弥生人て縄文人を虐殺・征服したんだろ

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1日本@名無史さん
弥生人と縄文人はゆるやかに交わって、縄文時代から弥生時代に移行したという説が
あるけど、ウソだろ?

だって、ウホウホ言いながら、猪とか狩ってた連中と、大陸文化を持ってた弥生人系民族
が仲良くなんかできるか?
縄文人だって、なんか目のつりあがった顔の細い連中が自分たちの住んでた土地に
乗り込んでこられたらいやだろ?

やっぱ弥生人が侵略して、制圧したと考える方が妥当だろ?

それともほんとにゆるやかに交われるほど、縄文人って心広かったのか?
2日本@名無史さん:04/05/02 02:32
ウホッ
3日本@名無史さん:04/05/02 02:42
いい女!
4日本@名無史さん:04/05/02 07:19
高句麗人?
5日本@名無史さん:04/05/03 03:33
虐殺あげ
6日本@名無史さん:04/05/03 04:25
虐殺と考えていいだろう・・
もともと縄文人は、気性が穏やかだから戦いを好まない種族。
それとは反対で渡来系の弥生系は狡猾、ずるがしこい人間
それに縄文系の人間はYAP遺伝子といって弥生系の人間にはない遺伝子を持っていて
この遺伝子のせいで精子の数が縄文人は少なかったらしい、繁殖能力が低かったのだ。
だから絶対数が多い弥生系が縄文系を駆逐するのはたやすい事で
次第に縄文人は、北と南に追いやられたと・・・
追いやられた挙句・・北の縄文人たちは蝦夷といわれ
大和朝廷によって大多数の縄文人たちが殺されたと・・世に言う蝦夷討伐がこれにあたる。
駆逐しようとした理由として・・自分は
やはり蝦夷の一族の女のほうが美人だったんでしょう・二重だし、顔がはっきりしてる。
・・・その女目当てに蝦夷の一族の男を殺したっかったと思います。
その証拠に殺されたのは大多数の蝦夷の男たちで、女どもはさらわれたと聞いてます。
まあひどい話しですね・・・
昔から日本人(大和系)は平気で人を殺したりできる種族だったということです。
挑戦半島での悪行も納得できますね。
7日本@名無史さん:04/05/03 04:32
>>6
アズマの嫌韓釣りか。やれやれ。
8日本@名無史さん:04/05/03 04:36
>>7
僕もおそらく蝦夷の末裔ですけど
僕ら種族は差別とか争いとか好みません。
だから朝鮮人だから、とか目が細いとかで差別はしません。
君達とは性格も違うの。
9ZENON555 ◆shUmUTfqI2 :04/05/03 06:17
>>6

>挑戦半島での悪行も納得できますね。


 弥生系はどっから来たと思っているんだ。
10日本@名無史さん:04/05/03 06:40
つまりは縄文人はアメリカ大陸におけるネイティブアメリカンで
弥生人はアングロサクソンなのか?
はたまた縄文人は高知県高校野球における高知商業野球部で
弥生人は明徳義塾野球部なのか?
11日本@名無史さん:04/05/03 07:25
つまりは縄文人は日本におけるヒッキーandオタッキーで
弥生人は繁殖力旺盛で、やたらに若い内から子供を作り
パチンコ屋の駐車場で死なせてしまうようなDQNなのか?
12日本@名無史さん:04/05/03 08:56
弥生人と縄文人が交配したらどっちの遺伝が優勢なのか。
13日本@名無史さん:04/05/03 09:15
飼い犬のDNA鑑定やったら、やはり、南と北に、古い犬の
DNAを持った犬が多く見られたらしいな。犬は、人と共に
移動しただろうから、それまでの、説が裏付けられた形
だな。
14日本@名無史さん:04/05/03 09:30
別に常に人と共に行動するわけでも無いし野犬化して拡範したのかもしれないし、断定は出来ない。
15日本@名無史さん:04/05/03 10:49
>>6

>やはり蝦夷の一族の女のほうが美人だったんでしょう・二重だし、顔がはっきりしてる。


美人の条件て、縄文時代から今に至るまで一緒なのか?
16日本@名無史さん:04/05/03 13:18
やまとのたみを皆殺しにする
積年の恨み今こそ果たしてくれるわ
17日本@名無史さん:04/05/03 13:22
>>11
弥生人は性への目ざめが遅いらしいぞ
18日本@名無史さん:04/05/03 18:11
農耕文化と戦争は絶対に断絶する事のできない表裏一体の関係です。
19日本@名無史さん:04/05/03 18:42
まあ、今現在弥生人だけの集落は見つかってないわけで。
縄文人と弥生人は仲良くしていたとか言っていた奴も居るけど。
結局現実的に考えると縄文人(日本固有)のDNAは日本の人口の5パーセント
しか居ないからな。古代日本では地理的に近かった朝鮮半島よりも
やはり中国の侵略が多かったんだろうね。
漢民族は近畿地方に渡り日本各地に広がり
そこに住んでいた民族のを男を殺し女を犯し...
近年では朝鮮半島からの来訪者が近畿地方に移住し現在の日本が...
考えたく無いけど歴史ってこんな物なんだろうね。
ヤバイ鬱になりそう....






20日本@名無史さん:04/05/03 19:34
>>19
嘘つくな。日本人の30%が縄文系。文化だけが伝搬したんだろう。
21日本@名無史さん:04/05/03 20:12
古代日本を古代中国が侵略するのはさすがに厳しいだろ
22日本@名無史さん:04/05/03 20:36
なんで?
文化の洗練度が段違いじゃん

三国志の頃でさえやっと邪馬台国だぜ
23日本@名無史さん:04/05/03 22:54
>日本人の30%が縄文系。

いや、gm遺伝子や二重の出現率から日本人の血の7割が縄文系と推測できる。

宝来の遺伝子論は、日本人種の固有の遺伝子がわずか10%としているのに対し、
その日本人種と満州人種が混血した人種である韓国人の固有の遺伝子は30%とか、
南方モンゴロイドと北方モンゴロイドが激しく混血した中国人の固有の遺伝子は
50%とか、まーったくのデタラメで、今ではお笑い草の種。
24日本@名無史さん:04/05/03 23:23
債権回収詐欺(架空請求)にご注意!!

おそらく詐欺業者と思われますが、昨年暮れより掲示板に相談に乗るふりをして「無視していたら本当に回収に来た」とか「支払ったほうがいいよ」などと不安を煽る書き込みが行われております。

身におぼえのない請求には応じない。
身におぼえがあっても、いきなりのメールや電話での請求は疑ってかかる。
電話がかかってきても、支払いの意志がないことを伝えて相手にしない。
メールや郵便物は詐欺撲滅のためにも警察へ情報提供する。

が大原則です。前述のような書き込みは無視してください。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~henachoko/saiken_sagi/
25日本@名無史さん:04/05/03 23:24
>>22 インチキ大袈裟三国志に海を越えた話はあるか?
26日本@名無史さん:04/05/03 23:53
>>25
国家として海を越えなかっただけだろ?

ちょっとした集団が、あの当時の大陸時代の文化を持って、日本に上陸したらどうなる?
侵略なんて簡単だろう
27日本@名無史さん:04/05/04 00:03
実際呉が探検隊を送ったが風土病でかなりの犠牲を出したらしいが。
ちょっとした集団では侵略どころか風土病で全滅しかねない危険がある。
28日本@名無史さん:04/05/04 00:23
海は越えたに決まってんだろ
だってそうじゃなきゃ弥生人はどこから来たんだよ?

>>25>>27はなにが言いたいんだ?
軍団で海は越えられないといいたいのか?
2927:04/05/04 00:31
弥生人の渡来=軍事的に侵略
という28の短絡的な発想に突っ込んだだけだが。

30日本@名無史さん:04/05/04 00:59
土井ヶ浜弥生人は朝鮮支配していた華北系の漢人達がついでに
山口に上陸し、最初は征服侵略の目的のために日本各地を偵察しながら
植民都市を置いていったのであろうが、そんな時も数年から数十年しか
続かず、実際の活動は海運による交易商のような存在であり、
結果的には移民でしかなかった。
31日本@名無史さん:04/05/04 01:18
移動してきた人数によるのかもしれんが……

交易したのか侵略したのか

しかし天皇=渡来人=弥生人だろ?
どっかで日本を征服する過程があったんではなかろうか
32日本@名無史さん:04/05/04 01:41
>しかし天皇=渡来人=弥生人だろ

これもちょっと怪しくなってきた。
渡来人は文化的には在来系に大きな影響を与えた事は間違い無いが、
皇族の顔を見ると渡来系弥生人の顔とは違う。
渡来系弥生人は低鼻。しかし、今の皇族は目は細いが、髭が濃く、
鼻は大きめで高く、縄文的特徴の方が強い。
明治天皇、故高円宮などはもろ縄文的。
皇室は縄文系で、渡来系弥生人からの影響は薄く、
古墳時代の朝鮮難民の影響を若干受けたものではないかと思う。
33日本@名無史さん:04/05/04 01:45
そりゃ、大昔の遺伝子より直近に嫁や婿にむかえたやつが縄文系の人間だったら
子供もそういう顔になる可能性が高いんじゃね-の

顔で判断すんなよ
DNA検査ならともかく
34日本@名無史さん:04/05/04 02:09
皇族の遺伝子をDNA検査したところで何十代も前の祖先を追える訳が無く、
平均的な日本人の遺伝子と何ら変わりは無いだろう。

しかし、顔などの形質は古モンゴロイドより新モンゴロイドの形質の方が
優勢的に出るため、残っているケースが多い。

皇室に縄文系が入っても子供はやはりあの顔になっている。
35日本@名無史さん:04/05/04 02:11
いくらなんでも、縄文人を軍事的に屈服させるほどの人数で
渡ってくることは無理かと。
36日本@名無史さん:04/05/04 02:24
弥生人が戦闘集団として縄文を制圧したとすると風土病や栄養失調で
かなりの犠牲を出しただろう。縄文人だけが弥生人の敵ではない。
37日本@名無史さん:04/05/04 02:52
弥生時代の渡来人は、あわれな難民。
弥生文化はそれ以前に縄文人が自分たちで作ったもの。
38日本@名無史さん:04/05/04 03:20
まあ、パクッテんのよ、渡来系が弥生人だと。
39日本@名無史さん:04/05/04 03:23
じゃあ論点を変えて

「ゆるやかに交合した」というこのゆるやかって具体的にはどうやったのさ?

言葉も顔つきも生活手段も違う民族とそんなに仲良く出きるか?
具体的に言えばそんなに簡単にセックスできるか?

「交合」は弥生人が縄文人を犯したと考えるのがわかりやすい。
また天孫降臨など、やっぱり弥生人が降臨したのを示しているんだろう。
40日本@名無史さん:04/05/04 03:46
渡航してきた弥生人のかなりが気候や風土に適応できずに倒れただろう。
否が応でも適応した体質になる為には縄文の助も必要だったし
場合によっては交合もしただろう。
41日本@名無史さん:04/05/04 04:38
仮に身の安全と機会が与えられたとしても、オマエラ毎日人殺しとセクースできますか?
てゆうか、♂の一生涯でリビドー的に何人ぐらい子供つくれるよ?それに
気候さえ不明な島に集団で渡る動機は、食い詰ることでもなけりゃそうはあるまい。
小家族単位で移動可能な生活形態が発展したとしても定住できるなら定住するだろう。
植民地では先住民の労働力と情報は貴重な資源のような気がする。
対立がなかったとはいわないけど。
42日本@名無史さん:04/05/04 04:44
>弥生時代の渡来人は、あわれな難民

難民であるというソースは?
43日本@名無史さん:04/05/04 06:00
オレが「あわれな」難民生活してたからサ。
「あわれな」つけなきゃまじめにこたえようかともおもったけどね。
44日本@名無史さん:04/05/04 09:43
↑藻前の個人の人生など誰も興味はない。自分の国にカエレ
45日本@名無史さん:04/05/04 10:02
元々
皇族は縄文系の顔(武闘派で無くなったら弥生系の顔に変身)
藤原氏は弥生系の顔(皇族との交配で態度が尊大になる)
46日本@名無史さん:04/05/04 12:59
今の皇族の顔がうんぬんかんぬん
なんてのは、超ナンセンス

途中でどうなってたんだか
わかんないし、外の血だって
どんどん入って、先祖の
顔かたちを受け継いでるわけ無い。
47日本@名無史さん:04/05/04 13:07
縄文人が、ネイティブアメリカンみたいに
徹底的に、侵略者(弥生人)に痛めつけられてたら、
その殺戮の後とかが、全国から発見されて
定説になっていくだろうが、そんな例は
少ないんだろ?

両者の生活圏が違っていれば、争う理由も
ないだろうから、共存しながら、弥生人は
稲作によって、次第に生活圏を拡げ、一方の
縄文人は、弥生人と争うことを避けて、同化
するか北と南に分かれていったとは考えられないか。
48日本@名無史さん:04/05/04 13:20

まず、日本人の歯並びの特殊性についてお話したいと思います。意外に
思われるかもしれませんが、日本人はここ2,3千年の間に急速に混血して
出来あがった民族なんですね。前歯の大きい細面の弥生人とやや受け口気味
で比較的歯が小さい縄文人が混血して出来あがった民族であることは考古学
の成果で解明されています。結果、日本人の宿命として前歯のがたつきや
八重歯が発生しやすいということになります。ただし、その場合でも小臼歯
以降の歯並びはそう悪くないのが一般的です。このことをふまえたうえで
日本人の歯並びの事は考えないと無駄な矯正を増やしてしまうと思います。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwik1362/haisha/ha03.html

結果、日本人の宿命として前歯のがたつきや八重歯が発生しやすい
結果、日本人の宿命として前歯のがたつきや八重歯が発生しやすい
結果、日本人の宿命として前歯のがたつきや八重歯が発生しやすい
結果、日本人の宿命として前歯のがたつきや八重歯が発生しやすい
49日本@名無史さん:04/05/04 13:32
アメリカ大陸のような先住民の徹底的殺戮による居住圏拡大の方が世界史的には稀。
50日本@名無史さん:04/05/04 13:49
そもそも縄文人をアメリカ大陸原住民と位置づけることが間違い。 縄文人の文明は、やってくる文明に比して圧倒的な格差があるわけではない。
51日本@名無史さん:04/05/04 14:38
縄文人と弥生人は顔などの形質は違うが、大別での人種区分では
同じ北方モンゴロイド。

白人たちが異種である黒人やインディオにやった卑劣な事など出来る訳も無い。

実際、甕棺墓から吉野ヶ里タイプ(渡来系)に混ざって、
西北九州タイプ(在来縄文系)が出てくる。

在来系弥生人と吉野ヶ里弥生人は結構仲が良かったと見られる。
52日本@名無史さん:04/05/04 14:56
日本軍がやった韓国に対しての虐待はどう説明するのでしょうか?
同じ国の中でもいじめによる自殺などがたえませんが・・このくにでは
日本ほどいじめがひどい国は無いそうですよ・・・
同じ民族などという概念は関係ないのです。マイノリティーは徹底的に排除する。
それがこの国の奴らの本性です・
53日本@名無史さん:04/05/04 15:03
>>52 うるせーバカ くたばれ 叩っ斬るぞ
54日本@名無史さん:04/05/04 15:04
そんな野蛮な国になぜいつまでも居座っているのか?
格安航空チケットでたったの2万円でわずか1時間半で祖国に帰れる。
もう在日する必要など全然ない。
早く帰りなさい。
55日本@名無史さん:04/05/04 15:05
>>52 韓国で戦時中に旋盤で指を切断した韓国人女性がいて、戦後、
帰国した途端に親戚中からつまはじきにされて、一人大都市の中で
暮らさざるをえなくなった韓国人女性を知っているが。
56日本@名無史さん:04/05/04 15:07
>白人たちが異種である黒人やインディオにやった卑劣な事など出来る訳も無い。

和人がアイヌの人達に行った行為はどう説明するんでしょうか。
近くは、日本人が、中国人や朝鮮人に行った行為はどう説明するんでしょう。
57日本@名無史さん:04/05/04 15:15
>実際、甕棺墓から吉野ヶ里タイプ(渡来系)に混ざって、
>西北九州タイプ(在来縄文系)が出てくる。

>在来系弥生人と吉野ヶ里弥生人は結構仲が良かったと見られる。

葬られてるのが一緒だからといって、仲が良かったと
解釈するのも、早計かも。

縄文人が奴隷として売り買いされていた可能性もあるわけで。

一緒に生活しているわけだから、墓を別にせず
一緒に葬ることも考えられる。
58日本@名無史さん:04/05/04 15:17
>>56 アイヌの話に、中国人朝鮮人を絡めるな。 全く関係なし。 どうせアイヌの話には興味ないくせに。 興味あるのは中国朝鮮人だけだろ。
59日本@名無史さん:04/05/04 15:20
奴隷と一緒に埋葬とはおめでてえな。 主だけの墓はどれほどあるのか?
60日本@名無史さん:04/05/04 15:32
アイヌの人たちは今どうしてるんですか?
これまでの償いとして・・六本木ヒルズのマンションくらい与えてあげてもいいのではないでしょうか?
61日本@名無史さん:04/05/04 15:36
中国や朝鮮の被差別民や少数民族よりは優遇されています。
62日本@名無史さん:04/05/04 15:48
お前ら日本人は1回アメリカによって征服されるべきだな。
アメリカ人から、虐殺・人体実験・レイプされてみろ!
そこらへんでアメリカ人がお前らを殺しまくってるんだぞ・・
公用語も英語にさせられるんだ・・・
どうだこれがお前らがやってきた事なんだぞ?
最低な民族だな大和の国の奴らは。
63日本@名無史さん:04/05/04 15:50
アイヌは日本人種であり、大和・アイヌ・琉球と、日本民族を構成する
1民族だが、中国人・朝鮮人は日本人種でないし、日本民族でもない。

アイヌと中国人・朝鮮人を同じ基準に持ってくる事自体間違っておる。
64日本@名無史さん:04/05/04 15:53
>>62
ハングル板に逝ってくダサい。
65日本@名無史さん:04/05/04 15:59
>>62
すべてロシアにされたよ。
負けるってことはそーゆーことなんだよ。
66日本@名無史さん:04/05/04 16:00
>>63
そうかい。そうかい。長々と珍説の開陳ありがたう。
67日本@名無史さん:04/05/04 16:07
>>63の説によると関西人は日本人ではなくなってしまう。
68日本@名無史さん:04/05/04 16:07
見事なクソスレになっちまった
69日本@名無史さん:04/05/04 16:10
>>67
日本人じゃないだろ遺伝子レベルでは
チョンなんだよ!関西やロウは
みてみろ!大阪の女は日本で一番不細工だろ
70日本@名無史さん:04/05/04 16:18
>>68
スレタイから糞だろ
71日本@名無史さん:04/05/04 16:22
荒しているけど結局弥生人が大々的に軍事的な征服で縄文人を駆逐したという根拠は希薄なわけね。
72日本@名無史さん:04/05/04 16:37
半島人が結核やコレラや梅毒を持ち込んで、
免疫のない縄文人が駆逐されたという話を聞いたことがある。
73縄文人:04/05/04 17:05
征服されたに決まってんだろ

そうじゃなきゃだれが雪のガンガン降る、北の方なんかに逃げるかよ

ちくしょー、あいつら女房も子供も殺した上に、あったかいところでぬくぬく暮らしやがってー
74日本@名無史さん:04/05/04 17:15
72は新大陸のキリスト教徒の事を混同しているのではないか。
75日本@名無史さん:04/05/04 17:21
>>74
その線が高いと思われ。
と言っても歴史的に結構そういう事が世界各地で有ったからね。
一番近くで言えばアイヌ人でしょ?
現状ではアイヌはそのせいで壊滅状態ナ訳で。
無いとはいちがんには言えないだろ。



76日本@名無史さん:04/05/04 17:34
縄文人は大陸と交易していたし、弥生人が来たことによってもたらされる
病原菌によって壊滅するほど無免疫だったというのは無理がある。
77日本@名無史さん:04/05/04 17:54
北に逃げたわけではなく農耕に適さない地域には弥生人は進んでいかなかった
という方が正しいのでは
後に力関係が明確になってからは討伐したりもするわけだが
小競り合いを続けながらだんだん同化していったのということなのだろう
小集団どうしで争ってもそれぞれの種族単位の大きな意識はなかったと思われ
食料の自給能力と繁殖能力の差で徐々にそうなっていった・・
ということではだめか
78日本@名無史さん:04/05/04 18:06
縄文人と弥生人は確かに、外形的には
違っていたにせよ。言語的にはどうなんだ。

縄文人にせよ、日本国内だけで鎖国的に
暮らしていたわけでなく、朝鮮半島との
交流はあり、言語的にも意志疎通は
可能だったので、弥生人と縄文人は
交易を通して、相互に補完関係に
あり、じょじょに交流が進み
融合も進んで言ったとは言えないか。

完全に、友好的で仲良くやっていたと
いうのは、考えられないが、今想像
する以上に、両者は共存していたのでは。

ウルルンなんかをみても、文明的には
未開とされる部族も、他の部族と
敵対的になっているより、むしろ
他者との交流を好む傾向さえ見て取れる
ではないか。
79日本@名無史さん:04/05/04 18:10
在来種を除いた渡来種の弥生人には3種類あり、
吉野ヶ里タイプは農耕民で、土井ヶ浜タイプは海洋民であった。
南九州・離島タイプはちょっと不明。

この内、日本各地で広く発見される渡来種は土井ヶ浜タイプである。

吉野ヶ里タイプはその後 広まるどころか、逆に徐々に衰退していった
事も分かっている。
80日本@名無史さん:04/05/04 18:18
>>79
吉野ヶ里弥生人は縄文形質が濃いとおもっていたが、渡来系と分類されるのか?
81日本@名無史さん:04/05/04 18:23
常識だと思われ。
82日本@名無史さん:04/05/04 18:28
山口・北部九州タイプ弥生人は、
山口の土井ヶ浜遺跡をはじめ、北九州の吉野ヶ里遺跡のある佐賀平野
や福岡平野などで見られる。中頭で、顔が高く(長く)、鼻根部
(鼻の付け根)が偏平で、彫りが浅い。さらに、身長が高いという
特徴が見られる。普通、土井ヶ浜タイプ、吉野ヶ里タイプと言われている。

また両者は似ているが、形質的に相違点が存在する。
土井ヶ浜タイプは顔が細くて華奢。吉野ヶ里タイプは、やや横幅が張って
おり、屈強である。

両者の故郷は、形質的に近いから、そんなには離れていないだろうが、
別であったと考えられる。

重要な事は、日本全国で見つかる渡来系弥生人骨は土井ヶ浜タイプの
方である。
83日本@名無史さん:04/05/04 18:28
>>76
縄文時代の日本には結核が無かったらしい。
しかし弥生〜古墳時代に渡来人が結核を持ちこみ大流行、
これが縄文人壊滅の主要因となったんだよ。
84日本@名無史さん:04/05/04 18:30
弥生人も壊滅するわな。
85日本@名無史さん:04/05/04 18:40
在来種の縄文系弥生人は西北九州タイプ弥生人と呼ばれる。

西北九州タイプ弥生人は、長崎県など西北九州地域に住んでいた
海浜部の弥生人。顔は低く(短く)て幅が広く、鼻根部が深く陥凹
(くぼんでいること)していて、彫りの深い容貌をしている。
身長は低い。
86日本@名無史さん:04/05/04 19:56
古代は、圧倒的に人口が少なく、地域間の交流も
少なかっただろうから、狭い地域で婚姻を繰り返し
それぞれの地域特有の人種的特徴がでてくるんだろうな。

これは、現在でもままあることで、某県など、
地域により、はっきりと身体的特徴が出ている
ところがある。その地域の人達は、男も女も
いわゆる固太りで、相撲取りのような体格が多く、
その地域に行くと圧倒される場所がある。
87日本@名無史さん:04/05/04 20:15
なんだかんだいっても結局、
とりあえず1のいうような弥生人による縄文人の虐殺・征服というのは
断定できないわけか。
88日本@名無史さん:04/05/04 20:38
どちらも文字を持ってないので、発音を通じてしか対話できない
のでしょう?
89日本@名無史さん:04/05/04 20:41
どんな言葉を話していて、どんな発音をしてたか知りたい・・・。
90日本@名無史さん:04/05/04 21:49
肉体的に華奢な弥生人より、ガッチリした骨格の縄文人の方が戦闘能力は
高いだろうねえ。

肥満は昔、栄養条件の悪かった地域に多いそうだよ。
どこか忘れたが、中米のある島ではアメリカ人が入って来てから、
在来種の島民のほとんどがあっという間に肥満になってしまった。
しかし、アメリカ人などの外来種の島民は痩せ型なんだそうだ。
同じ物を食べても痩せたままの人種、太ってしまう人種がいるという事だね。
91歴史好き:04/05/04 22:36
古来の日本にも文字はありましたよ。
92日本@名無史さん:04/05/04 22:44
大規模な戦闘や虐殺があったら痕跡が残るはずなのに、
そんな遺跡はほとんど見つかってない。
93日本@名無史さん:04/05/04 23:17
船で土井ヶ浜のような、なるべく人の居ない海岸を選んで、
日本海沿いに植民都市を作っていっただけなのだから、
在来種と闘う必要もほとんど無かったと思われ。

1〜2年で日本列島を海岸沿に偵察しながら周遊し、植民都市を置いていった。
縄文人とは南洋の貴重な貝などを商品として物物交換していたのだろう。
94日本@名無史さん:04/05/05 01:12
そうするとなにか、近所の変わった人たち扱いだったのか、弥生人。

……で、国家はどうやってできたのよ。

・縄文人と弥生人が国家を作った

・縄文人も弥生人も駆逐して、騎馬民族みたいなのがやってきて作った

・やっぱ途中で弥生人が本性現して縄文人虐殺で国家を作った
95日本@名無史さん:04/05/05 02:54
縄文人は確かに4000年前から徐々に衰退していったが、
16000年前には既に人類初のハイテク製品を開発し、6500年前には稲作も
していた文明人。馬鹿にしてはイケナイ。
おそらく土井ヶ浜弥生人は最初は征服目的でやって来たのであろうが、
縄文人は我々が思っている以上に文化水準が高く、既に幾つかの国家を
持っており、各地域の土豪が国を治めていた。
もしそうなら、弥生人もそう簡単に征服とまでは行かなかっただろう。
96日本@名無史さん:04/05/05 07:33
弥生人と、縄文人は最初は交易によって、交流が
始まり、じょじょに、関係が深まっていったと
考えればどうか。交易で、お互いに利益を享受
出来れば、無理に相手を征服する必要はない
わけだ。むしろ、相手の文化を破壊すれば、
マイナスにしかならない。

その交流が、長く続けば、お互いに交流は
深まり、同化も進む。現在の在日の人達も
何世にもなれば、民族的には、違っていても
思考回路は、日本人そのものになってきても
不思議ではないのと同じだ。
97日本@名無史さん:04/05/05 09:09
人種的にも違うがな。
弥生人との混血は日本人を美的に劣化させたのは間違い無い。
98日本@名無史さん:04/05/06 00:30
462 日本@名無史さん New! 03/12/26 18:33
日本最強のブス三大産地、名古屋>>>∞>>>水戸>仙台(補欠:広島)※「真説県民大図鑑」(扶桑社)
京都、奈良の一重瞼率1.2位を争う基地外ペア。日本一顔がでかい九州地方。朝日より電波な北海道新聞社
一重美人(昔)の秋田。B型が多く脱アルコール遺伝子に歯並びが良い典型的な朝鮮系の北関東・東北人
O型・A型が多くは並びが悪い典型的な華南系(中国南部:上海・香港・台湾など)の九州・近畿・南関東人
ttp://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-26.html
朝鮮『高麗郡』が置かれた静岡、山梨、神奈川、千葉、茨城、栃木
ttp://www.j-pca.net/locality/history/saitama1/morelittle.html
朝鮮東部『新羅』の朝鮮語(ズーズー弁)を話す東北民国人
ttp://homepage1.nifty.com/snap/room04/c01/nihon/nihon02.html
年々、在日朝鮮人が数千単位で減り続ける西日本、年々、在日朝鮮人が増え続ける首都圏
年々万単位で人口が減り、デブ生産率、自殺率総なめ、人間のような容姿をした獣が住む未開の土地の東北。
ttp://www.ultracyzo.com/newssource/0308/03.html
99日本@名無史さん:04/05/06 02:34
結局虐殺なかったの?
100日本@名無史さん:04/05/06 02:43
虐殺も征服も無かった。
あったのは植民支配だけ。

漢の朝鮮における植民支配と同様のものが、
日本でも若干行われたというだけ。
期間も数年〜数十年程度というごく短いもの。
101日本@名無史さん:04/05/06 02:56
>だって、ウホウホ言いながら、猪とか狩ってた連中


縄文人は渡来人が来た時にはもう農耕民に移行していたはずですよ。
102日本@名無史さん:04/05/06 03:24
現代日本人の近畿地方の人々は、他の地域の人々に較べて特殊な日本人であることが判明している。
朝鮮半島から渡来したと考えられている弥生人は、北方要素を強くもった人々であることが分かっている。
現代の近畿地方に住む人々と朝鮮人とには、他の地域の人々とは比較にならないほど共通項が多い。
両者は人種的に近い間柄である。

http://www.keiryou-keisoku.co.jp/other/gakkai2.html

典型的関西系の顔の例
女性:山田花子 ハイヒールモモコ 天童よしみ 宮川花子 林明日香 AIKO
男性:トミーズ雅 蔵野 雨上がり蛍原 ノック 宮川大助 アホの坂田

朝鮮人に近い為、一重、出っ歯、エラ張り、頬骨突出、低鼻、腫れぼったい瞼、無睫毛、巨顔、無表情、短頭(絶壁)などの特徴が見られます。
103日本@名無史さん:04/05/06 04:34
何年か前に縄文犬を保存するって会をTVで見たが、
縄文犬以外の血が少しでも入ると縄文犬の特徴が全部消えてしまうそうだ。
縄文犬の特徴を保存するには純血を守るしかないワケだ。
104日本@名無史さん:04/05/06 20:33
>>102
土井ヶ浜弥生人は確かに朝鮮半島から渡来したが、
彼らは朝鮮半島の原住民ではなく、
朝鮮半島とその原住民を植民支配していた華北から来た漢人である。

弥生人は北方モンゴロイドではなく、6000年前に新モンゴロイド化した
北方モンゴロイドと原住民の南方モンゴロイドが混血した中モンゴロイド。

高鼻や長頭が南方系と違っている思われながらも南方系と長らく勘違いされてきた
縄文人の方が、実は古モンゴロイド形質を残した純粋な北方モンゴロイドである。

関西人に見られる朝鮮人的特徴は、古墳時代以降に属国民や難民で半島人が
数千人ほど関西に移植した時のものであり、弥生人とは関係が無い。
105日本@名無史さん:04/05/06 21:27
俺たち日本人...は...(鏡を見るたびに、自分たちが朝鮮からの渡来人の子孫...
...なのだと、痛感し、) 自分たちに 朝鮮人の血が流れていることに
「うすうす」 じゃなくて、
「ますます」「つくづく」「よくよく」「しみじみ」「ひしひし」と気づいてる。


106日本@名無史さん:04/05/06 21:31
>>105
大変言い難いことだが・・・・それはおまえとおまえの家族だけだ。

107日本@名無史さん:04/05/06 21:57
>>105
いつも笑わせてくれてご苦労さん。

本当は君ら朝鮮人の方に俺たち日本人の血が流れているんだがなw
108日本@名無史さん:04/05/07 00:06
109日本@名無史さん:04/05/07 21:05
>>104
>北方モンゴロイドと原住民の南方モンゴロイドが混血した中モンゴロイド

人類学用語をここまでデタラメに使った文章も珍しい。
この調子では「土井ケ浜=漢人」説もたかが知れるなw
110日本@名無史さん:04/05/07 22:59
>>109
先にまずどこがデタラメなのか言ってみなさい。
貶すだけで君の意見が無いのではこちらも訂正できない。

ま、貶してるだけで何もそこに自分の主張が無いのが賊軍のいつもの
お決まりのパターンだけどなw
111日本@名無史さん:04/05/08 00:00
やたら朝鮮人を卑下したがる奴ってなんか2chにおける典型的朝鮮人と変わらない気がする
112日本@名無史さん:04/05/08 00:18
その前に朝鮮人が何百万人も日本に居る事がそもそもの間違い。
日本から出ていってから、そういう偉そうな事は言って下さい。
113日本@名無史さん:04/05/08 00:22
在日と血統の問題は関係ないだろ
114日本@名無史さん:04/05/08 00:23
109 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/05/07 21:05
>>104
>北方モンゴロイドと原住民の南方モンゴロイドが混血した中モンゴロイド

人類学用語をここまでデタラメに使った文章も珍しい。
この調子では「土井ケ浜=漢人」説もたかが知れるなw

110 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/05/07 22:59
>>109
先にまずどこがデタラメなのか言ってみなさい。
貶すだけで君の意見が無いのではこちらも訂正できない。

ま、貶してるだけで何もそこに自分の主張が無いのが賊軍のいつもの
お決まりのパターンだけどなw
115日本@名無史さん:04/05/08 00:37
>>109
早くどこかデタラメか指摘してくれ。
116日本@名無史さん:04/05/08 00:47
倭人であることが恥しいニダ
117日本@名無史さん:04/05/08 01:06
>>116
じゃ辞めれば〜、帰化人なんだろ。
118日本@名無史さん:04/05/08 08:28
純粋な日本人がそもそも何を指すのか?

混血を繰り返して今ここに至っている位は
皆、承知してるんだろう?

119日本@名無史さん:04/05/08 08:34
>>118
いきなり何を言い出すんだ?

世界中の民族は混血を繰り返していますが・・・・。
120日本@名無史さん:04/05/08 09:17
>>119
日本人のことを言っているわけだが・・・・。

いきなり、世界中の民族と言い出すところが
怪しい・・・・。

121日本@名無史さん:04/05/08 10:01
縄文人と弥生人って今の日本人と在日のように混血してったんでしょう?
虐殺ではなく。
122日本@名無史さん:04/05/08 10:49
最初は、居住地域が違っていて、接触は
そんなに多くはなくとも、交易などで
次第に、接触が出来、デメリットとして
病気の感染などもあっただろうが、男と
女がいれば、段々と混血も進んでいった
だろうって、普通考えられる罠

今の日本人じゃなくたって、古来から
原日本人と、中国人、朝鮮人との
混血は繰り返されてきているから、
ここで在日とか誹謗している香具師の
血の中にも、色んな民族の血が流れて
いるのは、

間違いない!
123日本@名無史さん:04/05/08 11:47
「蝦夷の地」に争乱の世紀 鉄やじり、縛られた人骨出土
http://www.asahi.com/culture/update/0505/002.html

これは、平安時代の遺跡らしいが、穏やかに
異民族同士が共存していただけとは、やはり
考えにくい罠
時には、相当の争乱も経験しながら、段々に
日本としてまとまっていったんだろう。
124日本@名無史さん:04/05/08 13:36
>>114
ぷ。
基礎用語の意味もしらない素人が偉そうに電波を垂れ流すなっていってんだよ
そもそもどこがデタラメなんだか自分でもわからないだろw
125日本@名無史さん:04/05/08 19:24
>>124
指摘できないのはデタラメではないからだろ。
この遺伝子真っ赤っかのひらめ南方人が。
126日本@名無史さん:04/05/08 19:30
混血していない人は少ないのは当たり前。
問題はその純度である。

朝鮮人は日本人の倍くらい南方モンゴロイドの遺伝子が多い。

満州人、華北人に至っては日本人とは比較にならないくらい
南方モンゴロイドの遺伝子が多い。

華南人、東南アジア人においてはその遺伝子のほとんどが
南方モンゴロイドで占められていてもう真っ赤である。

そう、我々日本人は純度の高い北方モンゴロイドなのである。

http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
127日本@名無史さん:04/05/08 20:29
↑この図で見ても、朝鮮人は、それほど大きく
日本人と違ってはいない。確かに日本人より
赤の割合は高いが。

日本の北方と南方が同じような割合になっているのは、
定説通り。

北方民族とチベットは、日本人の分布に近いな。
128日本@名無史さん:04/05/08 22:30
>>125
>北方モンゴロイドと原住民の南方モンゴロイドが混血した中モンゴロイド

↑この一文でもうロクに本すら読んだことがなく
2chのヨタ話だけを真に受けてるドキュン小僧であることが丸わかりだろ
129日本@名無史さん:04/05/08 23:20
>>128
だから早く正しくを言ってみなよ。
のっぺら南方人さんw
130日本@名無史さん:04/05/09 02:58
縄文って世界最古級の焼き物、定住集落、農耕の文化があったのに、
後から出てきたそのいわゆる四大文明に追い抜かれたのは戦争とか
しなかったからなのかな?
戦争ベタだから弥生人を追い出せずに乗っ取られた
131日本@名無史さん:04/05/09 03:26
>>128
そんなおまえは煽りしかできねえただのゴキブリじゃねえか。

朝鮮ゴキブリそのもの。
132日本@名無史さん:04/05/09 03:30
縄文人を駆逐していったのが現日本人でしょ。
133日本@名無史さん:04/05/09 03:37
駆逐した証拠が全く出てこない
134日本@名無史さん:04/05/09 04:11
>>133
上野の国立博物館で見てね。
135日本@名無史さん:04/05/09 04:14
>>131
北方モンゴロイドと南方モンゴロイドが混血すると
中央モンゴロイドができると思ってるような途方もない馬鹿が
他人をゴキブリよばわりとは笑わせるw
136日本@名無史さん:04/05/09 05:13
>>135
話が全然前に進まねえのは誰のせいだ?おまえのせいだろが。
おまえみたいなひねくれた奴の事をゴキブリと呼んで何が悪い。
137日本@名無史さん:04/05/09 05:27

北方モンゴロイドと南方モンゴロイドが混血すると
中央モンゴロイドができると思ってるような途方もない馬鹿が
他人をゴキブリよばわりしておりますw
138日本@名無史さん:04/05/09 12:51
中モンゴロイドって何よ?
白人と黒人の混血を灰人と呼ぶのか?
北京と南京の中間地を中京と呼ぶのか?
馬鹿馬鹿しい。

最初に中モンゴロイドと書いた奴は消えてくれ。

139日本@名無史さん:04/05/09 13:33
赤色人種(アメリカンインディアン)と白人の混血は桃色人?
140日本@名無史さん:04/05/09 13:38

http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg

満州〜華北人は、遺伝子上は北方モンゴロイドと南方モンゴロイドの
ほぼ中間だろが。

南方モンゴロイドはモンゴロイドでさえないとも聞いている。
141日本@名無史さん:04/05/09 13:56
>http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-10.html
>やがて、6000年ほど前、このような北方アジア人が、シベリアから南下し、
>中国の大部分に広がっていきました。


6000年ほど前、このような北方アジア人が、シベリアから南下し、
中国の大部分に広がっていきました。
にもかかわらず、今の華北人や満州人の遺伝子はシベリアと同じ
北方モンゴロイドでない訳だ。

さて、どうすれば中モンゴロイドができるのかねえ?
142日本@名無史さん:04/05/09 14:04
>>72
日本にコレラや梅毒が持ち込まれたのはもっとずっと後だろ。
143日本@名無史さん:04/05/09 15:22
今ではネアンデルタール人はクロマニヨン人との
競争に敗れたと言う説がDNA比較からも有力ですが
駆逐した証拠が全く出てきません。
証拠なんか残らないんじゃないでしょうか?
144日本@名無史さん:04/05/09 15:25
遺伝子から見るなら、日本人は弥生人の来た華北とは全然違っている。
駆逐したとは思えない。
145日本@名無史さん:04/05/09 16:06
組織的な侵略は有り得ないだろう。
やはり海を越えることからして、船で生活することに主流をおいた、
漁業民あたりが往復しているうちに住みついたんだろう。
本当に弥生人が征服したら、日本語の単語なんかはかなり韓国語に
近いものの筈。それがないということは、やはり縄文人の文化の方
がこの国には適していたと思う。文法がウラル・アルタイというこ
とからすれば、弥生のほうが優勢だったんだろう。
146日本@名無史さん:04/05/09 16:19
弥生人は朝鮮の原住民ではなく、半島を植民支配していた華北人。
韓国語じゃなくて華北語に近いと言うなら分かるが。

支配と言っても、何も民族浄化する訳じゃない。
終戦後のアメリカのGHQみたいなものだっただろう。
147日本@名無史さん:04/05/09 20:26
まあ弥生人にしてみれば、縄文人と違って日本には馴れていない。
だからある程度協力関係もあっただろう。最初はトラブルも多かった
だろうが、段段に同化していったんだろう。
昔話には海幸彦と山幸彦の伝説があるとおり、少しずつ交易も
でてきたのが実際だろう。御互いの分業が成立して行って、次第に
新しい人間の構成体ができあがったと思う。
単語が縄文系列で文法がウラル・アルタイなのは、縄文人からの
引用がないことにはできない言語構造ではないか。
何も日本ばかりでなく、英語、ドイツ語、仏語なども半分がラテン語
、ギリシア語からなっている。
今の日本語でさえ新しい言葉は外来語を採用。これは日本ばかりではない。
英語だって日本語をそのまま外来語にしている。
148日本@名無史さん:04/05/09 20:39
モンゴロイドって何?
149日本@名無史さん:04/05/09 20:39
縄文人自体がアルタイの少し北部のブリアート地方あたりから
やって来た訳で、そのシベリア南部あたりから樺太を経て日本に入った訳だし。

