1 :
近藤勇藤原昌宜:
2 :
近藤勇藤原昌宜:04/05/26 12:32
3 :
日本@名無史さん:04/05/26 12:44
子孫の名字はなんだっけ。剣道やってるんだよな。
4 :
日本@名無史さん:04/05/26 13:02
六三四の剣
5 :
日本@名無史さん:04/05/26 13:05
新撰組って人気あるね。俺は不思議なほど興味がわかない。
ほとんど、知識も無いなあ。
イメージとしては、血生臭い人殺し集団。
幕末の混乱期に幕府側に立って一山当てようとした山師達。
苛烈な内部粛清を見ると、とても自分達を正義の志士と
本気で思っていたとは思えん。
6 :
日本@名無史さん:04/05/26 13:46
近藤勇で語ることがあるとすれば何故流山で
降参しちまったのか?ってことかなぁ。
漏れも興味ない。何故か。
8 :
日本のことわざ:04/05/26 13:56
『二兎追う者は一兎も得ず』
9 :
日本@名無史さん:04/05/26 16:23
『一兎を追う者は二兎を得ず』
10 :
日本@名無史さん:04/05/26 17:11
『されど空の高さを汁!』
もう新選組、幕末関連のスレ立てんなよ…
>>6 降参したわけではないだろう。あくまで、投降。
近藤芳助の言説が真実なら、近藤勇に投降を勧めたのは土方だ。
二人の話し合いの結果、近藤勇は投降したようだが、この時点で
果たして近藤勇はこの投降が自分を死に至らしめると認知していたのだろうか?
認知していたのなら、「降参」になるのだろうが、そう思っていなかった
のなら、「降参」とは言えない。
近藤勇の斬首には土佐藩の強硬派によって行われたものであり、
流山で近藤らを囲んだ官軍の代表者が薩摩藩の有馬であった事を
考慮すると、近藤が投降を決めた時点では死に至るとは思っていなかった
可能性は高いと思う。薩摩側は一貫して近藤の早期処刑に反対している。
護送の途中、近藤が述べた言葉
「誠にもって恐縮いたす。どうか私の一身は貴殿にお任せいたすから、勝手におとり扱いください。この上はいかなる処分にあっても、思い残すことはござらぬ」
有馬藤太の証言より
14 :
日本@名無史さん:04/05/27 00:13
最近、流山から出てきたらしい「恩田家文書」によると、
流山で戦闘があった事が記されている。
官軍との戦闘の結果の投降なら、「降参した」と言えるのでは?
15 :
日本@名無史さん:04/05/27 00:22
隊士は誰もついこなかった。
16 :
日本@名無史さん:04/05/27 00:24
17 :
日本@名無史さん:04/05/27 00:31
>15
おもろい。
秋山香乃の「近藤勇」は6月15日発売だそうな
19 :
日本@名無史さん:04/05/27 12:00
>>6 投降つーのは敵に降参することだよ。
おれは近藤はさんはあくまでも敵意は無いって事を談判するつもりで
敵陣に赴いたって思うけど・・・幕臣大久保大和としてね。
本当に幕臣大久保某ならわかるけど、新撰組局長近藤勇の行動としては
浅はかであり甘過ぎという気がするね。甲陽鎮撫隊では一度官軍と戦ってるし。
まあ、切腹するとかしないとかいろいろ話があるからわからんけど、
結果からみると、近藤さん流山で何したかったの?と問いたい。
20 :
日本@名無史さん:04/05/27 12:12
単純に逃げてて、追い詰められて、進退、極まって
自害するの怖くて、投降すりゃ助かるかもと思ったんじゃないの?
違うの?
21 :
日本@名無史さん:04/05/27 12:18
>>20 自害するのが怖かったのなら、そもそも切腹しようなんてしないでしょ。
22 :
日本@名無史さん:04/05/27 12:39
切腹するてわめいてれば必ず止めてもらえるからねぇ
ホントに腹切るなつもりならすぐ行動にうつせばいいのになw
23 :
日本@名無史さん:04/05/27 12:45
まあ近藤勇の名を自分から出さなかったのも死ぬのが怖いからで
24 :
日本@名無史さん:04/05/27 12:47
>>5 >イメージとしては、血生臭い人殺し集団
じゃあ、今の警察官も同じイメージだろうな?
25 :
日本@名無史さん:04/05/27 12:49
26 :
日本@名無史さん:04/05/27 12:51
27 :
日本@名無史さん:04/05/27 12:56
>>26 ん?
とりあえずソース出してもらおうかw
28 :
日本@名無史さん:04/05/27 13:00
どうせ女だろ
>>26 久しぶりにわかりやすい脊髄反射みた
>>19 >結果からみると、近藤さん流山で何したかったの?と問いたい。
近藤はもう江戸には居られないから流山に移動したんだろ?
近藤が土方らと一緒に居た現在の足立区内あたる五兵衛新田
に集結してきた幕臣達の人数がある程度まとまった事、官軍の
東山道軍宇都宮斥候隊が4月1日に千住に布陣した事などの影響で
とりあえず江戸から離れた方が良いと判断したのでは?
江戸博物館の新選組展で松本良順が五兵衛新田にいる近藤に
持参した松平太郎の意向を伝える手紙が展示されていたが、
松平太郎は五兵衛新田から動くな!と諭しているんだよな。
それを振り切って、あえて流山へ移動したのはどう考えても
集結した兵が暴発して東山道軍との戦闘に発展し、江戸が混乱する
事を恐れたからじゃあないのかな?
30 :
日本@名無史さん:04/05/27 13:07
>>29 案外この長文バカが26じゃねぇ?
あわててsageてるしw
31 :
日本@名無史さん:04/05/27 13:27
>>30 案外この粘着バカが28じゃねぇ?
くだらない煽りをageてるし(w
カマって君は女嫌いですか?
近藤は勝海舟が無血開城する事を知っていたのかな?
どうも、当時の幕府軍関係者の動きを見ていると、承知の上だったフシがあるね。
33 :
日本@名無史さん:04/05/27 13:36
武士の生まれでも、育ちでもない、剣の腕だけが頼りの
ただのゴロツキ集団のかしらですよ。
鉄の規律の武闘集団を組織したのだけは認めますけど、
それは土方の能力ですからな。
リーダーとしての度胸はあったんでしょう。
でもそうだったら、最後も潔く迎えて欲しかったですねえ。
34 :
日本@名無史さん:04/05/27 14:21
>>32 近藤が五兵衛新田に到着したのが江戸開城会談当日の3月13日だったとか、
永倉や原田が前日12日には江戸から離れているとかを考えると、
知っていたと考えるのも方が自然かな。
35 :
日本@名無史さん:04/05/27 14:41
知っていたなら、その行動はおかしいだろw 商談が決裂すれば戦争ですよ。 あっ!永倉・原田は逃走か
>>34 うん、やっぱり皆、ある程度知っていたのだろうな。
大鳥圭介などの動きを見てもそう思う。
ましてや、近藤は主戦派の幕軍の人間を五兵衛新田受け入れていたのだから、
本当に戦う気があったのなら五兵衛新田で挙兵しても良かったはず。
当時の幕府の動きに不満を持つ者達をとりあえず江戸から遠ざける
役目を意図的に担っていたと考えてもおかしくない。
38 :
日本@名無史さん:04/05/27 16:16
39 :
日本@名無史さん:04/05/27 16:18
>>37 そう仮定すると、近藤さんは幕臣である自負が強かったということかなぁ。
幕臣である以上は、お上の総意には従わねばならぬって考えで投降という筋書きで
納得できなくはないかな。
大砲打つ練習したり兵士募集したのは、万が一会談決裂で開戦になったときの
備えと言う理由で。
>本当に戦う気があったのなら五兵衛新田で挙兵しても良かったはず。
問題は戦う理由だと思うんだよね、甲陽鎮撫隊のときは甲府100万石という
恩賞目的があったが、流山で戦ってもそういった恩賞もない、
今後は幕府からの援助・援護も期待出来ない状況を判断した末に絶望感に襲われ・・・投降かなぁ。
40 :
日本@名無史さん:04/05/27 16:22
>>25 2000.12 警察の音楽隊員が殺人
妻子ある警察音楽隊の警部補が、同量の女性警察官に交際を迫り、断られた為、彼女を殺害し、みずからも首吊り自殺。
41 :
日本@名無史さん:04/05/27 16:30
組織的粛清と突発的殺人の区別もつかない>24がいるスレはここですか?
42 :
日本@名無史さん:04/05/27 16:40
>>40 おまえバカだねぇ
こんなんなら書かない方がよっぽどマシ
2000.12 警察の音楽隊員が殺人
妻子ある警察音楽隊の警部補が、同量の女性警察官に交際を迫り、断られた為、彼女を殺害し、みずからも首吊り自殺。
44 :
日本@名無史さん:04/05/27 16:42
甲陽鎮撫隊の行軍の時、「私が100万石の太守となったら、そこもとには五万石、
そちには三万石で召抱え、うんぬん・・・」
これ、芝居じゃないでしょ。本気だったと思われ。
大局なんぞかけらも見えない、真性・・だと思われ・・・。
45 :
日本@名無史さん:04/05/27 16:42
ここは笑えるスレだね
46 :
日本@名無史さん:04/05/27 16:49
>40
お前、なんか凄いなあ。
どこまで、冗談なの、釣りなの、本気なの?
冗談なら冗談であるていど分かる様にしとかんと、まずいぞ。
それ読んで頭が、グラングランしちまったぞ。
47 :
日本@名無史さん:04/05/27 16:54
2000.12 警察の音楽隊員が殺人
妻子ある警察音楽隊の警部補
>>24が、同量の女性警察官
>>1に交際を迫り、断られた為、彼女を殺害し、みずからも首吊り自殺。
48 :
日本@名無史さん:04/05/27 21:44
>>39 流山の投降自体は、官軍側から首領が出頭するように要請があったからじゃなかったっけ?
>>39 甲府100万石という恩賞の話は永倉の証言によるものだが、
当時の状況を考えると、とてもじゃないが信用出来ない。
甲府が取れれば末端の人間もその恩恵に預かれる…というニュアンス
で、烏合の集まりである甲陽鎮撫隊の士気を高め結束させる為に
隊内で流布された事ではなかったのか?
逆に言えば、そういう全く信用出来ない情報を流す事も永倉・原田らが
袂を分かつ原因の一つになったと思う。
そもそも、官軍と戦う、或いは甲府攻めであるなら「鎮撫隊」を名乗る
必要性はない。この点で恩賞の話と矛盾している。
50 :
日本@名無史さん:04/05/29 09:25
それより、甲陽鎮撫隊失敗後、五兵衛新田に入るまで期間、何をしていたのかが気になる。
五兵衛新田には、近藤の方が土方より先に着いてるのも気になる。
近藤と土方は必ずしも一緒に行動しているとは限らない。
甲府の時も別行動だったし。
>>49 なるほど、「隊内で流布された事ではなかったのか?」の推測は
胴衣できますよ。
もし、よろしければ「「鎮撫隊」を名乗る必要性はない。」という部分の解説を
お願いしまつ。
>>52 「鎮撫」という単語の意味は、乱を静め民を安じる事。
戦闘目的を明確にした軍に付ける名前ではない。
甲陽鎮撫隊と同時期に信濃鎮撫隊なるものが存在したが、名目上は
一揆の取り締まりの為だった。勝海舟は江戸に会津の脱走兵がウロウロ
すると無血開城に響くと思い、脱走兵の働き口として信濃鎮撫隊を
組織させた。
また、若年寄・大久保一翁は甲陽鎮撫隊の目的を(一揆を起こしそうな)
百姓らの鎮撫の為と言っている。
つまり、甲府城を押さえる事を主名目とはしていない。
54 :
日本@名無史さん:04/05/31 10:22
近藤の助命のために相馬に持たされた勝海舟の松濤権之丞あての書簡は
幕臣や脱走兵が騒ぎを起こさないように鎮撫すべしという内容だね。
鎮撫隊にこういう要素が全くなかったら、勝はこの手紙を近藤の助命に
使う事をしなかったんじゃないの?
55 :
日本@名無史さん:04/05/31 11:39
今宵の小鉄は血に飢えておりまつ。
56 :
日本@名無史さん:04/05/31 11:51
57 :
日本@名無史さん:04/05/31 12:38
しかし、なんで流山なんだろう?
なんも無い所だよ。武蔵野線しか無いし。
松戸なら常磐線・千代田線・新京成って便が良いのにね。
伊勢丹もあるし、マツドナルドもある
>>53 ありがとうございます、信濃鎮撫隊の話しも面白いです。
これから自分でも少し調べてみます。
59 :
日本@名無史さん:04/05/31 13:47
なんつーか、甲陽鎮撫隊の事が斬首された近藤の罪状の一つになっていたのに、
甲陽鎮撫隊を命じた大久保一翁はその後は知事やったり子爵になったりして
いるのを知ると、近藤に同情心が出てくるねぇ…。
いくら新撰組に竜馬暗殺の嫌疑がかけれれていたからとは言え、実際には
竜馬を殺してない様だし、近藤ってつくづく冤罪なんだな。
60 :
日本@名無史さん:04/05/31 13:50
その字はじゃりんこの小鉄やんけ、っつう突っ込みがなかったのが無念。
まぁでも近藤の虎徹、実は清麿だったんだよね。
61 :
日本@名無史さん:04/05/31 13:52
62 :
日本@名無史さん:04/05/31 16:45
>>57 流山の鉄道の敏が悪いのは、鉄道を通す時点で既に成熟した商都だったかららしい。
江戸時代は江戸川を使った物資輸送の一大拠点で、みりん醸造で有名だったそうな。
近藤や土方も確か流山では酒蔵にこもってたはず。
「大久保大和」という名前は大久保一翁と関係あるの?
ついでに、「大和」というのは、やっぱり内藤「隼人」と対になってる?
ヤマトとハヤトなんて、申し合わせたような名前じゃ!
64 :
日本@名無史さん:04/05/31 18:26
65 :
日本@名無史さん:04/06/01 02:29
>>5 新撰組が正義かどうかは知らんが、殺した相手が
悪党わがままのテロどもだから、新撰組が
最近は同情されているんだろw
戦前軍国主義教育を受けたじじいに新鮮組みが人気がないのは
ある意味仕方ががないなw
釣り師にとってwの多用は許されない
釣り死?
