ところで太平洋戦争勃発の原因ってなんなの?

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929日本@名無史さん:04/07/06 01:24
>>928
ドイツの主力(動員兵力では8割)と戦い、
軍民合わせて何千万の死傷者が出たけどな。
アメリカだったら、とっくに講和してる。
930日本@名無史さん:04/07/06 01:26
だって共産主義国家の人の命って銃弾より安いし。元から人材豊富なのもあるけど。
931日本@名無史さん:04/07/06 01:30
あの国での人材豊富って意味が違うw
有能無能ではなく文字通り人が資源状態。
まさに人が城、人が生垣、人が掘。
932日本@名無史さん:04/07/06 01:44
なんか良い言葉なのに、ソ連だと考えると、本当に悪い意味になるな。
933日本@名無史さん:04/07/06 02:35
やりまくり強姦
子供生み捨て共産主義
殺しまくり異教徒
神でも産めさえすれば再生
共産主義
934日本@名無史さん:04/07/06 10:01
>>918
「在留邦人が皆殺しにされる」って、それほど中国における排日感情は高まってたの?
だとすればそれほどすさまじい排日感情の淵源は何だろう?
935日本@名無史さん:04/07/06 10:27
それだけ民族主義が高まったって事だろうね。
国民党共産党の宣伝工作、日本を始めとする列強の進出、理由は色々。
936日本@名無史さん:04/07/06 10:41
民族主義といえば聞こえはよいが、 列強・日本資産の収奪。
937日本@名無史さん:04/07/06 11:07
そういや、日本からの莫大な借款も踏み倒していたな。
938日本@名無史さん:04/07/06 11:17
今でもODA貢がされてるしなあ。うざってぇ。
でも崩壊したら崩壊したで日本に飛び火すること確実。
死んでも迷惑をかけるこのうざったさ。
939日本@名無史さん:04/07/06 22:34
>>935
でもさ、皆殺しって相当なものだよ。
国民党共産党がそそのかしたり、列強が進出したくらいで普通の「民間人」を「皆殺し」までするか?
それなりの理由がなきゃ。
イラクのテロだって、ヒトラーがユダヤ人殺戮したのだって、一応「それなりの理由」はあるでしょ。
歴史上理由のない大量殺戮ってあまりないよ(ポルポトはどうだろう?)。
940日本@名無史さん:04/07/06 23:03
英米人を殺すのは返り血を浴びる危険があるが、
日本人を殺るなら大丈夫だと踏んだのかもしれない。
941日本@名無史さん:04/07/06 23:37
>>939
ポルポト時代のカンボジアは集団ヒステリーみたいなものだろ。
アレは例外中の例外だよ。ウチにポルポト時代を生き抜いたカンボジア人の
オッサンと、その息子のカンボジアの留学生を招いた事あるけど
「あの時代、何故アソコまで行ってしまったのか今でも判らない」
と言っていたからな。
942日本@名無史さん:04/07/07 01:01
 昭和十六年十月十五日に検挙された尾崎秀実と特別の関係にあった陸軍軍務局関係者
は、尾崎の検挙に反対であり、特にドイツ大使館員としてドイツ駐日大使オットーの信頼を
得ることに成功していたリヒャルト・ゾルゲとの関係において、陸軍は捜査打ち切りを要求した
が、十六日、近衛内閣が総辞職し、東条内閣の出現となり、尾崎の取り調べによって彼と
近衛文麿との密接なる関係が浮かび出てきたことを知った東条首相は、この事件によって
一挙に近衛を抹殺することを考え、逆に徹底的な調査を命じたのである。しかしながら時は
日米開戦直後であり、日本政治最上層部の責任者として重要な立場にあった近衛及びその
周辺の人物をこの事件によって葬り去ることが如何に巨大な影響を国政に与えるかを考慮し
た検察当局は、その捜査の範囲を国防保安法の線のみに限定せざるを得ず、彼等の謀略
活動をできる限り回避すべく苦心したという(2)。
 昭和十七年十一月十八日、近衛は中村光三予審判事から僅かな形式的訊問を受け、
「記憶しません」を連発し尾崎との親密な関係を隠蔽したが(3)、元米国共産党員の宮城与徳
は検事訊問(昭和十七年三月十七日)に対して、
 「近衛首相は防共連盟の顧問であるから反ソ的な人だと思って居たところ、支那問題解決
の為寧ろソ連と手を握ってもよいと考える程ソ連的であることが判りました。」
と証言した(4)。国家総動員法や大政翼賛会による立憲自由主義議会制デモクラシー破壊に
猛反対した鳩山一郎(政友会)が日記(昭和十五年十一月一日)に、
 「近衛時代に於ける政府の施設凡てコミンテルンのテーゼに基く。寔に怖るべし。一身を
犠牲にして御奉公すべき時期の近づくを痛感す。」
と書いたことは正しかったのである。
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/from43to56ww2.htm
943日本@名無史さん:04/07/07 21:27
>>934
その疑問はけっこう重要だね。
満州事変以前から中国の排日主義は根強く存在したからね。
当時の日本は幣原外交のもと、欧米以上に親中的に接していたのにかかわらず、だ。
今でも日本は欧米以上に親中的に接してるけど、根強い反日主義がある。
で、その反日主義が対日強硬外交を呼び込み事態を悪化させる。