縄文語は2〜3万年前の古代アルタイ語の進化したものだろう。
150日本@名無史さん:04/05/09 20:39
まあ、どっちにしろ弥生の定義は、中国の激動とリンクするという事。
半島からの渡来人にしろ、大陸からの渡来人にしろ、戦乱から逃れてきた人達が多かったという事だろ。
151日本@名無史さん:04/05/09 20:43
その可能性があるというだけで、それはまだ分からない。
152日本@名無史さん:04/05/09 20:47

世にも恥ずかしい妄想の一例を載せておこう。

>土井ヶ浜弥生人は秦の中国統一戦争と始皇帝の圧制から逃れてきた
>燕・斉のあたりの難民だろう。
>あのへんは東の海に仙人がいるという信仰が盛んで
>始皇帝よりはるか以前の燕の昭王・斉の威宣王が仙人を探させたりしている。
>だから燕人・斉人は東方航路にそれなりに熟知していたと思われ。

>吉野ヶ里弥生人は滅亡した呉人かな。または呉越抗争の難民か。
>呉を併合したあと越は一時的ながら中原に覇をとなえ
>山東半島の南の付け根の浪邪に首都を移した。ここは東シナ海の
>交通の要。呉越の憎しみは半端でなかったから負けた方が
>日本に逃げてきても不思議ではない。
153日本@名無史さん:04/05/09 20:52
[科学科未来]韓民族遺伝子開けてみたら…"南方系も先祖だったな"

美術と解剖学を専攻した静か陣寒暑台顔研究所長は"顔などの特徴を通じる分析結果でも韓国人の中20%ほどは
南方係の特徴を強く現わす"と説明した.南方係は濃い眉毛と二重続,厚い唇などが特徴である一方北方係は目が
小さくて二重続がないし鼻が長くて終りが尖ったような兄さん(型)というのだ.
カトリック医大ハンスングホ教授は数年の前人間白血球抗原(HLA)を比較分析した結果韓国人がむしろ泰国の高
山族であるアカゾックなどともっときっかり会うという論文を発表した.ハンギョスは東北アジア民族と頭形態を比べ
た結果でも韓国人は耳から脳天までの頭高さが高い一方モンゴル人は低く現われるなどモンゴルで分離した単一
民族ではない可能性が大きいと指摘した.
http://j2k.naver.com/j2k.php/japan/news.empas.com/show.tsp/it/jo/20040128n02817/
154日本@名無史さん:04/05/09 20:56
今の中国人の華僑をみればわかるとおり、彼らは非常に同化する
のがうまい。だから日本でもさっさと同化していったんだろう。
また今の中国や朝鮮半島からきた人も一度日本に住めば、あまり
帰ろうとしない。だから気候も大陸よりも冬場で10℃以上
高くて水も豊富、山菜や海洋食物の豊富な日本に来たらやっぱり
帰りたくないだろうな。
155日本@名無史さん:04/05/09 21:00
>南方係は濃い眉毛と二重続,厚い唇などが特徴である

それは縄文系。
縄文人は新モンゴロイドになる前の北方モンゴロイド。
韓国の人類学や歴史学は日本と比較にならない程遅れている。

>>154
それでも出ていってもらわねばな。
156日本@名無史さん:04/05/09 21:01
>>98
>B型が多く脱アルコール遺伝子に歯並びが良い典型的な朝鮮系

朝鮮系だけではなく華北の中国人もB型気質だよ。つまりB型は北方中国人にも多いタイプ

>朝鮮東部『新羅』の朝鮮語(ズーズー弁)を話す東北民国人

鼻音を濁らせた発音ってのは、おそらく出わたりの鼻音がある有声音
(窓を[mando]のように発音する、ただしdの前のnはあとの音と一緒に発音されるため、
「まど」と「まんど」の中間ぐらいの音に聞こえる)のことでしょう。
確かに韓国語の鼻音はそういう発音をすることが多いのですが、これで発音するのは
nやmのような「鼻音」であり、東北弁のように「有声(破裂)音」ではありません。
また、確かに韓国語の「平音」は東北弁のように語中で有声音になるのですが
これは韓国語の音の中で「有声」で特徴づけられる音(要するに濁音)が存在しないので
息の出し方が一番プレーンな音(無気音)が有声音で発音されても大丈夫、という現象です。
東北弁の「訛り」とは似ているのですが、こちらは有声音が鼻音化して発音される地域では
無声音が有声音として発音されても大丈夫という現象ですし、また鼻音化が起こらない地域では
しばしば「的」と「窓」のような区別が曖昧になるといった「音韻衝突」が起こります。
実際にはイントネーションなどで微妙に区別されているのですが。
というわけで、一見2つは似ていますが、音韻システムの中で見ると簡単には「同じ現象」とはいえません。

音の特徴は、隣接している地域で話される言語同士、似ていることがあり、
単純には民族の移動とか言語の同系とかの証拠にはなりにくいのです。
同じような現象だったら出わたりの鼻音を持つ言語はアフリカにもたくさんありますし、
「訛り」に近い現象は中国の官話にも見られます(これは韓国語の有声化とほぼ同じ理由です)。
要するに、「ただ似ているだけ」の可能性が強いのです。
新羅の住民が東北に移動したなら、音の特徴よりも語彙に類似点がはっきり残ると思われ、

そのような例が見つからなければ「他人の空似」といわざるを得ません。
157日本@名無史さん:04/05/09 21:03
>>98
>朝鮮「高麗郡」

朝鮮?
158日本@名無史さん:04/05/09 21:13
土器も、縄文前期の轟式、曽畑式が多く出土している。特に曽畑式は海に関わりの深い土器である。韓国釜山市の
東三洞遺跡から出土したように、韓国南部や対馬、沖縄付近にまで広がっていた。また逆に、同時代の朝鮮半島の
土器である櫛目文土器も、対馬から出土している。土器や石器を介して、大陸と広範囲な交流が行われていたよう
である。
 遺跡の前面、本山川の向こうには田圃を大きく跨ぐようにして、国道205号のバイパスが通る。
 平成3年から、佐世保で初めての本格的な弥生遺跡である四反田遺跡が、バイパスの工事現場で発掘された。
そして今、相浦川のさらに下流域に、弥生後期の卑弥呼の時代の遺跡を中心とした広範囲な遺跡が発掘されている。
この遺跡からも、クジラやイルカ捕りに使われた石銛のほか中国渡来の銅鏡が出土している。
 やはり佐世保には、古代から海の道が開かれていたのである。


つまり急に半島から渡来してきたのではなく、以前から交流があった事を示しているのである。
159日本@名無史さん:04/05/09 21:18
>>158
昔は、別に朝鮮だ、日本だって、国境があったわけではないから、
その辺は混然一体となって、相互に行き来してるし、色んな民族も
相互に交易したり、侵略したり、仲良くしたり、ごちゃごちゃに
なっていたっていうイメージなのかな。

その中で、強い者が次第にリーダーシップを取って、部族国家から
本格的な国家へ進んでいったんだろう。
160日本@名無史さん:04/05/09 21:56
アイヌ語は、SOVのアルタイ系に近い言語。
アイヌ語は、半島の古い体系の言語に近いと聞いた。
161日本@名無史さん:04/05/09 21:57
さらに言うと、アイヌ人はB型が非常に多い。
162日本@名無史さん:04/05/10 10:22
国立市出身の宇梶元総長もアイヌだって自分で言ってたな。
母ちゃん女性運動家だったし。
163日本@名無史さん:04/05/10 11:15
つまりアイヌ語は、日本語や韓国語、朝鮮語よりも古い体系の言語という事になる。
164日本@名無史さん:04/05/10 11:56
まあ今の日本・朝鮮の国家観で考えるとよくないわな

国家が形成されていなかったとすれば、日本、朝鮮半島で往来が激しくあっても
不思議ではない

ただ、当時朝鮮に国家があったかどうかが問題になってくる気もするが……
165日本@名無史さん:04/05/10 21:37
朝鮮半島に最初に住んだ人々は7000年前に南方から渡ってきたそうだ。
熊を崇拝する人々。
韓国から日本産の縄文土器が出てくる。
韓国人の2割は南方系と言われているが、実は縄文系と思しき顔立ち。
166日本@名無史さん:04/05/10 21:54
>韓国人の中20%ほどは南方係の特徴を強く現わす"と説明した.
>南方係は濃い眉毛と二重続,厚い唇などが特徴である一方北方係は目が
>小さくて二重続がないし鼻が長く方係は濃い眉毛と二重続,厚い唇て終りが
>尖ったような兄さん(型)というのだ.


韓国の南方係は濃い眉毛と二重続,厚い唇などが特徴であるそうだが、
南方系は短頭、鼻骨が低い、毛深くない、突出した口蓋が特徴。
縄文系は中頭〜長頭、鼻骨が高い、毛深い、垂直な口蓋、歯が小さいのが特徴。

韓国人類学にそこまでちゃんと調べてほしいね。
167日本@名無史さん:04/05/10 22:22
>>165
ちなみに朝鮮半島南部の言葉も日本の言葉にも南インド系の言語タミル語の影響を受けているとも言われているね。
168日本@名無史さん:04/05/11 19:26
論点が拡散してるけど、要するに>>1は間違いていいんだろ?
169日本@名無史さん:04/05/11 22:35
タイトルからして流言流布、対立煽動スレなのに
以外に情報が多いな、ジサクジエンとイニシアティブは鼻につくけどな。
170日本@名無史さん:04/05/11 23:24
ネタだろ。
ま、楽しめ。
171日本@名無史さん:04/05/14 10:01
制服あげ
172日本@名無史さん:04/05/14 20:54
弥生人に朝鮮半島の特徴  鳥取で出土の頭骨研究で
http://www.iwate-np.co.jp/newspack/cgi-bin/newspack.cgi?culture+CN2004051401004477_1
173日本@名無史さん:04/05/15 06:10
礼安里遺跡(4−7世紀)は日本から渡った倭人の遺跡だろが。
弥生人に朝鮮半島の特徴でなくて、礼安里遺跡人に日本の弥生人の特徴と言えや。
あほ。
174 :04/05/15 06:18
>>173
そういう表現絶対しないよね。してもいいと思うんだけどなぁ
175日本@名無史さん:04/05/15 15:41
>>172はなんで後世の日本人の骨(4−7世紀)と比べて
云々いってんのかな?ちょっと論理構造が意味不明な記事だね。
176175:04/05/16 05:29
訂正

>>172はなんで後世の韓国人の骨(4−7世紀)と比べて
云々いってんのかな?ちょっと論理構造が意味不明な記事だね。

日本人の骨は弥生前−中期、韓国人の骨は4−7世紀。
明らかに日本から半島へ渡っていった証拠以外のなにものでもない
というのが普通だと思うが???
177日本@名無史さん:04/05/16 08:48
奈良時代の人口が600万人だという説があるそうだね?

縄文-弥生時代は何人くらいが日本に住んでいたのだろう?

それによっても侵略なのか交友なのか考えるヒントになる気がするんだが……
178日本@名無史さん:04/05/16 09:27
>>167
>ちなみに朝鮮半島南部の言葉も日本の言葉にも南インド系の言語タミル語の影響を受けているとも言われているね。
有名なネタだな。
179日本@名無史さん:04/05/16 14:11
やっぱ同化したんでしょう。
日本人には中国系の顔付きの要素も強いから、かなりの部分
中国のDNAが入っている。あのジャッキー・チェンとか、
ブルース・リーなんか見てるとそんな感じがする。
180日本@名無史さん:04/05/16 14:19
縄文時代晩期の日本人口はちょっと分からないが、
弥生時代晩期の日本人口は280万人くらい。

昔、人類学者の埴原和郎は弥生時代以降に100万人も渡来人が来たと言ったが、
今では否定的な学者が多い。

日本人のgm遺伝子の赤の南方遺伝子の割合や一重まぶたの出現率から推測して、
在来種7割に対して、渡来種3割くらいが妥当なところ。

ただし、渡来人の農耕文化は日本全国の人口爆発の起爆剤に
なったのは事実だろう。
181日本@名無史さん:04/05/16 14:36
>>179
BC2C、漢の武帝の対外侵略政策によって、華北人の部隊が中国全土
のみならず、中央アジアやベトナム、朝鮮に侵入。
朝鮮経由で日本に来たのが土井ヶ浜弥生人。

このとき始めて、アジア中で見られる新モンゴロイド的な顔立ちが
拡散し始めたのだろう。
182日本@名無史さん:04/05/16 14:46
漢の武帝が朝鮮を征服したのはBC108年だろ
渡来系弥生人がそれからきたとするのは時代的に遅すぎるだろ。
いくらなんでも無理。
183日本@名無史さん:04/05/16 14:49
征服と言うより混血したんだろう。
184日本@名無史さん:04/05/16 14:51
渡来系弥生人には吉野ヶ里弥生人、土井ヶ浜弥生人、南九州・離島弥生人
の3つあるんだよ。

このうち北海道南部から沖縄まで、日本全国で骨が見られるのが
土井ヶ浜弥生人。
185日本@名無史さん:04/05/16 14:57
吉野ヶ里弥生人はBC3Cに他2者に先んじて渡来するが、
農耕型性質で土着化し、その後宗教的な関係で、
弥生晩期には衰退していった事が分かっている。
186日本@名無史さん:04/05/16 15:16
土井ヶ浜弥生人が渡来したのは前1世紀頃だよ。
187日本@名無史さん:04/05/16 15:22
>>180
やっぱり農耕により食料供給が安定して人工増えたんでしょうな

弥生後期で280万だとすると、まあなんとなく考えて、人工爆発前だから
縄文後期、弥生初期でその1/4として70万からせいぜい100万くらい?

征服はともかく圧倒的な文化の違いを持つ民族なら、10万人くらいの渡来でもヘゲモニーを
握れるか?
188日本@名無史さん:04/05/16 15:26
ん?縄文人はすでに農耕民だったのでは?
189日本@名無史さん:04/05/16 15:44
>>188
それ最近の説でしょ?
どの程度農耕文化か浸透してたかはわからんのでは?
190日本@名無史さん:04/05/16 15:47
初期縄文人の骨って全国からでてるんですかね?

そうでなくて後期縄文人の骨しか北とかからでないとなると、弥生人に北のほうに追いやられた
という仮設もうらずけられませんか?
191日本@名無史さん:04/05/16 16:02
みなさん、知識を披露してくださいな。

http://history.ten.thebbs.jp/1084662757/e100

192日本@名無史さん:04/05/16 16:16

@北海道南部から沖縄まで、全国で発見されるのは土井ヶ浜タイプである事。
A土井ヶ浜タイプは長身、中頭、面長、のっぺりなど、華北型の形質である事。
B土井ヶ浜遺跡はBC1C頃の遺跡である事。
CBC1C頃の朝鮮半島は漢が直轄領4郡を置いて支配していた事。
D本当の真番郡は朝鮮半島南西部ではなく南東部にあった事。
E土井ヶ浜弥生人は農耕民ではなく、海洋民であった事。


以上などを総合的に考えれば、
漢の朝鮮支配の延長線上に土井ヶ浜弥生人の渡来があり、
漢人は朝鮮から日本にまで遠征して一時的に領有支配した事実が見えてくる。

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1068266612/
193日本@名無史さん:04/05/16 20:00
藻前らここで少し勉強汁!

縄文人の知恵と力知って 小山市立博物館で企画展
ttp://www.tokyo-np.co.jp/00/tcg/20040516/lcl_____tcg_____003.shtml
194日本@名無史さん:04/05/17 01:50
弥生人には、渡来系弥生人(春秋戦国時代の燕人・斉人)と
在来系弥生人(縄文人の子孫)とがある。

弥生時代は前10世紀から。
しかし渡来人がきたのはせいぜい5世紀。

つまり弥生文化というのは、渡来系弥生人が来る前に
もう始まっていたのだ。
195日本@名無史さん:04/05/17 02:03
弥生時代の始まりと渡来人とは関係が無い。
弥生時代の最中にたまたま渡来人がやって来たというだけである。
そして、弥生時代の渡来人には3種類ある。

最も古いのが吉野ヶ里弥生人。
最も日本各地に拡散したのが土井ヶ浜弥生人。
あと不明な点が多い南九州離島弥生人。

吉野ヶ里遺跡は創始は在来種であったが、
途中で渡来種に取って代わられたと見られる。
196日本@名無史さん:04/05/17 23:34
縄文人が弥生人と混血した場合の顔の変化では、まず最初に、


目 を や ら れ る 。


縄文人は四角い眼窩に高い鼻骨、弥生人は丸い眼窩に低い鼻骨。
近年、東北地方で縄文人と弥生人が混血したばかりの頃のものと思われる
約2000年前の男児の骨が発見された。
その混血児童と見られる頭蓋の鼻骨は縄文人と同様に高いのだが、
眼窩は弥生人のように完全に丸くなっていたのである。

縄文人が弥生人と混血した場合の顔の変化では、まず最初に、


目 を や ら れ る 。
197日本@名無史さん:04/05/20 02:52
>>195 >最も日本各地に拡散したのが土井ヶ浜弥生人。
おそらく、こいつが魚追って各海岸に寄港地を作ったんだろ。
千葉常陸東北の天孫族の神社を見るとそんな感じを受ける。
ただ古墳の位置を見ると、内陸部の進入はそれとは関係なく
後から、陸沿いで進出して来たと見るべきだな。
ということは、
ある期間共存していた時期があったと見て良いだろう。
間違えていけないのは、その侵入者は倭王朝だと言う点で
もう弥生人とは呼べない点だな。
198日本@名無史さん:04/05/20 22:45
山林部の縄文以来の生活圏と、平野部の稲作圏と海岸部の漁労圏は
三者それぞれ「住み分け」て相互に交易だろ。侵入だの戦争にはならない。
戦争は山岳部族同士、稲作部族同士、沿岸部族同士で起こるんだよ
199日本@名無史さん:04/05/21 06:45
縄文人だって魚とってたかもしれないじゃん
200198:04/05/21 07:20
別に否定はしないが?つーかとってたでそ、魚ぐらい。
201日本@名無史さん:04/05/21 08:37
だったら縄文人と弥生人で漁場争いになったかもしれないじゃん
202日本@名無史さん:04/05/21 21:09
昔話に出てくる鬼というのは、縄文人だという説を聞いたことがある。
203日本@名無史さん:04/05/21 21:09
ああ、縄文人というか、縄文人系の人に訂正。
204日本@名無史さん:04/05/21 21:15
>>202
鬼は上陸して住み着いたバイキングっていう説も
アメリカ大陸にも、バイキングは上陸してたんじゃ
なかったっけ。
(っていうか漫画にそういうストーリーがあった)
でも、案外鬼の姿が、バイキングの姿に
ダブっている感じも・・・
つの付かぶと、毛皮を着て、女欲しさ、
食料欲しさに、村を襲ったかもしれない。
毛むくじゃらで、赤顔。白い顔は青く見えたかも。
205日本@名無史さん:04/05/22 00:17
>>199 当然だろ。
遺跡には釣り針や銛が数多く出ている。
それと貝塚を見れば、海の資源に密着している。< 養殖もあるが海女も居た?
まぁそれと、やはり黒曜石、アスファルト、翡翠の「鉱物」関係の交易が
航海によると見た方が、山湿原の多い日本としては合理的だな。
これは伊豆において、島の黒曜石をとって運んでいる点から船で物を運ぶ事
を知っているということで、沿海の航海の可能性は高い。
ただ、定住が否定されていた時、山と海を往復していたとかの説もあり、
陸の移動の大変さも気にならなかったかもだが...

魚場の争いの話だが、結局騙されるが、熊襲が倭猛を受け入れている物語がある。
他にも騙されて戦いに負けた例が多い。人を信じやすく他人を受け入れやすい
性格だったんだろう。クニの概念が無い初期はそういう状態だったかも。

>>202
常陸風土記に佐伯(サエキ)と言う縄文系というか、
大和王朝に原住民とされた族が居たとある。そこに○○ハギという原住民もいたという。
これと、秋田のナマハゲまたは○○ハギと同じかなと見ている。秋田は関西方面の倭人
が文献上多く入植しているから、昔から原住民を意識していたんだろ。
そのナマハゲの形は鬼に似ている。まぁアイヌに似ているかもだが。
206日本@名無史さん:04/05/22 00:27
ナマハゲは神話に基づく伝統行事で、類似の習俗は世界中にあるので
特定地域の歴史的事件に結びつけるのは無理。

熊襲は山岳民で、沿岸部族の話にいきなりもちだすのは飛躍。
おそらく熊襲と隼人を同一視する立場なんだろうが
倭建の話はあくまで熊襲伝説であって隼人伝説ではない。

海洋民族は古今東西、多民族的な集団だから、縄文弥生の混合集団も
あったかもしれないし、縄文系と弥生系が並立してたかもしれないし、
対立や戦争があったとしても、縄文と弥生だから戦争になったわけでなく
縄文同士、弥生同士でももともと戦争してたからその一貫という程度では
ないかな。ただし縄文系山岳民と弥生系平野稲作民の戦争はなかったろう。
207日本@名無史さん:04/05/22 19:34

>そもそも、揚子江下流域に発生した稲作技術と渡洋能力を備えた人々が、
>大陸の戦乱を避けて、北九州〜半島南部一帯へ植民したのが倭人だろ。
>別に半島人が文化的優位性を背景に日本を侵略したってわけじゃない。
>でもって日本人は多かれ少なかれこの当時の倭人の血を引いてるわけだ。
>半島に残った連中はその後新羅に制圧されちまったけどな。
>だから現在の朝鮮人の一部と近畿やそれを代表する天皇家とが近縁なのは
>ある意味当然だろ。


いやあ、久々に江南デムパを見かけて、懐かしいので貼っておくw
208日本@名無史さん:04/05/22 19:40
当時、あの部族は縄文、あの部族は弥生と区別なんて
できてなかったのは当然として、同じ、縄文同士、
弥生同士だって、地域の閉鎖性から、それぞれが
独自の特徴を持つようになっていっただろうから、
結局、自分の部族以外は、皆異質の部族として、
接するしかなかったんでは。

その中で、闘争より、むしろ物々交換により、
足らざるを補い、余ったものは、より有益な
物に交換していく方が歓迎されたのは予想できる。
209日本@名無史さん:04/05/22 23:25
[注]国立民族学博物館教授の小山修三氏は、古代の日本の人口の推移を統計学的
処理によって推測していますが、それによれば日本の人口は縄文時代の末期には
一度極端に減少し、それが弥生時代に入って爆発的な増加を見せているとのこと
です。このことも日本文化や日本人のルーツということを考える際には参考になる
と思います──

 これ(注:「先史時代の人口と人口密度」と「先史時代の人口の推移」の表の
こと)をみると、縄文時代の早期(八千年前、20,100名)から前期(六千年前、
105,500名)にかけて[人口が]急増し、中期(四千三百年前、261,300名)に
ピークを迎える。その後、減少し、何と晩期(三千年前、75,800名)にいたって
は、中期の三分の一以下に当たる七万五千人台にまで落ち込む。それは壊滅状態
とも言えそうな人口崩壊である。問題はここからだ。弥生時代(二千年前、
594,900名)には何と八倍近くの五十九万人台に激増しているのである。
さらにそれから七百年が経過した奈良(土師期、5,399,800名)時代になると、
十倍近く増えている。(隈元浩彦『私たちはどこから来たのか』毎日新聞社、
p. 139) 
210日本@名無史さん:04/05/22 23:45
3000年前に7万5千人だった日本人口が、弥生時代の2000年前には
約8倍の59万人に、奈良時代には更に約10倍の540万人になっている。

埴原和郎は短絡的にもこれを渡来人の入植による人口爆発とした。
しかし、gm遺伝子を見ると日本人は中国とも朝鮮とも異なり、
純度の高い北方モンゴロイドのままである。

やはりこの異常な人口爆発は、渡来人の移植によるものではなく、
3000年前にそれまでの狩猟採集と焼畑稲作から、新たに大陸から
水田稲作の技術を移入したためであって、それまでとは比べものに
ならないくらい超越した生産性と安定した食料確保ができるように
なったためだと思われる。
211日本@名無史さん:04/05/23 00:11
埴原は江上と同じくらい もうどうしようもないくらい馬鹿。
渡来人がたとえ100万人来ようが、食料が7万人分しかなければ、
人口はすぐに7万人になっちまうという簡単な事も分からんヴォケじじい。

食料あっての人口。
212日本@名無史さん:04/05/23 20:13
弥生時代の前3Cから楽浪郡滅亡の313年頃の4世紀前半まで、
朝鮮半島から日本に渡って来ていたのは朝鮮の原住民ではなくて、
その支配層の華北人。

朝鮮の原住民が日本に来たのは古墳時代の4世紀後半以降。
初めは属国の技術者として帰化した。
7世紀の百済、高句麗滅亡時の大量の帰化人など、
全部合せても1万人にも満たない。

古墳時代の日本人口が400万人ほどであったから、単純に計算すると、
1万÷400万=0.0025となり、どんなに多く見ても、

朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.25% 未満に過ぎない事が分かる。
213日本@名無史さん:04/05/23 20:31
東日本人は縄文人の子孫では?
214日本@名無史さん:04/05/23 20:31
弥生時代の前3Cから楽浪郡滅亡の313年頃の4世紀前半まで、
朝鮮は、衛氏朝鮮、漢、新、後漢、魏、晋など、歴代の華北国家の
植民地であり、当時、朝鮮半島から日本に渡って来ていたのは、
朝鮮の原住民ではなくて、その支配層の華北人。
215日本@名無史さん:04/05/23 20:59
西日本による侵略の歴史。
216日本@名無史さん:04/05/23 21:48
>>213
東日本だけじゃなくて日本全国どこでもな。
217日本@名無史さん:04/05/23 21:50
218日本@名無史さん:04/05/23 22:24
関西人はどこにでも攻めて行く。
219日本@名無史さん:04/05/24 03:33
大和民族が強かったんだから仕方がないですね
220日本@名無史さん:04/05/24 08:29
ヤマト朝廷の時代から、軍事の主力は奥州・板東兵と九州兵。
大阪・京都あたりの兵隊はイタリア兵なみで使い物にならない。
221日本@名無史さん:04/05/24 13:30
せこいところはいつの時代も変わらないな。
222日本@名無史さん:04/05/24 18:22
貴族に兵力を求めるのはナンセンス
223日本@名無史さん:04/05/24 22:26
ぬるぽ
224日本@名無史さん:04/05/24 23:37

◎弥生時代の始まり、紀元前10世紀後半
 
国立歴史民俗博物館の春成秀爾教授らは23日、千葉大で開かれた日本考古学
協会の研究発表会で、北部九州出土の弥生時代早期初めの土器に付着した炭化
物を放射性炭素年代測定した結果から「水田稲作の開始(弥生時代早期)は
紀元前十世紀後半」と発表した。

 同教授らは昨年、弥生早期の始まりを前十世紀とする説を出したが、早期初め
のデータを得られないまま早期後半の測定値などから推定していた。
225日本@名無史さん:04/05/24 23:37
今回の発表によると、佐賀県の菜畑遺跡から出土した「山の寺式」土器
(早期初め)の炭化物は、前930―前800年。福岡市の板付遺跡の「夜臼1式」
(早期前半)は前900―前790年だった。その結果、早期初めは前945―前915年
と推定されるという。

 また水田稲作が各地に広がった弥生前期の始まりは、北部九州が前九世紀末
だが、高知県の居徳遺跡や高松市の東中筋遺跡などの土器の測定から、四国や
近畿は前8―7世紀ごろとみられるという。〔共同〕 (07:00)

http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20040524AT3K2302C23052004.html
226日本@名無史さん:04/05/24 23:38
弥生期の渡来人と水田稲作による弥生時代の始まりとは全くの無関係。

水田稲作は前10紀後半に北九州から始まり、前8世紀には奈良まで伝わって
いた事が分かっている。

ただし、渡来人の渡来時間が早まるという発表は一切無い。

つまり彼らは稲作とは全然関係のない人々。
227日本@名無史さん:04/05/25 01:37
                        ─
 、   l   _,                  -‐-、
  ヽ/⌒ヘ~    ,ヘ        ,rァ       l
  ., 't,_,ノ丶   / '、     ,/ ,i       '’
 /  !   '`  |   '──--'  {       つ
        ,/ ◎L_/    'i,
       /     l ,/  ◎   i,    -っ
       'i      しii     丿     / ゝ-
      |`:、\     'ii   __,/      `‐′
      'i、 ̄~~     ij  乙__ノi       ├
       ^-ァ        __,ノ       σ‐
     r^~"i'        'l
     !、 !         l          ─‐
      ~^''!,   ,ω   ,!_        ー〜'ヽ
         \ l,~^''‐--::,,⊃ ) ) ) )       )
            `'‐’                ノ
228日本@名無史さん:04/05/27 00:50
>>226
渡来人の遺跡が早まってるのに、同じ遺跡から出る骨だけ新しいのか?
意味がわからんな。
229日本@名無史さん:04/05/29 01:23
>渡来人の遺跡が早まってるのに

だから 早くそのソースを出せよ。
もう1ヶ月近くも待ってるが。

いつも ほざくだけのこのソース無しが。
230日本@名無史さん:04/05/30 15:58
弥生人骨が同時代の華北人骨と一致する事は、既に形質人類学の世界では
常識である。

華北人は形質的には全くの新モンゴロイドであるが、約6000年前にシベリアから
北方系新モンゴロイドが南下し、原住民だった南方モンゴロイドの遺伝子を
持つ人種と混血してできあがった人種である事が人類学の研究によって
分かっている。

gm遺伝子マップは現時点では最も信頼のおける全世界の正確な遺伝子の
成分早見表である。

http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg

このgm遺伝子から縄文系と弥生系の割合をちょっと推測してみよう。
231日本@名無史さん:04/05/30 15:58
まず、古モンゴロイドであるアイヌ、石垣島、与那国の赤の南方モンゴロイド
遺伝子afb1b3に注目してみる。
afb1b3は非常に少なく、全体の約2〜3%と言ったところである。

次に、新モンゴロイドの弥生人の故郷である華北の北京、済南、大連の
赤のafb1b3に注目してみる。
afb1b3は非常に多く、全体の約25%と言ったところである。

最後に、本州と九州、秋田〜鹿児島の赤のafb1b3に注目してみる。
afb1b3はアイヌ、石垣島、与那国よりもかなり多く、全体の約7〜8%と
言ったところである。

しかし、アイヌ、石垣島、与那国の赤のafb1b3の極端な少なさを考えると、
もとの純粋な古モンゴロイドの日本人種は赤のafb1b3をほとんど持って
いなかった人種であったと考えられる。
232日本@名無史さん:04/05/30 15:59
ところが、アイヌと石垣島の間にある本州と九州になると、赤のafb1b3は
約7〜8%ほどに増えている。これは一体何を意味しているのか?

華北人は赤のafb1b3を約25%くらい持っている。
しかし、もとの日本人種は赤のafb1b3をほとんど持っていなかった。

では、華北人ともとの日本人種はどのくらいの割合で混交したのか?
あとは数学的な問題である。

計算してみると、華北人 約30%:もとの日本人種 約70% くらいと出てくる。

しかし、我々日本人が古モンゴロイド形質を残した純度の高い
特殊な北方モンゴロイドである事に変わりはないのである。
233日本@名無史さん:04/05/31 20:13
なるほど。
234日本@名無史さん:04/05/31 21:57
.    / /                //
   / /  _.. 〜'::""::''ヽ、      / /
  // /:;r‐、:::::::__:::::::::::\    / /
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/ /::r(__ ノ´(:;;:)´__ノ〃ヽ:::::::} | |
  /:::::ノ二ニ彡 ノ 三彡-、 )::ノ | |
 {::::(  -_二 -‐'' ̄     )(::/ ノ ノ
 ヽ:::ヽ(    ,r'' " ''‐-‐′ノl//
   ヽ )`― ''′_ .... __ノ//
    ゞニニ二 -(/∂-‐//
235日本@名無史さん:04/06/01 00:58
つまり三人の弥生人に七人の縄文人の割合で混合したでいいのかな?

ちょっと説明わかりにくいんだが、合ってる?
236日本@名無史さん:04/06/01 01:31
会っている。
そしてその割合は日本人の二重瞼の出現頻度に極めて近い。

◎二重瞼の出現頻度

アイヌ96.8%
奄美諸島84.0%
北海道73.2%
新潟70.4%
三重67.5%
京都66.9%
山形65.8%
奈良58.1%

朝鮮南部42.1%
237日本@名無史さん:04/06/01 05:23
3対7か……

しかし3割もいればヘゲモニーは握れるな

征服はともかく、支配者層に弥生系渡来人がなったことはありうる
238日本@名無史さん:04/06/01 20:41
4世紀以上、華北人に植民支配され続けた朝鮮はどうだっただろう?
征服だっただろうか?

渡来人が来た時には既に在来人は完全な農耕社会になっていた。
239日本史@名無しさん:04/06/01 22:26
縄文人の人口(晩期)考えたら、めったやたらと骨が出てくる確率は低いし、さらに
戦ったあとなんてなかなか出てこないよ。弥生人骨でも少ないんだから・・・・・。
240日本@名無史さん:04/06/03 20:40
韓国の考古学が遅れているからダメなんだよ。
韓国がもっとバンバン発掘調査していれば、弥生人の解明は20年は早まっただろう。
241日本@名無史さん:04/06/05 23:58
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ

今日も 見わたすかぎりに 緑の波が うねる

夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ

むかし 海の向こうから いくさが やってきた

夏の ひざしの中で
242日本@名無史さん:04/06/05 23:59
ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ

あの日 鉄の雨にうたれ 父は 死んでいった

夏の ひざしの中で

ざわわ ざわわ ざわわ 広い さとうきび畑は

ざわわ ざわわ ざわわ 風が 通りぬけるだけ

そして 私の生れた日に いくさの 終わりがきた

夏の ひざしの中で
243日本@名無史さん:04/06/06 00:47
日本固有4.8 韓国24.2 中国25.8 アイヌ8.1 琉球16.1
ソースはNスペ
若干だが中国が多くてホッ
244日本@名無史さん:04/06/06 01:18
信憑性のない全くのデタラメ。

南方モンゴロイド、北方モンゴロイド、イラン系、満州人、蒙古人などが
混血雑種した中国人と日本人、華北人、満州人が混血した韓国人が25%で、
最も純度の高い日本人が数%。
しかも日本、アイヌ、琉球と分割されているところに更に人為的な悪意を
思いっきり感じる。

第一にソースがない。gm遺伝子のような目に見えるソースも一切無い。
朝鮮人がよくやる 海のものとも山のものとも分からない
デムパの一方的な垂れ流しによるいつもの洗脳方法と全く同じニオイがプンプン。

宝来は三国人マネーを貰ったと思われる。
245日本@名無史さん:04/06/06 01:39
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.25% 未満に過ぎないのに
何で 韓国24.2 になるんだ?

あほくさ
246日本@名無史さん:04/06/06 01:46
宝来はデムパ
一切信じちゃいかん
247日本@名無史さん:04/06/06 09:49
思ったんだけど、弥生時代の女ってみんな薄着だったんだよな?
そんな時代に生まれていたら、俺なんか一年中勃起しまくりだろうな。
248日本@名無史さん:04/06/06 11:56
>>247
ワラタ。新しい歴史の見方だな。
249日本@名無史さん:04/06/07 15:12
>>247が弥生人だったならば、貫頭衣の頭を突っ込む穴以外に、
もう一つ穴を開けてあるんだろうな。
250日本@名無史さん:04/06/08 06:32
韓国人には南方系の血が20%混じっているそうだ。
そのような人達は、2重瞼で目が大きめで鼻幅が広く、唇が厚いんだって。
起源的には中国北部の農耕民族で、モンゴルから分岐した単一民族ではないと言う事らしい(2004年現在)。
251日本@名無史さん:04/06/12 11:13
私が分からないのは、弥生人である華北人が朝鮮を征服して
日本に入る以前の朝鮮半島人。
朝鮮に人が住み着いたのは約7000年前。
南方からやって来た、熊を信仰し、縄文土器を使う人々。

新モンゴロイドが華北や満州に到達するのは約6000年前。
当然、7000年前の朝鮮半島に新モンゴロイドはまだやって来て
いないから、その人々は現在の朝鮮半島人のような一重まぶたや
のっぺりした平面的な容貌の人々ではない。

もちろん7000年前には黄河文明などまだ無い。
当時、東アジアにあったのは約16000年前から縄文土器を焼いていた
日本の縄文文明と11000年前から稲作農耕を創始した江南の長江文明。

約7000年前、最初に朝鮮半島に居住した南方からやって来た、
熊を信仰し、縄文土器を使う人々というのは日本から渡った人々だろう。
252日本@名無史さん:04/06/12 11:15
しかし、縄文人とアイヌ人では分かれてから1万年以上の時間が経過して
いく中で双方小進化して異なる人種になっていたと埴原和郎は言っている。
朝鮮に渡った縄文人たちもまた、5000年ほどの時間の経過で小進化し
縄文人とは近いが異なる人種になっていた事も確かだろう。

魏志韓人項には韓人の特異な身体的特徴で「扁頭」と出てくる。
魏志は3世紀の書物。つまり、3世紀の朝鮮半島人は既に今と変わらぬ
短頭の人種であった事を窺わせる。華北人や倭人が中頭の人種であった
のとは好対照である。短頭の人種と言えば満州人や蒙古人などがある。

満州人との混合が当時の朝鮮半島人を短頭化させていたという事など
想像するに容易いが、これはBC2C末に華北人が朝鮮を征服した以降に
そうなったのか、或いは華北人が朝鮮を征服する遥か以前よりそう
なっていたのか、依然として不明のままである。
253日本@名無史さん:04/06/12 11:15
もし、華北人が朝鮮を征服した以降に満州人が侵入して短頭化したので
あれば、華北人が朝鮮を征服する以前の朝鮮半島人は間違いなく日本の
縄文人と同じく、極めて純粋な古モンゴロイドであった可能性が高い。
254日本@名無史さん:04/06/12 16:24
3時からやっていた 、ちばテレビの「楽浪遺物のある風景」という番組を
今さっき見終えた。

北朝鮮の平壌に飛んで、最近の楽浪郡遺跡での発掘作業を映していた。
楽浪郡から出てくる遺物は北九州や出雲の弥生遺跡の遺物と
ほとんど同じものばかりだった。

やはり華北人が占領朝鮮を通して弥生期の日本に渡来したものが弥生人で
ある事を裏付けるものや内容ばかりであった。
255日本@名無史さん:04/06/17 22:39
漢文を伝えた王仁も存在が確かならば、楽浪郡から百済に帰化した漢系。つまり中国系。

256日本@名無史さん:04/06/20 22:58
>くさい原始人のいる島に渡って文明ン文化を作り上げた偉い 渡来人
>ナラ(国)、キョウトを就学旅行するのは彼らへの感謝の念を育てていいことだ


その渡来人は、まず華北から朝鮮半島に侵入し、
君らの愛する朝鮮半島は完全に征服され、
直轄領4郡という植民都市を築いて、君らを植民支配していましたね。

君らは征服者にムチで打たれて、ただひたすら、アイゴー、アイゴーと
泣き叫んでいるだけで、何もできない無脳だった。

そして、逃げ惑うアガシたちのいたいけな肉体は、
ついに、その侵略者たちによって征服されたのである。
257日本@名無史さん:04/06/20 23:18
>>255
中国系と言っても華北、華中、華南、内陸部の北部、中部、南部、
ウイグル、チベットなど、中国は広すぎて人種も言葉も様々。

華北系と明確に言うべし。
258日本@名無史さん:04/06/21 00:22
青谷の弥生人複製顔見て笑った。
無茶苦茶原人顔。
ありゃ、今じゃ韓国にもそんなに見れない顔だわなw
259日本@名無史さん:04/06/21 00:39
見るべし!