歴史オタなど釣ってもつまらん!!!wつまらん!!!!!www
>>57 松戸より流山の方が会津に近い。
ちょっとだけねw
69 :
日本@名無史さん:04/06/02 11:46
>>58 信濃鎮撫隊を率いたのは函館で土方・榎本らと一緒だった高松凌雲の
実兄・古屋佐久佐衛門。この兄弟も農民出身。
70 :
日本@名無史さん:04/06/02 12:37
>>62 流山は江戸川水運と日光街道の裏道があったから、常磐線を敷いた時に地元が大反対して結局柏方面に線路が延びていった。
71 :
日本@名無史さん:04/06/02 13:07
流山に日光街道の裏道?ねーだろw
水戸街道の間違いだろ
72 :
日本@名無史さん:04/06/02 13:52
近藤が流山で陣を張った場所って、本当に江戸川のそばだね。
本当に何で流山なのかな?街道と関係あるのか?
73 :
日本@名無史さん:04/06/02 13:57
74 :
日本@名無史さん:04/06/02 14:18
近藤って確か昼間は下着屋で働いていたんだよね。
75 :
日本@名無史さん:04/06/02 16:55
76 :
日本@名無史さん:04/06/02 17:12
流山インターは外環では無く常磐道では?
77 :
日本@名無史さん:04/06/02 21:19
>>53 結城無二三の証言では、甲陽鎮撫隊は永井(玄蕃頭)尚志の計らいによる
もので、永井が準備を全て整えたという事になっている。
或いは、隊の名前をつけたのが永井であったとも。いまだ真偽不明。
78 :
日本@名無史さん:04/06/03 08:24
甲陽鎮撫隊には松本良順もカネを出してるな。
79 :
日本@名無史さん:04/06/03 10:04
>>76 甲府→中央道→外環→常磐道→流山
これが隠された歴史の真実
80 :
日本@名無史さん:04/06/03 10:33
中央道と外環は繋がってません。
中央道→首都高(4号新宿線)→首都高(5号池袋線)→美女木JC→外環→三郷→常磐道→流山
首都高から美女木経由より、箱崎→加平を抜けて三郷に行ったほうが500円安い
81 :
日本@名無史さん:04/06/03 10:46
>>80 撤退した幕軍が江戸城にあふれ返っていたから、
首都高は三宅坂あたりで渋滞で全く動けなくなる。
下高井戸インターで降りて環八北上し、大泉に至ったんですな。
これが隠された歴史の真実
82 :
日本@名無史さん:04/06/03 11:11
環八も混んでるだろ。
83 :
日本@名無史さん:04/06/03 11:20
>>82 それは現代の話だろ?
幕末当時は田んぼしか無かった。
84 :
日本@名無史さん:04/06/03 11:47
当時の話しなら中央道すら無い
86 :
日本@名無史さん:04/06/03 11:59
>>85急に当時の話しに戻すなっつーこと。
話しの流れも解らんか?
>>86 話の流れから言えば、首都高が渋滞なのは
>>81の通り撤退した幕軍が溢れていたというのだから、
田んぼしかない環八が込んでいるのは、落ち武者狩りの百姓どもが集まってるとか、そういうなんっつーか、
・・・もういいや。
88 :
日本@名無史さん:04/06/03 13:00
>>87 環八は田んぼで、首都高は田んぼでは無いって設定なのかい?
環八が混む理由ねぇ〜
江戸から逃げる庶民で渋滞中でつ
89 :
日本@名無史さん:04/06/03 13:06
>>88 三宅坂インターあたりは江戸城の内堀あたりだぞ。
90 :
日本@名無史さん:04/06/03 14:05
なんの話しだよw
北上し、弘道館の慶喜に面会するつもりだった。
92 :
日本@名無史さん:04/06/03 14:10
それで、近藤は流山から板橋までどう移動したの?
93 :
日本@名無史さん:04/06/03 14:14
ローラーブレード
94 :
日本@名無史さん:04/06/03 14:17
シャ〜シャ〜いってました。
95 :
日本@名無史さん:04/06/03 14:56
>>92 流山(総武流山電鉄)→幸谷(徒歩)→新松戸(常磐線)→北千住(千代田線)
→西日暮里(山手線)→池袋(埼京線)→板橋→斬首
という流れでした
96 :
日本@名無史さん:04/06/03 15:35
>>95 不謹慎にもワラタ
徒歩っていいな、徒歩って
97 :
日本@名無史さん:04/06/03 17:22
資料によると、当初は斬首の予定では無かったらしい。
埼京線で痴漢をして捕まり、その後に斬首とされてる事から考えても、官軍側も重く受け止めたのであろう。
尚、被害にあった女性は「数人に囲まれて触られた」「皆、同じ格好だった」と証言しており、近藤を置いて逃走したとの事。
数ヶ月後に会津の飯盛山で「同じような格好をした集団を見た」との資料も残っている
98 :
日本@名無史さん:04/06/03 17:27
飯盛山は白虎隊
>>97 おもしろいだけに惜しい。
飯盛山じゃなくて母成峠にしる!
>>95 正確に言うと近藤は、山手線で池袋を乗り越してしまい、新宿まで行っている。
目をつけていた女子高生が降りなかったからだ。
新宿駅を目前に意を決して、女子高生のミニスカートに手を伸ばした途端、官軍に取り押さえられたのだ。
この事件を期にこの土地を、近藤の変名より「新大久保」と呼ぶようになった。
101 :
日本@名無史さん:04/06/03 19:01
>>97 目撃者の証言によると
近藤はホームで女性に胸ぐら捕まれながら、逃げていく「仲間」と思われる数人のグループを、右手を握りしめ口の中に入れながら「唖然」とした態度で見つめていたらしい。
102 :
日本@名無史さん:04/06/03 19:10
尚、
近藤は取り調べの際に数人で囲んだ事を素直に認め「一人に対して数人で襲う。これは我々の必勝戦法である。」と証言しており余罪があったとの説もあります
103 :
日本@名無史さん:04/06/03 19:53
>>100 新大久保・・・。
近藤も死して名を残したか。合掌。
104 :
日本@名無史さん:04/06/03 20:07
新大久保か
今のチョン共を呼び寄せたのはチョン気質の奴だったんだな
105 :
日本@名無史さん:04/06/03 21:01
と、チョンが申しております。
>>91 それだ!蟄居の慶喜を警護にでも行く気だったのかもしれん。
講武所入りの件を一方的に取り止めされたのに、それでも幕府に愛想尽かさず、
尊王思想を持ってるのに志士を殺しまくった、
愚か者。
109 :
日本@名無史さん:04/06/09 22:03
>>108 >講武所入りの件を一方的に取り止めされたのに、それでも幕府に愛想尽かさず
まさに「人物」ですなぁ〜。
110 :
日本@名無史さん:04/06/09 23:01
もぉ爆笑〜〜
>>108 だからなんとしてでも武士になりたかったんだよ。
最後は武士階級に上がり、旗本になった。
ここは勇マンセースレ?
113 :
日本@名無史さん:04/06/10 09:36
>>108 そもそも浪士組に参加した頃は後年ほど幕府に愛着は持って
いなかったと思われ。
少なくとも近藤は憂国感情を浪士組参加の理由としている。
だから、天誅の名のもとに国情を不安にさせる連中を取り締まるのも
なんら矛盾しない。
志士側から言わせれば、弱腰外交で国情を不安にした幕府に対し
非難活動を行ったのは正道であって、
どちらも都合の良い建前論にすぎない。
>>114 だから、近藤のように国難の時こそ天皇が幕府と協調し、武門の長である
幕府を皆で支え団結して外国と対峙すべきという立場にとるか、長州系の
志士達のように幕府では外国を追い払う事が不可能であるから役立たずは
潰して、自分達が外国と渡り合って国難を乗り切るという立場にあるか、
その立場の違いだけであって、出発点が憂国の情であった事は同じなんだよ。
だから、
>>108みたいな表面をなぞっただけのような見方で「愚か者」と
断罪する事は、あまりにも浅いと思うわけだ。
>>115 >出発点が憂国の情であった事は同じなんだよ。
それは同意ですよ、でも純粋にそれだけじゃあないでしょ、
立身出世という野望がともなっていた筈、身分の低い者ほどね。
別にそれが悪い事でもないですし。
>>116 >立身出世という野望がともなっていた筈、身分の低い者ほどね。
それも別に近藤一人に限った事ではなく、薩長土側にも当てはまる事。
俺も別にそれが悪いとは思わないよ。男なのだから。
結局は、どちらの側に居たか?という事でしかないと思う。
勝った側にいたか、負けた側にいたか。
負けた側にいたにも関わらず、こうやってドラマや小説や漫画に今も
取り上げられ続けるのは、何か人に訴えるものがあるからだろう。
118 :
日本@名無史さん:04/06/11 19:02
>>6 流山で近藤が降伏したのは、既に戦意を失ったからという説あり。
特に肩に銃弾が入り、剣が振るえなくなったということは、
彼の武士道の終わりを意味し、戦意喪失に十分だったと思われ
119 :
日本@名無史さん:04/06/12 11:44
>>115 悪いが近藤にそんな思想は皆無だよ。
多摩出身だから佐幕なだけで、立身出世を目指してだけ。
現に、京都では尊王攘夷を捨て、幕末の混乱に便乗して立身出世の為の働きしかしていない。
それを嘆き脱走したのが山南。
>>119 近藤からは、そんなギトギトした出世欲は感じられないな〜。
忠臣蔵の大石内蔵助を崇拝していたらしいし。
それに出世をそんなに狙うなら、清河や伊東で、維新側にもコネつくると思われ。
たぶん、忠義と出世を夢見る時代遅れの馬鹿な人ってとこ。
121 :
日本@名無史さん:04/06/12 12:52
>>120 すごい論理でつねW
維新側にコネを作ってどうするのかね?
近藤の野心は大名に成ること。
思想など皆無でありまする。
また、野心あっての忠義とも考えられまするぅ〜
122 :
日本@名無史さん:04/06/12 13:03
>>121 伊東甲太郎は、維新側に入って出世すべき人材だったし、それを狙ってた。
事実、元御陵衛士(伊東派)の生き残りは新政府に入っている。
近藤が立身出世を考える賢い人間なら、伊東や清河のような行動が少しはあるはず。
そのような人間は、幕府側にも多かったと思われる。だが幸か不幸か近藤には、
そのような立身出世は考えられなかったようだ。ところで
>近藤の野心は大名に成ること。
ネタ?
123 :
日本@名無史さん:04/06/12 13:21
近藤はガンダムMk.Xに乗りますよ
124 :
日本@名無史さん:04/06/12 13:42
>>122 近藤はあくまでも佐幕ですよ。
しかも伊藤が新撰組に来た当初は倒幕など夢の話し。
非現実的な維新側に近づく意味はないのよ。
清河・伊藤は尊王攘夷って思想の為に動いた人間。
倒幕が成ったって結果ありきで語るのはナンセンス。
それと、近藤は立身出世を考えていたが賢くは無い。
甲陽鎮撫隊のマヌケ話は笑える
訂正
伊東甲太郎→伊東甲子太郎
>>124 同意。
127 :
日本@名無史さん:04/06/12 14:14
新見 錦(にいみにしき) 【新撰組副長】
生没年月日 天保7年〜文久3年8月(1836〜1863)享年28歳 出身地 常陸国水戸
文久3年に幕府の浪士募集に応募、浪士隊三番組小頭となる。
同年2月に浪士隊の一員として上洛するが、隊の江戸帰還に反対し、芹沢鴨や近藤勇らと京都に残留し新選組の創設に参加。
新選組の第一次編成時には局長に就任するも、同年6月の第二次編成時には副長に降格。
永倉新八によれば、新見は隊規を破り、ことに乱暴が酷く、近藤、芹沢が説得しても一向に聞き入れなかったので、
ついに一同の結論として切腹させた。彼の墓は無く、壬生寺にある田中伊織銘の墓が新見のものと伝えられている。
新見錦銘で霊山護国神社に祀られており、勤皇活動を展開していた長州のスパイとの説もある。
128 :
日本@名無史さん:04/06/12 14:49
局長 芹沢鴨(せりざわ かも) 【新選組局長】
生没年月日 不詳〜文久3年9月18日( 〜1853) 出身地 常陸国水戸芹沢村
水戸の郷士で、水戸天狗党の武田耕雲斎に師事していたと言われる。壬生誠忠浪士組(のちの新選組)を結成し、筆頭局長となった。
勇猛果敢で剣の腕も立ち、学もあり人望もあった。
文久3年浪士組上洛に参加。
浪士組本隊が東帰するときには近藤勇らと残留し、清河八郎と対立。
壬生浪士組の新選組の母体となった。
筆頭局長は芹沢で近藤の上位にあったが、朝廷を第一の水戸派の芹沢と幕府直轄地の近藤では考え方が違った。
芹沢は上洛から7ヵ月後の文久3年9月18日、屯所八木邸で就寝中に近藤派の刺客に襲われて絶命。
享年数え34歳。
芹沢にくらべれば近藤が出世や幕臣取り立てに拘った面がある。
130 :
日本@名無史さん:04/06/13 08:20
近藤はなぜ方々で好かれたのだろう?
131 :
日本@名無史さん:04/06/13 09:47
近藤には、少年のような律儀さと人の良さはあった。
しかし、時代を見る力や裏社会にはうとく、
土方に押し上げられて当時の近藤が出来上がった。
すわりの良い人形みたいなもんだな。
そう言うイメージが出来たのって燃えよ剣以降でしょ
下澤の著作だとそこまで土方ってクローズアップされていないし
133 :
日本@名無史さん:04/06/13 23:26
子母澤でした・・・ ハズカシイ
134 :
日本@名無史さん:04/06/14 08:11
近藤は誰に好かれたの?
