587 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 13:33:37
佐川官兵衛よくやった。
588 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 17:02:15
抜刀隊って、西南戦争当時は、羅卒隊と呼ばれていたのでは?
589 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:32:08
抜
い
抜
新
幕 ワケ ワカ ラン
し ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
な ( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
戦 ⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
そ < < < ) ) ) (_)|
存 (_(_) (__)_) 彡(__)
だ
合
す
を
歴
知
薩
日
山
や
「薩
590 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:43:39
>588
正式名称は警視庁警視隊
591 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:49:51
あの当時は警官と言う言葉は無く、警官は羅卒と呼ばれていた。
592 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:58:23
抜刀隊士族出身者の編制
農兵が役に立たず。
抜刀隊多く死んでいる。
593 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 23:28:15
>>591 知ったか乙
西南戦争は明治何年かわかってるか?
羅卒が巡査に替わったのは何年かな?
594 :
日本@名無史さん:2006/07/12(水) 17:13:54
595 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 18:22:34
この曲って抜刀隊だったのか。初めて知った。
596 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 18:35:10
当時の新型鉄砲役に立たず
武士身分であった者達で構成したのが
“抜刀隊”確か“白虎隊” 生き残り隊士 一名
抜刀隊に入隊したはず。
田原坂行けば 双方“抜刀隊”慰霊碑がある。
>>596 新型銃は十分役に立ちました。
警視庁の抜刀隊は薩摩軍の斬り込みから狙撃部隊の盾となりて次々と倒れていったのです。
彼らは7割近い死者を出しながらも、薩摩軍を田原坂より退けることが出来ました。
598 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 17:10:59
>594
すばらし!大和魂ここにあり!
なぜ?アメリカが戦後潰そうと思えばいつでも潰せる状態の日本を
東西分断もさせず、その経済発展を黙認したか?
それは、タラワや硫黄島での戦いで大和民族に恐怖を覚えたから。
(また、神風特攻に多くの海兵隊員は恐れおののき、一部は泣き叫んだという。
こいつら、本気で切れさせて一致団結したらとんでもねえぞって・・・。)
ついでやが、なんでアメリカが在日米軍にこだわるか・・・?それはこんな
連中に独自で防衛やらしたら、とんでもなく強力になってしまうから・・・。
ちゅう事でこの曲きくべし!1曲目は普段聞き慣れない本来の海行かばやが
2曲目の抜刀隊はナショナリズムそそられる! 人に迷惑かけない右翼より
http://kaga226.hp.infoseek.co.jp/04/bato.html
流石、薩摩士卒に率いられた警視庁抜刀隊は最強だな。
実戦では薩摩士の構成比が圧倒的に大きい西郷軍抜刀隊相手に援護射撃がなければ迎撃出来なかったが。
600 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 11:29:52
だったら、なんで新撰組は簡単に壊滅したんだ?
人に迷惑かけない右翼よりワロス
602 :
日本@名無史さん:2006/08/18(金) 09:18:06
所詮抜刀隊も薩摩人
603 :
日本@名無史さん:2006/08/18(金) 09:39:16
会津かw
604 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 14:38:34
何言ってんだか
605 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 21:47:08
,.-、
/.n l /⌒ヽ
| l l | ,' /7 ,'
, '' ` ー ' '-' / いっぱい犯して、いっぱい荒稼ぐMONEY
/ \ / `ヽ
l , .-. 、 l
ヽ ヽ ̄フ / いっぱい犯して、いっぱい荒稼ぐMONEY
丶、. ̄____,/
/ ,. - 、 )
(( ( n ([K],ハ_う
ゝ)ノ  ̄ ヽ 蕨市、川口市、草加市、八潮市、足立区、松戸市、柏市、葛飾区最高
/ _ l ))
〈__ノ´ `(_ノ
あなたの街は、犯罪者の溜まり場と化している。
蕨、川口、草加、足立、八潮、松戸、柏、葛飾と犯罪天国地帯を形成しつつある
606 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 22:08:18
ワケ ワカ ラン
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
< < < ) ) ) (_)|
(_(_) (__)_) 彡(__)
607 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 20:04:15
ワケ ワカ ラン
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
< < < ) ) ) (_)|
(_(_) (__)_) 彡(__)
