたとしか思えない。
993日本@名無史さん:05/02/23 21:01:01
>>992
子どもを育てるコストとは?当時は基本的に自給自足で子どもを育てるのに
一定の手間はかかるが金はほとんどかからない。江戸時代では避妊の意味も
あって4,5歳まで母乳で育てるケースも多かったという。
しかも、長子が6,7歳にもなれば子守りもさせられる。10歳にもなればかなり
農作業をさせることができる。

江戸時代の農村の基本は小農自営だから、子どもに農作業をさせればその分親
は楽になる(農作業を行う土地は限られており土地面積に対して課税されるか
ら)。食うに困るほど子どもが産まれたら間引く。実際明治初期には義務教育
に反対して農民は学制一揆を起こした。

無論子どもを産む理由のすべてが労働力というわけではないが、親は子どもの
労働を当然の利得と考えていただろう。
994日本@名無史さん:05/02/23 21:20:12
>>989
もしそうなら、15歳以下の出産例が統計にひっかかるはずだ。
ところが過去ログからはそういう話はないな。

>>990
きちんとした研究みてみたいもんだ。

まあ、ある程度当然浮気なんてあっただろうな。
戦前から戦後、性の解放が始まるまでの日本女性には貞淑さが求められ
放蕩な女性は後ろ指を指され、陰口を言われたもんだ。そういった、時代で
さえ、ちまたにはHな話が満載の雑誌が当然のごとく売られていた。
江戸時代もそうだっただろう。
で、どこに真実を求める?そりゃ事例を一つ一つたどればHな女性の話は
幾らでも出てくるだろうし、そういった雑誌から題材を求めると、当時でさえ
日本人はHしまくりと言う話になってしまう。

きちんとやるにはやはり統計しかないだろ。過去ログにあるが、初出産年齢
は15以上…初婚年齢はその下だっていうことから、やはり性行為は「制御」
されていたと考えるのがオレは妥当だと思う。
995日本@名無史さん:05/02/23 21:31:37
昔の日本は春と秋に神社でフリーセックスパーティーが行なわれていた
近くの男女が集まって、盛大な祭りだ
だもんで、母親はわかるが父親はわからないってのが普通
だから地域の子としてみんなで育てた 誰かの子だろうということで
江戸時代でも嫁というのは家に嫁ぐ
だから花婿のオヤジと出来たりしても怒らない、花嫁も良く出来た嫁だと
みんなからほめられる
今でも大田舎のほうは、その伝統を引き継いでいるところもある
明治以降に、こうるさくなっただけで江戸時代くらいまでは、
大らかなものだったのだろう 家の繁栄が第一という考えだね
今でもその伝統を受け継いでいるやんかたない一族もあるようだ
996日本@名無史さん:05/02/23 21:55:01
>>995
岡山県がその伝統を受け継いでる
997日本@名無史さん:05/02/23 21:58:03
>>裏返せばそれだけ世の中に奔放(男女問わず)を良しとするような空気が在ったとも思える

思えるなんて主観的な言葉を使うから、説得力が無くなる。
君がそう思いたいだけだろ。
998日本@名無史さん:05/02/23 22:02:53
>>995
今でも祭りといえば、夜遊び、デート、ナンパありきだろ。
今と変わらないってことだ思うけど、それが、なぜあいてかまわずやりまくったという話にまで飛躍するんだろう。
999日本@名無史さん:05/02/23 22:21:04
1000日本@名無史さん:05/02/23 22:22:38
>>994
795読め。どこに目がついているんだか。
>表3の幕末(1840-1870)では15歳未満の出生率(59)は、35-39歳の出生率
>に近い値になっている。1760-1799年の35-39歳出生率に匹敵している。
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。