135 :
日本@名無史さん:04/06/14 10:33
>>118 肩に銃弾を受けたのは京都から大坂に移動中の話であって、
その後江戸に戻って甲州戦線等でも戦っている。
その頃の近藤は池田屋とは違って単騎で敵陣に
乗り込むなんて真似はしないよ。
馬上で指揮ができれば十分だ。
それに流山に着いた頃は、松本良順の手当ても受けて、
傷の痛みはかなり癒されていた時期だ。
だからその説は説得力が無いと思われ。
136 :
日本@名無史さん:04/06/14 10:43
正体がバレてないと思ったんだろ
137 :
日本@名無史さん:04/06/14 11:10
>>136 その説もおかしいな。
有馬藤太が近藤を知らなかったとしても、
官軍の陣営に行ってしまえばいずればれる事は確実。
しかも近藤は投降したその日に辞世の句を作っている。
すでに死は覚悟していたと考えるのが妥当でしょう。
138 :
日本@名無史さん:04/06/14 11:15
139 :
日本@名無史さん:04/06/14 11:19
>>138 済むわけねぇだろ。
あれほど長州に恨まれてるんだから。
いい加減な思いつきだけの書き込みやめれ
140 :
日本@名無史さん:04/06/14 11:20
>>139 バレてると思ってないんだからしゃーない
141 :
日本@名無史さん:04/06/14 11:21
>>137 詳しそうだね。なんか、好きな説立ててみて〜
ありゃ、粘着されてますね。
143 :
日本@名無史さん:04/06/14 11:39
>143
なんで本人が出頭したんだろ。替え玉使えば、ばれないのに。
騙すにしては幼稚な・・・
>>141 自分は土方を逃すための時間稼ぎではないかと思ってます。
有馬藤太の談話では、
官軍の有馬に、これから準備をしてくるからしばし待ってくれるように告げ、
近藤は流山の陣に一旦引き上げたのだが、数時間経ってもなかなか戻ってこなかった。
痺れを切らした有馬が数名を連れて近藤の陣を訊ねると、
近藤は悠々と「これはこれは」と言って出迎え、そこから悠々と仕度を始めたと言います。
これは少しでも時間を稼ぐための行為では無かったかと思います。
そして投降すれば、本営までの移送や取り調べで近藤であると判明するまでにかなりの時間が稼げます。
戦闘になれば、兵器に勝る官軍には勝てない事は、鳥羽伏見や甲州戦で骨身にしみています。
土方も江戸に引き上げた後「もはや剣や槍で戦争は出来申さん」と言っていたそうですから。
すると、体制を立て直し、銃器などを整えた上でなければ再戦しても勝ち目が無い。
以上より、近藤は後を土方に託して投降したのだと思うのですが、どうでしょうかね?
>>145 う〜ん。今生の別れの逸話が無いことが悔やまれるねー。
147 :
日本@名無史さん:04/06/14 12:16
148 :
日本@名無史さん:04/06/14 12:47
>>145 小説の世界だな。
新撰組にも鉄砲ありますよw
149 :
日本@名無史さん:04/06/14 12:50
>>148 幕軍の鉄砲はゲベール銃が主流でしょ。
火縄銃と変わらないの。
一発撃ったらお終いで、後は切り込みだよ。
150 :
日本@名無史さん:04/06/14 12:52
151 :
日本@名無史さん:04/06/14 12:54
だいたい、近藤が剣や槍で戦が出来ないとどの時点で悟ったのかね
152 :
日本@名無史さん:04/06/14 12:57
>>150 数が問題なんですよ。
流山での新選組と言えるのはわずかに二十数名。
あとはほとんどが弾左衛門という親分から借りた配下のヤクザ達。
この人たちは銃の担ぎ方も知らなかったんです。
153 :
日本@名無史さん:04/06/14 13:04
>>152 そんな事は、流山に布陣する以前から気づいてると思いますよ。
幕軍が流山に攻めて来てから逃げる時間を稼ぐなんてオカシイだろ
154 :
日本@名無史さん:04/06/14 13:10
>>153 まあ、戦になってしまった経緯は詳しくは知らないんですけど、
とにかく戦になって負けてしまった。
近藤は切腹しようとしたが、ここで切腹しては犬死にだと土方に止められたのは本当らしい。
すると、どうせ死ぬなら土方等を逃す為に・・・・っていう事じゃないですかね?
155 :
日本@名無史さん:04/06/14 13:11
>>154 はぁ?どこで戦になったの?
史実がめちゃめちゃ
156 :
日本@名無史さん:04/06/14 13:14
>>155 あ、違った。勘違い。
流山では、部隊のほとんどが野外練習のため出払っていて、
応戦することができなかったんですね。
そんで、近藤が投降、土方逃亡という流れです。
157 :
日本@名無史さん:04/06/14 13:33
158 :
日本@名無史さん:04/06/14 13:40
159 :
日本@名無史さん:04/06/14 13:49
>>157 近藤が剣で戦えないと悟っていたなら、流山に布陣する必要もない。
また、幕軍が来てから逃走するのもおかしい。
160 :
日本@名無史さん:04/06/14 13:50
161 :
日本@名無史さん:04/06/14 13:53
>>159 反論はありますけど、ここでは流山布陣の経緯はあまり関係ないではないですか?
とにかく布陣し、官軍と向き合ったが、部隊のほとんどが野外練習のため出払っていて、応戦することができなかった。
近藤は切腹しようとしたが、どうせ死ぬなら投降し、土方逃亡の時間を稼いでやろうとした。
という事ですよ。
162 :
日本@名無史さん:04/06/14 13:56
>>161 あれ?
剣や槍で戦えないって話しは何処に?
近藤が切腹しようとした?妄想だね
163 :
日本@名無史さん:04/06/14 14:03
>>162 新撰組往時実戦談書 という本に書いてあります。
164 :
日本@名無史さん:04/06/14 14:06
165 :
日本@名無史さん:04/06/14 14:11
166 :
日本@名無史さん:04/06/14 14:19
>>165 有力だから正しいとは、限らないと思われ。どうせ証拠にそれほど差がないし。
>>162 145はあくまで好きな自説を述べただけ。 無粋だよ。
168 :
日本@名無史さん:04/06/14 14:23
>>166 君の説は無理があるのに気づかないとは・・・
169 :
日本@名無史さん:04/06/14 14:30
>>167 どうりで論外な訳だな。
付き合って損した
170 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:06
>>162 >>164 少なくとも私の妄想では無いという事です。
私たちは資料を元に推測するしか無いのですから。
ここは近藤勇を蔑むスレですので、資料は必要ありません
172 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:17
173 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:19
なんだ自説って?
てか、有力な説は書きましたよ
174 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:20
175 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:24
どうありえないのかね?
176 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:28
2点の矛盾があると思う。
@薩長軍に投降して近藤の正体がばれない訳が無い。
A近藤の投降が無くとも土方達が脱出できたなら、近藤も一緒に脱出している筈だ。
177 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:32
>>176 @ 何故ばれない筈が無いのか根拠が皆無ですよ。
A 逃走する予定なら、幕軍が来る前に会津に向かってます
178 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:36
>>177 @多数の新選組の脱走者が薩摩に寝返ってます。
A戦いに敗れた(実際は戦わずに降参)から逃走したんですよ。
179 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:36
180 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:41
>>178 @それを近藤は知ってましたか?流山に近藤を知る人間が来てましたか?
Aその通りだと思いますよ。
181 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:43
因みに、この時の近藤の変名は大久保
182 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:45
>>180 そりゃ知ってますよ。
例えば高大寺党の生き残り等ね。
183 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:50
>>182 いやいやw
その時期の隊士なら近藤が変名を使って流山にいる事は知りませんから。
てか、流山で正体がバレテなければ、流山で近藤の軍は解散するだけで済みますから。
>>179 その後の土方達がやった勝海舟を通した救出活動見れば
近藤の正体が割れてないことを前提に動いていますな
185 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:54
>>183 降参した敵将をそのまま野放しにするわけ無いでしょう。
本陣に連れて行って検分するのが当然。
解散だけって・・・・。
それじゃぁ、またすぐに敵軍になっちゃうでしょうが。
知識など無くともちょっと考えればわかるでしょうに。
186 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:56
>>184 逆に言えば、正体がばれないと思っているなら、
救出活動など必要が無いわけですよ。
そのうちばれると思っているから、その前に救出しようとした訳でしょう。
>>176 近藤の身元がばれてないとしても
またはあそこにいたのが近藤で無いとしても
責任者の出頭なしに処分はできないので2は土方を逃がすためかどうかとは関係ない
188 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:57
近藤が流山で投降したのは、官軍との戦いに耐えられなくなったからだろ。
平素大将気取りをする人物ほど劣勢になると弱いものだ。
部下のことも考えず、己一人が楽になるために投降しやがった。
189 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:58
>>185 全く当時の戦局を理解してないんだねw
官軍が江戸の治安維持を幕軍が行うのを認めていたのを知らないのかな?
>>185 まだあの時期の新政府軍は関東周辺の鎮撫を強圧的に行っていません
だから単なる徳川家ゆかりの集団なら武装解除と解散ですみます
191 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:58
>>188 = 司馬史観の被害者
ソースは燃えよ剣だろ?
192 :
日本@名無史さん:04/06/14 15:59
>>190 だったら、なんで近藤は武装解除ですまなかったの?
193 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:00
>>186 その内ばれる可能性ぐらいは思い当たっただろうが
ばれていると思って投降したこととは関係ないな
>>192 捕まってから調べたら単なる徳川家の人間じゃなかったから
196 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:02
>>195 捕まえる以前から近藤って情報をつかんでましたよ
>>196 はっきりした確証は無かった
だから調べた
ところで問題にしているのはなぜ近藤の正体はばれたかではなくて
近藤が投降する時に正体がばれているまたは簡単にばれる考えていたかの方だと思ったが
新政府軍がどこまで知っているかの話じゃないでしょう
198 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:05
>>197 そこで騙しとおせると思ってるなら、近藤はかなりの馬鹿だな。
199 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:07
>>197 近藤からしてみれば「バレる筈が無い」って感じ。
変名も使い、隊旗すら見られいないのだから
200 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:10
201 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:10
勇み足
202 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:15
流山で官軍に包囲されてたのに、どうして土方達は逃げられたの?近藤も一緒に逃げればよかったのに。
>>200 近藤は広島出張のときも遺書を書いてますよ
>>202 新政府軍もまだ大きな勢力ではないので
全員捕縛という荒っぽいことはできない
だから責任者のみの出頭になった
>>204 覚悟があったことと死ぬと思っていたことは全然違いますな
207 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:18
208 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:19
>>200 あの〜
投降する以前の話しを書いたんですが・・・。
捕まったら正体がバレることぐらい解るだろ。
少しは頭を使いましょ〜
209 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:19
>>205 いやいや、近藤と土方の二人捕まえればいいじゃないですか?
210 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:21
>>208 だから何度も言ってるだろ。
投降したらいずれ正体がばれる事がわかっているのに、
近藤は投降した。OK?
211 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:21
>>191=やおい同人の被害者
ソースは近藤×土方サイトだろw
>>209 隊の2番目が土方だとわかってなかったのかもしれんし
近藤にめぼしをつけてたとしても副長ごときには興味がなかったのかもしれん
外部にとっちゃN02って案外無名だからな
>211
くだらん
214 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:23
その時はまだ新選組だとバレてなかったんでしょ
215 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:23
216 :
日本@名無史さん:04/06/14 16:24
だから土方が逃げる為に近藤を騙したの。
名前変えて投降すれば命は助かるよって言ってね。
近藤は馬鹿だから信用して投降して、
土方はしめしめって感じで逃げたのさ。
逃げる為の囮ですよ囮!
こんな感じでどう?
218 :
これが真実!:04/06/14 16:58
官軍主催
「第3回 大口選手権」優勝者は大名になれる!
に釣られて投稿した
今までのどの説よりも
>>217は筋が通っている
が、さすがにそれが真実ではないだろうなあ
近藤が逃げられるなら土方も逃げられるはず
→責任者は投降するからってんで、他の奴らはある程度見逃してもらったんじゃないの?
土方を助けるために近藤は投降した
→局長にもしものことがあれば、当然副長がが指揮をとる事になる。
隊が瓦解するのを防ぐために土方を残したんであって、「土方を助けるため」ではない。
それだと本末転倒。
221 :
日本@名無史さん:04/06/14 17:47
>>220 くどいな
正体がバレなければ、武装解除して解散すれば済むはなし。
222 :
日本@名無史さん:04/06/14 18:13
何で新撰組を守るため近藤が投降しなきゃならねえんだよw
隊が瓦解するのを防ぐなら、今まで汚れ役やってた土方が投降すればいいじゃん。
そして近藤が新撰組を率いたらいい。
>>222 土方が汚れ役ってのも小説が広めたイメージ
224 :
日本@名無史さん:04/06/14 19:05
そう。
土方は汚れ役ではなく、単に「ヨゴレ」ですから。
226 :
日本@名無史さん:04/06/14 20:23
近藤の投降についてはいろいろな憶測があるが
なかなか面白いテーマだな。
227 :
日本@名無史さん:04/06/14 21:05
時代劇板荒らしてた奴が逃げてきてるなw
別にこのスレは荒れてないと思うが?
229 :
日本@名無史さん:04/06/14 22:31
>>145 は歴史の楽しみ方を知っている。
結局、アンチだのオタだののレッテル貼りに終始しているようじゃどっちもバカ。
資料読んであーだったのか、こーだったのかと想像するのが楽しいんじゃねェか?
史実がはっきり分かってる事なんて大した興味わかないもんな。
但し、おれは近藤は単純バカ説を押すけどなw
死のうが生きようが、もうどっちゃでも良いワイくらいの気持ちだったんじゃねぇかな?
230 :
日本@名無史さん:04/06/14 22:53
231 :
日本@名無史さん:04/06/14 23:29
232 :
日本@名無史さん:04/06/14 23:33
>>229 その推測に何ら信憑性がないのなら、それは「能書き」と言います。
悪しからず
233 :
日本@名無史さん:04/06/15 13:28
>>162-164 「新撰組往時実戦談書」は近藤芳助の書いた書簡です。
実物はこの前まで東京江戸博物館でやっていた「新選組!展」に
展示されていました。今は京都の「新選組!展」で見られるかもしれません。
ちゃんと、近藤の切腹云々のくだりが展示されていましたよ。
近藤芳助は元新選組隊士で元治元年に入隊しています。仙台で官軍に捕らえ
られるまで隊士として行動し、明治に入ってからは横浜市議や神奈川県議を
していた人物で、明治三十年代に「新撰組往時実戦談書」を書簡という形で
書いています。ですので、流山の記述は隊士として見聞きしたものが元に
なって書いてあるだろうと推測されるので、信憑性は高いでしょう。
234 :
日本@名無史さん:04/06/15 13:45
官軍側に近藤の顔を知っている渡部九郎左衛門がいたので、元御陵衛士の
加納に見極めをさせる前から、大久保大和が近藤であるとわかっていたようです。
それを近藤自身が勘付いていたかどうかは不明です。
235 :
日本@名無史さん:04/06/15 14:01
>>233 近藤が切腹をしようとしたのが本当なら
変名で官軍に投降してなんとか騙そうとしたという説は可能性が低くなるな。
236 :
日本@名無史さん:04/06/15 14:05
感付いていない事は確か。
近藤は投降の際に「大久保」と変名を使っている
>>233 信憑性の意味が解らないらしいな
237 :
日本@名無史さん:04/06/15 14:40
>>236 >感付いていない事は確か。
その根拠は?