弥生人復元胸像
1世紀
土井ヶ浜遺跡出土人骨に基づく
国立科学博物館蔵

http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_07_02.jpg

縄文人復元胸像
3500年前
若海貝塚出土人骨に基づく
国立科学博物館蔵

http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_03_04.jpg
260日本@名無史さん:04/06/21 00:41
弥生人って薬師丸ひろこみないな顔の奴らだろ?
261日本@名無史さん:04/06/21 00:53
弥生人の顔はつまらない顔だが、縄文人の顔は羽賀健二や小出監督に
どこか似ていて表情が豊か。

朝鮮を征服し、日本を半侵略した文武ともに優れた弥生人であったが、
近世からの白人たちの台頭のお陰で、弥生人の最大の欠点は顔である事が
浮き彫りになる。

そうでなくとも、弥生人は縄文人に美的には永遠に勝てないだろう。
262日本@名無史さん:04/06/21 00:55
>>261
見てきたようなことをいうおまいは
宗教かマルチ商法の道をあゆむがよろしい。
263日本@名無史さん:04/06/21 00:56
ペンは剣よりも強し
美はペンよりも強し
264日本@名無史さん:04/06/21 01:16
羽賀健二はアメリカ人とのハーフだ
265日本@名無史さん:04/06/22 20:22
弥生人は朝鮮半島から来たのに、朝鮮半島人ではない
というところが弥生人ミステリーの最大のポイント
266日本@名無史さん:04/06/23 00:37
弥生人に縄文人が侵略されたという話は大昔からよく聞いているが、
実は、弥生人に一番被害を受けたのは当時の朝鮮半島人だろうね。
267日本@名無史さん:04/06/23 00:45
今時、弥生人が縄文人を侵略したなんて説をいってる学者はいないだろ。
268日本@名無史さん:04/06/23 03:29
たくさん居ると思われ。
どこからどこまでを侵略と言うのか、何が基準とするかで表現が違ってくるが。
朝鮮の征服され具合から、侵略してきたのは間違い無い。
269日本@名無史さん:04/06/23 04:07
>>268
間違いないとか言われてもその形跡がなければそんな事いえんだろ。
朝鮮のように明白な直轄地などがあれば別だが・・・
270日本@名無史さん:04/06/23 04:07
>>268
具体的にその学者の名前をあげられる?
271日本@名無史さん:04/06/23 04:19
>>268
昔の騎馬民族征服説に戻っているわけだが。
現在の最新の考古学、古代史研究の成果を完全否定しろと?
272日本@名無史さん:04/06/23 04:29
268は明らかに素人。
昔の説に依拠したありがちな通俗本をたまたま読んで
その知識を垂れ流してるだけだろ
273日本史@名無しさん:04/06/23 07:38
未だに諸説紛々だけど、騎馬民族説は流石にムリポ
274日本@名無史さん:04/06/24 01:03
日本ってそんなに古くから文明あったの?


なんか発掘でいかさました人とかいたんじゃなかったっけ
275日本@名無史さん:04/06/24 01:21
今のところ、縄文土器は世界一古い土器ですが?
ちなみに漆文化も日本ですよ。こちらも東日本ですがね。
ヒスイ勾玉も縄文で東日本デスね。
276日本@名無史さん:04/06/24 01:24
>>271
騎馬民族?
あほですか。
弥生人骨は明確に華北人だが。
朝鮮の華北人コンクエストの日本への余波が弥生人。
277日本@名無史さん:04/06/24 01:31
華北人が占領朝鮮を通して弥生期の日本に渡来したものが弥生人
278日本@名無史さん:04/06/24 09:34
ノルマンコンクエスト厨か。
279日本@名無史さん:04/06/24 20:51
いやあ、やって来たやって来た。
弥生人は朝鮮から日本にやって来た。

華北より出でて、朝鮮を征服し、
完全に植民支配してから、日本にやって来た。

なに楽浪郡を知らない?
では教えてあげよう。
楽浪郡と言うのはね、華北人による朝鮮征服の本拠地の事なんだよ。

当時の朝鮮半島人は華北人に征服され、植民され、支配され、奴隷になって、
ムチで打たれて、アイゴー、アイゴー、と泣き叫んでいたんだな。
280霹靂:04/06/24 21:06
大体学者があやしいんだよ 変な事言ったら学者じゃなくなるんだよ おまえらが一番アホなんだよ縄文の多くはぶっ壊されてるんだよ発表はしてないけどな 現場が本物なんだよ それが隠蔽日本の怖さ だから歴史の解明大変じゃんかよ
281日本@名無史さん:04/06/24 22:55
キョーレツな電波を受信中
282日本@名無史さん:04/06/25 06:01
何が言いたいのかさっぱり分からんのはネタですか?
283日本@名無史さん:04/06/25 15:01
奥州藤原氏を頼朝が侵略したのが最後の縄文人vs弥生人

ってな文献がどこかにあったな・・・
284日本@名無史さん:04/06/26 16:55

●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族
が朝鮮王に封ぜられたといわれる。

●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が
朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で
ある王険城を都とし、3代約90年間存続。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
285日本@名無史さん:04/06/26 17:44
前3Cの吉野ヶ里弥生人は、華北人の難民が半島と北九州にかけて広がった
ものだったかもしれない。

しかし、前1Cの土井ヶ浜弥生人は、漢の武帝が侵略を目的として
組織した漢軍。朝鮮は完全征服され、やがて日本にも押し寄せ半侵略状態に。

日本は数年〜数十年ほどで半侵略状態が解除されたが、
朝鮮はその後400年間に渡り、華北人の植民支配を受けた。
286日本@名無史さん:04/06/27 00:17
百済は華北人の巣窟だっただろうね。

史書にも百済人は背が高かったと書かれているから。
287日本@名無史さん:04/06/27 10:58
古モンゴロイドは東南アジア起源ではないというのが今は有力。
イラン辺りでコーカソイドと分かれてシベリア入りしたのが古モンゴロイド。
イラン辺りからそのまま北上せず東進して中国南部に入ったのが南方モンゴ
ロイドであり、これが華南人や東南アジア人などの基礎。
古モンゴロイドと南方モンゴロイドの共通点はスンダドントと言われる
歯の形質のみであり、他の点では異なる部分が多い。おそらくシノドントを
持つ新モンゴロイドが登場する前のアジア一帯の歯の形質はスンダドント
しかなかったのだろう。2〜3万年前の新モンゴロイドになる前の古モンゴロ
イドだった頃のブリアートなどのシベリア人が縄文人の祖先であり、これが
日本人の基礎。また新モンゴロイドである渡来系弥生人は実はそれほど来て
いないという事はgm遺伝子でも明らかである。やはり大量の渡来人が来て
それまでの縄文人と入れ替わったのではなく、少数の渡来人の新モンゴロイド
の遺伝形質を元に、多くの縄文人たちの古モンゴロイドの遺伝形質が新モンゴ
ロイドへと進化していったと考えるべきであろう。
288日本@名無史さん:04/06/27 16:48
で、結局、虐殺征服したんだろ
289日本@名無史さん:04/06/27 17:31
>>283
奥州藤原氏は縄文人じゃないだろw
290日本@名無史さん:04/06/27 17:41
都内で華北人をよく見る。
弥生系日本人に良く似た人が多いが、やはり毛深さや肌の感じや色、
鼻の高さや目の感じなどの顔立ち、骨格などがかなり違っている。
弥生系は華北人と似ているが、かなり違うのである。

やはり弥生系は、弥生人の遺伝子によって、
縄文人たちが新モンゴロイドへと進化し、姿を変えたものと考えるべきである。

実際、日本人と華北人ではgm遺伝子においてかなり異なる。

http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
291日本@名無史さん:04/06/27 18:00
最悪日本
292日本@名無史さん:04/06/27 18:02
最悪朝鮮
293日本@名無史さん:04/06/27 18:10
>>287
それのどこが「進化」なんだよ。
294日本@名無史さん:04/06/27 21:29
>>293
人類学では古モンゴロイドが進化して新モンゴロイドが生まれたとされる。
美的なものより環境適応できるものが優先になってしまう。

縄文人が古モンゴロイドだったからこそ、新モンゴロイドは縄文人の形質を
簡単に乗っ取る事ができ、古モンゴロイドを新モンゴロイドに変える事で
どんどん人口を増やす事ができた。

縄文人がコーカソイドならば、形質を乗っ取って人口を拡大する事までは
できなかっただろう。
295日本@名無史さん:04/06/27 23:27
>>289
確かDNA鑑定では京都の藤原氏と同族であることが証明されたんだっけ。
296日本@名無史さん:04/06/27 23:34
<キトラ古墳>琥珀製の玉2点が出土 文化庁発表

 文化庁は25日、奈良県明日香村の特別史跡・キトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)で、石室内から、琥珀(こはく)製
の玉2点が出土したと発表した。似たものは同村内の高松塚古墳(同時期)でも見つかっており、文化庁は、高位の人
物が腰からぶら下げた装身具「玉佩(ぎょくはい)」や、冠などに使われた可能性もあるとみている。

 既に、床面(幅約1メートル、奥行き約2.4メートル)の発掘を奥(北側)から手前に4分の1まで終え人骨などが出土
。その後、さらに同日までに半分ほどまで進めた。玉は東壁近くで発見。いずれも直径1センチ弱の丸形で、上下が平
ら。中心に直径1.8ミリの穴が開いていた。

 国内の琥珀の産出地は、岩手県久慈市など限られており、泉森皎(いずもりこう)・龍谷大講師(考古学)は「大和政
権が東国との交易で入手した貴重品。使用できたのはごく一握りで、被葬者は政権中枢の人だったのではないか」と
話している。

 床面は表面の土の層の下に、漆塗り木棺の破片とみられる漆片(最大10センチ角)が厚さ4センチほど堆積(たいせ
き)。2センチ角程度の人骨2点▽以前見つかったものと同じ形とみられる棺の金具(直径約4.5センチ)1点▽鉄片
(長さ3.5センチ、幅1.7センチ、厚さ約1センチ)1点――も見つかった。鉄片は、類似したものの出土は高松塚など
では例がないといい、今後、分析を進める。【中本泰代】(毎日新聞)
297日本@名無史さん:04/06/28 00:56

●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族
が朝鮮王に封ぜられたといわれる。

●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が
朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で
ある王険城を都とし、3代約90年間存続。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
298日本@名無史さん:04/06/28 00:57

土井ヶ浜遺跡は本州最西端に位置する山口県の響灘に面する西海岸沿いにある
弥生時代の埋葬跡です。土井ヶ浜海岸へ向かって、東から西に緩やかに伸びる
丘陵が存在しますが、この丘陵上には西風によって吹き上げられた砂層が厚く
堆積しています。約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人たちは
この丘陵地を墓地とするようになりました。

約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人

http://www.doigahama.jp/sub/html/flame_07.html
299日本@名無史さん:04/06/28 01:00
>>298
個人サイトに粘着ですか?
300日本@名無史さん:04/06/28 01:02
公式サイトですが。
301日本@名無史さん:04/06/28 03:59
>>296
大阪の池上曽根遺跡からも新潟産翡翠の勾玉が出たりしてたな。
302日本@名無史さん:04/06/30 22:16





●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。




303日本@名無史さん:04/07/01 17:01
九州は朝鮮人が多く流入してるらしいが、顔立ち見るとあきらかに縄文系ソース顔が多いんだがこれは何故?
304日本@名無史さん:04/07/01 21:09
九州は北九州以外は土着系エリアだからね。

出土する骨から、吉野ヶ里からちょっと西、または南に行くと、すぐに
土着系弥生人のエリアになる。当時、北九州〜山口〜出雲あたりだけが
渡来系弥生人の居住エリアであって、日本のほとんどは縄文人の後裔で
ある土着系弥生人のエリアだった。

古墳時代になると、渡来系の形質が中国地方一帯にまで拡大し、
近畿にまで広がっていく。

面白い事に、中国地方と言うネーミングは実は間違ってはいなかったの
である。
305日本@名無史さん:04/07/01 21:18
なるほど。回答乙。
そういえば古代でも熊襲っていう土着系民族の国があったりしてたな。
306日本@名無史さん:04/07/01 21:28
熊は朝鮮民族の信仰対象でもある。

朝鮮半島人の偉大な祖先というのは、
7000年前に南方から渡ってきた、熊を信仰し、縄文土器を使う人々。
307日本@名無史さん:04/07/01 23:42
朝鮮人の祖先が日本人?
308日本@名無史さん:04/07/02 00:11
ミクロネシアから九州に渡ってきた縄文人の先祖が勢い余って半島に渡ったとか?
309日本@名無史さん:04/07/03 11:35
逆。
縄文人の方がミクロネシアに行ったんだよ。
縄文人は北方人種。
310日本@名無史さん:04/07/03 11:36





●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。




311日本@名無史さん:04/07/03 11:47

土井ヶ浜遺跡は本州最西端に位置する山口県の響灘に面する西海岸沿いにある
弥生時代の埋葬跡です。土井ヶ浜海岸へ向かって、東から西に緩やかに伸びる
丘陵が存在しますが、この丘陵上には西風によって吹き上げられた砂層が厚く
堆積しています。約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人たちは
この丘陵地を墓地とするようになりました。

約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人

http://www.doigahama.jp/sub/html/flame_07.html
312日本@名無史さん:04/07/04 01:01
> 佐賀県の吉野ヶ里遺跡の弥生後期初め(約2000年前)の甕棺墓に葬られ
>ていた有力女性も絹を着ていた。

> 全国最古の絹製品は福岡市・有田{ありた}遺跡出土の弥生前期末(約22
>00年前)の銅製品に付いていた。出土した絹糸の断面を観察すると、どこが
>原産の蚕による製品かがわかる。中期前半(約2100年前)までは中国・華
>中系で、以後に朝鮮半島系が加わる。とすれば稲作文化をもたらしたのも華中
>系と考えられる。

http://www.melma.com/mag/41/m00010441/a00000168.html

絹も約2100年前頃から、華中系に朝鮮系が加わるようだ。
朝鮮系の蚕はやはり土井ヶ浜弥生人が持ち込んだのだろう。
華中系の蚕は吉野ヶ里弥生人が持ち込んだのだろうか?
313日本@名無史さん:04/07/04 02:16
縄文人:保守
弥生人:リベラル
314日本@名無史さん:04/07/11 20:49

◎「韓国人のルーツは中国中北部の農耕民族」

 韓国人のルーツは「中国中北部の農耕民族」であり、中国の漢族および日本人
と遺伝的に近いという主張が持ち上がった。これは韓国人が遺伝的にモンゴル人と
近く、中国人とは違うという研究結果を覆すものだ。

 壇国(タングク)大学・生物学科の金ケ(キム・ウク)教授は11日、「人類学
的な系統の分類に使う方法で、血縁関係のない韓国人185人のミトコンドリア
DNAの塩基配列を分析した結果、10人中4人程度が中国中北部の農耕民族と
塩基配列が似ているという結論が出た」と話した。

 金教授はこのような実験結果をもとに、韓国民族のルーツは「中国中北部の
農耕民族」であり、遺伝的に見て、韓国民族はモンゴル人より中国の漢族および
日本人に近いと主張した。
315日本@名無史さん:04/07/11 20:49
 また、韓国人と日本人が遺伝的に近いということは、23O0年余前、日本列島に
定着した弥生民族が韓半島に移住したことを示す遺伝学的証拠と見ることができると
説明した。

 これは2003年、日本の鳥取大学医学部の井上貴央教授チームが発表した
「紀元前5〜4世紀(弥生時代)の日本人のミトコンドリアが韓国人と一致する」
という研究結果と同じ脈絡だという説明だ。

 現在、学界では韓国民族の起源は北方モンゴル系列だという「北方単一起源説」が
定説となっている。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/05/11/20040511000078.html
316日本@名無史さん:04/07/12 00:26
約20000年前に樺太から南下して広がっていった縄文帝国とも言える
北方系の古モンゴロイド帝国が、2500年前まで日本から沖縄と朝鮮に
かけてあった。沖縄と朝鮮はちょうど同じ7000年前頃に、この北方系の
古モンゴロイドが九州から入った。

そこに2500前頃から、華北から朝鮮に新モンゴロイドが入り始め、植民し始める。
2300年前には、日本の北九州にも新モンゴロイドが入り、植民し始める。

2100年前には、華北人がわんさかやって来て、武力で朝鮮全土を完全制圧し、
日本にもなだれ込んできたが、なぜか近畿辺りでその勢いも止まってしまう。

征服された朝鮮各地に植民都市が置かれ、華北人の植民支配が始まった。
征服できなかった日本にも、山口を中心に、北九州、出雲に植民都市が置かれた。

やがて植民支配は終わるが、朝鮮にたった一つだけ植民都市が残された。
その名を「楽浪郡」と言う。
317日本@名無史さん:04/07/16 20:42

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。
318霹靂:04/07/16 20:50
185人の内の10人に4人と言う割合の実験のやりかたはダメだ。珍凹見せてこい!
遺蹟が縄文だけのところ縄文に弥生がのっているところとマチマチ。偉い者同士はSEXでタッタカターと話ついたが民衆はこっちこいや姉チャンいやあん となったか
319日本@名無史さん:04/07/16 20:52

土井ヶ浜遺跡は本州最西端に位置する山口県の響灘に面する西海岸沿いにある
弥生時代の埋葬跡です。土井ヶ浜海岸へ向かって、東から西に緩やかに伸びる
丘陵が存在しますが、この丘陵上には西風によって吹き上げられた砂層が厚く
堆積しています。約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人たちは
この丘陵地を墓地とするようになりました。

約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人

http://www.doigahama.jp/sub/html/flame_07.html
320霹靂:04/07/16 20:54
万里の長城を造るほど恐い敵が実は東南にいたら、えーっどないします?いっちょ押したれ!東征じゃ ははあ
321日本@名無史さん:04/07/17 00:39
本当は、北方面したやつらが、万里の長城造ったんだよ。
気持ちは南のつもりで、今後これは日本の脅威になるだろう。
322日本@名無史さん:04/07/20 22:53

◎華北人に侵略される前の朝鮮の在来種について

こうした研究成果から想像をたくましくすれば、同じ人種の海洋民が朝
鮮南部沿岸と対馬、西北九州一帯に住んでいたとも考えられます。実際これを
裏付けるかのように、韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が
発掘されたと、釜山大学・鹿児島大学の共同作業チームが報告しています。
http://www.han.org/a/half-moon/hm009.html

韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
323日本@名無史さん:04/07/22 21:00

●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族
が朝鮮王に封ぜられたといわれる。

●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が
朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で
ある王険城を都とし、3代約90年間存続。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
324日本@名無史さん:04/08/10 00:11
△弥生人は朝鮮から日本にやって来た
○弥生人は華北から日本にやって来た
◎弥生人は華北から朝鮮を侵略して日本にやって来た
325日本@名無史さん:04/08/12 21:25
>朝鮮人の身長は北部で高く南部で低い。頭形は南北両端で
>著しい短頭を示し、中部から北西黄海沿岸にかけては、比較的に中頭
>のほうに近づいている。中国人とは関係が密ではないが、朝鮮地方型の
>中では平安南道、黄海南・北道の頭形が最も華北型に近い。


なぜ短頭ばかりの朝鮮半島で、朝鮮中部から北西黄海沿岸にかけての
平安南道、黄海南・北道の頭形が中頭で、華北型に近いのか?

楽浪郡と関係があった事など、もう言うまでもないだろう。
日本の弥生人骨も中頭をしています。
326日本@名無史さん:04/08/12 22:28
△弥生人は朝鮮から日本にやって来た
○弥生人は華北から日本にやって来た
◎弥生人は東南アジアから朝鮮を経由して日本にやって来た
327日本@名無史さん:04/08/12 23:58
南方人種で土人顔の東南アジア人が、
どうすれば北方人種特有のノッペリ一重な弥生人になれるのか?

はっきり言って、お笑いだね。
328日本@名無史さん:04/08/13 02:54
中国に限らず、東南アジア人も混血。
今の大陸をモノサシにしちゃいかんよ。保存性は列島側にあるいろんな意味で。
329日本@名無史さん:04/08/13 23:40
>>326
南方人種で南方顔の東南アジア人が、どうやって北方人種特有の
ノッペリ顔で一重な弥生人になっていったのか?

その点を重点的にみんなに教えてくれ。
330日本@名無史さん:04/08/13 23:44
突然変異
331日本@名無史さん:04/08/13 23:47
北方人種が必ずノッペリ顔で一重だなんて科学的に証明された?
ではなぜロシア人は鼻が高く二重なの?
332日本@名無史さん:04/08/13 23:55
縄文系の人々も農耕していたようだね。生業にかかわる文化は人種交替を必要
とはしないようです。
333日本@名無史さん:04/08/13 23:56
>>331
そういうのを、屁理屈って言うんだよ。
334日本@名無史さん:04/08/14 00:02
何らかの原因で弥生人の牝の美意識に狂いが生じ、
ノッペリで一重の雄を選び続けた結果、
弥生人集団内で淘汰圧が生じ、
ノッペリ顔で一重がはびこることになった。
335日本@名無史さん:04/08/14 00:19
>>331
意外と知られていないのだが、世界で一番寒い場所は北極や南極
じゃないんだよね。

世界で最も寒い場所は、実はシベリア東部とグリーンランド中部で、
1月の平均気温は−50℃にもなるんだよ。

そのシベリア東部の人々は世界一偏平な顔を持つと言われている。
グリーンランド中部などエスキモーも住まない。

一方、モスクワの1月の平均気温は−9℃。
シベリア東部と温度差が40℃近くもあるんだよ。同じくらいの緯度でも。

そりゃ顔も変わるっつーの。
336日本@名無史さん:04/08/14 00:23
 弥生人というのが、そもそも混血なわけだよね。
 中国の戦国時代に、呉越と言われた華中の稲作地帯から山東半島を経て日本
に渡来した人が多いということだが、当然、朝鮮半島からも、より稲作に適し
た高温多湿の日本へ渡来した人も少なくないと思われます。現代の韓民族とは
関係がないかもしれませんが。そして、縄文人も農耕をおこなっていたことが
最近は明らかになっているわけです。
 弥生人が縄文人を征服したということはありえない話ですが、弥生人同士が
激しく殺し合いをしたことは確かです。
 余剰生産物や水利権をめぐって争いの種は尽きなかったわけですが、中国本
土の戦争文化が移植されたことも考えられます。
 そのことは「倭国大乱」という言葉が中国史書にみえること、環濠集落とい
う堀のある集落が多かったこと、高地性集落という一種の山城が存在すること、
弥生土器や銅鐸などに描かれた見張り台的な建物の存在、各種の武器が出土す
ること、戦士の墓があること、など遺構・遺物からも確かめられています。
 その点、縄文時代は平和な時代でした。堀もなく、広場を中心にして家がドー
ナツ状に並ぶのが縄文集落です。堅果や陸稲については既に大規模に栽培もおこ
なわれていたので、決して原始的な生活とは言えないと思います。
337日本@名無史さん:04/08/14 00:38
結局、渡来人は稲作を持って来なかった。
騎馬民族もやって来なかった。
 
>中国の戦国時代に、呉越と言われた華中の稲作地帯から山東半島を経て日本
>に渡来した人が多いということだが

ソースは?
338日本@名無史さん:04/08/14 01:05
>>337
 騎馬民族がやって来たなんてことは全くなかったと思います。中国・韓
国・日本のどの国の歴史書にも記録がないし、江上説が成立したあと考古
資料のデータの数は飛躍的に増えたが、そのとき騎馬民族説の根拠となっ
た3世紀以前と4世紀以降の不連続性・断絶ということは、むしろ、デー
タが増えたことで根拠になりえなくなっています。要するに断絶よりもむ
しろ連続性の方が考古学的に立証されています。
 渡来人が稲作を持ってきた・・・それは言えるでしょう。縄文人も農耕を
やっていたというのは、菜畑など弥生最初期といわれる遺跡では縄文系
とみられる人も渡来人と一緒に稲作をしています。ちょっと言葉足らず
でした。
 山東半島の臨シの人骨と土井ヶ浜の人骨がたいへん良く似ているとい
うのは、NHKスペシャルの『日本人はるかな旅』でも放送されました。
臨シだけでなく、長江流域の人骨ともたいへん似ていたようです。これ
は、現代の人骨と比較したのではなく、弥生時代期同士の遺骨の比較な
ので信頼が持てます。
339日本@名無史さん:04/08/14 01:12
まず,日本に近い,アムール川流域に住む人類集団の資料から調査を始めるこ
とにした。彼らの頭蓋骨をみていると,計測するまでもなく,ヒタイも鼻もたいへんに平
たいことに気がついた。より内陸のエヴェンキという人々も同様である。それに対して,
極北地域に暮らすエスキモー(イヌイット),チュクチたちは鼻骨が小さく,粘土を指で
つまんだような形をしているので,鼻が高い。シベリアの人類集団もいろいろ違いがある
のだと感心しながら研究を続けていた。
 シベリアのモンゴロイドの中でも,アムール川流域などの集団は世界一平たい顔をして
いる。これを乾燥した酷寒への適応による結果と考えている研究者がいる。一般に動物は
棲息する地域の気温に応じて,体の形や大きさが変化するというの法則がある。人類でも,
熱帯に住む人に比べて,寒冷地に暮らす人は体重があり胸郭が大きく比較的四肢が短いの
で,体重あたりの体表面積は小さい。熱の放散を防いで体温を一定に保とうとしているの
であろう。顔についても,クーンという人類学者は,寒冷による凍傷を避けるために,比
較的丸くて平坦な顔,張り出したほほの骨,厚く腫れぼったいまぶたなどの構造が出来上
がったと考えた。
340日本@名無史さん:04/08/14 01:14
じつは,平たい顔をした集団が先史時代の日本列島にもいる。一つは,先に述べたオホ
ーツク文化の人々である。もう一つは,九州,西日本を中心とする渡来系と考えられる弥
生時代人および古墳時代人たちである。とくに,渡来系の弥生時代人は日本人(和人)の
成り立ちを考える上で重要な位置を占めるとされ,最近では,中国の新石器時代人よりも
北東アジアの人々とのつながりを重視する意見が日本の形態人類学者の中から出ている。
この平たい顔も渡来系の弥生時代人と北との関係を示しているのだろうか。

http://sayer.lab.nig.ac.jp/~shinka/journal/shinka-4/Ishida-Hajime.text
341日本@名無史さん:04/08/14 01:22
>>338
>中国の戦国時代に、呉越と言われた華中の稲作地帯から山東半島を経て日本
>に渡来した人が多いということだが


↑これのソースですよ。
NHKの長江流域の人骨と似ているというだけがソースですか?
342日本@名無史さん:04/08/14 01:33
>>341
 まあ、そうっす。
 人骨というは石器や土器と違って滅多に出土しませんからね。
 詳しくは土井ヶ浜ミュージアムの松下孝幸氏の研究にあたってください。
343日本@名無史さん:04/08/14 01:46
>>342
あたりました。
彼は形質人類学者としては一流だとは思いますが、
歴史的見地にはかなり疎い人物のようです。
344日本@名無史さん:04/08/14 02:00
畜生!!弥生人め!!
345日本@名無史さん:04/08/14 02:01
>>343
 どういう点で松下氏が「疎い」と思われましたか? また、あなた自身の「歴史的見地」が
「疎くない」ことをどうやって立証・主張しますか? この話題に「歴史的見地」がどう
係わるのでしょう?
 教えてください。 
346日本@名無史さん:04/08/14 03:10
 「虐殺」はともかく「征服」っていうのは計画的・組織的な行動だろ。
 それが当時可能だったとは思われないな。大陸から来た人々はボート
ピープルみたいなものが波状的に何回もやってきたと考えるのが自然な
わけで、大船団を組んで計画的・組織的に一定領域を支配しようと考え
ての行動ではなかったと思われるが、どうであろう?
347日本@名無史さん:04/08/14 03:18
>>345
彼は5年ほど前に、朝鮮半島2ヶ所の人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は
認められず、中国山東省の人骨は、極めてよく似た形質を持っていることが
確認されて、従来の朝鮮半島南部経由の古代人渡来ルートとは異なる新説と
いう事で、一身に脚光を浴び、他の研究家たちの羨望の的でした。

私も当時、彼に影響されてそう思いましたし、しばらくそう思っていました。
しかし彼は、当時の朝鮮半島が漢人たちに侵略され、当時の朝鮮半島の人々が
漢人たちの植民支配を受けていたという非常に重要な史実について、一切 触れて
いなかったのです。これはちょっと歴史に詳しい人間なら誰でも知っている史事
です。その事に関して、彼は一切触れていなかった。これを歴史に疎いと言わず
して何と言えば良いのでしょうか?
348日本@名無史さん:04/08/14 03:18


彼の見解に従い、史実と参照すると、朝鮮半島の人たちもまた日本の縄文人と
弥生人のように、在来系と渡来系で二重構造のはずです。当然その見解は無い訳
ですが。

もっと史実を参照し、当時の華北人の関係する朝鮮半島と朝鮮半島人をもっと
ヂィープに掘り下げる事で、より鮮明に弥生人の正体は見えてくるはずです。
349日本@名無史さん:04/08/14 04:35
>>347
 「当時の朝鮮半島が漢人たちに侵略され、当時の朝鮮半島の人々が漢人たちの植民支配を受けて
いたという」という、その「当時」っていうのはせいぜい前漢武帝の時期までしかさかのぼれない
わけですよね。漢人の入植がそれほど大規模にあったともあまり思われないし、むしろ400年間か
けて現地人が徐々に漢民族化したと考える方が自然だと思うのですがね。いずれにせよ、土井ヶ浜
弥生人の時代よりも相当遅いわけですし、弥生時代の開始期ではないわけです。言及しないのも当
然という気がしますがね。少なくとも、漢四郡の設置が弥生文化の成立に影響を与えたという説は
時系列的にナンセンスなわけですね。
 古代にあっては100〜200年の誤差は考慮しないとしても、「史実と参照すると、朝鮮半島の人た
ちも二重構造になるはずだ」というのは、やや性急な結論だと思いますね。
 朝鮮の場合は、在来系が残りうる条件(離島や山間部・高地)に欠けていたのかもしれないし、
それこそ漢四郡・女真・モンゴル等ひっきりなしに外国の侵攻や征服を受けて、混血の度合いがむ
しろ全社会的に広汎におこなわれたのかもしれない。「同姓娶らず」の習慣が長年続いたので、個
性化の圧力よりは均質化の圧力の方が高かったのかもしれない。
 最後の結論には賛成ですが、いろんな可能性を考慮に入れておくべきかと。
350日本@名無史さん:04/08/14 05:11
>漢人の入植がそれほど大規模にあったともあまり思われないし


韓国人の血の4割は華北人のものであると少し前に公表された。


>土井ヶ浜 弥生人の時代よりも相当遅いわけですし、弥生時代の開始期で
>はないわけです。言及しないのも当然という気がしますがね。少なくとも、
>漢四郡の設置が弥生文化の成立に影響を与えたという説は時系列的に
>ナンセンスなわけですね。


漢の4郡とその植民支配なんか どうだって良いんです。
問題は漢の朝鮮侵攻と土井ヶ浜弥生人の渡来が時間的にほぼ一致する事です。

弥生時代の始まりと渡来人は、時系列的にナンセンスで、関係が無いと
思っていますが。弥生時代は在来種の水田稲作から始まっています。
351日本@名無史さん:04/08/14 05:22
高句麗語を話す楽浪4郡の漢系(楽浪などの中国直轄地は独立性を保っていた)が
百済へ流れる。百済が支配層と被支配層の言語体系となる(支配層は高句麗語系、非支配層は馬韓系)
352日本@名無史さん:04/08/14 05:26
見るのも不愉快なツラをしているのは新モンゴロイド。
ヤツらは、氷期に寒冷地に閉じ込められて淘汰されてできた特殊な人種だ。
特徴は、手足が短く胴長短足、目が凍らないように一重で厚ぼったい細目。
新モンゴロイドの血がたくさん混じるほどブサイクになっていく。
日本では特に近畿地方で混血が進んでいる。関西人は朝鮮人に極めて近い血統。
関西人のツラを見ているとムカムカしてくる。醜すぎる。
これ以上日本人が醜くならないように、新モンゴロイドの血統は排除すべきだな。

「なぜ人間は朝鮮顔に生理的嫌悪感を催すのか」
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1059716244/
353日本@名無史さん:04/08/14 05:29
デムパ降臨
354日本@名無史さん:04/08/14 05:44
>>352
その顔は朝鮮顔じゃなくて華北顔ですよ。

朝鮮人の顔は在来系に華北系がかぶさり、
その上に更に満州系がかぶさっているんだよ。

満州系の部分が日本人にはほとんど無い。

関西人は朝鮮人に極めて近い血統というより、日本人と韓国人の遺伝子は
4割ほど一致し、日本人全体が韓国人に近い。
355日本@名無史さん:04/08/14 11:03
>日本人と韓国人の遺伝子は4割ほど一致し、日本人全体が韓国人に近い。

華北から朝鮮を経て日本に入ってきた遺伝子だけでなく、日本から韓国へ渡った
遺伝子もたくさんあるからね。
356日本@名無史さん:04/08/14 11:29
>>354
>日本人と韓国人の遺伝子は4割ほど一致し

初めて聞いたな。
357日本@名無史さん:04/08/14 11:30
NHKのあの報告(異論がたくさん出ている)でさえ、2割弱なのにいつ4割になったのか?
358日本@名無史さん:04/08/14 11:31
>満州系の部分が日本人にはほとんど無い

無いわけない。渤海やら高句麗やらが入っているのは確実だから。
359日本@名無史さん:04/08/14 11:57
>>358
愛親覚羅さんもいることだしね。ごくごく少数ですが
満州系いるんじゃないでしょうか。
360日本@名無史さん:04/08/14 11:58
>>357
5月頃、韓国人の学者自身の発表だよ。

>>358
計算すると、満州系の血は日本人の血の0.05%ほどで、
ほとんど無きに等しいのだよ。
361日本@名無史さん:04/08/14 12:00
>>360
>5月頃、韓国人の学者自身の発表だよ

じゃあ、信頼性に乏しいな。
362日本@名無史さん:04/08/14 12:01

◎「韓国人のルーツは中国中北部の農耕民族」

 韓国人のルーツは「中国中北部の農耕民族」であり、中国の漢族および日本人
と遺伝的に近いという主張が持ち上がった。これは韓国人が遺伝的にモンゴル人と
近く、中国人とは違うという研究結果を覆すものだ。

 壇国(タングク)大学・生物学科の金ケ(キム・ウク)教授は11日、「人類学
的な系統の分類に使う方法で、血縁関係のない韓国人185人のミトコンドリア
DNAの塩基配列を分析した結果、10人中4人程度が中国中北部の農耕民族と
塩基配列が似ているという結論が出た」と話した。

 金教授はこのような実験結果をもとに、韓国民族のルーツは「中国中北部の
農耕民族」であり、遺伝的に見て、韓国民族はモンゴル人より中国の漢族および
日本人に近いと主張した。
363 :04/08/14 12:01
 また、韓国人と日本人が遺伝的に近いということは、23O0年余前、日本列島に
定着した弥生民族が韓半島に移住したことを示す遺伝学的証拠と見ることができると
説明した。

 これは2003年、日本の鳥取大学医学部の井上貴央教授チームが発表した
「紀元前5〜4世紀(弥生時代)の日本人のミトコンドリアが韓国人と一致する」
という研究結果と同じ脈絡だという説明だ。

 現在、学界では韓国民族の起源は北方モンゴル系列だという「北方単一起源説」が
定説となっている。

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/05/11/20040511000078.html
364日本@名無史さん:04/08/14 12:02
100回以上を超える遣渤海使の歴史を見れば、日本海側には渤海系の人たちが住み着いたことは
明らかであり、縁の遺構も見つかっている。すなわち日本海側は渤海系の血を持つ人々がいるという
ことになる。
365日本@名無史さん:04/08/14 12:03
>>363
このニュースは腐るほど見たが、このニュースから4割と言っているのかな?
366日本@名無史さん:04/08/14 12:06
文化交流と人の定着は別だからね。

>>365
10人中4人程度が中国中北部の農耕民族と
塩基配列が似ているという結論が出た
367日本@名無史さん:04/08/14 12:06
つまり弥生系は、中国中北部の農耕民の可能性が大ということになるが・・・?
即ち、弥生系は楽浪、帯方郡または設置以前に半島に渡来した華北系ということになるが。
368日本@名無史さん:04/08/14 12:16
朝鮮は漢の朝鮮侵攻の前に既に華北人に侵略されている。
そのとき北九州まで達したのが吉野ヶ里弥生人で、
漢の朝鮮侵攻のときに山口に達したのが土井ヶ浜弥生人の可能性が高い。

ただし、漢の朝鮮侵攻のときの方が遥かに大規模だったとは思うが。
369日本@名無史さん:04/08/14 12:29
楽浪郡だけじゃないよ。
同時に真番郡、玄菟郡、臨屯郡の併せて4郡を各地に配置して、
朝鮮の植民支配した。

しかし楽浪郡以外はその後30年ほどで廃止されている。
370日本@名無史さん:04/08/14 13:21
>>368
 「侵略」というが、馬韓・弁韓・辰韓のいわゆる「三韓」、すなわち古代韓民族は
朝鮮半島の南半分にしか住んでいなかったのではないか? いまの平壌周辺に古代韓
民族が住んでいたという証拠はあるんでしょうか? これ、素朴な質問。
 自分としては、そもそもその当たりの住民はツングース系だったのではないかと思
えてならないのです。

 以下は蛇足。
 農耕民族である古代韓民族による統一国家は、統一新羅によって完成したわけです
が、その後、高麗王朝・朝鮮王朝と、時代を経るごとに韓民族は北へ居住地を広げま
す。その過程で「高麗」という本来は異民族であった高句麗の末裔を名乗ったり、「朝
鮮」という本来は遼寧地方の部族の名を冠したりして、女真など北方の遊牧・狩猟民
族の血をとりこんで近代朝鮮民族が形成されたのではないでしょうか。
371日本@名無史さん:04/08/14 13:30
韓民族というのは、三韓つまり馬韓、辰韓、弁韓の人たちでしょ。
古代韓民族といっちゃうと解釈がまた違ってしまうのだが・・・
372日本@名無史さん:04/08/14 13:30
>>370
スマソ、よく読んでなかった。
373日本@名無史さん:04/08/14 13:56
>>370
前7000年から朝鮮に土着民がいた事が分かっているので、
やはり朝鮮半島全体に朝鮮の土着民が住んでいたと思われる。
三韓時代に北部にツングースが既に来ていたとしても土着民と混血した
ものだろう。
土着民がいなければ、漢人の朝鮮支配は支配ではなくなってしまう訳だし。
374日本@名無史さん:04/08/14 14:15
古代の洞窟壁画に見る捕鯨@韓国 6000年前
http://news.bbc.co.uk/2/low/science/nature/3638853.stm

6000前の朝鮮南部の原住民は捕鯨をしていた。
375日本@名無史さん:04/08/14 14:20
>>373
 土着民はいたでしょう。漢四郡以前の朝鮮北部が無人の荒野だったなどということは
そもそも主張していないし、そうも思っていないのです。
 日本海側にいたワイ族という漁労民とか、満州・沿海州地方にいたハク族という騎馬
遊牧民族などを取り込んで朝鮮民族は徐々に形成されていったと思うのだが、その中核
をなすのは三韓なわけですよね。平壌あたりにいたのも三韓なんだろうか? これが素
朴な疑問。
376日本@名無史さん:04/08/14 14:43
ソウルには6000年前から人が住んでいたから、わずか200km先の平壌に
人がいないという事はないわな。

http://www.seoulnavi.com/area/miru.html?id=266
377日本@名無史さん:04/08/14 14:50
三韓は楽浪を残して朝鮮支配を終えた南部にいた華北人たちが
打ち建てたものだろう。
378日本@名無史さん:04/08/14 15:11
>平壌あたりにいたのも三韓なんだろうか? 