608 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 20:11:55
609 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 20:30:24
610 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 20:46:55
>>609 抜刀隊 という軍歌
現在でも陸上自衛隊・警察官 行進曲として使用している。
611 :
日本@名無史さん:2006/11/25(土) 21:31:17
11月に入って初めてのage
612 :
日本@名無史さん:2007/01/01(月) 19:19:04
新年age
614 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:12:56
分列行進曲を作曲する際に、抜刀隊の歌のサビの部分を組み込んだのだ。
615 :
日本@名無史さん:2007/02/21(水) 02:47:28
スレタイで思い浮かんだ事が
>>2で出ているのにワロタ。
鎮台兵の援護射撃があればこそ、抜刀隊の白兵攻撃も有効な訳で、
現代の白兵戦でもそれは変わらない。援護射撃のない歩兵突撃はただの自殺行為。
そもそも鎮台兵に砲歩一斉射撃→銃剣突撃するだけの練度があれば、
抜刀隊なんていらなかった。
実際は援護すべき鎮台兵が逃げちゃったから、抜刀隊の死傷率は凄まじかった。
617 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 13:15:22
618 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 12:11:57
抜刀隊は3度随時編成されて随時投入されたので、会津武士が多く配属されたのは
最初の現地調達の100名程度、調子に乗って全滅したってのもこの数が原因
薩摩の伝統はわざと負けて敵を引き込んで殲滅すること。
まさにお家芸にやられたわけですな。
抜刀隊が到着した頃には薩軍が消耗して云々は
関東で編成された抜刀隊900名のことを指している。
これは結局、戦局に寄与することはなかった部隊。
名にし負う抜刀隊は始めの100名を指す
。
会津家老佐川官兵衛については、抜刀隊とは別の部隊に所属しており
抜刀隊編成時には既に討死しています。参加できるわけがない。
619 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 12:13:00
別にいいんだけど
この過疎スレで誰に向かって言ってるのやら
620 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 12:28:02
抜刀隊の軍事的効果について
剣は銃にかなわないという意見がありそれに対して長篠の戦があげられているが
長篠において、官軍と同じ結果になって信長は少し慌てる経緯がある。
三段での射撃といっても雑賀衆であれば5秒で1発打てるが慣れない兵では
20秒程度になる。それを克服するために薬莢を使ってはいるのだが、
これも性能が揃わない。炸薬が多すぎれば暴発も多い。
歩卒についても慣れない兵器での戦闘は荷が重かったようで、
開戦してから歩兵突撃を受けると、信用できない兵器での戦闘に士気が低下
防御線が突破されかかる結果になる。
水平方向からの鉄砲射撃であれば竹束によって弾を避けながら柵を突破できる
し、高天神城においても武田はそうやって郭を落としている。
では、その不利な戦局をどう凌いだか、それは戦国の頃の常識である
防ぎ矢を打って凌いだ、頭上から降り注ぐ矢にはさしもの武田も士気が低下
結果、攻撃に失敗している。
何故、失敗したかというと信長が構築したのは巨大な陣城であり
武田が野戦と思っていた戦であったのに信長は陣城を作り篭城した。
このため、攻城戦となり、城攻めの準備のない武田は交替を余儀なくされた。
これらの経緯から歴史家の間では鉄砲が勝利の原因ではないことは周知である。
621 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 12:31:49
ちなみに織田の兵は歩卒にいたるまで職業軍人で農兵ではない。
農繁期という制約がないから織田は強かったわけである。
622 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 12:45:46
抜刀隊の効果であるが、ここで論ぜられているのは兵器についてのみであるが
兵器を扱うのは兵、つまり人間である。
戦場においてまず問題なのが武者震いという言葉が残っているように、
果敢な歩兵突撃を団体でやられると、恐怖で体が固まってしまう現象が
どうしても発生する。克服するには経験を積むしかない。
白刃を閃かせて突撃を受けると脆いのはここからくる。
何故、薩軍が白刃攻撃を多用したかについては
熊本城攻略に失敗し、弾薬が少ない為といわれるが、
戊辰の役において、自軍が会津兵による白刃攻撃で損害著しく歩卒に対しての
白刃攻撃は有効であるとの算段があって、敵を狭隘地に誘えば継戦可能と
判断がなされたことはあまり知られていない。
機関銃によるシンレッドラインが形成されないのであれば
槓桿式小銃を装備していても200mまで接近できれば射撃よりも銃剣のほうが
有効である場合も多く、近接兵器としての性能は決して低くない。
但し、近接兵器で有効であるのはナイフのほうである。
太刀は中隊単位での突撃時には有効であるかもしれないが、
隠密行動時などは携行性が著しく悪い。
623 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 12:52:14
結果、機関銃のシンレッドライン下での白刃攻撃は無効であり無謀ではあるが
槓桿式小銃や火縄銃程度であれば、白刃攻撃は有効である場合がある。
横に5名程度しか進めないの山間部の狭隘路であれば射撃の時間を許さない
白刃攻撃は有効である。
624 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 18:34:56
薩摩は負けた相手に親切で命を助けてあげるために長州や土佐なんかに説いてまわってたのに会津だけ何で悲惨なの??会津の捏造?