238 :
日本@名無史さん:04/06/15 14:44
>>237 近藤が正体がバレてるとは思って無いって事。
投降の際に変名を使ってるからね
>>236 「大久保」の名は流山に着く前(3月1日以降)からずっと使っているよ。
投降の時だけ「大久保」と名乗ったわけではない。
240 :
日本@名無史さん:04/06/15 14:46
241 :
日本@名無史さん:04/06/15 14:48
>>240 バレてるなら、変名を使う事は恥であり、武士ならば使いません。
近藤が武士では無いというなら話しは変わるが
242 :
日本@名無史さん:04/06/15 14:48
243 :
日本@名無史さん:04/06/15 14:49
244 :
日本@名無史さん:04/06/15 14:50
245 :
日本@名無史さん:04/06/15 14:51
いや、改名の方がおかしくないか?
>>241 >バレてるなら、変名を使う事は恥であり、武士ならば使いません。
思い込みを語れてもなぁ〜。
247 :
日本@名無史さん:04/06/15 14:53
>>244 近藤は「近藤勇」の名前を捨てていません。
大久保は改名ではなく変名です
248 :
日本@名無史さん:04/06/15 14:54
249 :
日本@名無史さん:04/06/15 14:56
>>246 古来、変名で投降した武士など皆無。
バレていないと思ったから変名を使ったのですよ
>>247 根拠を示してから言い切って欲しい。
それとも、根拠は全て思い込みだから示せないとか?
251 :
日本@名無史さん:04/06/15 14:58
>>248 改名と変名の違いが解らないらしいな。
そうなると、土方はこれ以降「内藤」って名前で戦った訳ですね?
いずれバレるとは思っていたけど、時間稼ぎのために変名で投降したんでしょ
ただ、投降するために変名したわけじゃないけどね
>>251 なんで土方が出てくる?
土方と近藤は同一人物ですか?
それより、ちゃんと根拠を出せば?
254 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:00
甲州戦の時もすでに大久保大和だったよな?
255 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:00
>>250 近藤として処刑されたか、大久保として処刑されたかを考えれば解るだろw
改名なら大久保として処刑されますからね
>>253 変な反論するな。
もっと落ち着いて書け
>>256 では、落ち着いて根拠を出していただこう。
258 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:02
259 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:02
>>254 だから変名ねw
ちなみに、坂本竜馬は才谷梅太郎って変名をずっと使ってました。
260 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:03
>>259 だから変名で良いじゃん。
おまえ相手は今3人くらいいるから、勘違いするなよ。
261 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:03
大久保大和なんて誰も知らないから、晒し首にしても見せしめにならないだろ。
正式に改名してようがしまいが、わざと近藤として扱ったに決まってるじゃん。
もしも旧幕軍が勝ってたら、近藤たちもそのまま大久保や内藤って名乗ってたかもな。
263 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:04
264 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:05
265 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:08
辞世の句は近藤?大久保?どっち?
>>264 そちらこそって言われても、俺たった今ここに来て口挟んだだけだからなあ。
俺は変名だとも改名だとも言ってないよ。
どっちにしてもばれたら近藤扱いされるんだから、近藤として処刑されたからって
改名じゃないって証拠にはならないって言っただけ。
267 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:10
>>260 近藤がわざと捕まる為に投降したのなら、変名を使う必要は無い。
って事。
268 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:16
>>267 だから時間稼ぎなんだろ。
土方を逃す為の。
だから時間稼ぎのためだってば
「はい近藤です」って言うのと
「いいえ別人です」って言うのだったら、
後者の方がどう考えても時間稼げるじゃん
時間稼いでる間に助命嘆願が通れば無問題
270 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:17
>>268 だったら官軍が来る前に逃げれば?
戦うつもりなかったんだし
271 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:18
包囲されてるのにか
273 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:20
274 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:20
>>271 みんな解かってるよ。
解からないのはお前だけ。
275 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:20
276 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:21
277 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:21
278 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:22
>>277 戦う気があったから布陣したんだろ。
戦う気が無かったというおまえの根拠よろ
話がずれてるし、必死すぎるのが一人いるせいでループしてるな
280 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:24
>>278 あっさり降伏してるから。
近藤が剣や槍では戦は出来ないって投降後に発言したんだろ
282 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:25
>>274 早く説明してよ。
何故変名だと時間稼げるの?
283 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:26
>>280 全然違います。
降伏したのは、ほとんどの戦力が演習に出ていたためです。
剣や槍では戦は出来ないって言ったのは土方だし、
投降後じゃなくて、大坂から江戸に引き上げてきた時だよ。
おまえは2chソースで、しかもうる覚えばっかりか?(w
284 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:27
>>282 あほか?
ばれるまで時間が稼げるだろ。
285 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:27
286 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:29
>>286 だからおれは、時間を稼いで土方を逃がす為だって言ってるんだよ。何度も。
いずればれるだろうが、時間を少しでも稼ごうとしている形跡が投降時にもみうけられるし。
一人で勘違いの勝利宣言はやめな。
あわてんぼさん。
>>247の根拠は出たの?
出てないようだな。
では、
>>247はあくまで247個人の考えに過ぎないという事だな。
改名でも変名でもいいじゃんもう
わけわからん
290 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:32
どうせ一人必死なやつは、新選粘着のカマって君だろw
スルースルー!
291 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:32
292 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:33
294 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:35
295 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:35
296 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:37
しかし、散々質問してきて最終的には粘着扱い。
おかしな話しだなW
297 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:37
>>291 ん?
違うっていう根拠はあるよ。
それより、君が先に
>>247で断言した事の根拠を出してね。
298 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:40
299 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:40
300 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:45
>>285 新撰組往時実戦談書にそんなこと、近藤談として書いてあったか?
301 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:49
>>297 甲陽鎮撫対のときには「大久保大和」「近藤勇平」って二通りの名前も使用しています。
つまり改名ではなく変名。
そちらの根拠をどうぞ
302 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:51
303 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:53
304 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:53
305 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:53
306 :
日本@名無史さん:04/06/15 15:57
>>304 ?
かまって君が理解力が足りないだけだと思うよw
307 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:00
308 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:02
>>306 あっ。別に君がなっとくするかしないかなんて問題ではないのよ。
「大久保大和」は改名ではなく変名。これは史実ですからね
309 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:02
>>306 根拠を示さず断言するのはかまって君の特徴だから、ま、いっか。
とりあえず、かまって君なら意味不明でもしょうがないねw
311 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:06
>>309 大河ドラマで甲州はまだ出てきていないので知りません。
312 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:08
>>310 そう思うならスルーしろよw
必死に絡んでくるなよ
それとも構ってほしいの?
まぁ〜きっぱり断るがね
>>309 知らないので教えて、教えて。
ググれとか、自分で調べろ!とかは、根拠ナシとします。
314 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:13
>>313 近藤勇、甲陽鎮撫隊 大久保大和
この辺でググレ! 自分で調べろ!
315 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:15
316 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:21
スレを読むと、
近藤をどうしても良い風に解釈したくないだけの奴なんだな
というのが分かる。
317 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:24
318 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:25
正義のヒーローのリーダーてすから
319 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:28
かまって君はアンチ新選組なので、近藤勇についてもアンチなのでしょう。
不思議なのは、アンチのくせに何故か新選組スレに書き込む事。
巨人戦は絶対観るアンチ巨人みたいなものか?
320 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:30
>>320 知らないものに根拠を求められても…。
知らないので教えて下さいって、お願いしたわけなのだし。
322 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:42
323 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:47
大久保大和ってのは大久保彦左衛門にあやかってつけたんだそうな。
甲州を守れば大名になるつもりだったんで、
それなりの立派な名前にしたんじゃないのかな。
324 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:48
325 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:52
326 :
日本@名無史さん:04/06/15 16:59
>>325 勝手に近藤がそんな徳川家重臣の苗字を名乗れるはずがないし、
勝手に名乗ったのなら他の幕府関係者に認められる事もないだろう。
だいたい、大久保一翁が怒るだろうよ。
327 :
日本@名無史さん:04/06/15 17:01
328 :
日本@名無史さん:04/06/15 17:05
>>326 じゃあ、幕府公認で大久保大和の名前にしたわけだ。
それじゃあ、変名とはいえないな。明らかに改名だ。
幕末のドサクサで勝手に名乗れということもありそうだが
330 :
日本@名無史さん:04/06/15 17:06
「大久保」、「内藤」共に、三河以来の徳川家重臣の苗字。
勝手に名乗る事は無理だろう。
慶喜の許しを得て、大久保一翁が近藤らに与えた可能性が高い。
331 :
日本@名無史さん:04/06/15 17:09
>>328 五兵衛新田に居た時の近藤宛の幕府関係者からの書状は
全て「大久保大和」宛になっている。
332 :
日本@名無史さん:04/06/15 17:10
>>330 まあ、大政奉還後なんだから幕府自体が無くなってる訳で・・・
333 :
日本@名無史さん:04/06/15 17:13
>>332 大政奉還後であっても、近藤が旧幕府の幕臣である事に変わりは無い。
近藤が徳川に仕えるのを止めていない以上、旧幕府の意向に左右される。
>>333 そんなことをきっちり考えていたかどうか
福沢諭吉が鳥羽伏見後の江戸城の混乱ぶりを自伝に書き残しているくらいだし
335 :
日本@名無史さん:04/06/15 17:18
>>333 だから誰も否定してないって。
ようするに、大久保大和だの内藤隼人だのと言う名前を
近藤達が考えて、旧幕府の許可を得たって事だろ。
336 :
日本@名無史さん:04/06/15 17:19
いずれにせよ、かまって君の説は崩壊したな
337 :
日本@名無史さん:04/06/15 17:20
近藤・土方が江戸にいるのがまずいから変名を使わせたんだろ
338 :
日本@名無史さん:04/06/15 17:21
>>334 指揮系統が存在し、ちゃんと勝・大久保という指揮者がいた以上、
他が混乱しようが関係ないのでは?若年寄合議じたいはあったわけだし。
339 :
日本@名無史さん:04/06/15 17:21
まあ、いずれにせよ、かまって君の説は崩壊したな
340 :
日本@名無史さん:04/06/15 17:22
断言しているところをみると、
>>335はかまって君かな。
341 :
日本@名無史さん:04/06/15 17:26
>>338 近藤の助命工作の為に土方が勝や大久保を訪ねたのは、
彼等が指揮者というか、責任者だったからかな。
342 :
日本@名無史さん:04/06/15 17:29
>>338 勝や大久保の役目じゃないだろう。
幕臣の格式の問題など
>>343 幕臣の格式の問題は今ここでは誰も語ってないと思うが。
345 :
日本@名無史さん:04/06/15 19:14
>>343 勝も大久保一翁も近藤・土方の上司ではあるな。
>>347 違うね。熱い魂と信念を感じる。でももう満腹なんで・・・。
変名とか改名とか馬鹿ばっかだな。
近藤は投降もしてないし処刑もされてないんだよ。
密かに日本を抜け出しハワイに渡ったんだ。
ハワイで各部族をまとめあげ初代の王になったんだよ。
突っ込み無用!
土方が実は吸血鬼で、今も生きていて何故かマンガ描いてるとかいうのと同レベルのトンデモ説だなw
351 :
日本@名無史さん:04/06/15 23:35
>>330 スイマセン、母方の祖父が三河大久保党(彦左の兄貴の忠世系)の末裔である
私としては、その間違いはいただけませんな。近藤の大久保大和は、甲州から
家康の財務官僚になった大久保長安から取っています。土方歳三の内藤隼人は
同じく甲州の、信玄の副将格だった内藤修理亮昌豊から取っていて、何れも
甲州街道の農家出身だった近藤・土方の郷愁から来ている。もっとも八王子千人
同心には、巷間言われる後北条氏の旧臣だけでなく、旧武田家の被官の末裔も結
構いたとか。
>>323さんが訳のわかんないこと言っちゃうから、勘違いが大きく
なっちゃう。
つまり、戦わなかったのは兵が無い上に、幕府が降参した以上
幕臣として戦う理由がなくなった。
土方が助命嘆願のために脱出成功しているので、近藤も逃げようと思えば逃げられた。
(怪我が重く断念したのかも知れないが)
死を覚悟した投降なら近藤勇を名のるだろうから、死より生に可能性を賭けた投降であった。
変名でとぼけたのは土方が助命嘆願書を持って帰ってくる間の時間稼ぎの一つ。
って、ことで今のところ落ち着きました。
こっちは、大河に洗脳されて、近藤が間抜けにノコノコ出て行くイメージに落ち着きそう・・・
354 :
日本@名無史さん:04/06/16 09:09
未だに謎ですね。
356 :
日本@名無史さん:04/06/16 10:02
>>352 過去ログ全部もう一回読み直せ。
それともかまって欲しくてわざとボケてんのか?
>>351 >近藤の大久保大和は、甲州から家康の財務官僚になった
>大久保長安から取っています。土方歳三の内藤隼人は
>同じく甲州の、信玄の副将格だった内藤修理亮昌豊から取って
それは何にそう書いてあったのですか?
358 :
日本@名無史さん:04/06/16 10:36
伊東成郎の「新撰組決定録」には、「大久保」も「内藤」も慶喜が
近藤・土方に与えたと書いてあるね。
深雪は、やり過ぎ。花魁だけど、勇との間に子がないのは?だ。
360 :
日本@名無史さん:04/06/16 10:48
大久保長安ってろくな死に方してないんじゃなかったっけ?
362 :
日本@名無史さん:04/06/16 12:26
>>356 それが反論なのでつか?
惨めなものだな
363 :
日本@名無史さん:04/06/16 12:40
近藤の顔はまさにヤクザそのもの
でつって言い方見ると萎えるな。
あ、これは反論じゃないよ?