三韓時代、平壌はまだ楽浪。
高句麗に楽浪を滅ぼされて、そのときの華北人が南部の三韓に奔走し、
先住の華北人に加わって百済、新羅、加羅ができる。
しかし、その後まもなく加羅に倭が手を伸ばし始める。
379日本@名無史さん:04/08/14 15:33
>>378
 百済は帯方郡があったから、中国人も多かったとは思われるが、新羅・伽耶も
華北人なんだろうか? そうなると、朝鮮風の姓名(新羅末期に中国風に改める
以前の姓名)だとか吏読(朝鮮語で漢文を読むための一種のカナ)などは、どう
とらえたらいいのでしょう?
 魏志倭人伝に出てくる「狗耶韓国」(釜山周辺)も華北人の国なんでしょうか?
380日本@名無史さん:04/08/14 16:23
漢の直轄領のうちで真番郡は今の韓国南部あたりに置かれていた
という説が最近では有力らしいが、真番郡は30年ほどで廃止される。
残った華北人たちは徐々に国を形成していき三韓が生まれていく。
三韓は華北人の国と言うより、華北人が原住民を乗っ取って建てた国と
言うべきだろうね。

弥生人論争は、日本と朝鮮の古モンゴロイドである原住民たちが
華北や満州の新モンゴロイドたちにやられていく世にも悲しい物語なのです。

名前の事までディープな事までは分からんな。スマソ
381日本@名無史さん:04/08/14 16:42
華北人たちも今の釜山あたりから出航して北九州や山口に上陸
しただろうから、「狗耶韓国」(釜山周辺)は華北人にとっても
一番の要所だっただろうね。
382日本@名無史さん:04/08/15 01:23
 三韓が華北人国家ということになると、朝鮮民族はどのようにして形成されたかという
ことがネックになる気がするんですがね。
 新羅は結局、大同江以北は最後まで領有できなかったわけです。それが高麗朝に至って
大同江以北の平壌方面を領有し、鴨緑江の岸に至る。李氏の朝鮮王朝は、日本海側を北進
して黒竜江の手前まで領有する。
 そうしたことを考えると、自分的には朝鮮民族は南部の三韓がベースになって北方諸民
族を取り込んでいったように思えるのだが、南部が華北人国家だとすると、朝鮮民族のベ
ースは北部だということになる。ところが、北部の諸民族はワイ族、狛(ハク)族、夫余
族あるいは女真、モンゴルなど、いずれもツングース系・アルタイ系ということになって
しかも韓民族とは違う民族だということがわかっているから、矛盾が生じてしまう気がす
るのだが、、、
383日本@名無史さん:04/08/15 01:38
吉野ヶ里弥生人の方が土井ヶ浜弥生人よりノッペリしていて、
顔の新モンゴロイド度が高いそうだ。つまり吉野ヶ里弥生人の方が
土井ヶ浜弥生人よりより北方に居た人たちである可能性が高いという事だ。

朝鮮に華北人が侵入し始めるのが、分かっている限りでも前3Cより前。
地理関係から燕、今の河北から流入した者が多かったようだ。
前4〜5Cには侵入していた可能性も高い。
おそらく戦国末に河北から逃れてきた相当数の難民が朝鮮中に広がっていった
と思われる。この時点で後に漢の4郡になる場所の基礎は既にできていたの
ではないか。その難民の一集団が北九州に渡ってきて吉野ヶ里弥生人になった
のではないか。

そして、土井ヶ浜弥生人はやはり前2C末の漢の朝鮮侵略のときに、その延長で
山口に上陸したものであろうが、こちらは侵略というやってきた目的から考え
ても、朝廷のあった都の長安から送られてきた華北内陸部の人々だった気がして
ならない。
384日本@名無史さん:04/08/15 01:41
弥生人が縄文人を虐殺したということは考えにくい。仮にあっても大量
虐殺ということは考えにくい。現に縄文人的形質は今も残っているわけ
だから。そうしたことがなかったということの証明にはなっても、あっ
たことの証明にはならない。
ただ、稲作というのは膨大な人口を養えるから、弥生人だけがネズミ算
式にどんどん増えたことは考えられる。栄養状態がよければ、長生きし、
その分セックス回数も多くなって、多産になった。兵士が必要だったか
ら基本的に産めよ増やせよで、採集経済のような抑止力も働かない。そ
れで比率がめまぐるしく弥生人系にシフトしたことは充分に考えられる。 
385日本@名無史さん:04/08/15 02:07
>>384
吉野ヶ里弥生人は難民的要素が強く、定住型で、土着系と争うような事は
無かったと思います。でも彼らが稲作を持ってきた訳ではありません。
水田稲作は彼らが来る700年も前に既に北九州にあった訳ですから。
彼らは朝鮮南部で、或いは北九州に来てから初めて稲作を覚えたのでしょう。

土井ヶ浜弥生人、彼らは吉野ヶ里弥生人とは性格が全く違います。
船による海洋民的性格が強く起動的で、稲作などはしていません。
なんと沖縄の貴重な貝の商業権を牛耳っていました。
その貝と彼らの骨が北海道南部まで出てきます。
386日本@名無史さん:04/08/15 02:12
半島なみの精神には、毎度感動するよ。
そりゃぁ、中国も喜ぶわけだ。
387日本@名無史さん:04/08/15 09:07
>>354
朝鮮人と瓜二つなのは関西人だけ。

>現代日本人の近畿地方の人々は、
>他の地域の人々に較べて特殊な日本人であることが判明している。
http://www.keiryou-keisoku.co.jp/other/gakkai2.html
388日本@名無史さん:04/08/15 09:28
>>387
江戸時代までに近畿中心部に住んでいた人に亡命百済人の血が入っているのは
事実だけど、「特殊な」ってどういうことよ。そんなに関西人が嫌いか?嫌い
だったら、ゴチャゴチャ言わずにはっきりと「嫌い」と言えよ。
差別したくてしたくてたまらないんだろ?TVに出演して、そう発言しろよ。
憎いんだろ?汚らわしいと思ってんだろ?だったら、はっきりそう言えよ。
町のあっちこっちで言いふらせよ。小泉首相にも言えよ。「関西は日本じゃな
いから捨ててくれ、関西人は人間じゃないからガス室送りにしてくれ、朝鮮半
島に送り込め!」って言えよ。言いたいんだろ?お前は言いたいんだろ?
ほら、早く言えよ!プラカード持って国会議事堂の前で抗議活動してみろよ!
署名運動してみろよ。してみろよ!してみろよ!
天皇家をないがしろにしたいんだろ?勝手に朝鮮人に仕立てたいんだろ?なら、
そう言えよ!2chだけじゃなくて、街頭演説しろよ!皇居の前でハンガース
トライキしてみるか?ほら、早く、早く!してみなさいよ。
国会議員に手紙を送ったことがあるか?したことがないなら、早く実行に移し
てみろよ!ほら、どうなんだよ?返事がないじゃないか、こうやって書いてい
るのに返事もないなんて、卑怯者!はやく返事・し・ろ!!!!!!!!!
このヘタレ!阪急十三駅の1番ホームで明日午前8時に待ってろ。
389日本@名無史さん:04/08/15 09:35
集合場所変更だ
十三駅は大きいからやーめた。淡路駅にしよう。淡路駅の1番線な。
390日本@名無史さん:04/08/15 09:37
>>388
ファビョらないでくださいよ。
朝鮮系の遺伝子の濃い特殊な日本人の関西人じゃあるまいし。
まあもうすでにそういう趣旨のスレはありますから、お暇な時どうぞ。

日本人から弥生系や新モンゴロイドを消しましょう
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1085908117/
391日本@名無史さん:04/08/15 09:58
縄文人と弥生人の関係って
ネアンデルタール人とクロマニヨン人みたいなもの?
392日本@名無史さん:04/08/15 14:03
馬鹿が多くてどうしようもないね。
朝鮮系というのは、7000年前に日本から渡った古モンゴロイド
の種族だよ。縄文人が変化した亜種。
君達の言っている朝鮮系は華北系や満州系の侵略者の事だよ。
393日本@名無史さん:04/08/15 14:15
朝鮮半島も古モンゴロイドと新モンゴロイドの変革期があったということ。
394日本@名無史さん:04/08/15 14:18
そういう事。
395日本@名無史さん:04/08/15 19:33
>>393-394
んなら、半島人からYAP遺伝子が出てくるだろうに。
396日本@名無史さん:04/08/15 20:28
半島の変革期によって古モンゴロイド(新モンゴロイドとの混血でもよかろう)は南部に流れた。
土着系弥生人がそれかもしれない。済州島にも流れたかもしれない。
済州島はモンゴル支配下に置かれたり様々な歴史を積み重ねているので、原型のまま残っている
とは思えないがね。
397日本@名無史さん:04/08/15 20:47
もういいよ日本人は朝鮮人で。マンドクセ('A`)
398日本@名無史さん:04/08/15 20:54
>>397
それを言うなら、日本人は中国人でいいよ。だろ・・・
399日本@名無史さん:04/08/15 21:14
>>396
50%の確立で遺伝するんだが。
要するに男には確実に遺伝するものだからそう簡単には消えんだろう。
400日本@名無史さん:04/08/15 21:51
しかし朝鮮半島南部からは縄文風の土器が発掘されたり、玉類も見つかるし、
倭人の墓が見つかる。存在した痕跡は確かにある。
401日本@名無史さん:04/08/15 22:12
たいたい華北に新モンゴロイドが流入し始めるのが6000年前なのに、
7000年前から居る半島人は一体何モンゴロイドなのかね?
402日本@名無史さん:04/08/15 22:19
古代の洞窟壁画に見る捕鯨@韓国 6000年前
http://news.bbc.co.uk/2/low/science/nature/3638853.stm


6000前の朝鮮南部の原住民は捕鯨をしているが、
これはどこの一体文化なのかね?
403日本@名無史さん:04/08/15 22:33
そもそも日本に比べ人骨の保存状態のすこぶる良い朝鮮半島の土壌で、
先史人骨がほとんど無くて、あったとしても、その形質について
一切語りたがらないのはどうしてなのかね?





404日本@名無史さん:04/08/15 22:39
こういう事だからだろ。

◎華北人に侵略される前の朝鮮の在来種

こうした研究成果から想像をたくましくすれば、同じ人種の海洋民が朝
鮮南部沿岸と対馬、西北九州一帯に住んでいたとも考えられます。実際これを
裏付けるかのように、韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が
発掘されたと、釜山大学・鹿児島大学の共同作業チームが報告しています。
http://www.han.org/a/half-moon/hm009.html

韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
韓国の煙台島から縄文人とそっくりのたくましい人骨が発掘された
405日本@名無史さん:04/08/15 22:39
古墳が見つかって、それが前方後円墳だったらボコボコ潰してしまうお国柄だからねぇ
406日本@名無史さん:04/08/21 11:03

●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族
が朝鮮王に封ぜられたといわれる。

●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が
朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で
ある王険城を都とし、3代約90年間存続。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
407日本@名無史さん:04/08/21 11:03
日本の弥生顔と言われる顔は、平均的な中国人よりも
細目でのっぺりしており、新モンゴロイド度が強い。
これは北の方から来た事を意味している。

弥生人骨と同じ人骨が遼東半島から出てきている。
弥生人の故郷は華北北部、今の遼寧省〜河北省あたりと見て良い。
徐々に朝鮮に流入し、北九州に渡って来た。

しかし、弥生人骨は同時期の土着の朝鮮の人骨と形質が異なる。

日本人はよく縄文人と弥生人、 つまり土着系と渡来系の二重構造だと
よく言われるが、実は日本よりもまず先に朝鮮半島の方が、
土着系と渡来系の二重構造になっていたのである。
408日本@名無史さん:04/08/21 18:34
>>407
> 実は日本よりもまず先に朝鮮半島の方が、
> 土着系と渡来系の二重構造になっていたのである。

日本人じゃないじゃん
409日本@名無史さん:04/08/21 20:28
佐藤 そうなんですよ。確かに見掛けは水田ですが、やっていたことは
焼畑などの雑駁農耕だったんです。これは曲金北遺跡だけでなく、全国の
弥生遺跡に共通する特徴です。そうしたことから私は、ひょっとすると
縄文晩期から作られたごく初期の水田は、縄文人が朝鮮半島を訪れ、そこで
目にした水田を見よう見真似で作ったものではないかと思っているんです。
縄文人というのは、もともと流浪の民ですから、フットワークはかなり軽くて、
朝鮮半島まで行くのなんて朝飯前だったんじゃないかと(笑)。だからこの
曲金北遺跡のように、水稲も陸稲もごちゃ混ぜの農耕を行なっていた可能性
があると思うわけです。

―― なるほど、縄文人も外国の流行を取り入れたというわけですね(笑)。
確かに、朝鮮半島から渡来した人達が水稲を伝えたのではなくて、縄文人が
朝鮮半島から持ち帰ったという推測もあり得ます。それにしてもDNA分析と
いうのは、本当にいろいろなことが分りますね。

http://www2.athome.co.jp/academy/botany/bot06.html
410日本@名無史さん:04/08/21 21:10
日本に稲作は6500年くらい前からあった事が分かっている。

1万年前に氷河期が終わり、食料だった大型獣が死滅していく中、
縄文人たちは食料資源を鯨や鮪などの海産物に頼っていくが、
その中から8000年くらい前に高い航海技術を持つ集団が現われ、
太平洋中を股にかけて活動していた。縄文海洋民の登場である。

縄文人はその当時から海を越えて江南と交流していた事も分かっている。
稲作は6500年位前に縄文海洋民が江南から持ち帰り、
水田技術も3000年位前に彼らが江南から持ち帰った技術であろう。

朝鮮の水田技術は日本から伝わったのである。
411日本@名無史さん:04/08/21 21:12
渡来人は間違いなく華北北部から陸路で朝鮮半島に入り、朝鮮半島南東部の
港から、対馬、壱岐を経て九州北岸に上陸する最も安全な航路をとっている。

あと、稲作伝来と渡来人は全く関係が無いので、そろそろ切り離して考えるべき。
水田稲作は、渡来人がやって来る700年ほど前に九州北部で既に始まっている。
渡来人たちは朝鮮南部、九州北部に入ってから、初めて稲作を覚えたのである。
412日本@名無史さん:04/08/29 06:27

どーーーーーーでも、いいんだよ! このスレのゴキブリども!


アイヌは日本人種であり、大和・アイヌ・琉球と、日本民族を構成する
1民族だが、中国人・朝鮮人は日本人種でないし、日本民族でもない。

アイヌと中国人・朝鮮人を同じ基準に持ってくる事自体間違っておる。

これだな。  何よりも、まず日本人がやる事は我々の愛する祖国・日本!

美しい国・日本! から、罪日のゴキブリどもを皆殺しにしないと日本がゴキブリ

に拠って、侵食されて行くという事だ! もう、マジヤバイんだわ、ホントに!

一刻も早く チョンと死那蓄のゴキブリを皆殺しにしないと。ゴキブリ酷禍に

なっちまううううううう!!!!  死んでも嫌だあああああああ!!!
413日本@名無史さん:04/08/29 12:52
血を薄めてばかりのマゾで馬鹿人種の縄文人だからな。
歯止めなき国際結婚でアジア中の混血者がガンガン生まれて
日本人種はすでに絶滅の危機に晒されている事すらマスコミは一切報道しない。

結局、馬鹿は滅ぶしかないというのが俺の結論。
414日本@名無史さん:04/08/29 20:06
東北に不自然に山の上に集落が多い理由がわからなかったらしいが
最近、攻撃された跡が見つかり大和の攻撃から逃げるために山の上に住んでいたのでは
ということがわかったんだっけ?
415日本@名無史さん:04/09/04 21:59

●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族
が朝鮮王に封ぜられたといわれる。

●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が
朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で
ある王険城を都とし、3代約90年間存続。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
416日本@名無史さん:04/09/04 22:04

土井ヶ浜遺跡は本州最西端に位置する山口県の響灘に面する西海岸沿いにある
弥生時代の埋葬跡です。土井ヶ浜海岸へ向かって、東から西に緩やかに伸びる
丘陵が存在しますが、この丘陵上には西風によって吹き上げられた砂層が厚く
堆積しています。約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人たちは
この丘陵地を墓地とするようになりました。

約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人

http://www.doigahama.jp/sub/html/flame_07.html
417日本@名無史さん:04/09/04 22:51
弥生時代、日本に水田稲作をもたらしたルートとして、長江流域、かつての
呉・越の支配圏の人々(難民?)の移住というのがたびたびクローズアップされる
のですが、ちょっと気になることがあります。弥生時代の遺物における
「漢字」の少なさです。せいぜい「三角縁神獣鏡」の銘文ぐらい? もっとほかにも
たとえば銅鐸などにも刻まれていてもおかしくなさそうな気がするのですが。
(殷・周・春秋戦国時代の青銅器におけるように)。本当に呉・越の遺民なら、
すくなくともムラの族長やシャーマンとかはある程度文字を知っていてもおかしくない。
今、弥生時代の遺物で漢字があるのは金印とか鏡とか、何らかの形で大陸で製造された
可能性のあるもののほうが多いようですね。偽元号の銘文から、神獣鏡の一部は国内で
製作された可能性もあるようですが。で、大和朝廷の正史では、漢字はずっとあとになってから
百済経由で伝えられた、ということになっているようですが。この辺、どのように解釈するべきなので
しょうか。弥生時代、江南地域からの大量の難民移住と遺物にのこされた漢字資料の少なさについて。
418日本@名無史さん:04/09/04 23:10
稲作伝来と渡来人は全く関係が無いので、もう切り離して考えるべき。
水田稲作は、渡来人がやって来る700年ほど前に九州北部で既に始まっている。
渡来人たちは朝鮮南部、九州北部に入ってから、初めて稲作を覚えたのである。
419日本@名無史さん:04/09/05 00:08
さらにさかのぼると、福岡県の志賀島から金印が出ている。そこには、「漢委奴
(かんのわのなの)国王」との文字が刻んである。文書行政と無縁な社会でハンコ
を貰ってもしょうがない。これは西暦57年のことで、金印のことは古代史に関心
がある人はみんな知っている。なのに、文字の導入が5世紀というのはおかしい。
面白いことに、この西暦1世紀に、朝鮮半島における文字の受け入れがどうだった
かが分かってきた。慶尚南道の茶戸里遺跡から筆が5本出てきた。削り刀も出て
きた。紙がなく、木の札に文字を書いていた頃は、間違えると札を削って文字を
書きます。いらなくなると全部削る。ケシゴムみたいなものです。しかも、福岡、
長崎、香川から相互交流をうかがわせる遺物がぞろぞろ出てきた。香川県の遺跡
から出たものは日本から茶戸里へ持ち込まれたらしい。ここまで濃密な交流があり、
朝鮮半島の南まで文字が来ている。これは文字があったことはまちがいない。

そして、紀元前1世紀には漢の鏡がたくさん入っている。ここまで文字も来ている。
にも関わらず日本人は5世紀まで漢字と無縁だったと考えるのは、ほとんど病気では
ないか(笑)。だから、1世紀ころまでは溯っていい。
http://home.att.ne.jp/red/dateasia/kako/kan38.htm
420日本@名無史さん:04/09/05 00:45
>418
稲作自体が韓半島から伝わったのに渡来人と無関係なわけ無いだろ。
最近圏韓厨を騙る朝鮮人が多すぎるよ。師ね
421日本@名無史さん:04/09/05 00:54
>>420
その稲のDNA鑑定の結果朝鮮半島経由以外のルートがあったという説があるんだよ。
華南と日本には存在して朝鮮半島には存在しないDNAがあるみたい。
要するに、朝鮮半島ルートの存在を否定するわけではないけど華南ルートも存在したという説みたい。
422日本@名無史さん:04/09/05 00:56
日本に稲作は6500年くらい前からあった事が分かっている。

1万年前に氷河期が終わり、食料だった大型獣が死滅していく中、
縄文人たちは食料資源を鯨や鮪などの海産物に頼っていくが、
その中から8000年くらい前に高い航海技術を持つ集団が現われ、
太平洋中を股にかけて活動していた。縄文海洋民の登場である。

縄文人はその当時から海を越えて江南と交流していた事も分かっている。
稲作は6500年位前に縄文海洋民が江南から持ち帰り、
水田技術も3000年位前に彼らが江南から持ち帰った技術であろう。

朝鮮の水田技術は日本から伝わったのである。
423日本@名無史さん:04/09/05 01:00

◎稲作の伝播





長江中・下流域(11000年前)→西日本(6500年前)→韓国南部(4000年前)







424日本@名無史さん:04/09/05 01:29
弥生人骨と同じ人骨が遼東半島から出てきている。
弥生人の故郷は華北北部、今の遼寧省〜河北省あたりと見て良い。
しかし、弥生人骨は同時期の朝鮮の人骨と形質が異なる。
弥生人は前4〜5C頃、華北北部から先住民の居た朝鮮半島に流入し、
朝鮮南東部から北九州に渡って吉野ヶ里弥生人となった。

前4〜5C頃と言えば、九州北部でも朝鮮南部でも、既に水田稲作が盛んに
行われている。

おそらく吉野ヶ里弥生人は華北北部から朝鮮半島に流入するが、
朝鮮南部まで来て、初めて稲作と出会い、朝鮮南部の稲作技術を持って、
既に稲作の盛んだった九州北部に上陸したのだろう。
425日本@名無史さん:04/09/05 05:42
>>414
いい加減なネタふらないように。
426日本@名無史さん:04/09/05 13:41

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。
427日本@名無史さん:04/09/05 14:31

土井ヶ浜遺跡は本州最西端に位置する山口県の響灘に面する西海岸沿いにある
弥生時代の埋葬跡です。土井ヶ浜海岸へ向かって、東から西に緩やかに伸びる
丘陵が存在しますが、この丘陵上には西風によって吹き上げられた砂層が厚く
堆積しています。約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人たちは
この丘陵地を墓地とするようになりました。

約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人

http://www.doigahama.jp/sub/html/flame_07.html
428日本@名無史さん:04/09/06 21:34
>>419
>日本人は5世紀まで漢字と無縁だったと考えるのは

はいソース

千葉県教委は23日、同県流山市西初石5の市野谷宮尻(いちのやみやじり)遺跡から、東日本では最古の3世紀末に、
墨と筆で文字が書かれた土器を発見したと発表した。「墨書土器」と呼ばれ、漢字で「久」と書かれていた。これまで東日
本で出土したものの多くは7世紀前後で、県教委は「文字を使用していた大和朝廷の文化が関東にまで及んでいたこと
を示す貴重な資料」と話している。
 県教委によると土器は土師器無頚壷(はじきむけいつぼ)の一部で、胴部から底部が失われている。竪穴式住居の1軒
から発見された。推定口径は7.9センチ、推定器高は9.0センチ。墨で書かれた「久」の字は横2.5センチ、縦約2セン
チで、土器上部に筆ではっきりと書かれていた。
 土器は成分分析から関東地方の粘土で作られたとみられ、同じ場所から出土した土器や土層の年代などから3世紀末
と判断した。県教委は00年から02年まで同遺跡を発掘し、昨年10月から整理・鑑定作業をしていた。
 同遺跡は流山市の江戸川東部にある。2世紀末から4世紀前半の集落の遺跡で、約7万3000平方メートルから88軒
の竪穴式住居などが発見されている。
 土器に書かれた文字は「墨書」と「刻書」があるが、墨書については現在、三重県嬉野町の「貝蔵遺跡」で99年8月に発
見された2世紀末とみられる土器に書かれていた「田」と読める文字が国内最古とされる。【江畑佳明、曽田拓】
 ◇辰巳和弘・同志社大学歴史資料館助教授の話 関東圏は従来、文字文化の浸透するスピードが関西圏と比べタイム
ラグがあるという認識だったが、今回の発見はその歴史認識を払しょくする画期的なものだ。古墳文化と同時に、人々の
生活思想である文字文化も思った以上に速いスピードで広まっていた、ということを示す貴重な資料だ。(毎日新聞)
429日本@名無史さん:04/09/06 22:28
土井ヶ浜弥生人は朝鮮を侵略して日本まで遠征した漢人だろうから、
漢字は前1Cにはもう入ってきてただろうね。
430日本@名無史さん:04/09/06 23:47
問題はどこまで普及していたか、では?
431日本@名無史さん:04/09/07 21:12
やっぱ豪族たちの間でだろうね。
当時は文盲率95%以上だろ?
432日本@名無史さん:04/09/07 22:07
つーか、文字の読み書きなんてのは、帰化人の専門家(史(ふびと)とか)
の扱う仕事で、ふつうの人の関与するもんじゃなかったんだろうよ。

現代でも自動車整備工は特定の技術職だけど、日本の自動車文化の
レベルが低いとはいえない。
司法書士や行政書士は専門家であって一般人にはできないけど
日本の法律文化のレベルが低いとはいえない。
433日本@名無史さん:04/09/07 22:46
まあ、朝鮮時代の朝鮮人ですら識字率悪かったんだからな・・・
朝鮮人の識字率の悪さにカノ人も驚いておる罠。
434日本@名無史さん:04/09/08 04:25
司馬 韓国は表土が浅いために(木を切ってしまうと)復元力がありませんから、そのまんま岩山になった。
    それで製鉄の技術者たちが船に乗って梯団を組んで出雲に来たんじゃないかと思います。
宮崎 岩山になったことをすべて秀吉のせいにしてますけど。
司馬 秀吉のせいになってる。私は韓国の現場でそのことを言ったら、説明してる人がきょとんとするのです。
    秀吉はこんなところまで木を切りにくることないんだと言ったのですが。
宮崎 秀吉のせいにしてちゃダメですね。
司馬 ダメです。あそこは事実よりも、ちょっと非事実をまぜることが好きなようですね。
堀田 それで「恨五千年」なんて歌歌ってる。
司馬 漢の楽浪郡もなかった、玄菟郡もなかったということになってる。
宮崎 楽浪郡もなくなってるんですか。
司馬 なくなった。これは南も北も同じ考えですよ。むろん良識ある学者はべつですが。
宮崎 北朝鮮の労働党と日本の共産党との関係がおかしくなったときに、任那日本府がなかったともめたと
    いう話と同じなんですね(笑)

「時代の風音」より。
435日本@名無史さん:04/09/08 23:14
>日本人は5世紀まで漢字と無縁だったと考えるのは

占いの「卜」の文字か=最古級、3世紀の刻書土器−滋賀

 滋賀県長浜市教育委員会は8日、同市大戌亥町の大戌亥・鴨田遺跡から、占いを意味する「卜」(ぼく)と読める文
字が刻まれた土器が出土したと発表した。土器の特徴などから、古墳時代初頭(3世紀中ごろ)のものとみられ、刻
書土器としては国内最古級。市教委は「祭祀(さいし)行事の占いに用いられたものではないか」としている。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040908-00000851-jij-soci
436日本@名無史さん:04/09/08 23:15
「卜」と書かれた土器出土
滋賀県長浜市の大戌亥・鴨田遺跡で古墳時代初頭、3世紀中ごろの刻書土器が出土。逆さの状態で「卜」(ぼく)
という文字が刻まれている。「中国からの文字伝来史を考える上で貴重」という(7日、長浜市役所)
(時事通信社)17時53分更新
437日本@名無史さん:04/09/15 02:09:55
他のスレに、日本には7000年前から稲はあると書いてあったら、
何の論拠もなく、
>>392 「7000年前に日本から渡った古モンゴロイド
の種族だよ。縄文人」
と捏造しています。そんな学説はないって。
438日本@名無史さん:04/09/15 06:29:05
はぁ?
日本稲作は6500年前だよ。
縄文人が朝鮮渡行した7000年前にはまだ無いが。

7000年前、その頃には新モンゴロイドも華北にも到達していない。
なのに突如として朝鮮で人類が南から復活する。
捕鯨をする人類集団。
縄文土器の出土。
縄文人に近い形質の人骨の出土。

もう数えたらキリが無いねw
439日本@名無史さん:04/10/03 18:53:36
440日本@名無史さん:04/10/05 22:16:26
日本人種のルーツは6〜7割は樺太から来た土着系。縄文人。古モンゴロイド。
残りの3〜4割は古代華北系。新モンゴロイド。

弥生期に華北北部から朝鮮半島を侵略して九州北部や山陰に上陸した古代華北人。

当然ながら、朝鮮人のルーツの一部もこの古代華北系である。
しかしその後、満州系人種に何度も侵略され、朝鮮半島における古代華北人
の血統は自動的に縮小して半減していった。

朝鮮を建てたのは燕人。今の遼寧省〜河北省に居た古代華北人。
遼東半島から朝鮮に侵入。古モンゴロイドの朝鮮土着人を最初に侵略した。

これが朝鮮を南下して、九州北部に渡ったのが吉野ヶ里弥生人。

その数百年後、漢の朝鮮四郡で有名な漢の武帝による朝鮮侵略の時に、
山陰に渡ってきて西日本一帯に広がったのが土井ヶ浜弥生人。
441日本@名無史さん:04/10/06 01:03:13
新モンゴロイドのツラを見ると醜さに吐き気がする。
古モンゴロイドの綺麗な顔とはサルと人間の差があるな。
442羽狗狸法師:04/10/06 01:05:33

清国はアロー戦争でフランスに敗れ、ロシアは満州を征服して日一日と
南下政策を続けた。もし日本が北進に努力しなければ、ロシアは必ずや
朝鮮を侵略しただろう。腐敗せる朝鮮王室と両班がどうしてロシアを
一蹴できたであろうか。故に日本の北進は止むを得なかったのである。
日清・日露の両大戦は、日本にとって民族の興亡、国家の存亡を賭した
戦であった。中国とロシアは共に世界の大国である。小をもって大に
抗す、しかも、十倍の大に抗するのである。日本人が気狂いでない限り
、一歩退いて考えざるを得なかった処であろう。「前進は生路あり、後退
は絶路である」ということを彼らは極めてよく承知していたのである。

     「止むを得ざる日本の北進」 中国の国士、戴天仇


443日本@名無史さん:04/10/06 08:02:36
征服された縄文人の子孫の恨み辛み↓
444日本@名無史さん:04/10/06 23:22:03
征服されたのは朝鮮半島、日本は征服されていない。
西日本だけを侵略された。
445日本@名無史さん:04/10/07 01:03:36
>>444
なんだよw
やっぱり侵略されてるじゃん
446日本@名無史さん:04/10/07 06:04:44
征服と侵略の違いも分からないのか。
447日本@名無史さん:04/10/07 09:17:31
だから、征服はされてないけど侵略はされてるっていってるんだろw
448日本@名無史さん:04/10/07 21:10:56
朝鮮は完全に征服されてしまったが、日本は山陰から九州北部に数ヶ所、
植民都市を置かれた程度だったと思う。

後世に近畿まで広がったところから見れば、西日本においては人種的には
侵略されたとも言える。
しかし近畿あたりで止まってしまったのは、土着勢力に討たれたからだろう。
これも色んな説があるが、これが本当のところだと考えている。

朝鮮と日本を同時に襲い、土着人を震撼せしめた古代華北人だった弥生人。
今ではもう、西日本人のHLAの10%、朝鮮人のHLAの2〜3%、
本家の華北人のHLAに至っては、たったの1%を残すのみとなってしまった。
449日本@名無史さん:04/10/08 00:22:46
>>448
山陰はむしろ縄文的な形質が残ってるよ。
弥生系が濃いのは北九州・山陽・畿内、つまり瀬戸内海を囲む沿岸地域。
その外周をなす山陰、吉野・熊野・紀伊、南九州は縄文的な要素が比較的残ってる。
450日本@名無史さん:04/10/09 10:51:38
>>449
知っていますよ。
出雲は渡来系の植民都市が置かれたのに、私の知っている島根の人はなぜか
濃い顔が多い。

渡来人は当初は九州北部から山陰に都市を築いたが、稲作に向かない
自然環境を原因とした食糧確保の厳しさなどを背景にその周辺の渡来系は
あまり増えなかったのではないか?

後から渡来系が都市を築いた瀬戸内海側に移動した渡来系、もしくは直接渡来
した集団は、水田稲作に向いた土壌による稲の生産性の高さによって人口を
確実に伸ばしていく事ができたのだろう。

http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/5-17.html
451テレビの北朝鮮の扱い方ってくだらねー:04/10/09 11:20:33
単なるバカのインチキスレッド 立ってる
そこまで造詣が浅いのなら、こいつは元々日本人じゃ無いだろう

話しは変るけど(笑)
テレビで報道している北朝鮮に核爆弾が8個有るは
まったくのデタラメで所有なんかしていない
奴等の程度の低い管理体制では
仮に手に入れたところで自らの国土で自爆間違い無しだな
だから、彼等には現実には核など持たすことは出来ないように
現実は厳しく制限されている
おつむの悪い連中の悪あがきにもならない情報リークに付き合うほど
だらしないのよ、テレビでああいうものに論評まがいのことしてる連中って
現実は軍隊と呼ぶには余りにも小力の軍備の為に戦う力など
ほとんど無いに等しい独裁政権のバカのおもりに付き合うほど
日本のメデイアっていうのは日本人にとっては役立たずなのさ
あんなインチキ情報リーク番組作るぐらいなら
日本国内にいる朝鮮人に、さっさと帰って
ひからびた飢餓だらけの国土を耕しに早く帰れってのが、本来日本で報道すべきことだよ
子供の頃から日本人ってのは朝鮮人のくだらない情報リークのやり口は
良く知っててどういう考えでやってるのかバレてるので、あんな番組作っても
時間の無駄さ。
452日本@名無史さん:04/10/09 11:57:31
>>450
出雲に植民都市???いつ頃の?どこからの?
453451:04/10/09 12:41:55
制空権押さえられただけで、終わっちゃう国の
おもりに付き合うより、早く帰って国でも耕して来いって
日本国内の朝鮮人に呼び掛けろって、まったく醜いね
朝鮮人ってのは昔からまともな貿易のやり方も学ぶことが出来なかった民族の馴れの果て
なぜ彼等は北朝鮮に戻り早く農地でも耕そうと考えないのかね
結局長い年月の間に大陸の端に追いやられた歴史そのものの有り様の民度の低さの象徴だぜ
454453:04/10/09 12:59:18
普通は他の国では帰るんだよ、自分達の国がそんな惨状の時は
いかなる理由が有ろうとも
455日本@名無史さん:04/10/11 13:50:53

●箕子朝鮮(?〜前190頃)⇒伝説的王朝。周の武王が殷を滅ぼした際、殷の一族
が朝鮮王に封ぜられたといわれる。

●衛氏朝鮮(前190頃〜前108)⇒漢の高祖の末年、反乱に失敗した燕人衛満が
朝鮮に逃れて箕子朝鮮に仕え、国を奪って建国。現在の平壌(ピョンヤン)で
ある王険城を都とし、3代約90年間存続。

●漢の4郡⇒前漢の武帝が前108年、衛氏朝鮮を滅ぼして、楽浪・真番・玄菟・臨屯
の直轄領4郡をおく。中心は楽浪郡(現在の平壌付近、他の3郡は前75年までに廃止)
で、313年高句麗に滅ぼされるまで約400年間、漢の朝鮮支配の拠点となる。

●帯方郡⇒204年頃、遼東の太守公孫度により楽浪郡の南部を割いて設けられた。
魏・晋も領有し、倭と通交。韓族・ワイ族に滅ぼされた(313)。
456日本@名無史さん:04/10/11 15:13:41
弥生や縄文のころに征服とかの概念が成り立つのかな。
457日本@名無史さん:04/10/11 17:43:44
漢の武帝は最初から侵略を目的として朝鮮侵攻してたみたいだけどね。
征服はしたけど、今と違って虐殺とか、そういう事はあんまり無かった
んじゃないか?

458日本@名無史さん:04/10/12 12:39:12
漢武帝の征服は半島まで。日本には及んでない。
日本の弥生時代の渡来人は秦の始皇帝の頃の難民だろう。
459日本@名無史さん:04/10/12 21:56:07

土井ヶ浜遺跡は本州最西端に位置する山口県の響灘に面する西海岸沿いにある
弥生時代の埋葬跡です。土井ヶ浜海岸へ向かって、東から西に緩やかに伸びる
丘陵が存在しますが、この丘陵上には西風によって吹き上げられた砂層が厚く
堆積しています。約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人たちは
この丘陵地を墓地とするようになりました。

約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人
460日本@名無史さん:04/10/12 22:08:46
>>458
秦の始皇帝(BC221)の頃では、土井ヶ浜弥生人の渡来の時間と
約120年も時間のズレが生じてしまう。

武帝の部隊は朝鮮征服のついでに遠征で日本にやって来たのだろう。
461日本@名無史さん:04/10/12 22:16:06
ついでで海を超えられるのか?
462日本@名無史さん:04/10/12 22:21:25
朝鮮征服後、海の向こうに倭があると知って、
新たな野望が涌いたかもしれんし。
463日本@名無史さん:04/10/13 10:55:17
>>459
>約2,100年前ごろからこの付近に居住していた弥生人

それは土井が浜ミュージアムのHPのコピーだろ。弥生編年が改訂される前の数字じゃん
464日本@名無史さん:04/10/13 21:10:20
>>463
それは九州北部の遺跡の土器や稲の放射性炭素による科学的調査の結果が
BC10と出たからであって、土井ヶ浜の遺跡の科学調査の結果が間違いだったと
いう公表は土井ヶ浜遺跡からは一切出てないが。

あったら出してみそw
465日本@名無史さん:04/10/13 21:18:40
弥生人と目される遺伝子HLAが半島・華北にはなく、
遠くモンゴルにあるそうだ。
弥生人は古代華北人(漢人)ではないな。
弥生時代の始期は人もろとも結構遡りそうだ。
466日本@名無史さん:04/10/13 21:26:16
大体漢人が入ったのであれば郡を置くだろ。
土井が浜のそれは着の身着のまま。
どちらかというと避難民のそれだな。
漢人ではありえない。
467日本@名無史さん:04/10/13 21:43:41
馬鹿だなw
B52-DR2は、華北にも朝鮮にもモンゴルにもあるが、どれも日本と一致しないんだよ。
B52-DR2は占有率は多い順に、

日本10%、モンゴル5%、朝鮮2〜3%、華北1%、

と、日本が一番多くなってしまい、日本から華北、朝鮮、モンゴルに渡った
事になってしまうから、HLAは矛盾しているという事なんだよ。

おそらく古代では華北北部にあったものが、なんらかの原因で
華北北部では消滅していった可能性が大きい。

HLAにはまだまだ今の科学では解明されていない、もっと深い謎があるようだ。

しかし、形質や下戸遺伝子などで見れば、弥生人が華北から来たのは明白。
468日本@名無史さん:04/10/13 21:45:56
>>467

>おそらく古代では華北北部にあったものが、なんらかの原因で
>華北北部では消滅していった可能性が大きい。

いったいいつの時代なのよ。
古代華北人(漢人)が今の漢人とは別物とするには
相当時間が必要だろ。

ところでモンゴルに多いことをどう説明するのよ。
469日本@名無史さん:04/10/13 21:47:20
>>467
下戸遺伝子はもともと南方なんだけど、
華北において下戸遺伝子を強調することは背理となると思うが。
470日本@名無史さん:04/10/13 22:00:43
>>468
おまえこそ日本人の方がモンゴルより多い事を説明しろw
471日本@名無史さん:04/10/13 22:02:01
>>470
なんだ結局説明できなくて困窮したということか。
472日本@名無史さん:04/10/13 22:09:09
>>469
下戸が南方?w
嘘を言っちゃいけないな。
タイは下戸遺伝子率が5%程度と低い。
473日本@名無史さん:04/10/13 22:09:37
江南に中心だよん。
474日本@名無史さん:04/10/13 22:15:48
>>417
最初から困窮しているよw
HLAは形質や史実より遥かに弥生人の決定的な手掛かりには
ならないと最初から思ってるよ。
おまえの方はどうなんだ?
475日本@名無史さん:04/10/13 22:18:34
>>474
ならば最初から困窮していると言えばいいだろ。
正確にわからないとでも言えばいかがでしょうか?
476日本@名無史さん:04/10/13 22:20:48
>>473
華北と江南の下戸遺伝子の率は?
477日本@名無史さん:04/10/13 22:22:07
昔リンクたどって中国のHPで見たよ。
残念ながら保存しておりません。

478日本@名無史さん:04/10/13 22:26:16
distribution DNA ALDH "in chana" と検索でもすれば出るかもしれません。
479日本@名無史さん:04/10/13 22:26:23
>>475
問題はモンゴルではなくて、
日本が他の近隣よりダントツでB52-DR2の占有率が高いという事なんだよ。

日本からモンゴル、朝鮮、華北に渡った、
日本人がモンゴル人、朝鮮人、華北人の祖先、
と言っても良いって事になるw
480日本@名無史さん:04/10/13 22:27:22
ひつれい
"in china" です w
481日本@名無史さん:04/10/13 22:36:13
弥生人は、
一重で低鼻でのっぺりした新モンゴロイドの容貌で、中頭で、
シノドントを持ち、長身で、B52-DR2を持ち、下戸遺伝子を持つ。

これら全ての条件を満たす人種の居る地域は、華北北部のみ。
482日本@名無史さん:04/10/15 02:46:39
>>464
藻前は弥生編年の改訂の意味がぜんぜんわかってない。
「改訂された」というのは「一部に古いものが出た」という意味ではない。

>>468
華北人といっても春秋戦国・秦・漢・魏・西晋の頃の華北人と
五胡十六国・隋唐・北宋の華北人では相当ちがってるだろ。
弥生人と共通するのは前者。後者は中央モンゴロイド。
483日本@名無史さん:04/10/16 23:49:40
>>482
結局、弥生時代を始めたのは土着系で、弥生時代の始まりと渡来人は
関係が無いという事だろ。
問題は渡来人骨であって、いくら弥生時代が早まろうが関係が無い。
土井ヶ浜における放射性炭素測定が間違いで、土井ヶ浜弥生人骨の
渡来時間が間違っていたというソースがあるなら、話を聞こうじゃないか。

それと、華北人も朝鮮を侵略していた当時の華北人と五胡十六国以降での
華北人ではだいぶ変わってしまったであろう事には賛同するが、今の段階では
全く追跡する手掛かりもなく、私はただひたすら途方にくれるのみ。
しかし華北は広大で、当時の弥生人と近い集団がどこかにまだ居るのではという
期待も薄々ある。

6000年前から華北人は中央モンゴロイド。
華北の北部と南部でかなり新モンゴロイド差はあっただろうが。
484482:04/10/17 16:37:07
>>483
>土井ヶ浜における放射性炭素測定

そんなものがあるなら出してください。是非お願いしますw
485日本@名無史さん:04/10/17 23:14:56
>>484
放射性炭素測定は普通に使われているのだが、
土井ヶ浜遺跡はよく分からん。スマソ
しかし、土井ヶ浜遺跡は弥生中期、前1C以降の比較的新しい遺物が
ほとんどらしい。

こうなるとやはり土井ヶ浜遺跡の住人は当時朝鮮を支配していた漢人
という線がますます色濃くなってきた。
486日本@名無史さん:04/10/17 23:22:51
要するに、弥生人は当時の朝鮮に植民していた華北人移民なんだろ?
487日本@名無史さん:04/10/18 09:27:29
>>485
だから、土井ヶ浜のは弥生新編年の改訂に伴った書き直しをまだしてないんだよ。
土井ヶ浜に限らずどこの遺跡もそういうの多い。
488日本@名無史さん:04/10/18 23:09:38
>>487
書き直したところで、結局、渡来時間が変わらなかったら、
とんだ君はお笑い者だがね。
まあ、楽しみにしとくよw
489日本@名無史さん:04/10/19 00:55:27
???
なにを言ってるのかな。書き直したら時期はかわるだろ?
490日本@名無史さん:04/10/19 02:28:18
Gm遺伝子は、伝えている情報が何か違うんじゃないの?
アイヌも沖縄と、本土の違いを表現できてないじゃん
491日本@名無史さん:04/10/19 13:51:52
あほかよ
Gm遺伝子は「ある要素」を表わしてるだけで、
なんでもかんでもすべてをいっぺんに表わしてるわけじゃないだろ。
492日本@名無史さん:04/10/20 20:49:20
弥生編年が改訂されても、土井ヶ浜弥生人の渡来時間は
変わらないに500クローネ
493日本@名無史さん:04/10/20 23:46:51
>>492
なんでそんな変わった考えができるの?
弥生編年改訂の影響を受けない遺跡なんて、論理的に存在しないはずだけど。