中国の反日主義は将来にわたって要注意だな。
944日本@名無史さん:04/07/07 23:02
ところで竹槍でB29ってのは極めて困難だが、調べてみたらF4ファントムが
ベトナムで竹槍撃墜の憂き目に遭っているらしい。
低空爆撃の際にどこをどうしたのかはわからんが、とにかく
竹槍に引っかかって撃墜されたらしい。なさけねぇ。

945日本@名無史さん:04/07/07 23:08
z
946日本@名無史さん:04/07/08 04:42
>>934
排日主義というか排外主義だけどな。
義和団事件では日本以外の列強もバリバリ襲われてるし。
日本がテロの標的になったのはコミーどもの策略もあるが、甘っちょろくも協調外交しようとして舐められたからだろ。
947日本@名無史さん:04/07/08 04:51
義和団事件でも分かる様に、日本だけが排斥の対象ではない。
欧米列強が清王朝から借り受けた租借地も、国民政府になってから接収が進んだ。
中国(国民政府)は、第一次大戦で連合側につきドイツとオーストリアの租界を接収、ロシア革命後はロシア租界も接収。
1920年代には全国的な反英運動の高まりを背景にイギリス租界の接収が進んだ。
香港は租借地ではなく、イギリスへ割譲されたもの。

日本の租借地は、1943年に日本の傀儡政権(汪兆銘政権・南京政府)に譲り渡された。
日本は租借地を持った事は非難されていない。
満州事変、華北分離工作、支那事変などの勢力拡大行為を侵略と見なされ非難されている。
948日本@名無史さん:04/07/08 06:09
>>947
イギリスが租借地を返したのも1943年に蒋介石政権に対してなんだが。
1920年代の拝外運動に対しては寧ろイギリスの方が徹底的な武力行使に出たし。
949日本@名無史さん:04/07/08 06:25
>>948
イギリス租界の多くが1927〜1930年の間に中国に返還されてるぞ
950日本@名無史さん:04/07/08 18:15
27年の漢口のは国民党軍に占拠されて泣く泣く返還したんでしょ。
951日本@名無史さん:04/07/08 18:37
何で南仏印駐留しちゃったの?
日米了解案はうまくいきそうもないと思ってたの?
952日本@名無史さん:04/07/08 19:55
フランスが要請したから
953日本@名無史さん:04/07/08 20:10
>>951
欧米はナチスドイツを敵視していた。
ドイツがフランスを占領。
日本はドイツ占領下のフランス政府(ヴィシー政権)に対し、援蒋ルート遮断の名目で北部仏印進駐の許可を得、日独伊同盟を結ぶ。
その後資源目当てに南部仏印進駐を計り、アメリカに策を講じられABCDをやられる。
日本は意識して欧米との対立を強めていき、包囲網にかけられ追いつめられた。

当時の日本は策もないアホ。
自他の国力を知ってから強気に出ろYO
954日本@名無史さん:04/07/08 21:03
>>953
当時は独ソ戦が始まっていないから
強気に出れたんじゃないの
955日本@名無史さん:04/07/08 21:07
開戦直後の海軍力ならアメリカとタメはれたぞ。…あくまで「開戦直後」はだが。
956日本@名無史さん:04/07/08 22:28
ドイツはソ連を奇襲し数百万のソ連兵を捕虜にし、ソ連の人口ピラミッドを変形
させるほどの打撃を与えた。日本も奇襲でアメリカ兵を100万ぐらい捕虜にすれば、
さすがのアメリカも建て直しには四苦八苦しただろう。
957日本@名無史さん:04/07/08 22:50
>944
軍事板で否定されたヨタを知ったかで書くなよ
958日本@名無史さん:04/07/08 23:31
>>953
いやちょっと違うな、
政府と陸軍海軍、はては彼等に説得された天皇まで、米がそんな強気の行動には出ないだろうと楽観視していたの。
松岡だけはただ一人米が絶対報復処置するからと、必至にずっと止めていたんだけど、
最終的に北進を認める事で妥協しやがって、その結果南仏進駐決定。
案の米ブチギレテ、対抗処置を発表するが、政府は面子のためこれを予定どおり実行
って流れ。
米の対抗処置を聞いて、天皇とか配下に詰問しているんだけど、所詮飾り相手にされなかった。
まあ、松岡を嫌っていた天皇は自業自得というやつだな。