365 :
日本@名無史さん:04/06/16 13:14
>>364 そう思えるなら君は正常だよ
俺も最初は抵抗があったが、今じゃなんとも思わない。
ズッポリ2ちゃんねら−でつ
366 :
日本@名無史さん:04/06/16 13:28
>>362 じゃあ、めんどくせぇけど、ちゃっちゃと反論してやるよ。
>つまり、戦わなかったのは兵が無い上に、幕府が降参した以上
>幕臣として戦う理由がなくなった。
土方は会津→函館と戦ってるじゃん。
>土方が助命嘆願のために脱出成功しているので、近藤も逃げようと思えば逃げられた。>(怪我が重く断念したのかも知れないが)
怪我は甲州の時より全然良くなってるんだってば。松本良順の手当ても受けてるし。
土方が脱出に成功したのは、近藤が降伏したからだろ?
包囲されてたんだぞ。
>死を覚悟した投降なら近藤勇を名のるだろうから、死より生に可能性を賭けた投降であった。
>変名でとぼけたのは土方が助命嘆願書を持って帰ってくる間の時間稼ぎの一つ。
変名じゃなくて改名なのはもうわかったよな。
甲州戦の時から大久保と名乗っていた。しかも幕府より賜った名前だった。
近藤勇だって改名した名前で、もともとは宮川勝五郎だしな。
367 :
日本@名無史さん:04/06/16 13:40
>>366 全然否定しちゃたね
では、君の「近藤の投降」に関する見解をどうぞ
368 :
日本@名無史さん:04/06/16 13:46
幕府から授かったから改名ねぇ〜
それだと当然、土方は函館まで「内藤」って名で戦ったんだね
369 :
日本@名無史さん:04/06/16 13:49
只今、かまって君降臨中でつ!
>>368 会津に行くあたりまでは内藤じゃなかったっけ?
371 :
日本@名無史さん:04/06/16 13:52
>>368 何で土方が出てくるの?近藤の話なのに。
372 :
日本@名無史さん:04/06/16 14:04
374 :
日本@名無史さん:04/06/17 17:06
近藤の評価の高い所ってなに?
376 :
日本@名無史さん:04/06/17 19:38
ツネも深雪も近藤のチンコには文句ないようだ
377 :
日本@名無史さん:04/06/17 23:09
土方も近藤のチンコには文句ないらしい。
378 :
日本@名無史さん:04/06/17 23:30
新撰組ヲタは下ネタ・ホモネタが得意分野。
苦手分野は日本史
380 :
日本@名無史さん:04/06/17 23:36
スマップ時代に妬まれすぎたので斬首されちゃったんだよ。
381 :
日本@名無史さん:04/06/17 23:43
近藤巨根エピってマジであるのか?
383 :
日本@名無史さん:04/06/18 14:32
近藤は童貞
384 :
日本@名無史さん:04/06/20 15:22
>>368 >>370 二本松付近安達での当時の記録には「内藤隼人」名が残っている。↓
五月四日大谷鳴海様内藤隼人和田弓人様番頭ニ而出立其外者頭二組
此時瀬上主膳本町へとうりう(逗留)中 之如何か事ニ候や家来の内
大筒方上下三拾人夕方二本柳迄引き戻り同処入口大筒三ヶ処相配り
かため御座候ニ付 いかがの訳か相分からず家中町共大さわぎに御座候
385 :
日本@名無史さん:04/06/21 15:51
自分は祖父が鹿児島出身なんでどちらかとゆうと薩摩びいきなんですが、近藤さんは結構好きですね。
松平容保に対する想いとかすごく純粋で誠実な人だったように思います。
386 :
日本@名無史さん:04/06/21 15:58
大久保大和と名乗ってみたりして・・・・。ばれたけど。
>>385 松平容保も近藤勇に思い入れが強かったようだ。
死後、近藤の法名を作っている。
388 :
日本@名無史さん:04/06/21 18:01
>>387 慶喜に断れたから、しゃなく容保が書いたのだがw
389 :
日本@名無史さん:04/06/21 18:48
思い込みと中途半端な知識と言えば、かまって君ですよ!
391 :
日本@名無史さん:04/06/25 12:57
おっ!?
ココでも粘着してるよ
かまって君のストーカーだな
近藤の法名はいくつかあるけど、「貫天院殿純忠誠義大居士」が容保が作ったものらしい。
土方に依頼されたという説もあるけど本当かな?
院殿号なんですな。
393 :
日本@名無史さん:04/06/25 14:55
法名なんて勝手に作れるの?
394 :
日本@名無史さん:04/06/25 21:51
>>393 んなこと言ったら、勝手に近藤の墓を建てた土方はどーよ?
395 :
日本@名無史さん:04/06/29 14:35
戦友絵姿や覚書を書いた中島登と近藤勇が親戚だったと最近知った。
396 :
日本@名無史さん:04/06/29 14:51
397 :
日本@名無史さん:04/06/29 14:52
只今
かまって君降臨中でつw
398 :
日本@名無史さん:04/06/29 15:00
島田魁は死ぬまで土方の法名を身につけていたという話は有名だけど、
実は土方のだけでなく、近藤の法名も書いてあったらしいよ
島田の孫がそう言っているらしい
どちらにしても、泣ける話
399 :
日本@名無史さん:04/06/29 21:16
400
401 :
日本@名無史さん:04/07/02 11:08
会津公の恩義に殉じて会津戦争の時にきりこみで戦死してほしかった近藤勇、土方歳三、
そうしなかったのは何故だろう。
402 :
日本@名無史さん:04/07/02 12:20
>>401 会津戦争の時はもう近藤はいなかったのでは・・・?
403 :
日本@名無史さん:04/07/02 12:27
404 :
日本@名無史さん:04/07/02 12:40
池田屋の直前に近藤は不逞浪士ばかり斬り攘夷とは
かけ離れていく新撰組の解体を求める上書を出しています。
>>404 攘夷とは本来、異人や外国に向けられるべきものだからね
406 :
日本@名無史さん:04/07/02 12:53
不逞浪士
新選組の事?
407 :
日本@名無史さん:04/07/02 12:57
>>406 不逞かどうかはともかく、新選組は会津侯お預かりなんだから、浪士ではないだろう。
言うなれば、臨時職員だよ。
408 :
日本@名無史さん:04/07/02 13:03
409 :
日本@名無史さん:04/07/02 13:05
410 :
日本@名無史さん:04/07/02 13:06
お預かりの意味が解らないヲタ一名発見デツ
百姓集団ですが何か?
412 :
日本@名無史さん:04/07/02 13:10
百姓に失礼
413 :
日本@名無史さん:04/07/02 13:12
しかしそんな要求は通らず。
そしてこれを境に新撰組は更に佐幕というか親会津に大きく傾いていきます。
415 :
日本@名無史さん:04/07/02 13:39
畜姓にも劣る集団
>>414 元々、近藤は佐幕の尊王攘夷だからな。
攘夷を捨てて、佐幕と尊王だけが残ったという感じか?
親会津になったのは、やはり松平容保の人柄も大きいのかもしれない。
417 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:19
佐幕と尊王は対義語ですがw
418 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:21
>>417 歴史に興味があるなら、とりあえず司馬遼太郎から読んで下さい。
419 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:22
対義語で語られるのは事実だけど、
白と黒ほど対義してるわけでは無いよ。
420 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:23
421 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:24
佐幕と尊王は対義語に捉えられる事が多いけど
両方の言葉の対象物が違うので一概に対義語とはいえません。
422 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:24
開国と攘夷ぐらい違いますがなにか?
423 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:25
佐幕の対義語は倒幕
これ常識
424 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:26
>>421 当時の思想の問題ですよ。
明らかに反する思想です
425 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:26
開国と攘夷は対象がともに外国ですね。
佐幕と尊王はどうでしょう。
>>424 当時の思想状況を鑑みるなら、明らかに反する思想ではないという結論になるぞ。
427 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:27
428 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:29
>>424 それが初歩的なミスなんだよ。
教科書しか知らないとそうなる。
429 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:29
>>427 対象違いです。
佐幕論と尊王論は倒幕か否かで軸が決まっているだけであり
対義語ではありません。
430 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:30
尊王を唱える者が考えなくてはならないのは朝廷の事。
幕府も一諸侯に過ぎません。
431 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:31
佐幕の対義語は「勤皇」です。
尊皇ではありません。
尊皇が佐幕の対義語なら
徳川光圀が大政奉還を進言したでしょう(w
>>427 それは違う。
佐幕派は一貫して、天皇が将軍より上位であるとしている。
そもそも、将軍職は天皇より任命されたものなのだから。
433 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:32
>>430 どっちが偉いでは対義語や反するという言葉にはなりません。
対論ではなくどっちの思想かという話になります。
434 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:32
素人ばっかりだな
435 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:34
>>429 そうそう。
単に、徳川幕府が要ると思っているか、要らないと思っているかの違いなんだよな。
436 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:35
>>434 いつもの事だよ。
尊王を唱える者が考えなくてはならないのは朝廷の事。
幕府も一諸侯に過ぎません。
前にも見た。
437 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:36
438 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:37
一番悪いのは教科書の教え方だろうな〜。
439 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:37
>>436 幕府は諸侯の長として、朝廷に「征夷大将軍」という役職を賜ったのである。
幕府を倒そうとするものは、朝廷に歯向かうものである。
440 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:38
尊王佐幕はOKです。
勤王佐幕はNGです。
441 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:38
>>438 そうそう。
教科書しかしらないと、天皇VS幕府だと思ってるし、
実際にそう思ってる教師も少なくない
442 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:39
尊王の思想の下では尊いのは天子様のみ。
攘夷を行わない、一諸侯に過ぎない幕府を特別扱いするのは、尊王思想に反します。
443 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:39
444 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:39
帰ったようだ。
445 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:40
>>442 だから一諸侯じゃなくて、「征夷大将軍」なんだってば。
特別扱いして当然。
>>442 一諸侯に過ぎない幕府を特別扱いしているのが天皇本人なんですけど。
447 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:41
448 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:42
尊王論の上では佐幕論は成り立つ。
しかし勤王論の上では佐幕論は成り立たない。
449 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:43
>>442 >尊王の思想の下では尊いのは天子様のみ。
そんな事どこに書いてある?
日本は天子様の国であり、天子様より行政を一任されたのが幕府である。
ってのが水戸史学の考え方だろうが。
天皇の元、みんな平等なんていう人権主義じゃねぇんだよ。
450 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:43
やっぱり幕末における尊王攘夷思想を知らない馬鹿ばかりなんだなw
451 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:43
>>442 桂小五郎を将軍にしてもらうように天皇に頼めば良かったのに・・・
452 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:44
>>448 勤皇論は天皇の御意志に反する逆賊の思想。
勤皇の結果が、太平洋戦争の悲劇を生んだ。
江戸期のまま象徴天皇にして、行政を幕府に任せていれば、
太平洋戦争は起こらなかったのだ。
453 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:46
>>450 肌でかんじちゃいないし。当然あなたも。
尊王と佐幕が対義語でない事さえ納得して頂けたら本望です。
攘夷・倒幕等を絡めないでね。
454 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:46
>>452 だからなに?
幕末における尊王攘夷思想には関係ないよ
455 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:47
456 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:50
>>449 そうだぞ。
但し、天皇の下では一諸国に過ぎないのだよ。
尊いのは天子様のみなのだからな
天皇の意志が攘夷である以上、攘夷を行わない幕府を特別扱いする輩に、尊王の志しは皆無である
457 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:52
>>天皇の意志が攘夷である以上、攘夷を行わない幕府を特別扱いする輩に、尊王の志しは皆無である
この一文が君を混乱させているようだ。ここを抜け。
458 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:54
>>457 幕末において、そこが一番重要なんだろw
459 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:54
話していたのは尊王と佐幕だよな。
尊王攘夷思想とやらでは無いな。
460 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:55
461 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:56
>>456 「天子様のみ」なんて光圀は言ってないの。
天皇が一番偉いのは確かだけどな。
平等思想なんて当時存在しない。
厳密に言えば、友情というものも存在しない。
主従関係が一番大切であり、
主君の為なら友人でも戦わなきゃいけない。
薩摩藩士が起こした寺田屋事件の例をみよ。
462 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:57
463 :
日本@名無史さん:04/07/02 14:58
>>459 解らん奴だなw
尊王思想つまり天子様は神である訳。
神である天皇の意志に背く者に尊王の志しは無い
464 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:01
>>461 全然解ってないなw
主君の上に天子様がいるんだよ。
465 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:08
御三家である水戸藩から出た天狗党が真の尊王。
佐幕的立場でありながら、尊王の志しのもと反幕を唱えた。
新撰組が尊王など、彼らに対して失礼極まりない
466 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:09
>>464 だからそう書いてるだろ?
天皇が一番偉いって。
467 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:10
>>465 は尊王と佐幕が対義語じゃない事を、まだわかってない馬鹿
468 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:11
>>467 対義語ですよ。
少なくとも、当時としてはね
469 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:13
>>463 駄目だコリャ
君の頭のコリはほぐせないようだよ。
佐幕の対義語は倒幕。
尊王佐幕もあり得る。これが常識だよ
あんま外で恥かくなよ。
470 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:15
>>469 頭固くて駄目駄目だなw
幕末当時の話しとしてなら対義語なのだからね
471 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:18
472 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:21
***素人の為の幕末用語辞典***
佐幕=幕府を助(佐)ける
討幕=幕府を倒す
勤皇=天皇中心の政治体系を作る(必然的に佐幕となる)
攘夷=夷敵を追い払う
開国=夷敵と貿易をする
尽忠報国=忠を尽くして国に報いる
尊王=天皇を尊敬し奉る
尊王の対義語は、「天皇制反対」を唱える左翼w
473 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:21
佐幕の対義語は共和制。
尊王とは春秋戦国時代の兵家の思想。これが常識だよ
あんま外で恥かくなよ。
474 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:22
>>469 あっごめんごめん。
君はタラレバの話しをしてるんだねw
確かに考明天皇が攘夷を唱えたなければ・・・
幕府が攘夷をしていれば・・・
確かに尊王佐幕って可能性はあるな。
但し、その場合は幕末の内乱は起こらないと思うから、佐幕も糞も無いと思うがね
475 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:22
幕末期も現在も佐幕の対義語は倒幕
476 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:24
だれか
>>472に突っ込んでやれw
それと、そんな単純な言葉で理解出来る筈がねぇ〜
477 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:24
>>474 タラレバにされちゃったよ。
最初に佐幕と尊王は対義語とか言っといて。
478 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:27
***素人の為の幕末用語辞典***
佐幕=独裁体制を助(佐)ける
討幕=幕府を倒す
勤皇=皇帝中心の政治体系を作る(必然的に君主制となる)
攘夷=夷(蛮族:自分達よりも遅れた人々)敵を追い払う
開国=貿易をする為の協定を結ぶ。但し、自分たちに都合がいいかは
国力次第。
尽忠報国=忠を尽くして無償で国に隷属するナショナリズム。徴兵しやすい。
毛沢東が後に利用。東条英機配下文部省により学徒出陣もこの思想で
行われた。
尊王=皇帝を尊敬し奉る。君主制の元でプロイセンにて行われていた。
政治的実権は宰相にある。
尊王の対義語は、「大神国日本社会主義定刻」につながる危険思想を持つ極右。
479 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:31
480 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:33
>>477 幕末当時の話しって言ってるの解らないのw
つまり、天皇の意志が攘夷である事
幕府が攘夷を行って無いこと
これが前提の話しだからな
481 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:35
482 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:35
483 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:36
484 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:36
>>481 どんな読み方してんだ?