>>482
>「改訂された」というのは「一部に古いものが出た」という意味ではない。
494日本@名無史さん:04/10/22 01:20:30
にしては、ちっともそんな話が出ませんねえw
495日本@名無史さん:04/10/22 04:01:07
2chが世界のすべてと思ってるのか・・・・
496日本@名無史さん:04/10/22 19:53:19
ソース無しで全てを語るおまえの脳内妄想よりかはマシだろうw
497日本@名無史さん:04/10/22 22:26:56
ソースは2chの外にはあるよ。
498日本@名無史さん:04/10/22 23:37:21
なら、出してみいw
499日本@名無史さん:04/10/23 02:04:19

渡来人ネタですね。
重複です。

誘導
帰化人か渡来人か
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1033255236/l50
500日本@名無史さん:04/10/23 06:22:51
井沢元彦の本で否定されていたような・・>>1
501日本@名無史さん:04/10/24 02:16:31
>>499
それとこれじゃテーマがちがうだろ。あほか。
502日本@名無史さん:04/10/24 10:28:40
やはり縄文時代の東アジアの中心は日本だったのだよ。
DNAから見ると朝鮮人の血の37%、中国人の血の28%は
日本から渡った縄文人のもの。
縄文人たちは朝鮮だけじゃなくて中国にもバンバン渡っていたようだ。
中国の昔の皇帝が縄文人だったというのは単なる妄想でもなさそう。

http://www.kumanolife.com/History/dna.html
503日本@名無史さん:04/10/24 12:02:18
日本人は、大陸系ののっぺりした顔に、南方系の大造りな顔がうまく混ざって
アジアでも有数の美人が多い国(に最近なってきた)。

特に、南方系が混ざったのに、色が白い(中には黒いのもいるが)のが、
天の配剤というか非常にDNAの混ざり方が良かった。
504日本@名無史さん:04/10/24 12:37:19
>>458 日本の弥生時代? 何ですかそれ。
その頃に、日本などいう国はありませんでしたよ。
505日本@名無史さん:04/10/24 14:56:18
>>503
あほ?
縄文人は北方古モンゴロイド。
南方系が混ざっているのはシナやチョンののっぺりの方。
506日本@名無史さん:04/10/24 15:02:31
>>505
ほんとか?
ソース希望。
507日本@名無史さん:04/10/24 16:12:13
>>506
今までさんざん日本史板で語られてきた事だろがヴォケ!
ソースが欲しいのはこっちの方だよ。
508日本@名無史さん:04/10/24 17:14:13
Gm遺伝子  日本民族は中国人や朝鮮人よりも北方系
ttp://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
バイカル湖付近で最も高い黄色のGmab3st遺伝子が朝鮮人は日本人の半分しかない。
中国は南方系の赤のGmafb1b3遺伝子が多く黄色のGmab3st遺伝子が少ない。
509日本@名無史さん:04/10/25 02:50:14
最近美人になってきた=化粧が上手くなりおしゃれをしてきた

今でも日本人のスッピンは昔と変わらず激ブスだよ
510日本@名無史さん:04/11/05 21:29:49
ナゴヤ戦争で縄文が敗北
511日本@名無史さん:04/11/12 06:44:08
まあでも化粧が上手くなりおしゃれをしてきたってのはいいことだね
512日本史@名無しさん:04/11/12 18:18:52
なんか現世人類以外にもわずか1万年前まで小さい人間が見つかったらしいね。
なんで読んだか忘れたけど。

これで土蜘蛛とか、裸国・げっ歯国とか、コロボックルとかハワイの伝説とか
本当だと証明されるかも。
513日本@名無史さん:04/11/13 06:13:07
宮城県民のDNAの約60%がアイヌと共通

東京大学の遺伝研究チームは28日、宮城県民のDNAについて、興味深い研究結果を発表した。
これによると、現在宮城県出身の人間の実に60%がアイヌ民族と共通のDNAを持っているという。
これは、江戸時代よりもはるか以前、東北地方が蝦夷(えみし)と呼ばれる別の民族が栄えていた時代の名残だという。
アイヌと蝦夷が同一の民族であるかどうか、現在でも研究が続けられているが、有力な手がかりとなりそうだ。
平安時代以前、日本国内は様々な民族が暮らす「他民族国家であった」(九州地方の隼人など)。
統一的な「日本人」が完成したのは、平安時代以降の武家政権による武力平定後と考えられている。
東北地方の民族の「平均化」が本格的に進んだのは、高度経済成長期であるとの説もある。(中略)
残り40%のうち、22%が大和民族(いわゆる本土の人)、12%に朝鮮半島人と同一のDNAが認められたという。
残りの数パーセントについては詳しくわかっていないが、北欧系の遺伝情報も認められるという。
514日本@名無史さん:04/11/13 06:19:59
>>506
東南アジアはむしろ弥生系なんだよ。Yap-の歴史を見ると。
515日本@名無史さん:04/11/13 06:30:54
>>449
鳥取行ったけど、ほぼ100%朝鮮系のような顔だったな・・・・
しかも普通の日本人とはちょっと違った感じが多かった。
516日本@名無史さん:04/11/13 07:02:26
>>513
伊達男
517日本@名無史さん:04/11/13 07:28:48
>>515
山陰、南九州、和歌山・熊野は縄文系な顔立ちが多く
山陽、北九州、大阪・京都は弥生系な顔立ちが多い。

・・・・ってきいたけど、どうなんすかね?
518日本@名無史さん:04/11/13 15:47:46
明石家さんまは奈良生まれらしいが、先祖は和歌山だよ。
519日本@名無史さん:04/11/14 09:49:02
>>515
朝鮮系とは、縄文人、華北人、満州人などその他多くの北方人種が
混ざったものを指す。

弥生系と言いなさい。
520日本@名無史さん:04/11/14 09:50:58
>>519
弥生系としたほうが良かったか。
521日本@名無史さん:04/11/14 09:52:59
>>517
和歌山の偉人と言えば、南方熊楠位しか思い浮かばないな。
522日本@名無史さん:04/11/14 10:07:09
>>517
弥生人は日本海沿いに北上している事が分かっている。

それを裏付けるかのように、彼らが持ち込んだHLA、B52-DR2は
北九州、山陽、近畿、更に秋田・山形でも高い頻度で観察される。
523日本@名無史さん:04/12/02 17:36:10
へえ。太平洋側に縄文人が集住して、日本海側に弥生人が住んでいた
というような時代があったわけ?
524日本@名無史さん:04/12/02 18:41:10
太平洋側(表日本):縄文人気質、開放的、陽気、淡泊、温厚、穏やか。
日本海側(裏日本):弥生人気質、閉鎖的、陰気、粘着、粗暴、情緒不安定。
525日本@名無史さん:04/12/02 20:19:38

日本人最多のHLAであるB52-DR2の起源はモンゴル東部。
本州日本人に平均10%もの高頻度で検出され、
西日本人に至っては13%もの高頻度で検出される。

しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。
しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。
しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。
しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。
しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。
しかし、韓国人は1.4%、中国朝鮮族は2.2%、華北人は1%ほどしか検出されない。

日本人と朝鮮人は新モンゴロイドの種からして違う。
つまり、朝鮮人は異人種です。もちろん華北人も。

しかし、モンゴル人には5.9%も検出される。
526これ読んだか。お前ら。:04/12/14 21:15:37
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527Gm血液型遺伝子を知ろう :04/12/14 21:18:42
http://www.dai3gen.net/gm00.htm
これもある。
528日本@名無史さん:04/12/29 01:09:27
>>1
弥生人は最初は極少数だったから、そんな事はできない。
弥生人を朝鮮半島から日本に連れてきたのは朝鮮半島に入り浸っていた
縄文漁労民の方。
529日本@名無史さん:04/12/29 03:31:35
馬鹿な集団に少数のインテリが入って、
そのインテリが世間知らずでなければ、馬鹿な集団でも顔を立てるだろ。
よって、インテリ=朝鮮人は、バカ集団のブレーンとして
貴族化していったものと思われる。
530日本@名無史さん:04/12/29 05:43:28
弥生期の渡来人がインテリだという話はまったくないけどね。
531日本@名無史さん:04/12/29 15:43:58
>>530
おいおい弥生期渡来人が舶来した、青銅器や鉄器や漢字は、画期的インテリジェンス
だよ。当時の縄文人には、驚嘆に値する先進技術だったろう。
532日本@名無史さん:04/12/29 23:03:57
でも朝鮮半島人じゃないけどなw
弥生人は蒙古。
朝鮮半島は素通りしただけ。
533日本@名無史さん:04/12/30 08:36:48
>>531
弥生人はそんなもの持ってきていない。

青銅器も鉄器もBC10Cには日本にあった訳だろ。
漢字はBC1〜1C頃に日本に入ってきた説が有力。

弥生人の渡来はBC4C頃。
だから持って来れる訳がないの。

青銅器、鉄はBC10C頃の縄文漁労民が、
漢字はBC1〜1C頃に楽浪に渡っていた倭人自身が持ち込んだものだろうね。
534日本@名無史さん:04/12/30 08:44:52
日本とシュメールは同祖ですよね?
www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/kojiki.html
535日本@名無史さん:05/01/02 17:53:59
>>531
漢字輸入以前に、文字があったらしい。
日本には固有の文字があった!
http://mentai.peko.2ch.net/history/kako/1014/10143/1014389515.html
536日本@名無史さん:05/01/03 21:42:02
>>533
>鉄器もBC10Cには日本にあった訳だろ...
とすると、その後10世紀以上も石器が使われ続けた理由が解せないし、
青銅器文化も起こらぬのではないか。
537日本@名無史さん:05/01/03 22:17:02
>>535
平安時代以降にできたカタカナと酷似した文字で同じ読みのものが多数あるのはおかしいです。
538日本@名無史さん:05/01/03 22:24:30
http://www.page.sannet.ne.jp/tsuzuki/photo/kosi.jpg
ワレルラユヱイアマフヒ などです
539日本@名無史さん:05/01/03 22:28:07
メムキトコ もです
540日本@名無史さん:05/01/04 00:04:58
>>536
稲作もBC10から日本からあるけどね。
だからと言って日本全国でやっていた訳じゃない。

文化には伝播していく、それなりの時間がかかるの。
541日本@名無史さん:05/01/04 03:16:17
>>536,>>540
青銅器の年代も400年くらい繰り上げる説がでてるね。
むしろ伝播の速度が想像以上に速かったという理由で。

鉄器と青銅器はそもそも用途がちがうから同時でかまわない。
つーかこんなことは旧来の年代観でも「日本は鉄器と青銅器が同時」
と言われてたわけで疑問になるのはどうかと。

石器は弥生時代でも存在したけどこれは地域(文化圏)の問題。
銅矛文化圏とか銅鐸文化圏とかいうやつ。
542日本@名無史さん:05/01/04 18:21:20
>>533,>>540
>鉄はBC10C頃の縄文漁労民が...
何処から持ち帰ったということですか。漁労作業においても石器と比べ、
格段の利点があろうし、その後普及した稲作では、更に有用なのに鉄器
伝播に時間がかかり過ぎてませんか。
特に稲作展開に伴う小国同志の抗争には鉄器武器の有無は、勝敗に致命的
と思うのですが。
543日本@名無史さん:05/01/04 21:15:12
当時の鉄は相当高級な金属だったんじゃないかな?
544日本@名無史さん:05/01/05 05:03:27
>>542
意味がわからん。今のスレの流れだと鉄器は10Cからあったんでそ?
こんなに早いのに「時間がかかる」とは?
545日本@名無史さん:05/01/07 22:45:23
BC2004年にシュメールが滅亡、脱出した民族が、船に乗ってカラチ、モヘンジョダロへ移住、
BC2000〜1600年頃に、崑崙山脈にいたスメル族(クメル族→コウメ→コウメイ族)と融合して、
インド南端などを経由しスマトラ、インドネシア、ベトナムなどを移住しながら、
最終的に日本までたどり着いたものと考えられます。
そしてこの人々が「大和族・海人族」として記憶されるようになったのです。
この海人族は新しい土地に拠点を作り、九州を中心の先住の毛族と共生していったと考えられます。
最大拠点は日向で日向王国=高天原となり、内陸には深入りせず、
主として「津」に船だまりをつくって生活し、
各地に毛族と和合した集落が出来、米作を広めていったと思われます。
546日本@名無史さん:05/01/11 20:09:10
@ハプロタイプHLA−A24−B52−DRB1*1502(DR15)

 本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
 韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%

 このハプロタイプは日本人で最多頻度のハプロタイプであり、且つ文献(a)に
よると、北九州、山陽、近畿、更に秋田・山形でも高い頻度で観察されます。
又、国外では、韓国や、おそらく北朝鮮のハプロタイプ頻度を反映していると
考えられる「中国朝鮮族」でも、そこそこの頻度で観察されること、及び文献(c)
で、中国北部漢族でも見られ、以前の報告ではモンゴル(共和国)の一集団でも
高頻度(文献(a)で5,9%?)であると発表されています。
私は、このハプロタイプが、日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に
高頻度であることから、弥生時代開始前後に、遼河流域周辺から、半島西岸を一気に
南下して、半島南部に到達し、更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面
に上陸・移住し、瀬戸内から近畿に弥生文化とともに拡がって、ついに国家形成・
民族形成・日本語を形成するに至った集団「倭人」の民族移動を表わすものと考えています。
547日本@名無史さん:05/01/11 20:31:30
遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住

遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住

遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住

遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住

遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、半島南部に到達し、
更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に上陸・移住
548日本@名無史さん:05/01/20 14:29:01
あげ
549日本@名無史さん:05/01/21 10:41:50
198 :天之御名無主 :04/10/16 03:54:43
しかし、どっちかというと関東の方が東北より濃いめの顔が
多い気がするのはなぜだろう?


199 :庄内人:04/10/16 05:40:56
>198
確かに。
特に、私の知り合いでは、千葉出身の人に、非常に「濃い」
というか、つまり縄文人風?な顔立ちの人が多い。
茨城、群馬、埼玉の知人にも、やはり結構いる。
東北出身の私がいうので、かなり確か?である。

原因はいくつかあるだろうが・・
ひとつは、関東では蝦夷の朝廷に対する反乱が
少なかったため、人民の強制移動がなかった事。

それか、もともと強制移動ではなく
縄文末期からの自然な民族移動で
関東では変化が少なく
東北では大陸からのツングースの渡来など
移入が結構あったため。


203 :天之御名無主 :04/10/17 06:07:35
俺は関東の縄文人は東海地方系だと思う。
東北より明らかに顔が濃い。
550日本@名無史さん:05/01/21 10:45:22
とあるリンク切れサイトから引用

その2に「蝦夷」
 蝦夷は日本書紀を読むと野蛮人というイメージで書か
れています。でも当時の日本、正確には大和に都を置い
た朝廷にとって蝦夷とは、手強い相手。何度も戦っても
勝てない相手だったのです。なぜなら蝦夷の方が文化水
準が上だから。具体的には豊かな金と製鉄技術なので
す。蝦夷の製鉄技術は進んでおり、大量の鉄をつくり、
その純度の高い鉄で優れた武器をつくっていた。彼らは
騎兵ですが、大和の渡来人の重装騎兵のように馬も人も
分厚い鉄の兜や鎧で武装するのではなく、皮でできた軽
い鎧兜をつけて、馬上でも切りあいができるように、手
元の部分から湾曲した良く切れる刀をもち、短い強い弓
で攻撃する軽装騎兵集団でした。後の時代のモンゴルの
軽装騎兵と同じです。
551日本@名無史さん:05/01/21 10:46:46
だから歩兵を基本とする大和の軍がなんども蝦夷に攻
めこんでもなかなか勝てない。仕方がないので坂上氏な
どの重装騎兵集団を送りこんだが、重装備の騎兵は動き
が鈍く、山間部に引き込まれて蝦夷の軽装騎兵に包囲さ
れて、全滅に近い被害を何度も蒙っている。これは平安
時代の話ですが、二百年まえの蘇我さんの時代も基本的
に同じだと思います。
 蛇足ですが、武士の刀は蝦夷の湾曲した刀(蕨手の太
刀と言います)の技術を学んで改良したもの。また武士
の大鎧は、蝦夷の皮製の鎧の作り方に学んで、皮を短冊
型に切って皮紐で綴じていたのを、鉄の板を短冊状にし
てそれを皮で覆ったものを皮の紐で綴じたもの。日本は
蝦夷から技術を学んだのです。
 だから「蝦夷」とは野蛮人ではなく、大和の人々に
とっては高い文化をもち、北はアリューシャン列島から
南は琉球・中国まで貿易に航海し、豊かな金と高い工業
技術ををもち、馬を駆使した強い軍隊をもった異国の人
だったのです。いつの時代も強い外国にはあこがれま
す。そして勝てないからこそ「野蛮人」と呼んで人を落
としこめます。
 強い人・不思議な力をもった人という蝦夷にあやかっ
た名前が「蘇我蝦夷」だったのではないでしょうか。
552日本@名無史さん:05/01/21 21:58:05
蝦夷を一人 百な人 ひとは言えども手向かいもせず
(蝦夷が強いと評判だが、実際は案外弱く抵抗もせず服従した。)

確かに律令軍団は、蝦夷との戦闘で弱体ぶりを露呈したが、
その原因は「尋即逃去」とあるように農民兵にすぎなかった軍団兵士が、
逃亡する弱兵で士気も高くない。これに勝って強いといわれても。
選士制設置以前の事なので。しかも最終的に蝦夷は負けている。

宮本常一氏によると「東日本では馬に荷をつけ、口取りした馬を人間が引っ
ぱっていく。人間が乗る場合でも口取りがついてないと乗りこなせない、
へたな人達が東日本には多くいた。それに比べ西日本は牛を犂につけ引か
せる。そして公家の乗馬ぶりは見事なもの。つまり日本には二通りの馬の
飼い方があり、騎馬民族は東へは容易に広がっていかなかった。」

かりに蝦夷が騎馬技術を学んだのが、海をへてアムール沿海州であっても
挹婁、沃沮、黒水靺鞨とみな歩兵が主である。
都の弓馬の技術は高く、頼朝も都の西行から弓馬の技術を学ぼうとし、
蝦夷や関東武士からではないのだが。
553日本@名無史さん:05/01/22 18:00:13
アイヌは弓の名手だよ。

おそらく蝦夷・関東武士も名手だった。
554日本@名無史さん:05/01/22 19:30:54
>>549
>関東では変化が少なく
>東北では大陸からのツングースの渡来など移入..
ツングースの渡来移住ってのは、何時代の話なのか疑問だが、
地理上の遠近ではなく、海上交通の便の観点からみると判るかも。
特に日本海側は江戸期の北前船以前からも、西国との海上交通が
活発で、血の移入もあったからではないか。
555日本@名無史さん:05/01/22 19:36:49
>>550
日本の武具馬具の発達歴史を扱った市販本って、どういうのがありますか?
556日本@名無史さん:05/01/22 19:44:57
アルコールの分解過程にかかわるアセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)
に関連する遺伝子で酒に強い体質を形成する型(NN型)を持つ人の割合に
ついて都道府県の順位
秋田1
岩手2
鹿児島2
福岡4
栃木5
埼玉6
沖縄7
北海道7
熊本9
高知10
山形11
青森12
宮城12
千葉14
新潟15
神奈川16
香川17
宮崎18
東京19
茨城20
山梨20
山口22
557日本@名無史さん:05/01/22 19:45:45
長野23
福井23
鳥取23
島根23
福島28
兵庫28
静岡30
佐賀31
長崎32
徳島33
京都34
滋賀35
群馬36
富山36
岡山38
奈良39
大阪40
広島41
愛媛42
大分42
和歌山43
岐阜44
石川45
愛知46
三重47
558日本@名無史さん:05/01/22 20:08:38
縄文系の強い場所は酒に強く、ツングース系の多い北陸〜秋田も酒に強い。
近畿地方、東海地方は逆に酒に弱い。

九州北部から中国地方、中国地方から近畿地方、近畿地方から東海地方と、
弥生人の移動した軌跡が伺えるね。
559日本@名無史さん:05/01/22 20:34:16
弥生人って言うのはモンゴルあたりから出発して、
B52-DR2と下戸遺伝子をばら撒きながら、
東海地方まで放浪した留まる事を知らないジプシーだったんだろう。
560日本@名無史さん:05/01/22 20:41:44
>>555
ここから、コピーしただけだから、知らん。

こっちで聞いてみれば?
人、少ないけど。

http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/987989033/l50


大元は、ここ。

http://haitsudeko.hp.infoseek.co.jp/deko/his/iken/14.htm


蝦夷 軽装騎兵 の検索結果 約 1,760 件

http://www.google.com/search?hl=ja&q=%E8%9D%A6%E5%A4%B7+%E8%BB%BD%E8%A3%85%E9%A8%8E%E5%85%B5&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
561日本@名無史さん:05/01/22 20:44:57
弥生人侵略者説ばかりだが、俺は弥生人ジプシー説を取るぞ。
562日本@名無史さん:05/01/22 20:58:39
東海・北陸・関東・東北は北方縄文系。ロシアから陸続きだった樺太を通って、東日本に来た。

昔の東海人・北陸人・関東人・東北人は、白人ハーフのベッキーより、さらに濃い感じだったはず。


白人ハーフのベッキー
http://images.google.com/images?q=%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC&hl=ja&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2


NHKスペシャルを前に見たが、弥生人の進出は大阪平野・濃尾平野で一旦、止まったらしい。
大阪平野・濃尾平野の弥生度率は、全国トップのはず。

関東平野に弥生人が現れたのは、その200年後くらい、
東北は、もう少し後かな。

その後、大和朝廷ができ、東海・北陸・関東・東北の北方縄文人は、弥生人と混血していった。
563日本@名無史さん:05/01/22 21:10:28
>>561
小田原では、弥生時代の、縄文人と弥生人の集団集落が見つかっているよ。
開墾技術を縄文人から学んだらしい。

弥生時代の、北方縄文人と弥生人が混血した骨が、東北で発掘されているから、
蝦夷の一部、又は全てが、北方縄文人と弥生人の混血だったはず。
北方縄文人の血が圧倒的に濃いのだろうが。

で、その蝦夷は、大和朝廷の家臣となった。

一部、蝦夷の反乱はあったが。
564日本@名無史さん:05/01/22 21:18:18
弥生人の進出が、大阪平野・濃尾平野で一旦、止まった理由は、
そこから東は、縄文人が多すぎて、なかなか進めなかった為。

縄文人の骨の90%位が、東海・北陸以東の東日本で見つかっている。
565日本@名無史さん:05/01/22 21:30:56
縄文人って畑とかもやってたんでしょ?
日本語のもとみたいな言語も話してたとか。
定住してたやつらもいたとか。

うほうほイノシシ追っかけてただけじゃないと思うぞ。
566日本@名無史さん:05/01/22 22:06:57
8000年前、漁労民になっていた縄文人は鯨や鮪を追いかけ、
朝鮮半島、琉球、台湾、中国大陸に進出する海洋民だった。

6500年前、中国から稲作を導入し栽培。稗や粟の栽培はそれ以前か?

567日本@名無史さん:05/01/23 04:57:56
東日本にはB型の血液型が多く、西日本にはA型が多い。
戦後しばらくは「狩猟中心の縄文文化が発展し、稲作中心の弥生文化になった」
とする歴史観が中心であった。現代では縄文文化を担った人々と、弥生文化を
担った人々は別のルーツとする考え方が主流である。
古代人にとっては南の「箱根」と北の「親不知子不知(おやしらずこしらず)」
に代表される山岳地帯を越えるのは大変な事であったろう。
西と東が別々の文化を持った時代が長くあったと考える方が自然である。
現代でも東日本と西日本の間に思考方法や精神風土の違いが存在している。
ttp://www.sanspo.com/fish/labo/monogatari/sakana_buri3.html
568日本@名無史さん:05/01/23 12:47:26
>>566
>6500年前、中国から稲作を導入し栽培...
開始したのなら、安定して収量の多い穀物獲得に付随する人口急増が
起きなかったのが合点がいかないし、>>564のいう東西の人口偏在から、
稲作に適した温暖な関西以西への移住が起きなかったのか。
569日本@名無史さん:05/01/23 12:59:28
>>563
>縄文人と弥生人の集団集落が見つかっているよ。
>開墾技術を縄文人から学んだらしい....
というと、対等な交流に聞こえるが、弥生人が縄文人を奴隷として、稲作に
使役していたから、双方の人骨が混在とも考えられるのでは。
570日本@名無史さん:05/01/23 15:26:58
>>569
そんな事実はありませんよ。さりげなく電波をまぜるのはやめれ。
571日本@名無史さん:05/01/23 15:37:20
むしろ逆な気がする。
縄文人が弥生人を奴隷として労働力に使役していたのではないかな。
その後、乗っ取られていく事も知らず。

今のどこかの国が直面している問題に似ている。
572日本@名無史さん:05/01/23 15:47:08
弥生人はもともと難民だろ。縄文人に助けられてどうにか生きてたんだよ。
573日本@名無史さん:05/01/23 15:59:25
>>564
>濃尾平野で一旦、止まった理由は、そこから東は、縄文人が多すぎて...
弥生文化は..尾張と三河の境の矢作川まで進むが、そこで100年間停滞..って、
山で隔てられた三河と遠江境なら解るんだが、さして大河でもなく両岸で地形差も
ない矢作川が、どうして縄文人口分布の境界になったんだろ?
ttp://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-20-2.html
574日本@名無史さん:05/01/23 16:19:06
>>572
文脈不明なんだが、難民を現代朝鮮や中東のそれに狭く捉えていないか。
出発地で窮状にあっても、移住地でどうかは、彼らの有する文明文化の相対
高低差で決まる。アメリカ開拓民や東南アジアの華僑を想起してみると解る。
575日本@名無史さん:05/01/23 16:26:32
難民と言うより流民、ジプシーだろ。
576日本@名無史さん:05/01/23 16:44:22
>>562
>NHKスペシャルを前に見たが...
2001年放映のNHKスペシャル「日本人遥かな旅」のことですか。
NHKの特番「日本人」見た?
http://mentai.peko.2ch.net/min/kako/998/998226043.html
577日本@名無史さん:05/01/23 17:02:46
>>574
初期の北米の移民も、最初の頃は開拓がうまくいかず
死にそうなところを何度もインディアンに助けられていたわけだが。
578日本@名無史さん:05/01/23 17:59:43
弥生人じゃなくて渡来人と縄文人の話だよね?
弥生人って渡来人と縄文人の混血じゃないの?
579日本@名無史さん:05/01/23 19:10:21
B52-DR2が近畿とかは10%を超えている。
中心勢力は純血の集団だったと思われ。
580日本@名無史さん:05/01/23 19:25:50
B52-DR2以外にどんな集団が日本に居たの?
どの地域で何%かわかるソースはどこなの?
581日本@名無史さん:05/01/23 19:42:23
>>578
>弥生人って渡来人と縄文人の混血じゃないの?
そういう視点は否定しないが、このスレでは>>1の提起文から見てとれる
ように、弥生人=水稲普及期の渡来集団を指している。
582日本@名無史さん:05/01/23 19:46:46





◎HLAから見た日本人のルーツ

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm






583日本@名無史さん:05/01/23 22:56:51
>>1
学者たちはそう思い込んで、どんどん妄想を膨らませて見てきたように言ってたんだけどね。

最近、教授だの助教授だのの言う事をまともに聞く気がなくなってきたわ。
584日本@名無史さん:05/01/24 03:03:41
>>576
YES
585日本@名無史さん:05/01/24 03:06:11
586日本@名無史さん:05/01/24 20:39:20






◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度

本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9%




587日本@名無史さん:05/01/24 21:04:29
まだ四大文明なぞを信じている奴が居るのか?
もう世界では十大文明くらいが妥当だろうといわれている。
なぜ支那の古代文明が現代に発掘されているかというと、あそこが乾燥地帯だったからだ。
普通は長い時間の中で自然に溶け込み、腐敗し、残らない。
別に当時特別に今言われている地域だけが文明が高かったというわけではなく
‘乾燥地帯だから残っている‘だけなのだ。この辺を間違えてはいけない。
現在ではアマゾンの奥地などでも残った遺跡が見つかっている。
588日本@名無史さん :05/01/25 02:28:25
江戸時代の外国人旅行記とかを読んでると、人種的混合が起こる前の日本の姿が見えてきて面白いね。
和人の武士がアイヌ人のことを「あいつらは犬ですから」って言って人間扱いしていなかったり。
まるで英国人のアボリジニに対する感じ。 縄文人が弥生人と対等な関係を築いていたとは思えない。
弥生側にメリットが無い。 弥生人が少数であっても、大多数の縄文人を武力によって支配し得るのは、
アステカ文明の滅亡を見ても、アメリカ軍の圧倒的ハイテク兵器を見てもありうることだしね。

あと面白かったのは、誰だったか忘れたが朝廷を訪問したときに、もう障子も破れてボロボロ、普通の商人の家よりも
貧しい屋敷に、中国の皇帝を見てきた西洋人が大変驚いていたところ。 町の人に聞いても天皇の存在その物が忘れ去られていたらしいね。
 あと、朝廷の貴族たちの顔が、一般の日本人とは明らかに違う顔立ちをしていたとも描いてある。 
色白で、目が細く、鼻が長く、背も高かったと。 それに対して、土方とかは南方系の目がギョロッとした浅黒い肌の縄文系の人が多いとも描いていた。
589日本@名無史さん:05/01/25 03:27:21
>>588
一瞬真面目に読みそうになったけれど、「和人」で台無しですね。
ほぼ100%「「だったんだろうな」「だったんじゃないだろうか」ですし。
そんなことは書いていませんよ。貴方の脳内には書いてあったんでしょうけれど。
590日本@名無史さん:05/01/25 03:31:02
ハリス「彼らはみなよく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も
貧者もない。これが恐らく人民の本当の幸福というものだろう。私は時として、日本を
開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの人々の普遍的な幸福を増進する
所以であるかどうか、疑わしくなる。私は質素と正直の黄金時代を、いずれの他の国に
おけるよりもより多く日本において見いだす。生命と財産の安全、全般の人々の質素と
満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる。」彼は江戸城内で将軍家定に
謁見した際「大君の衣服は絹布でできており、それに少々の金刺繍がほどこしてあった。
だがそれは、想像されうるような王者らしい豪華さからはまったく遠いものであった。
燦然たる宝石も、精巧な黄金の装飾も、柄にダイアモンドをちりばめた刀もなかった。
私の服装の方が彼のものよりもはるかに高価だったといっても過言ではない。」
オールコック「封建領主の圧制的な支配や全労働者階級が苦労し呻吟させられている抑圧
については、かねてから多くのことを聞いている。だが、これらのよく耕作された谷間を
横切って、非常なゆたかさの中で所帯を営んでいる幸福で満ち足りた暮らし向きの良さそ
うな住民を見ていると、これが圧政に苦しみ、過酷な税金をとりたてられて窮乏している
土地だとはとても信じがたい。むしろ反対に、ヨーロッパにはこんなに幸福で暮らし向き
のよい農民はいないし、またこれほど温和で贈り物の豊富な風土はどこにもないという
印象を抱かざるをえなかった。」
ちょっと時代は下るがチェンバレンによると
「この国のあらゆる社会階級は社会的には比較的平等である。」「一般に日本人や極東の
人々は、大西洋の両側のアングロサクソンよりも根底においては民主的である」「金持ち
は高ぶらず貧乏人は卑下しない。・・・ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だ
と心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである」
591日本@名無史さん:05/01/25 03:37:36
大体天皇家にあの顔の血筋が入ったのはごく最近だっつーの。
少し昔の写真を見てみれば、もろ縄文系の顔立ちの方々が多い。
592日本@名無史さん:05/01/25 03:45:36
朝鮮人はそこまでして歴史を捻じ曲げたいのか?
そもそも渡来人は貴方達とは無縁ですよ。
593日本@名無史さん:05/01/25 06:36:23
朝鮮半島はすり抜けて素通りしてきただけ。
594日本@名無史さん:05/01/25 09:21:03
韓国でも新羅王家のルーツはサカ族(スキタイ)の可能性が高いと言ってるぞ。
595日本@名無史さん:05/01/25 20:07:11
♪よ、り、め、朝、鮮、人、
ニダ、ニダ、ニダ、ニダ、朝、鮮、人、
可笑しな顔した、朝、鮮、人、
なぜか縄文人の血も入ってるって、、、言うじゃな〜い♪



でも、朝鮮人はハプロタイプが日本人と6割も違ってますからあああああ!!!!



残 念 ! !

ビビンバキムチ斬り〜
596日本@名無史さん:05/01/25 20:40:31
ムッちゃんは縄文というよりムチャクチャな顔だと思うが・・・
597日本@名無史さん:05/01/25 21:05:33
縄文人のmtDNAが韓国人には2割弱ほど検出されるが、
弥生人の持ち込んだ日本人最多(8.6%)で、近畿人には特に高頻度
(10%超)のHLAハプロタイプのB52-DR2(B52-DR15)の頻度が
韓国人はとても低い(1.4%)のに、モンゴル人は高い(5.9%)。

日本人、特に近畿人は韓国人とは遠く、モンゴル人に近い。
598日本@名無史さん:05/01/27 07:41:16
東日本にはB型の血液型が多く、西日本にはA型が多い。
戦後しばらくは「狩猟中心の縄文文化が発展し、稲作中心の弥生文化になった」
とする歴史観が中心であった。現代では縄文文化を担った人々と、弥生文化を
担った人々は別のルーツとする考え方が主流である。
古代人にとっては南の「箱根」と北の「親不知子不知(おやしらずこしらず)」
に代表される山岳地帯を越えるのは大変な事であったろう。
西と東が別々の文化を持った時代が長くあったと考える方が自然である。
現代でも東日本と西日本の間に思考方法や精神風土の違いが存在している。
ttp://www.sanspo.com/fish/labo/monogatari/sakana_buri3.html
599日本@名無史さん:05/01/27 13:44:35
■縄文時代は平和な平等社会■

丸山三内遺跡では成人の墓約100基、小児用の墓約880基が見つかっている。
集落のそばに平然と配列されたこれらの墓地は、全く大小の区別なく、副葬品も
みな同様だった。ここから縄文社会が階級差のあまりない、基本的には平等主義に
立脚した共同体社会であったと見なされている。巨大な建物も、王や貴族の家で
はなく、宗教的儀礼や共同の作業場、食料貯蔵庫などであったと推定されている。
三内丸山遺跡が発展した今から5千年前、メソポタミアやエジプトでは、すでに
王が出現し、人民を搾取して、巨大な建物を造って富めるものと貧しいものの階級
があらわれていたのとは、著しい対照をなす。さらに、縄文時代には、人殺しの
武器はなかったとも推定されている。縄文時代は戦争のない平和な平等社会であったようだ。
600日本@名無史さん:05/01/31 16:44:28
全国各地の縄文・弥生の遺跡とその大きさ等から、単位辺りの人口を推定し それを
コンピュータに入れシミュレーションを行う。それによれば縄文時代の 日本の人口は、
中期終末期から後期にかけて約30万人ほどであり、その大部分が 東日本に集中している。
それが縄文晩期になると8万人弱まで落ち込んでしまう。 その原因はいろいろだが、
最大の原因は一般には寒冷化だろうと考えられている。 落ち込んでしまった人口は、
弥生時代になってなんと60万人に達するのである。 しかも、東日本と西日本の密度が逆転する。
つまり弥生時代には人口の多くは西日本に集中するのである。
601日本@名無史さん:05/02/06 01:47:50
>>600
>弥生時代になってなんと60万人に...人口の多くは西日本に集中...
で、その60万人は、どこから湧いて出たという結論なんですか?
602日本@名無史さん:05/02/06 02:40:06
少数だった弥生人こと倭人が人口爆発したんだよ。
水田稲作の成功によるものだろう。
603日本@名無史さん:05/02/06 11:51:58
華北から2300年くらい前の骨が見つかり、渡来系弥生人の骨と特徴が同じだった為、
中国の戦国時代の、華北の難民が朝鮮半島に逃れ、その一部が日本に来たという事になる。

手こぎ舟で華北から日本に来るのは難しいが、朝鮮半島最南端から日本は、目視できるほど近い。

現在の華北・朝鮮半島北部でB52-DR2の遺伝子が減ってしまった理由は、
朝鮮半島北部で、満州人による高句麗=高麗の建国などがあり、
朝鮮半島北部・華北などでは満州人などとの混血が起こった為。

韓国南部ではB52-DR2が、かなり検出されるから、
弥生人は朝鮮半島を素通りしたわけではない。

東日本人も西日本人と混血しているから、
全ての日本人に、少なからず、朝鮮人の血が流れているのだ。

朝鮮人をバカにするのは、先祖に対して失礼だぞ。


NHKと国立科学博物館の共同制作番組、NHKスペシャル・日本人はるかな旅で、そう説明していた。

文句があるなら人類学者に言えよ。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005V47U/249-9198818-8468320
604日本@名無史さん:05/02/06 12:08:18
弥生人というのは縄文系であるとか渡来系であるとかの区別はできず
単に弥生時代に生きたと推定される人骨をそう呼ぶのが適切だって言ってた人がいたな
新納泉だったか橋口達也だったか・・
605日本@名無史さん:05/02/06 13:00:10
>現在の華北・朝鮮半島北部でB52-DR2の遺伝子が減ってしまった理由は、
>朝鮮半島北部で、満州人による高句麗=高麗の建国などがあり、
>朝鮮半島北部・華北などでは満州人などとの混血が起こった為。
>韓国南部ではB52-DR2が、かなり検出されるから、
>弥生人は朝鮮半島を素通りしたわけではない。
>東日本人も西日本人と混血しているから、
>全ての日本人に、少なからず、朝鮮人の血が流れているのだ。


NHKスペシャル・日本人はるかな旅では、こういう事は一切言ってませんでしたよ。
それに、もう4年も前の番組なので内容自体が最新人類学からはもう大きく遅れてきている。
日進月歩の科学と人類学なのだよ。4年の月日は大きい。
化石は死すべし。
606日本@名無史さん:05/02/06 13:03:55
YAP+が中央アジアを起源とする縄文人や欧米人
YAP-が東南アジアを起源とする弥生人や朝鮮人

これが「NHKスペシャル・日本人はるかな旅」の結論
607日本@名無史さん:05/02/06 13:28:20

◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度



本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9%



日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人≠朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人≠朝鮮人≠近畿人≒モンゴル人
608日本@名無史さん:05/02/06 13:45:27
>B52-DR15(B52-DR2)の頻度
これのソースはなに?
609日本@名無史さん:05/02/06 13:48:23





◎HLAから見た日本人のルーツ

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm





610日本@名無史さん:05/02/07 01:52:32
>>604
頭がい骨からの復元

右が純血の北方縄文人=ロシア系
左が純血の渡来人=朝鮮人

顔が全然、違うじゃん。

http://uploader.zive.net/file/11759.jpg
611日本@名無史さん:05/02/07 02:16:36
ここまで気持ち悪く在日や朝鮮人に粘着されるなら縄文人も
混血や渡来人を一切受け付けずに皆殺しにしていただろうな。
612日本@名無史さん:05/02/07 02:55:14
でも、渡来人は遺伝学的に朝鮮人とはあまり関係の無い
モンゴル人に近い北方人種という事が分かってしまったからな。

これも日本人の無知を利用したロングランの洗脳だったね。

科学の進歩のお陰で、もう使えない洗脳になってしまったけど。
613日本@名無史さん:05/02/07 03:31:43
東日本(ジパング)
西日本(東朝鮮)
東日本(ジパング)+西日本(東朝鮮)=日本(ジャパン)

東日本人→ロシア系・北方縄文人の子孫→白人が好き
西日本人→朝鮮系渡来人の子孫→白人が嫌い、朝鮮人と中国人が好き


西日本人が、
「ウリ達は朝鮮人と同一の血を持つ民族ニダ。だから大朝鮮と合邦するニダ。」
と言い出したら、

西日本だけではなく、東日本も、朝鮮・中国にのみこまれる。

だから、東日本人は、西日本人を監視しなければならないのである。w


実際、西日本人による朝鮮併合で、日本はチョンだらけになったからな〜。ww

西日本人は、本当に朝鮮が好きだね。www
614日本@名無史さん:05/02/07 20:38:20
よかったねー
はい、さようなら
615日本@名無史さん:05/02/08 06:15:45
まず征服には渡るべき船が要る。
当時、そのような船があったのだろうか?
中国の鑑真を乗せた一行でさえ命がけの渡航で、多数の死者を出してようやくたどり着いたのに。
一度に渡航しなかったとしても、命がけの渡航にならざるを得なかったのは明白。
国を捨てる人達が命がけで、訳の分からない未知の東国へ渡る理由は何であろうか?
縄文晩期(紀元前700年)から半島南部との交流が無ければ考えられない事だと考える。
先祖の伝聞にしろ、前もって知識があったのであれば、渡航の現実性も上がるというものだ。
大陸のような陸続きな国への侵略と嶋への侵略の違いは必ずあるはず。
半島の事はよく分からないが、国を捨てる程の激変はなんだったのだろうか?
侵略目的ならば、朝鮮半島も同じような事が起こっていたと考える方が自然だろう。
616日本@名無史さん:05/02/08 06:29:11
>>563
そうだろう。なぜなら蝦夷の騎馬文化に関する答えが導き出せない。
百済人の東北移遷や多摩地区の高句麗人との交流、または移動が。
蝦夷が船を使って技術や文化を導入したと考えている人もいるが、それより
身近にある人、物を利用して導入する方が現実的だろう。
実際、百済人が大量に陸奥などに送り込まれたり、騎馬に欠かせない皮革技術を持った皮革工の高句麗人が関東に
多く移り住んでいる。
617日本@名無史さん:05/02/08 06:35:33
>>563
恐らくその遺骨は百済人と蝦夷のあいの子だと考える。
618日本@名無史さん:05/02/08 06:39:23
さらに東北には物部氏もいた。物部氏の手助けも大きかったのであろうと考える。
619日本@名無史さん:05/02/08 06:46:26
百済人+蝦夷=蝦夷
なんか言い方が変だが、他に言いようが無いのでそうした。
620日本@名無史さん:05/02/08 19:11:07
>>619
北方縄文人+渡来系弥生人=蝦夷
だろ。
(人口比からして、圧倒的に北方縄文人の血量が多い。)
従って、蝦夷の食料は米。

北海道でも弥生時代の渡来系弥生人の骨が見つかっているから、
アイヌ(北海道の北方縄文人)と、渡来系弥生人の混血は、弥生時代から、あったのかもしれない。
621日本@名無史さん:05/02/08 19:12:15
>>616-619

>>563は、弥生時代の話なんだけど。

弥生時代の日本に百済人って、いたのか?