959日本@名無史さん:04/07/08 23:39
958=長賊必死だなw
960日本@名無史さん:04/07/08 23:40
日本を擁護しとくと、米は当時アイスランド、地中海の小国に軍事進駐を繰り返してて、
ある意味日本より酷かったんだよ。
日本もなら漏れも漏れもと進駐を始めたんだけど、フザケンナボケ、なにタメ口きいてんだよ、
日本の分際でデカイ態度とるんじゃねーと切れちゃったンだよね。
日本にしても、フザケルな、おめーらやってるじゃんと、逆に態度を硬化させてしまった点があげられる。
その結果ABCD包囲陣が完成してしまった。

例えば日蘭会商で交渉した分を当時日本は輸入していたんだけど、
(交渉は成立しなかったけど、認められた量までは輸入は可能だった)
この時に契約を完全に廃棄されてしまいましたとさ。


961951:04/07/09 01:05
勉強になります。
じゃあ、アメリカから石油を禁輸された場合に備えて南部仏印駐留したのなら、
実際禁輸されてアメリカに宣戦布告するのは辻褄があってないんじゃない?
当時の日本の外交は。
962日本@名無史さん:04/07/09 01:23
オランダもあほ
何か貰えると思い日本と戦ったくせに
すべてを失い皇国に逆恨み   
お前の亡命政権が日本に宣戦布告したんだろう糞が。
だが私の言っている独ソ戦開始がアメリカを調子づけたというのが
1番の真相だ。日本ドイツ・イタリア・ソ連の同盟
ジブラルタルから横浜まで
フォン・リッペントロップの考え方は良いと思う
また、日ソ中立条約を結んだ日本政府の当時の判断は正しい
まさか独ソ戦が始まるとは誰も思っていなかった
第一仏印進駐はアメリカも認める正当政府同士の決定でしょう
なぜ内政干渉するのか、こんなことを聞いたら日本は独立国ではなくなってしまう
963951:04/07/09 01:36
>>962
仏印駐留はアメリカが容認していたんですか?
じゃあ961の書き込みはまずいな。
964日本@名無史さん:04/07/09 03:31
松岡外相とアンリ駐日仏大使間で松岡・アンリ協定が成立し、北部仏印への日本軍の進駐が受諾されたのが1940年の8月30日。
9月22日に日・仏印軍事協定が成立し、23日は日本軍事進駐。
で、同年の1月4日にアメリカが錫、屑鉄の対日輸出を前年の半額に制限し、6月3日には工作機械の対日輸出が禁止された。
続く7月5日にはルーズベルト大統領が鉱物、化学製品、飛行機部品の対日輸出停止を発表。
同月25日には石油と屑鉄を対日輸出許可品目に加えるが、26日には航空用ガソリンの対日輸出停止。
これらを見ると先に日本を絞め上げ始めたのはアメリカのほうだけど?
965日本@名無史さん:04/07/09 07:42
問題は南部仏印進駐
966日本@名無史さん:04/07/09 08:01
大東亜共栄圏を主唱し南部仏印進駐を煽った松岡が元凶
967日本@名無史さん:04/07/09 11:13
松岡は反対しているだろ。
南進したら、その方が資源が枯渇するといってな。
968日本@名無史さん:04/07/09 11:33
>偏向教育や軍事力と戦争を美化正当化する間違った思想・伝統・歴史観がそこにあったことを意味します。
>これら間違ったものに人間は気づくことが出来、そのとき私達人間は戦争のの悪循環から脱出できます。ok


あと、500年もしたら気づくだろう。
969日本@名無史さん:04/07/09 11:52
>>962
それぞれ主敵がバラバラじゃねーか。使えねーよ、その同盟。
970日本@名無史さん:04/07/09 17:32
南部仏印進駐って翌年の41年じゃん。
40年10月には既にアメリカの屑鉄と鋼鉄の対日輸出禁止が発動してたわけだが。
971日本@名無史さん:04/07/09 23:41
>>957
俺は944ではないし、この件には興味もないが、人並みの羞恥心があるのなら、
〇〇で否定されていたなんて、厨房みたいな発言はよせ。
自分の言葉で否定するか、該当スレを示すか、
参考文献でもあげて否定しろ。
972日本@名無史さん:04/07/10 13:48
『昭和史の論点』(文春新書)