勤皇が佐幕なんて書いてねぇぞ!ぐぉらぁ!
485 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:37
>>481 攘夷ってのは外国を追っ払うことですよ。
薩長は追っ払おうとしたら、こてんぱんにやられて、
その後攘夷の無謀さを思い知らされただけです。
486 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:38
487 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:38
488 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:39
>>487 >勤王が佐幕ねぇ〜
読み返したけど?何か?
489 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:39
490 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:40
要するに、
かまって君降臨中てつ
↑そういうこと!
491 :
もう一回書く。スマソ:04/07/02 15:41
>>480 攘夷ってのは外国を追っ払うことですよ。
薩長は追っ払おうとしたら、こてんぱんにやられて、
その後攘夷の無謀さを思い知らされただけです。
492 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:41
>>490 まあ、分かってたんだけどね。
今日はひまだったんでかまってあげました。
493 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:43
>>491 学が無い奴は幸せだなw
夷人を斬る・夷国の船に発砲する・すべて攘夷ですよw
494 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:46
佐幕の対義語は倒幕。決して尊王論ではありません。
495 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:47
>>493 そうなのかぁ。
じゃあ、幕府も黒船に石ころでも投げとけば、
攘夷した事になったのにね♥
やっぱり幕臣は愚かですなぁ。
496 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:48
尊皇攘夷倒幕論を尊王論として力説してるカマッテ君がいるスレはここでつか?
497 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:50
>>495 発砲→石ころを投げる事
君の中ではそうなんだねw
498 :
日本@名無史さん:04/07/02 15:54
>>497 うるせぇな。
じゃあ、ゲベール銃で一発撃っとけば良かったんだろ?
それで攘夷した事になったのね?
499 :
局長のスレである!:04/07/02 16:00
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|| 誠 |
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|| 〆=○=∩∩∧__∧ ∩_∩=〓=
||(・ ∀(´・c_・[^〜^]( `_>´)´,_ゝ`)
/||y|| /||y||/ || y || ヽ|y||ヽ||y||ヽ
ヽ_|--|ヽ|- |ヽ.||―||」´」-||」.」-||」´
| | | | | | |
オレらは天子様も会津様も尊敬してんだよ!
500 :
日本@名無史さん:04/07/02 16:01
>>498 屁理屈ばかりw
知的レベルが低杉ますな。
>>500 そのレベルの反論かよ。
まあ、予想通りだけどな。
攘夷とは外国を追い払う事。
薩長も攘夷は実現できずに、維新後に結局開国した。
これが史実。
502 :
日本@名無史さん:04/07/02 16:06
ここで近藤が一言
↓
503 :
日本@名無史さん:04/07/02 16:12
『ガァッ』
504 :
日本@名無史さん:04/07/02 16:15
ところで沖田の子孫って本当に沖田に似てるのかな?
505 :
日本@名無史さん:04/07/02 16:19
>>504 肖像画のヤツ?面影はあるとか言われてるけど
色黒・ひらめ顔からするとかけ離れてるよね。
506 :
日本@名無史さん:04/07/02 16:24
>>501 ご都合が良い解釈だなw
しかし、何故薩長を批判するの?
近藤さんも薩長と同じ攘夷思想ですよw
>>506 そのレベルの反論かよ。
まあ、予想通りだけどな。
508 :
日本@名無史さん:04/07/02 18:00
>>496 かまって君の元ネタが大河ドラマのあるセリフそのままだから
話が面白くもなんともないんだよな
510 :
日本@名無史さん:04/07/02 21:10
>>509 カマッテ君は熱心な新撰組ファンなんだよ、実は。
燃えよ剣がバイブルらしい。
幕府寄り←佐幕ー敬幕ー尊皇ー勤皇→朝廷寄り
512 :
日本@名無史さん:04/07/02 23:20
尊王には幕府の者にも異論はなく、たとえば新選組は尊王佐幕派(天皇を尊び幕府を支持する立場)だった。
尊王攘夷は尊攘派といい、夷人は悪賢い外国人のことで、夷狄(いてき)を攘(はら)うことによって
日本を穢(けが)させまいという神州観念が天皇の廷臣たちには根強く、天皇も夷人嫌いだった。
尊攘の言葉はここから生まれた。尊王を一歩進めれば勤王主義となる。
天皇親政を実現するには、おのずと幕政批判が出発点となり討幕に発展する構図となる。
今日頑なに尊王と佐幕の対義語を解いていた人は
尊王論と一君万民論をごちゃまぜにした長州流にしているのではないかと。
反尊王という事で佐幕が出てくるなんて聞いたことありません。
515 :
日本@名無史さん:04/07/02 23:37
面白いのは孝明天皇の死後から
幕府(公武合体派)が尊王を唱え尊王旗まで作ろうと画策していた事です。
これに対し新政府側は勤皇を唱えあくまで倒幕に走っていくトコですかね。
516 :
日本@名無史さん:04/07/03 00:04
>>515 >幕府(公武合体派)が尊王を唱え尊王旗まで作ろうと画策していた事です。
尊王の対象はあくまで死んだ孝明帝なのかな?
517 :
日本@名無史さん:04/07/03 00:32
尊皇・佐幕・攘夷・開国というが、それだけの争いではなかったろ?
幕権派の幕府と討幕派の薩長の争いであって公武合体派の土佐・越前などは中立だった。
519 :
日本@名無史さん:04/07/03 06:37
>>518 アホらしw
幕権派の幕府と討幕派の薩長の二極争いだけなの、土佐勤王党は中立なのかい?w
520 :
日本@名無史さん:04/07/05 15:16
土佐藩として見るなら、中立というより佐幕より
新撰組=対テロ特殊部隊
維新志士=極右過激派(テロリスト)
芹沢=志士>>>>>>>>>(絶望的な壁>>>>>>>>>>近藤=百姓
結局、近藤は尊王攘夷佐幕派から尊王佐幕派へ変わったという事でFA
公武合体
525 :
日本@名無史さん:04/07/14 21:02
三条小橋の池田屋へ浮浪人狩に出陣するでござる
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||(・ ∀(´・c_・[^〜^]( `_>´)´,_ゝ`)
/||y|| /||y||/ || y || ヽ|y||ヽ||y||ヽ
ヽ_|--|ヽ|- |ヽ.||―||」´」-||」.」-||」´
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526 :
日本@名無史さん:04/07/14 21:17
「打ち出る太刀に入るこそ必死なりよく身を捨つれば必勝となる」
近藤勇、電光剣の極意。カコイイ。
527 :
日本@名無史さん:04/07/14 22:32
「その時」の池田屋はまあまあだったな。
コメンテーターが逢坂なのは何でだったのだろう?
528 :
日本@名無史さん:04/07/14 22:43
カコヨクない。
サルにそっくりで目が汚れる。
秋葉男のアイドルなのねw
秋葉命のかまって君必死だなw
530 :
日本@名無史さん:04/07/18 20:08
テロリストの首魁・宮部テーゾーを殲滅つかまつる
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|| 誠 |
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||(・ ∀(´・c_・[^〜^]( `_>´)´,_ゝ`)
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ヽ_|--|ヽ|- |ヽ.||―||」´」-||」.」-||」´
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531 :
日本@名無史さん:04/07/18 21:09
6月5日、祇園祭の宵宮の日である。
新選組隊士たちは、午後8時の出動に備えて祇園会所に集まった。
隊内は病気のものが多く、実際出動できたのは34名のみであった。
念のため、会津藩兵にも出動を要請した。しかし、一向に会津藩兵が出動の知らせが来ない。
長州藩と直接刃を交えることを嫌ったためともいわれている。
痺れを切らした近藤らは34名の隊士を近藤以下、沖田、永倉、藤堂ら10名と
土方以下、井上、原田ら24名の2つに分けた。
近藤隊は鴨川の西岸を、土方隊はさらに土方隊13名と井上隊10名に分けられ、鴨川の東岸を探索した。
(浪士の会合場所が池田屋か三条大橋向こう綱手の四国屋かに絞られていたというが、それならば、
土方隊が2隊に分けられる必要はなく、この時点では浪士たちの会合場所は断定できてなかったようだ。)
3時間近くにわたる探索の結果、近藤の隊がようやく池田屋にたどり着いた。
532 :
日本@名無史さん:04/07/18 21:20
池田屋跡、パチンコ屋_| ̄|○
在日やくざは西に多い。
京都は高山登久朗が戦後駅前に縄はって日本人の地主を殺した。
関東は東声会の町井が駅前の一等地の地主を殺した。
駅前にパチンコ屋があるのは不思議だったでしょう?
戦前は綺麗な町並み(あたりまえ、武士の町だったんだから)だったのに、
空襲を受けた都市なんかは市制がおよばない時代の隙間で一等地に縄を張った。
元の地主・戦争未亡人は訴えるすべがなかった。_| ̄|○
GHQもめんどくさい(やくざに女・金などつかませられている)からみてみぬふり。
こうして、今の現状が自民党や外務省・総務省のやつらに国を売らせている。
533 :
日本@名無史さん:04/07/18 22:18
534 :
日本@名無史さん:04/07/23 21:01
近藤銃撃されたってのがイタイよな。
本物の剣客なら火薬の臭いとか殺気で気付くもんじゃないの?
535 :
日本@名無史さん:04/07/23 21:05
>>534 ピストルだと撃つ前では火薬の臭いはわからないと思う。
アメリカで実物を見たことあるけど、火薬の臭いはしなかった。
勿論、現代と幕末ではピストルの質に差があるだろうが。
墨染で撃たれた時に死んでた方が後世の印象は良かったかも知れない。
甲州や流山での近藤はイタすぎるよ。
>>536 そうかな?流山〜板橋あたりの近藤、好きだけど。
なんていうかその頃の近藤って、やたらと軽率な行為が多いんだよね。
539 :
日本@名無史さん:04/07/30 20:40
>>538 軽率であるかのような印象を与えるような表現の小説が多いからね。
個人的には、近藤の行動というのは近藤一人の考えによるものと、
土方と相談して決めたであろうものとに分かれるので、近藤の行動が
軽率だとしたら、それは土方にも言える事だと思う。
>>534 あの時代にそんな芸当できる奴は新選組にいない(斎藤はできたかも)。幕府方で、できたのは御庭番衆の頭目くらいだろうな。そいつも城でヒッキーしてたし。長州なんかはそんな芸当できる抜刀斎や志々雄を有能に使っていた。
抜刀斎のモデルは河上彦斎だけど、志々雄のモデルって誰?
神代直人?
誰か知ってるひといる?
543 :
日本@名無史さん:04/08/06 21:47
544 :
日本@名無史さん:04/08/06 21:54
545 :
日本@名無史さん:04/08/06 21:57
>542
義満だろ。
546 :
日本@名無史さん:04/08/06 22:11
547 :
日本@名無史さん:04/08/06 22:13
近藤勇という男は後半からやや高慢になっているように思える
百姓であったかれが旗本に取り立てられたことが何よりも嬉しかったのだろう。
しかし彼の「義」に生きた道は素晴らしいものがあるといえる
幕末の剣客というよりも日本古来の武士の再来ではないだろうか
548 :
日本@名無史さん:04/08/07 00:11
辞世の句がけっこう泣かせる。
あれは慶喜に宛てた私信にさえ思える。
恭順しろって言ってたのに…
550 :
日本@名無史さん:04/08/07 07:08
近藤は長州や反幕府の藩が潰れれば大名になる目もあると思ってたんじゃないの?
それが慶喜があっさり大政奉還したもんでもうわけわかんなくなって、惰性で戦ってたんだと思う。
551 :
日本@名無史さん:04/08/07 07:19
あの手の顔は、先の見える人相ではない。
552 :
日本@名無史さん:04/08/07 14:14
>>550 いくら倒幕勢力が潰れても、大名は無理だろう。
大名云々より、むしろ薩長への憎しみが戦いの原動力だったように思える。
渋沢栄一の近藤についての語り残しに、近藤が激しく薩摩を嫌っていた
というのがあるし。
553 :
日本@名無史さん:04/08/07 14:31
554 :
日本@名無史さん:04/08/07 14:33
555 :
日本@名無史さん:04/08/07 14:43
近藤は侠客の親分に剣術をくっ付けたみたいなもんだな。
でも新撰組にはさして思い入れもないが、近藤勇には興味はあるね。
あの写真は頑固そうないい顔です。
あまり器用ではなさそうなエピソードがまたいいね。
556 :
日本@名無史さん:04/08/07 16:54
>
>>545 >何で
知らねえのか? 一休さんのライバルだろ。
557 :
日本@名無史さん:04/08/07 17:39
じゃ一休さんは誰
558 :
日本@名無史さん:04/08/08 00:53
>>553 結果的に義に生きたと言えるのではないかな。
幕府に男児なし!と幕府批判しつつも、最後まで幕府側だったのは
やっぱり幕府への愛着だろう。
559 :
日本@名無史さん:04/08/08 01:24
ホモだからじゃねいの
560 :
日本@名無史さん:04/08/08 01:26
ホモだからじゃねいの
561 :
日本@名無史さん:04/08/08 20:41
人質扱いでもパソコンと携帯電話は与えられる。
もうすでに委員会は戦死として処理。
562 :
日本@名無史さん:04/08/08 20:47
陸奥宗光でも同様。棺おけに半分首突っ込んでる。
二軍(妹と同級生)相手に遊ばせてたつもりが妹のほうが
レベル上がってる。
563 :
日本@名無史さん:04/08/08 20:48
新撰組は日本の役に全くたっていない
たかだか内ゲバ部隊の国賊じゃねえか
くっだらねえな新撰組
564 :
日本@名無史さん:04/08/08 20:57
へぇ・・・・。
565 :
日本@名無史さん:04/08/08 20:58
『夢に準じた若者達』的な扱いと、現代アイドル像が合体した新撰組に
はキショク悪さを感じる。
単純に『一旗あげようとする荒っぽい野郎ども』としたほうが
まだまし。
関係ないが、ゲーム『剣豪2』に出てきた近藤勇は、なかなかいい味出していた。
566 :
日本@名無史さん:04/08/08 20:59
「焼き払え〜!!」
あの頃、アレだった人じゃないとあんなのは書かない。
567 :
日本@名無史さん:04/08/09 01:14
>>563 >新撰組は日本の役に全くたっていない
そう考えると、近藤も勝のことをベラベラ喋れば良かったのに。
いわゆる司法取引で生き残れたかもしれないのに。
568 :
日本@名無史さん:04/08/09 23:24
この前の
平畠は良かった。情けなくて。
実際の葛山はどうだったか・・・。
ところで近藤と坂本竜馬は知り合いだったのですか?