渡来系弥生人=百済人って事でいいのか?
622日本@名無史さん:05/02/08 21:30:26
>>615
>陸続きな国への侵略と嶋への侵略の違いは必ずあるはず...
現代人の視点だね。大平原ならいざ知らず、往古は無論、近世まで陸路より水路が
交通の便が良かったのだよ。侵略というのもそう、もっと広く移住と捉えた方が
判り易い。
>国を捨てる程の激変はなんだったのだろうか...
定住民が移住を選ぶ理由は、天災、戦乱、飢餓の3つだろうね。農耕による蓄富の
争奪欲望が戦乱を引き起こす時代であったと思われ。
623日本@名無史さん:05/02/09 00:01:15
>>616
蝦夷の騎馬文化とは何か?
東日本における馬の使い方を見ると、馬へは荷をつける。
(騎馬民族にとって馬は乗馬用で、荷をつけるのは牛車、牛犂等
牛の仕事だと思うが。西日本では、牛車、牛犂文化がある。)
しかもその馬を口取りして荷をつけ人間が引っ張っていく。
人間が乗る場合も口取りがつかないと乗りこなせない。
アイヌ人が家の宝として牛馬を飼って、牛も農耕に
使役する為でなかった。このような習俗が東日本に多かった。

蝦夷と帰化系の関係でいえば、陸奥国柴田郡新羅郷とかあるが、
積石塚の多い信濃の高句麗人である後部王起が
蝦夷との争いで、神亀元年(724年)に部軍格で派遣されている。
青森県八戸市の鹿島沢古墳群で出土した馬具が、長野県佐久市の
東一本柳古墳等の中部高原の馬具に似ていることから考えると
多摩より信濃の高句麗人の影響が強いと思う。
624日本@名無史さん:05/02/09 04:03:14
>>623
なるほど。
625日本@名無史さん:05/02/09 04:22:39
>>622
侵略にはどれだけの物資と人員、資金が必要かは、先の大戦でも経験済みだろう。
古代においてもこれは同様だと思う。ましてや陸続きではなく、嶋伝いの戦にはそれ以上の
浪費が考えられる。安易に現代的な海路による運搬と比較するのは愚問だろう。
天災、戦乱、飢餓であったのならば、上記事項がなお更非現実的なものとなってしまう。
さらに、このような大きなムーブメントがあれば、史書にも少なからず記されている筈だ。
この頃の新羅領は、統一王朝などではなく、様々な国、地方から集まった部族集合体であった
事が分かっているが、部族間同士の争いで披瀝した地域からどのようにして海を越え、他国へ
侵略を企てる事が出来たのかを知りたいものだが。
626日本史@名無しさん:05/02/09 09:17:16
天日槍の時代でも、相当の激戦だったようだね。まああれは鉄の産地の取り合いという面も
あったけど。
あれが遅くても4世紀だから、決して簡単じゃなかったのは確かだと思うよ。ただ、天日槍み
たいに征服戦をやるんじゃなくて、ちょっとした入植ぐらいなら、人口も耕地も少ない当時なら
それほどでもなかった気もする。それも、その土地に広域国家や領土という概念が発達して
いたら難しいだろうが、何か技術をもっていたらそれは尊重されただろうし。
627日本@名無史さん:05/02/09 09:31:20
>>621
古墳時代に百済人がいなかったとでも?(苦笑)
628日本@名無史さん:05/02/09 09:45:31
>>623
陸奥国柴田郡と言えば、この記述と同じかな?

神護景雲三年(769年)
 また安積郡の人で、外従七位下の丈部直継足に阿倍安積臣の姓を、信夫郡の人で外正六位上の丈部大庭らに阿倍信夫臣
の姓を、柴田郡の人で外正六位上の丈部嶋足に阿倍柴田臣の姓を、会津郡の人で外正八位下の丈部庭虫ら二人に阿倍会津
臣の姓を、磐城郡の人で外正六位上の丈部山際に於保磐城臣の姓を、牡鹿郡の人で外正八位下の春日部奥麻呂ら三人に武
射臣の姓を、日理郡の人で外従七位上の宗何部池守ら三人に湯坐日理連の姓を、白河郡の人で外正七位下の靱大伴部継
人・黒川郡の人で、外十六位下の靱大伴部弟虫ら八人に靱大伴連の姓を、行方郡の人で外正六位下の大伴部三田ら四人に大
伴行方連の姓を、苅田郡の人で外正六位上の大伴部人足に大伴苅田部の姓を、柴田郡の人で外従八位下の大伴部福麻呂に
大伴柴田臣の姓
629日本@名無史さん:05/02/10 03:27:21
>>626
天日槍は征服戦などしてないが?
630日本史@名無しさん:05/02/10 08:26:05
短時日に播磨の大部分をを領有するに至ったんだし征服戦っていいと思うのだが?

これと倭国大乱との関係は不明だが、少なくともその当時はまだ畿内一円、西日本一円の
大王の元、土地や鉱山の領有権も私闘で得るのも制限される、といった情勢ではなかった
こともわかるね。
631日本@名無史さん:05/02/10 13:36:54
>>630
風土記の話は神話であって征服戦などとは読めないし、
歴史的実在の日槍とはごっちゃに語れない。
632日本@名無史さん:05/02/10 20:36:24
>>630
>播磨の大部分をを領有するに至ったんだし...
領有したとも、王国を創建したとも記録されていないんだが。先進文明人が来訪
したとはあるが。
633日本@名無史さん:05/02/11 00:33:00
東日本にはB型の血液型が多く、西日本にはA型が多い。
戦後しばらくは「狩猟中心の縄文文化が発展し、稲作中心の弥生文化になった」
とする歴史観が中心であった。現代では縄文文化を担った人々と、弥生文化を
担った人々は別のルーツとする考え方が主流である。
古代人にとっては南の「箱根」と北の「親不知子不知(おやしらずこしらず)」
に代表される山岳地帯を越えるのは大変な事であったろう。
西と東が別々の文化を持った時代が長くあったと考える方が自然である。
現代でも東日本と西日本の間に思考方法や精神風土の違いが存在している。
ttp://www.sanspo.com/fish/labo/monogatari/sakana_buri3.html
634日本@名無史さん:05/02/11 00:34:09
■縄文時代は平和な平等社会■

三内丸山遺跡では成人の墓約100基、小児用の墓約880基が見つかっている。
集落のそばに平然と配列されたこれらの墓地は、全く大小の区別なく、副葬品も
みな同様だった。ここから縄文社会が階級差のあまりない、基本的には平等主義に
立脚した共同体社会であったと見なされている。巨大な建物も、王や貴族の家で
はなく、宗教的儀礼や共同の作業場、食料貯蔵庫などであったと推定されている。
三内丸山遺跡が発展した今から5千年前、メソポタミアやエジプトでは、すでに
王が出現し、人民を搾取して、巨大な建物を造って富めるものと貧しいものの階級
があらわれていたのとは、著しい対照をなす。さらに、縄文時代には、人殺しの
武器はなかったとも推定されている。縄文時代は戦争のない平和な平等社会であったようだ。
635日本@名無史さん:05/02/11 00:59:43

◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度



本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9%



日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
636日本@名無史さん:05/02/11 01:00:15


例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。

http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm

中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
637日本@名無史さん:05/02/11 09:46:49
>>633,>>634
まるごと、>>567,>>598,>>599の再録、再々録なんだが、何ゆえに?
638日本@名無史さん:05/02/11 11:11:51
下戸遺伝子
北京付近 40%
韓国   20%
日本   44%
北九州  22%
秋田   10%
鹿児島  10%
アイヌ   0%
畿内   55%
三重県  58%
モンゴル不明・・・相当高いと思われ。
白人    0%
黒人    0%
アメリカインデアン 5%
639日本@名無史さん:05/02/11 12:26:57
狩猟用の道具でも人は殺せる
縄文時代で既に殺害されたとみられる人骨が発見されてる
640日本@名無史さん:05/02/11 12:46:38
弥生人=トルコ系鮮卑とチベット系北漢民族の混血。
(弥生人はトルコ民族のDNAが濃厚で、満洲系の朝鮮人とは異なる)

縄文人=越部族かマライ系か??→琉球人はその嫡流。

アイヌ人=太古の昔にネティイブ・インディアンと分離した。
(モンゴロイドとコーカソイドのDNAが混合している)
641日本@名無史さん:05/02/11 15:55:49
どっちみち、渡来系弥生人=朝鮮人だから、全ての日本人に、朝鮮人の血が流れているんだよ。

下の項目が1つも該当しない人は、いないだろう。
下の特徴は、渡来系弥生人=朝鮮人か、満州系朝鮮人の特徴。


まゆ毛から、あご下までが長い瓜実形の顔・
短頭か中頭・
せまいひたいか、中くらいの広さのひたい・
目と離れたまゆ毛・
一重まぶた・
細く小さい目・
浅い彫り・
低い鼻・
蒙古ひだ・
大きい歯・
純血のアイヌ人や白人に比べ、ひげや体毛が薄い・
短い手足
など


大朝鮮・大中華の血が流れている事を、誇りにして生きよう。

朝鮮人・中国人を、ばかにする事は、先祖に対して失礼だぞ。
642日本@名無史さん:05/02/11 16:12:55
>>628
陸奥国柴田郡新羅郷は「倭名類聚抄」だったと思う。
>>633>>634
東西日本の間に思考方法や精神風土の違いは社会制度にも現れている。
東日本は、親方子方制度、大地主と隷属的小作、村の代表は世襲、
支配服従がはっきりした身分関係で西日本の横の共同体、
独立自作農や契約小作、村の代表は選挙等と社会に違いがある。
縄文系の強い東日本のほうが、狩猟民的でない平等性の薄い、
階級差が強い社会を作った。
>>640
鮮卑は、多くの種族で構成されていたがトルコ系というよりモンゴル系。
トルコ系民族のDNAとは?朝鮮人は満州系と言い切れる根拠は?
縄文人の中には、越人もおったかも知れんが多数か?
643日本@名無史さん:05/02/11 23:25:50
>>636
モンゴルにいるのは義経子孫だろうが、そんなこともわからんのか、おまえは。
644台湾駐留中:05/02/12 01:51:21
人口とかも考慮しないとわかんないじゃない。
飯がたりてりゃ、喧嘩も少ないだろうし
足りなきゃやっぱ喧嘩しただろうし。
645日本@名無史さん:05/02/12 10:56:05
>>625
>部族間同士の争いで披瀝した地域からどのようにして...
42 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 01/11/01 12:55
シベリア辺りから追われてきた北方系モンゴロイドが、朝鮮半島内部で
やっぱいじめられて南の端にたまった。
んでもってついに海をこえて北九州上陸したのが、
倭人第一世代、って考えられない?
以後、瀬戸内海を西進して近畿地方に国家もどきを作り出した...
古代朝鮮の南部にいた倭って
http://mentai.peko.2ch.net/history/kako/1003/10036/1003627171.html
646日本@名無史さん:05/02/12 16:15:39
>>615
>征服には..命がけの渡航にならざるを得なかった....
って、山国育ちの海怖がりの方ですか。半島南端と対馬の距離をご存知ですか。
東シナ海の渡海とは全然違うんだが。
”征服というより住み着いただけ。船でこいでいたら陸があったので上陸しただけ..”
韓国南部の前方後円墳は倭人の墓か?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1008077694/329
647日本@名無史さん:05/02/15 15:44:21
東シナ海の渡航に関しても、途中嶋を経由していると考えた方が自然だろう。
直接などと安易な考え方しか出来ないのは情けないぞ。
済州島に伝説が残るのも頷けるというものだろう?
648日本@名無史さん:05/02/17 22:31:59
>>555
>日本の武具馬具の発達歴史を扱った市販本...
中世までの武具発達史なら下書が。かなり高価だが。
中世的武具の成立と武士 近藤好和 吉川弘文館 2000-03刊 \12,600 ISBN:4642027882
649日本@名無史さん:05/02/17 23:34:45
西日本人に突出するHLAから、弥生人はモンゴル人と同祖だと分かったが、
問題は、何でそんな遠方からわざわざ朝鮮半島を渡って九州北部にまで
来る必要があったのかだな。

ゲルマン人の大移動を引き起こした原因は、略奪と征服を目的とした
フン族が移動して、その移動した先々で先住民を征服し始め、逃亡する
民族が玉突き状態になり、周囲の民族をも巻き込む大移動にまで発展した。

弥生人の場合も略奪と征服だったのかな?
650日本@名無史さん:05/02/20 12:58:33
>>649
そうならば、朝鮮半島でも同じような事が起こってなければならないはずだが・・・・?
651日本@名無史さん:05/02/20 15:28:08
>>649
それを総合的にまとめると弥生人は多分トルコ族やモンゴル族を併せ持った
アルタイ語派と農耕化した古代チベット系の黄河人(北漢民族)の混血種族だろう。
まあ、当時のアルタイ語派はトルコやモンゴルの区別は無かったといえるが。
(但し南ツングース系の満洲人はシベリア・イヌイットと混合して区別されたかも)

彼等が日本に移住したのは、多分鮮卑族に圧迫されて移住せざる得なかったかも。
その中には丁霊系?の出雲族や物部部?や蘇我部?の部族も含まれていたかも。
(出雲族は鉄を制作する鍛冶に巧みな種族と聞いた)

多分、弥生人の大部分は弁髪をしていたのだろう。
652日本@名無史さん:05/02/20 15:40:51
済州島民は鮮卑のような髪型だったとそうだが。
653日本@名無史さん:05/02/20 16:05:29
>>651
鮮卑が強大化するのは弥生人が渡来してくるよりずっと後だよ。時代があわない。
654日本@名無史さん:05/02/20 16:11:08
済州島
州胡あり、馬韓の西海中の大島上にあり。その人やや短小、言語韓と同じならず、皆コン頭(頭を剃る)鮮卑の如し、
ただし衣は韋(かわ)、牛及び豬を養うを好む。その衣上あり下無く、ほぼ裸勢の如し。船に乗りて往来し、韓中で市買
655653:05/02/20 16:50:34
>>654
だから時代があわないっつの。それは3世紀の情況。その頃はすでに鮮卑は強大化してる。

州胡はツングース系だったんだろうね。鮮卑は言語的にはモンゴル系だけど
ツングースともかなり混血していたとされている。

656日本@名無史さん:05/02/20 16:53:43
>>653
じゃあ、匈奴かもな。
弥生人の渡来による斉州島〜壱岐島〜対馬〜玄海灘経由は、
多分、紀元前後の世紀から6世紀くらいかな。
仮に鮮卑族の隆盛以降だとしても、2世紀後半の檀石槐の台頭の時代には、
まだ、渡来は続いたはず。それが終焉したのは大化の改新前後かな。
657651:05/02/20 17:01:35
>>655
>鮮卑は言語的にはモンゴル系だけど
>ツングースともかなり混血していたとされている。

多分、言語的にはモンゴル族で骨子はトルコ族で、
ツングース族やシベリア・イヌイットと複雑に混血していたのだろう。
少くとも鮮卑のやり方を見るとトルコ的な感じがするが。
あの陳舜臣も鮮卑族トルコ説を支持してるし。
弥生人も神武天皇もそんな匂いが感じられるし。
658日本@名無史さん:05/02/20 17:13:56
>>656
土井ヶ浜弥生人だと匈奴の全盛期にかぶってるような気はする。

吉野ヶ里弥生人だと匈奴の強大化より早いから東胡かな。
659日本@名無史さん:05/02/20 17:16:08
>>657
鮮卑はトルコとは関係ない。あるというならもっと具体的にいってくれ。
理由もなくいわれても賛成も反対もできないじゃないか。
660日本@名無史さん:05/02/20 17:27:27
>>658
>吉野ヶ里弥生人だと匈奴の強大化より早いから東胡かな。

確かに東胡は匈奴に圧迫されたのは事実。多少スレと異なるが
その後身は烏丸と契丹だったかな。

東胡は多分モンゴルとツングースの混血かな。
となると吉野ヶ里弥生人は東胡の残党と翟(狄)族の一派の混合体グループかな。
戦国時代に北京付近の中山国は白狄族の鮮虞部が建国したと司馬遷の『史記』
に記されてるから、それと関連性があるのかな?
661日本@名無史さん:05/02/20 17:44:15
>>659
陳舜臣のベースになるが、北魏の拓跋部がいい例かな。
拓跋部は根強い中華思想があり、二世以降から遊牧生活に
疎ましく感じられる傾向があったらしい。特に太武帝の時代には
漢族の崔宏・崔浩父子の鮮卑の漢化政策は目覚しいものがあった。
例の『国記事件』は崔浩が自分の石碑に漢化した鮮卑の遊牧時代を
記した文献がある。鮮卑族がそれを見て激怒して、崔浩は極刑された。
これを裏読みすると、鮮卑のトルコ的な中華思想の崇拝とも読める。
似たような例が、セルジューク・トルコやオスマン・トルコにもあるらしい。
(因みに宇文部は鮮卑化した匈奴系が有力説)

これが俺の鮮卑族トルコ説の回答。スレ違いですまん。
662日本@名無史さん:05/02/20 18:23:00
土井ヶ浜弥生人は単に吉野ヶ里弥生人の後裔だと思うね。

突出するHLAパブロタイプが九州北部と中国地方、近畿地方と全く
同じだもの。

人口増加で九州北部からいよいよ東に向けて進出を開始したところ
だったのだろう。
663日本@名無史さん:05/02/20 19:10:41
ホリプロへの感想・苦情 ・・・ [email protected]

あびる優の集団窃盗問題について
ホリプロは小学5年生の時にやったと回答しているが、
ちょうど窃盗の時効の切れる7年前に合わせただけなのではないか?
非常に怪しい。
もし、一部上場企業として嘘の回答をしたのであれば、それは許されざる
行為。この問題は風化させてはいけない。

ドラゴンボールでわかるあびる優窃盗事件
http://gazo01.chbox.jp/movie/src/1108880772343.jpg
664日本@名無史さん:05/02/20 21:06:16
>>660
漏れのレスを誤読してる。紛らわしい書き方ですまんかったが。
「吉野ヶ里弥生人=東胡」だといったんじゃなくて、
「吉野ヶ里弥生人を追い出したのが東胡」という意味。

中山はやっぱり時代的に関係ないと思う。

>>661
それがトルコ的な中華思想だって???
ぜんぜん論理的に成り立ってないと思うが?

>>662
土井ヶ浜弥生人と吉野ヶ里弥生人は明らかに骨格がちがうだろ。

>突出するHLAパブロタイプが九州北部と中国地方、近畿地方と全く同じだもの。

そんなこと何の根拠にもならんじゃん。人間の拡散には移動がともなうんだから。
そのHLAパブロタイプが土井ヶ浜弥生人に由来するのか吉野ヶ里弥生人に由来するのか
第三の何者かに由来するのかもわからないうちから、なんで
土井ヶ浜弥生人と吉野ヶ里弥生人のHLAパブロタイプが同じ
なんてことが断定できるのか、論理不明なこと逝ってんじゃねーよ。
665日本@名無史さん:05/02/20 21:26:29

◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度



本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9%



日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
666日本@名無史さん:05/02/20 21:37:37
吉野ヶ里弥生人と土井ヶ浜弥生人とでは、時間が2〜300年も違うだろ。
2〜300年も経てば、同じ人種でも形質はかなり変わってしまうんだよ。

吉野ヶ里と土井ヶ浜は似ているが、吉野ヶ里の方が屈強で顔は偏平、
土井ヶ浜は華奢で顔は吉野ヶ里ほど偏平ではない。

現在日本人はほとんどが短頭だが、わずか100年前までは
ほとんどが中頭だった。
667日本@名無史さん:05/02/20 21:48:52
>>666
吉野ヶ里弥生人=モンゴル種
土井ヶ浜弥生人=トルコ種

こんな感じかな?
668日本@名無史さん:05/02/20 23:06:51
>>667
トルコ種って…。意味わかってんの?
669日本@名無史さん:05/02/21 00:09:14
吉野ヶ里弥生人と土井ヶ浜弥生人が違う人種であったならば、
HLA調査のときに違うハプロタイプが引っかかってこなければおかしいのだが、
しかし調査の結果は、九州北部、中国地方、近畿地方、秋田など、
西日本一帯が全部、B52-DR15(B52-DR2)の頻度が顕著に突出した人類集団
である事が判明してきた。

秋田美人も弥生人の末裔だと思われる。
670日本@名無史さん:05/02/21 02:02:11
アルコールの分解過程にかかわるアセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH)
に関連する遺伝子で酒に強い体質を形成する型(NN型)を持つ人の割合に
ついて都道府県の順位
全ての縄文人(モンゴロイド原人)はNN型を保有していたが、弥生人(モン
ゴロイド新人)の一部に保有しない者(ND型あるいはDD型)がいる。
秋田1
岩手2
鹿児島2
福岡4
栃木5
埼玉6
沖縄7
北海道7
熊本9
高知10
山形11
青森12
宮城12
千葉14
新潟15
神奈川16
香川17
宮崎18
東京19
茨城20
山梨20
671日本@名無史さん:05/02/21 02:02:43
山口22
長野23
福井23
鳥取23
島根23
福島28
兵庫28
静岡30
佐賀31
長崎32
徳島33
京都34
滋賀35
群馬36
富山36
岡山38
奈良39
大阪40
広島41
愛媛42
大分42
和歌山43
岐阜44
石川45
愛知46
三重47
672日本@名無史さん:05/02/21 02:41:29
下戸遺伝子にから言える事は、今現在、弥生人が増えている最前線が、
三重、愛知、石川、岐阜、和歌山って事だな。

過去に通過した場所はむしろ中間辺りに多いね。
673日本@名無史さん:05/02/21 03:45:35
>>669>>664への反論になってない。

>>664
>人間の拡散には移動がともなうんだから。 そのHLAパブロタイプが
>土井ヶ浜弥生人に由来するのか吉野ヶ里弥生人に由来するのか第三の何者かに由来するのか
>もわからないうちから、なんで土井ヶ浜弥生人と吉野ヶ里弥生人のHLAパブロタイプが同じ
>なんてことが断定できるのか、論理不明なこと逝ってんじゃねーよ
>>669
>吉野ヶ里弥生人と土井ヶ浜弥生人が違う人種であったならば、
>HLA調査のときに違うハプロタイプが引っかかってこなければおかしいのだが、
>しかし調査の結果は、九州北部、中国地方、近畿地方、秋田など、
>西日本一帯が全部、B52-DR15(B52-DR2)の頻度が顕著に突出した人類集団
>である事が判明してきた。

だからその「B52-DR15(B52-DR2)の頻度が顕著」な特徴というのは
土井ヶ浜に由来するのか吉野ヶ里に由来するのか第三の何者かに由来するのか
どうしてわかるんだ?それもわからないのになんで「吉野ヶ里と土井ヶ浜は同じ人種」
なんて断定できるんだ?論理やめちゃくちゃに飛躍してるじゃん。
674日本@名無史さん:05/02/22 20:05:24
西日本のB52-DR15(B52-DR2)の頻度は15%以上ある場所も多く、
並大抵の頻度じゃないんだよ。

単一の人種が拡散していったとしか考えられない。
675日本@名無史さん:05/02/23 04:49:51
>>674
だからその「単一の人種」ってのがどうして
吉野ヶ里弥生人と土井ヶ浜弥生人は同じ人種ってことになるんだ?
関係ないじゃん。
676日本@名無史さん:05/02/23 20:23:51
違うなら、吉野ヶ里と土井ヶ浜で違うハプロタイプが出るだろ。
関係あるじゃんw
677日本@名無史さん:05/02/23 23:59:46
>>676
ほとんどハプロ教信者だなw

吉野ヶ里人骨と土井ヶ浜人骨それぞれ調査比較したら
ハプロタイプがわかったんかw
いつ、誰がそんな発表したんだ???
678日本@名無史さん:05/02/24 16:47:08
東京大学名誉教授の埴原さんの分析では縄文人と渡来系朝鮮人の混血率は
近畿地方は渡来系朝鮮人9に対し縄文人1の割合だった。全国の大学に保管してある
現代人の頭骨を調査して統計処理してみると、日本人全体からみれば近畿人の骨
が異質な形態をしていた。渡来系朝鮮人の影響が近畿では濃厚なのである。


縄文時代の最盛期に日本で一番人口が集中していたのは関東地方。
四千五百年前の縄文中期の北海道と沖縄を除く日本列島の総人口は26万人。
その96パーセントが東日本に集中していた。人口密度は東日本が一平方キロ
当たり1.7人。なかでも関東は3人と、最密集地帯だった。
一方、当時の西日本は総人口が1万人以下で、人口密度も実に関東地方の
五十分の一の0.06人という超過疎地帯だった。


関西人&西日本人=チョン
関東人&東日本人=古コーカソイド系
の瞬間である
679日本@名無史さん:05/02/24 21:06:41
>>
>関東人&東日本人=古コーカソイド系..
古モンゴロイドならぬ古コーカソイドだなんて。コーカソイドの語意を知ってる
のかね。この手の戯言書きには、地理人類板への転住を勧めるよ。
680日本@名無史さん:05/02/24 22:07:26
(B52-DR15が)日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である。

吉野ヶ里系の弥生人が拡散した九州北部の最多ハプロタイプと
土井ヶ浜系の弥生人が拡散した中国地方の最多ハプロタイプが同じ、

その上に、ともに日本でも特に高頻度な地域。

これこそ、単一の人種が九州北部から西日本一帯に拡散していった証拠である。
681日本@名無史さん:05/02/24 22:49:22
琉球に弥生の影が薄いのは 当時、半島から九州へ来るより
九州から琉球へ渡るのが困難だったせいでしょうか
あるいは本土での縄文との抗争で そんな余裕がなかったせい?
682日本@名無史さん:05/02/25 05:17:08
>>680
コピペで誤摩化してないでちゃんと>>677に答えろよ。
683日本@名無史さん:05/02/25 08:50:24
弥生系人が渡来してきたのはいいとして、
では縄文人の起源は何?
明石原人の類がそのまま進化して縄文人になったわけじゃなく、
やっぱりどこかから日本列島に渡来してきたんでしょ?
684日本@名無史さん:05/02/25 20:52:30
コーカソイドとかモンゴロイドとかの分類はもともと
外見上の特徴に基づいた分類であって、遺伝子分析とは関係ない。

遺伝子レベル・形質では、在来系の関東東北人・アイヌ人は、関西人&西日本人より東ヨーロッパ人に近い。
685日本@名無史さん:05/02/25 20:53:21
1904年の純粋なアイヌ人。コーカソイドです。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/thumb/0/0d/800px-AinuGroup.JPG
686日本@名無史さん:05/02/25 23:24:52
>>685
全員同じ顔に見えるんですけど(子供まで)
687日本@名無史さん:05/02/26 13:22:33
>>685
まるで、バスクかチェンチェン人みたいだな。
688日本@名無史さん:05/02/26 14:50:18
みんな目の窪みで影ができているね。
689日本@名無史さん:05/02/26 15:21:28
>>678
埴原だってw
 この人もう同僚達からも、他の学者達からも異論反論だったぞ
 マスコミで権威になってた頃はみんな静かだったけどだんだん異論反論が主流になってよ
 どの世界もそうだが、権威はいつまでも権威ではない事が多々あるのだよ
 主観が大好きだったからいつかは落ちると思ってたけど
 
690日本@名無史さん:05/02/26 22:34:55





◎HLAから見た日本人のルーツ

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm






691日本@名無史さん:05/02/27 10:11:44
韓国に 原爆 おとしとけや
692日本@名無史さん:05/02/27 10:38:31
縄文人は犬を可愛がり家族の一員のように扱って、
お墓に人間と一緒に埋葬されていたりするんだって。
ところが、中国大陸や朝鮮半島から渡ってきた弥生人
の遺跡からは犬を殺して食べた痕しか出ず、埋葬した
例は皆無なんだって。今でも連中は犬を殺して喰って
いるよね。

犬を可愛がり犬のおかげで富を掘り当てて幸せに暮らして
いた正直爺さんを妬み、その犬を奪ったのに糞尿を掘り出し
てしまった欲張り爺さんが犬を殺してしまうという花咲か爺
さんのおとぎ話には、元から日本に暮らしていた平和な縄文人
と、それを迫害した欲張りな渡来系の弥生人というモチーフが
隠されているらしい。
693日本@名無史さん:05/02/27 13:23:47
>中国大陸や朝鮮半島から渡ってきた弥生人


弥生人のルーツはモンゴルあたりであって、中国とは全く関係が無いし、
朝鮮半島も素通りして渡ってきただけ。

朝鮮半島をすり抜けてきただけ。
朝鮮半島は通過しただけ。
694日本@名無史さん:05/02/27 14:10:21
このスレざっと読んでみたんだけど実にくだらない。
弥生人が縄文人を虐殺した証拠などない。

魏志倭人伝の頃には漢人からみて列島には倭人種しか認識されていないし
この時期までにほぼ完全に弥生人と縄文人は混ざり合ってしまっている。

魏志韓伝にいろんな民族と階層構造が記述されているのと比べると、
大きく違う。

平和的に混合していったとしか考えられないね。
695日本@名無史さん:05/02/27 15:31:45
>>694
東にいた毛人こそ縄文人の子孫だと思うが。
倭人は弥生人だろ。
696日本@名無史さん:05/02/27 15:40:37
>>692
漫画読んだろ?
697日本@名無史さん:05/02/27 16:08:10
>1
弥生人は、朝鮮人です。
そうして朝鮮人は、大和朝廷を作ったのです。

それから1500年間と言うもの、日本人は厳しい徴税と酷い管理体制の下
辛く不自由な生活を強いられて来たのです。
先の戦争で負けて、縄文時代以来初めて日本人は自由を回復したのです。
698日本@名無史さん:05/02/27 19:45:22
弥生時代に朝鮮人なんて居ないという当たり前のことが分からないやつが多すぎ。
699日本@名無史さん:05/02/27 19:59:43
>>692
へー、勉強になったよ。
700日本@名無史さん:05/02/27 20:06:01
うんこ
701日本@名無史さん:05/02/27 20:58:39
それに、弥生人がモンゴルあたりから朝鮮半島をすり抜けて、
九州北部に上陸した頃の朝鮮半島人は日本列島人と同じ、
まだ古モンゴロイドだったと思われ。

それから、数百年後、朝鮮半島は華北系の新モンゴロイドに
侵略され、それからまた数百年後、ツングース系の新モンゴロイドに
侵略され、日本人種とはどんどん違う人種になっていった。

そのころ日本は、弥生人の人口爆発が始まり、西日本一帯
にその勢力は広がっていき、日本人種が形成されていった。
702日本@名無史さん:05/02/28 19:31:48
>>694
>魏志倭人伝の頃...までにほぼ完全に弥生人と縄文人は混ざり合ってしまって..
などいないね。東方では北海道、東北は無論、遠江以東、越以東は縄文人が大勢で
大和政権を受容せず抵抗していたのは、記紀の崇神朝の東国攻略記事でも明らかだね。
記紀では縄文人は、異様異風ななりが七掬脛とか八掬脛とか形容されている。長脛彦と
同義の形容だね。西方は元来、縄文人の人口が少なかったから、東方ほど遅くはない
だろうが、南九州では融合はしていないよ。
703日本@名無史さん:05/02/28 19:45:24
弥生時代の遺跡周辺から発見される人骨,
多くが傷ついてるってのは嘘なの?
704日本@名無史さん:05/02/28 20:03:58
>>702 魏志倭人伝の頃大和政権があったんですね、そうですか 馬鹿?

女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり
705702:05/02/28 21:33:38
>>704
失礼。>>702に、”3世紀を下る後代においても”大和政権を受容せず抵抗...を
挿入する。
706日本@名無史さん:05/02/28 23:58:31
>>701
キミの願望表現だね。
事実とはかけ離れている。
鹿も、人の言葉の切り貼りで出来ているように思えるが w

何時までも妄想抱いてなはれ。
707日本@名無史さん:05/03/01 00:25:17
琉球人が広い意味での倭種であるとするなら、
縄文人は倭種の祖先で、弥生人は縄文人の遺伝子プールに
溶けていったと見るのが正解だろう。
アイヌはそれに比べて全くの別人種。
708日本@名無史さん:05/03/01 05:19:26
>>707
あほか、アイヌのほうが縄文人直系だろうが。
709日本@名無史さん:05/03/01 05:31:54
>>708
なんておバカさんなの。
710日本@名無史さん:05/03/01 08:27:37
>>702
>西方は元来、縄文人の人口が少なかったから

西方と言っても様々だろ。
縄文晩期の遺跡がボロボロ出てくる西方がもぬけの殻だったとは信じがたい。
711日本@名無史さん:05/03/01 08:31:41
縄文末期と弥生前期の両集落跡発掘 阿南・宮ノ本遺跡

 徳島県埋蔵文化財センターは二十三日、阿南市長生町の宮ノ本遺跡で縄文時代末期(約二千五百年前)から弥生時代
前期(約二千三百年前)の集落跡を発掘した、と発表した。縄文時代の集落跡は県内で十五カ所見つかっているが、弥生
前期と合わせて見つかったのは初めて。同センターは「縄文から弥生への移行期に文化がどう変化したかを知る手掛かり
になる」としている。二十六日午後二時から現地説明会を開く。

 桑野川の堤防改修工事に伴って六千六百七十平方メートルを発掘。地表から深さ一・八メートルの間に中世と弥生前期、
縄文末期の集落跡があった。

 弥生前期の発掘面からは、二棟の竪穴住居跡や溝のほか、土器、石斧(おの)、稲を刈るための石包丁が見つかり、稲作
が行われていたことを示している。一方、縄文末期の面からは、六棟の竪穴住居跡と土器、石の矢じりやナイフが見つかっ
たが、稲作を示すものはなかった。

 同センターは「縄文遺跡は山地にある場合が多いが、宮ノ本は平地にあることから農耕を開始していた可能性もある」とみ
ている。
http://www.topics.or.jp/News/news2005022401.html

こんなニュースも
712日本@名無史さん:05/03/01 19:55:37
わたしはgm遺伝子の分布から見ても琉球人は北から来たと思っています。
つまり三大丸山で栄えていた人たちが
気候変動とともに南に移動して
琉球に到達した頃
北九州に赤の遺伝子を持った弥生人がやってきたと。
713日本@名無史さん:05/03/01 20:49:29
うーん。うーん。。。うーむ。。。
海を渡って次から次へとやって来る、犬を殺して喰らう欲張りで残虐な
渡来系弥生人とその子孫たちに、平和な生活を脅かされる縄文人って、
実に身につまされる話だなあ。
714日本@名無史さん:05/03/01 22:49:35
西日本人の赤の遺伝子の割合から見ても、
弥生人の故郷はモンゴル〜ブリアートあたりが妥当だろうね。
715日本@名無史さん:05/03/01 22:50:29





◎HLAから見た日本人のルーツ

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm





716日本@名無史さん:05/03/01 22:53:18
ブリヤトってモンゴルとトルコが複雑に混血を重なってるんでしょ?
717日本@名無史さん:05/03/01 23:22:47
ブリアートのB52-DR15の頻度を早く知りたい。
ブリアートがモンゴルの5.9%よりも高頻度ならば、
トルコに弥生人の疑いあり。
718日本@名無史さん:05/03/01 23:43:21
謎の弥生人の故郷もついに王手ですな。
719日本@名無史さん:05/03/02 03:06:09
あほか。トルコ人が来るかっつの。
720日本@名無史さん:05/03/02 08:35:24
渡来系弥生人って・・・
非渡来系弥生人がいるんけ?
721日本@名無史さん:05/03/02 08:39:01
>>720
弥生人には在来系弥生人と渡来系弥生人がある。
渡来系弥生人がきたのは弥生時代が始まってからずっと後。
722日本@名無史さん:05/03/02 11:24:31
在来系弥生人の元は?
723721:05/03/02 11:27:10
>>722
「在来系弥生人」は別名「縄文系弥生人」ともいいます。
724日本@名無史さん:05/03/02 19:24:58
B52-DR15の頻度の高さから、西日本人とモンゴル人は確実に同じ祖先を
持っている。

弥生人の故郷はモンゴルにかなり近い場所。
トルコの可能性も十分高い。
725日本@名無史さん:05/03/02 19:30:28
>>1
弥生人なんて民族は、最初から存在せんのだ、馬鹿者。



戦後に捏造されたフィクションを信じるな、馬鹿者。





726日本@名無史さん:05/03/02 19:38:32

◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度



本土日本人 頻度8,6%、沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル 5,9%



日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
727日本@名無史さん:05/03/04 22:15:13
そうなると、問題はモンゴル起源の弥生人が何で稲作やってんのかということだな。
ここがわからん。
728日本@名無史さん:05/03/05 04:40:26
ひつこい。何度も既出してるだろ。
729日本@名無史さん:05/03/05 05:00:46
「ひつこい」なんて言う奴は関西人。
730日本@名無史さん:05/03/05 05:02:14
>>727
モンゴル人と遺伝子を共有してるだけで別にモンゴル人じゃないから。
「ひつこく」モンゴル人だと連呼してるバカがいるだけ。
731日本@名無史さん:05/03/05 06:58:57
つうか皆渡来人なんだが
空から降ってきたなら日本だけの人種もいるだろうが・・・
732日本@名無史さん:05/03/05 07:35:04
>>731
こういう白痴なこという奴は真性厨房。世界中どの地域だって外の地域からきた渡来人じゃんw
733日本@名無史さん:05/03/05 15:49:38
水田稲作は既にBC10Cには日本にあった事が分かっている。
朝鮮南部にも同じ頃に入り、おそらく日本経由で入ったのだろう。
弥生人がやって来る何百年も前の話である。

この辺りはもう常識である。

弥生人はモンゴル近辺から朝鮮を通過する際、朝鮮南部あたりで
初めて稲作と出遭い、それを日本に渡来の際に持ち込んだと思われる。

しかし、その時には既に日本にも水田稲作はあった訳で、
そこが長らく、朝鮮から稲作が伝わったという誤解を招く原因になってきた。
734日本@名無史さん:05/03/05 18:04:52
はぁ?すでに稲作があったのなら「持ちこんだ」も糞もないだろ。
735日本@名無史さん:05/03/05 21:19:07
>>733
だったら何で日本人の顔がこんなに扁平なんだよ。
弥生系の人口爆発があったからだろ。
その結果のモンゴル遺伝子の増大。
そこが謎なんだよ。
モンゴル系が来る前から稲作があるなら、モンゴル系だけ人口爆発するのは
不自然じゃないか。
縄文人の人口爆発があったはず。
あるいは、長江から来た連中の人口爆発があったはず、でもなぜかモンゴル系
が多い、これはつじつまが合わないんだよな。

736日本@名無史さん:05/03/05 22:38:38
>>734
だから、弥生人は水田稲作を持ちこんだのではなくて、
大陸の影響を受けた進んだ朝鮮南部式の稲作技術を九州北部に
持ち込んだんだよ。
朝鮮南部の影響を受けた農具や土器などが九州北部から出土する。

>>735
縄文人は主に中部以東に住んでいたという。
当時の西日本は過疎地だったようである。
弥生人は最初九州北部に居たが、縄文人とは居住地を
住み分けていた事も分かっており、九州では勢力を拡大できなかった。
人口密度の低かった中国地方や近畿地方に東進する事で広大な農地を
得て、進んだ稲作技術を持ち合わせていたからこそ、人口爆発も
可能になったのである。
また、縄文人は水田稲作はあったが、続縄文文化にまだあり、弥生人の
ように稲作に専門特化していた訳ではないだろうし、技術に乏しかった
ために弥生人のように人口爆発しなかったのではないか?
737日本@名無史さん:05/03/05 23:51:14
余談だが、昨日クラブに飲みに行ったら、元たかの友梨で長い間、
エステシャンをしていたというおねえさんが隣りに付いた。
エステや美容の話をしてくれたが、日本人のボディーを知りに知り尽くした
彼女の口から突然、

「蒙古班って、モンゴル人と日本人しか出ないみたいだね。」

というスゴイ言葉が飛び出した。

こんなところにも答えはあったのである。
738日本@名無史さん:05/03/05 23:59:01
蒙古班は見えないだけで、白人や黒人にもあります。
739日本@名無史さん:05/03/06 01:04:13
女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり

魏志倭人伝にこう書かれているように日本列島には倭人しか居ません。
弥生時代に列島に来た漢人が確認しています。

縄文人は縄文時代に特徴的だった風貌で、
弥生人は弥生時代の風貌をしていただけです。

風貌という物は結構簡単に変わる物なのです。
740日本@名無史さん:05/03/06 01:06:30
>>739
言葉が通じないということだろ風貌ではない。
741日本@名無史さん:05/03/06 01:29:03
魏志倭人伝は3Cにライターの陳寿が倭に行ってきた人の見聞や
それまで倭に関する書物をまとめたルポルタージュ。

3C、弥生時代晩期の日本人口は280万人くらい。
すでに倭種=弥生人の人口爆発が一服している頃。
742日本@名無史さん:05/03/06 01:49:14
魏志倭人伝を考えると、弥生人は中国からは間違いなく来てないな。
倭種という言葉もそうだが、話全体に同胞意識がさーっぱり無いんだもの。

743日本@名無史さん:05/03/06 03:00:48
>>742
魏の時代もそうだけど、中国というのは多民族国家であってさ。
いまでも香港あたりの人と北京の人では言葉が通じないんだよ。
744日本@名無史さん:05/03/06 04:24:05
>>737
あほか。朝鮮人にも支那人にもハンガリー人にもあるよ。
745日本@名無史さん:05/03/06 08:56:46
>>744
でも稀だろが。
746日本@名無史さん:05/03/06 09:09:30
稀ではない。
747日本@名無史さん:05/03/06 09:48:14
>>746
ソースは?
748日本@名無史さん:05/03/06 10:25:35
かわいそうな縄文人と愛犬シロ。
犬食いの弥生人に簒奪された。
749CHON-MAN:05/03/10 04:18:36
私は韓国人です.韓国人の95%以上が尻に青い点があります.東北アジア人の共通的特徴です.
750日本@名無史さん:05/03/10 10:01:16
韓では老いも若きも 95%以上に尻に青点ですか、
          
       ああ そうですか。
751九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :05/03/10 16:11:57
>>737
ちょっと修正
背中一面に広がるような巨大な蒙古班があるのはモンゴル人、関西系日本人と南部韓国人です。
未確認ですがブリアート人にも巨大な蒙古班があると思います。
華中沿岸部の中国人にも大きな蒙古班がある人々がいます。

中国人、朝鮮人、東部日本人では蒙古班があっても小さなものです。
中国人、朝鮮人には蒙古班が小さくてほとんどない人もいます。
一部ヨーロッパ人、一部アフリカ人の背面部皮膚変色は蒙古班と似て非なるものです。
752日本@名無史さん:05/03/11 01:00:54
あのマンガの終わり方はないよね。酷い!