P202 原爆はなぜ日本に投下されたか

半藤 ・・・アメリカが原爆を日本に投下しようと決めたのはいつなのか、・・・中略・・・、
はじめから日本しか考えていなかったという説もある。・・・中略・・・原爆開発計画である
「マンハッタン計画」の総指揮官だったグローブス少将の昭和20年4月24日付の手紙には、
目標は一貫して日本だったと書いてあります。・・・
973日本@名無史さん:04/07/10 14:56
>971
知ったかを指摘されたくらいで逆ギレですか?
974日本@名無史さん:04/07/11 00:44
軍板のやつらは厨房ばかりなのだろうか。
975日本@名無史さん:04/07/11 02:51
軍板はイデオロギーには興味がない連中が多いからね。
そう見えるのかも。
976日本@名無史さん:04/07/11 04:00
ttp://www.tabiken.com/history/doc/O/O201C200.HTM
1908年、日本商船が密輸を企て清に拿捕されたが、逆ギレして日章旗侮辱問題にすり替え、逆に清朝に謝罪させ,賠償金を支払わせた。

ttp://db.gakken.co.jp/jiten/na/403540.htm
対華二十一か条5項 中国政府は日本人の政治・経済・軍事の顧問をおく。警察は日中共同

☆★☆抗日運動の発端になった大きな要因。
☆★☆脱亜入欧した途端、中国に対してこの態度ですか。


ttp://www.glocomnet.or.jp/okazaki-inst/hyakuisan48.html
 それまでの張作霖爆殺、満州事変、第一次上海事変、各種の北支工作等の発端となった事件は、敗戦まではシナ側の挑発による事件と言っていましたが、敗戦後、ことごとく日本軍が仕組んだ事件だったことが白日の下に曝(さら)されています。
 ところが、盧溝橋事件を含む昭和十一、十二年の諸事件には、日本側の秘密工作の気配もなく、東京裁判もこの点は何も問題にしていません。

☆★☆盧溝橋事件の前に、日本は勢力拡大のための工作を繰り返してきたんだね。


ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6515/zibiki/si.htm
第一次上海事変(1932.1-5)
 満州事変から諸外国の眼を逸らそうとして、公使館付武官であった田中隆吉少佐が関東軍の依頼を受けて仕組んだ、日蓮宗系僧侶の中国人による暴行・殺害事件の謀略が発端となった。
 日本は二月、犬養内閣の芳澤謙吉外相のもと上海への陸軍派兵を決定、中国利権を荒らされることをおそれた英米仏三国の大使は芳澤に停戦調停を申し入れたが、芳澤はこれを拒否した。

☆★☆勢力拡大のためとはいえ、やり杉。(汗
977日本@名無史さん:04/07/11 04:01
ttp://www.fps.chuo-u.ac.jp/~hrsk/kisoen/asakura/st_sc_kokusaiseijisi3.html
 日本は、一九二〇年代にはいると、明白な対外膨張政策をとりはじめる。すでに第一次大戦中の一九一五年、日本は中国に対し対華二十一か条要求を提示して中国の反発をかい、一九一九年の五四事件などを引き起こしていた
 一九二〇年代半ば以降の中国への露骨な侵略は、当然、中国の領土保全を定めたワシントン条約に反し、アメリカをはじめとする各国の非難を受けずにはいなかった。急速に高まる国際的孤立とアメリカとの対立のなかで、日本はアメリカを仮想敵国として軍の整備に努める

☆★☆国力に見合わない中国への野心が国を滅ぼしていく。


ttp://www.tabiken.com/history/doc/N/N379L100.HTM
華北分離工作,すなわち華北の第二の満州国化が強行された。これに対して,国民政府は戦争回避の方針をとったが,中国共産党は『抗日救国宣言』を出して,内戦停止・一致抗日の世論を大いに盛り上げた。

☆★☆日本が勝負を仕掛けてますねぇ。内戦停止・一致抗日への方向へ・・・


ttp://okweb.jp/kotaeru.php3?q=891833
政府の外交努力により停戦協定(7月11日)が結ばれていますが、軍部の中国一撃論(中国など1ヶ月で降伏させられる、という考え)に押し切られる形で再び戦闘状態に突入してしまいます。

☆★☆日本は中国をあっさり潰す算段でした。
978日本@名無史さん
ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/6515/Syouwa-kyukenpou/40-Konoe-vol3.htm
 近衛内閣は南部仏印に産出されるゴムと蘭印に産出される石油を欲した。
 そこで北部仏印の兵をさらに南下させようと試みたが、それは列強の植民地へのあからさまな野望を露呈するものであった。
 アメリカをはじめとする各国は国内日本資産を凍結する措置に出たが、近衛内閣は南部仏印出兵を強行した。
 日本の南部仏印進駐を受け、アメリカはついに対日石油禁輸を断行する。

☆★☆国力に見合わない野心のため、遂に石油が確保できなくなる。
☆★☆北部仏印進駐は援蒋ルートを絶つという名目も立ったのに。
☆★☆追いつめられた日本は、アジアを白人から解放と言いだし(笑、東南アジアの資源確保を目指す。