952 :
日本@名無史さん:04/09/22 20:37:36
一人の男がいる。
歴史が彼を必要とした時、忽然として現れ、
その使命が終わると大急ぎで去った。
もし維新というものが正義であるとすれば、
彼の役目は、津々浦々の枯れ木にその花を
咲かせて回ることであった。
中国では花咲爺いのことを花神という。
彼は花神の仕事を背負ったのかもしれない。
彼──村田蔵六、後の大村益次郎である。
953 :
日本@名無史さん:04/09/22 20:39:39
花咲爺いというよりウンコをぶちまけて回った爺です。
よろしいように。
956 :
日本@名無史さん:04/09/22 22:36:42
「英雄」と言う言葉をスレタイから無くしたのは正解だ。
957 :
日本@名無史さん:04/09/22 22:38:48
「英雄」ではないからな。
958 :
日本@名無史さん:04/09/22 22:39:39
幕末の英雄は坂本龍馬先生だ!
959 :
日本@名無史さん:04/09/22 22:43:05
大村先生。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもんですなあ!
幕末日本で「英雄」と呼べるのは小栗上野介先生だけでアリマス
961 :
日本@名無史さん:04/09/23 01:47:18
「英雄」
と呼べるのは、野茂英雄だけでアリマス。
962 :
日本@名無史さん:04/09/23 05:42:46
村田英雄も英雄だ。
963 :
日本@名無史さん:04/09/23 05:45:55
964 :
日本@名無史さん:04/09/23 05:49:20
>>958 坂本龍馬を英雄に祭り上げたのは司馬先生だ。
龍馬ではなく、竜馬でアリマス。
>>963 日本を近代国家に引き上げたのは小栗上野介先生でアリマス。
明治政府は小栗先生の計画をパクッただけなのでアリマス。
967 :
日本@名無史さん:04/09/23 13:03:27
大村先生。小栗上野介の業績を具体的に教えていただけないでしょうか?
私と同じく「おでこに馬鹿なし」を証明したことが一番の業績でアリマス。
鳥羽伏見の戦いで敗北。徳川慶喜が江戸に逃走。
江戸城には恭順するべきだと言う者が多かった。
ここに徹底抗戦を叫ぶ幕臣がいた。
勘定奉行の小栗上野介である。
だが勝海舟と言うライバルがいた。
江戸城では大評定が始まった。
慶喜は一方では抗戦派にうなづきながら
勝にはひそかに恭順策を委ねると言う二面策をとっていた。
議論は持久戦か短期決戦かに集中し、恭順論の出る余地はなかった。
評定は小栗の独断場となり、短期決戦の主張が吹き荒れた。
慶喜「あいわかった。そちの申す事もっともである。」
慶喜「しかし、決戦と決めるに当たっては今しばらく評定を続けなければならぬ。」
慶喜「このところの評定でそちも疲れておろう。評定は夕刻まで休憩といたそうではないか。」
小栗は短期決戦の主張が通ったものと思い、いったん自宅に帰ってしばらく休息した。
だが、ここで休息したのが小栗にとって失敗であった・・・・・。
夕方になった。
小栗「評議が関東持久で決したですと!?そんな馬鹿な!これは一体どう言う事でござるか!?」
「いや、なに、思いのほか皆が早く集まったのでな。」
「休息を切り上げ、小栗殿をのぞく皆で評定を始めたのじゃ。」
「それでいろいろ話しおうて関東持久と言う事に決まり申した。」
小栗「しまった!謀られたか・・・・!?」
小栗「上様!今一度ご再考願います!」
慶喜「これにて評定は仕舞といたす・・・・・。」
小栗「お待ちくだされ!上様!」
小栗「上様。それほどまでに決戦が恐ろしゅうございますか!?」
慶喜「何!?」
小栗「臆病風に吹かれて身をすくめ、それでも徳川家の頭領でござるか〜っ!?」
慶喜「おのれ!分をわきまえぬか!!」
翌日小栗は罷免されて短期決戦構想はここに潰えた。
慶喜は勝に後の事は託して江戸城を出た。
慶喜は恭順の姿勢を示すべく上野寛永時にて謹慎した。
勝海舟は薩摩藩邸で西郷隆盛と会談。
会談成立。
小栗斬首。
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