625 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 18:55:07
かつて賊軍とされた会津を始めとする日本全土の諸藩出身者が
西南の役では大挙して志願し、名実共に『官軍』と成って
薩賊をぶった斬りまくったのが警視庁抜刀隊
かつて賊軍てどこの?薩摩が主力だよ??会津の手柄じゃないよ???
627 :
日本@名無史さん:2007/07/28(土) 21:04:08
抜刀隊には薩摩兵が多く参加していますよ。
史実をよく理解してね。
会津については無理やり戦に巻き込んでいった経緯と
その後の扱いの酷さが遺恨を残す原因となったのではないかな。
斗南3000石への移封、蝦夷地での重労働など
扱われ方がフェアじゃなかった人が遺恨を残しているんだよ。
貧乏に耐えるためにね。
628 :
日本@名無史さん:2007/07/28(土) 22:46:10
>>627 「猪苗代に行けば?」と新政府に言われたのに「開拓して一旗上げよう」と欲を掻いて斗南に移って自滅した、
という八幡和郎の説は本当なんですか?
629 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:02:05
>>628 欲をかいたってのは誤謬がなきにしもあらずw
格下の猪苗代で惨めに生きるよりは、自存自立を選ぶのは
現代人みたいに誇りがないなら理解できなくもないが
当時では選択肢から外したいだろう。
また、受け入れの人数も限定されるので
全員を救うには、選択できない方向でもあったと思う。
自滅って表現も端的で、まさか実高で3000石ないとは思わなかっただろうから
表高が3000石ならば実高は倍以上あったのは当時の慣例で
扶持として3000あればやっていけるとの判断があった。
情報に蒙かった結果が招いた悲劇だが
そんなときに誰しも恨みを糧に生き抜くものだと考える。
630 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 08:47:48
猪苗代にとどまった方が賢明だったな。
631 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 13:08:11
会津藩士の大半は猪苗代に減封の方を望んだが、一部の重臣のゴリ押しで下北になった。
藩士の大多数は住み慣れた会津地方に留まることを望んでいた。
632 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 14:06:57
>>231 示現流って初太刀をかわされたらそのまま走って逃げてく剣術でしょ?
そら天真正示現流じゃなくて薬丸自顕流じゃね?逃げてくんじゃなくて駆け抜けてくのさ。
初太刀かわされたらどんな流派でも終わりやがな。
二の太刀を考えず初太刀に命を賭けるのが天真正伝神道流の教えだからな。
外人の多さにびっくりです!平和島競艇で桐生以上に叫んだ夏。
朝鮮系、中国系、インド系、キリスト系、さらにはその二世、三世…
近所では自民、民主、公明、共産のポスターが入り乱れで貼ってあります!
俺もモテるから料理上手いよ、ちょっ話が進んでるように見えるけど!
団地は貧乏の象徴なのか・・おまえが幸せにしてやれ。
なんか気に入らん。今日は比較的押さえ目な展開だな。
他人がなに信じてようがいいけどさ、
その人とかかわりを持つとなると別なんだよ。
実際の兄弟・姉妹はこんな会話が度々起きる。
覆面でデビューすれば、はいはい合格合格。
635 :
日本@名無史さん:2007/10/14(日) 21:34:24
ほ
636 :
日本@名無史さん:
我ハ官軍我敵ハ天地容れざる朝敵ぞ
敵の大將たる者ハ古今無雙の英雄で
之に從ふ兵ハ共に慓悍决死の士
鬼~に恥ぬ勇あるも天の許さぬ叛逆を
起しヽ者ハ昔より榮えし例有らざるぞ
敵の亡ぶる夫迄ハ進めや進め諸共に
玉散る劔拔き連れて死ぬる覺悟で進むべし