当然、読者としては、シロは呆けて目の前
の木切れを拾わなかったのではなく、もっと
はるかに興味深い匂いに引き付けられたのだと、
そして、そこを掘ってみたら驚くべき大発見の
遺跡を掘り当てたという展開を期待していたのに、
山火事からの逃げ道を指し示して自分は犠牲となって
死ぬだけだなんて。。。あの思わせぶりに地面を嗅ぎ
回る姿は何だったのだあ!?うああああぁぁ!
753tociguri:05/03/11 03:03:49
 素人の感想ですが、朝鮮語、モンゴル語、満州語、トルコ語を少しずつ齧って見た
限りでは、日本語はトルコ語に一番近いのでは?と感じます。

 その次に満州語、モンゴル語が来て意外にも朝鮮語は一番遠いのではないか?と
思われます。

 トルコ語には人称変化などがあって日本語と遠い面もありますが、動詞と助動詞の
繋がり方、助動詞そのものが日本語に似ているものがあることなど、他の3国語には
見られない類似性があると思います。

 まあ、日本語の5段活用のようなものがあれば確実に同系だと言えるのですが、
そんな言語は琉球語以外にはないようです。


754日本@名無史さん:05/03/11 03:29:25
全面的に入れ替わるなんてことはない
征服者集団は男ばかりだろ普通
現地の男は殺しても女には自分たちの子供を産ませる
755日本@名無史さん:05/03/11 04:12:23
神道が古代宗教とすると、新しい宗教はもちろん大陸からもたらされた仏教で
蘇我氏など渡来系貴族は仏教を中心に結束していた。
物部・中臣などは神道をまつり、仏教をはげしく排斥した。

蘇我氏は渡来人として血縁はもちろん、大陸の言葉もつかえたであろうから
海外との交易・交流で財をなし、朝廷での発言力も財務担当の大臣として
じょじょに強まっていった。
だが物部は朝廷の軍事を司るというから、これは容易な敵ではない。
じじつ、さいしょは蘇我は物部より小さく、婚姻関係をむすぶことで機嫌を
うかがってきた。

蘇我氏は馬子の時代に物部氏を滅ぼしたが、数万の軍勢の戦いであったというから
古代の大戦争であった。
物部氏は本国を攻め取られ、男は殺され女は犯しつくされたという。
このとき、おそらく何十万が女奴隷となり帰化朝鮮人の子を産まされたはずだ。


だから、天皇家の祖先がまちがいなく渡来系弥生人で、関西人の祖先も渡来系弥生人で、渡来系弥生人≠朝鮮人だとしても、
物部の敗北で犯しつくされ、全員朝鮮人に生まれ変わったというのが真実。


蘇我氏なんてしらね、全員滅亡しただろ?とDQNは思ってそうなので1つ。
奈良盆地南部には蘇我川が流れてます。そう曽我川です。
ようするに蘇我さんは、曽我さんになったのですね。そう、日本全国にいる曽我さんです。
四国に長曽我部なんて大名もいましたよね。そんな調子で子孫はいっぱいいます。
もし大化の改新がなければ「曽」は「蘇」でしょう。

蘇我川を支配してたから蘇我氏。つまり奈良盆地は蘇我の領地ですw
奈良といえば、幼女誘拐の小林薫さんですね。
ああいう顔の人がいっぱい住んでます。
756日本@名無史さん:05/03/11 07:41:15
>>755
低能コピペうざいよ。

蘇我氏が渡来系なんて70年代の学説でとっくに否定されてるぞ。
それに蘇我氏が曽我氏になったなんてアホか。蘇我の本家は石川氏だ。
757日本@名無史さん:05/03/11 08:01:06
>>756
>それに蘇我氏が曽我氏になったなんてアホか。蘇我の本家は石川氏だ。 

反論になってないです。
758日本@名無史さん:05/03/11 08:56:25
>>755
>蘇我氏なんてしらね、全員滅亡しただろ?とDQNは思ってそうなので1つ。

あほか。滅亡したのは蘇我本家の蘇我政権。
その後は分家の蘇我石川麻呂が大化の改新以後も大臣になってる。
759日本@名無史さん:05/03/11 18:29:39

◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度

西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%

日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
760日本@名無史さん:05/03/11 20:22:11
>>753
大いに同意!
>トルコ語には人称変化などがあって日本語と遠い面もありますが、
>動詞と助動詞の繋がり方、助動詞そのものが日本語に似ているものがあることなど、
>他の3国語には見られない類似性があると思います。

これは漏れの仮説だが、弥生人の祖とされるブリヤト族がルーツだと思う。
ブリヤトは民族学的にはモンゴル系だけど蒙古高原がトルコ人の発祥と考えると、
多分モンゴルとトルコの混合体の可能性が高いだろうと推測する。

>意外にも朝鮮語は一番遠いのではないか?と思われます。
漏れも朝鮮語の発音や単語を見るとほぼその通りだと思われ。
人種も別系統の可能性があるな。
761日本@名無史さん:05/03/11 21:13:10
最近のおまえら、かなり進歩してきたぜよ。
762日本@名無史さん:05/03/11 23:37:08
とりあえず、これ見ろ
http://www.sun-inet.or.jp/~ryr58037/kr_orig.htm
763日本@名無史さん:05/03/11 23:56:56
遺伝学的にモンゴル以北である事はもう確定的だから、
今後の論争の焦点はモンゴル以北のどの地域なのか絞り込む論争に
必然的に移る事になるね。

モンゴルを筆頭に、ブリアート、エヴェンキ、ヤクート、
モンゴル北西部のトルコ系民族、西シベリアの民族のどれか。
764日本@名無史さん:05/03/12 00:42:36
エヴェン、ツーバ、ハカス、ゴルノ・アルタイ(=オイラート・トルコ?)
などのツングース系やトルコ系民族も追加。
またシベリア・イヌイットも。
765日本@名無史さん:05/03/12 00:59:47
やっぱりトルコなのか!?
766tociguri:05/03/12 01:27:51
トルコ語の数詞bir(1),uc(3),doert(4),bes(5),dokuz(9)が日本語のhito,
itu,yotu,mitu,towoと関係が有るという説を見たことがあります。

 ただし、3と5、9と10が入れ替わっている理由が不明。

 高句麗語の密(3)、ウ次(5)、難穏(7)、徳(10)もトルコ語と
関係ありという説もありました。

 まあ、トルコ語には朝鮮語との共通語もあるようですが。
767tociguri:05/03/12 01:34:39
朝鮮語の tul(2),set(3),net(4)とアイヌ語 tup(2).rep(3),inep(4)
という類似も見られます。
768日本@名無史さん:05/03/12 02:02:43
チョト亀レスっぽくなるけど

金の海陵王=煬宗?の名は迪古及(テクナイ)
宣宗は吾睹補(ウトゥプ)となってるけど、
この読み方はシベリア・イヌイット語かアイヌ語の
発音に近いと漏れは個人的に推測するが。
としたら、ツングース諸語はシベリア・イヌイット語と
混合した可能性があるのだろうか?
769日本@名無史さん:05/03/14 19:00:36
>>1
馬鹿たれ。

弥生人なんて民族は、最初から存在せんのだ。

戦後にデッチ上げられた妄説を信じるな。


縄文人=日本人だけが存在する。

弥生人=朝鮮人、と主張するバカは逝って四氏。
770日本@名無史さん:05/03/14 19:54:53
弥生時代人は存在するに決まってるだろ。
在来系(縄文系)弥生人と渡来系弥生人ね。

渡来系弥生人は朝鮮半島人とは遺伝的に全くの別種。

渡来系弥生人はモンゴル方面の集団で、朝鮮半島はただ単に
通り抜けただけで、朝鮮半島にはほとんど定着していない事が
分かってるんだから安心したまえ。
771日本@名無史さん:05/03/14 20:35:25
>在来系(縄文系)弥生人
なんだ そりゃ?
772日本@名無史さん:05/03/14 21:30:54
>>771
在来系(縄文系)弥生人ってのは、先住縄文人と弥生期の渡来人との
混血のことだろ。まあ大きく括れば弥生期渡来人に入れてよいと思うが。
773日本@名無史さん:05/03/14 21:53:53
違う。
在来系(縄文系)弥生人とは、ただ単純に、縄文人から引き継ぐ
土着系の弥生時代人の事。土着系弥生人とも言う。
774日本@名無史さん:05/03/15 10:14:37
ようするに縄文人種ね
弥生がつくと どうしても
  色白、薄ひげ、細目をイメージするな
775日本@名無史さん:05/03/15 10:42:17
弥生人ってのは単に弥生時代の人間
776日本@名無史さん:05/03/15 19:33:56
弥生時代って、なんだ?

まず、言葉を定義せえよボケ。



777日本@名無史さん:05/03/16 00:40:22
水田稲作が日本で始まってからが弥生時代。
BC10Cからだね。

渡来人がやって来るのは、それから5〜600年後。
最初は在来系弥生人しか居なかった訳よ。
778日本@名無史さん:05/03/16 03:28:31
ダウン症の特徴のうち下のものってまさに関西人、とりわけ女性
の特徴そのものじゃん。

頭を上から見ると、縦の長さが標準に比べて短い
あまり起伏が無い顔だち、
鼻、特に目と目の間の部分が低い。
眼が切れ上がっている。
首の周りの肉付きがよい。
指が短い。
筋肉の緊張が低下している

もしかして新モンゴロイドってダウン症に近い染色体から増えてきたのかな・・・
779日本@名無史さん:05/03/16 03:43:21
弥生時代とは、

 弥生土器を使用していた時代。
780日本@名無史さん:05/03/19 07:46:41
弥生人っていうと、やたら欲張りで残虐で犬を食べるってイメージだよね。
781日本@名無史さん:05/03/19 14:49:21
>>777
>BC10Cからだね。

紀元前1000年か?
その時代に、弥生人なる民族が日本に来たという根拠は?
水田稲作が始まることと、異民族が移住することは、つながらないぞ。

カリフォルニアで稲作が始まったのは、第2次世界大戦後だよな。
アメリカは今、弥生時代なのか?


782日本@名無史さん:05/03/19 14:58:56
>>781
だから、最後の行に、
「最初は在来系弥生人しか居なかった訳よ。」
と書いてあるでしょ。

弥生時代は縄文人自身の力によって始まったのだよ。
そして縄文人たちは在来系弥生人(縄文系弥生人、土着系弥生人)
になった。

歴史も良いが、たまには現代国語もやれよ。
783日本@名無史さん:05/03/19 15:08:16
縄文人は、武蔵丸のようなポリネシアン系。
いわゆる弥生人は、朝青龍みたいな風貌だから、
明らかに大陸のどこからか渡ってきたはず。
弥生人が縄文人より強くて、端に追いやったのは確か。
そう、それはモンゴリアンがロシア国家の礎を築いたように・・・
784日本@名無史さん:05/03/19 15:28:15
>>782
だから、在来系弥生人って何なの?
弥生人なんて民族、存在しなかっただろ。

したがって、弥生時代もなし!

785日本@名無史さん:05/03/19 15:34:50
縄文人は小錦のようなポリネシア系などには似ていない。
武蔵丸は白人混血だから縄文顔に似てるんだよ。
縄文人は暖かかった頃の古シベリア系に過ぎない。
786日本@名無史さん:05/03/19 15:35:15
縄文式土器や土偶のデザインと、弥生式土器や埴輪のデザインは、
単に前者が自然に発達変化して後者になったという以上の断絶を感じる。
大規模の民族移動があったのかどうかは分からないが、
それに近い文化の大変革があったことは間違いない。
787日本@名無史さん:05/03/19 17:16:16
チャーチル曰く日本人は、中国人と猿との混血らしい。
縄文の正統な後継者たるアイヌ人に対するつい最近までの日本人の扱いは?
明確に差別、蔑んで、同じ人間としてさえ見ていなかった。
江戸末期に北海道を旅した白人の護衛をしていた武士が、アイヌ人を
「あいつらは犬ですから」と蔑んでいたと旅行記に書いてあったし。
普通に考えて、縄文人と弥生人が最初から対等に友好関係を結んでいたと言うのは
不自然な気がする。 
788日本@名無史さん:05/03/19 17:30:27
アイヌは縄文人の一派だが、本家の縄文人ではないよ。
それは遺伝子からも裏付けられている。
それに吉野ヶ里から渡来系人骨の中に土着系人骨が甕棺墓から
かなり出てくる。
土着系と渡来系は居住地を住み分けていた事が分かっているが、
吉野ヶ里から土着系も多く混ざっているところから、仲はそれほど
悪いものではなかった気がする。
789日本@名無史さん:05/03/19 18:30:16
>>788
奴隷として土着系が使われていた可能性は考えないのか
790日本@名無史さん:05/03/21 01:34:53
渡来系は朝鮮半島に遺伝子をほとんど残していないところから考慮して、
最初は数十人から数百人の少数集団だったと思われる。

武力行使もしたであろうが、最初は土着系の方が人口的に武力においては
圧倒的だっただろうし、渡来系も移動を止めて定着する際に土着系の力なし
では生きてはいけなかっただろう。

むしろ土着系に隷属する形で渡来系が定着したのではないか?
791日本@名無史さん:05/03/21 01:52:18
しかし、彼らは高度な農耕技術を持っていた。

おそらく当時の日本の水田稲作の技術に、彼らの持っていた
他の穀物を作るための農耕技術や移動途中で吸収した大陸の進んだ
農耕技術を導入したのではないか?

彼らは瞬く間に土着系の生産力を凌ぎ、人口も増えていき、
土着系も彼らの実力を認めるしかなかったと思われる。
792日本@名無史さん:05/03/21 02:35:19
飯が足りてりゃ共存できるしね。
793日本@名無史さん:05/03/21 02:44:16
>>784
弥生土器が使われていた時代を指して弥生時代というんだよ。
弥生町で発見されたからそう呼ばれてる。
民族から付けられてるわけじゃない。
だから弥生時代に生きていた人間を指して弥生人というのは間違いではない。
縄文人も同じこと。
794日本@名無史さん:05/03/21 02:52:43
となると、弥生式土器は渡来人がもたらしたものなのだから、
弥生時代は渡来人と同時に始まると言う事だね。
795日本@名無史さん:05/03/21 02:54:43
いや、だからそれが渡来人かどうかは分からないんだって
796日本@名無史さん:05/03/21 03:04:16
そっか。
渡来人が持ってきた文化とは限らないよな。
文化なんて人の定着とは関係ないからな。
それに渡来人は弥生式土器の使用よりも
ずっと前にもう居たみたいだし。
797日本@名無史さん:05/03/21 03:05:33
はっきりいって多くの渡来系は奴隷に近い形で生き延びたのだと思うよ。

戦国時代ごろ、朝鮮の使節が日本に訪れた記録があるが
同胞が首に鎖をつけられ奴隷のように働かされてた、とある。

在日は、むかしの日本では朝鮮人や中国人がたいそう尊敬されてた
というふうに夢想したがるが、現実はこんなもの。
むしろアメリカ黒人のように日本人に奴隷として働かされてたみたいよ。

古代中国の沿岸部は全身にイレズミをして生魚をくう部族が支配してた。
これは魏志倭人伝のつたえる日本人にそっくりだが
どうも日本人の先祖は日本だけでなく中国沿岸と同族だったらしい。

ま、簡単にいえば日本人の先祖は古代より中国南部と日本列島、東南アジアに
またがる一大海洋帝国を築いていて、船や水泳に熟練していた。
泳ぐことすらできない中国の内陸の野蛮人を捕らえては、黒人のように
日本につれてきて奴隷にしてた、ということらしい。

漢字を考えたり、酒を発明したのはこの時代なんだよね。
(いまの漢民族の先祖は内陸の遊牧民で、沿岸部の奴隷王朝を倒した
周という国の子孫に当たる)

おかげで現代中国人の一割には縄文系、アイヌ系など日本由来の遺伝子が
みとめられるそうだ。
もっとも左翼史観の強い学者は、いちように大陸が日本を支配してた
あるいは征服した、というふうに結論つけたがるが。
798日本@名無史さん:05/03/21 03:31:34
弥生人がもとは奴隷出身でも、そんなに強い縄文系を最終的に支配してしまう
アジアの種族と言えば、やっぱりモンゴル系かトルコ系くらいしか居ないだろうな。

モンゴル系が強いのは言わずと知れている。人類最大の世界帝国の覇者。
トルコ系は奴隷から国を乗っ取って支配してしまう事で有名。
エジプトのマムルーク朝、インドの奴隷王朝 etc
799日本@名無史さん:2005/03/21(月) 11:35:21
奴隷として連れてきた黒人と乱交したあげく、国民がほとんど黒人になってしまった
国は南米にいくらでもある。ブラジル人の6割は黒人との混血。
アメリカは黒人が1割程度だが、これは1960年代に至るまで厳しい差別政策を
取ってきたからで、何も考えずセックスすれば全員黒人になったと思われる。

開拓時代の米国では黒人と白人の結婚すら認められてなかった。
女不足の開拓地なのに白人女など捜すのは至難のわざだったから、多くの白人男は
独身のまま死んだ(黒人に子供を産ませても財産の継承はできなかった)
南北戦争では、移民船に乗ってきた白人男をそのまま北軍に編入して戦場で男減らし
をした。もちろん女はたいせつに扱われた。

もちろんアメリカのような白人社会は例外的で、意図的な差別政策をしないと
ふつうは移民が混血し、まぜこぜになってしまう。

優性遺伝が強く現れ、たとえばエラの張った丸顔のほうが細い顔より優性なので
彫りの深い顔とヒラメ顔がまざると、全員がエラの張ったチョン顔になる。
800日本@名無史さん:2005/03/21(月) 11:44:16
マフィアの故郷でもあるシシリア島。
この土地の人は、労働力として導入された黒人奴隷の血も引いていたりする。
801日本@名無史さん:2005/03/21(月) 11:50:39

朝鮮チョン主主義チョン民共和国、略して大韓チョン国。

朝鮮人天皇バンゼー!

チョセン人民ホロビタ。
802日本@名無史さん:2005/03/21(月) 11:55:20

◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度



本土日本人 8,6%、 沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル人 5,9%



日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
803日本@名無史さん:2005/03/21(月) 12:08:05
>>797が結論。というか、学会の常識。





このスレは終了いたします。
長い間のご愛顧、ありがとうごさいました。
804日本@名無史さん:2005/03/21(月) 12:19:35
>>797
新手の「竹内文書」かね?
805日本@名無史さん:2005/03/21(月) 12:19:45

僅か5%の朝鮮人に支配された日本。
806日本@名無史さん:2005/03/21(月) 12:31:03
弥生人はモンゴルあたりから南下して、朝鮮半島を侵略しながら短期間で縦断し、
九州北部に上陸した。

そのリーダーこそオオキミだよ。

むしろ朝鮮半島人は弥生人に侵略されていた。
807日本@名無史さん:2005/03/21(月) 13:17:23
会場前で堂々とベジタリアン弁当\600 
アレルギー向け弁当\500 とか売りそう・・・
808日本@名無史さん:2005/03/21(月) 13:54:15
万博スレからの壮大な誤爆か?
809日本@名無史さん:2005/03/21(月) 14:16:08
アイヌ老人の言い伝えには、日本だけでなく中国や朝鮮半島もむかしは自分たちの仲間の領土だったという伝承がある。
おそらく今の中国人がなだれ込んできて中国沿岸部や朝鮮に住んでいた縄文人を皆殺しにしたのだろうね。

殷(商)という山東半島由来の奴隷王朝を滅ぼしたのが、内陸からきた遊牧民・周帝国。

殷王朝は亀甲を焼いて占い、その記号がいまの漢字に変化した。
奴隷を捕まえて殺しは、神に生け贄にして捧げた。古代アッシリアのように恐怖の奴隷帝国だった。
ただ城に住む貴族階級は、奴隷のお陰で一千年のあいだ労働する必要がなかったため
ギリシャのように高い文化をきずくことができた。

殷は、周がそう呼んだだけで、ほんとうは「商帝国」と自称してた。
殷という文字は人が人を殴るような意味らしいが、ようするに奴隷だった中国人にとって
苛酷な時代であるという記憶だ。

いま、交易を行う人を「商人」というのは商帝国の人は船をあやつり交易にたけていたことから
中国人が畏敬したことに由来する。

漢字を発明した商帝国がなければ、今の中国の文化レベルはアメリカインディアン程度だった。
いま中国沿岸部の経済成長もめざましいものがあるが
かれらの先祖は知能の高い商人であり、野蛮な中国人(漢民族)と別民族であると考えれば納得する。
810日本@名無史さん:2005/03/21(月) 15:05:22

中 国 は B 5 2 - D R 1 5 が カ ラ ッ ポ !

例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。

http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm

中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
811日本@名無史さん:2005/03/21(月) 20:09:08
日本人の先祖、縄文人は、東アジアの大陸をシベリア方面から
福建・広東省あたりまで南下した後、台湾に渡り、そこから沖縄諸島を島伝いに北上し、
九州地方に上陸した。
やがて、日本列島全域に広がり、日本文明を築き上げたのだ。


弥生人などというものは、存在しなかったのだ。


812日本@名無史さん:2005/03/21(月) 20:25:00
日本人の祖先が琉球列島方面から北上してきたと言う説は今は疑問視されてるよ。
むしろ沖縄人の方が本土から南下してきたと言う説が有力。
813日本@名無史さん:2005/03/21(月) 20:27:03
×今は疑問視されてるよ。

○朝鮮人が必死に疑問視しているよ。



814日本@名無史さん:2005/03/21(月) 20:29:53
>>813
朝鮮とか別に関係ないから。自分でちょっと調べてみれば分かるよ。
815日本@名無史さん:2005/03/21(月) 22:06:27


カ ラ ッ ポ の 中 国 も ヨ ロ シ ク !


例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。

http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm

中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠華北人≠西日本人
816日本@名無史さん:2005/03/23(水) 19:52:29
>>815
日本は10パーセントで、モンゴルは5パーセントか?(W




817日本@名無史さん:2005/03/23(水) 20:27:04
西日本人は10%超だがな。
本土日本人全体が8.6%で、モンゴルが5.9%。
ルーツはモンゴルに極めて近いところだという事。

あ、あれ?江南さんは?w
818日本@名無史さん:2005/03/24(木) 12:37:18
819日本@名無史さん:2005/03/26(土) 01:41:22
HLAを見ると、本土日本人には8.6%、特に西日本人には10%超と超高頻度に見られる日本人最多の
ハプロタイプは、韓国に行くと1.4%、中国華北の北部では約1%ほどしか無いが、モンゴルに行くと
5.9%に跳ね上がる。そうすると日本人最多のハプロタイプはモンゴルあたりから来た北方新モンゴ
ロイドと分かり、韓国人や中国人とはあまり関係が無い人類集団である事も同時に分かる。北方新
モンゴロイドは、まず中国系とアルタイ系に南北に分かれ、更にアルタイ系はトルコ系、モンゴル系、
ツングース系に分かれた事が知られているが、本土日本人はこの中のモンゴル系に近い事が分かる。
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
しかし、宝来のmtDNAで日本人のmtDNAを見てみると、それは韓国人によく見られるタイプと中国人に
よく見られるタイプの複合体でしか表されておらず、それが肝心のモンゴル系である事が一切出てこ
ない。つまり、mtDNAでは北方新モンゴロイドは全て韓国人によく見られるタイプと中国人によく見られ
るタイプの複合体としか識別できず、それ以上の種類までは識別できない非常に性能と精度の低い
遺伝学材料であるようなのだ。
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm
何も知らない人間がこんな性能と精度の疑わしい材料で日本人の人種系統を見たらどうなるだろう。
日本人は土着系と韓国人と中国人の混合体といとも簡単に錯誤してしまうではないか。
そういった意味でも宝来のmtDNAは危険極まりない粗悪な遺伝学材料と言わねばならないだろう。
820日本@名無史さん:2005/03/26(土) 01:47:37
つまりモンゴル系騎馬民族が日本の先住民族を征服したわけね
その混血の結果として現在の日本民族が形成されたということね
821日本@名無史さん:2005/03/26(土) 02:26:38
モンゴル系かトルコ系のどちらがだろう。
いずれにせよ、日本人種の主力は朝鮮人と中国人とは全く別種の
新モンゴロイドという事。

結果として先住民を征服する結果となっただけで、
弥生倭人に最初からそういう意図はなかったと思われる。

ただ彼らには未開の稲作技術の開発、過疎地だった西日本など、
種族を確実に増やせる条件が重なり、色々と幌の風が吹いた。
神に祝福されたように。

その混血の結果として現在の日本人種、人種的日本人、
そして日本民族が形成された。
822日本@名無史さん:2005/03/26(土) 09:05:34
>結果として先住民を征服する結果となっただけで、

征服者だったという仮定の根拠は何なの?いつも思うのだけど。
823日本@名無史さん:2005/03/26(土) 14:52:19
つまりだね、関西人の劣等感なのだ。
人種的特長が、関西のみ朝鮮に近く一重が多くヒラメ顔というのは昔から指摘されてきた。
しかし朝鮮人と言うのはカッコワルイのでモンゴル人にすり替えたいの。

日本にもともといた縄文人が全身にイレズミをして海に潜り、生魚を食う海洋民族である
ことは魏志倭人伝に記述がある。中国の呉越など長江の沿岸民族もおなじ。
ちなみにアイヌもイレズミの習慣があり、船に乗り北海道、カラフト、大陸に拠点を持ってた。

内陸の中国人やモンゴル人は海を見たこともなく、縄文人が泳ぐことすら奇妙にみえた。

ようするに大陸の朝鮮人や中国人が、内陸のモンゴル人を捕らえて奴隷として、
日本からきた船乗りに売ったという事実だ。
古代の交易商品は、ほとんど人(奴隷)だったのだ。

「減丁」といって歴代の中国王朝は草原のチベットやモンゴル遊牧民の青年をとらえては
殺すか奴隷にする習慣があった。ようするに人口抑制政策。
ジンギスカンが戦いを挑んだ理由は、この「減丁」の恨みがあった。

古代はモンゴル人など日本で売り買いされる奴隷にすぎなかったのだよ。
824日本@名無史さん:2005/03/26(土) 14:52:57
モンゴル人の様子を南宋の人が書き残しているので見てみましょう。

「金は三年ごとに兵を遣わして北に向かって討伐をする。これを《減丁》という。
今でも中原(黄河下流地方)の人はこのことをよく覚えている。20年前には山東や河北の家では
みなモンゴル人を買って奴碑としたものだった。彼らはみな金軍が捕えてきたものである」
「蒙韃備録」1221年

金の奴隷狩りの対象になっていたのですね。
825日本@名無史さん:2005/03/26(土) 15:13:22
魏志倭人伝の邪馬台国は弥生時代の話だよ。
弥生人はそういう南方的要素を持っていた。
すなわち、先住民(縄文人)のいたところに
稲作をもった弥生人が中国江南あたりから
朝鮮半島経由でやって来て、縄文人を駆逐し、
または混血し弥生文化を発展させていた。
そこに、古墳時代になってモンゴル系騎馬民族が
半島経由でやって来てさらに弥生人を征服した。
これが大和朝廷の起源である。
826日本@名無史さん:2005/03/26(土) 15:33:21
古墳時代に、ちゃんと組織されたモンゴル系騎馬民族なんて存在しなかったのだが?

モンゴルなど人口の希薄な草原でも、とくに少数民族。

ジンギス汗はタタールなど他の圧倒的多数をしめる他民族をまとめあげた国家事業を
成功させたから英雄たりえたが、それまでは中国の農家にいる奴婢や下男が
モンゴル人。

エタヒニン的なあつかいだね。
827日本@名無史さん:2005/03/26(土) 15:45:54
ローマ帝国を崩壊に導いたフン族は
モンゴル系騎馬民族で、中国で言う匈奴の
ことだと考えられている。匈奴の侵攻には
漢民族も悩まされていた。
日本を征服して大和朝廷を立てた騎馬民族も
その一派であったのだろう。
828日本@名無史さん:2005/03/26(土) 15:49:24
開拓時代のアメリカは、黒人娘に種付けする仕事の白人男がいたそうだ。
黒人だけより混血のほうが高く売れるし
なにより数を増やすことで、どんどん商品が増えるのだからタマラナイ商売。
米国の黒人は、ほとんどがこの種馬白人男の血を引いてる(笑)

それと同じでモンゴル娘など囲って、中国商人が動物のように種付けしてた。
そして子を増やしてあっちこっちに売ると。つまり外国にも(笑)

漢帝国の成立する前、春秋戦国時代にも、やはり奴婢の娘と子供を作る
仕事があったようだ。
人として最低の仕事で、体を壊して畑で働けない奴が担当したそうだ。

関西人は奴婢の子孫だなw
829日本@名無史さん:2005/03/26(土) 16:04:05
人種的特長が、関西のみ朝鮮
830日本@名無史さん:2005/03/26(土) 18:29:09

◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度

西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
831日本@名無史さん:2005/03/26(土) 20:57:22
弥生時代の話なんだから古墳時代を出すなよ。
それとも弥生時代に騎馬民族が来たという話なのか?
832日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:21:24
史実より〜

758年 現在の横浜市にあたる武蔵国久良岐郡・橘樹郡・都筑郡に、新羅郡が置かれ、新羅(朝鮮)系渡来人の入植が始まる。
833日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:22:35
>>832
神奈川県:
神奈川県(かながわけん)は、関東地方の県。この地方(県域)には、
朝鮮系の住民が流域に多く住んでいた「韓川」(からかわ)という名の
川があった。この川の名前が変化して、神奈川となった。
http://ime.st/www.xasa.com/wiki/ja/wikipedia/c/c_/c_a_a_c_.html

「神奈川県」
朝鮮系住民にちなみ、「韓川(からかわ)」という川の名から「かながわ」となった。
http://ime.st/homepage3.nifty.com/kabaddi/1008.htm
834日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:25:27
遺伝子レベルでは縄文・アイヌ系はむしろコーカソイドに近い。
弥生系は東南アジア人や中国・朝鮮人と近縁。
835日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:38:19
>>832
新羅郡の存在は、新羅人がいた証拠ではあっても
関東人が朝鮮人の子孫だということにはならない。
当たり前だが、新羅郡以外は新羅郡ではなかったのであり
非新羅郡の方が多かったわけだからな。
836日本@名無史さん:2005/03/26(土) 23:43:47
>>833
神奈川=「韓川」説はチョンの捏造。「韓川」などという地名は存在しなかった

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/神奈川区
上無川(かみなしがわ:水量があまりにも少ないので上流がわからない川)が由来といわれる。 その後、上無川か
ら日本武尊が東方に行く際、剣が金色に光ったので金川と改めたといわれる。 また、源頼朝が金川の風光を褒めて
「神大いに示すの地、よって神大いに示すと書き、字を神奈川となすべし」といったことから、現在の神奈川とい
う表記に改められたとされる。

ttp://www.city.yokohama.jp/me/kanagawa/kusei/profile/rekishi/index.html#timei
その昔、区内を流れていた小さな流れを「上無川(かみなしがわ)」といっていました。
それは、いつも水が涸れてほんの少ししか流れていない。水源地もどこかわからないので、「上(かみ)がない川」
と呼ばれていました。それがいつしか「み」「し」の二字を略して「かな川」をいうようになったという話です。
 また、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方へ赴く際、今の神奈川の海辺柚ヶ浦に船出の用意をしました。
そこが「上無川(かみなしがわ)」なのでした。その時、倭姫(やまとひめ)にいただいた宝剣が金色燦然として
この川水に映ったので、この地を金川(かながわ)と名付けました。その後時が移り、源頼朝がこの金川(かなが
わ)の風光を賞し、「<金>は西の方角をつかさどるというが、西方は上(かみ)にあたるしし,皇城(こうじょ
う=都、天子のすむところ)にもあたる。これは神を大いに示す地である。」として<大いに示す>を「奈」の字
にして、金川→神大示川→神奈川とすべきだといったので、その時から金川を神奈川としたという話です。
 ほかにも、古文書の中に「神奈河」「狩野川」「かの川」「かな川」と記されているものがあります。
〔参考 出典:神奈川区誌ほか〕
837日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:21:32
>まあ日本人には多かれ少なかれ朝鮮半島の血が流れているわけだが。

実は全然 流れていない。
7C、百済滅亡で日本に来た百済人が3100人くらい。
高句麗滅亡で来た高句麗人が1800人くらい。
それらとは関係なく自主的に来た百済人や新羅人が数百人。
7Cに来た半島帰化人は全部合せて5000人くらい。

それ以前の帰化人が始まった5C、続く6Cに来た半島帰化人が合せて
2〜3000人くらい。

半島帰化人の総数は7〜8000人くらい。

古墳時代の日本人口が400万人くらいの時だから、
朝鮮半島の血など、日本人の血の僅か 0.2% ほどに過ぎない事が分かる。
838日本@名無史さん:2005/03/27(日) 01:44:03
>>833
なら」は朝鮮語の「くになら」からきている。国の都という意味

http://ime.st/homepage3.nifty.com/kabaddi/1008.htm
839日本@名無史さん:2005/03/27(日) 02:28:58
>>838
そのHPのトップにはこう書いてあるが↓
------------------------------------------------------------
それぞれの言葉の語源には、説がいくつもあります。
ひとつの説だけに、とらわれないように注意してください。
------------------------------------------------------------
840日本@名無史さん :2005/03/27(日) 02:46:13
>>838
それもな、後世のこじ付けじゃろ?
特に、「現代朝鮮語で日本古文を解読してみたいというブーム」の頃の(w
飛鳥時代、後の平城京にあたる地域は、いくつかの丘陵が重なっていたらしい。
当然、谷もあった。
で、都をここに造営することになり、丘陵をくずして、谷に埋めたのな。
地形的に起伏の激しいままで都というのは、機能面で損なので。
”土地をナラして造った”ので、”ナラ”なんだ。
だから、漢字で書くと、”平城京”なわけ。
”なら”した、”まち”の”みやこ”=”平””城””京”
これが本当のナラの由来。
841日本@名無史さん:2005/03/27(日) 06:18:02
知ってのとおり、仮名には元になった漢字がある。
あいうえお=安以宇衣於、これと同じように、な=奈、ら=良、である。


当時の人々の感覚は、今でいえば、ひらがなの市名を採用するような感覚だったと言える。
ひらがなの市名で思い起こされるのは、茨城県つくば市である。
行政主導の人工都市である点も似ている。
TVで愛知万博が語られる際に大阪万博(1970)だけが引用され、
筑波科学万博(1985)が、華麗にスルーされているのは涙を誘う。


外国語(韓国語)から「奈良」を採用したとすると、
南セントレア市とぬけぬけと命名する某自治体の感覚に近くなる。
地元民の支持を得られるかどうかは、かなり微妙である。
842日本@名無史さん:2005/03/27(日) 11:22:40
843日本@名無史さん:2005/03/27(日) 12:12:22
だから、最初は「ならのみやこ」ってのでひとつの名詞だったんだわさ。
「いたぶきのみや」って「屋根が板の御所」みたいな意味になるけど、
そいつと同じで、「ならのみやこ」とは「土地をぺったんこいして造った
首都」って意味よ。
都でなくなってから、省略されて「なら」「なら」いわれるようになった。
844日本@名無史さん:2005/03/27(日) 12:33:15
そもそも古代朝鮮語で「ナラ(=国)」という言葉が存在したのかさえ疑問なのだが。
845日本@名無史さん:2005/03/27(日) 19:46:12

◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度

西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
846日本@名無史さん:2005/03/28(月) 03:16:54
中国の農家にいる奴婢や下男が モンゴル人
847日本@名無史さん:2005/03/28(月) 13:26:35
>>837
いわゆる帰化人・渡来人以前の話だろう。
縄文時代に、稲作文化をもった弥生人が朝鮮半島から北九州にやってきて、
縄文人を追いやる形で日本列島に拡がっていった。
848日本@名無史さん:2005/03/28(月) 13:27:15
↑訂正
縄文時代→縄文時代末期
849日本@名無史さん:2005/03/28(月) 17:27:02
つまり九州=朝鮮というわけだ。

九州人の頭が絶壁なのは有名だ。
850日本@名無史さん:2005/03/28(月) 18:41:45
>>847
縄文晩期の稲作については、半島をからめる必要もあるまい。
まぁ、弥生時期、効率を高める水田技術においては、山東半島が取り合えず
進んでいたようだから(長江もあるらしい)、半島沿岸経由も考慮されるが。
しかし、南鮮部分の稲作に関しては、日本からの影響も考えた方が良いだろう。
(ソウル以北の遺跡が少なすぎる)

>>849
九州の記述が高い、三国志魏志倭人伝をちゃんと読んだか?
葬式の時、身内は喪につき、葬が終われば穢れを祓うに水中に入る。<今は塩。
見舞いに来た人は歌舞飲酒をする。今でもある日本の葬式の光景だ。
支那の使いは、特別興味をそそられたのだろう。

まぁ、頭の絶壁もその韓伝の一地方辰韓の部分を根拠にしているのだろう。
で、今辰韓人皆褊頭.男女近倭,亦文身、となる。
其俗,行者相逢,皆住讓路.くらいのマナーはわきまえていたらしい。
倭人に似たらそのくらいはしただろうが、今の南鮮はどうだ?
851日本@名無史さん:2005/03/28(月) 19:18:30
水田稲作は渡来人が来るウン百年前の、BC10Cから九州北部にあった事は
もう常識だから、もういい加減に覚えような。

渡来人は農業技術を持ってきただけ。

人種系統はHLAからモンゴル以北の新モンゴロイド。

水田稲作は縄文人自身がどこかから持ち込んだ説が有力。

それと九州は50年前までは中頭地域だよ。鹿児島だけ短頭。
ちなみに渡来人骨も中頭です。
852日本@名無史さん:2005/03/28(月) 19:22:35
HLAを見ると、本土日本人には8.6%、特に西日本人には10%超と超高頻度に見られる日本人最多の
ハプロタイプは、韓国に行くと1.4%、中国華北の北部では約1%ほどしか無いが、モンゴルに行くと
5.9%に跳ね上がる。そうすると日本人最多のハプロタイプはモンゴルあたりから来た北方新モンゴ
ロイドと分かり、韓国人や中国人とはあまり関係が無い人類集団である事も同時に分かる。北方新
モンゴロイドは、まず中国系とアルタイ系に南北に分かれ、更にアルタイ系はトルコ系、モンゴル系、
ツングース系に分かれた事が知られているが、本土日本人はこの中のモンゴル系に近い事が分かる。
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
しかし、宝来のmtDNAで日本人のmtDNAを見てみると、それは韓国人によく見られるタイプと中国人に
よく見られるタイプの複合体でしか表されておらず、それが肝心のモンゴル系である事が一切出てこ
ない。つまり、mtDNAでは北方新モンゴロイドは全て韓国人によく見られるタイプと中国人によく見られ
るタイプの複合体としか識別できず、それ以上の種類までは識別できない非常に性能と精度の低い
遺伝学材料であるようなのだ。
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm
何も知らない人間がこんな性能と精度の疑わしい材料で日本人の人種系統を見たらどうなるだろう。
日本人は土着系と韓国人と中国人の混合体といとも簡単に錯誤してしまうではないか。
そういった意味でも宝来のmtDNAは危険極まりない粗悪な遺伝学材料と言わねばならないだろう。
853日本@名無史さん:2005/03/28(月) 19:27:25
てか、縄文人自体朝鮮半島から来たんだろう?
まあ、その頃は半島と日本は陸続きだったのかもしれないが
854日本@名無史さん:2005/03/29(火) 00:11:35
>>853
時代が関係なさすぎ
855日本@名無史さん:2005/03/31(木) 19:05:02
縄文人は樺太から来てるよ。
各地の細石刃文化の伝播と縄文人の出現の時代が同じだから。
856日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:27:42
正確にいうと樺太からきたのは縄文人ではなくて「縄文人の先祖」。
縄文人そのものは日本列島で発生。
857日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 01:21:18
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/news/1112357983/

354 :番組の途中ですが名無しです :投稿日2002/04/02(土) 00:41:22 ID:E/ULTiO50
>>349
VEIってのは、静かに溶岩を流出する噴火は、地球表面を覆う天地創造級の規模でも0。
って、こっちの方が判りやすいのが上で紹介されてたよ。
ttp://hakone.eri.u-tokyo.ac.jp/kazan/jishome/koukai99/kamata.html
ついでにこっちも。
ttp://hakone.eri.u-tokyo.ac.jp/kazan/Question/topic/topic87.html

386 :番組の途中ですが名無しです :投稿日2002/04/02(土) 01:09:46 ID:eEZ+rZRm0
>>354
>幸屋火砕流は6300年前に南九州に生活していた縄文人をほぼ全滅させたことを伺い知ることが出来る.