569 :
日本@名無史さん:04/08/10 00:31
>>568 大河ドラマの設定のように、友人同士という事はなかっただろう。
でも、京都は狭いので、どこかですれ違ったりはしていただろう。
また、竜馬は江戸の千葉道場の塾頭をしていたので、竜馬の名前
くらいは近藤は江戸にいた頃から知っていたかもしれない。
570 :
日本@名無史さん:04/08/10 01:22
>>565 『一旗あげようとする荒っぽい野郎ども』どころか、
元々近藤達は自発的に浪士組に応募したわけではない、という
説すらあるぞ。つまり、最初からある種の任務を引き受け、
それに従って浪士組参加→京都残留という筋書き。
572 :
日本@名無史さん:04/08/15 14:10
573 :
日本@名無史さん:04/08/22 15:55
山南敬助の正体は、仙台藩の尊攘派・桜田良佐の息子敬介ではないのですか?
574 :
日本@名無史さん:04/08/24 01:12
>>563 時代の流れで、佐幕=賊になってしまっただけの事。
近藤に朝廷を敵に回す考えはなかったろう。
彼が、名を売り世に出る機会を与えたのが、斜陽の幕府だっただけ。
武士に成りたかった彼は、八王子千人同心に代表される多摩の郷士の気風を強く受け、
幕府への忠誠心は、旺盛だったようだ。我が意を得たりと、張りきったことだろう。
朝廷を、自由に操った薩長は、見方に拠れば、賊ともいえるのだ。
が、新しい世の中を作る中心になったのは、確か。
それでも、徳川幕府260年、冷や飯食らいだった事、関ヶ原の恨みがあったことが、幕府を倒す
立場に成りやすかった背景もある。他の藩の者が愚かだったわけではない。
575 :
日本@名無史さん:04/08/24 14:36
>>574 時代の流れで、佐幕=正義と見せかけてるだけ
近藤・土方は混乱に乗じて単に出世したかっただけ
そのやりかたは「敵対する人物を斬る」この一点だけ
「敵対する人物」とは、単に長州ではだけでは無く局内における近藤・土方に対す人物にも当てはめた
実に短絡的で残忍また幼稚的発想であることは否めない。
576 :
日本@名無史さん:04/08/24 14:55
近藤はゴリラに似てる
あの時代に正義も何も無いだろ。どいつが玉を担ぐかということだけ
>>575-576 また、かまって君が来てんのかーw
いつも同じことばっか書いてないで、新ネタ書けよ!
579 :
日本@名無史さん:04/08/27 14:08
580 :
日本@名無史さん:04/08/27 14:19
>>577の言っている事は日本史的には至極まっとうだと思うが?
正義がどちらにあるかを云々するのはイデオロギー厨だ。
581 :
日本@名無史さん:04/08/27 16:51
>>580 最後まで読んでから語ればw
アフォ〜お
玉=天皇
583 :
日本@名無史さん:04/08/30 08:33
みんなそれなりにありがとおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!
584 :
日本@名無史さん:04/08/30 10:42
孤軍 援け絶えて俘囚となり
君恩を顧念して 涙 更流る
一片の丹喪 よく節に殉じ
雎陽は千古 これわが儔
他に靡きて今日また何をか言はむ
義を取り生を捨つるは わが尊ぶところ
快く受く 電光三尺の剣
ただ まさに一生をもって君恩に報いむ − 近藤勇
586 :
日本@名無史さん:04/09/07 00:23
お上から命じられた体の良い自警団みたいなもんだろ。>新撰組
現代でいえばガーディアンエンジェルスみたいなもんかな。
ただへタレGEと違って新撰組の連中は命がけだったけど。
当時の京都は尊皇攘夷を騙る不逞浪士がそこいらで狼藉の限りを尽くしてたから
新撰組のような組織を置く事によって治安において非常に有益だったと思う。
ただその刃の標的が優秀な志士達にも無差別に向けられたというのが叩かれる理由。
自分たちを取り立ててくれたのは会津の松平容保で容保はバリバリの佐幕だったから
必然的に近藤もそれに習う形になったんだろう。
後、近藤が土佐の後藤象二郎と会談した時に「貴藩に身を置いていれば
もっと自分の思うが侭に行動できたのに」と述懐している。
587 :
日本@名無史さん:04/09/07 12:42
>>585 自分的にこの辞世の句で好きな部分はやっぱり「雎陽は千古 これわが儔」。
張巡と許遠に自分と土方を重ねたのだな。
近藤が最後の最後まで土方を信頼していたことがわかって良い。
ところで、出身が百姓だから切腹が叶わず斬首されたって説はどうよ?
それもあり得る話だけど、新政府軍としては当時は発展途上中で実績が欲しかった
王朝復古=首都は京都、しかも関東じゃ今一つな近藤勇は京都じや幕府のイメージ
キャラクターだったから、成果として晒し首にすればイメージUPは確実。
でも当時のモラルとして切腹後の首は晒したら世間的に大ブーイング、従って打ち
首になったと見ているが・・・
水戸天狗党の処刑も武士であっても全員打ち首だったし、その前例に鑑みたと思う
助命にしても土佐・長州人の反対もあったろうが、政治力はまるで無いし軍人とし
ての力量も下士官程度だったから、生かしておいて万一逃げられたらテロリストを
市井に放り出す様な物だから処刑は妥当でしょ。
589 :
日本@名無史さん:04/09/07 19:12
>>588 長州人はわからんが土佐人は全然反対してないだろ?
明らかに反対していたのは薩摩勢。
そもそも、近藤を斬首にしたのは薩摩勢のスキをついた土佐の連中。
坂本竜馬殺しの犯人が新撰組だと思ってたからだろ。
>>588 土佐の谷干城と薩摩の有馬藤太との悶着を知らんようだな。
助命に反対したと言う意味に取られたなら、書き方が不味かったかも。
>助命にしても、(=薩摩)
土佐・長州人の反対もあったろうが=助命反対・処刑遂行
として留意して欲しい。
>>591 坂本暗殺への報復が主因だと思うけどね。
百姓だから斬首にしただなんて、もしそれが本当なら、土佐の連中は
ほんとどうしようもないという事になってしまうぞ。
>>588が言うように実績が欲しかった事と、一種のあだ打ち。
それが斬首の理由で、近藤の首の立て札に書かれた「元来、浮浪の者」
なんていうのは、とって付けた自己正当化の理由でしかないだろう。
>585
これ近藤じゃなくて他人(佐藤だったかな?)が作った疑惑ありなんだよな
流山の真相は
土方が近藤を売った、もしくは見切りをつけたがあってる気がする
乗った近藤も情けないが
投降してからその隙に新選組は脱出してるし
土方も勝に助命嘆願したかどうかわからん
ついでに陸軍にも接触したらしいし
確かなのは、明らかに別行動をとっていく事実だもんな
佐藤じゃなくて小島でした
595 :
日本@名無史さん:04/09/16 21:43:58
>>593 >土方も勝に助命嘆願したかどうかわからん
だったら、土方自身も官軍に捕まる可能性があるのに、
何故、江戸の勝邸まで行ったのか?
松浦玲の本を読んだのかもしれないが、他の史料と付き合わ
せながら、松浦の書いた文の行間を読むべし。
松波権之丞の書簡を板橋へ運んだのは土方について江戸に行った
相馬主計であり、もし、土方が近藤の助命嘆願をしていなかった
のだとしら、相馬が板橋へ松波書簡を届けるのはおかしくないか?
それとも、土方は近藤の助命嘆願はしなかったが、相馬が土方とは
別途で嘆願をしたと解釈しているのか?
>>585 辞世の句さー、昨日の日付けの朝日新聞に原詩がのってたよ。
「多摩」のページだから、地方ページかもだけど、
んで、原詩載せてもよい?
↑我ながら文章が変だ… orz
>>585サンの句は、江戸の漢学者大沼沈山が添削したもので、
実際は↓な感じ。
孤軍援絶えて俘囚と奈る
君恩を顧念して涙暗に浮かぶ
義を取り生を捨てるは我尊ぶ所
快く受けん電光三尺の剣
只一死を期して君恩に報いん
まあ、実際に近藤が詩を書いた訳じゃないから、これも怪しいところだけどね。
>>597 でも「三尺の剣」というフレーズは近藤のお気に入りのフレーズ。
近藤が文久三年に作った漢詩にも出てくるフレーズ。
599 :
日本@名無史さん:04/09/19 02:26:48
近藤は増長癖があり出世欲が強く、隊士を家臣のように扱いたがった
池田屋事変以降は自身の出世のために奔走し
隊内の厳しい規律や派閥争いによる粛清は近藤の思惑でなされ
江戸に戻り、甲府城落としたら大名にしてやると言われて喜んで飛び付き
甲州まで大名行列さながらで失笑を買い
途中どんちゃん騒ぎしてたら先に甲府城陥落されちゃって
近藤指揮に不満な味方に慌てて援軍来るからと嘘言ってばれて見離され
流山で官軍に囲まれ、もう疲れたと勝手に投降した
近藤をこう捉えている人はどれだけいるんだろう?
600 :
日本@名無史さん:04/09/19 08:16:33
永倉の残した史料を鵜呑みにし過ぎじゃね?。他の史料も調べた方がイイ。
>>599 それは司馬読者っつーか、司馬しかしらない奴の近藤観かな。
まあ、小説と史実の区別がつかないような奴はそのレベルということで・・・。
602 :
日本@名無史さん:04/09/19 14:58:07
このスレにはレベル高いレスなんて一つもないだろ
603 :
日本@名無史さん:04/10/02 09:20:47
確かにないな
604 :
日本@名無史さん:04/10/02 17:27:03
ある方がおかしいだろう
幼稚園レベルと言っても過言ではないな
605 :
日本@名無史さん:04/10/03 12:10:53
まぁ土方が近藤調子に乗ってダメになったって手紙出してるわけだが・・。
大河と違って隊の資金とか太夫買うのに使ったり、商家から借金しまくり
(実際には返金されないからタカリだ。大河の芹沢像は近藤に近い)
西本願寺に居座り立ち退き料をせしめ最後の方は幕臣格もらって有頂天。
暗殺した連中に逆に狙撃されたり(そりゃ復讐されるよな)江戸に戻って
任務もらったら大失敗。永倉に愛想つかされたり偽名使って投降したり
最後の方はどう美化してもダメダメ人間。
606 :
日本@名無史さん:04/10/03 14:59:33
>605
てか新選組の隊士で人間のできた奴いる?
幼稚園児がこれだけの意見を述べれば天才じゃね?漢字使っているしなw。
605は妄想の天才!
611 :
日本@名無史さん:04/10/04 19:53:26
その通り
まあ、何だかんだ言っても、近藤は百姓達の星なんだから、そう貶めるなよ。
ムキになってる方々が、可哀想じゃないかw
613 :
日本@名無史さん:04/10/04 21:25:34
>>612 残念でした。百姓達の星は伊藤博文クンだよw
614 :
日本@名無史さん:04/10/04 21:31:34
平隊士は鳥羽伏見戦以降ズボン履いたらしいが
永倉原田斎藤ら幹部隊士はどんな格好してたの?
>>614 とりあえず永倉の場合、陣羽織は着ていたようだ。
616 :
日本@名無史さん:04/10/05 11:46:34
>>606 新撰組がだめだめ集団だからな。
ヲタは「忠義」やら「誠」などのねつ造に憧れてるか、正々堂々と立ち合う事すらしない連中を「剣豪」と勘違いしてるんだろ
617 :
日本@名無史さん:04/10/08 15:12:01
昨日のBS新撰組見た?
ラストで近藤の首が落ちたところで完。
大河もこういう生々しい終わり方にして欲しいw
618 :
暇人:04/10/08 15:23:08
見たよ。首が胴から離れる瞬間ビックリした。凄かったね。山並の切腹シーンも腹に脇差突き立てた瞬間、血でさらしが真っ赤に
なったね。この頃リアリティが追求されてたんだね。
619 :
日本@名無史さん:04/10/08 15:35:04
山並の切腹も生生しかったw
なんつっても腹を切り終えるところまでやったからねw
大河とは大違いw
620 :
日本@名無史さん:04/10/08 16:32:36
こんどうむかってこい
621 :
日本@名無史さん:04/10/09 00:13:49
よしきた
近藤向かって来い?
コンドーム買ってこい??
う〜ん…(´∩`ゞ
623 :
日本@名無史さん:04/10/09 05:30:03
ヴァッ!
624 :
日本@名無史さん:04/10/11 19:03:33
>>616 >正々堂々と立ち合う事すらしない
戦術って言葉知ってる? 集団戦って知ってる?
625 :
日本@名無史さん:04/10/11 21:48:20
まあ、鳥羽伏見以降の「集団戦」では結局一勝することすらできなかったわけだが。
武士の本領たる正規戦では連戦連敗w
「士道」を標榜し、武士より武士らしいなんて言われてる奴らにしてはお粗末な結果だよねwww
626 :
日本@名無史さん:04/10/11 21:50:07
鉄砲持った百姓にやられた訳だが。
627 :
日本@名無史さん:04/10/12 00:58:37
>>625 「士道」も、「武士より武士らしい」も、精神的な方向性。
それを軍隊の成果で計る事こそ滑稽。
628 :
日本@名無史さん:04/10/12 13:05:27
>>624 武士道って知ってますか?