そうか。それで縄文後期は東北中心になったのか。
858日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 02:06:38
縄文草創期は南九州が中心。
縄文前期は東北が中心。
縄文中期は関東が中心。
縄文後期は中心が東北に戻っている。
縄文晩期も引き続いて東北が中心。
859日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 08:39:51
縄文研究の死角は畿内の位置づけだね。
縄文時代に畿内はどうだったのかな?
860日本@名無史さん:慶長410年,2005/04/02(土) 21:07:59
木製の手をたたけばよい カチカチ
木でつくった手をカチカチとたたく
861日本@名無史さん:2005/04/03(日) 16:20:44
九州人は大和朝廷の奴隷だろ。
すくなくとも天武天皇のころは、まだまだ敵対的な異民族とみなされていた。
ちなみに天武は東国人の武力支援で帝位についた初の人物。

ずっと後世になっても本州から派遣されてきた支配者に根強く抵抗する気風が
あったのをみても、長いあいだ痛めつけられた劣等感があるのが分かる。
四国などとは対照的。
本州に抵抗するレジスタンスの気風があるんだな。
これは九州人が侵略されるばかりで、いちども他を侵略したことがない弱い民族で
あることをしめしてる。

本州がイングランドとすると九州はアイルランドという関係が適切。
862日本@名無史さん:2005/04/03(日) 19:53:32
弥生時代に渡来した連中っていわば流れ者だろ
863日本@名無史さん:2005/04/04(月) 19:00:05
としか今のところ考えられんな。

シベリア南部からモンゴル東部を南下、朝鮮半島を素通りして
海路で九州北部にやって来た弥生人集団。

いったい何が目的だったのやら?

どこかでジパング伝説でも聞かされてたのかな?
864日本@名無史さん:2005/04/04(月) 20:29:56
こんな長距離を自然な居住地拡大ではない早さで移動するような不安定な集団がだな、
先住民を圧倒するような経済基盤を持っているわけないだろ。
我が身ひとつで渡ってきた(連行された)と考えるのが自然じゃね?
865日本@名無史さん:2005/04/04(月) 20:39:23
我が身一つというところには賛同しかねるな。

集団は数十人から数百人くらいの小規模だったとは思うが、
集団は何かとてつもなく強烈な権限を持つ統領に引率されていた感じがする。
866日本@名無史さん:2005/04/04(月) 20:52:09
>>865
>何かとてつもなく強烈な権限を持つ統領

まあ、日本市場向け奴隷仲買人(大陸人)だろうな。
867日本@名無史さん:2005/04/04(月) 20:56:35
大陸人はまだ遼東に入ったか入らないかの時代だが。
868日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:12:21
>>867
意味のわからんことを言うな。大陸に住んでれば大陸人だろ。
リャオトンにさえ入っていないってことは、当時のリャオトンは無人の境かよw
869日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:18:05
大陸人と言うと中国大陸人が最初の意味になるだろ。
大陸人が来る前は東胡がいた。
870日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:23:09
で、弥生人が渡来人だという事にDNA以外で何らかの根拠があるのか?
871日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:41:11
>>870
ただの弥生人じゃなくて、大陸系弥生人。
弥生人とは「弥生時代に日本にいた人」というあいまいな意味なので注意。
872日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:43:56
>>871
なるほど。では弥生文化それ自体が渡来であると考えるのは誤り でいいでしょうか?

諏訪に残る守矢家の資料館などを見るに縄文文化が>1のようなレベルでなかったのは明らかなので。
873日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:45:11
で、大陸人は中国大陸に来る前にどこにいた? 東湖なるものはどこから来た?
というふうに遡ってったらキリがなくなるな
874日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:56:59
定職・定住を拒む人はどんな民族にも存在する。
縄文人の中にもそういう困ったチャンがいただろう。
875日本@名無史さん:2005/04/05(火) 04:38:58
>>871
弥生時代の東北人は縄文人?弥生人?
876日本@名無史さん:2005/04/05(火) 10:22:52
>>875
弥生式土器を使っているなら弥生人
877日本@名無史さん:2005/04/05(火) 12:55:59
じゃあ縄文人だね
878日本@名無史さん:2005/04/05(火) 13:07:06
何故そうなる?
弥生時代っていっても幅広いんだぞ?
879日本@名無史さん:2005/04/05(火) 15:09:37
ヤオイ人 は嫌だな
880日本@名無史さん:2005/04/05(火) 17:38:50
>>874
定住を拒んでるんじゃなくて
季節ごとに決まった地点へ移動する人々だったんじゃないのかな?
縄文人は
881日本@名無史さん:2005/04/05(火) 22:51:22
縄文人は普通に定住民だよ。おまいら60年代の人間か?
882日本@名無史さん:2005/04/06(水) 23:50:14

もし縄文人が生き残ってていたら「在日縄文人」になるんだろ? 
883日本@名無史さん:2005/04/07(木) 01:58:28

ttp://www2a.biglobe.ne.jp/~tomo/image/album98/t810173b.jpg

これが典型的な渡来系の顔=現関西人
884日本@名無史さん:2005/04/07(木) 02:03:05
>>883
点滴中の子供の画像を引用する発想が分からない。
投与した薬によるものであろうか、血圧が高めになっているようにも見受けられる。
(顔面が紅潮し、むくんでいる。)
885日本@名無史さん:2005/04/07(木) 13:33:59
>>881
まったくだ… 上の方見てて思わず吹き出しちゃったよ
886日本@名無史さん:2005/04/07(木) 13:39:21
>>861
むしろ、九州勢力は穏やかに大和朝廷に属していったと言う説が本流だと思うが
887日本@名無史さん:2005/04/07(木) 16:24:51
>>886
日本書紀の書き方だと最期まで九州征伐で抵抗した隼人勢力が、
近畿進出の時に先兵(犠牲が多い)としてこき使われているわけだが。
888日本@名無史さん:2005/04/07(木) 17:51:51
弥生人なんて存在しないのだ
バカヤロー。



889日本@名無史さん:2005/04/08(金) 17:43:14
野尻湖にナウマン象を追いかけてシベリア地方から、古代モンゴロイドが、
日本列島に住み着いたのは、何万年も前
890日本@名無史さん:2005/04/08(金) 18:12:59

◎ B52-DR15(B52-DR2)の頻度

西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
891九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2005/04/09(土) 01:21:26
>>886
>>861
むしろ、大和勢力は緩やかに九州王朝に属していったと言う説が真相だと思うが。
892日本@名無史さん:2005/04/09(土) 19:47:37
弥生人とか、弥生時代って言葉、

滅ぼそうぜ。

ウザイから。


893日本@名無史さん:2005/04/10(日) 12:28:24
やよいチャンに振られたんだね
894日本@名無史さん:2005/04/10(日) 15:19:03
弥生人って、存在しなかったよね。




895日本@名無史さん:2005/04/10(日) 18:10:12

◎HLA遺伝子 B52-DR15(B52-DR2)の頻度



本土日本人 8,6%、 沖縄人 1,5%、 アイヌ人 1,0%、
韓国人 1,4%、 中国朝鮮族 2,2%、 モンゴル人  5,9%



日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人

http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
896日本@名無史さん:2005/04/11(月) 22:59:22
このタイプが、日本人最多であり、北九州、山陽、近畿で更に高頻度であることから、
弥生時代開始前後に、遼河流域周辺から、半島西岸を一気に南下して、
半島南部に到達し、更に間を措かずに、主力が渡海して北九州〜山口方面に
上陸・移住し、瀬戸内から近畿に弥生文化とともに拡がって、
ついに国家形成・民族形成・日本語を形成するに至った集団
「倭人」の民族移動を表わすもの  ・・・・・って
897日本@名無史さん:2005/04/12(火) 09:57:00
>>892
じゃあまず土器の名前を決めよう。
もう弥生町にこだわる必要もないし。
898日本@名無史さん:2005/04/16(土) 00:57:18
>ローマ帝国を崩壊に導いたフン族は
>モンゴル系騎馬民族で、中国で言う匈奴の
>ことだと考えられている。匈奴の侵攻には
>漢民族も悩まされていた。
>日本を征服して大和朝廷を立てた騎馬民族も
>その一派であったのだろう。

日本と韓国の違いは

日本はフン族の時代にモンゴル人の血が入る。

韓国はフン族そのもの。歴史的に見てもモンゴル帝国に征服されてる。

それは自分らでテーハンミングックって言ってることからもわかるよね。
899日本@名無史さん:2005/04/16(土) 05:43:58
ネタか?
900日本@名無史さん:2005/04/16(土) 15:29:33
>>1
日本人を、縄文人と弥生人に分ける意味が分からん。

分ける必要、ないしな。



901日本@名無史さん:2005/04/16(土) 21:55:21
縄文人はネアンデルタール人
弥生渡来人はクロマニョン人
902日本@名無史さん:2005/04/17(日) 22:01:14
おい、おい!
903日本@名無史さん:2005/04/18(月) 02:08:09
縄文時代には日本も日本人も無かったよ
904日本@名無史さん:2005/04/19(火) 22:11:11
>>900
縄文人は先住日本人、アイヌのこと。
弥生人は後から入ってきた、のっぺり顔の北方新モンゴロイド人種。
ということで、定義しましょう。
905日本@名無史さん:2005/04/19(火) 22:25:38
>>904
いや、それは違うだろ。
906日本@名無史さん:2005/04/20(水) 20:29:15
アイヌと縄文人のmtDNAは違うし、
アイヌは遺伝学的に新モンゴロイドに分類されるそうな。
アイヌは縄文人のかなり後に列島に入ってきてるよ。
907日本@名無史さん:2005/04/20(水) 22:02:41
小進化じゃないの?
908日本@名無史さん:2005/04/20(水) 22:41:24
チベット人も近いから、シベリアで一時期主流だった系統なんだろう。
その後、シベリアに残ったものは本格的に新モンゴロイドに進化して
いったと思われ。
909パスタ大王様:2005/04/21(木) 15:39:11
お前ら、弥生人に征服された縄文人の話ばかりしているけど
瀬戸内パスタ王国の話はどうなったんだ?
古代日本の瀬戸内は麦作地帯で、華麗な瀬戸内パスタ文明が栄えたのを知らないのか?

大阪のたこ焼き、香川の讃岐うどん、岡山のきび団子、広島のお好み焼き

これらはみんな瀬戸内パスタ王国の名残なんだ。
ところが野蛮な米作民族・大和によって滅ぼされ
遺臣たちは全国に四散し、たこ焼き屋やうどん屋を生業とするようになったんだ。
910日本@名無史さん:2005/04/23(土) 22:54:27
本土日本人と韓国人の大きな違いは、それぞれの人種を構成している
主力の新モンゴロイドが違うところだよ。

本土日本人はモンゴル人に近い新モンゴロイドが主力、
韓国人は満州族に近い新モンゴロイドが主力。
911日本@名無史さん:2005/04/24(日) 00:05:09
>>910
韓国人が満州族に近い?その根拠は?
912日本@名無史さん:2005/04/24(日) 00:19:13

頭最大長は漢族と回族では男女ともに「中」型、朝鮮族と満族では男女ともに
「短」型に属した。頭最大幅は回族、朝鮮族および満族は男女ともに「広」型、
漢族では男性は「中」型、女性は「広」型に属した。頭長幅指数男性では朝鮮族
の89.56が最も大きく、次いで満族の88.88、漢族の85.84、回族の85.50の
順であり、女性でも朝鮮族の90.18が最も大きく次いで満族の89.82、漢族の
88.99、回族の87.39の順であった。各民族の男女ともに過短頭に属した。(略)
これらの形態について漢族、朝鮮族、回族および満族の間には明らかな差は
認められなかったが、日本人と比較すると、かなり短頭であり、顔の幅は狭く、
高さも低かった。

http://www.saga-med.ac.jp/academic/meeting/anthrop/summary/c04.html
913日本@名無史さん:2005/04/24(日) 00:21:51
南北に長い朝鮮半島は、南と北、北はさらに山脈でへだてられて東の
日本海側と、西の黄海側とに分けることができるが、この地理的区分
にしたがって、住民の形質にも若干の差異が見られる。大ざっぱに
いって、朝鮮人の身長は北部で高く南部で低い。頭形は南北両端で
著しい短頭を示し、中部から北西黄海沿岸にかけては、比較的に中頭
のほうに近づいている。中国人とは関係が密ではないが、朝鮮地方型の
中では平安南道、黄海南・北道の頭形が最も華北型に近い。済州島は
最南にありながら、北方の咸鏡北道、咸鏡南道とともに満州人に近い。
同島が長期間、元の占領下にあった歴史的事実を考えれば興味が深い。
以上で明らかなように、朝鮮人は日本人、満州人の両方に最も関係が
密であって、両民族をつなぐ橋の役目をしている。しかし朝鮮人は
漢民族の華北型とは案外に密接せず、後者とは、日本人のほうが
むしろ縁が深い。
914日本@名無史さん:2005/04/24(日) 00:29:02
華北人、モンゴル人、ブリアート人が中頭。
満州人、朝鮮人が短頭〜超短頭。
915日本@名無史さん:2005/04/24(日) 00:38:37
頭長幅指数が、人種構成にどう影響があるのか。古い学説のようで、
現代においても有効とされているのですか?
それに環境的変化は考慮されているのですかね。日本人でも
幼少の頃ターバンをすれば長頭になるでしょうか?
堅い枕であおむけに寝ていれば、短頭化することもあるので
しょうか?
916日本@名無史さん:2005/04/24(日) 00:56:41
在日が言うように弥生人は朝鮮人という事で、
弥生人を求めて韓国に何度も足を運ぶ。

ソウルやプサンを数日間ブラブラする。
そこには弥生系らしき顔の人の中に、なぜか縄文系らしき顔の人が
2〜3割いた。

意外だったのは、弥生人らしき顔の人の方は日本の弥生系の顔と
違っていて、むしろ縄文系らしき顔の人の方が日本の縄文系の顔と
似ていた事だった。
917日本@名無史さん:2005/04/24(日) 04:01:33
朝鮮人には、長頭&長額(広額)のアイヌ系北方縄文人の遺伝子・形質が皆無。
西日本・朝鮮半島の縄文人は、南方アジアから中国・朝鮮半島経由で来た南方縄文人。

日本人・朝鮮人で共通なのは、南方縄文人・渡来系弥生人・帰化朝鮮人の部分。

樺太・北海道経由で来た、アイヌ系北方縄文人は、原生林で狩猟生活をしていたから、原生林の多い東日本までしか展開しなかった。
(木の実や、動物の肉を狩猟しなければならないから、平原の多い濃尾平野・大阪平野以西では生活しづらい。)
これは日本・朝鮮における長頭&長額(広額)人種の分布と一致する。

また、アイヌ系北方縄文人と、南方縄文人は、遺伝子・形質が一致しない。


>南方縄文人のmtDNAは琉球人によく見られるタイプのmtDNAとして現れるが、
>意外な事に、韓国人の方が南方縄文人のmtDNAが本州日本人より僅かに多い。
>その分、東日本人(伊東市)にはアイヌ系北方縄文人=白人のmtDNAが入ってくる。
>長頭&長額(広額)のアイヌ系北方縄文人=白人は、東日本までは南下した事が判明している。

http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm
918日本@名無史さん:2005/04/24(日) 04:10:18
>Y染色体上の非組み換え領域にある4つの遺伝子座に関して,
>日本人3集団(沖縄,静岡,青森)と台湾の中国人で遺伝子型を決定した.
>Y染色体上のAlu配列の挿入多型であるYAP因子は,日本人では 42% に存在したが,
>中国人には見られなかった.・・・
>遺伝的距離の解析により,沖縄の人は本土の日本人とは遺伝的に離れていることが明らかとなった.
>このことは,現代日本人が縄文人および韓国あるいは中国本土からの移入民である弥生人からの
>異なる遺伝的寄与を受けた結果であり,また沖縄の人は弥生人とはほとんど混合することはなかった,
>という仮説を支持する.YAP(+)染色体は縄文人によりもたらされ,
>YAP(−)染色体の流入は弥生人の移住によりもたらされたと考えられる.
ttp://www.nig.ac.jp/labs/nenpo-95j/E/E-a.html
919日本@名無史さん:2005/04/24(日) 11:59:09
朝鮮人や漢民族は強暴だからね
920日本@名無史さん:2005/04/24(日) 18:38:10
強暴=凶暴 
まあ 大陸では食うか食われるか
中途半端じゃ生き残れないからね
遊牧民のいない
島国農業では和を持って尊しだし・・・・
921日本@名無史さん:2005/04/24(日) 21:29:31
>>917
おいおい、俺の文章を改造して捏造するのはやめろよ。

縄文人は25000年ほど前に北方から来てるよ。
それは縄文人が列島に入ったのが、ネイティブアメリカンがアラスカ
に入った時代と一致し、細石器とともに南下した事が分かっているからだよ。

アイヌはそれから1万年くらい後にようやく列島に入った
初期の新モンゴロイドだよ。
922日本@名無史さん:2005/04/24(日) 21:39:03
>>918
>韓国あるいは中国本土からの移入民である弥生人


mtDNAとY染色体は細かいルーツにおいては全く精度の低い粗悪品。
細かいルーツにおいてはHLAが圧倒的に高い精度を示す。

HLAは弥生人をモンゴル周辺からの移入民と正確に出している。
923日本@名無史さん:2005/04/24(日) 23:29:24
>921
1万5千年前か。まだ台湾と沖縄がほとんど地続きだった頃だな。
やっぱフィリピンや台湾のポリネシア系先住民族と関係あるかな?
924日本@名無史さん:2005/04/24(日) 23:42:48
ポリネシアかどうかはともかく南方系遺伝子との関係は
むしろ半島なんだな。
925日本@名無史さん:2005/04/25(月) 00:12:16
その通り。

HLAでも、タイに多いハプロタイプが中国人や半島人にはあるが、
日本人には無い。

これは縄文人にしろ弥生人にしろ中国以南からは来ていない
証拠でもある。
926日本@名無史さん:2005/04/29(金) 21:27:52
現代に縄文の面影は無いし・・・・
927日本@名無史さん:2005/04/29(金) 21:34:38
>>926
生物学上の話はさておき、縄文の「風俗」は面影もないわな、確かに。
刺青や漆に残ったぐらいかなぁ。見た目はさておき。
928日本@名無史さん:2005/04/30(土) 08:23:29
アイヌに受け継がれてるんじゃねえの
929日本@名無史さん:2005/04/30(土) 09:59:56
アイヌは縄文人の直系の子孫
930日本@名無史さん:2005/04/30(土) 19:51:04
アイヌは本土の縄文人とは別種。
HLAでもmtDNAでも別種と出てくる。

逆に琉球人の方は間違いなく縄文人の直系。

アイヌは縄文人よりかなり遅れて列島に入ってきたようだ。
関東あたりの人まではアイヌの遺伝子がかなり検出される。
931日本@名無史さん:2005/04/30(土) 22:13:41
>>930
東京でアイヌの日本人同化政策を行ったからじゃないの?
932日本@名無史さん:2005/04/30(土) 23:06:56
な訳ないでしょw
短絡的な思考回路だな。

アイヌも日本に入って1万年以上も住んでいるんだから、
その間、一部が分かれて必然的に南下するに決まってるでしょうが。
933日本@名無史さん:2005/05/01(日) 01:00:49
九州に上陸したアイヌが生態系の変化や敵対勢力に追われて
徐々に北上していったという説もある。
北陸・東北や蝦夷地に住み着き、北方アジアの寒冷地文化を取り入れて
今のアイヌ文化ができたようだ。
934日本@名無史さん:2005/05/01(日) 04:42:03
アイヌは北海道縄文人の子孫だが
文化的にも遺伝子的にも北方ツングース系の文化の影響をうけたり混血したりは
してるだろう。縄文人の「直系の」子孫という言い方は誤解を招く。

本州の縄文人は弥生化していっただけ。
だから本州から北上していったわけじゃないだろ。北海道自生の民ってことになる。
935日本@名無史さん:2005/05/01(日) 19:36:17
新モンゴロイドの系統の識別では全く精度が低く役に立たないと、
何かと悪評の多いmtDNAだが、縄文人とアイヌの識別だけは役に立つよ。

アイヌのmtDNAは北高南低。

http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm
936日本@名無史さん:2005/05/01(日) 20:03:54
>>1
ワラタ
937日本@名無史さん:2005/05/02(月) 06:46:42
縄文時代の最盛期に日本で一番人口が集中していたのは関東地方。
四千五百年前の縄文中期の北海道と沖縄を除く日本列島の総人口は26万人。
その96パーセントが東日本に集中していた。人口密度は東日本が一平方キロ
当たり1.7人。なかでも関東は3人と、最密集地帯だった。
一方、当時の西日本は総人口が1万人以下で、人口密度も実に関東地方の
五十分の一の0.06人という超過疎地帯だった。


南方縄文人=南方モンゴロイドのmtDNAは琉球人によく見られるタイプのmtDNAとして現れるが、
意外な事に、韓国人の方が南方縄文人=南方モンゴロイドのmtDNAが本州日本人より僅かに多い。
その分、東日本人(伊東市)にはアイヌ系北方縄文人=白人のmtDNAが入ってくる。
長頭&長額(広額)のアイヌ系北方縄文人=白人は、東日本までは南下した事が判明している。

http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm
938日本@名無史さん:2005/05/02(月) 14:53:56
とにかくキモい朝鮮人には似たくないってっこった
939日本@名無史さん:2005/05/02(月) 17:43:49
韓国は人口5千万ちかいのに、北海道と同程度の面積しかない。
北海道の人口は4百万。むしろ過疎化で減少傾向にある。

日本は狭い。だが、その気になればいくらでも使ってない土地があり
外国は欲しがってる。
スターリンは日本降伏にあわせ北海道占領の予定だった。
北朝鮮も金豚が北海道占領を計画した。
「北海道独立」でネット検索すると左翼HPがゴロゴロひっかかる。

最近では中国大使の王は、北海道に中国人一千万を植民させろと
知事に迫り、中国人街をつくることを公約させた。
北海道は公務員が多すぎて来年は財政再建団体(ようするに破産)
になるとさえいわれており中国の国家支援は渡りに船だ。

そういえばアイヌ女性が中国系アメリカ男性と結婚して
戦争犯罪で中国に謝罪したと朝日新聞に載っていた。
北海道がアイヌ差別を名目に独立して反日国家になる日はちかいな。

中国人がアイヌと結婚してアイヌ差別に耐えきれないと叫び
日本は謝罪のため北海道独立に合意しろと迫る計画w
940日本@名無史さん:2005/05/02(月) 19:33:15
>>937
俺の文章を改造して捏造するのはやめろって言ってるだろ。
いくらデムパでも自分の文章で書けや。
941日本@名無史さん:2005/05/12(木) 09:43:12
>907

わずか2000年でイタリア人が金髪のゲルマン人に小進化するか?
942日本@名無史さん:2005/05/12(木) 16:05:29
環境によっては十分 あるんじゃない?
943 :2005/05/13(金) 22:39:08
ヨーロッパに原始人種が入って40000年くらいだそうだから、
地中海人種と北方人種は数万年は開きがあるだろう。
944日本@名無史さん:2005/05/14(土) 00:10:22
金髪碧眼は黒髪黒目より劣性遺伝子だから確率は低そう。
945日本@名無史さん:2005/05/19(木) 12:54:45
age
946日本@名無史さん:2005/05/19(木) 13:22:28
民族ってたんに遺伝子レベルで定義できるもんじゃなく、
言語や文化といった点も重要だからなあ。
947こんな説もあるらしい:2005/05/19(木) 23:33:34
248 :日本@名無史さん :2005/05/18(水) 01:32:04
建築家の渡辺 豊和氏の説に寄れば、高床式・校倉造りなどの住居形式は北ユーラシア系のものらしい。
ttp://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/study/watanabetoyokazu.html
>日本でも縄文の竪穴住居は土室だった。しかし日本は湿気が強いため日干しレンガはできない。
>そこで私達の先祖が考えたのは木を構造とし面を土とする土蔵風のものであった。
>このことに気付いて『神殿と神話』(原書房 83年)に書いたし歴史家や建築史家にことあるごとに
>このことを力説したがそのごとに冷笑をあびるか無視された。
>ところが最近、青森の三内丸山発掘以後ようやく竪穴住居の屋根は土でできているといわれはじめた。
>3年前(99年)今や考古学界の重鎮佐原真にそのことをいうと
>そんなに早くわかっていたなどとても信じられないといった風であったが本を見せてはじめてわかってくれたということがあった。
>佐原の他の考古学者にはみられない柔軟さ真摯さには好感がもてたことを強く記憶している。

>縄文の竪穴住居は1メートルほど土を堀りその土を使って建築とするのであるが
>前方後円墳と全く同じ形をした家屋なのである。前方部が入口、後円部が住まいである。
>このことはまだ考古学者はわかっていない。
>秋田県横手市の雪室「カマクラ」こそ竪穴住居の記憶であろう。
>これと関連づけてみるぐらいの柔軟さがほしいが登呂遺跡の復元竪穴住居のイメージからぬけきれていない。
>ついでに同じ『神殿と神話』で正倉院校倉は北ユーラシア渡りの建築形式と明言したが
>これもようやく三内丸山発掘で高床とおぼしき住居か倉庫が出てきたため気付きはじめたようである。縄文の高床は校倉なのである。
>校倉は丸太を横に積む形式で極寒に耐えうる唯一の木造高床形式なのである。
>ロシアなどの北ユーラシアの住居は現在でもこれは主流なのである。
948日本@名無史さん:2005/05/20(金) 09:47:42
面白い説だとは思うけど
「北ユーラシア渡り」って、具体的にはどこらへん?
949日本@名無史さん:2005/05/21(土) 23:04:37
>>937
俺のレスを改造して捏造するのやめろってもう何度も言ってるだろが。
950日本@名無史さん:2005/05/26(木) 23:10:21
950get
951日本@名無史さん:2005/06/01(水) 03:00:17
>>949
改造する前のレスはどれよ
952日本@名無史さん:2005/06/05(日) 17:51:18
今は無きアイヌスレに書いたものだろが。あほ。
953日本@名無史さん:2005/06/18(土) 04:57:29
954日本@名無史さん:2005/06/18(土) 05:39:50
>>953
モデルの容貌からだと縄文の方が現代では一般受けしそうだね。
個人的には弥生の方も感じは悪くないと思うんだが。
955日本@名無史さん:2005/06/18(土) 18:17:29
あくまで縄文VS弥生は衣装ですから。
956日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:59:52
確かにモデルでえらい損をしてるな

弥生の服は地味で清楚な感じ
縄文は結構派手で盛り場に遊びに行く時っぽいな
露出も多いし

しかし縄文の方のモデル胸なくね?いや、俺はそれも好みだが
957日本@名無史さん:2005/06/24(金) 12:36:01
この画像の縄文の衣装の文様は、
むしろ九州の装飾古墳なんかに通じる感じの意匠で、
なぜこれを縄文としたのかもう一つ納得がいかない。
958日本@名無史さん:2005/06/25(土) 10:26:34
>>641

どっちみち、渡来系弥生人=朝鮮人だから、全ての日本人に、朝鮮人の血が流れているんだよ。

下の項目が1つも該当しない人は、いないだろう。
下の特徴は、渡来系弥生人=朝鮮人か、満州系朝鮮人の特徴。


まゆ毛から、あご下までが長い瓜実形の顔・
短頭か中頭・
せまいひたいか、中くらいの広さのひたい・
目と離れたまゆ毛・
一重まぶた・
細く小さい目・
浅い彫り・
低い鼻・
蒙古ひだ・
大きい歯・
純血のアイヌ人や白人に比べ、ひげや体毛が薄い・
短い手足
など


大朝鮮・大中華の血が流れている事を、誇りにして生きよう。

朝鮮人・中国人を、ばかにする事は、先祖に対して失礼だぞ。



糞朝鮮、乞食中華の血など一滴も流れていません。在日は半島に帰って
ください。
959日本@名無史さん:2005/06/25(土) 19:39:31
弥生人を科学的に追及すればするほど、

朝鮮や中国とは極めて関係が薄く、

シベリア南部〜モンゴル以北あたりに関係がある

という事が分かってくるという現実。
960日本@名無史さん:2005/06/25(土) 20:40:05
>>959

関西人必死だな。関西人は朝鮮人だよ。
961日本@名無史さん:2005/06/25(土) 20:42:00
いつもいつも関東人のふり乙枯w

◎HLA遺伝子 B52-DR15(B52-DR2)の頻度

西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
西日本人 10%超、 韓国人 1.4%、西日本人 10%超、 韓国人 1.4%
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/hn2602/5.htm
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
日本人最多であり、且つ、北九州、山陽、近畿で更に高頻度である
朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人≠朝鮮人≠西日本人≒モンゴル人
962日本@名無史さん:2005/06/25(土) 20:52:32
大阪や兵庫から、石鏃で貫かれた縄文人の肩甲骨や頭蓋骨が多数
でとりますです。はい。
また金属器で断ち切られたとみられる肋骨もでとります。

縄文時代には見られない大量殺戮の文化がはいってきたんでしょね。
963日本@名無史さん:2005/06/25(土) 23:41:37
関西の地層・植物層じゃあ
縄文文化の停滞経済より
弥生文化の拡張経済のほうが
豊かになるからなあ。
労働力の搾取・貯蔵食料の略奪のために
村同士で戦さになり強い村が弱い村を
従えて行く。
そうして西で地方豪族は誕生した・・・んだっけ?
964日本@名無史さん:2005/06/26(日) 10:08:36
縄文人は森の中に狭い開墾地をつくって森とともに住んでたんだろ。
クリとかドングリを食い、森の動物を狩っていた。

弥生人はその森を焼き払ったんだな。耕作のために。

森がなくなったら、縄文人は生きられないよ。
戦争もしただろうけど、勝ったとしても森は帰ってこない。
森の残っているところに退くしかなかったんだ。
965日本@名無史さん:2005/06/26(日) 10:17:47
関東人のフリした在日が工作するスレはここでつか?
966日本@名無史さん:2005/06/26(日) 10:22:56
http://www.kurikomanosato.jp/to-siba11-kodai.htm
朝鮮半島は旱魃がしばしばあって、梅雨があり台風の多い典型的なモンスーン地帯である日本列島
よりもはるかに農耕がむずかしい。
その半島で農耕生産を安定させようとおもえば当然、灌漑などの農業土木が発達せざるをえないのだ
が、2千人の百済人たちはその技術をもって武蔵国の田園をふやして行ったにちがいなく、田園がふ
えるにつれ当然ながら人口もふえた。

開墾地主が、簇生した。その開墾地主が、つまりは武士である。これが荘園制度とからんでいわゆる
坂東武士団がつくられてゆく。
967日本@名無史さん:2005/06/26(日) 22:01:26
>>966
当時の知識階級の渡来人たちが治水工事などの
土木技術の指揮を請け負ったってやつね。
968日本@名無史さん:2005/06/26(日) 22:23:07
>>964
縄文文化は、森林との結びつきが強い森の文化である。
人口密度は、関東から中部、東北にかけての落葉広葉樹林帯で高く、
関西から四国、九州にかけての常緑広葉樹林帯では低かったので、
落葉広葉樹林で繁栄した文化だと言える。
落葉広葉樹林では、クリ、クルミなど食料にしやすい木の実が多く、
鮭などの魚も豊富で、食料が得やすかったという背景があるようだ。
http://www.econavi.org/ikimono/shinrin06.html

ようするに関西では原生林は縄文文化に適さないので切り開いて
野生動物のいない鎮守の森として、クリやクルミの取れる里山に
した。
こういう日本列島南西部の照葉樹林帯では農耕文化が発達した。
http://www.terra.dti.ne.jp/~akimasa/html/itidaiki/syoyojyurin.htm

アニミズム的には呪術的な力を持つ天皇家が自然神や精霊の怒りを
抑えた。

もののけ姫の世界ですな。
969日本@名無史さん:2005/07/02(土) 12:58:33
>>959
>>961


>589 :日本@名無史さん :2005/07/02(土) 08:56:36
>朝鮮系=過短頭、絶壁頭 (映画チングでもわかる様に、短髪にするとみんな角刈り風になる)

>渡来系弥生人・モンゴル人は過短頭、絶壁頭ではない


>590 :日本@名無史さん :2005/07/02(土) 09:20:29
>絶壁頭・細目・つり目が特異的に多いのが近畿地方。
970日本@名無史さん:2005/07/02(土) 13:02:07
弥生時代の関東の、アイヌ人と渡来系弥生人の共同集落、中里遺跡の発掘結果では、
アイヌ人95%:渡来系弥生人5%の比率だそうだ。

中里遺跡
http://www.google.com/search?hl=ja&q=%E4%B8%AD%E9%87%8C%E9%81%BA%E8%B7%A1&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=


発掘を担当した玉川文化財研究所の戸田哲也さんは、
こうした発掘調査から、中里集落の成立について、次のようなシナリオを考えている。

「少数の渡来系の人々が西からやってきたのを聞きつけて、
地元の縄文系の人々が、この地にわっと集まり、
渡来系の人々と協力しながら集落を築いていったのだと思います。

その証拠に、この遺跡からは、鏃(やじり)や武器など戦いの証拠を示す遺物は、殆ど出土していません。
地元の縄文系の人々が渡来系の人々の到着を、今か今かと待ちわびていたかのように見えます。」



西日本では、圧倒的多数の渡来系の人々が、
時には縄文系の人々を蹴散らしながら、勢力を広げる場面も見られた。
しかし、東日本では逆に、多数派の縄文系の人々が、少数派の渡来系の人々を平和的に迎え入れた。
971日本@名無史さん:2005/07/02(土) 14:14:08
大船渡市の宮野貝塚で見つかった、やじりが下腹部に刺さった人骨が出土。

愛媛県上浮穴郡美川村の上黒岩岩陰遺跡からは、鹿の骨製の骨鏃が腰骨に
刺さり絶命した人物の骨が出土。

骨からわかるだけで少なくとも17の鏃で射殺された縄文系の人の骨も出土。

渡来人は文明をもたらしたんじゃない。殺戮をもたらしたんでは?
972日本@名無史さん:2005/07/02(土) 14:26:40
歴史に疎い者の質問ですが、
縄文時代の縄文、縄はやっぱり麻縄なんですかね?
神社の注連縄も麻縄らしいので、神道の歴史と深く
係っているように思います。
こういう話はタブーのようになっていますが、アニミズムとの係りという面で
結びつきがあるように思いますが、、、
973日本@名無史さん:2005/07/02(土) 18:15:36
韓国、朝鮮人は過短頭、絶壁頭なので ちょんまげも坊主頭も似合わない
974日本@名無史さん:2005/07/02(土) 21:01:28
早く、この糞スレ終われーーーーーー
975日本@名無史さん:2005/07/02(土) 21:18:51
斬首体が出土したのは吉野ケ里が最初だっけか?

最近じゃあ、縄文でもいろいろ抗争があったんではと、証拠がでて
きてますが・・・食人慣習痕も出土してるし。
幻の原始共産制。

最大の原因は、農耕による平原の支配権と利水権の問題だったろうね。
縄文人は平野部を追われ、険しい山岳部へ追い込まれ、狩で農地へ迷
いこんだら、有害獣扱いだったのでは?
それらしい民話もあるし。

次に渡来人の金属器製造に使われる大量の木。農地拡充と共に縄文人の
フィールドである森林は伐採されただろう。狩は弥生人もしただろうし。
976日本@名無史さん:2005/07/02(土) 21:57:23
学校すら満足に卒業できない知的障害者が立てた糞スレはここですか?
977日本@名無史さん:2005/07/03(日) 02:13:43
>>969
春秋戦国時代の中原から避難してきた農民らは
どこから来たか?
弥生文化に近いといわれる雲南の米作地帯に住んだのは
チベット・ネパール系(のちの代理国)であって、漢民族ではないのだが。
(トルキスタンは遊牧民族)
978日本@名無史さん:2005/07/03(日) 08:01:15
北方諸民族もそうだが韓国、朝鮮人は泳げない
979日本@名無史さん:2005/07/03(日) 10:22:17
弥生人が入り込んできたとき、大陸からいろんな病気も持ち込んで
縄文人が激減したのではないか。
歴史時代に入っても、天然痘や梅毒やこれらが大陸から入り込んで
大量に死んでいるのだから。
980ベンゼン中尉 ◆DYfZNhP6fc :2005/07/03(日) 10:35:21
弥生期に大量に半島からの人の流入があったからといって、縄文文化自体はすぐに崩壊されたのではない。
時代の流れとともに縄文人と弥生人が同化したんだね。
だから、現在もまだ弥生系の顔とか縄文系の顔とか日本人の顔立ちは他のアジア人よりも様々なんだな。
縄文が逃げてアイヌになったというのは誤りだと思う。
981日本@名無史さん:2005/07/03(日) 15:03:53
北海道のアイヌ人が、縄文人のまま残ったのは、北海道が稲作不可能だったから。

北海道が稲作可能だったら、北海道を除く東日本と同じ様になっていた。
982日本@名無史さん:2005/07/03(日) 18:02:56
縄文人=アイヌじゃないぞ。
縄文人のまま残ったというのは誤りだ。
983日本@名無史さん:2005/07/03(日) 20:56:41
縄文人はアイヌから分岐して進化した人種で、アイヌとは近いが別種。
984日本@名無史さん:2005/07/04(月) 02:40:27
アイヌ文化はシベリアやカラフトの北方民族文化と同じものであって、
森と暮らす縄文文化とはチト違う。
985日本@名無史さん:2005/07/04(月) 02:58:35
>>983
逆だろバカ

>>984
アイヌも森と暮らす文化だが?
986日本@名無史さん:2005/07/05(火) 00:10:58
>>985
968にあるとおり、縄文文化は落葉広葉樹林帯の中で発達した日本独自の文化。
樺太やシベリアのアイヌ文化は不凍川のほとりで発達したカヌー文化。
蝦夷のアイヌは南から北上した民族が北方アジアのアイヌ文化を取り込んだ。
ってことで北海道アイヌ人ポリネシア系民族説を支持する。
アイヌと同じカヌー文化だし。
987日本@名無史さん
何かめちゃくちゃだなw
蝦夷≒アイヌ(の祖先)が取り込んだ北方文化はオホーツク文化だろ
で、縄文はカヌー文化じゃなかったとでも?