新撰組が行ったのは戦術とかでは無く暗殺的思考からですよ
629 :
日本@名無史さん:04/10/12 14:36:56
>>628 近藤にとって、武士道の鑑であり、最も尊敬する人物が、大石内蔵助良雄。
630 :
日本@名無史さん:04/10/12 15:01:24
近藤にとって、武士道の鑑であり、最も尊敬する人物が、吉良上野介義央。
631 :
日本@名無史さん:04/10/12 15:30:44
カマッテ君は叩かれても叩かれても新選スレに寄ってくるw
士道とか、綺麗事は後付けだよな。だって武士じゃねーじゃん。農民や冴えない道場主
じゃなくて、もっと出世したかったんでこの方法しかなかっただけ。責めはせんが、
好きにもなれん。明治の元勲になった2、3流の志士も根本は変わらないが、結果的に
己の立身出世欲が歴史を進める方向に行ったので、近藤より若干マシ、ってだけのこと。
>>633 いかにも『燃えよ剣』読者という感じですねw
「燃えよ剣」読んでないけど当時の状況鑑みて、そう思ったんだけど。
レスの意味わかんないよ〜。
636 :
日本@名無史さん:04/10/13 21:32:24
反論できなくなると、人格攻撃に走るのが新撰組信者の習性だから。
637 :
日本@名無史さん:04/10/13 22:08:51
近藤勇の法要記録を発見
新選組の近藤勇(1834―68年)が中山道板橋宿(現在の東京都板橋、
北両区境)で処刑された際、「介錯(かいしゃく)役」を務めた
岡田藩士の横倉喜三次が、勇のために岡田藩(現在の岐阜県揖斐川町)
内で営んだ法要の記録文書が揖斐川町で13日までに見つかった。
喜三次が受け取った介錯の賞金全額をつぎ込み、藩主や自分の
菩提(ぼだい)寺から僧侶を呼んだ事実が記されている。藩の武術
指南役だった喜三次は勇と同様に剣術の使い手。介錯役の立場を超え、
勇に心を寄せていたことを示す貴重な史料といえそうだ。
文書は「大和守(やまとのかみ)法会入用覚帳」と参列者の手紙
2通で、歴史研究家あさくらゆうさんが喜三次の子孫宅で発見した。
手紙には「(喜三次が賞金の)金子を下さり、お竹さま(喜三次の
妻)が16日に営まれました」と記述。藩主の菩提寺の松林寺、横倉家
の大興寺などの僧侶ら6人が法要を執り行ったことや参列者の名前も
書かれ、参列できなかった喜三次に様子を伝えている。〔共同〕 (15:01)
ttp://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20041013AT3K1301013102004.html
>>635 何だ、ただの思い込みかw
洞察力ないな。
>>638 だから洞察力ある賢いあなた様の、根拠書けってw
根本的に、新選組そのものに対する知識の隔たりがある以上、
新選組に詳しい者が詳しくない者に一から説明したところで、
説明を受ける側がカマッテクンのような輩だったら、ただの徒労に
終わるだけ。
実情として、新選組に興味がない者・嫌いな者は、別に新選組に関する
新知識や細かな情報など知りたくもないだろう。
ゆえに新選組に詳しい者とそうでない者との隔たりは埋まらない。
よって、
>>633のように詳しくない者が自分の思い描くイメージを語って、
それを詳しい者が一笑するという図式もずっと続くだろう。
641 :
日本@名無史さん:04/10/14 10:51:50
642 :
日本@名無史さん:04/10/14 10:52:44
>>640 思い切って書いちゃえよ。うんまく説明できないけど、新撰組が好きだから
悪口言われるとムカツいちゃうんだモン、って。それでいいじゃん。尊敬する
新撰組の旗印は「誠」なんだからさぁ。素直になれよ(はぁと)
645 :
日本@名無史さん:04/10/15 00:25:18
新しい史料が見つかったんだね
最近わりと近藤関係の史料が発見されて嬉しいな
研究や創作物等で必要以上に蔑められてた気がするので
これからはもっと研究がすすんでほしい
史料では拳骨がふたつ入ったという驚愕の事実もあかされてますます顔がでかいイサミたん
647 :
日本@名無史さん:04/10/15 12:42:31
>>643 「誠」とは幕府や会津に対する忠誠の意味なだけ
>>637 横倉喜三次は岡田藩士ではなくて、美濃国揖斐に陣屋を構える
5300石の直参旗本岡田家の家来にして武術指南役。
官軍の東進にいち早く寝返り岡田隊を組織、横倉は副隊長を務めた。
備中岡田藩の飛地が美濃国揖斐にあり、現在の岐阜県揖斐川町は
それに当て嵌まるので、法要が行われた場所自体は岡田藩内と
いう事になる。
649 :
ビクトリアおほんn:04/10/15 19:20:52
近藤さんの厳ついところが魅力的だと思います♡
モテてモテて困っちゃう、の人だっけ?
651 :
日本@名無史さん:04/10/15 23:38:09
>>650 門弟に自分宛の恋文を送りつけたってコトか?
それなら土方だ。
653 :
650:04/10/16 00:15:41
>>651-652 いや、前にトリビアでやってたから。 『モテてモテて困っちゃう』は、このシトでいいんだっけ?新鮮組なのは覚えてるんだが。
>>653 京都でモテモテと郷里宛の手紙に書いて送ったの土方歳三。
女に非常に好かれたと、明治期に史談会で元隊士に証言されたのが近藤勇。
トリビアに出てきた話は前者。
655 :
651:04/10/16 01:01:27
656 :
日本@名無史さん:04/10/16 01:53:01
何このぐだぐだしたループ
657 :
日本@名無史さん:04/10/16 03:39:15
くだらなすぎ。ファン活動ならよそでやってくれ。
658 :
日本@名無史さん:04/10/16 14:17:25
京都新聞の記事の方が
>>637より詳しいので貼っておく。
新選組、心寄せ深い情
近藤勇の法要記録を発見
新選組の近藤勇(1834−68年)が中山道板橋宿(現在の東京都板橋、北両区境)で処刑された際、「介錯(かいしゃく)役」を務めた岡田藩士の横倉喜三次が、勇のために岡田藩(現在の岐阜県揖斐川町)内で営んだ法要の記録文書が揖斐川町で13日までに見つかった。
喜三次が受け取った介錯の賞金全額をつぎ込み、藩主や自分の菩提(ぼだい)寺から僧侶を呼んだ事実が記されている。藩の武術指南役だった喜三次は勇と同様に剣術の使い手。介錯役の立場を超え、勇に心を寄せていたことを示す貴重な史料といえそうだ。
文書は「大和守(やまとのかみ)法会入用覚帳」と参列者の手紙二通で、歴史研究家あさくらゆうさんが喜三次の子孫宅で発見した。
手紙には「(喜三次が賞金の)金子を下さり、お竹さま(喜三次の妻)が16日に営まれました」と記述。藩主の菩提寺の松林寺、横倉家の大興寺などの僧侶ら6人が法要を執り行ったことや参列者の名前も書かれ、参列できなかった喜三次に様子を伝えている。
もう一通は「近藤は厳刑に処せられた者であるが、(喜三次の)深い情けで法会をしてもらい、きっと来世は仏果(良い結果)が得られるのではないか」と喜三次の思いをくみ取る内容。
覚帳には法要が「潤4月16日」(現在の6月7日)に行われたことや、お布施の額などが詳細に記録されていた。
近藤勇は新選組の局長として京都で活躍したが、1868年4月初めに現在の千葉県流山市で官軍側に捕らえられた。25日に処刑されるまで岡田藩などに預けられ、喜三次とも会っていた。
揖斐川町歴史民俗資料館の粟野守之館長は「喜三次が勇の法要をした事実はあまり知られておらず、内容を伝える貴重な史料。勇を『大和守』としており、幕臣としての敬意を表しているのではないか。ヒューマニズムが感じられる」と指摘。
あさくらさんは「剣士として同じく武術を極めていた勇と相通じるものがあったのではないか」と話している。(共同通信)
660 :
650、653:04/10/16 18:44:32
おお、わざわざ御丁寧に。かたじけない。
大久保大和の大和とは勝安房の安房みたいなもんだったんだな。
御意
663 :
日本@名無史さん:04/10/31 19:13:59
ほしゅ
664 :
日本@名無史さん:04/10/31 20:35:34
久しぶりにみたなこのスレ
665 :
日本@名無史さん:04/11/01 01:01:49
ファビョった土佐藩士の誤解で虐殺された近藤先生、かわいそう。
>>654 土方って相当痛い香具師だったんだな。
近藤は男気があるから女郎に持てたんだな。
水商売の女はいかに金払いがいいか、気が大きいかを重要視するからな。
同性から変な意味でなく好かれているようだな。快男子なのかい。
変な意味でも好かれていたとオモ
男を感じるなら土方<近藤。商売的にもそうだけど、ああゆうところで働くと女は目が肥えてくるからルックスなんて二の次になる。個人的に女で土方好きは一般的(+腐女子)、近藤好きは玄人が多いと思われる。
670 :
日本@名無史さん:04/11/09 00:20:37
>>665 そりゃ土佐藩士殺しまくりだもん。仕方ないよ。
>>670 うんだな。近藤も近藤なりに一生懸命やったと思うから責めはせんが、可哀相とも
思わんな。因果応報。
673 :
日本@名無史さん:04/11/09 10:49:05
近藤って最後は賊軍として、首ちょんぱされたが、近藤こそ明治維新の立役者である。新政府は近藤に従三位を贈るべき。
674 :
日本@名無史さん:04/11/09 12:57:56
>>673 またまた極端なことを言う。
まあ今まで不当に貶められてきたり、一方でフィクションの世界で
虚像が作られてきたりと、実際の近藤勇の歴史的役割について、
これまで検証がほとんどされて来なかったことは事実だな。
その意味で、松浦玲や宮地正人が風穴を開けた事は評価したい。
675 :
日本@名無史さん:04/11/09 13:06:50
>>673 まあ「少初位下」か「勲十二等」くらいならいいんじゃないの。
676 :
日本@名無史さん:04/11/09 13:13:55
逆賊に官位だとよw
677 :
日本@名無史さん:04/11/09 14:01:28
おまい逆賊で官位もらってる奴、知らんのかw
678 :
日本@名無史さん:04/11/09 14:06:37
正四位が妥当
679 :
日本@名無史さん:04/11/09 15:08:32
おまいは逆賊で官位と逆賊に官位の違いすら解らんのかw
680 :
日本@名無史さん:04/11/09 16:15:13
じゃ無位の兵衛でどうだ?これでもかなりの優遇だと思うぜ。
伊東甲子太郎は贈従五位だから、近藤は正三位が妥当。
池田屋事件のおかげで、明治維新が1年遅れたというが、
そんなこたぁない。池田屋事件がなかったら、明治維新はなかった。
683 :
日本@名無史さん:04/11/09 19:41:05
近藤は土佐藩兵でなく薩摩、長州に捕まったのなら死なずにすんだろうな。
水戸藩兵に捕まったら逆磔
つうか、逆賊だから官位
686 :
日本@名無史さん:04/11/09 20:05:04
>>683 谷干城は土佐だけど、香川敬三は水戸の出で陸援隊関係者。
斬首を強硬に主張したのはこの二人。
香川らは越谷で近藤を処刑してしまおうとしていたらしいが、
それを止めて詮議にかけるべしとしたのは薩摩の有馬藤太。
池田屋事件より平岡斬殺の方が政局に与えた影響は大きいような。
688 :
日本@名無史さん:04/11/09 20:17:48
そういや、三船敏郎主演の新選組の中でも中谷一郎扮する谷が「新選組のせいで、明治ご維新が
1年遅れた」って言ってたな。
それを止めて詮議にかけるべしとしたのは中村錦之助扮する薩摩の有馬藤太だった。
三船近藤はラストで見事首ちょんぱ。
詳しくは、有馬純雄・著「維新史の片鱗」を読むべし。
690 :
日本@名無史さん:04/11/10 00:51:02
龍馬を殺したのは新選組との風評を流したのは薩摩だがな
近藤 土方 龍馬 上手いタイミングで死んだから目立ってる
ただそれだけだな。
死んだからヒーローになる。
生き恥晒してはヒーローにはなれんのです。
せごどんも同じ。
694 :
日本@名無史さん:04/11/10 11:13:34
>>690 西村捨三(旧彦根藩士、後の沖縄県令・大阪府知事)の本に
近藤処刑は仇討ちであることを匂わせる事が書いてある。
龍馬を筆頭として、勤皇あるいは倒幕サイドの志士達が
新撰組に殺された事に対する恨みが近藤処刑の主要因である事を
当事者が書き残しているのだ。
695 :
日本@名無史さん:04/11/10 11:27:05
仇討ちは武士の誉れだからな
696 :
日本@名無史さん:04/11/10 11:30:04
正しい仇討ちならね。
アドゥッチか
武州を通過した時にどんちゃん騒ぎやったせいで負けたって本当?
699 :
日本@名無史さん:04/11/16 09:37:30
負けたって言うより、間に合わなかった。
もともと城を守れっていわれて派遣されたのに、着いたらすでに城取られてた。
でももし間に合ってたとしても、たぶん負けてたと思う。
701 :
日本@名無史さん:04/11/16 21:49:30
>>698 SF小説の巨匠筒井康隆先生のマンガ「わが名はイサミ」に詳しく描写されているね。
>>700 負けるのが予想できたので、わざとどんちゃん騒ぎして遅れて行った
ということはないのかな?
703 :
日本@名無史さん:04/11/17 01:10:39
遊女屋を借り切ったりしたようですね。酩酊状態での行軍だったとか。行く先々が近藤、
土方の出身地であったため錦を飾る英雄状態で歓待され逗留したので行軍速度も極端に
遅かった。対する敵が戦上手な土佐の板垣退助であったのが運のつき。
ま、どこが相手でも農民や流れ者が大半の甲陽鎮撫隊じゃぶざまな負け戦は確定だった。
大砲撃つのに口火も切らないド素人集団(w
704 :
日本@名無史さん:04/11/17 01:17:29
つまらん。お前の話はつまらん。
705 :
日本@名無史さん:04/11/17 01:28:15
黒田慶樹氏の車友達の町田の小嶋さんというのは、
近藤勇の義兄弟だった町田の小島鹿之助と関係ないのか?
小島鹿之助の子孫は今でも「小島」姓なので、直接関係はないだろう。
707 :
日本@名無史さん:
土方歳三トホホ人物伝放送につきこちらもageとこー